2008年12月12日

在るべきもので創られる社会

今まで「在るべきもの」が現実に創られてきませんでした。

わたしたちは、此処に在るべきものが現実に創られてこなかったために、幸せを、多くの人が感じることができませんでした。


この地球上を見回してください。
この地球上に「在るといいもの」を考えたとき、あなたは何を思い浮かべますか。

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yyyyohko at 00:00|PerlmalinkComments(22)TrackBack(0)clip!未来 | 創造

2008年07月11日

can show you the world

 

A Whole New World

http://jp.youtube.com/watch?v=AXrY3zinxgM

I can show you the world
Shining, shimmering, splendid
Tell me, princess, now when did
You last let your heart decide?

I can open your eyes
Take you wonder by wonder
Over, sideways and under
On a magic carpet ride

A whole new world
A new fantastic point of view
No one to tell us no
Or where to go
Or say we're only dreaming

A whole new world
A dazzling place I never knew
But when I'm way up here
It's crystal clear
That now I'm in a whole new world with you
Now I'm in a whole new world with you

Unbelievable sights
Indescribable feeling
Soaring, tumbling, freewheeling
Through an endless diamond sky

A whole new world
Don't you dare close your eyes
A hundred thousand things to see
Hold your breath - it gets better
I'm like a shooting star
I've come so far
I can't go back to where I used to be

A whole new world
Every turn a surprise
With new horizons to pursue
Every moment red-letter
I'll chase them anywhere
There's time to spare
Let me share this whole new world with you

A whole new world
That's where we'll be
A thrilling chase
A wondrous place
For you and me

 

あなたに世界中を見せてあげましょう
輝き ゆらめく 素晴らしい世界を
教えて下さい お姫さま
自分で心を決めたのは 何時が最後なのですか
あなたの目を開かせてあげますよ
不思議の世界へ連れていってあげます
どのような飛び方でもできるんですよ
魔法の絨毯に乗れば

全く新しい世界へ
見たこともないような 素晴らしい世界へ
誰にも邪魔はできないんですよ たとえどこへいったとしても
僕らはただ 夢を見ているのではないんですよ

全く新しい世界へ 全く知らなかった 輝いている世界へ
こんなに高いところから見下ろしてみると
はっきりとわかるのよ 私は今あなたと 全く新しい世界にいるのね

信じられないような光景 言葉にできないほど 素晴らしい気分
舞い上がって 宙返り ぐるぐる回って
終わりのない ダイヤモンドのような空

全てが新しい世界へ なんで目を閉じたりするんですか
見なきゃいけないものは たくさんあるんですよ
息を止めてみて下さい もっと素敵に見えますよ

まるで流れ星になったみたい もうこんなに遠くまで来てしまって
元の世界になんて もう戻れないわ

全く新しい世界へ
新しい地平線を 追いかけていきましょう
どこまででも 追いかけていきましょうよ
時間なら いくらでもあるんだから
この全く新しい世界に いさせてほしいんです
あなたと私と一緒になって

全く新しい世界へ 見たこともないような世界へ
見たこともないような 素晴らしい世界へ

誰にも邪魔はできないんですよ
たとえどこへいったとしても
私達はただ 夢を見ているのではないんですね

何もかもが新しい世界へ 何もかも驚くことばかり
どこまでも 新しい地平線を 追いかけていきましょう
何もかも 記念すべき瞬間なの

どこまででも 追いかけていきましょうよ
時間なら いくらでもあるんだから どこまででも
いつまででも あなたと私と一緒になって
この全く新しい世界に いさせてほしいんです

何もかもが新しい世界へ そんな世界へ行きましょう
わくわくしながら追いかけてゆく 私とあなたのための
素晴らしい世界へ



yyyyohko at 18:12|PerlmalinkComments(0)TrackBack(0)clip!音楽 | 

2007年12月27日

For All I Know

 

For All We Know
THE CARPENTERS
Written by Frec Karlin,Robb Wilson & Arthur Jametronly tAnd love may grow

Love, look at the two of us

Strangers in many ways

Weve got a lifetime to share

So much to say and as we go on from day to day

Ill feel you close to me

But time alone will tell

Lets take a lifetime to say

I knew you well

For only time will tell us so

And love may grow for all we know


Love, look at the two of us

Strangers in many ways

Lets take a lifetime to say

I know you well

But only time will tell us so

And love may grow for all we know


http://ww3.enjoy.ne.jp/~oyf/forallweknow.htm

 

「互いに活かし合う存在の仕方をします。」

というと、すぐさま繋がる人がいます。

その人とは、まだ未知の出会いなのですが、

大切な人なのだと、分かります。

自分に自信がなくなり迷うと、

それでは「活かし合う存在の仕方をします。」と言ってみます。

そうすると、やはりすぐに強く繋がっていきますので、

その方を大切にしようと、あらためて知ることになります。



yyyyohko at 10:39|PerlmalinkComments(0)clip!生かし合う | 交流

2007年09月09日

国連平和の日「セレブレーション・コンサート」においでください

みなさん、お久しぶりです。

ここのところ、とても忙しくしていました。
昨日山の畑へ、そばの様子を見に行ってきました。早朝にもかかわらず、台風の影響で、気温は30度を超えていました。

少し作業をしただけで、立ちくらみ・・・ふらふらでした。
作業のあと、汗を流しに山の温泉へいきました。
緑をながめて、陽を浴びながらの温泉は、とても気持ちいいです。

 

ところで、楽しいコンサートのお知らせです。

このコンサートは、平和省プロジェクトJUMPが、「第三回平和省地球会議」の開催を祝って、企画しています。

コンサートの日は、国連平和の日でもあります。

コンサート会場は、千葉木更津のアカデミアホール。
このホールは、国際会議場のある施設の中で、素敵なコンサートになりそうです。

東京駅八重図口から、アクシー号というアカデミアパーク玄関前に到着するバス(1時間)があります。
当日は、混雑が予想されるので、バスは予約する方が確実です。

東京駅−かずさアーク高速バス”アクシー号”予約情報サイトhttp://www.kap.co.jp/arc/access/yoyaku_axy.html

 

「セレブレーション・コンサート」へ、ぜひおいでくださいね。

以下、転送・転載歓迎。

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    平和省地球会議 セレブレーション・コンサート♪ 

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 「平和省」への動き。それはアメリカとイギリスで市民の切実な願い
から生まれ、世界各地に広がっています。
 2005年、イギリスで第1回国際平和省会議が開かれ、翌年2006年
の国際会議で「平和省グローバルアライアンス」が誕生しました。今では
20カ国以上がメンバーとして参加しています。
 そして、2007年9月に第3回目の「平和省地球会議」が日本で開かれま
す。それを祝してコンサートを開催いたします。
 すばらしい音楽を楽しみ、平和省創設に力を尽くす世界の人びとに直接
接するまたとないチャンスです。ふるってご参加ください。


■日時:2007年9月21日(金) 18:30開演(18:00開場)21:00終演予定
    ※この日は、国際平和デー(国連提唱)でもあります。

■場所:かずさアカデミアパーク メインホール
    http://www.kap.co.jp/
    *東京からのアクセスは東京駅八重洲南口から高速バス
      「アクシー号」(安房鴨川行き)で、「かずさアーク」下車、
      1600円、目の前です。予約制:0120-889-055

■プログラム:
 ・池辺幸恵 ピアノソロ
 ・関東ひびき太鼓
 ・平和省グローバル・アライアンスのセレモニー
 ・Yae 歌
 ・金子飛鳥 ヴァイオリン
 
 プロフィールほか詳細:http://ministryofpeace.jp
            (ここからチラシのダウンロードもできます)

■主催:「平和省プロジェクトJUMP」&「平和省グローバル・アライアンス」

■チケット代:前売り1500円、当日2000円 
       (学割500円引き、要学生証提示)
       *小学生以下は無料。
        (託児施設はありません)

  チケットは、木更津元気力発電所(tel:0438-25-5530)及び、チケット
  ぴあ(コンビニ)で発売中!Pコード:553-207

  ※9月20日までメールでもチケットのお申込ができます。件名を
     「コンサート・チケット」として、以下のアドレスにチケット枚数、
      ご住所、氏名、電話番号をお知らせ下さい。当日、受付にて代金と
      引き換え(前売り代金)でチケットをお渡しします。
     concert@ministryofpeace.jp


■ブース出展:
  当日1000円でNGO・平和関連のブースの出展もできます。700人
 が入る素晴らしいホールでの平和の祭典です。希望者は必ず「ブース
 出展希望」のタイトルで下記アドレスに出展内容と連絡先をお知らせ
 ください。 info@ministryofpeace.jp
 (2人目からは前売りチケットをお買い求めください)。

★「平和省」とは?
  家庭内暴力から国際紛争にいたるまで、あらゆる争いごとを解決する
  ための方法を提案・推進する政府機関です。それは単なる夢物語では
  ありません。ネパールとソロモン諸島にはすでに存在し、コスタリカでも
  間もなくできる見込みです。

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yyyyohko at 05:08|PerlmalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2007年05月21日

「山楽耕」

自然農で野菜作りをしているすごい人がいるというので、「自然農食」のみなさんと見学に行きました。

里山の谷間に開かれた土地には、鶯が鳴いています。
谷間をたくさんの燕が行きかいます。
ここは盆地のようになっているので、風が穏やかです。
桜と竹林もありました。

畑を見学させていただきながら、話をお聞きします。

畑の土はさくさくとやわらかく、1メートルくらいの棒が簡単に突き通せるやわらかさでした。
野菜畑には雑草が生えていますが、雑草を抜いてはいけないということです。
「雑草を抜いてしまうと、土地は裸の状態になって太陽が照付けてしまう。
人間も洋服を着て体を守っているでしょう。それと同じで土地も丸裸にしてはいけない。」と話されます。

そして「草がサラダ菜や春菊などの苗におおいいかぶさるように茂ってしまうところだけ、雑草を横に折って寝かせてやるのだ。」とおっしゃいます。
すると草は枯れても土地をおおって水分の蒸発を防いだり、そこから微生物が繁殖して土地の栄養分になってくれるのだそうです。
そして地中に取り残された枯れた根はこれも大事なもので、根はやはり微生物の分解によって土の栄養となります。根が枯れたところの空洞が空気の通り道になったり、毛細管現象で水分の通り道になるのだそうです。

ですから雑草は抜いてはいけないのだそうです。
そうすることで、農薬も肥料も使わない、自然の濃い味のする野菜を手にすることができます。
畑の野菜をその場でおって食べさせてもらいましたが、どれもしっかりした濃い味でした。この野菜を食べたら市販の野菜は水っぽく感じるかもしれません。

また畑を耕す時は、虫の逃げ場となる草地を残しておくのだそうです。
蜘蛛やカマキリが野菜につく虫を食べてくれるのだそうです。ですから、キャベツに虫がついていても手で取ったりなどせず、そのままにしておくそうです。

「キャベツについた虫を人間が殺してしまうと、虫は食べ物がないので、畑からいなくなってしまうでしょう。」というのです。
「畑に蜘蛛が来るようになったら、本物だ。蜘蛛がきたら大喜びしなさい。」とおっしゃってました。

 

こちらの畑は開墾を少しづつして、心に病のある人が癒しに来れるようなところにしたいと話されていました。
畑をぬける道の両脇にブルーベリーを植えてあります。畑の道を通りながら、実をつまんだりして、ゆったりと心を癒してもらえるよな所にしたいのだそうです。
ツバメの飛び交う谷への道にも、山つつじを植えてあります。菖蒲の花も植えてあります。
ミョウガや、ウドといった植えっぱなしで差し支えのないものとともに。

