ザ・ノンフィクションというTV番組で「白井健三の兄と呼ばれて」という話の放送を見ました。

白井健三さんは、小さい時から天才的な才能を持った体操選手として有名で世界選手権で金メダルをとるなど大活躍をしています。現在日本体育大学に通っています。

そして、家族も体操一家であり、3人兄弟全員が体操選手です。長男の勝太郎さんも国内でも有名な選手です。一方、二男の晃二郎さんはというと、日本体育大学に通っていて同じく体操をやってきたけれど兄や弟ほどの活躍には至ることができていないようで、番組ではその苦労や悩みをまとめたドキュメンタリーとなっていました。

その二男の晃二郎さんを見ていると、天才的な妹を持つフィギュアスケートの浅田舞さんと通じるような悩みをもっていて大変だなと感じました。


そして、それと同時に考えさせられたのが体育大学に通う学生たちの現実、就職。

二男の晃二郎さんは体操選手として現役を続けていきたいものの、現実な選択肢も考えねばならない年になり、体育大学の学生の多くがやっているように教職課程をとり、教育実習に行っていました。


別に教師になりたいわけではないけれど、アスリートにとって現実的な選択肢の一つとして教師がある、というこの状況に、現役の教師としては残念な感じがしました。


多くの場合、アスリートならばその道を極めてプロなどの一流の選手として活躍し、生計を立てていくことは望ましいこと。

しかし、それを実現させることができるのはごく一部にすぎない。だからといって、スポーツに対する情熱はまだ消えていない。これからも、仕事としてそのスポーツに関わっていきたい。

その結果、教師になって部活動の指導者(顧問)になる、という流れです。


百歩譲って、昔から教師になりかたったとか、子供が大好きだからという思いが前にでているならばそれでもかまいません。

しかし、自分の果たせなかった夢の続きを実現したいことを第一に教師となり、部活動の顧問を希望するのは歓迎できるものではありません。

アスリートを育成することを第一とするならば、それは学校ではなく、専門のクラブチームなどの目的に見合った場所でやっていくべきことです。


ですが、この問題はそういう選択肢を選んでいく学生個人だけにあるものではなく、そうせざるを得ない環境にも問題があると思います。

今の日本にはプロになりきれなかったアスリートたちが働ける場所が少ないという、決定的な問題があります。


日本には部活動というシステムがあるために、多くの子供たちにとっては気軽にスポーツを体験できるというメリットがありますが、

部活動というシステムがあるがゆえに、地域や民間のクラブチームは発展しにくく、指導者としての仕事も増えていかないというデメリットもあります。

中体連や高体連、高野連に加盟している学校以外の団体の公式戦出場を認めてこなかったことが、地域や民間のクラブチームの発展を阻害しているのだと思われます。

というわけで結局、プロになれなかったアスリートたちの一部は自分の経験を生かすべく体育教師となって学校に戻ってくるのです。


一見、プロ並みのすごい経歴を持った人が学校に先生として来るのだから良いことのように思われるかもしれませんが、必ずしも良いことばかりではありません。

先ほど述べたように「教育」のために学校に戻ってくるのであれば歓迎ですが、中には「競技」のために学校に戻ってくる体育教師が後を絶たないから問題なのです。

これまでにブログやTwitterなどでもさんざん訴えてきましたが、「競技」傾向の強すぎる教師に勝利至上主義や体罰、暴言、長時間練習などの 行き過ぎた指導が多く発生しています。活躍できる生徒にとっては有意義でも、ちょっとスポーツをやってみたい程度の子どもにとって、スポーツをレクレー ションとして楽しめなくなるばかりです。実際に、日本中でこうしたミスマッチがたくさん起こってしまっています。

結局、「教育」として始まった学校の部活動が「競技」と混在し、「競技」の色が濃くなってしまったことで部活動が過熱し、このような事態を生み出しているのです。



もしも、学校の部活動が「教育」に徹する活動となり、地域や民間のクラブチームが「競技」に徹する活動になるなど棲み分けをすることができれば、こうした問題の多くは解決できることでしょう。

学校は「教育」としての部活動。スポーツや文化的活動に親しみ、楽しむ程度。これならば顧問である教師の負担もさほど大きくない。そのため、教師は授業などの本来の教育活動に専念できる。

クラブチームは「競技」としての活動。その世界の頂点を目指すものは、専門的なコーチらとともに練習をする。ある程度の量をこなしたり環境を整えたりする必要があるため、月謝等は発生するが、それで指導者の雇用につながる。

さらに、クラブチームは部活動とちがって、小中高と継続的に指導を行うことができるため練習の成果を高めやすい。

こうして、生徒と指導者の求めるものがマッチすれば、両者とも充実した活動ができるはずです。


2020年には東京オリンピックが開催され、スポーツ庁なるものも設置されましたが、日本のスポーツは学校の部活動をあてにしているうちは成長することはできません。

何でも屋状態になってしまっている教師に「競技」まで求めないでほしい。学校に「競技」を持ち込まないでほしい。

決してスポーツや「競技」を否定するつもりはないが、それを大切にしたいならば、一度きちんとアスリートの育成システムを整理しなおすべきではないだろうか。


■参考記事
運動部活動に全国大会がなかった頃