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 成田市の南部に位置する富里市は、元々1985年までは「富里村」として村政施行されていたものが町に昇格し、その後も成田空港勤務者のベッドタウンとしての人口流入が止まらず、町制施行が開始されてからわずか17年で今度は市に昇格するという、北総でも特に人口増加の激しかった自治体である。市域の大部分が明治時代の旧開拓地である富里は、1970年から2005年までの35年の間に、人口は4倍以上にも膨れ上がり、急激な宅地開発が進められた。富里は鉄道駅のない自治体として知られるが、実は京成の成田駅から南に徒歩数分も歩けば富里市の市域となり、京成成田駅の南に広がる日吉台団地は富里市である。また、東関東自動車道の富里インターの近くに位置する富里バスターミナルは、ジェイアールバス関東が運行する東京駅行き高速バスの、高速前の最後の停留所でもある。

 富里の市街地や住宅地は、今日でも京成成田駅と結ぶ路線バス網も多く健在で利用者もそれなりに居るので、確かにスプロールの度合いは激しくてあまり整然とした計画的な街並みとは言えず慢性的な渋滞に悩まされているものの、市街地に近い分譲地は別段空地が多いわけでもなく、極端に寂れているわけでもない。ただし富里の分譲地に建てられた家屋は70年代の古いものが多いので、その点において流通性が悪くなってしまっている売物件は時折見かける。

 某地域掲示板に書き込まれていた「成田は高くて住めないけど、八街は絶対嫌だ!という人が選ぶのが富里」との一文が、まさに富里の立ち位置をよく表していると納得する一方で、そんなに八街が嫌いか、と軽く反発を覚えてしまう。それはさておき、そんな富里でも、市の東部には今なお広大な農地が広がり、そしてお約束の限界分譲地が、数は少ないものの点在している。
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明治の旧開墾地である十倉地区。

 富里市の十倉は、元は十倉村と呼ばれた、明治時代の東京新田の開墾地の1つだ。これはよく知られたことであるが、東京新田の開拓地は、初富(鎌ヶ谷市)、二和(船橋市)、三咲(船橋市)、豊四季(柏市)、五香(松戸市)、六実(松戸市)、七栄(富里市)、八街(八街市)、九美上(香取市)、そして今回の十倉、十余一(白井市)、十余二(柏市)、十余三(成田市)、のように、開発順の番号を冠した地名が付けられている。一口に十倉といってもその範囲は非常に広く、富里の市街地寄りの西のエリアはそれなりに住宅の数も多く居住者もいるが、東の芝山町と隣接するエリアになると、その人口密度は極端に低くなる。ちなみに以前紹介した芝山町の「ハニワ台ニュータウン」は、この十倉地区の東部と隣接した地域にある。

 さて、さる2017年の3月、この十倉地区にあった「洗心小学校」という小学校が統廃合によって66年の歴史に幕を閉じ、閉校となった。児童数は最終的に全校で22名にまで減少し、その機能を維持することが難しくなってきたためだ。全国的に少子高齢化が進む今日よりもはるか前、高度成長期の時代から、既に地方の農村では小学校の閉校や分校の閉鎖は相次いできたが、人口が爆発的に増加したはずの富里でも(近年は微減中だが)、児童減少の波には逆らえなかったようだ。
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統廃合により閉校となった旧洗心小学校。
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校舎は今のところ現役時代のままの姿をとどめているものの、児童の姿はもうない。

 旧洗心小学校区の児童は、統合先である富里南小学校へ通学することとなったが、富里南小学校はこの洗心小学校から4㎞強離れた場所に位置し、そしてこのエリアは農村でありながら空港から近いために特に朝の幹線道路は大型車の通行が多く、歩道も未整備のところが多くとても児童が歩いて通学できる地域ではない。

 だが旧洗心小学校の学区には公共の交通機関がない。富里市は、市のコミュニティバス「さとバス」の運行を行っているが、十倉循環ルートはそのあまりの利用状況の悪さからついに廃止されてしまい、現在は市民のみ利用登録が可能な事前予約制のオンデマンドタクシーを、地元のタクシー会社に委託して運行している。辛うじて十倉東部をかすめる千葉交通の路線バスは運行本数も少なく、また終点は芝山町のハニワ台なのでやはり通学には不向きであり、そこで富里市は、旧洗心小学校区の児童の送迎用のスクールバスの運行を千葉交通に委託している。
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旧洗心小学校の校門脇に設置されたスクールバスの看板。千葉交通が運行を受託している。
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辛うじて十倉東部の一部をカバーする千葉交通の路線バスのバス停。本数は少ない。
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コミュニティバスの十倉循環ルートは廃止され、現在は予約制デマンド交通ののみの運行となり、旧来のバス停が乗降場に転用されている。