この畑をめぐると、いろいろなものを発見しながら散策することができて、本当に楽しいのです。

「山楽耕」
ここをそう名づけて、誰でも受け入れてくださる建物をつくっておられます。
こちらへは週末に来て農作業をするのだそうです。
それだけで、こんなに素晴らしい暮らしの場ができるのですね。
そしてそんなところを多くの方々を迎え入れるところとして、提供してくださっています。

そこで今日とれた山菜のてんぷらや、たけのこやふきの煮物、野草や野菜料理の数々をご馳走になりました。
温もりのある素敵なご夫婦でした。

百聞は一見にしかず。
見せていただいたことで、味わったことで、本当に多くのことを受け取らせていただきました。



yyyyohko at 13:21|PerlmalinkComments(6)TrackBack(0)clip!自然 | 循環

2007年05月12日

自然農食

今日はありがたいことに、思いがけず良いお土産をもらいました。

先日もブログに紹介したNPO自然農食みやぎのみなさんと、筍堀りにいってきました。そして竹林と梅林の手入れをしました。

ここは春早い頃から鶯が鳴いている桃源郷のようなところです。
自然農食の理事さんの一人が村の人から竹林と梅林を借りて、面倒を見てくださっているところ。
空は晴れ渡り、空気がやわらかく感じられます。

自然農食のみなさんは働き者ばかりでなく、穏やかで暖かい人たちの集まりですので、一緒に働いていて気持ちがいいのです。
朝早くから畑に来た人もおられて、今日は100本くらいの筍が取れました。

その後、竹林と梅林の手入れをしました。
一緒に働いていた理事さんのお一人が、竹を切って青竹踏みを作ってくださいました。

今日はお土産がいっぱいです。
筍、ふき、こごみ、せり、そして山に湧き出る天然水と青竹踏み。
みんなで全てを均等分け合うというのが、この会のやり方です。

家に帰って、ふきや筍の煮ものと、こごみの和え物で夕食にしました。
山仕事で足が疲れましたが、思いがけず青竹踏みで気持ちよくなりました。

みなさま、今日はありがとうございました。



yyyyohko at 21:22|PerlmalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2007年05月02日

着物な暮らし

久しぶりに着物を出して、一日着物で過ごしました。
ウールの矢絣の着物ですが、和裁をやっていた伯母の心遣いで、襦袢に工夫が凝らしてあります。

この着物を仕立ててもらったとき、伯母が襦袢に紐をつけるようにいろいろと母に話していた時のようすを思い返しました。
この襦袢には、襟を抜くための紐が背につけてあり、前を併せるための紐がつけてあります。
この襦袢で着ると、コーリンベルトも伊達締めもしなくてきちんと着ることができ、締め付けられるようなこともまったくありませんし、長い時間たっても着崩れることもありませんでした。
ゆったりと布に包まれてくつろぐ感じなのです。

いまさらながら伯母の心遣いに感謝しきりです。

着物は折り目が合って初めて綺麗に着ることができるので、たたむ時の始末が、折り目を正しくすることになります。
毎日の生活の中で着物を着、着物をしまうことで、日々折り目正しく暮らすことになるのですね。
左右対象の機能的な着物を見ながら、優れものだと感心しました。

日本の製品がきちんと規格に沿って管理され製造される美しさは、このような着物文化の伝統的な感覚から培われていったのでしょう。

日本人に備わっている感性を探りはじめると、興味深い発見につながることになりますね。



yyyyohko at 15:35|PerlmalinkComments(0)TrackBack(0)clip!独自性 | 感謝

2007年05月01日

今年の春の酵素

春の酵素つくりの季節です。

今年は野遊びの好きな方と知り合いになったので、一緒に山へ野草を摘みに行くことになりました。
昨年も春の酵素つくりを一緒にした友人も誘い、春の野山へ酵素つくりに出かけました。

山の朝は寒いです。
ウインドブレーカーを着て、まだ朝露にぬれている草を摘みました。
今は土筆がスギナになるところの境目で、かわいらしいスギナです。

ここはゲンノショウコもたくさんあります。アザミも入れることにしました。タンポポは根まで入れることにしました。セリも入れました。椎茸は山に自生しているものでした。昨年とちがうところはそんなところでしょうか。

おいしい田舎そばも食べてきました。ざるそばに2品ほど小鉢が付いて650円はよかったです。

家に帰ってから、うちにはえているドクダミも入れました。
毎日酵素を混ぜる時、混ぜた手がすべすべになります。今年は黒砂糖で作っているので、いっそうスルスルしています。

また2週間位したらその頃に出てくる野草やさくら、イチョウなどを入れることにしたいと思います。
今年の春の酵素は出来上がりが一段と楽しみです。



yyyyohko at 12:29|PerlmalinkComments(2)TrackBack(0)clip!自然 | 健康

2007年03月17日

自分の尊厳

前回の記事で現実がいくら愚行を続けるからといって、自分の意識をそちらの方へと引きずられていくことはやめておきましょう。意識を正常に高めて行く作業を続ける事が懸命と思います。

 

創造性を取り戻すことは、自分の中にある神性とのつながりを回復することだと分かってきました。

体験して学ぶことで、自分の価値観を高めることによってでしようか。
自己統制力は、自分と神性との結合をアップするようなものなのでしょう。

その作業を通して、そもそも自分の中には良心というものがあり、それは誰もが持っている性質だったとわかりました。人は、根本創造主の片鱗でもあるということにつながっていくと思います。
そのような意識と自分自身の意識とは、そもそも一つのものであったと知ることにつながっていくと思います。

 

「自分をよく観ること」を繰り返し行うことは、自分の尊厳とのめぐり合いなのですね。

本物の自分を知る喜びへ向かって、さらに進んでいきたいと思います。
偽の感情に振り回されることからはなれて、本当の自分を知りたいと思います。

幸せになるために。



yyyyohko at 17:46|PerlmalinkComments(7)TrackBack(0)clip! | 未来

2007年03月16日

「国民を引きずっていくことができる」のか!

平和省プロジェクトのメーリングリストで、「15日に、自民党案を日本国憲法調査特別委員会で強行採決する見通し」と、前日に連絡を受けました。

15日NHKニュースで、強行採決されたと知りました。
ほんの小さな扱いで、気が付いた人は幾人いたでしょうか。

都知事選と北陸電力原発事故の報告せずと西部ライオンズの早大生不正現金授受のあとで、ほんの1分ほどのニュースでした。

委員会の開始1分で強行採決するらしいというメールどおりだったことを、ブログ「日本がアブナイ」さんのところでよんだので、皆さんも知っていてください。
http://mewrun7.exblog.jp/d2007-03-16

衆議院TVのビデオライブラリーで3月15日をクリックしてください。委員会で強引に採決する様子が見られます。(始めの10分くらいは会場を写しているだけです 早送りがおすすめ
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.cfm

 

安倍政権になってから、何回目の強行採決が繰り返されたことでしょうか。


国民の大多数が知らない間に、現実が作りかえられていく。戦前の「いつか来た道」をたどってはいないでしょうか。
関心を向けましょう。

ナチスドイツゲーリングの「しかし、結局のところ、政策を決定するのは指導者なのであり、人々を引きずっていくのはつねに簡単なことだ。」という言葉を思い出しますね。
彼の言葉から、多くのことを学ばねばなりません。対立構造を作り出す愚さを繰り返さないために。



再掲 
ナチスドイツナンバー2、ニュルンベルク裁判における証言から
ヘルマン・ゲーリング

『もちろん国民は戦争を欲しない。田舎の薄のろ百姓連中が、戦争で得られるものと言えば、せいぜい一張羅で畑に戻ってこられることだというに、戦争に生命を賭けたいなどと思うはずがない。
普通の人間たちが戦争を望まないのはあたりまえだ。ロシアでも、イギリスでも、その点については我がドイツでも変わらない。それはよくわかる。

しかし、結局のところ、政策を決定するのは指導者なのであり、人々を引きずっていくのはつねに簡単なことだ。民主主義であろうと、ファシスト独裁であろうと、議会制であろうと、あるいはまた共産主義独裁であっても。

声を上げるか無言かに関わりなくつねに、国民を指導者の命令に服させることができる。容易なことだ。国民には、攻撃を受けていると言ってやり、平和工作者たちは愛国心が欠けていて国家を危険にさらしていると非難しさえすればいい。いかなる国でも同様に、これでうまくいく。』(ヘルマン・ゲーリング)

 

◇「愛国心」 2006.5.13
http://blog.livedoor.jp/yyyyohko/archives/2006-05.html#20060513

◇「憲法調査特別委員会・抗議の中で公聴会強行採決」保坂展人どこどこ日記
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/d/20070315

 



2007年03月13日

平和について 知って感じて癒されよう

♪ ♪転♪送♪ ♪  「お知らせ」  ♪ ♪歓♪迎♪ ♪ 

平和省プロジェクトJUMPのメッセンジャーとしてお伝えします。

4月1日に、きくちゆみさん、森田玄さん、上村雄彦さん、中川英明さん&春野さん、石塚ともさんをスピーカーに招き、報告セミナーが開かれます。

ケニア、スイス、アメリカ&コスタリカ、日本から、「力に頼らずに争いごとを解決する」取り組みについてとっておきのお話が聞けます。

もともとプロジェクトの内々の会として計画されたものですが、メンバーの独り占めではもったいないので、ちょっとだけお誘いの輪を広げることにしました。

プログラム詳細はまだ決まっていないのですが、すでに3週間前になりましたので、まずは場所と日程、そしてプログラム概略をお知らせします。

【報告セミナー:平和について知って感じて癒されよう】

日時:4月1日(日)14:00−18:00
場所:キャンパス・イノベーションセンター(田町)5階509
        <アクセス>
        JR山手線・京浜東北線 田町駅下車東口徒歩1分
        http://www.ccr.chiba-u.jp/forum/tamachi_l.jpg
       (JR田町駅東口右の階段を降りて右側の建物)

主催:平和省プロジェクトJUMP

プログラム(予定)
1)石塚とも「レシピの力で平和を加速」
2)上村雄彦「世界社会フォーラムinケニア」
3)中川英明&中川春野
  「非暴力コミュニケーション・セミナー」
4)きくちゆみ
  「全米平和省会議とコスタリカのピースアーミー法」
5)森田玄「ホオポノポノ:ハワイ先住民の知恵」

参加料として、1000円(JUMPメンバー500円)が検討されていますが、
希望者全員に、5〜10分間のリンパ・フロー・マッサージがつきます
ので、どうぞご期待ください。

「知る」「感じる」「癒される」

3拍子そろった楽しい報告会になると思います。

会場の都合がありますので、参加希望の方は、できれば事前に
ご連絡ください。

info@ministryofpeace.jp
(平和省プロジェクト事務局)

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ここまで ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 



2007年03月11日

自然農と自然食で循環する生き方

みなさま、おひさしぶりです。

この間、楽しく忙しくしていました。
書く時間が取れないほどに、現実は展開していきますし、新しい出会いの連続でした。

10日に、NPO「自然農食みやぎ」の看板を畑に立てに行ってきました。
これは市民による日本初の新しい試みとして、今注目を集めています。

市民自らが、「健康」と「自然環境保全」と「耕作放棄問題」をコラボレートし、自然の循環の中で生きる喜びをもつという行動です。
宮城大学事業構想学部天明茂先生を中心に、市民の想いの中から構想が練られていきました。

