どーでもいーことをgdgd書くので、読んでて意味がわからなくなったところでお帰りいただいて結構です。あとネタバレ注意

 王道であるか、邪道であるか。

 今回のシネ☆MAD3rdについて、その辺りで引っかかったことがある。

 私の全体の印象としては、今回はどの作品も完成度が高かった。しかも、その完成度の高さを必要とする表現になっていた。アイデア一発、あるいは勢いで突っ走ったような作品はなく、しっかりと細部を積み上げることによって読者を説得するタイプの作品で占められていたと。

 逆に言えば、実験的な、あるいは斬新な表現というものは若干後退した感がある。あくまでも若干で、そういう冒険がなかったとは言わない。がしかし、その発想上のインパクトに主眼を置いたと言える作品は、今回はなかったと。
 何が言いたいかというと全体的にクオリティが上がったことによって、好意的な評が増えたがゆえに、"斬新だった"という評価も多かったように思えるが、それはあくまで、完成度が高いが故に、それが"届きやすくなった"というだけのことだと思う。本当の個性や衝撃は、むしろ"意味がわからない"という評価の中にこそ、あったりすると思う。

 百合が斬新か。中二病が斬新か。宇宙人が人間そっくりだったら斬新か。フル3Dであれば斬新か。確かに、日常的ではないだろう。しかし、その程度の非日常は、765プロにとって今更ではないか。百合が好きな人は、喜ぶだろう。中二病が好きな人は、喜ぶだろう。それはただ、それだけの事である。シネ☆MADとは、そんな小さな世界に収まるものを目指した企画だっただろうか。

 俺は百合はちょっと、とか、なんだ中二病かよ、とかいう人はいるだろうし、そういう人のコメントを見かけることになれば、随分と実験作であるような印象を受けるかも知れない。それは、このシネ☆MADという企画が万人向けのエンターテインメントを目指したものであれば、そういうコメントも、無視はできないかもしれないが。

 私は、シネ☆MADって、そんな枝葉末節を気にするような企画ではなかったと思っている。これらの作品に何らかの斬新さがあるとしたら、それはもっと別のところ。


 例えば「プラネット☆ラブ」の肝は、王道の物語である、というスタイルに隠された嘘を、いかに隠し通すかにある。

 つまりそれは、最初から設定として、やよいは全部本当のことを言っている、と明示されているのに、全部本当であれば、どういうことになるのか?という一点に読者の意識が及ばないようにする、ということ。

 それは端的に言えば、やよいの言うことを単純に信じてしまっていながら、その意味するところを真剣に考えない美希と、その美希を眼前にしているがゆえに、「やよいが正しいと信じることが出来ない」キャラとしての千早の対比によってなされていると思う。千早が最初から、やよいの言うことを真剣に考えていれば、自力で結論に達することになっただろう、そして彼女が視点人物である以上、読者にもそれは可能だった、はず。しかし、「信じるけど考えない」キャラと「考えるけど信じない」キャラの対比が見事に描かれることによって、「信じる、そして更に考える」という第三の立場があることは、読者の目から隠されているのである。

 また、その対比の見事さによってごまかされているのは、美希という立場の都合良さだ。やよいの言うことを信じていながら、自分たちがどれほど危険な立場なのか、そしてやよいがどれほど苦しい立場にいるのか。そのことに対する無自覚は不自然。なのだが、その違和感は"王道の物語"という設定の前に無効化される。このやよいというキャラがありならば、この美希もありだろう? そういう緩みを提示することで、それが作者に一方的に都合のよい設定であることは隠される。これが、信じるといいながら、実際は何も考えていないだけなんじゃないの? という突っ込みに耐えられるほど強靱な世界かというと…そうではないということ。ガチなら甘すぎるし、ネタなら辛過ぎる。

 また、「ぷよm@s」で見せている鱈Pの"引き"のうまさ。話を分断して深くつっこまないまま引っ張る巧みさも、この物語を成立させる強みになっていると思う。


 キャラクターの対比については、今回のシネ☆MADの他作品でもうまく生かされていて、「Cross Life」などは春香と千早という対比の陰で美希や絵理、律子の役割がなかなか明白にならないところが肝。そして、時系列が錯綜していることが更に大きなトリックとなっている。そういうギミックを外してしまえば、シンプルな物語だ。逆に言えば、時系列をいじることで、オーソドックスな物語でも視聴者を引っ張れるのだという好例とも言えるのでは。

