「枯れる時にはどうか泣かないで 空へタネを舞わせよう」と歌ったのは小鳥さんだけれども。アイマスにおいて、枯れた瞬間、つまり「終わった現在」に立ち会えるのは千早だと思う。好きでそうなったわけじゃなかろうから、ニコマスにおいては、あまりそういう表現はされない。アニマスで、入院中のPに会うシーンがあったのも千早で、痛々しい姿の赤羽根Pに対して、見舞うためではなく、相談を持ちかけるという、厳しい選択をあえて取れるのが彼女だからだ。

 某Pであるところの犬が吠える氏。

 ここで表現されるのは枯れる花への悼みでありながら、そこから逃げるわけにもいかない悲壮感であり、ブルースのニュアンスを持ちながら自棄にはならず、どうにか耐えようとしている。そういう歌に立ち会えるのは、千早だなあと思う。この千早はいつか来る幸福な時代の「終わり」に立ち会って、折れずにその先を見ている。それが彼女の現実だから、そうならざるをえない。この「今」に比べれば「眠り姫」はまだ救いのある歌だし、多くのニコマスは、起点に対してゴールに希望を見出してきた。しかし、この歌にはそんなものはない。なくても前を向いて生きる「今」がある。

 花と雑踏。絵作りとしてはカオスだけれど、花が象徴するものと、雑踏が象徴するもの、その重なり。よくも悪くも生きるという事はこうだ。理屈を越えて感じるものがある。
320a

 花と夜空と。この映像は多分、歌詞と直接の関係はないけど、歌全体のもっている空気、すなわち上の絵に対して日常というものから突き放されてしまった非現実的な心象と共にあるのだと思う。そこから力強いギターと共にステージカットになり、狭くトリミングされた千早に置き換わる。茫洋とした実写映像に対してステージは切り込むように鮮やか。但し、前半の千早の映像はトリミングや画面分割によって全体が見えない。
320b

320c

 歌詞が男子視点の私と彼女の歌なので、これは壊れた世界にいる私が、壊れたはずの世界に今も生きている彼女(千早)を見る視点なのかもしれない。まあ、単に演出かもしれないし、わかりません。
320d


 後半から、花の代わりに千早が心象世界に溶け込んで、同時に全体が見えて、つまるところ分断されたイメージが融合してくる。
320e

320f

 そしてこれがクライマックスの絵だと思うのだけれど、希望の光が見えたりはせず、どうにか生きていくしかない、そこに彼女もいるのだ。
320g

 飛行機の黎明期のように、墜ちても何度でも飛ぼうと試みる、そんな強さはむしろ春香ややよいのもので、千早はその場所にはいないと考えられてきた。しかし、それは彼女の成功を願って未来を向くからそうなるのであって、彼女の今は、まさに折れた翼のままで前を見ている、そういう少女だ。そういう強さを彼女が持っていることは、あまり触れられない。理由は簡単だ、そんな彼女は孤独で、他人を拒絶しているからだ。それではPの出番がなくなるからだ。

 しかし、無印アイマスの千早EDで、共に海外に出発すると言ったまま、実際には行かないPを見ている私としては、描写がないだけで、いずれ行くんだよ、という解釈よりも。Pが行かなくても旅立つ千早、あるいは旅立った後にPと別れても、それでも前を向く千早というものを、千早の未来を考える上で避けて通れないものだと思っている。まあ、そういう発想が千早のPから出てこなくても、それは不思議ではないけれど。

 この動画で歌っている千早は、それができる千早だと思う。