山武市埴谷 雑木林の分譲地 (8)
 全国の都市近郊で宅地の乱開発が進められていた1960~70年代、大きな社会問題となった原野商法。地方の、ほぼ無価値に近い原野や山林を、あたかも大規模な開発予定地であるかのごとく騙って、公図上で細かく分筆しただけの見せかけの分譲地を法外な価格で売りつける商法である。既に国内の山林では大規模な住宅団地やゴルフ場の開発も盛んで、新幹線の開通等もあって実際に山林を現金化した地主も多かったことが、この商法に先行投資として一定の説得力を持たせてしまった。
 
 現況は宅地利用どころか場所の特定すら困難な山林の一部であろうと、登記上は所有権の移転が行われている以上、一般の土地取引と見なされてしまうケースが大半で詐欺での立件が難しく、被害者の多くは泣き寝入りせざるを得なかった。今日においても、はるか地方の山林の奥地の、無意味に細分化された土地を所有し続けている被害者も多く、近年はそうした被害者を狙った新手の測量詐欺も登場し、二次被害を引き起こしている。

 このブログで紹介している分譲地は、その多くが成田空港の開港を見込んだ投機目的に特化していたとはいえ、一応造成工事は施されて、時には団地水道の配管を通し宅地として利用可能な状態で販売されており、また実際に宅地利用もされてきたので原野商法とは言い難く、また原野商法で分譲された土地はそれこそニュータウンと呼べる代物でもないので、僕も文中で、未利用地の多い分譲地を原野商法的であると揶揄することはあっても、両者は基本的には性質の異なるものであると考えている。特に共有設備を整えた団地などは、分譲価格はともかく、業者もそこまで悪意を持って開発したわけでもないだろう。熱狂的な開発ブームの中、最果ての分譲地でも需要があったというだけのことだ。


 さて、話は変わるが僕は最近、知人(とは言っても僕の親くらいの年齢の方)が所有する千葉県八日市場市(現・匝瑳市)の土地の特定と調査を頼まれた。その土地は、知人の方が今から30年ほど前に、当時の勤務先の上司の紹介で、25坪ほどの土地を130万円で購入したとのことなのだが、購入後いくら経っても固定資産税の請求が来ないことを不審に感じ、同じ分譲地を購入した別の方と連絡を取ったところ、これは騙されたのではないかとの結論に至り、以後その土地を訪れることもなく、そのまま今日に至るまで放置していたものである。

 時は経ち、いよいよ高齢となった今、過去の失敗として記憶の底に封印していたその土地を、可能であるのならば処分できれば、との思いから、たまたま北総に移り住んだ僕がその土地の現況確認を任されることになり、土地が使えるのなら好きに使って構わないし、売れたら半額分ける、とのことであった。

 もっとも、こんなことを言ってはなんだが、僕自身はこの土地を売るのは極めて困難、と言うかほとんど無理であると思うし、僕も妻もとてもお世話になった方なので報酬などどうでもいいのだが、僕自身もこのようなブログも始めたことであるし、後学のためにもこの土地の所在を特定して、その模様をブログでお伝えするのも面白い試みであるのではないかと考えた次第である。
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知人が所有する土地(私道)の登記簿の写し(のコピー)。電子化前の古い書式で、市名も旧自治体名だ。

 ところで、僕は最初この話を聞いたときは、例によって北総によくある限界分譲地の1つだと思っていた。匝瑳市は2006年、かつての八日市場市と匝瑳郡野栄町が合併して誕生した自治体だが、旧八日市場市は古くから市制施行こそされていたものの都心から遠いためか北総の中ではそれほど無茶な宅地開発は進められなかった都市の一つで、九十九里海岸近くの旧野栄町エリアに別荘用地として分譲されたであろう未利用宅地がスプロール的に点在している程度なので、おそらくこの土地もそのひとつなのだろうと考えていた。

