2006年07月

2006年07月24日

ある政治家の半生

War Cabinet私がイギリスに行っていた1989年から2000年というのはイギリス政界にとってはかなり「激動」な10年間ちょっとだった。保守党サッチャー政権の内部崩壊。メジャー内閣の登場と衰亡。1997年総選挙によるブレア労働党の大勝とその後の保守党の四分五裂...議会内閣制度の政界におけるありとあらゆるドラマを見せてもらったという感じ。

もっともサッチャー革命によるイギリス社会の変容という、本当の意味での「政治」は私の到着したときにはすでに歴史的事実となっていた。私が目撃したのは、日本で言うところの「永田町」の町内ドラマ。かなり教条主義的になっていたサッチャーさんとその取り巻き連中が世論の反対を押し切って地方税制にいわゆる人頭税(Poll Tax)を導入したのをきっかけに、市民の反対運動が「燎原の火のごとく」となり、これじゃ次の総選挙に勝てない(これ、議会内閣制ではポイントね)と判断した保守党中堅(つまりは政権内の閣僚クラス)が決選投票にもつれ込んだ保守党党首選挙でサッチャーさんを見限る。ジュリアス・シーザーよろしくサッチャーさんあっけなく失脚。あの日学生寮でシャワー浴びていた私はニュース・フラッシュが流れたのと同時に建物中で歓声が上ったのを今でも覚えている。

後日インタビューでサッチャーさんが辞任に追い込まれていった様子を回想していたが、なかなかすざまじい内容だった。党首選挙の決選投票に臨んで、サッチャーと選挙参謀たちが閣僚をひとりひとり呼び出し、その忠誠を確認する。そうするとその前日までは100%支持を唱えていた閣僚のすべてが「プライム・ミニスター。もちろん私はあなたを支持しますが、党内の声は抑えれません。」と判で押したような回答をする。一番信頼していたメジャーまでが同じ回答をしたことで、すでにはしごをはずされたことを知った彼女は泣く泣くダウニング街十番地からの引越し準備を始めることとになったというわけ。シビアじゃのう。

DVD発売中...かな?まぁここら辺の一部始終や、いかにサッチャー政権下におけるイギリスの政治家人生が不毛なものだったかということはBBCのテレビドラマにもなったアラン・クラーク・ダイアリーズに詳しい。アラン・クラークはサッチャー政権下で雇用省、経産省や国防省など色々なポートフォリオで閣外相を勤めた人。彼の日記は政界の内幕を暴露すると共に、彼のかなりカラフルな女性関係を赤裸々に綴っていて、当時ベストセラーになった。当人はすでに故人。ドラマはクラークをベテラン、ジョン・ハートが好演。

まだ髪の毛があった頃...出だしがかなり長くなってしまった...今回ご登場願うのは私のイギリス時代の知人で保守党議員だったフィリップ・オッペンハイム氏。キャラ的にはアラン・クラークとかなりかぶるのだが、年齢はかなり若い。初当選がフォークランド戦争勝利を背景にサッチャーがその政権基盤を磐石なものとした1983年総選挙。32歳でその年の最年少新人議員だったらしい。出自は裕福なユダヤ系一家のおぼっちゃま。(ちなみにイギリス政界や法曹でユダヤ系というのは全然ハンデではない。なんてたってディズレーリのお国柄だ。)ハーロウ、オックスフォードと絵にかいたようなエリート・コースを経て、ちょっと出版ビジネスなんかをしてみた後に、政界入りした。母親も保守党議員だったので当初はママと一緒に登院していたらしいが、保守党内で順調に出世して最終的にはケネス・クラーク蔵相の元、閣外相まで登りつめた。もっとも選挙区が労働党優勢の地方にあったため、1992年のメジャー政権下での総選挙で「もうぜったいダメ...」と思っていたのが案外ふんばってしまった。しかし1997年のブレア労働党大躍進政権奪回総選挙であえなく(やっぱり)落選。もっとも1997年のときはもう完全にあきらめていたみたいで、腹いせに労働党のリサーチャーをナンパしてみたり、選挙後には新聞に「敗戦記」なんかを書いていた。32歳からずーっと政治家していて41歳で突然ハローワーク。もっとも裕福な家族だからすぐに窮乏ということはなかったけれど、ちょっと「自分探し」みたいなこともしたらしい。そこで以前から興味のあったキューバをテーマにしたバーとレストラン「Cubana」をウォータルー駅のそばに立ち上げて、それなりに成功させた。ここらへんのことは彼の著書「Maggie to Margarita」に詳しい...らしい...読んでないけど...しかしベタなタイトルだ。最近ではすっかり髪の毛がさびしいが、独身貴族を謳歌していた氏もおととしあたり、女医さんにつかまり一児のパパ。元気そうにしているらしい。ベタなペーパーバックだのぅ

