こんにちは








この日はいやだに温泉を出発し72番~78番札所まで打ち、旅館みきまで約27km歩きました。






歩く距離はそんなに長くはありませんが、7ヶ寺も打つので時間に余裕はありません。


予定では、宿に着くのが17時過ぎ。基本的に予定より遅くなるので、これ以上遅くならないよう駆け足の1日です!











宿を6時半前に出発し、1時間弱歩き曼荼羅寺の脇の道に至るとお接待所のお兄さんが声をかけてくださり、温かいお茶のお接待を頂きました。




お接待所からすぐ、7時20分に曼荼羅寺に到着です。





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“72番札所 曼荼羅寺” は、四国霊場で最も古い創建といわれており、推古4年(596年)に讃岐の領主である佐伯家の氏寺として創建され、当時は世坂寺と称したといいます。
唐から帰国したお大師様が玉依御前(母)の冥福を祈るために訪れ、伽藍を建立し、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の両界曼荼羅を奉納し、本尊として大日如来像を安置し、寺名を「曼荼羅寺」と改めたと伝えられています。

境内にある笠松大師には、樹齢1200年を超える不老松で作られた弘法大師像が安置されています。





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本堂
さわやかな声でご案内してくださるそうです



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大師堂




曼荼羅寺では地元の兄さんが物凄くフレンドリーに話しかけて来てくださりました。
なんといっても第一声目が、「アイドルの方ですか?」・・・
これには思わず笑ってしまいました。傘を被っていたから坊主が見えなかったのでしょうか?





曼荼羅寺から出釈迦寺まではわずか0,5kmほど。
10分ほどで到着しました。




参道の入り口脇にあるお店のお姉さんと、先ほどのお兄さんが仲良さそうに話をしていて、私を見るなり「ここの鈴カステラが美味しいから寄っていきな!」と声をかけてくださりました。参拝後に寄ることにして、まずは出釈迦寺へ。




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青い空へと向かうように参道が延びています。



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山門





“73番札所 出釈迦寺” は、お大師様が幼少期の頃に起こったある伝説が関係しています。
お大師様が真魚と呼ばれていた7歳の頃、我拝師山に登り「私は仏門に入り、多くの人を救いたいのです。私の願いが叶うなら、釈迦如来様、お姿を現してください。もし叶わないのなら私の命を捨てて、この身を諸仏に捧げます」と言い、断崖絶壁の山から身を投じました。すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で真魚を抱きとめたといいます。
命を救われ、願いを成就された真魚は、青年になって我拝師山の山頂に虚空蔵菩薩を刻んで安置し、堂宇を建立し、山の麓に出釈迦寺を建立し札所にしました。
山頂は「捨身ヶ嶽禅定」と言われ、出釈迦寺の奥の院として境内から50分ほど上がった場所にあります。








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本堂・大師堂






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捨身ヶ嶽遥拝所




捨身ヶ嶽には学院生の頃に一度お参りしましたが、その道はなかなかの急勾配だった記憶があります。アスファルトです。
捨身ヶ嶽に行かない方も、ここから拝めば同じ功徳を得ることが出来ます。


わたしもとても行きたかったのですが、往復で2時間ほどかかるので断念しました。

これには後悔しています、、、



スケジュールには、余裕を持つべきです。






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参拝後に、声をかけていただいたお店に寄りました。






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噂のすずカステラです!
お接待でくださりました。涙

袋が鈴とかけてスズメで可愛い!





お姉さんによると、捨身ヶ嶽への道案内もしてくださるということでしたので、ぜひ捨身ヶ嶽に行く前に立ち寄ってみてください。






そして、本当にありがたいことに、おにぎりのお接待まで頂いてしまいました、、、涙
朝ご飯にどうぞと言ってくださり、ありがたくいただきました。
こんな見ず知らずの者に良くしてくださるなんて、、、感謝してもしきれません。
お姉さんの元にたくさんの幸せが訪れることを願います。





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そのお店で何か買わなくては!と思い、目に入ったのがこちらのコーラ。
なんと、四国遍路デザインです!限定品ですね。











出釈迦寺から40分ほど歩き、甲山寺に到着しました。



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奥に見えるのが本堂です





"74番札所 甲山寺"
お大師様は幼い頃、甲山寺周辺で良く遊んでおられました。平安初期にお大師様がこの辺りで霊地を探していたところ老翁が現れ、「ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう」と告げたため、毘沙門天像を刻み甲山の麓の岩窟に安置したといいます。

この後、嵯峨天皇の勅命により、日本最大のため池である「満濃池」の修築工事の監督に任命されたお大師様は、この岩窟で新たに薬師如来坐像を刻み、修築工事が無事達成することを祈願して修法をしました。
すると、数万人が集まり、朝廷が派遣した築池使さえも修築できなかった満濃池を、わずか3ヶ月で完成したといいます。

朝廷から功績を称えられたお大師様は、祈願をした薬師如来を本尊とし、堂宇を建立したと伝えられています。

最初に彫った毘沙門天像も、大師堂横に安置されています。




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先ほどの入り口と反対の入り口
こちらが正門ですね




ここで、自転車お遍路さんに会ったのですが、
この方は結願直前にももう一度お会いし、
お遍路後にはお手紙と写真を送ってくださりました!!
お遍路で出会う人は、素敵な人ばかりです。
なかなか自分が写っている写真を撮れないので嬉しかったです!











