Augenblicke

主にニコニコ動画のアイドルマスターMADについてのよしなしごと。

2014年01月

更に追記

 私はアニマスの劇場版については、今いささか感情的になっていて。すなわち、できもしないことでグダグダしてるということですが。

 深夜アニメの映画化作品なんてのは、ファンがお祭りとして見に行くものであって、上映前の状況で、収益はほぼ決まってしまうんではと思います。面白いみたいだから見に行こう、なんて浮動層は数としては限られてると思う。見るものを決めずに映画館に来た人が、これでも見てみようかと言って選ぶようなものでは、ないと思ってます。つまり、映画の出来がどうかなんてことは、どうでもいいんじゃないか。

 それに映画というのは個人の体験なので。誰がどういう状況で見てどんな感想になろうと人の勝手です。にも拘わらず、他人の意見が参考になるとしたら、事前の宣伝情報と実際の中身がまるで違う詐欺みたいな作品がまかり通っているからに他ならない。そうではなくて語るに値するものであるなら、誰が何を語ろうと、それは自由というものです。そんなものを参考にしようという方がおかしい。

 私がどう感情的になっているかというと、しかしながら映画の制作に携わった大勢の人たちの苦労が、いい映画でしたねという形で報われて欲しいなと。

 うんまあしかし、デカデカと掲げられた宣伝看板を見て、なんか有名みたいだから見てみようかと思って見た人が満足するような内容では、ないなと。

 やっぱり、普通に日常の延長としてアイドル活動があるような世界として、完成度の高いものを作るにしても、人数多過ぎだし、それを既存の設定に反しないように動かさないといけないしで、TVだけでも大変だったんだから。そこに更に人数増やそうってんだから(^^;)。物語としての自由度が、滅茶苦茶低いです。

 知らずに見た人が、そこを斟酌してはくれないけども。でも、そういう縛りの上で、ものすごくがんばったと、理解できる人もいる。そのギャップは埋まらないかね、埋まらないんだろうねと。

 そこは悔しいんです。

 だからまあ、自分にできることはないんだろうかと。ぶっちゃけ、自分が春香さんについて語る日が再びくるとは思ってなかったですが、なんかしてればね、何もしないよりは気が紛れるじゃないですか。

 でも、もう全弾撃ち尽くしたなと。イベント半ばにして資材不足で撤退な感じです。

 3つめの記事については、単につまらない、というだけじゃない、具体的にどこにどう問題があるのかを、まとめてくれる人がいたから、書けた。異なる視点から提示してくれる人がいるというのはありがたいことです。それに対してもね、返礼として誠意が示せるかねと思いつつ書きましたが、どうでしたかね。

 という、追記にしては長くなったので別エントリーにしました。

 

続(劇場版ネタバレ有)

 某氏がアニマス映画の問題点を挙げてて、更にニコ生もやってたので、コメントも打って話を整理してきた。

 結果、この映画の問題点は1つのベクトルへと収束していくものではないかと思えて来たし、多分、善し悪しは別にして、スタッフ側は確信犯的にそうしてるんだろうと思う。

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雨の日に走るということ(劇場版ネタバレ有です)

 アニマス映画のね、反応ですが。私は情弱なんで、ブロガーの癖にそういうのには疎いんですけど。

 実はデレマス勢のファンがどう思ったかは特に心配してない。あのゲームは修羅でなければ生き残れないですからね。多少のことでは動じないと認識してる。むしろ下手にアニメ化した方が問題続出でめんどくさいことになる、って認識が出来てるんじゃないかな。

 ミリマス勢もね、もっと、動揺があると思ったんですけど、むしろ、矢吹ちゃんが好きになった、って感想が圧倒的でした。

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アニマス映画

 まあ、今何を書いても、ネタバレ恐い人は読まないとは思いますが、それはそれとして何が書けるかという遊び。

 まず、TVシリーズ後という設定なので、じゃあ、その後の彼女達は今どんな風に活動してるのか。それを考えた上で、どう映画は始まるのか。そこです。誰が何をするところから始まるんだろう。ここは1つの見所としてあったし、結果うまくやりやがったなと思ったです。この冒頭からの流れは映画のバランス上、とても重要だと見終わってから感じました。見てすぐにはわからないと思うけれど、後から考えると、ああ、こういう配慮だったのかなと思ったりすると。

