21.August.2017

POP TATARI

三重県部落史料集(近代篇)



書誌情報

  • 三重県部落史料集(近代篇)
  • 発行日
  • 1974年12月15日
  • 編者
  • 三重県厚生会 上田音市
  • 発行所
  • 株式会社三一書房
  • 発行者
  • 竹村一



内容

  • p112-124 壬申戸籍調査集計表(三重県部落史編集委員会調査)
■長島町松ヶ島

■四日市市日永村采女村赤堀村寺方村小牧村

■大安町丹生川上

■亀山市亀山東町

■関町関木崎町

■鈴鹿市中戸村肥田村

■芸濃町雲林院村岡本村

■津市分部村

■安濃村安部村清水村

■美里村桂畑村■久居市本村 洗ヶ瀬木造村谷柚村本村 大沢

■美杉村石名原村太郎生村竹原村八知村■白山町南家城村八対野村三ヶ野村山田野村佐田村川口村

■一志町波瀬村 岩垣内八太村荘村

■嬉野町新屋之荘村黒野村見永村田村

■三雲村舞出村檜原村中林村

■松阪市美濃田村矢川村久保村大黒田村東岸江村西岸江村駅部田村丹生寺村川上村松阪町作船江田塚之坪河原田寺井村田村村山室村伊勢寺村東村小片野村立野村庄村

■飯高町青田村富永村乙栗子村田引村宮本村粟野村

■飯南町有間野村向粥見村

■多気町三疋田村東池上村前村笠木村平谷村野中村菅合村粟生村

■大台町佐原村上菅村上三瀬村下三瀬村弥起井村栃原村

■宮川村唐櫃村南村

■明和町前野村志貴村佐田村行部村有爾中村斎宮村

■伊勢市朝熊村黒瀬村中須村一色村竹ヶ鼻村磯村中島町朝熊村山田一之木町山田宮川町

■二見町松下村

■小俣町小俣村

■度会町一之瀬村市場

■御薗村長屋村

■玉城町谷村有田村妙法寺有田村井倉

■大内山村駒村

■南島町伊勢路村村山村棚橋竈

■南勢町切原村

■紀勢町錦村柏野村崎村

■大宮町藤村神原村古里村阿曾村金輪村三瀬川村

■磯部町山原村迫間村山田村

■鳥羽市河内村

■長島町嶋原村十須村赤羽村志子二郷村前山村

■海山町上里村中里村馬瀬村古本村河内村

■尾鷲市林浦

■御浜町栗須村

■熊野市口有馬村

■上野市寺田村浅宇田村

■伊賀町柘植村

■大山田村奥馬野村

■名張市元狭田村一ノ井村青蓮寺村神屋村

■上野市下郡村

■青山町老川村北山村


zannin666 at 04:20|Permalink ドエッタにおける穢多族の近畿地方の報告(三重県) 

14.August.2017

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三重県(後半)



三重県部落史料集(近代篇)(1974年)



施設等



関連団体

  • 三重県水平社本部 - 飯南郡松阪町
  • 東岸江水平社 - 飯南郡松阪町字東岸江
  • 青年水平社 - 飯南郡松阪町字日野町
  • 花岡水平社 - 飯南郡花岡村
  • 一志水平社東部支社 - 一志郡桃園村字木造
  • 伊賀水平社 - 阿山郡城南村字上野
  • 浜野支部 - 度会郡浜郷村字黒瀬中崎
  • その他の水平社所在地は宇治山田市曽根町、津市愛宕町、一志郡久居村、一志郡川合村字八太、多気郡佐奈村字平谷
  • 部落解放同盟三重県連 - 三重県津市愛宕町20(同一番地に「部落解放同盟津支部」名義でも登録あり)
  • 部落解放同盟深谷支部 - 三重県桑名市上深谷部
  • 上野市役所解放同盟事務局 - 三重県上野市八幡町
  • 部落解放同盟三重県連上野市協議会依那古支部 - 三重県上野市下郡17
  • 部落解放同盟南勢協事務局 - 三重県伊勢市岡本3-331-1
  • 部落解放同盟松阪市協議会 - 三重県松阪市東町
  • 部落解放同盟迫間支部 - 三重県志摩市磯部町迫間
  • 部落解放同盟松尾支部 - 三重県松阪市丹生寺町
  • 自由同和会三重県本部
  • 自由同和会南紀支部 - 三重県南牟婁郡紀宝町桐原1847
  • 自由同和会南紀支部熊野連絡所 - 三重県熊野市有馬町4621-10
  • 全日本同和会三重県連合会 - 三重県桑名市長島町十日外面354
  • 人権連三重 - 三重県松阪市宮町字西浦 282-1 松阪民主会館

隣保館

  • 桑名市深谷市民館 - 桑名市大字下深谷部5074番地2
  • 桑名市深谷桑栄市民館 - 桑名市大字上深谷部415番地
  • 鈴鹿市一ノ宮市民館 - 鈴鹿市一ノ宮町870
  • 鈴鹿市一ノ宮団地隣保館 - 鈴鹿市一ノ宮町500-48
  • 鈴鹿市玉垣会館 - 鈴鹿市東玉垣町522-1
  • 伊賀市八幡町市民館 - 伊賀市八幡町3192番地の1
  • 伊賀市下郡市民館 - 伊賀市下郡77番地の4
  • 伊賀市寺田市民館 - 伊賀市寺田225番地
  • 伊賀市久米町市民館 - 伊賀市久米町514-3
  • 伊賀市木興町市民館 - 伊賀市木興町15-84
  • 伊賀市いがまち人権センター - 伊賀市拓殖町8898
  • 伊賀市ライトピアおおやまだ - 伊賀市奥馬野17番地
  • 伊賀市老川隣保館 - 伊賀市老川1790番地1
  • 名張市比奈知文化センター - 名張市下比奈知1521番地
  • 名張市一ノ井市民センター - 名張市赤目町一ノ井826-2
  • 津市中央市民館 - 津市愛宕町233番地
  • 津市櫛形市民館 - 津市分部262番地1
  • 津市長谷山市民館 - 津市分部1712番地1
  • 津市雲出市民館 - 津市雲出島貫町488番地7
  • 津市久居北口市民館 - 津市久居北口町2709番地6
  • 津市久居北口文化会館 - 津市久居北口町560番地5
  • 津市榊原市民館 - 津市榊原町10032番地
  • 津市雲林院福祉会館 - 津市芸濃町雲林院1019番地
  • 津市川合文化会館 - 津市一志町八太420番地4
  • 津市美杉人権センター - 津市美杉町竹原2821番地
  • 津市白山市民会館 - 津市白山町川口892番地
  • 津市中野文化会館 - 津市美里町北長野3001番地
  • 松阪市第一隣保館 - 松阪市京町54番地1
  • 松阪市第二隣保館 - 松阪市東町15番地2
  • 松阪市中原文化センター - 松阪市嬉野田村町425番地
  • 明和町人権センター - 多気郡明和町大字佐田458番地の2
  • 伊勢市黒瀬市民館 - 伊勢市黒瀬町1180番地
  • 伊勢市朝熊市民館 - 伊勢市朝熊町1677番地11
  • 伊勢市大久保市民館 - 伊勢市朝熊町2602番地7
  • 尾鷲市林町会館 - 尾鷲市林町7番9号
  • 志摩市迫間文化会館 - 志摩市磯部町迫間526-16

水平社の所在地

大正13年4月30日の段階で、下記の地区に水平社があった。

  • 中村
  • 田村
  • 妙法寺
  • 久保
  • 天神裏
  • 貝鍋
  • 寺井
  • 東南支部中井広吉
  • 田村新田
  • 清生
  • 行部
  • 駅部田
  • 久米
  • 粥田
  • 立野
  • 上川
  • 井倉
  • 笠木
  • 佐田下尾
  • 佐田南野
  • 弟国
  • 大頭
  • 伊勢寺
  • 丹生寺
  • 東岸江
  • 小片野
  • 橋本
  • 美濃田
  • 山黒田
  • 洗ケ瀬
  • 黒瀬
  • 上路
  • 島貫
  • 曾原
  • 日野町二丁目
  • 五由田
  • 木造

改良住宅

津市

  • 大井住宅 - 津市中河原170番地3、170番地7、183番地2、2003番地27~2003番地31、2003番地33、2003番地35、2003番地36及び2062番地1
  • 高洲住宅 - 津市高洲町3番1号~3番12号、6番1号~6番12号、7番1号~7番8号、7番10号~7番24号、10番1号~10番24号、11番1号~11番12号、11番15号~11番22号、14番1号~14番18号、18番1号~18番10号、18番15号~18番41号、18番43号~18番49号、19番1号~19番12号、22番1号~22番12号及び23番1号~23番24号

伊勢市

  • 黒瀬改良住宅 - 伊勢市黒瀬町1844番地ほか, 黒瀬町1892番地ほか, 黒瀬町1919番地1ほか
  • 朝熊改良住宅 - 伊勢市朝熊町2650番地

熊野市

熊野市有馬町2800-3近辺の集合住宅群である可能性。

桑名市

  • 築地町住宅 - 桑名市大字下深谷部4847番地
  • 長侭住宅 - 桑名市大字下深谷部4908番地1
  • 吉野町住宅 - 桑名市大字下深谷部4600番地
  • 深川町住宅 - 桑名市大字下深谷部20番地
  • 桜木町住宅 - 桑名市大字下深谷部518番地
  • 秋葉町住宅 - 桑名市大字下深谷部4800番地5
  • 高砂町住宅 - 桑名市大字下深谷部543番地10
  • 第2築地町住宅 - 桑名市大字下深谷部4695番地
  • 川崎住宅 - 桑名市大字下深谷部4544番地1
  • 出口住宅 - 桑名市長島町出口196番地1, 長島町出口296番地
  • 西外面住宅 - 桑名市長島町西外面2189番地1
  • 十日外面住宅 - 桑名市長島町十日外面93番地
  • 松ヶ島住宅 - 桑名市長島町十日外面350番地5

鳥羽市

  • 鳥羽市改良住宅 - 鳥羽市鳥羽5丁目

松阪市

  • 幸生町改良住宅 - 松阪市東町
  • 東町改良住宅 - 松阪市東町
  • 東町第2改良住宅 - 松阪市東町
  • 東町第3改良住宅 - 松阪市東町
  • 東町第4改良住宅 - 松阪市東町
  • 京町改良住宅 - 松阪市宮町
  • 笹川町改良住宅 - 松阪市笹川町
  • こだま団地 - 松阪市嬉野須賀領町

伊賀市

伊賀市八幡町3197近辺の低層住宅群は同和住宅の可能性。要調査。

鈴鹿市

鈴鹿市一ノ宮町812近辺の二戸一住宅群は鈴鹿市小集落改良住宅管理条例に基づく同和住宅である。

多気郡明和町

  • 明和町小集落改良住宅 - 多気郡明和町大字馬之上141-25

教育集会所

  • 津市高洲町教育集会所 - 津市高洲町15番30号
  • 津市北口教育集会所 - 津市久居北口町875番地5
  • 津市下村教育集会所 - 津市榊原町8161番地2
  • 津市森教育集会所 - 津市森町1910番地4(1910-1とも)
  • 津市明神教育集会所 - 津市久居明神町1463番地10
  • 津市榊原上教育集会所 - 津市榊原町10295番地1
  • 津市桃園教育集会所 - 津市木造町2160番地1
  • 津市木造教育集会所 - 津市木造町1755-2
  • 津市北岡本教育集会所 - 津市芸濃町岡本1284-6
  • 津市新田教育集会所 - 津市芸濃町雲林院834番地17
  • 津市青木団地教育集会所 - 津市芸濃町雲林院960番地53
  • 津市殿町教育集会所 - 津市芸濃町椋本410番地15
  • 津市長野教育集会所 - 津市美里町北長野3番地1
  • 津市東山教育集会所 - 津市美里町北長野2699番地3
  • 津市川合教育集会所 - 津市一志町八太417番地6
  • 津市大広教育集会所 - 津市白山町川口6520番地
  • 津市上佐田教育集会所 - 津市白山町佐田948番地
  • 津市八対野教育文化会館 - 津市白山町八対野92番地2
  • 津市家城文化センター - 津市白山町南家城164番地1
  • 津市梅ヶ広教育集会所 - 津市美杉町八手俣48番地7
  • 四日市市立人権プラザ天白 - 四日市市日永二丁目5番15号
  • 四日市市立人権プラザ赤堀 - 四日市市赤堀三丁目1番21号
  • 伊勢市朝熊教育集会所 - 伊勢市朝熊町1656-2
  • 伊勢市黒瀬教育集会所 - 伊勢市黒瀬町1718-7
  • 伊勢市小木教育集会所 - 伊勢市小木町605
  • 鈴鹿市一ノ宮教育集会所 - 鈴鹿市一ノ宮町812番地
  • 鈴鹿市玉垣教育集会所 - 鈴鹿市東玉垣町523番地の1
  • 舞出教育集会所 - 松阪市舞出町459
  • 笹川町教育集会所 - 松阪市笹川町17-7
  • 松阪市丹生寺教育集会所 - 松阪市丹生寺町842番地
  • 宮町教育集会所 - 松阪市清生町715-1
  • 松阪市清生町教育集会所 - 松阪市清生町533番地(松阪市宮町678-2とも)
  • 松阪市清生団地教育集会所(清生団地寿教育集会所) - 松阪市清生町503番地1
  • 松阪市東町教育集会所 - 松阪市東町319番地
  • 松阪市新房教育集会所 - 松阪市山室町195番地
  • 松阪市久保二町会教育集会所 - 松阪市久保町868番地3
  • 松阪市高見教育集会所 - 松阪市大黒田町625番地5
  • 松阪市城南教育集会所 - 松阪市大黒田町1589番地4
  • 松阪市幸生教育集会所 - 松阪市幸生町531番地
  • 松阪市京町教育集会所 - 松阪市京町33番地7
  • 松阪市庄教育集会所 - 松阪市庄町263番地
  • 松阪市三雲研修センター - 松阪市久米町2008番地
  • 中部台教育集会所 - 松阪市立野町639-43
  • 老川教育集会所 - 伊賀市老川61-4
  • 寺田教育集会所 - 伊賀市寺田226番地及び1894番地2
  • 大土教育集会所 - 伊賀市上村1350
  • 八幡町教育集会所 - 伊賀市八幡町3182-13
  • 下郡教育集会所 - 伊賀市下郡84-1
  • まえがわ教育集会所 - 伊賀市柘植町8898番地
  • まえがわ青少年活動センター - 伊賀市柘植町8898番地
  • 奥馬野教育集会所 - 伊賀市奥馬野17番地
  • 沢代教育集会所 - 伊賀市阿保211-2
  • 名張市一ノ井教育集会所 - 名張市赤目町一ノ井311番地1
  • 名張市百々教育集会所 - 名張市神屋1172番地
  • 名張市比奈知教育集会所 - 名張市下比奈知1521番地1
  • 桑名市深谷沢北教育集会所 - 桑名市大字下深谷部4798-1
  • 桑名市深谷教育集会所 - 桑名市大字下深谷部4929-2
  • 桑名市深谷桑栄教育集会所 - 桑名市大字上深谷部367-55
  • 桑名市長島教育集会所 - 桑名市長島町十日外面153
  • 丹生川上教育集会所 - いなべ市大安町丹生川上650番地1
  • 玉垣教育集会所 - 鈴鹿市東玉垣町523-1
  • 行部教育集会所 - 多気郡明和町大字行部376番地の2
  • 妻ケ広教育集会所 - 多気郡明和町大字明星1199-24
  • 勝見第二教育集会所 - 多気郡明和町大字斎宮938-9
  • 片上教育集会所 - 北牟婁郡紀北町紀伊長島区東長島2239-1
  • 志子奥教育集会所 - 北牟婁郡紀北町紀伊長島区島原615番地1
  • 此ヶ野教育集会所 - 北牟婁郡紀北町紀伊長島区十須1098番地12
  • 島地教育集会所 - 北牟婁郡紀北町紀伊長島区島原3172番地
  • 田山教育集会所 - 北牟婁郡紀北町紀伊長島区東長島1430番地5
  • 鯨教育集会所 - 北牟婁郡紀北町海山区馬瀬1228番地1
  • 大紀町中瀬教育集会所 - 度会郡大紀町柏野1316番地2
  • 大紀町宮里教育集会所 - 度会郡大紀町柏野1102番地
  • 大紀町東下崎教育集会所 - 度会郡大紀町崎2364番地2
  • 大紀町大内山教育集会所 - 度会郡大紀町大内山3866番地7
  • 切原教育集会所 - 度会郡南伊勢町切原455

人権センターなど

  • 三重県人権センター - 津市一身田大古曽693番地1
  • いがまち人権センター - 伊賀市柘植町8898
  • 四日市市人権センター - 四日市市諏訪町2番2号
  • 桑名市人権センター - 桑名市中央町三丁目79番地
  • 鈴鹿市人権教育センター - 鈴鹿市一ノ宮町500番地の46


zannin666 at 05:38|Permalink ドエッタにおける穢多族の近畿地方の報告(三重県) 

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三重県(前半)



概況



三重県の被差別部落の統計

調査年地区数戸数人口
1907年223562334317
1921年216708938383
1929年3月254787240894
1934年3月193830341926
1942年-746738789
1946年--42197
1958年1961062648681
1963年19611808地区全体50260、同和関係48238
1967年183地区全体12676、同和関係11198地区全体48652、同和関係42623
1971年196地区全体13669、同和関係11926地区全体49476、同和関係42659
1975年205地区全体13838、同和関係12494地区全体47610、同和関係42914
1985年206地区全体13853、同和関係12499地区全体47670、同和関係42936
1993年203地区全体21182、同和関係12369地区全体63575、同和関係35905
1995年約225(指定地区205、未指定地区約20)12188-

本県の同和地区は文献(三重県部落史料集(近代編))からその多くが明らかになっている。県下の部落の地区数は216ヶ所とされている。

柳田國男「茶筅及びサヽラ(毛坊主考の七)」によると、県内のササラ部落は亀山市字東町、多気郡相可町相可(農業に従事せず川漁のみ)、度会郡田丸町大字佐田(戸数は10。専業農家で皮革を取り扱わず、草履作り、下駄直し、犬殺しなどをしない。以前は綿を作ってこれを打つ仕事をしていたためワタウチとも呼ばれる)にある。

脱獄魔の西川寅吉(通称は五寸釘寅吉)は多気郡上御糸村(現・明和町佐田)の部落の出だが、故郷が南野地区か下尾地区かは不明。2000年電話帳によると明和町佐田には西川姓が9件ある。

部落地名総鑑.zip(※1 要注意 )

インターネットの掲示板「2ちゃんねる」に流出した「部落地名総鑑.zip」というファイルには三重県内の以下の地名が記載されていた。2006年10月27日の毎日新聞によると、発見者は財団法人反差別人権研究所の研究員・松村元樹氏である。

  • 桑名市大字上深谷部
  • 津市愛宕町
  • 津市愛宕町清原
  • 津市相生町
  • 伊勢市朝熊町
  • 伊賀市阿保
  • 四日市市寺方町
  • 四日市市赤堀

松村元樹氏は「部落地名総鑑.zip」について「三重県の地名の書き込みにも被差別部落でない地名が一件ありました」と指摘し、上記8件の地名のうち7件までを被差別部落と公認した。松村元樹氏が何の根拠から7件の地名を被差別部落と認めたのかは明らかにされていないが、『全国部落調査』に載っていないのは伊賀市阿保だけである。ただし同地には沢代教育集会所があった。

松村元樹氏は2016年6月28日、学習会「ネットと人権 -同和地区所在地情報の取り扱いをめぐって」に報告者として参加した。

(※1 流出したという意味でこの欄は書きましたので参考程度にして下さい。リンク先はWikiに以降します。部落地名総に関してはブログでも取り扱います。)

三重県水平社同人による集団恐喝事件


三重県水平社同人による集団恐喝事件(1924年)の被告人の氏名は以下の通りである。

  • 北川伊三郎 - 三重県水平社花岡村大字駅部田支部長
  • 福田清之助 - 三重県水平社花岡村支部委員
  • 丸島浅次郎 - 三重県水平社花岡村支部委員
  • 山口政次郎 - 三重県水平社花岡村支部委員
  • 山口虎之助 - 三重県水平社花岡村支部長
  • 山田駒次郎 - 三重県水平社松阪支部長
  • 吉村亀太郎 - 三重県水平社本部委員



文献



全國部落調査(1934年)

三重縣 昭和九年三月現在

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
桑名郡 桑名町江場ノ内一四六三商業桑名市 江場
〃 長島村松ヶ島四一一八九農業草履表作り桑名市 長島町十日外面通称「南松ヶ島」。位置は「その島(長島)の中央部西側、揖斐川に面し、南北にキュウリ型をした島のほぼ中央部」という。長島町十日外面に南松ケ島漁協や桑名市長島教育集会所あり。
〃 深谷村第四區二六八一七一一養蚕、日傭、出稼桑名市 下深谷部この地区から出た著名人に愛知交際2女性バラバラ殺人事件(2003年)の死刑囚兼岩幸男がいる。ただし彼の父は韓国人。兼岩姓1件。2000年電話帳。
員辯郡 丹生川村上南垣内五二二四九農、商行商いなべ市 大安町丹生川上
〃 梅戸井村北條七五三八九商、農漁業いなべ市 大安町梅戸
三重郡 保々村千栗區五五三〇二農、工、商四日市市 小牧町 千栗前1975年の段階で169戸。『四日市の部落史』第4巻巻末「地域部落史資料収集・調査検討委員会委員」の保々地区の委員名は、6名中3名が坂口姓、2名が森下姓。小牧町に坂口姓16件、森下姓6件。2000年電話帳。
〃 内部村垣内二一農業四日市市 釆女町
〃 常盤村赤堀市場四一一八九商業四日市市 赤堀1975年の段階で64戸。村名は常磐村が正しい。部落解放同盟赤堀支部に鈴木仁、同書記長に山城弘敬あり。また常盤村赤垣(赤堀の誤記か)の資産家に山城喜左衛門、山城藤次郎あり。『四日市の部落史』第4巻巻末「地域部落史資料収集・調査検討委員会委員」の常磐地区の委員名は、5名中2名が清水姓。清水姓16件。鈴木姓11件。山城姓3件。2000年電話帳。
〃 神前村寺方東瀬方六五二八二農業養蚕、藁細工四日市市 寺方町神前の読み方はカンザキ。1975年の段階で76戸。同地の資産家に山下為右衛門、川村末蔵あり。山下姓11件、川村姓17件、川森姓17件。2000年電話帳。
〃 日永村川尻一二八九労働四日市市 日永1975年の段階で52戸。「もともとこのムラは、現在の居住者の家の系譜をさかのぼると二軒の家から分かれていったことが明らかで、ムラ中が家族同様というのは言葉の上だけではなく事実を指しているといってよい。余談ながら、現在50戸ほどになっているこのムラの人口増加はその系譜をたどっていくと、自然増であることは明らかである」という。川尻姓11件。( 『四日市の部落史』第4巻39頁の図を参照。また同書巻末「地域部落史資料収集・調査検討委員会委員」の日永地区の委員名は5名中4名が川尻姓である。2000年電話帳によると、日永2-4-40や日永2-4-43一帯の二戸一に川尻姓が集中している。 )2000年電話帳。  『四日市の部落史』第4巻39頁の図を参照。また同書巻末「地域部落史資料収集・調査検討委員会委員」の日永地区の委員名は5名中4名が川尻姓である。2000年電話帳によると、日永2-4-40や日永2-4-43一帯の二戸一に川尻姓が集中している。



鈴鹿郡 亀山町


井尻


二二


一二三


農、商


土工、織物工




亀山市 井尻町


〃町
関 


木崎町、木崎区二十番組

二八

一四三

農業


日雇、皮革商、牛馬商

亀山市 関町
木崎


〃 国府村


地之兎、前田


三〇



鈴鹿市 国府町

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
鈴鹿郡 井田川村境町、小田農業亀山市 井田川町小田姓2件。2000年電話帳。
〃 野登村平尾四二亀山市 両尾町 平尾
河藝郡 稲生村北山一二五五鈴鹿市 稲生町
〃 天名村徳田、山ノ腰四三養蚕鈴鹿市 徳田町
〃 玉垣村大垣内三九二二一農、商鈴鹿市 東玉垣町民衆史研究会『民衆史研究(1982)第22~34号』93頁に「河芸郡玉垣村大垣内 、県の補助によって公会堂建設工事に着手(一九三〇年三月…竣工)」とある。鈴鹿市立千代崎中学校(東玉垣町2863)は人権教育研究推進事業人権教育総合推進地域推進協力校であり、同校の出身者にタレント、女優の加藤紀子がいるが、加藤が部落か一般かは不明。
〃 一ノ宮村中戸五二二四〇農業、商業労働鈴鹿市 一ノ宮町
〃 飯野村三日市四三農業鈴鹿市 三日市町白塚山姓10件。2000年電話帳。地区名としても白塚山の呼称あり。
安濃郡 雲林院村北垣内、南山二三九一二三二農、商日雇、藁細工津市 芸濃町雲林院 南山
〃 櫛形村向井垣内五六三〇二農業山稼、日雇、伊勢表津市 分部
〃 〃四軒屋、垣内一二六六津市 分部
〃 〃山垣内八〇四三一津市 分部
〃 草生村生水二六一四八伊勢表津市 安濃町草生 生水
〃 安濃村清水一一五四津市 安濃町清水
〃 安西村岡本五〇津市 芸濃町岡本
〃 長野村東山、若狭八一四二七津市 美里町北長野今瀬姓2件。2000年電話帳。
一志郡 川口村西之口一四一七二五農、日雇伊勢表、養蚕津市 白山町川口白山町川口5029に西ノ口斎場がある。
〃 〃大廣四九二〇一農業伊勢表、木炭、養蚕津市 白山町川口 大広

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
一志郡 川口村茅刈四六二五二農業伊勢表、木炭、養蚕津市 白山町川口 茅刈
〃 多氣村白口四一一九二農、日雇伊勢表、養蚕、木炭津市 美杉町下多気バス停「白口」あり。
〃 〃大平一四七六津市 美杉町下多気
〃 家城村市場坂七三三五九農業伊勢表、養蚕津市 白山町南家城東町楠滝姓11件。2000年電話帳。
〃 天白村大西代五四伊勢表、土砂販賣、金物、屑拾ヒ松阪市 曽原町 大西代
〃 〃平田四九松阪市 曽原町 平田
〃 〃南垣内三七一七二松阪市 曽原町
〃 〃西代一七八六松阪市 中林町 西代
〃 〃北屋敷二〇一〇一松阪市 曽原町
〃 八知村天白二七一三四日雇、農養蚕、藁仕事津市 美杉町八知
〃 中川村カイト二四一三一農業養蚕、伊勢表松阪市 嬉野中川町中川村水平社の支部長に河野嘉之助あり。河野姓なし。2000年電話帳。
〃 〃イヤベ四六松阪市 嬉野中川町
〃 桃園村土屋里、五由殿四二二一六津市 木造町 五由殿土屋里は土屋黒の誤記。トヤクロ、トヤグロの表記もあり。五由殿のフリガナはゴユウデンで同地にあった五由出姓のフリガナはゴユデ。木造水平社の支部長に五由田直蔵あり。五由田姓なし。2000年電話帳。
〃 倭村梶ヶ廣三七一四四伊勢表津市 白山町佐田 梶ヶ広
〃 伊勢地村越知垣内二〇一一八養蚕、山稼津市 白山町佐田津市美杉町石名原1681に伊勢地公民館、津市美杉町石名原2156-1に越知集会所あり。
〃 竹原村上平区二七一三八養蚕、労働津市 美杉町竹原バス停「上平」あり。
〃 〃梅ヶ廣一七八五津市 美杉町八手俣バス停「梅ヶ広」あり。

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
一志郡 波瀬村若垣内區五七二四二農業日雇松阪市 飯高町波瀬
〃 小野江村舞出二〇九七藁細工、養蚕松阪市 舞出町
〃 大三村三ヶ野、大井谷一六八三養蚕、鶏仲買、藁製品津市 白山町三ヶ野 大井谷
〃 八幡村西ヶ廣三七一四九農業、日雇山林、労働津市 美杉町川上 西ヶ広
〃 久居村洗ヶ瀬一二五五七三農業伊勢表津市 久居北口町 洗ケ瀬
〃 〃大澤二九一四六津市 久居明神町大沢大型共同作業場が久居明神町2023番地3にある。
〃 川合村八太第二二九〇一四七九津市 一志町八太
〃 下之川村戸原四四伊勢表、荷馬車挽津市 美杉町下之川
〃 米之庄村西久米三〇一四二伊勢表松阪市 久米町米ノ庄水平社の支部長に中西庄蔵あり。中西姓5件。2000年電話帳。
〃 七栗村笠ヶ廣一六七六津市 森町 笠ケ広
〃 雲出村殿木六六三五三砂利採取、伊勢表津市 雲出島貫町雲出島貫町に津市殿木集会所あり。島貫水平社の支部長に溝口初蔵あり。溝口姓9件。2000年電話帳。
〃 八ツ山村八對野、北出五九二八七伊勢表、日雇津市 白山町八対野、津市 白山町山田野
〃 〃山田野、下村大山三二一五七津市 白山町山田野
〃 阿坂村美濃田、字大川二七伊勢表、養鶏松阪市 美濃田町
〃 豊田村新屋庄二九一三〇伊勢表松阪市 嬉野新屋庄町豊田村水平社の支部長に稲田音次郎あり。稲田姓なし。2000年電話帳。
〃 中原村田村、下瀬古一七一七三五松阪市 嬉野田村町中原村水平社の支部長に山口与吉あり。山口姓2件。2000年電話帳。
〃 〃新田三七一七三松阪市 新田の位置は要調査。松阪市嬉野田村町に新田小遊園地1号あり。

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
一志郡 中原村黒野上地三五一四八農業伊勢表松阪市 嬉野黒野町
〃 榊原村落合向廣五五二三六津市 大鳥町 向広
飯南郡 粥見町奥瀬區六四三〇四労働松阪市 飯南町粥見
〃 〃小山區一三四九松阪市 飯南町粥見
〃 〃魚組二五松阪市 飯南町粥見
〃 射和村三六二三七草履表作り松阪市 庄町末良姓5件、肥満姓1件。肥満姓は被差別部落である三重県松阪市清生町、三重県松阪市川井町にも1件ずつあり。2000年電話帳。
〃 伊勢寺村東村四三二〇八伊勢表松阪市 伊勢寺町伊勢寺水平社の支部長に西村松之助あり。西村姓7件。2000年電話帳。
〃 川俣村宝木二五日雇松阪市 飯高町太良木飯高町に宝木という字はない。松阪市飯高町太良木の可能性。
〃 〃富永三〇松阪市 飯高町富永
〃 〃田引二三一〇〇松阪市 飯高町田引
〃 大河内村向笹川二五八六伊勢表松阪市 大河内町笹川水平社の支部長に中川末蔵あり。中川姓5件。2000年電話帳。
〃 波瀬村セキ一六六七日雇農業、肉類行商松阪市 飯高町波瀬
〃 森村向井平一〇四二松阪市 飯高町森
〃 花岡村橋木二四一三九農業伊勢表松阪市 大黒田町橋木は橋本の誤記。大黒田町782−2に松阪市立花岡小学校あり。橋本水平社の支部長に山口政治郎あり。大黒田町に福田姓7件、山田姓6件、山口姓4件、丸島姓2件。2000年電話帳。
〃 〃二一一二一松阪市 大黒田町 山
〃 〃貝鍋三五一八〇松阪市 大黒田町 貝鍋貝鍋水平社の支部長に丸島浅次郎あり。大黒田町に丸島姓2件。2000年電話帳。
〃 川俣村粟野二一八四日雇松阪市 飯高町粟野

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
飯南郡 花岡町上出二五一二四農業伊勢表松阪市 与原町付近にバス停「上出」あり。
〃 〃粥田四一二一八松阪市 田村町市営粥田団地住宅あり。粥田水平社の支部長に田角半次郎あり。田角姓6件。2000年電話帳。
〃 〃新房一六九三松阪市 山室町山室町195に松阪市新房教育集会所あり。
〃 大石村中出組一〇三四六三農業伊勢表、養蚕、日稼松阪市 大石町自治会の第12ブロックの上仁柿地区に中出組が現存。
〃 松尾村舟生寺、下出四四二一二農、日雇伊勢表松阪市 丹生寺町丹生寺水平社の支部長に長谷川松次郎あり。長谷川姓8件。丸川姓10件。2000年電話帳。
〃 〃立野、下徳田一二五六松阪市 立野町 下徳田
〃 朝見村田上二九農業松阪市 大宮田町大宮田町195に松阪市立朝見小学校あり。
〃 〃新尾四二松阪市 大宮田町
〃 〃西田一八松阪市 大宮田町
多氣郡 五ヶ谷村廣組一一五二日雇、農業養蚕多気郡 多気町多気郡多気町古江382-1に五ケ谷郵便局あり。多気郡多気町片野に上広組集会所あり。
〃 相可町(多気郡多気町相可の地区について『日本の特殊部落』(菊池山哉、東京史談会、1962)に「伊勢国多気郡相可(あうが)に、清水と呼ぶ部落があり、全廿四軒、皆清水の苗字です。明治二年の調書に、簓(ささら)八軒、人数四十八人とあり、縁組は、度会郡の外城田村(サヽラ部落)と致します」とあるが、清水地区が北浦か女山かそれ以外かは要調査。) 北浦四七二五三農業家内工業多気郡 多気町 弟国 北浦
〃 〃女山二二多気郡 多気町 東池上 女山
〃 川添村栗生、浦出一五七〇日雇、藁細工多気郡 大台町 粟生栗生は粟生の誤記。
〃 〃栃原、大林二四多気郡 大台町 栃原
〃 西外城田村笠木二四一三四伊勢表多気郡 多気町 笠木
〃 荻原村栗田、天ヶ瀬、下眞寺、清滝、茂原、薗、子切畑、江馬八二四五一林業多気郡 大台町 栗谷、天ケ瀬、下真手、清滝、茂原、薗、小切畑、江馬栗田は栗谷の地区名。
〃 上御糸村南野二七一一〇工業多気郡 明和町 佐田佐田2026に明和町立上御糸小学校、佐田1108-1に南野教育集会所あり。水平社佐田南野支部長に辻井豊吉あり。佐田に辻井姓3件。2000年電話帳。

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
多氣郡 上御糸村下尾四一二三六農業工業多気郡 明和町 佐田下尾水平社の支部長に北村岩蔵あり。北村姓1件。下尾姓1件。2000年電話帳。
〃 〃東行部三七一八三多気郡 明和町 行部行部376-1に東行部集会所、行部376-2に行部教育集会所あり。全水三重県連執行委員長の新田彦蔵の出身地区。新田姓19件。2000年電話帳。
〃 津田村三疋田二四一四〇伊勢表多気郡 多気町 三疋田
〃 明星村有爾中一四八四傘骨削、土臼製造多気郡 明和町 有爾中有爾中462-1に有爾中教育集会所あり。
〃 下御糸村志貴一六農、工、商履物表多気郡 明和町 志貴
〃 斎宮村大頭一六一〇九農業伊勢表、傘骨職多気郡 明和町 斎宮 大頭斎宮938-9に勝見第二教育集会所あり。
〃 三瀬谷村菅合三七二〇一農、日雇日雇多気郡 大台町 菅合
〃 〃佐原一〇四七多気郡 大台町 佐原
〃 〃弥起井一三六七多気郡 大台町 弥起井
〃 〃上三瀬一三七一多気郡 大台町 上三瀬
〃 〃上管一五多気郡 大台町 上菅上管は上菅の誤記。
〃 佐奈村西組、井戸谷組、東組九〇四五八農業伊勢表、牛馬商多気郡 多気町 前村付近にバス停「井戸谷」あり。佐奈村水平社の支部長に森田三右衛門あり。森田姓14件。2000年電話帳。
〃 領内村馬瀬一六多気郡 大台町 明豆
〃 〃大門四三多気郡 大台町 大井
〃 〃浦切二七多気郡 大台町浦切の位置は要調査。
〃 〃下新出一二多気郡 大台町下新出の位置は要調査。
〃 〃浜ノ元一三多気郡 大台町 南

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
多氣郡 領内村上新出三四農業多気郡 大台町
度會郡 七保村北野之浦一五度会郡 大紀町 野原
〃 〃石神三五木炭焼、山稼、牛馬商度会郡 大紀町 金輪
〃 〃若瀬度会郡 大紀町 永会永会3925に若瀬集会所あり。
〃 〃高谷五一度会郡 大紀町 永会永会568-2に高谷集会所あり。
〃 〃瀬戸三七度会郡 大紀町 神原神原532-1に瀬戸集会所(天野会館)あり。
〃 〃八ヶ河内二五度会郡 大紀町 永会
〃 〃神ノ上二八度会郡 大紀町 永会
〃 〃成谷一九度会郡 大紀町 永会永会2023-5に藤成谷集会所あり。
〃 〃横谷度会郡 大紀町 崎 横谷
〃 〃板取一六日傭度会郡 大紀町 永会永会2169-1に板取集会所あり。
〃 滝原村三瀬川度会郡 大紀町 三瀬川
〃 〃下リ一三九九度会郡 大紀町 阿曽阿曽258-12に下り集会所あり。
〃 〃平瀬六七度会郡 大紀町 阿曽阿曽1666-15に平瀬集会所あり。
〃 〃小廣瀬一六一二〇度会郡 大紀町 阿曽阿曽1735-1に小広瀬集会所あり。
〃 〃藤ヶ野二六一九八度会郡 大紀町 阿曽阿曽1976-5に藤ヶ野集会所あり。
〃 〃上ノ段一一六二度会郡 大紀町

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
度會郡 滝原村毘砂■一九八八農業日傭度会郡 大紀町 阿曽阿曽3430-3に毘沙野集会所あり。
〃 神社町藤倉一三五三伊勢市 竹ケ鼻町 藤倉
〃 〃須賀野一六九六伊勢市 小木町 須賀野
〃 小俣町高畑二一一一二日雇、農伊勢表、日雇、屑物拾伊勢市 小俣町宮前宮前にバス停「高畑」あり。高畑姓6件。2000年電話帳。
〃 〃出屋敷三〇一四二伊勢市 小俣町元町
〃 四郷村朝熊一一四七〇〇山稼農業、日雇伊勢市 朝熊町朝熊川の北側が該当する。中垣姓9件、山本姓24件。2000年電話帳。植木等が投獄された朝熊闘争の舞台。朝熊町1185番地に彫刻家橋本平八・詩人北園克衛(本名は橋本健吉)兄弟の実家があるが、朝熊川の南側なので一般民。
〃 浜郷村中崎七九三八六農、職工履物職伊勢市 黒瀬町黒瀬町48に伊勢市役所浜郷支所あり。部落の場所は浜郷小学校の裏であり、戸数は80ほどであることを松井久吉が『被差別部落に生きる』89頁で暴露している。浜郷村黒瀬の資産家に梅田宗四兵衛、牧野長四郎、牧野喜代松あり。牧野姓3件、梅田姓4件。2000年電話帳。
〃 吉津村村山五三三一〇農業養蚕度会郡 南伊勢町 村山
〃 城田村上地三二二二四養蚕、養豚伊勢市 上地町
〃 〃中須一五七五伊勢市 中須町
〃 五ヶ所村切原、青郷六七日雇林業度会郡 南伊勢町 切原 青郷
〃 神原村山原五四農耕志摩市 磯部町山原
〃 御薗村向山二五一三〇農業人力車夫、中抜草履伊勢市 植山町 向山
〃 有田村井倉四九伊勢表度会郡 玉城町 井倉有田村水平社の支部長に北本常右衛門あり。北本姓なし。2000年電話帳。
〃 〃谷村一一七九度会郡 玉城町 日向谷村の位置は要調査。
〃 〃妙法寺一二六一度会郡 玉城町 妙法寺
〃 穂原村伊勢寺一八一一一日雇、農炭焼度会郡 南伊勢町 伊勢路伊勢路317-11に穂原郵便局あり。

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
度會郡 大内山村葛竹籠■新田、栗ヶ谷、下込、脇谷二九農業度会郡 大紀町 大内山 脇谷判読不能部分は「葛籬台新田」と読める。要検証。
〃 一之瀬村野谷、佐用、榎瀬、川上ノ内一一七一度会郡 度会町 川上
〃 田丸町瀬町ノ内、下町三五度会郡 玉城町 田丸
〃 二見町皮尾六五伊勢市 二見町松下
〃 東外城田村押野四四度会郡 玉城町 勝田 押野中通り
〃 柏崎村板津、下組、尾鼻、樋ノ藪、胡桃七六三九六度会郡 大紀町 崎(尾鼻)、柏野(胡桃)板津、下組、樋ノ藪は位置不詳。度会郡大紀町260に大紀町役場柏崎支所あり。
阿山郡 城南村上野區(「三重県阿山郡城南村(現上野市=原文ママ。2016年現在は伊賀市)は当時(1940年前後)大字が木興、久米、上野、四十九、守田の5つの集落で構成された、戸数550戸ほどの村で、そのうち大字上野の350戸が被差別部落であった」と、松井久吉が『被差別部落に生きる』97頁で暴露している。 三四六一七一七商、工、農業伊賀市 八幡町、久米町八幡町部落の旧称は北浅宇田エタ村。八幡町だけで705世帯の大規模部落があり(1979年の数値)、隣接する久米町も被差別部落。八幡町からは解同執行委員長の松井久吉が出た。この地区の富裕な皮問屋に井筒屋(上島)嘉平がいる。上島家は観阿弥・世阿弥の親類と記す系図を伝えているが、信憑性には論議がある。伊賀水平社創立メンバーの田中佐武郎は本籍地ならびに出生地が城南村大字上野区1981( 松井久吉『被差別部落に生きる』9頁。ただし同書67頁によると、1936年当時の松井の住所は城南村久米283-3である。) 。そのほか、全水伊賀支部執行委員長に福徳清吉(城南村大字上野3144)、同常任委員に和田新太郎(城南村大字上野327)、同じく福徳義雄(城南村大字上野1982)、同常任書記に井上栄一(城南村大字上野1919)の氏名あり。また同書記局に梅沢音松の氏名あり。同地の部落出身の区長に松岡周三郎の氏名あり(松井久吉の遠縁)。久米町に上島姓1件、松井姓10件、福徳姓8件。八幡町に上島姓1件、松井姓3件、福徳姓9件。2000年電話帳。
〃 中瀬村寺内七三四三一農業養蚕伊賀市 寺田
〃 布引村奥馬野二五一五七日雇、農養蚕、藁細工伊賀市 奥馬野
〃 東拓植村前川區五九三七八農業、日雇製筵伊賀市 柘植町 前川松村姓3件。2000年電話帳。
名賀郡 種生村老川二五一一四農業草履製造伊賀市 老川下出老川61−4に老川教育集会所がある。
〃 國津村紙屋及布庄二七一六五日傭名張市 布生紙屋は神屋の誤記。
〃 上津村北山二五製炭、養蚕、藁細工伊賀市 北山
〃 滝川村一ノ井、西垣内四一二一九農、日雇農作、草履名張市 赤目町一ノ井
〃 依那古村下郷區九七四八七伊賀市 下郡下郡水平社の支部長に阪井清吉あり。阪井姓なし。2000年電話帳。
〃 比奈知村北出小場一〇五五二五名張市 下比奈知下比奈知に管尾姓5件。2000年電話帳。
〃 〃譲小場一五七七名張市 下比奈知

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
名賀郡 箕曲村狹田、倉渕、大滝、百々、牛引三六一八四農業名張市 青蓮寺 奥狭田、下狭田、伊賀市 大滝、名張市 神屋 百々、名張市 中知山 牛引
〃 美濃波多村黒坊、小場一〇名張市 西原町 黒坊
志摩郡 磯部村迫間第二部、山田第二部九〇六三八農、日雇山稼、草履作志摩市 磯部町迫間、磯部町山田通称「第二区」。第一区は一般地区。
〃 加茂村後内序、松ヶ瀬一九九九農、商農業、日雇鳥羽市 河内町後内序は河内町、松ヶ瀬は杉ヶ瀬の誤記。同和対策事業での移転先は鳥羽市鳥羽5丁目の若竹団地。鳥羽市鳥羽に杉本姓9件。2000年電話帳。
北牟婁郡 船津村細野二四一〇九農、日雇労役、農業北牟婁郡 紀北町 海山区河内 細野
〃 〃二七一五一北牟婁郡 紀北町 海山区馬瀬 鯨
〃 〃谷田北牟婁郡 紀北町谷田の位置は要調査。
〃 須賀利村浦奥三三日雇尾鷲市 須賀利町
〃 相賀町見千代鼻一九九二農業北牟婁郡 紀北町 海山区相賀 見千代鼻
〃 錦村栄町二五一三六日雇、農山稼度会郡 大紀町 錦
〃 二郷村片上四五二三八農業養蚕北牟婁郡 紀北町 紀伊長島区東長島 片上
〃 〃田山二七一四三北牟婁郡 紀北町 紀伊長島区東長島 田山
〃 尾鷲町名月五二二一〇日雇農業尾鷲市名月の位置は要調査。旧・尾鷲町大字南浦字名月の可能性あり。隣保館の所在地からすると林町の可能性が高い。
〃 赤羽村池尻一八一二一農林業北牟婁郡 紀北町 紀伊長島区大原
〃 〃代ヶ野二五一三九北牟婁郡 紀北町 紀伊長島区十須 此ケ野代ヶ野は此ケ野の誤記。
〃 〃志子九六五二六北牟婁郡 紀北町 紀伊長島区島原
南牟婁郡 有井村南地一〇五五四六日雇漁夫、日稼熊野市 有馬町鈴木姓35件。2000年電話帳。「三重県熊野に有馬という部落があり、雑賀党が落ち延びたといわれており、鈴木姓の(ママ)を名乗る世帯が大部分を占めています」といわれる。1960年2月14日付『南紀新報』に鈴木孫一重行の後裔の地区と報じられ、鈴木孫一の記念碑を建立し、区長は「われわれは武将の後裔であるにもかかわらず誤って賤視されてきたが、いまや事実が明らかになったのだから、もはや部落解放とか同和対策などということには関係ない」と発言した。もっとも北原泰作は「武将の血筋であると揚言することがこの貧しい人びとにとっていかなる意味があるというのか!」と批判している。中上健次の実父(鈴木留造)の出身地区。 (『同和問題の歴史的研究』(三好伊平次、同和奉公会、1943)によると「尾鷲町に×××と称する部落がある。戸数五十六、各戸とも楠を姓とし菊水の紋を用ゐ、楠氏の後裔と称し、祖先が落魄して此の地に来たときは十二月の下旬で、一般に餅を搗き正月を祝ってゐるのに、この人々は落人の悲しさ戦々恐々として心落つかず、漸く正月十五日を過ぎて餅を搗いたといふことで、今尚正月十五日を過ぎねば餅を搗かぬという」。現在の尾鷲市にあたる旧・北牟婁郡尾鷲町明月に関する記述。名月と明月が同じかは要検証。楠姓は尾鷲市矢浜に14件。2000年電話帳。 )

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
南牟婁郡 尾呂志村下平區四七二八二日雇農業、草履作南牟婁郡 御浜町 栗須下平區は下手區の誤記。中浦姓4件。2000年電話帳。
津市愛宕町二九〇一四〇九農、商、工伊勢表津市 愛宕町1953年の伊勢湾台風による被災で津市高洲町に被災者住宅を建設。さらに1958年から津市の戦災復興対策での相生町・愛宕町の区画整理により、両町の過密対策として高洲町に簡易平屋住宅220戸を設置。両町からの移住者と先住者が合流して独立地区を形成した。また、両町と高洲町との間にも同様の事情から大井町(現在の津市中河原。大井会館あり)が成立。この高洲町と大井町は戦後の新しい被差別部落。愛宕町217に六代目山口組の三次団体の弘道会紙谷一家の事務所あり。愛宕町の資産家に藤本太吉あり。藤本姓2件。2000年電話帳。
相生町四三四二〇五五津市 相生町同上。同地の資産家に佐竹吉右衛門、西岡竹三郎、増田勝蔵あり。増田姓1件。2000年電話帳。
松阪市川井町字町作三〇一四四農、日雇松阪市 川井町字町作の位置は要調査。
日野町二丁目三七六一七六七松阪市 京町1921年に矢川から日野町2丁目に改称。日野町は隣接する一般地区の町名で、改称の結果、日野町一丁目がないのに二丁目だけがある奇妙な状態になった。1954年に日野町2丁目が京町に改称。滋賀県蒲生郡日野町から来たとする伝承あり。上田音市(旧姓は北村)の出身地区。松阪市京町14-8 (35-1?)の「看板の世古美装店」はタレントの重盛さと美の母方の実家。なお父方の実家がある福岡市堅粕も被差別部落である。同地の資産家に中川巳之助、宮崎愛之助、宮本富蔵あり部落解放同盟の松井久吉は自著で「松阪市日野町二丁目全国水平社三重県連合会兄弟よ健闘せよ!この田園こそ差別のない我等が丘だ。団結せよ、被圧迫部落民大衆よ!」「松阪市日野町二丁目全国水平社三重県連合会令生業資金償還金を公設市場の利益で出せ!令三、四〇〇円で下水道の改修と新設をしろ!」と記述し、日野町二丁目が部落だと暴露している。。中里姓6件。(『解放運動とともに 上田音市のあゆみ』39頁によると、小野寺大尉による発言「この村はエタ村だ」(1919年8月6日)に連名で抗議した矢川区住民12名のうち3名が中里姓。 中川姓6件。宮崎姓7件。北村姓10件。京町1区に宮本姓4件。2000年電話帳)。
清生一〇四二松阪市 清生町
久保五三二四九松阪市 久保町久保水平社の支部長に田端猪三郎あり。田端姓5件。2000年電話帳。
上川六一二九九松阪市 上川町上川水平社の支部長に松本乙吉あり。松本姓7件。2000年電話帳。
東岸江四一六一七五七松阪市 東町東岸江水平社の支部長に福井幸一郎がいた。福井姓7件。2000年電話帳。
西岸江七一三四〇
松阪市 宮町、愛宕町 の各一部
計一一九一九三八三〇三四一九二六



『全國部落調査』に記載がないが、松阪市駅部田町(まえのへたちょう)にも水平社の支部があった。支部長は北川伊三郎。『解放運動とともに 上田音市のあゆみ』51頁にも「松阪に帰ると、平等会で撒かれたビラや全国水平社創立大会への参加をよびかけたビラを持って宣伝してまわった。花岡、駅部田、射和(いざわ)、神戸(かんべ)村などをまわり」云々とある。北川姓9件。2000年電話帳。

一志郡七栗村上山(現・津市)にも水平社があり、支部長は西山浅蔵だった。津市庄田町に七栗神社があり、津市榊原町にバス停「上山」があるが、上山部落は笠ケ広部落(津市森町笠ケ広)の別名である。同地に西山姓なし。2000年電話帳。

壬申戸籍調査集計表

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
熊野市口有馬村51272
伊勢市中島町125566
松阪市東岸江村(明11)45146
鍛冶町71255
長島町松ヶ島村95438

付記、上表は被差別部落とそうでない村との対比に便ならしむるため、参考までに混住村を選んで掲載したものである。

桑名郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
長島町松ヶ島41163誓元寺豊受大神社

三重郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
四日市市日永村211??
采女村734成満寺八幡社
赤堀村23118得願寺八坂神社
寺方村35157誓元寺白山社

員弁郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
大安町丹生川上28140松隆寺鴨神社

朝明郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
四日市市小牧村25112円覚寺神明社

鈴鹿郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
亀山市亀山東町1041福泉寺八幡宮
関町関木崎町1060誓昌院熊野皇太神

奄芸郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
鈴鹿市稲生村1884成泉寺伊奈富神社

河曲郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
鈴鹿市中戸村1682顕正(性)寺(西日野村)奈加等神社
肥田村834法善寺宇気比社

安濃郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
芸濃町雲林院村137667林光寺美濃夜神社
津市分部村88457善覚寺平泉神社
芸濃町岡本村15法善寺速玉社
安濃村安部村1176法善寺住吉神社
清水村944善覚寺須賀神社
美里村桂畑村1367法善寺、法専寺神明社

一志郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
久居市本村洗ケ瀬57223善覚寺川併神社
木造村25111善覚寺八雲神社
谷杣村37187法善寺白山比咩神社
美杉村石名原村1448法善寺八幡宮
太郎生村925国津社
竹原村1139白山比咩神社
白山町南家城村28145
35139
八対野村46159
三ケ野村837八幡神社、宇気比神社
山田野村618善覚寺白山比咩神社
933法善寺白山比咩神社
佐田村1876
川口村35137
〃(明9)72322
一志町波瀬村 岩垣内41171矢頭社
八太村141622善覚寺八太社
〃(明9)151538
荘村(明9)1433
嬉野町新屋之荘村1570八重垣神社
黒野村1584天玉神社
見永村212?
425暖蓮寺八雲神社
田村(明8)185637善覚寺須賀社
三雲村舞出新(明8)527
曾原村52198
中林村(明8)1869月読神社
久居市本村大沢(明9)1356川伴神社
美杉村八知村2179法善寺仲山神社
松阪市美濃田村517善覚寺八幡神社、敏太神社

飯高郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
松阪市矢川村124573八雲社
〃(明8)143507
〃(明11)145495
久保村(明11)2171八幡神社
大黒田村33151八柱神社
〃(明8)32130
〃(?)34167
東岸江村210673八柱神社、熊野神社
西岸江村48179八雲神社
久保村1891
駅部田村(明8)1339三社天神社
駅部田村412
丹生寺村43206八雲神社
上川村28147八柱社
松阪町作、船江田、塚之坪20100八雲神社
18100
船江田、河原田1984
寺井村1482
田村村1680八雲神社、八幡神社
山室村1251八雲神社
伊勢寺村、東村25121月夜見神社
小片野村79317菅原神社
立野村739八柱神社
飯高町青田村419教行寺
富永村327乳峰神社
乙栗子村1074素有神社
田引村1569田引神社
宮本村(明8)1262乳峰神社
粟野村(明8)834八柱神社
飯南町有間野村1361有間野神社
向粥見村(明8)48182善覚寺八雲神社
松阪市庄村1771紀師御林

多気郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
多気町三疋田村1160塞神社
東池上村216八柱神社
前村29132
前村(明8)31156
笠木村2165
平谷村(明8)2593須麻留売神社
野中村24石川社
大台町佐原村522八柱神社
上菅村419
上三瀬村323善覚寺、教行寺
下三瀬村419善覚寺
弥起井村513八雲神社
栃原村27建日別神社
多気町管合村1668善覚寺、教行寺八柱神社管合村は菅合村の誤記。
粟生村1037善覚寺
粟生村(明9)1045
宮川村唐櫃村934教行寺
南村13
明和町前野村18善覚寺森下神社
志貴村212須賀神社
佐田村48194若ノ神社
行部村(明8)21108檜山
有爾中村(明8)526八柱神社
斎宮村(明8)1771楠森社、栩木社、宇氏葉社

度会郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
伊勢市朝熊村41223善慶寺相生社
黒瀬村76353橘社
中須村937善覚寺八柱神社
一色村1248善慶寺一色神社
竹ケ鼻村748大口社
磯村1495善覚寺磯神社
中島町81411善福寺上社
朝熊村(明8)68243善慶寺相生社
中須村(明8)1242善覚寺八柱神社
山田一之木町(明8)26109須原神社
山田宮川町(明8)35不明不明
二見町松下村936善覚寺松下神社
小俣町小俣村(明9)1337八柱神社
度会町一之瀬村市場313善慶寺?
御薗村長屋村2496善覚寺長屋社
玉城町谷村731八柱神社
有田村妙法寺1162
有田村井倉318
大内山村駒村13
南島町伊勢路村(明8)1645善慶寺
村山村19103善覚寺仙宮神社
〃(明8)1981
棚橋竈16八幡神社
南勢町切原村(明8)515善慶寺八柱神社
紀勢町錦村218善覚寺錦神社
柏野村(明8)46198善覚寺、教行寺
崎村(明8)58241善覚寺並大神社
大宮町藤村958八柱神社
〃(明8)739
神原村624
〃(明8)521
古里村(明8)1982
阿曾村48192教行寺、善覚寺
金輪村313
磯部町山原村736善慶寺
大宮町三瀬川村(明8)18教行寺

答志郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
磯部町迫間村28165善慶寺底筒雄社
山田村(明8)416神津見神社
鳥羽市河内村(明8)1142八柱神社
長島町嶋原村13教行寺嶋原神社
十須村422善覚寺八幡宮
十須村(明9)1041善覚寺、教行寺、長楽寺大原神社
赤羽村志子(明9)49205善覚寺、教行寺、長楽寺中桐神社
二郷村(明5)30記載なし善覚寺王子社
〃(明9)35記載なし
前山村42273善覚寺、教行寺、長楽寺八幡宮
海山町上里村314善覚寺上里神社
中里村(明9)15善岳寺中里神社
馬瀬村837光円寺馬瀬神社
939
古本村214相賀神社
河内村(明9)1034善覚寺河内神社
尾鷲市林浦34141光円寺尾鷲神社
御浜町栗須村1982浄泉寺川瀬社
熊野市口有馬村36185産田神社

阿拝郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
上野市寺田村40184清正寺山神社
浅宇田村171809法善寺金刀比羅神社
伊賀町柘植村29151法専寺八幡社

山田郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
大山田村奥馬野村18104法専寺奥馬野神社

名張郡

現市町村名地区名戸数総人口寺名神社名備考
名張市元狭田村50249山光寺春日社
一ノ井村1789教行寺神明社
青蓮寺村1456若一社
神屋村1353弁天社
下郡村46236法専寺八幡神社
青山町老川村28157山神社
北山村312市杵嶋神社

註:一志郡南家城村、山田村、見永村、飯高郡駅部田村、北牟婁郡馬瀬村等の村については、年代不詳の戸籍が二通あり、そのため二種類の数値を掲載した。しかし、明らかに明治5年から同11年までのものである。



管内特殊部落と其人口(昭和5年末現在)

郡名町村名
部落数
部落名戸数人口現在地備考

桑名郡
益生村1江場1570桑名市 江場 
 長島村1松ヶ島47240桑名市 長島町十日外面 
 深谷村1下深谷部1771424桑名市 大字下深谷部 

員弁郡
梅戸井村1北条70351いなべ市 大安町梅戸 
 丹生川村1南垣内43250いなべ市 大安町丹生川上 

三重郡
日永村1川尻1167四日市市 日永 
 内部村1市村634四日市市 釆女町 
 常盤村1市場36177四日市市 赤堀 
 神前村1東瀬古58270四日市市 寺方町 『全國部落調査』や真宗大谷派(東本願寺)の被差別部落檀徒の一覧(『部落問題・水平運動資料集成 補巻1』所収「大谷派地方関係寺院及檀徒に関する調査」)では東瀬方になっている。
 保々村1千栗43225四日市市 小牧町 千栗前 

鈴鹿郡
亀山町1喜代町24105亀山市 井尻町 
 関町1七軒町29130亀山市 関町木崎 
 井田川村1ナシ211亀山市 井田川町 
 国府村1北之敷623鈴鹿市 国府町 
 野登村1ナシ722亀山市 両尾町 平尾 

河芸郡
玉垣村1大垣内35218鈴鹿市 東玉垣町 
 一ノ宮村1西中戸34234鈴鹿市 一ノ宮町 
 稲生村1北山1256鈴鹿市 稲生町 
 天名村1山ノ越628鈴鹿市 徳田町 
 飯野村1白塚山640鈴鹿市 三日市町 
 豊津村1ナシ23津市 河芸町の南東部、伊勢湾の沿岸、近鉄名古屋線・豊津上野駅の周辺 

安濃郡
雲林院村2北垣内、南山1971306津市 芸濃町雲林院 南山 
 長野村2若狭、東山74375津市 美里町北長野 北長野の小字に東山が現存。
 櫛形村2向井垣内、山垣内121639津市 分部 向井集会所が分部263-3にある。山垣内公園が分部1693-1にある。
 安濃村1四軒家1183津市 分部 
 草生村1生水26149津市 安濃町草生 生水 
 安西村1北山843津市 芸濃町岡本 

一志郡
本村2洗ケ瀬150672津市 久居北口町 洗ケ瀬 
 桃園村2五由殿、トヤクロ45285津市 木造町 五由殿 
 七栗村1上山1678津市 森町 笠ケ広 
 榊原村3落合、向広、下垣内51253津市 大鳥町 向広 
 大三村1大井谷1574津市 白山町三ヶ野 大井谷 
 川口村3茅刈、大広、西ノ口2061052津市 白山町川口 茅刈、津市 白山町川口 大広 白山町川口5029に西ノ口斎場あり。
 倭村1梶ケ広24146津市 白山町佐田 梶ヶ広 
 八ツ山村3北出、大山、下村86405津市 白山町山田野 北出区公民館が白山町山田野752-3にある。
 家城村2市場阪、小谷77377津市 白山町南家城東町 
 竹原村2上手、梅ケ広40207津市 美杉町八手俣 
 八知村1天漠25109津市 美杉町八知 『全國部落調査』では部落名は天白。
 伊勢地村1越知20111津市 白山町佐田 
 八幡村1川上31157津市 美杉町川上 西ヶ広 
 多気村163327津市 美杉町の南東部、八手俣川の上流域 
 下ノ川村1宇戸原738津市 美杉町下之川 『全國部落調査』では部落名は戸原。宇戸原は字戸原の誤記の可能性。
 波瀬村1岩垣内58235松阪市 飯高町波瀬 『全國部落調査』では部落名は若垣内。
 川合村4八太、片野、小山、庄村2801120津市 一志町八太、津市 一志町片野、津市 一志町小山、津市 一志町庄村 
 中川村2岩部、垣内34157松阪市 嬉野中川町 
 豊田村3榎、清水、川北区33171松阪市 嬉野新屋庄町 字榎、松阪市 嬉野川北町 清水の位置は要調査。
 中原村3下世古、新出、上地209750松阪市 嬉野田村町、松阪市 嬉野黒野町、松阪市 嬉野下之庄町 上地集会所が松阪市嬉野黒野町313にある。バス停「新出」が松阪市嬉野下之庄町にある。
 阿阪村1浦ノ沖738松阪市 美濃田町浦沖 
 米ノ庄村1西垣内35214松阪市 久米町 
 天白村3垣内、北屋敷、西代79513松阪市 曽原町、松阪市 中林町 西代 
飯南郡松阪町5日野町二丁目、東岸江、西岸江、粥鍋、大平6923135松阪市 京町、松阪市 東町、松阪市 宮町・愛宕町 の各一部、松阪市 川井町字粥鍋 大平の位置は要調査。部落解放同盟の松井久吉は自著で「松阪市日野町二丁目全国水平社三重県連合会兄弟よ健闘せよ!この田園こそ差別のない我等が丘だ。団結せよ、被圧迫部落民大衆よ!」「松阪市日野町二丁目全国水平社三重県連合会令生業資金償還金を公設市場の利益で出せ!令三、四〇〇円で下水道の改修と新設をしろ!」と記述し、日野町二丁目が部落だと暴露している。(『被差別部落に生きる わが半生の記』(松井久吉、三一書房、1983))
 神戸村4上出古屋敷、平塚、天神裏、茶臼山108605松阪市 清生町 字茶臼山 上出古屋敷、平塚、天神裏の位置は要調査。
 花岡村4貝鍋、上出、粥田、新房146750松阪市 大黒田町 貝鍋、 松阪市 与原町、松阪市 田村町、松阪市 山室町 
 松尾村2下徳田、下出57280松阪市 立野町 下徳田、松阪市 丹生寺町 
 伊勢寺村1出屋敷38204松阪市 伊勢寺町 字出屋敷 
 大河内村1遠方2591松阪市 大河内町 
 大石村1武田96465松阪市 大石町 
 粥見村3魚津、下桐津、小山85490松阪市 飯南町粥見 
 川俣村4宮本、富永、粟野、田引45209松阪市 飯高町宮本、松阪市 飯高町富永、松阪市 飯高町粟野、松阪市 飯高町田引 
 森村1青田1255松阪市 飯高町青田 
 波瀬村1乙栗田1353松阪市 飯高町乙栗子 乙栗田は乙栗子の誤記の可能性。
 射和村1下屋敷36185松阪市 庄町 
 朝見村3田上、雨田、新屋1885松阪市 大宮田町 
多気郡下御糸村1南出413多気郡 明和町 志貴 
 上御糸村2南野、東組70396多気郡 明和町 佐田 東組の位置は要調査。
 斎宮村1大頭1490多気郡 明和町 斎宮 大頭 
 相可町2女山、北村42233多気郡 多気町 東池上 女山 北村の位置は要調査。
 西外城田村3野中、笠木、相鹿瀬26174多気郡 多気町 野中、多気郡 多気町 笠木、多気郡 多気町 相鹿瀬 
 佐奈村2栃林、井戸谷75433多気郡 多気町 前村 井戸谷集会所が多気郡多気町前村844-4にある。
 津田村1三疋田21118多気郡 多気町 三疋田 
 五ヶ谷村1不明1149多気郡 多気町 戸数が一致することから『全國部落調査』の広組部落と思われる。
 明星村1有爾1281多気郡 明和町 有爾中 
 三瀬谷村7(地区数が7とあるのに地区名は6件だが、原文のママ。) 上三瀬、下三瀬、佐原、弥起井、上菅、菅井54335多気郡 大台町 上三瀬、多気郡 大台町 下三瀬、多気郡 大台町 佐原、多気郡 大台町 弥起井、多気郡 大台町 上菅、多気郡 大台町 菅合 
 川添村2栃原、粟生24128多気郡 大台町 栃原、多気郡 大台町 粟生 
 領内村4馬瀬、大門、裏切、浜ノ元25138多気郡 大台町 明豆、多気郡 大台町 大井、多気郡 大台町 南 裏切の位置は要調査。『全國部落調査』では浦切と表記。
 荻原村9栗谷、天ケ瀬、小切畑、下真手、菅木屋、赤滝、清水、園、茂原75448多気郡 大台町 栗谷、天ケ瀬、小切畑、下真手、菅木屋、清滝、薗、茂原 清水集会所とバス停「赤滝」が清滝にある。

度会郡
神社町2藤倉、須賀野30207伊勢市 竹ケ鼻町 藤倉、伊勢市 小木町 須賀野 
 田丸町1河辺529度会郡 玉城町 田丸 
 二見町2垣外、番太1389伊勢市 二見町松下 
 四郷村1垣外90656伊勢市 朝熊町 
 御薗村1向山23132伊勢市 植山町 向山 
 小俣村2高畑組、西中組40188伊勢市 小俣町 宮前、小俣町 元町 バス停「高畑」が伊勢市小俣町宮前にある。小俣町元町に小字の西中あり。全水小俣支部員の氏名に西中六松あり。伊勢市小俣町元町に西中姓7件。2000年電話帳。
 有田村3谷村、妙法寺、井倉27132度会郡 玉城町 日向、妙法寺、井倉 
 東外城田村1押野636度会郡 玉城町 勝田 押野中通り 
 城田村2中楽山、浦西46305伊勢市 上地町、伊勢市 中須町 伊勢市上地町第二地に中楽山遺跡がある。
 七保村4金輪、永倉、神原、野原38228度会郡 大紀町 金輪、永会、神原、野原 永倉は永会の誤記の可能性。
 滝原村1阿曾85433度会郡 大紀町 阿曽 
 柏崎村2崎村、柏野125722度会郡 大紀町 崎(尾鼻)、柏野(胡桃) 
 大内山村1間弓1168度会郡 大紀町 大内山間弓 
 吉津村3村山。他ハ不明44281度会郡 南伊勢町 村山 
 一ノ瀬村4川上、野谷、市場、小萩1084度会郡 度会町 川上、市場、小萩 野谷の位置は要調査。
 穂原村1筒淵1387度会郡 南伊勢町 大字伊勢路 字筒渕 
 五ヶ所村1青郷851度会郡 南伊勢町 切原 青郷 
 神原村1山原739志摩市 磯部町山原 

阿山郡
城南村1上野2851339伊賀市 八幡町、久米町 
 中瀬村1北寺田68340伊賀市 寺田 
 東柘植村1前川64348伊賀市 柘植町 前川 
 布引村1向屋敷23241伊賀市 奥馬野 

名賀郡
滝川村2長阪、一ノ井41241名張市 赤目町長坂、名張市 赤目町一ノ井 
 箕曲村3倉淵、中和山、青蓮寺23163名張市 青蓮寺倉渕、名張市 中知山牛引、名張市 青蓮寺奥狭田 中和山は中知山の誤記。
 比奈知村2北小場、譲117608名張市 下比奈知 
 国津村2百々、蜂ノ巣28172名張市 神屋 百々 蜂ノ巣の位置は要調査。
 依那古村1下郡84472伊賀市 下郡 
 美濃波多村1黒坊15名張市 西原町 黒坊 
 上津村1下小場421伊賀市 北山 
 種生村1下小場22126伊賀市 老川下出 

志摩郡
加茂村1杉ケ瀬17116鳥羽市 河内町 
 磯部村1迫間80452志摩市 磯部町迫間 

北牟婁郡
尾鷲町2名月、山辺47274尾鷲市 倉ノ谷町 山辺トンネルが尾鷲市倉ノ谷町にあった。名月の位置は要調査。
 相賀町2見千代鼻、藤ノ木1782北牟婁郡 紀北町 海山区相賀 見千代鼻 藤ノ木の位置は要調査。
 船津村2細野、鯨43269北牟婁郡 紀北町 海山区河内 細野、海山区馬瀬 鯨 
 須賀利村1浦奥210尾鷲市 須賀利町 
 赤羽村4志子奥、此ケ野、池尻、寺谷105633北牟婁郡 紀北町 紀伊長島区島原、紀伊長島区十須 此ケ野、紀伊長島区大原 
 二郷村2片上、田山70488北牟婁郡 紀北町 紀伊長島区東長島 片上、紀伊長島区東長島 田山 
 錦村1奥組20113度会郡 大紀町 錦 

南牟婁郡
有井村1南地110510熊野市 有馬町 
 尾呂志村1下手47239南牟婁郡 御浜町 栗須 

津市
津市2愛宕、相生6012817津市 愛宕町、津市 相生町  


宇治山田市
宇治山田市3河田、小柳、杉垣外2271172伊勢市 中島の一部、一之木四丁目・五丁目の各一部 杉垣外が松垣外の誤記とすると一之木四丁目・大世古二丁目・大世古三丁目の各一部にあたる。




zannin666 at 05:33|Permalink ドエッタにおける穢多族の近畿地方の報告(三重県) 

12.August.2017

POP TATARI

愛知県






概要

600px-本多中務大輔家時代岡崎城下図(18世紀後半)