 そして物語のパーツを時系列に沿って並べ直してみると、やはり美希の立ち位置はなんとも奇妙なものだと思う。彼女のがこのように作者の都合を受け、トリックスターとして立ち回るのは、彼女が"何を考えているかわからない"つまりは何を考えていても不思議ではないキャラクター、という立ち位置を与えられているということだと思う。


 このような、見所を描き出すことによって、その反対側のしわ寄せを隠すというのは、愛識P、陽一Pの作品でも見られる。

 愛識Pシナリオによる「PROJECT IM@S JHS 2nd Grader VISION」は、春香を中心に見ていけば、意外性はない。先述したように、普通の話ではないが、この程度の普通でなさは、意外ではない。話を面白くしているのは、一見、脇役であるPと千早の関係の方である。しかも、あずさもそうだが、結局のところ、彼らが何を考えているかはわからない。

 それは美希が何を考えているかわからないキャラであるがゆえに、作者に都合の良い動かし方ができることと同じ。読者の見えないところで、Pは千早とも深くつながっているのだなあと、結果からそう推察されるのみである。でも、Pが千早の意外な行動によってボロボロに傷つくことに対し、なんの怒りも表さずに平然と受け入れてるのは常識的に考えれば異常だ。Pは一切のリアクションを返さない。では、それほどまでに千早を愛し、千早の勝利の犠牲になることも厭わないほどPが信じていたのか? 

 読者がそう信じられるような伏線は、どこにもないと思う。

 あるとしたら、アイドルと適切な仕事の関係を結べない、己の無能を恥じているのかも? という位で、表面上、Pは千早の傲慢さに一方的に振り回されているようにしか見えない。描写されてないことが、いろいろあったのかも知れない、でもそれはあくまで、あったのかも、という可能性の域を出ていないのだから。ただ、意外な言動のPとアイドルだから、意外な結末になっても仕方がない。そういう風に作者が読者を仕向けているだけのこと。ゆえに、あずさとPの関係もまったく理解できない。Pの行動理念が、あずさのための復讐であるかのような描写があったが、物語のラストにおいて、それはどうなったのか。ドタバタして終わっただけで放置されている。

 面白そうなキャラクターを設定して放り出す、普段の作者をそのままシネ☆MADの枠で提示しただけであり、絵もPVも上に乗っかっているだけ。もっと言うなら、アイマスも乗っかっているだけだと思う。

 あずさや春香に関して出てくる甘ったるい、思わせぶりな言葉も、どこにも繋がらず、ただ乗っかっているように見える。すなわち、どこにも意味というものを込めずに、どっかで聞いたワードを繋げて物語を作る。それは一見、凹凸があるけれど、しわを伸ばして綺麗にすれば、一枚の紙のように平坦で。

 人間、どこかに感情を、意味を込めずにはいられないもので、そういうものから離れてフラットに構築するというのはハードルが高い。技術というものがあるとすれば、その平らかさにあるし、恐らくは、この作品の千早とは、そこで繋がっているのだ。千早についての次の台詞が、この作品の本質を象徴しているように私は思った。「お前の場合、盛り上がるかドン引きか、どっちかだけどな」。厚みがなく、表から裏は見えず、裏からも表が見えない。そういう作品。


 陽一Pシナリオによる「Twilight Stage」は、オーディションの醍醐味を描写するところに肝があると思われるが、物語の枠組はあってなきが如し。エロシーンだけ真面目につくってあるエロゲみたいなもので、プロっぽい手の抜き方だと思う。つまり、エロゲは、エロがちゃんと作られていれば、それで目的は達せられるので、他がテキトーだったとしても、どうということはない。この作品も、オーディションの醍醐味がしっかり描かれている反面、物語の導入と結末、そして芸能界の周辺的なことは、それっぽい要素が登場するだけで、説得力はない。要はハッタリで始まってハッタリで終わっている。だって、こんなプロデューサー、いるわけないしw。

