2006年08月19日

「ちゃんと」たべるということ

姑娘先日、仕事のせいだったか、セガレの世話のせいだったか、その両方だったか忘れたが、一日の終わりの疲れにグッタリとして、ソファに身を沈め、なんとはなしにテレビをつけたら中国のどこかで美人コンテストをやっていた。そういえば最近の中国ではこの手の美人コンテストが大流行だとどこかで読んだ。

さすがは地大物博のお国柄、さまざまのご面相の妙齢の麗人たちが、似たようなメイクで(そりゃそうだ、メイクアーティストはみんな一緒だもんね)妙にクネクネとしたモデル歩きでステージを右に左にと愛嬌を振りまいていた。みんな「アジア人?」と思うほど手足が長い。

妻は以前中国でイベントのコーディネートの仕事をしていたことがあったらしいのだが、一緒にテレビを眺めながら曰く、

「そうなのよね...北京とかでモデルとかコンパニオンとか集めるとけっこうレベルの高い女の子たちが集まるのよ。」

ふ〜ん...こうしたお姉さまみたいな女性に自殺した領事館員とか自衛官の方々は言い寄られていたのかしらん。

しかし...である。どうもみなさん健康的でない。20代前半の女性にしてはハチキレルような若さがない...かなりオヤジが入ったコメントだが、本当なんだからしょうがない。妻は、

「なんかみんな若さがないね。なんかオバサンってかんじ?みんな細いけど、食べなくて運動してなけりゃみんなあんなスタイルになるわよね。ズルイのよ。」

いや別に「ズルイ」とは思わんが(妻よ、おちつけ...)、たしかにみなさん健康美というものがない。可愛い顔してはいるが、その体つきからはなんとなく「低血圧」、「生理不順」、「便秘」...といった言葉が連想される。

もっとも古来、中国では細い女性を好む傾向があるようだ。なんかどこかで読んだのだが、皇帝陛下の手のひらの上で舞うことができたというぐらい細くて小さい美姫が寵愛されたという故事があるらしい。偉大なる例外は唐の玄宗皇帝の愛を一身に受けた楊貴妃。白居易の「長恨歌」にもあるように彼女はムチムチ・グラマーだったというのが通説。これはどうやら隋王朝の楊さん一家や、これに続いた唐王朝の李さん一家に、中国北部の非漢人民族王朝であった北周の王族の血が女系を通じて色濃く流れていたからだそうだ。中国北部の非漢人民族は肝っ玉母さんが普通だったのだろう。隋を打ち立てた楊堅クンも恐妻家だった。この傾向が中国史上唯一の女性皇帝である則天武后の登場の伏線になっているのかもしれない(by陳舜臣さん)。

しかしやはり「文明人」である漢人にとって、「そそられる」女性というのは決して男勝りのたくましい女性ではなく、良家の深窓にたたずむ「ふれなば落ちん」といった風情のデリケートな女性なのだろう。なんたって纏足といって、わざわざ女性を歩行困難にするのが流行ったぐらいだから。

いまの君はピカピカに光って...アジアの中華の皆様の趣味はどうであれ、滄海の東の果ての日の本の国のこれまた東、「あずまえびす」の地、武蔵野の一隅で生を受けた私としては、やっぱりしっかりモリモリ食べて健康でたくましい女性が好もしいと思う。

いや...べつに若い頃の宮崎美子が趣味というわけではない。

幸い妻は人一倍食べることには執念...もとい、「興味」をもっているので、この点で私たちの価値観は一致している。これが自然と家庭内の円満に結びついて...くれるのであればそれにこしたことはないのだが、そうは問屋がおろさない。妻はいまだに大昔の(と私は思っている)XO醤事件を根にもっている節がある...(「せっかく少しづつ料理に使おうと思って高いもの買ってきたのにぃ〜...どうしてフリカケみたいにしてあっというまに全部食べちゃうのよぉ〜...信じられないっ!」)