本多中務大輔家時代岡崎城下図(18世紀後半)。能見村の近くに「エタ」の表記がある。



愛知県の被差別部落の統計

調査年地区数戸数人口
1907年2816698865
1921年1913656927
1925年8月35181910951
1935年4月35273213593
1946年--10081
1963年92859地区全体12862、同和関係10662
1967年7地区全体2439、同和関係2208地区全体9779、同和関係8779
1971年5地区全体1835、同和関係1757地区全体6968、同和関係6632
1975年5地区全体1778、同和関係1658地区全体6614、同和関係6160
1985年9地区全体3487、同和関係2839地区全体12170、同和関係10213
1993年9地区全体3856、同和関係3311地区全体9792、同和関係8922


愛知県内には1935年の調査で36ヶ所の被差別部落が報告されていたが、のちに部落解放同盟の調査により、3市1町に4地区の被差別部落が新たに特定された。部落解放同盟愛知県連合会によると県内の被差別部落は50地区以上。本田豊は「県下の部落は100カ所をこえる」、「その内訳を大枠で分けるとすれば、エタ系部落、長吏系部落と非人系部落が、およそ3分の1ずつ」と主張している。解放同盟の藤沢靖介は「三河や尾張、つまり徳川家康のでたところでは、非人身分のほうが有力であったことがはっきりしてきました」と述べている。


県下最大の被差別部落はあま市(旧・甚目寺町)の栄地区であり、戸数は700戸、人口は2000人を数える。。この地区に特徴的な苗字は加藤と堀田である。

「栄は、現在の清洲城ができるとき織田信長の妹おいちの方について江州(滋賀県)からきた皮革職人と刀鍛冶が住みついたのがもとだそうで皮革職人は栄(東今宿)に、刀鍛冶は西今宿にとわかれた」という。人権連議長の丹波正史は西今宿の出身である。ただし父は富山県の出身。

名古屋では、城下建設とともに穢多および非人の部落がそれぞれ設けられた。その内訳は、穢多部落が1ヶ所、非人部落が2ヶ所である。穢多部落は押切村こと平野町(現・名古屋市西区則武新町一丁目)であり「穢多ヶ小路」とも呼ばれた。

非人部落の一つが乞食町こと入江町(入穢町とも表記)であり、現在の名古屋市中区栄の入江町通にあたる。非人部落の今一つは玄海村(現・名古屋市中区新栄二丁目)である。

知多市八幡には2015年現在もなお「字穢多坂」という字名が残っている。

なおEXILEの岩田剛典の実家は靴屋のマドラス株式会社(名古屋市中区栄2-15-6)だが、祖先の岩田武七は中島郡東五城村(現・一宮市東五城)の富裕な酒造家の出であり部落出身と見るべき根拠はない。陸上競技選手の神野大地の実家は名古屋市中村区名駅の肉屋「鳥孫商店」だが、部落にルーツがあるか否かは不明。

愛知県に部落が少ないのは、足洗いをして農民になったためではないかとする考察があった。

岡崎市生まれの徳川家康について「茶筅の出身であったということはよく知られています」と本田豊はいう。「『徳川家康はわれわれの仲間だ』、『徳川家康は俺たちの仲間だったのに天下をとったら裏切った』。愛知県下だけではなく、全国各地の部落内で話を聞くと、多少の表現の違いはありますが、このような話を聞くことができます」とも、本田はいう。徳川家康の先祖で松平太郎左衛門に見込まれて娘の婿養子となった松平親氏は、群馬県太田市世良田の出で世良田徳阿弥親氏と名乗っていたと伝えられる。また、徳川家康を非人の末裔なのではないかとする村岡素一郎の説もある。

1910年に山梨県御坂峠で強盗殺人を働き死刑となった松沢熊吉は、愛知県西加茂郡の非人系の部落(地区名は要調査)に生まれ育ち、のちに漂泊民となってサンカ化した者とされている。

『愛知県下地方改善事業地区調査』に「一般に血族結婚行わるる関係上、不具者割合に多く1.3%を示せり」とも、明記されている。

文献



全國部落調査(1935年)


愛知縣 昭和十年四月現在

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
名古屋市 中區 下奥田町下奥田六六四二九三三下駄歯入日傭屑拾ヒ名古屋市 中区 新栄 2丁目旧称、東小屋。1933年に下奥田町が菊里町、1947年には青木町・王子町に改称。新栄となったのは1977年。玄海または王子町とも呼称。『愛知県下地方改善事業地区調査』に「風俗は一般に野卑にして教育程度低く、公徳心に乏しく、衣住共に不潔なるもの多し。従来思想は憤怒の気質多分にあり。小事に口論をなすもの多く、貯蓄の精神に乏しく、所謂その日暮しをなし、尚賭博を事とし、演劇を観覧するを無上の楽みとす」、「犯罪に就ては前科者96名、現在の在監者3名を数えり」とある。この地区から出た著名人に、名古屋女子大生誘拐殺人事件(1980年)の死刑囚木村修治がいる。

白山神社が部落成立前に西隣にある。

〃 西區 平野町平野町四五一二一九三製靴、皮革業南部表編名古屋市 西区 則武新町 1丁目押切村または穢多ヶ小路、穢多輪中、細工人町とも呼称。『愛知県下地方改善事業地区調査』によると「残忍性を有するもの多く、一般に対する公徳心薄く、情操亦頗る低級」、「血族結婚行われ、賭事を好むの風習ありて、前科者231名、在監者4名を数えり」。生駒長一や生駒秋次郎の出身地区。則武新町に生駒姓10件。多くは市営南押切荘などの市営住宅に集中。2000年電話帳。

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
名古屋市 南區 西旗屋町西旗屋一二一五〇三鉄工職下駄歯入名古屋市 熱田区 旗屋旧称、宮川町。(「又御維新までは宮川町と云ったものである。夫れは此
の部落の人が牢番や捕手などに多く使用せられて七人の組頭で全體を
支配して居った時代に組頭の一人に宮川喜六と云ふ巾利があって勢威
を振った。喜六の勢は中々凄まじいもので町人どもはビリ〱して居ったも
のださうだ。そこで自然と此部落を宮川町と呼ぶやうになったのである」)
1980年に旗屋町の一部から旗屋が成立。旗屋1-10に断夫山古墳あり。
旗屋の地区は、清州から移転させられたもので
豊臣秀吉による築城の
際に人夫となるのを拒否したためエタにされたという伝承がある。別の
伝承には、1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで敗れた今川氏に仕えて
いた者が浪人となり、姿を変え織田氏に仕えて死人の埋葬に従事したこ
とで地区を形成したというものがある。「
本部落に於ける前科者の数は21
人、不具者5人
」。
豊橋市 花田町花田石田六八三七四農業日傭豊橋市 前田南町 2丁目クンジガワの呼称があった。「口碑伝うる処に依れば、祖先は大化元年(約一、三〇〇年前)中大兄皇子に随い志賀の国より来りたる際、現在の豊橋市神明に居住せる者にして、永禄七年中大兄皇子四十七代の末孫藤原喜明の時、牧野虎珀なる武将戦に利なくして、喜明以下一三四名戦死したり。時に織田信長喜明の霊に正宗の一刀を与えしより、部落民は之を神体として神明者を創祀し、現今の場所に移住し、徳川時代に至りては通称『クンジガワ』と呼び、番太の類に組し、竹皮・革・草履の製作に従事し来れり」。大化元年は645年で、永禄7年は1564年。
岡崎市 能見町下屋敷一〇五〇草履製造
岡崎市 元能見町
小字「下屋敷」の位置は要調査。『愛知県下地方改善事業地区調査』では「三 部落の沿革」として「猿屋方、説教方、及び革屋方の三組に別れ、猿屋方は今の福寿町の北部に、説教方は元能見町の北部に、革屋方は元能見町の西部に居住を構え、明治維新の際に及びて猿屋方及び説教方は農民に帰し、革屋方のみ現存し今日に至れり」とある。「混入者の言に依れば、彼等のひがみとして他人の言葉を悪意に解釈する弊今尚存するが如し」。
愛知郡 鳴海町 上汐田西之端四五二一五履物其他修繕業南部表編
名古屋市 緑区 鳴海町 上汐田
『愛知県下地方改善事業地区調査』に曰く「当部落は応永年間根古屋城鳴海町の築城後、即ち今より約550年前開始せられたるものにして、その当時は現今の字丹下にありしが、慶長の頃東海道開道に当り今日の地に移転したるなり。又口碑に伝うる所にして正確なる事実にはあらざれども、今尚字丹下に俗称穢多藪と称する所、或は字丹下に隣する枯木と石田とを境いする真池川流域の沿岸に、穢多川岸と名づくる所ありと」。字丹下は現在の名古屋市緑区鳴海町丹下。久野姓8件。2000年電話帳。
東春井郡 小牧町元町四八二一三行商、農業農業小牧市 元町東春井郡は東春日井郡の誤記。『愛知県下地方改善事業地区調査』では「三 部落の沿革」として「部落の歴史詳かならざるも、天正年間滋賀県彦根地方及び三重県桑名方面より此処に移住せしに始まりしものの如し。而して其の姓の如きは多く不明なりしが為、明治維新の際桑名より来りたるものを『藤堂』とし、彦根より来りたるものを『井伊』とせる等、便宜其の姓を冠したる事実存せり」とある。井伊姓9件。藤堂姓なし。2000年電話帳。

西春井郡 新川町
上河原一三四六漁業農業清須市 上河原西春井郡は西春日井郡の誤記。「尾張藩の刑場は元名古屋城南の千本松原にありしが、寛文2年之を廃し、翌3年本部落の地に之を移せり。名古屋城の金鯱を盗取せんとせしと伝えらる柿の木金助・大賊鉄五郎の刑せられたるは此の所なり。此刑場跡は今尚上河原字蔦葉に存せり。而して此刑場の番人を勤めし者等此処に集団生活を始め、今日の部落を創れるなり。又信長記に『信長桶狭間よりの帰途、土器野(かわらの)の乞食に施す』との記事あり。之に依れば或は往古より此部落ありしならんかとも想像せらるるなり」







丹羽郡 犬山町


犬山南古券
阪井町二〇九二農業草履製造犬山市 犬山 南古券「旧幕時代より市街の一隅に約50戸割拠し、外部と一切交渉せず生活し来りしも、近時他地方に続々移住し年を逐いて戸数減少するの傾向あり」
葉栗郡 北方村 北方、宝江新田新開屋敷一七七八肉行商、下駄歯入漁業一宮市 北方町北方 宝江新田当部落の根源を創立せしは、この附近の山林を管理し居りし番人にて、明治15年頃美濃国多芸郡大墳村より田中清五郎、同国山郡深瀬村より大川甚之助この両名の一家当地に転住し来り、木曽川の沿岸なるを幸に漁業を営み、傍ら竹皮草履製作を副業とし生活し来り、其後大川甚之助の一族は五家に分家し、其他転籍或は寄留する者ありて次第に増加し今日に至れり

海部郡 津島町 津島、川河毛坪
初日町二九四一五一八三味線、太鼓製造南部表編津島市 明天町『愛知県下地方改善事業地区調査』に「凡そ700年以前親鸞聖人の供をなして陸奥の国より6名来住し、其際聖人の指図により藁仕事を為すに至り今日に及ぶと言伝うるも詳かならず」、「当部落は血族結婚其他の結果、県下に於ける不具者の割合最も多く、尚大正14年度租税滞納者数亦高位にありて66人を算せり」とある。
〃 甚目寺町 東東今宿二三二一二〇七呉服行商、草履作あま市 栄甚目寺部落を地元では「清洲」(きよす)と呼ぶ。『愛知県下地方改善事業地区調査』に「日常特殊の言語を用い、部落以外との交通を嫌厭し、早婚私通の弊あり。多くは貧窮者なるも虚栄心に富み、一般矮小なる家屋に住居せるも、外出等の節は華美なる服装をなすもの多し。即ち利己心強く公徳心義務心に乏しく、飲食物は贅沢にして間食を好み、衣住粗悪不潔なり。全体の7割は生計裕かならざるも、常に身分を超ゆるの生活を為し貯蓄をなすもの少なし」、「本部落は他に比して前科者多く、血族結婚等の関係上より不具者33名の多数を示し、又大正13年度中の租税滞納者数41名にして、同郡津島町初日町部落と相並びて其率県下部落中最も不良なり」とある。
〃 津島町 津島、有根下屋敷一八九九日傭漁業津島市 永楽町「海部郡津島町大字津島字有根ホノ割四百二十一番地先」の道路元標が「津島市本町3」にある。02

「当部落の最年長者にして総代を勤むる加藤治平なるものの言に曰く、『当部落は徳川初代に大垣藩の浪士山口和十郎なるもの従者を伴い此地に土着し、津島及び近村の番人となれるを初めとす。其後佐屋に代官所設置されてよりは其手先となり、犯罪者の捜索を手伝えり、徳川末期に至り此地に火葬場設置さるるに及び、その火葬の取扱いをなす。但し現在の部落民は全部前記の子孫にはあらず、其後移住転住するありて今日に至れり』と。昨年7月火葬場他に移転せられたれ共従前の通り火葬人として傭わる」。加藤姓15件。2000年電話帳。
知夛郡 成岩町寺坊三〇一一五鶏買出、農南部表編半田市 寺町1222年(貞応元年)に無量寿寺が三河国から移る際に崇拝者が共に移住したのが起源と伝える。
〃 旭村 大草西畑一八一〇五下駄製造、鶏買出日傭、麻裏草履作知多市 大草 西畑「正確なる調査材料なければ詳細記することを得ざれど、本部落は三河知立町、知多郡成岩町、海部郡津島町との婚姻関係多数あるより観れば、此等の土地より移住せしものの如し」
〃 横須賀町 太田的場二六履物商
東海市 横須賀町
的場市場。「近接したる隣家殆んどなければ、従来外部との交渉は甚だ疎隔にして近隣融和の状況甚だ不良なり。而も近時水平運動の末節に拘泥し、ややもすれば不穏の言動に出で自ら融和を阻害するの感あり」
碧海郡 知立町 知立一里山四四二二八行商南部表編
知立市 西丘町 一里山
「而して其明治維新前は苗字を附せず、単に熊、越後等と呼び居たりしも、維新後差別的扱い漸次排除さるると共に、苗字を付するに至り、現今の姓は大部分杉浦にして、山本、小松等の姓もあり」。西丘町に杉浦姓18件。2000年電話帳。
幡豆郡 西尾町 鶴城栄町一七九〇草履製造行商
西尾市 大給町、伊文町、宮町、

矢場町
金山化成の敷地内が元の中心地。350年前に落武者が来住したのが起源と伝える。1925年の文献であることから、1575年のこととなる。
額田郡 幸田村 坂崎向山三〇一五〇農業藁加工額田郡 幸田町 坂崎 迎山向山は迎山の誤記。「全く沿革不明なり」。杉浦姓18件。2000年電話帳。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
西加茂郡 保見村 上伊保 字大黒見川張一七九〇農業養蚕豊田市 保見町 小黒実大黒見は小黒見の誤記。「沿革は不明なり」。
〃 髙𣘺村 上野山上野山一五八一豊田市 上野町1959年に上野山の一部から上野町が成立。1971年には上野町の一部が高上となる。「当部落の歴史は記録及口碑共に何等拠るべき調査材料なきを以て詳かならず」。
南設楽郡 千郷村 稲木下向山二六二二八草履製造新城市 稲木打桐姓4件、藤原姓6件。2000年電話帳。「後三年の役平定後寛治の頃、藤原秀衡の家臣加藤七郎太郎なるものの家族数戸、八名郡八名井村に移住し来り野武士となり、同地居住の穢多族を統率し、其後今の仲野に転居し賤業に従事し、天正九年当下向山に移転したり。守護神として向山社あり、明治五年戸籍編成に際し一般にを(ママ)冠せり」。新城市稲木の地区に関する記述。寛治は1087年から1094年。天正九年は1581年。「一般にを(ママ)冠せり」というのは、姓に共通の字(藤の字?)を使用したということか。加藤姓も2000年電話帳で7件あるが関連は不明。
〃 〃 法山 字 片山屋敷下屋敷一三一一二新城市 片山「本部落の淵源は何等文献は徴するものなきも、巷間の伝説を綜合すれば、神功皇后征韓の俘囚を全国各所に住居せしめ賤業を営ましめしものにて当部落はその一なり。当時夷跡の内片山と称し、和同二年(引用者注、709年)宝飯郡設楽郷片山村と称え、この一族を以て一の部落を形成せり」「此部落の長に近一右衛門と称する旧家あり、近郷同族の取締まりを為し、場合によりては帯刀御免の特権を得たることあり。明治五年戸籍編成に氏を冠し、その藤原姓は史に因りたるが如し」との伝承あり。藤平姓3件。2000年電話帳。
〃 〃 川田 〃 堀合川田堀合六四新城市 川田 堀合「本部落は文政3年野田村より当堀合に移住し来り賤業に従事したるにその端を発し、其一部の今日に至れるものなり」、「本部落民の多数は去る大正7、8年頃好況の際、一攫千金の利を得んとして、投機的事業に手をつけしも遂に失敗し、家産を投尽せしかば、他郡市に転住する者出でて漸次戸数を減少せり」。
〃 〃 野田 〃 山田屋敷野田北村一三一三二新城市 野田 山田屋敷「本部落は遠江国敷地郡(※敷知郡の誤記と思われるが原文のママ。)須文木沢村(※須ノ木沢村の誤記と思われるが原文のママ。)(今の浜名郡吉野村)より天正10年頃野田村上市場の原(今の字山田屋敷)に移住し来り賤業を営みつつ今日迄此処に生計を続けきたれるものなり。白山社を建祀して守護神とし来りしも、明治40年神社合祀の際千郷神社に之を合祭せり」。
〃 東郷村 有海有海東原一九日傭新城市 有海
記録の上では県下最小の部落。「本部落の歴史は記録上何等調査するの途なし。故に古老の言に依れば、この起源は何時なりしか詳かならざるも、現今の静岡県浜名郡吉野村地方民の悪病(癩病?)に罹りしもの、此地に転地隔離せしめられたるに始り、其家族の今日に至れるものの如し。而して当地方には古より『バンタ』と称する職業ありて、此職業は此部落民の特業となし居れるものにして、近隣にては通称之を『東原のチョーリン』又は『東原のバンタ』と言えり」。
宝飯郡 小坂井町 伊奈 字 新町伊奈新町二〇〇一一一〇草履製造豊川市 伊奈町新町打桐姓2件、山本姓17件。2000年電話帳。「徳川氏の初期、東海道開設以来隣接大字宿白山区より移転居住した一部の者より漸次その数を増加し、最近10年間に於ては隣県部落より移住する者多く、為に異常の膨脹を来せり」。
〃 〃 宿 〃 北島白山四二二四〇豊川市 宿町白山白山神社が中心にある。「本部落は一千余年前より已に一部落を形成し居り、徳川幕府時代吉田藩の皮革工芸に従事し、傍ら履物・草履を製作販売して、僅かに生計を支持し来りたるも、明治維新以来は専ら農業に従事し、現今に至りては一つの農村なり」。
〃 〃 伊奈 〃 茶屋茶屋々敷二〇九二豊川市 伊奈町茶屋「当部落は元来部落としての生活状態を維持し来りたるものにあらず、其位置東海道筋にあり。又附近一帯は田畑に適する土地にして、甚だ地の利に恵まれたる所なれば、各方面よりの転住者多く、従って他特殊部落民も移住し来り、遂に普通民より部落民が多くなりしより、現在に於ては近隣より特殊部落の一として見らるるに至れるものなり」。
〃 形原村 〃 形原淀尻二五皮革業南部表編蒲郡市 形原町 南淀尻、天神裏「或る古老の言に依れば、天正18年頃形原城主松平紀伊守の時代、同藩の皮革工業に従事せし者に始まり、現在戸数も其当時と余り大差なきものの如し。而して現今其職に靴工、麻裏草履製作多数あれば、右伝説はある程度迄真に近きものなり」。
渥美郡 野田村 野田 〃 瀬古野田瀬古一三八七農業養蚕業田原市 野田町坂瀬古「巷間の伝説に依れば、此淵源は朝鮮よりの移住民にあり、年代は詳かならざるも、此地に移住以来世々皮細工を業として田原藩に仕え、明治維新迄は斯業に従いしも、維新後は漸次に農民に転業なし、僅かに2、3戸のみ皮職を営み居りしも、世人の厭う処となり、遂に全く廃業をなして純農村を形成するに至れり」、「部落民の姓は全部亀田と称し、其由来は維新改姓の際に、時の戸長が附与せしとも言い、又以前より総本家に此姓の存せしとも言い、之亦明らかならず。維新当時は戸数三十戸を有し、家運孰れも隆隆なりしこと一般民に劣らざりしも、次第に遊堕の悪風を生じ、戸数も漸次減じて十四戸となり、今尚之が減少の傾向を示せり」、「血族結婚をなせるためか優秀なる頭脳の所有者僅少なり」。亀田姓2件。2000年電話帳。
〃 田原町 六連一〇七九養蚕、養鶏田原市 相川町美里台
「今より1400年前、任那よりの帰化民が当部落の基を創れりと伝うるあり。又或る説には現今称する部落民なるものは、往古は有名なる社寺に多数附属し居りしものにして、其子孫の現存するものなりと。即ち該六連村に存する長仙寺は建立当時は本町谷熊に位し、七堂伽藍の結構を備え規模宏大なりしが、中世今日の地に移り、其後衰微して今の一小刹となれり。而してその盛大なりし頃之に附属せし一団が今日の部落を形成し来れるならんと言えども、何れも徴証すべきの記録なくして、沿革は詳かならざるも、明治維新前迄は戸数30戸以上ありて相当の集合をなせしも、漸次減少するの傾きあり」。
〃 福江町 古田長沢四九養蚕田原市 長沢町長沢「伝うる処に依れば、徳川時代年代不明に三河国奥郡(現在渥美郡)野田村より移住し来りたるものの如く、明治初年頃迄は職業としては只に馬の皮を採りて北方に売却するの外、草履を造るの職を営み居りしが、明治5、6年頃より本町大字古田字長沢稲葉の住民と等しく、農業に従事するに至り目下職業上一般民と何等異なることなし」。「近隣融和の状況は良好ならず、唯外面的に附近と交際するのみなり。時として同部落の字有の樹木を盗取するあれど、一般民は強いて故障を申し出でざるを例となし居るなど、今日に於ても相互に冷かなる態度を持し居れり」。
八名郡 三上村 勝山勝山四五二二〇養鶏、藁加工豊川市 三上町 勝山山本姓17件。2000年電話帳。『愛知県下地方改善事業地区調査』では沿革不明とされるが、本田豊の推測では、勝山城の築城の際に来た2戸か3戸程の武士が祖で、権力の後ろ盾がなくなったことで形成されたのではないかとする。「現在中学校に通学するもの1名、高等小学校へは男女各1名ずつ在籍し、在学中の成績は思考学科(算術)は一般に劣等、技術学科は概ね良好なるが如し」。部落の端に白山神社がある。
名古屋市 西区 枇杷島町宮町一五〇七三一土工、農業川魚行商名古屋市 中村区 新富町宮町は宮野の誤記。1936年に枇杷島町の一部から新富町が成立。宮野は通称で名古屋市中村区枇杷島町の河川敷の地名として残存。近くに墓がある。「県下に於て最も古い歴史を有する貧民窟は西春日井郡枇杷島町の俗に宮野と呼ぶ一部落である。目下戸数六十七、八戸、人口四百有余人あって、此の部落の開基とも云ふべきは今を去る二百年、寛永(引用者注、1624年から1643年)の頃浅野吉右衛門なる武士が殺人して主家を脱走し諸国流浪の末、世を忍び〱んで此の宮野まで流れ着いた。而して此処に無造作な芦葺きの仮庵を作って遂に之を我が死場と定めたのが端緒である」との伝承あり。
計二八三五二七三二一三五九三

※このほか南設楽郡千郷村大字野田字市場(現・新城市野田野田市場)に猿屋敷部落がある。本籍人口39(男20+女19)、戸数7、世帯数7、現住人口29(男13+女16)。「当猿屋敷は旧中市場村に一の区画をなせし大家族的聚落にして、大宝令制度施行せられ居りし時代は農事を営まざりしかば、班田収授法を適用されずして遂に賤民に属し『猿舞者』となり、以来其職業を世襲し雑戸と称せられたり。『徳川幕府中市場村宗門人別帳の外に、中市市場村猿屋敷宗門人別帳を調製せしめ、同村庄屋の管下となす』の記録あり。社寺の取扱は一般民と同じけれど、事実は其下位にありき。慶長9年捨地取調の所有者名義には其名を載せず、単に『さえ』と記載せられ、屋敷は除地(免租地)となれり。明治4年法令によりてこの職業は廃せられしも、明治10年頃迄は尚この職に従い居りしなり」。

施設等



隣保館

  • あま市人権ふれあいセンター - 愛知県あま市西今宿平割二32番地
  • 津島市南文化センター - 愛知県津島市今市場町3丁目64番地
  • 名古屋市西文化センター - 愛知県名古屋市西区栄生1丁目3番20号
  • 名古屋市中文化センター - 愛知県名古屋市中区新栄3丁目32番13号
  • 豊川市小坂井文化センター - 愛知県豊川市伊奈町新町170番地2
  • 知立市西丘文化センター - 愛知県知立市西丘町西丘32番1

『同和行政論』第1巻171頁には「一九三七年度以降、愛知県では名古屋市三、甚目寺町、知立町、西尾町、津島町、小坂井町あわせて八隣保館を運用している」とある。



改良住宅


あま市

  • 栄団地 - あま市西今宿平割二、あま市西今宿平割三、あま市西今宿平割四、あま市栄東郷内、あま市西今宿梶村一、梶村二、梶村三


津島市

  • 瑞穂住宅 - 津島市瑞穂町2丁目地内、津島市瑞穂町3丁目地内、津島市東洋町1丁目地内
  • 第2瑞穂住宅 - 津島市瑞穂町1丁目地内外
  • 東洋住宅、東洋町住宅 - 津島市東洋町1丁目地内外、津島市東洋町2丁目地内
  • 第2東洋町住宅 - 津島市東洋町2丁目地内
  • 永楽住宅、永楽町住宅 - 津島市永楽町3丁目地内外
  • 明天住宅、明天町住宅 - 津島市明天町1丁目地内外、津島市明天町2丁目地内
  • 大政住宅 - 津島市大政町1丁目地内外、津島市大政町2丁目地内外
  • 今市場住宅 - 津島市今市場町3丁目地内



教育集会所

  • 上汐田教育集会所 - 名古屋市緑区鳴海町字上汐田447



人権啓発センターなど

  • なごや人権啓発センター「ソレイユプラザなごや」 - 名古屋市中区栄一丁目23番13号伏見ライフプラザ12階
  • あま市人権ふれあいセンター - あま市西今宿平割二32番地



関連団体

  • 部落解放同盟愛知県連合会 - 名古屋市西区天神山町1−3
  • 部落解放同盟愛知県連合会 - 名古屋市中区新栄1-43-2
  • 部落解放同盟愛知県連合会平野町支部
  • 部落解放同盟愛知県連合会鳴海支部 - 名古屋市緑区
  • 部落解放同盟愛知県連合会王子支部
  • 部落解放同盟愛知県連合会津島支部 - 津島市明天町1-42
  • 部落解放同盟愛知県連合会甚目寺支部 - あま市西今宿平割三17−11
  • 愛知県部落解放運動連合会 - あま市西今宿梶村一55−2
  • 自由同和会愛知県本部 - あま市西今宿字梶村三3-21
  • 全日本同和会愛知県連合会 - 愛知県名古屋市西区樋の口町1−15
  • 全日本同和会愛知県連合会 - 愛知県名古屋市昭和区白金3丁目2番26号
  • 全日本同和会愛知県連 - 岩倉市中本町南白山1-15
  • 全日本同和会甚目寺支部 - 海部郡甚目寺町上萱津深見5(現・あま市上萱津深見5)
  • 愛知人権連 - 名古屋市中村区太閤1丁目19番地54号 名駅たんばビル

白山神社

旧尾張国

  • 名古屋市西区押切2-5-2
  • 名古屋市西区児玉3-19-6
  • 名古屋市西区名塚町4-22-1
  • 名古屋市中村区平池町
  • 名古屋市中村区日比津町
  • 名古屋市中区大須1-30-47
  • 名古屋市中区新栄
  • 名古屋市中区丸の内
  • 名古屋市中区金山1-8-23
  • 名古屋市昭和区石仏町1-71
  • 名古屋市守山区小幡中
  • 名古屋市守山区西城2-10-189
  • 名古屋市守山区守山
  • 名古屋市守山区市場
  • 名古屋市熱田区木之免町303
  • 名古屋市中川区二女子町4-66
  • 名古屋市中川区大当郎3-1505
  • 名古屋市中川区川前町170
  • 名古屋市中川区東起町4-96
  • 名古屋市港区船頭場1-217
  • 日進市本郷町宮下519
  • 半田市白山町4-122
  • 一宮市浅野
  • 一宮市大赤見西川垂133
  • 一宮市木曽川町黒田
  • 一宮市小赤見郷浦32
  • 一宮市丹陽町九日市場
  • 一宮市萩原町高松川田47
  • 一宮市大和町妙興寺
  • 一宮市千秋町加茂郷37
  • 一宮市大和町福森宮前12
  • 一宮市春明南本郷38
  • 一宮市浅井町前野郷西31
  • 一宮市花池2-24-14
  • 一宮市丹陽町伝法寺1156
  • 一宮市木曽川町黒田九ノ通り51
  • 尾張旭市狩宿町3-143
  • 春日井市白山町
  • 春日井市外之原町
  • 春日井市花長町
  • 春日井市松河戸町669
  • 春日井市二子町2-11-3
  • 小牧市大草
  • 小牧市野口神尾前2877
  • 小牧市間々本町41
  • 稲沢市奥田大門町
  • 稲沢市奥田町寺切5582
  • 稲沢市井堀下郷町83
  • 稲沢市祖父江町三丸渕報導寺9
  • 稲沢市横地2-26
  • 稲沢市日下部中町2-58
  • 稲沢市千代町宮南104
  • 稲沢市長束町座守
  • 岩倉市川井町井上1292-1
  • 北名古屋市薬師寺屋敷52
  • 北名古屋市九之坪白山41
  • 北名古屋市高田寺屋敷419
  • あま市北苅上深坪71
  • あま市富塚郷1
  • あま市木折宮ノ前573
  • あま市本郷柿ノ木10
  • あま市篠田大門1
  • あま市金岩宮廓63
  • 江南市後飛保町本郷100
  • 江南市中般若町西157
  • 江南市飛高町宮町60
  • 江南市赤童子町白山121-1
  • 江南市前飛保町西町72
  • 江南市尾崎町白山34
  • 愛西市鵜多須町二本松183
  • 愛西市二子町松原9
  • 常滑市小鈴谷赤松30
  • 常滑市檜原字神水2
  • 犬山市善師野宮蔵洞82
  • 犬山市羽黒南郷66
  • 犬山市仲畑83
  • 津島市高台寺町北浦74
  • 津島市半頭町東之割64-1
  • 津島市青塚町3-76
  • 津島市百町北古農68
  • 津島市百島町源正94
  • 津島市舟戸町2
  • 津島市天王通5-31
  • 知多市新舞子北屋敷7
  • 丹羽郡大口町上小口1-343
  • 丹羽郡大口町下小口1-154
  • 海部郡大治町鎌須賀郷前27
  • 海部郡大治町砂子山ノ前764
  • 知多郡武豊町冨貴郷北101
  • 知多郡南知多町豊浜堀奥34

旧三河国

  • 岡崎市板田町
  • 岡崎市岩中町荒井7
  • 岡崎市魚町16
  • 岡崎市康生町
  • 岡崎市中伊町片坂41
  • 岡崎市中町東丸根37
  • 岡崎市夏山町別沢15
  • 岡崎市橋目町城畑64
  • 岡崎市桜井寺町郷野119
  • 豊川市三蔵子町
  • 豊川市三上町
  • 豊川市御津町金野横手35
  • 豊川市宿町白山20
  • 碧南市久沓町
  • 安城市大岡町宮東43
  • 安城市城ケ入町雨池75
  • 安城市上条町浮橋(上条白山媛神社)
  • 田原市西神戸町大辻139
  • 田原市越戸町大山955
  • 西尾市平原町稲荷48-1
  • 西尾市徳次町宮廻11-1
  • 西尾市大和田町宮越33
  • 西尾市西浅井町札木18
  • 西尾市東幡豆町桑畑山5
  • 西尾市吉良町乙川西大山4
  • 西尾市法光寺町西畑98
  • 西尾市一色町佐久島大山1-30
  • 西尾市一色町野田寄神13
  • 西尾市菱池町蜂ノ尻31
  • 豊橋市大脇町大脇15
  • 蒲郡市竹谷町今御堂89-1
  • 新城市作手高松十郎貝津15
  • 新城市野田上市場3(明治40年に合祀して千郷神社となる)
  • 新城市片山178
  • 新城市中宇利曾根川南61-1
  • 額田郡幸田町長嶺北郷中3
  • 豊田市漆畑町大畑1
  • 豊田市岩滝町萩洞470
  • 豊田市花沢町山ノ神21
  • 豊田市力石町中切228
  • 豊田市東大林町平岩2
  • 豊田市幸海町家下21
  • 豊田市東大見町中切24-1
  • 豊田市三箇町青木22
  • 豊田市榊野町京田20
  • 豊田市西細田町釜洞305
  • 豊田市白山町槙田3
  • 豊田市大平町宮ノ前1
  • 豊田市大洞町森下422
  • 豊田市古瀬間町927
  • 豊田市有洞町宮ノ洞1-2-2
  • 豊田市大塚町下落29
  • 豊田市上切町上切789
  • 豊田市乙ケ林町巻ノ下197
  • 豊田市千鳥町梨ノ木150
  • 豊田市霧山町高山2
  • 豊田市野原町黒久郷22
  • 北設楽郡設楽町東納庫スミ川口16
  • 北設楽郡設楽町田口向木屋25-3

本田豊は「愛知県は、西日本と東日本のちょうど中間地帯だが、部落内に白山神社があるのは、かつての三河国に限られ、尾張国には存在しない。そして、三河国でもすべての部落に白山神社があるわけではない。同県下では、どちらかといえば津島神社が多くみうけられる」と述べ、名古屋市中区新栄(玄海村、王子地区)の白山神社については「この白山神社と王子の関係がよく言われるが、実際には白山神社の方が先にあって、江戸時代のはじめ頃、名古屋城下にあつまってきた乞食、牢人が白山神社の境内に小屋がけして集住するようになった。宮司が見かねて小屋を建てさせたのである。そのためのちに、非人部落として位置づけられた。(略)部落が先で神社が後からできたのではない」としている。

しかし全国部落調査に記載のある地区には津島神社は一社もない。そのことを検証する材料として、県下の津島神社の所在地を下記に示す。



津島神社

  • 津島神社 - 名古屋市西区菊ノ尾通3-38
  • 津島神社 - 名古屋市中川区中郷5-146
  • 津島社 - 名古屋市中川区吉津2-126
  • 津島社 - 名古屋市中村区名駅5-38-3
  • 津島社 - 名古屋市中村区名駅南2-1-13
  • 津島社 - 名古屋市緑区大高町北大高畑
  • 津島神社 - 津島市神明町1
  • 津島神社 - 小牧市河内屋新田51
  • 津島神社 - 小牧市小牧原新田1302
  • 津島神社 - 小牧市入鹿出新田郷中559
  • 津島社 - 小牧市中央1
  • 津島神社 - 春日井市稲口町1-7-7
  • 津島神社 - 常滑市樽水町4-77
  • 津島社 - 碧南市天王町7-26
  • 津島社 - 知多市八幡堀之内78
  • 津島神社 - 清須市朝日河原161
  • 津島社 - 清須市清洲永安寺592
  • 津島神社 - 蒲郡市竹島町27
  • 津島神社 - 西尾市吉良町荻原小入道64
  • 津島社 - 西尾市西幡豆町紺屋谷戸10
  • 津島神社 - 弥富市六條町芝切169
  • 津島社 - 弥富市中山町本山43
  • 津島神社 - 一宮市萩原町西御堂郷西切818
  • 津島神社 - 一宮市千秋町加納馬場松下86
  • 津島神社 - 一宮市光明寺天王裏40
  • 津島神社 - 一宮市丹陽町伝法寺横須賀
  • 津島社 - 一宮市千秋町加納馬場郷内89
  • 津島社 - 一宮市玉野宮崎2826
  • 津島社 - 一宮市浅井町江森清水135
  • 津島神社 - 新城市作手保永松枝6
  • 津島神社 - 新城市玖老勢宮本1
  • 津島神社 - 新城市作手善夫笹沢21
  • 津島神社 - 新城市野田西郷30
  • 津島神社 - 新城市作手菅沼室屋24
  • 津島神社 - 新城市愛郷久保貝津17
  • 津島神社 - 岡崎市市場町町裏52
  • 津島社 - 岡崎市冨尾町途茂25
  • 津島社 - 江南市天王町五反林72
  • 津島神社 - 豊田市桝塚西町北屋敷51
  • 津島神社 - 豊田市松平町重田和字堂前20
  • 津島神社 - 豊田市山中町井ノ上240
  • 津島神社 - 豊田市小滝野町大久保12
  • 津島神社 - 豊田市大坪町日向下1
  • 津島社 - 岩倉市東町馬出59-57
  • 津島社 - 北名古屋市能田乾出306
  • 津島社 - 愛西市森川町宮西42
  • 津島社 - 愛西市二子町丸島144
  • 津島社 - 愛西市新右エ門新田町郷前40-2
  • 津島社 - 愛西市町方町彦作堤内19
  • 津島社 - 愛西市草平町道下5
  • 津島社 - 愛西市町方町五軒家9
  • 津島社 - 愛西市小茂井町宮西49
  • 津島社 - 愛西市山路町東郷附51
  • 津島社 - 犬山市橋爪中屋敷34
  • 津島社 - 犬山市塔野地中浦51
  • 津島社 - 岩倉市石仏町天王南1793
  • 津島神社 - 北設楽郡設楽町西納庫松山18
  • 津島神社 - 北設楽郡設楽町東納庫浜井城3
  • 津島神社 - 北設楽郡設楽町三都橋内貝津2
  • 津島神社 - 北設楽郡豊根村下黒川中西3
  • 津島社 - 丹羽郡大口町秋田1-106
  • 津島社 - 知多郡武豊町冨貴郷南33
  • 津島社 - 知多郡南知多町豊浜鳥居28
  • 津島神社 - 知多郡阿久比町卯坂北ノ浦58
  • 津島神社 - 知多郡美浜町古布九条13-20
  • 津島社 - 知多郡美浜町布土明山3
  • 津島社 - 西春日井郡豊山町豊場中之町176
  • 多度社 - 長久手市前熊字志水108(津島神社と合祀)


zannin666 at 06:34|Permalink ドエッタにおける穢多族の報告(愛知県) 

4.August.2017

POP TATARI

静岡県






概況



静岡県の被差別部落の統計

調査年地区数戸数人口
1907年83171210989
1921年55230414476
1924年3月552200余14000
1929年7月-264716305(男8381+女7924)
1935年1月52265516132
1942年-221514593
1946年--18478( 厚生省よりGHQ民間情報教育局に提出された報告(『資料・占領期の部落問題』所収、1991年刊)

1958年

65

4365

21601
1963年549562地区全体46122、同和関係18032
1967年27地区全体3430、同和関係2853地区全体15800、同和関係13636
1971年24地区全体3403、同和関係2768地区全体15056、同和関係12552
1975年21地区全体3304、同和関係2713地区全体13353、同和関係11021
1985年21地区全体3304、同和関係2713地区全体13353、同和関係11021
1993年212121地区全体14246、同和関係7238
1996年53(うち指定地区は21)21497028


県下最大の被差別部落は浜松市中区花川町(旧・吉野町)にあり、1963年の調査では戸数361戸、人口1803人であった。花川町に特徴的な苗字は北村、長谷、高倉、菊池である。

民間陰陽師に起源を持つ袋井市岡崎の被差別部落では小松原姓と富山姓が多くを占める。

「何故か駿河の部落全部が、白山神を非常に嫌うようです」との記述もあり、駿河では白山神社との関係が浅かった。

このほか、駿府の毛皮町(現・静岡市葵区葵区新通一丁目・二丁目、駒形通四丁目・五丁目)は徳川家康在城時代の町図に「毛皮町穢多町也」とあり、穢多部落として固定していたことがわかる。

『駿国雑志』の「馬捨場」の項にこうある。

馬捨場は、有渡郡南安東村、音羽山清水寺の山の右の方にあり。
田間三十間四方計りの地を云。一名河原場と号す。此所を河原場と唱る事は、
徃昔志豆波多川、此辺りを流れたり。故にこの名あり。
里人云.すべて牛馬の斃たるを捨る時、毛皮町の穢多に告れば、穢多来り、
その皮を剝ぎ革(なめしがわ)
に制るの後、裏付雪駄一足半(かたし)を持来る。これその皮を得たるの恩を謝する也。云々。

また『駿国雑志』の「屠児町来由」の項にこうある。

当国府中毛皮町あり。…これ屠兒の住る所にして、町数に入れず、里数に加えざる也。
云々。里人云。
穢多町は旧八幡小路にあり。久能山を發く時、穢あるを以て、今の地に移さる。云々
。この説誤る也。
屠児の長彦助ノ家に蔵す今川家の大永六年の印象の文に、「府中西のつら、河田彦八
抱る川原屋敷、一町五段」とあり、
以て考えるに、徃昔よりこの地に住する事詳らか也。抑毛皮町は、国府の西十二三町
計りにして、遊女町の隣にあり。
一構え両側二十五竈の住居あり。その首領を彦助と云。
韋柔革(なめしがわ)を造り、雪駄を制し、皮鼻緒を作るを家業とす。…云々。凡牛馬
の斃たるを聞けば、
即来て皮を剥ぐ。もしこの事を捨てざる先に、その主より告ればその皮を剥取るの後、
雪駄一足半を携来てその主に
贈り、以て告るを謝するを掟てとす。その一足と半を贈るは二度かくの如きは、三足に
満つ。これ後告を頼むの意也
とぞ。傳云.牛の斃れたるを捨るは、安倍河原に限り、馬の斃たるを捨るは、河原場──
河原場は国府の東、清水寺音
羽山の右の傍らにして、田間四方三十間計りの地を云也。里俗馬捨場と唱即是地也──に
限れり。云々。
此牛馬の皮を剥て、皮革を製するは、今川家、治国以来、軍用の為に免さるる所にして
、今にその業を転ぜず。云々。


静岡県は全日本同和会の影響が強い地とされ、1974年当時、県下で同和事業のおこなわれていた25地区中17地区を全日本同和会が組織していた。


静岡県社会課 地方改善実例 大正十三年三月 


「地方改善事業
静岡県社会課 地方改善実例
大正十三年三月

序説
地方改善に関する県下の部落数は五十五、二千二百余戸、一万四千人にして之が改善と融和の実を挙ぐるもの敢て少なしとせず、
而もいま、ここに掲ぐるものは、其中に就きて比較的優秀なるもの僅かに十数に過ぎず、他の残れるものも目下着々新事業の
計画中にあり、世に、「後なるもの却って先なるものに優る」という言葉あり、けだし其全部の改良実績を紹介するも必ずや近き
将来にあらんことを期待するものなりとしか言う。

1) 田方郡川西村長岡区字洞
戸数 一七、 人口 百二十二、 職業 農。交通 駿豆線長岡駅下車数町。
信用組合を組織し、青年会・軍人会等皆一般部落と合同し幹事役員をも選出し、同区より切出す石材は毎年産額数万円に達す。
其利益を似て共有林を購入し各戸相当の資産を有す。融和の点に於て同区は郡中最良の成績を挙げ居るものの如し。村長以下吏員
一同理解と同情あり、日夕相往来していささかの区別を認めず。

2) 沼津市本字栄町
戸数 三十九、 人口 二百二十六、 職業 商・工・雑業。 交通 東海道線沼津駅より数町。
一般民と同等の交際を為し、たまたま其部落民たるを知るものあるも、 町全体としては、より下級のもの畿多存すると、其実力の
侮るべからざるものもあることにより、軽蔑するものなく、かつ町民の多数は其部落民たるを知らずして商取引万端何の支障を見ず。
区民中十数戸は市内中心地に出でて営業し、自然に同化の実を挙げ、又巨万の資産を有するもの二、三戸あり。

3) 駿東郡鷹根村西椎路区字東の窪
戸数 十三、 人口 九十、 職業 農業。交通 省線原駅より東方三十二町。
人気温和にして各戸何れも清潔に、特に其二、三戸は、床板清拭、鏡の如き光沢を為せるものあり。或者は隣区に移住して貸長屋を有せり。
土地富士の裾野に位置し、広き耕地を有し農業に精励せり。区出身の一青年は相当官衛に奉職して好評あり。

4) 富士郡伝法村伝法字坂本
戸数 三十九、 人口 二百三十四、 職業 農及び商。 交通 富士駅より二十七町、吉原町より一里。
宛然たる農村にして、各戸繞らすに生垣を似てし、公私共本村と融和の状態にあり。

5) 富士郡大宮町字東新町
戸数 二十、 人口 百二十五、 職業 商業。 交通 富士駅にて富士身延線に乗換二里七町、大宮駅に達す。
部落民の多数は漸次町内各所に散住し、一見何等の区別を見る能わず。或者は一等地点に雑貨店・製靴店等を営むものあり。
町長以下吏員極めて同情を有し、或は部落民に資本を貸して営業を為さしめ、或は有志の拠金を求め移転料を与えて町内の散住を奨励せり。

6) 庵原郡蒲原町字増田区
戸数 十六、 人口 八十七、 職業 職工。交通 省線蒲原駅より東方十数町。
住民は勤勉力行の風あり、小学校及び教員住宅は共に附近にあり。納税歩合も良好なるを以て屡々表彰せらる。他町村人民との結婚贈答も
或程度まで実行せらる。

7) 清水市入江町字栄
戸数 二十三、 人口 百六十三、 職業 商・工。交通 省線江尻駅より十八町。
先年軽便鉄道布設に際して、地区家屋の改正を為せり。青年団、在郷軍人会、商取引等すべて同等なり。住民の多くは附近の工場・会社に出入りせり。

8) 静岡市新通六、七丁目
戸数 四十九、 人口 二百五十七、 職業 雑商・労役。交通 静岡駅より十数町。
生活状態附近町村に比して遜色なく、米麦類の共同購入を為し、毎日百円内外の利益あり。之を以て児童遊園其他貧困者の救済などに用う
矯正会ありて、衣服の強制洗濯、宅畔の清掃のため箒を各家に分配せり。児童遊園は大正八年一月の開始にして、当市に於ける最初の
ものに属す。殊に地区の改正、寺院の改築等住民自覚の微大いに見るべきものあり。

9)  志太郡藤枝町字益津・西益津村字稲川
戸数 益津二十六・稲川二十五、 人口 益津二百三十九・稲川百五十四、職業 工・商。交通 省線藤枝駅にて藤相線追手行に乗換瀬戸川に下車。
益津・稲川両区は住宅相比隣し、交際其他すべてを共にす。 藤南自治会を組織し、毎月一回会合、改良上の相談を為し、名士の講演を請う。
其都度警察、郡衛、町村役場の三方面より各一、二名宛臨席協議に参与す。時間尊重の主旨にて毎朝六時寺の太鼓を合図に起床、毎夜十時臥床を
励行し、清潔法の為には毎朝夕家屋内外の掃除を督励し漸次新計画を為す。郵便貯金は青年会員全部加入、其他簡易保険へは全戸加入す。
簡易図書館設立、言語の改良・裁縫の実習を為せり。方面委員ありて諸般の相談に応じ好成績を挙ぐ。
町営改善事業 経費金三千四百万円を以て幅二間半の道路を挟んで四十余戸の家屋を移転整列せし為、之を以前の状態に比するに清潔法
其他著しき差異を呈せり。

10) 志太郡島田町字鶴ヶ谷
戸数 九十一、 人口 六百六十六、 職業 商及び農。交通 省線島田駅より東北約十五町。
耕地二町三反歩を自作し、又草履製産一カ年数万円、信用購売販買組合を始め、消防組・青年会等何れも成績見るべきものあり。
地区改善事業 明治三十三年、当時の区長九島代吉等、区内の不潔乱雑なるを憂い町費より五百円の補助を得、総工事費金四千五百円を以て
道路下水の改良工事と共に家宅の整理を断行し、同時に堤防の修理を行いて今日の整理を見るに至れり。

11) 志太郡豊田村三ヶ名
戸数 十五、 人口 百三十五、 職業 職工。交通 省線焼津駅より西北一里十町。
村営事業 改良道路は南北に亘る長さ七十間幅七尺にして、大正十一年三月十九日起工六月八日完成、之を従来の迂廻に比するに
約五分の四を短縮するを得たり。

12) 榛原郡相良町波津字大久保 
戸数 六十四、 人口 四百十七、 職業 商・工。交通 省線藤枝駅にて藤相線相良行に乗換。
共同浴場 従来の狭隘なる二カ所の浴場を廃し、大正十一年四月起工、八月より開始せり。位置は部落の東海岸に沿いたる小丘上にあり、
間口三間・奥行四間、工費一千三百円、県及び郡費補助を受けて竣工す。

13) 榛原郡川崎町静波十二町目
戸数 五十九、 人口三百九十八、 職業 商・工。交通 省線藤枝駅にて藤相線相良行に乗換、川崎に下車。
大正二年四月風俗改善同盟会を起して着々実績の見るべきものあり。麻裏草履を主要とし、茶期は茶の仲買を為すもの多く、其他鰹節の行商、
雑業者も少なからず。南北両部あるも、其南部は宅畔めぐらすに生垣を以てし、井戸は全部コンクリートにて、家屋整然、一般村落に譲らず。
青年会・処女会等活動し、犯罪者なく、住民礼儀を重んじ進取の気象に富めり。

14) 榛原郡吉田村神戸字前村
戸数 四十八、 人口 三百三十一、 職業 職工・雑商。交通 省線藤枝駅にて藤相線相良行に乗換、神戸停車場下車約半里。
本村と部落と相密接して、地勢上融和に便利なり。部落は丘陵の中腹傾斜面に密集混雑し、外見面白からざるものあるも、住民の内容は必ずしも然らず。
青年会、補習教育及び講演講話等を為し、恢進彰風会を起して風俗の改善を計り、共同浴場、消防組の設けあり。部内の購買組合へは普通
民家の人々も出入せり。以て融和の状を察すべし。戌申詔書の発布を記念して自治会を起し全戸貯金を奨励し以て教育費に充当せり。

15) 小笠郡中村字田ヶ谷
戸数 四十五、 人口 二百七十二、 職業 雑業。交通 省線堀之内駅より平田村まで二里八町、馬車人力車の便あり、平田より同区まで一里二十五町。
改善事業 当部落は周囲丘陵を以てめぐらし、地籍の一部には周回一里の用水池あり。他村との連絡は狭隘なる一条の道路あるのみ。
其不便言語に絶せしかば、工費金六千八百二十四円を以て大正十・十一両年度に亘りて道路の改鑿に着手せり。大正十一年二月十七日起工し、
同六月十五日竣工せり。道路延長三百七十五間、内隧道二十八間、幅員九尺の改良道路を完成せり。該工事によりて三十六町の迂廻は僅かに
六町十五間に短縮せられ、而も平坦安全にして交通殖産上の利益大なるものあり。

16) 小笠郡南山村河原束一の谷
戸数 三十、人口 百九十一、 職業 農。交通 省線堀之内駅より南山村まで三里四町、馬車あり、更に徒歩数町。
一の谷区は四面丘陵を以てめぐらせる一小窪地にして、農作物の運搬、商業上の取引はもとより、小学児童が日々の通学等皆崎嶇たる隘路に
よりて迂廻せる為、部落民が隣接地に一活路を求めんことは積年の懸案たりしなり。
道路開鑿 大正十・十一年度の工事として、県郡並びに村当局の諒解を得、延長百十二間の隧道を設計し、之に開連せる道路は五百五十間に亘り、
防の谷を起点とし一の谷を経て終点地新田村合戸に達し、相良街道に連接することとなれり。工費総額金五千円、それに潰地買収、経営費等を
合せて金七千円、此内内務省及び県補助金七百二十四円、村費補助金二千円を受け事業完成、非常の利便を得るに至れり。

17) 小笠郡平田村下平川字奥の谷
戸数 八十三、 人口 四百四十五、 職業 工・商。交通 省線堀之内駅より平田村まで二里八町、馬車人力車の便あり。更に左折して東方約二十町。
居住地整理 区内八十三戸の民家は二条の道路に沿いて整然として並列せられ、車馬運搬の便は固より水利も甚だ宜しく、之を従前の湿潤不潔、
密集混雑せるに比するに面目全く一新せり。其共同浴場も同時に改良し、衛生上効果少なからず。 大正十一年三月十五日起工、同五月三十日竣工、経費金七千八百三十八円なり。
18) 磐田郡梅原村
戸数 百六十、 人口 千百二十、 職業 農・商。交通 省線中泉駅より十九町。
住民進取の気象に富み、養豚業盛んにして東京市場に輸出す、全国第一と称す。耕地面積約十五町三反歩、他町村に於ける耕地約三十町歩、
住宅は大抵めぐらすに生垣を以てし、家屋道路、一般農村に比して遜色なし。大正八年一万一千八百円を以て一寺院を建立す。其資金は村内
毎戸飯米を洗う時に盃一杯ずつを取除け置き、積んで三カ年にして得たるものなりと。納税・消防等の成績も亦見るべきものあり。
19) 浜名郡可美村東明神野
戸数 七十八、 人口 五百四十八、 職業 商業・雑業。交通 浜松市の西南約十町。
下水及び火葬場改築 宅地内外比較的清潔にして、御大典記念として約一万円を以て神社を建造し、又明治天皇遥拝所及び共同浴場を設けしが、
今回更に左の設計を以て改良工事を挙行せり。
種別 下水工事新設 工費 二六○円 奨励費 五二円
種別 下水工事改築 工費 四二○円 奨励費 八四円 竣工年月 大正十一年三月三十一日 起業者 東明神野
 種別 火葬場改築 工費 六○円 奨励費 三三円 起業者 茗荷小三郎
20) 浜名郡吉野村
戸数 二百四十五 人口 千四百八十二、職業 農。
交通 省線浜松駅にて下車、浜松鉄道気賀行に乗車、三方原停留所にて下車徒歩約十数町。
吉野村は浜松市を去る北方三里余、古戦場三方原の西端に位置し、一時民風頽廃せしも、北村電三郎・長谷藤市氏等の発企にて風俗改善
同盟会を組織し、百難を排して改善に努力せしかば、基本財産の造成、生産の増加、産業組合の発達等治績大いに挙がり、諸般施設の
見るべきもの少なからず。殊に消防組・共同浴場・村営屠場・酒及煙草専売等は何れも他の模範とするに足るものなり。左に表彰の一端を示さん。

宮内省 大正十三年二月 緑綬褒章 北村電三郎
内務省 大正八年二月 吉野村、大正六年二月 風俗改善同盟会
静岡県 大正元年十二月 消防組、大正三年三月 長谷醇作、大正九年九月 消防組、大正十年二月 長谷藤市
浜名郡 大正元年十二月 吉野村、大正九年三月 北村電三郎、大正十一年 長谷醇作
其他 吉野村、青年団、村農会、北村電三郎
居住地整理 大正十一年度に於て村内居宅の周囲一体に植樹せしめ、田園趣味をして一層の風致あらしめた。工費九百六十六円、奨励費百八十円。
無料診療所 自大正十一年四月至十二年三月、診療人員五百十七名。」

静岡県社会課 地方改善実例 大正十三年三月の内容である。

『駿国雑志』所収「第拾壱図 屠児町の図」。現在の静岡市葵区の新通地区(白山町部落)に該当する。


駿府屠児町

文献


全國部落調査(1935年)

靜岡縣 昭和十年一月現在


 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
賀茂郡 城東村白田五二農業日傭、草履賀茂郡 東伊豆町 白田
〃 下河津村裏町五九〃、行商賀茂郡 河津町裏町の位置は要調査。
〃 稲梓村椎原二〇一三六日傭農業下田市 椎原
〃 南中村石井、洞一三八九農業草履、狩猟賀茂郡 南伊豆町 石井
〃 松崎町宮内区土手三九日傭養豚賀茂郡 松崎町 宮内三國連太郎(出生名・佐藤政雄)は養父の出身地区について「親父の田舎は伊豆の松崎の奥にあり(略)菊池山哉の『別所と特殊部落の研究』によると、ここは伊豆半島に十一ヵ所を記載されている被差別地区の一つだとされている」と発言している。「僕は子どもの時分、西伊豆の中川と桜田という町の真ん中、両方の町からちょうど3キロぐらいずつ離れた鄙びた集落に住んでいました」とも発言しており、現在の松崎町櫻田と松崎町峰輪(中川郵便局あり)の中間とすると、現在の松崎町吉田近辺といえる。
田方郡 三島町辰巳町二一一二九商業三島市 日の出町 4番地、東町 8番地、9番地
〃 伊豆長岡町一九一二三農業日傭伊豆の国市 長岡洞古墳の白石の石棺周辺。宮本姓5件。2000年電話帳。
〃 戸田村沢海二五工業、舟乗草履、狩猟沼津市 戸田 沢海
〃 伊東町中島四五二三一農業、日傭商業伊東市中島は元の地名では松原の小字。松原は一部が別の地名となる。
〃 夛賀村和田木一一六六工業農業熱海市 下多賀 和田木
駿東郡 浮島村平沼宮組一七一二四農業草履、行商沼津市 平沼1955年まで浮島村は存在。現在の沼津市と富士市にまたがっていた。「宮組」という小字名は各所にある可能性。平沼の宮組はおそらく八幡神社近くの数戸。若宮八幡宮近くの平沼葱川の可能性もあり。要調査。
〃 鷹根村西椎路一五一〇四日傭草履沼津市 西椎路 東久保
〃 金岡村下村一一九五農業沼津市1944年に金岡村は沼津市と合併。沼津市江原町3-1に沼津市役所金岡地区センターがある。

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
駿東郡 長泉村下村九九農業草履駿東郡 長泉町下村の位置は要調査。
〃 泉村公文呂三〇裾野市 公文名公文呂は公文名の誤記。
〃 髙根村増田一〇六七日傭草履、農業御殿場市 増田1937年の地区調査票によると、10ヶ年計画で1年に1戸を離散させ、適当な地方に移住させる計画を実施中だった。
富士郡 傳法村坂本四一二六六草履行商富士市 伝法 坂本薬の行商人が多く裕福だった。
〃 大宮町三谷一五八〇日傭富士宮市 大宮町内務省社会局『部落改善の概況』(1922年刊)所収「府県別市町村に於て部落改善に関し一般的に施設せる事項及其の成績」に「富士郡大宮町に於ては、曩に火災ありたるを機とし、新たに五間幅の道路を開通し、従来一箇所に集団したりし部落民を点々沿道に移住せしめて、所謂三ツ谷部落なる名称の絶滅を図らんとす」
庵原郡 蒲原村増田町一八一二二草履日傭静岡市 清水区静岡市清水区蒲原増田小金(のち蒲原小金と改称)と蒲原増田新田(のち蒲原新田と改称)のいずれにあたるかは要調査。
〃 由比村東町四一日傭行商、草履静岡市 清水区 由比由比宿は本町(本陣・旅籠)、西町(鍛冶屋・番匠大工・桶屋等の職人)、東町(伝馬役)から成る。東海道の宿場町においては、部落はその端に設けられる事例が多い。由比宿の東端、由比241の旧街道に枡形の痕跡があり、この付近が東町の可能性。
〃 袖師村車形二六一八四行商日傭、草履静岡市 清水区 西久保車形は西久保1丁目の五差路辺りの字名。勝沢姓7件、勝澤姓1件。2000年電話帳。
志太郡 藤枝町南組三九二六〇草履行商藤枝市 藤枝青木姓17件。藤枝1丁目には10件。2000年電話帳。
〃 岡部町小川一七一〇八藤枝市 岡部町内谷 小川カゴメ静岡工場前の県道81号線を挟んだ西側付近の可能性。要調査。内谷に稲木姓4件。宮崎姓6件。2000年電話帳。
〃 豊田村三ヶ谷二三一五七焼津市 三ケ名三ヶ谷は三ケ名の誤記。地元の水平社の役員に杉山峯吉がいた。杉山姓17件。2000年電話帳。
〃 西益津村稲川南三〇一八四藤枝市 稲川
〃 島田町鶴ヶ谷一二七七七二島田市 松葉町九島姓8件、鶴木姓6件。2000年電話帳。
榛原郡 相良町大久保六九四二二漁業牧之原市 波津 大久保1940年5月の第6回静岡県融和団体連合大会における被表彰者に田中儀三郎あり。波津に田中姓7件。2000年電話帳。
〃 川崎町十二丁目七二五〇八日傭、養鶏牧之原市 静波本杉姓15件。2000年電話帳。
〃 吉田村南組五五三二七草履、漁業、工業行商、養鶏榛原郡 吉田町 神戸南組の位置は要調査。隣保館がある神戸3934番地の1付近の可能性。
〃 五和村蕃生寺西組二九一九三草履日傭、農業島田市 番生寺蕃生寺は番生寺の誤記。


 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
小笠郡 掛川町橘末広一六九一一二九草履古物商、行商掛川市 長谷自治区名に橘町区と末広町区がある。
〃 中村田ヶ谷五三三五八農業草履掛川市 中中に白山神社、睦三会館がある。部落西側丘陵は田ヶ谷砦。中央融和事業協会の呼びかけで当地区から満州に移住した笠原正男は、おじが水平社の支部長、父は融和会の理事であった。また当地区出身の松下剛一(水平社の松下伊之吉の孫)が1944年に徴兵され、中国で捕虜となり、1946年に帰国した。笠原姓45件。松下姓46件。2000年電話帳。
〃 笠原村南区七五五一二草履、古物日傭、農業袋井市 岡崎笠原院内、岡崎南区とも呼称。「明治5年(1872)の壬申戸籍令の施行時に旧来の姓を剥奪され一村全員が稲葉姓に変更(同地では、院内が院場に転じた地名に稲葉の字をあてており、地名の稲葉の読みは「いんば」だった。この地名から姓も稲葉になった。) 、賤民と同等視されるようになった」が、1924年11月28日に復姓願いを提出して受理され、小松原姓に戻る。稲葉姓2件。小松原姓13件。富山姓27件。2000年電話帳。歌手の松原健之(本名は小松原健志)の出身地区。
〃 三浜村西区三九二三一農業行商、草履掛川市 浜野浜野34に白山神社あり。酒井姓15件、松下姓12件。2000年電話帳。
〃 南山村一ノ谷二三一五〇養鶏、草履菊川市 河東河東に一之谷公民館がある。地元の水平社の役員に今坂庄八がいた。今坂姓11件。2000年電話帳。
〃 平田村奥ノ谷七八四一九草履日傭菊川市 下平川 奥之谷
〃 千浜村九田四九三一八農業、草履日傭、行商掛川市 千浜
周知郡 森町忠右エ門新田一一七三農業周智郡 森町宝暦6年(1755年)森町村の太田忠右衛門ら、下河原に新田開発計画を立てる。忠右エ門新田の位置は要調査(森町森528-1の川原町公会堂付近の可能性)。
磐田郡 中泉町梅原一九五一五七三草履日傭、行商磐田市 国府台1948年に梅原が王子町、1966年に王子町が高町に改称。現在の国府台は高町からの変更。桓武天皇の第4皇子・戒成王が京で癩病にかかり、従者とともにこの地に移り住んだという貴種流離譚が伝わる。秋田姓9件、杉本姓6件、頼実姓5件。2000年電話帳。
浜名郡 曳馬町一本杉九一五二七農業日傭浜松市 中区

ここから浜名郡 曳馬町の記事。
馬込川に沿った上島に白山神社があり、なおかつ一本杉1〜4号墳など古墳が集中している。なお現在の萩丘(旧地名は一本杉二枚皮。のち萩町と改名され、旧・萩町の一部が旧・上島町の一部と併せて萩丘となった)には市営住宅萩丘団地(萩丘2丁目17-101ほか)や萩丘集会所(萩丘2丁目15)があるものの、同和住宅かどうかは不明。一本杉そのものは現在の上島や萩丘から小豆餅や葵東などを含む字名だが、「今昔マップ」を見ると一本杉と記された場所が1889~1890年の地図と1916~1918年の地図で変動しており、被差別部落の位置は要調査。浜松の一本杉部落の現在の地名。萩丘か上島か。

【萩丘説の論拠】

  • 豊成神社は旧白山神社である(ただし具体的な出典なし。菊池山哉の本に書いてあったというが、どの本の何頁か不明)
  • 豊成神社の近くに一本杉の標識が今でもある(ただし一本杉という字の範囲は現在の葵東や小豆餅などを含むので、標識があったからといって『全国部落調査』の一本杉部落を示すとは限らない)
  • 市営住宅がある(ただし同和住宅と見るべき根拠なし)
  • 字一本杉の範囲に現上島は含まれない(ただし具体的な出典なし)
  • 特徴ある姓が新城市や豊橋市(の各部落)に移住し交流がある(ただし具体的に何の姓なのか不明)

【上島説の論拠】

  • 白山神社がある
  • 『浜松市神社名鑑』76頁によると豊成神社は旧上島町から移転したものである(ただし旧上島町の町域は現上島と差異がある。旧上島町から現萩丘に編入された地域もある)
  • 川が近い
  • 一本杉1〜7号墳という名の古墳が集中している(萩丘に一本杉の名を冠した古墳はない)
  • 1938~1950年の「今昔マップ」を見た限り、現萩丘にあたる地域に民家は少なく、91戸もの規模の部落があったとは考えにくい

「一本杉は戦時中の飛行場に使われてほぼ消滅した」ともあるが典拠不明。飛行場の跡地として考えられそうなのは現四ツ池公園(浜松市中区上島6−19−1)ぐらいだが、四ツ池公園のある地域を古地図で見ても民家は見当たらない。

結局、どっちなのか。『人名力』の宮本洋一は萩丘でも上島でもなく曳馬としているが、なぜそう判断したのか根拠がわからない。
「吉野村や高町の南朝伝説と一致」?

