Augenblicke

主にニコニコ動画のアイドルマスターMADについてのよしなしごと。

2015年02月

アニデレ7話

 アニデレは、ご存知の通り説明の少ない作りで、それでも視聴者を納得させるために演出が凝っていて、それがうまくいったのか、解説や考察をする人が次々現れるので私は何も言う必要がなくてありがたいなと思ってます。

 ただ7話に関しては、演出過剰だと感じた。理由はわかる。今回は、というか今回もかなり難しいことをやってる回で。武内Pがたまたま島村さんのお見舞いをしたら、一気にそれまでのトラブルが収束に向かうというちょっとミラクルな展開をしている。途中説明的なシチュエーションは一切ない。それを見る者にわからせようというのだから、演出もピーキーにならざるをえないだろう。で、それに対してもどんどん考察が上がってくるものだから、ちょっとバイアスが狂ってるような気持ちを今感じてて。

 ちなみに、だめひゅさんのこういうつぶやきがあって、そうだなあと。
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 この傾向は拡大してくのかねという気分になったので、何か書く。どーせならありがたい人達を見習えば? ってところですが、いつも通りです。

 演出というか、まず明度・彩度については説明不要かと。劇マスを踏襲してる、みたいに言われてますね、気持ちの落ち込みを表すときには画面そのものが暗くなるし天気も暗い、逆に解決すると画面が明るく空も晴れるという露骨な変化。それはまあ、いい。ただ、蛍光灯がついてるだろう346プロまで暗かったり、逆に風邪引いて寝てるんだから部屋の電気は消してるだろうと、思われる島村さんのお部屋がカラフルに明るいのはどうなのか、と。この時、外はまだ曇ってるはずで。いやまあ譲ってもいいですけど、346プロはエコなのかもしれないし、島村さんはベッドの中とはいえ起きてたから電気つけてたのかもだし。
 でもそういう諸々の演出が極まった結果、島村さんが天使みたいに言われたり、いやもう人間として異常であるみたいな事言われてるのは、つまるところ、効果があり過ぎだろうと。あのお見舞いのシーンは様々の伏線の積みあがった結果としてそこにあるのであって、別に島村卯月が突然天使になったり化け物になったりしたわけじゃないでしょう。

島村卯月とシンデレラの魔法

 私はこの記事には全面的に同意できます。島村さんには彼女なりに抱えたものがある。普通じゃないかもしれない。でも、それは平たく言えば1話の領分です。7話には7話の意図があると思う。

 武内Pとアイドル達の関係ってとてもややこしいです。多くの人はあのPにすっかり慣れてしまいましたけれども。

 アイドル達が武内Pに問いかけた時には、Pからはろくに答えが返って来ない。

 武内Pが話を聞いてくださいと言った時には、アイドル達から突っぱねられる。

 この繰り返しです。なんなんでしょうねこれ。どこまで引っ張るのか知らないけど、アニデレはアイドルとPのディスコミュニケーションの物語なのかも知れないと言いたくなる。6話で未央とPが何度もすれ違いを起していることは考察が多数上がってましたが、5話でもみくにゃんがいろいろやる度に、ここで武内Pがあと1歩踏み込めば違っていたのではないか、という場面が生じています。

 ということはこれ、偶然じゃなくて演出としてそう計算されてるということで。それはまあ、多くの人は理解してると思うし、そして、視聴者側は、割とどちらの気持ちもわかる位置にいるので、最終的に5話も7話もオチがつけば、理解が成立した気分になっている。でも、実際には、みくにゃんと未央の2人だけです。凛が1話の状態に戻ったり島村さんが天使になったりしてるのはそういうことで。

 実際に起きているのは、3話でうまく行ったと思ってたら。5話で不意打ちを食らった。6話でも不意打ちを食らった。そして、シンデレラプロジェクトがすっかり不信感に包まれたと思っていたら、7話でも不意打ちを食らった。別に油断するなと言いたいわけじゃない。ただ、ブログ書いてる人間ならわかることですが、1つの記事で何でもかんでもは書けません。こぼれる要素は必ず出てくる。どれだけ考察が上がっても全てを拾ってるわけじゃないし、全部が見えているわけでもない。

