2006年11月25日
アーカイブ(おれってヒマしてたんだなぁ...)その二 − 法廷弁論に関して
ホリエモンの公判、特に被告人質問の記事を読むとニッポンの検察のお粗末さに涙が出てくる。イギリスの法廷弁護士の格言に、「検察側は勝利せず、敗北もしない」
というものがある。検察の役目は裁判を通じた真実の探求の一助となることであり、そこに裁判の結果に対する意図を有する必要は無いからだ。
そんわけで(どんなわけだ?)、イギリスでの経験をまとめた3年前の文章です。
先日深夜番組を眺めていたところ、馬鹿話主体のトークショーが私の興味を引いた。テーマは「女の子の口説き方」と、馬鹿馬鹿しいながら切実なものだったのだが、その道の「エキスパート」なる男性が話をしていた。たしかにものすごい話術でもなければ異性に相手にしてもらえないような御仁だったが、かれのアドバイスのひとつが、デートでの禁句は「私と付き合ってください」だ、ということだった。つまり相手に対しYesかNoの判断を迫ることは禁物だということだった。
なぜこれが私の興味を引いたかというと、これは私の法廷弁護士修行時代に反対尋問のやり方で教わったことに通じていたからだ。
法廷弁護士として試験に合格し、資格を取得した後も法廷弁論の技術向上は私にとって大きな課題だった。そこで所属するミドル・テンプル法学院が主催した実地研修中の見習い法廷弁護士(pupil barrister)を対象にした法廷弁論講座の話を聞いたとき、私は真っ先に参加することにした。
講座の責任者はミドル・テンプルの幹部(Masterと呼ばれる)重鎮の一人であり、ユダヤ系法廷弁護士界の大物で、ベテラン法廷弁護士のMichael Sherrard氏だった。氏は冤罪の可能性が高いとして有名なHanratty事件の弁護を担当した人物として有名で、その折にクライアントを廃止される前の死刑判決に失った無念さからか、若手弁護士の弁論術の育成にひときわ情熱を傾けられていた。また変り種の日本人バリスターであった私にも特に眼をかけてくれ、講座参加時もいろいろと面倒を見てくれただけでなく、プライベートでも食事を共にするなどよくしてくれた。
その講座で「反対尋問の十戒」ということを教えられた。これはアメリカの弁護士協会が作成した映像教材で、Sherrard氏が「若い人向きではないかも知れんな...」などと冗談めかして紹介したように、なんと白黒のフィルムだった。しかし講師が法学生相手に熱弁を振るうその内容は強烈でかつ有用だった。
十戒の一つ一つは忘れてしまったが、「普通の人々が使う言葉で質問すること」などという基本的なことからはじまり、「反対尋問では答えが分かっている質問だけすること」とか「反対尋問では誘導尋問が許される、つまり誘導尋問のみを行うこと」などという実践的なものがあった。そのうちのひとつが「女の子の口説き方」同様、「証人に対して結論をもとめる質問をしてはいけない」ということだった。例えば次のような例。
弁護士:「そこであなたは奥さんに電話をしましたね。」
証人:「はい」
弁:「そこであなたは駅から電話をかけているといいましたね。」
証:「はい。」
弁:「しかしこの通話記録にあるように実際には犯行現場からそう離れていないところから電話をかけていましたね。」
証:「...」
と、陪審員に証人に対する疑惑を植えつけた段階で質問を終えるのが上策。ここで勢いに乗じて、
弁:「つまりあなたは駅から電話をしているということで、アリバイを作ろうとしたわけですね。」
などと結論を突きつけてはいけない。もしここで証人が、
証:「いえ実は浮気がばれないようにと...」
などと見当違いな証言、言い逃れをされては、せっかく陪審員の心中に生じた疑惑の焦点が曖昧になってしまう。反対尋問では証人の証言に対する疑惑を最大限までかき立てておいて、陪審員の思考を自らが望む方に向けさせるだけに留め、結論は最終弁論でそれら陪審員の考えに沿う形で述べたほうが効果が上がるという戦術だ。
この点に関してフィルム中のアメリカ人講師は二つの反面教師を紹介してくれていた。一つはマッカーシー上院議員の赤狩り旋風が巻き起こっていたときの上院反アメリカ活動調査委員会の例。自分の横顔のテレビ映りばかりを気にする某上院議員の質問は「あなたは共産党、またはアメリカ合衆国の国益を害することを目的とした団体にかつて所属したことがあるか、もしくは今現在所属しているか。」というお決まり文句。これに対して「いいえ」とだけ答るだけの証人。もちろん悪名高い委員会の前に引きずりだされた証人たちにはそれだけでダメージがあったわけだが、これではとても効果のある質問とはいえない。またナチスドイツを裁いたニュルンベルグ国際裁判の折のロシア側検察官の質問スタイルも反面教師として例示された。ロシア戦車のようなと揶揄されたその質問テクニックは次のようなものだった。「お前はxxxx年xx月xx日付の総統命令xx号の発令に関与した。この事実によりお前は自分がヒトラーの犬でありファシズムの豚であることを認めるか。」「いいえ。」「なぜだ!」と叫んで机を叩く。この繰り返し。
