やんじの書きたい放題

日々、気になったこと思ったことを書いています。 自分勝手な事ばかりです。

今年は、以前の会場の広島YMCA国際文化ホールに戻ります。

少し前に、昨年以前にこの「ヒロシマー平和の夕べー」参加され方に、ピンク色のフライヤーが届いていると思いますが、それはまったく関係ないです。
そのフライヤーには、昨年に開催した広島別院の共命ホールで開催するようになっていますが、これは今まで開催してきたこの会とはまったく関係ないものです。
いかにも同じようなというか、まったく同じように作られていますが、開催者が違います
騙すつもりがあるのかは知りませんが、勘違いして同じ会だと思って賛同金を振り込まれた人もいらっしゃるそうです。講演される人にはまったく関係ないことですが。
昨年までの名簿を利用してのフライヤーの送付です。

ですから、全くの別物ですから、今年の8月6日は寺町の別院でなく、八丁堀の広島YMCAに行ってください。

もしかしたら、本物の案内が届かないかもしれませんが、間違いなく広島YMCAです。
もし届かなくっても主催者側の事情によるそうですから、是非とも参加してくださいね。
お知り合いで、ピンクのフラーヤーは届いても、本物が届かない方がいらっしゃるかもしれません。いつも参加されているお友達や知り合いの方にもご連絡して見てくださいね。

別院じゃなく、広島YMCAで今年は開催だと
別院で開催されるのは、似ていてもまったく違う開催者だと

呼びかけ人の河野美代子先生のブログにちゃんと書かれています。
こちらです→「河野美代子のいろいろダイアリー

本物のフライヤーを載せます。
本物の案内が必要な方は、フライヤーに記載されている連絡先にお問い合わせください。

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 読みにくいかもしれませんので。
〒730-0031
広島市中区紙屋町2−2−25 大野ビル5F 河野産婦人科クリニック内 

「8・6ヒロシマ平和の夕べ 」
 Email:86h@heiwayube.org





 
広島ブログ

くれぐれもお間違いのないように、
     「広島YMCA 国際文化ホール」です。
 

冒頭からいきなり引き込まれました。
数分で感動して潤んでしまいました。

これぞ、ハリウッド のミュージカル映画です。
ブロードウェイを映画にしたようなものではないですね。

どんな内容かは、いっさい検索をせず。
ラジオで話題をちょっと聞いた程度だった。
それでも、ミュージカル映画は好きだし、何かの文学作品とか過去の映画のリメークとかブロードウェイミュージカルを映画にしたようなものではないようなので、ハリウッド映画として期待はしていた。
まあ、アカデミーにたくさんノミネートもされていたし。

内容は、上映し始めたばかりですから、映画館にいってお楽しみください。 

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子供頃は、ほとんど毎曜日にテレビで映画が放送されていた。
今で言うゴールデンタイムに放送されるのは、メジャーな映画。
でも、土曜の深夜には、あまり有名でもなく、有名な俳優や女優が出演しているわけでなく、白黒の映画も放送されていた。
白黒ミュージカル映画もあり、タップダンスなどの踊るシーンは夢中で観ていた。
あの頃の気持ちに戻って、最初から最後まで懐かしいような感じだった。感情が高ぶりながら。

この映画は、有名なミュージカル映画のあるシーンをオマージュされていると映画評論家は言っていたが、この「LA LA LAND」のダンスシーンと同じようなものを有名でない映画でもたくさん観てきた。
だから、この映画を観ていると、子供の頃にワクワクしながら心が踊りながら感動していた時の気持ちが蘇ってきた。

ほんと、とても楽しい映画でした。
そういえば、日本の音楽も流れていましたね。



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ちょっと残念なのは、タップダンスを踊り始めるシーンかな。もう一工夫ほしかったと思うのは私だけでしょうが。