 島村さんが割と肝心なときに役に立たない人であることは、これまでの地味さ加減で定着した感があったけど、それでも7話の重要な局面で本当に風邪を引くとは思わなかったという、これも1つの伏線の回収と言えますw。
 そして、じゃあ島村さんには何もできないのか、ただの役立たずなのか? この疑問も1つの布石です。
 で、7話で島村さんは何の心配もしてなかったのか? これは凛と2人でいるときに心配した様子を見せているし、未央の家へ行きたい旨告げている。ただ、凛と違うのはPに対して断固とした態度に出られなかった点ですね。しかしこれも、いざという時役に立たない島村さん、という伏線に沿っています。そして風邪で休んでしまっていよいよ存在感が危うくなるけど、家では未央に対してメールだかLINEだかをせっせと送っていた。つまり、普通に心配しているわけです。ただ、彼女の特性として目立たないということ。
 アニデレはこういうことを、島村さんだって心配してるんだけど、表立って動けない子なんだよという説明を、しない。この"説明しない"は、それ自体トリックでもある。島村さんが何も考えてないように見えたら、本当に何も考えていない子なんだな、と我々は認識してしまいます。
 島村さんだって、凛と同じように不安だったろうし、Pに何か言って欲しかっただろうと思う。ただ彼女は凛のように、みくにゃんのように、未央のように、ぶち切れてそっぽ向いたりしないので、武内Pが必死になって説明しなきゃならないような局面になっていない。
 彼女にとっては、尋ねても何も言ってくれないPが、自分から訪ねて来て話を聞いてくれたんですよ、初めて。お見舞いだから? 大勢のアイドルが所属する346プロで1人が普通に風邪引いて休んだというだけでプロデューサーがお見舞いに来るのは異例だと思います。武内Pにとっては、状況が状況だけに、その異例の行動を取りたくなったのか、あるいは単に心根が優しい人なのかもしれませんが。島村さんは嬉しかったと思います。それでいきなり、未央の話を持ち出すほど無神経な事は、しないでしょ普通。
 6話のラストで、自分達のステージはうまくいかなかった、そう感じていたのは未央だけではないと思う。そこで凛が自分の事よりも未央を真っ先に気にしたのは正しかったし彼女の土壇場での判断力・行動力を示している。この時、島村さんが何を考えていたのかは、例によって目立ちません。
 風邪をひいて、いきなりやって来たPに対して、動じないで自分の失敗に話を持っていく島村さんは偉い、確かにPには不意打ちだったと思います。でも、島村さんは、Pが来てくれて嬉しかった、嬉しかったから、口から本音がこぼれたんだと思います。未央とは別の意味で自分には後悔があった。でも、そんな話を聞いてくれる人は誰もいなかったから。笑顔だけは自信のある子が、笑顔に自信を持てなかったんだから、彼女にとっては大事なことだったんですよ。

 ここで武内Pの側に時間を戻すと、ラブライカの状況がある意味、P側への視野を広げる役目を果たしていると思います。武内Pは、ニュージェネがゴタゴタしてる間にもラブライカの活動はしっかりサポートしている。ニュージェネが全く動けてないことは凛や島村さんを見てればわかりますが、そんな時でもPは仕事をしている。1つ目のポイントとして、凛たちはPが無口、あるいはろくなことを言わないと思っているけれど、基本的に仕事が忙しくて、のんびりコミュニケーションを取っている暇などない人である、という説明があって当然なのにこのアニメでは為されていないのだということ。2つには、Pはラブライカの2人にステージの感想を聞いています。これは、2人に質問はないかと聞いた流れですから、2人から話を聞くという前提があればPも普通に話をするのである、ということを示している。そして、そこから敷衍する3つ目として、ラブライカはきちんと自分達の考えを述べることができるが、みくにゃんにしろ、ニュージェネの3人にしろ、自分達だって話下手なのを棚に上げて武内Pを説明不足だと思っていること。だから、ラブライカとならば成立するコミュニケーションが、みくやニュージェネとは成立しない。

