9 décembre 2018
POP TATARI
日野郡江府町
概況
鳥取県同和教育実践事例集(1980)によれば1箇所の同和地区と1箇所の集会所があった。
部落問題・水平運動資料集成補巻一には江尾村江尾下毛の名前があり、これが現在の江府町大字江尾である。
江府町集会所設置及び管理に関する条例によれば、次の集会所が設置されている。
本町5丁目集会所 江府町大字江尾94番地15
域内同和地区
・江尾
POP TATARI
日野郡日南町
概況
鳥取県同和教育実践事例集(1980)によれば2箇所の同和地区と1箇所の集会所があった。
部落問題・水平運動資料集成補巻一には福栄村神福猪子原と宮内村三栄の名前があり、それぞれ現在の神福上、上三栄に対応する。
日南町集会所の設置及び管理に関する条例によれば、次の集会所が設置されている。
上三栄集会所 日南町三栄1,715の10
神福上集会所 日南町神福1,525
域内同和地区
・上三栄
・神福上
8 décembre 2018
POP TATARI
日野郡日野町
鳥取県同和教育実践事例集(1980)によれば3箇所の同和地区と1箇所の集会所と1箇所の隣保館があった。
部落問題・水平運動資料集成補巻一には日野村下榎の名前がある。
日野町隣保館の設置及び管理に関する条例によれば、次の隣保館が設置されている。
日野町下榎隣保館 日野町下榎字宮﨏157番地1
日野町立下榎集会所の設置及び管理に関する条例によれば、次の集会所が設置されている。
下榎集会所 日野町下榎156番地3
下榎が代表的な同和地区であることは疑いないが、あとの2箇所の特定が必要である。
域内同和地区
・下榎
5 décembre 2018
POP TATARI
西伯郡大山町
鳥取県同和教育実践事例集(1980)によれば旧大山町に1,旧名和町に2,旧中山町に1の同和地区があるとされる。旧町にはそれぞれ1箇所の隣保館があった。
大山町押平集会所条例、大山町浜ノ上地区集会所条例、大山町隣保館条例により同和地区施設の場所が明らかになっている。
集会所の場所は次のとおりであり、それぞれ旧名和町、旧中山町にある。
大山町押平集会所 大山町茶畑28番地
大山町浜ノ上地区集会所 大山町御崎1713番地
隣保館の場所は次のとおりであり、それぞれ旧中山町、旧大山町にある。
大山町中山ふれあいセンター 大山町田中762番地8
大山町中高ふれあい文化センター 大山町平木297番地1
旧中山町にある浜ノ上地区集会所と中山ふれあいセンターは近い位置にあり、大山町の同和地区は1ヶ所とされていることから、これは同じ同和地区に設置された施設と考えられる。また、旧大山町の同和地区も押平と特定できる。
旧名和町の同和地区は中高しか特定できておらず、もう1箇所の特定が課題である。
域内同和地区
・中高
・押平
・浜ノ上
4 décembre 2018
POP TATARI
米子市
鳥取県同和教育実践事例集(1980)によれば5箇所の同和地区、2箇所の隣保館、1箇所の集会所があるとされる。
米子市隣保館条例によれば、隣保館の場所は次のとおりである。
米子市中央隣保館 米子市冨士見町50番地1
米子市前田隣保館 米子市尾高1424番地11
米子市下福万隣保館 米子市福万199番地1
米子市地区会館条例によれば、地区会館の場所は次のとおりである。
米子市陰田地区会館 米子市陰田町649番地13
米子市八幡三区地区会館 米子市八幡483番地5
米子市上赤井手地区会館 米子市赤井手63番地6
米子市は施設からは6地区が特定できるが、文献では5地区である。1地区が後で同和地区指定されたのか、あるいは施設はあるが同和地区でないのか検証することが今後の課題である。
域内同和地区
・冨士見町
・前田
・下福万
・陰田
・八幡三区
・上赤井手
3 décembre 2018
POP TATARI
八頭郡智頭町
概況
鳥取県同和教育実践事例集(1980)によれば2箇所の同和地区があり、隣保館と集会所がそれぞれ1つ存在するとされる。解放新聞(1976年10月25日)に「鳥取の山村部落の実態」として特集がされている。そこで本折と久志谷が被差別部落であることが述べられている。
水平社創立大会にも出席した部落解放運動家、松本兼松の出身地である。
地元住民によれば、JR智頭駅がある河原町も被差別部落だったという説がある(鳥取ループ取材)。
域内同和地区
•本折
•久志谷
POP TATARI
八頭郡若桜町
概況
鳥取県同和教育実践事例集(1980)によれば1箇所の同和地区があり、1箇所の隣保館があるとされる。
若桜町ふれあい交流センターの設置及び管理に関する条例によれば、次の隣保館が設置されている。
若桜町ふれあい交流センター 若桜町大字高野113番地の1
域内同和地区
・高野
POP TATARI
八頭郡八頭町
概況
鳥取県同和教育実践事例集(1980)によれば、旧郡家町に5箇所の同和地区と1箇所の集会所があり、旧船岡町に4箇所の同和地区と1箇所の集会所があり、旧八東町に5箇所の同和地区と1箇所の隣保館があるとされる。
2 décembre 2018
POP TATARI
岩美郡岩美町
概況
鳥取県同和教育実践事例集(1980)によれば2箇所の同和地区があり、1箇所の隣保館があるとされる。
域内同和地区
本庄
恩志
27 novembre 2018
POP TATARI
鳥取市
概況
鳥取県同和教育実践事例集(1980)によれば20箇所の同和地区があり、5箇所の隣保館、7箇所の集会所があるとされる。
一方、同和問題の解決のためにによれば19箇所である。
上記の資料の作成後、国府町、福部村、気高町、鹿野町、青谷町、河原町、用瀬町、佐治村が鳥取市に編入された。
山陰之教育第20号に出てくる富安は未指定地区であり、これを含めるかどうかで上記資料の2つの数字の違いが出たものと考えられる。
合併前のデータは次のとおりである。
