2005年03月31日

ナザレノ

 第 八信                 

 『取調室』

 

1973年(49歳)の34日は春先の突風が        

吹き荒れる晩でした。ソニービルの壁面に取り       

付ける宣伝用の看板が工事中に風に煽られて        

落ちる事故が起こりました。このスペースは        

展示内容によっては貸していたので、某広告        

代理店に一週間貸す約束をし、当日の朝から         

工事に取り掛かっていた時でした。夜の9

半過ぎになっても上手く壁に取り付かず苦心

していた時に、突風が吹いてきて畳10枚ほど

の大きさの看板が落ちてきたのです。運悪く

その前を通っていた10人近くの方が負傷され、

その中の4人の方が救急車で運ばれました。

ビルの責任者は私です。他所での用件が

終わってビルに戻ってきた時でした。マサカ

看板が落ちるナンテ予想もしていなかったのです。

と申すのは、工事一切は広告代理店に任せていた

からで、当方には道義的責任はあっても事故に

ついてはノータッチだからです。この報せを

聞いて近くにおられた本社の役員が飛んで来て

「シッカリするんだ。キチント応対することだよ」

と励して貰い、「地獄に仏」とはこのことか、

と、落ち着きも取り戻しました。

すぐに警官が来て、工事の責任者からアレコレ

聞いていましたが、それが終わると私のところへ

来て「一緒に署まで来て下さい」と言うので、

工事の契約書などを持ってパトカーに乗りました。

始めてです。サイレンの音でタクシーなどは止まる

か、道を開けるので、ものの5分とかからないで

築地警察署に着きました。署へ入ると顔見知りの

交通課の署員から「ソニーさん、どうしたのです

か?」と不審そうな声を掛けられましたが、何と

答えたのか忘れてしまいました。2階の警備課は

始めてで、椅子にでも座らせてくれると思ったが、

スグに階下の「取調室」と書かれた部屋に入れら

れました。窓は勿論、入口の扉も鉄格子が嵌まっ

っていて、その引戸は開閉の度にゴロゴロと大きな

音がするようになっています。逃亡を防ぐ意味が

あるのでしょうがガランドウの3畳程の部屋には

机が一つと折り畳み椅子が二脚だけ。何か聞かれ

ると思って待つのですが、なかなか来ないので

シビレを切らしてしまう。早く帰してほしいと

告げる相手もいない。30分は充分に待たされたと

思う。ヤット来た。こちらは契約書に基づいての

賃貸しのため、それらを見せ説明すると判って

くれて無罪放免となった。ヤレヤレと安心する。

 

「今から帰るので、来た時と同様にパトカーに

乗せて送って下さい」と言ったら、「車は緊急出動

のためで個人の送迎には使えません。歩いて帰って

下さい」と、もう用は済んだ・・・とのつれない

返事。致し方なく真夜中の銀座の街を一人、トボ

トボと皆が心配して待っているビルへ帰りました。

帰るその途中で思ったことは、「取調室に長く置け

ば、その間に少しでも反省するのでは」の意味が

あると思いました。でも、もう二度と、あんな

ところには入りたくないです。

半年後、警察から電話で「チョット来て下さい」

と。何事か、未解決かと気にしながら行ったら、

「領置物件を帰します」とのこと。見れば当時

預けた契約書でした。こちらは「怪我人は入・

退院と、その後の就職まで広告代理店が充分

過ぎるほどお世話をしているのだから、もう

解決したのも同然」と思っていた頃に再び

警察に呼び出されたので、「驚ろかさないで

下さい」と言いたい思いでした。

20007月(78歳)

この時の広告代理店とは『博報堂』で、

担当者は伊藤哲郎さん。伊藤さんからは、その後

2000年の夏『元気に百歳クラブ』の機関紙発行

のことでインタービューを受け、更に「縁」が

深まりました。まことに『人生はご縁』で、

『縁の深さ』に驚いています。

小才は縁に出会って縁に気づかず。

中才は縁に気づいて縁を生かさず。

大才は袖摺り合う縁をも生かす。


斎藤 さま
  何回も送って煩わしいと思いますが、お許し下さい。
  まだ、安定してないようです。
  これも果たして上手く着信しましたか?
Posted by yyy211kkk212121 at 12:12│Comments(1)TrackBack(0)

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この記事へのコメント
久しぶりに百歳クラブのホームページを開いたら、リレートークが再開されていて、賀田さんの投稿が目にとまりました。
賀田さんとのご縁は、ソニービル事故が無ければありえなかったことなのですが、私は当時博報堂の広報室に勤務していた関係で、事故のレポートをソニー企業の賀田さんと、クライアントの日本高速フェリーに、事故後1年ほどの間、殆ど毎日届けていました。
事故アフターケアが終了してからも、賀田さんとはお付き合いが続きました。百歳クラブ立ち上げのとき、代表の鈴木将夫さんから、誰か適任の人を取材するようにといわれて直ぐ思いついたのは、賀田さんのことでした。
縁というものは本当に不思議なものですが、それを大切にすることによって、人脈も拡がり、人生を豊かにしていくことになると思います。
Posted by 伊藤 哲郎 at 2005年05月20日 15:10