 いえ、賢明な視聴者ならそんなことはわかっていると思いますが。私が言いたいのは、そのことを武内Pがどう捉えているかということです。彼は、あの子達とわかりあうのは難しい。と思っているでしょう。凛も未央も、Pを初めとする社会人、それも立場が上の人達に対する態度は良くない、というか悪い。その上で凛はアイドルに関心が弱いし未央は辞めるとか言っている。Pの考えが全く見えないから伝わらないけど常識的には、アイドルなんて無理じゃないかと思っても不思議はない。
 更にPの側の時間を戻して考えれば、このシンデレラプロジェクトは、Pにとってはトラブル続きです。凛のスカウトでは警察の厄介になっているし、美嘉のダンサーとして参加することも、Pは反対であったし、それが成功したからとデビューさせる決断をしたら、前川さんがストをするし、デビューステージをがんばって成功させたと思ったら、未央が辞めると言い出す。彼女達の側に立ってみればPの無能の一言でしょうが、P本人がどんな気持ちで仕事してきたか考えてみましょう。このアニメはどうも、彼の気持ちに無頓着過ぎるんじゃないでしょうか。

 話を戻します。島村さんは、嬉しかったから、Pに文句なんて言わずに精一杯もてなそうとした。それだけのことですよ。別に天使だとか、Pを励まそうとしたとか、そういう問題じゃありません。むしろ、他の子がPが怒らないのを良い事に世間的な常識を無視してます。初めてですからね、家に上げてもらったの。そりゃ、玄関でお見舞いの品を渡すだけで帰ろうとしますよ。今までそういう扱いしか受けてないんだから。

 人間、自信をなくすと、踏み込めなくなります、それは何が問題なのか見えないと、凛が賢い子であってもPに尋ねる以外どうしようもない。アイドルとは何か? それを凛に問うのは酷で。Pが自分で探して未央と凛に見せるしかないけど、それこそ今の彼にとって、最も欲しくても手に入らないもので。でも、あったんですね、島村家に。だから彼は自分を取り戻した。でも、それは普通は、あって当然なんですよ(^^;)。なのに、彼が無能だからと言えばそれまでだけど、彼には与えられなかった。だから彼女達にはアイドルは無理なんじゃないか、そして自分にはPなんて無理なんじゃないか、そう思ったかもしれない。そこまで彼が追い詰められたのかどうか、このアニメはそれを描いていない。とても丁寧な物語進行をしているように見えるのに、あえて見せていない、それも演出というものですよね。不思議な話ですけど、アイドルの輝きを見せるアニメで、アイドルを輝かせるのが仕事である男が、アイドルの輝きを見ることができずにいたということで。7話でやっと彼はそれを見出した、だから彼は動いた、そういう話ではないかと思っています。

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 もう1つ別の話を。

 島村さんが劇マスの春香さんと重なって見える、みたいな感想があったんですが。私もね、アニデレよりも劇マスの方が、言いたいことはたくさんありまして。春香さんが団結装置、みたいな言い方は、結構、アニマス終盤から劇マスにかけて、いろんな人に言われてたんですが。多分、団結が嫌いなんですね、特に無印のソロプロデュースに慣れ親しんだプレイヤーは。無印は765の横の繋がりを描かないし実際、ドラマCDでも特に中心メンバーなんていなくて、その都度、ドラマの性格によってまとめるキャラクターが違ってても、特に困らなかった。まあ、亜美真美、美希、雪歩や真がまとめに回るって事は少ないですけど。それは響や貴音もそうですし。それがアイマス2以降一変した、とは言えるかもしれません。それでもアイマス2は誰でもリーダーになれる。それがアニメだと、中心を1人に絞るということになるし、すると春香さんになる。そういう流れですね。
 では2春香さんは無印と全然違うかっつーと、間にDSとSPがありまして。そこでは765じゃないけど人間ドラマがあって、人と人との絆が描かれるわけです。そうした時の春香さんと言うのは、別にリーダーじゃないけど、やはりリーダーの器を持った子でした。春香さんは積極的に人と関わるし、それを大事にするし、そして、誰かを引っ張るよりも、一緒に頑張っていこう、つまりは、本当は引っ張って欲しいんだけど、それを言ったら甘えなのがわかっているから、一人じゃ不安だから一緒にいてねという態度になるという、そういう自分に自信のない女の子です。