 しかし知人が保管する登記簿の写しを実際に見せてもらうと、電子化される前の古い書式であったのはともかく、その地域は海岸どころか内陸の、多古町に近接する地域で、グーグルアースで見ても分譲地の存在を確認できない、典型的な千葉の農村であった。知人は購入時、売主の案内で一度現地を訪れており、その時は区画の境界に杭が打たれていたと言うのだが、上空写真では造成された形跡がまったく見られない。その土地の分筆が行われたのは1974年であるが、知人が購入したのは1982年。しかしこのエリアは今日においても住宅団地の開発などは行われておらず基本的に当時のままの光景をとどめており、果たして分譲当初から宅地として利用可能なものであったのか疑わしくなってきた。
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問題の土地が分筆されて間もない1975年の八日市場市(当時)の農村部の上空写真。複雑に入り組んだ谷津田と丘陵上の畑の合間に古くからの集落が散在しており分譲地は見当たらない。(国土地理院航空写真サービスを利用して引用)

 しかもその登記簿は、確かに知人名義で所有権は登記されているものの共有持分の所有者氏名が30人ほど並記された、明らかに私道の登記簿で、肝心の土地そのものの登記簿の写しがない。どうして私道のものしか所有していないのかはご本人も既に記憶になく不明だが、合併前の古い自治体名の登記簿の写しをそのまま所有していることからもお分かりのように、この手の利用価値の低い土地の不在地主の中には、そもそも所有者意識の乏しい人が少なくない。

 おそらく他人にはあまり積極的に話すこともないであろうし、場合によっては家族にも黙っていて、相続時に初めてその所有地の存在が発覚するケースもあると聞く。問題の土地については、知人は草刈り業者も一切入れていないとのことであるし、固定資産税を支払ったことがない点から考えても、今日ではその土地は完全に登記簿の地目通り山林に埋もれ、境界の特定も難しくなっているであろう。

 それにしても、原野商法というものは北海道などの最果ての原野を舞台に展開されたものだという先入観があったが、この千葉でも行われていたのだろうか。いくら千葉の地価が安いと言え八日市場では、共有持分者として名を連ねた買主の居住地(東京と神奈川がほとんど)から近すぎる。知人は車の免許を所有していないので、八日市場の駅から離れた山奥にある所有地へ自ら赴くことはなかったが、所詮は千葉なのでその気になれば都心から車でアクセス可能であり(70年代は今より道路網は発達していないが)、今はその本数も限られるが総武本線の八日市場駅からの路線バスもある。特定はともかく現況の確認は十分可能な立地で、今日の感覚ではなかなか理解するのは難しいが、土地開発ブームの熱気は、こんな近場でも買主の目を眩ますのに充分だったのだろうか。

 何にせよ、手元には私道の登記簿の写ししかなく、航空写真やグーグルマップだけでは当該土地の特定など到底不可能なので、まずは法務局の匝瑳支局へ赴いて、私道の登記情報から、公図上で問題の土地の地番の特定をしなくてはならない。今日では登記情報や公図はインターネットでも閲覧可能でしかもその方が安価だが、地番が不明なため職員の助言もお借りしたいところであるし、結局は現地に赴くのだから直接法務局まで足を運ぶことにした。ちなみに八街から匝瑳までは25㎞、車で40分ほどの距離だ。
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八日市場駅前。旧八日市場市はスプロール化の度合いも少ない静かな小都市だ。
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千葉地方法務局匝瑳支局。

 法務局ではまず、手元にある私道の登記簿の、最新のものを発行してもらうことにした。古い登記簿は手書きのため訂正箇所が多く、また達筆すぎて読み取りにくい個所が多々あったが、さすがに電子化されているものは読みやすい。改めて電子書式の登記事項証明書を読み直すと、やはり問題の土地は、どこかの開発会社が一括して仕入れた山林を分筆し、一筆ずつ首都圏各地の個人に売却されている分譲地であった。一点だけ、元の開発業者の持分を別の建設会社に全部移転した登記があり、これはおそらく売れ残った区画と私道の持ち分を全部投げ売ったのであろう。
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私道の共有持分権利者の一部。気の遠くなるような細かい持分割合が記されており、同一の事業者から首都圏各地の個人へ販売されている。

 私道の共有持分者は23名に及び、その中には知人の名前もある。しかし、その共有持分者の何名かはすでにこの世になく、相続登記が行われている。残りの所有者も、果たして何人が存命中であるかはわからず(名前を見る限り全員がかなりの高齢の方と思われる)、また権利者も、記載された住所に現在も居住しているかは不明だ。こうして、少しずつ「所有者不明土地」は生まれていくのであろうが、それはさておき、これだけでは具体的にどの土地が知人のものか見当がつかないので、続いて分譲された区画の地番を確認するため公図を取ろうとしたところ、地番の特定だけが目的なのであれば、公図よりも匝瑳市役所で地番図を取得した方が記載範囲が広くてわかりやすく、そして料金も安いと教えていただいたので、一旦法務局を後にし、匝瑳市役所へ向かった。