トヨタ自動車が後援協賛しているほか、

あの「奇跡のりんご」の青森の木村秋則さんと、「千島学説」の森下先生が特別顧問です。

そして10日は、360日は日本中を講演して回っている、整体で健康を取り戻す静岡の曽根先生もおいでになりました。

あ〜〜、なんてすごい展開を作り出しているのでしょう。

この第1号の畑で、ただいま会員を募集しています。

NPO法人『自然農食みやぎ』HP
http://heartland.geocities.jp/shizennousyokumiyagi/

この運動は広島に飛び火し、盛り上がっているそうです。


天明教授の最終講演が13日にあります。おいでになりませんか。
http://www.myu.ac.jp/news/tenmyos.html



2007年02月01日

他者もわたしも幸せになるために その2

昨日友人と話しているうちに、人の持つ性質についての話になりました。

人それぞれの価値観ではありますが、もともと、闘うことを好む人がいます。
人と人との関係を、闘うことで作り上げている人たちです。

 

組織の中で、闘うことを好む人がいました。
その方の主義主張がタイトなもので、他者の見解を受け取れずに、拒否して怒り出してしまうということがありました。

他者への理解をもたないことで、組織の活動の方向性が、調和的にまとまらなくなってしまい、みんなを不安に陥れてしまいました。
残念なことに、その組織は解散することになりました。

 

他者との関係の結び方に、それぞれの人のやり方や、習慣、そして癖があります。

その闘うことを好む人を観察してみると、
敵と味方に分けて、人を判断していたり、自分と意見が違う人に対し排他的になっています。
人を批判することで、自分の意見の正しさを証明しようとします。

その人は、味方と思える人には穏やかな話し方をするのですが、一旦意見が違うとなると激しい口調に変わるので、周りの人は驚いてしまいました。

 

考え方に違いがあるのは、あたりまえのことです。

お互いを成り立たせるために、この組織を成り立たせるために、活かしていくための行動は、どう在るべきなのでしょう。

協調していくための、心構えとは、どう在ることなのでしょう。



2007年01月31日

他者もわたしも幸せになるために

他者の幸せが、羨ましくなるということがあるようで、
幸せな人を、つぶそうとする人を見かけることがあります。

悲しいことですが、そんな人は、どこまで行っても幸せになれない人でしょう。

 

他者が「幸せだ」という時、わたしは嬉しくなります。

「その人が幸せだということ」で、しみじみと嬉しい気持ちがわたしの中から湧き出てきます。

人の幸せを喜べるわたしでよかったです。

 

だからわたしは、幸せなのでしょう。

平穏 静かさの中で、生きていけるから。

 

ありがとうございます。

 

 

 



2007年01月16日

変容

自分自身の心からの気づきは、実際の生活の中で、自分が変容するまで、続けて、完了させていきたいと思います。

 

『変容する』ということを、強く意識するようになったのは、実は随分前のことです。

小学校の先生方向けに開かれる、公開授業研究会でのことでした。
私は国語の授業に興味を持っていましたので、ある機会に参加をさせていただきました。

国語の授業で本を読みすすめていく中で、子どもが登場人物の心について想像力を働かせ、自分の意見を述べていくのですが、

研究会の中では、子どもが、一緒に学ぶ仲間と意見を述べ合わせていくうちに、それを自分の中で、自分の考えと比べたり取り入れたりしていきながら、
「子どもがどのように変容していったか。」ということが、授業の中で問われていきます。

価値観や人生観の、「変容がおこる」ということが問われているのだと思います。

変容がどのように起こっていくかが大変興味深くて、その後もたくさんの国語の授業研究会に参加させてもらいました。

 

そしてまもなくスクールカウンセラーという仕事をするために学ぶ時にも、やはり「変容する」ということがありました。

カウンセリングの中で人の『変容』は起きるのですが、それは本当に素晴らしい出来事です。

それは、カウンセリングの醍醐味です。
変容するのは、相談者自身の力によって起きていくものなのですが、
その場に立ち会っていく喜びというのが、カウンセラーの大変な喜びでもありました。

人はこんなにも変われるものか、ということを知っていきました。
今度は、それを、自分自身にも起こしていきたいと思っています。



yyyyohko at 09:30|PerlmalinkComments(2)TrackBack(0)clip! | 創造

2007年01月11日

変化

世界がものすごい速さで変化していると思います。
一年前と今では、相当違ってきたと思います。

このような流れは、今年はもっと激しくなるかもしれないと思います。

 

できればこの流れを、正常な流れへと変化させていきたいですね。

 

お正月は穏やかな晴天に恵まれましたが、その後一転し暴風雨と化しました。
大きなボタン雪も降りました。

その雪の中を歩きながら、どこかで楽しいでいるわたしがいました。

「もう、変化しなければならない。」と、はっきり自覚をするように。

 

もう何度も耳にする言葉でさえ、確かにその意味を知っているかは、また別のことです。

自分自身も、物事も、深く洞察しながら進みたいと思います。

 

いつもおいでくださるみなさま、ありがとうございます。



2006年12月27日

心からの気づき

「自分は、大丈夫だ」と思っている。

案外そうなのかもしれません。
知らないから、気づいていないから、大丈夫のように思っているか、
自分は知っているから、大丈夫と思っているか、そのどちらかなのでしょう。

知っていると思っている人の中のいったいどれ程の人が、本当の気付きがあるというのでしょうか。

 

例えば、聖書や経典からのメッセージを受け取って、自分たちの宗派こそは、本当のことを知っているから、自分たちこそ選ばれた人々で、それ以外の人は邪悪で、世紀末に神から見放されると思っているらしいのですが、とんでもない思い違いをしていると思います。

聖書や経典を隅から隅まで読んで、いくら勉強したところで、心からの本当の気付きを持たないのでは、創造主の本へ還ってまた一からでしょう。

聖書や経典を持たない人でも、何らかのきっかけを紡いでいき、誠実に自分を育てている人は、みんなの幸せ(至福の世)を創る人たちでしょう。

そして、スピリチュアルなものの情報がここ数年世間に多くありますが、アセンションを知っていて、ワークを受けたからといって、自分は大丈夫だと思っているとしたら、とんでもないことだと思います。

 

謙虚に誠実に自分を育てることなしでは、どんな情報を知っていても、どんなワークや洗礼を受けていても、みんなの幸せ(至福の世)を創る世界には行かないのだと分かっていないと・・・・・。

思い、言葉、行為が一体だということを、肝に銘じておきたいと思います。

思いの中で人を傷つけたり、言葉で人を傷つけたりしているとしたら、傷つける行為をしているのと同じなのだから。

自分の「思い」、「言葉」、「行為」を誠実に育てていくことで、みんなの幸せ(至福の世)は創られていくのでしょうから。

 

自分を本当に大切だと思うなら、「心からの気付きを自分に与える」と思っていましょうね。



yyyyohko at 13:52|PerlmalinkComments(10)TrackBack(1)clip!与える | 大切

2006年12月24日

宗教と国際政治

今日はクリスマスイブです。

日本人てなんでも取り入れて日本流にして楽しむところがありますね。それが商業主義にのせられた物だったとしても、楽しむことにおいては、才能があります。

うちでもクリスマスケーキとチキンで、クリスマスを型どおりに味わいます。

 

今日がクリスマスだということもあって、宗教と国際政治について興味深い話を・・・。

日本人は、そもそも多神教だし、無宗教の人も多いし、その時々で神道も仏教もキリスト教も、年中行事の中に取り入れながら暮らしています。しかし宗教の教義については無頓着ですね。

でも驚くほど世界中では「宗教的な考えに基づいて暮らしている人」が、多いようです。

 

ヨーロッパ諸国や北アメリカに暮らす人は、キリスト教徒です。
アラブ諸国からアジアの一部はイスラム教徒です。
キリスト教とイスラム教は同じところから出ているんだけれども、自分たちの方が善い宗教だというので、対立しているそうなんだけれど・・・・。そこにユダヤ教徒というイスラエルの国があることで、複雑になっているわけなのですが・・・。

ユダヤ教からキリスト教が生まれ、その二つの宗教からからイスラム教が生まれました。

一神教同士の争いは昔から繰り返されています。その対立を口実にイラク戦争は起こりました。今もイラクで続いていて激しさが増しているのは、聖書などに記されていることが大元になっていると、国際政治を読み解いている人がたくさんいます。

聖書や聖典には、「世紀末に争いが起こり、混乱で世の中が乱れ、その後に聖者(キリストなど)が来臨し、至福の世の中になる」というものです。その教えは三つの宗教ともに共通しているものです。

その再臨を早めるために、核戦争も辞さないような混乱を起こして再臨を早めたいと願っている宗教信奉者が、キリスト教原理主義者や、ユダヤ教ネオコンや、イスラム教原理主義者に共通したものだというのです。
イラクの戦争状態のような混乱は、再臨を速める状態を作り出しているのだから、歓迎するという感覚を持っているのだそうです。キリスト教原理主義者は、武器の使用を歓迎しているのだというのです。

 

アメリカで、キリスト教原理主義者とユダヤ教ネオコンが政治の中枢に多く関わっていて、戦争を煽り立てる軍事産業政治を好む理由がこうしたところにもあるのだそうです。驚きです。

キリストは、「隣人を愛せよ。」とか、「右の頬を打たれたら、左の頬も出しなさい。」と説いたと思っている日本人からみたら、とんでもないことなんですけれど・・・・。
ちょっと厳しいようですが、自分だけが正しいという思い込みの強い人。もしくは、宗教によって権力を持って、それを手放したくない人。と思えます。

視野が狭くなっていると思いませんか。

無理に混乱を作り出そうとする必要は、まったくないのです。
充分わたし達の世界は、欠乏だらけだし、人類が住めなくなるくらいに地球は破壊されているし、混乱が起きています。

これから持続可能な社会へと転換するために、むしろわたし達は再臨と言えるような出来事を起こすのかもしれません。

困難が多い時こそ、勇気が湧いてきます。
のんきに人任せでいられなくなり、
頭をフル回転させて、
乗り越えるために、
新しいものを生み出そうと、
脳のネットワークは格段に素晴らしく働くのですから。

みんなの幸せ(至福の世)は、多面的な視点を持つことから観えてくると思います。

みんなの幸せ(至福の世)は、お互いを尊重し合うことから創っていけると思います。

 

 

〜〜〜リンクいただいているPFCさんのブログから教えていただきました〜〜〜

キリストの再臨とアメリカの政治  
      2004年7月21日  田中 宇
http://tanakanews.com/e0721secondcoming.htm


イランとアメリカのハルマゲドン
    2006年2月21日  田中 宇
http://tanakanews.com/g0221iran.htm


2001年ジョージ・ブッシュ大統領の就任式で開会の祈祷を担当した、
フランクリン・グラハムキリスト教福音派伝道師
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0



2006年12月18日

覆(くつがえ)す

わたしは現実を覆すことに立ち向かう場面を、多く経験してきました。

それというのも、学校教育現場で、不登校の子どもや、いじめに合っている子どもが、自分の居場所や立場を取り戻すために、現実を覆すことを支援し続けてきたからです。

それは困難が大きかったです。
けれども、信念を持って言い続ければ、できないことはありませんでした。

現実は、覆すことが出来る可能性を持っていると、多くの皆さんと分かち合っていきたいです。

 

人間は、本気で話せば通じ合えるものだということも、このような困難な経験の中で知っていきました。

その時、包み隠しのない、純粋真剣な気持ちであらねばなりません。そして現実をよく観察して、どこに問題の本質が隠されており、どこをどう変えていけば収まるのかを、見つけ出さねばなりませんでした。

そのためにありのままの現実の状態を情報収集し、事実を真剣に観察していきました。そこから可能性のある部分をみつけだし、焦点を当てていこうとしました。

その焦点を当てた可能性のある部分を、提示して、説いていくと、必ず賛同者が現れます。

現実を覆すためには、賛同者は重要なのです。

誰が賛同者になってくれるか、それを現実の観察の中から見つけ出すことが、問題解決への道に繋がります。

 

この「現実を覆した経験」は、あらゆる場面においても、当てはまる部分があるのではないかと思い、これから整理してみようと思います。

 

