2005年10月10日

ナザレノ

 第 二十四信
    下山事件

1949年7月 (昭和24年) 25歳

 「下山事件」とは、当時の国鉄総裁だった下山定則氏が轢死された
事件のことです。『自殺か』『他殺か』で、大変揉めました。
 当時国鉄の人員整理が、労働組合の強い反発もあって中々進まず、
GHQ(アメリカ占領軍司令部)の強い意向があり、氏はその立場上、
大変苦しんでおられました。
  7月5日。出勤前に日本橋三越本店に買い物に行かれ車を待たせ、
そのまま夕方まで姿を見せず、大騒ぎになりました。そして深夜の
7月6日、常磐線の三河島駅近くで貨物列車に轢かれて死んでいる
のが発見され、「自殺」か「死後轢断=惨殺後の轢死」か、犯人も
単独か集団か、また日本人か、第三国人か、など裁判でも判定が定
まらず時効になりました。その日は、特に夜半からの大雨が判定を
困難にさせたと言われています。
  当時は「三鷹」「松川」とそして「下山」と三つの大きな事件は
何れも国鉄に関係したものばかりで、組合との交渉は騒然として
いました。下山氏は49歳でした。

  当時、私は独身で通産省に勤務中。その夜は日暮里近くで飲み、
急に雨が降ってきましたが傘の持ち合わせもなく、また当時は傘も
貴重品で「貸し傘」ナンテ無かった時代です。家(世田谷区用賀)
に帰るには遠いし仕方なく近くの旅館に一泊。家にはその旨を連絡
し、電話口に出た母を安心させて飲み明かしました。

それから約1ケ月ほど後のこと、役所に2人の私服警官が来ました。
何事かと思っていましたら、課長から「君に聞きたいことがある、
と言っているので、会うように」と言われ別室で会いました。
『7月5日の夜は何処に泊まりましたか。その目的は』などの
質問をされました。咄嗟には思い出すことが出来ずヤット思い出し
て「急に雨が降ってきたので暫く待ったが、なかなか止みそうも
なく、傘を持ってないのと、夜も遅くなったので近くの旅館に
泊まり、家には帰れないことを連絡した」と隠すこともなく
答えましたが、この時ほど警察の調査が「誰が泊まったか」と
周辺の宿屋(ホテルなんて無かった時代)の総てを調べ歩いて
いるとは知らず、それを聞いて恐ろしさにビックリしました。
特高警察の流れが警察内にあったのかも知れません。結局、
真犯人は見付からず時効になりました。




Posted by yyy211kkk2111 at 10:20│Comments(0)