 

  • 「豊成神社は白山神社と菊池山哉による現地調査が長吏と特殊部落に有り」

→『長吏と特殊部落』の何ページにそう書かれているのでしょうか。また、仮に豊成神社の前身が白山神社であるとしても、そのことがただちに萩丘が被差別部落であることを意味するわけではありません。白山神社なら上島にもありますから。

  • 「祭神も浅草新町の白山神社や吉野村や高町の南朝伝説と一致し打桐姓が三河の部落と通婚で一致する」

→「吉野村や高町の南朝伝説と一致」は意味不明


ここまでが、 浜名郡 曳馬町の記事。



〃 三方ヶ原村


大谷










七九



松市 北区 三方原町
〃 可美村東明神野九八四六七草履行商浜松市 中区 春日町茗荷(みょうが)姓2件。2000年電話帳。融和運動家の茗荷茂平(改善会会長)の出身地区。また1925年5月、静岡県融和連盟の設立に参加した一人に茗荷信三がいた。1940年5月の第6回静岡県融和団体連合大会における被表彰者に茗荷良太郎あり。自由同和会会長の茗荷完二の自宅も春日町にあった。
〃 吉野村須ノ木沢二八〇一五八五農業草履、養豚浜松市 中区 花川町1955年に須之木沢が吉野町に改称。花川町は2000年以降の成立。北村電三郎の出身地区。菊池姓12件、北村姓19件、高倉姓21件、長谷姓19件。2007年電話帳。この地区から分かれた部落に愛知県新城市の野田北村と有海東原がある。
〃 富塚村段子川四八二八四日傭浜松市 中区 富塚町
〃 積志村缼下三七浜松市 東区 有玉西町 欠下
〃 白須賀町新町八〇四九六漁業、日傭農業、草履湖西市 白須賀 新町
引佐郡 三ヶ日町釣日比沢二〇九〇農業日傭浜松市 北区 三ヶ日町日比沢

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
静岡市新通五丁目ノ一部、六丁目、川辺、西区七七二九一履物日傭静岡市 葵区 新通一丁目・二丁目、駒形通四丁目・五丁目、川辺町旧称は白山町、さらに前は毛皮町。また屠児町とも。部落の範囲は旧・静岡市白山町と安倍郡大里町大字田中(ママ※1)にまたがっており、白山町の町域は「北ハ新通五丁目(引用者注、現・駒形通四丁目と新通一丁目と新通二丁目)及六丁目(引用者注、現・駒形通五丁目と新通二丁目)ニ接シ十歩ニシテ直チニ東海道ニ出ツルコトヲ得ベク西ハ安倍川町ニ境シ遊廓(引用者注、現・駒形通五丁目付近)ノ嬌声直チニ耳朶ヲ打ツ東及南ハ一帯郡部ニ界スト雖ドモ耕地整理ノ結果新設セラレタル道路ハ坦トシテ静岡市下魚町(引用者注、現・常磐町二丁目)ニ通シ交通極メテ便ナリ※2」。地元では七條姓の公卿が没落して賤民になったとの言い伝えがある※2。大里町大字田中※1では田中姓※1の者の子孫との言い伝えがあり、1921年の資料では「現在七條姓ヲ称フル者四戸田中姓※1ヲ称フル者七戸アルハ或ハ此ノ事実ヲ証明スル一資料タルベキカ」とされている※2。部落の寺は法栄寺(駒形通四丁目7)※1。「該部落ニテハ部民(ママ)申合ハセ野犬撲殺ニ従事スルヲ禁セリ」※3(※1~3(『静岡縣安倍郡誌』に「安倍郡大里町大字田中」の記載はない。「安倍郡大里村中田」(現・静岡市駿河区中田近辺)の誤りである可能性が高い。駿河区中田は葵区新通・駒形通・川辺町と地理的に断絶しているが、静岡警察署編『静岡市之研究』18頁(静岡県内務部社会課、1921年)には「大正六年十一月耕地整理施行ノ結果白山町ニ接続セル地(引用者注、西区か)ニ転シ来リシカバ茲ニ再ビ一廓ヲ成スニ至レリ」とある。西区の現在位置は不明。 )。白山町青年会(元・愛友青年会)の役員に蔦澤姓、稲木姓、筧姓、杉山姓、七條姓、山本姓あり。駒形通に七條姓2件、田中姓10件、蔦沢姓2件、稲木姓1件、筧姓4件、杉山姓14件、山本姓15件。新通に杉山姓6件。駿河区中田に中田姓2件。2000年電話帳。
浜松市 福地福地一八七一〇二一履物商、日傭草履浜松市 中区 富吉町小山紋太郎の出身地区。小山の本籍地かつ自宅である浜松市福地町22番地に静岡県水平社本部があった。また1930年4月、豊橋歩兵第一八連隊の中佐による部落差別発言を浜松水平社に知らせた花村賛四郎も当地区の出身。堀尾姓9件。花村姓2件。2000年電話帳。
〃 名残名残一五二八一一農業、日傭草履、養豚浜松市 中区 鹿谷町、布橋、文丘町1928年3月、現・布橋一丁目の追分尋常小学校の5年生である木村福一が差別発言と殴打を受け、骨髄炎・急性脳膜炎で死亡し、浜松水平社による糾弾に発展したとされる。布橋に木村姓3件、茗荷姓3件。2000年電話帳。(「中区町名の由来」59頁に文丘町の町名の由来として「昭和41年に『名残町』『富塚町』『和地山町』の一部ずつを集めて発足した町。町内や周辺地域に学校が多いため、文教地区の丘陵地ということで『文丘町』とつけられた」とある。また、同冊子58頁に布橋の町名の由来として「昭和41年に『追分町』『上池川町』『名残町』のそれぞれ一部を集めて『布橋一~三丁目』が発足した」とある。また、56頁に鹿谷町の町名の由来として「昭和43年に『名残町』と『亀山町』を中心にして『鹿谷町』が誕生した」ともある。 浜松市発行の小冊子「中区を歩く本編その3」より) 
沼津市榮町三六一四二履物




沼津市 末広
(※『静岡県社会課地方地方改善実例大正十三年三月』の第2項にある「本字栄町」は現在の末広町の可能性。)

清水市

榮町

二六

一六七

日傭、商業

草履



静岡市 清水区 入江
(※『静岡県社会課地方改善実例大正十三年三月』の第7項による。)



計五一


五二


二六五五


一六一三二

施設等



隣保館

  • 浜松市城北会館 - 静岡県浜松市中区文丘町1番1号
  • 浜松市北星会館 - 静岡県浜松市中区花川町1977番地
  • 浜松市江東会館 - 静岡県浜松市中区富吉町3番3号
  • 浜松市江西会館 - 静岡県浜松市中区春日町41番地の1
  • 磐田市ふれあい会館 - 静岡県磐田市国府台493番地1
  • 袋井市岡崎会館 - 静岡県袋井市岡崎2525番地
  • 掛川市つくし会館 - 静岡県掛川市長谷433番地
  • 掛川市睦三会館 - 静岡県掛川市中5989番地の1
  • 掛川市千浜会館 - 静岡県掛川市千浜4069番地
  • 掛川市浜野会館 - 静岡県掛川市浜野556番地
  • 菊川市立協和会館 - 静岡県菊川市下平川4125番地の9
  • 島田市立福祉館あけぼの - 静岡県島田市松葉町9642番地の2
  • 島田市番生寺会館 - 静岡県島田市番生寺301番地の1
  • 牧之原市立静和館 - 静岡県牧之原市波津1390番地
  • 牧之原市立和光館 - 静岡県牧之原市静波1262番地1
  • 吉田町立神戸西会館 - 静岡県榛原郡吉田町神戸3934番地の1
  • 焼津市さつき会館 - 焼津市三ヶ名396番地
  • 藤枝第4自治会館(旧称:藤枝市立益津会館) - 藤枝市藤枝1丁目10番地の6



関連団体

  • 静岡県水平社本部 - 浜松市福地町22番地 小山紋太郎(小山荊冠)方
  • 静岡県水平社静岡支部 - 静岡市
  • 静岡県水平社江尻支部 - 静岡市清水区
  • 静岡県水平社西久保支部 - 静岡市清水区
  • 静岡県水平社二俣支部 - 磐田郡二俣町二俣 堀尾寅吉方
  • 静岡県水平社大池東支部 - 小笠郡掛川町大池190 宮下利巧方
  • 静岡県水平社梅原支部 - 磐田郡梅原村2713 頼実喜作方
  • 静岡県水平社中泉支部
  • 静岡県水平社大池西支部 - 小笠郡掛川町大池220 服部一郎方
  • 静岡県水平社一の谷支部 - 小笠郡南山村河原一の谷4572 今坂正八方
  • 静岡県水平社平田支部 - 小笠郡平田村
  • 静岡県水平社笠原支部 - 小笠郡笠原村 富山源四郎ら
  • 静岡県水平社中村支部 - 小笠郡中村 松下伊之吉ら 
  • 静岡県水平社毛森支部
  • 静岡県水平社岡部支部 - 志太郡岡部町内谷字小川330 稲木文蔵方
  • 静岡県水平社川崎支部 - 榛原郡川崎町静波1261 鈴木吉蔵方
  • 静岡県水平社相良支部 - 榛原郡相良町
  • 静岡県水平社島田支部 - 志太郡島田町鶴ケ谷1833 九島作一方
  • 静岡県水平社明神野支部

上記のほか、富士郡大宮町、浜名郡可美村などにも水平社に呼応する人々がいた。また1925年6月7日、梅原水平社結成の日に小笠郡南山村で平野小剣や辻本晴一や小山紋太郎と講演した者に凩幸次郎がいる。凩(こがらし)は2000年電話帳で掛川市 上垂木に1件登録がある稀姓。上垂木は『全國部落調査』に記載のない地区だが白山神社がある。

磐田郡二俣町二俣(現・浜松市天竜区二俣町二俣)も4戸の小部落であり『全國部落調査』に記載がない。

  • 部落解放同盟静岡県連合会 - 袋井市岡崎1726-5
  • 自由同和会静岡県本部 - 静岡市葵区安東1-12-9 天の一事務所内
  • 全日本同和会静岡県連合会 - 浜松市東区大瀬町705-2



小集落改良住宅

牧之原市

  • 牧之原市波津西住宅(1号・2号・3号・4号) - 牧之原市波津1158番地1
  • 牧之原市波津西住宅(5号・6号) - 牧之原市波津1390番地2
  • 牧之原市波津西住宅(7号・8号) - 牧之原市波津1147番地1他1筆
  • 牧之原市波津西住宅(9号・10号・11号) - 牧之原市波津1429番地3
  • 牧之原市波津西住宅(12号・13号) - 牧之原市波津1291番地
  • 牧之原市静波改良住宅 - 牧之原市静波1338番地1

島田市

  • 改良住宅1号 - 島田市松葉町9590番地の2
  • 改良住宅2号 - 島田市松葉町9590番地の4
  • 改良住宅3号 - 島田市松葉町9613番地の7
  • 改良住宅4号 - 島田市松葉町9611番地の6
  • 改良住宅5号 - 島田市松葉町9611番地の8
  • 改良住宅6号 - 島田市松葉町9611番地の4
  • 改良住宅7号 - 島田市松葉町9678番地の3
  • 改良住宅8号 - 島田市松葉町9691番地の1
  • 改良住宅9号 - 島田市松葉町9693番地の2
  • 改良住宅10号 - 島田市松葉町9700番地の2

浜松市

  • 富吉団地(一般住宅) - 浜松市中区富吉町4番101号
  • 富吉団地(店舗) - 浜松市中区富吉町7番101号
  • 富吉団地(作業所) - 浜松市中区富吉町13番21号
  • 花川団地(小規模住宅) - 浜松市中区花川町925番地
  • 春日団地(小規模住宅) - 浜松市中区春日町197番地の1

焼津市

  • 改良住宅1号(小集落改良住宅) - 焼津市三ケ名412番地
  • 改良住宅2号(小集落改良住宅) - 焼津市三ケ名305番地

藤枝市

  • 藤枝1丁目団地(改良住宅) - 藤枝市藤枝1丁目4番37号、38号 (2戸)、藤枝市藤枝1丁目7番23号、25号 (2戸)、藤枝市藤枝1丁目7番27号、28号 (2戸)、藤枝市藤枝1丁目9番8号(2戸)、藤枝市藤枝1丁目9番18号 (4階建・24戸)

人権啓発センター

  • 静岡県人権啓発センター - 静岡市葵区駿府町1-70 静岡県総合社会福祉会館4階
  • 浜松市役所健康福祉部福祉総務課 人権啓発センター - 浜松市中区早馬町2-1

白山神社

  • 静岡市駿河区大谷896
  • 静岡市葵区瓦場町152
  • 静岡市葵区長尾461
  • 沼津市内浦重寺172
  • 富士市天間875-1
  • 富士宮市佐折195
  • 掛川市安養寺95
  • 掛川市大池850
  • 掛川市上垂木3177-2
  • 掛川市結縁寺58
  • 掛川市小原子141
  • 掛川市子隣59
  • 掛川市上佐束字高瀬奥西1202
  • 掛川市中5872
  • 掛川市浜野34
  • 掛川市和田464
  • 牧之原市男神431
  • 牧之原市勝間689、690
  • 牧之原市東萩間1266(八王子白山神社)
  • 周智郡森町飯田2590(山名神社)祭神の一つが菊理姫命。
  • 周智郡森町三倉1562
  • 磐田市豊浜中野743
  • 磐田市国府台182
  • 磐田市中泉1289
  • 磐田市豊岡986-2
  • 浜松市中区春日町4
  • 浜松市中区高林1-17-1
  • 浜松市中区富吉町20
  • 浜松市中区花川町
  • 浜松市中区上島2丁目18−8(上島町南公会堂敷地内。1989年2月12日、上島5丁目18-7の神道修成派天白中教会に移遷座)
  • 浜松市北区引佐町井伊谷1254
  • 浜松市北区細江町気賀3213
  • 浜松市北区三ヶ日町駒場206
  • 浜松市北区三ヶ日町津々崎222
  • 浜松市北区三ヶ日町日比沢276
  • 浜松市北区三ヶ日町上尾奈657
  • 浜松市南区江之島町563
  • 浜松市南区都盛町20-1
  • 浜松市南区恩地町176-1
  • 浜松市天竜区龍山町瀬尻430
  • 浜松市天竜区佐久間町奥領家1014-1
  • 浜松市西区雄踏町宇布見7772
  • 浜松市西区大山町620
  • 浜松市西区大山町2637
  • 浜松市西区和光町268(和光白山神社)
  • 島田市相賀1408-3
  • 島田市伊太1424
  • 島田市川根町笹間下616
  • 島田市大代2584
  • 湖西市入出
  • 熱海市伊豆山上野地708番地1(伊豆山神社境内)
  • 下田市落合276(高根白山神社)
  • 伊東市馬場町1丁目16-40(合祀されて葛見神社)
  • 賀茂郡松崎町雲見347
  • 田方郡函南町畑毛344
  • 伊豆の国市白山堂365
  • 伊豆市八木沢1785
  • 伊豆市田代268
  • 伊豆市城667
  • 袋井市浅羽3593
  • 藤枝市瀬戸ノ谷9964
  • 藤枝市南新屋173
  • 藤枝市上薮田654
  • 菊川市下平川4172
  • 菊川市嶺田4680
  • 菊川市当山3363

浜松市中区萩丘2丁目36-1(浜名郡曳馬村大字一本杉=現在の上島町から移転)の豊成神社が旧・白山神社との言い伝えもあるが、祭神は「イザナギ、イザナミ、桓武天皇」であり、白山比咩神社の祭神である菊理媛神(別名、白山比咩大神)を祀っていない。







zannin666 at 07:03|Permalink ドエッタにおける穢多族の報告 〔静岡県〕 

1.August.2017

POP TATARI

非人は、関東では長吏頭・弾左衛門と各地の長吏小頭の支配下にありました長吏は、(弾左衛門自身が属した身分です。西日本などでは「かわた」と呼ばれます。幕府や差別する側が使った名称で言えばいずれも「穢多」ということになりますが、これは江戸時代においても明らかな蔑称でした。長吏や「かわた」たち自身は、基本的にこの呼び名を否定していました。西日本では、必ずしも「かわた」の支配下ではありません)。
 
江戸の非人には、抱非人(かかえひにん)野非人(のびにん)との別がありました。野非人は「無宿」(今日的に考えると路上生活者のような立場の人々。ただしあくまでも社会的な身分なので、イコールではない)で、飢饉などになると一挙にその数が増えました。一方抱非人は、非人小屋頭(ひにんこやがしら)と言われる親方に抱えられ、各地の非人小屋に定住していました。非人小屋は江戸の各地にありました。


 非人小屋頭はそれぞれ有力な非人頭(ひにんがしら)の支配を受けており、江戸にはそれは4人(一時期5人になったこともある)いました。この4人の非人頭がそれぞれ弾左衛門の支配下にあったわけです。4人の非人頭の中でも特に有力なのが浅草非人頭・車善七(くるまぜんしち)でした。
 非人の主な生業は「物乞い」でした。江戸時代、非人以外のものが勝手に「物乞い」をすることは許されていませんでした。また街角清掃、「門付(かどづけ)」などの「清め」にかかわる芸能、長吏の下役として警備や刑死者の埋葬、病気になった入牢者や少年囚人の世話などにも従事しました。また江戸の非人たちは、街角の清掃に付随して紙くず拾いを始め、それ発展させて再生紙作りもおこないました。
 

江戸で最も有力な非人頭であった浅草非人頭・車善七(参考・『浅草非人頭車千代松由緒書』(天保10年〈1837年〉)は、1719年(享保4年)以降、弾左衛門・長吏の支配から独立しようと幕府に訴えを繰り返しました。しかし歌舞伎などと違って、弾左衛門を超える経済力・政治力を持っているわけではなかった非人たちは、結局最後まで弾左衛門の支配下に置かれつづけました。

また、時代や地域によって言葉が指す内容(社会関係上の立場や就業形態や排他的業務など)は大きく異なる。また、非人という語義は、広義の非人と狭義の非人に分けられる。広義の非人とは、犬神人(いぬじにん)・墓守川原物放免(ほうめん)・乞胸(ごうむね)・猿飼八瀬童子(やせのどうじ等)等々の生業からくる総称である。狭義の非人に関しては諸説多数あり、さらなる調査研究が必要とされる。(要注意)


150px-Beggar_Man
乞食〔こじき、物乞い
(和漢三才図鑑  正徳2年(1712)成立


zannin666 at 06:15|Permalink 穢多族の研究 

POP TATARI

岐阜県



概況



岐阜県の被差別部落の統計

調査年地区数戸数人口
1907年-8004431
1920年10月1日239425271(男2603+女2668)
1921年239284634
1935年2月219104457
1942年-8133589
1946年--4474
1958年199924661
1963年171216地区全体5759、同和関係4147
1967年14地区全体2139、同和関係971地区全体8600、同和関係4076
1971年15地区全体2543、同和関係1078地区全体10028、同和関係4347
1975年15地区全体2887、同和関係1147地区全体10393、同和関係4298
1985年15地区全体2887、同和関係1147地区全体10393、同和関係4298
1993年1月15地区全体3310、同和関係1213地区全体10540、同和関係3888



県下最大の被差別部落は養老郡養老町の三神・泉地区であり、世帯数645世帯、人口2371を数える(1975年6月現在)。地区内には吉田姓と高木姓が多く、2009年に飛騨牛の偽装表示事件で有罪判決を受けた食肉卸売会社「丸明(まるあき)」(養老町三神町931)の社長も吉田姓であった。

養老町では三神・泉地区の人口が、隣接する市街地の高田地区や押越・御所地域に移動している。高田地域に移動したのは部落内の富裕層である。押越地域への移動は戦後の農地解放が原因で、戸数は約40。御所地域への移動は1949-1950年ごろ、同地の工場用地の払下げが原因で行われ、戸数は18。そして押越・御所地域に移動したのは部落内の中下層である1975年度より同和行政の対象が従来の三神・泉町の他に滝見町・神明・御所地域に拡大されている。滝見町は三神・泉町の一画であり、同和対策の一環として集団住宅を建設した地域。神明・御所も三神・泉町に隣接しており混住地帯である。

このほか、大垣市久瀬川町2丁目32の水神神社の裏手に隣接して水神裏地区があった。ここは「もともと同和地区ではなかった。大垣地区の一スラムであった。そこに、滋賀県犬上郡の『部落』出身者が流入して、『部落』を形成したのであった。その流入のはじまりは、明治末年といわれる。大正10年頃より、地区住民の生業の中心が蛇や蝮の採取になる。地区住民のほとんど9割が、『ヘビ取り』の生活をしていた。水神裏住民は、故郷をあとにし、原始的ともいえる採取生活を余儀なくさせられた。岐阜県『部落』の中でももっとも悲惨な生活を強いられていた住民であったということができる」と伝えられている。この水神裏地区は岐阜県の部落解放運動の拠点となり、この地区から木村礎七(全水中央委員)、山田又七(全水大会岐阜県代表者)、吉野正義(全水中央委員)が輩出した。この地区は21戸の規模だったが、1940年に都市計画で分散移住させられた。
水神裏部落は,大垣市若森町地内にある水神神社の裏手に隣接した地にあり,通称「水神裏」とよばれる
「スラム」であった。


明治末年ごろ滋賀県犬上郡呉竹地区出身者が移り住むようになり,従来から住んでいた住民は次第に転出
。逆に呉竹出身者が流入し,所謂「部落」を形成していったのであった。流入の理由としては,呉竹地区で
「渡り土工」として各地を転々として仕事を求めていた人びとがいたが,大垣市における紡績工場の建設に
ともなって,その建築労働者として移り住むようになったと考えられる。とくに水神裏地区に移ってきた理由とし
ては,なによりも他地区に比べ低家賃であったこと,スラム住民に同じ建築労働者がいたことなどが考えられる。大正にはいり,大垣における紡績工場の建設が一段落したのちも,呉竹出身の住民は水神裏に居残った(居残らざるをえなかった。)転出したあとの家に,縁故を頼って呉竹出身者が,さらに移り住んできた。大正10年頃,東京浅草の薬問屋から蛇の
買取りの依頼があり,水神裏住民の9割が「ヘビ取り」で生計をたてるようになった。水神裏住民のうち,3人が「ヘビ」の
仲買人となっていたが,いずれも岐阜県水平社結成後部落解放運動の活動家であった。大垣市は,岐阜県における水平社運動
,解放運動に打撃を与えるため,水神裏部落を消失させることを企画したと考えられる。昭和15年,強制的に,住民を他地区
に移らせる分散政策を強行した。その移転補償費は平均,家賃6ヵ月分に相当する低額であった。こうして,「水神裏部落」
は解体したが,多くの住民は,水神裏近くに移り,人間関係としては,従来の関係を余儀なくさせられていた。



部落が岐阜県に少ないのは、足洗いをして農民になったためではないかとする考察があった。

大垣市若森会館運営協議会委員の木村一夫は「『市政のあらまし』によれば、若森会館は同和教育集会所として、地域住民が明るく住み良い地域づくりをめざして、学習会や集会活動を通じてお互いの人権を尊重し合い、地域の健全育成をはかるための施設」と紹介している。(http://ci.nii.ac.jp/naid/110000482429 を参考)大垣市南若森町2-20に若森会館がある。部落解放同盟岐阜県連委員長の石井輝男が南若森出身と自称していたが、実は一般地区の十六町の出身で部落民ではないとの説もある。大垣市内では、封建時代の身分制度に由来する伝統的な被差別部落の東町が「東部地区」として同和地区指定された。そのほか、上記の事情で被差別部落民の分散移住先となった日の出町、今町、本今町、南若森町、若森町が「西部地区」として同和地区指定された。



文献



全國部落調査(1935年)


岐阜縣 昭和十年二月現在

 


部落所在地
部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
岐阜市 島早田五九二七四日傭、南部表、履物其他、行商南部表、日傭岐阜市 早田早田(そうでん)は長良川のあたりに屠殺場があった証言はもらっている。
が場所不明。
と札

この地図は、以前わたしのブログに掲載した地図だ。地図の分
析が悪い為確認が取れないが、伊奈波神社がある。その付近には屠場
は確認できる。

稲葉郡 黒野村黒野一〇三五一五皮革、農業、履物修理、牛馬商其他行表、南部表岐阜市 黒野、下鵜飼北岡姓5件、北原姓6件。2000年電話帳。加藤貞泰が甲斐国から
移封されて当地に住んだ時、旧領地から革細工職人の家族を3軒
ひきつれてきて屋敷を与え、諸役を免除して城下町の外郭に住まわ
せたのが部落の起源と伝えられる。
「この口碑の史実性を立証する
ように、この部落では、他所者を除く生えぬきの地元民86戸が、ほと
んど均分された3組のグループに分かれている。それぞれ各組の構
成員は同一の苗字と同一の家紋を共有し、親類意識によって緊密に
むすばれている」と、北原泰作が述べている。1927年に昭和天皇に
直訴をした北原泰作の出身地。北原泰作の本籍地は黒野村大字黒野
200-2。北原泰作の母(同じ黒野部落の出身)の旧姓が北岡。部落と
一般の境界線は「黒野の城下町は、城郭の総構えのなかに包まれてい
たが、えた屋敷は郭外に置かれていた。私の子どものころには、
部落(むら)の北はずれに総門口と呼ばれるところがあった。城の搦手
方角に外敵の侵入を防ぐために設けられた総門の跡である。
(略)総門口から南へ約300メートル、加藤貞泰が建立したと伝えられている光順寺の裏門まで、50メートル幅の帯状に延びた竹藪があった。いつも太陽の光を遮っている薄暗いその竹藪が、一般町民と『部落』住民とを分け隔てる差別の壁になっていた」と北原泰作が書いている。北原は1927年1月10日の入営について「部落(むら)からその日六十八連隊に入営するのは、
北岡領八と北牧清太郎と私の三人であった」と書いており、黒野の3つの
部落姓の残りは北牧である可能性がある。また北原泰作の
いとこの苗字は掛野であり、2000年電話帳では黒野に
1件登録がある。また上原善広『日本の路地を旅する』170頁に
「昭和4、5年頃に改姓運動が起こり、住民の大半が変えた」、
「しかし変えたといっても、普通の苗字だからって佐藤(仮名)
姓にみんなが変えたものだから、佐藤っていえば
K(黒野、引用者注)だってことになっちゃってね。
結局、あんまり意味なかったような気がするな」とある。
佐藤(仮名)は伊藤姓の可能性。黒野に伊藤姓24件。2000年電話帳。
海津郡 城山村駒野一一三九履物商、食肉商〃 〃海津市 南濃町駒野
養老郡 多藝村大墳、多岐二五一一二七五行商、日傭、職工、皮革〃 〃養老郡 養老町 三神町1635年、大垣藩主戸田鉄公摂州尼ヶ崎から移封されたことに伴い、日比野治郎太夫が革工6戸を率いて移住したことに始まる。延宝安永の頃は鳥井村と称し、その後大墳村と称し、明治15年に分村して北大墳村と改称、明治30年多芸郡大字大墳と称す。岐阜県水平社本部結成者の高木重太郎の出身地区。高木姓73件、吉田姓35件。2000年電話帳。当地区を扱った吉岡進の論文「被差別部落における階層構造について」の謝辞に「大橋祝氏(履物関係)水野酒造太郎氏(皮革関係)高木旭氏(行商関係)」の氏名あり。
〃 日吉村新宮三〇一六四農業、履物商、日傭農業、日傭養老郡 養老町 室原 新宮
〃 時村下山一八五九農業、履物商、日傭牛馬商大垣市 上石津町下山
不破郡 表佐村朝日二七一二一農、商、漁業日傭不破郡 垂井町 表佐藤墳(ふじつか)姓45件。山元姓12件。杉江姓3件。2000年電話帳。1955年1月11日に消防団で差別を受けた部落民の氏名は杉江嘉七。
安八郡 三城村沢渡三三一四七農、皮細工、行商南部表、日傭大垣市 東町沢姓5件。2000年電話帳。
揖斐郡 本郷村東屋敷一七一〇五農、日傭、製材〃 〃揖斐郡 池田町 本郷



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
揖斐郡 池田村池野三五牛馬商、行商其他日傭揖斐郡 池田町 池野
本巢郡 北方町円郷寺一二六八屑物、農、漁業〃 〃本巣郡 北方町 北方 円郷寺『角川日本地名大辞典』の小字一覧に円郷寺が記載。現在は北方小学校の校庭の一部の可能性。(  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/932675 5P参考)
   (現在の北方小学校の一部は確かに「屑物」である、」) 
〃 土貴野村中野一二七〇農、牛馬商、無職牛馬商本巣市 七五三七五三に中野会館あり。
山縣郡 髙富町美里三四二二六農、履物食肉行商山県市 高富別名、天王地区。明治新姓の際、全戸(30戸)が戸長から強制的に革田姓を授けられたが、のち改姓。本来は先祖が3戸であったことから、共通の字を冠した3姓にしようとしていたとする。祖の3人は、仁兵衛、与三八、三五郎で、その後改姓したものとして以下の姓を記載している。井伊(1件)、伊藤(7件)、梅田(2件)、掛野(2件)、高井(1件)、高木(2件)、田中(15件)、中村(36件)、中山(13件)、西村(9件)、武藤(17件)、森(4件)、吉井(6件)。2000年電話帳。
武儀郡 美濃町新町五五三〇三製材、雑貨、日傭其他南部表、行商美濃市 新町岩見姓9件、岩本姓4件。2000年電話帳。
〃 関町柳町二二一二九職工、履物、商其他南部表関市 柳町掛野姓5件、沢姓7件、古川姓5件。2000年電話帳。
可児郡 御嵩町若松町八二三五三農、行商其他農、麻裏草履可児郡 御嵩町 御嵩 字島垣外自治会名に「若松町」の名が現存。具体的な範囲は要調査。御嵩町御嵩1502にある隣保館の近辺の可能性。
〃 兼山町柳町一三五五履物、皮革商行商可児市 兼山
恵那郡 岩村町朝日町一四五五日傭、行商、製革恵那市 岩村町 朝日町陸軍中将の大島健一は表向き岩村藩士大島桂之進の次男として岐阜県恵那郡本郷村字新屋敷に生れたことになっていたが、1918年5月16日から3日間『大阪朝日新聞』に「村の誉──松葉将軍」という見出しで立志伝が連載され、「松葉五右衛門」の変名のもとに部落出身と報じられた。それによると「松葉」は部落出身を隠すため、まず18歳で信州飯田の禅寺の徒弟となり、それから戸籍を長州萩町に移し、西南戦争のどさくさに紛れて上京時に再び戸籍を変え、某県某町の士族某氏の子となり、今の名を名乗るようになったという。(北原泰作は『賤民の後裔』61頁で「私が父から聞いた松葉将軍の実名は、水野寿太郎である。寿太郎は私の父より8、9歳年上であったという。寿太郎の兄の妻は私の部落(むら)の出身である。彼の生家は牛馬の革を材料として鼻緒を製造する家内手工業をいとなんでいた。ヿ彦(かねひこ)の商標は中部地方の業界では有名であった。彼は16、7歳のころ鼻緒の行商にしばしば私の部落へ来たという」、「戸籍の上に寿太郎という人物は存在しない。おかしなことに、長男と四男が記載されている戸籍に二男と三男が欠落している。これは記録のミスであろうか? 私にはそうとは思えない。作為にちがいないと考えられる」と述べており、大島健一の名には言及していないが、北原が記す「水野寿太郎」の経歴はことごとく大島と一致している。 )。宮武外骨はこれを受け「前陸軍大臣であつた大島中将は岐阜県の特殊部落の出身であると云ふ事が先年大阪の朝日新聞に出て居たが、果して其事が真ならば、我は旧穢多族なりと叫んで貰ひたい」と発言している(1919年8月13日、平民大学講演会での発言)。このとき臨監の警官は中止を命じたが、外骨は屈せず、これを『赤』第6号に発表している。『宮武外骨著作集』第8巻(河出書房新社)解説「宮武外骨と『穢多』の語」(師岡佑行)を参照。岩村町朝日町に大島姓なし。2000年電話帳。
大野郡 髙山町合崎九七四一九漁業、日傭、皮革其他日傭、行商高山市 大新町種蔵姓2件。2000年電話帳。大新町4から出た岩本晋一郎は部落民だが1959年から1967年まで高山市長を務めた。人口68,000人の高山市で50,000票を獲得しており、もう差別などなく同和対策は必要ないとしていたとする。岩本姓が美濃市新町の部落にもあることについて「戦前は高山の同和地区と美濃市の人と行き来をしておりますし、苗字が同じ人もいます」と伝えられる。同地には、幕末近くに高山市から皮革職人が来ており、地名も高山市と同じものをつけたとされる。
吉城郡 古川町是重一五農、日傭、製材飛騨市 古川町是重
〃 小鷹利村上野三〇飛騨市 古川町上野
計二一二一九一〇四四五七



施設等



隣保館

  • 美濃市美濃会館 - 岐阜県美濃市2057番地
  • 本巣市中野会館 - 岐阜県本巣市七五三1546番地
  • 岐阜市黒野共栄館 - 岐阜県岐阜市下鵜飼1564番地3
  • 大垣市あづま会館
  • 大垣市若森会館 - 岐阜県大垣市南若森町2丁目20
  • 山県市美里会館 - 岐阜県山県市高富1287番地1
  • 御崇町みたけ会館 - 岐阜県可児郡御嵩町御嵩1502番地
  • 養老町福祉センター - 岐阜県養老郡養老町高田79番地の2



小集落改良住宅



垂井町

  • むつみ住宅 - 垂井町表佐2125番地の1



同和対策集会所

  • むつみ会館 - 垂井町表佐2113番地の1



教育集会所

  • 岐阜市早田教育集会所 - 岐阜市早田東町一丁目67番地
  • 本巣市北屋井集会所 - 本巣市屋井1353
  • 養老町むつみ集会所 - 養老郡養老町三神町333番地の1
  • 養老町新宮集会所 - 養老郡養老町橋爪523番地
  • 養老町泉集会所 - 養老郡養老町泉町222番地の2
  • 養老町のぞみ集会所 - 養老郡養老町三神町148番地の1

人権啓発センター

  • 人権啓発センター - 岐阜県可児市下恵土233-1
  • 可児市役所 人権啓発センター - 岐阜県可児市下恵土5166−1

関連団体

  • 部落解放同盟岐阜県連合会 - 岐阜県岐阜市下奈良二丁目2-1
  • 部落解放同盟岐阜県連合会養老支部 - 岐阜県養老郡養老町三神町345
  • 部落解放同盟岐阜県連合会大垣支部 - 岐阜県大垣市南若森町708-1
  • 部落解放同盟岐阜県連合会早田支部
  • 部落解放同盟岐阜県連合会垂井支部
  • 部落解放同盟岐阜県連合会美濃支部
  • 部落解放同盟岐阜県連合会高山支部
  • 部落解放同盟岐阜県連合会関支部
  • 部落解放同盟西濃地区協議会
  • 自由同和会岐阜県本部 - 岐阜県岐阜市薮田南5-14-12岐阜県シンクタンク庁舎本館5F
  • 自由同和会岐阜県本部 - 岐阜県岐阜市司町1 岐阜総合庁舎内
  • 自由同和会本部事務局 - 岐阜県岐阜市古市場85-2
  • 全日本同和会岐阜県連合会本部 - 岐阜県岐阜市白山町2−8−3
  • 全日本同和会中東濃支部 - 岐阜県関市栄町1-34
  • 岐阜県民主同和促進協議会 - 岐阜市下奈良、岐阜県福祉農業会館内(略称「民同協」。会長は北原泰作。県内の20ヵ所の部落のうち12ヵ所に支部があった)

「岐阜県同和会」が岐阜県岐阜市司町1にあり、自由同和会岐阜県本部と所在地が一致している。



zannin666 at 05:47|Permalink ドエッタにおける穢多族の報告 (岐阜県) 

29.Juli.2017

POP TATARI


長野県(後半)



差別とのたたかい 部落解放運動20年の歩み
(1967年)

800px-長野県内の未解放部落の状況一覧2of4
 
800px-長野県内の未解放部落の状況一覧3of4
 
800px-長野県内の未解放部落の状況一覧4of4
 

長野県内の未解放部落の状況一覧

(昭和三八年一月一日現在)



郡市町村名
地区名俗称戸数現在地備考
南佐久郡 臼田町 下越 下越 42 佐久市 下越 三反田
臼田 住吉 12 佐久市 臼田 住吉
田口 清川 10 佐久市 清川
青沼 三条 7 佐久市 入澤 三条
田口 下町 7 佐久市 田口 下町
佐久町 相生町 高野町 33 南佐久郡 佐久穂町 高野町 相生町
上区 久保田 40 南佐久郡 佐久穂町 上 久保田
北佐久郡 望月町 吹上町 吹上町 62 佐久市 望月 吹上町
協東 下高呂 47 佐久市 協和 協東 下高呂
小平 21 佐久市 協和 小平
御代田町 馬瀬口 第六部落 42 北佐久郡 御代田町 馬瀬口 六区
立科町 石川 石川 47 北佐久郡 立科町 宇山 石川
町区二部 向町 19 立科町芦田(大字)に字「町」がある。
細谷三部 7 北佐久郡 立科町 桐原 細谷三部
浅科村 上原 池下 21 佐久市 甲 上原 社口
栗林 13 佐久市 八幡 御牧原
矢島 今井坂 7 佐久市 矢嶋 鶴沼
北御牧村 久保尻 22 東御市 八重原 下八重原
浦久保 11 東御市 八重原 浦久保
小県郡 丸子町 御岳堂三角 三角 12 上田市 御嶽堂 三角
依田 茂沢 32 上田市 生田 茂沢
御岳堂上組 御岳堂 10 上田市 御嶽堂 上組
沢田 八日町 15 上田市 上丸子 八日町
海戸 安良居町 14 上田市 上丸子 海戸
小県郡 丸子町 東内辰ノ口 辰ノ口 53 上田市 東内 辰ノ口
東部町 加沢 4 東御市 加沢
田中一〇支区 32 東御市 田中 十区
本海野 17 東御市 本海野
東上田 5 東御市 滋野乙 原
桜井七支区 牧屋 2 東御市 滋野乙 牧家
禰津西町 向井町 23 東御市 祢津 祢津西町
塩田町 別所 湯川 38 上田市 別所温泉 湯川
前山 前山第一 54 上田市 前山 東前山 一区
保野 保野 14 上田市 保野
真田町 本原下原 9 上田市 真田町本原 下原
曲尾 10 上田市 真田町傍陽 曲尾
真田 11 上田市 真田町長 真田
武石村 中島 57 上田市 下武石 中島
和田村 12 小県郡 長和町 和田原
川西村 仁古田 5 上田市 仁古田
9 上田市 岡
浦野 24 上田市 浦野
上伊那郡 高遠町 稲持 16 伊那市 高遠町西高遠 稲持
辰野町 平出旭町 田町 34 上伊那郡 辰野町 平出旭町 田町
宮所 仮宿 46 上伊那郡 辰野町 伊那富 宮所 仮宿
下伊那郡 鼎町 西鼎 鼎新道 5 飯田市 鼎西鼎
高森町 上市田 10 下伊那郡 高森町 上市田
下市田 9 下伊那郡 高森町 下市田
阿智村 駒場 40 下伊那郡 阿智村 駒場
喬木村 阿島 7 下伊那郡 喬木村 阿島
下伊那郡 豊丘村 河野北部 5 下伊那郡 豊丘村 河野 筏
東筑摩郡 明科町 中条北村 21 安曇野市 明科光 北村 幅
塔ノ原 町二 35 安曇野市 明科中川手 塔ノ原 町二区
小泉 小泉 7 安曇野市 明科南陸郷 小泉 三区
下押野 押野 5 安曇野市 明科七貴 下押野区
荻原 荻原 10 安曇野市 明科七貴 荻原区
本郷村 浅間 堀道 27 松本市 浅間温泉 堀道
四賀村 殿入 花見 24 松本市 殿野入 花見
本町 下宿 18 松本市 会田 本町 下宿
保福寺町 花見 4 松本市 保福寺町 花見
坂北村 青柳 青柳 24 東筑摩郡 筑北村 坂北 青柳 六区
麻績村 上町 18 東筑摩郡 麻績村 麻 上町
生坂村 小立野 9 東筑摩郡 生坂村 小立野
上生坂 13 東筑摩郡 生坂村 上生坂
山形村 下竹田 24 東筑摩郡 山形村 下竹田
南安曇郡 豊科町 新田 6 安曇野市 豊科新田
成相 鳥伝 6 安曇野市 豊科成相
細萱 藤沢 8 安曇野市 豊科南 穂高細萱
真々部 真々部下 22 安曇野市 豊科高家 真々部
田沢 小瀬巾細川 29 安曇野市 豊科田沢 小瀬幅
梓川村 下村 12 松本市 梓川倭 北大妻 下村
三郷村 一日市場 北村 63 安曇野市 三郷 明盛 一日市場
堀金村 上堀 3 安曇野市 堀金 烏川 上堀
中堀 10 安曇野市 堀金 烏川 中堀
下掘 20 安曇野市 堀金 烏川 下堀
田尻 1 安曇野市 堀金 三田 田尻
北安曇郡 池田町 一丁目 一丁目 8 北安曇郡 池田町 大字池田1丁目
渋田見西部 渋西 21 北安曇郡 池田町 会染渋田見
更級郡 上山田町 新山 住吉 4 千曲市 新山 住吉
力石 六組 52 千曲市 力石 六区
川中島町 北原上 東町 22 長野市 川中島町原 北原上
原第四 南原 28 長野市 川中島町原 五区
南組 南部 21 長野市川中島町御厨の字に「南町」はある。
今里 向う村 9 長野市 川中島町今里 新屋
寺町 10 長野市 川中島町上氷鉋 寺町
四ツ屋 東村 9 長野市 川中島町四ツ屋 東村
信更村 上尾 7 長野市 信更町上尾
原市場 5 長野市 信更町氷ノ田 原市場
大岡村 宮平西 5 長野市 大岡甲 宮平西
更北村 綱島 中組 15 長野市 青木島町綱島 中組
広田 田牧東 21 長野市 稲里町田牧 田牧東
埴科郡 坂城町 南条 新地 33 埴科郡 坂城町 南条 新地
坂端 77 埴科郡 坂城町 坂城 坂端
網掛 新田 15 埴科郡 坂城町 網掛 新田
上平北部 北部 14 埴科郡 坂城町 上平 北部
松代町 東市場 35 長野市 松代町西条 東市場
東寺尾 5 長野市 松代町東寺尾
大室 西組 22 長野市 松代町大室 西組
東荒町 西屋地 3 長野市 松代町東条 上荒町 西屋地
戸倉町 今井町 17 千曲市 戸倉 今井町
芝原区 8 千曲市 若宮 芝原
上高井郡 小布施町 昭和町 19 上高井郡 小布施町 小布施 中央
上高井郡 小布施町 唐沢 13 上高井郡 小布施町 小布施 福原
雁中 19 上高井郡 小布施町 大字雁田 俗称「下村」(しもむら)。
若穂町 川田 瀬在 17 長野市 若穂川田 町川田 瀬在
綿内麦在家 麦在家 14 長野市 若穂綿内 麦在家
保科矢原 矢原 51 長野市 若穂保科 矢原
保科赤野田 赤野田 4 長野市 若穂保科 赤野田
高山村 堀之内 28 上高井郡 高山村 高井 堀之内
22 上高井郡 高山村 高井 紫
黒部 3 上高井郡 高山村 高井 黒部
12 上高井郡 高山村 牧
駒場 6 上高井郡 高山村 中山 駒場
馬場 16 上高井郡 高山村 中山 枡形 馬場
下高井郡 山ノ内町 上条 西下 3 下高井郡 山ノ内町 平穏 上條西下
佐野 立川 8 下高井郡 山ノ内町 佐野 立川
戸狩 中屋敷 4 下高井郡 山ノ内町 戸狩 仲屋敷
本郷 5 下高井郡 山ノ内町 夜間瀬 本郷
木島平村 中村 横町 6 下高井郡 木島平村 穂高 中村 横町
中島 3 下高井郡 木島平村 往郷 中島
大町 2 下高井郡 木島平村 上木島 大町
野沢温泉村 横落 はから 6 下高井郡 野沢温泉村 横落
上水内郡 信州新町 千原田 14 長野市 信州新町上条 千原田
城町 11 長野市 信州新町牧野島
豊野町 豊野 四丁目 41 長野市 豊野町豊野 四丁目
浅野 古町 31 長野市 豊野町浅野 古町
信濃町 荒瀬原 3 上水内郡 信濃町 荒瀬原 下荒瀬原
牟礼村 古屋敷 14 上水内郡 飯綱町 牟礼 古屋敷
上水内郡 三水村 8 飯綱町芋川(大字)に字「町」がある。
戸隠村 西原 5 長野市 戸隠西原
中島 2 長野市戸隠に字「中社」(ちゅうしゃ)はある。長野市戸隠祖山に字「中部」(ちゅうぶ)や「中組」もある。字(あざ)「中組」は長野市戸隠栃原にもある。長野市戸隠豊岡に字「中村」「中耕」(なこう)もある。しかし「中島」の位置は要調査。
鬼無里村 仲町 下町 6 長野市 鬼無里
小川村 二反田 5 上水内郡 小川村 高府 二反田
細越 雨池 3 上水内郡 小川村 小根山 細越 雨池
小根山 2 上水内郡 小川村 小根山
中条村 横町 25 長野市 中条 横町
七二会村 笹平 7 長野市 七二会甲 笹平
下水内郡 栄村 白鳥 2 下水内郡 栄村 豊栄 白鳥
平滝 1 下水内郡 栄村 豊栄 平滝
豊田村 牡丹沢 24 中野市 上今井 牡丹沢
韮山 26 中野市 上今井 韮山
豊船 船場 16 中野市 大字柳沢 字船場
宮浦 31 中野市 豊津 宮浦
穴田 日影 30 中野市 穴田 日影
長野市 川原崎 13 長野市 長野 新町
西長野 26 長野市 西長野 西長野町
吉田北本町 7 長野市 吉田 北本町
押鐘 7 長野市 吉田 押鐘
長沼大町 昭南 10 長野市 大町 昭南
長沼穂保 19 長野市 穂保 睦
富竹 21 長野市 富竹
金箱 6 長野市 金箱
上駒沢 20 長野市 上駒沢
大豆島西区 西区 65 長野市 大豆島西沖
長野市 安茂里小路 28 長野市 安茂里小路
北堀 1 長野市 北堀
北長池 十二 5 長野市 北長池 十二区
南堀 17 長野市 南堀
若槻稲田 4 長野市 稲田
若槻東条 10 長野市 若槻東条
若槻吉 1 長野市 吉
柳原中俣 6 長野市 柳原 中俣
浅川西条 17 長野市 浅川 西条
松本市 島立町区 9 松本市 島立 町区
島内町区中部 26 松本市島内(大字)に字「町」はある。26戸のうち16戸が部落解放同盟員。
和田町 和田町東部 17 松本市 和田 町区
今井境新田 48 松本市 今井 境新田
新村北新 12 松本市 新村 下新 和手町
新村下新 12 松本市 新村 北新
岡田 59 松本市 岡田町 下出口
神林町神 23 松本市 神林 町神
新家町 73 松本市 庄内
里山辺西荒町 52 松本市 里山辺 西荒町
上田市 緑丘西区 80 上田市 緑が丘 西
上塩尻 17 上田市 上塩尻
秋和 4 上田市 秋和
上野伊勢山 17 上田市 上野 伊勢山
諏訪部 40 上田市 常磐城
御所 6 上田市 御所
宮ノ上 21 上田市 芳田 宮ノ上
上田市 中吉田 下宿 15 上田市 芳田 中吉田 下宿
築地 7 上田市 築地
上田原 3 上田市 上田原
緑丘北 (旧豊原町) 44 上田市 緑が丘 北
川辺町 26 上田市 上田原 川辺町
矢沢 32 上田市 殿城 矢沢
中之条 14 上田市 中之条 千曲町
諏訪市 上諏訪中村 70 諏訪市 湯の脇 中村
須坂市 二睦町 66 須坂市 井上 野庄、須坂市 幸高 七三河原
本郷町 33 須坂市 日滝 本郷町 北組
福島町 16 須坂市 福島
小島町 9 須坂市 小島
相之島町 5 須坂市 相之島
新田町 19 須坂市 小河原 新田町
村山町 6 須坂市 村山
小諸市 四ツ谷 35 小諸市 柏木 四ツ谷
加増 荒堀 154 小諸市 加増
一ツ谷 竹之花 7 小諸市 大字御影新田 字一ツ谷 『全國部落調査』に記載のない地区。竹内姓6件。2000年電話帳。
平原 下宿 63 小諸市 大字平原
伊那市 手良棚沢 後藤の衆 20 伊那市 手良野口 棚沢
手良辻 西幅 29 伊那市 手良沢岡 下手良 辻
中野市 新野 15 中野市 新野 宮下
大熊 15 中野市 三ツ和 大熊
桜沢 11 中野市 桜沢
片塩 8 中野市 片塩
草間 4 中野市 草間
中野市 若宮金井 17 中野市 若宮、中野市 金井
赤岩越 12 中野市 赤岩、中野市 越
柳沢 5 中野市 柳沢
大町市 五日町 11 大町市 大町 五日町
下一 13 大町市 常盤 下一
常盤泉 11 大町市 常盤 泉 貝原
飯山市 飯山奈良沢 4 飯山市 飯山 奈良沢
飯山有尾 川原 7 飯山市 飯山 有尾
秋津静間 中町北部 22 飯山市 静間 中町北部
木島安田 土堤根 8 飯山市 木島 安田 土堤根
瑞穂戸那子 16 飯山市 瑞穂 戸那子
瑞穂関沢 12 飯山市 瑞穂 関沢
柳原大川 1 飯山市 旭 大川
富倉中谷 川原 1 飯山市 富倉 中谷
常盤下水沢 5 飯山市 常盤 下水沢
常盤大倉崎 4 飯山市 常盤 大倉崎
常盤戸狩 3 飯山市 照里 戸狩
外様 顔戸 6 飯山市 寿 顔戸
外様 尾崎 2 飯山市 寿 尾崎
太田 大坪 7 飯山市 豊田 大深
太田 小境 3 飯山市 豊田 小境
太田 今井 2 飯山市 常郷 今井
塩尻市 原口 赤岩 21 塩尻市 洗馬 下小曽部 原口
篠ノ井市 五明 8 長野市 篠ノ井布施五明
高田 1 長野市 篠ノ井布施高田
御幣川 7 長野市 篠ノ井御幣川
篠ノ井市 上石川 14 長野市 篠ノ井石川 上石川
岡田深町 深町 31 長野市 篠ノ井岡田 深町
小森東 3 長野市 篠ノ井小森
塩崎角間 7 長野市 篠ノ井塩崎 角間
塩崎松節 12 長野市 篠ノ井塩崎 上町 松節
方田 25 長野市 篠ノ井二ツ柳 方田
更埴市 雨宮 13 千曲市 雨宮
中河原 9 千曲市 森
杭瀬下 8 千曲市 杭瀬下
新田 2 千曲市 新田
稲荷山 5 千曲市 稲荷山
元町 4 千曲市 桑原 元町
東区 6 千曲市 桑原 東区
志川 13 千曲市 八幡 志川
佐久市 岩村田城下 城下 108 佐久市 岩村田 大和町
三河田 3 佐久市 三河田
上平尾 26 佐久市 上平尾
小田井荒田 70 佐久市 小田井 荒田
10 佐久市 原
高柳 5 佐久市 高柳
根岸沓沢 11 佐久市 根岸 沓沢
根岸竹田 12 佐久市 根岸 竹田
前山北中 前山 5 佐久市 前山 前山北中
前山小宮山 6 佐久市 小宮山
大沢下町 丸山 19 佐久市 大沢 大沢下町
取出町 取出 8 佐久市 取出町
佐久市 野沢本町 本町 39 佐久市 野沢 野沢本町
伴野下県西 宮川 13 佐久市 伴野 下県西
瀬戸西耕地 坂上 15 佐久市 瀬戸 西耕地坂上
常和南 常和 15 佐久市 常和 常和南
内山町六 法観寺 31 佐久市 内山 法観寺
平賀北口 北口 39 佐久市 平賀 北口
中込三家 宮ノ久保 5 佐久市 中込 三家
香坂 13 佐久市 香坂 西地

上田藩穢多ならびに旧上田藩未解放部落所在地一覧

施設等




隣保館・人権啓発センター

  • 長野県人権啓発センター - 千曲市屋代字清水260-6 長野県立歴史館内
  • 飯山市隣保館(現存せず) - 飯山市常郷694-1
  • 佐久穂町隣保館 - 佐久穂町大字高野町2026番地の2
  • 佐久市中央隣保館 - 佐久市瀬戸1177番地2
  • 佐久市浅科人権文化センター - 佐久市甲14番地2
  • 佐久市望月人権文化センター - 佐久市望月471番地12
  • 小諸市人権センター - 小諸市御幸町1丁目10番11号
  • 小諸市隣保館(現存せず) - 小諸市荒町1丁目7番3号
  • たてしな人権センター - 立科町大字芦田2529-15
  • 御代田町人権啓発センター - 御代田町大字馬瀬口1860番地の17
  • 東御市東部人権啓発センター - 東御市県288番地3
  • 東御市北御牧人権啓発センター - 東御市八重原2813番地1
  • 長和町長門隣保館 - 長和町長久保457番地1
  • 上田市塩田解放会館 - 上田市中野20番地
  • 上田市城南解放会館 - 上田市中之条452番地
  • 上田市中央解放会館 - 上田市常磐城1丁目2番5号
  • 上田市丸子解放センター - 上田市上丸子1544番地4
  • 坂城町隣保館 - 坂城町大字坂城10140-2
  • 千曲市人権ふれあいセンター - 千曲市大字粟佐1301番地
  • 千曲市戸倉人権はつらつセンター - 千曲市大字戸倉2639番地
  • 長野市中央隣保館 - 長野市若里一丁目19番5号
  • 長野市若穂隣保館 - 長野市若穂保科2853番地
  • 長野市大豆島隣保館 - 長野市大豆島西沖3番地20
  • 長野市豊野隣保館 - 長野市豊野町浅野1103番地
  • 須坂市人権交流センター - 須坂市大字小山1264番地4
  • 福島人権ふれあいセンター - 須坂市大字福島134番地7
  • 二睦学習センター - 須坂市大字井上2206番地6
  • 本郷学習センター - 須坂市大字日滝1531番地1
  • 本郷人権ふれあいセンター - 須坂市大字日滝1531番地3
  • 中野市人権センター - 中野市三好町1丁目4番27号
  • 中野市人権センター南部集会所 - 中野市大字新野476番地2
  • 中野市豊田人権センター - 中野市大字豊津2555番地1
  • 人権政策課人権・同和係(広域隣保) - 中野市役所
  • 人権推進室(広域隣保) - 中野市役所
  • 総務課人権政策室(広域隣保) - 中野市役所
  • いいやま人権福祉センター - 飯山市大字静間1305番地1



小集落改良住宅



長野市

  • 大豆島西改良住宅A棟 - 長野市大豆島西沖8番地12
  • 大豆島西改良住宅B棟 - 長野市大豆島西沖8番地12
  • 大豆島西改良住宅C棟 - 長野市大豆島西沖6番地23
  • 大豆島西共同作業所 - 長野市大豆島西沖7番地3
  • 大豆島西集会所 - 長野市大豆島西沖3番地7
  • 古町改良住宅 - 長野市豊野町浅野777番地8、777番地10


飯山市

  • 中町北部住宅 - 飯山市大字静間(中町北部)


小諸市

  • 平原団地 - 小諸市大字平原730番地
  • 市営中条団地 - 小諸市加増1丁目3-2


佐久市

  • 佐1~4号 - 佐久市内山5983番地1
  • 佐5号 - 佐久市内山5982番地1
  • 佐6~7号 - 佐久市内山5982番地1
  • 佐8~9号 - 佐久市内山5849番地2
  • 佐10~11号 - 佐久市内山5851番地2
  • 佐12~13号 - 佐久市岩村田3422番地3
  • 佐14~15号 - 佐久市岩村田3421番地1
  • 佐16~17号 - 佐久市岩村田3418番地2
  • 佐18~19号 - 佐久市岩村田3400番地2
  • 佐20~21号 - 佐久市岩村田3400番地9
  • 佐22~23号 - 佐久市岩村田3391番地6
  • 佐24号 - 佐久市岩村田3445番地9
  • 佐25号 - 佐久市岩村田3445番地7
  • 佐26~27号 - 佐久市岩村田3445番地7
  • 佐28~29号 - 佐久市岩村田3445番地3
  • 佐30~31号 - 佐久市岩村田3445番地5
  • 臼1号 - 佐久市下越589番地6
  • 臼2号 - 佐久市下越589番地7
  • 臼3号 - 佐久市下越589番地8
  • 臼4号 - 佐久市下越589番地10
  • 臼5号 - 佐久市下越589番地11
  • 臼6号 - 佐久市下越589番地12
  • 臼7号 - 佐久市下越589番地13
  • 臼8号 - 佐久市下越589番地14
  • 臼9号 - 佐久市下越589番地15
  • 臼10号 - 佐久市下越589番地16
  • 臼11号 - 佐久市下越589番地17
  • 臼12号 - 佐久市下越589番地18
  • 臼13号 - 佐久市下越589番地19
  • 臼14号 - 佐久市下越589番地20
  • 臼15号 - 佐久市下越589番地21
  • 臼16号 - 佐久市下越589番地22
  • 臼17号 - 佐久市下越589番地23
  • 臼18号 - 佐久市下越589番地24
  • 臼19号 - 佐久市下越589番地25
  • 臼20号 - 佐久市下越589番地26
  • 臼21号 - 佐久市下越589番地27
  • 臼22号 - 佐久市下越589番地28
  • 浅1~8号 - 佐久市矢島88番地
  • 浅9~10号 - 佐久市矢島88番地



同和対策集会所・教育集会所

  • 安曇野市豊科解放館 - 安曇野市豊科田沢4917番地1
  • 安曇野市豊科町通り人権教育集会所 - 安曇野市豊科高家6382番地3
  • 安曇野市穂高人権教育集会所 - 安曇野市穂高5716番地1
  • 安曇野市堀金人権教育集会所 - 安曇野市堀金烏川4214番地1
  • 安曇野市明科学習センター - 安曇野市明科中川手2914番地1 安曇野市教育委員会庁舎内
  • 上田市緑が丘西同和地区集会所 - 上田市緑が丘三丁目17番22号
  • 上田市中之条同和地区集会所 - 上田市中之条38番地1
  • 上田市伊勢山同和地区集会所 - 上田市上野2221番地1
  • 上田市中吉田同和地区集会所 - 上田市芳田2220番地4
  • 上田市矢沢同和地区集会所 - 上田市殿城800番地1
  • 上田市東前山同和地区集会所 - 上田市前山107番地1
  • 上田市浦野同和地区集会所 - 上田市浦野291番地3
  • 上田市辰ノ口同和対策集会所 - 上田市東内236番地1
  • 上田市武石同和対策集会所 - 上田市下武石458番地8
  • 大町市同和教育集会所(現存せず) - 大町市常盤清水3601−18
  • 小諸市四ツ谷集会所 - 小諸市大字柏木313番地の5
  • 小諸市荒堀集会所 - 小諸市加増一丁目11番3号
  • 小諸市平原集会所 - 小諸市大字平原739番地の1
  • 小諸市一ツ谷集会所 - 小諸市大字御影新田1420番地の2
  • 小諸市御影集会所 - 小諸市大字御影新田2090番地の3
  • 小諸市与良集会所 - 小諸市甲1533番地の7
  • 小諸市上坂集会所 - 小諸市大字加増715番地の1
  • 小諸市加増集会所 - 小諸市大字加増823番地の15
  • 佐久市北口集会所 - 佐久市平賀3511-4
  • 佐久市内山集会所 - 佐久市内山5899-1
  • 佐久市大和町集会所 - 佐久市岩村田3400-1
  • 佐久市上平尾集会所 - 佐久市上平尾793-1
  • 佐久市常和集会所 - 佐久市常和2826-3
  • 佐久市荒田集会所 - 佐久市小田井1201
  • 佐久市香坂集会所 - 佐久市香坂3113
  • 佐久市岸野集会所 - 佐久市根岸203-2
  • 佐久市野沢集会所 - 佐久市野沢130-1
  • 佐久市下越同和教育集会所 - 佐久市下越589-29
  • 佐久市住吉同和教育集会所 - 佐久市臼田645-1
  • 佐久市上原南コミュニティセンター - 佐久市甲341-1
  • 佐久市上原同和教育集会所 - 佐久市甲905-1
  • 佐久市鶴沼コミュニティセンター - 佐久市矢島108
  • 佐久市協東集会所 - 佐久市協和2450
  • 佐久市小平集会所 - 佐久市協和13-1
  • 佐久市古道集会所 - 佐久市望月725-1
  • 同和対策福島集会所(現存せず) - 須坂市福島139-6
  • 千曲市大宮集会所 - 千曲市大字雨宮2番地1
  • 千曲市志川集会所 - 千曲市大字八幡2506番地5
  • 千曲市中河原集会所 - 千曲市大字森709番地3
  • 千曲市上山田集会所 - 千曲市大字力石1316番地1
  • 東御市同和集会所西宮集会所 - 東御市祢津2202番地
  • 東御市同和集会所加沢集会所 - 東御市常田103番地2
  • 東御市同和集会所田中集会所 - 東御市田中241番地5
  • 長野市上駒沢人権同和教育集会所 - 長野市大字上駒沢361番地の1
  • 長野市浅川西条人権同和教育集会所 - 長野市浅川西条597番地
  • 長野市篠ノ井中央人権同和教育集会所 - 長野市篠ノ井御幣川478番地2
  • 長野市上町人権同和教育集会所 - 長野市篠ノ井塩崎2614番地
  • 長野市篠ノ井人権同和教育集会所 - 長野市篠ノ井岡田1988番地1
  • 長野市上石川人権同和教育集会所 - 長野市篠ノ井石川978番地
  • 長野市松代人権同和教育集会所 - 長野市松代町西条3875番地の1
  • 長野市金井山人権同和教育集会所 - 長野市松代町柴453番地の4
  • 長野市大室人権同和教育集会所 - 長野市松代町大室663番地の2
  • 長野市綿内人権同和教育集会所 - 長野市若穂綿内8708番地の4
  • 長野市町川田人権同和教育集会所 - 長野市若穂川田2778番地の1
  • 長野市川中島人権同和教育集会所 - 長野市川中島町原177番地
  • 長野市綱島人権同和教育集会所 - 長野市青木島町綱島253番地の1
  • 長野市田牧人権同和教育集会所 - 長野市稲里町田牧967番地1
  • 長野市浅野人権同和教育集会所 - 長野市豊野町浅野802番地2
  • 長野市豊野人権同和教育集会所 - 長野市豊野町豊野361番地
  • 同和集会所 - 長野市中条2451-5
  • 中野市南部同和教育集会所 - 中野市大字新野476-2
  • 中野市北部同和教育集会所(現存せず) - 中野市大字金井57-1
  • 中野市西部同和教育集会所(現存せず) - 中野市大字片塩348-1
  • 松本市同和教育集会所 - 松本市大字笹賀4317番地の1
  • 坂城町南条集会所 - 埴科郡坂城町大字南条2086番地の3
  • 坂城町上平集会所 - 埴科郡坂城町大字上平434番地の1
  • 坂城町網掛集会所 - 埴科郡坂城町大字網掛453番地
  • 坂城町坂城集会所 - 埴科郡坂城町大字坂城10213番地
  • 辰野町同和教育集会所 - 上伊那郡辰野町大字伊那富2687番地の3
  • 御代田町同和教育集会所 - 北佐久郡御代田町大字馬瀬口829-1
  • 佐久穂町同和教育集会所 - 南佐久郡佐久穂町大字高野町401番地1
  • 小布施町中央同和対策集会所 - 上高井郡小布施町大字小布施593番地1
  • 小布施町雁中同和対策集会所 - 上高井郡小布施町大字雁田455番地1
  • 高山村堀之内地区同和対策集会所 - 上高井郡高山村大字高井35番地4
  • 高山村紫地区同和対策集会所 - 上高井郡高山村大字高井5114番地2
  • 高山村黒部地区同和対策集会所(現存せず) - 上高井郡高山村大字高井二ツ石4497-4
  • 高山村牧地区同和対策集会所(現存せず) - 上高井郡高山村大字牧1840
  • 高山村桝形地区同和対策集会所(現存せず) - 上高井郡高山村大字中山桝形1960-1
  • 山ノ内町同和教育集会所 - 下高井郡山ノ内町夜間瀬2511-1



関連団体

  • 部落解放同盟長野県連合会 - 長野市中御所3-2-22 国労長野会館内
    • (旧)長野市南長野妻科419 長野県庁妻科庁舎内 上記所在地に移転
  • 部落解放同盟長野県連合会望月支部 - 佐久市望月471−12
  • 部落解放同盟望月協議会事務局 - 望月町(現佐久市)望月313-4
  • 部落解放同盟浅科支部事務局 - 浅科村(現佐久市)甲上原809
  • 部落解放同盟上田市協議会・上小地区協議会 - 上田市常磐城1-2-5
  • 部落解放同盟小諸市協議会 - 小諸市荒町1丁目7−3
  • 部落解放同盟佐久市協議会 - 佐久市岩村田543
  • 部落解放同盟佐久支部協議会事務局 - 佐久市瀬戸1179-2
  • 部落解放同盟佐久地区協議会 - 佐久市岩村田荒宿543
  • 部落解放同盟上小地区協議会 - 上田市常磐城1丁目2-5
  • 部落解放同盟丸子町協議会 - 丸子町(現上田市)上丸子1544-4
  • 部落解放同盟坂城町協議会 - 坂城町大字網掛453
  • 部落解放同盟飯山市協議会 - 飯山市大字静間1305-1
  • 部落解放同盟須坂市協議会 - 須坂市大字井上2206-6
  • 部落解放同盟須高地区協議会 - 須坂市井上2077
  • 部落解放同盟御代田町協議会 - 御代田町馬瀬口829
  • 部落解放同盟中南信地区協議会 - 塩尻市大字洗馬下小曽部7099-9
  • 部落解放同盟中南信地区物資販売センター - 松本市大字笹賀5997-1
  • 部落解放同盟中南信地区物資販売センター - 松本市大字神林3927-8
  • 部落解放同盟長野市協議会・北信地区協議会 - 長野市若里375
  • 自由同和会長野県本部 - 松本市惣社512-1
  • 全日本同和会長野県連合会本部(『解放新聞長野版』1978年8月3日号には「去る7月13日松尾会長ら幹部十数名が20名近い行動部隊を引き連れ「同和会を認めろ」と知事に面会を求めたが、県内の被差別部落民は一人もいなかった。」とある。 ) - 松本市野溝木工1丁目8-43
  • 全日本同和会長野県連合会本部 - 松本市芳川村井町255-5
  • 全日本同和会小諸支部 - 小諸市加増823-15
  • 全日本同和会長野県連合会中野支部 - 中野市小田中1005-92
  • 長野人権連 - 松本市神林2640-2 佐々木保好方
  • 部落解放推進の会長野県本部(1978年から2006年にかけて存在した部落解放同盟長野県連合会からの分裂組織。当初「部落解放同盟長野県連刷新の会」を名乗る。 ) - 長野市鶴賀田町2119玉木ビル3F
  • 部落解放推進の会須坂市協議会
  • 部落解放推進の会上田市協議会 - 長野県上田市中央西1-14-27
  • 部落解放推進の会小布施町支部
  • 部落解放推進の会松本市協議会
  • 部落解放同盟全国連合会長野県連合会
  • 部落解放同盟全国連合会篠ノ井支部



白山神社

  • 小諸市加増1丁目5-15(小諸市加増荒堀1356)
  • 佐久市常和岩久保2439
  • 佐久市岩村田古城3449
  • 佐久市協和下高呂2491
  • 佐久市協和五反田6492
  • 佐久市望月233(1935年頃に合祀して大伴神社)
  • 佐久市瀬戸1625-3
  • 茅野市豊平ひるさわ3154-イ-1
  • 茅野市湖東氏神3020
  • 長野市川中島町原486(1935年頃に世茂井神社と合祀)
  • 長野市伺去真光寺
  • 長野市浅川清水
  • 長野市西長野本郷東432-1
  • 長野市篠ノ井岡田深町(祠のみ)
  • 大町市平前畑2564
  • 須坂市井上北町2204-3(以前は氏神として野庄地籍に白山大権現として祀られていたが、1922年に改めて白山神社として現在地に移された)
  • 須坂市亀倉亀倉町
  • 塩尻市洗馬40
  • 飯田市滝の沢6684(飯田市上飯田6684、白山社里宮)
  • 飯田市上飯田1172-2
  • 飯田市下久堅丙1245
  • 飯田市竜江字対座8753
  • 飯山市静間
  • 伊那市伊那林字宮林809
  • 伊那市高遠町西高遠1594
  • 伊那市高遠町勝間峠下2
  • 伊那市西春近白山沢670
  • 伊那市東春近田原4280
  • 伊那市手良野口2514(八幡神社に合祀)
  • 上田市緑が丘3-12
  • 上田市緑が丘2-8-7
  • 上田市上田二ノ宮508(白山比咩神社)
  • 上田市真田町長4473(山家神社)祭神の一つが菊理媛神。
  • 上田市真田町本原刷毛田582
  • 上田市芳田宮ノ上1045
  • 松本市庄内1(秋葉神社などと合祀)
  • 松本市里山辺558
  • 松本市里山辺3416-ロ
  • 松本市島内北沢5963
  • 松本市梓川倭宮尻79
  • 千曲市雨宮1(雨宮神社と合祀)
  • 中野市栗林西原一(白山姫神社)
  • 中野市桜沢原1075(白山姫神社)
  • 中野市上今井
  • 安曇野市三郷小倉宮ノ久保3362
  • 安曇野市明科中川手白山5783
  • 東筑摩郡筑北村東條1725ロ-1
  • 北安曇郡池田町会染8652(1909-1910年頃に諏訪神社と合祀)
  • 北佐久郡御代田町馬瀬口
  • 上伊那郡箕輪町中箕輪5291
  • 上伊那郡中川村上片桐字山ノ神7177
  • 下伊那郡阿南町富草887
  • 木曽郡大桑村殿延沢1755-1
  • 木曽郡大桑村野尻宮ノ尾568
  • 木曽郡南木曽町読書与川741
  • 木曽郡木曽町福島新開7553-イ
  • 上高井郡小布施町小布施福原
  • 下高井郡野沢温泉村横落



zannin666 at 08:44|Permalink ドエッタにおける穢多族の報告 〔長野県〕 

27.Juli.2017

POP TATARI

非人と差別への変遷


八部衆の一人は「緊那羅」の事を指しており緊那羅は「人非人」とも呼ばれている。つまり、橘逸勢は反逆罪という罪を犯し、仁明天皇に「非人」となれと命じられてと非人となり、伊豆に流刑された。別段ここから察するも何も、差別概念はない。

「非人」は、形成期の頃は検非違使の管轄下で主に「囚人の世話、死刑囚の死刑、罪人宅の破却、死者の埋葬、死牛馬の解体、街路の清掃、井戸掘り、造園、街の警備」など排他的特権的に従事しており、また、悲田院非人宿(1)に収容された事から病者〔ハンセン病〕や障害者の世話も引き受けた地域や集団もあり、芸能も非人とされ、芸能史の一翼を狙っていた。しかし、次第に癩病〔ハンセン病〕、障害者も非人と呼ばれるようになる。


中世前期は人々が畏れ忌避した業務に携わっていた非人であるが、中世後期に人々の感覚が次第に「畏れの忌避」から「穢れ(触穢(2))」の忌避」に変遷すると共に、非人に対する捉え方も畏怖視から卑賤視へと変遷していったとされる。

実際に鎌倉時代には叡尊忍性による悲田院の再興を受けて西大事真言律宗の元に組織化されたり、一遍の時宗と共に遊行する者もいた。中世の非人の多くは異形(蓬髪(ほうはつ)・顎鬚(あごひげ)・童姿(わらわすがた)等)の者であった。やがて川原者(3)・無宿者などを指すようになった。このような経緯を経て、江戸時代には身分や居住地域・従事職能等が固定化された。

こうして、江戸時代には賤民身分の呼称となる。公家や医師や神人等と同様にあくまでも身分制度上の身分とされ、人別帳の枠内にある。

この点、身分制度外に位置付けられ江戸時代から人別帳外で無籍の山窩(4)(サンカ)等とは異なる。ただし、サンカとの違いは流動的なもので、非人が流浪生活に入ってサンカとなり、逆にサンカが被差別部落に定住して非人となる例がいつの時代にもあった。1910年に山梨県御坂峠で強盗殺人を働き死刑となった松沢熊吉も、愛知県西加茂郡の非人系の特殊別部落に生まれ育ち、のちに漂泊民となってサンカ化した者とされている。

さらに多数説によると、非人は「下人」といわれた不自由民・奴隷とも全く異なる存在であるとする。





zannin666 at 12:55|Permalink 穢多族の研究 

25.Juli.2017

POP TATARI

長野県



概況

長野県の被差別部落の統計

調査年地区数戸数人口
1907年-278617627
1921年288320019263
1935年333395624036
1942年-254815115
1946年--22221
1958年322438133106
1963年26037742地区全体172838、同和関係23234
1967年207地区全体9972、同和関係4494地区全体43936、同和関係20375
1971年230地区全体12700、同和関係4443地区全体52950、同和関係19127
1975年269地区全体49878、同和関係5509地区全体182143、同和関係22347
1985年270地区全体50321、同和関係5518地区全体183860、同和関係22392
1993年254地区全体68045、同和関係4596地区全体213819、同和関係15849

本県の同和地区は文献(差別とのたたかい 部落解放運動20年の歩み)や、(同和教育長野)からその多くが明らかになっている。

島崎藤村の「破戒」で有名な県であり、多くの同和地区を抱えるが、特徴としては、少数世帯の同和地区が多く、50世帯を超えるような大きな地区はあまり多くないことと、数世帯からなるような地区であれば、他県であれば消滅して忘れ去られることが多いと思われるところ、そのような地区も文献に残されていることである。

ただし「破戒」の瀬川丑松のモデルとなった大江礒吉の出身地区である下伊那郡伊賀良村下殿岡区(現・飯田市下殿岡)は『全国部落調査』にも『差別とのたたかい』にも記載が無い。祖父仙之助は猿牽、父周八は春駒を生業とする門付芸人で、大江朝臣千里の子孫を自称していた。大江家の旧身分については穢多とする資料もあれば、番太の血筋とする資料もあり、「非人系の被差別民であって村に二戸だけであった」とする資料もある。青木孝寿は礒吉の父について「宗門帳では『下役』『筰(ささら)』『猿牽』などと記された。父は3か村の警備をしたり、正月の祝福芸能『春駒』をもって門付けをしたというから、番太(非人)であろう」と述べている。大江家の祖先が穢多や非人ではなかったとすると、雑種賎民であるために調査から漏れたとも考えられる。

原田伴彦は「信州では300ヵ所、2万数千人という部落があるが、少数点在ながらほとんど北信地域に集中していて南信は非常に少ない」と、発言している。

柴田道子によると、長野県下の部落数は5世帯以上の地区に限定しても300余、6000世帯、約5万人。小さな部落は2-3戸で、5-6戸から10数戸の地区が圧倒的に多い。県下最大の部落は小諸市加増の182戸。100戸以上は、加増を除くと佐久市岩村田大和町のみ。一番古い部落は元禄時代(1688年から1704年まで)に起源を持つ。成立の立地条件は、下記の4種に分類される。

  1. 城下町の部落。松代、上田、小諸、松本、諏訪、高遠など。城主の要請により、皮革業など武具製造や雑役労働に従事し、城下の治安維持にあたった。
  2. 神社仏閣に依拠する部落。善光寺など。寺や神社の庭師その他の雑役に従事。
  3. 川筋の部落。天竜川、千曲川、犀川などの川筋に分布。主に船頭を務めた。
  4. 街道筋の部落。数の上で最多。北国街道や中仙道などの宿駅や要所に置かれた。