程度が悪く過度な「からかい」の行為が、 いじめだったと思う。
でも、今はどうだろうか?
犯罪行為では思われるもの「いじめ」とされているように感じる。
 
「いじめ」という言葉は、悪事を隠すには都合の良い言葉に思う。
学校などでは、教職員にとって、問題を大きくしなくって済むし、教育委員会も「いじめ」という分類をすることで、被害の程度を少なく見積もることができる。
また、マスメディアも、「いじめ」と使うことで、少年犯罪であるかもしれない事柄も、その行為を報道しても内容に問題を問われることはないだろう。
「いじめ」という言葉またはカテゴリーにすることで、問題の本質を見失い、問題から逃げやすくしているように思う。
「いじめ」の被害者は救済されなくなり、加害者はその罪の重さを知ることなく許されて、問題の深刻さを学ぶことなく大人に成長していく。
最近、事件を起こしている有名大学の学生や、医師の研修生の中には、そんな人が含まれているのではないだろか。犯罪の悪意を学ぶことなく育ったから、誰かを傷つけることが悪だとは感じなくなるように。


  「いじめ」                        「本質」
  仲間外れにする・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・差別
  蹴ったり殴ったりする・・・・・・・・・・・・・・・・・・・暴行や傷害
  脅したり脅威を与えていてお金を借りるものを奢らす・・・・・強盗
  日頃から恐怖心を与えておいてお金を借りるものを奢らす・・・恐喝 
  持ち物を隠す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・窃盗
  持ち物を傷つけたり落書きをする・・・・・・・・・・・・・・器物損壊


「いじめ」という言葉を使うことで、加害者が何をやったのかわかりにくくしている。
少年少女だとしても、行ったことが犯罪行為なら、犯罪として問題を解決しなければ、
被害者は救われないし、加害者も罪の重さを知って反省さえもできない。

福島から避難者の少年が、日頃からいじめを受けてきて、莫大な金額を奢らさせられていた。
「差別」され、「脅威」を与えられ、「拒否」することができないようにして、お金を使わせることを、「ゆすりたかり」だと思うが。
当初は、奢らされたことは「いじめ」でないとしていたのを、新たな真実が見つかったということもなく「いじめ」だったと変更された。
それは、罪の大きさでなく、世間の批判で変更したと言える。
つまり「いじめ」は、罪を問題にしているのでなく、「いじめ」と認定している人たちが自身を守るために必要な言葉だと思う。
「いじめ」とういう言葉は、被害者は救われないし、ましてや加害者も学ぶことができずに救われない。救われるのはそれに関わる大人だけだと思う。

第三者委員会なんてのを設けたら、公平な判断や問題が解決できるように思われるが、そうでないことが新聞報道からもわかる。誰がやっているのかわからない委員会であり、報告もされないものも少なくないのだから。

自分の子供が「いじめ」られると感じたら、学校に相談するのは無駄なことではないだろうか?
学校でなく、弁護士に相談して、犯罪行為だと思われるのならさっさと警察の相談または告発すればいい。
我が子を救う道は、教員に任せるのは無理だと思う。
教員もその方が救われるのではないだろか。
教員には、「いじめ」を犯罪行為だと認識するのは無理だし、そう感じても犯罪行為だと告発することができないのだから。

学校での「いじめ」という問題行為を、「いじめ」という言葉を使わずに問題を調査すれば、何が行われているのかはっきりするのではないだろうか。

そういえば、子供達に意見のなかには「いじめを受ける方も悪いとこがある」なんてのがあるが、
これは性犯罪者がよく使う「襲われた女性にも問題がある」という、自分の悪意を正当化しようとする身勝手な考え方だ。
こんな考え方をしている子供たちの将来は不安だ。
誰かを陥れたり、詐欺をしたり、傷つけたりと犯罪者になる要素を持ちながら育っていくのだから。

報道される「いじめ」から、「いじめ」という言葉を排除して読むと、何が問題になっているか、何が行われているのかまったく伝わってこないことがわかる。物事の本質を報道していないことが。



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