町村 | 地区数 | 隣保館数 | 集会所数 |
---|---|---|---|
青谷町 | 2 | 0 | 0 |
気高町 | 2 | 0 | 1 |
福部村 | 1 | 0 | 1 |
国府町 | 3 | 0 | 1 |
河原町 | 8 | 1 | 3 |
用瀬町 | 2 | 0 | 0 |
佐治村 | 4 | 1 | 0 |
域内同和地区
旧鳥取市
古海
山カ鼻
嶋
中村
下味野
倭文
円通寺
国安
馬場
宮長
大杙
谷山
高殿
西品治
田島
松並
元品治
八千代
千代
富安
旧青谷町
下蔵内
西町
旧気高町
下光元
旧福部村
湯山
旧国府町
南広西
町屋
麻生
旧河原町
下曳田
上山手
下佐貫
釜口
稲常
八日市
旧用瀬町
別府
古用瀬
旧佐治村
小原
上葛谷
大井
同和問題の解決のために
同和問題の解決のために 鳥取市職員同和問題研修資料
発行日 | 1997年1月 |
発行所 | 鳥取市 |
見られる場所
- 鳥取市立中央図書館
内容
- p103 隣保館組織再編成表
古海(283世帯)山カ鼻(6世帯)嶋(7世帯)中村(21世帯)下味野(236世帯)倭文(48世帯)円通寺・国安・馬場(677世帯)宮長(21世帯)大杙(40世帯)谷山(38世帯)高殿(16世帯)西品治・田島・松並・元品治・八千代・千代(361世帯)
山陰之教育第20号
書誌情報
山陰之教育第20号
発行日 1897年1月8日
発行所 私立鳥取県教育会事務所
部落解放同盟は『山陰之教育第20号』について以下のように述べている。
『山陰之教育第20号』が1897年(明治30年)1月8日に発行されたこと、本資料に「新平民に関する調査報告書」という記事の掲載があり、被告主調のような記載があることは認めるが、その余は不知ないし否認。『山陰之教育第20号』はもともと鳥取県内の教育に関心を有する人が読み手として想定されたもので、教育の課題のための一種の学術的な資料であり、広く頒布されたものではない。そして、すでに発行から120年が経過しており、すでに歴史的価値を有する資料となっている。図書館に所蔵されているとしても、一般人には当該資料を知り、アクセスすることは極めて困難である。
また、そこに一覧として記載されているのは、鳥取県内の当時存在した6つの郡中の村の大字を「新平民」の居所として示したものに過ぎず、限定された地域に関するものである。そしてこの調査が教育環境の改善のために行われたものであることも、『山陰之教育第20号』から読み取ることができる。
「同和地区の暴露を差別扱いしながら自らは同和地区を暴露している」部落解放同盟や行政の確信的な差別を批判する為に運営されている。部落の地名が掲載された『山陰之教育第20号』について
鳥取県内の教育に関心を有する人が読み手として想定されたもの
学術的な資料
広く頒布されたものではない
発行から120年が経過
図書館に所蔵されているとしても、一般人には当該資料を知り、アクセスすることは極めて困難
現存しない郡中の村の大字
限定された地域に関するもの
調査が教育環境の改善のために行われたもの
の「いずれか」[3]の要件を満たしている為「部落地名総鑑」でないと自己弁護している。このように本書の内容の公表は差別では無いと部落解放同盟の御墨付きが得られており、それに従いそれ、に伴いほんブログは本書の内容を公表している。
見られる場所
鳥取県立図書館
内容
p23-28 新平民に関する調査表
メディア:山陰之教育20.pdf
●岩美郡
○富桑村
西品治 田島村
○美保村
宮長村 富安村
○倉田村
圓通寺村 國安村 馬場村
○國府村
町屋村
○法美村
麻生村
○面影村
大杙村
○本庄村
恩志村
本庄村
●八頭郡
○國中村
久能寺村 萬代寺村 土師百井村 石田百井村 米岡村
○船岡村
船岡村
○國英村
山手村 釜口村
○河原村
稻常村
○曳田村
曳田村
○五總村
中井村
○佐貫村
佐貫村 八日市村
○隼村
福井村 上野村
○逢郷村
南村 島村 重枝村
○八東村
才代村 東村
○若櫻村
高野村
○中私都村
市場村
○大村
鷹狩村
○用瀬村
別府村
○社村
古用瀬村
○口佐治村
小原村 葛谷村 大井村
○智頭村
智頭宿ノ内本折
○中田村
三田村
●氣高郡
○大和村
倭文村
○美穂村
味野村
○海徳村
古海村 徳尾村
○福富村
中村
○松保村
布勢村
○豐實村
島村
○吉岡村
吉岡村
○大郷村
松原村
○光元村
光元村
○日置谷村
藏内村
●東伯郡
○上灘村
嚴城村 駄經寺村 圓谷村
○倉吉町
河原村 福吉町
○下中山村
田中村
○榮村
龜谷村
○小鴨村
中河原村
○福米村
上米積村 下福田村 上福田村
○東郷村
田畑村
○豐定村
出上村
●西伯郡
○米子町
新法膳寺町 新博勞町
○手間村
宮前村
○法勝寺村
法勝寺村
○五千石村
八幡村
○縣村
福萬村
○王子村
赤井手村
○大高村
尾高村
○所子村
中高村
○庄内村
押平村
●日野郡
○江尾村
江尾村
○根雨村
根雨村
○安井村
榎市村
○福榮村
神福村
○野上村
三部村
○福成村
神戸上村
○石見村
上石見村
○宮内村
矢戸村 三榮村
18 novembre 2018
POP TATARI
鳥取県
同和教育実践事例集 同和教育資料 学校教育編5 (中学校・高等学校用)
p75 鳥取県市町村社会同和教育事業概況(昭和54年度) 鳥取県内の市町村別同和地区数、同和地区世帯数、同和地区人口、同和地区人口比率(1979年11月1日現在)、隣保館数、集会所数(1980年3月1日現在)
鳥取県市町村社会同和教育事業概況(1979年度)(下記に書かれいる鳥取県市町村社会同和教育事業概況(1979年度版)がこれです。)

概況
鳥取県の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1907年 | 67 | 2456 | 16794 |