この「結論を質問しない」と密接に関連するのだが、反対尋問の十戒のひとつは「証人に説明をさせない」ということだった。反対尋問の目的は最終弁論において自らに有利となる材料を採取することにあって、訴訟案件の実体に関する証人の証言、意見、または解説を述べさせることではない。これはその証人を呼んだ側の主質問(Examination-in-chief)の目的である。
この点に関してアメリカ人講師はアメリカ法制史に名高い二つの裁判を例外として紹介していた。
一つは大統領になる前、一開業弁護士時代のリンカーンが手がけたイリノイ州対アームストロング事件。これは後にヘンリー・フォンダ主演の「若き日のリンカーン」の題材にもなった事件なのでご存知の人も多いかもしれない。実際にはこの事件はリンカーンが当時急速に発達していた鉄道会社の顧問弁護士として功遂げ名を成し、一財産作った後にあえて弁護を引き受けた事件だ。アームストロング兄弟には殺人容疑がかけられていた。この事件の目撃者という証人に対してリンカーンはなぜ夜中に犯行を目撃できたのかと問い、説明を促す。証人は主質問で証言したように「あの晩は月明かりがことのほか明るくて遠くまで夜目が利いたからだ。」と答える。これに対してリンカーンは暦を引き、犯行当日のその時間はすでに月入り後で月明かりなど無かったと反論し、最終的にアームストロング兄弟は無罪放免となる。リンカーンの名弁護士振りを後世に伝える話として高名だが、アメリカ人講師はこの場合リンカーンは証人がどのような証言を行うかすでに知っていたからあえて説明を促したのであって、ましてや諸君らはリンカーンではないのだから絶対に真似してはいけないと釘をさしていた。
今ひとつの例外は20世紀初頭1911年に起こったトライアングル・シャツ工場火災事件。ニューヨークのローワー・イースト・サイド、ワシントン広場近くにあったトライアングル・シャツ工場では多くの少女たちが働いていた。その多くはロシアから移民してきた貧しいユダヤ系の少女たちで、家計を助けるため過酷な労働条件の中で働かされていた。ビルの8階にあった工場には当然火災時における避難経路として屋外に階段があったのだが、勤務中その避難階段の踊り場に出て仕事をさぼる少女たちがいるということで、工場の所有者は避難階段へのドアに鍵をかけていたのだ。結果として火事の際逃げ場を失った少女たちの多くが焼死し、死者150人あまりという大惨事になってしまった。この事件は当時おおきな注目を浴び、アメリカにおける労働組合運動のきっかけとなった大事件で、いまでも火事の記念日には労働組合が追悼集会を行うという。当然のことながら工場の所有者は起訴され刑事裁判となった。この弁護を担当したのが当時の有名訴訟弁護士、マックス・シュテューアー(Max Steuer)である。工場主の責任を追及する世論の高まりの中でさすがのシュテューアーも無罪を勝ち取るのは至難の業とされたが、シュテューアーは検察側の主証人である火事を生き延びた少女に対して伝説となる反対尋問を行った。彼は少女に対して火事の有様を繰り返し繰り返し証言させたのである。迫りくる煙と炎。逃げ惑う少女たちの悲鳴。必死になって逃げ道を探し開かないドアの前で絶望する様。鬼気迫る証言に陪審員を初め公聴席の誰もがそのような弁護側に不利な証言を繰り返させるシュテューアーの真意を測りかねていた。四回目の証言が終わったとき、シュテューアーは証人の少女に対してこう言った。「ケイティー、今の証言で君はひとつ言葉を忘れていただろう。」少女の証言は四回とも一言一句異ならないものだったのだが、四回目に彼女が間違えたわずかな箇所をシュテューアーは見逃さなかったのだ。ことここにいたって法廷の同席者たちはシュテューアーの狙いが分かった。つまり彼は証人がまるで機械のように一言一句とたがわない証言を繰り返すことを陪審員に印象付けることにより、世論のたかまりに突き動かされ、また自らの功名心に駆られた検察側が英語もままならない移民の少女に証言のすべてを吹き込んでいたことを明かして見せたのである。結果として検察側は陪審員の信頼を失い、被告工場主たちは無罪放免となった。これはアメリカ法曹界ではあまりにも有名な話だが、アメリカ人講師はお前たちはマックス・シュテューアーじゃないんだから絶対に真似するんじゃないぞと締めくくっていた。
5年にわたる英国での法廷弁護士活動で私も約50回ほど法廷で弁論する機会を得たが、結論として言えるのは結局は経験に勝る教師は無いということだ。しかし毎日毎日の執務で遭遇する難題に対して、偉大なる先人たちが同じような困難に立ち向かい彼らなりの方法でそれらを解決してきたという歴史の事実を知りそれを学ぶことは大きな助けであり、また精神的な励みになる。
来年度からわが国で発足する法科大学制度は優秀な法曹人材を数多く輩出することをその目的として謳っているが、日本の弁護士たちは後輩たちにどのような遺産を受け継がせていくのだろう。気になるところだ。
平成15年1月16日
yutethebeaute999 at 11:02│Comments(0)│
│かため