わたしは現実を「もっと味わいのある、可能性の拡がる世界へと」覆したいと思っています。



yyyyohko at 08:28|PerlmalinkComments(4)TrackBack(0)clip!未来 | 創造

2006年12月10日

教育の再生9 「土木工学博士が、教育改革を推進している現実」

まもなく教育基本法の改正案が、参議院を通過しそうな気配です。

世論調査では、「教育基本法は今期の国会にこだわらずに、慎重な審議を続けほしい」という圧倒的な意見結果が出ているにも関わらずに、審議を打ち切り、採決することを政権与党は考えています。
「国民の声を聞く」と所信で表明していた新政権安倍総理は、しっかり国民の声を聞くべきですね。

 

教育基本法改正の審議の方向付けに木村孟さんを政府が起用していったことについて、わたしはたいへん疑問をもっています。
木村孟さんを教育改革の中心に政府が起用したということは、政府は経済活動をする上で競争力を持つ人材の育成をねらって、教育改革をしようとしているということでしょう。


木村孟さんは、
  東京大学大学院修士課程土木工学専攻修了
  東京工業大学学長
  産業構造審議会委員長
  独立行政法人大学評価・学位授与機構長
  教育改革国民会議主査(座長)
  第二期中央教育審議会副会長
  東京都教育委員長

わたしはこれまで何度も『人材教育』では教育は再生しない、「教育は『人間教育』でなければならない。」と言ってきました。

「新しい公立学校運営の期待」平成16年6月

というものを、木村孟さんの名前で公開しています。

 

皆さんこれを見てどうお考えになりますか。土木工学博士に、日本の教育の再生を任せられと思いますか。

私の答えは否です。

 

そもそもこれまでの教育に、素人が口を出しすぎました。
現在の教育界の混乱は、むしろ教育の素人が色々口を出しすぎたために起きていると思っています。

教育の再生は、佐藤学さんのような教育のプロたちに主導権を握らせるべきです。
佐藤学さんは、20年以上も日本全国の学校をめぐって教育の問題点を検証し提言し、教育改革を実践してきました。東大大学院の教育学の専門家です。日本教育学界の会長でもあります。


政府の諮問機関もそうですし、都道府県の
教育委員会について、委員の選出をもう一度見直すことが必要です。

木村孟さんの例ばかりではありません。中央教育審議会のメンバーは、教育の専門家といえる人は、入っていません。
本当に教育改革に力を発揮できるような、困難な問題を解決できる専門性を兼ね備えた人を、選定するべきです。長い年月を見通す眼を持った人を、選定すべきです。狭い視野からのの発言で、未来の教育を創ることはできません。
そうでなければ、これからの日本を拓いていくような人間を育成することができなくなります。



都道府県の教育委員会の委員の選出は、いわゆる土地の名士という方がなっています。
都道府県庁で選んで委嘱するのです。名誉職的なものだったと思うのです。自身の仕事を続けながら、教育委員会の委員を兼任するようになっています。

市町村の教育委員教育長の選定は、学校教育に携わっていた元教育者が中心なのですが、都道府県はそうはなっていないところが問題です。会社社長や弁護士や県庁の血族関係者に、教育界をリードするようなことは期待できないのです。オブザーバー的な発言にとどめておくべきなのです。

私たちの社会は、教育の素人に権限を与えすぎました。
それを見直す必要があります。

 

「【アピール】公述人・参考人として教育基本法案の徹底審議を求めます」への市民緊急賛同署名
http://www.fleic.dyndns.org/cgi-bin/appeal1206.cgi?



2006年12月08日

教育の再生8 「ねじ曲げられた教育改革」

10年ほど前、やはりいじめや不登校で学校がゆれていました。
「14歳が危ない」と、世間が騒いだ頃です。
学校の門前に生首を切っておくという酒鬼薔薇事件もありました。
中学生が、いじめを苦に自殺したり、体育館でいじめによるとみられる「マット圧死事件」など、学校内でさまざまな事件がありました。

それで教育の改革が叫ばれていたのです。
その時のポープ的な存在が、前回紹介した教育学者の佐藤学さんでした。

その頃から、スクールカウンセラーという言葉が、日本に紹介されるようになりました。そしてスクールカウンセラー事業が文部省を通じて学校に設置されるようになって行ったのですが・・・。

 

話を戻しましょう。
佐藤学さんは、10年以上前から日本全国の学校をめぐり、教育の実情をつぶさに検証していきました。そして様々な具体的な提言を編み出しました。それを持って、また全国の学校の授業改革などに回ったのです。

その内容は
現場の教師からも、研究者からも、多くの支持が寄せられていました。
その頃の内容をまとめた一つが、昨日紹介した著書『教育改革をデザインする』なのです。

しかしその後2000年、首相の死去という小渕内閣の後を継いだ森内閣で設置される「教育改革国民会議」の性質とはそぐわないかったのでしょうか。

その当時佐藤学さんらが、教育改革が誤った方向性に導かれそうだという警鈴を鳴らしていたことを、昨日インターネットを検索していて知りました。
佐藤学さんらが行っていった教育改革の内容は、政権の政策から追いやられてしまったのですね。

そして文部省も積極的に行おうとしていたスクールカウンセラー事業も、縮小されていったのでした。

それもあって、実際にはあったいじめの問題を、隠したのかしら??

自殺もあったのに、それで隠したのかしら?
当時は自殺の連鎖を防ぐために、公表をしない方針だということを、もれ伺いましたが・・・。
本当のところはどうだったのでしょう。

教育基本法の改変には、始め文部省も反対していたのです。賛成に転じたのは、文部省が権限を持ち、積極的に介入できるからというのです。
現在の文部省は、権限のない省庁ということで有名なのですって。知っていましたか?

東大大学院の教育学者の佐藤学さんが、何年もかけて日本中を回った研究成果をまとめ、『教育改革をデザインする』を出版したのは1999年10月です。
木村さんを座長とする教育改革国民会議の発足が、2000年3月です。なおこの審議会は3月から12月の9ヶ月でしかありません。そんな短期間の審議で、しかも教育の専門家でない人で議論した内容です。

どちらが教育の再生にとって価値の高いものかは、明白です。

昨日インターネットで知ったことの中で、教育改革が、どのようにねじ曲げられていったのかを、引用してお伝えしておきます。

 

渡辺治「いまなぜ教育基本法改正か?」(2002年12月)

佐藤学・斎藤貴男「教育はサーヴィスか」(2002年4月)

★渡辺治「いまなぜ教育基本法改正か?」(2002年12月) <『ポリティーク』Vol.5(ブック・カタログへ)>
 教育基本法改正が、まじかに迫っている(2004年の国会に上程される可能性が高まっている)。
渡辺治「いまなぜ教育基本法改正か?」は、教育基本法改正にいたる経緯とその狙いをわかりやすく解説した論文である。
<教育基本法改正にいたる経緯>
 この論文を読むと、教育基本法改正が、一部の政治家や右翼勢力による単なる復古的な動きではないことがわかる。渡辺は、「教育改革国民会議」(注1)の議論から、「新自由主義派」と「権威主義派」の存在を指摘する。新自由主義派とは、現在の教育体制では「エリートも先端技術の開発能力も育っていない」ことを不満とし、「教育の格差化を一層スピードを上げて実施し徹底する」(217頁)ことを主張する人々のことをいう。一方、権威主義派とは、しつけ教育や道徳教育の徹底、奉仕活動の導入などによって、いじめや不登校といった「教育荒廃」の解決を図るべきとする人々のことをいう。一般には、権威主義派の方が主流に思われがちだが、渡辺によれば、教育改革国民会議の主流はむしろ新自由主義派であった。
 ところで、教育改革国民会議は2000年12月に最終答申を出して解散するが、それがすぐ現在の教育基本法改正につながったわけではなかった。文部科学省が改正にかならずしも積極的でなかったからである。渡辺はその理由を次のように述べている。「基本法の理念は確かに気にくわないものであったが、文科省の教育行政に大きな障害となってきたわけではなかった。……第二に、何よりこれに手を付けることは、戦後教育体制の根本的再編を企てる試みとして、大きな反発と警戒を起こさせることは必至であ(った)」(219頁)。
 しかしその後、文部科学省は教育基本法改正を積極的に推進する立場に転換。2001年11月、遠山文部科学大臣は教育基本法改正を中教審(注2)に諮問することになる。渡辺はその理由について、基本法改正により権限を拡大できるとする文科省の判断転換があったことを指摘している。改正教育基本法に後述する仕組みを盛り込むことによって、いちいち国会審議を経ることなく文科省が独自に教育行政について重要な決定、変更をおこなうことが可能となるからである。
 このような経緯のもと、戦後はじめて、教育基本法改正が現実の政治日程に乗ることになった。
<教育基本法改正の内容>
 上でみた経緯を反映して、教育基本法改正は、三つの勢力の考えを反映したものとなっている。
 教育基本法改正の第1の柱は、教育の格差化を一層スピードアップして進めることである(新自由主義派)。新自由主義派は、これまでの全員横並びの競争を、コスト的に過剰あるいは非効率であると判断している。そして新自由主義派は、公教育をスリム化し、先端技術の開発やエリート養成に重点投資すべきと主張している。現在、学習指導要領の3割削減、義務教育の国庫負担の見直し(=公教育のスリム化)、学区制の廃止による学校間競争と淘汰の促進、国立99大学の再編・淘汰(=徹底した序列化、重点投資)などが実施、提案されているが、改正法は、こうしたことを理念的に正当化し、その一層の促進をはかることを狙っている。
 なお新自由主義派は、こうしたことをスピーディーにおこなうには、学校組織をトップ・ダウン式に改変することが必要であると考えている。すでに学校への経営的視点の導入、教職員会議の諮問機関化、教員の人事考課の導入、指導力不足教員対する研修制度の導入などが実施、提案されているが、改正法ではその正当化と一層の促進が狙われている。 (公教育のスリム化については次に取り上げる佐藤学・斎藤貴男「教育はサーヴィスか」も重要な分析をおこなっている)
 教育基本法改正の第2の柱は、社会統合の破綻(青少年の凶悪犯罪の増加、いじめ、不登校など)に対処した、しつけ教育、道徳教育の強化、奉仕活動の義務化、問題児の排除などである(権威主義派)。なおこの延長線上に、ナショナリズムや愛国心の教化といった問題があるが、渡辺は、法案があまりに復古的に見られることへの危惧なども在り、その扱いはまだ決まっていないと述べている。
 教育基本法の第3の柱は、文科省の権限拡大である。文科省は、改正・教育基本法に「教育新興基本計画」の策定・実施を盛り込むことで、文科省の権限を一気に拡大しようと狙っている。この基本計画は、中長期の教育目標をきめるものであるが、他の基本法同様、関係審議会の議を経れば、国会審議を経ることなく、文科省が自由に策定することが可能なものになると見られる。教育基本法改正により、文科省は、教育行政においてほとんどフリー・ハンドともいえる権限を手に入れようとしているのである。
 現在、このように重要な内容を含む教育基本法の改正がまじかに迫っているというのに、マスコミの反応はほとんどない。そのような中、渡辺の論文は、基本法改正を考えるうえで重要な情報と、議論のたたき台を提供しているように思われる。

(注1) 教育改革国民会議
 2000年3月、小渕首相が設置した私的諮問機関。小渕死去にともない、おもに森首相のもとで活動。2000年12月に最終答申を出して解散した。最終答申は、習熟度別学習、中高一貫校の設置、教員への人事考課の導入、小・中・高校での道徳教育強化、奉仕の義務化、問題児童の排除などとともに教育基本法の改正を提案している。
(注2) 中教審
 文部科学大臣の諮問に応じて、教育振興、生涯学習、スポーツ振興などに関する重要事項を調査審議し、文部科学大臣に意見を述べる審議会。