 で、一見さん、アニマスは知らんけど、映画になってるから、この際見てみようかって人にどんだけ訴えるかってところ。さすがにいきなり大人数の物語なので難しいところはあると思います。映画とか安く作ろうと思えば、大人数でも物語に絡むのは一部だけで、要所は全部メインヒロインがもっていく、って感じになると思う。実際、予告編の印象と変わらず、基本的には春香さんが中心にいます。でも、そこはアニマスなので、私らには、それぞれのアイドルに見せ場を作りたいというスタッフの細かい計算や苦労があることを理解できると思う。でも、一見さんには逆に焦点がぼけることになるでしょうね。

 そこのバランスをどうするか。結果、話をゆっくりと、とても丁寧に進めていると思います。

 まあ、キャラ紹介的な部分は結構唐突かもです。TVシリーズを見ている人には今の彼女はこうなんだ、と受け取れることでも、初めて触れる人には、こういうキャラなのね、ふーん、で済まされてしまいそうなところは随所にある。

 でも、柱となる筋の部分は地味すぎるくらいゆったりと、むしろ後半にいくほどよりゆったりじっくりと絞り込まれていくので、2時間の枠に話を無理に詰め込んだ、というような事にはなっていません。そこのところは私は非常に感心しました。映画ならではのサービス、例えば水着とかお風呂とか、はあっさり流されてしまう(^^;)一方で、こういうストーリーなんだよ、というのはしっかりと描きこまれているので、初めてアイマスに触れる人でも、戸惑うことなく最後まで見れると思います。

 個々のキャラの掘り下げ、というのはそういう意味では鬩ぎ合いで。映画の短い中でここまでやってくれた、という評価もできるし、あっさりしてるなあ、という見方も出てくると思う。

 特にグリマスの面々は、逆に全く知らないでこの映画だけ見れば、脇役として収まるべきところに収まって見えると思うんだけど、ゲームをやってCDも聞いてる人からしたら、まあこんなもんかねえというか(^^;)。知らなかった人で、もし興味がわいたらLTP聞いてね、と言いたくなるよね、うん。

 いやあでもですね、箱崎星梨花ちゃんが動いてあのツインテールが揺れるのを見たら感動です、やっぱ動いてしゃべって、だけで胸がいっぱいになるというのはあるです。まあ、矢吹ちゃんが歌でアリーナを壊滅状態に追い込むところが見たかったですけど、バックダンサーだから仕方ないね。

 映像面で興味深かったのは絵作りですね。ポスター等でもわかるけど、1画面に全員入るってだけでも大騒ぎなんですよ。なのでレイアウトとカメラワークはかなり面白かったですね。

 これはニコマスPVやMMDでもそうなんですが、大きなステージを見せたかったら、カメラが引いて遠くから見せる、動画の作り手によっては、引くカメラで全景、UPで表情、ミドルでダンス、それのみで構成する人もいます。少しひねると、引くときにいきなり遠景にカットを繋ぐんじゃなくてカメラが引く動きを見せたり、一方ではアイドルに寄っていくカメラにしたり、ダンスを横になめていく動きを見せたりします。

 でもそれで全部じゃない。カメラに写らない外側を意識する絵作りというのもある。1画面に収まらないステージを、端から順にスクロールしていくことで全景を収めるという動かしかたもできるわけです。その際には、カメラマンの頭の中にある全景に対して、カメラがどこをどう通ったかという軌跡が絵として見えてないといけない。その途中を止め絵にしたら、意味のわからない絵になっているところもあるけれども、カメラが通り過ぎた結果を編集すれば、そこに1枚の全景が浮かび上がってくるような、そんなカメラワークですね。