小諸市内の同和地区は1978年5月1日の調査で8地区あり、世帯数は約370、人口約1400人。中でも県下最大の被差別部落は小諸市加増にあり、戸数は183戸である。地元の部落姓は「高橋」であり、小諸東小学校6年生の児童が1984年6月に「高橋と言う名字は部落だよなあー」と発言して問題になったことがある。 この地区は別名「荒堀」ともいい、江戸時代には「向町」「穢多町」と呼ばれており、島崎藤村『破戒』の舞台となった。

中野市には4世帯から21戸まで8ヶ所の同和地区があり、全てを合わせても100世帯未満で、人口も400人あまりである。

小布施町には5戸から20戸まで6ヶ所の同和地区があり、合計約80戸ある。

望月町(現・佐久市)には同和地区が3ヶ所あり、1978年4月当時、世帯数はそれぞれ85、65、21であった。町内の被差別部落民の総人口は641人である。

長野県の被差別部落に特徴的な名字には、土手下、橋脇、須加尾、風呂下などがある。ただし土手下姓や風呂下姓は2000年版以降の電話帳によれば長野県に1世帯も登録がなく、改姓した可能性がある。中山英一によると、風呂下姓は「S・R部落の人の名字」、土手下姓は「T・T部落の名字」、須加尾は「M・R部落」の名字であるという。M・Rは紫。T・Tは豊野町豊野四丁目、S・Rは白鳥の可能性がある。

なお長野県では高橋姓が被差別部落に顕著に偏って分布しており、県内で最も高橋姓が多い地区トップ20のうち14地区までを被差別部落を含む地域が占めている。2000年版の電話帳によると、内訳は以下の通りである(★が被差別部落を含む地域)。

  • 87世帯 - ★長野県 小諸市 加増
  • 51世帯 - 長野県 小諸市 耳取
  • 43世帯 - ★長野県 南佐久郡臼田町 下越
  • 42世帯 - ★長野県 南安曇郡三郷村 明盛
  • 42世帯 - ★長野県 南安曇郡穂高町 北穂高
  • 42世帯 - ★長野県 飯山市 常郷
  • 40世帯 - ★長野県 佐久市 内山
  • 39世帯 - ★長野県 下水内郡豊田村 上今井
  • 39世帯 - 長野県 長野市 三輪
  • 38世帯 - ★長野県 小諸市 甲
  • 37世帯 - ★長野県 佐久市 小田井
  • 34世帯 - ★長野県 飯山市 常盤
  • 32世帯 - ★長野県 佐久市 平賀
  • 31世帯 - ★長野県 長野市 吉田
  • 30世帯 - ★長野県 上水内郡豊野町 豊野
  • 28世帯 - 長野県 長野市 上松
  • 25世帯 - ★長野県 埴科郡坂城町 坂城坂端
  • 24世帯 - 長野県 中野市 田麦
  • 22世帯 - 長野県 南安曇郡豊科町 田沢徳治郎
  • 22世帯 - 長野県 小県郡青木村 村松

佐久水平社の創立大会(1924年10月7日)に出席した水平社役員は以下の通りであった。

  • 司会者 高橋末次郎
  • 大会議長 高橋市次郎
  • 大会副議長 高橋岩之助
  • 書記 高橋修峯
  • 書記 高橋栄治
  • 会場係 高橋義治
  • 受付係 高橋角市
  • 受付係 高橋富太郎

松本清張は1957年の長編小説『眼の壁』で糾弾されたが、このとき部落解放同盟から最も問題視されたのは、作中の犯人が長野県の部落(長野県南佐久郡牧口村字平野。村名以下は架空の地名)出身の高橋音次という部落民だったことである。松本によると「こちらは偶然なんですが、これは(長野県の部落姓のひとつが高橋であることを─引用者注)調べて書いたのだということになって、まず第一ばんに心証を悪くしたんですね」という。糾弾の結果、清張は高橋音次を梅村音次と改め、地名も長野県南佐久郡春野村字横尾(やはり村名以下は架空の地名)と改めた。

「私たちは寮生活でしたが、長野県からは割合多勢来ていました。成沢とか高橋とか吉沢というとすぐ部落だとわかってしまったようですが」と『部落』1967年第19巻第8~14号にある。ただし成沢姓は一般にもあり、1930年から1938年まで上田市の市長をつとめ、信濃同仁会会長をつとめた成沢伍一郎も一般民である。ただし信濃同仁会副会長の成沢勇(上田市議)は部落民であった。一般の場合はナリサワ、部落の場合はナルサワと読むとの説もあるが、柴田道子はこれを詭弁としている。

小諸市加増部落の高橋弥右衛門家の由緒書によると、祖先は京都の四条に住んで藍作りをしていた高橋又次郎であるという。また、千曲市戸倉部落の高橋又一家の由緒書によると、祖先は京都の四条に住んで藍作りをしていた高橋弥治郎家重であるという。千曲市雨宮の小山辰雄(小山佳堂)家の伝承によると、同家の祖先は難波で農具を作っていたが古代社会の崩壊とともに木曽に移り、やがて木曽義仲に仕官。義仲に仕えた白斎の長男の高橋杢右衛門が千曲市雨宮に、次男の高橋彦右衛門が千曲市桑原に、三男の高橋久治が千曲市稲荷山湯の崎に住み着き、杢右衛門の子孫は川中島の合戦以後に一時住んでいた須坂の字小山に因んで小山と改姓したという。なお杢右衛門の娘は越後高田の紫七郎左衛門影遠(上杉家の家臣)に嫁いでいる。

地元の古老の高橋国松が伝えるところによると、小諸市加増部落の元は下記の4軒である。

  1. 高橋弥右衛門家 - 代々、部落の頭を務める。明治時代まで弥右衛門を襲名。祖先は地侍だったという。
  2. 高橋半衛門家 - もとは上州高岡(富岡あるいは高崎の誤り?)の家老の息子だが不義により打ち首になるところを逃亡し、佐久の与良家の食客を経て小諸に定住。
  3. 「和志夫さんのところ」 - 佐久市中佐都の赤岩から来住。トメ屋の屋号を持つ。祖先は地侍か百姓。1971年の段階で「数年前に苗字をかえました」という。なお、加増荒堀の区長(かつ部落解放同盟加増支部初代専任支部長。父は朝倉重吉の義兄)に柴田和志夫の氏名がある。
  4. 「明さんの先祖」 - 神主の子孫。

中山英一は『差別をのりこえて』の中で長野県や近県の部落関係者の実名と出身地と経歴を顔写真入りで公表している。なお、同書の取材者も被取材者も部落解放同盟員であるから、これはアウティングではなく自発的なカミングアウトである。

  • 竹内弘子(上田市)小県郡和田村の通称「とりばら」部落出身。
  • 飛田雅光・飛田一子(上山田町)夫は一般民、妻は力石部落出身。
  • 小林徳雄(中野実高3年)・古川純子(長野西高2年)両親ともに部落民。
  • 深井計美(丸子町)
  • 島原いさみ(高山村)夫は家畜商。
  • 小森みゆき(須坂市)
  • 竹内あや子(塩田町)
  • 高橋まさ子(佐久市)夫は一般民。
  • 林都喜野(坂北村)
  • 伊藤寅治(牟礼村)
  • 小山佳堂(本名は小山辰雄、更埴市)雨ノ宮部落出身。
  • 荒井糸枝(須坂市)長野市西長野の屠場の番小屋の生まれ、二睦部落在住。
  • 萩原みな子(豊野町)
  • 横水肇(松本市)
  • 星沢一二美(妙高高原町田口在住)夫の実家は長野市若穂矢原。なお夫は従兄にあたる。
  • 高橋角市(小諸市加増483)明治40年1月13日生まれ。
  • 山下恵美子(小布施町)昭和29年8月10日、小布施町雁田生まれ。
  • 原けさの(松本市寿区寿団地)南安曇郡豊科町田沢部落出身。
  • 高木千恵子(松本市)島内部落出身。
  • 成沢勝(浅科村栗林)
  • 小林健(中野市)部落解放同盟中高地区青年部結成者の一人。妻は一般民。
  • 石井美知子(上田市)上田市の部落解放同盟青年部員。父は一般民。母が部落民。
  • 川谷せん(飯山市)
  • 小林美子(中野市)上記の小林健の妻。一般民。
  • 加藤光子(長野市)南佐久郡臼田町勝間部落生まれ。父の郷里の佐久町高野町で育つ。夫は長野市松代の部落民。
  • 高橋恵津子(望月中2年)・高塚弘子(望月中2年)部落民宣言を行った。
  • 山口節子(小布施町雁田在住)新潟県長岡市生まれ。一般民。夫が部落民。
  • 都筑はつね(中野市平岡在住)部落民。
  • 高野政夫(部落解放同盟浅科支部長)
  • 高橋より子(臼田町)
  • 小林邦男・小林洋子・小林孝行(小布施町)邦男は部落民。洋子は一般民。孝行は両者の息子。
  • 小山啓子(長野市篠ノ井)上石川で食肉販売をしている。出身地は小諸の荒堀部落。父は解放同盟長野県連委員長の高橋利重、おばは水平社の高橋くら子。
  • 高橋房治(小諸市)明治35年2月11日生まれ。荒堀部落の人。
  • 宮川俊子(更埴市)上田市の塩田、東前山の生まれ。いとこと結婚し、更埴市の八幡に嫁ぐ。
  • 高橋新(上田市)本籍は別所温泉。戸倉温泉の肉屋の生まれ。
  • 金沢養子(中野市)一般民。部落民と結婚。
  • 小橋鉄次(豊田村)村会議員を一期つとめた。
  • 野竹虎二(のだけ・とらじ。山ノ内町北落合在住)大正3年生まれ。
  • 高橋藤一(飯山市静間在住)昭和42年から保健所で野犬殺しの仕事をしている。
  • 高木祖代子(埴科郡坂城町坂端在住)小県郡西塩田村生まれ。いとこと結婚。
  • 丸山勝正(上田市の大星神社の近くに在住)昭和18年、東京神田生まれ。父が東部町の田中部落出身。妻は一般民。
  • 荒井よし子(佐久市中込在住)父は三井村香坂出身。
  • 坂内百代(中条村在住)長野市篠ノ井上石川生まれ。隣家の男性の紹介により東京で女中をしていたとき、その男性から「長野県の人もあの家へ訪れることがあるから、あんまり自分の名字を言うんじゃないぞ」と、部落民であることを隠すよう戒められたという(ただし当時は旧姓。旧姓は不明)。夫は兄嫁のいとこ。
  • 小林哲子(中野市)東筑摩郡坂北村生まれの部落民。一般民だと思って結婚した相手が部落民であると後に判明した。
  • 小林けさ子(中野市新野在住)信州新町の日原生まれの一般民。夫の小林義徳が部落民。
  • 深井弥吉(丸子町辰ノ口部落在住)大正5年生まれ。地元の部落の頭(かしら)筋の家系で、自宅は500坪、築250年。父は長野県水平社で活動。母は上諏訪の部落出身。
  • 村沢はるゐ(富山市)富山市内の約30戸の部落(うち解放同盟員は20戸)に住む。死別した夫は一般民。「一番腹が立つことは私の親類で部落出身ですが、ある大会社の社長がいます。その人は外国からの大統領を招き握手をしたり金を使ったり、その会社のCMを見ると無性に腹が立ってくるんです」と発言している。YKKの吉田忠雄のことか。北孔介『放置された1000部落』9-10頁にも「富山市内のTS町」(田双町)在住の村沢という夫婦が登場するが、同一人物かどうかは不明。同書10頁によると「村沢さんの両親は、このTS町と通婚のあった、富山県内のU町からここに移り住みました」という。U町は吉田忠雄の出身地の魚津である可能性あり。
  • 白川吉春(上越市北本町4丁目出身・在住)

『全國部落調査』にも『差別とのたたかい 部落解放運動20年の歩み』にも掲載のない地区として、下高井郡山ノ内町北落合(旧称、須賀川=すがかわ)がある。中山英一が「私どもの経験ですが、須賀川と聞いただけで、何か大変な所、山の中の、貧しくて無教養で、ボロ家で竹細工をしているなどと悪いことづくめ(ママ)の所という偏見で受け止めていました」と暴露している。2016年現在、山ノ内町に北落合の地名はないが、2000年電話帳には山ノ内町表落合(山ノ内町夜間瀬表落合とも表記)10064に野竹虎二と同姓同名の登録がある。須賀川では同じ部落内での近親婚が多かったことを野竹が認めている。

信州の部落分布について、成沢栄寿は以下の3点を謎としている。

  1. 東北信の主要街道に限っても、たとえば、小部落が少数ではあるけれども、北国街道の北部の山間部に点在しており、中山道の追分以東や和田以南、佐久甲州街道の高野町以南に存在していないようなのはなぜか。同じく手馬による物資運搬がさかんにおこなわれた大笹街道に部落がみられず、万座峠を越える往還や佐久甲州街道から内山峠・田口峠を越えて上州へ通ずる峡谷には小部落があるのはなぜか。
  2. 南信、ことに伊那谷において、御館・被官という中世的な隷属的な支配・被支配関係が近世になってもあまり払拭されずに濃厚に残存したことが、部落が比較的少ないことと関係があるのか、どうか。
  3. 木曽谷に、なぜ部落が皆無に近いのか。木曽は、周知のように、古代においては美濃に属し、中世には信州の一部とされたが、公式に編入されたのは元禄期のことであり、領有関係では、豊臣秀吉、ついで徳川家康の蔵入地であったが、大坂夏の陣後、尾張徳川氏の藩領となり、木曽氏の旧臣であった山村氏が、家康以来、木曽代官として、山林支配その他を担当した、いわば、特殊地域であった。そうした事情と未解放部落が極端に少ないこととは、何らかの関係があるのか、どうか。




文献


全國部落調査(1933年)

長野縣 昭和八年六月現在

この調査で県内の主業が全て「農業」と記載され、皮革業が一件もないことに対し、渡辺広は「勿論この調査は精密なものではない。例えば『破戒』で有名な長野県の部落の職業欄には、全部を農と書いてある。全く義理で書いたとしか思われない」と批判しているが、江戸時代には皮革業を各地の穢多頭が独占し、他者の参入を排除した史実があり、また「長野県の同和地区現地研修記」には「信州にはこれといった部落産業はなく、せいぜい小諸と長野に皮革業があったぐらいである」とある。

「全國部落調査」に記載のある市町村のうち、岡谷市、駒ヶ根市、飯田市、諏訪郡、上伊那郡箕輪町、下伊那郡、木曽郡、上水内郡信濃町に於いては同和事業が実施されなかった。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
南佐久郡 榮村髙野町区二三一〇七農業藁工、日傭労働南佐久郡 佐久穂町 高野町 相生町俗称「下庭」。伊早坂姓1件、2000年電話帳。「この宿場部落は群馬県の下仁田から派遣されてきた。本家筋の姓は伊早坂で、下仁田にも伊早坂がある。江戸の中期に来たものと思われ、大本家は300年ぐらいつづいているといっていた。十手を預かって、牢番に従事していたという」との伝承あり。1931年頃に「伊早坂という名が当時いろいろと新聞沙汰になるので」との理由で伊早坂から改姓した例あり。伊早坂姓は裁判所に「部落人に特殊な氏」と認められた例がある。
〃 〃上区一九九七南佐久郡 佐久穂町 上 久保田部落解放同盟長野県連書記長の中山英一の出身地区。中山の祖先は1738年の名主宛の請書に名が残る穢多の五郎兵衛で、一族は上州の富岡から来住したと伝える。1948年に部落の苗字から改姓するにあたって、村の地主の中山姓を仮冒。中山姓1件。2000年電話帳。旧姓は三文字で、曹洞宗のK寺(おそらく桂霄寺)の住職から命名され、「厄介な者」を意味し、地元では30軒の部落民が名乗っていたが、恐らく日本中にないと思われる珍しい苗字だという。1948年、部落差別を理由に29軒はそれぞれ改姓したが、1軒だけは旧姓を守っている。富岡と佐久地域に共通の三文字の部落姓といえば伊早坂があり、全水の上区代表者に伊早坂勝一や伊早坂光太郎、栄村高野町に伊早坂忠助、栄村代表に伊早坂隆三がいた。また、上区53番地に本籍を置く伊早坂春夫(窃盗罪前科二犯)が1947年に小諸市で強盗殺人事件と脱獄事件を起こしており(のち無期懲役判決が確定)、この事件が1948年の集団改姓の原因となった可能性が高い。「厄介な者」を意味するかどうかは要検討ながら、伊早坂は「いささか」とも読め、「伊佐坂難物」的な発想で「厄介な者」のニュアンスを込めたと解釈できなくもない。
〃 平賀村瀬戸五五佐久市 瀬戸 西耕地坂上俗称「新田」。瀬戸に高橋姓13件。2000年電話帳。大川隆法にも影響を与えた新興宗教団体GLA開祖の高橋信次の出身地区。瀬戸水平社の同人に高橋市次郎や高橋豊一の氏名あり。元は小諸市加増から分かれて成立した地区。長吏系部落民同士でありながら佐久市平賀北口とは非常に仲が悪く、婚姻関係がない。高橋市次郎の生地は瀬戸1626番地。
〃 〃常和三三佐久市 常和 常和南常和に高橋姓13件。2000年電話帳。
〃 〃平賀三一一六〇佐久市 平賀 北口平賀に高橋姓32件。2000年電話帳。長野県水平社の高橋末次郎の出身地区。
〃 野沢町本町一七九八佐久市 野沢 野沢本町
〃 〃一三佐久市 野沢 原
〃 〃髙柳二二佐久市 高柳
〃 〃取出一三佐久市 取出町
〃 岸野村宮川一二四七佐久市 伴野 下県西伴野2136-1に市営住宅宮川団地がある。
〃 〃沓沢三六佐久市 根岸 沓沢「同じ沓沢でも一般地区は上、中、下とあり、部落はことさら大下(おおしも)とよばれていた」。長野県水平社の高橋長次郎の出身地区。根岸に高橋姓3件。2000年電話帳。入会権問題をめぐる、水平社による集団暴行傷害事件(1936年1月)の舞台。
〃 〃竹田二四佐久市 根岸 竹田
〃 田口村下越一九九二佐久市 下越 三反田関東水平社創立大会に、この部落から高橋岩之助と高橋栄次郎、高橋義次郎の3人が出席した。下越に高橋姓43件。2000年電話帳。
〃 〃田口一七七九佐久市 田口 下町
〃 〃淸川一三七〇佐久市 清川橋脇姓3件。2000年電話帳。
〃 臼田町住吉一〇六一佐久市 臼田 住吉
〃 〃上緑佐久市 昭和八年現在の臼田町域は現在の佐久市臼田、勝間、下小田切のいずれか。上緑の位置は要調査。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
南佐久郡 靑沼村三条一六農業藁工、日傭労働佐久市 入澤 三条水平社に資金援助をした部落出身医師の高橋米田の出身地区。高橋姓6件。2000年電話帳。
〃 〃平林二〇南佐久郡 佐久穂町 平林
〃 内山村法歓寺一一八一佐久市 内山 法観寺法歓寺は法観寺の誤記。訓みは「ほうがんじ」。
〃 中込村宮ノ久保一一佐久市 中込 三家
〃 前山村小宮山三二佐久市 小宮山
〃 〃前山一七佐久市 前山 前山北中
〃 大沢村丸山六四佐久市 大沢 大沢下町
北佐久郡 北大井村加増一二〇六六一小諸市 加増俗称「荒堀」。島崎藤村『破戒』の舞台となった地区。長野県水平社の創立者である朝倉重吉の出身地区(なお重吉は婿養子であり旧姓は不明)。「現在の小諸市加増は、旧北大井村の荒堀・中村および旧小諸町の御幸町の一部を合わせて戸数約300戸の区域であり、そのうち被差別部落の世帯は荒堀区に約168世帯の集団居住のものと、御幸町、南町、中村坂保町に点在するものを合わせて200余戸である」。長野県水平社北大井加増支部の高橋利重や高橋くら子や高橋角市の出身地区。高橋姓83件。2000年電話帳。
〃 〃四ッ谷二六一四四小諸市 柏木 四ツ谷柏木に砥石姓7件。2000年電話帳。
〃 南大井村平原二七一七四小諸市 平原 下宿永六輔の戦時中の疎開先。
〃 小沼村馬瀬口二九一二九北佐久郡 御代田町 馬瀬口 六区俗称「下宿」(しもじく)。小諸市乗瀬の一般民の子孫との伝承あり。馬瀬口に竹内姓33件。2000年電話帳。部落解放同盟御代田町協議会の竹内勲書記長の自宅が馬瀬口841-3にある。また、馬瀬口816付近に白山神社がある。「姓を変えるのは、戦後大層はやった。馬瀬口では数軒変えた。馬瀬口に近い加増でも変えた人が多い」、「姓を変える時、野球、その他スポーツの選手にあやかった例が多いようだ」という。42戸のうち7-8戸が創価学会員で、「苗字を変えている人が学会に入っている傾向が見られた」とも。馬瀬口836番地では竹内姓4軒の中に1軒だけ猪熊姓があるが、竹内から改姓したのかどうかは要検証。
〃 御代田村小田井三七一八三佐久市 小田井 荒田
〃 岩村田町城下六九三八八佐久市 岩村田 大和町城下の訓みは「じょうした」。被差別部落の場所は黒岩城の城址の崖下にある住宅密集地域であると『解放新聞』に記載がある。地元の長吏の名は山崎清三郎。部落解放同盟長野県連委員長の山崎翁助の出身地区。山崎姓30軒、2000年電話帳。高橋市次郎の妻のみと(旧姓山崎)の出身地区。
〃 小諸町荒町三四小諸市 荒町
〃 〃御幸町三九小諸市 御幸町
〃 北御牧村久保尻一一七一東御市 八重原 下八重原八重原2819-3に久保尻地区共同園芸施設がある。八重原に鳴沢姓26件。2000年電話帳。
〃 〃浦久保五二東御市 八重原 浦久保
長野県小諸市加増の荒堀地区における「マケ」・本家屋敷の分布。白山社は現在の長野県小諸市加増1丁目5-15に位置する。
長野県小諸市加増地区とその周辺。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
北佐久郡 三岡村二五農業藁工、日傭労働小諸市 市
〃 髙瀬村三河田佐久市 三河田
〃 中津村御馬寄一四佐久市 御馬寄
〃 平根村上平尾五二佐久市 上平尾
〃 三井村■戸四六佐久市 香坂 西地判読不能の字は「戟」に似ている。字に「古戸」あり。
〃 南御牧村矢島三二佐久市 矢嶋 鶴沼
〃 〃地下一二佐久市 八幡 御牧原俗称「栗林」。地下の位置は要調査。八幡に成沢姓8件。2000年電話帳。
〃 五郎兵エ新田村池下一四六九佐久市 甲 上原 社口村名は「五郎兵衛新田」とも表記。甲上原に高野姓 (「この『高野』は、まちがいなく高野町に由来するするものであろう。つまり、被差別部落の人びとも名主も、部落の先祖は高野町からやってきたことを承知していたことから『高野』という苗字が採用されたものと思われる」。佐久市甲では名主が南佐久郡佐久穂町高野町から高野姓をつけた。『五郎兵衛新田と被差別部落』(斎藤洋一、三一書房、1987)による。 )17件。2000年電話帳。
〃 芦田村向町一七六四北佐久郡 立科町 芦田 町区二部
〃 本牧村吹上三五一七二佐久市 望月 吹上町望月に清水姓27件。山浦姓14件。森下姓15件。西藤姓6件。高塚姓5件。2000年電話帳。吹上地区の山浦家と清水家は姻戚関係にあり、協東地区の高塚家とも縁続きである。江戸初期の吹上地区には4軒しかなく、それは清水家と森下家だけだった。山浦家は江戸中期に川辺村(現在の小諸市の千曲川以南)から来住したとされる。三家の中では山浦家が最も富裕で明治以降に区議や村議を輩出した。この地区から十数世帯が2キロほど離れた山腹の開墾地「武陵」(佐久市望月字武陵?)に転居。
〃 協和村下髙呂四四二八七佐久市 協和 協東 下高呂長野県水平社協和高呂支部の高塚幸作や高塚伝右ヱ門の出身地区。協和に高塚姓30件。滝沢姓5件。2000年電話帳。
〃 横島村宇山三四一五二北佐久郡 立科町 宇山 石川宇山に西藤姓29件。2000年電話帳。伝承によると、西藤家の祖先は北佐久郡立科町芦田古町の斎藤家(一般民)から出ており、西へ来たから西藤になったという。
〃 三都和村細谷三六一六九北佐久郡 立科町 桐原 細谷三部桐原に成沢姓7件。2000年電話帳。
小縣郡 浦里村浦野一八一二五上田市 浦野木藤姓11件。2000年電話帳。
〃 〃一九上田市 岡
〃 〃仁古田二九上田市 仁古田「全部が高橋姓」と伝えられる。高橋姓2件、南沢姓3件。2000年電話帳。
〃 丸子町上丸子二九一六〇上田市 上丸子 海戸 安良居町上丸子に成沢姓18件。2000年電話帳。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
小縣郡 別所村湯川二六一四〇農業藁工、日傭労働上田市 別所温泉 湯川藤極姓12件。2000年電話帳。
〃 西塩田村前山三〇一九二上田市 前山 東前山 一区俗称「藤ノ木」。美濃国から逃亡した侍の兄弟の子孫との伝承あり。長野県水平社小県前山支部の竹内万之助の出身地区。竹内姓29件。2000年電話帳。
〃 川辺村築地四三上田市 築地堀内姓8件。2000年電話帳。
〃 〃新道三二上田市 上田原 川辺町
〃 〃上田原一四八一上田市 上田原「二十余軒もあつたものが、今は僅かに四戸であり、何れも苗字は堀内一つであったと云」われる。堀内姓38件。2000年電話帳。
〃 縣村田中二四一三四東御市 田中 十区
〃 〃加沢三五東御市 加沢
〃 〃海野一一五九東御市 本海野「この曲輪は十戸全部成澤姓である」。姓は加賀藩主の参勤交代の際に成沢川が氾濫して通行できなくなった人や荷物を渡したことで賜ったと伝える。成沢姓6件。2000年電話帳。
〃 東内村辰ノ口三四二三二上田市 東内 辰ノ口1985年8月、第21回長野県同和教育研究会で深井弥吉が述べたところによると、一般を含む辰ノ口の戸数は170、うち部落は67、運動体の組織に入っているのは60。名主の家の資料では1700年ごろ部落の存在が古文書に登場、1800年ごろ約15戸があり「えたや(穢多家)」と記録されている。深井姓11件。2000年電話帳。
〃 東里村大日ノ木一六九三上田市 芳田 大日ノ木芳田に宮之上姓14件、宮ノ上姓2件。2000年電話帳。白山神社の所在地の字が宮ノ上。
〃 〃中吉田五二上田市 芳田 中吉田 下宿
〃 依田村茂沢二七一五四上田市 生田 茂沢成沢姓5件。2000年電話帳。
〃 〃三八上田市 御嶽堂バス停「原」あり。
〃 〃御嶽堂一〇六九上田市 御嶽堂 上組
〃 〃三角一一七二上田市 御嶽堂 三角
〃 殿城村矢沢二〇九八上田市 殿城 矢沢
〃 神科村伊セ山一八九七上田市 上野 伊勢山俗称「六班」。上野2221-1に伊勢山第一農機具保管施設がある。上野に白石姓10件。2000年電話帳。




 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
小縣郡 武石村中島四三二八三農業藁工、日傭労働上田市 下武石 中島樋沢姓46件。2000年電話帳。
〃 祢津村西町二二一二八東御市 祢津 西宮 向町俗称「城前」。
〃 長村眞田一〇四八上田市 真田町長 真田
〃 長久保新町第七区二三一〇七小県郡 長和町 長久保竹内姓46件、竹之内姓5件。2000年電話帳。自治会の区名に第7区が残っている。長和町7区集会施設は長久保530番地にある。
〃 傍陽村曲尾一二八三上田市 真田町傍陽 曲尾真田町傍陽に石巻姓4件。2000年電話帳。
〃 中塩田村保屋四四上田市 保野保屋は保野の誤記。同地では竹之内姓の住民が明治新姓の際に竹内姓に改姓。竹内姓7件。2000年電話帳。
〃 本原村下原四四上田市 真田町本原 下原
〃 塩川村石井一七上田市 塩川 石井
〃 塩尻町上塩尻三四上田市 上塩尻旧小字は「アクサイ」で「阿くさい」とも表記。アクサイという字名はアイヌ語で船着場のような意味との伝承あり。アイヌ語では「渡し場」はアクサウシ。宮原姓6件、うち1件は部落解放同盟上塩尻支部長。2000年電話帳。秋和の宮原家の分家だが、本家との交際はない。もともと上塩尻ではアクサイ部落にだけ1300番台の地番が振られていたが、上田市同和対策課の提案で地番が一部変更された。ただし2000年電話帳を見ると1300番台の住民も現存していることから、すべての住民が地番の変更に同意したわけではないらしいことが推察できる。
〃 〃秋和一二上田市 秋和宮原姓5件。2000年電話帳。南北朝の戦争に負けて兄弟で逃げてきた武士の子孫との伝承あり。部落のお頭筋、すなわち小諸の高橋弥右衛門家、諏訪の成沢庄衛門家、松本の井ノ根などと縁組している。
〃 和田村上和田一〇六九小県郡 長和町 和田原竹内姓7件。2000年電話帳。
〃 滋野村朴屋一六東御市 滋野乙 桜井七区朴屋は牧屋の誤記。
〃 和村大川三一東御市 和 大川
諏訪郡 上諏訪町中村三九二一二諏訪市 湯の脇 中村1969年に上諏訪の一部から湯の脇が成立。後藤姓36件。成沢姓1件。2000年電話帳。
〃 本郷村立沢一四諏訪郡 富士見町 立沢
〃 平野村岡谷岡谷市
上伊那郡 朝日村田町二九二一一上伊那郡 辰野町 平出旭町 田町
長野県上田市上塩尻のアクサイ地区。部落の位置と地番を朝日新聞の記事が詳細に記載している。数字は番地を示し、矢印は番地が振られた順序を示す。
長野県上田市上塩尻の地図。部落の位置と地番を朝日新聞の記事が詳細に記載している。ただし現在は地番が一部変更されており、たとえばこの地図で1327番地が振られている上塩尻集会所には、今日では276番地12が振られている。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
上伊那郡 伊那富村宮所三八一七五農業藁工、日傭労働上伊那郡 辰野町 伊那富 宮所 仮宿
〃 中箕輪村松島一五八二上伊那郡 箕輪町 中箕輪 松島
〃 〃木下一九一〇三上伊那郡 箕輪町 中箕輪 木下
〃 東箕輪村北村二八上伊那郡 箕輪町 東箕輪北村の位置は要調査。
〃 手良村野口一三七八伊那市 手良野口 棚沢俗称「後藤の衆」。後藤姓14件。2000年電話帳。宝永年間(1704年から1710年)は伊藤姓だったという。『伊那タイムス』で「部落民は貧しく、卑しく、気が荒く、村民から恐れられている、凍り餅や干し柿を盗んだり、森林盗伐もする。同族結婚が多い」と報じられた地区。
〃 〃下手良一二七二伊那市 手良沢岡 下手良 辻手良沢岡に西幅姓2件。2000年電話帳。
〃 東春近村中殿島二三伊那市 東春近 中殿島
〃 赤穂村福岡駒ヶ根市 赤穂 福岡
〃 髙遠村稲持一五一二八伊那市 高遠町西高遠 稲持( 飯沢匡『権力と笑のはざ間で』17頁に「父(註:伊沢多喜男)が生れた時は、父は城の御門の近くの大屋敷(中略)には居らず、川向う(川とは天龍川であるが)(註:正しくは武家町と町人町を分ける藤沢川)の木町という材木の荷上げ人足たちの居る新開地に強制的に移転させられていたのだ。その木町の隣地には被差別者の集団がいたと父は語っていた」とある。木町の位置は要調査。) 西沢姓4件。2000年電話帳。
〃 上片桐片桐二八下伊那郡 松川町 上片桐
下伊那郡 市田村上市田一〇六一下伊那郡 高森町 上市田
〃 〃下市田三七下伊那郡 高森町 下市田
〃 会地村駒場三五一六〇下伊那郡 阿智村 駒場
〃 山本村二九飯田市 久米
〃 〃山本一三飯田市 山本
〃 〃竹佐四二飯田市 竹佐
〃 〃二ッ山二五飯田市 山本山本6722一帯に市営山本二ツ山団地がある。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
下伊那郡 上飯田町丸山一八農業藁工、日傭労働飯田市 丸山町
〃 上郷町矢崎二二飯田市 上郷別府 矢崎
〃 〃渡場二五飯田市 上郷別府 渡場
〃 山吹村越田一四下伊那郡 高森町 山吹 越田
〃 大島村名古一一下伊那郡 松川町 元大島字に「名子中部」「名子原」あり。
〃 鼎村鼎新道一一飯田市 鼎西鼎『差別とのたたかい』によると西鼎。
〃 下川路村殿村二八飯田市 川路 殿村
〃 三穂町立石二一飯田市 立石
〃 〃伊豆木飯田市 伊豆木
〃 下久堅村知久平一四飯田市 下久堅 知久平
〃 喬木村阿島四七下伊那郡 喬木村 阿島
〃 河野村下伊那郡 豊丘村 河野 筏
〃 根羽村萬馬瀬下伊那郡 根羽村バス停に「万馬瀬」あり。
〃 座光寺村座光寺二一飯田市 座光寺
〃 大下条村平久下伊那郡 阿南町 南條 平久
東筑摩郡 里山辺村荒町四一二二五松本市 里山辺 西荒町俗称「西区」。里山辺に布野姓21件。2000年電話帳。
〃 岡田村岡田三八二八八松本市 岡田町 下出口岡田町に深井姓21件。2000年電話帳。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
東筑摩郡 上川手村田沢六〇農業藁工、日傭労働安曇野市 豊科田沢 小瀬幅
〃 〃一三八二安曇野市 明科光 北村 幅明科光に長幅姓15件。2000年電話帳。
〃 中川手村塔ノ原二一一五〇安曇野市 明科中川手 塔ノ原 町二区1869年に白岩から改姓した家あり。現姓は高原
〃 新村北新一五八四松本市 新村 北新松本市内には北新のほかに下新もあり、両方とも同規模の部落である。
〃 〃東新一〇六五松本市 新村 東新
〃 今井村境新田三四一七五松本市 今井 境新田
〃 本郷村浅間一三七三松本市 浅間温泉 堀道浅間温泉に深井姓20件。2000年電話帳。松本市岡田の部落から分かれて成立したといわれる。祖先は小笠原の家老だったが奥方と不義密通して追放された、または、小笠原分流の豪族である赤沢氏の家来の浅川氏だったが主君の勘気に触れて賤民に落とされたとの伝承あり。
〃 錦部村保福寺三一松本市 保福寺町 花見松本市保福寺町の飛び地で松本市殿野入花見に囲繞されている。
〃 〃殿ノ入一五一三六松本市 殿野入 花見
〃 〃刈ヶ原松本市 刈谷原町刈ヶ原は刈谷原の誤記。
〃 会田村下宿一七九三松本市 会田 本町 下宿下宿の位置は要調査。
〃 生坂村上生坂一一五四東筑摩郡 生坂村 上生坂 原
〃 島内村町区二〇一一五松本市 島内 町区 八幡原
〃 島立村町区五七松本市 島立 町区「何れも靑山姓である」。青山姓9件。2000年電話帳。
〃 和田村和田町一九九一松本市 和田 町区
〃 山形村下竹田一五八九東筑摩郡 山形村 下竹田 原町横水姓12件。2000年電話帳。
〃 神林村町神一六一二二松本市 神林 町神神林に佐々木姓19件。2000年電話帳。佐々木四郎高綱の子孫との伝承がある。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
東筑摩郡 麻績村上町一九五四農業藁工、日傭労働東筑摩郡 麻績村 上町麻8338−1に上町公民館あり。長野市西長野で200年以上続いた太鼓屋である木藤家の親類がおり、木藤からM姓に改めた。2000年電話帳によると、このM姓は前山、宮下、宮尾の可能性あり(各1件)。ただし2000年電話帳には木藤姓も2件ある。
〃 坂北村青柳一七一〇四東筑摩郡 筑北村 坂北 青柳 六区
〃 洗馬村原田一五九五塩尻市 洗馬 下小曽部 原口 原田は原口の誤記。下小曽部に赤岩姓13件。2000年電話帳。(中江兆民の妻であり丑吉・千美の母である弥子(いよこ)〔松沢ちの〕は洗馬村太田地区出身で、被差別部落民説がある(井上清『部落の歴史と解放理論』))。 
〃 片丘村北内田松本市 内田
〃 塩尻村村田二一塩尻市 塩尻町 村田の位置は要調査。
西筑摩郡 上松村上松二五木曽郡 上松町 上松
南安曇郡 烏川村中堀三八安曇野市 堀金烏川 中堀
〃 〃上堀一一安曇野市 堀金烏川 上堀
〃 〃下堀一三七九安曇野市 堀金烏川 下堀 田甫 下堀に長巾姓7件。2000年電話帳。
〃 明盛村下村四八二六二安曇野市 三郷明盛 一日市場 北村
〃 倭村北大妻一〇六三松本市 梓川倭 北大妻 下村
〃 三田村田尻安曇野市 堀金三田 田尻
〃 南穂髙村細萱二九安曇野市 豊科南穂高 細萱
〃 髙家村眞々部一五八四安曇野市 豊科高家 真々部 町通り下町
〃 豊科町新田二八安曇野市 豊科 新田
〃 〃成相一六安曇野市 豊科 成相
〃 穂髙町上手三一安曇野市 穂高上手の位置は要調査。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
南安曇郡 穂髙町下手三七農業藁工、日傭労働安曇野市 穂高下手の位置は要調査。
〃 北穂髙村靑木花見二三安曇野市 穂高北穂高 青木花見
〃 有明村耳塚三一安曇野市 穂高有明 耳塚
〃 西穂髙村新屋二一安曇野市 穂高柏原 新屋耕地
〃 〃下町一一安曇野市 穂高柏原下町の位置は要調査。
北安曇郡 大町十日町一二六一大町市 大町 五日町十日町は五日町の誤記。
〃 常盤村下一本木一三四七大町市 常盤 下一
〃 〃貝原二八大町市 常盤 泉 貝原常盤泉に芝波田姓5件。2000年電話帳。
〃 池田町下町四三北安曇郡 池田町 池田 一丁目
〃 會染村渋田見一五七四北安曇郡 池田町 会染 渋田見 渋西俗称「田中木戸。「昔、(註:一般地区の)中木戸に山崎という旧家があり、そこから分かれたものだ、という伝承がある」。現姓は伊藤。
〃 広津村梶本東筑摩郡 生坂村 東広津 梶本
〃 〃南平東筑摩郡 生坂村 東広津 南平
〃 陸郷村小泉三一安曇野市 明科南陸郷 小泉 三区
〃 〃草尾二三東筑摩郡 生坂村 北陸郷 草尾
〃 松川村板取一三北安曇郡 松川村 板取
〃 七貴村下押野二五安曇野市 明科七貴 下押野区
〃 〃荻原三一安曇野市 明科七貴 荻原区

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
更級郡 中津村南原二〇一二一農業藁工、日傭労働長野市 川中島町原 五区バス停に「南原」あり。『差別とのたたかい』では川中島町原四区。柴田道子『被差別部落の伝承と生活』231頁に「昔はこの部落の姓は、伊藤だった。中津村南原といっていた頃である。26軒中、25軒が伊藤姓で、1軒が穂積さん(引用者注、明治時代から当地に続く食肉店の主人)の須田である。穂積さんは母方の姓を名乗っている。母親は(長野市若穂)綿内の出で父親は婿に入った」、「明治天皇が善光寺に行幸した時のことである。村に伊藤という財閥がいたが、財閥の伊藤と部落の苗字と同じではまずいという圧力がかかった。それで部落の伊藤姓をこの時に改姓させられた」とある。改姓後の姓は武だった。武姓8件、伊藤姓10件、須田姓なし。2000年電話帳。
〃 〃北原一四六六長野市 川中島町原 北原上バス停に「北原」あり。
〃 力石村力石三〇一七〇千曲市 力石 六区力石に高井姓10件。2000年電話帳。
〃 村上村上平一二六四埴科郡 坂城町 上平 北部上平に朝倉姓13件。2000年電話帳。
〃 〃網掛一〇六三埴科郡 坂城町 網掛 新田網掛に朝倉姓12件、沢崎姓6件。2000年電話帳。
〃 〃五明一八埴科郡 坂城町 上五明
〃 川中島村槁場三五長野市 川中島町上氷鉋 橋場槁場は橋場の誤記。『差別とのたたかい』では川中島町上氷鉋寺町。
〃 〃四ッ谷四六長野市 川中島町四ツ屋 東村
〃 〃新屋七二長野市 川中島町今里 新屋俗称「向う村」。
〃 川柳村方田二三一一七長野市 篠ノ井二ツ柳 方田
〃 〃石川一三七〇長野市 篠ノ井石川 上石川1980年8月の地元民の談話では12戸中3戸が部落解放同盟に参加とある。
〃 青木島村綱島一四四九長野市 青木島町綱島 中組平坂姓7件。2000年電話帳。
〃 共和村岡田二四一四六長野市 篠ノ井岡田 深町
〃 牧郷村牧ノ島一四八九長野市 信州新町牧野島俗称「城町」。
〃 更府村上尾二二長野市 信更町上尾
〃 〃涌池一四長野市 信更町涌池
〃 大岡村宮平一〇五一長野市 大岡甲 宮平西



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
更級郡 稲里村広田一七八一農業藁工、日傭労働長野市 稲里町田牧 田牧東
〃 東福寺村小森二五長野市 篠ノ井小森
〃 稲荷山町稲荷山一八千曲市 稲荷山
〃 上山田村新山二六千曲市 新山 住吉
〃 塩崎村角間一〇七一長野市 篠ノ井塩崎 角間
〃 〃松伏四五長野市 篠ノ井塩崎 上町 松節松伏は松節の誤記。
〃 篠ノ井町御幣川三三長野市 篠ノ井御幣川
〃 〃五明三五長野市 篠ノ井布施五明
〃 〃會区一一長野市 篠ノ井会
〃 〃布施一七長野市 篠ノ井布施高田
〃 御厨村本戸部一五八一長野市 川中島町御厨 本町
〃 眞島村北村三四長野市 真島町真島 北村
〃 桑原村元町二二千曲市 桑原 元町
〃 〃本郷二五千曲市 桑原桑原944に桑原本郷浄水場がある。『差別とのたたかい』では桑原東区。
〃 八幡村志川一三六七千曲市 八幡 志川中山英一が同地の部落民に「宮川さんは八幡ですから千曲川の西と東ということで、住所や名字で部落ということが分かりますね」と発言し、同地の部落姓が宮川であることを暴露している。宮川姓が八幡志川に7件。2000年電話帳。
〃 更級村芝原四九千曲市 若宮 芝原
埴科郡 南條村沢波二二一五二埴科郡 坂城町 南条 新地南条に沢崎姓15件。成沢姓2件。2000年電話帳。1964年に部落出身を理由として転任希望先の校長から受け入れを拒否されたといわれる理科教師の成沢政雄(のち部落解放同盟坂城町協議会書記長)の出身地区。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
埴科郡 西條村市場三一一五八農業藁工、日傭労働長野市 松代町西条 東市場松代町西条に加藤姓18件。2000年電話帳。
〃 寺尾村東寺尾四一長野市 松代町東寺尾松代藩の長吏頭の須田孫六は、瀬原田徳衛門を襲名する千曲市杭瀬下の旧家と姻戚だった。
〃 〃大室一六六五長野市 松代町大室 西組
〃 坂城村坂端四〇二四三埴科郡 坂城町 坂城 坂端16戸の改良住宅がある。部落民は1万番台の番地に住んでいる(「たしかに小さな町の電話帳に五ケタの数字の住所が記載されているのは、異様な感じだ。それに、その五ケタの数字がある苗字のところだけ集中しているのである。異様な感じがより一層深くなる。人口一七〇〇〇人余のS町のなかで、五ケタの番地をもっているのは部落だけであり、部落外の他の町内の人々には一万台の番地をもっている人はいない。これはたしかに異常である」。埴科郡坂城町坂端の高橋姓に関する記述。『同和教育を知る 差別の現実に深く学ぶ』(本田豊、エムティ出版、1992) 。高橋姓25件。1万番台には、高橋姓のほか伊藤姓、後藤姓、高木姓、滝原姓、竹中姓が各1件。2000年電話帳。
〃 杭瀬下村野髙場千曲市 野高場
〃 〃新田千曲市 新田
〃 〃杭瀬下一九千曲市 杭瀬下
〃 雨宮縣村雨宮一三六四千曲市 雨宮長野県水平社執行委員だった小山薫の出身地区。小山姓7件。2000年電話帳。
〃 埴生村小島千曲市 小島
〃 森村中河原四八千曲市 森森709-3に千曲市中河原集会所がある。俗称「隠亡土手」(おぼどて)。
〃 倉科村源原千曲市 倉科源原の位置は要調査。
〃 東條村上荒町一六長野市 松代町東条 上荒町 西屋地
〃 戸倉村戸倉一六七八千曲市 戸倉 今井町高橋姓6件。2000年電話帳。
上水内郡 神郷村豊野二〇一二四長野市 豊野町豊野 四丁目豊野町豊野に高橋姓30件。2000年電話帳。柴田道子『被差別部落の伝承と生活』189頁に「この部落の先祖であるT家のほか、苗字によってそれぞれどこから来たものかわかるという。F姓は上田、NとT姓は力石、Mは大豆島である」との記載が見え、Tは高橋、Fは深井あるいは藤極、NとTは中村と高井、Mは宮沢の可能性あり。
〃 鳥居村浅井二七一四五長野市 豊野町浅野 古町
〃 長沼村大町四一長野市 大町 昭南
〃 〃穂保一四七四長野市 穂保 睦穂保に芝波田姓8件。2000年電話帳。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
上水内郡 古里村富竹一四六八農業藁工、日傭労働長野市 富竹
〃 〃金箱一九長野市 金箱
〃 〃上駒沢一七七七長野市 上駒沢
〃 大豆島村笹井河原二三一四一長野市 大豆島西沖俗称「西区」。大豆島西沖に宮沢姓13件。2000年電話帳。笹井河原の位置は要調査。
〃 〃上風間一七七一長野市 大豆島西沖1983年に風間と大豆島の各一部から大豆島西沖が成立。上風間の位置は要調査。
〃 中郷村古屋敷一四六八上水内郡 飯綱町 牟礼 古屋敷現地の古老の伊藤寅治によると「現在古屋敷は7軒あるが、T姓は1軒、I姓が6軒です」という。Tは高橋、Iは伊藤。牟礼に伊藤姓7件。2000年電話帳。
〃 古間村下荒瀬原一二上水内郡 信濃町 荒瀬原 下荒瀬原
〃 安茂里村小路一四八七長野市 安茂里小路住沢姓12件。2000年電話帳。
〃 朝陽村北堀一一長野市 北堀
〃 〃北長池一一長野市 北長池 十二区
〃 〃南堀四五長野市 南堀
〃 水内村上條一四四八長野市 信州新町上条 千原田
〃 戸隠村中村三一長野市 戸隠豊岡 中村
〃 南小川村小根山二二上水内郡 小川村 小根山
〃 〃元町一九上水内郡 小川村 高府 二反田高府9732-1に村営住宅「ハイツ元町」がある。
〃 〃中島一四上水内郡 小川村中島の位置は要調査。
〃 〃西池一三上水内郡 小川村 小根山 細越 雨池西池は雨池の誤記。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
上水内郡 柵村西條四一農業藁工、日傭労働長野市 戸隠栃原 西条区
〃 若槻村稲田二九長野市 稲田
〃 〃東條一七長野市 若槻東条
〃 〃二五長野市 吉
〃 柳原村中俟二二長野市 柳原 中俣
〃 鬼無里村町区四七長野市 鬼無里 町鬼無里309-3に町区公民館あり。
〃 三水村坂下二二上水内郡 飯綱町 芋川 坂下
〃 七二会村笹平六九長野市 七二会甲 笹平
〃 浅川村東組一三七一長野市 浅川西条
〃 〃台ヶ窪二二長野市 台ケ窪
〃 〃押田長野市 浅川押田
〃 信濃尻村野尻一二上水内郡 信濃町 野尻
〃 榮村中條二三一四一長野市 中条 横町
上髙井郡 保科村矢原四二二六七長野市 若穂保科 矢原糸魚川で結婚差別を受け自殺したとされる星沢強の父の出身地区。若穂保科に星沢姓32件。2000年電話帳。
〃 〃赤ノ田一八長野市 若穂保科 赤野田
〃 井上村幸高四六二四八須坂市 井上 野庄、須坂市 幸高 七三河原 (2016年11月現在、ネットでは二睦町の地名がさまざまに表記されており統一されていない。たとえばYahoo!地図では須坂市井上(大字)に属する小字として二睦町の名が明記されている。グーグルマップにも二睦町の字名の記載が見える。また日本郵便の公式サイトにも須坂市二睦町の記載が見える。一方、マピオンには二睦町の存在が記載されていない。) 俗称「二睦町」 (朝日新聞長野支局「ルポ 現代の被差別部落」朝日文庫版p.47-48に「須坂市の井上町と幸高町にまたがる被差別部落69戸で作られた区(自治会)の名称である。江戸時代は井上村と幸高村に属していたのだが、大正時代(註:大正11年)に井上、幸高両区から独立させられた。(略)いまでも戸籍・地籍上は須坂市の大字井上と大字幸高に属している。くねくねと曲がった路地ばたの土塀にぶら下がった消火器具に『二睦町』と大書してあるのを見たが、こういう町が存在するわけではない」とある。同書p.63によると、「幸高の部落と井上の部落が集まってできたのだから二つ睦まじく」というのが町名の由来という。 。1969年の『部落』第21巻、第1~7号、54頁には「旧井上村幸高地区にある慶長七年の検地帳には、すでに土地と屋敷をもつ皮屋が記載されていた」の一文がある。地元民の発言に「幼稚園に行っている子どもでも二睦は弓田、弓田と言えば二睦であると言っており子どもでも差別をしている。一般の親たちが教えているのだと思う」とある。)

井上、幸高に高橋姓6件、弓田姓20件。2000年電話帳。
〃 〃福島一一八二須坂市 福島俗称「七番組」。小森姓16件。2000年電話帳。(『被差別部落の伝承と生活 信州の部落・古老聞き書き』(柴田道子、三一書房、1972)によると、大森という名主に遠慮して明治になってからつけた。)
長野県須坂市の二睦区の地図。部落と一般の境界線を朝日新聞の記事が詳細に記載している。
長野県長野市若穂保科の矢原区。部落である矢原区と一般である町滝崎区の境界線を朝日新聞の記事が詳細に記載している。朝日新聞長野支局「ルポ 現代の被差別部落」朝日文庫版p.67によると、矢原区の中心に一般の家が9軒ほどあり、これが町滝崎区の越境区民になっているという。ただし同書p.68によると、矢原区の一員になっている一般民の家も2戸あり、いずれも県外からの転居者である。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
上髙井郡 日滝村本郷三七二一四農業藁工、日傭労働須坂市 日滝 本郷町 北組
〃 豊洲村小河原一〇四一須坂市 小河原 新田町
〃 〃小島一〇八一須坂市 小島
〃 〃相ノ島二一須坂市 相之島
〃 小布施村三本木一九八四上高井郡 小布施町 小布施 中央俗称「昭和町」。北沢姓4件。2000年電話帳。
〃 〃唐沢一五五二上高井郡 小布施町 小布施 福原唐沢の地名は被差別部落の代名詞になったため福原と合併し消滅。高原姓2件、中村姓2件。その他、福沢姓、金田姓、林姓の住民が柴田道子『被差別部落の伝承と生活』53頁に登場するがいずれも0件。2000年電話帳。
〃 〃飯田四八上高井郡 小布施町 飯田
〃 〃押羽一二上高井郡 小布施町 押羽
〃 髙井村堀ノ内二五一二六上高井郡 高山村 高井 堀之内古川姓16件。2000年電話帳。
〃 〃一四六六上高井郡 高山村 高井 紫昭和初期に部落から村議の鈴木栄七が出た。鈴木姓8件。須加尾姓3件。2000年電話帳。
〃 〃五二上高井郡 高山村 牧須加尾姓7件。2000年電話帳。
〃 〃里部上高井郡 高山村 高井 黒部里部は黒部の誤記。須加尾姓4件。2000年電話帳。
〃 〃二ッ石上高井郡 高山村 高井 二ツ石
〃 都住町矢島二五一二七上高井郡 小布施町 都住 矢島
〃 山田村蕨手二一上高井郡 高山村 奥山田 蕨平蕨手は蕨平の誤記。
〃 〃馬場一六八九上高井郡 高山村 中山 枡形 馬場枡形に上野平姓4件。2000年電話帳。
〃 〃駒場五二上高井郡 高山村 中山 駒場霜方姓3件。2000年電話帳。




 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
上髙井郡 須坂町八幡四五農業藁工、日傭労働須坂市 墨坂 八幡町
〃 〃春木町一八須坂市 須坂 春木町
〃 川田村瀬在一五八一長野市 若穂川田 町川田 瀬在
〃 錦内村麦在野一一五九長野市 若穂綿内 麦在家麦在野は麦在家の誤記。
〃 日野村村山三八須坂市 村山
〃 〃塩川一六須坂市 塩川
下髙井郡 延徳村桜沢一一六二中野市 桜沢
〃 〃大熊一四四七中野市 三ツ和 大熊
〃 〃北大熊中野市 三ツ和 北大熊
〃 科野村赤岩五八中野市 赤岩
〃 〃三五中野市 越
〃 中野町仲町四六中野市 中央仲町は中町の誤記。
〃 倭村柳沢二八中野市 柳沢船頭筋の部落の一つ。
〃 〃岩井一二中野市 岩井
〃 日野村新野一四八二中野市 新野 宮下俗称「宮下組」。新野の小林姓の男性と結婚した一般地区出身女性の発言に「私と同じ日原の方から中野へ嫁いでいた人がいた訳です。その方の実家の方がね、どうも中野の小林さんは部落じゃなかっていう風に言われて、父が直接ききに来たそうです」とあり、それを中山英一が肯定している。新野に小林姓14件。2000年電話帳。
〃 〃髙遠中野市 新野 高遠
〃 穂波村佐野三七下高井郡 山ノ内町 佐野 立川

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
下髙井郡 穂波村戸狩二九農業藁工、日傭労働下高井郡 山ノ内町 戸狩 仲屋敷
〃 髙丘村草間二三中野市 草間芝内姓4件。2000年電話帳。
〃 平穏村上條一七下高井郡 山ノ内町 平穏 上條西下
〃 平岡村金井三八中野市 金井金沢姓1件。2000年電話帳。
〃 〃若宮四四中野市 若宮
〃 〃竹原中野市 竹原
〃 夜間瀬村本郷一五下高井郡 山ノ内町 夜間瀬 本郷
〃 瑞穂村関沢四六飯山市 瑞穂 関沢瑞穂に鷲野姓6件。2000年電話帳。
〃 〃犬飼一二七一飯山市 瑞穂 戸那子瑞穂571に犬飼神社あり。
〃 木島村安田四〇飯山市 木島 安田 土堤根船頭筋の部落の一つ。
〃 穂髙村中村二九下高井郡 木島平村 穂高 中村 横町
〃 上木島村大町一三下高井郡 木島平村 上木島 大町
〃 豊郷村野沢三二下高井郡 野沢温泉村 横落俗称「墓原(はから)」。
〃 住郷村毛見二六下高井郡 木島平村 往郷 中島『差別とのたたかい』によると中島。
〃 平野村片塩四二中野市 片塩小林姓10件。2000年電話帳。
下水内郡 飯山町奈良沢一六飯山市 飯山 奈良沢
〃 〃有尾一七九八飯山市 飯山 有尾




 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
下水内郡 豊井村上今井三六二五二農業藁工、日傭労働中野市 上今井高橋姓39件。2000年電話帳。「部落といわれるほとんどが川下にあるが、この村は一般が川下で部落が川上にある」、「県道は部落の上」という。地元では一般地区にも高橋姓があり、部落と祖先は同じという説がある。「ここの部落の仕事は、船頭がほとんどだった」。
〃 〃替佐三三二一六中野市 豊津 宮浦豊津に小橋姓42件。2000年電話帳。船頭筋の部落の一つ。
〃 永田村穴田一五四九中野市 穴田 日影
〃 秋津村静間一六一〇八飯山市 静間 中町北部
〃 常盤村戸狩一二飯山市 照里 戸狩
〃 〃大倉崎一八藁細工飯山市 常盤 大倉崎
〃 〃水沢一八飯山市 常盤 下水沢
〃 柳原村富倉飯山市 富倉 中谷
〃 〃大川飯山市 旭 大川
〃 水内村白鳥一〇下水内郡 栄村 豊栄 白鳥
〃 〃平滝下水内郡 栄村 豊栄 平滝
〃 太田村大坪三〇飯山市 豊田 大深大坪は大深の誤記。
〃 〃小境一一飯山市 豊田 小境
〃 〃今井飯山市 常郷 今井
〃 外様村尾崎飯山市 寿 尾崎寿に梨和姓2件。2000年電話帳。
〃 〃顔戸三三飯山市 寿 顔戸
長野市 川原崎町三八二〇二商業長野市 長野 新町俗称「片端」。川原崎は河原崎とも表記。




 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
長野市 西長野町三一一七八農業商業長野市 西長野 西長野町明治以前は腰村と呼ばれていた。木藤姓2件、2000年電話帳。木藤家からは舞台俳優の児島文衛(本名は木藤斂蔵)が出た。
〃 中御所町二六長野市 中御所 岡田町
〃 吉田北本町一〇五三長野市 吉田 北本町
〃 吉田押鐘町一〇六二長野市 吉田 押鐘
松本市 新屋町六八四〇八松本市 庄内新屋町は『部落とのたたかい』によると新家町。井ノ根姓1件。2000年電話帳。
上田市 柳原町五六二八三上田市 緑が丘 西緑が丘に砥石姓16件、成沢姓46件。成澤姓1件。中村姓14件。2000年電話帳。俗称「西脇山根(下山根)」。1949年、部落差別を理由に成沢から中村に改姓が認められた例あり。( 判決文によると「元来××区と△△区とは接続した部落で総戸数百三十五戸位あるが△沢氏が七十余戸あり又部落民である○石氏が二十余戸あって部落民でない△沢は一人も居らぬ」、「申立人の元祖は伴野姓を名乗って居ったところ永正三年(引用者注、1506年)四月十九日加○○(引用者注、加賀美)姓に改め、其後五代経過した寛文十年(引用者注、1670年)加○○善六行信が当時の江戸浅草箭野(註:矢野)弾左ェ門頼兼氏から永帳巻物写しを申し受けるために長吏○沢与兵衛の身内に加り、爾来○沢姓となったものである」。△沢の改姓は、1948年10月11日の上田家事審判所では却下されており、1949年5月19日の東京高裁判決では許可されている(『氏の変更(唄孝一・家族法著作選集 第2巻)』唄孝一、日本評論社、1992)。△沢は成沢で改姓後の姓は中村、○石は砥石と明記している(『部落 第56号』部落問題研究所、1954)。
〃 豊原町四四二五九上田市 緑が丘 北緑が丘2-7-13に豊原古墳あり。俗称「鎌原山根(上山根)」。
〃 諏訪部町二五一五五上田市 常磐城俗称「坂下」。1706年の明細帳では上田藩最大の部落だった。上記の西脇・鎌原(両山根)も諏訪部から分かれた部落。成沢英雄(成沢栄寿の父)の出身地区。成沢姓11件、成澤姓1件。2000年電話帳。 (判決文によると「元来××区と△△区とは接続した部落で総戸数百三十五戸位あるが△沢氏が七十余戸あり又部落民である○石氏が二十余戸あって部落民でない△沢は一人も居らぬ」、「申立人の元祖は伴野姓を名乗って居ったところ永正三年(引用者注、1506年)四月十九日加○○(引用者注、加賀美)姓に改め、其後五代経過した寛文十年(引用者注、1670年)加○○善六行信が当時の江戸浅草箭野(註:矢野)弾左ェ門頼兼氏から永帳巻物写しを申し受けるために長吏○沢与兵衛の身内に加り、爾来○沢姓となったものである」。△沢の改姓は、1948年10月11日の上田家事審判所では却下されており、1949年5月19日の東京高裁判決では許可されている(『氏の変更(唄孝一・家族法著作選集 第2巻)』唄孝一、日本評論社、1992)。△沢は成沢で改姓後の姓は中村、○石は砥石と明記している(『部落 第56号』部落問題研究所、1954)。 )
〃 中之條町一一八四上田市 中之条 千曲町
〃 御所町三七上田市 御所
計二一六三三三三九五六二四〇三六

※このほか千曲市屋代に長野県水平社埴科屋代支部があった。



zannin666 at 05:48|Permalink ドエッタにおける穢多族の報告 〔長野県〕 

22.Juli.2017

POP TATARI

山梨県





概況

県内の被差別部落の数は1921年度の調査では20、1935年の調査では23にのぼる。戸数と人口は、それぞれ295戸1745人、341戸1818人であった。1963年の総理府調査では被差別部落の数は18市町村に26地区と報告されたが、県内では6市町村で6地区(住民は合計350人)だけが同和地区指定を受けた。

川元祥一は、県下の部落数を36ヶ所、うち30-40戸の部落が4ヶ所あり、それらが県下最大級であると記す。
山梨県未解放部落分布図(1965).jpeg

北杜市明野町上手(あけのちょう うえで)には、1980年当時の資料で35戸という県内最大規模の被差別部落(1980年に同和地区指定)があり、この部落に特徴的な姓は「沓川」である。

北杜市須玉町藤田には戸数15戸の未指定地区がある。また北杜市武川町宮脇にも被差別部落がある。「明野村にはN地区のほかにI地区6戸、NG地区6戸がある」とも、山名伸作は記している。前者は板垣、後者は西組と思われる。

笛吹市一宮町田中にも未指定地区があり、1989年当時は戸数51戸、人口100人であった。この一宮町田中地区からは鎌倉市長で衆議院議員の山本正一が出ている。「歩いていると無人のYさんの家がある。Yさんは鎌倉市長になり、神奈川県選出の国会議員にもなった人である。郷土を愛した彼は家を手入れして残していたが、生前この地へは帰らなかったという。立身出世した部落出身者が生涯故郷へ帰らなかったという話を聞くことがあるが、この人もまたどんな思いを持ち続けていたのだろうか」と伝えられる。

甲州市勝沼町等々力(旧・等々力村箕輪)には甲州街道沿いに戸数5戸の未指定地区がある。

都留市つる(旧・下谷)の被差別部落は1976年当時で人口約180人を数えた。





山梨県の被差別部落の統計

調査年地区数戸数人口
1907年353702394
1920年202951745
1921年202951745
1929年3月末-6463687(男1911+女776)
1935年233411818
1942年-5821592
1963年23834地区全体12298、同和関係2364
1967年5地区全体148、同和関係148地区全体700、同和関係700
1985年6地区全体191、同和関係105地区全体667、同和関係351
1987年6105351
1993年6地区全体1463、同和関係94地区全体3956、同和関係293



山梨県では「穢多・非人」ではなく「エッタ・野守」という言い方をする人が多い。1873年、明治政府が太政官布告第225号で下級警察官を「番人」と改称する旨の通達を出したところ、「番人」が多くの地方で非人の異称だったために反発を受け、布告の撤回を余儀なくされ、1875年には「巡査」の語に統一して今日に至っている。ところが山梨県では太政官布告を忠実に実行し、下級警察官を番人と呼ぶ代わり、非人を「野守」と呼ぶことにした、という経緯があった。

この野守の中には結婚差別を受けている家もあれば受けていない家もあり、両者の差は、獣皮を扱ったか否かの点にあるという。説教強盗として知られた妻木松吉は西八代郡市川大門町(現・市川三郷町)の野守の子孫であった。

初代市川團十郎の父の堀越重蔵(十蔵とも。通称「菰の重蔵」)は甲州市川郷下の高田(現・山梨県西八代郡市川三郷町高田)にルーツを持つ非人の出との説がある。

『東日本の被差別部落』(明石書店)15頁によると、県内の被差別部落の数は50地区前後である。

文献



全國部落調査(1935年)

山梨縣 昭和十年九月現在

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
東山梨郡 等々力村 箕輪箕輪八二農業牛革、藁細工中下甲州市 勝沼町等々力 箕輪元寇の後の捕虜が祖という伝承がある。
東八代郡 黒駒村 下黒駒長田四六履物製造笛吹市 御坂町下黒駒
〃 富士見村 砂原砂原区内八丁笛吹市 石和町砂原消滅。全盛期は40戸。笛吹川氾濫が続いたため、笛吹川右岸の住地(東河原)を捨て、対岸や東京都、甲州市、周辺各村に転出した。1967年の資料で3戸、12人。うち1戸は近村に移転しており、塚原美村は「遅かれ早かれ、全戸が消滅するのでは」と予想。
〃 一宮村 田中田中三四一九六履物製造笛吹市 一宮町田中山口姓(『未解放部落』(塚原美村、雄山閣出版、1967)に「ムラには、山口姓(四戸)、近津姓(一戸・今改姓)があって、その伝承を今に伝えている」とある。笛吹市一宮町田中の地区は、1564年(永禄7年)の川中島の合戦で、武田信玄の家臣の山口藤左衛門と近津宗十郎が、僧を捕えて連行したのが起源と伝える。寺は浄土宗。 )10件、鴨下姓3件、高橋姓5件、宮下姓4件。2000年電話帳。
西山梨郡 里垣村 板垣東板垣五二三一三農業、商業、工業履物製造其他甲府市 善光寺1937年に板垣が善光寺に改称。
中巨摩郡 龍王村下河原一六農業甲斐市 竜王 下河原竜王に加賀美姓6件。2000年電話帳。
〃 敷島村 下條町屋南区町屋南区一六六七藁細工甲斐市 中下条



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
中巨摩郡 大井村 下宮地下宮地一六草履表製造農業中、下南アルプス市 下宮地
〃 〃 鮎沢鮎沢三〇食肉、製靴、草履表南アルプス市 鮎沢
〃 〃 古市場古市場一七七六食肉、草履表、行商南アルプス市 古市場南湖姓4件。2000年電話帳。
〃 明穂村 東村東村二〇九六農業、食肉、履物南アルプス市 小笠原
北巨摩郡 圓野村 下圓井下圓井七一農業韮崎市 円野町下円井
〃 〃 下圓井上圓井一一韮崎市 円野町上円井
〃 若神子村 竹ノ内赤坂一五六九北杜市 須玉町若神子若神子の読み方はワカミコ。江戸時代に明野町上手の部落から分かれて成立したとの説あり。水害で1898年以降に21戸が転出しており、15戸となった。「全村赤坂を姓とする。十六戸ばかり、農家である」。赤坂姓8件。2000年電話帳。
〃 武川村 宮ノ脇 字原宮ノ脇原一一四六北杜市 武川町宮脇
〃 日野春村 長坂上條向村四五履物製造北杜市 長坂町長坂上条部落名の別称は富士塚、中尾根、茶屋。塚原美村の説によると、茶屋は鉢屋(隠亡と同じ)の転訛であり、北杜市須玉町若神子から移転してきたともいわれる。
〃 菅原村 白須白須一六五〇商業北杜市 白州町白須
〃 〃 台ヶ原台ヶ原一九北杜市 白州町台ヶ原
〃 上手村 西村西村三七二〇七藁細工北杜市 明野町上手 明野町上手に沓川姓8件。新井姓7件。清水姓28件。2000年電話帳。同地では、地区指定をめぐって対立があり、38戸中10戸が地区指定を受けていた。小字が現在の西村かどうかは要検証。( 『関東の部落を行く』(川元祥一、解放出版社、1980)156頁には「N部落以外の近隣の村には沓川姓は存在しない」とあるが、沓川姓の分布を見ると明野町上手の2300番台から2500番台の番地に集中しており、ここは現在「明野町上手西村」と呼ばれている地域ではない。座標値でいうと35.756821, 138.440191の近辺。同書161頁には「N部落の近くに現在五、六戸のO被差別部落がある」ともある。上手大久保の可能性。また明野町上手藤内(とうない)には猿舞部落もあった。「此の村に『藤内(トウナイ)と云ふ部落ありて、部民は昔は猿舞なりしといふ。現今は一般より蔑視せられず、又何等差別的の取扱を受くることなし」と『甲州の藤内(トウナイ)』(甲府 河村竹三郎『民族と歴史(復刻版)第6巻 第2号』(民族と歴史編輯所編、不二出版、1997)所収)にある。同地に藤内姓3件あり。2000年電話帳。 )
〃 韮崎町 下反畝下反畝一四漁業韮崎市 大草町下條中割『韮崎市誌』(1978年)255頁に「反畝」の地名がある。
〃 塩崎村 宇津谷宇津谷一七九九農業、食肉、履物甲斐市 宇津谷
〃 安都玉村 横森横森四六農業、道路工夫北杜市 高根町村山北割 西横森
南都留郡 谷村町 下谷鷹巣鷹ノ巣四四二四〇農業、食肉、其他商業都留市 つる谷村の読み方はヤムラ。1977年に下谷の一部からつるが成立。遠藤姓19件、近藤姓20件。2000年電話帳。
計一九二三三四一一八六四


塚原美村『未解放部落』

山梨県下未解放部落の戸数・人口調(1965年)

地域戸数人口現在地
本竜王630甲斐市 竜王
中下条2074甲斐市 中下条
小笠原825南アルプス市 小笠原
鮎沢312南アルプス市 鮎沢
古市場1355南アルプス市 古市場
板垣39159甲府市 善光寺
千塚517甲府市 千塚
韮崎310韮崎市 旭町( 塚原美村『未解放部落』237頁に「韮崎市(旧韮崎、旭)」とある。同書217頁には「前述の千塚の五戸、南塩部の四戸や加納岩五戸は、街中にあって、経済的余力が多く、甲府市、山梨市に包摂されているだけに、社会的にも交際の幅が広い。ところが、同じ、街中にあっても、その末端に位置する韮崎(下宿)一部は、玩具の露天商、日雇、ブリキ職人の三戸、人口一○人として、経済的、社会的に恵まれない生活を余儀なくしている」ともある。現在、韮崎市本町に下宿交差点がある。
西横森835北杜市 高根町村山北割字西横森
長坂上条2062北杜市 長坂町長坂上条
若神子1656北杜市 須玉町若神子
白須1138北杜市 白州町白須
台ケ原415北杜市 白州町台ヶ原
下教来石416北杜市 白州町下教来石
宮脇1135北杜市 武川町宮脇
青木、下円井623韮崎市 清哲町青木、韮崎市 円野町下円井
浅尾新田521北杜市 明野町浅尾新田
上手下40201北杜市 明野町上手
宇津谷1974甲斐市 宇津谷
八丁312笛吹市 石和町砂原
小曲23甲府市 小曲町
等々力829甲州市 勝沼町等々力
下町屋1042笛吹市 御坂町下黒駒 (県下に南巨摩郡身延町手打沢字下町屋という地名もあるが、塚原美村『未解放部落』283頁の「山梨県未解放部落分布図(1965)」によると下町屋地区の別名は長田地区であり、身延町の下町屋とは位置が異なる。) 
南田中44192笛吹市 一宮町田中
新浜516笛吹市 八代町南 新浜
下谷43217都留市 つる
計263561469
  • 備考(原文ママ)
  1. 対象ムラは、ここにあげた中地域の一部を形成している。
  2. 混在戸の一部を省略した。
  3. すべて世帯数による。