佐藤学・斎藤貴男「教育はサーヴィスか」(2002年4月) 『現代思想』 Vol.30-5(ブック・カタログへ)
 佐藤学(教育学者)と斎藤貴男(ルポライター)が対談形式で、新自由主義的な教育改革―教育の公的な義務から私的なサーヴィスへの転換―の問題点を論じたのが佐藤学・斎藤貴男「教育はサーヴィスか」である。
 かれらは対談でさまざまなことを論じているが、ここでは渡辺論文との関係で、とくに新自由主義派(=公教育のスリム化)の背後にあるおそるべき差別思想について触れた部分と、格差化のスピードアップについて触れた部分を紹介したい。
 佐藤学は、公教育のスリム化を唱える人々の考えを次のようにまとめている。
 「人間には生まれながらに能力の差異があるのだから無駄な金は使うなという論理ですね。資金は有効なところに投資せよと」「現在の学校教育の内容は三割の子供にしかわからない、七割は理解できない。…解りようがない七割の人間に難しい教育をする必要はないではないか、要するに、三割の有能な人間が社会を担い、後の七割の人間は有能な三割の人たちに支えられればいい。この論理で教育システムを二分すべきだと言う議論です。露骨な差別の論理ですが、受験体制から子供たちを解放してあげますよという語り方で登場したんです」(75頁)。
 ちなみに対談相手の斎藤貴男は、『機会不平等』(ブック・カタログへ)という本で、日本の財界、教育界のトップが優生思想―わからない子供に無理に教える必要はない―をあからさまに語る現実を明らかにしている。ちなみにこれは、わかる子とわからない子を、単なる個性の違いとして等しく扱おうというものではなく、両者を根本的に異なるものとして扱っていこう―そのような社会のあり方を自然なものとして受け入れていこう―という考えである。
 そして佐藤は、新自由主義教育は「二割のトップエリートによって国際競争をやって、後の八割はそこにパラサイトするような国を作ろうとしている。もっと言うと、グローバリゼーションによって国内に第三世界が作られ(ようとしている)」(77頁)と述べている。
 ところで先に見たように、新自由主義派は、日本の教育は横並びで一層の競争化が必要だと主張している。しかし対談の中で、佐藤は、先進国で日本ほど多様化、能力主義が徹底している国はないとして、新自由主義派を批判している。少し長いが引用したい。
 「日本の教育は画一的だという思い込みがあるんです。しかし世界に日本ほど多様化した学校は存在しない。日本ほど能力で子供を振り分けている学校も存在しません。最近では習熟度別指導が叫ばれ、日本は平等画一主義で、能力差に応じた教育はタブーになっていると言うけれども、実は日本のように能力差の教育が徹底した国は存在しませんね。塾のように能力別編成をやっている教育は世界のどこにもありません。高校は入学試験で能力別に編成されていて、大学さえそうでしょ。そんな教育システムは世界にありませんね。英語圏で見れば、高校入試がないから高校教育までは全く平等です。ヨーロッパの場合は、進学時に中学の試験はありますが、しかし職業高校に行くのか普通高校に行くかの基準点があるのであって、学校が能力別に編成されているわけではありません」(76頁)
 これは日本の教育改革が、欧米教育(とくにエリート教育)へのキャッチ・アップをほのめかしながら、実際には欧米にそのようなものはなく、結局は、これまで日本が追求してきた能力主義の一層の徹底がおこなわれるに過ぎないことを示している(日本的能力主義の一層の徹底)。そもそも飴と鞭で競争させればいい結果がでるという発想は、豊かな社会の発想ではなく、キャッチアップ型社会の発想である。そんな発想からまったく逃れていないところで教育改革論議がなされ、大きな反対もないまま、これから数十年の道筋がつけられようとしている。これが、この社会の限界なのであろう。

(参考)
 佐藤学は教育学者。斎藤貴男は元新聞記者のルポライター。斎藤は、日本における階層格差の広がりをテーマとした『機会不平等』で、日本の財界、教育界に広がる優生思想を明らかにしている。


http://www32.ocn.ne.jp/~everydayimpress/Bookreview/review12.htmより引用



2006年12月07日

教育の再生7 「教育の専門家」

教育改革国民会議の委員になっておられる人々の経歴を見て、教育学の専門家が一人も入っていないことに気づきます。

メンバーを見てみましょう。

・財界のトップから3人。 
  
ウシオ電機会長、
  
東京海上保険(株)取締役会長、
  リコー会長

・労働者の代表から1人。
  
連合副会長

・学者から3人
  東大教授  黒田玲子 専門は物理化学・生物学 
  京大副学長  田中成明 専門は法学
  多摩大学学長  グレゴリー・クラーク 専門は政治学

・座長は、大学評価・学位授与機構長という肩書きの木村孟さん
  産業構造審議会委員長でもあり、
  大学評価・学位授与機構長を兼ねています。
  後に
東京都教育委員長になりました。
  東大出身で、専門は土木工学です。

この座長である木村さんは、どういう人なのでしょうか。
英国から勲章をもらっていますが、そのページを読むと、彼が教育に関わっていった一端が読み取れます。
 

名誉大英勲章CBEが授与
・・・
2001年5月に、木村博士は東京でのハイレベルな日英高等教育政策フォーラムで指導的影響力を発揮し、それが大学の評価、基準、高等教育の管理・運営、大学統治、産学リンクなどを含む、相互の関心や利益の数多い分野におけるフォローアップ活動へと結びつきます。
(以下略)

 

木村さんが教育改革国民会議で、このような報告の方向性を生み出していった大きな役割を果たしているのが見て取れます。

彼は土木工学が専門で、東京大学を卒業した後、東京工業大学で職についていました。
経済産業省の産業構造審議会委員をしたあたりから、政界との結びつきが強くなったのでしょうか。「大学評価・学位授与機構」とのかかわりから、英国の高等教育を研究し、英国との連携を認められ、英国から勲章を得たりしていきます。

そして、東京都教育委員会の教育委員長の拝命となっていくわけですが・・・・。

 

教育について議論をする時は、教育の専門家の意見にもっと耳を傾けるべきだったと、わたしは思います。
教育の専門家が、この教育改革国民会議に入っていたなら、もっと違った要素が全面的に出ていただろうと想像できます。

彼ら委員の方々は、与えられた仕事を一所懸命にこなしてくださったことには違いないのですが、残念ながら教育の素人は、素人でしかなかったのだと思います。オブザーバー的な発言者にとどめておくべきだったのでしょう。
「創造性と受験戦争」でも書いたように、視点に偏りを感じたのは、このためだったのでしょう。

大切な教育の芯ともいえる「理念」が欠けているのではないかと思います。

ですからそこから出てきた、新しい教育基本法は、理念の部分に高潔さを欠いていると感じてしまうのは、このためだったのでしょう。

理念の欠いた(あるいは理念に偏りのある)教育基本法が施行されるのなら、これはちょっとしたことではありません。大問題です。
国の教育法体系の基本となる法律に偏りがあるのであれば、教育の根幹に問題を発生させる恐れがあります。

もっと議論を深める必要があるのです。

急いで議会を通すようなやり方では、拙速すぎます。

 

座長の木村さんが、イギリスを基にしたのではなく、フランスやドイツの教育体制を参考にしていたなら、まったく違った形になった可能性があります。
私の示した「入試の撤廃」に近い形になった可能性が大きいでしょう。

東大出身者は、権威を重んじる傾向が強いので、権威主義的な英国式に興味をもたれたのでしょうか。

10年ほど前に、当時東大大学院教育学研究科長の教育学の専門家、佐藤学さんがリーダーを勤めて教育審議していた頃の方がはるかにまともな審議がされていました。その内容はどこに生かされていったのでしょうか?

教育改革をデザインする

佐藤 学著

 

 

 



2006年12月02日

教育の再生6 「ノブレス・オブリージ」

今回は、リーダー教育について考えて行きたいと思います。

引き続き首相官邸サイト「教育改革国民会議」http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/index.html
を元にして、話をすすめていきます。

〜〜〜抜粋のつづき〜〜〜

・大学入学の年齢制限の撤廃
 特に優秀な子どもでその大学の教育目標に合う者は飛び入学ができるよう、現在、原則18歳となっている大学入学年齢制限を撤廃する。
 また、高校生が大学入学前に大学の単位を取得できる制度の活用をさらに推進する。
・大学入学試験の多様化の推進
 大学入学試験については、各大学が大学の理念、目標に基づき、高校での学習達成度試験の結果の活用や大学独自の試験、面接、小論文などを課するなど、多様なものにすべきである。推薦入学やAO入試についても、さらに積極的に推進する。
 大学側には、入学者に希望する能力、資質等、選抜方針を明確にすることが求められる。
 また、グローバル化の進展に対応するとともに、高校卒業後の学生に社会体験をしたり自らの人生を考える機会を与える観点から、大学の9月入学を積極的に推進する。
・暫定入学制度の導入
 大学入学時の入学定員の規制を弾力化し、合格ラインに近接する一定の割合の受験生を暫定的に入学させ、1年間の勉学の成果によって改めて合否を判定し、定員まで学生数を減らす方式をとるなど、学生にチャレンジの機会を与える暫定入学制度を大学の選択で実施できるようにする。

 

ここで述べられる「入試の多様性では、大学受験が激化し、ますます高校生に負担を多く与えるようにならないでしょうか。ますます受験を困難な形に変えたのでは、大学入学する前に、人間を消耗してしまいます。それが人間性をスポイルさせていることになっていくとわたしは考えています。

むしろ始めに提案したような、「大学の入試撤廃」と「創造性の教育」によって、学力と人間性を兼ね備えた人間教育を進めることを、ぜひ検討していただきたいと思います。

 

また「ノブレス・オブリージ」については、牛尾さんが言及したそうです。今のリーダーを見て、「何がノブレス・オブリージか!?」と、確かにあきれることが多いです。

〜〜〜抜粋〜〜〜

注釈) <ノブレス・オブリージnoblesse oblige)>とは
高い身分に伴う倫理上の義務のことをいう。もともとはフランス語で、「位高ければ徳高きを要す」「貴人は貴人のふるまいすべし」あるいは「高き位に重き努めあり」(『コンサイス仏和辞典』/三省堂)といった意味をもつ決まり文句であった。

(中略)

わが国で「医は仁術」という言葉が広く流布されたのは江戸時代以降といわれているが、それ以前の文書の中にも、それに近い精神は十分に見てとれる。


「貧者の病をば、薬代不足なりとも心中に入りて治せよ。是薬師(薬師如来)の御誓願也。福人の病をば小瘡(小さなきず)なりとも薬代を過分に取りて、貧餞の男女の不足をいやせ。医師を薬師と憑み奉りて米銭を惜しまず、医師は又病人を一子の如く思いて哀れみ、薬代を貧らずして之を扶け治せよ」(『世鏡抄』巻下第四十五「医師身上之事」)
(『医師の歴史』/布施昌一著)

これは、鎌倉時代以降あるいは室町時代に作られた文書からの引用であるが、「医は仁術」という精神が見事に言い表わされているように思う。医師が高い収入を得るのは、強欲からではなく、それを貧者の診療に向けるためにプールしておくとされたからである。このように、医師は、かなり以前から、「仁術」というものを身につけ、その結果としてノブレスとなったのではないだろうか。
(以下略)
〜〜〜抜粋終わり〜〜〜

 

今の改革の方向は、経済優先、経済発展に都合のよい制度を作ることに偏っていないでしょうか。
教育改革の視点が、一方に偏った狭い視点に限られていませんか。
それでは教育は再生する力を持ちえません。