まぁなんでこんな人の知遇を得たかというと、まぁラグビーです。氏が主催していたイギリス国会議員ラグビーチームが日本人チームと試合をしたいといいだして、私が所属していたロンドン・ジャパニーズと一戦に及んだというわけ。それ以来、特に落選してからなんだかんだとことあるごとにお呼びにあずかり、イギリス滞在中は親しくしてもらっていた次第。

そしてなぜ彼の話をするかといえば、一つには友人が政治家キャリアのことを口にしたからということと、今の日本の政界って本当にあの頃のイギリスと共通点がありまくりだから。

フィリップ曰く「政治家のキャリアも最初の頃は面白かった。戦うべき相手が多かったからね。労働団体、既得権益団体。サッチャーのおかげで議員になれた俺たちは革命の一戦士として使命感に燃えてたさ。でも革命が一段落した後はただ惰性だけだった。そのうち俺たちのほうがたたかれる対象になっていた...。」

う〜ん...この話ながくなりそうだから、以後次回。家族と一緒に、はいチーズこいつが本物のアラン・クラーク

yutethebeaute999 at 03:27|PermalinkComments(0)かため 

2006年07月16日

おまけのおまけ

おまけのおまけ。アカデミー賞俳優、ジェイミー・フォックスがテニスのセリーナ・ウィリアムズに「想いのたけ」を歌い上げる。サイコーに笑える。(ネタは2004年、彼が司会をつとめたESPYアワードでの一幕)


ちなみにジェイミーは奨学金もらってジュリアードにいっていたのだ。

yutethebeaute999 at 18:06|PermalinkComments(0)やわらかめ 

天才

いろいろあった一週間。夕食も外ですませて、家族そろって帰宅。息子を風呂に入れ、歯をみがかせたら、すぐに寝た...そこで...夫婦ふたり...水入らず...ネット・サーフィン(苦笑)。

最近発見したYou Tubeでなつかしのお宝映像を検索しまくる。妻は70年代アメリカのテレビ番組。Osmondsのドニー&マリー・ショーやThe Brady BunchやCarpentersのコンサートなんかをみて「なつかしー!」

そうしているうちに、「ミッキーマウス・クラブ」の検索ででてきた、クリスティーナ・アギレラ、ブリトニー・スピアーズ、ジャスティン・ティンバーレイク揃い踏みのお宝映像。みんな10代前半...可愛い...だけど、クリスティーナ...歌も踊りもジャリタレというレベルじゃない...。

はっきり言って、天才です。

やっぱりブリトニーはクリスティーナに比べればこの当時も今も、才能の面で一歩・二歩・三歩・四歩...遅れている...。

天才といえば、もうひとり。この人。ジェイク・シマブクロ。ウクレレでここまで...できるんだね。

このクリップをみてうちの奥方「なんか眠れなくなっちゃった...」

ただもんじゃない...。

おまけです。アカデミー賞俳優、ジェイミー・フォックスが歌う、The Brady Bunchのテーマ曲。ベタなテーマソングをR&B調で歌うだけでけっこう笑えますが、なんとベイビーフェイス、ルーサー・ヴァンドロス、プリンスのものまねヴァージョンまで聞かせてくれます。こいつも芸達者。


yutethebeaute999 at 15:42|PermalinkComments(0)やわらかめ 

2006年07月15日

断髪

グリーの皆様には写真を公開してしまいましたが、先月、髪の毛をさっぱりさせました。5月末の出張のあと、

「もうこれから夏の間はあまり仕事で人に会うこともないだろう...」

ということで、地肌が見えるくらい、ばっさり三分刈りに。

最初のうちは

「さっぱりしていいね。」

などといっていた妻は、しばらくすると、

「なんか...法事で未亡人にせまる生臭坊主...みたい...?」

と、失言。

しかし毎朝髪の毛を整えなくていいというのがいかに快適なことかという新鮮な発見も。

しかし、大失敗。7月のセミナーをすっかり忘れてた!これじゃいつぞやの

「市場関係者...いやお魚のほうじゃなくて、金融のほうだけど...。」

結局セミナーでは最後に一言いわせてもらいました。

「えぇ〜...こんな髪にしてしまいましたが、カタギです...香港にお立ち寄りの際は、お気軽にお立ち寄りください。」

かえって恐いか?