上掲の図表で省かれた混在戸に南塩部(4戸あるいは5戸あるいは6戸)と加納岩(5戸、17人)がある。前者は現在の甲府市塩部、後者は山梨市上神内川・下神内川と思われる。同書283頁の「山梨県未解放部落分布図(1965)」には、酒折(現・甲府市酒折ならびに酒折町)と板橋(現在地不詳)の地名もある。酒折の被差別部落は4戸を数える。

同書によると、明野村上手下(現・北杜市明野町上手)の被差別部落民は、武田信玄のおばで癩患者だった武田春姫の従士や小人の子孫と伝えられる。従士の氏名は馬場忠右衛門と沓川源太郎、小人の苗字は真水(2名)、藤木、古井、下山(2名)であり、1967年の段階で上手下の馬場姓は滅びていたものの、沓川は8戸残っていた。清水(8戸)は真水の訛り、新井(5戸)は古井の訛り、山本(9戸)は下山の訛りとされている。

南田中(現・笛吹市一宮町田中)の被差別部落民は、武田信玄の家臣の山口藤左衛門や近津宗十郎の末裔との言い伝えがある。1967年の段階で同地区には山口姓が4戸あり、近津姓も1戸あったが改姓したという。2000年の電話帳では東山梨郡勝沼町等々力(現・甲州市勝沼町等々力)に近津姓が1件ある。1936年頃の中央融和事業協議会による経済厚生指導者講習会の指導者の一人に、等々力の近津朝吉がいる。

塚原美村は、山梨県の被差別部落出身の「対外的活動家」として以下の面々を挙げている。

  • 雨宮清一郎
  • 小林明
  • 沓川孫次
  • 山本久次
  • 遠藤朋三郎( 塚原美村『未解放部落』193頁には近藤朋三郎とあり、どちらが正しい氏名なのか要調査。1942年から5年間にわたり谷村町会議員をつとめ、都留市つるの下谷部落(鷹巣地区)の改善に貢献した人。)
  • 亀井一豊
  • 中根武雄
  • 近津朝治郎
  • 宮下鶴吉
  • 宮下慶太郎
  • 山口定雄
  • 中山仁蔵
  • 高橋俊春
  • 田中穂吉
  • 高橋弥太郎
  • 高橋崇志
  • 清水義典
  • 日向照
  • 赤坂徳太郎
  • 沓川愷太郎
  • 山本保則
  • 宮下馨
  • 山下貴志

施設等



白山神社

  • 甲府市中央3-7-11(甲斐奈神社)祭神の一つが菊理比売命。
  • 甲府市下積翠寺町1109
  • 甲府市心経寺町1215
  • 甲府市下向山町892(佐久神社)祭神の一つが菊理姫命。
  • 甲府市和戸町1230(藤建神社)祭神は菊理姫命。
  • 甲州市塩山上粟生野547(喜久理神社)祭神は喜久理比賣命。
  • 甲州市塩山下萩原2040(柏原神社)祭神は喜久理姫神。
  • 北杜市明野町上神取1070
  • 北杜市長坂町夏秋948
  • 北杜市白州町花水2040-1
  • 都留市つる5-948-1
  • 上野原市棡原5460
  • 山梨市上栗原854(建岡神社)祭神の一つが菊理姫命。
  • 山梨市一町田中273
  • 南アルプス市築山933
  • 韮崎市神山町鍋山2584
  • 韮崎市旭町上条北割998-2
  • 韮崎市旭町上条北割996
  • 笛吹市一宮町田中137-1
  • 笛吹市一宮町地蔵堂399(諧神社)祭神は菊理姫命。
  • 笛吹市境川町大黒坂875
  • 南巨摩郡富士川町鰍沢2329(八幡神社)祭神の一つが菊理姫命。
  • 南巨摩郡富士川町大椚257
  • 南巨摩郡身延町道1149
  • 南都留郡西桂町倉見1029
  • 南都留郡富士河口湖町浅川1039

旧・甲斐国で弾左衛門の支配下にあったのは下谷一部(現・都留市つる)だけで、そのほかはすべて甲府勤番支配下の牢番役直接支配のもとにあったとされる。しかし白山神社と被差別部落の関係を見ると、弾左衛門支配下ではない韮崎市旭町や笛吹市一宮町田中の被差別部落にも白山神社の存在が確認できる。



小集落改良住宅

  • 改良住宅 - 都留市つる五丁目地内



同和対策集会所

  • 都留市鷹の巣集会所 - 都留市つる五丁目13番15号




関連団体

  • 全日本同和会山梨県連合会 - 山梨県甲府市上町601-4
  • 全日本同和会山梨県連合会 - 山梨県甲府市宝1-21-20
  • 部落解放同盟山梨県連合会 - 山梨県甲府市北口1-8-3 野沢順次方 ℡0552-53-6073
  • 部落解放同盟山梨県連合会準備会 - 山梨県北巨摩郡長坂町上条52 大石義方(大石は長野県小諸市の部落出身)


zannin666 at 08:01|Permalink ドエッタに関する穢多族に関する報告〔中部地方 山梨県〕 

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福井県


概況



福井県における戸数別被差別部落分布図.jpeg




明治初年若越諸藩の賎民の戸数

穢多非人
福井46〔穢多数〕130
丸岡3〔穢多数〕
鯖江3〔穢多数〕
加知山13(穢多と非人の合計)

穢多非人の存在は、このほかに大野藩・勝山藩・小浜藩で知られていた。「越後の村上藩領の河川水運従事者がワタリ・タイシとして賎視されたことはよく知られているが、このほか越前でもチヤシとよばれる川船業者が差別されていたという」と深井甚三『江戸の旅人たち』196頁にある。詳細は牧野信之助「越前のインナイ・チヤシ・コシロ」(『民族と歴史』6巻3号、1920年)を参照。



福井県の被差別部落の統計

調査年地区数戸数人口
明治初年不明嶺北だけで2042242(穢多1636、非人606)
1907年205082938
1921年54782318
1935年65592892
1942年-5822949
1946年--2892
1958年67963811
1963年8860地区全体3847、同和関係3627
1967年9地区全体937、同和関係758地区全体4043、同和関係3312
1971年7地区全体1469、同和関係880地区全体5786、同和関係3520
1975年7地区全体1063、同和関係944地区全体3900、同和関係3534
1985年7地区全体1063、同和関係944地区全体3900、同和関係3534
1993年6地区全体793、同和関係773地区全体2692、同和関係2636

明治初年、県下の穢多非人の戸数と人口は、嶺北地方で204戸・772人、嶺南地方で1470人(戸数は不明)であった。

福井県は1912年の内務省調査では20ヶ所の被差別部落の存在を認めていたが、1921年の統計では5ヶ所に減っていた。これは、非人部落を除外したためである。県内の穢多部落は7ヶ所、残りの13ヶ所は非人部落と本田豊は主張している。

被差別部落

  • 三方郡美浜町南市(旧・耳村) - 県下最大の被差別部落。1984年7月の資料で世帯数は394、 人口は1352人。
  • 三方郡美浜町佐柿 - 1984年7月の資料で126世帯、410人。『日本同和新報 1986年11月5日号』(日本同和新報社) にOのイニシャルで登場する小倉地区も佐柿にあり、耳村から改良事業で移転した地区で90戸。
  • 三方郡美浜町金山 - 1984年7月の資料で22世帯、87人。
  • 三方郡美浜町木野 - 1986年11月の資料で20戸。
  • 大飯郡高浜町西三松 - 1982年当時の資料で戸数80戸以上。
  • 小浜市遠敷 - 1982年当時の資料で戸数200戸以上。1984年7月の資料で対象地区は270世帯、940人。

その他、福井市や武生市(現・越前市)、敦賀市にも被差別部落がある。福井市の被差別部落は穢多系で戸数は30~40戸ほど、福井県庁の近くの川べりにあるという。敦賀市の被差別部落は三島町にある。本田豊『白山神社と被差別部落』91頁に「福井県敦賀市の部落には弾左衛門が由緒書を送りつけているが、ここでは綴神社を祀っており、白山神社はみあたらない」とあるのは「畷神社」の誤植である。

1975年6月の調査によると、大飯町(現・おおい町)にも被差別部落がある。美浜町のみ3地区あり、他の市町は1地区ずつなので計7地区である。世帯数は約20戸から約270戸まで。県内の被差別部落民の数は計3500人以上にのぼる。

文献



全國部落調査(1935年)

福井縣 昭和十年三月現在



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
敦賀郡 敦賀町 三島三島十一組七五三七〇日傭、農、工、商日稼敦賀市 三島町山形姓5件。2000年電話帳。
三方郡 耳村南市二三〇一二三〇農、日稼藁工品、土工三方郡 美浜町 南市、河原市仲島姓4件、仲嶋姓3件、仲嶌姓2件。2000年電話帳。五木ひろしの出身地。同和会系が支配し、一般民と混住。南市から同和対策事業で分出した地区に小倉がある。同和会が強く、戸数は約90。美浜町佐柿44−13にある美浜町役場小倉会館の付近。
〃 南西郷村 金山久保一五八二農業出稼三方郡 美浜町 金山
遠敷郡 遠敷村 遠敷遠敷第二區一七一八五七農、日稼藁工品小浜市 遠敷幸池姓24件、仲野姓5件。2000年電話帳。全解連が強い。
大飯郡 本郷村 本郷本郷十四區一八一〇二石灰仕上工、農大飯郡 おおい町 本郷浜内姓7件、浜田姓12件。2000年電話帳。
〃 靑郷村西三ッ松五〇二五一大飯郡 高浜町 西三松丹後街道沿い(東三松)で皮革業・街道警備の仕事に就いていた人々が皮革の臭いを理由に海沿いの西三松へと移され成立した部落。西三松6-21-8に福井県唯一の部落解放同盟支部があり、その隣に川一本隔ててある15戸ほどの非人部落は全戸が一つの苗字であると本田豊は『新版 部落史を歩く 非人系部落の研究』22頁に書いている。この記述は東三松の梅垣姓が該当する。東三松に梅垣姓17件。西三松に浜岸姓4件。濱岸姓1件。2000年電話帳。「この高浜原発と目と鼻の先にあるのが、高浜町西三松部落。前は海、後ろは山にはさまれて、八〇戸あまりの家が建ち並ぶ。ほとんどが民宿を経営している」とも。同地には、以下の姓の民宿、旅館がある。池田、石橋、大角(2戸)、大谷、奥本、河合、高橋、山口(2戸)、山下(2戸)、山本。部落解放同盟福井県連合会委員長の姓も山下。
計六五五九二八九二

※作家の水上勉は福井県大飯郡おおい町岡田字小近谷の棺桶職人の息子で、小近谷は乞食谷とも呼ばれていた。被差別部落であるとの説もあるが、『全国部落調査』には記載がない。内務省調査を確認する必要がある。



施設等



隣保館

  • 福井県隣保館連絡協議会 - 福井県小浜市遠敷1-201 小浜市立遠敷会館内



関連団体

  • 部落解放同盟福井県連合会 - 福井県大飯郡高浜町西三松6-21-8 三松センター内
  • 部落解放同盟福井県連合会木野支部 - 福井県三方郡美浜町
  • 部落解放同盟福井県連合会小倉支部 - 福井県三方郡美浜町
  • 部落解放同盟美浜町協
  • 全日本同和会福井県連合会 - 福井県三方郡美浜町南市9-13-3 美浜町文化会館


zannin666 at 07:39|Permalink ドエッタにおける穢多族における報告〔福井県〕 

21.Juli.2017

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石川県



概要



石川県・富山県における戸数別被差別部落分布図.jpeg

県内の被差別部落や被差別部落民の数について、現在の公式統計ではゼロとされているが、本田豊は70ヵ所、1万人ほどと推定している。

金沢市には江戸時代に「非人町」「隠亡町」と呼ばれた町があり、非人頭と配下の非人が住んでいた。また「穢多町」と呼ばれた町もあり、皮革職人が住み、享保年間には戸数41戸を数えた。なお加賀藩でいう藤内は隠亡のことであり、穢多は皮多と同義である。藤内は穢多と違って牛馬の皮剥を業としないことから、穢多の上輩とされていた。「加賀藩では、藤内は斃牛馬処理はおこなわず、主として警察、刑場関係の下役人足をつとめ、皮多は下役人足をやらず、皮関係に専従した」と成沢栄寿は記す。

現在では「非人町」「隠亡町」と「穢多町」は融合し、浅野川の流れに沿って約300戸の被差別部落を形成している。これは金沢市京町(旧称・浅野中島)のことと思われる。この町は旧称を浅野新町といい、江戸時代は浅野非人町ならびに浅野隠亡町と呼ばれていたが、1871年の太政官布告で改称・合併されたものである。ただし前田利家の入城前の穢多町は松原町(現・香林坊1丁目、尾山町)にあったが、やがて枯木橋のたもと(現・橋場町付近)へ移された。

承応元年(1652年)、加賀藩は藤内頭支配の者に就き、7人の非人頭を択ばしめ、石川郡中村領・加賀郡浅野中島村領に居屋敷を与えたが、そのうち中村は、寛文12年(1672年)6月の洪水に流失したから、笠舞村領の川原を替地とした。今日、金沢市笠舞1丁目5-15に「非人清光の碑」がある。また金沢市内では梅沢町(旧称は浅野中島村の地内字梅沢)も皮多系の被差別部落であった。

その他、石川郡米丸村(現・金沢市)、石川郡戸板村(現・金沢市)、石川郡観音堂町(現・金沢市)、石川郡松任町(現・白山市)、野々市市、七尾市、小松市にも被差別部落が存在する。特に戸板村には穢多身分の上輩である藤内の頭の屋敷があった。『加越能各町戸数寺社等調』によると七尾市の所口町には加越能最大の部落があったというが、『全國部落調査』に所口町の地名は見えない。






石川県の被差別部落の統計

調査年地区数戸数人口
明治初年不明不明非人0、穢多11695( 穢多に関しては藤内(とうない)などの雑種賎民を含む数字であろうと本田豊は 『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』122頁で推測している。            
1907年838064064
1921年319664670
1935年475632671
1942年-4061907
1963年4778地区全体3710、同和関係389

1921年調査には金沢市の浅野川沿いの一地区が「234戸・841人」として登場するが、ここは被差別部落というより在日朝鮮人地区であり、1935年の『全國部落調査』では一覧から除外された。

『石川県鹿島郡誌』によると、焼尾(現・鹿島郡中能登町。正確な位置は不明だが鹿島郡中能登町石動山子1番地の伊須流岐比古神社の近く)の部落民は垂仁天皇第八ノ護津別命に随従して移住してきた十二臣の末裔との伝承を持ち、戸数は6。命の墓と伝える古墳を誉津石(よづいし)権現と称し、墓を守って暮らしていた。「焼尾の部落民は山僧のため婦女子を刧(おびやか)さるゝを恐れ彼等を近付かしめざるがため自ら欺きて穢多を称せしなり」と同書にある。

竹細工は部落の専業といわれてきた。反戦川柳作家の鶴彬(出生名は喜多一二)は河北郡高松町(現・かほく市)の竹細工職人の息子だが、高松町の部落は『全國部落調査』に記載が見えない。



文献




全國部落調査(1934年)

石川縣 昭和九年一月現在




 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
金澤市 浅野新町八五四一五日稼藁細工金沢市 京町1966年に浅野新町が京町に改称。
〃 梅沢町五一二一二金沢市 京町、梅沢町1966年に梅沢町の大部分が京町となる。現在の梅沢町に民家はなく電車の線路のみがある。梅沢町は穢多系の部落で非人系の部落の浅野新町と融合し京町になった。本田豊が『新版 部落史を歩く 非人系部落の研究』24頁で「金沢市内にある大きな部落の場合には7割がかつての『非人』であって残りが『エタ』である」と書いているのは京町のこと。
能美郡 中海村 原四七小松市 原町道上姓2件。2000年電話帳。
〃 〃 中一一小松市 中海町1955年に中が中海町に改称。
〃 湊村一三農業白山市 湊町
〃 寺井野町 寺井一六漁業能美市 寺井町



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
石川郡 松住町 北町二一日稼藁細工白山市 旭町松住町は松任町の誤記。北町踏切が旭町にある。
〃 戸板村 向増泉六五二七二日稼、職工、雑業金沢市 大和町1943年に向増泉が大和町に改称。
〃 〃 南廣岡二二金沢市 南広岡町
〃 〃 向中三一金沢市 向中町
〃 野々市町五一二五四日稼藁細工野々市市現在の本町のどこかである可能性が高い。要調査。古くは狐藪(現在の菅原町)に刑場があったと伝えられる。
〃 鶴來町一九一二〇日稼、漁業白山市 白山市の旧・鶴来町域。すなわち、明島町、鶴来朝日町、荒屋町、行町、安養寺町、安養寺、井口町、鶴来今町、鶴来後山、鶴来大国町、大竹町、小柳町、鶴来上東町、鶴来桑島町、坂尻町、三宮町、七原町、柴木二丁目、柴木町、鶴来下東町、白山町、鶴来新町、鶴来清沢町、曽谷町、知気寺町、鶴来知守町、鶴来千原、月橋町、道法寺町、富光寺町、中島町、中ノ郷町、熱野町、鶴来日詰町、日御子町、日向町、鶴来日吉町、深瀬新町、部入道町、鶴来古町、鶴来本町一丁目~四丁目、鶴来水戸町、鶴来水戸町二丁目~四丁目、明法島町、明光一丁目~四丁目、森島町、八幡町。被差別部落の位置は要調査。
〃 旭村八田三三藁細工白山市 八田町
〃 笠間村 笠間一四五〇日稼藁細工白山市 笠間町
〃 米丸村 中五〇二二九金沢市 中村町1935年に中から中村町に改称。『石川県石川郡誌』第49章米丸村によれば、中村神社について「中に鎮座す。郷社にして、武甕槌命・経津主神・天児屋根命・比咩大神を祀り」とある。この中村神社は中村町16にある。中村神社参考
〃 安原村 下福増二〇一一〇農業魚行商金沢市 福増町1954年に下福増が福増町に改称。
〃 〃 打木一六八八漁業藁細工金沢市 打木町
〃 福留村 福留一三白山市 福留町浅野姓1件、林姓3件。2000年電話帳。
河北郡 森本村 南森本二二日稼金沢市 南森本町
〃 〃 吉原五二左官金沢市 吉原町
〃 七塚村 白尾一六八三藁細工日傭かほく市 白尾
羽咋郡 志加浦村 町二六日稼羽咋郡 志賀町 町志賀町の中にある「町」という町域。
〃 末森村 今浜雑業羽咋郡 宝達志水町 今浜



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
羽咋郡 志雄村 吉野屋二六農業羽咋郡 宝達志水町 吉野屋
〃 西土田村 佛木二一農業藁細工羽咋郡 志賀町 仏木
〃 堀松村 北吉田一〇履物製造羽咋郡 志賀町 北吉田
〃 〃 末吉一三製皮羽咋郡 志賀町 末吉
〃 高浜町 大念寺一〇六七農業日傭羽咋郡 志賀町 高浜町
〃 富來町 地頭町三二羽咋郡 志賀町 富来地頭町
〃 〃 領家町羽咋郡 志賀町 富来領家町
〃 西浦村 笹波一八漁業羽咋郡 志賀町 笹波
〃 邑知村 飯山一五商業羽咋市 飯山町
〃 〃 神子原一〇農業日傭羽咋市 神子原町
鹿島郡 七尾町 日吉町三八日稼七尾市 郡町『七尾町誌』の地図によれば、大地主神社付近、現在は山王湯とサイクルメディアショップJ&Jがある区画に日吉町があった。
〃 矢田郷村 竹町二二八九七尾市 竹町「竹町村の藤内居住地は、能登半島でももっとも人口の多い地区で、鹿島郡内に二人いた藤内頭の一人を擁し五郎左衛門と称した。そして『加賀藩史料』(第12編)の「竹町村藤内由来」によれば、伝承として東北地方へ近世初期から薬売りに出かけていたことが知れる」(部落問題研究所編『部落の生活史』178頁)
〃 東島村 野崎七尾市 能登島野崎町
〃 〃 鰀目七尾市 能登島鰀目町
〃 能登部村 能登部二三農業鹿島郡 中能登町 能登部上、能登部下雨の宮古墳群が近い。
〃 崎山村 鵜浦一三藁細工七尾市 鵜浦町
〃 石崎村一〇日稼七尾市 石崎町



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
鹿島郡 御祖村 小田中二四履物製造鹿島郡 中能登町 小田中崇神天皇皇子大入杵命墓あり。
〃 赤藏村 北側一六日傭、醫師七尾市 三引町付近旧・赤蔵村(のち和倉町を経て田鶴浜町)北側の位置は要調査。
〃 〃 上野側一七農業七尾市 三引町付近旧・赤蔵村(のち和倉町を経て田鶴浜町)上野側の位置は要調査。現在の七尾市上野ケ丘町(旧住所の鹿島郡田鶴浜町上野ケ丘)付近の可能性。
鳳至郡 三波村 矢波一三漁業鳳珠郡 能登町 矢波
〃 〃 波並一一鳳珠郡 能登町 波並
〃 〃 藤波一三鳳珠郡 能登町 藤波
〃 諸岡村 道下三二日稼輪島市 門前町道下
計三四四七五六三二六七一




施設等




関連団体

  • 部落解放同盟北陸事務所 - 石川県金沢市西念3丁目3-5
  • 全日本同和会石川県連本部 - 石川県金沢市玉鉾1-47-1



zannin666 at 07:46|Permalink ドエッタに関する穢多族の報告〔石川県〕 

16.Juli.2017

POP TATARI

富山県





概況

県内の被差別部落や被差別部落民の数について、現在の公式統計ではゼロとされているが、本田豊は250ヵ所以上、1万5000人ほどと推定している。

石川県・富山県における戸数別被差別部落分布図.jpeg



県内の被差別部落

  • 富山市清水町 - 1921年の段階で戸数77戸。県下最大の被差別部落。
  • 滑川市加島町(旧・西町)
  • 高岡市千石町ならびに扇町一丁目(旧・横田新町)
  • 射水市(旧・新湊市)放生津
  • 小矢部市今石動町

その他、野村(現・高岡市)、魚津町(現・魚津市)、泊町(現・朝日町)、福光村(現・南砺市)、城端村(現・南砺市)、戸出村(現・高岡市)、氷見町(現・氷見市)、新庄村(現・富山市)にも被差別部落が存在する。井波町(現・南砺市)、中田町(現・高岡市)にも存在する。



富山県の被差別部落の統計

調査年地区数戸数    
明治初年不明不明穢多1430 〔人口を指す以下も同様。〕
1907年-1484   8793
1921年2201444   8242
1935年2331601   8132        ※解放新聞社編『被差別部落 東日本編』143頁では「1935年の融和事業協会の調査」として「334部落、1571世帯、8132人」の数値が記されているが、『全国部落調査』と一致しているのは人数のみ。理由は不明。  
1946年--   7052
1961年4不明904
1963年4383地区全体1597、同和関係904

富山県の規模別被差別部落数

地区数
1~10戸204
11~20戸14
21~30戸6
31~40戸6
51~100戸3
100戸以上0
総計233
私の村は全部コンドウっていいます。ところが、初めて会った人にコンドウですという
と、ああ近藤さんですかと話をする
んですけれども、名刺を出すととたんに相手の顔がひきつってくる。それはなぜかとい
うとね、字が違うんですね。お堂の
堂を書くっていうんですよ。で、一軒だけ藤田さんの藤がありますが、これは明治の時
に役所が間違えたと、こういってら
れましたがね。なにも近堂が、被差別部落だけの名字でもなんでもないんだけども、相
手はそれをしるしにしていて、顔をこわばらせる。それを見ていると、名字を変えたい
と思うと、こうおっしゃるんですね。

藤田敬一が近堂姓の者の発言を紹介したもの。この近堂(こんどう)は滑川市大窪の近堂姓ではなく岡山県岡山市北区富原の地区に分布する近堂姓を指している可能性がある。同地には他にも多数の姓があるので「全部コンドウ」とするのは不適切。

文献



全國部落調査(1932年)

富山縣 昭和七年十一月現在

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
富山市清水町七三三一三労働富山市 清水町
由刈屋三九富山市 田刈屋由刈屋は田刈屋の誤記。
五福五六富山市 五福
駒見二一富山市 駒見
其他五三革職

 

定塚町の古地図
部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
高岡市中川及定塚町■■五七労働高岡市 中川、定塚町判読不能部分は「汀日」か「三丁目」、あるいは「弍日」(二日)のように読める。 ( 『高岡市史』(第2巻、高岡市史編纂委員会、青林書院)659頁に「定塚町七日、八日、九日、十三日、廿七日通■町」とある。 ) 定塚町四丁目には藤子・F・不二雄の実家があったが(現在の定塚町6番地)、被差別部落に該当するかどうかは不明。『高岡市史』(和田一郎、高岡市史編纂委員会、青林書院)745頁には「革屋一族は初め古定塚に七地を与えられたが、正保二年百姓町の町外れに移転を命ぜられ、以来この地に一団をなして特殊部落を形成した。横田新町がこれである。」とある。『被差別部落 東日本編』(三一書房、1980)157頁には「現今、高岡市横田新町に居住する二十余戸の革職人は其初め慶長一四年孫右衛門等四人、江州木本村より越中へ移住し、翌一五年前田利家より高岡古定塚町に於て、宅地千二百歩を拝領せし者の子孫なり」とある。
南町七〇三五五古物商高岡市 南幸町、白金町南幸町3-7に高岡南町郵便局がある。「高岡市の南町部落は都市のまっただ中にあるようにみえる。北陸本線が、高岡から金沢へ走ってすぐ、線路下を、国道156号線がぬけている。軌道から北側、その156号線の両側に、南町部落はある」と『解放新聞』が写真入りで暴露している。高岡市の藤内の地区に関原姓の者がいた。また、藤内の地区は、80戸だったものが約40戸になったとする。関原姓の者は加賀藩の命で派遣されて来たと伝える。関原姓2件。2000年電話帳。
横田新町一二九三革職高岡市 千石町、扇町 1丁目「現今、高岡市横田新町に居住する20余戸の革職人は其初め慶長14年孫右衛門等4人、江州木本村より越中へ移住し、翌15年前田利家より高岡古定塚町に於て、宅地1200歩を拝領せし者の子孫なり」との資料あり。
長慶寺一三農業高岡市 長慶寺
北島一七労働高岡市 北島
羽廣賣藥高岡市 羽広
上新川郡 堀川町大泉一一農業富山市 大泉町
〃 蜷川村布市一五九四農、商富山市 布市
〃 新保村任海二三農業富山市 任海
〃 〃新保一六富山市 新保
〃 大久保町下大久保一一九六職人富山市 下大久保
〃 大沢野村一六富山市上新川郡大沢野町は2005年4月1日に富山市と合併。旧大沢野町に該当する現地名はここをを参照。『富山県戦前社会運動史』(内山弘正、富山県戦前社会運動史刊行会、1983)241頁に「大沢野村の塩野や加納などは入植者によってできた部落」とある。
〃 熊野村下熊野、吉岡、青梅新、石田、月岡新、金屋、阿羅尼寺、上熊野二八一五二農業富山市 下熊野、吉岡、青柳新、石田、月岡新、金屋、上栄、上熊野阿羅尼寺村は現在の富山市上栄に相当する。
〃 大庄村花咲三三農、醫師富山市 花崎
〃 月岡村西福沢一〇九四農業富山市 上今町 西福沢
〃 上瀧町中滝革職富山市 中滝
〃 大山村文珠寺二四労働富山市 文珠寺

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
上新川郡 太田村西番四〇(太田本郷との合計)労働富山市 西番
〃 〃太田本郷富山市 本郷町本郷町に太田本郷城跡がある。
〃 新庄町田中七二二五四革職富山市 田中町、双代町田中町は越中で珍しい皮多部落。高岡市横田新町と同じように江州から招かれた皮革職人の子孫か、横田新町からの別れではないかとの推測あり。田中町と隣接する富山市双代町も被差別部落で、両方合わせて60戸足らず。二つの部落を併せて俗に「田双町」(たそうまち)と呼ぶ。「T町部分はT町に、S町部分はS町に入れてもらうよう、それぞれの町内会に頼んだのですが、どちらの町内会にも入れてもらえなかったのです。仕方なく、TS町はそのままになっています。周辺の人達は、ここが部落であることをよく知っていて、自分たちの町に入れることを拒んだのです」という(長野県須坂市の二睦町に成り立ちが似ている)。丹波正史の父である丹波繁正は新庄町大字田中蓑浦村出身。「家族にとって、父のことでわからなかったことがあった。父が富山の出身であることは分かっていたが、父が『部落』の出身者であるのかどうかわからなかった。母たまに聞いても『おそらく違うのではないか』というのみであった。このことは父が亡くなるまで不明であった。それは私が一九八二年ころ富山へ全解連の組織づくりに出かけるようになってわかった。父の生まれ故郷を訪ねてはじめて『部落』出身であることを知った」。丹波一家は兵庫県神戸市を経て愛知県あま市甚目寺に移住している。丹波正史は、生まれも育ちも愛知県あま市甚目寺。
〃 〃五本松二五八三農業富山市 五本松の位置は要調査。五本榎の誤記の可能性あり。
〃 島村向新庄三八二三一労働富山市 向新庄町平邑姓8件。2000年電話帳。
〃 針原村高島農業富山市 高島
〃 浜黒崎村浜黒崎一三富山市 浜黒崎
〃 大廣田村大村三〇富山市 富山市海岸通に大村緑地がある。
〃 〃千原崎二〇富山市 千原崎
〃 東岩瀬町浜町一〇四五労働富山市 岩瀬諏訪町、岩瀬天神町
〃 〃新町革職富山市 富山市岩瀬新町の可能性。要検証。
〃 豊田村豊田一七労働、雑富山市 豊田町
〃 廣田村新屋農業富山市 新屋
〃 奥田村稲荷一一労働、革職富山市 稲荷町
〃 〃奥田二一農業富山市 奥田町
〃 滑川町西町二一一一八農業滑川市 加島町1952年に西町が加島町に改称。
〃 〃常盤町五九滑川市 常盤町

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
中新川郡 山加積村黒川一九農業中新川郡 上市町 黒川
〃 南加積村郷柿沢中新川郡 上市町 郷柿沢
〃 中加積村赤堀一一滑川市 赤堀の位置は要調査。
〃 〃堀江滑川市 堀江
〃 下條村上砂子坂二四富山市 水橋上砂子坂
〃 三郷村大正四七富山市 水橋大正
〃 〃的場三四富山市 水橋的場
〃 〃金尾新一〇富山市 水橋金尾新
〃 〃池田新富山市 富山市水橋池田町と水橋池田舘のどちらに位置するか要調査。
〃 舟橋村竹内三〇労働、雑中新川郡 舟橋村 竹内
〃 宮川村石佛五五農業中新川郡 上市町 石仏
〃 上市町上市四八中新川郡 上市町1941年に大字の上市は改称して現存しない。該当の地区は要調査。
〃 白萩村眼目新中新川郡 上市町 眼目新
〃 〃湯上新中新川郡 上市町湯上新は湯上野の誤記の可能性。要検証。
〃 柿沢村柿沢一七中新川郡 上市町 柿沢
〃 〃新屋一九中新川郡 上市町 新屋
〃 音杉村北島職人中新川郡 上市町 北島

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
中新川郡 弓庄村神田一七農業中新川郡 上市町 神田
〃 〃二八中新川郡 立山町 泉
〃 寺田村浦田新一〇中新川郡 立山町 浦田新
〃 利田村利田労働中新川郡 立山町 利田
〃 五百石町松本一三中新川郡 立山町松本の位置は要調査。
〃 高野町高原三七農業中新川郡 立山町 高原
〃 上段村上米二八中新川郡 立山町 上末上米は上末の誤記。
〃 下段村上金剛寺四二中新川郡 立山町 上金剛寺
〃 釜ヶ渕村谷口二九農、労働中新川郡 立山町 谷口
〃 立山村下田三七農業中新川郡 立山町 下田
下新川郡 魚津町新住吉農、労働魚津市 新住吉町
〃 〃下村木四一一七四魚津市 下村木町
〃 下中島村住吉四四二二〇労働、皮革、職人魚津市 住吉吉田姓4件。2000年電話帳。この地区からYKK創業者の吉田忠雄が出た。
〃 上野方村大海寺一八農業魚津市 魚津市大海寺新と大海寺野のどちらに位置するかは要調査。
〃 經田村岡経田五五労働、農魚津市 岡経田
〃 石田村堀切二七一五〇農業黒部市 堀切
〃 三日市町下町三九労働黒部市 三日市 下町

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
下新川郡 荻生村荻生二一農、労働黒部市 荻生
〃 若栗村若栗一五農業黒部市 若栗
〃 浦山村浦山一八黒部市 宇奈月町浦山
〃 舟見町舟見一〇黒部市 宇奈月町舟見
〃 新屋村下山下新川郡 入善町 下山
〃 青木村青木一七農、労働下新川郡 入善町 青木
〃 〃木根一〇〃〃下新川郡 入善町 木根
〃 飯野村下飯野一〇農業下新川郡 入善町 下飯野
〃 上原村上野下新川郡 入善町 上野
〃 〃道市三四下新川郡 入善町 道市
〃 入善町入善一〇下新川郡 入善町 入膳
〃 〃青島二二下新川郡 入善町 青島
〃 大家庄村大家庄下新川郡 朝日町 大家庄
〃 〃金山下新川郡 朝日町 金山
〃 山崎村山崎二五下新川郡 朝日町 山崎藤子不二雄Ⓐの戦時中の疎開先。『少年時代』の舞台。
〃 泊町道下四八下新川郡 朝日町 道下
婦負郡 四方町四方一三日稼富山市 四方

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
婦負郡 四方町北窪日稼富山市 四方北窪
〃 八尾町下新町一三六三労働富山市 八尾町上新町
〃 倉垣村打出一一六二漁業富山市 打出
〃 〃布目二一富山市 布目
〃 八幡村入町一五農業富山市 八幡
〃 長岡村入町一一労働富山市 長岡
〃 〃舟橋新二七富山市 長岡新
〃 寒江村本郷三一農業富山市 本郷町
〃 西呉羽村吉作二一労働富山市 吉作
〃 〃小竹三三富山市 小竹貝塚が富山市呉羽町北、呉羽昭和町地内にある。
〃 〃高木一七富山市 高木
〃 朝日村安田三七農業富山市 婦中町安田
〃 〃下條二九富山市 婦中町下条
〃 〃友坂三三富山市 婦中町友坂
〃 鵜坂村三區二三富山市 婦中町鵜坂三区の位置は要調査。
〃 〃一區一〇五四富山市 婦中町鵜坂一区の位置は要調査。
〃 神明村有沢一〇五四富山市 有沢

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
婦負郡 神明村羽根農業富山市 羽根
〃 熊野村下井沢三七富山市 婦中町下井沢
〃 〃持田富山市 婦中町持田
〃 宮川村田家三一富山市 婦中町田屋田家は田屋の誤記。
〃 杉原村黒田、井田二二一〇〇富山市 八尾町黒田、八尾町井田
〃 保内村新田一一富山市 八尾町新田
〃 〃奥田四四富山市 八尾町奥田
〃 千里村上井沢富山市 婦中町上井沢
〃 富川村河口町五〇富山市 婦中町河口町の位置は要調査。
〃 〃上吉川一六富山市 婦中町上吉川
〃 池多村山本富山市 山本
〃 古沢村杉谷一八富山市 杉谷
〃 仁歩村下仁歩富山市 八尾町下仁歩
射水郡 新湊町放生津三二一五四日稼、漁業射水市 八幡町二丁目高野長英の脱獄(1844年8月13日)に協力した非人栄蔵の出身地区。1968年10月1日に放生津、東町、神保町、荒屋の一部から八幡町が成立。大崎姓6件、大浜姓2件。2000年電話帳。
〃 〃新町一七射水市足洗新町、高場新町、浜開新町のいずれにあたるか要調査。
〃 伏木町一宮一五七〇農、日稼職工高岡市 伏木一宮
〃 〃本町高岡市 伏木本町

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
射水郡 伏木町串岡一二農、日稼職工高岡市 伏木伏木2丁目1-2に串岡公民館がある。
〃 小杉町三ヶ四一日稼射水市 三ケ
〃 〃戸破一二六九射水市 戸破戸破1008に部落解放同盟富山県連合会あり。佐野姓2件。2000年電話帳。
〃 二塚村上伏間口一九高岡市 上伏間江上伏間口は上伏間江の誤記。
〃 佐野村西藤手洗一四農業高岡市 西藤平蔵、手洗野
〃 〃佐野高岡市 佐野
(高岡市編入)守山村守山高岡市 守山町
射水郡 牧野村中曽根醫師、日稼高岡市 中曽根
〃 塚原村冲塚東二〇五四日稼射水市 沖塚原
〃 〃松ノ木一三一射水市 松木
〃 作道村鏡宮射水市 鏡宮
〃 〃野村四八射水市 野村
〃 〃作道二四射水市 作道
〃 片口村片口二三農業射水市 片口
〃 堀岡村明神新一四射水市 堀岡明神新
〃 海老江村練合三〇射水市 海老江練合
〃 七美村八島射水市 八島射水市七美に八島公民館あり。

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
射水郡 下村加茂農業射水市 射水市加茂西部、加茂中部、加茂東部のいずれにあたるか要調査。
〃 〃八島射水市 八島
〃 大江村大江一一射水市 大江
〃 〃石高木射水市 石高木の位置は要調査。射水市には高木、北高木、西高木、南高木がある。
〃 老田村中老田新日稼富山市 中老田射水市中老田新は旧老田村域ではない。
〃 〃中老田二二富山市 中老田
〃 〃黒川新一五富山市射水市黒河新は旧老田村域ではない。
〃 黒河村黒河農、商、雑射水市 黒河
〃 橋下條村下條一七日稼射水市 下条
〃 水戸田村生源寺一〇農業射水市 生源寺
〃 〃水戸田射水市 水戸田
〃 〃若林四二射水市 若林
〃 櫛田村串田一六射水市 串田
〃 浅井村廣上一五射水市 広上
〃 二口村北野二三日稼射水市 北野
〃 〃小島一一四一射水市 小島
〃 〃今開発射水市 今開発

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
射水郡 大島村中野日稼射水市 中野
〃 野村石瀨三四高岡市 石瀬
氷見郡 氷見町中伊セ四三一〇九労働氷見市 伊勢大町1丁目あるいは2丁目「中伊勢」とも表記。部落の位置について『解放新聞』と『解放の道』で記述が違うが、後者の方が「部落は、国鉄氷見駅からすぐ近くのところにあり、仏生寺川に隣接している。三十戸あまりである。昭和七年に下伊勢から独立し、中伊勢を名のり、現在伊勢大町二丁目にあたるところである」と詳細に書かれている。
〃 太田村北村一八九六高岡市 太田
〃 窪村𫞉田一三農業氷見市 柳田窪村誌編纂委員会『窪村のあゆみ』によると柳田である。「𫞉」は「柳」の異体字。
〃 〃革職氷見市 窪
〃 神代村堀田六〇農業氷見市 堀田
〃 布勢村矢田部二一氷見市 矢田部
〃 十二町村下久津呂一〇氷見市 下久津呂
〃 〃万尾三二氷見市 万尾
〃 〃西朴木一三氷見市 西朴木
〃 加納村加納四〇氷見市 加納
〃 上庄村柿谷一七氷見市 柿谷
〃 〃七分一氷見市 七分一
〃 〃上田一八氷見市 上田
〃 熊無村中村一七氷見市 中村
〃 〃谷屋一九氷見市 谷屋

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
氷見郡 速川村小窪一二農業氷見市 小窪
早借一四氷見市 早借
〃 久目村触坂一八氷見市 触坂
〃 稲積村稲積氷見市 稲積
〃 余川村余川氷見市 余川
〃 碁石村上余川左官氷見市 上余川
〃 阿尾村阿尾一六農業氷見市 阿尾
〃 薮田村一〇氷見市 泊
小杉氷見市 小杉
薮田氷見市 薮田
〃 宇波村大境一七氷見市 大境
脇方二二氷見市 脇方
〃 女良村中波一九氷見市 中波
東砺波郡 北山田村鍛冶四五労働南砺市 鍛治
〃 城端町城端一〇醫、賣藥南砺市 城端
〃 北野村北野一五古物、労働南砺市 北野
〃 雄神村三〇砺波市 庄川町三谷浴は三谷の誤記。庄川町三谷108に雄神簡易郵便局がある。

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
東砺波郡 栴檀山村井栗谷醫師砺波市 井栗谷
〃 栴檀野村増山農業砺波市 増山
〃 〃宮森新砺波市 宮森新
〃 東般若村權正寺六四砺波市 権正寺
〃 般若野村常国一一高岡市 常国
〃 中田村中田一四高岡市 中田
〃 南般若村大清水一一農、古物、職人高岡市 戸出大清水
〃 太田村久泉二六農業砺波市 久泉
〃 油田村三郎丸及石丸二〇商、農業、左官砺波市 三郎丸、石丸
〃 井波村井波二五一四九賣藥南砺市 井波
〃 井口村池尻一〇農、労南砺市 池尻
〃 高瀨村北市一四農、古物南砺市 北市
〃 種田村天正醫師砺波市 庄川町天正
〃 廣塚村院林一二四九日稼南砺市 院林
〃 野尻村野尻二〇一〇八農業南砺市 野尻
西砺波郡 石動村今石動一六毛皮業小矢部市 今石動町
〃 〃新町四七小矢部市 新富町5,4,7番地近辺古くは一向宗聖泉寺のある位置から上使街道の東に沿って「上新町」「中新町」「下新町」の地名があった。

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
西砺波郡 石動村福町三九毛皮業小矢部市 小矢部市に東福町、西福町あり。石動福町郵便局が小矢部市西福町6-31にある。
〃 福岡町福岡一七日稼高岡市 福岡町福岡
〃 戸出町古戸出三四一四七賣藥高岡市 戸出古戸出
〃 〃戸出一四七三労働高岡市 戸出町皮多と藤内の二地区があり、皮多の戸数は不明、藤内の戸数は約20、戸出野神社(高岡市戸出町3丁目12)に隣接している、と『解放の道』1982年10月5日付の丹波正史「越中をいく」第6回にある。
〃 福光町田町一〇五五日稼南砺市田町の位置は要調査。神田町の誤記?
〃 埴生村道林寺、蓮沼一九九四古物小矢部市 道林寺、蓮沼
〃 北蟹谷村棚田、末友四三農業小矢部市 棚田、末友
〃 東蟹谷村平田一〇小矢部市 平田
〃 石黒村川合田賣藥南砺市 川西 川合田
〃 廣瀨舘村天神農業南砺市 天神
〃 〃竹内一〇四七南砺市 竹内
〃 吉江村荒木四七南砺市 荒木
〃 〃高宮四一南砺市 高宮
〃 〃吉江中一七南砺市 吉江中
〃 林村小島醫師砺波市 小島
〃 福田村一六農、職人高岡市 辻
〃 東五位村内島三九高岡市 内島

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
西砺波郡 立野村立野三七農業高岡市 立野
〃 大滝村三〇高岡市 福岡町大滝
〃 石堤村柴野、麻生谷一八農業高岡市 柴野、麻生谷
〃 赤丸村赤丸二三賣藥高岡市 福岡町赤丸
〃 国吉村岩坪農、賣藥高岡市 岩坪
〃 〃佐賀野五四高岡市 佐加野佐賀野は佐加野の誤記。
〃 〃手洗野一〇五四高岡市 手洗野
計一五四二三三一六〇一八一三二

施設等



関連団体

  • 部落解放同盟富山県連合会 - 富山県射水郡小杉町戸破1008 佐野信夫方 ℡0766-56-0335
  • 全日本同和会富山県連合会(所在地不明。1988年ごろ全日本同和会富山県連合会が企業恐喝により富山地裁で懲役5年の実刑判決を受けた)


zannin666 at 06:56|Permalink ドエッタにおける穢多族の報告〔富山県〕 

15.Juli.2017

POP TATARI

漸く、関東地方を終えて東北地方へときた。東北はまた後で書くのだが、「裏日本」とも呼ばれている県のひとつである。。

では、新潟県の被差別部落はどの様な具合なのか・・・・まだ、この時点では細かいところは以前の東北地方のように調べられていないところもあるので順次、記載していく予定である。



新潟県

概況

越後の部落について菊池山哉は「最北の岩船郡だけに13ヵ所もあり、他の広大な地域に殆んどありません」と述べているが、成沢栄寿はこれを不正確な記述と批判し、上越では高田、中越では小千谷、下越では村上が部落の拠点となっていると述べている。ただし新潟地方裁判所検事局『新潟地方裁判所管内に於ける社会運動の状況』所収「新潟県下部落概況」(1929年10月)には、部落民の分布状態について「岩船郡の1612人を最多とし、新潟市の12人を最少とす」とある。

県内の被差別部落の数は1921年度の調査では32、1935年の調査では59、1975年の調査では16にのぼる。戸数と人口は、それぞれ580戸2929人、787戸4363人、220戸841人であった。ただし、部落解放同盟新潟県連合会の亀井喜代二は新潟県西部の上越地方だけで131の被差別部落があると主張していた。県下の部落の数について、亀井喜代二は「80から100近い」と述べていたこともある。その他、部落解放同盟高田支部は1971年に県内の部落の数を70から80としている。

本田豊によると、新潟県の河川のほとんどにはワタリやタイシと賤称される渡守の被差別民の少数部落が存在するが統計上は無視されることが多く、そのような事情を加味すると県内の被差別部落の数は300ヵ所前後、部落人口は1万人以上にのぼるであろうという。1934年版の『融和事業年鑑』には「153地区、7917人 『部落問題事典』(部落解放研究所編、部落解放研究所、1986)では9717人となっている。どちらかの資料の誤植と思われる。(『部落問題事典』)という数字が載っている。このうち同和地区指定を受けたのは18地区、そのうち部落解放同盟支部のあるのは6地区である。同和地区指定を受けた被差別部落の一つは新発田市住吉町にある(1976年に指定、1981年に部落解放同盟支部結成)。世帯数は40で「羽黒町サンマイ」(サンマイすなわち三昧は墓地の意味)の通称がある。

県内最大の被差別部落は上越市北本町4丁目(旧・西村町。勘兵衛町とも)であり、戸数は1980年の資料で60戸にのぼる。1776年の文書には、春日山御代(上杉時代)における直江津の砂山の城の庭掃きとして鶴若・亀井・紫の名が登場するが、西村町には今日なお鶴若・亀井・紫の姓を名乗る住民が現存している。

このほか、村上市平林湯ノ沢(旧・神林村)には渡守の被差別部落があり、1985年国勢調査では人口394人、世帯数は103を数える。

村上市内の三面川の河口には約60戸の未指定地区があり、山名伸作はI町と記している。岩ヶ崎のことと思われる。村上市内では、荒川の河口近くの砂丘の突端にも未指定地区があり、山名伸作はSと記しているが、塩谷のことと思われる。

胎内市乙(きのと、旧・中条町)の乙宝寺の前にも10戸ほどの未指定地区がある。しかし未指定でありながら密かに5億8000万円規模の同和事業をおこなっていたといわれる(『放置された1000部落』24-26頁にイニシャルで登場する、県北部のT町のK地区(9世帯)とは乙のことと思われる。Tは中条(なかじょう)を「ちゅうじょう」と誤読した結果か。 )。旧・中条町には合計4ヶ所の被差別部落がある。

小千谷市には40戸から2戸まで5つの被差別部落がある。小千谷市の被差別部落の土地の多くは、詩人西脇順三郎の実家が所有している。

また新潟市を描いた町絵図「新潟真景」に「穢多町」の表記があり、新潟市郷土博物館での展示中に問題とされ、回収騒ぎに発展したことがある。この穢多町は、現在の「行形亭」(いきなりや、新潟市中央区西大畑町573)の脇にあたる。
「新潟真景」中央右下の茶屋の隣、牢屋の前に「穢多町」の文字が読み取れる。



新潟県の被差別部落の統計

調査年地区数戸数人口
1907年23700
3595
1921年235802929
1928年15314729717
1929年59866(部落を形成しない戸数606を足すと1472)4530(部落を形成しない人口3387を足すと7917)
1935年   新潟県の場合『全国部落調査』の実施年は1928年だが『東日本の被差別部落』(明石書店)15頁には「153地区(28年調べ)」とあり『全国部落調査』の数値と合致しない。『東日本の被差別部落』(明石書店)16頁によると「1~3軒の小部落を含めて153地区、1472戸という1928年の司法省調査(引用者注記:内務省調査の誤り?)があり、戦後では1958年の厚生省調査で1935年と同じ59地区を上げていた」という。ただし『全国同和地区の年次別概況調査ならびに1993年現在の府県別概況調査基礎資料』4頁によると、1958年調査では新潟県の地区数は「-」となっている。 597874363
 

1942年


-

307

1662
1946年--5783

1958年

59あるいは統計なし(新潟県の場合『全国部落調査』の実施年は1928年だが『東日本の被差別部落』(明石書店)15頁には「153地区(28年調べ)」とあり『全国部落調査』の数値と合致しない。『東日本の被差別部落』(明石書店)16頁によると「1~3軒の小部落を含めて153地区、1472戸という1928年の司法省調査(引用者注記:内務省調査の誤り?)があり、戦後では1958年の厚生省調査で1935年と同じ59地区を上げていた」という。ただし『全国同和地区の年次別概況調査ならびに1993年現在の府県別概況調査基礎資料』4頁によると、1958年調査では新潟県の地区数は「-」となっている。)
--
1963年231609地区全体8322、同和関係2101
1967年20地区全体2018、同和関係438地区全体9752、同和関係1813
1971年15地区全体1436、同和関係245地区全体6484、同和関係983
1975年16地区全体2463、同和関係220地区全体8706、同和関係841
1976年182691051
1985年18地区全体2887、同和関係269地区全体10446、同和関係1051
1993年18地区全体2910、同和関係211地区全体10731、同和関係724


明治初期の『新潟藩政一覧表』による賤民の分布統計

  • 高田 - 336戸、1778人
  • 柏崎 - 1474人
  • 村上 - 981人
  • 新潟 - 401人
  • 新発田 - 378人
  • 糸魚川市清崎 - 299人

歌手の小林幸子の実家「小林精肉店」は新潟市中央区元下島町(現・智泉院)にあったが、『全國部落調査』に新潟市の地区の記載はない。新潟県知事の米山隆一の実家は新潟県北魚沼郡湯之谷村(現・魚沼市)七日市新田127の養豚農家で「セイジロー肉店」を兼業しているが、『全國部落調査』に七日市新田の地名は見えない。

また上越市板倉区針に10戸55人の部落がある。1928年、共同浴場における部落民への入浴時間制限をめぐる紛争では部落民の代表者の氏名が橋沢喜四郎と記録されている。橋沢姓3戸。2000年電話帳。

上越市板倉区関根に十数戸の部落がある。板倉中学校の教師が中頸城郡特有の賤称語であるニシグラを使って発言をしたとして田沢姓の者の家に謝罪に訪れたと『解放新聞 1951年12月20日号』(解放新聞社)に報じられている。田沢姓2件。2000年電話帳。

部落民のことを上越ではニシ下越ではタイシと俗称する。前者は上越の部落の本拠地である西村(現・上越市北本町4丁目)、後者は渡し守の聖徳太子信仰に由来すると考えられる。ただしタイシについては「落人説の一種で、何らかの理由で武士が武士でなくなったもの。『退士』説である」と解する向きもある。

中国文学者で大東文化大学学長となった小柳司気太(おやなぎ しげた)は西蒲原郡小吉村(現・新潟市西蒲区小吉)もしくは岩船郡上保内村(現・三条市上保内)の生まれで旧姓熊倉、朝日新聞長野支局「ルポ 現代の被差別部落」朝日文庫版p.107では被差別部落から現れた例外的な教育者・学者として描かれているが、『全國部落調査』に新潟市や三条市の地区の記載はない。また浅見惠は小柳司気太の両親について「父は代々医家である熊倉玄周、 母は現西蒲原郡中之口村東中の代々庄屋役を勤めた小柳清長とヤスの娘クマである」と述べているのみで、部落出身とは記していない。

「むつ市の五億円強奪事件の主犯・S(引用者注、篠原誠。のち改姓して三木誠)がテキヤの出身で、『全日本同和会新潟県連会長』『田中角栄を支援する会信越クラブ代表』の肩書きつきの名刺を使い、実際にも選挙応援を買って出ていた」と溝口敦『ヤクザという生き方』文庫版313頁にある。

芝浦屠場では屠夫の半分以上を新潟県出身者が占めるのではないかといわれている。

1927年には高田市で大島新之助が部落から初めて市議選に当選している。大島の出身地区名は要調査。

八切止夫は、柏崎市西山町坂田出身の田中角栄について山窩の出だった可能性を示唆したが、信憑性は不明である。

会津藩では若松城下の穢多町から西へ、青津(現・河沼郡会津坂下町青津)、塔寺(現・河沼郡会津坂下町塔寺)、野沢(現・耶麻郡西会津町野沢)、そして越後の津川(現・新潟県東蒲原郡阿賀町津川)へと穢多集落が続いていたと『部落の歴史 東日本篇』205頁にあるが、阿賀町の部落は『全國部落調査』に記載がない。

文献



全國部落調査(1928年)



新潟縣 昭和三年五月現在


1680年頃の高田城下絵図(部分)。図面上部に「西邑町」の表記が見える。
元治期(1864年~1865年)頃の高田城下絵図(部分)。図面上部に「西村町」「乞食牢」「白山社」の表記が見える。

上掲の古絵図における「西邑町」「西村町」の地名の掲載が問題視されたことを受けて『高田開府四◯◯年』に添付された文書。絵図に「穢多町」等の記載は一切ないので上掲の古絵図の刊行を問題視すること自体が意味不明であるが、添付文書の筆者は「被差別部落の地名も含まれています」と言いつつ具体的な地名を挙げていないため、さらに不可解な内容となっている。のみならず、文末の参考文献は「西邑町」「西村町」が被差別部落であることを知る手段となっているため、被差別部落の地名を隠したいのか拡散したいのか、ますますもって意味不明な内容となっている。


部落所在地
部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
高田市 西村町一〇三五六五日傭革細工上越市 北本町 4丁目明治36年の段階では約400世帯、昭和60年では約60世帯。昭和37年当時は70-80戸、うち3分の1が部落外からの混住者。人口が激減した理由の一つについて、地元民の白川吉春は「高田三十連隊の廃馬処理にからんで部落の人たちが分けて食べてしまった。このことが身辺の人々に忌み嫌われ信用ががた落ちになり日雇い人夫にも使ってもらえなくなり、よそへ稼ぎに行かざるを得ない状況になってしまった」と述べている。1930年に西村町が北本町に改称。一般と部落の境界線は、上越市北本町3-3-1(現在は移転済)の国厳寺の北側にあった陀羅尼口番所、一里塚(のち道路工事に伴い数十メートルほど北に移動し、北本町4丁目、樋口石材の少し北、小菅商店の向かい)であることを『解放新聞』が暴露している。にもかかわらず「高田開府400年祭」の記念誌に古地図や部落名が記載されていたことを石平春彦・上越市議が指摘し、同市は記念誌の販売を中止した。後に「部落差別問題を解説するA4の文書1枚を添付」することで販売が再開された。解説は部落名や部落の具体的場所を今まで知らなかった人にも知らせる内容となっている。この一件は部落名が含まれた書籍・地図を出版するのは解説書を添付することで可能であるという画期的な行政実例となった。浦沢姓6件、亀井姓1件、紫姓1件、鶴若姓1件。2000年電話帳。
西頸城郡 名立町名立小泊一二上越市 名立区名立小泊
〃 能生町能生五一糸魚川市 能生
〃 〃能生小泊糸魚川市 能生小泊
〃 下早川村新町三五糸魚川市 新町
〃 大和川村梶屋敷糸魚川市 梶屋敷
〃 〃田伏二六糸魚川市 田伏
〃 〃大和川二九糸魚川市 大和川
〃 西海村田中糸魚川市 田中
〃 〃眞光寺糸魚川市 真光寺
〃 〃平井糸魚川市「平井」の範囲は要調査。

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
西頸城郡 糸魚川町押上日傭糸魚川市 押上
〃 〃寺町二一糸魚川市 寺町
〃 〃横町三三一八四糸魚川市 横町
〃 〃上刈二六糸魚川市 上刈
〃 根知村根小屋六一糸魚川市 根小屋「根知谷根小屋村の月岡氏は、『先祖(武士)が天正十年信州から落ちてきた折、又右衛門、かくえむ(角右衛門か)二名を随伴し、根知城下に落ちついた』と伝える。又右衛門・角右衛門はともに近世の穢多身分となっている」。天正10年は1582年。月岡姓9件。2000年電話帳。
佐渡郡 相川町新浜町三〇一三八藁細工佐渡市 相川新浜町1943年ごろ相川下戸村1-1の相川小学校の脇に位置する2ヶ所に分散移転。
〃 〃下梠川佐渡市 下相川
〃 〃三丁目新浜町佐渡市 相川三町目新浜町1943年ごろ相川下戸村1-1の相川小学校の脇に位置する2ヶ所に分散移転。
〃 〃市町佐渡市 相川市町
〃 河原田町高浜町一四六四佐渡市 河原田本町 高浜町非人部落が圧倒的に多い佐渡では僅少な穢多部落の一つで、相川と並び、皮細工を扱っていた。
〃 新穂村爪生屋五三佐渡市 新穂瓜生屋大上姓2件。2000年電話帳。
〃 〃上新穂佐渡市 上新穂
〃 畑野村小倉藁細工佐渡市 小倉
〃 小木町中之町佐渡市 小木町
〃 水津村東立島佐渡市 東立島
〃 河崎村住吉浦一七革細工佐渡市 河崎
北蒲原郡 加治村早道場二八一二八日傭、革細工新発田市 早道場

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
北蒲原郡 新発田町三昧一八八一日傭新発田市 住吉町1964年に住吉町が成立。鷲尾姓9件。2000年電話帳。
〃 乙村一四九〇胎内市 乙白坂姓4件。2000年電話帳。
〃 〃桃崎浜三二一六六胎内市 桃崎浜
〃 〃大出三一胎内市 大出
〃 〃高野胎内市 高野
〃 中條村中條三三胎内市 中条
岩船郡 関谷町上関ノ一部一六岩船郡 関川村 上関関谷町は関谷村の誤記。
〃 保内村見附〃二一一一三農、商村上市 貝附見附は貝附の誤記。嵐姓10件。2000年電話帳。
〃 金屋村海老江〃六一竹細工村上市 海老江「高田(引用者注、岩船郡関川村)の渡守であった『近正』家は、『金精』と解することもでき、その出身を物語るのみならず、山の民、川の民の密接な因果関係を示している」。姓から見て金堀りだったのではないかとする『一向一揆の研究』(井上鋭夫、吉川弘文館、1968)の引用。近正(こんしょう)は、村上市が最多の稀姓。近正姓6件。2000年電話帳。
〃 女川村高田〃一六九四岩船郡 関川村 高田須貝姓54件。2000年電話帳。   ※「近正氏による、高田の船頭集落の旧家の由緒伝承は次のようである。『この村(船頭集落)の旧家は須貝氏で、その祖先は武士だという。はじめ中束(なかまるけ)村にいたもので、いまも山よりに屋敷跡がある。この高田村での渡守をすすめるものがあって現在地に住みついた。渡辺氏(もう一人の旧家)は、その後他所から加わったものだ。最初は門徒ではなかった。いま湯沢にある松岳寺(禅宗)が高田村にあった頃はその信徒で、亡くなられた前の住職から寺にわしらの系図があるということを聞いたことがある』、およそ以上である」。「岩船町真宗善行寺色部賢松氏によると、旧家須貝氏も『鎌倉の源氏の落人』を伝えている」。岩船郡関川村高田の渡守の地区に関する『辺縁の未解放部落史研究』(木下浩、柏書房、1986)の記述。以下の2点から伝承は無視できないとする。
  1. 松岳寺の移転は、岩船郡関川村蛇喰にある弘長寺の住職の伝承と一致する。また、湯沢での開基は1456年(康正2年)と初代の住職の位牌にある。
  2. 鎌倉幕府は、相模の河村氏を1185年(文治元年)に荒川保の地頭に任命している。河村氏は1428年(正長元年)に滅亡しており、ともに来た者が永住することになったのではないかとする。また、鎌倉屋の屋号が多いことから、鎌倉からの源氏の落人が多いのではないかとしている。
〃 〃湯沢〃農業岩船郡 関川村 湯沢
〃 平林村平林〃七五四二〇日雇、農竹細工村上市 平林 湯ノ沢小池姓45件。2000年電話帳。
〃 〃塩谷〃二六一一五村上市 塩谷
〃 瀬波町羽下渕〃三四二二一舟乗、日雇村上市 羽下ケ渕
〃 村上町新加賀町七七三七四農、日雇村上市 泉町
〃 舘腰村小川ノ一部二七一七二竹細工、船乗村上市 小川
〃 〃下新保一四七七村上市 下新保原典では「下新」の下一字がかすれて消えている。

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
岩船郡 上海府村岩ヶ崎一六九一日雇、船乗村上市 岩ケ崎
北魚沼郡 小千谷町北原町三六二一六藁細工小千谷市「北原町」の範囲は要検証。「(小千谷市で)一番大きい部落のあるところは、吉富町のはずだが、いつの間にか、船岡町と名称がかわってしまった」という。この記述に照らすと小千谷市船岡の可能性。 ※ 解放新聞社編『被差別部落 東日本編』132頁にある部落内の墓地の前に存在する6世帯の市営住宅「追分アパート」は確認できない。
〃 薭生村山寺小千谷市 ひ生 山寺
〃 〃居村小千谷市「居村」の範囲は要検証。
〃 〃中子一九一三三小千谷市 東栄
〃 〃木津小千谷市 ひ生 木津
〃 川井村眞皿一四小千谷市 川井 真皿
〃 川口村南津一六一〇五農業長岡市 川口和南津
〃 堀之内村大石一三六二魚沼市 大石
〃 湯之谷村井口新田一七一〇五笠縫魚沼市 井口新田尾坂姓4件、篠田姓6件、津山姓5件。2000年電話帳。
〃 〃吉田一二魚沼市 吉田
〃 廣瀬村田中一一魚沼市 田中
〃 〃山口魚沼市 山口
〃 〃並柳一三魚沼市 並柳
計三五五九七八七四三六三

主な被差別部落の所在地

  • 上越市(70世帯)
  • 新発田市(50世帯)
  • 関川村
  • 胎内市
  • 村上市
  • 佐渡市相川(相川町の被差別部落は1921年の「全国部落所在地調」では35戸)
  • 佐渡市新穂(新穂村の被差別部落は1921年の「全国部落所在地調」では6戸、1928年5月の調査では9戸)
  • 佐渡市河崎(1928年5月の調査では6戸)
  • 佐渡郡佐和田町河原田町(現・佐渡市河原田本町ならびに河原田諏訪町。河原田町の被差別部落は1921年の「全国部落所在地調」では12戸、1928年5月の調査では14戸)

佐渡には戸数1戸の被差別部落を含めて11ヶ所が記録されており、いずれも非人系部落で、明治初期の「賤民統計表」では人口278人である。また、佐渡最大の被差別部落はもともと相川新浜町にあり「乞食町」と呼ばれていたが、1943年ごろ相川小学校(佐渡市相川下戸村1-1)の脇に2ヶ所に分散移転させられた。

『全国部落調査』には載っていないが、柏崎市に数カ所の被差別部落があるといわれる。ただしその場所は解同県連の幹部たちも知らないという。新井市(現・妙高市)の金子以策氏の所蔵する文書に「頸城郡高柳村穢多吉右衛門」の存在が記されており、高柳村は現在の柏崎市石黒、漆島、岡田、岡野町、荻ノ島、門出、高尾、田代、栃ケ原、山中にあたる。成沢栄寿『日本歴史と部落問題』501頁に「西村を拠点に、高田から放射線状にのびる新井・針・岡野町・飯田・岩手など、北国街道をはじめ、主要な往還の要地に小部落が存在する」とある。以上の記述を総合すると、柏崎市の部落のひとつは柏崎市高柳町岡野町にあることがわかる。同書501頁に「糸魚川は、軍事・交通の要地であり、小部落は、ここを中心に、糸魚川街道沿いに、名立、能生・田伏・青海とつづくが、糸魚川を除くと、部落の体をなしていなかった」ともある。

同書502頁に「中越で比較的部落が多いのは、小千谷・川口・堀之内・小出・塩沢・六日町など、上杉時代の城館聚落を含む三国街道沿線の要地」、「その他では、現存の確認できない三条・水原・出雲崎・寺泊など、現存していない城下町長岡や港町新潟は、江戸時代の史料には見え、少なくともかつて穢多が存在したことは確かである(木下浩「部落の散在性について──その配置と職務をとおして──」<『新潟県立新井高等学校研究集録』六輯>・木下浩氏教示)」、「また、城下町村松には部落が現存しているし(菅原辰蔵氏教示)、柏崎の場合には、享保年間に3軒であった穢多が、1837年(天保8)年には9軒に増加し、1877(明治10)年の未解放部落は12戸であるが、その間、二度にわたって、それぞれ2軒の分村があって、3部落の合計では16戸であった(木下前掲「高田を中心とした上越地方未解放部落の史的調査覚(1)」)。柏崎では、江戸時代の史料だけでなく、大正期の調査でも部落は存在している(木下浩氏教示)」ともある。

また平野小剣(出生名は栃木重吉)は福島県の部落から親戚関係にある柿崎町(現・上越市柿崎区)の部落に婿入りし、1927年に離婚している。平野とは婿入りした先の姓である。この柿崎町の部落も『全國部落調査』には記載がない。なお1972年には柿崎中学校で部落差別事件が起きたとされる。

このように、県下には『全國部落調査』に記載のない小部落が多数点在している。



施設等



隣保館

  • 新発田市隣保館 - 新発田市住吉町2丁目3番28号
  • 新潟隣保館(現存せず)- 新潟市古町通十三番町
  • 吉井隣保館 - 佐渡市吉井本郷480(民間の社会福祉法人であり同和対策事業との関連は不明)

胎内市には広域隣保活動事業運営委員会があるものの隣保館の位置は不詳。



同和対策集会所

  • 上越市白山会館 - 上越市北本町4丁目2−14
  • 住吉教育集会所 - 新発田市住吉町2丁目3-30



白山神社

新潟県における戸数別被差別部落分布図.jpeg
  • 新潟市西蒲区大曽根甲1303
  • 新潟市西蒲区高野宮350
  • 新潟市西蒲区鷲ノ木306
  • 新潟市西蒲区馬堀6022
  • 新潟市中央区一番堀通町1-1
  • 新潟市中央区沼垂東1-1-17
  • 新潟市北区太郎代500-甲(白山媛神社)
  • 新潟市南区月潟294-1
  • 新潟市南区大別當712
  • 新潟市西区善久623
  • 佐渡市大久保89
  • 佐渡市大杉265
  • 佐渡市月布施164
  • 佐渡市久知河内149
  • 佐渡市沢根595
  • 佐渡市沢根五十里1259
  • 佐渡市宿根木464
  • 佐渡市深浦262
  • 佐渡市真野632
  • 佐渡市田野浦360-乙
  • 佐渡市達者459
  • 佐渡市平清水716
  • 佐渡市新穂皆川1
  • 佐渡市新穂長畝383
  • 佐渡市新穂長畝1660
  • 佐渡市山田150
  • 佐渡市南片辺196-1
  • 佐渡市莚場1004
  • 佐渡市杉野浦70
  • 佐渡市水津548
  • 佐渡市貝塚484
  • 佐渡市上川茂490
  • 佐渡市羽茂村山896
  • 佐渡市羽茂大石506
  • 佐渡市羽茂滝平2246
  • 佐渡市羽茂大崎1650
  • 佐渡市羽茂小泊114
  • 長岡市飯塚1402
  • 長岡市来迎寺2893
  • 長岡市柿町1228
  • 長岡市村松町2010
  • 長岡市寺泊田頭1144
  • 長岡市寺泊高内1805
  • 長岡市寺泊野積6490-乙
  • 長岡市千谷沢鷺野島1739
  • 長岡市小国町千谷沢鷺野島居平1739
  • 長岡市天下島1-9-34
  • 長岡市阿弥陀瀬1313
  • 長岡市釜沢町320
  • 長岡市白鳥490
  • 長岡市濁沢町529
  • 長岡市和島高畑160
  • 長岡市王番田町1873
  • 長岡市川口牛ケ島1208
  • 長岡市十日町186
  • 長岡市下富岡1260-甲
  • 燕市小牧603
  • 燕市長所甲44
  • 村上市天神岡391
  • 村上市小俣661
  • 村上市荒川542(現・荒川神社)
  • 村上市荒沢98
  • 村上市石住2687
  • 村上市九日市299
  • 村上市間島2463番
  • 村上市早稲田1329-子
  • 村上市肴町21-16
  • 村上市里本庄926
  • 村上市下大島341
  • 村上市山田246
  • 村上市名割423
  • 村上市下大鳥341
  • 村上市浜新保288
  • 小千谷市三佛生3788
  • 小千谷市西吉谷乙398-甲子
  • 小千谷市西吉谷甲886
  • 小千谷市東吉谷乙766-子
  • 小千谷市小栗山3481
  • 小千谷市岩沢5591-2
  • 小千谷市岩沢6335
  • 加茂市上黒水1452(白山比咩社)
  • 新発田市金山1195
  • 新発田市米子2141-甲
  • 燕市四ツ屋129
  • 燕市小牧603
  • 燕市杣木2083
  • 十日町市松之山小谷333
  • 十日町市松之山水梨425
  • 十日町市伊勢平治923
  • 十日町市浦田5290
  • 胎内市富岡1162
  • 胎内市並槻321
  • 胎内市土作496
  • 柏崎市茨目2-7-7
  • 柏崎市加納6423
  • 柏崎市西山町藤掛470
  • 柏崎市西山町五日市1728
  • 柏崎市平井2031
  • 柏崎市東条520
  • 柏崎市西長鳥甲1712
  • 柏崎市田塚1(白山姫神社)
  • 柏崎市宮之窪235
  • 柏崎市南下1769
  • 柏崎市本条524(白山姫神社)
  • 見附市下鳥町甲206
  • 見附市椿沢町3271
  • 見附市栃窪町194
  • 見附市耳取町764
  • 魚沼市大浦173
  • 魚沼市並柳304
  • 魚沼市清本420
  • 魚沼市田川941
  • 魚沼市蓑和田182
  • 南魚沼市妙音寺560
  • 南魚沼市思川667
  • 三条市東裏館1-19-27
  • 三条市白山新田1
  • 三条市塚野目5-16-14
  • 三条市院内208-2
  • 三条市東鱈田1154
  • 三条市長沢1318
  • 三条市片口395
  • 三条市新光町1-1
  • 五泉市尻上丙61
  • 五泉市牧1915
  • 五泉市下戸倉1506-2
  • 五泉市水戸野232
  • 岩船郡関川村土沢1764
  • 岩船郡関川村大島262
  • 刈羽郡刈羽村大塚1244
  • 刈羽郡刈羽村十日市1817
  • 三島郡出雲崎町柿木298(合祀されて柿木神社)
  • 東蒲原郡阿賀町石間4090
  • 東蒲原郡阿賀町小手茂348
  • 東蒲原郡阿賀町日出谷甲4905
  • 東蒲原郡阿賀町三宝分甲2190
  • 東蒲原郡阿賀町日野川乙304
  • 東蒲原郡阿賀町払川1340
  • 上越市北本町4丁目2番14号
  • 上越市大豆3057
  • 上越市大潟区内雁子25
  • 上越市五智6丁目
  • 上越市国府1-15-9
  • 上越市浦川原区印内534
  • 上越市浦川原区岩室694
  • 上越市浦川原区日向262
  • 上越市浦川原区上柿野244
  • 上越市浦川原区虫川1492
  • 上越市清里区青柳3817-1
  • 上越市名立区西蒲生田180
  • 上越市名立区峠1204
  • 上越市名立区杉野瀬206
  • 上越市名立区平谷2597
  • 上越市名立区池田558
  • 上越市中郷区二本木983
  • 上越市吉川区坪野1103
  • 上越市吉川区福平266
  • 上越市大渕上平1111
  • 上越市柿崎区平沢1036
  • 上越市牧区東松之木107
  • 上越市牧区府殿798
  • 上越市西山寺465
  • 上越市西横山311
  • 上越市田沢新田101
  • 上越市板倉区筒方2009-子
  • 上越市板倉区栗沢201
  • 上越市吉浦332
  • 上越市三和区水吉797
  • 上越市中正善寺1448
  • 上越市頸城区鵜ノ木522
  • 上越市頸城区手島490
  • 上越市頸城区森下776
  • 上越市頸城区下神原327
  • 上越市頸城区矢住919
  • 上越市頸城区片津459
  • 糸魚川市真光寺989
  • 糸魚川市西飛山355
  • 糸魚川市能生7239
  • 糸魚川市蒲池1283-3(若宮白山社)
  • 糸魚川市北山754
  • 糸魚川市山本384
  • 糸魚川市西山563-子
  • 糸魚川市砂場4789
  • 糸魚川市徳合919
  • 糸魚川市杉之当292
  • 糸魚川市小見2049
  • 糸魚川市栗山1324
  • 糸魚川市上沢629
  • 糸魚川市余所683
  • 糸魚川市西飛山355(諏訪白山神社)
  • 糸魚川市大谷内945
  • 糸魚川市日光寺369
  • 糸魚川市別所260
  • 糸魚川市西塚404
  • 糸魚川市頭山1398
  • 糸魚川市川島1941
  • 妙高市白山町1-18-1
  • 妙高市栗原2-9-4