 匝瑳市役所では事情を説明し、件の私道の位置を住宅地図上で特定していただいたうえ、地番図を発行してもらったが、なるほど、確かにその私道沿いには、明らかに分譲目的と思われる多数の区画が分筆されている。しかし私道は緩やかなカーブを描いた、元々の地形に沿って切り開かれた農道と思われる歪なもので、一般の分譲住宅地のように、土地の造成を行ったうえで新たに敷設された街路とはとても思えない。また分筆された区画も、たとえ更地であっても宅地利用には不向きな不整形地ばかりである。「この辺りは建物もほとんどないですよ」との職員の言葉を頂き、再び法務局へ戻ることにした。
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問題の土地の地番図の一部。画像中央左側、弓状に細かく分筆された部分が分譲地。

 次に法務局では、市役所で発行した地番図を示し、私道沿いに展開された分譲地の区画を示し、この中で私の知人が所有者となっている土地の登記簿を発行してほしいと頼んでみた。当初、職員の方には、登記事項証明書はあくまで地番を指定して請求するもので、所有者の名前で検索することは難しいと言われたが、こちらとしても、知人と関係のない区画の登記簿など手数料を払ってまで取得する必要はまったくなく、どの地番が知人の所有地であるかこちらでも調べようがないので、何とか協力していただけないかと懇願すると、さすがに少し困った顔をされてしまったが、可能性のある土地の地番をすべて申請書に書き出したうえで、職員の方が一筆ずつその名義を確認し、知人名義のものが見つかれば、その登記事項証明書を発行していただけることになった。

 そうして当てずっぽうに一筆ずつ地番を書き出して申請したところ、何度目かで、ようやく知人名義の土地の登記情報が確認できたので、登記事項証明書を発行していただくことができた。なるほど間違いなく知人は、1982年に件の私道沿いの25坪ほどの土地を購入している。こうしてようやく知人の土地の登記情報を探し当てたわけであるが、いやはや、こんな訳の分からない奴の、訳の分からない土地の、目的もさっぱりわからない無理なお願いを聞いていただいて、匝瑳支局の職員の方には改めてこの場でお礼を申し上げたい。ありがとうございました。さぞかしご迷惑であったろうが、しかしこれも、そもそも70年代『日本列島改造論』の号砲の元に、堰を切ったように進められた国土の乱開発が根本の原因なのだと、責任の所在を草葉の陰の田中角栄に押し付け、一人で勝手に納得したうえで法務局を後にした。
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法務局職員の方のご協力のもと、探し当てた知人の土地の登記事項証明書の一部。

 さて問題の土地の所在地はすでに匝瑳市役所の職員の方に特定していただいていたので、そのまま自動車で現地まで向かってみる。八日市場の市街地を離れ、丘陵上に散在する古くからの山村集落を抜けて、やがて家屋もまばらになった県道沿いにその土地はあった。しかし、それは深い雑木林で、どこをどう見ても普通の分譲住宅地ではない。傍から見て、この山林が公図上では細かく分筆されそれぞれ異なる所有者がいることなど想像もつかない。やはりここは、原野商法的に分譲されたものであったのだ。

 進入路である私道は現在でも残されていたが、日常的に利用されている気配はなく、横枝も伸びて車での進入は難しい。私道の西側は急峻な崖地で当然ガードレールもなく、まともに使える街路ではない。進入路東側の山林が、分譲された土地であるはずだが、各区画の境界など到底探し出せる状態ではなく全てがまごうなき山林である。所有者の誰一人として、その土地をまともに活用している様子はなかった。
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問題の分譲地の前の県道。周辺は家屋もまばらだ。
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画像奥の雑木林が分譲地。明らかに宅地利用を目的として分譲されたものではない。
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残されていた分譲地への進入路。
 