そして、歳出削減による国の財政建て直しを、老人・障害者・弱者から搾(しぼ)り取るような社会保障制度の縮小と、国民をなるべく低賃金で使い捨てる方向にいっているのではありませんか。
「生かさぬよう、殺さぬよう」という、江戸時代の農民支配意識を連想してしまいます。

この状態では、若者はスポイルされていき、ただ都合よく働かされる、心の育たない人の群れ・・・にならないでしょうか。

そして一部の優秀な人を飛び級などで、さらに磨くことはいいとしても、どこでどのようにして心を磨くというのでしょうか。人間としての徳を兼ね備えたリーダー教育は、それだけではまったく育たないでしょう。
一芸に抜き出た職人でしかなく、リーダーにはなりえません。よく言われるような「○○バカ」を作ることにしかならないように思います。

 

このように今の社会は、発想に幅がないのです。タイトな窮屈な社会が出来上がってしまい、行き詰っているのでしょう。
創造性の欠如を如実に著していると、お分かりいただけるでしょう。

創造性は、人間の知性の重要な側面なのです。

 

テストで100点をとっても、なんの役に立ちません。みんなのために役立ってこその能力なのです。

みんなに役に立つ』を、自分の地位・名誉・金儲けに役立つことや、自分の限られた仲間内だけに役立つことに置き換えていては、ノブレス・オブリージとはいえないのです。

みんな』といった時に、どこまでの範囲として『みんな』と見るかによって、その人の意識の高さが現れます。

自分の会社に役に立つ」だけでは不十分なのです。
そのようなリーダーは、相手の会社を陥れてでも手に入れようというアクドイことが、善になってしまいます。談合や、敵対的買収や、契約の争奪におけるトラブルなど。

自分の国に役立つ」だけでは不十分なのです。
例えばブッシュ大統領が、京都議定書から離脱して地球温暖化をストップさせるよりも自国の経済発展を優先させました。
地球は人類が住めなくなるような破綻寸前にもかかわらず、世界中の国が自国の経済発展という一方的な善を推し進めていったのでは、やはり真のノブレス・オブリージを備えたリーダーとはいえないのです。

みんなに役立つ』といったときには、真のリーダーは、『誰にとっても』恩恵のある、納得できる方法を模索せねばなりません。

人と人、個人と個人の間であっても、同じです。
誰かから搾取して、自分の幸福を願うことではないです。

「低賃金で雇って、企業成績を上げる。」では不十分なのです。
「社会保障制度を縮小して、財源を生み出す。」では的外れなのです。

「発展途上国から品物を安く輸入して、その代わりに高価な工業製品を売りつけ、発展途上国の債務を膨らませる」だけでは、不十分なのです。
貧困の国が、先進国によって作られている現実を見ない限りは、だめなのです。

もっと全体の真の幸福を考えられるリーダーが、「ノブレス・オブリージ」だと思うのですが、いかがでしょう。



2006年12月01日

ほんもの

思いは同じなのですね
曇りのない空をみるように。


わたしはいつも思うのですよ。
本物を見て育たないと、本物は分からないと。

そういうと、名画の鑑賞だとか、一流の店の品物だとか、
一流のオーケストラの演奏だとか思う人がいるけれど、
それよりもっと本物があることを忘れてしまっていると。

 

本物は、自然の優美です。
自然の美しさにはどんな名画もかないません。
自然の繊細さは、どんなに写し取ろうとしても、真似の出来ない美しさで触れてきます。

ですから、大自然に抱かれ生きているkokemomoさんのような方は、いつも本物を見ています。
本物を観る眼、本物の心が育っていかれるんだなって思うのです。

都会じゃ無理なわけでもない、都会でもその眼なざしを持つことは出来るはずですよ。
hanielさん がそうであるようにです。

どちらの方もきちんと自然の優美さに触れ、そこから啓示をいただいている。

本物を育てていらっしゃるの方々だと思うんですね。

 

おふたりと友人になれて、わたしはとても幸せです。

そしてこの輪が広がっていくことにも。



yyyyohko at 10:24|PerlmalinkComments(7)TrackBack(0)clip!本物 | 交流

2006年11月28日

教育の再生5 「創造性を育む」

前回から引き続き、創造性について書いていきたと思います。

まず、抜粋した「教育改革国民会議 第3部会 創造性」の内容を整理してみましょう。

現在の教育システムの問題点は、3つ。

仝率化至上主義による画一化により、独創性創造性のある人材が生み出せなくなってきている。(画一化による創造性の喪失

▲離屮譽后Εブリージを実行できるエリートやリーダーの育成ができなくなってきている。(エリート・リーダー教育の喪失

すぐやめる、就職したがらない、手先の器用さがなくなりミスが続出するなど、健全な職業観、勤労観の希薄化。(労働の質の低下

    ↓↓↓

具体的提案

1:独創的、創造的な活動が出来る人材の育成

2:高い専門性と広い教養を備えた、社会の各分野でリーダーとなる人材の育成

3:職業観、勤労観を備えた人材の育成



前回に、わたしは学校教育を「人材の育成」ではなく、「人間の育成」と捉えることの重要性について述べさせていただきました。



創造性の定義を分かりやすく話すと、
創造性 とは、
新しい価値あるものを生み出す能力またはアイディアを創り出す能力(創造力)と、
その基礎となる態度(創造的態度)である。
創造力は、創造的思考と創造的技能に分けられる。
創造的態度は、人格特性から見ると、精神的健康からとらえた人格特性とほとんど一致する。  (恩田 彰)》

ですから学校教育の中で創造性が失われている状態は、新しく価値のあるものを生み出す力がないばかりでなく、健康な人格が育っていかない状態にあると言えるわけです。
今、学校教育現場で噴出しているいじめ・自殺・不登校・規範意識の問題や、
健康な職業観を持てない・うつ病傾向になる社会の問題にも、
創造性 の喪失が全て関係していると言えるのです。

創造性は、健全な人格を育むことと直結している。」と、思います。これをご理解いただきたい。

 

そこでわたし独自の「学校教育における創造性の育成」について、述べてみたいと思います。

創造とは何か。

《創造は、制約条件にこだわり過ぎては、創造的発想を抑制する。

創造には、具体と抽象の間を往き来する思考と、類推が有効である。

・・・・・・・  (海保博之) 》


がしかし、
「閃きの類は、一瞬にして、全てを分かる」というものと考えられる。つまり途中経過ぬきで、結論が一瞬にして解るというものでしょう。
モーツアルトの作曲が、「すでに在る」ところから取り出されたものであるかのように、寸分の違いもなく完成された状態で楽譜に書かれたように。
多くの偉人の発見・発明が、そうであったように。

それで、創造性を研究しようとしたとき、研究者たちは「禅」について研究をしました。戦後まもなくのことです。

「創造性は、潜在意識と呼ばれるものとの関わりの領域」に入ることだと、みなさまも推察できるでしょう。
潜在意識の開発となると、学校教育に持ち込むことに躊躇があります。
天才的な創造を一般教育レベルに持ち込まなくても、ここではもっと日常的な創造性を育むことについて考えを提示したいと思います。

 

そこで創造性を生む基礎となる創造的態度というものについて、もっと詳しくみてみましょう。何故なら学校教育では、この創造的態度を育むことが可能で有効なものだとわたしは考えているのです。

そもそも創造的態度は、健康な人格特性とほとんど一致しているので、
このことは非常に重要です。
何故なら、教育の現場で噴出しているいじめや不登校をはじめとする諸々の問題の改善に、充分寄与するものだからです。

ですから創造的態度を育むことは、健全な人間の育成と共に、創造的人間を育むことに大いに貢献するものと思われます。
諸々の問題に取り組み、進化発展する社会を創ろうとする力そのものを養うことになるでしょう。

 

創造的態度とは、次のようなものです。

・自然に動き出す自発性 
・他の人とは違った考え方や行動をし、独創性に発展する独自性 
・常に独自性を保ちながら、新しい自己をつくり出していく柔軟性 
・心的エネルギー(意欲)の強さを示す衝動性と、その持続を示す持続性 
・未知なる物を探究する好奇心
注意集中力
・自己の心身、特に感情を統制する
自己統制力

そして創造性 は、発散的思考に基いていますが、学校教育の評価は、収束的思考を重視しています。

発散的思考
とは、思考の方向が多種多様に変わっていく思考のことを言います。私のいイメージではらせん運動の思考であったり、脳のネットワークが線香花火のように点滅するような状態を想像しています。

収束的思考とは、一定方向に導かれていく思考を言います。
収束的思考を測定するものは、知能テストです。学校で行われる各種テストも、収束的思考を問う問題が多いのでしょう。
現代科学は、ルネ・デカルトの理論的体系にもとづいて発展してきましたので、知能が重要視され続けてきたのでしょうか。

最近は、説明のつかない事柄を研究する分野、例えば複雑系の研究では、収束的思考だけでは一歩も進まないのではないでしょうか。一定方向に導かれていくような法則ばかりでこの現実はできているわけではありませんし、多種多様な要素が絡み合ってこの世界は動いているのだと思うほうが、あたりまえのように思います。

 

収束的思考は、制約のある条件の中で、素早く処理をこなすことによって伸びが期待されます。つまり「効率がいいことが高度だ」という評価になります。要領の良さとも言えるでしょう。
学校で計算や暗記とその速さを競うという画一性ばかりが目立つのもこれに起因している、とわたしは考えています。

始めに述べたように、創造性 は、制約を取っ払ったところに生まれるのです。
制約のある中での効率のよさを追求したり、要領の良さを求めたのでは、創造性は育たないのだと思います。

今、学校の中で、どのくらい制約があるかを考えたことはありますか?
中学校になると、急に不登校やいじめが増えることを知っていますか?

制約が多くなることが大きく関係していると、わたしは見ています。中学校は何かと制約が多いのです。つまり「子供を飼いならそうと」しているのです。

制約の多さからの息苦しさは、人間性を押しつぶしていくようです。そして、収束的思考ばかりの画一的な競争を強いられていく学校のシステムです。そのようにして高学歴大学受験を目指し、学校の活動は益々制約を多く抱えていっています。

高校受験における内申書制度 小学校中学校の習熟度テストによる学校評価制導入・・・等等は、子どもと教師に対する制約を表しているのです。子どもと教師をがんじがらめに縛り付けて、どんな効果が期待できると言うのでしょうか。疑問です。

 

これ以上「飼いならそう」と制約を多くしていくと、学校は破綻していくとわたしは考えています。

自分からは何も考えを生み出せない、自ら判断できない子どもになりますよ。
柔軟性がなく、問題を乗り越えることができない、やる気をなくした子どもになりますよ。
好奇心を失った、集中力持続力のない、わがまま勝手な(自己統制力を失った)子どもになりますよ。

いえ、もうすでにそんな子どもだらけではありませんか!!!