 洗心小学校区のエリアは、企業もなければこれといった観光地や行楽施設があるわけでもないので、おそらく千葉県民でも訪れたことのある方は少ないと思うが、一見すると畑が広がるだけの農村地帯に見えるものの、よく見ると、既に使われなくなり荒れ果ててしまった工場や倉庫、そして管理されることもなく放置され山林化した空き地が多くある。幹線道路脇に残る雑木林は防風林であると思うが、明治の開墾事業がこんな虫食い状に行われていたはずはないので、おそらく離農した農家の農地が転用されるか、あるいは放置されて山林化したものと思われる。既に放棄されてからどれくらいの年月が経過したのだろう、敷地内が完全に竹林と化した廃屋も見受けられ、大昔のスズキのアルトが木々に埋もれたまま放置されていた。
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農地のいくつかは事業用地に転用され、そのまま資材が放棄されている。
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利用する企業もなく、放置されている倉庫。
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竹藪の奥に、かつての農家住宅と思しき空き家が残る。

 もちろん現在でも精力的に農業を続けている農家も多く、時折イチゴの直売所も見受けられ、大半の土地は今でも農地として利用はされているものの、地域の衰退ぶりはもはや隠しようもない。幹線道路脇の商店もシャッターを下ろし、ガソリンスタンドも廃業している。

 過疎化が進む地方の限界集落の衰退の要因を、排他的と言われる古い農村の因習に絡めて語りたがる人を時折目にするが、実はこれはあまり正確な考察とは言えない。と言うのも、日本においては、この北総台地や北海道のような、明治時代の困窮民対策として進められた開墾事業の他に、第二次世界大戦後、復員兵や満州開拓団などの引揚者の失業対策としての戦後再開拓事業なども行われてきたが、高度成長期の時代から今日まで、離農が続き住民の高齢化が問題となっているのはこのような事業で近年形成された開拓集落が多いからだ。
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県道に面した地域商店も、既に看板を下ろして長い年月が経過している。
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近年、過疎地域においてその減少が問題視されているガソリンスタンド。十倉のスタンドも閉業している。

 特に戦後再開拓は、元々現地住民が農地として利用していた土地に入植した、いわば国策事業である満州開拓などよりもはるかに過酷であったと言われている。すなわち、国土の広くない日本は、元々稲作を始めとした農業に適した土地はそのほぼ全てが既に農地として利用され集落が完成していたために、とりわけ戦後再開拓では、そもそも農業に適していない、生産性の低い土地しか開墾できる場所が残されていなかったからだ。開拓地の放棄・離農は事業開始当初から相次いでいた問題であり、今日においても開拓集落において過疎高齢化が著しいのは、やはりその生産性の悪さに見切りをつけられ後継者が育たないからであろう。

 一時期、オウム真理教が進出したことで全国的にその名が知れ渡ってしまった山梨県の旧上九一色村の富士ヶ嶺もそんな戦後再開拓地の1つで、ここなどはあまりに畑作や稲作の生産性が低く酪農事業にシフトチェンジしたことが功を奏した、戦後再開拓の数少ない成功例である。
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北総台地上の開拓農村は、田んぼや山や川がないのも理由だが、日本の原風景的なイメージがあまりない。

 開拓地では土地への執着が、やはり古来からの農村よりも少ないのだろうか、また実際に土地を売却して利益を得た地主が近隣に居たためだからか、北総の農村は、無茶な分譲地の他に、事業用地への転用も目立ち、そして分譲地同様放棄が相次いでいる。農業の機械化が進んだ今日の富里や八街の農地は、そこまで生産性の低い場所とは言えないが、畑作は稲作と違い国の保護政策も乏しく長く輸入政策が行われ続けていたため、稲作に適さない北総台地の農業はそれなりの経営努力を必要とする事業である。それゆえ事業の継続が難しくなった休耕地の無秩序な転用が今なお野放しに近い状態であり、農村的風景の保全が行われていない。それが房総と比較して、北総が都会からの移住先としてもパッとした成果も上がらず、どうにも殺風景な印象を隠せない原因なのではなかろうか。