 今回は、予告編や雑誌に紹介されるカットなどは、ちゃんと1画面、1カットで意味のわかる映像で構成されていました。が、映画本編には先述したような、通り過ぎるカメラ、全部を写さないけど、縦横無尽に走り回ることで全体はこうなっているのだなと視聴者の脳内で俯瞰できるようなカメラが駆使されています。こういうのは予告編に載せようとしても無理があるわけで、だからこそ新鮮な驚きがありましたね。

 あとジャンプです。某アイドルアニメでは、アイドルがぴょんぴょんと小刻みに跳ぶ時に複数で機械の様に同じタイミングで跳んでいたりしました。リアルで考えればそれは達人級の技です。全く同じタイミングでジャンプしても、脚力が違うので、跳ぶ高さも着地するタイミングもずれるのが人間です。一度だけジャンプするなら、跳ぶタイミングだけなので合わせられますが、その後着地して連続で跳び続けるなら、どんどんずれていくのは避けられません。今回のアニマス映画では、同様にぴょんぴょん跳ぶカットでは、ちゃんとアイドル達が微妙にずれていました。もちろん、アニメとして作画するなら、その方がずっと大変なはず。しかし、元ゲームが3Dで人の動きの微妙なずれを再現しているのですから、2Dだからできなかった、とは言いたくなかったのでしょう。意地を見せたと言っていいと思います。


 とまあ、今書けるのはこのくらいかな。私としては、どこに出しても恥ずかしくない、それこそ10年後に見ても耐えられるようなアニメ作品だと思いました。まあこれからどんどんネタバレ出てくれば、見所も問題点もいろいろ出てくるとは思いますけれども、全部ひっくるめても、四の五の言わせない剛速球を投げつけて来たと言っても過言ではないと思います。どなたかがツイッターで「謎の感動」言うてましたけど、うん、多少意味わかんなくても押し切るくらいの力はある。そんな感じ。


 余談。パンフには、ストーリーの要所について語られるところもあるので、映画より先に見ない方がいいと思います。


続:LTP09

 年も明けまして。LTP09についてはね、ある程度ネタバレ回避して、聞いた人にはそれなりに驚いて欲しかったんですが。まあ、LTP09でググってもこのblog以外、感想らしい感想が引っかからない辺りを見て、そんなこと言ったってしょうがないなあと思ったり。

 聞き込んで幾つか思ったこと。木下ひなたちゃんはね、とても可愛いです。このCDにおいてはですね、彼女の曲の構造とか、彼女の方言を含めた演技とか、いろいろ考える事があったんですよ。で、一通り考えるだけ考えて、改めて聞いたら、ああこの子はなんて可愛いんだろうと。この声は凶器ですね。まあそれはさておき。

 この09がめんどくさいのは、深く考えずに、ああこの曲いいなあとか、この子可愛いなあで済んでしまうなら、それでいいんですけど。全体に突っ込みどころがたくさんあって、考えるとかなーり深くて。でも、そこで考え出してしまうとですね、結局、この09の根底にあるものは"個性の裏に隠れがちな純粋さ"というものだということが、見えなくなってしまうんですね。

 このCDのテーマは個性だと思うんですよ。いえ公式テーマは「元気に応援」だそうですけど。ジャケのサーカスにしても、松田ちゃんの考えたドラマにしても、「Helloコンチェルト」の歌詞にしても、どこを取っても、異なる方向を向いた個性が組み合わさることで、良いものが生まれるんだよ、というテーゼを示してるように思います。"応援"というのは、まあエネルギッシュな曲は確かに多いけど、歌の内容は結構、キャラに沿ってますんで、あんまりですね。

 でも、律ちゃんの「GREEDY GIRL」がわからない。いえ、軽快ないい曲です。でも、秋月律子にとってこの曲は、何なのだろうと思ってしまう。なんかね、感覚としてはわかるし、それでいいのかもしれない。そんな明確なコンセプトとかいうのとは違うかもで。

 音の方、アレンジが一筋縄ではいかない話はもうしました。で、私はそういうストレートなようで、そうでもない曲の構造が、律っちゃんらしいな、と思う。だったら、歌詞だって、律っちゃんに沿ったものでいいと思うんですよ。特に、全体的にコンセプトがきっちり詰められている09においては。