1921年 | 81 | 3006 | 19022 |
1922年 | 81 | 2755 | 18494 |
1929年7月 | 81 | - | 約17000 |
1935年3月 | 97 | 3835 | 21999 |
1942年 | - | 3481 | 19797 |
1946年 | - | - | 25250 |
1958年 | 94 | 5140 | 28537 |
1963年 | 99 | 5810 | 地区全体30740、同和関係28414 |
1967年 | 86 | 地区全体6483、同和関係5472 | 地区全体29617、同和関係25631 |
1971年 | 98 | 地区全体6654、同和関係5501 | 地区全体28722、同和関係24256 |
1975年 | 105 | 地区全体6834、同和関係5963 | 地区全体27867、同和関係24664 |
1979年11月1日 | 109 | 6258 | 24937米1 |
1985年 | 107 | 地区全体6986、同和関係6080 | 地区全体28453、同和関係25138 |
1993年 | 107 | 地区全体7439、同和関係6389 | 地区全体26441、同和関係23562 |
(米1(p75 鳥取県市町村社会同和教育事業概況(昭和54年度) 鳥取県内の市町村別同和地区数、同和地区世帯数、同和地区人口、同和地区人口比率(1979年11月1日現在)、隣保館数、集会所数(1980年3月1日現在)(p75 鳥取県市町村社会同和教育事業概況(昭和54年度) 鳥取県内の市町村別同和地区数、同和地区世帯数、同和地区人口、同和地区人口比率(1979年11月1日現在)、隣保館数、集会所数(1980年3月1日現在)・鳥取県市町p75 鳥取県市町村社会同和教育事業概況(昭和54年度) 鳥取県内の市町村別同和地区数、同和地区世帯数、同和地区人口、同和地区人口比率(1979年11月1日現在)、隣保館数、集会所数(1980年3月1日現在)p75 鳥取県市町村社会同和教育事業概況(昭和54年度) 鳥取県内の市町村別同和地区数、同和地区世帯数、同和地区人口、同和地区人口比率(1979年11月1日現在)、隣保館数、集会所数(1980年3月1日現在)
・鳥取県市町村社会同和教育事業概況(1979年度) (上記の地図参考))
鳥取県では、鳥取県市町村社会同和教育事業概況(1979年度)(上記の地図参考)により、1979年11月1日現在の市町村別の同和地区数が判明している。文献によれば当時の県全体で同和地区数は109、世帯数は6,258、人口は24,937である。
県東部の同和地区特定のために有用な文献として、江戸時代末期に書かれたがある。因幡誌これは旧因幡国の村々を網羅的に解説したもので、穢多村の記述もある。しかし、明治以降に他の同和地区からの移住により形成され、同和対策事業の対象となった地区も存在するので注意が必要である。
部落問題・水平運動問題資料成補巻一の同和地区寺院所在地と檀徒所在地の地名一覧には鳥取県内の地名が多く記載されている。
山陰之教育題20号には、「新平民に関する調査表」として明治期に新平民が存在した村の一覧と人口と教育状況が列挙されている。
いずれの資料も漏れや不正確な記述があると考えられるので、精査する必要がある。たとえば鳥取市国府町中郷には10軒ほどの「はちや」身分の者が竹細工で生活していたが、中郷はいずれの資料にも載っていない。
鳥取県の同和地区は本村の枝村であった穢多村に由来することが多く、現在では枝村も含めて本村の名前が行政区画名となっていることが多いことから、地名だけで同和地区とされる集落を特定できない場合が多い。それゆえ、しばしば地元では上(下)○○、西(東)○○のように同和地区が通称される。
同和地区の産業はかつては農業や日傭が多かったが、現在は特に東部において土木、建設業者が多い。これは1952年4月17日の鳥取大火で、鳥取市の市街地の大部分が消失し、瓦礫の撤去とその後の復興事業において、当時人手が余っていた同和地区住民の多くが従事したためである。その結果復興特需により、同和地区に多くの土木、建設業者が生まれた。
鳥取の鉢屋衆について、柳田國男は「鉢叩きと其杖(毛坊主考の六)」で「因幡岩美郡中ノ郷村の鉢屋などは石切細工が生業であつた(因幡民談三)」と述べている。中ノ郷村は現在の鳥取市の一部にあたる。鉢屋は、伯耆に118村234戸、因幡に4村36戸あり、鳥取県西部に多くいた。なお東伯郡琴浦町大字赤碕に鉢屋屋敷という小字があるが、ここは『全國部落調査』に記載がない。
鳥取県西伯郡大山町名和出身の名和長年について「名和長年は南朝の忠臣なりしは何人も知れり、然れども彼れが部落の人でありし事は、未だ世に知られず」と記す資料もある。巡回した際の見聞からの記事であり、水運業が被差別民の職業としてあったことからと足利氏に対抗したことからの伝承か。
毎日新聞は2016年8月19日付の記事で、鳥取県因幡地方と兵庫県但馬地方に伝わる「麒麟獅子舞」が日本遺産に申請される旨報じている。そんな最中、朝日新聞(小若理恵記者(クリックすると麒麟獅子舞に関する記事が読めます。)は2017年5月22日付の記事で以下のように報じた。 (下記がその新聞記載の内容)
同じ神社の氏子でありながら、「けがれる」として最近まで獅子舞への参加を許され
なかった被差別部落が西日本にある。憲法は「法の下の平等」をうたうのに、長い間こ
の地区は置き去りにされてきた。対等な関係を築きたい――。当事者も地区外の人も動い
て「平等」を実現させた。 4月中旬。点在する家々の間にかねと太鼓の音が響いた。
獅子が練り歩き、氏子の家を回った。 この地区は地元神社の氏子でありながら、長い
間、春と秋の大祭で奉納する獅子舞に参加できなかった。昔から「獅子舞は地区外の町
民で回す」という暗黙の決まりが、その町にあったからだ。 「ムラの人が獅子に触れ