創造性を育てることが、いかに急務かを知っていただきたい。
創造性とは、知性の重要な側面なのです。そのことをもっと理解していただきたいと思います。

 

そして教育改革国民会議で挙げられた、3つの問題点は、
  _莪豌修砲茲訌和だの喪失
  ▲離屮譽好ブリージをもったリーダーの欠如
  O働の質の低下
同じ問題が形を変えて表面化しているにすぎない、と理解してもらえると思います。
人間の知性の重要な側面である創造性の欠如は、今の日本社会の問題のなのです。


 

ここで改めて、創造性とは何かといいますと、

・創造は、制約を取っ払ったところで生まれる。
「創造性とは、制約だと自ら思い込んでいるものが何かを知り、それを取り除き、除去した結果がどうなるかを考えることができる能力のことである。」(ラッセル・エイコフ)
・創造には、具体と抽象の間を往き来する思考と、類推が有効である。
・失敗から新しい創造が生まれることが往々にしてある。 
・創造には、考えた後アイディアを暖め孵卵する時間が必要で、制約の取り除かれた時間を有する。そこでの潜在的な情報処理が潜在的な領域からの啓示を生む。
・知能の高さと創造性は必ずしも一致しない。(例 エジソン)
・学力と創造性との相関は、学力と知能の相関と比べて低い。しかし創造性は、学力に影響を与えている。
 

学校の制約を解いてやり、
失敗を繰り返しながら成果を上げること(トライ&エラー)を奨励し、
アイデアを生むための制約のない充分な時間を保証してやることが、
行政にできることなのではないでしょうか。

学校においては、
創造的態度を育むカリキュラムの編成と、
授業法と評価法の変更が必要でしょう。


もうこれ以上の制約を学校社会に持ち込む教育改革は、教育を再生させるどころか、かえって失速することになりかねません。

真の創造性 を育み、活き活きと活動する人間教育によって、教育再生を目指していくことが望まれます。



2006年11月25日

教育の再生4 「創造性と受験戦争」

「創造性」が、いかに人格形成に欠かせないものかについて、以前このブログで書いたことがあります。
(2005/10/20「創造性」http://blog.livedoor.jp/yyyyohko/archives/2005-10.html#20051020 )

それで、教育改革国民会議の第3分科会は『創造性』と名を打っているので、審議の報告を読んでいました。

首相官邸サイト「教育改革国民会議」http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/index.html
の中の教育改革国民会議 分科会審議の報告(平成12年7月26日)第3分科会--創造性-- から、私なりの視点で検討をしてみたいと思います。

 

  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

教育改革国民会議 第3部会 創造性 http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/3bunkakai/3report.htmlより抜粋

委員   牛尾 治朗 (ウシオ電機会長)
(主査) 木村  孟 (大学評価・学位授与機構長)
  草野 忠義 (連合副会長)
  グレゴリー・クラーク(多摩大学学長)
(副主査) 黒田 玲子 (東京大学教授)
  河野 俊二 (東京海上火災保険株式会社取締役会長)
  田中 成明 (京都大学教授)
  浜田  広

(リコー会長)

 

○基本テーマ『今後、我が国が必要とする人材をどのように育成するか』

図説  (省略)

○問題意識

来るべき21世紀の世界は、生命科学等科学技術がさらに進歩し、一方で経済関係の一層の緊密化に加え、IT革命による世界的な情報ネットワークの成立によって、グローバル化がさらに進展すると考えられる。
 このような状況の中で、現在の我が国の教育システムには次のような問題が見られる。

 \鏝紊旅盡率至上主義は、高等教育の大衆化路線と結びつき、国全体の平均値の向上に貢献したものの、社会に画一的なものの見方をもたらすことになった。この結果、我が国は新たな技術、ビジネスを創出する独創性、創造性に富んだ人材を十分に生み出せなくなっている。
 ∪鐐亜高等教育を受けたエリートたちが大きな過ちを犯したという反省から、戦後、エリート教育は徹底的に罪悪視され、我が国ではノブレス・オブリジーを実行できるエリートやリーダーの育成が十分できなくなっている。
 就職してもすぐ辞めてしまう、あるいは就職を望まないという風潮が広がりつつある。また、丁寧にきっちりと自分の仕事を仕上げようとする思い、責任感が失われたのか、あるいは本来日本人に備わっていたと言われる手先の器用さが失われつつあるのか、ささいなミスによる技術的トラブルが続発している。こうした現象の背後には、堅実かつ誠実に生きていくための基盤となる健全な職業観、勤労観の希薄化がある。

 以上の状況を踏まえ、第3分科会では「今後、我が国が必要とする人材をいかに育成するか」を基本テーマとして、
 ‘帆賄、創造的な活動ができる人材の育成
 高い専門性と広い教養を備えた、社会の各分野でリーダーとなる人材の育成
 職業観、勤労観を備えた人材の育成
につき論議した。

○具体的提案

1:独創的、創造的な活動ができる人材の育成

(1)独創性、創造性の育成に関する問題意識
 独創性、創造性を育成するためには、基礎的な知識を身につけさせるとともに、一人一人の想像力、興味、好奇心を育み、考える力を養うような学習が可能となるシステムを構築しなければならない。

(2)具体的施策
 ―蘚中等教育のシステムの見直し
 子ども一人一人が持って生まれた才能を見出しそれを伸ばすため、次の見直しを行う。
・習熟度別学習、小人数教育

 小・中・高校の各段階において基礎学力の定着を図るために、習熟度別学習を推進し、学年の枠を越えて特定の教科を学べるシステムの導入を図る。この場合、小人数教育が不可欠である。
 なお、5歳児の幼稚園や保育園への就園率が高いことや子どもの身体的成長が早くなっていることから、義務教育の開始年齢を保護者の選択と学校の判断により1年程度早めることを可能にする。
・中高一貫教育の推進
 受験競争には学習意欲を刺激する面もあるが、18歳までに二度もある受験の弊害を減らし、この時期を、基礎的な知識を学び体験学習を通じて、創造性、独創性、職業観を育むための時期として位置づける観点から、中高一貫教育をより一層推進し、子どもの選択肢を広げる。6年間の一貫した教育によるメリットはきわめて大きい。中高一貫教育校が全体の半分ぐらいになるよう、思い切った支援策を講ずる。
・高校での学習達成度試験の導入
 高校については、学習達成度試験を全教科について行い、高校卒業までにどれだけ学習の成果が上がったかを測る。この学習達成度試験は、何度でもチャレンジできるよう、年複数回行う。また、学年を問わず受験できるようにする。
 学習達成度試験は、あくまで高校での学力向上の目安とするものであるが、大学側が入学選抜要件として活用することもできるようにする。このため、現行の大学入試センター試験を見直し、達成度試験に切り替えることが望ましい。
 高校は決して大学受験の予備校ではなく、幅広い学問分野や社会への理解を深め自分の適性を探る重要な段階であることを再確認すべきである。知識にのみ偏重することなく、体験活動も重視する学習活動を進める必要がある。

大学入学試験の見直し
 小学生まではいきいきしているにも関わらず、中学校、高校、大学と進むにつれて日本の子どもはくすんでくるという指摘がなされている。これは、中学時代から大学受験を意識し、実験、体験、作文などを軽視し、暗記中心や紙の上だけの理解にとどまる教育がなされていることに大きな原因があると考えられる。大学受験のみを目的として早くから勉強する科目を絞り込み、興味の如何に関わらずそれしか勉強しなくなるということも、その背景にあろう大学入学試験は、記憶力という一面的な資質のみを測るものであってはならず、問題を発見する力、問題の解決方法を見出す力、あるいは推理力や論理的に考える力など、人それぞれに備わっている資質を適切に評価するものでなければならない。このような観点から大学入試のあり方を見直す。

 

  〜〜〜〜〜〜〜

トップに提示があるように、「独創的、創造的な活動ができる人間の育成」は、そのとおりだと思います。
しかし、わたしは「人間の育成」と書きましたが、この会議では「人材の育成
」となっています。この視点のちょっとしたずれは、実は大きいと感じています。


下線部緑字
はわたしが付けました。
この緑字を視点に教育の再生と教育制度の改革について、検討を重ねていきたいと思います。

先日『教育の再生 大学入試撤廃』の記事にも書いたように、
今の教育で人が活き活きと活動する意欲を失い、いじめ・自殺・ニート・閉じこもりなど深刻な問題が次から次へと噴出しているのは、『大学入試』へ全ての学校活動が収束されていっているために起きていると、私は分析しています。

また、現行制度で高学歴で無事に就職したにも関わらず、自殺・躁うつ病の増加、就業意識低下が起きているのも、同じところに起因していると考えています。

人間がスポイルされているのです。活かされていないのです。これを変えないといけないと強く思います。

けれどもその方法が、この分科会の考えでは、的を得ていないように思います。悲しいくらいに、これでは「国に都合のよい人間を作り上げる」ということになってしまいます。「人材の育成」と考えることは、そういうことへ解決の方向性を持っていってしまうのです。

「本来持っている人間の真の創造性を引き出し、問題解決に取り組み、進化発展する社会の生き生きとした担い手を育てる」というふうには考えていないようです。

そもそも委員は財界人のトップ中のトップの方々が中心です。ですから、「人間」を「人材」とみなしているのでしょう。

教育は、人間教育でなければなりません。

そうでなければ、人は真に自らの持つ力を引き出せないのでしょう。人間を育てるということをもっと根本にすえて考えを進めていかなければ、大きな誤りを何度も繰り返していくだけになると思います。

広い意味での職業教育はその中のごく一部であるにもかかわらず、経営者にとって都合よい人間を求めてしまいます。視野の狭さ、視点のずれを感じます。

 

『創造性』という文言が使われていたので、もう少し期待していたのですが、残念ながら、非常に見下した視点によるものでした。

『創造性』というものがどのようにして育つものかを、まったく理解されていないようです。

独創性・創造性というとあまりに抽象的で、どうとらえたらいいのかわかりにくいのでしょうけれども、創造性はきちんとした概念が学問で示されています。

これについて次回に続きをのせたいと思います。



2006年11月24日

教育の再生3 「上からの視点」

行政や政治家は、一生懸命やっているのでしょう。
けれども、一方からの視点を他方からに変えて観るのは、容易なことではないのでしょうね。

前回の「教育の再生−問題解決の視点」のコメントにも書きましたが、
トップダウンの方式には限界があり、行き詰まりが出ます。ボトムアップがうまく行って初めて、双方がうまくかみ合って、ダイナミックに物事は創造されると思うのです。
ですから、下からの声をどう届けるかでしょう。草の根の活動というものがありますが、そのような事柄の大切さを知っていたと思います。

そして行政に携わる人や政治家・財界人は、「聞く耳」をいつも持っていただきたいですね。彼らは、「自分達優秀な者が考えた事に文句を言うな。」という態度になっています。
そこが大きな問題なのではないでしょうか。

「人を見下すような態度」は、本当に慎まなければなりません。

そのようにして双方通行の見方を、互いが共有していくことで、対等で尊重された社会が作られていくのだと思います。

上からの視点で物事を見ている「教育改革」とは、下に転記したこのような内容のものになるのでしょうか。
転送・転載大歓迎とありましたので、紹介します。

しっかりとご覧あそばせ。
びっくりするような内容もあるようで、ぜひ読んで検討してください。

  〜〜〜〜〜〜〜〜

【転送・転載大歓迎!】
このページはご存じでしたか?
http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/1bunkakai/dai4/1-4siryou1.html
(第1分科会(第4回)議事概要(平成12年7月7日)/配布資料一 覧)

「新しい歴史教科書を作る会」の会員のサイトかなと思ったら、なんと 
「首相官邸」のサイトではないですか!
すさまじい内容です。

首相官邸
└会議等一覧
 └教育改革国民会議
  └資料一覧
   └「一人一人が取り組む人間性教育の具体策
     (委員発言の概要)」

(例)行政の取り組みとして...
・「子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールし て覚悟してもらう
・「ここで時代が変わった」「変わらないと日本が滅びる」というよう なことをアナウンスし、ショック療法を行う

これらの検討が、現在の教育基本法の改訂にどうつながっていくので しょうか...
「分科会の議事概要/議事録/配付資料」
 http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/bunkakai-dex.html

検討材料として多くの人にお伝えください。



2006年11月21日

教育の再生2 「問題解決の視点」

きのうは教育の再生について、一つの案を提示しました。

教育の再生 「入試の撤廃」をお読みになって、
「大学にリスクを背負わせるようなことをして、本当に効果が上がるのか。」とか
「現行の制度の中でも、生徒は自分を活かす進路を考えて選び取っている。」と思われる人がいると思います。

