こんにちは







この日はホテルニュースガノヤを出発し54番~58番を打ち、ホテルバリ・インまで約20km歩きました












昨日お接待で頂いたフルーツゼリーを朝食にし、7時に出発。



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タオルで有名な今治の街を進んでいきます











1時間ほどで延命寺に到着です。






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この先が本堂です






“54番札所 延命寺” 
養老四年に聖武天皇の勅願により、行基菩薩が不動明王像を彫造して本尊とし、伽藍を建立したのが始まりとされています。弘仁年間になると嵯峨天皇の勅命により、お大師様が伽藍を再興し、「不動院・圓明寺」と名づけ、勅願所としたといいます。
この「圓明寺」の寺名は、前日に打った五十三番・圓明寺との間違いが多かったため、江戸時代から「延命寺」に改めているということです。




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本堂




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大師堂に続く石段












延命寺から南光坊へは大谷墓園を通っていくのですが、戦争で戦った人々のお墓が沢山ありました。











お写真撮ろうとして伝わらないからやめてしまったのですが、天守閣がついたお城のようなマンション?があり興味深く、調べてみたところ城山ハイツというマンションで、家主さんが城好きなためお城のようにしたということでした。面白い!















一時間ほど歩き、9時50分頃南光坊さんに到着。










門前には戦災の碑がありました。
今治市は太平洋戦争末期、昭和20年、米軍により三度にわたる空襲を受け、多くの人々が犠牲となったそうです。ここに戦災の碑を建てることで、手を合わせて犠牲者を追悼し、平和を祈り、戦争の恐ろしさを後世に伝えているのですね。
先ほど通った墓地にあった沢山の陸軍のお墓は太平洋戦争で戦った方々ということでしょうか。



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山門には四天王が安置されていました。かっこいい・・・


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正面



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内側







私の写真だと下手でわかりづらいのですが、お寺の山門には阿吽の仁王像が安置されることが多いので、このように四天王が安置されているのはとても珍しいです。






仏教の世界では中心にとてつもなく高い“須弥山”という山(それも立方体)が存在するのですが、四天王はその須弥山の四方におられます。
東方ー持国天
南方ー増長天
西方ー広目天
北方ー多聞天
東西南北を守ってくれているのです。










山門をくぐって道路を挟んだ先に本堂があります。




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本堂

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大師堂









“55番札所 南光坊” は、大宝3年に文武天皇の勅命により越智玉澄公が大三島に大山祗神社を建てた際、24の別当寺の一つとして建立されたのが始まりとされています。後、別宮として現在の今治市に移され「日本総鎮守三島の地御前」と称し、24坊のうち南光坊含め8坊が共に移されたといいます。
天正年間、伊予全土におよんだ「天正の兵火」により焼失してしまいましたが、慶長5年に南光坊だけが別宮の別当寺として再興され、藤堂高虎公の祈願所となり、江戸時代には今治藩主久松公も祈祷所にして信仰したそうです。
さらに明治初頭の廃仏毀釈では神仏分離令に従い本地仏として社殿に奉安していた大通智勝如来と脇侍の弥勒菩薩像、観音菩薩像を南光坊に遷座し、別宮大山祇神社と分離しました。
太平洋戦争最末期には、空襲により大師堂と金比羅堂を残して焼失してしまい、昭和56年に現在の本堂が再建され、平成3年に薬師堂、同10年に山門鐘楼堂が再建されているということです。
















南光坊から約40分程で泰山寺に到着です





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本堂が撮りたかったのですが、木がメインになってしまった写真


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山門がないのでここが入り口になります













"56番札所 泰山寺"
弘仁6年、お大師様がこの地を訪れました。当時この地方に流れる蒼社川は、たびたび氾濫し、多くの人の命を奪っており、村人たちは人取川といって悪霊のしわざだと信じていました。そこでお大師様は、川に堤防を築き、「土砂加持」の秘法を修法したところ、満願の日に延命地蔵菩薩が現れ治水祈願が成就したことを告げたといいます。
お大師様はこの地に「不忘の松」を植え、地蔵菩薩の尊像を彫造して本尊とし、堂宇を建て、泰山寺と名付けました。
その後、泰山寺は淳和天皇の勅願所となり、大寺として栄えました。しかし度重なる兵火により寺の規模は縮小し、金輪山の山頂から麓の現在の地に移ったと伝えられています。





その時の不忘の松は現在切り株のみが残っています。


















鐘楼堂横のベンチでビーチサンダルから靴に履きかえ、栄福寺さんへと向かいます。









先ほど泰山寺の縁起で登場した蒼社川を渡ります。
地図に 「渇水期に川の中を歩いた旧遍路道」 と記されていて是非渡りたいと思ったのですが、蒼社川のどこを見渡しても通れそうなところはなかったので諦めました。


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川の水量の問題以前に、背の高い草が生い茂っていて川の状態が見えなかったです。運が良ければ通れるのでしょうか?