るとけがれる」。この地区のことを「ムラ」と呼ぶ町にはそんな迷信があった。 幼い
頃、獅子舞が通り過ぎるのを見るだけだった地区の男性(61)は「自分たちが参加でき
ないのは、今も続く部落差別の一つではないか」と、いつしか思うようになった。 地区
の内外を分ける形で続く獅子舞。祭りのたびに繰り返される現実が、男性には耐えがたか
った。 数年前、地区の区長になったのを機に、町の寄り合いで訴えた。(略)「現在もな
お部落差別が存在する」。昨年12月に成立した部落差別解消推進法は第1条でそう指摘す
る。同法は「全ての国民に基本的人権の享有を保障する憲法の理念にのっとり、部落差別
は許されない」として、相談体制の充実や差別解消のための教育・啓発・実態調査を国や
地方自治体に求めている。インターネット上での同和地区の地名リスト掲示などの新たな
差別事例が起きていることが背景にある。
因幡の麒麟獅子舞の麒麟獅子舞と但馬の麒麟獅子舞の麒麟獅子舞の写真。
因幡の麒麟獅子舞
但馬の麒麟獅子舞
更に当該記事で用いられた獅子舞の写真の構図が毎日新聞のものと同一であり、朝日新聞の小若理恵記者は「麒麟獅子舞」と分かるように写真を掲載したことで鳥取県因幡地方か兵庫県但馬地方の中に被差別部落があることを暴露した。 (小若理恵記者は記事で「ミスリード」しており、むしろ風評被害(部落差別)を助長していると指摘されている。朝日新聞が報じた「獅子舞への参加を許せなかった被差別部落とは?~示現舎 かつて小若理恵記者の記事について朝日新聞は愛知地域人権連合から抗議を受け謝罪している。 全国地域運動総合連>>Blog Archive>>愛知人権ネットが朝日新聞の報道に抗議、社は謝罪 朝日新聞 小若理恵記者の中途半端な同和差別記事にミスリードされた2ちゃんねる炎上 : Birth of Bluesは削除(リンク切れ)。同様の「ミスリード」を繰り返しており、小若理恵記者は政治的意図をもった「確信犯」として執筆していることが窺える。)
また林光宏は「部落問題入門/春の神社祭り~やっと実現した獅子舞~」と題した講演を開いた上に、部落解放同盟鳥取県連合会谷山支部を自称したことで、「鳥取市吉岡温泉町(谷山集会所)」周辺が部落だと暴露している。 月刊誌『ヒューマンライツ』(2015年3月号(NO.324)、部落解放人権研究所)にも林光宏は「私の村の解放運動 (前編) 二〇一三年、春の神社祭り ~やっと実現した獅子舞~」と題した寄稿をしている。『ヒューマンライツ』は多くの公立図書館で誰でも閲覧可能である。 (林光宏は「鳥取県牛肉販売協議会の生産者」と紹介されている。 牛肉の生産は部落の誇るべき産業の一つであり、これを「けがれる」ものとみなし神事を認めないのは差別意識の現れと言う他無い。 )
なお部落解放同盟は研究や部落差別解消の目的があれば部落地名リストの公開は差別でなく正当だと主張しており朝日新聞の小若理恵記者が指摘するような「インターネット上での同和地区の地名リスト掲示などの新たな差別事例」に該当しない。 おそらく小若理恵記者の言う「インターネット上での同和地区の地名リスト掲示などの新たな差別事例」とは、Googleや国立国会図書館が電子データ化して公開した『融和事業年鑑』(財団法人中央融和事業協会編著)と思われる。
真宗大谷派同和関係寺院協議会は「鳥取県の被差別部落の歴史と現状・鳥取ループ問題について」と題して、鳥取県内の部落を巡るフィールドワークを開催した。案内された部落の場所はインターネット上で公開している。鳥取ループを差別者と指弾しながら、一方で部落の場所をインターネットで堂々公開する矛盾を微塵も感じない真宗大谷派同和関係寺院協議会の人権感覚には驚く他ない。
米子市宗像と日野郡日南町神福にはそれぞれ乞食谷という小字があるが、旧賤民と関連しているかどうかは不明である。
文献
因幡誌(1795年)
(因幡誌の)書誌情報
因幡誌
発行日 | 1795年 |
発行者 | 安倍惟親 |
江戸時代に書かれた因幡国の地誌。村ごとに解説がされており、穢多村の記述からその村が同和地区かどうかを知ることが出来る。
穢多村とされる村
ほとんどの穢多村は本村に付随する形で存在する。このような村は、現代でも全域が同和地区指定されず、穢多村であった地域が同和地区指定された。稀に全村が穢多村の場合もある。
上巻
巨濃郡
- P133 本庄村(本村53軒 穢多村8軒)
- P145 恩地村(本村44軒 穢多村?軒)
法美郡
- P274 麻生村(本村16軒 穢多村38軒)
- P334 縁通村(本村72軒 穢多村?軒)
八上郡
八東郡
- P403 高野村(本村59軒 屠児村25軒)
- P460 南村(本村60軒 穢多村30軒)
- P471 東村(本村20軒 屠児村30軒)
- P473 才代村(本村63軒 穢多村25軒)
- P510 福井村(本村34軒 屠児村30軒)
- P528 市場村(本村70軒 屠児村9軒)
智頭郡
- P548 上鷹狩山(本村21軒 穢多村?軒)
- P556 別府村(本村48軒 穢多村7軒)南別府
- P557 古用瀬村(本村26軒 穢多村15軒)河崎
- P567 小原村(穢多村10軒)
- P569 古市村(本村42軒 穢多村6軒)上市
- P567 本折村(穢多村10軒)
高草郡
- P747 田野嶋村(本村40軒 穢多村50軒)
- P795 古海村(本村87軒 穢多村14軒)
- P807 下味野村(本村40軒 穢多村27軒)赤池
- P817 倭文村(本村28軒 穢多村13軒)
- P865 吉岡村(本村118軒 穢多村9軒)
気多郡
ページ | 村名 | 戸数 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
133 | 巨濃郡 本庄村 | 本村53軒 穢多村8軒 | 岩美郡 岩美町 本庄 | |