 しかしそういうことがコメントで指摘されていたりは、全然なかった。なぜかというと、そんなハッタリだらけの物語の中で、雪歩だけはリアルな存在として描かれていたから。作者コメにあるように、これは、雪歩が前を向いて歩いていけるようになる、それだけの物語で、これまで他のスタッフが彼女をどう扱って来たかとか、芸能界そんないいかげんでいいのかとか、そんな彼女の視野に入って来ない事はどうでもいいのである。一見、周囲の勢いに押し流されていくように見える彼女がどう反応し、何を見て、どう立ち上がったか。そこにリアルがあれば、それでいい。そのように見ると、この作品は奇を衒っているようでいて、全くの王道、正攻法ではないか。


 「3A07」はコメントが多過ぎて世間の評価がよくわからないが、私から言えることは、例えメロドラマチックな展開であっても、このシナリオで実際にTVドラマを作ったら、間違いなく視聴者から意味がわからんというクレームが山と来るだろう、ということ。

 時系列をいじってること、そのものよりも、異なる時系列を明示せずにくっつけて、それによって視聴者を騙したというのが凄いと思う。現在と思ったら回想だった、というのは、とあるミステリのトリックで使われたことがありますが。こっちは別にミステリでもオチとかでもなく、伏線を重ねた末に一気にばらす。その盛り上がりの後にタイトルの謎解き。このカタルシスに至るまでの絶妙の間合い。そして、この方法でどれだけの物語進行の時間が短縮されたかという面からしても、他の作品と比べれば凄さが分かる。

 このトリックは、実はト書きのある普通のノベマスでは難しい。映像だけだから違和感を消せる。まあそれは副産物かもで、セバスチャンPの3Dモデルの導入の時点で、状況描写のないセリフだけの進行が発案されたのだと思う。しかしナレーションもないし、これはシナリオで勝負して来た人間にとっては大変だったろう。自分の文章というのは、自分でどうにでも書き直せる。しかし、実際の物語を進行させるのは映像担当である他人ということになると、つまりは文章力がどれだけあろうと関係ない。頭の中でどんなに緻密に物語が組み上がっていても、それを実現するのはあくまで他人の力量に左右される。これはノベマスPにとっては辛いはずだ。あえてそういう方式を取ったRAPの志たるや。もうこうなると技術や才能の問題ではない、違うだろうか。


 さて、今回の中でなぜか唯一の異色作的な立場となった「春香歌姫綺譚」は、ここまで書いてから見た(^^;)。だから、見事なまでに論旨から外れたところにいるのだけれど。今回のシネ☆MADで唯一、王道と言える要素がない作品だろう。いや、シリーズとしてちゃんと作れば王道になっていたはずの物語と言うべきか? 元のゲームはRPGのようなので。

 なにしろ完成度という意味では低い。多分、ほとんどの映像部分を元ゲームである「大神」の素材で進行しているため、素材が足りないと言って簡単に誤魔化すことが難しくなってしまい、シナリオとうまく合う素材がない場合に、強引に繋ぐしかなかったのだろう。それで、なんだか作りかけをそのまま出してしまったような内容になっている。元ゲームの映像と、立ち絵、イベント絵については見応えは十分にあるのだが。そういう意味ではこれを一回きりの作品として出してしまうのは、むしろ惜しいと言えるかも。

 ただ、トリックという意味ではこの作品にも大層興味深い点が1つ。というのは、タイトルを見れば春香が主人公だと、誰でも思うだろうが、実際はそうではないということである(笑)。しかも、そのことに後半のクライマックスまで誰も気付かない。主人公たるもの、当然ずっと登場しているし、物語の中心にいる人物である。なのに、その人物がそうであると、山場まで気付かないってどういうことなのか(笑)。こんなにも正々堂々とウソをついていて、しかも見破られないというのは、ちょっと衝撃だった。もし、それでも春香が主人公だとか、実はタイトルには深い意味があるとかいう話だとしたら、更に驚くことになると思う(^^;)。
 
 以上、どーせ誰も書かないし、書いたところで誰も読まないと思ったので書いてみた。ここまで読んだ人はお疲れ様でした。