大人しく橋を渡った先にスーパーがあり、外でたこ焼きを販売していたので昼食にしました。
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外のベンチで頂き、5分ほど休憩をして出発です。











12時45分頃に栄福寺に到着しました。









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山門はありません






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奥が本堂、右手前が大師堂です













“57番札所 栄福寺” は、弘仁年間、嵯峨天皇の勅願によりお大師様がこの地に訪れ、海難事故が絶えなかった瀬戸海沿岸のこの近海の海陸安全を祈願し、瀬戸内海を望む府頭山山頂で護摩法を修法されました。すると満願の日に、海上から阿弥陀如来が現れたため、その阿弥陀如来の尊像を刻み本尊とし、府頭山山頂に堂宇を建立したのが始まりです。

貞観元年には、行教上人が、九州の宇佐八幡の分社を京都の男山に建立するため、瀬戸内海を渡る道中で暴風雨に見舞われこの地に漂着しました。府頭山を目にした行教上人は男山に似ている事に驚き、山頂の阿弥陀如来を本地仏として八幡明神を祀り、八幡宮を建立したという神仏習合の歴史もあります。


その後、神仏分離令により、お寺は現在の場所に移転したということです。














栄福寺のご住職さんは「ボクは坊さん。」というエッセイを書かれていて、それが人気で映画化もしているんです!

主演は伊藤淳史さんで、山本美月さんや溝端淳平さんも出演しています。




実体験をもとに書かれていて普段は知ることのないお坊さんの世界を知る機会にもなると思います。
私もまだ見ていないのですが、予告を見るだけでも面白そう。絶対見ます!





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次の札所仙遊寺までは山道です。
泰山寺でスニーカーに履き替えたのは、山道に備えてなのでした。






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こんな山道をひたすらに歩き、栄福寺から一時間ほどで仙遊寺山門に到着。

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仙遊寺は山門をくぐってからが長いです。




急な石段を登っていきます。




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20分ほど登り、やっと本堂に到着です











"58番札所 仙遊寺" は天智天皇の勅願により、越智守興公が堂宇を建立したのが始まりと伝えられ、本尊の千手観音菩薩像は海から上がってきた竜女が一刀三礼しながら彫ったといいます。このことから「作礼山」が山号となりました。

また、仙遊寺には、阿坊仙人という僧が40年にわたって七堂伽藍を整えるなどをしましたが、養老2年に突然姿を消してしまったという伝説が残っていて、寺名はその阿坊仙人に由来しているそうです。
お大師様がこの寺で修法をされたとき、病に苦しむ人々を救済しようと井戸を掘り、また七堂伽藍を修復して再興しました。この井戸は今も残っていて、「お加持の井戸」として信仰されています。
江戸時代には荒廃して本堂と12社権現だけとなってしまいましたが、明治時代の初期、山主となった宥蓮上人が多くの信者とともに再興に尽力したといいます。








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本堂





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大師堂















さて、あとはホテルへと山道を下って行きます。











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五郎兵衛坂というらしい


五郎兵衛さんのようにならないように気を付けて下ります。










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急な坂道ですがとても見晴らしがよく、なぜかディズニーランドのスプラッシュマウンテンを連想してしまいました笑










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分岐点です。次の59番国分寺へは左に進みます。










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山道を抜け、今治の町をしばらく歩き、本日のお宿 “ホテルバリ・イン” に16時前に到着しました。







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昨日より足や身体の調子が良く、スムーズな1日でした。






そして今日ずっと楽しみにしていたのが、夜ご飯です。
ホテルの目の前にあるくら寿司に行きました!
安くて美味しい。最高です。生き返りました。














ホテルもちゃんとしたところに泊まれると身体と心が休まります。
















最後まで読んでくださりありがとうございました。