145 | 巨濃郡 恩地村 | 本村44軒 穢多村?軒 | 岩美郡 岩美町 恩志 | |
274 | 法美郡 麻生村 | 本村16軒 穢多村38軒 | 鳥取市 国府町麻生 | |
334 | 法美郡 縁通村 | 本村72軒 穢多村?軒 | 鳥取市 円通寺、西円通寺 | |
336 | 八上郡 稲常村 | 本村16軒 穢多村14軒 | 鳥取市 河原町稲常 | |
339 | 八上郡 布袋村 | 本村55軒 穢多村27軒 | 鳥取市 河原町布袋 | |
341 | 八上郡 渡リ一ツ木村 | 本村18軒 穢多村37軒 | 鳥取市 河原町渡一木 | |
349 | 八上郡 百井村 | 本村14軒 穢多村7軒 | 八頭郡 八頭町 土師百井 | |
359 | 八上郡 下船岡村 | 本村120軒 穢多村?軒 | 八頭郡 八頭町 船岡 | |
375 | 八上郡 釜口村 | 本村120軒 穢多村5軒 | 鳥取市 河原町釜口 | 緑浄寺について穢多寺とある |
377 | 八上郡 散岐村 | 本村120軒 穢多村32軒 | 鳥取市 河原町佐貫 | |
403 | 八東郡 高野村 | 本村59軒 屠児村25軒 | 八頭郡 若桜町 高野 | |
460 | 八東郡 南村 | 本村60軒 穢多村30軒 | 八頭郡 八頭町 南 | |
471 | 八東郡 東村 | 本村20軒 屠児村30軒 | 八頭郡 八頭町 東 | |
473 | 八東郡 才代村 | 本村63軒 穢多村25軒 | 八頭郡 八頭町 才代 | |
510 | 八東郡 福井村 | 本村34軒 屠児村30軒 | 八頭郡 八頭町 福井 | |
528 | 八東郡 市場村 | 本村70軒 屠児村9軒 | 八頭郡 八頭町 市場 | |
548 | 智頭郡 上鷹狩山 | 本村21軒 穢多村?軒 | 鳥取市 用瀬町鷹狩 | |
556 | 智頭郡 別府村 | 本村48軒 穢多村7軒 | 鳥取市 用瀬町別府 | 穢多村である枝郷の名前は「南別府」 |
557 | 智頭郡 古用瀬村 | 本村26軒 穢多村15軒 | 鳥取市 用瀬町古用瀬 | 穢多村である枝郷の名前は「河崎」 |
567 | 智頭郡 小原村 | 穢多村10軒 | 鳥取市 佐治町小原 | |
569 | 智頭郡 古市村 | 本村42軒 穢多村6軒 | 鳥取市 佐治町古市 | 穢多村である枝郷の名前は「上市」 |
567 | 智頭郡 本折村 | 穢多村10軒 | 八頭郡 智頭町 本折 | |
747 | 高草郡 田野嶋村 | 本村40軒 穢多村50軒 | 鳥取市 田島 | |
795 | 高草郡 古海村 | 本村87軒 穢多村14軒 | 鳥取市 古海 | |
807 | 高草郡 下味野村 | 本村40軒 穢多村27軒 | 鳥取市 下味野 | 穢多村である枝郷の名前は「赤池」 |
817 | 高草郡 倭文村 | 本村28軒 穢多村13軒 | 鳥取市 倭文 | |
865 | 高草郡 吉岡村 | 本村118軒 穢多村9軒 | 鳥取市 吉岡温泉町 | |
954 | 気多郡 下光本村 | 本村58軒 穢多村10軒 | 鳥取市 気高町下光元 | |
959 | 気多郡 鹿野 | 本村130軒 鉢屋村11軒 | 鳥取市 鹿野町鹿野 |
山陰之教育第20号(1897年)
タイトル「山陰之教育第20号」
発行日 1897年1月8日
発行所 私立鳥取県教育会事務所
部落解放同盟は『山陰之教育第20号』について以下のように述べている。
『山陰之教育第20号』が1897年(明治30年)1月8日に発行されたこと、本資料に「新平民に関する調査報告書」という記事の掲載があり、被告主調のような記載があることは認めるが、その余は不知ないし否認。『山陰之教育第20号』はもともと鳥取県内の教育に関心を有する人が読み手として想定されたもので、教育の課題のための一種の学術的な資料であり、広く頒布されたものではない。そして、すでに発行から120年が経過しており、すでに歴史的価値を有する資料となっている。図書館に所蔵されているとしても、一般人には当該資料を知り、アクセスすることは極めて困難である。
また、そこに一覧として記載されているのは、鳥取県内の当時存在した6つの郡中の村の大字を「新平民」の居所として示したものに過ぎず、限定された地域に関するものである。そしてこの調査が教育環境の改善のために行われたものであることも、『山陰之教育第20号』から読み取ることができる。
鳥取県内の教育に関心を有する人が読み手として想定されたもの
学術的な資料
広く頒布されたものではない
発行から120年が経過
図書館に所蔵されているとしても、一般人には当該資料を知り、アクセスすることは極めて困難
現存しない郡中の村の大字
限定された地域に関するもの
調査が教育環境の改善のために行われたもの。
見られる場所
鳥取県立図書館
内容
p23-28 新平民に関する調査表
メディア:山陰之教育20.pdf
●岩美郡
○富桑村
西品治 田島村
○美保村
宮長村 富安村
○倉田村
圓通寺村 國安村 馬場村
○國府村
町屋村
○法美村
麻生村
○面影村
大杙村
○本庄村
恩志村
本庄村
●八頭郡
○國中村
久能寺村 萬代寺村 土師百井村 石田百井村 米岡村
○船岡村
船岡村
○國英村
山手村 釜口村
○河原村
稻常村
○曳田村
曳田村
○五總村
中井村
○佐貫村
佐貫村 八日市村
○隼村
福井村 上野村
○逢郷村
南村 島村 重枝村
○八東村
才代村 東村
○若櫻村
高野村
○中私都村
市場村
○大村
鷹狩村
○用瀬村
別府村
○社村
古用瀬村
○口佐治村
小原村 葛谷村 大井村
○智頭村
智頭宿ノ内本折
○中田村
三田村
●氣高郡
○大和村
倭文村
○美穂村
味野村
○海徳村
古海村 徳尾村
○福富村
中村
○松保村
布勢村
○豐實村
島村
○吉岡村
吉岡村
○大郷村
松原村
○光元村
光元村
○日置谷村