 さて随分と長い前置きになってしまったが、今回は、このようにインフラが徐々に消滅している途上にある十倉の旧洗心小学校区の近隣の、2つのミニ分譲地を訪問した。いずれも区画数も大したことのない小規模なものだが、既に書いてきたように、住民生活の根幹をなす交通機関や教育インフラが消滅してしまったこの分譲地は、もはやファミリー向けの一般住宅用地としての需要を満たせる条件にあるとはとても言えない。

 スクールバスの運行は、通学時間帯の交通量を考えればある意味安心できる制度ではあるものの、児童にとっては、毎日決まった時間に決まった手段で、自宅の近所の子供だけで集まって帰宅せねばならない。都市部の私立小学校の生徒が交通機関を使って通学するのとはわけが違うのだ。それが児童の社会性や好奇心の涵養にどのような影響を及ぼすのか、その結果は未知数であるともいえる。徒歩で下校する児童との間に様々な面で溝やある種の格差が出来るようなことがなければいいのだが。

 一つ目の分譲地は、「ハニワ台ニュータウン」からもほど近い場所に立地している。洗心小学校前の雑木林の合間の小道を抜け、広大な畑の道を少し進んだ先にある。子供でも徒歩で歩ける距離ではあるが、そもそもの立地に難があることから、小学校の有無に関係なくあまり住宅建設は進んでいない。
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街灯が設置されていることから、かつて児童の通学路であったと思われる小学校近くの雑木林の道。
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畑の先、画像中央に家屋が見える辺りが分譲地の入口。

 分譲地内は舗装されておらず、宅地と街路に無駄な高低差がある、いかにも適当に造成して分譲しちゃいました的な、典型的な北総の限界分譲地だが、地図をよく見ると、分譲地の一部に芝山町の町域が入り組み、区画によって富里と芝山に分かれ、中には市境がまたがっている区画もある。市境をまたいだ分譲地は八街と富里の境にもいくつかみられるが、当時の開発業者は一体何を考えていたのだろう。
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街路は未舗装で、あまり管理されていない。
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見たところ、三角形の宅地に見えるのだが、どのように利用すればいいのだろうか。

 区画も区画で、ほとんどは整形地のありふれた形だが、中にはこんな土地でどんな家を建てればよいのだと首をかしげたくなる歪な不整形地もある。これほどの悪条件の分譲地にしてはここは草刈り業者の看板が多く、売地の看板も至る所で見かける。いくつかの売地は物件サイトでも目にしたことがあり、坪一万円くらいだったと思う。ただ空地の中には家庭菜園用地として転用されているものもいくつかある。近隣住民のものだろうか。宅地の前にはU字溝が配備されていたようだが、既に土に埋もれ、一部は崩落し、再利用の見込みはない。
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売地の看板は至る所にある。
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街路に転がっていた看板。
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空地沿いの側溝は土砂に埋もれ、もはや利用できる状態にない。

 家屋は少なく、合計で20棟前後。廃墟を含め、空き家と確信できたものが5棟、空き家であるかは不明だがあまり管理されているとは言えない家屋もさらに数棟ある。築年数の浅そうな家屋はまったくなく、むしろ古い家屋が多い。街路もあまり適切に管理されているとは言い難く、街路上に粗大ゴミがそのまま放置されている場所もある。ひどい所になると、売地の看板が出された宅地の前にテレビや冷蔵庫など、処分に手間と費用が掛かるゴミがそのまま置き去りにされている。これははっきり言ってお互いの首を絞め合っているようなものだ。街路に粗大ゴミが放置された限界分譲地の売地などまともな価格で売れるはずもなく、売るためには近隣の不在地主は大幅値下げをせざるを得ず、それと連動して自宅の資産価値も下がっていくという地獄絵図である。
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分譲地内の空き家や廃屋。築年数の古いものが多い。
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空き家の前の街路にゴミが散乱している。
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前面道路にテレビや冷蔵庫など、処分費用が掛かる粗大ゴミが放置された売地。
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管理不全は分譲地の寿命をさらに縮める結果を招きかねない。