本田豊によると新潟県で白山神社と被差別部落が関連しているのは上越地方(すなわち上越市・糸魚川市・妙高市)のみで、新潟市の白山町(現・新潟市中央区一番堀通町)も白山神社は存在するものの被差別部落とは無関係であるという。

ただし村上市の大欠下町(松原下町)の穢多町には白山神社があった(現・村上市肴町21-16?)と伝えられる。また、木下浩によると「『白山信仰と部落』という立場からみれば、上越後は信州とは違った様相を示しているといえるだろう。勘兵衛町(現・上越市北本町四丁目=引用者註)の白山社ただ一か所しかみられないのである。近世初頭に、すでに何戸かの下の者がみられたところでも、魚沼郡塩沢村(現・南魚沼市=引用者註)に下町の氏神として、白山社がみられるにとどまっている。ちなみに、越後全体でも前記二か所と下越後の村上に一か所の計三か所が、現在までに確認できるにすぎない」という。南魚沼市に白山神社は二箇所あるが、妙音寺は旧塩沢村ではないので、魚沼郡塩沢村の被差別部落の白山社とは思川667番地の白山神社のことと考えられる。

すなわち、新潟県内の白山神社と被差別部落の関係については

  • 上越地方だけで認められ、その他の地方では無関係であるとする説(本田豊)
  • 上越・中越・下越地方でそれぞれ一箇所ずつ認められるという説(木下浩)

の両説があり、どちらが正しいのかは定かでない。この点、後考を俟つ。

(追記)『全國部落調査』に基づく検証の結果、下越地方では村上市荒川、中越地方では魚沼市並柳の被差別部落に白山神社が存在することが判明した。つまり新潟県内の白山神社と被差別部落の関係については、上越地方だけでなく中越・下越地方でも最低2ヶ所ずつ認められる。結論として、本田豊も木下浩もどちらも間違っていたといえる。


人権開発センター

  • 新潟県人権・同和センター - 新潟市中央区川岸町2-11-4



関連団体

  • 部落解放同盟新潟県連合会 - 新潟県新潟市中央区沼垂西1丁目7-22
  • 部落解放同盟新潟県連合会 - 新潟県長岡市神田町1-1-13
  • 部落解放同盟新潟県連合会高田支部(現・上越支部)
  • 部落解放同盟新潟県連合会小千谷支部
  • 部落解放同盟新潟県連合会堀之内支部
  • 部落解放同盟新潟県連合会新発田住吉支部 - 新潟県新発田市住吉2丁目3-31 長谷川サナエ方
  • 部落解放同盟新潟県連合会関川高田支部
  • 部落解放同盟新潟県連合会湯ノ沢支部
  • 部落解放同盟新潟県連合会中条乙支部
  • 全日本同和会新潟県連 - 新潟県上越市京田40

『放置された1000部落』74頁に、湯ノ沢支部書記長の小池重市の談話として「一里ほど離れた中条町日野、ここは『代議士様』で有名なところですが、ここが湯之沢(ママ)を見習って立ち上がった」とあるが、日野の位置は要調査。談話の書き起こしなので乙(きのと)の誤記の可能性もあるが、湯ノ沢からは一里以上離れている。同じ頁に「新発田市から村上市の入口までの間に、未組織の地域が15もある」、77頁に「新潟では地区指定もない、未組織地域だということを知らない地区がまだ15-16もあるわけです」ともある。



zannin666 at 09:38|Permalink ドエッタにおける穢多族の報告〔東北〕新潟県 

9.Juli.2017

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中郡大磯町〔文献は全國部落調査 1934年度版を元に製作。〕



域内同和地区



大磯

大磯
別名 裡道
現在地 大磯
旧地名 中郡 大磯町 裡道
文献 (1934年)
施設
団体
人口 120(1934年)
世帯数
11(1802年)
18(1830~44年天保年間)
22(1887年頃)
31(1934年)
産業 主業/商業、副業/雑(1934年)

大磯町東小磯に大繩橋姓2件。2000年電話帳。内、1件は閉店した大磯薬局の裏。藤林姓は大正の頃に大磯台町にあったのは確認出来る。



概況

"裡道(リドウ)"の地名は、白山神社隣の「町立裡道児童館(大磯町大磯1253−イ)」に残る。



歴史

1802年は11戸、1830~44年(天保年間)は18戸、1887年頃は22戸。

『助左衛門文書』で知られる、相模国二人目(1801年10月)の小頭助左衛門の本貫地。屋号は"大繩橋"(明治以降は姓としており、1880年の地券に"大繩橋助左衛門"とある。後に改姓し"藤林"とも)。

南茶屋町(現白山神社周辺)五番組源兵衛裏店に住んでいた小組頭八郎右衛門(助左衛門とは親類)は薬屋として名高く、家伝の通閉散と戴雲丹と云う妙薬は、江戸時代各大名を始め大奥からも注文があったという。

元々の地区は"鴫立沢(しぎたつざわ)"にあったが、明治20数年頃に別荘地として売却し消滅。現在は移転先の裡道に一部を残すのみ。



zannin666 at 08:15|Permalink ドエッタにおける穢多族の神奈川県 

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足柄上郡山北町〔文献製作は、1934年の全國部落調査を元に製作。〕


域内同和地区


別名 南原
川村
現在地
旧地名
文献 (1934年)
施設
団体
人口 195(1934年)
世帯数 15(1830~44年天保年間)

30(1887年頃)
30(1934年)
29(1941年)
産業 主業/農業、副業/雑(1934年)

井上姓9件、川端姓2件(1件は解同山北支部長)、杉本姓11件、藤原姓6件、本杉姓6件、臼井姓4件。2000年電話帳。



概況

「南原住宅(山北町岸1270)」は改良住宅。



歴史

1830~44年(天保年間)は15戸、1887年頃は30戸、1941年は29戸。小頭名は"重蔵"。



zannin666 at 08:13|Permalink ドエッタにおける穢多族の神奈川県 

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足柄下郡湯河原町〔文献調査は全國部落調査 1934年度版に基づいて製作。〕



域内同和地区



吉浜

吉浜
別名 千歳ヶ岡
現在地 吉浜 千歳ヶ岡
旧地名 足柄下郡 吉浜村 吉浜
文献 (1934年)
施設
団体
人口 193(1934年)

世帯数
9(1830~44年天保年間)

26(1887年頃)
36(1934年)
産業 主業/雑、副業/農業(1934年)
稲毛姓2件。2000年電話帳。



概況



歴史

『新編相模國風土記稿(天保年間)』の記載では「足柄下郡 早川庄 土肥吉濱村 小名 藪、長吏九軒住す」。1887年頃は26戸。吉浜小学校とその西の新崎川の間の一部の地域。吉浜稲荷神社の氏子総代には、神奈川・東京・埼玉の関係者の姓が列記されている。



zannin666 at 08:12|Permalink ドエッタにおける穢多族の神奈川県 

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小田原市〔文献は全國部落調査 1934年度版に基づいて製作〕



域内同和地区



酒匂、山王原

酒匂、山王原
別名 南市場、中町
現在地 酒匂 4丁目、東町 1丁目
旧地名 足柄下郡 酒匂村 酒匂、山王原
文献 (1934年)
施設
団体
人口 285(1934年)
世帯数
17(1830~44年天保年間 酒匂)
26(1887年頃 酒匂)
31(1830~44年天保年間 山王原)
50(1887年頃 山王原)
77(1934年)

産業

主業/商業、副業/雑(1934年)

酒匂土着の姓は中村姓。近隣に下古沢の有力小頭の姓も流入。酒匂4丁目に中村姓9件、小西姓3件。又、東町 1-17-15に小西靴店加工所。2000年電話帳。山王原土着の姓に"柳沢"は無い。
市営東町住宅に小蔦姓2件、金子姓3件、杉本姓1件。小蔦姓は東町1丁目に7件、町内に他3件。杉本姓は東町1丁目に9件。2000年電話帳。



概況

山王原地区は「70区 白山児童遊園地(東町1-19-21)」周辺にあり、「市営東町住宅(東町1-6-16)」は解放同盟の要求に応じる形で建設され、同団体の推薦でのみ入居可能(横須賀市「市営武ハイムA棟」と同種)である。



歴史

酒匂村(酒匂4丁目)は1830~44年(天保年間)で17戸、1887年頃は26戸。『新編相模國風土記稿』では「長吏友右衛門。小名市場の海濱に、長吏十七軒住す。見捨地二段五畝二十五歩。友右衛門は小頭なり。見捨地の内に白山社あり、社内に元禄2年(1689)の棟札あり」と記載。小頭"友右衛門"の名は1528年の文書には既に登場している。

酒匂地区は"小八幡村小名市場の海濱"から移転。小田原市集会所(酒匂4−4−2)は同和対策で建てた集会所。


山王原村(東町1丁目)は1830~44年(天保年間)で31戸、1887年頃は50戸。『新編相模國風土記稿』では「長吏、道場院の北、見捨地七段十四歩に住す。家数三十一、長を太郎左衛門と稱す。外に非人一軒あり。白山社、長吏の持なり」と記載。

山王原村太郎左衛門は、後北条氏の支配圏内における長吏の触頭であったが、同氏の滅亡と江戸幕府~弾左衛門体制の確立に伴う下古沢太郎右衛門の台頭により、支配域を酒匂川以西の地に限定されていった。明治中期には横浜に200軒の借家を所有していたとのこと。1910~40年頃まで存在した麻撚り工場(小西家)は元小頭一族の家。



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南足柄市〔文献は全國部落調査 1934年度版に基づいて製作〕


域内同和地区



関本

関本
別名 新村
現在地 関本
旧地名 足柄上郡 東足柄村 関本
文献 (1934年)
施設
団体
人口 20(1934年)
世帯数
8(1830~44年天保年間)
20(1887年頃)
7(1934年)
29(1941年)
産業 主業/雑、副業/農業(1934年)



概況



歴史

1830~44年(天保年間)は8戸(他に陰陽師1戸)。1887年頃は20戸余。

1850年の文書では小頭名は"清左衛門(金蔵)"。『新編相模國風土記稿』での記載は「関本村(苅野荘) 首領を金蔵と云、小名"下宿"に住す、八戸、足柄下郡山王原村長吏太郎佐ェ門の配下なり。爰に白山社を祭れり、疱瘡神、稲荷社を末社とす」。菊池山哉の調査の頃で「農、商、日傭等今は二十戸許り、土地では小田原から分かれたと伝えて居り」。



zannin666 at 07:18|Permalink ドエッタにおける穢多族の神奈川県 

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秦野市〔文献は全國部落調査 1934年度版に基づいて製作。〕



域内同和地区



曽屋

曽屋
別名 中野
現在地 曽屋 中野
旧地名 中郡 秦野町 曽屋
文献 (1934年)
施設
団体
人口 872(1934年)

世帯数
62(1830~44年天保年間)

160(1887年頃)
135(1934年)
産業 主業/農業、副業/職工・商業(1934年)

地区の代表姓は三川姓、関口姓、稲本姓。他に栗田、中村、長沢姓等多数。長沢(澤)姓17件、三川姓43件、三武姓7件。2000年電話帳。



概況

地区は曽屋5000番台(旧曽屋字中野)と今泉(旧今泉字桜開戸)。長源寺は青和会による融和事業の拠点であった。関東大震災後、家屋密集を改善するために国の転出事業により中野から河原町へ一部移転。以降、本町にも一部移転。

1910年頃から1940年頃まであった麻撚り工場は、中野に二ヶ所(福住家、稲本家)、河原町に一ヶ所(榎本家)。小頭は井上(三河)家、書記役に森崎家。

歴史

1830~44年(天保年間)は62戸、1887年頃は160戸。下古沢の太郎右衛門の支配から、安永9年(1780)に小頭として独立を許された。『新編相模国風土記稿(1830~44年)』での小頭名は"兵左衛門"。1850年の文書では"三郎左衛門(八郎右衛門)"。




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伊勢原市〔文献は全國部落調査 1934年度版に基づいて製作〕




域内同和地区



板戸

板戸
別名 大塚戸
現在地 板戸、大竹の一部
旧地名 中郡 伊勢原町 板戸
文献 (1934年)
施設
団体
人口 93(1934年)
世帯数 4(1830~44年天保年間)
14(1887年頃)
18(1934年)
産業 主業/農業、副業/雑(1934年)
中心姓は菊村姓、菊川姓、杉本姓(長津田村から移転した大和市下鶴間の一派と縁戚関係)。他に藤川、坂本、村井姓が流入。



概況

板戸児童館横に旧地名の公園(大塚戸東公園)あり。同児童館から八雲幼稚園周辺が地区に当たる。



歴史

1830~44年(天保年間)は4戸、1887年頃は14戸。

明和3年(1766)以降、下古沢の太郎衛門から大磯の助左衛門配下となる。小組頭名は"茂兵衛"。


上粕屋

上粕屋
別名 石倉山、丸山
現在地 上粕屋、西富岡と子易の一部
旧地名 中郡 高部屋村 上粕屋
文献 (1934年)
施設
団体
人口 391(1934年)
世帯数
28(1830~44年天保年間)
66(1887年頃)
66(1934年)
産業 主業/農業、副業/雑(1934年)

石倉の中心姓は藤川姓、杉本姓。他に村井、頼住、藤江姓が流入。
中丸・一之郷の中心姓は杉本姓、坂本姓。他に関口、頼住姓が流入。
上粕屋に杉本姓52件、藤川姓16件。



概況

石倉神社(上粕屋1647付近)は元白山神社。

上粕屋は1000~1600番台の「石倉下」と、2100~2500番台の「中丸・一之郷(西富岡を含む)」の二地区。1910~40年頃まであった麻撚り工場は、石倉に二ヶ所(杉本家、藤川家)、中丸に一ヶ所(杉本家)。



歴史

1830~44年(天保年間)は28戸、1887年頃は66戸。


坪ノ内

坪ノ内
別名 長燈籠
現在地 坪ノ内、神戸と串橋と笠窪の一部
旧地名 中郡 比々多村坪ノ内
文献 (1934年)
施設
団体
人口 69(1934年)

世帯数
6(1830~44年天保年間)

12(1887年頃)
12(1934年)
産業 主業/農業、副業/雑(1934年)

坪ノ内の中心姓は榎本姓。他に下古沢関係の姓が流入。
坪ノ内に榎本姓10件。



概況

地区は比々多公民館付近。1910~40年頃まで麻撚り工場があった(榎本家)。



歴史

1830~44年(天保年間)は6戸、1887年頃は12戸。1889年に神戸村・坪之内村・串橋村他が合併、比々多村が発足している。

明和3年(1766)以降、下古沢の太郎衛門から大磯の助左衛門配下となる。坪ノ内の小組頭名は"由右衛門"。又、神戸村には別に小組頭が置かれていた(『寛政八年御証文(1796)』の記載では"佐左衛門")。



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厚木市〔文献は全國部落調査 1934年度版に基づいて製作。〕


域内同和地区

岡田

岡田
別名 岡田上
現在地 岡田 4丁目
旧地名 愛甲郡 相川村 岡田
文献 (1934年)
施設
団体
人口 136(1934年)

世帯数
8(1802年)
12(1830~44年天保年間)

16(1887年頃)
19(1934年)
19(1937年)

産業

主業/農業、副業/漁業(1934年)

同4丁目に井上姓5件、藤本姓4件。2000年電話帳。




概況

地区はソニー厚木第2テクノロジーセンター横、御嶽神社の前を走るバス通り300m弱位の周辺。市立岡田集会所(岡田4-15-11)は同和対策で建てた集会所。下古沢地区の菩提寺である本照寺の檀家も多い。



歴史

1802年は8戸。『新編相模國風土記稿(1830~44年)』では「長吏十二軒あり、其の地に白山を祀る」。1887年頃は16戸。

明和3年(1766)以降、下古沢の太郎衛門から大磯の助左衛門配下となる。

青和会によると1937年に経済更生特別指導地区としてこの地区が選ばれている。 当時の世帯数は19戸。17戸が農業、その内小作は13戸。八百屋1戸、鉄道員1戸。「関東大震災を機に職業転換、農業を志した。"一般"とほぼ変わらない生活状態ではあるが、信用度が低いため肥料購入資金を融通しれくれる人がおらず、村長の力により銀行から借金をした」という。

1877年の『内国勧業博覧会出品目録』に、福草履の出品者として"井上清十郎"の名が確認できる。

北ヶ谷

北ヶ谷
別名 北ヶ谷戸
浅見山上
現在地 愛名 北ヶ谷
旧地名 愛甲郡 南毛利村 愛名
文献 (1934年)
施設
団体
人口 147(1934年)

世帯数
8(1830~44年天保年間)

10(1887年頃)
23(1934年)
産業 主業/農業、副業/雑(1934年)


地区の中心姓は下古沢・飯山と同じ



概況



歴史

1830~44年(天保年間)は8戸、1887年頃は10戸。

愛名、南毛利(現在の温水・長谷)は下古沢からの分かれ。浅間山(現在の温水字浅間山)は明治後期に愛名から分村。

飯山、下古沢

飯山、下古沢
別名 下飯山、下古沢下分
現在地 飯山、下古沢
旧地名 愛甲郡 小鮎村 飯山、下古沢
文献 (1934年)
施設
団体
人口 500(1934年)
世帯数
34(下古沢下分 1830~44年天保年間)
30(下古沢下分 1887年頃)
97(1934年)
産業 主業/農業、副業/雑(1934年)

下古沢の代表姓は本杉姓、村井姓、長澤姓。その他に阿部、仲田、碓井、伊藤、頼住、森住、福住(箱根湯本では"一般")、藤江等。
下古沢に頼住姓5件。2000年電話帳。
飯山は1887年頃は50戸。飯山は中世(1200年頃)から戦国期初期の頃は相州鋳物技術の中心地でもあった。
頼住姓は愛甲郡飯山周辺の住民が殆どを占める稀少姓で、北海道旭川には同姓の本阿弥流刀剣研師(同氏で三代目)がいる。
飯山に長澤(沢)姓28件、村井姓27件、本杉姓14件、頼住姓15件。2000年電話帳。



概況



歴史

下古沢下分は1830~44年(天保年間)は34戸(外に非人1戸)、1887年頃は30戸。

下古沢下分は、弾左衛門支配下の有力小頭である古沢太郎右衛門の本貫地。屋号は"釜鳴屋"。先祖は煤ヶ谷村出身との言い伝えもある。太郎右衛門の名は世襲され、『竹内助兵衛手形(1593年)』により織田信長の時代にまで遡り確認できる。相模国初の小頭を弾左衛門から許され、長きに渡り一人で小頭を勤めている。

古沢村の三役は「本杉家(小頭)」「村井家(綱取り)」「長澤家(書記役)」。

飯山の白山神社は、太郎右衛門が建築費二十両以上を出費して建立した(『白山大権現御造営記録(1769年)』本杉重三郎家所蔵)。

最後の太郎右衛門は明治半ばに失明、一人娘も東京へ駆落ちし、本家の屋敷も売却された。現在同地に残るのは分家筋。娘のハタは、浅草今戸に住む息子、本杉一角に引き取られ晩年を過ごしたという。

1910~40年頃までは麻撚り工場(本杉家)があり、1970年位までは「本杉箒店・頼住箒店」等、座敷箒製造・販売を行なっていた。

地区は下古沢下分(上分は"一般")を中心に周辺の飯山、愛名、温水等に分村等により拡散。本照寺は地区の菩提寺であり、岡田地区にも多くの檀家を抱えてる。

中依知

中依知
別名 中村
中依知村桜樹
現在地 中依知
旧地名 愛甲郡 依知村 中依知
文献 (1934年)
施設
団体
人口 18(1699年)
46(1934年)
世帯数
3(1699年)
4(1802年頃)
6(1830~44年天保年間)
6(1887年頃)
7(1934年)
産業 主業/農業、副業/漁業(1934年)


茂戸藤姓12件。2000年電話帳。

概況

神解連のレポートによれば、同家の氏神である白山神社(並んで稲荷神社も存在)がかつてこの地にあったが、一族の者が賭博に負けて神社の地所を抵当に取られ、勝った者が跡地に家を建てた為、現在は稲荷神社だけが残っている、との事。

歴史

"中依知村桜樹"とも呼称。明和3年(1766)以降、下古沢の太郎衛門から大磯の助左衛門配下となる。小組頭名は"金右衛門"。

1699年は3戸(男12人、女6人)。1802年は4戸、1830~44年(天保年間)、1887年頃は6戸。

旭町

旭町
別名
現在地 旭町 3丁目
旧地名 愛甲郡 厚木町 旭町
文献 (1934年)
施設
団体
人口 41(1934年)
世帯数
8(1830~44年天保年間)
16(1887年頃)
7(1934年)
産業 主業/農業、副業/雑(1934年)


聖代橋姓5件。2000年電話帳。

概況

きりんど橋は現ソニー厚木の前の厚木用水に架かっていた橋で、堤に桐が植えられていた事から"桐辺橋(きりべばし)"、後に"聖代橋(きりんどばし)"と呼称した。この付近のバス停名は"下宿"といい、旧厚木町の南端にあたる。実際の地区は熊野神社(旭町3−14)の周辺 。

歴史

1830~44年(天保年間)は8戸、1887年頃は16戸。下古沢の太郎右衛門の支配から、安永9年(1780)に小頭として独立を許された。1850年の文書では小頭名は"清蔵"。小組頭名は"七郎兵衛(与惣兵衛)"。

厚木宿は相模大橋を渡った所が上宿、更に南へ中宿、下宿と続き、1830~44年(天保年間)の頃には三宿合わせて330戸だったという。国道事務所のHPで「古くは上・中・下の三ヶ村に分村され、上分の地点に長吏部落を中心にして宿場が生まれました。」と記載されていた(現在は削除)。

菊池山哉の著書によれば"維新前は郵便局あたりに居つたが今は南端に移された"とあり、厚木神社近くの東町郵便局(厚木町6-1-102)周辺から現在地へ地区が移転されたと推測される。




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8.Juli.2017

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平塚市


域内同和地区



田村、大神

田村、大神
別名
現在地 田村 9丁目、大神
旧地名 中郡 神田村 田村、大神
文献 (1934年)
施設
団体
人口 155(1934年)
世帯数
19(1802年)
18(1830~44年天保年間)
30(1887年頃)
34(1934年)
産業 主業/農業、副業/雑(1934年)

田村に今藤姓1件、逆藤姓4件、藤本姓12件、鶴若姓1件。逆藤姓は大神にも1件。2000年電話帳。鶴若姓は「幸若舞」で知られる(本家は平塚市街にあり)。

概況

田村9-3の白山神社は住宅に囲まれ、御嶽神社が合同で祀られている。鳥居は二つ並んでいるが"白山神社"の表示は無く、地図にも表示はされない。大神は他の文献上ではその地名はほぼ見ないが、南端が田村の該当地区に隣接している。

歴史

1802年は19戸、1830~44年(天保年間)は18戸(非人2戸)、1887年頃は30戸余。




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藤沢市〔文献は全國部落調査 1934年度版に基づいて製作。〕


域内同和地区


藤沢

藤沢
別名 木部屋
正木町
現在地 藤沢
旧地名 高座郡 藤澤村 藤澤
文献 (1934年)
施設
団体
人口 172(1934年)
世帯数 11(1802年頃)
14(1830~44年天保年間)
20(1887年頃)
33(1934年)
産業 主業/商業、副業/雑(1934年)
地区の中心姓は由井姓、中村姓(竹皮商)。関口姓は白山宮周辺に2件。


概況

歴史

『新編相模國風土記稿』では「藤沢宿 大久保町 (小名)木部屋」として記載。

極楽寺から別れた一派が玉縄城付近に在住。廃城後に遊行通り沿いの藤沢橋付近に移転した。

小組頭喜平次は大磯の小頭助左衛門配下の者で、屋号は"筬屋"。1877年の『内国勧業博覧会出品目録』に、木綿織筬と雪駄の出品者として"由井喜平次"の名が確認できる。



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横浜市〔文献は全國部落調査 1934年度版に基づいて製作。尚、横浜市はブログ製作のやり直しの為市長名が前後いたしました。〕


域内同和地区



小机町

小机町
別名 根崎
現在地 港北区 小机町、鳥山町の一部
旧地名 横浜市 神奈川区 小机町
文献 (1934年)
施設
団体
人口 154(1934年)
世帯数
26(1887年頃)
22(1934年)
産業 主業/商業、副業/雑(1934年)
東町町内会館前の墓地の周辺である小机町1400番台と2500番台、及び鳥山町900番台に、中臣姓7件、原橋姓6件、窪倉姓(下作延の希少姓)2件、四家姓(池辺の希少姓)1件、坂本姓1件、山田姓3件、清水姓2件、小澤(沢)姓2件、宮本姓2件、矢嶋姓0件。2000年電話帳。又、2500-1の「宝琳堂」の尼野姓1件は下作延の希少姓。



概況

隣町である鳥山町との境界に位置する「東町町内会館(小机町1460)」前の墓地には土着の姓と他地区からの流入姓が見受けられる(但し、墓地は整備されており、"一般"も交えて埋葬されている可能性がある)。

神本姓13件(2000年電話帳)は小机城址周辺の農地と駅前ビルを2棟を持ち、全國部落調査記載の「主業/商業、副業/雑」の対象としては考え難い。この地区に関する本田豊の著書の記載内容は、地区の住民と直接会話したものではなく、団体や行政関係者の回想を基にしている為、改めて検証が必要。

歴史

1850年の文書では、小頭名は"仁左衛門"。

六浦

六浦
別名 髙谷
現在地 金沢区 六浦東 2丁目の一部
旧地名 久良岐郡 六浦荘村 三分
文献 (1934年)
施設
団体
人口 276(1934年)
世帯数
7(1802年)
40(1887年頃)
49(1934年)
産業 主業/職工、副業/雑(1934年)

釜利谷南に残る姓は山田姓(前述の落武者の三姓とは不一致だが"子孫"との事)。又、三姓の内の一姓は"一般"として米倉氏に仕えた。長谷川姓、中村姓、山田姓が中心姓。又、白山神社鳥居の氏子名に中野姓。



概況

高谷町内会館がある。中心部に白山神社。集落内傾斜地に専用墓地がある。



歴史

下古沢の太郎右衛門の配下で、小組頭名は"九郎右衛門"。

六浦地区は釜利谷南(豊臣氏遺臣三名の落武者伝説がある)の白山道周辺から近世初期位に現在地へ移転して来たと言われている。

現在の横浜市金沢区一帯は、江戸時代には米倉藩とか金沢藩、六浦藩などと呼ばれていた。この米倉藩の家臣でK氏という者があった。K氏の先祖は大坂夏の陣(一六一五年)のとき、豊臣方の武将として合戦に参加、徳川方に敗れて敗走。六浦の地へ隠れ住んだ。このとき、共に落ち延びてきた者は中村九郎左衛門が頭で、その家臣としてつき従ってきたのが、長谷川助左衛門とK氏の先祖の三人だった。

Kは白山神社の隣に住む窪田の可能性がある。部落解放同盟六浦支部にも窪田姓の支部員がいる。

十日市場町

十日市場町
別名 坂下
現在地 緑区 十日市場町
旧地名 都筑郡 新治村 十日市場 坂下
文献 (1934年)
施設
団体
人口 18(1934年)
世帯数
5(1887年頃)
5(1934年)
産業 主業/雑、副業/農業(1934年)

同町1077番(解同神奈川県連横浜市協の酒井巳代司)、1087番にも酒井姓1件、1086番-1号にアパート「酒井ハイツ」、他に町内に3件ある。2000年電話帳。但し、同姓が"土着"の該当姓かどうかは未検証(「元小頭」は別姓の可能性が残っている)。



概況

"泣坂"で有名だが、地区の位置には関連は無い。"坂下"は、隣町の新治町との境の崖下、恩田川を渡る坂下橋の周辺を指す古い地名で、現在の地番としては1076~1097番辺りに当たる。



歴史

1850年の文書では小頭名は"甚左衛門"。


池辺町

池辺町
別名 池辺
現在地 都筑区 池辺町
旧地名 都筑郡 川和町 池辺
文献 (1934年)
施設
団体
人口 67(1934年)
世帯数
5(1887年頃)
6(1934年)
産業 主業/農業(1934年)


四家姓6件。2000年電話帳。



概況

地名のフリガナは"イコノベ"。池辺町字星谷(現在の池辺町1587~1721番、及び1835~2046番に当たる)。



歴史

1887年頃は5戸。

助左衛門文書』によれば、小頭名は"星ヶ谷村 三左衛門"(何故か"多磨郡"とされている)。

上瀬谷町

上瀬谷町
別名 竹村
現在地 瀬谷区 竹村町、上瀬谷町
旧地名 鎌倉郡 瀬谷村 上瀬谷
文献 (1934年)
施設
団体
人口 120(1934年)
世帯数 9(1930~44年 天保年間)
45(1887年頃)
20(1920年)
22(1934年)
17(1938年青和会調査)
産業
主業/農業、副業/雑(1934年)
農業が11戸(1938年青和会調査)

前田姓は竹村町に1件、上瀬谷町に3件、瀬谷に4件、中屋敷に2件。水村姓は竹村町に6件、他に瀬谷、上瀬谷町に各1件。2000年電話帳。



概況

地区の中央にあった墓地は妙光寺(瀬谷区上瀬谷町8−3)に移転済。又、白山社は数回移転しており、現在は竹村町内会館前の県道を挟んだ向かい。棟札には"宝徳3年(1451)2月15日 三軒村小頭三九郎の勧請"とある。白山社の整備や竹村町公園は同和対策の一環。



歴史

青和会によると、住宅密集を解消するために昭和初期この地区から上瀬谷町に10戸ほど移転したとのこと。

小頭名は"前田屋吉左衛門(後に、清十郎)"。1877年の『内国勧業博覧会出品目録』に、鞦(しりがい。馬具の一つ)の出品者として"前田清十郎"、その材料(皮)の生産者として"前田九十郎"の名が確認できる。



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海老名市〔文献は全國部落調 1934年度版に基づいて製作〕



域内同和地区



本郷

本郷
別名 下河内
現在地 本郷 下河内
旧地名 高座郡 有馬村 本郷
文献 (1934年)
施設
団体
人口 107(1934年)
世帯数
12(1830~44年 天保年間)
20(1887年頃)
15(1934年)
産業 主業/農業、副業/雑(1934年)

根村姓5件、広崎(嵜)姓8件。2000年電話帳。


概況

『新編相模國風土記稿』に"長吏政右衛門"の見出しで紹介されるこの地区の白山神社は、かつては廣崎太鼓店(本郷 6307)の西側に存在したが、現在は本郷神社に合祀されている。


歴史

下古沢の太郎右衛門の支配から、安永9年(1780)に小頭として独立を許された。1850年の文書では小頭名は"仁平治(政右衛門)"。"稲荷坂"を上がった所の共同墓地(本郷4668付近)には、寛政5年(1793)に没した初代太鼓師 仁平治の墓がある(但し、墓の周囲は"一般")。又、稲荷坂の北にある"えいぞうの坂"は、地元の根村家の三代前、"栄蔵"の名に由来するとの事。"根村"は『新編相模國風土記稿』では本郷村の小名(本郷472に「根公民館」。近年は本郷字根)として、同じく小名である"下河内"とは分けて記載されている。



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7.Juli.2017

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相模原市〔文献は全國部落調査 1934年度版に基づく。尚、姓の箇所に記入されていない場合は特になしとする。


域内同和地区



橋本

橋本
別名 前村
現在地 緑区 橋本
旧地名 高座郡 相原村 橋本
文献 (1934年)
施設
団体
人口 39(1934年)

世帯数

5(1934年)

産業

主業/農業(1934年)



概況



歴史

『小頭・小組頭が置かれたという文献は無い。横浜開港後の1860年2月末に「見張番屋」が設置された記録はある(1867年6月廃止)。団体関係者でも詳細は不明、との話もある。

田名

田名
別名 陽原
現在地 中央区 田名 陽原
旧地名 高座郡 田名村 陽原
文献 (1934年)
施設
団体
人口 28(1760年)
30(1934年)
世帯数
5(1760年)
5(1802年)
3(1830~44年 天保年間)
3(1866年)
3(1887年頃)
5(1934年)

産業

主業/農業(1934年)

姓   


概況

"陽原(みなばら)"はバス停や自治会館の名前で残っている。"皆原"とも表記。

歴史

1760年明細帳に「穢多四軒(廿人)、非人壱軒(八人)」。1826年明細帳に「穢多三軒 但し、村内捨場与唱候処に罷居候」。

明和3年(1766)以降、下古沢の太郎衛門から大磯の助左衛門配下となる。

地元では"三軒村"と呼称。2000年電話帳でも6件程度が確認できる。



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6.Juli.2017

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鎌倉市〔文献は全國部落調査 1934年度版に基づく。〕

域内同和地区



稲村ヶ崎

稲村ヶ崎
別名 極楽寺
金山(小字)

現在地

稲村ガ崎 1丁目

旧地名

鎌倉郡 鎌倉町 極楽寺
文献 (1934年)
施設
団体
人口 84(1934年)
世帯数 13(1887年頃)
13(1934年)
産業 主業/雑、副業/商業(1934年)

菊池山哉によると地区の住民は全て由井姓であり、同姓の名ばかり刻んだ墓地(稲村ガ崎1-7-13南側)もある("金山"姓の墓石が一基ある事が、塩見鮮一郎『弾左衛門の謎』文庫版等には追記)。
由井姓は、稲村ヶ崎1-4付近に8件、極楽寺1丁目に2件。他に小袋谷2丁目に1件。市外では藤沢市藤沢の白山宮周辺や、横須賀市馬堀町3丁目に各6件。他に横須賀市公郷町、野比、浦賀町にも見受けられる。以上、2000年電話帳。



概況


歴史

『新編相模国風土記稿(1830~44年)』では「極楽寺村の長吏戸数八軒、小名金山に住す。今其首長を、九郎左衛門と云う」。

数種類ある『弾左衛門由緒書』は、大方が「家康以前から日本橋尼店にいた初代矢野弾左衛門は、源頼朝公に取り立てられた極楽寺長吏の出自」を伝えるが、その確証はない。

同地の近世の有力小頭の名として"太郎左衛門(1800年頃)"と"九郎左衛門(1830年頃)"を上げられ、『助左衛門文書』では両名が併記されている。

作家塩見鮮一郎のHP掲示板には、同家の一族の者により次のような書き込みがある。

「過去帳によると、1711年極楽寺太郎左衛門と出てきます。それ以前は1685年まで記録がありますが、戒名のみの記載になっています。それから1832年まで極楽寺太郎左衛門は続きます。その後1853年に金山太郎左衛門と出てきます。その後は由井太郎左衛門が1874年まで。そこで太郎左衛門という名前は終わっています(2010/2/9 10:55)」。


「この地(稲村ヶ崎)には今でも九郎左衛門の子孫の方々はお住まいになられています。九郎左衛門の子孫の方々の家紋は「丸に笹竜胆」だという事です。
ちなみに私の先祖の太郎左衛門の家紋には丸は無い様です(2010/7/9 9:28)」。

「先祖は由井太郎左衛門の名前の世襲が頻繁にあった様です。浅草弾左衛門とは関係はありません(2016/2/13 2:42)」。

由井家の九郎左衛門一派が同地に留まり、太郎左衛門一派は藤沢他に移転、拡散したことが推測できる。
『新編相模国風土記稿』には、小八幡村小頭友右衛門所持の古文書(推定1523年)の記載に、「相州鎌倉由比の長吏頼久、同類の"山内(小袋谷を指す)"彦右衛門頼助、"藤沢"七郎左衛門頼通」とある(但し、年代は友右衛門による偽造との説有り)。



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5.Juli.2017

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横須賀市〔文献は全國部落調査票 1934年度に基づく。〕




域内同和地区



馬堀町

馬堀町
別名 馬堀

現在地

馬堀町 3丁目の一部

旧地名

三浦郡 浦賀町 馬堀
文献 (1934年)
施設
団体
人口 330(1934年)
世帯数 6(1802年)
55(1934年)
産業
主業/雑、副業/商業(1934年)

『三浦郡神社明細帳』には、白山社信徒惣代として引本姓と高本姓が記載。2姓共に駅前通り沿いに分布。
引本姓2件、高本姓2件、由井姓6件、永井姓6件。2000年電話帳。
倒壊した白山神社周囲の墓地から推定される芝生の土着の姓は、川間姓、長川姓、浦島姓。『三浦郡神社明細帳』には、白山神社信徒惣代として、"川間仁平次"、"長川久兵衛"の名の記載がある。
川間姓は1丁目に1件、浦島姓は5丁目に1件。2000年電話帳。長川姓は旧地番38-8(現在の浦賀歯科医院の場所)にかつて1件。



概況

団体や行政の認識する地区は同町3丁目11~19周辺だが、実際には旧海岸線に沿った馬堀海岸駅前の一方通行の通り沿いが元々の地区である。墓地や白山社(旧大津村字新富)跡地は京浜急行の線路や横浜横須賀道路により分断されている。

歴史

下古沢の太郎右衛門の配下で、小組頭名は"惣左衛門"。

林地区からの流入も認められるが、"五五軒"の数値は非常に多い。

又、馬堀とは別に、浦賀1丁目にあった地区名は"芝生(しぼう)"。1802年は5戸。下古沢の太郎右衛門の配下で、小組頭名は"弥右衛門"。1852年(ペリー来航の前年)に小屋頭"久兵衛"は太郎右衛門の手下を離れ、弾左衛門の直支配になったという。

浦賀奉行所開設(1720年)に伴い、"川間(現西浦賀5,6丁目周辺)"から1721年に移転してきた、との事。昭和の初め頃で30~40戸、人口250~260人余(明治42年『浦賀誌録』加茂捨三郎元善)。奉行所関係で皮革も扱っていたが、その他は農漁業、日雇い、雑業であった。

『浦島家文書』記載にされる、中郡から浦賀に移った後北条氏の皮作触頭である浦島彦右衛門や、『新編相模国風土記稿』三浦郡西浦賀御蔵の項に記載の大庄屋、浦島清五郎が、この地の浦島姓と関連するのかは不明。

西浦賀2丁目(旧田中町)には「浦島稲荷(西浦賀2-‎14南側)」があり、裏手には"文化四年(1807)"の銘がある比較的古い浦嶋家の墓地「西浦賀浦嶋墓地」もある。又、隣接する常福寺の墓地には、昭和~平成23年にかけての埋葬歴を刻んだ新しい墓が1基ある。但し、同町には現在浦島姓は全く見当たらない。

「西浦賀浦嶋墓地」の敷地内には、少し外れに"斎藤家"名義の墓群(古いもので寛政十一年(1799)、最近のものでは平成)がある。



別名 東町

現在地

2丁目の一部

旧地名

三浦郡 武山村 林
文献 (1934年)
施設
団体
人口 157(1934年)
世帯数 13(1802年)
32(1934年)

産業

主業/雑、副業/農業(1934年)
小林姓は林2丁目に7件、武ハイムA棟に1件。高本姓は武ハイムA棟に3件、林3丁目、太田和1丁目(林2丁目の隣)に各1件、市内では他に馬堀町3丁目に2件、浦賀5丁目に1件。引本姓は林2丁目、太田和1丁目に各1件、市内では他に野比2丁目に1件、馬堀3丁目に2件。2000年電話帳。



概況

歴史

下古沢の太郎右衛門の配下で、小組頭名は"市右衛門"。

1933年位に"新町"を"東町"と改称。1942年、横須賀第二海兵団の施設を作る際に地区の大部分の土地を接収され、7割近くの住民が分散、且つ残った土地にも密集し、やがて住宅が老朽化した。その後、林2丁目の解同関係者による住環境改善要求に基づき、1987年に建設されたのが「市営武ハイムA棟(武1-21−21)」であり、25戸の住民は全て"解同関係者"である。。同住宅に転居した住民の跡地は「林2丁目第2公園(林2-11)」で、公園に隣接した周辺が、現在僅かに住民が残る同地区の中心である。武ポンプ場(林2-9-11)は、1974年の台風8号による大水害を契機に同和対策の一環として建設されている。

又、隣接する太田和町からも武ハイムA棟に少数が入居した。1868年頃の太田和村明細帳では「穢多三軒」。



野比

野比
別名 中村

現在地

野比 2丁目の一部

旧地名

三浦郡 北下浦村 野比
文献 (1934年)
施設
団体
人口 64(1934年)
世帯数 13(1933年)
11(1934年)
産業 職工7戸(1933年)
主業/農業、副業/雑(1934年)
姓  なし



概況

野比2-325-22に野比中村公園が、野比 2-16-13に野比中村町内会館がある。

歴史

小頭・小組頭が置かれたという記録は無い。

元名主である堀越家所蔵文書目録の中に『穢多宗門人別改帳 相模国三浦郡野比村』があるが未翻刻。1853年(浦賀にペリー来航の年)に田浦家より、この地区を支配していた下古沢の小頭太郎右衛門御役所に宛てた文書『口論始末書 父母殺害一件吟味願』が残っている(翌1854年には『殺害一件済口証文』同所に提出)。

又、40年ほど遡る1811年には天然理心流の免許状が田浦家に出されている



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4.Juli.2017

POP TATARI

川崎市〔文献は全國部落調査 1934年度版に基づく〕



域内同和地区




馬絹

馬絹
別名 矢中

現在地

宮前区 馬絹

旧地名

橘樹郡 宮前村 馬絹
文献  
施設
団体
人口 103(1934年)
世帯数 25(1887年頃)
21(1934年)
産業 主業/農業、副業/雑(1934年)


土着の姓は入口姓、鈴木姓。入口姓10件。馬絹1100~1200番台の鈴木姓は12件。池辺から四家姓1件、小机から中臣姓、原橋姓の各1件が流入。入口姓は他に近隣の梶ヶ谷に2件、他に宮前区内に3件、東京都国分寺市東元町1丁目の地区にも1件。2000年電話帳。

概況

入口銀太郎氏は地区の子供達の教育に尽力した人物として有名。

歴史

1850年の文書では小頭名は"太郎左衛門"。

下作延

下作延
別名 谷戸
"下作延村辰ノ谷"とも。

現在地

高津区 下作延 2丁目

旧地名

橘樹郡 高津町 下作延
文献
施設
団体
人口 155(1934年)
世帯数 19(1830~44年天保年間)
25(1887年頃)
31(1934年)
産業 主業/農業、副業/雑(1934年)
同町2-19-10付近の共同墓地("一般"も混在)では、中村、窪倉、尼野、関口、川瀬、中田、溜、といった姓が確認できる。又、 府中、多摩(連光寺)や世田谷区奥沢に親戚関係があるという。


窪倉姓7件、尼野姓8件。溜姓は同区久末に1件。又、横浜市南区蒔田町の溜姓1件は、四家姓1件と同住所。
馬絹から入口姓1件。連光寺から長沢(澤)姓5件、萩原姓3件。他に幸若舞の鶴若姓1件。以上、2000年,2012年電話帳。
又、住宅地図上では中村姓7件、中田姓1件の他、関口姓が3件。

概況

辰の谷稲荷社(下作延2−25−30)に至る急な坂は"馬坂(まさか)"と呼ばれ、周辺は急傾斜地崩壊危険区域に指定されている。

2007~2010年にかけて、地番から住居表示への変更が実施されており、現在の2丁目12~19番が地区の中心に当たる。

歴史

新編武蔵風土記稿』記載では「久地村の境に穢多屋敷十九軒分三段六畝の除地あり」。

1877年の『内国勧業博覧会出品目録』には、木履表の出品者として"溝口村 中村助右衛門"の名が記載。

早野

 早野
別名 下分
現在地 麻生区 早野
旧地名 橘樹郡 柿生村 早野
文献
施設
団体
人口 118(1921年内務省調査)
170(1934年)
世帯数 20(1921年内務省調査)
18(1887年頃)
19(1934年)
 産業
農業、商業(1921年内務省調査)
主業/農業、副業/雑(1934年)




杉本姓15件。小机から原橋姓1件が流入。又、旧鎌倉街道が隣接する鉄町から早野地区に入る辺り(早野600~700番台)に矢崎姓4件、矢島姓と矢元姓が各1件。2000年電話帳。

概況

地区は府中市宮西町の称名寺(時宗。墓地は多摩市連光寺6-2-9にある)の檀家。

歴史

1850年の文書では小頭名は"五郎右衛門"



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2.Juli.2017

POP TATARI

神奈川県の穢多概況

浅草の弾左衛門が由比ヶ浜出自としているが自称であり確証はない。由比ヶ浜の長吏は鎌倉幕府の捕方であり、死刑執行人であった。長吏は長いこと、鎌倉鶴岡八幡宮の祭りでは祭列の先頭に立ち、穢れた空間を清める存在として欠かせない存在であった。彼らによって清められた空間を神輿や神人や供僧らが渡って行く。

鎌倉市内では極楽寺村と小袋谷村(新編相模国風土記には長吏3戸。2軒のみ現存)の二箇所。大船北側の玉縄城にあった一派は廃城後に藤沢橋付近に移住。 台(住居表示未実施地区。すなわち、丁目ではない地区)・山ノ内字藤源治(刀鍛冶「藤源治助真」の屋敷が山ノ内村にあった(『皇国地誌 山ノ内村残稿』記載))・岩瀬字土腐の三箇所については文献に記載は無い。

神奈川県内には行政に把握されているだけで34地区の被差別部落があり、そのうち未指定地区が17地区。同和対策事業未実施地区が11地区。ただし行政に把握されていない被差別部落もあり、実態は50地区前後と解同は主張する。横浜市内の被差別部落は瀬谷区・金沢区・緑区など5ヶ所しかないと言われているが、本田豊によるとこの5ヶ所は単に穢多や長吏の集住地に過ぎず、黒船の浦賀来航以降に品川や芝浦の非人溜から移されて警備の仕事に従事していた者の集住地(南区など)を含んでいないという。その他、横浜市の行政関係者の共通認識としては市内の同和地区は20ヶ所ともいわれるが、金沢区1ヶ所、南区3ヶ所、中区・港北区・瀬谷区・緑区・神奈川区に各1ヶ所(合計9ヶ所)ともいう説もある。神解連の調査では、1977年の段階で28ヶ所という。1921年の調査や1935年の調査に比べて地区数が5ヶ所減った理由は、戦災により京浜地帯の部落が壊滅的な打撃を受けたこと、戦後に人口が急増したことであるという。


神奈川県の被差別部落の統計

調査年地区数戸数人口
1907年4210046459
1921年339325712
1935年319335400
1942年-4002563
1946年--5400
1967年3地区全体300、同和関係286地区全体1473、同和関係1433
1971年4地区全体371、同和関係345地区全体1744、同和関係1660
1975年4地区全体479、同和関係391地区全体2103、同和関係1805
1976年31(うち指定地区5)1200(うち指定地区413)9500以上(うち指定地区1907)
1985年4地区全体479、同和関係391地区全体2103、同和関係1805
1993年11地区全体6239、同和関係919地区全体18093、同和関係3605

『東日本の被差別部落』(明石書店)16頁には「神奈川県では、1982年の法期限末に、駆け込み的に地区指定が行われ、現在2地区が指定されている」との記述がある。この2地区という数値は同書の15頁の図表(1971年と1975年に4地区)と矛盾しており、誤植かどうか不明である。三木民夫『神奈川県の部落の歴史と解放運動』第1巻19頁によると、県内の指定地区は秦野と厚木と山北と大磯にある。ただし同書の198頁には以下の記述もある(同書の刊行は1977年)。

今日における『同和行政』の対象は『秦野』『厚木』『山北』『大磯』『横須賀』の5地域であり、
そのほか対象地域
を設定しないが『同和行政』を行なっているのは横浜、川崎です。横浜、川崎の両市をのぞく、
5対象地域における市や町
の独自予算はほとんど組まれていません。
また昨年行なわれた全国調査による資料を見てみると『対象地域』は5であり、413世帯、
1907人となっていますが実際に
は31地域、1200世帯、9500人以上であります。(正常化連の活動内での資料)

1986年から従来の4地区に加えて8地区(11部落)で同和対策事業が始まった。


神奈川県の指定地区の実態(1971年)


当該地区がある自治体
混住率人口戸数
秦野市100%919200
厚木市100%51095
山北町87.8%19539
大磯町47.3%7721


『新編相模風土記』による天保年間(1830年から1844年)の長吏部落の実態

村名長吏
小八幡村(現・小田原市)17軒
山王原村(現・小田原市)31軒
南茶屋町(現・大磯町)18軒
田村(現・平塚市)18軒
藤沢宿(現・藤沢市)14軒
本郷村(現・海老名市)12軒
子易村(現・伊勢原市)28軒
板戸村(現・伊勢原市)4軒
神戸村(現・伊勢原市)6軒
曽谷村(現・秦野市)62軒
瀬谷村(現・横浜市瀬谷区)9軒
極楽寺村(現・鎌倉市)8軒
岡田村(現・厚木市)12軒
厚木村(現・厚木市)8軒
下古沢村(現・厚木市)34軒
中依賀村(ママ)(現・厚木市)6軒
吉浜村(現・湯河原町)9軒
川村(現・山北町)15軒
関本村(現・南足柄市)8軒

津久井郡には「近世にえた身分はおらず、非人身分のみがいた」とされる。

以下、『ドキュメント差別糾弾』に登場する"被差別部落(但し、江戸期、もしくはぞれ以前に由来する地区は一つも無い)"を紹介する。ほとんどは解放令以降、港湾労働力として集まった貧民(元非人や元野非人も一部に含まれる)により自然発生した「貧民窟、もしくは近代的スラム」であり、計画的に配置、集住された地区ではない。

  • 横浜市S地区(西区浅間町?{ 旧地名は芝生(しぼう)。黒澤明『天国と地獄』で「地獄」として描かれた地区。浅間町からは稲川会初代会長の稲川聖城(出生名・稲川角二)が出ている。ただし稲川の父は福島県岩瀬郡岩瀬村(現・須賀川市)出身。 } 南区清水ヶ丘?)、N地区(南区中村町) - 江戸時代末期、日米通商条約などにより横浜の開港を迫られ、当時寒村であった横浜を港にする突貫工事の労働者の寄場が起源。
  • 横浜市Y地区(南区八幡町?) - 横浜周辺に多い谷戸にひらかれた町並。県内の大きな被差別部落からの移住者が多い。江戸時代末期、外国人居留地と日本人商社街の夜の警備をしていたのが当時の被差別部落民だった。彼らは、県内各地の被差別部落から交代で来ていた。この地区は今でも道が狭く、バラック建てに近い小さな家が軒を並べている。地区の南側に高台がある。
  • 横浜市M町 - 南区南太田町。通称"乞食谷戸"。『横濱繁盛記(明治36年)』によれば、「明治14年(1881)、横浜に浮浪してきた、"菅原虎吉"という者が紙くず拾いをはじめ、この(久保山の)山腹に住むようになった。そして(中略)人口が500人以上になった。(中略)十数件の長屋を持ち貸している一ノ瀬栄吉や園田作蔵などの家主は、2間くらいの家に住んでいる」、「住民は貯蓄をし杉山神社の祭礼の費用」にあてた、という。80年代半ばに廃刊した横浜のタウン誌『浜っ子』には「1893(明治26)年、斉藤芳次郎(通称・三楽)という、(中略)東京出身の理髪職人がいた。その彼が久保山に「慈善堂」という乞食を収容する長屋を建てた」とある。久保山に建つ新善光寺の境内には斉藤芳次郎の像がある。以後、大正12年(1923)の関東大震災の義捐金を基に設立された財団法人・同潤会により、「南太田町不良住宅地区改良事業」が行われることとなる。 

神奈川県内には川崎、横浜、大磯、秦野、山北の5ヶ所に部落解放同盟神奈川県連の支部があり、やがて小田原、横須賀、伊勢原、厚木、湯河原にも支部が生まれた。県連事務局は山北町岸1149に置かれているが、山北の地区は38戸に過ぎない。

横浜市では、1980年に青和会の流れを引く運動家が六浦支部を結成した。

小田原市の地区は約65戸。戦国時代末期、太郎右衛門と共に長吏頭として登場する小田原の太郎左衛門が、この村にいた。

横須賀市の地区は約20戸。このほか、戦前の海兵団の施設を作るとき周辺に強制移転させられた家が40戸以上ある。

厚木市下古沢の地区は約170戸。この地区に特徴的な苗字は本杉、頼住、伊藤、仲田である。山北町岸字南原の地区(別名は別所)は戸数約55戸である。

藤野豊は、神奈川県で最大の部落は秦野にあると述べている。秦野の曾屋部落からは、町会議員の森崎和三郎や、俳人の井上自衛(出生名・三川松助)が出ている。神権連の本部は秦野市曾屋5705にある。

一方、本田豊によると、県下最大の部落は横浜市南区にあり非人系であるという。そして秦野の部落を県下最大の長吏系部落と位置づけている。本田豊によると、横浜、小田原、秦野の部落はいずれも100戸を超える。

横浜市西区西戸部町には「豚谷戸」との俗称があった。横浜市中区南太田町は「乞食谷戸」と呼ばれていた。これらの地区を指して、小島烏水は「豚谷戸だの、乞食谷戸だのといふ綽名があって、特殊の部落も、その窪地にある、かういふ部落が、新開港場の横浜にあるのは、珍しい」と記している。

1921年の内務省の統計資料では、神奈川県内の被差別部落数は33ヶ所、戸数は932戸とされた]

県下では明治時代に招友義会が新平民へのキリスト教伝道に従事し、溝の口に拠点となる教会を建て、その周辺の被差別部落から調査・伝道を開始した。招友義会では、1894年の年末から一週間にわたり県下各地の被差別部落を調査したが、その訪問先は小田原、酒匂、横浜市小机、横浜市十日市場、川崎市馬絹、川崎市下作延、世田谷区奥沢、世田谷区等々力、世田谷区喜多見、調布市布田、稲城市矢野口などであった。1921年の内務省社会局の調査では、馬絹の被差別部落は戸数25、人口164、主業は農業及び商業となっており、屠獣や製皮は行っていなかった。

川崎市麻生区早野の未指定地区は、1935年の中央融和事業協会「全国部落調査」によると戸数19、人口170、主な職業は主業が「雑」、副業が「農」となっている。また1921年の内務省「全国部落所在地調」では戸数20、人口118、職業は農業および商業となっている。宗教は時宗である。

横浜市小机の被差別部落は、1934年11月の中央融和事業協会「全国部落調査」によると戸数22、人口145、職業は主業が商業、副業が「雑」、生活程度・中となっている。

本田豊は「川崎市内にYという姓ばかりの30戸ほどの部落がある。ここは中世の鎌倉攻めのときに、たくさんの矢が降ったからYという姓がついた、といわれています。部落内を旧鎌倉街道が通っています」とも述べている。本田豊の『神奈川の被差別部落』の「武蔵小杉、早野」のくだりは解同川崎共闘会議での講演をそのまま起こしたものであり、他の表現からして何か具体的地名、又は地図を別途配布した上での説明になっている。仮に本田が早野について話しているのであれば、隣接する鉄町との間の旧地名である「矢崎前(鉄町に"矢崎原"という地名があり、且ての小名は"矢崎")」を指している可能性はある。

横須賀市について、鳥取ループは「歴史的には公郷町《くごうちょう》にも被差別部落が存在していたが、こちらは戦後間もない頃には既に消滅していたようである」と述べている。公郷町は古くは宗源寺村(曹源寺村)と呼ばれ、下古沢の太郎右衛門の配下で、小組頭名は"仁兵衛"。1802年で5戸。江戸時代の街道筋を記した『浦賀道見取絵図』には"穢多村"及び"白山神社"が描かれている。絵図に出ている複数の神社の位置から推定すると、現在の県立横須賀高校(公郷町3-109)の敷地内か周辺で、旧浦賀道に面した辺りと思われる。又、白山神社自体は堀ノ内(現三春町)」の春日神社(三春町3-33)に合祀されている。

このほか『長吏と特殊部落』(菊池山哉、東京史談会、1953) によると平塚市馬入にも部落があり、部落民の一軒は飯曾根氏、一軒は坂下氏であったという。渡守に起源をもつ部落と伝えられる。

LUNA SEAの真矢(本名は山田真矢)の実家は秦野市元町1の「肉のしんき亭」だが、部落にルーツがあるか否かは不明。なお、この肉屋は祖父が始めた店であり、父は能楽師である。

助左衛門文書

大磯宿の長吏小頭助左衛門の支配下にあった村は以下の通り。非人小屋の存在が知られる村には◯を付す。
相模川流域の穢多と非人の分布図。助左衛門とは大磯の長吏小頭のこと。

大磯場

  • ◯大磯宿
  • ◯中小磯村
  • ◯西小磯村
  • ◯仲丸村
  • 馬場村
  • ◯国府新宿
  • 月京村
  • 二之宮村
  • ◯塩海村
  • ◯梅沢村
  • 釜野村
  • 押切村
  • 前川村
  • ◯中里村
  • ◯一色村
  • 五分一村
  • 井ノ口村
  • 西久保村
  • ◯黒岩村
  • 虫久保村
  • ◯山入村
  • ひとふえ村
  • 山ノ上村
  • ◯吉沢村
  • ◯寺坂村
  • 生沢村
  • ◯北ノ端村
  • ◯高麗寺村
  • ◯山下村
  • 高根村
  • ◯万田村
  • ◯出縄村
  • ◯坂間村
  • ◯公所村
  • ◯広川村
  • 千須谷村
  • 片岡村
  • 飯嶋村
  • ◯入野村
  • ながもち村
  • 河内村
  • ◯徳延村
  • とも氏村
  • 松延村
  • 久松村
  • 別名村
  • 北大縄村
  • ◯寺田縄村
  • 平等寺村
  • 豊田村
  • 宮下村
  • ◯南原村
  • ◯中原村
  • ◯馬入村
  • ◯須賀村
  • ◯八幡村
  • ◯平塚村

藤沢場

  • ◯(3ヶ所)藤沢宿
  • 石上村
  • ◯鵠沼村
  • 辻堂村
  • ◯引地村
  • 羽鳥村
  • ◯四ツ谷村
  • ◯小和田村
  • 菱沼村
  • 甘沼村
  • ◯茅ヶ崎村
  • ◯南湖村
  • 松尾村
  • ◯柳島村
  • 中島村
  • 町家村
  • 今宿村
  • 浜の郷村
  • 矢畑村
  • ◯円蔵村
  • 西久保村
  • ◯香川村
  • ◯高田村
  • 赤羽根村
  • 杉戸村
  • 寺尾村
  • 行谷村
  • ◯堤村
  • ◯芹沢村
  • 打戻村
  • 菖蒲沢村
  • ◯円行村
  • 遠藤村
  • ◯石川村
  • 大場村
  • 亀井野村
  • 今田村
  • 下土棚村
  • ◯長後村
  • 下和田村
  • 飯田村
  • ◯和泉村
  • ◯仲田村
  • 汲沢村
  • 深谷村
  • ◯上俣野村
  • 千束村
  • 七ツ木村
  • ◯西俣野村
  • 下俣野村
  • ◯原宿村
  • 小雀の内字山谷
  • 関谷村
  • ◯渡内村
  • 宮の前村
  • 高谷村
  • 弥勒寺村
  • 柄沢村

田村場

  • 田村
  • 横内村
  • 大神村
  • 戸田村
  • 平間村
  • 城所村
  • 沼目村
  • 下嶋村
  • 打間木村
  • 豊田村
  • 小峯村
  • 新土村(真土村の誤記?)
  • 馬入村
  • 須賀村
  • 小稲葉村
  • 四之宮村
  • 八幡村
  • 下谷村
  • 大嶋村
  • 落合村
  • 小鍋島村
  • 長沼村
  • 粕谷村
  • 馬後村
  • 一之宮村
  • 小谷戸村
  • 小動村
  • 田端村
  • 萩園村
  • 今宿村
  • 大曲村
  • 倉見村
  • 宮原村
  • 獺郷村
  • 打戻村

岡田場

  • 四ツ谷村
  • 岡田村
  • 酒井村
  • 戸田村
  • 小柳村
  • 津古久村
  • 西小柳村
  • 見附島村
  • 下落合村
  • 粕谷下村
  • 粕谷村
  • 高盛村
  • 竹林寺村
  • 石田村
  • 裏高盛村
  • 川久保村
  • 上愛甲村
  • 愛甲村
  • 上落合村
  • 船子村
  • 下長谷村
  • 恩名村
  • 戸室村
  • 温水村
  • 林村
  • 妻田村

その他

上記のほか、田名場、依知場、神戸場も存在したが、範囲は特定できない。

文献



全國部落調査(1934年)

神奈川縣 昭和九年十一月現在

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
横浜市 神奈川区 小机町根崎二二一四五商業横浜市 港北区 小机町、鳥山町の一部
久良岐郡 六浦荘村 三分髙谷四九二七六職工横浜市 金沢区 六浦東 2丁目の一部

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
橘樹郡 宮前村 馬絹矢中二一一〇三農業川崎市 宮前区 馬絹
〃 高津町 下作辺谷戸三一一五五農業川崎市 高津区 下作延 2丁目下作辺は下作延の誤記。
都筑郡 新治村 十日市場坂下一八農業横浜市 緑区 十日市場町
〃 川和町 池辺池辺六七農業横浜市 都筑区 池辺町
〃 柿生村 早野下分一九一七〇農業川崎市 麻生区 早野
三浦郡 浦賀町 馬堀馬堀五五三三〇商業横須賀市 馬堀町 3丁目の一部
〃 武山村 林東町三二一五七農業横須賀市 林 2丁目の一部
〃 北下浦村 野比中村一一六四農業横須賀市 野比 2丁目の一部
鎌倉郡 鎌倉町 極楽寺極楽寺一三八四商業鎌倉市 稲村ガ崎 1丁目
〃 瀬谷村 上瀬谷竹村二二一二〇農業横浜市 瀬谷区 竹村町、上瀬谷町
高座郡 相原村 橋本前村三九農業相模原市 緑区 橋本
〃 田名村 陽原陽原三〇農業相模原市 中央区 田名 陽原
〃 有馬村 本郷下河内一五一〇七農業海老名市 本郷 下河内
〃 藤澤村 藤澤本部屋三三一七二商業藤沢市 藤沢"本部屋"は"木部屋(旧"正木町")"の誤記。
中郡 大磯町裡道三一一二〇商業中郡 大磯町 大磯
〃 神田村 田村、大神田村、大神三四一五五農業平塚市 田村 9丁目、大神
〃 相川村 岡田岡田上一九一三六農業漁業厚木市 岡田 4丁目

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
中郡 伊勢原町 板戸大塚戸一八九三農業伊勢原市 板戸、大竹の一部
〃 高部屋村 上粕屋石倉山、丸山六六三九一農業伊勢原市 上粕屋、西富岡と子易の一部
〃 比々多村坪ノ内長燈籠一二六九農業伊勢原市 坪ノ内、神戸と串橋と笠窪の一部
〃 秦野町 曽屋中野一三五八七二農業職工・商業秦野市 曽屋 中野
足柄上郡 山北町 岸南原三〇一九五農業足柄上郡 山北町 岸
〃 東足柄村 関本新村二〇農業南足柄市 関本
足柄下郡 酒匂村 酒匂、山王原南市場、中町七七二八五商業小田原市 酒匂 4丁目、東町 1丁目
〃 吉浜村 吉浜千歳ヶ岡三六一九三農業足柄下郡 湯河原町 吉浜 千歳ヶ岡
愛甲郡 南毛利村 愛名北ヶ谷戸、浅見山上二三一四七農業厚木市 愛名 北ヶ谷
〃 小鮎村 飯山、下古沢下飯山、下古沢下分九七五〇〇農業厚木市 飯山、下古沢
〃 依知村 中依知中村四六農業漁業厚木市 中依知
〃 厚木町 旭町旭町四一農業厚木市 旭町 3丁目
計三一三一九三三五四〇〇

市町村別調査結果

横浜市

川崎市

横須賀市

鎌倉市

相摸原市

藤沢市

海老名市

平塚市

厚木市

伊勢原市

秦野市

南足柄市

小田原市

足柄下湯郡河原町

足柄上郡北町

中郡大磯町




※当ブログ主が市町村別調査結果をバラバラにアップしてしまった為、市町村が前後しております。
予めご了承ください。また、ブログの性質上クリックせずともスクロールしてお読みください。



施設等


隣保館

  • 秦野市ほうらい会館 - 神奈川県秦野市曽屋5798番地の3
  • 横浜市第一隣保館(現存せず) - 神奈川県横浜市中区南太田町字富士見耕地948
  • 横浜市第二隣保館(現存せず) - 神奈川県横浜市中区中村町字中居1314
  • 横浜市第三隣保館(現存せず) - 神奈川県横浜市神奈川区浅間町字鹿島662
  • 横浜市第四隣保館(現存せず) - 神奈川県横浜市鶴見区潮田町字向原1732
  • 横浜市第五隣保館(現存せず) - 神奈川県横浜市中区西戸部町字小松原 旧産院内

同和住宅

  • 横須賀市市営武ハイムA棟 - 横須賀市武1-21−21 →現在は一般募集に転換。
  • 小田原市市営東町住宅 - 小田原市東町1-6-16(小蔦姓2件、金子姓3件、2000年電話帳。小蔦姓は全国で小田原市東町が最多、2000年電話帳で10件。昭和31年版『全国工場通覧』752頁に小田原市山王原43の株式会社小蔦製革工場の名前が見える。代表者は小蔦幸之助)
  • 山北町町営南原住宅(改良住宅) - 山北町岸1270番地
  • 秦野市市営薬師原団地 - 神奈川県秦野市下大槻224-1ほか(解同枠あり)

人権啓発センター

  • 神奈川人権センター - 神奈川県横浜市磯子区森3-3-17-217

関連団体

  • 部落解放同盟神奈川県連合会 - 神奈川県足柄上郡山北町岸1149
  • 部落解放同盟神奈川県連合会横浜市協議会 - 神奈川県横浜市金沢区六浦東2-13-34
  • 部落解放同盟神奈川県連合会横浜市中支部
  • 部落解放同盟神奈川県連合会六浦支部
  • 部落解放同盟神奈川県連合会川崎支部
  • 部落解放同盟神奈川県連合会大磯支部(のち部落解放同盟全国連合会神奈川大磯支部→部落解放運動協議会神奈川県本部湘南大磯支部に改名)
  • 部落解放同盟神奈川県連合会秦野支部
  • 部落解放同盟神奈川県連合会小田原支部
  • 部落解放同盟神奈川県連合会山王支部
  • 部落解放同盟神奈川県連合会横須賀支部
  • 部落解放同盟神奈川県連合会伊勢原支部
  • 部落解放同盟神奈川県連合会厚木支部 - かつて厚木市水引にあったとの情報あり
  • 部落解放同盟神奈川県連合会湯河原支部
  • 部落解放同盟 - 神奈川県横浜市中区弥生町4-42-303
  • 部落解放同盟 - 神奈川県横浜市中区海岸通3-9
  • 神奈川県地域人権運動連合会県連事務所 - 神奈川県秦野市曽屋5803-3 → 神奈川県秦野市曽屋5705
  • 神奈川県地域人権運動連合会横浜支部 - 神奈川県横浜市金沢区六浦東2-12-27
  • 神奈川県地域人権運動連合会川崎支部
  • 神奈川県地域人権運動連合会厚木支部 - 神奈川県厚木市厚木町3-3(かつて厚木市水引にあったとの情報あり)
  • 神奈川県地域人権運動連合会伊勢原支部
  • 神奈川県地域人権運動連合会横須賀支部
  • 神奈川県部落解放運動連合会平塚支部
  • 神奈川県部落解放運動連合会大磯支部(現存せず)
  • 全日本同和会神奈川県連合会 - 神奈川県横浜市中区花咲町3-98
  • 全日本同和会神奈川県連合会 - 神奈川県足柄上郡大井町西大井266
  • 全日本同和会横浜支部 - 神奈川県横浜市中区太田町6-82
  • 全日本同和会神奈川県連合会横浜支部 - 神奈川県横浜市南区花之木町2-29-1
  • 全日本同和会神奈川県連合会川崎支部
  • 全日本同和会神奈川県連合会厚木支部 - 神奈川県厚木市下古沢20-3
  • 全日本同和会神奈川県連合会平塚支部 - 神奈川県平塚市浅間町7-16
  • 全日本同和会神奈川県連合会横須賀支部
  • 全日本同和会神奈川県連合会伊勢原支部
  • 全日本同和会綾瀬支部 - 神奈川県綾瀬市吉岡2790
  • 自由同和会神奈川県本部 - 神奈川県小田原市城山4-5-13ランダムハウス城山202号室
  • 自由同和会神奈川県本部 - 神奈川県小田原市城山1-4-1 新幹線ビル2F
  • 自由同和会神奈川県連合会大和支部 - 神奈川県大和市福田2-1-6-1
  • 自由同和会神奈川県連合会西湘支部事務局 - 神奈川県小田原市鴨宮666
  • 全国自由同和会神奈川県連合会本部 - 神奈川県中郡二宮町二宮816-1