藏内村
●東伯郡
○上灘村
嚴城村 駄經寺村 圓谷村
○倉吉町
河原村 福吉町
○下中山村
田中村
○榮村
龜谷村
○小鴨村
中河原村
○福米村
上米積村 下福田村 上福田村
○東郷村
田畑村
○豐定村
出上村
●西伯郡
○米子町
新法膳寺町 新博勞町
○手間村
宮前村
○法勝寺村
法勝寺村
○五千石村
八幡村
○縣村
福萬村
○王子村
赤井手村
○大高村
尾高村
○所子村
中高村
○庄内村
押平村
●日野郡
○江尾村
江尾村
○根雨村
根雨村
○安井村
榎市村
○福榮村
神福村
○野上村
三部村
○福成村
神戸上村
○石見村
上石見村
○宮内村
矢戸村 三榮村
町村 | 大字 | 戸数 | 人口 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
岩美郡 富桑村 | 西品治 | 140 | 817 | 鳥取市 西品治 | |
岩美郡 富桑村 | 田島村 | 鳥取市 田島 | |||
岩美郡 美保村 | 宮長村 | 16 | 101 | 鳥取市 宮長 | |
岩美郡 美保村 | 富安村 | 7 | 39 | 鳥取市 富安 | |
岩美郡 倉田村 | 圓通寺村 | 63 | 402 | 鳥取市 円通寺、西円通寺 | |
岩美郡 倉田村 | 國安村 | 61 | 368 | 鳥取市 国安 | |
岩美郡 倉田村 | 馬場村 | 42 | 260 | 鳥取市 馬場 | |
岩美郡 國府村 | 町屋村 | 22 | 187 | 鳥取市 国府町町屋 | |
岩美郡 法美村 | 麻生村 | 101 | 611 | 鳥取市 国府町麻生 | |
岩美郡 面影村 | 大杙村 | 19 | 110 | 鳥取市 大杙 | |
岩美郡 本庄村 | 恩志村 | 30 | 201 | 岩美郡 岩美町 恩志 | |
岩美郡 本庄村 | 本庄村 | 14 | 72 | 岩美郡 岩美町 本庄 | |
八頭郡 國中村 | 久能寺村 | 12 | 69 | 八頭郡 八頭町 久能寺 | |
八頭郡 國中村 | 萬代寺村 | 16 | 150 | 八頭郡 八頭町 万代寺 | |
八頭郡 國中村 | 土師百井村 | 16 | 108 | 八頭郡 八頭町 土師百井 | |
八頭郡 國中村 | 石田百井村 | 2 | 6 | 八頭郡 八頭町 石田百井 | |
八頭郡 國中村 | 米岡村 | 4 | 17 | 八頭郡 八頭町 米岡 | |
八頭郡 船岡村 | 船岡村 | 16 | 108 | 八頭郡 八頭町 船岡 | |
八頭郡 國英村 | 山手村 | 11 | 63 | 鳥取市 河原町山手 | |
八頭郡 國英村 | 釜口村 | 2 | 14 | 鳥取市 河原町釜口 | |
八頭郡 河原村 | 稻常村 | 20 | 92 | 鳥取市 河原町稲常 | |
八頭郡 曳田村 | 曳田村 | 35 | 264 | 鳥取市 河原町曳田 | |
八頭郡 五總村 | 中井村 | 18 | 127 | 鳥取市 河原町中井 | |
八頭郡 佐貫村 | 佐貫村 | 108 | 706 | 鳥取市 河原町佐貫 | |
八頭郡 佐貫村 | 八日市村 | 5 | 45 | 鳥取市 河原町八日市 | |
八頭郡 隼村 | 福井村 | 33 | 246 | 八頭郡 八頭町 福井 | |
八頭郡 隼村 | 上野村 | 17 | 118 | 八頭郡 八頭町 上野 | |
八頭郡 逢郷村 | 南村 | 38 | 274 | 八頭郡 八頭町 南 | |
八頭郡 逢郷村 | 島村 | 4 | 25 | 八頭郡 八頭町 島 | |
八頭郡 逢郷村 | 重枝村 | 2 | 8 | 八頭郡 八頭町 重枝 | |
八頭郡 八東村 | 才代村 | 30 | 215 | 八頭郡 八頭町 才代 | |
八頭郡 八東村 | 東村 | 31 | 210 | 八頭郡 八頭町 東 | |
八頭郡 若櫻村 | 高野村 | 47 | 302 | 八頭郡 若桜町 高野 | |
八頭郡 中私都村 | 市場村 | 36 | 254 | 八頭郡 若桜町 高野 | |
八頭郡 大村 | 鷹狩村 | 2 | 15 | 鳥取市 用瀬町鷹狩 | |
八頭郡 用瀬村 | 別府村 | 15 | 89 | 鳥取市 用瀬町別府 | |
八頭郡 社村 | 古用瀬村 | 32 | 194 | 鳥取市 用瀬町古用瀬 | |
八頭郡 佐治村 | 小原村 | 19 | 102 | 鳥取市 佐治町小原 | |
八頭郡 佐治村 | 葛谷村 | 6 | 35 | 鳥取市 佐治町葛谷 | |
八頭郡 佐治村 | 大井村 | 15 | 90 | 鳥取市 佐治町大井 | |
八頭郡 智頭村 | 智頭宿ノ内本折 | 71 | 381 | 八頭郡 智頭町 本折 | |
八頭郡 中田村 | 三田村 | 6 | 40 | 八頭郡 智頭町 三田 | |
氣高郡 大和村 | 倭文村 | 28 | 227 | 鳥取市 倭文 | |
氣高郡 美穂村 | 味野村 | 103 | 563 | 鳥取市 下味野 | |
氣高郡 海徳村 | 古海村 | 104 | 689 | 鳥取市 古海 | |
氣高郡 海徳村 | 徳尾村 | 3 | 19 | 鳥取市 徳尾 | |
氣高郡 福富村 | 中村 | 12 | 83 | 鳥取市 中村 | |
氣高郡 松保村 | 布勢村 | 5 | 33 | 鳥取市 布勢 | |
氣高郡 豐實村 | 島村 | 9 | 57 | 鳥取市 嶋 | |
氣高郡 吉岡村 | 吉岡村 | 23 | 131 | 鳥取市 吉岡温泉町 | |
氣高郡 大郷村 | 松原村 | 8 | 52 | 鳥取市 松原 | |
氣高郡 光元村 | 光元村 | 28 | 196 | 鳥取市 気高町下光元 | |
氣高郡 日置谷村 | 藏内村 | 9 | 39 | 鳥取市 青谷町蔵内 | |
東伯郡 上灘村 | 嚴城村 | 15 | 102 | 倉吉市 巌城 | |
