こんにちは。


先ほど、ブログをもう少しで書き終わる!というところで誤って記事を削除してしまい、物凄く落ち込みました。

長いのに・・・寺伝とかも色々調べてわかりやすくまとめて書いているのに・・・


泣きながらブログを書いている深夜2時です。









この日は旅館みきを出発し、79番を打ち、80番を後に回して81番、82番を打ち、最後に80番を打って天然温泉きららまで約33km歩きました。








何故80番を後に回したかを地図で説明すると



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こんな感じです。
わかりづらくてすみません。








順番に打つと、急勾配な山登りな上に
82番根香寺から宿までの道も長くなるので、
80番国分寺を後に回して81番白峯寺を打ち、
山の中を通って82番根香寺を打ち、
通った道を十九丁まで戻って山を下り80番国分寺を打ち、後は宿まで平地を歩くだけ!ということです。











6時半前に旅館みきを出発





7時には高照院に到着しました
天皇寺高照院というので、案内の表記が高照院だったり天皇寺だったり定まっていないようでした


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こちらは白峰宮です
一見、お寺は見当たらなくて神社がメインです



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奥に本堂と大師堂があります
※場所がわかりづらいです

正面の三輪鳥居を入って左側です




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山門の鳥居は三輪鳥居という珍しい鳥居です








"79番札所 高照院" は 天平年間に行基菩薩が薬師如来を本尊として金山に開創されました。
弘仁年間にはお大師様がこの地にある八十場という霊水が落ちる霊域にきた際に、金山を守護する金山権現が天童となって現れ、宝珠をお大師様に預け、永くこの山の仏法を護るようにと誓いました。
お大師様はその宝珠を嶺に埋めて仏法を守護し、その寺を「摩尼珠院」名付け、霊木で本尊として十一面観世音菩薩、脇侍として阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を彫造しました。


崇徳天皇が保元の乱で敗れ讃岐に配流となり長寛2年に死去した後、崇徳天皇の霊を鎮めるための御廟がこの地に建てられ、摩尼珠院は永代供養の役割を担う別当寺となりました。
しかし、明治初年の神仏分離令によって摩尼珠院は廃寺となり、崇徳天皇社は白峰宮と改称し天照大神と金山御神体を祀る神社となりました。崇徳院御霊は京都の白峯神宮へ移され、明治20年に末寺の高照院が移転し札所を引き継いだといいます。







参拝し終わり、次の札所に向かおうとしたところ、私より先にお参りしていた方が迷っておられる様子。話しかけてみたところ、納経所がわからないとのことでした。
探してもそれらしきものがなかったのでネットで検索してみると、山門の鳥居を入って左側にある建物が納経所だとわかりました。案内がなくて本当にわかりづらいです。
ネットは便利ですね・・・感謝









さて、次は81番白峯寺へと向かいます。


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途中通った観音寺さん
良く見ると、「血の宮」と書いてあります!

怖いけど、興味深いです。








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苔生した長い石段を登ります
湿っていると滑るので要注意※









だいぶ登って
9時45分頃、81番白峯寺に到着しました




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山門
奥に見えるのは護摩堂です




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勅額門です




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石段を登ると本堂と大師堂があります









"81番札所 白峯寺" は、弘仁6年、お大師様が白峯山の山頂に如意宝珠を埋め井戸を掘り、衆生済度を祈願して堂宇を建立したのが始まりとされています。
後に智証大師(円珍)がこの地を訪れ、山頂から光を放っているのを見て登頂した際に、山の神である白峯大権現の神託を受け、霊木で千手観音像を彫造して本尊にしたと伝えられます。

長寛2年に崇徳天皇が亡くなり陵墓が造られ、建久元年には後鳥羽天皇が慰霊のため法華堂を建てられ、応永22年には後小松天皇が成仏を願い自筆の「頓證寺」と書かれた勅額を奉納されています。










崇徳天皇のことを調べてみると、なんとも悲劇的な人生・・・先ほど通った血の宮も、崇徳天皇が関係していそうです。









さて、ここからは雨の中の山登りが始まります








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摩尼珠塔と下乗石です
右端にあるのが摩尼珠塔なのですが、見えませんね。写真の反省点が多すぎます!!
下乗とは「ここからは聖地であるからどんな高貴な者でも乗り物から降りて、自分で歩いて参拝しなさい」ということだと書いてあります








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イノシシ注意が1番怖い。
熊は出ないと思うけどイノシシは出そうじゃないですか?遭遇したら逃げられる自信ありません。





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ちょうど、わたしが選んだルートのことが書いてあります!江戸時代後半に道が作られたのですね。






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十九丁です

ここは、森の教室と名付けました。(勝手に)
動物達がここで授業を受ける姿が想像できちゃいます。
雨でびしょ濡れだったので座りませんでした


ここが分岐点なので、次の根香寺からここまで打ち戻って国分寺へと向かうことになります







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霧が濃くて少し先が見えませんでした
急に車が現れるのが怖かったです






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山の中にある休憩スポットです
ハーブティーをご自由にどうぞと書いてありますが、ポットの中は空でした。
ここでは以前宿をご一緒した方とお会いしたのですが、その方は喉が渇いていたらしく落ち込んでいました。こういうときに限って、余分な水分を持っていない私。役立たず!