神奈川県における行政対応団体は解同と人権連と全日本同和会のみ。自由同和会には対応していない。また、同和会からの分裂組織に神奈川県同和会(1978年7月結成)、新神奈川県同和会(1987年8月結成)があった。後者は利権を批判して除名された者が結成したものの、のち除名を取り消されている。

正常化神奈川県連(現・神権連)は第2回大会で「この1年間の正常化連は、4支部 1準備会から9支部 1準備会へと発展した。これらの成果の上に立って、来年の第3回大会までに、鎌倉、横須賀、湯ヶ原(ママ)など5地区に組織を建設し同盟員の倍加を勝ち取る」との努力目標を発表しているが、鎌倉や湯河原に正常化連の支部ができた痕跡は確認できない。ただし正常化神奈川県連の資料に

1975年(昭和50年)横浜、秦野、厚木、山北、の4支部と川崎支部準備会で県連を発足しました。
第2回大会を迎える今日、伊勢原、小田原、平塚、の新らしい(ママ)支部へと発展し、大磯、横須賀、湯ヶ原(ママ)、
相模原、などに支部準備会や協力者が組織されました。

との記録はある。

なおgooタウンページでは神奈川県藤沢市善行坂1-11-2に「部落解放同盟」(電話番号0466-90-3321)の登録があるが、この電話番号は中山製函株式会社(神奈川県藤沢市弥勒寺2-1-9)に使われており、詳しい事情は要調査。

「部落解放同盟関東連合会神奈川県本部」が神奈川県横浜市旭区万騎が原32-1-1-310にあるものの、行政対応していない泡沫団体である。部落解放同盟との関係は不明。「部落解放同盟関東連合会」(東京都港区虎ノ門3丁目18-6)との関連も不明である。なお「部落解放同盟関東連合会神奈川県本部」の電話番号045-369-4115は、「有限会社藤伸」(神奈川県横浜市旭区万騎が原32-1)にも使われている。

また「NPO法人 全国同和会人権啓発会議」を名乗る団体が、神奈川県横浜市中区末吉町2-25-1ナイスアーバン横浜伊勢佐木町403号と神奈川県大和市中央2-7-2HBビル5Fに登録されている。代表者氏名は髙折恭彦。

このほか「神奈川県同和対策推進協議会」が横浜市西区南幸2丁目9-9-611にある。代表者氏名は齋藤孝雄。

県内の白山神社

  • 神奈川県横浜市神奈川区浦島町373-7(『新編武蔵風土記稿』に「穢多村に東光寺と白山社あり」と記載。幕末に地区ごと現在地に移転。1802年は10戸。明治20年(1887)頃で10戸。中心姓は福田・竹井。他に中臣姓も見られる)
  • 神奈川県横浜市港北区小机町110(小机住吉神社。合祀された白山は、小机城外郭跡の富士仙元大菩薩碑付近の白山社か?)
  • 神奈川県横浜市港北区小机町1451(曹洞宗臥龍山雲松院の参道右手の小高い丘に、正一位稲荷大明神と共に合祀)
  • 神奈川県横浜市港北区新羽町3918(合祀されて杉山神社)
  • 神奈川県横浜市港北区新吉田町3490(合祀されて若雷神社)
  • 神奈川県横浜市港北区下田町3-1-4(下田神社。境内社として白山神社あり)
  • 神奈川県横浜市港北区高田西4-34-35(塩谷寺。白山社あり)
  • 神奈川県横浜市港北区大曽根台9-30(大乗寺。門外に白山稲荷合社あり)
  • 神奈川県横浜市港北区下田町3-11-5(眞福寺。本堂に向って左に白山辨財天第六天天神稲荷秋葉合社あり)
  • 神奈川県横浜市鶴見区馬場1-2-1
  • 神奈川県横浜市鶴見区馬場4-7-5(寳藏院。境内に白山神社あり)
  • 神奈川県横浜市鶴見区下末吉6-19-31(祠のみ、寶泉寺境内)
  • 神奈川県横浜市鶴見区潮田町3-131-1(合祀されて潮田神社)
  • 神奈川県横浜市磯子区上町12
  • 神奈川県横浜市磯子区栗木2-13-21(合祀されて栗木神社)
  • 神奈川県横浜市南区別所2-30-29(白山社)
  • 神奈川県横浜市南区井土ケ谷上町33-2(住吉神社。井土ケ谷下町、旧井土ヶ谷村下ノ前の白山社を合祀。『新編武蔵國風土記稿』では、下ノ前の白山社を「長吏の鎮守」と記載。小頭名は"清左衛門"。天保年間で5戸。明治20年(1887)頃も5戸。"下ノ前"の地名は下之前住宅(同町27-1)や、隣接する下の前公園(南太田2-31)に残る。現在は同公園から蒔田橋までに分布。中心姓は福田・渋谷)
  • 神奈川県横浜市港南区上永谷5-1-5(永谷天満宮境内)
  • 神奈川県横浜市緑区白山2-35-1
  • 神奈川県横浜市緑区台村町546(祠のみ、弘聖寺境内)
  • 神奈川県横浜市緑区東本郷4-12-16(本郷神社。末社として白山神社あり)
  • 神奈川県横浜市青葉区市ケ尾町1057-17(祠のみ、朝光寺境内)
  • 神奈川県横浜市青葉区奈良2-4-7(松岳院。境内に入って左の方山丘の半腹に白山社あり)
  • 神奈川県横浜市磯子区峰町623(峰白山神社)
  • 神奈川県横浜市栄区東上郷町1216-331(旧地番44-9。元は旧六反町。1324か1384年長倉町1へ移転。上郷町745-1にも分祀。1976年現社殿に移転)
  • 神奈川県横浜市栄区上郷町745-1(合祀されて思金神社)
  • 神奈川県横浜市泉区下飯田町742
  • 神奈川県横浜市泉区岡津町1432(永明寺。白山社あり)
  • 神奈川県横浜市旭区さちが丘59(長昌寺。門をへて左に白山社あり)
  • 神奈川県横浜市金沢区六浦東2-13-20(高谷白山神社。1812年11月社殿再建、1852年5月修繕の記録がある。1893年で氏子戸30戸。1980年に鳥居建替え)
  • 神奈川県横浜市金沢区釜利谷南2-44-16(白山堂。東光寺持ち。1371年頃、釜利谷に白山堂が祭られていた記録が金沢文庫の古文書にある)
  • 神奈川県横浜市金沢区瀬戸18-14(瀬戸神社。合祀神 伊邪那岐命・伊邪那美命・木花咲耶姫命・菊理姫命他)
  • 神奈川県横浜市戸塚区矢部町788(雲林寺。白山社あり)
  • 神奈川県横浜市戸塚区川上町546(徳翁寺。白山社あり)
  • 神奈川県横浜市瀬谷区三ツ境8-24付近(白姫神社)
  • 神奈川県横浜市瀬谷区本郷3-38-2(大門大六天。白山大権現あり。通称"白山様"。)
  • 神奈川県横浜市瀬谷区本郷3-36-6(徳善寺内。境内に金毘羅と白山を祭った堂有り)
  • 神奈川県横浜市瀬谷区竹村町19-2
  • 神奈川県川崎市宮前区馬絹986(馬絹神社。1910年に白山他4社を合祀、神明神社と改称。1986年に現名称に)
  • 神奈川県川崎市宮前区野川419(影向寺。本堂の艮に白山山王合社の祠あり)
  • 神奈川県川崎市麻生区白山4-3-1(旧白山社。王禅寺村真福寺谷鎮守。山口村白山神社から分社)
  • 神奈川県川崎市麻生区上麻生3-5(山口白山公園内白山神社跡。元の山口村白山神社。月読神社へ合祀。王禅寺村(真福寺)白山社へ分社)
  • 神奈川県川崎市麻生区上麻生7-38-4(山口谷村の白山神社を合祀。月読神社となる)
  • 神奈川県川崎市麻生区上麻生6-37-6(東林寺。本堂の乾の方に稲荷白山明神合祠あり)
  • 神奈川県川崎市麻生区栗木1-10-1
  • 神奈川県川崎市麻生区栗木台1-15-1(林清寺。本堂に向って右に白山社あり)
  • 神奈川県川崎市高津区下作延7-10-1(祠のみ、円福寺境内)
  • 神奈川県川崎市中原区新丸子東2-980(京濱伏見稲荷神社。1951年創建。境内に摂末社として白山神社あり)
  • 神奈川県川崎市中原区木月1-20-1(住吉神社(旧矢倉神社)に1909年合祀。合祀前の場所は旧上之町996。"住吉"は旧住吉村の地名に由来)
  • 神奈川県川崎市中原区下小田中5-3-15(全龍寺。寺に入って左の方に白山社あり)
  • 神奈川県川崎市中原区上小田中7-20-5(泉澤寺。寺を入って左の方、小祠前に稲荷白山合社あり)
  • 神奈川県川崎市川崎区宮本町7-7(合祀されて稲毛神社)
  • 神奈川県川崎市幸区南加瀬1-2-2(天照皇大神。祭神の一つが白山比咩命)
  • 神奈川県藤沢市下土棚1065("一般"個人持ち)
  • 神奈川県藤沢市藤沢668付近(白山宮。『江島道見取絵図』には3つの白山神社が書かれている)
  • 神奈川県藤沢市遠藤2539(御嶽大神。祭神の一つが菊理媛命)
  • 神奈川県藤沢市辻堂元町3-9-21(合祀されて白山三島神社。"一般"個人宅内)
  • 神奈川県鎌倉市稲村ガ崎1-6-5
  • 神奈川県鎌倉市山ノ内字藤源治(祠のみ)
  • 神奈川県鎌倉市今泉3-13-20
  • 神奈川県鎌倉市二階堂903(杉本寺本堂右手、祠のみ)
  • 神奈川県厚木市飯山3233(古沢太郎右衛門の建立。『明和六年(1769)正月 白山大権現御造営記禄(本杉重三郎家所蔵)』あり)
  • 神奈川県厚木市愛甲2-20(現在は合祀されて熊野神社)
  • 神奈川県厚木市岡田4-19-5(三島神社。近隣した村民持ちの白山社の石祠有り。「寛延二年(1749)九月廿九日」の銘文)
  • 神奈川県厚木市三田2455-4付近(白山宮跡。元は"一般"個人持ち)
  • 神奈川県厚木市上依知1516(宝泉寺境内白山社。奉納主名と共に「大正九年(1920)」の銘文)
  • 神奈川県厚木市中依知554付近(消滅)
  • 神奈川県海老名市本郷2657(現在は合祀されて本郷神社)
  • 神奈川県海老名市上郷1-20-1(龍昌院。境内に白山社あり)
  • 神奈川県綾瀬市早川1802付近
  • 神奈川県伊勢原市上粕屋1334(上粕屋神社。祭神の一つが菊理媛命。石倉の白山社が合祀されている)
  • 神奈川県伊勢原市上粕屋1646南側(石倉神社。白山社は上粕屋神社に合祀)
  • 神奈川県伊勢原市上粕屋2496(中丸・一之郷地区。神奈山神社に隣接。焼失して石碑のみ入口に残る)
  • 神奈川県伊勢原市上粕屋1160(洞昌院。白山社が合祀されている)
  • 神奈川県伊勢原市坪ノ内9(福昌院。白山神明稲荷秋葉山王合社あり)
  • 神奈川県伊勢原市三ノ宮1472(比々多神社。末社として白山社あり)
  • 神奈川県秦野市曽屋1-8-28(曾屋神社。祭神の一つが菊理媛命。明治6年(1873)に中野の白山神社等を合祀)
  • 神奈川県秦野市曽屋5267
  • 神奈川県秦野市千村1115
  • 神奈川県秦野市西田原787北側
  • 神奈川県平塚市土屋2840南西側("一般"個人持ち)
  • 神奈川県平塚市平塚1098(現在は合祀されて春日神社)
  • 神奈川県平塚市田村下町小字馬場(2008年に祠と丸石と台座が処分され、小字改戸の天獏社に合祀)
  • 神奈川県平塚市田村上町小字尾崎
  • 神奈川県平塚市東真土3-5-8(真土神社。"真土騒動"の松木長右衛門が近隣の7つの神社を併合)
  • 神奈川県茅ヶ崎市芹沢2169(現在は合祀されて腰掛神社)
  • 神奈川県足柄上郡中井町岩倉
  • 神奈川県足柄上郡山北町岸1900(現在は合祀されて八幡神社)
  • 神奈川県足柄上郡大井町上大井331(三島神社)
  • 神奈川県小田原市上曽我1967
  • 神奈川県小田原市酒匂4-8
  • 神奈川県小田原市東町1-19-21(市営東町住宅(東町1-6-16)から南に300m弱の「70区 白山児童遊園地」内に位置)
  • 神奈川県小田原市扇町5-7-29(多古白山神社。旧地番"多古669"。県指定無形民俗文化財である小田原囃子の開催地)
  • 神奈川県小田原市鬼柳77付近
  • 神奈川県小田原市風祭863(万松院。境内の鎮守として白山社あり)
  • 神奈川県小田原市城山2-23-3(桃源寺。白山社あり)
  • 神奈川県小田原市板橋831(興徳寺。白山社あり)
  • 神奈川県足柄下郡箱根町湯本431
  • 神奈川県足柄下郡箱根町底倉390(熊野神社)
  • 神奈川県南足柄市矢倉沢1483(旧"字関場"。付近の1535番が矢倉沢裏関所跡。関番衆は小田原から出張してきたという)
  • 神奈川県横須賀市大津町4-22-22(現在は合祀されて諏訪神社)
  • 神奈川県横須賀市平作6-7-1(現在は合祀されて平作神社)
  • 神奈川県横須賀市馬堀町3-19-3付近(昭和29年(1954)、堀之内の真福寺に社殿移転。『三浦郡神社明細帳』によれば、移転前の旧地名は大津村字"新富")
  • 神奈川県横須賀市林2-11(数回移転の後、現在は「林2丁目第2公園」内)
  • 神奈川県横須賀市浦賀1-9-1付近(老朽化にて倒壊。『三浦郡神社明細帳』記載では「元禄元年(1688)九月に字芝生長川居住人民勧請。長川久兵衛私有地。信徒61人」)
  • 神奈川県横須賀市西浦賀1-1-13(西叶神社。祭神は誉田別尊、息足姫尊、白山比媛大神。西浦賀の総鎮守)
  • 神奈川県横須賀市三春町3-33(春日神社。公郷町3丁目の白山社を合祀)
  • 神奈川県横須賀市西逸見町2-70(鹿島神社に合祀。元は西逸見町1)
  • 神奈川県三浦市南下浦町菊名161-1(旧地番149)
  • 神奈川県逗子市山の根2-4-1(山の根熊野神社。明治10年(1877)に白山社他6社を合祀。白山社の祠は昭和20年代まで残存)
  • 神奈川県逗子市久木6-2(久木神社。旧久野谷村の白山神社を合祀)
  • 神奈川県相模原市中央区水郷田名1-8(田名八幡宮に合祀。元は"白山"ではなく"権現様"と呼ばれ、旧地名「望地(もうち)」にあった)
  • 神奈川県相模原市緑区長竹1185-6
  • 神奈川県相模原市緑区名倉4524(石楯尾神社。祭神の一つが菊理媛命)
  • 神奈川県相模原市緑区東淵野辺3-25-1
  • 神奈川県相模原市緑区根小屋2862(龍像寺。白山社あり)
  • 神奈川県相模原市南区新戸2075(白山姫神社。一般村民持ち)
  • 神奈川県相模原市南区上鶴間本町8-54-21(泉龍寺。白山社あり)
  • 神奈川県座間市入谷3-3583(星谷寺。境内の鎮守として白山社があった)
  • 神奈川県座間市入谷1-3530(龍源院。境内の鎮守として白山社あり)
  • 神奈川県中郡大磯町大磯1253(祭神は伊弉冊命。町立裡道児童館の隣。江戸時代には鴫立沢の左岸に面した海浜の丘の上に祀られていた)
  • 神奈川県中郡大磯町高麗坊地577

神奈川県足柄下郡湯河原町に白山神社はないように見えるが、神奈川県足柄下郡湯河原町宮下359-1の五所神社は二見加賀之助重行が湯河原に金沢の白山信仰を伝えるべく開いたものであり、主祭神九柱の中に諾冉二柱を含むことから、本来は白山神社だったのではないかとの指摘がなされている。

県内の青和会支部所在地

神奈川県に水平社は誕生せず、1924年、県内務部長を会長とする青和会が発足し、県下13部落を対象に世話役活動を進めた。その後、青和会の支部は21ヶ所に拡大した。

  • 鎌倉郡鎌倉(現在の鎌倉市):1925年2月22日設立。ただし藤野豊『忘れられた地域史を歩く: 近現代日本における差別の諸相』44頁によると「青和会鎌倉支部は、円覚寺周辺の人々を組織し、被差別部落とは直接関わりを持たなかった」という。
  • 久良岐郡六浦荘(現在の横浜市金沢区):1925年8月22日設立。
  • 横須賀(現在の横須賀市):1925年10月18日設立。
  • 三浦郡北下浦(現在の横須賀市):1926年2月6日設立。
  • 愛甲郡小鮎(現在の厚木市):1926年3月5日設立。
  • 中郡秦野(現在の秦野市):1926年3月20日設立。
  • 橘樹郡宮前(現在の川崎市宮前区):1926年5月5日設立。
  • 三浦郡浦賀(現在の横須賀市):1926年5月23日設立。
  • 鎌倉郡瀬谷(現在の横浜市瀬谷区):1926年10月20日設立。
  • 中郡高部屋(現在の伊勢原市):1928年7月21日設立。
  • 足柄下郡酒匂(現在の小田原市):1929年7月1日設立。
  • 中郡神田(現在の平塚市):1931年4月11日設立。
  • 中郡伊勢原(現在の伊勢原市):1932年3月14日設立。
  • 三浦郡武山(現在の横須賀市):1933年9月12日設立。
  • 足柄上郡山北(現在の山北町):1936年2月27日設立。
  • 橘樹郡高津(現在の川崎市高津区):1936年7月~1937年3月に設立。
  • 高座郡有馬(現在の海老名市):1936年7月~1937年3月に設立。
  • 中郡相川(現在の厚木市):1936年7月~1937年3月に設立。
  • 足柄下郡吉浜(現在の湯河原町):1936年7月~1937年3月に設立。
  • 愛甲郡南毛利(現在の厚木市):1936年7月~1937年3月に設立。
  • 中郡比々多(現在の伊勢原市):1938年10月13日設立。

1960年、神奈川県に全日本同和会が誕生。1973年、部落解放同盟(朝田派)が神奈川県連を結成。1975年、正常化神奈川県連が誕生。すなわち、神奈川県では保守系の同和団体が最も古い歴史を持っている。







zannin666 at 07:21|Permalink ドエッタにおける穢多族の神奈川県 

18.Juni.2017

POP TATARI






東京の部落分布図





(見づらいけれど、東京の消滅した部落の地図)
鮮度を上げる予定。。。クリックすると大体が見れます。



東京都の被差別部落の統計

調査年地区数戸数人口
1907年15515088356
1921年4616517658
1935年2013787248
1942年-5203113
1946年--6240


被差別部落民の混住化が進む東京都に正式の同和地区は存在しなかったものの、荒川区、墨田区、台東区、練馬区は準指定地区の扱いを受けていた。作家山口瞳の妻治子は向島の皮革業者の娘だが、部落民かどうかは明らかでない。声優の森田成一も墨田区の履物屋の息子だが、部落民かどうかは不明である。

東京都の被差別部落の数について、本田豊は「大体30部落ぐらいといわれているが、実際歩いてみると、300近くある。まとまっている部落そのものでも90くらいはある」と主張する。本田は、別の本では自身の調査結果に基づき「約150地区が確認できる」、「23区内をみると部落数は33ヵ所」、「品川区内には8ヵ所の部落があるといわれ、内3ヵ所ははっきりしている。部落と関係が深い白山神社も1ヵ所だけ残されている」とも述べている(解同品川支部による『いばら 10年のあゆみ』35頁にも同じことが書かれている)。都の行政は都議会で「都内の部落は234地区である」と答弁したことがあるといわれる。『東日本の被差別部落』(明石書店)15頁によると、東京都の被差別部落の数は248地区である。

東京新聞は以下のように報じている。"尚絅学院大の内田龍史准教授(社会学)は「江戸にはニ百四十八カ所の被差別部落があったようだ。しかし都は、関東大震災や空襲で街が破壊されたとし、全国の自治体で唯一、同和地区を指定しなかった」と解説する。東京以外の自治体は、一九六九年の同和対策事業特別措置法制定と前後し、被差別部落を同和地区に指定して、住環境の改善などに取り組んだ。その結果、多くの被差別部落が可視化された。差別の固定化につながりそうだが、内田准教授は「研究の結果、部落の出身者と知って普段から接触がある人の方が、接触のない人よりも『部落は恐い』といった偏見は信じにくいことが分かった」と言う。「逆に可視化されない場合、差別を受けた本人が、部落出身だと周囲に知られるのを恐れ、被害を訴えられない。この問題は『寝た子を起こすな』式に黙殺していても解決しない」" 勿論同和地区指定をしなかった都道府県は他にもあり、これは明白な誤りであるが、東京新聞の誤報によるものか、内田龍史の誇張によるものかは定かでない。何れにせよ内田龍史が被差別部落を可視化したがっていることは確かである。)



部落解放同盟東京都連合会委員長・長谷川三郎は以下のように述べている。

それと、靴職人さんたちは安い家賃を求めて、別の地域に移住することもできますが、
皮革業はどこでもやっていい仕事ではなく、東京都の許可が必要です。いまは、荒川
と墨田に限定されていますが、荒川と墨田はもともと部落ではなくて、明治時代につく
られた部落です。全国から部落の人が来て皮革業に従事していますが、本人たちは部落
出身を隠しているつもりでも、その県に多い部落の名字で、わかる人にはわかります。





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部落解放同盟東京都連合会は古地図と現代地図を重ね合わせることのできる書籍『大江戸今昔マップ』に「穢多村」の表記があり、差別を助長すると告発した。 この件に関し

  • 部落解放同盟東京都連委員長・長谷川三郎
  • 部落解放同盟中央執行委員・和田献一
  • 東京都法務局人権擁護部第一課長・東博之
  • 東京都法務局人権擁護部第二課長・北村修
  • 東京都法務局人権擁護部第三課長・中嶋武彦

等が出版社と協議し、白抜きされた地図を出版することで合意した。 

一方、武田清・明治大学文学部教授は自身のブログで以下のように述べている。

 山谷堀に入ってすぐの上側(北側)に、江戸切絵図で見ると縦長に白抜きの町があって、
中が空白になっている。文字が逆さになっているので読みにくいが「
穢多村(えたむら)
、俗ニ新町ト云フ(ぞくにしんちょうという)」と書きこまれている。彼らは長吏
(ちょうり)と名乗ったが、非人層を支配した身分の人たちが、
この寺々に囲まれた土地に集住していた。この町がかき消されたようになくなって
いる。現代の地図で見ると、
ちょうど都立浅草高校がある辺りが、新町への入り口であった。
今この辺を歩いても、昔
を感じさせるものは何一つない
、ふつうの町になっている。区の教育委員会が立てるおせっかいな説明板もない。完全に
消えた町なのだ。

結果的に、部落解放同盟東京都連は今日では完全に消えた町「穢多村」をわざわざ部落だと暴露し、都立浅草高校が部落だとも暴露した。


東京都の被差別部落として文献に登場する地区

  • 足立区本木 - 1890年には荒川沿いに屠場が設けられ、そこに浅草から皮革業者が流入。1913年、荒川放水路の完成により、屠場は千住屠場(1913年4月開設、1937年1月、芝浦屠場への統合に伴い廃場)に吸収された。その後、1923年の関東大震災で焼け出された浅草の業者の流入を含め、靴職人や草履職人の「靴屋長屋」が多数建設され、隣接する梅田地区と共にバタ屋・皮革業・在日朝鮮人の都市細民が集まる巨大スラムに発展。もともと本木や梅田では江戸時代から浅草紙の紙漉業が農家の副業として盛んだったため、バタ屋の移住はその原料入手に便利だとの理由で地元民の受け入れるところとなり、「一夜にしてバタ屋千軒」と呼ばれる状況が出現した。以後、1930年以降の昭和恐慌期から第二次世界大戦中にも貧民や被災民が多数流入し、今日に至る。不良住宅が大規模に密集しているため、1960年頃の「不良住宅調査」では「全国最大のスラム」と形容された。
  • 品川区南品川 - 徳川時代の品川宿には非人頭松右衛門に支配された非人系部落があったが、第一京浜国道の建設にともなって南品川に移転。世帯数は約2000。品川寺(ほんせんじ。南品川3-5-17)の付近には、非人頭松右衛門の住居や抱非人の居住小屋143軒、預かり罪人を収容した品川溜(南品川2-4)があった。『品川小屋頭藤左衛門書上(1828)』の記述によれば、寛永12(1635)年12月頃、松右衛門の先祖三河長九郎が品川に居住、集めた流浪の民の頭領となり、寛文年間(1661~1673)に松右衛門と改名、「芝非人頭」として新橋以南、六郷川以北を担当した。天保14年(1843)の配下の抱非人は984人。明治2年(1869)の弾左衛門調査では、配下の非人200人、野非人・乞食160人。又、松右衛門は貞享4年(1687)9月26日に町奉行所から行倒れの無宿人や未決囚を預けられたのを機に、元禄8年(1695)当時、畑と化していた法禅寺火葬場の土地300坪を譲り受け、更に大井村長吏小頭弥左衛門から土地36坪を買い取り、元禄13年(1700)に「品川溜」を自費で開設した。明治維新直後の収容人数は7人(一年間で218人が死亡)。新政府により溜は閉鎖され、その役目は明治2年(1869)9月設立の「高輪救育所(高輪3-13)」に、解放令公布の明治4年(1871)まで引き継がれた。高輪救育所の収容者数は900人にも上り、非人達が引き続き世話役に充てられた。京急北品川駅~大森海岸駅間の開通(1904年)や、第一京浜の拡幅・改築(1919~1927年)により、松右衛門の南品川の地区は拡散、現在は消滅。
  • 新宿区若葉(四谷鮫ヶ橋) - 徳川初期の火葬場の所在地。江戸時代から続く「三大貧民窟」の一つ。「鮫ヶ橋乞食町」と呼ばれ、代々木の非人頭久兵衛の支配下にあった。佐藤千纏は『社会新策』(1903年)の中で「昔時は皮造り即ち旧穢多と言ひし者多数住棲」と述べており、穢多系部落を核に形成されたスラムと見る向きもある。元鮫ヶ橋北町には願人坊主が住む木賃宿「ぐれ宿」が存在した。天保14年(1843)の時点で願人系の鞍馬円光院所属の「ぐれ宿」が2軒。
  • 新宿区山吹町(牛込山吹町)- 「門廻り」と呼ばれる有戸籍の非人の居住地だった。「江戸小屋」と呼ばれる非人小屋が、日清印刷株式会社のあたりにあった。
  • 新宿区(早稲田々甫)- 「門廻り」と呼ばれる有戸籍の非人の居住地だった。
  • 新宿区新宿四丁目(四谷旭町) - 天龍寺境内の墓地の中に非人部落があったという。「新宿の部落にしても今は稲荷神社なんですが、これも源義家の伝承が残っている」。これは新宿区新宿4丁目4-23の雷電稲荷神社をさす。なお、この部落のすぐ南側の都立新宿高校は近世には刑場と火葬場であったという。四谷天竜寺門前には願人坊主や乞胸が住む木賃宿「ぐれ宿」が存在した。天保14年(1843)の時点で願人系の鞍馬大蔵院所属の「ぐれ宿」が2軒、鞍馬円光院所属が1軒。乞胸系の「ぐれ宿」も数軒あった。天保13年(1842)の乞胸頭仁太夫提出文書によると、四谷天竜寺門外の乞胸は18人。
  • 墨田区東墨田(木下川地区) - 旧向島区吾嬬町に相当。寛政12年(1800)の弾左衛門の文書に「木下川の非人頭久兵衛、手下七人」とある。1873年には浅草亀岡町や新谷町(鞣し業が集中していた)の部落が臭気問題で当地に移転。1881年には神田橋本町の非人系部落が火災により当地に移転、鞣し業が栄える。明治20年(1887)時点での木下川地区の鞣し業者は3軒。明治35年(1902)の皮鞣し業の市外強制移住施行後の、明治43年(1910)の木下川地区の皮革業者は25軒程度。1925年から1930年代半ばまで当局により再移転計画が検討されたが、住民の反対運動で実現しなかった。1970年に部落解放同盟の支部が成立。1984年のデータで1000世帯弱、2500人が住む。
  • 墨田区向島1丁目・3丁目ならびに押上1丁目2丁目の各一部(向島小梅町) - 「無宿」と呼ばれる無籍の非人の居住地だった。
  • 墨田区江東橋(本所柳原町) - 「無宿」と呼ばれる無籍の非人の居住地だった。
  • 台東区東上野4丁目ならびに北上野1丁目(下谷万年町、下谷山崎町とも) - 江戸時代から続く「三大貧民窟」の一つ。かつて乞胸頭仁太夫とその配下が居住。仁太夫は1843年に浅草松葉町に移転させられたが、万年町にはその後も非人頭車善七の支配下の人々が多数居住していた。下谷万年町には願人坊主や乞胸が住む木賃宿「ぐれ宿」が存在した。天保14年(1843)の時点で願人系の鞍馬大蔵院所属の「ぐれ宿」が7軒、乞胸系の「ぐれ宿」も数軒あった。天保13年(1842)に乞胸頭仁太夫の提出した文書によると下谷山崎町(万年町)の乞胸の人数は478人。又、明治2年(1869)の弾左衛門の調査では、180人の乞食(非人、乞胸、願人坊主)が下谷万年町の「ぐれ宿」に集住していたという。明治2年に万年町と改称されてからも住民は人足・日傭取・人力車夫・屑拾などの貧民が多く、山窩の集住地ともなった。
  • 台東区千束、浅草の各一部(浅草千束町)- 非人部落。千束に車善七の屋敷があった。車善七の非人村に接して新吉原があり、今日もソープランド街として存続している。
  • 台東区松が谷(浅草松葉町)- 非人部落。
  • 台東区鳥越二丁目 - 弾左衛門と配下の者たちが日本橋室町から移り住んだ場所。
  • 千代田区東神田1丁目(旧・神田橋本町) - 乞食や願人坊主などの集住する非人系部落があり、「乞食町」と呼ばれていたが、1881年の火災で全焼。以後、被災者たちの現地立ち入りは当局によって禁じられ、1902年に立ち退き命令を最後に、鞣し業に従事していた部落民たちは荒川区の三ノ輪付近や墨田区の木下川地区に移転を余儀なくされた。三ノ輪付近からはさらに荒川8丁目や木下川地区に移転し、今日に至る。神田橋本町には願人坊主が住む木賃宿「ぐれ宿」が存在した。天保14年(1843)の時点で鞍馬大蔵院所属の「ぐれ宿」が28軒、鞍馬円光院所属が18軒。又、明治2年(1869)の弾左衛門の調査では、550人の乞食(非人、乞胸、願人坊主)が神田橋本町の「ぐれ宿」に集住していたという。
  • 中央区日本橋人形町2丁目(旧・日本橋松島町) - 「門廻り」と呼ばれる有戸籍の非人の居住地だった。車善七の旧屋敷があった。明治20年(1887年)日本橋蛎殻町より出火し松島町一帯も焼失したため細民街の跡を絶つ。
  • 中央区京橋(旧・中橋広小路)- 正徳4年(1714年)「ヤドナシ」「無宿」と呼ばれる無籍の非人の集住地となる。のち他の地に移住したため細民街の歴史に終止符を打つ。
  • 中央区日本橋本石町二丁目(旧・日本橋室町)- 家康が江戸に移る前の、弾左衛門や一族党類の屋敷の所在地。現在は日本銀行本店がある。
  • 練馬区練馬 - 1871年、解放令当時に80戸の部落があった。1935年3月当時は向島区吾嬬町に次いで東京府内で2番目に大きい部落があり、352戸、1587人の住民がいた。実際にはこのほか隣接地に約60戸の部落出身者が居住しており、部落外からの移住者もこれとは別に172戸あった。
  • 港区浜松町2丁目(芝新網町) - 「三大貧民窟」の一つ。乞胸・願人など江戸特有の賤民の居住地。「この『三大貧民窟』は、いずれも徳川時代の賤民居住地、すなわち被差別部落であった」。「この『三大貧民窟』は、いずれも旧非人系地区であり、資本主義の発展のもとで都市スラムとして拡大したものであった」芝新網町には願人坊主が住む木賃宿「ぐれ宿」が存在した。天保14年(1843)の時点で鞍馬大蔵院所属の「ぐれ宿」が4軒、鞍馬円光院所属が21軒。
  • 港区浜松町1丁目、海岸1丁目、東新橋2丁目(芝新銭座町)- 「門廻り」と呼ばれる有戸籍の非人の居住地だった。
  • 文京区大塚5・6丁目(小石川大塚坂下町200番地)- 「門廻り」と呼ばれる有戸籍の非人の居住地だった。通称、五十軒長屋。「江戸小屋」と呼ばれる非人小屋が、護国寺裏にあった。
  • 文京区目白台1丁目(胸突坂)- 「門廻り」と呼ばれる有戸籍の非人の居住地だった。江戸川公園の西端を出たところにある駒塚橋には非人橋の別名があった。
  • 文京区小石川四丁目の一部ならびに五丁目(久堅町) - 永井荷風は随筆「傅通院」で「久堅町の穢多町から編笠を冠つて出て來る鳥追の三味線を何處に聞かうか」と記している。「門廻り」と呼ばれる有戸籍の非人の居住地で、「江戸小屋」と呼ばれる非人小屋が、伝通院の西寄りにあったともいわれる。「久堅町も、明治のはじめまで部落の存在したところであって、大正以前には掃除町と呼ばれていたところである」ともいわれる(ただし正確には久堅町と掃除町は別の町)。「統計には載っていないが、東洋大学からは後楽園の方にちょっと離れるが、今現在40戸ぐらいの部落があります。ただ、混在しているから、わかりませんが」と、本田豊は述べている。文京区白山の白山神社に近く、菊池山哉は「部落で祀っていた白山神社だった」と推定している一方、本田豊は「文京区の本郷の白山神社は、現在は一般的な意味での白山信仰の神社でしょう。部落の成立の方がかなり遅いようですから、部落とは関係がない。と思われる」と述べている。
  • 江東区木場6丁目から東陽1丁目近辺(旧・深川久右衛門町) - 非人町との呼称があった。旧地名"洲崎"。元禄年間(1688~1704)に海岸を埋め立て"洲崎の原"と呼び、元禄13年(1700)弁天社(洲崎神社)を祀った。元禄16年(1703)名主の久右衛門が買い受け"久右衛門町"と呼ばれた。寛政3年(1791)暴風雨・大津波で壊滅的打撃を受ける。明治2(1869年)洲崎神社を中心に、西を深川平久町、東を洲崎弁天町に分けた。明治21年(1888)、文京区の根津遊廓が洲崎弁天町に移転し、1958年(昭和33年)の売春防止法成立までは吉原と並ぶ都内の代表的な歓楽街であった。戦後の通称は"洲崎パラダイス"。

このほか、

  • 品川区東大井 - 『新篇武蔵風土記稿』によれば、長吏小頭弥左衛門の大井村の59軒の地区は、1652年までは品川寺(当時は大円寺)にあったという。東大井方面(京急鮫洲駅周辺)への移転は、1651年の鈴ヶ森刑場開設に伴ったものと考えられている。又、戦乱により荒廃していた大円寺は、弘尊上人により1652年に再興され現在の寺号となった。『渡辺(東京)知事府管内巡回記』(『近代部落資料集成』第3巻収録)の記載に、「松方デフレ」後の明治18年(1885)の大井村について「村に工業者八十余名あり、これは旧穢多にして、多くの下駄の表を製し生活す。その中二一戸はかなりの生活をなすものあり」とある。移転後の地区も、京急北品川駅~大森海岸駅間の開通(1904年)や、第一京浜の拡幅・改築(1919~1927年)により現在は消滅。
  • 品川区荏原
  • 品川区西五反田
  • 杉並区荻窪
  • 杉並区成宗 - 現在の杉並区大宮・成田東・成田西のそれぞれ一部。
  • 杉並区方南町
  • 大田区鵜の木
  • 板橋区前野町 - 天保年間編纂の『新篇武蔵國風土記稿』によれば、前野村に「長吏二十四」。
  • 目黒区柿の木坂 - 旧・荏原郡衾村。『目黒区史』1961年版の328-329頁に「最下層の特殊身分」の項目があり、部落解放同盟からの糾弾を恐れた都教委によって図書館から回収されたことがある。以下、全文引用する。
このように目黒地域においても、本百姓・水呑と大別された中にも、さらにいろいろな階層・身分があったことがわかるが
、この外にこれらの諸身分とはっきり区別された最下層の特殊身分があった。それはすなわち、穢多、非人である。
両者は中世以前では区別がなかったが、江戸時代にははっきり分けられ、前者は生涯その境遇を脱することができなかった
が、非人は犯罪者の多くがこの身分におとされたためゆるされればもとの身分にかえることができた。宝暦13年(1763)
の碑文谷村絵図をみると「馬捨場」という場所があるが、当時村々にはこういう斃死した馬を捨てる場所があり、
そこに番太とよばれる穢多が住んでいて死馬の皮をはいで革細工などを営なんで(ママ)いたといわれる。
また死体の処理もかれらの仕事であった。また安永8年(1779)10月衾村平根の稲荷の所に行倒れがあったのを、
等々力村の小家者(こやもの)が発見したが放っておいたので、衾村で相談し、奥沢村の穢多にいいつけて曲台
(まがりだい)に小屋をたてさせ、その行倒れを居住させるようにしたとある。これをみると穢多を小屋者(ママ)
ともいったようである。番太も非人も村の犯罪を取りしまる手伝いをしたり、狼藉者を追い払ったりして村の治安維持に
使われた例が多い。近世後期、年月は不明であるが、衾村の百姓金五郎という者の家に夜中、無宿者の長吉ら二名が押入っ
たので、かねてこういう時にと頼んでおいた元非人松助と同居人彌兵衛の両名がかけつけて取押えたという史料がある
(栗山家文書)。
  • 目黒区下目黒
  • 世田谷区等々力 - 相州大磯宿小頭古文書『助左衛門文書』の記載によれば、嘉永3年(1850)の等々力村の小頭名は"市左衛門"。又、世田谷区史料 第四集収録の『小池家文書(等々力町小池駒次氏蔵)』には、「穢多三軒 市左衛門、長右衛門、佐右衛門。非人小屋壱軒 六助」と記載。1912年まで等々力村は、多摩川を挟んだ対岸の川崎市中原区等々力を飛び地として含んでいる。
  • 世田谷区南烏山 - 文化6年(1809)の烏山村下山家古文書『御水帳写』記載では、「穢多 無御座候。番非人 家壱軒(中略)小屋頭勘助」。下山家は開幕以来の地頭名主であり、やはり当地の土着旧家である杉田家、志村家等と共に旧白山神社時代から祀るのが、昭和37年に改称した現烏山神社である。

などが「同和(改善)地区」として東京都から調査を受けていた。

本田豊はさらに、以下の地区も被差別部落であると主張している。

  • 世田谷区八幡山
  • 世田谷区奥沢(穢多系) - 『旧奥沢村原家文書』に「安永九年(1780)武蔵國荏原郡世田ヶ谷領奥澤村(中略)外に穢多拾軒 弐拾人男 拾五人女」と記載。 
  • 北区赤羽(穢多系) - 天保年間編纂の『新篇武蔵國風土記稿』によれば、稲付村に「長吏三家」。
  • 文京区白山(穢多系)
  • 板橋区志村(穢多系) - 現板橋区前野町のこと。前掲の通り、『新篇武蔵國風土記稿』によれば、前野村に「長吏二十四」。
  • 港区六本木(非人系)
  • 荒川区南千住(非人系)
  • 中野区新井(非人系)
  • 板橋区下赤塚 - 1921年の内務省調査『全国部落所在地調』によると戸数17、人口85、職業は小作農、草履作り、日雇い人夫、土方など。『新編武蔵國風土記稿』で、"上"赤塚村に「白山を祀る(中略)穢多十一軒あり」の記載はあるが、"下"赤塚村の項には特に無い。但し、大字としての"上赤塚、成増、下赤塚"は、"赤塚村"として合併した経緯もあり、現行町名では互いに入り組んでいる。
  • 江東区白河(深川霊岸町、非人系)
  • 江東区海辺(深川海辺町、非人系)
  • 台東区浅草 - 1877年の『内国勧業博覧会出品目録』に、浅草駒形町からの靴の出品者として"弾直樹"及び"小林治助"の名が確認できる。なお衆院議員の深谷隆司(自民党)は浅草の靴職人の息子。「深谷家は、江戸時代から浅草一帯で代々、生活を営んできた」と『自由民主』(2006年)第634~637号78頁にある。
  • 荒川区荒川八丁目
  • 足立区保木間
  • 足立区梅島
  • 東村山市久米川
  • 東村山市廻田町
  • 小平市(ただし周囲からは被差別部落とみなされているのに当事者は被差別部落と考えていないという)
  • 多摩市関戸 - 地区の別名は佐伯谷戸で、有山方面の者は今でも佐伯姓を名乗っているという。東光寺も白山神社もなく、牢番や処刑にだけ関係していたとされ、佐伯姓の者は農化して字荻山や字有山に居住しているという。
  • 日野市百草 - 「其の十人を全部土方(ひじかた)と申します。東光寺は丘陵の中腹にありますが、この人々は麓の泥地(ひじ)つまり卑地に居りました。そこで由木の本郷の人々から泥地(ひじ)方の人々と呼ばれ、その泥地(ひじ)が姓になつたものでしよう」と『日本の特殊部落』(菊池山哉、東京史談会、1962)にある。

このほか、本田豊は中世の角筈村(新宿区西新宿)に雷電神社を守る賤民の一団が居住していた可能性を想定している。

古賀誠三郎は「田中製革は明治20年頃、芝白金に設立され、事業拡大に伴って明治30年戸越へ移ってきたものであった。戸越は古く刑場があったと言われるところで、被差別部落が存在していた。田中製革がこの被差別部落の労働力に目をつけたことはうたがいない」と述べている。

「府中市を中心にして、国立市、国分寺市、調布市をふくむ地域に、現在七地区の被差別部落がある。そしてそのうちの六地区はほぼ甲州街道沿いにあるといえる」

  • 国立市谷保(下組) - 1935年3月末の時点で戸数は20戸、人口は158人。主たる職業は農業、副業は履物表づくり。本来は崖下の低地(国立市谷保6015の旧白山神社付近)にあったが、多摩川の出水が重なったため、嘆願により現在地へ移転。このとき共に移転を嘆願したのが昭島市の「上組」部落であった。なお、白山神社に隣接する「谷保下組公会堂」は1970年前後に部落解放同盟東京都連合会の要求で建てられたものである。
  • 八王子市泉町 - 旧・南多摩郡元八王子村大字下一分方字四ッ谷茶筅村。また下壱分方村字福岡とも。1876年頃には800人以上の被差別部落民が住んでいた。

中央融和事業協会によって1935年10月に調査された被差別部落、すなわち板橋区練馬南町五丁目、向島区吾嬬町など18地区(後掲)はいずれも穢多村である。このほか東京都の穢多部落には以下のものがある。

  • 浅草新町 - 旧浅草亀岡町、現台東区今戸1、2丁目。長吏頭"浅草弾左衛門"役所と住居、手下の居宅があった。都立浅草高等学校は、弾左衛門居宅跡に建つ。伝承によると、解放令の後、亀岡町の住民の3分の1は弾左衛門の出資で地区外に転出したという。浅草今戸町は作家の川口松太郎の出身地だが、川口が部落民か一般民かは不明。弁護士で検事で東京水平社同人の石渡春雄も浅草吉野町(現・今戸)の出身で部落民。石渡家は旧南部藩領の部落出身といわれる。亀岡町出身の製靴業者に小林健次郎、笠原文蔵、瀧上次郎、大塚隊之丞(丸川珠代の夫である大塚拓衆院議員の祖父の養祖父)の名前あり。ただし大塚隊之丞は佐倉藩士。

    江戸時代の古地図。現在の台東区今戸に「穢多村 俗ニ新町ト云」とある。解放同盟はこの記述を問題視し「穢多村」の字を抹消させた。
  • 品川宿 - 品川区南品川3-5-17。長吏小頭"弥左衛門"は、1651年の鈴ヶ森刑場開設に伴って東大井4丁目に移転。その後消滅。
  • 上赤塚村 - 板橋区赤塚4丁目。消滅。天保年間の『新編武蔵國風土記稿』で「穢多十一軒あり、白山社穢多村にあり」。
  • 三輪・三河島 - 荒川区西日暮里から南千住。
  • 青戸 - 葛飾区青戸6-36~39。旧青戸町4丁目に含まれる。天保年間の『新篇武蔵國風土記稿』記載では、「長吏三十五軒も古くより住せり」。青砥神社に合祀前の白山神社は青戸6-37-5付近に鎮座。地区の墓地は同6-36-7~11に囲まれた一画と、同6-39-18北側の二箇所。高橋、中島、平井姓。

また非人部落には以下のものがある。

  • 浅草溜 - 台東区浅草4-32~34、千束小学校付近。"溜"は病囚、幼囚の収容施設。"浅草溜"は非人頭"車善七"が管理した。車善七役所と住居、手下の居宅は新吉原に隣接する台東区千束3-2に、又、預かり女囚の"溜"は同千束3-3にあった。
  • 油堀 - 江東区森下。
  • 品川溜 - 品川区南品川2-4、京急青物横丁駅前。"品川溜"は非人頭"松右衛門"が管理した。元は法禅寺火葬場。『品川小屋頭藤左衛門書上(1828)』によれば、元和~寛永の頃はイエズス会士の隠れ家もある畑となっていたという。
  • 鈴ヵ森 - 品川区南大井2-5-6の大経寺隣りに鈴ヶ森刑場跡地。鈴ヶ森刑場は1651年開設、1871年閉鎖。
  • 代々木村 - 渋谷区代々木。代々木非人小屋があった。「無宿」と呼ばれる無籍の非人の居住地だった。非人頭は"久兵衛"。天保14年(1843)の配下の抱非人は272人。明治2年(1869)は非人79人、野非人100人。和田堀の明治大学校舎と築地本願寺廟所の地所にあった「和田新田御焔硝蔵」(火薬庫)の補助番人も、久兵衛手下の者が勤めたという。
  • 狼谷(おおかみだに) - 現在の渋谷区西原。江戸時代の記録に「非人の家三軒あり。四谷西念寺、勝典寺、戒行寺、麹町栖岸院、必法院など五か寺の拝領地にして荼毘(だび)所あり。文禄年中まで四谷千日谷にありしが、後年千駄谷村に移り、寛文四年八月当所に移る」とある。代々幡火葬場(渋谷区西原2丁目42-1)は江戸時代からの火葬場で、東京では最も古いものの一つ。かつて関東医療少年院もあった。
  • 中野村 - 中野区。中野宿には名主の家に囚人寄場があり、宿からの要請で看守役を引き受けた非人、"番非人"がいた。「番非人」は1844年に幕府により正式に制度化。1930年の『東京府郡部に於ける集団的不良住宅地区状況調査』60頁には「野方町字上高田寺ノ墓地裏」の落合火葬場付近に「総テ一戸ノ堀立小屋ニテ非人部落若シクハ『山ノ人』ト云フ」9世帯23人余の地区の存在が記載されている。
  • 西巣鴨 - 豊島区西巣鴨。
  • 前野村 - 板橋区前野町。前掲の通り、『新篇武蔵國風土記稿』によれば「長吏二十四」。むしろ"穢多系"。

菊池山哉の調査によると、中世には以下の場所に被差別部落があった(カッコ内は菊池山哉の解説)。

  • 多摩郡町田町(原町田が江戸以前に、小机、八王子城を通ずる街道に発生した市場であり、その前身なのですから、少なくとも室町初期へ遡ると思う)
  • 多摩郡府中町(府中町の東端、昔の大井駅街道中であります。この部落も南北朝まで遡ることは確かでしょう。大井駅までの途中、布田宿(旧地を移転)、喜多見村、多摩川上流へかけて谷保村などは配下です)
  • 多摩郡久留米村(この部落は、街道には関係のない村なのですが、やはり、古い部落のようです)
  • 都内文京区白山町(小石川植物園の地におりましたのですが、五代将軍・綱吉が、白山御殿を造営するについて移されました。しかし、部落民は、白山神社を残して、再度、神明町の方へ移りました。この部落は、「和名抄」・豊島郡占方郷(王子方面)の入口を扼して居ったようです)
  • 都内文京区湯島妻恋坂(「和名抄」・豊島郡湯島郷の入口を掘して居ったところが妻恋坂です。湯島郷は豊島駅と乗瀦駅とを結ぶ往還の中間です。「延宝江戸図」に、この地を地獄谷と書いてあり、「江戸談」や「江戸誌」に志太の小太郎なるものが、小山判官を「つま恋が野辺に引据えて、首打しけり」などとありますので、ある時代、湯島郷の長吏がおったことがあるのでしょう。駅路は早く止まり、岩槻街道が、文明中開通されまして、湯島本郷は移転し、廃道同様となりましたので、何時とはなく解消されたものと思われます)

1921年の中央融和事業協会の記録には、現・文京区では久堅町のほか神明町(現・文京区本駒込五丁目)と片町と東片町(現・文京区西片二丁目の一部ならびに向丘一丁目の一部、ならびに本駒込一丁目の一部)も被差別部落として収められているが、全解連の立場からはこれら4地区が全て「関東大震災などにより完全に消滅」したとされる。

文献



全國部落調査(1935年)

東京府 昭和十年三月現在

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
東京市 板橋區 練馬南町五丁目谷戸三二〇一〇三〇下駄表製造日傭練馬区 練馬 4丁目1~5、3丁目20~23、2丁目7~10、1丁目8~16、同39~44明治4年(1872)の解放令当時は棕櫚表加工を中心とした80戸余(東京人権連HPより)。
『渡辺(東京)知事府管内巡回記』(『近代部落資料集成』第3巻収録)の記載に、「松方デフレ」後の明治18年(1885)の地区について、「百戸中、乞食をせざるは僅々五、六人に過ぎず」とある。近年では都内の他、埼玉、神奈川の地区からの流入が多数を占めているという。
近隣の「としまえん」は、文明9年(1477)に太田道灌が焼き討ちした練馬城の跡地であり、戦国時代のこの地は練馬城の濠の外を守る曲輪であったと推定される。
有力小頭"杉本惣兵衛"の居住地であり、武蔵野国西部と浅草を繋ぐ要地でもあった。練馬白山神社は村社の扱いだが、元々は同家の個人持ち(但し、創建自体は弘安4年(1280)以前に遡るという)。小頭一族の本家は第二次大戦中には移転している。
杉本、勝本、谷本、寺崎姓が、江戸時代からの土着姓として同白山神社の奉納碑で確認できる。
箱館戦争に敗れた榎本武揚は、辰ノ口牢獄から一時釈放、練馬谷戸療養所で静養中に小頭家の娘との間に婚外子をもうけ、赦免後も養育費を払っていたという。実子は後に地区を離れ、公立学校の教員を勤めている。
又、分家筋で中央融和事業協会所属の杉本重利氏は、"夏山茂"の筆名で融和文芸小説『祖国』を書いている。
〃 向島區 吾嬬町東七丁目、西八丁目、西九丁目、(木下川)五〇〇二六〇〇皮革油脂膠製造草履表製造墨田区 東墨田寛政12年(1800)8月の『弾左衛門書上』に「木下川の非人頭久兵衛、手下七人」とあり。天保13年(1842)2月の同書上には"木下川久兵衛"の名は無い。明治2年(1869)の弾左衛門の調査では、非人8人、野非人30人。
弾直樹の四男の弾慎平(矢野慎平、矢野祐之助とも)が、この地区で製革工場「東京皮革製造所」を営んでいた。声優の横山智佐子の実家兼事務所「バンビーナ」が東墨田三丁目にある。
〃 北多摩郡 府中町谷戸一六八〇農業府中市 清水が丘 3丁目古名金尻村。東郷寺の北側の「かなしい坂」は旧村名が由来。弾左衛門役所から発せられた文書の廻し順を示す『寛政元年(1789)五月廻状順覚』によれば、金尻村の小頭名は"半左エ門"。
同3丁目に池田姓7件、古川姓16件。2000年電話帳。
〃 昭和村上組二一一〇六昭島市 宮沢町 2丁目1928年に昭和村の大字として宮沢が成立。1941年には昭和町の大字となる。宮沢から宮沢町に改称したのは1954年。
〃 谷保村 谷保下組二〇一五八国立市 谷保宮瀧順子・部落解放同盟国立支部支部長は「今そこには、「同和」対策事業の一環として建てた「下組公会堂」がありますが、私が小学校一、二年くらいまでは、狭山事件に出てくる荒神様のような感じでまつられていました。下組公会堂を建てる際に白山様をすこし動かして、その後に現在の公会堂が建てられました。」と、「谷保下組公会堂」(東京都国立市谷保4133-11)周辺が同和地区だと暴露している。弾左衛門役所から発せられた文書の廻し順を示す『寛政元年(1789)五月廻状順覚』によれば、谷保村の小頭名は"嘉左衛門"。
杉本姓17件。2000年電話帳。俗称「杉本部落」。
〃 久留米村 下里田無飛地西村二六一八〇〃、日傭東久留米市 下里弾左衛門役所から発せられた文書の廻し順を示す『寛政元年(1789)五月廻状順覚』によれば、下里村の小頭名は"四郎兵衛"。
西山姓21件。2000年電話帳。
〃 東村山村 野口中ノ通四三二七二草履表製造農業東村山市 久米川町 4、5丁目、諏訪町 1、2丁目1964年に野口の一部から諏訪町が成立。同年に久米川は久米川町に改称。元々南北に500m程離れた二つの地区(上宿と西宿)を更に西武新宿線が東西に分断している。旧鎌倉街道沿いの白山神社(久米川町4-41-2)周辺と線路を挟んだ反対側が"上宿"。又、東村山諏訪郵便局(諏訪町1-21-10)の前は"西宿通り"である。
久米川町と諏訪町に東原姓3件、栗原姓17件、小田井姓5件、木下姓21件、北久保姓5件、竹内姓3件、山下姓5件。2000年電話帳。
〃 砧村 喜多見 下宿二二二一〇農、日傭草履表製造世田谷区 喜多見 5丁目世田谷区史料 第四集収録の『広田家文書』によれば、文化12年(1815)の地誌の写しとして「穢多 拾三軒 人数 男三拾四人 女三拾九人 合七拾三人 是ハ延宝六午年(1678)喜多見若狭守様当村内御檢地之節、(中略)右穢多共ニ者相勤させ(後略)」と記載。
喜多見5-3付近にバス停「下宿」あり。同5-3には、旧白山神社(現稲荷神社)もある。
同5丁目に小島姓9件、宮本姓8件。2000年電話帳。
〃 国分寺村 国分寺下村二四一三二農業製革国分寺市 東元町 1丁目東元町1-29-20の平安神社が旧白山社。
埼玉県所沢市から移転して成立した部落といわれる。本田豊によると「近世には、その職業が『鉦(かね)打ち』であったらしい。今もその職業を思わせる名字をなのっている」という。この記述は埼玉県所沢市の地区に多い"金子姓"を指す。
東元町1丁目に榎本姓5件、金子姓20件、椙本姓6件、西本姓5件、入口姓1件。2000年電話帳。同2丁目の金子姓は土着の"一般"。
〃 拝島村第六區二四一五九草履表製造昭島市 拝島町『新編武蔵国風土記稿(天保年間)』記載では、拝島村の東、小名"下"に「穢多居住をなせり、戸数十七軒ばかりあり」。弾左衛門役所から発せられた文書の廻し順を示す『寛政元年(1789)五月廻状順覚』によれば、拝島村の小頭名は"五良(ママ)左衛門"。
〃 多摩村 是政神尺六九荷馬車挽府中市 是政 2丁目同2丁目に篠塚姓14件。2000年電話帳。

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
南夛摩郡 夛摩村 字連光寺船ヶ台四八三二四農業草履表製造多摩市 連光寺字"船郷"とも。天保14年(1843)の村明細帳で20戸余(90人余)。
天保年間の『新編武蔵国風土記稿』記載では「家数十八軒あり。語り伝へに此の穢多、昔は村民忠右衛門(連光寺村初代名主、富澤忠岐の通称)が屋敷にありて、その所を守り居しが、慶長三年(1598)検地ありしとき、當所にて十五石の地をのぞき與へられしゆえ移り住せり」。
弾左衛門役所から発せられた文書の廻し順を示す『寛政元年(1789)五月廻状順覚』によれば、船郷村の小頭名は"作兵衛"。
萩原家(萩山より移住)、長沢家(菅生村長沢より移住)は、同村名主富沢家により一帯の森林警備の山番を任され、農作も営んだ。年貢米を納める他、山番という職務故、名主と弾左衛門の二重の支配下にあった。明治新姓時に出身地から創姓したという。
長沢(澤)姓29件、萩原姓41件。2000年電話帳。地区内には称名寺(府中市宮西町1-9-1。時宗)の墓地がある。
〃 堺村字 相原中ヶ谷戸三八農業草履表製造町田市 相原町境川沿いの白山社(相原町770)周辺を"中ヶ谷戸"と呼称した(『堺村誌』)。
白山社付近に川端姓が5件。2000年電話帳。
境川を挟んだ元橋本町側(神奈川県)にも川端姓。これが"高座郡相原村橋本前村"の地区に当たるのかどうか不明。この境川を武蔵・相模の国境と定めたのは、文禄3年(1594)の太閤検地によるものと言われている。
〃 町田町 本町田下村一四八〇農業藁細工町田市 本町田菊池山哉は『長吏と特殊部落』第1巻87頁で「古くは六軒だったので、六軒村と称して居った」と伝えている。
〃 稲城村 矢野口中島一四九三農業草履表製造稲城市 矢野口本田豊は「稲城市矢野口の場合、城の名前と部落内の姓が同一である」と記している。稲城市矢野口、神奈川県川崎市多摩区菅仙谷に戦国時代まで"小沢城"があった。
小沢姓32件、小澤姓9件。2000年電話帳。
〃 忠生村 下小山田南沢又ハ小沢谷戸一一七八農業草履表及毛皮製造町田市 下小山田町小丸俊雄による嘉永三年(1850)の古文書からの採集によれば、多摩郡小山田村の小頭名は"源右衛門"。『忠生村誌(1963年)』の記載では「(上根神社に合祀された白山社は)享保4年(1719)9月創建。宝暦9年9月再建し小名"南沢"にあって、"小沢"家の守り神」。今昔マップで見る限り、旧忠生村"南澤"は下小山田町が小山田桜台1丁目に接する辺りか。
同町3368番に小沢姓7件。小冷(こびえ)姓6件。2000年電話帳。
〃 由井村 小比企一九九七農業藁製品草履表製造八王子市 小比企町
〃 元八王子村下一分方福岡一四八七八七履物表、靴、竹細工製造、農業、日雇履物表、竹細工製造八王子市 泉町柳田國男は「茶筅及びサヽラ(毛坊主考の七)」の中で「武蔵の南多摩郡元八王子村下一分方字四ツ谷の中に、茶筅村と唱ふる一区あり、之に住するは非人であつた(新選武蔵風土記稿)」と述べている。
泉町会館(柏木豊次郎邸跡)敷地内設置の石碑「先覚之碑」に「山上卓樹、山口重兵衛、奥田兵助、宮崎豊吉、青木松兵衛、武藤勘次郎(村長)、柏木豊次郎(山口重兵衛の兄)、山上卓三(山上卓樹の弟)」の名が"先覚者八氏"として刻まれている。石碑は橋本義夫氏の建碑運動により1957年に建てられた。
青木姓5件、岡村姓3件、奥田姓9件、橋本姓4件、宮崎姓4件、武藤姓1件、山上姓6件、山口姓10件、山中姓10件。2000年電話帳。
西多摩郡 霞村 藤橋久保六二四八〇履物及同表製造農業青梅市 藤橋『新編武蔵国風土記稿(天保年間)』記載では「村内久保といへる所に穢多の居處あり。凡そ三十軒」。藤橋2丁目、3丁目に分布。青梅市今井と隣接。
明治10年(1877)の『内国勧業博覧会出品目録』に、木綿織筬の出品者として"新條仙蔵"、絹織筬の出品者として"新條斧吉、同貞市"の名が確認できる。
小林姓18件、新条姓5件、藤本姓4件、藤原姓14件。2000年電話帳。
〃 霞村 今井水窪三一二七五履物及同表製造農業青梅市 今井今井2丁目、3丁目が分布の中心。青梅市藤橋と隣接。
明治10年(1877)の『内国勧業博覧会出品目録』に、雪駄表の出品者として"藤原奥次郎"、駒雪駄表の出品者として"藤原庭造"の名が確認できる。
小林姓18件、藤本姓7件、藤原姓11件。2000年電話帳。
計一八二〇一三七八七二四八

『物語でつづる部落の歴史』

高山秀夫『物語でつづる部落の歴史』(文理閣、1977年)194頁の「東京の部落分布図(多数解消したところあり)」によると、東京都における市区町村別の被差別部落の数は以下の通りである。出典は不詳だが、

  • 秋多町という自治体があったのは1955年4月1日から1972年5月5日までであること。
  • 狛江村に町制が施行されたのは1952年11月10日であること。
  • 由木村が八王子市に編入合併されたのは1964年8月1日であること。
  • 多摩村に町制が施行されたのは1964年4月1日であること。

以上の点から、自治体によって調査年はまちまちであること、およそ1950年代から1960年代の数値であることが推測できる。

区部

  • 文京区 - 4
  • 新宿区 - 3
  • 世田ケ谷区(ママ) - 3
  • 港区 - 2
  • 杉並区 - 2
  • 荒川区 - 2
  • 葛飾区 - 2
  • 墨田区 - 2
  • 江東区 - 2
  • 品川区 - 2
  • 大田区 - 2
  • 練馬区 - 2
  • 渋谷区 - 1
  • 中野区 - 1
  • 板橋区 - 1
  • 足立区 - 1
  • 千代田区 - なし
  • 中央区 - なし
  • 台東区 - なし(今戸が無視されているのは不審だが、解消した地区とみなしたのか)
  • 目黒区 - なし
  • 豊島区 - なし
  • 北区 - なし
  • 江戸川区 - なし

多摩地域

市部

  • 八王子市 - 49
  • 町田市 - 26
  • 府中市 - 5
  • 昭島市 - 3
  • 日野市 - 3
  • 東村山市 - 2
  • 調布市 - 2(上布田宿。弾左衛門役所の『寛政元年(1789)五月廻状順覚』によれば、布田村の小頭名は"重左エ門"。『新編武蔵国風土記稿』に「村南にエタ住居、戸数二」とある)
  • 立川市 - 1(柴崎町4丁目。弾左衛門役所の『寛政元年(1789)五月廻状順覚』によれば、立川村の小頭名は"七左衛門")
  • 武蔵野市 - なし
  • 三鷹市 - なし
  • 小金井市 - なし
  • 小平市 - なし

郡部

  • 青梅町 - 26
  • 由木町(ママ。正確には由木村に町政が施行されたことはない) - 15
  • 五日市町 - 14
  • 村山町 - 9
  • 奥多摩町 - 9
  • 大和町 - 8
  • 多摩村 - 6
  • 秋多町 - 6
  • 日の出町 - 4
  • 清瀬町 - 4
  • 国分寺町 - 4
  • 瑞穂町 - 4
  • 福生町 - 3
  • 久留米町 - 3
  • 国立町 - 2
  • 保谷町 - 2
  • 稲城町 - 1
  • 羽村町 - 1
  • 田無町 - 1
  • 桧原町(ママ。正しくは檜原村) - 1
  • 狛江村 - 1

島嶼部

記載なし


施設等


隣保館

  • 本木隣保館(現存せず)- 足立区本木町1-876。
  • 和田堀隣保館・和田堀母子寮(方南隣保館保育園・母子生活支援施設スタルト方南の前身)- 杉並区方南1-4-7。大正14年5月11日開設。
  • 王子隣保館(王子隣保館保育園の前身)- 北区王子2-19-21。大正13年10月1日開設。
  • 尾久隣保館(尾久隣保館保育園の前身)- 荒川区町屋6丁目28−11。大正14年7月15日開設。昭和6年4月、尾久父子ホーム開設。
  • 八王子隣保館(八王子村隣保館保育園の前身)- 八王子市叶谷町1133。昭和14年10月1日開設。松本治一郎の演説会が行なわれたことあり。
  • 大井隣保館(現存せず)- 荏原郡大井町鎧ヶ淵3603(現・品川区)。大正14年1月15日開設、昭和20年閉鎖。
  • 大島隣保館(現存せず)- 南葛飾郡大島町2-733(現・江東区)。大正14年5月4日開設、昭和20年3月焼失。
  • 練馬隣保館(現存せず)- 練馬区南町5(部落解放同盟練馬支部が同居する「練馬区役所 厚生文化会館 - 練馬区練馬4-2-3」の前身)。昭和12年6月1日開設。
  • 南千住隣保館(現存せず)- 荒川区南千住6—192。大正12年5月1日開設、昭和20年3月9日焼失。
  • 隅田川水上隣保館(現存せず)- 荒川区南千住10—4。昭和4年開設。
  • 霞村隣保館(現存せず)- 西多摩郡霞村(現・青梅市)。昭和13年7月9日開設、昭和37年3月31日廃止、青梅市へ移譲。