 もう一度言います。自分に自信のない女の子です。

 一応念のために言っておくと、それはアイドルとして致命的です。

 アイマス2にしろ、アニメにしろ、劇場版にしろ、そういう女の子がリーダーとして皆を引っ張っていくとなったらどんなに大変か、それを描いている。

 それだけのことだと思います。団結おばけとか思った事はありません。

 などと考えていたらcha73氏の記事で、興味深いと思った点が出てきて。
これと、

ここでPは「私はこのままあなたたちを失うわけにはいきません」と言うんですが、
これは本当であればバッドコミュニケーションになるんですよ。
未央のことではなく、Pが自分の都合のことを言ってしまっているので。


これ
また機会を改めてがっつり書きますが、その可奈の甘さにトドメを刺したのは、
他でもない春香なんですよ。
「でも諦めたくないんだよね? なら大丈夫だよ どうしたいかだけでいいんだよ」
この呼びかけを、春香は優しいなあ、天使みたいだな、なんて言う人がいますが、逆じゃないですか?
これは悪魔のささやき、呪いですよ。
だってこんなの憧れの人から言われた時点で、断れないじゃないですか。
あんなに太って、ダンスもうまくならないのに、「やろうぜ、キミならやれる」って。
これは恐ろしい勧誘ですよ。だから、春香もギリギリまで悩んだ。簡単に言えなかった。
可奈のことを「辛いこと投げ出して楽になったとは思えなかった」と確信して、
それでやっと言うことを決断できた。

だから劇マスの春香を聖人君子みたいだ、というのはちと違うんじゃないかなと。


 これ、実はどっちも未央がテーマの話なんですが。面白いことに、どっちも相手を引き止める言葉なのに、エゴイストの言葉だと、そう指摘してるんですね。

 ただ、記事の文脈は違う、言いたいことは異なる記事です。cha73氏も忙しいので同じ記事を2つ書いたりはしない。ただ、たまたま、違う文脈で同じ事を品を変えて言ってる。

 春香さんには、アニマス20話での千早に対する「ほっとかないよ!」という引き止めセリフもあります。これもエゴイストの言葉です。

 何が言いたいんでしょうね私。春香さんはエゴイストだって?

 いえ。聖人君子に、団結装置に、そんな甘っちょろい上辺の存在に、他人の人生を背負うことなんてできないと思う。私はそう言いたい。

 Pは何故、未央を連れ戻せたんでしょう。答えは1つだと思います。それはPにとって未央を連れ戻すことが本当に必要だったから、彼と言う1人の人間にとってそれが心の底から必要だったからではないでしょうか。

 それを客観的に呼ぶとエゴという名前なんですよ。

 島村さんが聖人になっちゃったら困るって? あなた単に可愛い女の子と面白おかしく生きていきたいだけじゃないですかね。

コロッケは高カロリー

 9月に96kgあったのがダイエットして今76kgですが皆様いかがお過ごしでしょうか。コロッケを腹いっぱい食べたい昨今です。

  デレマスCD、今回はフレデリカのトークパートが素晴らしいよ、に尽きるでしょうか。最初はカフェでラジオ、だったのに。気がつくとコロッケ。70%が思いつき、残りの30%はコロッケで出来ているという歴史的迷言は広く知られて欲しいものです。でも多分、フレちゃんはそんな発言すぐに忘れるでしょうが。