 歌を聴いていると、むしろ、やよいとか、春日未来ちゃんとか歌うような。要は先のことなんてわからないけど今を精一杯がんばろう! ていうイメージに思えてきます。でも律っちゃんだから、ちょっと違うと思う。歌ってる若林さんはblogにて、このように述べておいでです。 「魔法をかけて」から一歩前に踏み出せる、成長した女の子の歌。それはそれでいいと思う。ただ、歌詞をよく聞いていると、もう少し大人の歌に聞こえてきます。つまり、辛いことも悲しいこともあったけど、それも全部自分の糧にして、道に迷って遅れたってそれさえも全部受け止めて、欲張りでいいじゃないかって。その上で

はしゃぐ 心 解き放て 光 照らし出せ
3,2,1! 私が生まれる
無邪気に泣き笑う
空を 仰いで この手で 描いて
未来 もっと

 これサビなんで大事なフレーズだと思われます。いろんなものを欲張りに抱え込んでいこう、という歌が、まるで何もなかったかのように、無邪気に生まれ変わろう、みたいなことも歌っているんですね。なんだか2つの文脈が絡み合ってどっちつかずな印象になる。

 で、どっちつかずで思い出した。律っちゃんこそは、そのどっちつかずで悩んでいるはずの子じゃないかって。アイドルとプロデューサーと。

 前に、このCDでは律っちゃんの立ち位置が曖昧なまま終わってしまっている、みたいに書きましたが。曖昧なりに、律っちゃんは、09の仲間達を見て、何かつかんだんじゃないか。

 少なくとも自分で無邪気に泣き笑うと歌ってしまう人間は、今現在は無邪気に泣き笑ったりはできていないんだと思う。でも、自分で仕切るはずだったステージ演出を松田ちゃんに任せて、その結果振り回されて、挙句はその勢いに自ら乗ってしまう、そういう立場になってみて。それでもいいんじゃないかと思ったんだろう。

 取り仕切るだけがプロデュースじゃない。松田ちゃんは理屈で動いているようで、実際はそうじゃない。秋月律子はどうなのか。理屈じゃなくて情熱で動き、動かされる。自分だってそういう人間じゃなかったか。

 「Helloコンチェルト」は、異なる個性が組み合わさった方がより楽しいと歌うんだけれども、その個性をまとめて指揮する側の人間もいる。個性をまとめる側の人間は、自由にはふるまえないし、楽しくないかもしれない。

 プロデューサーとしての秋月律子はそう考えていておかしくないと思う。でも、今回のステージで、個性を受け止める側に立って。そこで、自分は今、アイドルの側でもあるんだと。

 バカなことは止めろと言う立場のはずの自分は、それにGOサインを出すこともできるんだと。そして、アイドルの自分はそれを楽しんだっていいんだと。自分にはそれができるんだと。両方やっていいんだと。そう気づいたんじゃないか。

 欲張りにいろんなものを受け止める覚悟。その決意の先には、これまで見たこともないような、新しい世界が広がっているのかもしれない。

 「GREEDY GIRL」は直接そんな事は歌ってない。ただ、「Helloコンチェルト」があって、今回のドラマパートがあって(そのドラマ内に松田ちゃん作のドラマがあって、その中で律子は悩みを打ち明けている。が、どんな悩みかはわからない)その上でこの初心に帰ったような内容の律っちゃんのソロ曲が置かれている。そのことを、自分はこう考えてみました。個性は大事だけれども、それは我を通すってことじゃない。自分という枠の中から外へ踏み出すことは、もっと大事なんだと。そういうアンサーではないかと。

 一歩踏み出して無邪気に笑う新しい自分になる。言うほど簡単ではないと思う。だからこれは希望の歌というよりも、決意の歌だと。

 そこまで考えて一応、自分の中で決着がつきました。まあ、LTPなので、こういう細かい話はすぐにどーでもよくなることと思います。次の10は天然集団なので、もっとあっけらかんとした内容になるでしょうし。