白山神社

  • 練馬区練馬4-2(旧南町5-6744、古くは下練馬村谷戸谷戸山。『北豊島郡神社誌』記載では、氏子区域は「練馬町字谷戸山、谷戸、出頭、谷戸前、栗山の一部(板橋区練馬南町五丁目全部及同四丁目一部)五百戸」)
  • 練馬区大泉町5-15-5(大泉氷川神社の境内社)
  • 練馬区北町8-22(大松氷川神社の境内社)
  • 多摩市落合2-2-1
  • 多摩市連光寺6-6-11
  • 北区堀船3-11-3
  • 北区赤羽北3-1(現在は合祀されて諏訪神社)
  • 北区岩淵町22(現在は合祀されて八雲神社)
  • 国分寺市東元町1-29-20(創建年代等は不詳。白山社と称し、嘉永元年(1848)に再建され、昭和21年に平安神社と改称。祭神は菊理媛命。石川一雄は14歳の時、国分寺にあった靴屋「石川靴店」(母の兄が経営していた)に住み込み奉公していたことがある)
  • 稲城市大丸841(大麻止乃豆乃天神社。大丸882付近の白山神社を合祀)
  • 稲城市矢野口394
  • 稲城市百村159
  • 国立市谷保6015(現神明宮。旧白山神社)
  • 国立市谷保4130
  • 小平市小川町1-2573(小平神明宮。境内社として白山神社を祀る)
  • 小平市仲町361(小平熊野宮。境内社として白山神社を祀る)
  • 文京区白山5-31-26
  • 清瀬市下宿3-1383-2
  • 清瀬市中清戸2-616(現在は合祀されて日枝神社水天宮)
  • 西多摩郡日の出町大久野2281
  • 東久留米市下里2-8付近 (現存せず。下里2-9の氷川神社に合祀)
  • 東久留米市大門町1-3-4(現在の浄牧院、白山秋葉相社)
  • 東村山市久米川町4-41-2
  • 東大和市芋窪1-2067(祠のみ、豊鹿嶋神社境内)
  • 西東京市住吉町1-2-12(東禅寺。大門の外に白山社あり)
  • 小金井市梶野町2-7-5(現在の長昌寺。門を入って左に境内の鎮守として白山社があったが現存せず)
  • 町田市下小山田町898(下小山田村字大沢の宮ケ腰に鎮座。祭神は志良屋満比売命。『新編武蔵風土記稿』によれば下小山田町1336の萬蔵寺持ちとの事)
  • 町田市下小山田町332-13(上根神社。南沢の白山社他数社を合祀の上、1965年に創建、2004年現在地へ移転。南沢白山社は享保4年(1719)9月創建、伝小沢家持ち)
  • 町田市小山町3070付近(小山白山神社跡。小山白山公園の南西部シイノキ付近)
  • 町田市相原町770
  • 町田市図師町1854(合祀されて熊野神社となる)
  • 町田市本町田802(合祀されて菅原神社となる)
  • 町田市大蔵町2177(慶性寺。寺院背後の滝の上の高丘に古くより慶性寺持ちの白山社があった)
  • 町田市大蔵町2822(春日神社。1910年に打越の白山社他七社を合祀)
  • 町田市広袴2-14-23(妙全院。境内に天照太神宮白山権現社あり)
  • 町田市原町田1-8-13(宗保院。境内鎮守本堂の前に白山社あり)
  • 町田市高ヶ坂7-15-1(祥雲寺。本堂の正面に白山社あり)
  • あきる野市戸倉字坂下819
  • 八王子市泉町1287(明治期に廃社、現在のカトリック泉町教会の場所)
  • 八王子市片倉町1040付近(釜貫白山神社)
  • 八王子市片倉町944(現在の慈眼寺。境内の鎮守として山門の外に白山妙理権現社がある)
  • 八王子市川口町392付近(別所) (長楽寺境内)
  • 八王子市越野(現存せず。帝京高校付近に存在したが、越野750の日枝神社に合祀)
  • 八王寺市小門町
  • 八王子市小比企町仲居
  • 八王子市小比企町1201(合祀されて小比企稲荷社となる)
  • 八王子市子安(現存せず。八王子市明神町4-10-3の子安神社に合祀)
  • 八王子市中山806
  • 八王子市楢原町(現存せず。明治橋付近に存在したが、楢原町815の日枝神社に合祀)
  • 八王子市廿里町48-1
  • 八王子市下恩方町
  • 八王子市堀之内547(保井寺付近に存在した)
  • 八王子市四谷町
  • 八王子市打越町(現存せず。1910年に町田市大蔵町2822の大蔵春日神社に合祀)
  • 八王子市下柚木4(永林寺。山門の西に白山社あり)
  • 八王子市初沢町1425(高乗寺。客殿と相対して白山社あり)
  • 目黒区自由が丘3-6-14(社号標は1969年8月に、現社殿は1991年5月に完成。同区八雲1-9-11の東光寺内白山堂を分離、現在地に祀られたと推定される)
  • 目黒区八雲1-9-11(東光寺境内に白山堂あり)
  • 港区高輪1-21-10(丸山神社。祭神の一つが白山吡咩命)
  • 大田区西六郷2-23-14(『新編武蔵風土記稿』によれば、隣接する薬王寺には、社と祠の二社の白山権現があったとの事)
  • 大田区東嶺町31-17
  • 大田区大森東4-35-3(三輪厳島神社。字"川端"の白山権現を明治42年(1909)に合祀。『新篇武蔵風土記稿』記載は「穢多村 西大森村の内"川端"厨子(辻)にあり。家数12軒。田数1段3畝21歩。白山権現の祠あり」。"川端"は自治会に名が残る。三輪厳島神社の氏子は大森中1-22、大森中2-13~17、大森中3-7、大森東4-19、29(共に一部)、同4-30~41、大森南1-3に広がっている)。
  • 大田区石川町2-11(現存せず。村民孝右衛門持の白山社。石川町1-20-1の石川神社に合祀)
  • 大田区西蒲田6-22-1(女塚神社の境内社。女塚神社は元八幡社。1888年にJR蒲田駅東口付近から現社地に遷座し改称。境内の白山社は、西蒲田5-12-1に所在したとされる「白山明神塚」に祀られていた祠を合祀したとも。『大田区の文化財第30集』では祠の由来について、「昭和50年頃まで西蒲田5-12と13の接するところに白山橋があり、(中略)この橋は中世にもあって、(中略)橋の番人がいて、白山明神はその人たちの守護神で橋の付近にあったのではないか?今橋は暗渠になって橋はない。」と記載)
  • 大田区西糀谷4-9-17(西仲天祖神社の境内社)
  • 大田区南馬込1-49-1(萬福寺。客殿の南に秋葉白山聖天合社)
  • 大田区羽田6-13-8(玉川弁財天の小祠本社の西に白山社あり。相州大磯宿小頭古文書『助左衛門文書』の記載によれば、嘉永3年(1850)の羽田村の小頭名は"平右衛門")
  • 府中市清水が丘3-6
  • 府中市是政2-22-9(現存せず。2009年以降に、40m程東側の是政2-28に移設か)
  • 江戸川区松江4-15-8
  • 調布市布田5-32(白山宮神社。氏子地区は旧称"上布田・南山谷"。主祭神は白山比咩命)
  • 調布市小島町2-3(現在の地守神社。旧小島町第四区。社の周囲の杉本姓3軒、斉藤姓2軒で共同祭祀)
  • 調布市西つつじヶ丘2-14-1(金龍寺。門の東に白山妙理大権現社あり)
  • 調布市深大寺元町5-15付近(白山権現祠のみ、深大寺境内)
  • 杉並区成田東2-2-2
  • 杉並区上荻1-21-7(荻窪白山神社。文明年間(1469-1486)関東管領上杉顕定の家来中田加賀守が、屋敷内に五社権現社を奉斎、後年当地に社殿を建てたと伝わる)
  • 杉並区阿佐谷南2-4(現在は合祀されて馬橋稲荷神社)
  • 杉並区永福1-24-6(永福稲荷神社の境内社)
  • 杉並区高井戸西1-7-2(第六天神社の境内社)
  • 杉並区大宮2-3-1(大宮八幡宮の境内社)
  • 杉並区今川2-16-1(観泉寺の本堂の西南方に秋葉白山稲荷合社)
  • 新宿区大久保1-16-15(全龍寺の境内)
  • 新宿区百人町1-5-2(長光寺の境内)
  • 渋谷区代々木5-1(代々木八幡宮に合祀。元の白山社の所在地は渋谷区代々木2-44近辺=後述)
  • 渋谷区広尾2-5-11(東北寺の境内)
  • 渋谷区千駄ヶ谷2-35-1(瑞円寺の境内にあった)
  • 世田谷区南烏山2-21-1(烏山神社。祭神は白山比咩大神他。創建年代不詳。江戸時代以来、烏山村の鎮守社と伝わる。昭和7年に白山神社から白山御嶽神社へ改称、昭和37年に町内の数社を合祀、現社名となる。白山神社の頃からの氏子である下山家、杉田家、志村家は、開幕以来の当地の地頭名主、もしくは土着旧家でもあり、当社が"一般"の村の鎮守社であることが判る)
  • 世田谷区奥沢5-22-1(奥沢神社。旧玉川奥沢町3-78の白山神社を合祀)
  • 世田谷区喜多見5-3-21(喜多見稲荷神社。創建不詳。祭神は推定で宇迦之御魂神。鳥居は明治36年(1903)の建立)
  • 世田谷区宮坂2-1-11(常徳院持ち白山)
  • 世田谷区豪徳寺2-24(豪徳寺持ち白山)
  • 世田谷区桜1-26(勝光院持ち白山)
  • 昭島市宮沢町2-1-14(白山神社跡。1968年に宮沢町2-35の諏訪神社に合祀)
  • 昭島市宮沢町2-35(諏訪神社。1968年に宮沢町2-1-14の白山神社を合祀)
  • 昭島市田中町2-10-13(田中稲荷神社の境内社)
  • 昭島市拝島町5-2-37(龍津寺。本堂の南の方に境内の鎮守として白山社あり)
  • 狛江市元和泉1-6-1(泉龍寺。表門の右の傍に境内の鎮守として白山社あり)
  • 品川区東大井1-20-10(鮫洲八幡神社。1929年に白山を合祀)
  • 品川区東大井4-5(現存せず。本覚寺持ちで、旧"仙台坂"、別名"くらやみ坂"下にあった。1929年に鮫洲八幡神社に合祀)
  • 品川区北品川2-30-28(荏原神社の末社の祭神の一つが白山姫命)
  • 台東区清川2-13-20(合祀されて玉姫稲荷神社となる)
  • 台東区今戸1-5-22(今戸神社。今戸2-11-10の白山神社を合祀)
  • 台東区今戸2-11-10(現存せず。今戸1-5-22の今戸神社に合祀)
  • 台東区東上野5-5-21(龍谷寺。境内に白山権現が祀られている)
  • 墨田区立花1-13-10(明源寺境内)
  • 豊島区巣鴨5-32-5(白泉寺。境内に白山権現が合社されている)
  • 豊島区駒込7-1-1(泰宗寺。境内に白山権現が合社されている)
  • 葛飾区亀有3-42-24(亀有香取神社の境内社)
  • 葛飾区青戸6-37-5付近(現存せず。旧青戸町4丁目に鎮座。昭和18年(1943)に青戸7-34-30の青砥神社に合祀)
  • 葛飾区青戸7-34-30(青砥神社。昭和18年(1943)に旧青戸町4丁目、現青戸6-37-5付近の白山神社を合祀)
  • 葛飾区東水元2-41-1(香取神社の境内社)
  • 板橋区赤塚4-22(氷川神社。同4-33付近の白山神社を合祀)
  • 板橋区赤塚8-3(赤塚の名の元となった塚に白山社と神明社が祀られていた)
  • 板橋区西台3-32-26(円福寺の境内社)
  • 青梅市藤橋2-571(現藤橋八雲神社)
  • 青梅市吹上385(宗泉寺の境内社)
  • 青梅市勝沼2-531(石動神社の境外社)
  • 青梅市黒沢3-1578(聞修院の境内社)
  • 武蔵野市吉祥寺本町1-11-26(月窓寺。客殿の正面に稲荷龍天白山相殿あり)
  • 三鷹市新川4-4-22(春清寺。境内の鎮守に白山権現あり)

その他、『江戸東京重ね地図』の江戸古地図には

  • 豊島郡代々木村、寄合中根恵之丞の屋敷の東南隣(現在の渋谷区代々木2-44近辺)に村持の白山社(現在は合祀されて代々木八幡)
  • 豊島郡前野村(現在の板橋区前野町3-46-1パークサイド見次近辺)に村民持の白山社(現在は合祀されて熊野神社)

が記載されている。

また町田市金井2丁目25に「金井白山公園」があるが、白山神社との関連は不明。


人権啓発センター

  • 東京都人権啓発センター - 東京都台東区橋場1丁目1-6
  • (財)人権教育啓発推進センター - 東京都港区芝大門2丁目10−12 KDX芝大門ビル 4F


解同が解放センターと考えている施設

  • 墨田区社会福祉会館 - 東京都墨田区東墨田2丁目7−1
  • 練馬区役所 厚生文化会館 - 東京都練馬区練馬4丁目2−3


関連団体

  • 部落解放同盟中央本部 - 東京都港区六本木3丁目5−11 → 東京都中央区入船1-7-1
  • 部落解放同盟東京都連合会 - 東京都台東区今戸2-25-3 03-3874-7311
  • 部落解放同盟東京都連合会足立支部 - 東京都足立区本木2丁目26-3 03-5681-0814
  • 部落解放同盟東京都連合会荒川支部 - 東京都荒川区荒川8丁目1-6 03-3803-4074
  • 部落解放同盟東京都連合会葛飾支部 - 東京都葛飾区奥戸7丁目19-3 03-3696-7050
  • 部落解放同盟東京都連合会江東支部 - 東京都江東区毛利1丁目
  • 部落解放同盟東京都連合会品川支部(現存せず) - 東京都品川区南大井5丁目2-17 03-3762-7117(解同品川支部による『いばら 10年のあゆみ』奥付には03-762-7175とある。同じ番地に「品川区役所人権啓発課同和生活相談」としても登録あり)
  • 部落解放同盟東京都連合会江戸川支部(現存せず)
  • 部落解放同盟東京都連合会港支部(1961年結成、現存せず)
  • 部落解放同盟東京都連合会墨田支部 - 東京都墨田区東墨田2丁目7-1 03-3614-1903
  • 部落解放同盟東京都連合会台東支部 - 東京都台東区今戸2丁目8-5 03-3874-7311
  • 部落解放同盟東京都連合会練馬支部 - 東京都練馬区練馬4丁目2-3 厚生文化会館内 
  • 部落解放同盟東京都連合会国立支部
  • 部落解放同盟東京都連合会府中支部(現存せず)
  • 部落解放同盟東京都連合会八王子支部
  • 自由同和会中央本部 - 東京都千代田区平河町2-3-2
  • 自由同和会東京都本部 - 東京都中野区大和町3-7-3 マルヤビル3F
  • 自由同和会東京都連合会 - 東京都墨田区東向島2-13-12-203
  • 全日本同和会東京都連合会 - 東京都中央区日本橋小網町1番5号401
  • 全日本同和会全国本部 - 東京都千代田区永田町2-17-10 サンハイム永田町503号室
  • 東京都部落解放運動連合会・全国部落解放運動連合会 - 東京都台東区浅草6-30-3(現在の人権連)
  • 東京人権連 - 東京都荒川区南千住2-16-6
  • 部落解放同盟全国連合会江戸川支部 - 東京都江戸川区新堀2-6-11-202
  • 部落解放同盟全国連合会杉並支部(のち全国水平同盟杉並支部となる) - 東京都杉並区久我山1-8-420
  • 部落解放同盟全国連合会品川支部(のち全国水平同盟品川支部となる)

「部落解放同盟関東連合会」が東京都港区虎ノ門3丁目18-6にあるものの、行政対応していない泡沫団体と思われる。部落解放同盟との関係は不明。

東京府水平社は、浅草、練馬、府中、八王子、国立の5支部350名で発足し、後に青梅、稲城、多摩、木下川などの部落も運動に参加した。「三多摩の水平社同人は、霞水平社の他八王子、府中、多摩等に散在していた。三多摩の被差別部落は霞、八王子をのぞき10戸前後の少数点在部落である」と『いばらと鎖からの解放: 東京水平社と皮革産業労働者』57頁にある。





zannin666 at 03:35|Permalink ドエッタに関する穢多の研究 〔東京〕 

17.Juni.2017

POP TATARI

千葉県の被差別部落の統計


調査年

地区数

戸数

人口
1907年866753866
1918年25現住445、本籍4713091
1921年224742588
1929年39(聚団部落25+散在14)現住570、本籍6063459
1935年395593533
1958年162491478
1963年342486地区全体11949、同和関係4352
1967年14地区全体1248、同和関係628地区全体5615、同和関係3374
1971年14地区全体1466、同和関係700地区全体6459、同和関係3368
1975年18地区全体1602、同和関係716地区全体6227、同和関係3192
1985年19地区全体1614、同和関係728地区全体6291、同和関係3256
1993年14地区全体3673、同和関係633地区全体11321、同和関係2264

「東京日日新聞 房総版 大正7年9月4日


千葉県特殊部落調査によると・・・・

特殊部落 県下には二五ある 総人員は三千九十一人

本県にては内務省よりの通牒に基づき過般来特殊部落の調査中なりしが,愈々二日完了したり。

右に依れば県下の同部落数は海上,匝瑳,安房の三郡にはなく,千葉二,市原三,東葛飾郡八,印旛一,長生一,山武二,香取一,君津五,夷隅二の二五部落にして,戸数は本籍四百七十一戸,現住四百四十五戸,人口は男千五百六十九人,女千五百二十二人,計三千九十一人なり」

「県下でもっとも早く行政闘争が行われたのは、酒々井町であった。ここに解放運動の灯がともるのは、一九七四年のことである。酒々井町の部落の労働者の中で、かなりの人々が、東京の墨田、荒川の皮革産業につとめていた。一九七〇年代に入ってから、東京にも部落解放運動がひろがってきた。とくに、墨田、荒川の皮革産業地帯は、運動の拠点地域であった。その関係で、酒々井の人達は部落解放運動に出会うことになる。一部には、すでに、解放同盟東京都連に参加している人々もいた。東京都連のオルグを受けて一九七四年六月、地元に支部が結成された」

野田市(福田村事件)は千葉県でもっとも大きな部落をかかえており、千葉県の部落人口の半分以上が集中している。しかし、部落解放運動への立ち上がりがおくれ、一九八二年になって、部落解放同盟野田支部が結成された」

県下の部落の数は約45とも報じられており、ほとんどが10戸以下で少数点在している。

県下では関宿町(現在の野田市)のみに水平運動が根付き、1924年に51世帯の参加による千葉県水平社本部が誕生したが、1928年にはもはや見るべき活動なしと記録された。

この水平運動とは別個に、関宿町、酒々井町、梅郷村(現在の野田市)、二川村(のち関宿町、現在の野田市)、土気本郷村(現在の千葉市)で融和事業が行われた。特に酒々井町上本佐倉と瑞穂村谷中(のち佐原市、現在の香取市)は中央融和事業協会の指定地区であった。

1934年には、

  • 酒々井町
  • 瑞穂村(現在の香取市)
  • 二川村(現在の野田市)
  • 関宿町(現在の野田市)
  • 七福村(現在の野田市)
  • 土気本郷村(現在の千葉市)
  • 庁南町(現在の長南町)
  • 東条村(現在の鴨川市)
  • 姉崎町(現在の市原市)

の各部落で融和事業が実施された。

県内最大の部落は野田市にあり177世帯。最小の部落は東金市にあり3世帯であると三輪嘉男は述べているが、実際には下記のように1世帯の「部落」が複数ある。

長嶋茂雄に部落民説があり、長嶋の実家は佐倉市臼井17番地で鈴木建具店の斜め向かいだが、『全國部落調査』の臼井台地区にあたるか否かは要調査。今昔マップ(1927~1939年)によると、臼井台の表記があるのは臼井台40番地の熊野神社近辺であり、長嶋の実家からは西に500メートルほどの距離がある。

『千葉県部落調査表』に「千葉市、海上郡、匝瑳郡は部落を有せざるを以て之を除く」とあるが、ここでいう千葉市は大正12年3月末日当時の旧市域である。



文献



全國部落調査(1935年)

千葉縣 昭和十年三月現在

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
市原郡 姉ヶ崎町 姉崎田中一七一〇二漁業、商業農業市原市 姉崎
〃 鶴舞町 矢田矢田五八農業漁業、草履、芋掘市原市 矢田
〃 八幡町 八幡山岸三六漁業市原市 八幡 山岸別名「観音町部落」
千葉郡 豊富村 八木ヶ谷八木ヶ谷一〇船橋市 八木が谷
〃 〃 大神保大神保山林見廻船橋市 大神保町
〃 都村矢作台町二五皮剥製造農業千葉市 中央区 矢作町
〃 生浜町北生實五四農業漁業、草履千葉市 中央区 生実町

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
東葛飾郡 七福村谷津九四七三六商、農農業野田市 谷津
〃 〃 大神保吉春三五二六〇〃 〃野田市 吉春
〃 関宿町西町五六三八八農業商、草履野田市 関宿台町静姓6件。2000年電話帳。
〃 土村根木内新田四三二九六竹皮草履柏市 豊住1950年に根木内新田から豊住に改称。
〃 梅郷村山崎四四二六四草履野田市 山崎
〃 布佐町布佐一一五八皮革、草履我孫子市 布佐
〃 二川村次木一六一一二野田市 次木竹沢姓13件、竹澤姓3件。2000年電話帳。
〃 〃 大神保親野井二〇一三一野田市 親野井竹沢姓4件、田中姓22件。2000年電話帳。
〃 我孫子町我孫子二七農、商我孫子市 我孫子
〃 〃 大神保柴崎農業我孫子市 柴崎
長生郡 廳南町 長南白山一二一〇六漁撈、日雇長生郡 長南町 長南
山武郡 土氣本郷町 土気第四區二五一三〇漁獲、日雇、商業千葉市 緑区 土気町堀越姓6件。2000年電話帳。
〃 東金町 田間新町三〇日雇漁撈、日雇東金市 田間 新町
〃 成東町 津辺新田二〇農、職工皮革、草履山武市 津辺
香取郡 瑞穂村谷中一五八三農業笠紐、製皮香取市 谷中根本姓6件。2000年電話帳。
〃 〃 大神保寺内二八香取市 寺内
君津郡 中郷村牛袋六七木更津市 牛袋



600px-臼井故城図其一

赤松宗旦『利根川図志』第4巻19頁「臼井故城図其一」。安政2年(1855年)。現・佐倉市臼井台の新旧穢多町の位置を示している。右頁の右下に「元穢多町」、左頁の右下に「今穢多町」の表記がある。妙覚寺との位置関係から推測すると、今穢多町は佐倉市臼井台126番地近辺と考えられる。一夜城(現・一夜城公園)との位置関係から推測すると、元穢多町は佐倉市臼井台三丁目南部から四丁目近辺と考えられる。なお、この地図は1987年に佐倉市市民憲章推進協議会(事務局佐倉市秘書課)発行のパンフレットに掲載された折、解放同盟から差別地図であるとの言いがかりを受けて糾弾に発展した。








部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
君津郡 三島村一五日雇笠紐、皮革君津市 辻森君津市辻森の小字に谷あり。谷のフリガナはヤツ。「君津郡三島村の如きは部落を各一般部落に移転散在せしめ以て融和促進を期せんとし、村当局は昭和4年度に於て金1000円を予算に計上村会に附したるも、村財政上遂に否決の止むなきに至れり。而してこれ等出稼奉公中普通民と結婚する者少なからず。而して通婚後部落民なるが故を以て破鏡の歎を見たるもの稀なり」。
〃 中川村 横田山中一一農、錻力職農業袖ケ浦市 横田
〃 佐貫町 佐賀下町三三履物製造草鞋富津市 佐貫佐賀は佐貫の誤記。
〃 〃 鶴岡鶴岡日雇富津市 鶴岡
〃 久留里町 市場沢向二〇九六魚類販賣、農農業、草履君津市 久留里市場林姓4件。2000年電話帳。
夷隅郡 長者町 長者新田三二皮革業漁業いすみ市 岬町長者
〃 上野村 荒川荒川一三農業大工、木挽勝浦市 荒川
安房郡 那古町 正木五丁部二二皮剥業館山市 正木
〃 富浦町 南無谷下屋敷三〇皮仲買南房総市 富浦町南無谷
〃 東條村 仲原仲原四八漁業皮革丁鴨川市 東町、西町バス停の名称としての仲原は東町と西町の錯綜する土地。
〃 長尾村 滝口砂原一三農業佐官養鶏南房総市 白浜町滝口 砂原
〃 〃 根本根本南房総市 白浜町根本
印旛郡 臼井町臼井台一七佐倉市 臼井台
〃 酒々井町本佐倉二七一〇五草履印旛郡 酒々井町 上本佐倉柏木姓5件。2000年電話帳。上本佐倉には一班から六班まであり、被差別部落は六班。この六班は「中の者」「カア坊」「西台(にしでえ)」と呼ばれる。江戸時代、ここの穢多は佐倉藩の刑吏・警察的な下足人足をつとめていた。2016年に発生した姉による弟へのバラバラ殺人事件の現場は上本佐倉だが1丁目4-13の建売住宅であり一般。
東葛飾郡 柏町一二五三農業柏市 柏
計三二三九五五九三五三三





成田参詣記

1854年(安政元年)発行『成田名所図絵(成田参詣記)』第4巻41頁。本佐倉の穢多町の位置が明記されている。現代の地図と照らし合わせると妙胤寺の門前の東側、印旛郡酒々井町本佐倉560番地から561番地あたりに該当する(現在の部落はそこから周辺地域に拡大している)。同書4頁には「即将門山の故城昔のさまは今の穢多町の辺に」との記述もあるが、1973年11月に大野政治校注で復刻された際には本文中の「穢多町」が「□多町」と欠字にされ、地図からも「穢多町」の文字が抹消された。








※上記のほか、印旛郡酒々井町上本佐倉と隣接する佐倉市将門町にも14戸の部落があり、ほとんどが親戚である。1974年に結成された解放同盟将門支部の初代支部長は小中孝司だが、2000年電話帳では佐倉市将門町に小中姓はない。夷隅郡大多喜町にも7戸の部落があり、『解放新聞』に「県道から入るとすぐに自動車教習所があった。そのうらに七戸の家が点在していた。もちろん道はもう舗装していない。一戸をのぞいて家は古く小さい。ここは昔農地をもっていたが、進出してきた東京の会社へ売ったという。入口の自動車教習所が部落の土地だったのだ」とあることから、1961年開設の大多喜町自動車学校(夷隅郡大多喜町紺屋81)の裏手と推測できる。なお、大多喜町自動車学校の裏手にあたる大多喜町田丁には白山橋という橋があり、そのたもとには押樽姓が5軒固まっている(ゼンリン住宅地図を参照)。284番地の押樽家と208番地の押樽家に挟まれた私有地に神社があるが、白山神社かどうかは要調査。270番地の「平川庵 藤崎」の私有地内にも神社がある。

また『浦安町誌』上巻の28頁には「明治初年頃まで、現在の若草幼稚園のところと、堀江の五番通りの十一面様の碑付近に、村の人達から、番太小屋と呼ばれる小さな小屋があった。小屋にはみんなから番太と呼ばれる者が住んでいた。猫実の番太小屋の近くには、昔花蔵院の墓地があった。番太とは『穢多』のことである」とある。すなわち、現在の浦安市猫実にも部落があったことがわかる。若草幼稚園とは現在の浦安市立若草認定こども園(千葉県浦安市猫実4丁目6-12)と思われる。

このほか印西市木下(きおろし)の川岸についても1772年の史料に「渡守 壱軒」と並び「穢多 壱軒」との記述がある。印西市では、旧・竹袋村の皿沼に穢多屋敷の存在が確認されている。

松戸市の河岸についても1796年の史料に「囲堤内角田通リ水湛ニ付」き、庄左衛門ら4人が「出銭候人足惣村ゟ雇、水車を以水汲申候 此賃銭三貫五十文、外百廿四文 非人夜番銭」とある。柏市藤ケ谷についても1868年の史料「藤ケ谷村御差出帳」に「一、村火之番小屋 一ヶ所 但シ非人成」とある。館山市の真倉(さなぐら)についても1782年の史料「安房郡真倉村差出明細帳」に「一、牢屋敷 廿五歩 壱ヶ所 但弥古屋敷 是無年貢ニ御座候 一、穢多 老人」とある。この穢多は牢番である。現在の東電館山寮(館山市上真倉1926)から汐入川に向かった川べり辺りに仕置場があったと伝えられる。真倉はまた、1708年の勝扇子事件で島流しにされた革買治兵衛にも縁がある。

木下と真倉の地区について成沢栄寿は「一軒の穢多では、皮革関係を業としたとしても斃牛馬処理ぐらいのもので、加工ないし細工はほとんどやらなかったのではないか」と推測し、「『全国部落調査表』に木下・真倉(調査当時館山町)の部落が記載されていないのは、きわめて小規模であることとも関連して、昭和初期までに他出などによって解消してしまったか、調査もれになったからである」と述べている。

佐倉城下の非人については「総州佐倉御城府内之図」に「非人猿の小屋」との記載がある。これは『古今佐倉真佐子』(佐倉市発行、1983年)33頁の「乞食猿之こや」と同一視されている。場所は佐倉市鏑木町96の「猿が脇の坂」の付近である。当時、同地には猿と渾名される乞食がおり、節季候(せきぞろ)や大黒舞という非人系の門付け芸を演じていた。また佐倉藩の獄舎(佐倉市裏新町78の佐倉市役所裏新町倉庫のあたり)の近くに八軒町という細民窟があり、『古今佐倉真佐子』(佐倉市発行、1983年)51頁に「かたがけにてびんぼうもの斗住す所故、殊外むさき所にて通りの道かはくと云事なし」「こゝろある人は一切往来せず」「佐倉のごみ捨場とあだな付たる所也。こゝろざし人までむさし」と書かれ、桶屋や傘屋などの屋号を持つ細工職人たちが住み、部落とも交際があったが、単なるスラムか部落かは明らかになっていない。八軒町は袋町ともいわれ、現在は佐倉市鏑木町167-1の「袋町集会所」に名をとどめている。鏑木町には、現在の佐倉市立中央公民館(鏑木町198-3)の地先に屠場があり、1970年頃まで営業されていた。屠場の位置は「浅間様(引用者注、佐倉市鏑木町348の浅間神社か)の南の崖の下の方」であった。また、この屠場のすぐ近く「八幡様(引用者注、佐倉市弥勒町254の八幡神社のことか)下の廻り角には皮の製剥工場があった」。この製剥工場は、別の資料では「田畑を越えて八幡神社の崖の下に行くと右角には渡辺銀次郎さんの鞣皮工場が」あったと書かれている。この屠場も鞣皮工場も大正時代から昭和にかけてのものであった。

また印旛郡飯田村(現・佐倉市飯田ならびに飯田台)について「木戸非人小屋1軒」と伝える1843年8月の文書が残っている。藤崎俊は「佐倉道の村の出はずれの右側、今の畑道に廓を造り南下に通ずる道路の分岐点に木戸を設けて番人を置いた」、「飯田に番太がいた(引用者注、前述の非人と同じ)。一名番太郎とも言うが、主として押売、物貰い、旅芸人等を取締り、強窃盗のあった時は町同心(巡査)の手下になって働く。飯田上木脇1番地に住居し西河という老夫婦が明治30年頃迄居た」、「巡回役なるが故に巡(じゅん)と略して呼んだ。巡の宅の下を今でも巡下と呼び地名として残っている」と説明している。江戸時代には飯田村の「かわだ」(皮多)10人が祝い芸「千石万石」を佐倉町内で演じた記録もあり、上記の非人とは別個に穢多町を形成していた可能性があるが、飯田村のどこに住んでいたのかは不明である。


施設等

関連団体

  • 部落解放同盟千葉県連合会 〒285-0926 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉352 千葉県人権研修センター内 ℡043-496-0015 Fax043-496-4572
  • 部落解放同盟千葉県連合会久留里支部 千葉県君津市久留里市場350-4
  • 部落解放同盟千葉県連合会上本佐倉支部
  • 部落解放同盟千葉県連合会酒々井支部
  • 部落解放同盟千葉県連合会将門支部 千葉県佐倉市将門町
  • 部落解放同盟千葉県連合会野田支部 千葉県野田市
  • 部落解放同盟千葉県連合会西町支部 千葉県野田市
  • 部落解放同盟千葉県連合会次木支部 千葉県野田市
  • 部落解放同盟千葉県連合会佐原支部 千葉県香取市
  • 部落解放同盟千葉県連合会関宿町協議会
  • 自由同和会千葉県本部 - 千葉県柏市富里1-1-1 M&Rビル3F
  • 全日本同和会 - 千葉県茂原市茂原1580
  • 全日本同和会千葉県連合会本部 - 千葉県市川市市川2-32-6
  • 全日本同和会野田地区連絡協議会
  • 全国部落解放運動連合会野田支部 - 千葉県野田市七光台405番地の2

「新日本同和清光会千葉県総本部」が千葉県千葉市若葉区若松町2170-17にあるものの、行政対応していない泡沫団体。

隣保館

  • 香取市みずほふれあいセンター 千葉県香取市谷中936番地1
  • 酒々井町隣保館 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉696番地の21
  • 野田市立谷吉会館 千葉県野田市谷津1145番地の3
  • 野田市立七光台会館 千葉県野田市七光台242番地の1
  • 野田市立島会館 千葉県野田市山崎2549番地
  • 野田市立関宿会館 千葉県野田市木間ケ瀬619番地2

白山神社(合祀されたものを含む)

  • 千葉市緑区土気町354
  • 千葉市中央区生実町1784
  • 君津市俵田1452
  • 君津市久留里市場字下町
  • 君津市岩出字城山
  • 君津市根本258
  • 君津市泉389
  • 君津市大坂宮ノ沢1728-1
  • 君津市大野台310
  • 君津市中島(2社)
  • 君津市馬登530-1
  • 君津市福岡374
  • 君津市糸川
  • 香取市新部
  • 香取市谷中
  • 市原市八幡1124
  • 市原市石川89(白幡神社)祭神が菊理媛命。
  • 市原市宮原436(大国主神社)祭神の一つが菊理比賣命。
  • 市原市姉崎西2丁目5-17
  • 市原市五井
  • 市原市八幡1057-3
  • 市原市金沢82
  • 市原市高倉289
  • 市原市上高根989
  • 市原市中野208
  • 市原市飯給937
  • 市原市福増851
  • 市原市朝生原
  • 市川市稲越町
  • 市川市国府台3-11-11(国府台天満神社の境内社)
  • 木更津市下望陀
  • 木更津市椿208
  • 木更津市牛袋1047
  • 松戸市横須賀1丁目
  • 野田市山崎字北山(香取神社)
  • 野田市谷津(谷吉神社)
  • 野田市関宿台町732
  • 野田市関宿台町882
  • 野田市次木
  • 野田市木間ケ瀬475
  • 野田市下三ヶ尾
  • 茂原市柴名689
  • 茂原市北塚43(白山比咩神社)
  • 茂原市野牛299
  • 鴨川市東町158番地1
  • 富津市宝竜寺447
  • 富津市長崎517
  • 柏市豊住2丁目1-1
  • 袖ケ浦市大曽根774
  • 印西市滝1011
  • 印西市中田切38
  • 印西市船尾1302
  • 印西市和泉
  • 印西市泉
  • 印旛郡酒々井町上岩橋字中山
  • 印旛郡酒々井町上本佐倉228
  • 大網白里市小中744
  • 長生郡長南町豊原737
  • 長生郡長南町山内1604
  • 夷隅郡御宿町久保
  • 夷隅郡大多喜町横山325(1869年、熊野神社に合祀)
  • いすみ市能実877
  • いすみ市下布施1591
  • 我孫子市台田4丁目11(北星神社に合祀)
  • 我孫子市根戸(祠のみ現存。東陽寺近く)
  • 我孫子市新木1812(合祀されて葺不合神社)
  • 我孫子市布佐1220(合祀されて竹内神社)
  • 我孫子市緑1-6-8(合祀されて緑香取神社になる。合祀前の白山神社の場所は我孫子市白山2丁目7のめばえ幼稚園の南隣)
  • 館山市北条1066-2
  • 銚子市常世田町51(白山大神)
  • 銚子市猿田町1677(猿田神社)祭神の一つが菊理媛命。
  • 匝瑳市木積1213
  • 匝瑳市八日市場ニ
  • 南房総市上滝田1286
  • 香取郡多古町喜多126

小集落改良住宅

酒々井町

  • 酒々井町小集落改良住宅 - 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉570

長南町

長生郡長南町豊原1008付近の改良住宅も同和住宅と思われるが詳細不明。要調査。

同和対策集会所

  • 上本佐倉同和対策集会所 - 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉696−10
  • 将門同和対策集会所 - 千葉県佐倉市将門町71 043-486-4410
  • 西町同和対策集会所 - 千葉県長生郡長南町長南767番地の1
  • 鴨川市東町集会所 - 千葉県鴨川市東町158番地の1(白山神社境内)
  • 市原市姉崎集会所 - 千葉県市原市姉崎764番地の8
  • 市原市矢田集会所 - 千葉県市原市池和田1316番地の1
  • 市原市八幡集会所 - 千葉県市原市八幡1364番地
  • 下町集会所 - 千葉県君津市久留里市場350−4

人権啓発センター

  • 千葉県人権啓発センター - 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉352

関宿町台町の由緒正しき人々

「県連元委員長である関口さんは,「年寄りからは『京都の公家がケンカで敗れ,ここに逃げのびてきた子孫』と聞いている」と語ってくれた。また,鎌倉時代,源氏家督争議のおり,追われて逃げた静御前がこの部落にかくまわれ,その礼に「静姓」を名乗ることを許した,それ以降いままで静姓を名乗りつづけている,という。  加えて,この部落は千葉県にはめずらしく,時宗の門徒である。時宗の一遍上人は遊芸民をひきいて布教をつづけたとあるから,これらの伝承もあながち虚構とはいえないだろう」

  • 静勇男 千葉県東葛飾郡関宿町台町887 0471-96-1445
  • 静勝二 千葉県東葛飾郡関宿町台町1692 0471-96-1472
  • 静幸男 千葉県東葛飾郡関宿町台町712 0471-96-0783
  • 静恒雄 千葉県東葛飾郡関宿町台町947-2 0471-96-1759
  • 静惣市 千葉県東葛飾郡関宿町台町733 0471-96-1437
  • 静源蔵 千葉県東葛飾郡関宿町台町880 0471-96-0400
  • 静瀇 千葉県東葛飾郡関宿町台町747 0471-96-1439
  • 静豊吉 千葉県東葛飾郡関宿町台町746 0471-96-1438
  • 静進 千葉県東葛飾郡関宿町台町713-2 0471-96-3759
  • 静錦一 千葉県東葛飾郡関宿町台町1725-2 0471-96-1473


zannin666 at 03:53|Permalink ドエッタにおける穢多族の研究 〔千葉〕 

10.Juni.2017

POP TATARI

群馬県の被差別部落の統計


調査年

地区数

戸数

人口
1907年276291019507
1921年235395924516
1935年262487030005
1942年-451128475
1946年--23177
1958年109413023157
1963年22221738地区全体105027、同和関係36287
1967年173地区全体17290、同和関係6686地区全体78367、同和関係32809
1971年168地区全体14629、同和関係6649地区全体60784、同和関係30364
1975年170地区全体20789、同和関係7083地区全体83517、同和関係31033
1985年174地区全体20952、同和関係7146地区全体84203、同和関係31313
1993年164地区全体32003、同和関係7199地区全体102561、同和関係27249
2001年192-50000弱

県内の被差別部落の数は1921年度の調査では235、1935年の調査では262、1975年の調査では170にのぼる。戸数と人口は、それぞれ3959戸2万4516人、4870戸3万5人、7083戸3万1033人であった。

本県の同和地区は文献(群馬解放、同和関係予算額一覧、部落問題・水平運動資料集成補巻一
)からその多くが明らかになっている。

桐生市新宿の被差別部落は後原(こよはら)と呼ばれ、1980年の資料では戸数約370戸 。建設関係の下請け労働者が多く、俗に「コヤラッペ」「コヤラ」と呼ばれる。と、川元祥一『関東の部落を行く』には書いてあるが、『桐生市史』中巻(桐生市史刊行委員会、1959年)p.800によると桐生市の旧小字名「後原」の読み方はウシロハラであり、現在の桐生市浜松町一丁目・二丁目の各一部に相当、それとは別に小谷原(こやはら)という旧小字名があり、桐生市常盤町・清水町・高砂町の各一部と栄町に相当する。

なお上原善広は『噂の真相』2004年3月号や『実話ナックルズ』2004年7月号で皇后美智子の家系が館林市目車町の被差別部落に出自を持つと主張している。ただしこの主張には反論もある。

「101 :名無しさん@お腹いっぱい。:
2012/07/01(日) 03:34:18.07 ID:iox
KGF040あぼーんされてるけど、

上原善広の文章の内容は酷すぎるね。まともな調査してないだろう。
本社建物や日清のある辺りまでが城下町、旧館林町字
目車町
の文章の内容は酷すぎるね。。

道路を挟んで現在工場や白山の ある所から西が成島村(後の多々良村)。工場が出来たのは

昭和に入ってから。つまり白山があるのは 目車ではなく成島。上原が住環境が悪いって歩いてたのは目車町ではないと思われる。根本から 間違えてるよ。2ちゃんレベルだよ。道が入り組んでる、白山がある、隣に正田醤油があるからあれも 部落だ。バカかと。 あと、白山神社内の石碑関係を見てない。江戸期の石碑には正田のしの字も無い。 昭和10年の改築記念碑にようやく正田醤油の社名で奉納者の名が刻まれている。 個人では正田姓は無い。 館林の小頭が白山あたりにかつていたと仮定する。館林の小頭は足利の小頭と兄弟であったと 言われているよね。足利の小頭の末裔の姓はS水。白山神社内の碑に一番多く見られる姓もS水。 これを考えると半左衛門はS水姓なんじゃないかと想像できる。あくまでも個人的な仮定だけど。 それにしても改築記念碑の中に古河独特の4文字姓を見つけたときは驚いた。ガチなんだと確信できたよ。 埼玉行田の地区の白山にも突如この4文字は現れたりする。 因みに目車町の氏神は稲荷神社。明治期に長良神社に合祀されたけど正田醤油の敷地内に 再建されている」


S水とは清水、古河独特の4文字姓とは七五三掛(しめかけ)と思われる。なお『群馬県部落解放運動60年史』によると、群馬婦人水平社に正田嘉枝(出身地区不明)、群馬県山田郡韮川村(現・太田市)水平社員に正田徳次郎、群馬県新田郡生品村(現・太田市)水平社員に正田兵三郎がいた。いずれも皇后美智子との関係は不明である。

1923年7月の高崎区裁判所襲撃事件(被差別部落民による集団暴力事件)の資料では、碓氷郡里見村大字上里見・大字中里見・字島・字下井に約70戸の被差別部落があったとされる。現在の高崎市内だが、字島・字下井の地名は『全国部落調査』に記載がなく、現在位置は要調査。

高崎区裁判所襲撃事件

碓氷水平社同人による集団暴行事件である高崎区裁判所襲撃事件の被告人は以下の通りである。

  • 古島与喜三
  • 古島国一
  • 古島捨次郎
  • 古島平四郎
  • 古島嘉亀千
  • 古島佳作
  • 古島小文治(古島嘉平治の次男。資料によっては小島小文治とも記されている)
  • 堰口徳太郎
  • 堰口広吉
  • 堰口清三郎
  • 桜井竹吉
  • 桜井寅吉
  • 桜井品国
  • 竹内積松
  • 竹内角次郎
  • 竹内政五郎
  • 星野春吉
  • 星野勝五郎
  • 星野仲次郎
  • 坂口竜造
  • 坂口金八
  • 三ツ石弥七
  • 三ツ石芳作
  • 植杉酉蔵
  • 星田勘五郎
  • 沢田寅吉
  • 寺沢折平
  • 田島鉄次郎
  • 森本清十郎
  • 中島幸吉
  • 井上円治

2000年電話帳で古島姓は群馬郡榛名町中里見(現・高崎市中里見町)に16件、上里見(現・高崎市上里見町)に14件みえる。同じく三ツ石姓は中里見に6件、上里見に2件みえる。同じく堰口姓は群馬郡箕郷町上芝(高崎市箕郷町上芝)に1件みえる。堰口姓は希少姓にもかかわらず大阪府和泉市幸(7件)、埼玉県児玉郡神川町八日市(5件)、大阪府和泉市王子町(4件)、大阪府堺市協和町(1件)、宮崎県延岡市塩浜町(1件)など被差別部落に偏って分布している点が注目される。この姓は川堰の番人の姓を「関口」とせずに侮蔑的に「堰口」と表したと解されることもある。2000年現在で県下に1件しか確認できないのは、1921年に群馬県が推進していた差別撤廃の改姓運動の結果である可能性がある。

1925年(大正14年)に群馬県新田郡世良田村(現・太田市)で自業自得の襲撃を受けた下原部落の説明図。下原部落に特徴的な苗字が松島であることを、解同群馬県連の松島一心が自ら暴露している。

群馬県水平社同人による集団脅迫・恐喝事件

群馬県水平社同人による集団脅迫・恐喝事件(1923年)の被告人は以下の通りである(五十音順)。

  • 植松丑五郎(中邑楽郡大川村大字坂田、坂田水平社幹部)
  • 植松忠蔵
  • 川島貞作
  • 坂本金十郎
  • 坂本清作(群馬県水平社執行委員長)
  • 坂本林蔵

文献


部落問題・水平運動資料集成補巻一(1924年)

群馬県内被虐部落の分布

郡市町村名 部落名 現在地 備考
勢多郡 粕川村 膳中 前橋市 粕川町膳
込皆戸 前橋市 粕川町込皆戸
 新里村 新川字横坂 桐生市 新里町新川 字横坂が現存することは確認できず。要調査。
字十三塚 桐生市 新里町新川 十三塚
群馬郡 倉賀野町 高崎市 倉賀野町 南町
 滝川村 八幡原字砂塚 高崎市 八幡原町
下斎田字西原 高崎市 下斎田町
 東村 子相木 前橋市 小相木町
 元総社村 大友 前橋市 大友町
元総社 前橋市 元総社町
 六郷村 並榎 高崎市 上並榎町
 長野村 浜川字谷川 高崎市 浜川町 谷川
 久留馬村 高浜 高崎市 高浜町
 室田村 上室田 高崎市 上室田町
中室田 高崎市 中室田町
下室田 高崎市 下室田町
 倉田村 三ノ倉字下村 高崎市 倉渕町三ノ倉
 東郷村 富岡 高崎市 箕郷町富岡
白川 高崎市 箕郷町白川
和田山 高崎市 箕郷町和田山
 箕輪村 矢原字松原 高崎市 箕郷町矢原
塚越 高崎市
上芝字前西 高崎市 箕郷町上芝 字前西
 相馬村 金井組 北群馬郡 榛東村 広馬場 金井古墳群あり。
宿原組 北群馬郡 榛東村 広馬場 宮室
上野組 北群馬郡 榛東村 広馬場 上野集会所が榛東村広馬場2978-3にある。
本田組 高崎市 箕郷町柏木沢 本田
 保渡田 上郊村 高崎市 保渡田町
 堤ケ岡村 中泉字内出 高崎市 中泉町
三ツ寺字北山 高崎市 三ツ寺町
 総甘村 植野字新井 前橋市 総社町植野
 金古町 金古字下町 高崎市 金古町
足門字東原 高崎市 足門町
 駒寄村 漆原字川原田上 北群馬郡 吉岡町 漆原 川原田上
茶ノ木 北群馬郡 吉岡町 漆原 茶ノ木
大久保字境堀 北群馬郡 吉岡町 大久保 女塚
前田 北群馬郡 吉岡町
 古巻村 有馬 渋川市 有馬 神戸
 明治村 小倉 北群馬郡 吉岡町 小倉
下野田 北群馬郡 吉岡町 下野田
北下 北群馬郡 吉岡町 北下
 桃井村 山子田 北群馬郡 榛東村 山子田
新井 北群馬郡 榛東村 新井
長岡 北群馬郡 榛東村 長岡
 豊秋村 石原字西浦 渋川市 石原 西浦
 渋川町 字藤ノ木 渋川市 渋川 藤ノ木
金井 渋川市 金井
川島 渋川市 川島
祖母島字下理 渋川市 祖母島
字諏訪下 渋川市 赤城町 三原田 字諏訪下
向井字南町 渋川市 渋川南町?
 片岡村 乗附 高崎市 乗附町
石原 高崎市 石原町
多野郡 藤岡町 藤岡 藤岡市 藤岡
南町 藤岡市 藤岡
 新町 南町 高崎市 新町 南町
 八幡村 根小屋 高崎市 根小屋町
 美土里村 中大塚 藤岡市 中大塚
本動堂 藤岡市 本動堂
上落合 藤岡市 上落合
 平井村 西平井 藤岡市 西平井
東平井 藤岡市 東平井
鮎川 藤岡市 鮎川
緑野 藤岡市 下日野乙
 美九里村 矢場 藤岡市 矢場
本郷 藤岡市 本郷
保美 藤岡市 保美
三本木 藤岡市 三本木
 鬼石町 鬼石 藤岡市 鬼石
 吉井町 川内 高崎市 吉井町吉井川
下長根 高崎市 吉井町下長根 町附
矢田 高崎市 吉井町矢田
 日野村 鮎川 藤岡市 下日野あるいは上日野
 神川村 万場 多野郡 神流町 大字万場
北甘楽郡 富岡町 字屋敷 富岡市
字山際 富岡市 富岡 山際
 黒岩町 上黒岩字深町 富岡市 上黒岩 深町
字新田 富岡市 上黒岩 新田
字機足 富岡市 上黒岩
下黒岩字城山 富岡市 下黒岩
 一ノ宮町 字小沢 富岡市 富岡 小沢
宮崎字大下 富岡市 宮崎
 舟生村 上舟生字中山 富岡市 下丹生 中山
 妙義町 富岡市 妙義町妙義
諸戸 富岡市 妙義町諸戸
 小坂村 下小阪字森沢 甘楽郡 下仁田町 下小坂 森沢
 小幡村 上野字城山 甘楽郡 甘楽町 上野
 福島町 福島 甘楽郡 甘楽町 福島
 小野町 後賀字宿谷 富岡市 後賀
上高尾字脊戸谷 富岡市 上高尾
碓氷郡 安中町 中宿 安中市 中宿
下ノ尾 安中市 安中 安中4-9-3に下の尻公会堂あり。
古屋 安中市 古屋
 原市町 正喜 安中市 原市 正善
三軒家 安中市 原市 三軒家
桜塚 安中市
明神山 安中市
馬場 安中市 原市 馬場東
クネバタ 安中市
下村 安中市 松井田町八城 下村
植ノ山 安中市
安中市 嶺 向
 松井田町 安中市 松井田町
新堀 安中市 松井田町新堀 西城
 臼井町 滝名田 安中市 松井田町五料
 西横野村 二軒在家 安中市 松井田町二軒在家 松原谷津
行田 安中市 松井田町行田 日蔭
八城 安中市 松井田町八城 青木、八城 下村
 磯部町 荒神 安中市 磯部二丁目 字荒神
 東横野村 鷲宮字松原 安中市 鷺宮 松原
中野谷字松原 安中市 中野谷 松原
上間仁田字原 安中市 上間仁田 原
 岩野谷村 大谷 安中市 大谷 入
野殿 安中市 野殿 沢
岩井 安中市 岩井 向村
板鼻町 安中市 板鼻 荒田、板鼻 梅ノ木、板鼻 舘石
 八幡村 劔崎 高崎市 剣崎町 東村
観音塚 高崎市 八幡町 観音塚
六万坊 高崎市 八幡町
金井淵 高崎市 金井淵町 屋敷裏
 豊岡村 十二社 高崎市 下豊岡町 字十二社
 里美村 中里見 高崎市 中里見町
 秋間村 明石 安中市 西上秋間 明石
相水谷津 安中市 下秋間 相水谷津
 後閑村 下後閑 安中市 下後閑 白山
 九十九村 下増田 安中市 松井田町下増田
 細野村 上増田 安中市 松井田町上増田
 鳥淵村 高崎市 倉渕町川浦 石津
吾妻郡 中之条町 吾妻郡 中之条町 中之条町
 中之条町 西中之条 吾妻郡 中之条町 西中之条
伊勢町 吾妻郡 中之条町 伊勢町
 原町 南町 吾妻郡 東吾妻町 原町 南町
立石 吾妻郡 東吾妻町 原町 立石
 坂上村 大戸 吾妻郡 東吾妻町 大戸
本宿 吾妻郡 東吾妻町 大字本宿
長野原町 吾妻郡 長野原町 長野原
 嬬恋村 鎌原 吾妻郡 嬬恋村 鎌原
芦生田 吾妻郡 嬬恋村 芦生田
大笹 吾妻郡 嬬恋村 大笹
 名久田村 大塚 吾妻郡 中之条町 大塚 二日市
横尾 吾妻郡 中之条町 横尾 中沢
利根郡 沼田町 沼田市
 鍛冶町 沼田市 鍛冶町
新田郡 太田町(西北方) 太田市
 九合村 東別所 太田市 東別所町
内ケ島 太田市 内ケ島町
東矢島 太田市 東矢島町
 沢野村 細谷 太田市 細谷町 八幡
 世良田村 下原 太田市 世良田町 下原
 木崎町 一町田 太田市 新田木崎町
 宝泉村 藤阿久 太田市 藤阿久町
由良 太田市 由良町
下田島 太田市 下田島町
 島之郷村 鶴生田 太田市 鶴生田町 島之郷は鳥之郷の誤記。
太田 太田市 今昔マップ(1894~1915年)によると現在の本町付近。
太島 太田市 大島町
 強戸村 太田 太田市 強戸町
 生品村 太田市
小金井 太田市 新田小金井町 原口
村田 太田市 新田村田町
 綿打村 江田 太田市 新田上江田町
西原 太田市 高林西町に西原公園あり。
 藪塚本町 中山 太田市 藪塚町
 笠懸村 白谷善元屋敷 みどり市 笠懸町阿左美 元屋敷遺跡あり。
鹿字杉菜原 みどり市 笠懸町鹿
山田郡 桐生町 新宿字後原 桐生市 浜松町一丁目・二丁目の各一部
安楽土字小谷原 桐生市 常盤町・清水町・高砂町の各一部と栄町
奥村松 桐生市 宮本町 村松沢 奥村松遺跡あり。
下久方 桐生市 天神町 3丁目、平井町
 川内村 高津戸 みどり市 大間々町高津戸
 広沢村 竜戸 桐生市 広沢町
谷津 桐生市 広沢町 2丁目 谷津
 毛里田村 丸山 太田市 丸山町
矢田 太田市 矢田堀町?
古氷 太田市 緑町
吉沢 太田市 吉沢町
東今泉 太田市 東今泉町
只上字矢部 太田市 只上町矢部
富若 太田市 富若町
通称堰下 太田市
 韮川村 東金井字前田 太田市 東金井町
寺ヶ入 太田市 東金井町 寺ヶ入
塩ノ山 太田市 東金井町 塩ノ山
安良岡(北グルワ) 太田市 安良岡町
焼山 太田市 東金井町 焼山
神明 太田市 東金井町一区に神明宮あり。
台之郷字塚本 太田市 台之郷町
大谷津 太田市 今昔マップ(1894~1915年)によると現在の熊野町38-46付近。
邑楽郡 大川村 坂田字前口(一名下廊) 邑楽郡 大泉町 坂田 字前口
吉田字西原 邑楽郡 大泉町 吉田
寄木戸 邑楽郡 大泉町 寄木戸
古海字原前 邑楽郡 大泉町 古海
 永楽村 舞木字中島 邑楽郡 千代田町 舞木
福島字相ノ谷 邑楽郡 千代田町 福島
赤岩字上絵内 邑楽郡 千代田町 赤岩 絵内は桧内(檜内)の誤記。
 多々良村 成島 館林市 北成島町 天神
 赤羽村 赤生田字下新田 館林市 赤生田町 字下新田
 中野村 字東原 邑楽郡 邑楽町 中野 東原
前橋市 一毛町字北原 前橋市 城東町
清王寺町字栗島 前橋市 日吉町
高崎市 鎌倉町 高崎市 若松町
赤坂町 高崎市 赤坂町
佐波郡 伊勢崎町 伊勢崎市
 赤堀村 今井 伊勢崎市 赤堀今井町 下今井
下触 伊勢崎市 下触町 向井
香林 伊勢崎市 香林町 間ノ原
曲沢 伊勢崎市 曲沢町
 東村 伊勢崎市 東小保方町
保方 伊勢崎市 保方は小保方の誤記?
茂呂村 伊勢崎市 茂呂町、茂呂南町
 剛志村 上武士 伊勢崎市 境上武士
下武士 伊勢崎市 境下武士
 豊受村 長沼 伊勢崎市 長沼町
伊勢崎市 除ヶ町 新田
 名和村 山王堂 伊勢崎市 山王町
北今井 伊勢崎市 今井町
柴町 伊勢崎市 柴町
中町 伊勢崎市 中町
 芝根村 後箇 佐波郡 玉村町 後箇
上茂木 佐波郡 玉村町 上茂木
沼ノ上 佐波郡 玉村町 五料
 玉村町 角淵 佐波郡 玉村町 角渕
下新田字南町 佐波郡 玉村町 下新田
 宮郷村 宮子字竜子 伊勢崎市 宮子町
西原 伊勢崎市 宮子町
竿役 伊勢崎市
東上之宮字前原 伊勢崎市 東上之宮町
田中島字中島 伊勢崎市 田中島町
連取字辻 伊勢崎市 連取町
字林根 伊勢崎市 連取町

全國部落調査(1935年)

群馬縣 昭和十年二月現在

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
勢多郡 大胡町堀越四三農業土工前橋市 堀越町
〃 宮城村鼻毛石一三八四行商漁猟前橋市 鼻毛石町
〃 粕川村込皆戸一二一七一六農・商業竹細工、藁細工、商前橋市 粕川町込皆戸1580年(天正18年)、徳川家康の関東入国と共に大胡城に入城してきた徳川家家臣の大名牧野氏には、癩病に罹った鶴姫という娘がいたため、込皆戸に別荘を設け、そこで治療をすることになった。鶴姫に随従したのが牧野氏家臣の坂本弾兵衛・弾右衛門兄弟だった。後に弟の弾右衛門は浅草弾左衛門の支配下に入り、小頭孫三郎を名乗って込皆戸を支配するようになった、との伝承がある。梅沢姓22件、梅澤姓2件、坂本姓79件。2000年電話帳。この地区から群馬女子高生誘拐殺人事件(2002年)の死刑囚坂本正人が出た。

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
〃 粕川村 膳二五一七六農業、商業、土木藁細工、土木前橋市 粕川町膳
〃 黒保根村 宿廻宿廻日傭農業桐生市 黒保根町宿廻
〃 東村 大字 小夜戸 字 大畑大畑四七農業みどり市 東町小夜戸 大畑東町小夜戸に松島姓20件、松嶋姓3件。2000年電話帳。
〃 新里村 新井十三塚三三二〇四農業、靴直、日傭食肉販売、古物商、物■■売、仲介業桐生市 新里町新川 十三塚難読箇所は物品小売?
〃 〃 〃久保井二二一三九農業、牛馬商、日傭花売、食肉販売、野犬撲殺桐生市 新里町新川 久保井
〃 〃 山上御蔵屋敷一三農〃業日傭桐生市 新里町山上
群馬郡 倉賀野町 南町南町一三二六六一農業、商業、日傭南部表製造、商業高崎市 倉賀野町 南町教育家の堰口寛治の出身地区。木闇姓12件、清塚姓55件、平井姓42件、吉田姓21件。堰口姓なし。2000年電話帳。倉賀野町1688に氷室京介(本名は寺西修)の実家「寺西精肉店」があった。小林初枝は『こんな差別が』46-47頁で「清塚」「吉田」を部落姓とする群馬県「K町」について述べているが、倉賀野の可能性が高い。成沢栄寿によると、部落の所在地は烏川台地の200余の古墳の西側、「宿場町下町の南、堀をへだてて河岸場の東にあり、中山道下の木戸(江戸口)の外、日光例幣使街道の分岐点を脇へ入ったところ」である。
〃 滝川村 八幡原八幡原一三九四農業高崎市 八幡原町
〃 〃 下斉田下斉田一三八四高崎市 下斎田町
〃 東村 小相木小相木一一七〇前橋市 小相木町
〃 〃 古市古市前橋市 古市町
〃 元総社村 元総社旭日町一七一〇五竹細工前橋市 元総社町
〃 〃 大友大友三四前橋市 大友町
〃 六郷村 上並榎上並榎二三土工高崎市 上並榎町
〃 長野村 大字 浜川 字 谷川谷川一五九七竹箒製造高崎市 浜川町 谷川
〃 〃 〃 〃 〃 舘四三高崎市 浜川町 舘『群馬県小字名索引 明治拾四年地理雑件による』に浜川村の小字として舘が記載。ふりがなは「たて」。
〃 久留馬村 高浜高浜五四二九九農業、商業、周施兎鶏業高崎市 高浜町植杉姓55件。2000年電話帳。

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
〃 室田町 室田上室田一五一五八農業ラホ製造高崎市 上室田町
〃 倉田村 三ノ倉三ノ倉一八一一二農業、商業農業、竹細工、綿打、行商、車馬運搬業高崎市 倉渕町三ノ倉
〃 車郷村 白川白川二二二二九農業、竹細工、植木、商業土工人夫、植木、竹細工高崎市 箕郷町白川
〃 〃 富岡富岡二一一六四農業、古物商皮革高崎市 箕郷町富岡
〃 〃 和田山和田山農業桐材高崎市 箕郷町和田山
〃 箕輪町 上芝上芝七八五三八藁細工高崎市 箕郷町上芝桜井姓28件。2000年電話帳。
〃 〃 谷原矢原高崎市 箕郷町矢原
〃 〃 西明屋 松原松原四九高崎市 箕郷町西明屋 松原
〃 相馬村 柏木沢 新田上上柏木二五一五六高崎市 箕郷町柏木沢 新田上1957年のジラード事件の舞台。被害者となった地元の部落民は坂井姓。箕郷町柏木沢に坂井姓18件。2000年電話帳。
〃 〃 柏木沢 本田本田前一三高崎市 箕郷町柏木沢 本田
〃 〃 〃本田北一三高崎市 箕郷町柏木沢 本田
〃 〃 広馬場 井戸尻 南井戸尻又ハ南五二北群馬郡 榛東村 広馬場 井戸尻
〃 〃 広馬場 下ノ前下ノ前一二五二北群馬郡 榛東村 広馬場広馬場353-6に下ノ前集会所がある。
〃 〃 広馬場 宮室宮室一三六一北群馬郡 榛東村 広馬場 宮室広馬場に宿原姓14件。2000年電話帳。地区名の呼称にも宿原あり。
〃 上郊村 保渡田保渡田三一二八五農業、商業、工業土工高崎市 保渡田町
〃 堤ヶ岡村 中泉中泉二五一七一農業、商業、日傭草履製造、行商高崎市 中泉町木闇姓3件。2000年電話帳。通称「三区」。
〃 〃 三ツ寺三ツ寺二八行商、農草履製造高崎市 三ツ寺町

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
〃 總社村 植野植野二一一二八農業労働、竹細工前橋市 総社町植野
〃 〃 總社総社前橋市 総社町総社
〃 〃 金古町 金古金古二〇一七八農商業高崎市 金古町
〃 〃 足門足門八九農業、商業、竹細工高崎市 足門町越谷姓12件。2000年電話帳。
〃 駒寄村 漆原 川原田上川原田上四一農業箒製造北群馬郡 吉岡町 漆原 川原田上
〃 〃 上ノ原上ノ原日傭北群馬郡 吉岡町 漆原 上ノ原
〃 〃 上屋敷上屋敷北群馬郡 吉岡町 漆原 上屋敷
〃 〃 茶ノ木茶ノ木食肉販売北群馬郡 吉岡町 漆原 茶ノ木
〃 〃 大字 大久保 字 女塚女塚日傭、竹製造北群馬郡 吉岡町 大久保 女塚
〃 〃 境堀境堀一一六一農業、日傭、竹箒製造竹箒製造北群馬郡 吉岡町 大久保 境堀
〃 乙溝祭乙溝祭農業、箒製造北群馬郡 吉岡町 大久保 乙溝祭
〃 古巻村 大字 有馬 字 神戸神戸一三一一七農業、日傭兎賣買、草履作渋川市 有馬 神戸
〃 明治村 小倉小倉五二農業牛馬、商食肉、兎皮北群馬郡 吉岡町 小倉
〃 〃 下野田下野田一一七五農業、商業豚売買北群馬郡 吉岡町 下野田
〃 〃 北下北下二二一六八農業、土木兎皮、下駄齒入北群馬郡 吉岡町 北下
〃 桃井村 長岡長岡二七一八七農業、商業北群馬郡 榛東村 長岡
〃 〃 山子田山子田四九農業、古物商北群馬郡 榛東村 山子田湯浅姓13件。2000年電話帳。

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
〃 桃井村 新井新井一七一二二農業北群馬郡 榛東村 新井蜂巣姓11件、湯浅姓18件。2000年電話帳。
〃 豊秋村 大字 石原 字 西浦西浦七二渋川市 石原 西浦
〃 豊秋村 〃 中村 〃 夏梅夏梅渋川市 中村 夏梅
〃 渋川町 藤ノ木藤ノ木三三一六三日傭、牛馬商、古物商、家畜渋川市 渋川 藤ノ木
〃 金島村 金井金井一五一〇二商業、荷馬車挽渋川市 金井
〃 〃 川島川島二六会社員渋川市 川島
〃 〃 祖母島祖母島渋川市 祖母島
〃 長尾村 白井白井渋川市 白井
多野郡 藤岡町 新田町新田四一一九七農、商業労働藤岡市 藤岡
〃 〃 南町南町三一二〇五農業藤岡市 藤岡
〃 新町町 南南町四六二六五農業、日傭、古物商農業高崎市 新町 南町
〃 八幡村 根小屋第六区五四三七一農業草履表高崎市 根小屋町宮石姓11件、宮一姓26件、宮原姓28件。2000年電話帳。部落出身の歌人の宮一忠夫の姓は宮壱や宮壹とも表記される。
〃 美土里村 六塚上大塚三三一八〇農業、自働車業コンクリート業、藁細工藤岡市 上大塚内林姓29件。2000年電話帳。
〃 〃 中大塚中大塚二五農業自働車業藤岡市 中大塚
〃 〃 本動堂本動堂一三藤岡市 本動堂
〃 〃 上落合上落合一〇六二藤岡市 上落合
〃 平井町 緑埜緑埜一一日傭、農業草履作藤岡市 緑埜

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
〃 平井村 西平井西平井二二農業日傭草履作藤岡市 西平井
〃 〃 東平井東平井五五日傭、草履作藤岡市 東平井関沼姓12件。2000年電話帳。
〃 〃 鮎川鮎川二一八九日傭藤岡市 鮎川浦部姓11件。2000年電話帳。
〃 美九里村 本郷本郷漁業、竹細工藤岡市 本郷
〃 〃 矢場矢場一七農業商業、荷車挽藤岡市 矢場
〃 〃 保美保美二六藁細工藤岡市 保美
〃 〃 三本木三本木三六藤岡市 三本木
〃 〃 高山高山藤岡市 高山
〃 鬼石町 鬼石鬼石五六農業、荷馬車挽日稼、農業藤岡市 鬼石
〃 吉井町 大字 吉井 字 下宿下宿一〇五四農業高崎市 吉井町吉井川 下宿
〃 〃 〃 矢田 〃 千保千保一〇七四高崎市 吉井町矢田 千保山
〃 〃 〃 下長根 〃 町附町附二〇高崎市 吉井町下長根 町附
〃 日野村 岡原岡原二三一七一竹細工藤岡市 金井 岡原金井に関沼姓9件。2000年電話帳。
〃 〃 中原中原一四八九藤岡市 金井 中原
北甘楽郡 富岡町 大字 富岡 字 山際山際二四富岡市 富岡 山際
〃 〃 〃 〃 〃 原一八富岡市 富岡 原
〃 〃 〃 〃 〃 小沢小沢車力富岡市 富岡 小沢

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
〃 富岡町 大字 富岡 字 仲町仲町編物業富岡市 富岡 仲町
〃 〃 〃 〃 〃 上町上町金融業富岡市 富岡 上町
〃 〃 〃 〃 〃 城町城町商業富岡市 富岡 城町
〃 〃 〃 七日市 〃 南新田南新田大工、日雇富岡市 七日市 南新田
〃 〃 〃 〃 〃 旧郭旧郭製靴職富岡市 七日市 旧郭和田英『富岡日記』に登場する富岡製糸場の伝習工女の入沢筆は富岡市七日市の「新平民」の出と伝えられ、馬原鉄男や金子マーティンは入沢姓を群馬県の部落に特徴的な苗字と想定していたが、解放同盟群馬県連富岡支部の田幡栄によると入沢姓は「穢多・長吏」の系譜ではなく「番田」もしくは「鉦打ち」ではないか、いわゆる部落とは通婚関係などの交際がないようである、という。七日市に入沢姓1件。2000年電話帳。
〃 黒岩村 新田新田二八農業富岡市 上黒岩 新田
〃 〃 深町深町三二富岡市 上黒岩 深町
〃 〃 田ノ入田ノ入富岡市 上黒岩 田ノ入
〃 一ノ宮町 宮崎宮崎一七八九農、商業商業、竹細工富岡市 宮崎伊早坂姓3件。2000年電話帳。
〃 〃 一ノ宮一ノ宮一〇四九農〃業富岡市 一ノ宮伊早坂姓6件。2000年電話帳。
〃 丹生村 大字 上丹生 字 中山中山一八一四一商業富岡市 下丹生 中山
〃 妙義町 妙義妙義一四石工、運送業富岡市 妙義町妙義
〃 小坂村 大字 下小坂 字 山際山際一〇甘楽郡 下仁田町 下小坂 山際
〃 〃 〃 〃 〃 森沢森沢三一農業、製材職、日傭、靴職甘楽郡 下仁田町 下小坂 森沢
〃 〃 〃 中小坂 〃 馬落馬落一三農業土木甘楽郡 下仁田町 中小坂 馬落
〃 高瀬村 〃 高瀬 〃 西浦又ハ返車西浦又ハ返車二七農業竹細工、藁細工、商富岡市 上高瀬『角川日本地名大辞典』の小字一覧に上高瀬村の小字に西浦が記載。
〃 小幡町 上野 城山城山二四草履造甘楽郡 甘楽町 上野

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
北甘楽郡 福島町 福島町福島町三一農業、日傭甘楽郡 甘楽町 福島
〃 小野村 後賀後賀二三一六一農業富岡市 後賀山内姓15件。2000年電話帳。
碓氷郡 安中町 中宿中宿一三七八農業、商業養鯉、商業安中市 中宿
〃 安中(下野尻)下野尻五五二八一日傭、農業、商業農業、商業、竹細工、漁業、運送安中市 安中安中4-9-3に下の尻公会堂あり。
〃 〃 安中(米山)米山四四農業竹細工安中市 安中安中1717-1に安中市役所米山体育館あり。
〃 〃 古屋古屋二一一一九漁業、竹細工安中市 古屋
〃 松井田町 大字 新堀 小字 西城西城四〇二〇六農業、商業、土工土工安中市 松井田町新堀 西城
〃 西横野村 三軒在家松原一九農業安中市 松井田町二軒在家 松原谷津三軒在家は二軒在家の誤記。
〃 〃 八城青木一三一〇三農業、商業安中市 松井田町八城 青木八城に桜井姓8件。2000年電話帳。
〃 〃 〃下村一五一一七農業竹細工安中市 松井田町八城 下村
〃 〃 行田日蔭四二農業、商業安中市 松井田町行田 日蔭
〃 磯部村 寺前寺前三七農業養鶏安中市 東上磯部 寺前
〃 〃 二本木二本木安中市 磯部 二本木
〃 東横野村 大字 鷺宮 小字 松原松原一七一五六安中市 鷺宮 松原
〃 〃 〃 中野谷 〃 松原松原一三八六安中市 中野谷 松原
〃 〃 〃 上間仁田 〃 原一四一〇九安中市 上間仁田 原
〃 岩野谷村 〃 大谷 〃 入三〇二一六農業、雑役南部表製造、商業安中市 大谷 入

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
〃 岩野谷村 大字 野殿 字 沢農業桐材仲買安中市 野殿 沢
〃 〃 〃 岩井 〃 向村向村二〇炭坑夫安中市 岩井 向村
〃 板鼻町 荒田荒田安中市 板鼻 荒田
〃 〃 梅ノ木梅ノ木一五安中市 板鼻 梅ノ木
〃 〃 舘石舘石二六炭坑夫安中市 板鼻 舘石
〃 八幡村 大字 八幡 字 観音塚観音塚一〇五〇農業、日傭、郵便脚夫土工、農業高崎市 八幡町 観音塚
〃 〃 〃 金井淵 〃 屋敷裏屋敷裏二五農業、念仏、藁製造藁製品高崎市 金井淵町 屋敷裏
〃 〃 〃 八幡 〃 六万坊六万坊三〇農業、日傭土工高崎市 八幡町『群馬県小字名索引 明治拾四年地理雑件による』に八幡町と隣接する高崎市剣崎町にあたる八幡村と剣崎村の双方に小字の六万坊が記載。
〃 〃 〃 劔崎 〃 東村東村一四七六農業、日傭、商業、作男藁製品高崎市 剣崎町 東村境原姓18件。2000年電話帳。
〃 〃 〃 若田 〃 上原上原一八農業、日傭提灯ヒゴ作リ高崎市 若田町 上原
〃 〃 〃 八幡 〃 毘沙門毘沙門祈祷者高崎市 八幡町 毘沙門
〃 豊岡村 大字 中豊岡及下豊岡下豊岡一〇七三農業、下駄齒入藁細工、苗木商高崎市 中豊岡町、下豊岡町
〃 里見村 〃 中里見 字 中川中川二六一五六農業製縄高崎市 中里見町 中川中里見町に古島姓16件、星田姓18件、三ツ石姓7件。2000年電話帳。
〃 〃 〃 井ノ下井ノ下二一一一〇炭焼高崎市 中里見町 井ノ下
〃 〃 〃 根岸根岸一六製縄高崎市 中里見町 根岸
〃 〃 〃 上里見 字 田中田中一二四八商業高崎市 上里見町 田中
〃 〃 〃 房坂房坂一〇日傭高崎市 上里見町 房坂

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
〃 里見村 大字 下里見 字 小五郎谷戸小五郎谷戸農業日傭高崎市 下里見町 小五郎谷戸
〃 秋間村 〃 西上秋間 明石明石四三竹細工安中市 西上秋間 明石
〃 秋間村 西上秋間 山田山田一二