 
 もう一つの分譲地は、旧洗心小学校前を通る県道45号線沿いに進入口を設けられた、区画数20程度のさらに小規模な分譲地である。こちらはほとんどの区画が管理されていないので、目の前の県道を車で走っているだけではまずその存在に気が付かないと思うが、一歩奥に入れば、やはり緩やかなひな壇上の分譲地が形成されている。こちらの分譲地は一応舗装こそされているものの、やはり傷みが進んでいる個所が目立つ。
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分譲地前の県道45号線。画像中央、雑木林と化した辺りが分譲地。
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一見しただけでは分譲住宅地とは分からない進入口。
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こちらの分譲地は一応舗装はされている。

 街路の電柱には、いったいいつ貼られたものであろうか、「売り出し分譲現地」の張り紙がいまだ残されていた。しかし、ほとんどの区画は笹薮と化し、家屋は5棟しかない。しかもどの家屋も築年数が古い、おそらく70年代の建築で、バブル期の建物すら見当たらない。
 
 街路上にはマンホールの蓋があり、ある家屋の裏側には給水塔が建てられているのが見えた。ここは規模は小さいながらも集中井戸、集中浄化槽を備えていたのだろうか。しかし給水塔は完全に錆び付いており、果たして今も機能しているのかは不明だ。そして区画は狭く、よく見ると敷地に駐車場がない家が多い。
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電柱に残された「売り出し分譲現地」の張り紙。
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区画のほとんどは管理を放棄されている。
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民家の裏手に残されていた給水塔。
 
 余談になるが、この分譲地を訪れる際に一番難儀したのが、自分の車の駐車場所であった。分譲地前の県道は幅員が狭い割にトラックなどの通行が多く、駐車禁止の看板は見当たらないが路上駐車は非常に迷惑になる場所であり、また分譲地内は街路も狭く、ひな壇であるうえにほとんどの区画が雑木林と化していてに車を乗り入れられる空地もない。近隣の県道から伸びる横道も、駐車可能な幅員を確保されていないものがほとんどで、結局一時的に駐車できそうな空地を離れたところに見つけ、徒歩で分譲地まで戻ってくるしかなかった。
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この交通空白地帯で、車の保管場所の確保が難しい分譲地。言葉も出ない。
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分譲地内にマンホールがある。共有の排水設備を備えていたのだろうか。

 先述のようにこの辺りには気軽に利用できる交通機関がない。それでいて、敷地内に駐車場所の確保も難しい分譲地では、もはや「空き地の再利用を」などと呼びかける気にもなれない。分譲地内には、今では滅多に見なくなった、車を担保に取って融資する金融屋の広告が貼られていたが、こんな場所で車を担保に入れるなどまさに自殺行為に等しい。と言うより、なぜこんな僻地の限界分譲地にこんな広告が貼ってあるのか謎である。
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金融屋の張り紙。誰に向けて出した広告なのだろう。
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空地を駐車スペースとして確保する住民もいるようだ。


 と言うことで、閉校してしまった旧洗心小学校区にある2つの分譲地を簡単に紹介してきたが、学校は消え、バス路線も消え、地域の商店や事業所も一つ、また一つと撤退していく中で、分譲地だけは今なお残されている。その分譲地も荒廃が進むばかりで、もはや新規の移入者が現れそうな気配もない。

 この十倉東部のエリアは、芝山町だけでなく山武市とも隣接したエリアだが、十倉から市境を超えた山武市側の分譲地も、十倉のそれと似たり寄ったりの状況に陥っている。今の時点では農家の方が精力的に耕作を行っているので、直ちに地域社会の崩壊につながるという状況ではないものの、残された農地や空地の保全策を考えていかないと、十倉の東部はやがて開拓前の原野へ還っていくことになろう。富里のような、首都圏から近く都市近郊農業としての優位性を持った地域の、先人が血を吐く思いで開墾したこの広大な台地を無駄に転用した挙句放棄するというのは、それこそ歴史や未来への冒涜と言えるのではないだろうか。
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旧洗心小学校区周辺の分譲地へのアクセス



富里市十倉
・東関東自動車道富里インターより車で30分
・京成成田駅より千葉交通バス「久能両国線」 ハニワ台車庫行き 「ハニワ台車庫」バス停下車 徒歩17分
・成田空港第2ターミナル13番バス乗り場より千葉交通バス「空港シャトルバス」横芝屋形海岸行き  「芝山文化センター」バス停下車 徒歩25分