yutethebeaute999 at 20:05|PermalinkComments(0)やわらかめ 

2006年07月03日

ロンドンでおもいだしたこと

事件現場先週ロンドンへいったら、昔の自分の盲腸手術のことを思い出してしまった。

あれは1994年のイースター休暇中の出来事。春めいてきた陽気とはうらはらに、のるかそるかの試験をひかえてラスト・スパートで勉強に励んでいた(はず...の)あのころ、ある早朝とんでもない腹痛で目が覚めた。「ムムム...なんじゃこりゃ...」と松田優作みたいにつぶやきつつ、「コリャなんか昨日ヘンなものでも喰ったにちがいない」とベッドからはいずりだし、なんとかトイレまでいってはみたものの、なんにもでない。こいつはヘンだ。いつもとちがう。なんかまずいことになったな...などとひとりでパニック(一人暮らしはこういうとき誰もそばにいないのがつらい)。とにかくベッドにもどり、しばらく安静にしていたものの、一向に痛みは治まらない。お昼近くになって、もうだめだと思い、脂汗タラタラ流しながら、なんとか着衣。前屈姿勢のままフラットの階段をやっとの思いで降り、家の前でタクシーをつかまえ、座席に転がり込んで一言...

「ビ、病院お願いします...キ、救急のあるところ...。」

連れてこられたのが上の写真にあるセント・トーマス病院。ビッグ・ベンで有名なイギリス国会からテームズ川をはさんだ向かいの南岸にある。そして、ここが後ほど肝心になってくるのだが、この病院は医学生を教えている医療教育機関でもある(Teaching Hospitalという)。

救急受付で窮状を告げると、すぐに患者を運ぶためのキャスター付きの簡易ベッドに乗せられ診療室へ。なんだか難しそうな顔をしたお医者さんが問診。

「どうしました?」

「おなかが痛い!」

「フーム...じゃ、おなか見せてください。」

仰向けに寝たまま、シャツをまくり上げ、痛みによじれるおなかをさらけ出すと、お医者さんの指や手が容赦なくあちこちつつきまわし始める。そして私からみておへその右脇約4〜5センチの場所を押し込まれたとき、ついに耐えかねて...

「!」

と声にならないうめきを発したら、お医者さん

「ハハァ〜」

とひとりごちした後、その押し込んだ指を突然引っ込めた。

「ウ、ウギャ〜ッ!!!」

「はい、はい...こりゃ虫垂炎(Appendicitis)だね。虫垂炎の典型的症状はこの箇所を押し込むと当然痛いんだけど、引っ込めるときの方がもっと痛むんだ。ほらね...」

と、また患部を押したり引っ込めたり...いや、もう説明はわかったから...や、ヤメテ...ほ、本当に痛いんです...。

「よしよし...ずいぶん腫れているようだから、すぐに手術しよう。でも、今日は手術室がこんでいてね...一番早くて(スケジュールを確認)...今晩真夜中の12時だな...。」

...この痛みをこのまま約半日間、耐えろと...。まぁNHS(イギリスの国営医療制度)でタダでやってもらうんだからしょうがないか...試験勉強どうしよう...トホホ...と落ち込んでいるところへお医者さんが、

「じゃぁ患部の位置を確かめるから、『バック・パッセージ(Back Passage)』を調べますね...」

へっ?バック・パッセージ...?それってどこ?私の体の「後ろの通り道」?そんな英語知らんぞ...などと頭が混乱していた私の目に飛び込んできたのは、ゴム手袋をパッチンとした上にワセリンみたいなものぬりたくっているお医者さんの姿。

えっ?ま、まさか...バック・パッセージって...まさか...あ、あそこじゃ...ないよね...ウソ...ウソだといってくれぇっ...!!!

全然、まったく、心の準備が出来てないうちにお医者さんは容赦なく、

「はい、それじゃうつぶせになって...ひざ立てて...はい、はい、ひざを広げて...ほら早くしなさい!」

...ズブリ...

...

...

...

...もうおむこさんにいけない...。

茫然自失とした私におかまいなく、デリカシーのないお医者さんはゴム手袋を手際よくはずしてゴミ箱に放り投げ、

「どうやら患部はそのままの位置にあるみたいだね...。ま、手術まで長い時間あるけど我慢してね。手術の時間になったらまたくるから。」

そういって去っていくお医者さんの後ろ姿を見るともなく、私は看護婦さんのなされるがまま病院服に着替えさせられ、点滴用のチューブを腕に入れられ(いつもだったらここらで大騒ぎのはず...針がメチャクチャ苦手)、ベッド不足とかで相変わらずキャスター付き簡易ベッドに寝かされてER室のカーテンで囲まれた一角に置いてけぼりにされたのでした。

「バック・パッセージ」のショックから解放されつつ、痛みに耐えながら全然すすまない時間がたつのを待っているのもそれはそれでつらかった。そこへ1時間もしたところで突然お医者さんがもどってきた。手術の予定が早まったのかしらん...と期待した私がバカでした...