妻はまたかなり凝り性である。今年はじめ韓国出張の折、キムチの作り方を習ってきた彼女はさっそく家で大量のキムチ作りに取りかかった。我が家はあっというまにプ〜ンと漂うニンニクの匂いに包まれ、まずはご飯にキムチ、つづいて豆腐にキムチ、さらにチゲ鍋、おまけに冷やしうどんにキムチと続いた日にはさすがの私もナキがはいった。

もりもり食べるということで思い出したが、私たちの香港のおすすめ料理屋に「泉章居」という客家料理屋さんがある。客家とは香港周辺の土地に移り住み着いた人々のことで、つまりは流浪の民。厳しい環境の中、土地を耕し激しい肉体労働に従事してきた彼らの料理は味が濃く、ご飯がどんどんすすむ料理。「塩■鶏(火へんに局)」という鶏料理や、豚のばら肉と梅菜と呼ばれる漬物を一緒に蒸した「梅菜扣肉」(作り方はこちらからどうぞhttp://www.tec-tsuji.com/recipe2002/chef/chi/cf0261/index-j.html)など、まさに「モリモリ喰ってバリバリ働こう」的な料理の数々がある。よく考えてみれば高級中華料理というのは決して炭水化物の摂取量が多くない。せめてシメに麺飯類が出てくるだけだ。やはり「ご飯がすすむ料理」というのは百姓の食いもんで、「書香の家」では食されないものなのかな。うちのセガレはもちろん「モリモリ派」。やはり我が家は肉体労働者の家系?

先日香港においでになられたHさんは香港滞在10+ン年のベテランだが、ここ数年間は東京にお住まいになっている。Hさんの嘆きは東京で美味しい本格中華料理が食べれないということ。都内の某有名ホテルの中華レストランでアヒルを丸ごと頼み、皮と肉を食べた後、ガラでスープを取って欲しいとシェフに頼んだら「このアヒルは皮だけで入荷してまして、ガラは美味しくないんです」と断られたらしい。やはり「築地」がなければ日本のすし文化を堪能できないように、中国の料理・生活文化の根本部分を理解しそれを日本で再現しなければ「本格」中華料理はむずかしいのだろう。香港であまりにも「本格」を堪能されてしまったHさんにとって、日本の「中華料理」シーンがホンモノのイミテーションであることが見抜けてしまうのは、ある意味しょうがないことなのかもしれない。

私に言わせれば、日本で「本格」中華料理が供されることの一番の障害になっているのは千利休から始まった「茶の湯」だ。茶の席で供される料理は懐石料理。禅宗の影響を受けた懐石料理の原則は「吾ただ足れるを知る」でひとりひとりきっかり食いきり分量のお膳だ。これが日本の食習慣の基本になってしまったので、みんなで卓を囲んでワイワイガヤガヤ料理をつつきあう中華流儀の食事ができないのである。日本でこの流儀なのは「鍋」とか「焼肉」といったイベントか、中華の影響をモロにうけた長崎の卓袱料理ぐらい。

むかしの日本、それこそ平安時代の貴族の間では「中華趣味」ということで、椅子に座ってテーブルを囲み、中華流宴席をやることもやっていたらしい。鎌倉武士にも「垸飯」といって、主君を主賓として招き、沙汰人とよばれるホストが宴席幹事を勤める儀式があったらしい。鎌倉時代研究の突破口は永井路子さんの「乳母(めのと)の影響力」発見と「吾妻鏡」における正月の垸飯沙汰人の記録の研究が大きな意味を持っていると私はみている。正月元日、二日、三日と将軍様をお迎えして垸飯は行われるのだが、それぞれの沙汰人を務めるのは東国武士の実力者ナンバー・ワン、ナンバー・ツー、ナンバー・スリーなのだ。その年、その年で誰が沙汰人をどの日に勤めたかを見ることによって、実は北条家の抬頭はかなり遅い段階から始まったことがわかるのである。初期のころの沙汰人は千葉氏がこれを勤めている。この千葉氏を梶原クンを使って闇討ちにしてしまったのだから頼朝クン、かなりエグイ男である。

食事となればイギリスのディナーの話もしたいのだが、美人コンテストの話からすでに十分脱線したので今日はここまでにしておこう。

yutethebeaute999 at 00:26│Comments(0)やわらかめ 

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