2005年10月09日

ナザレノ

第 三十一信
  洲崎(すのさき)海軍航空隊 「その二」

洲崎は「碕」・「埼」などの字を充てることもあり有名な
洲崎灯台」も、時には両方を使っています。

1968年8月  45歳
「館山ゴルフ場」で始めてプレーした時、遠いから一泊で、
両国から列車で館山まで。お盆だから空いていると思った
のですが予想以上に混んでいました。
想えば60年以上も前の昭和19年(1944)の秋、両国駅
から皆に送られて館山の「洲崎航空隊」へ入隊したのです。
偶然に友人を送りにきていた小学生時代の友人が、私に気が
ついて励まして送ってくれたそうです。「君は下を向いていて
淋しそうだった」と言われましたが、私は全く覚えていません。

 演習場は平砂浦という太平洋に面した白砂岩礁の海岸線に
沿った細長い砂地で、兵舎から約1時間歩きます。昼食は硬い
藁(ワラ)の茎で編んだ弁当を、黒色の風呂敷で肩にかけての
行軍・演習でした。
「前方左指2本の大きな岩を狙え」などの号令で走り難い砂浜
を駈けましたが、靴に細かい砂が入ってきて、走るのに随分と
苦労をしました。そこが今、ゴルフ場になっているのです。
その岩もありました。パートナーとはこんな思い出話ばかりを
してプレーをしました。

1972年10月  48歳
  また「館山カントリー」に行く機会があり前回は真夏で砂が
反射して暑くゴルフのプレーをするところではなく、バンカー
内でプレーをしているみたいでしたが、今度は芝が植えられて
いて安心してプレーが出来ました。それでもコースには思い出が
一杯です。ここはホテルと一緒になっていて宿泊可能で周囲の
景色がよく、今やリゾート地になっています。

  聞くところによると館山海軍航空隊でもどこでも、戦争中に、
そこで軍務に就いていた者が訪ねると歓迎してくれる、と言う
話を聞いていましたが、今回はゴルフのラフな恰好では相手に
失礼だし、こちらも気が引けるので止めました。

  その年の末に、洲崎航空隊から藤沢航空隊に移りました。
ここは駅の北側にあって歩いても10分足らずで近い。現在は
再びゴルフ場に戻っているそうで、ここも仲間から誘われまし
たが、気が進まないのでお断りをしました。

1972年10月
  鹿屋の航空隊も同様です。指宿の南にある池田湖に行った
時に、時間を作って訪問をと考えましたが、どうも悪い思い出
しか出てこないので、またの機会にしました。
 2〜3年前に、この基地の上空からの写真(俯瞰図)を見る
機会がありましたが、昔の面影は少しも残っていないのです。
もう60年以上も前ですから忘れたのもあり無理もありません。
現在ここは海上自衛隊の基地になっています。

1973年10月
  大分の航空隊でも同じでした。出張で行った時、戦前の飛行場
を見に行きたいと言ったら、跡は民間に払い下げられ「長島植物園」
になっているそうで、旧海軍に関するものは何もない。滑走路らし
いものが一本残っているだけで、飛行場は国東半島に新しく建設を
したとのことでした。

 こんな具合に、昔の思いでの地には何処も未だ行っていません。
果たして私が生きている内に行けるのか、どうか判りません。
「神のみぞ知る」ではないでしょうか?








Posted by yyy211kkk2111 at 15:01│Comments(0)