さて、次はいよいよ、
お大師様が誕生したお寺、
善通寺です!!!


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東院
金堂と五重塔








"75番札所 善通寺"
現在、善通寺境内の西院(誕生院)が建つ地には、当時佐伯家の邸宅がありました。お大師様はそちらでお生まれになりました。
善通寺は唐から帰朝されたお大師様が父である佐伯善通から土地の寄進を受け弘仁4年に建立されたといいます。
寺号は佐伯善通の名からとられたということです。
誕生院とも言われる西院は建長元年に建立され東の伽藍、西の誕生院という現在の形式が出来上がりました。




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本堂




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西院
御影堂




善通寺は時間を取りたかったので1時間以上いました。
とても広いのでお時間に余裕を持った方が良いと思います。


善通寺さんには宿坊もあります。
修行僧の時に一度泊まったのですが、朝・夕と精進料理がいただけて、温泉の出る綺麗な大浴場があり、とてもおすすめです!







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11時20分、優しさあふれるおにぎりを頂きました。朝食を食べていなかったことも重なりとても沁みました。














善通寺から1時間ほど歩き、金倉寺に到着です。



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山門



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本堂







“76番札所 金倉寺” は、天台宗寺門派の開祖である智証大師(円珍)が誕生した地です。
お大師様がお生まれになった宝亀5年に智証大師の祖父である和気道善が如意輪観音像を刻み堂宇を建立し、「自在王堂」と名付けたのが始まりとされています。仁寿元年に「道善寺」と改称されたといいます。

その後唐から帰国した智証大師が道善寺に訪れて伽藍を整備し、延長6年に醍醐天皇の勅命により「金倉寺」と改められました。




訶梨帝母堂(鬼子母神)もあるので、子授け、安産、女性の守り神としても篤く信仰されています。









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ここの讃岐うどんが超有名らしいです!






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徳島では田植えをしているところだったのにこちらはもう立派に育っています。
お米の成長のことはわかりませんが、時間の流れを感じました。






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遍路道を歩いていると家からお兄さんが出てきて、息子さんが作ったというお地蔵さんをくださりました。
手作り感がありとても優しい表情で温かみがあります。この道を通るお遍路さんみんなにあげているそうです。お遍路さんにお接待をするだけで救われるという方もいるのですよね。大切なお守りになりました。



このとき、お遍路を何回もしている方と一緒に歩いていたのですが、その方はこの道を通る度に頂くので何体も持っていると仰っていました。
家の中から常にお遍路さんを見守ってくださっているのですね。







14時過ぎ、道隆寺に到着しました


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仁王門







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お堂






"77番札所 道隆寺"
和銅5年に、和気道隆公が桑の大木が妖しい光を放っているのを見たため光に向けて矢を射ると、女の悲鳴が聞こえ、誤って乳母を殺してしまいました。これを悲しんだ道隆公は、その桑の木で仏像を彫り、草堂に安置して供養すると、不思議なことにその乳母は生き返ったといいます。このことが道隆寺の始まりとなっています。

大同2年には道隆公の子である朝祐公が、唐から帰朝したお大師様に懇願し、薬師如来像を彫造してその胎内に道隆公の像を納めて本尊としました。
朝祐公が第2世住職となったとき、七堂伽藍を建立し、寺名は創建した父の名から「道隆寺」と号したということです。










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この鳥、わかりずらいけど、見えますか?たまに川で見かけるのですが、水面から顔だけ出してスーーーっと移動して、潜っていなくなるんです。最初に見たときは、「ネッシー」かと思いました。馬鹿ですよね。大いに笑ってください。笑










16時20分頃、郷照寺に到着しました。


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ツツジがとても綺麗でした




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本堂の左脇の石段を上がると大師堂があります









"78番札所 郷照寺" は、四国霊場で唯一の時宗の寺院です。
神亀2年に行基菩薩が阿弥陀如来像を彫造して本尊として安置し、「仏光山・道場寺」と称したのが始まりとされています。
その後、大同2年にお大師様が訪れ、お大師様自身の像を彫造して厄除けの誓願をされました。このときの大師像は「厄除うたづ大師」として篤く信仰されています。

正応元年には時宗の開祖である一遍上人によって、浄土易行の法門の伝統が加わり、真言・念仏の2教の法門が伝わっています。
寛文4年には道場寺を「郷照寺」と改めたといいます。









郷照寺から30分ほど、17時半頃に"旅館みき"さんに到着しました。
たくさんのお寺を打ちましたが、大体予定通りに1日を終えることができました!



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旅館みき







最後まで読んでくださりありがとうございました