 ユッキはノーマルを即特訓して守備の要としてフロントに入れてた頃が懐かしいですね。私CuPですけど。あの頃はフロントがRで揃ったらデレマス卒業だなとか思ってました。そんな時代もあったなと。曲は普通に変な曲ですけど、カラオケで聞くとまたバカバカしくて良いです。tlopが奏さん曲のカラオケにしきりに感心してましたが、デレマスをカラオケのために買ってるような私と致しましては、「ショコラ・ティアラ」や「ましゅまろ☆キッス」の昔からデレマス曲のカラオケは素晴らしいのでいろいろ聞いていただければと思います。(リンク先の緑枠の再生ボタンで音が出ます。)

ショコラ・ティアラ・オリジナルカラオケ

ましゅまろ☆キッス・オリジナル・カラオケ


 「ましゅまろ☆キッス」のカラオケとか今聞いても鳥肌もので、仮にインストアレンジ版が欲しいとか考えた人がいても、このままでOKだと思います。

 今回のデレマスCDは話題作が多いので私からはこの辺でいいでしょう。さて、LTH07&08も、今回インパクトあって分かり易いから特に言うことないかな、と思ってましたが。

 「水中キャンディ」について考えてたら、めんどくさい話をしたくなってきました。

 風が吹けば桶屋が儲かるみたいな話ですが、BIRTHのCDは、歩の「ユニゾン☆ビート」で終るべきだというのが結論です。

 「水中キャンディ」は、凄い曲です。ただ、このみさんと言えば既に同じ作曲者の「Dear...」がある。この曲が与えたインパクトと比べると、ちょいとコンパクトにまとまってる印象で、目立たないかもしれません。「水中キャンディ」は「Dear...」の延長にある曲と思うと、あるいは馬場このみというキャラクターのイメージで聞こうとすると、ちょっと外れてしまう曲です。そういう先入観を取っ払ってフラットな気持ちで聞くと、少しずつ染み込んで来ます。

 ただ、ややこしいのは、この曲は単独で聞くとそういう前提になるけれども、LTH08「ミックスナッツ」のCDで聞くと、自然にそういう障壁が取り除かれるように、なっているんですよ。何故なら、このCDは、ミックスナッツのプラチナスターライブのストーリーをきちんと反映した内容だからです。佐竹ちゃん、育ちゃん、ひなた、亜美、それぞれのキャラクターを生かしたオモチャ箱をひっくり返したような曲が並んでいて、しかも互いの曲が補い合って大きなまとまりを作っている。「SUPER SIZE LOVE!!」のストレートなロックサウンドは「アニマル☆ステイション!」でいい感じにバラけて、騒々しい印象は「りんごのマーチ」にふんわりと抱かれ、緩んだ空気が疾走感のある「WOW!NEED!」(これ「我愛你」(ウォーアイニー、中国語のILOVEYOU)をもじってるんでしょうね)でビシッと締められる。「水中キャンディ」はそんな満を持した状態で流れ出すように構成が出来ている。

 ミックスナッツにおける馬場このみの役割はなんであったか。ユニットのコンセプトを明示すること。リーダーとして皆の意見をひとつにまとめて、大人としての責任と矜持を見せること。そのように、メンバーの曲は1つのコンセプトにまとめられ、それを受け止める形で彼女の"大人の歌"が流れる。個々の曲は目立たなくても、そういう風に作られているんです。