奥の小屋の中で休憩することができます












11時50分頃、根香寺に到着しました







"82番札所 根香寺" は五つの山に五智如来を感じたお大師様が、その山の一つである青峯に「花蔵院」を建立されたのが始まりとされています。
後に智証大師が訪れた際、山の鎮守である一之瀬明神から、「この地にある蓮華谷の木で観音像を彫り道場を造りなさい」というお告げをうけました。智証大師はお告げの通り、蓮華谷の木で千手観音像を彫造し、「千手院」を建て安置しました。この霊木の切り株が芳香を放ち続けたことから根香寺と名づけられたといわれています。

そして、この寺には牛鬼の伝説が伝わっています。
昔、青峯山には人間を食べてしまうという恐ろしい牛鬼がいました。そこで村人は、弓の名人である山田蔵人高清に退治してもらうことしたのですが、なかなか牛鬼が現れません。そこで高清は根香寺の本尊にお参りをしました。すると牛鬼が現れ、見事に退治することができたといいます。高清は牛鬼の角を寺に奉納し、その角は今でも寺に保存されているそうです。





山門前にある駐車場から見える林の方に、大きな牛鬼像がありました。
写真を撮るべきでした!!!またしても、写真の反省。






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仁王門ですが、雨でどんよりとしていて良く見えません


ちょうど次の札所に向かう2人組みのお遍路さんに遭遇しました。ビジネス旅館小松でご一緒したお二人です。あの時はわたしより一日先を行っていたので、もうすぐ追い付きます!




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本堂です
回廊を通って奥の本堂にお参りできます





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大師堂で法楽後、外国人お遍路さんにソイジョイをいただきました。涙







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足元は泥だらけです









しばらく、外国人お遍路さんと一緒に歩きました。
足が長いのでペースが速い!




わたしのテンションの高さに驚いていて、良く笑うと言ってジェスチャーでわたしの真似をしてキャッキャッ!と言っていました・・・


高校生のとき、友達とはしゃいでいたら知らない外国人に
「You are crezy」と言われたことを思い出しました






外国人お遍路さんは83番に向かうとのことで、
すぐにお別れしたのですが
別れ際に英語で「あなたに会えてとても嬉しい」と言ってくださり、よくある挨拶なのだと思いますが嬉しかったです。









先ほど通った道を打ち戻り、十九丁まで来たら分岐点で国分寺への道があるので下って行きます。



雨なので、慎重に!






途中、前から若い女の子が歩いて来ました。
思わず声をかけてお話をしたところ、なんと、私より年下でした!!
しかも、お遍路は2回目で、1回目は順打ちだったから今回は逆打ちということでした!!
さらにさらに、野宿するとのことで身体より大きいのではないかというくらい大きな荷物を背負っていました・・・感心します・・・
逆打ちということでまだ始まったばかりなので、無事を祈って応援をするばかりでした。
わたしも頑張ろうと励まされます。











14時20分、国分寺に到着です



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山門


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鐘楼堂
四国最古の鐘なのだそう!

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本堂


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大師堂
中に入ってお参りします







"80番札所 国分寺" は、聖武天皇の勅願を受けた行基菩薩が巨大な十一面千手観音像を刻み、本尊としたのが始まりとされています。その後、天正の兵火で堂塔のほとんどを焼失してしまいましたが、藩主の生駒氏や松平氏によって再興されました。


また、この寺にある四国最古の梵鐘には伝説があります。生駒一正公が鐘を高松城の鐘にしようとして城へ運ぼうとすると、とても重く、やっとのことで城についたら音がならなくなり、城下では悪病が流行してしまったのです。そして、一正公の枕元に毎晩鐘が現れ「もとの国分へ帰りたい」と泣くので、鐘を国分寺へ返すことにしたところ、今度はなぜか軽々と運ぶことができ、悪病は治まり、再び美しい音色を響かせるようになったといいます。









あとは、宿に向かって歩くだけです。



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ネッシー鳥の正体






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宿の前にあるほっともっとで夕飯のお弁当を購入し、
17時40分、天然温泉きららに到着しました






温泉、嬉しいです。







着いてすぐに離れにあるお宿に案内してくださりました。


ただ、わたしが泊まったお部屋は3階で、階段を上り下りするのが辛かったです。笑
コインランドリーは一階にありました。






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ほっともっとの味の濃い焼肉弁当が美味しくて、お遍路後も何度か食べてはこの時を思い出しています。




お部屋は広くて綺麗でした。
お風呂も付いていましたが、もちろん温泉に入りに行きました。

しかし悲しいことに、脱衣所に入った時、ここは女性風呂ですよ!!!と驚いた顔で言われてしまいました笑

坊主頭だから仕方のないことです。

今度からは尼僧の先輩に教わった、脱衣所に入るときは高い声で「失礼しまーす!」と言い、女であることを密かに訴えるというのを実践しようと決意しました。笑






そしてこの宿では今日お会いした3人のお遍路さんと一緒でした。そしてこの3人とは共に結願を迎えることになるのです!!










最後まで読んでくださりありがとうございました。