確かに現行制度の中でも、自分の適正や希望を考え進路を選び、進学を決めている人はいるでしょう。そう考える人は、成功した人たちを見てそう思っているのでしょう。

現行制度の中で成功できなかった人は少数なので、「本人、あるいは家族の責任だ」とか、「運悪くそうなった。」とか「努力が足りない。」というように思っているのかと思います。
「しかたがないこと。」で、「少数で特殊な人だ。」と。

 

わたしは教育の現場で、スクールカウンセリングをしてきました。地域社会と学校の中の問題の構造を、考えてきました。
昭和50年代からはじまった校内暴力、そして始めは学校嫌いと呼ばれていた不登校や閉じこもり、いじめも、問題の根は同じところにあると思っています。
学校という日本社会の中で、問題点が、形を変えて表出しているのに過ぎないのだと考えています。

学校という日本社会の問題点が、
子どもの外側の教師に向かうと校内暴力になり、
子ども自身の内側に向かうと不登校や閉じこもりという形になります。
同年代の子供同士に向かうと、いじめになります。
社会に向かうと、非行などの反社会的行動になって現れます。

それが激しくなると、親をなぐり殺すところまでいったり、自殺するようなことに行き着いてしまうのだと考えています。

少年たちのエネルギーの向かう先と、エネルギーの大きさです。

 

この問題が少人数だからといって見過ごしていると、全体はよりよい社会に向かっていきません。この少数の事柄が、実は、日本社会の問題解決のヒントを内包しているのだということに、私たちは気づかなければなりません。

これを理解していただくために、ユニバーサルデザインの概念について話します。

ユニバーサルデザインとは「障害者・老人・子供・・・どのような人にでも使いやすいデザインにする」という考え方です。

わずかな段差があるために、自転車が走りにくかったり、カートをひきづらい思いをしたことはありませんか。車椅子の人が走りやすい歩道にすることは、健康な人にとっても歩きやすい街になります。
ビンのふたが開けづらいと思ったことはありませんか?
握力の弱くなったお年寄りにも開けやすいふたに変えることは、誰にとっても開けやすい物なります。
小さい子供に見やすい表示は、外国人や誰にとっても分かりやすい表示になります。

ユニバーサルデザインを具体的に展開するためには、国民各層の「参画・連携・継続の仕組み(プロセスとしてのユニバーサルデザイン)」が重要である。そこでは、ひとりでも多くの人の利用を念頭に、みんなでニーズや問題を調べ尽くし、考え抜き、解をつむぎ出すこと、さまざまな特性をもった使い手と作り手の各種の事業者・行政との豊かなコミュニケーション(コラボレーション)、ユニバーサルデザイン化への強い意志と地道で継続的な努力、改善が大切である。ユニバーサルデザインは「みんなをつなぐデザイン」でもある。  (wikipediaより抜粋)

そうなのです。社会的弱者の視点に立つと、見えてくるものがあるのです。
ですから、現行教育制度で問題を抱えている人の視点に立つことが、問題解決の道につながると考えます。

政治家や役人が考えた施策が、どこか的を得ていないと感じてしまうのは、彼らは知らないのです。彼らは現行制度の中で、うまくやってきた成功者たちなので、必要性もあまり感じなければ、問題解決の視点も身近に実感を伴って持ちえません。
机上の論理をこね回しているだけでは、解決の道は見つからないのだと思います。

ですから、声を上げることが必要になります。本当に必要を感じている人たちの声を。
不登校の子供を抱えている人たちや、受験に失敗した人たちは、自分が悪かったと苛める必要はないのです。
あなた達からわたし達は学ぶ必要があるのです。誰にとっても幸せになれる社会とは、どう変えていったらよいのかを、検討するために。

いじめられている人たちが、文部科学大臣に怒りの声を手紙に託したことも、ある意味必要なことだったのだと思います。行き過ぎた行動だなんて思わず、真剣に受け止めるべきでしょう。

学校社会の中で苦しんでいる子たちの中に、問題解決の視点があるということに好意的な関心を向けていただければ、行き詰った社会は方向性を見出せると思います。



2006年11月20日

教育の再生1 「入試の撤廃」

教育の再生と言う名目で、「教育基本法の改正」が行われようとしています。

教育基本法は、憲法に順ずる法で、その理念は日本国憲法に基づいています。
ですから教育基本法という理念を変更するというのは、日本国憲法の理念を変更することに直接的に関わってくるのです。

それで、「教育基本法の改正」は、ただの法律改正とは異なり、重要な意味を持つのですが、それを理解されてない人が多いようです。

今国会で、改正案の中で教育理念について討論してきました。
しかしここに来て、いじめ・自殺問題。未履修問題など、現実的な問題が続出しています。
その上国民の意見を聞くと称する「教育改革タウンミーティング」が、サクラ動員や質問のやらせと謝礼金が明らかになりました。
教育委員会の人が一般人を装ってタウンミーテングに出席し、あらかじめ打ち合わせしておいた質問をするという一人芝居だったのです。文部科学省が、それを依頼し、謝礼金を支払っていたというのです。

これは文部科学省対、一般人と称した教育委員会の人で行われた「タウンミーティング」にすぎず、「官官対話」、官製談合と同じだという批判があります。
ですから、「教育基本法の改正は、タウンミーティングで国民も改正を望んでいると言っている法改正だ。だから教育基本法を改正するのだ。」と主張したことが、うそだったことになります。やらせの一人芝居だったと判明しました。


教育基本法の改正は、文部科学省の権限の拡大と、安倍政権の憲法改正の思惑が一致したことで進められているのでしょう。文部科学省を廃止して地方に権限を委譲するという案があることに、文部科学省は恐れているからでしょうね。

教育の理念について政争を繰り広げている間に、現実的な問題が続出しています。いじめ・自殺問題も、未履修問題も、根は同じところにあると考えられます。

ここは一度、理念を決める法の「教育基本法の改正」は棚上げして、現実の問題の解決について、国会で話し合うべきではないでしょうか。

 

そこで一つの案として、教育の再生について、ここに提示したいと思います。

「大学に入りたい人は、全員希望する大学に入れるようにします。そして必要なカリキュラムを大学でみっちりやったらいい。
その大学の学習内容についていけない人は、淘汰されていくでしょう。ですから、むやみに背伸びした大学を選べなくなります。

そして大学に入った後、自分に合わないと分かったら、転学して自分に合った大学に移る。柔軟に転学ができるようにします。」

そのようにして、
本当に学びたい人が、学びたいことを、学びたい大学でやる。そうやって目的を達成して卒業して社会に役立ていけばよいのだと思います。それでこそ大学に行く価値があるというものです。

そういう制度なら、もっと真剣に自分に合った進路を考え、大学を選ぶようになるでしょう。

有名大学に殺到するのではないかという心配をする人がいるでしょうか。

仮に東大で学びたいという人が続出したとしても、その授業内容をこなしていける実力があるのなら、受け入れてどんどん習得させればよい。切磋琢磨して研究させればよいのだと思います。
それでこそ、人的資源でやっている日本にとって、充分価値があるというものでしょう。

入学金と授業料を適正に支払えば、学校の運営はできるものです。
また、立ち見の授業になったとしても、入りたい大学で授業を受けられるとなれば学生は通うはずでしょうし、大人数でも大型スクリーンや様々なIT機器などを活用して授業を工夫することが大学側にも求められ、大学に活力が湧くのではないでしょうか。


今の受験体制では、ゆっくり自分の適正とやりたいことを選んでいる時間が与えられていません。日々競争に駆り立てられているだけです。(早い人は幼児のうちから競走を始めています。)
大学に行くような優秀な人達が、一度選択を間違えたとしても、後の転学を柔軟にしてあげることはたいへん有効だと思います。優秀な人をスポイルすることなく、活かしていけるでしょう。

有名大学に入っても、不登校になったり、止める人がものすごくたくさんいるのも、これで解消されます。閉じこもりになり、親を殺害するなどという事件は起こらなくなります。

大学入試を撤廃することは、学びそのものに活力を生むと思います。それは高校入試にもよい影響があるでしょう。
そして本当に学ぶ意欲のある生徒でなければ大学でやっていけないのですから、高校での就学の中身は変わっていくでしょう。

そして学ぶこと自体の意味が、変化して、本来の学びに近付くと思います。

それは、小中学校の義務教育にも良い影響を与えるものとなるでしょう。

教育を再生させるのに効果が上がると思います。

 

この方法には副産物があります。

学校をリタイヤして、ニートやパラサイト、閉じこもりになる人を減らせます。若年層の意欲が湧き、就業率がアップするでしょう。

それによってきちんと税金を払える若者が増えます。税収の安定に繋がります。

そして社会保障や年金制度設計が安定します。

そもそも少子化で、子供の数が減り、大学全入時代に突入したのです。社会が少ない子供を大切に育て、わたしたちの社会の中で充分活かされ、役立ってこそ、少子高齢化社会は安定するというものです。

 

国の根幹がしっかりしていきます。

無用な競争はなくなり、
自分自身が、本当に自分を活かせる進路職業を選び取ることになるので、人を真に活かす社会に近付きます。



2006年11月17日

笑いの質といじめ

お笑い芸人が、もてはやされ、笑いをこの社会は求めているようです。

ところが、この頃のテレビを見て笑う場面で、私は笑えないことがあります。

それは何故なのでしょう。

「誰かをバカにして、何がおかしいの?」と思ってしまうのです。

現代の笑いは、あざけりの笑です。
それは嘲笑です。

 

番組を制作している人たちは、気づいているのか分かりませんが、コメンティエーターや司会者も、ウケをねらって、人をバカにするような言葉を連発しながら、番組は進められていきます。

そうしないと視聴率が上がらないのですね。

 

人をバカにする言い方は、競争社会だからなのだ。」と、うちの息子が言いました。
そうやって、自分が上に立とうとしているんだ。」と。

 

彼いわく、「学校でも先生は、必ずそういう言い方をしている。」そうです。

「生徒を低い位置に置くために、あざけり言葉で話し、生徒の上に立とうとしている。自分は優秀で、えらいのだと見せようとしている。「お前よりも知っている」という態度を示すことで。」というのです。

「先生に認められる子、つまりテストの高得点の子は、同じように他の生徒を低い位置において話す」あざけりの言い方をするそうです。ある意味学習したのでしょう。社会に順応するために。

「(学校では)競争をさせられているから、人の上に立たなくちゃならないと思うから、そういう言い回しをする。」のだと、息子は思うそうです。

「だから学校からいじめはなくならない」と。

いじめは、競争社会が生み出しているものなんだと、このときはっきり知りました。

うちの息子は時たまですが、やたら思慮深いことを言って驚かせます。

 

競争社会を勝ちぬくために、人間の感覚は、笑の質を変えてしまったのでしょうか。
人の上に立つことで、心地よい感情を導き出し、笑いたいのでしょう。

人の下にいることが、競争社会では、自分に活路がないことに等しいから、耐えられない。何とかして上に立ちたいと思う。手軽に人の上に立つことのできる、人をバカにする言い方、あざけりの言い方が用いられるのでしょう。

人々の求めに応じて、番組は作られるわけですから、わたし達の意識の異常さを表わしているのでしょうね。
「地位やお金が、もっと、もっと欲しい」という人間の欲望にばかり基づいた社会になっているのでしょうね。

そして子供の教育も、そうです。情報を集め、もっともっと有利な学校へ進学し、人より有利な立場に立つように行動しろと、親は子供に強く要求します。

その子の独自性や、好みなど、考慮に入れず進路が決められていきます。
「これが社会を生き抜く常識だ」と大人は、社会全体から子供に迫っているのでしょう。

この意識を変えなければならないと思います。

本当に望む幸せの形は、そうなのですか?

わたしはこれからも、「本当の幸せの形」を、このブログで皆さんと一緒に探索し続けたいと思います。



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