東伯郡 上灘村 | 駄經寺村 | 1 | 6 | 倉吉市 駄経寺 | |
東伯郡 上灘村 | 圓谷村 | 2 | 10 | 倉吉市 円谷町 | |
東伯郡 倉吉町 | 河原村 | 9 | 40 | 倉吉市 河原町 | |
東伯郡 倉吉町 | 福吉町 | 17 | 98 | 倉吉市 福吉町 | |
東伯郡 下中山村 | 田中村 | 19 | 135 | 西伯郡 大山町 田中 | |
東伯郡 榮村 | 龜谷村 | 25 | 219 | 東伯郡 北栄町 亀谷 | |
東伯郡 小鴨村 | 中河原村 | 39 | 248 | 倉吉市 中河原 | |
東伯郡 福米村 | 上米積村 | 84 | 507 | 倉吉市 上米積 | |
東伯郡 福米村 | 下福田村 | 11 | 44 | 倉吉市 下福田 | |
東伯郡 福米村 | 上福田村 | 14 | 92 | 倉吉市 上福田 | |
東伯郡 東郷村 | 田畑村 | 30 | 183 | 東伯郡 湯梨浜町 田畑 | |
東伯郡 豐定村 | 出上村 | 61 | 397 | 東伯郡 琴浦町 出上 | |
西伯郡 米子町 | 新法勝寺町 | 68 | 358 | 米子市 法勝寺町 | |
西伯郡 米子町 | 新博勞町 | 30 | 131 | 米子市 博労町 | |
西伯郡 手間村 | 宮前村 | 24 | 152 | 西伯郡 南部町 宮前 | |
西伯郡 法勝寺村 | 法勝寺村 | 12 | 85 | 西伯郡 南部町 法勝寺 | |
西伯郡 五千石村 | 八幡村 | 12 | 54 | 米子市 八幡 | |
西伯郡 縣村 | 福萬村 | 24 | 134 | 米子市 福万 | |
西伯郡 王子村 | 赤井手村 | 18 | 101 | 米子市 赤井出 | |
西伯郡 大高村 | 尾高村 | 15 | 149 | 米子市 尾高 | |
西伯郡 所子村 | 中高村 | 61 | 370 | 西伯郡 大山町 中高 | |
西伯郡 庄内村 | 押平村 | 56 | 357 | 大山町 押平 | |
日野郡 江尾村 | 江尾村 | 23 | 128 | 日野郡 江府町 江尾 | |
日野郡 根雨村 | 根雨村 | 2 | 11 | 日野郡 日野町 根雨 | |
日野郡 安井村 | 榎市村 | 43 | 219 | 日野郡 日野町 榎市 | かつて下榎が榎市の一部だった可能性について要検証。 |
日野郡 福榮村 | 神福村 | 9 | 60 | 日野郡 日南町 神福 | |
日野郡 野上村 | 三部村 | 31 | 185 | 西伯郡 伯耆町 三部 | |
日野郡 福成村 | 神戸上村 | 2 | 14 | 日野郡 日南町 神戸上 | |
日野郡 石見村 | 上石見村 | 2 | 16 | 日野郡 日南町 上石 | |
日野郡 宮内村 | 矢戸村 | 3 | 8 | 日野郡 日南町 矢戸 | |
日野郡 宮内村 | 三榮村 | 32 | 175 | 日野郡 日南町 三栄 |
部落問題・水平運動資料集成補巻一(1923年)
所在地方 | 戸数 | 人口 | 寺院 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
岩美郡 富安村 田島 | 23 | 129 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 田島 | |
岩美郡 富安村 西品治 | 156 | 948 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 西品治 | |
岩美郡 美保村 宮長 | 12 | 68 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 宮長 | |
岩美郡 美保村 富安 | 13 | 77 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 富安 | |
岩美郡 倉田村 円通寺 | 84 | 563 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 円通寺、西円通寺 | |
岩美郡 倉田村 国安 | 75 | 407 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 国安 | |
岩美郡 倉田村 馬場 | 51 | 349 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 馬場 | |
岩美郡 面影村 大材 | 23 | 188 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 大杙 | |
岩美郡 宇倍野村 町屋 | 29 | 169 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 国府町町屋 | |
岩美郡 宇倍野村 広西 | 6 | 42 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 国府町広西 | |
岩美郡 宇倍野村 麻生 | 114 | 717 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 国府町麻生 | |
岩美郡 本庄村 本庄 | 12 | 60 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 岩美郡 岩美町 本庄 | |
岩美郡 福部村 湯山 | 4 | 33 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 福部町湯山 | |
