ちょっと雑談。

 ツイッタでハニハニPがシンクロ談義に辟易して、「フォーサイスのソロを100回くらい見ればいいんじゃないの…」とぶん投げたツイートをtloPが拾って「100回見ます!」と言ってこの動画を。

・William Forsythe - Solo

 この動画には「ウィリアム・フォーサイスの教則CD-ROM付属、フォーサイス自らのインプロヴィゼーション」と投稿者コメがあります。

 で、ハニハニさんがダンスで例を出すなら俺はこれだと、テリー・ライリーの「InC」を音楽のシンクロとして挙げたんですが↓、これもtloPが「100回聞きます!」と。

・In C by Terry Riley - original recording - Part 1


 その後にtloPが、「フォーサイスをミュートにして流しながら別窓でInCを聞いていれば究極のシンクロに至れる...!?」などと言いつつ両者を合わせてMADにしたのがこれなんだけど(笑)。

・100回見る


 全く違う文脈の素材を合わせたんだから、合うはずがないように見えますが、それなりに合うところもあって。その「それなり」について話をするのがこの記事の趣旨です。

 私はフォーサイスの動画を全く見ないでInCを挙げて、tloPの動画を先に見て、後から元のダンス動画を見たのですが。

 ダンスと音楽という異なる領域のこの2つの素材には、ある共通点があります。ハニハニさんがどういう意図でこのダンスを挙げたのか知らないけれど。両者は共に「即興(インプロヴィゼーション)」という言葉でリンクするのです。

 ただし、フォーサイスのダンスはソロです。ライリーの音楽は複数人数のアンサンブルを構造上必須とするものです。これは大きな違いで、ゆえにライリーの方も1パートだけであれば、もっとこのダンスに合うだろうし、なんらかの「ソロ楽器による即興音楽」であれば、ライリーのこの曲よりも、もっとシンクロ率が上がるだろうと思います。

 実際に元動画を見ると、ヴァイオリンソロの即興音楽がバックについてました。いえ、もしかしたら即興に聞こえるだけかもしれませんが。

 話を戻すと、重要なのは即興そのものではなくて、そこに自然発生的に生まれるルールです。

 完全な即興であれば、そこにはルールなどない、と考えるのが普通でしょうが、同時に即興とは、無から有を生み出すのではなくて、個人のイマジネーションの中から生まれたものを瞬時に掴み取って形にするという制約に基いています。ゆえに、踊るのが「私」という五体をもった人間である、という事象から逃れられません。空は飛べないし、ホメ春香のように変形も出来ません。自由であっても無限の自由ではなく、制約の中の自由だということです。

 そしてまた、楽器演奏も同じ事情を抱えています。

 動画のフォーサイスのダンスは、好き勝手に踊っているように見えますが、よく見ると1つの流れに収まっているのがわかると思います。そこには、時系列すなわち、直前に踊ったモーションから完全に逸脱することなく全体で1つのダンス、1つのリズムを刻むことが意図されているのです。だから、完全即興でない、固定のビートを刻むライリーの「InC」であってもある程度合います。

 すなわち、これは即興の1つのパターンです。本来ダンスの振り付けというのは、頭に浮かんだ複数のモーションを効果的に組み合わせて1つの繋がったダンスにまとめるという作業を経るのですが、考える時間が充分にない即興においては、複数のダンスを思いつくとは限らないし、組み合わせてまとめるための思考時間も足りません。

 ゆえに、最初に思いついたモーションを反復しながら、すこしずつバリエーションを加えて変えていく。そういう手法をこの動画のダンスでも使っていると考えてよいと思います。反復すればそこにはリズムが生まれるし、バリエーションなのだから、大きな逸脱はありません。起承転結ではなく、ひたすら起承承承で進行していくということです。

 更には、世の中にはダンスのための音楽というものが存在し、そのジャンルの幾つかも、同じ手法によっています。クラッシックの用語で「オスティナート」と呼ばれるもので、バッハの「シャコンヌ」、ラヴェルの「ボレロ」などが有名でしょう。どちらもダンス曲の形式がそのまま曲名として使われているもので、フレーズの反復と、細かなバリエーションによって成立しています。

 ライリーの「InC」のようなミニマル・ミュージックも、トランスのようなテクノも、基本的に同じ手法によって作られています。そしてそれらもダンスのための音楽が基盤になっています。

 ただ、これらのダンス音楽は原則的には即興ではありません。しかし、創作ダンスやバレエよりも極めて限定的なダンスに合わせるための音楽であるという制約が、即興ダンスと同じルールを導き出しているわけです。

 一方で、クラブミュージックでは、DJが別の曲に繋ぐ時に速度を微調整し、テンポを同じに保って繋ぐことで、複数の楽曲を1つのダンス音楽として持続させていくという手法により、即興性を孕みます。

 「InC」もまた、フレーズの反復回数は自由であり、そこに即興性を孕みます。Aというフレーズの次にBというフレーズを演奏する、という順序は決まっているけれど、Aを10回繰り返してBを5回繰り返すのも、Aを1回演奏してBを14回繰り返すのも、奏者の判断に任されています。(但し、各自のフレーズが離れすぎないように、互いの演奏を聴き合って、最大5フレーズ以上ずれないようにすること、という制限がついています)

 そういった音楽のありようとしての「InC」と、フォーサイスのこの教則としての即興ダンスのありようは、とてもよく似ているということです。

 簡単に言えば、それらが示しているのは、即興による逸脱を希求しながらも、その結果突き当たる壁であり、その壁によじ登ろうとするストイックな努力、ということになります。ダンスの背負う宿業、音楽の背負う宿業にして、剥き出しにされた核の部分だということ。

 ニコマス動画におけるシンクロって何よ、という話をするときに、まずダンスの核とはなにか、音楽の核とはなにか、という部分から話を始めるとか面倒なことにも意外と需要があったので、そういう話もいいかということで。

 実は、この「InC」の手法は、シロウト向けの作曲講座としても機能します。好きな旋律を1つ思いついて、あとは反復することで、誰でも曲を作れますという。すなわち、たくさんのメロディーを思いつくことができない人、思いついたとしても、それを楽曲として構成することが難しいという人でも、この方法なら通用すると。それはつまり、原初の音楽がそういう形で生まれてきたということであり、音楽が長い歴史を重ねた上での先祖がえり的な意味合いを、ミニマル・ミュージックが意図しているということでもあります。

 ただ、本当に作曲を全く知らない人がその手法で作る楽曲と、既に作曲法を知識・経験として積み上げた人があえて逆行するのとでは、生まれてくる音楽は同じにならないと思います。後者の方が、より研ぎ澄まされた核の部分を抽出できると考えられるからです。

 ゆえに同様の考えをダンスにも適用した場合、誰でも最初から即興でフォーサイスと同じように踊れるわけではないということです。

----

 長々と雑談をしてきましたが、そこから何が言えるかというと。ルールは作るものではなく、生まれるものだという事でしょうか。