 進入路から分譲地内へ入ると、確かに農道の形状は、地番図に示されたものと同じ形状で、奥の方で緩やかにカーブを描いていた。しかし私道の東側は杉を始めとした雑木が鬱蒼と生い茂っていて、そもそも整地すらされた気配もなく、ただの山林を適当に分筆したことは明らかだ。知人からは、この土地を使えるのなら好きに使って構わないと言っていただいたが、既に大木となった杉木は、林業経験のない素人が1人で切り出せるような代物ではなく、こんなものを業者に依頼して伐採するだけで、北総の更地が1区画買えるほどの費用が掛かるのは間違いない。残念ながら、僕には全く手に負えない土地であった。
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画像右側が分譲された山林。宅地利用など到底不可能だ。
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雑木が生い茂り、素人が容易に切り出せる代物ではない。
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私道と分譲地の境界には小規模な擁壁が構築されている。

 しかしよく見ると、確かに私道と区画の境界には、背の低い擁壁が構築されてはいる。これは分譲時に施工されたものであるのかはわからないが、いずれにせよ、雑木の生育具合を見る限り、分譲時には既に山林の状態であったことは想像に難くない。帰宅後、改めてこの土地の、1975年の航空写真を見返したが、やはり全ての区画は当時から山林の状態であった。北海道の原生林のように公図上のみで売買されたのではなく、たとえ知人の言う通り分譲時には境界杭が打たれていたにせよ、これはもはやまぎれもなく原野商法であると断じて差し支えないだろう。そう断言できるもう一つの根拠として挙げられるのが、これは地番図を見て初めて確認できたことであるが、知人も共有持分者として名を連ねるこの分譲地の私道は、あろうことか公道に接続していないという点である。
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 上図は先に紹介した地番図の一部の拡大である。水色に塗った部分が県道、および近隣の農道で、緑色の部分が件の私道である。現地で見る限りは、進入路は県道に接続されていて一連の農道に見えてしまうが、図を見ての通り、地番図上では私道は県道の手前で、個人の所有地によって寸断されている(私道の反対側の出口に接続する農道は車両の通行が困難)。ここは都市計画区域外なので、建築にあたって接道義務はないのだが、私有地をまたがなければ私道に進入できないのでは、仮にこの土地が何らかの目的で利用されることがあったとしても、どう考えてもトラブルの原因にしかならない。この山林が、極めて邪な意図のもと不誠実な販売が行われた分譲地であることが、この地番図からも確認できるのだ。知人は坪単価5万円で購入しているが、これはあまりにも高額な出費であったと言わざるを得ない。

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無意味に細分化された山林の分譲地。
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樹木が生い茂り、伐採して利用するにせよ、到底費用対効果が釣り合わない。

 と言うことで、原野商法の土地の特定は、確かに当該の分譲地自体は確認はできたのだが、各区画の境界については、現状ではまともに明示できる状態になかった。まあこんなこと、わざわざここまでしなくても、少し考えれば誰でもわかりそうなものであるがそれはいいとして、しかし今日においても日本各地の山林がこうして無意味に分筆され、それぞれに一筆ずつ異なる所有者が存在すると考えると気が遠くなってくる。

 一体この山林は、この先どうなるのだろう。何事もなければ今後も静かに山林として時を刻んでいくだけであろうが、すでに報道されているように、先の東日本大震災においては、所有者情報が散逸した土地が復興事業の妨げになっていて、土地登記のあり方を根本的に見直す動きが出始めている。一筆の山林であればまだしも利用者が現れたかもしれないものを、この状態ではもはや誰一人として手を付けまい。こんな無駄な分筆は、土地取引において調整を阻むだけであり、投機どころかかえって資産価値を押し下げる要因になろうとは、当時の開発ブームの熱気の中では思いもよらなかったことなのだろうか。無残に切り刻まれ、管理する者もいなくなったこの山林こそまさに、70年代の乱開発が残した負の遺産そのものであろう。



注:こちらの土地の所在地の公表は控えさせていただいております。


追記:
 本文中にあるように、知人は購入時に現地を確認した際、境界に杭が打たれていたと言っていたが、杭の存在以前に、知人の説明した土地の模様と実際の現況があまりにも異なるため不思議に思っていたら、どうやら原野商法においては、見学の際、実際に売却する土地とは異なる場所へ案内し、買い主の目を誤魔化す手口も使われたそうである。知人も無関係な別の土地を見せられた可能性がある。