イーストブルータウン八街 (8)
 イーストブルータウン八街は、八街駅から南西におよそ3㎞。江戸時代は「東吉田村」と呼ばれた、旧川上村エリアの東吉田地区にある。川上村は1954年に当時の八街町に吸収合併されて消滅したが、町域の大半が明治以降の開拓地である八街町に対し、川上村は古くから続く旧来の農村であり、代々農業を営む世帯も多いことから、一部では宅地の転用が進んだものの旧開拓地ほどの宅地開発の波は吹き荒れず、全体としてはまだ昔ながらの農村風景が残る。だが東吉田は例外で、旧川上村の中でもっとも八街の市街地に近いことから、畑から田んぼから山林まで、無秩序な住宅開発が推し進められて今に至っている。

 東吉田は郊外型ディスカウントスーパーのトライアルを始めとしたロードサイド店舗が並ぶ商業エリアからも比較的近くのためか、どの分譲地も家屋は隙間なく並んでいることがほとんどで、限界ニュータウンと言うよりは単なるスプロールなのであるが、今回紹介する「イーストブルータウン八街」だけは、未だ区画の大半が更地のままである。ちなみにここは数度に分けて訪問しているので、写真の撮影時期にばらつきがあるが、2017年12月現在、状況は何も変わっていない。
イーストブルータウン八街 (1)
団地内の大半が更地のまま時間だけが経過していくイーストブルータウン八街

 ここは開発時期が比較的遅く、地元出身者が八街をディスるために開設したものの、ネタ切れしたのか速攻で更新が止まったこちらのブログを参照すると、2000年以降の開発のようである。既に八街においても、嵐のような住宅開発は鳴りを潜め、住宅の差し押さえが次々と発生していた暗黒時代の分譲地だ。区画の西端の方では建売住宅の建築が進んでいて現在も居住者はいるが、冒頭の看板にあるように「全252棟」には遠く及ばぬまま建築はストップしている。実はこの住宅地への案内看板は最近になって新しいものに取り換えられ、今でも宅地の販売は行われているのだが、なまじ上水道など配備してしまったばっかりに坪単価が周辺地域より圧倒的に高く(現在販売中の土地は坪6~7万円程度)、一向に居住者が増える様子がない。
イーストブルータウン八街 (6)
周辺地域より高めの地価が仇となり、膨大な数の区画が売れ残り、建築が進まない。

 八街では今でも細々と建売住宅の販売は行われているが、かつてのバブル期のように数十棟を一気に建てて売り出すということは近年ではまずなく、近年はむしろ敷地面積を広く取った、せいぜい数棟程度の小規模な分譲で、その立地も駅から徒歩10~20分程度の、日常生活に不便のない市街地エリアに建てられるのが主流だ。イーストブルータウン八街は、そのあまりセンスが感じられない団地名同様、開発手法も2000年代としては時代錯誤なもので、建売業者からも見放されているようだ。イーストブルータウン八街 (9)
団地の西端に100棟ほどの住宅が建つが、区画の3分の2は空地だ。イーストブルータウン八街 (4)
街路の大半は封鎖され、人の姿もまったくない。

 団地は500区画ほどの中規模な分譲地でかなりの広さがあるが、建物がまったくない区画の街路の大半は鉄パイプで封鎖されていて車両の進入が出来ない。先に紹介した三日坊主ブログ(僕も人のことは言えないが)に「夏場の夜は地元のチンピラがバイクで暴走」などと書かれているが、なるほど確かにこれだけの広さがあれば、近所は落花生畑ばかりで行き場のない八街産ヤンキーの格好の遊び場になってもおかしくない。実は僕も、ペーパードライバーだった妻の運転の練習のためにこの団地を訪れたのが最初だったのだが、現実にはほとんど封鎖されていて練習ができるような状況ではなかった。イーストブルータウン八街 (5)
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イーストブルータウン八街 (3)
無機質に電柱と売地の看板だけが立ち並ぶ。

 さすがに2000年代の分譲地だけあって、街路の幅員には余裕があるし、共有スペースも配備されており、これで普通に住宅が立ち並んでいればごく普通の郊外住宅地なのであるが、既に家余りと言われる時代に突入した今日、都内への通勤圏とは言い難い八街はこれだけの規模の分譲地が必要とされる都市ではなく、この団地に隙間なく家屋が並ぶ光景を見ることは永遠にないであろう。宅地に転用される農地と言うものは、放っておいてもやがては休耕地となる運命だったのかもしれないが、それにしてもこの惨状を見るにつけ、都市計画に無頓着な自治体における野放図な宅地開発が与えた傷の深さというものを思わずにはいられない。


イーストブルータウン八街へのアクセス

八街市東吉田
・総武本線八街駅よりちばフラワーバス「八街循環線」 吉田バス停 徒歩1分