 そんな「水中キャンディ」ですが、これは恋愛の歌ではない、というのもポイントで。パッと見ユニット曲「ドリームトラベラー」が宇宙で、こっちが水中で、ネタが被ってる感じにも見えますけど、被ってるんじゃなくて、呼応している。夢を抱いて飛び出す「ドリームトラベラー」に対して、こちらは「水中から飛び出せない夢」の歌なんですね。子供が無邪気に夢に向かっていくなら、大人は夢に向かうことの絶望を知っている。それでも諦めないし、その結果、泡と消えてもいい、そういう悲壮な覚悟の歌。序盤のたゆたうようなメロディーは穏やかな海中の情景、でも彼女はそれを振り捨てて、サビのメロディーと共に一気に跳躍する。この歌声の加速感は聴けば聴くほど伸びやかで、楽曲だけでも歌詞だけでもない、尋常ならざる高橋未奈美さんの歌の力を感じさせます。この高音の伸びはライブじゃ再現できないんじゃないかと。その意味では天さんの「ライアールージュ」にも似たピーキーさを持っていると思う。

 そんなわけで、個々の曲のインパクトで言うとBIRTHの07の方が目立つ気がするのに、聴き終えたときの印象では、ミックスナッツの方が心に残るんですよ。では、BIRTH編のストーリーはつまらなかったか? いや、すごく良かったと思います。なのに、どうしてこうなったんだろうと。

 07の話に移る前に「りんごのマーチ」の話もしときます。いや好きなもんで(^^;)。木下ひなたと言えばLTP09「あのね、聞いてほしいことがあるんだ」でも、アレンジが凝ってます。あの曲はカントリーの楽器がフィーチャーされてるんですけど、ひなたの声質を殺さないためか、大上段にカントリー風の音にはなっていないのが痛し痒しでした。今回の「りんごのマーチ」でも、マーチなんだからブラスバンド風の音でも良かったと思うんですが、それは彼女の声とぶつかるので回避されて、変わりにハモニカのような足踏みオルガンのような、プカプカしたシンセがフィーチャーされてます。この音色が素晴らしい。そして、音の薄さをカバーするために鉄琴のような音が加わって彩りを添えている。そう考えるとオルガンでもハモニカでもなくて、あれは鍵盤ハーモニカ、俗に言うピアニカをイメージした音なんだと思えます。ピアニカと鉄琴とスネアドラム、すなわち小〜中学生の鼓笛隊です。高校生以上ならブラスバンドだろうところを、あえて小中学校の鼓笛隊にしたら、ひなたの声にぴったり合うというマッチングの妙。ロリ万歳。そして生ドラム。打ち込みとは違う生ドラムの垢抜けない音響がまた、この曲にふさわしい空気感を醸し出していて和むのでした。

 では気が済んだところで本筋に戻ってLTH07。こちらも決してBIRTHのストーリーを無視したわけではない。むしろユニット曲「Birth of Color」は彼らのストーリー抜きには語れません。1つ言うなら、この曲名はマイルス・デイビスの「Birth of the Cool」が元ネタだと思います。

 「クールの誕生」、実にかっこいいタイトルではないか。彼らのユニットも、最初はそれを目指していた。しかし、本当にやりたかったのはクールじゃなかった。だから"Cool"は"Color"になった。ユニット名としてはBIRTHって他のと比べると異色ですが、彼女達は実際、自分達の色を生み出したわけで。「Birth of Color」はあちこちでキンコンと鐘が鳴っていて、すなわち祝福の曲なんだろうと思います、誕生おめでとうって。

 そこまで象徴的なユニット曲を擁しながら、実際にはLTH08、バラバラでまとまりなく聞こえる。「Color」だから、あながち間違ってはいない、それぞれの個性を出しているんだから。ただ、「クールもかわいいも叶えてゆける」という程の曲は、ないんです。むしろLTP09に似て実験的で個性がぶつかり合った1枚、というのが適切で。

 曲を個別で見ると、真はLTPよりずっと前進してる。LTPの真は歌詞の面で広がりはあったものの、音楽的にはユニット曲まで含めて保守的だったと思う。あちらにも歩がいて、逆に言えば、歩という同傾向のキャラが脇で支えないと危なっかしい、という扱いで。

