2006年08月28日

日の本一の武士

幸村くんあまりご先祖様自慢というのは好きではない。たいてい自慢するような子孫のことを、自慢されるようなご先祖様ほど恥ずかしく思っているのではないでしょうか。

しかし、せっかく友人の結婚式で生まれて初めて「軽井沢」まで足を運んだので、一夜明けた今日、わが一族発祥の地...らしい、信州上田まで足を運びました。うちのご先祖様は、「真田一族」...らしい...です。

真田一族は信州滋野氏の一派。歴史の舞台に登場するのは、真田幸隆クンから。戦国時代の中ごろ、幸隆クンと彼のお父さんは、甲州の武田信虎(後の晴信・信玄のパパ)の信州進出により本貫の地である上田を中心とする小県(ちいさがた)地方を追われ、山道つたいに鳥居峠を越えて上州(群馬県)、吾妻地方に逃げる。当初は上州の長野氏(ややこしいな...)の保護下にいたのだが、本貫地の回復を期す幸隆クンは信虎パパを追い出した武田晴信クンに臣従することを決め、以後信玄の信州における最先鋒を担うことになる。この一族の方針転換の際、幸隆クンは反対する父親を殺したらしい。戦乱の世とはいえかなりエグイ男である。これがきっかけで、幸隆クンは地獄の三途の川の渡し賃を象徴とする六文銭の意匠を真田氏の旗に採用したという。鬼になったわけだ。

幸隆クンの三男が家康に「表裏比興の者」と呼ばれたクセモノ戦国武将、昌幸。昌幸の長男が信幸(のちに信之)、次男が大阪冬・夏の陣で大活躍し「日の本一の武士」といわれた「幸村」こと信繁。

昌幸、信幸、幸村のことは池波正太郎の「真田太平記」をはじめとする、いわゆる「真田もの」の作品群に詳しい。NHKでテレビドラマ化の際は昌幸を丹波哲郎(う〜ん...渋い配役だ...)、信幸が渡良瀬恒彦(なかなか...)、そして幸村が草刈正雄(???)だった...らしい。まだ観てない。

海音寺潮五郎の「武将列伝」は昌幸に厳しい。戦国末期、大勢が決しつつある中、家康により上州沼田領を勝手に召し上げられそうになって、はた目をかえりみず上杉、北条、豊臣と虚実ないまぜの駆け引きをしてこれを我がものにとどめおこうとしたあたりが海音寺先生に言わせると「田舎役者」で「垢抜けせず」、なんか「その器量は中小企業の社長」なみ、なのだそうだ。「昌幸の名声はその子息、幸村に負うところが多い。」と海音寺先生は結ぶ。

まぁそういわれればそうだけど、「一寸の虫にも五分の魂」という。武士は「一所懸命」という。身内びいきじゃないが、「田舎役者」で上等、「中小企業」おおいにけっこう、なにが悪い、といわせていただきたい。海音寺先生とっくに死んでいるけれど...。

まぁ「中小企業」戦国武将一家だからこそ池波先生の筆が冴えるんだけどね。

で、いってきました上田。歩いてきました上田城址。観てきました「池波正太郎真田太平記記念館」。

感想は...

ど田舎だぁ〜!

千曲川を中心に決して広いとはいえない平地にひらけた上田の町。どっちをみても山、山、山。まるで屏風のようにせまる山に囲まれている。

まぁああいう土地から天下を眺めていれば、中央でエラソーにしている連中に一泡吹かせてやろうと思うわな。

いままで気がつかなかったが上田はラグビーの夏合宿で有名な菅平にも近い。

この写真は上田城址を囲むように流れる矢出沢川が昔ながらの土蔵の壁ぞいに流れる場所。どこかで見たような風景だって?
りえちゃんが待っている...






実は「たそがれ清兵衛」のロケ地だったとか。

蕎麦は上手かった...。

上田はピーカン晴れだったが、軽井沢は終日霧雨だったらしい。峠一つ越えるだけで天気がこうも違うのかと実感。

yutethebeaute999 at 01:04│Comments(0)やわらかめ 

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