「いや実はね、うちの学生たちのために教材になってくれない?」

(T_T)

まぁ...タダで手術してもらうんだから...しょうがないか...。

「それじゃ、君たち、この患者を診療してみたまえ。」

センセイの指示のもと男女取りまぜた、なんだかモサッとした感じの白衣の医学生たちが3人一組で私にアプローチ。

「どうしました?」

「あ、あのおなかが痛いんです...で、実は...。」

「あ、病名は言わないで...」とお医者センセイ。

そこで医学生どもは私の体をつつきまくる。そのうちにひとりが例のわき腹のスポットを探り当て、プッシュ...

「ムグゥ...」

引っ込める

「ウ、ウギャァ〜!!!」

「センセイ!彼は虫垂炎です!」

な、なにをよろこんどるんじゃ、おのれは...。

「よろしい。それでは次のステップは?」

え?!ま、まさか???!!!

「...すいません...バック・パッセージを調べさせてください...」

...ズブリ...。

い、一度のみならず、に、二度までも...。

「それじゃまた。手術のときに...。」

と、なぜかにこやかに去っていくお医者センセイ。

なんかもうふんだりけったりだな...と思いながらまたのろまな時計の針との根比べ。だんだん痛み止めでモーローとしてきた頭と、時々おそってくるシャープな腹痛の断続攻撃にやれらながら横になっていたら、また同じお医者センセイがやってきた...

「いや、悪いんだけどさ...もう一組の学生の相手になってやってくれない?」

...ズブッ...。

結局3組の学生の相手をさせられてしまった。モーローとした頭に浮かんでくるのは、なぜか「バンコラン」とか「マライヒ」とか...(知らない人は読み流してください...)。

深夜、やっと手術室へ。すでに静まりかえった病院の廊下を、結局その上で半日過ごしたキャスターつき簡易ベッドに横になったまま、ボケーっと天井を眺めながら運ばれる。そんな私を手術室の前で待ち構えていたのはあのセンセイと...くだんの学生たちが全員集合...。うげっ...。

「おねがいだから執刀はセンセイにおねがいしますぅ〜...!」

私の声にならなかった嘆願は、催眠ガスの吸入マスクの彼方にエコーとなって消えていったのでした。

...

ま、その後、入院中は友達もたくさんお見舞いに来てくれて感動、感謝。試験にも無事通ったし、いまでは笑える思い出のエピソードかもしれない。しかし2年前のアキレス腱の手術のあとはもうすでにかなりよくなっているのに、かれこれ12年にもなる盲腸の手術のあとは今でもかなり目立つ。これは私のウェスト・ラインが広がったからだけじゃないと思うんだよな...。センセイ...学生にやらせたな...。

yutethebeaute999 at 18:17|PermalinkComments(0)やわらかめ 

2006年07月01日

7−5、3−6、6−4

テニスをしている人は必ず日焼けしていなくてはならない!?どぅわぁーっ!見そこなったぁーっ!

第2セット、ヒンギスに3ゲーム先取された時点で寝てしまった...。ごめん愛ちゃん。でも途中までは応援してたんだよ。

まったくワールド・カップ、ジャパンvオーストラリアなんぞ見ているひまがあったらセンターコートの愛ちゃんに声援を送っているほうがなんぼかマシじゃ。

それにしてもヒンギスも杉山も最近ではすっかりマイノリティ・タイプのプレーヤーなんじゃないだろうか。ウィンブルドンでベース・ラインからのラリーなんて最近久々に見たような気がする。

ヒンギスももっともっと5年のブランクを克服して、また強くなって欲しい。それにしても「引退したらやることがなくて退屈だからカムバック」って...そりゃ22歳で引退なんてすりゃそうなるわな。でも、君だけだよ。そんなこと言って、もどってきたと思ったとたんにオーストラリア・オープンで準々決勝進出なんてのは。

もっと20台後半、30台の選手に活躍して欲しい女子テニス。もうモデルもどきのなんちゃってテニス・プレーヤーは見あきた。がんばれ愛ちゃん、それいけヒンギス、がんばれダヴェンポート(ランキングなんか気にせずしっかり怪我治してね)、そして、最後は...ついに...ビリー・ジーンとナヴラティロワの最強ダブルス・コンビの復活だ!(さすがにそれはない...か。)

ちなみに私、個人的にはテニスまるでダメです、はい。

yutethebeaute999 at 22:27|PermalinkComments(0)やわらかめ