 そもそも、LTHではソロのラストはリーダーの曲だし、LTPでも、無印765以外の子がソロの最後を務めるのはレアだし、その場合には強い必然性があった。ジュリア、桃子先輩、昴がトリなのは物語上の必然だし、もがみんの「Precious Grain」は天空橋さんの「Maria Trap」が真っ黒に塗りつぶした空気を払拭する唯一無二の楽曲として必要だった。真のいるLTP11だけ、真がラストじゃない理由って、希薄なんですよね。あのCDは、楽曲とドラマの繋がりが薄いというか破綻してるといってもよいものだった。

 今回のLTHでは真のソロはありきたりのダンス曲やアニソン風ではないし、リーダーの曲としての求心力を感じさせるもので、そしてラストよりもトップバッターに来る必然性もある。ただ、代わりにラストに来る曲が、可奈の「おまじない」というのはどうなのか。単純に曲の完成度で言えば、確かに「おまじない」は名曲です。ただ、ストーリー上の必然性があるわけでも、全員の曲を受けてエンディングとなるにふさわしい曲、というのでもない。

 だって、「Birth of Color」で始まるんですよ。これがラストなら良かったのかも知れないけれど、この曲だって、高らかに鐘の音が響き渡る祝福の曲として、最初に来るのがふさわしいでしょう。そしてこの曲は歌詞の内容である

 「重ねあおう パステルを 繋がれ 空へと」

 にふさわしい曲です。この曲で、明らかに真のキーが低いです。なのに、LTP11のように保守的な歌い易い歌にはなっていない。真が低いメロディーを効果的に歌って、雪歩と可奈が高いメロディーを効果的に歌って、歩とあずささんが高低を取り持つように繋ぐ。全員がそれぞれのできることを持ち寄って完成する曲になっている。このユニットには何でもそつなくこなす天才・秀才型のアイドルがいません。皆、得手不得手のある、ある意味コンプレックスの塊のような集団です。それがパッチワークのように不器用に、でもひとつになることで新たな個性を"生み出して"いる。

 可奈の「おまじない」という曲は、そういうユニットのあり方と呼応しているわけではなくて、ある意味、孤独な歌です。このCDの中では唯一「かわいい」側の曲と言えなくもないけど、それよりも、天衣無縫な矢吹ちゃんの強さたくましさを表現する曲という面が強い。いやね、矢吹ちゃんがソロでトリだと知った時には胸が躍りましたし、実際素晴らしい歌なんでグッと来ました。でも、「Birth of Color」で始まって、この曲で終るのは、やはり違う気がする。かと言って悲恋の歌である「月のほとりで」や、ピリピリするような緊張感のある、己との戦いを歌う「Impervious Resolution」でもないでしょう。

 だから、私はこの07は、「Birth of Color」→真「WORLD WIDE DANCE」→雪歩「Impervious Resolution」→あずささん「月のほとりで」→可奈「おまじない」と来て、最後にもう一度、皆で繋がって行こうという歩の「ユニゾン☆ビート」に戻って終るのが、正しいんじゃないかと。

 「ユニゾン☆ビート」は元は真の次に来る曲ですけど、それだと芸風が被ってしまって存在感のない地味な曲で終るんですよね。それを最後に回すと、俄然、説得力が出るように思います。苦労人である彼女だから、個性的な面々を受け止められる、BIRTHはそういうユニットだってことで、いいんじゃないかと。

 別に曲順を変えて遊びたいわけではなくて、私は07が大好きです。好きだからこそ、07を聞いて08を聴いて、最後に「水中キャンディ」が心に突き刺さってくると、BIRTHはなんでこうなってしまったんだろうと思わずにいられない(^^;)。凄いですよね、真と雪歩とあずささんがいて、誰もソロのラストじゃないってんだから。ちなみに07のWelcome!!の真「こーの思い全部―!」可奈「大好き――!!」雪歩「ふぇぇぇ」の流れがとてもいいと思います。