八頭郡 国中村 万代寺 | 21 | 147 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 八頭郡 八頭町 万代寺 | |
八頭郡 国中村 土師百井 | 11 | 77 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 八頭郡 八頭町 土師百井 | |
八頭郡 国中村 米岡 | 4 | 21 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 八頭郡 八頭町 米岡 | |
八頭郡 国中村 久能寺 | 5 | 25 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 八頭郡 八頭町 久能寺 | |
八頭郡 船岡村 船岡 | 15 | 71 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 八頭郡 八頭町 船岡 | |
八頭郡 国栄村 山手 | 10 | 67 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 河原町山手 | |
八頭郡 河原町 稲常 | 6 | 31 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 河原町稲常 | |
八頭郡 八上村 曳田 | 34 | 212 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 河原町曳田 | |
八頭郡 西郷村 沖台 | 29 | 204 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 沖台が中井の別名だった可能性など要調査。 | |
八頭郡 散岐村 佐賀 | 110 | 715 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 河原町佐貫 | 佐賀は佐貫の誤記。 |
八頭郡 散岐村 八日市 | 1 | 9 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 河原町八日市 | |
八頭郡 隼村 福井 | 36 | 177 | 八頭郡 隼村 郡家 光福寺 | 八頭郡 八頭町 福井 | |
八頭郡 隼村 上野 | 17 | 85 | 八頭郡 隼村 郡家 光福寺 | 八頭郡 八頭町 上野 | |
八頭郡 八頭村 竹市 | 42 | 242 | 八頭郡 隼村 郡家 光福寺 | 八頭郡 八頭町 竹市 | |
八頭郡 八頭村 河住 | 45 | 234 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 河住が東の別名だった可能性など要調査。 | |
八頭郡 丹比村 南 | 60 | 397 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 八頭郡 八頭町 南 | |
八頭郡 若桜村 高野 | 73 | 388 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 八頭郡 若桜町 高野 | |
八頭郡 私都村 市場 | 24 | 307 | 八頭郡 下私都村 山路 蓮徳寺 | 八頭郡 八頭町 市場 | |
八頭郡 用瀬村 別府 | 14 | 95 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 用瀬町別府 | |
八頭郡 社村 古用瀬 | 41 | 250 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 用瀬町古用瀬 | |
八頭郡 佐治村 大井 | 31 | 189 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 佐治町大井 | |
八頭郡 佐治村 葛谷 | 6 | 32 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 佐治町葛谷 | |
八頭郡 佐治村 小原 | 9 | 47 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 佐治町小原 | |
八頭郡 地頭村 櫛谷 | 25 | 139 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 八頭郡 智頭町 久志谷 | |
八頭郡 地頭村 本折 | 50 | 277 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 八頭郡 智頭町 本折 | |
気高郡 松保村 正木 | 9 | 31 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 正木が布施の別名だった可能性など要調査。 | |
気高郡 日置谷村 蔵内 | 14 | 71 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 青谷町蔵内 | |
気高郡 大郷村 高殿 | 12 | 69 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 吉岡温泉町 | |
気高郡 東郷村 中 | 14 | 88 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 中村 | |
気高郡 吉岡村 谷山 | 29 | 155 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 吉岡温泉町 | |
気高郡 大和村 倭文 | 27 | 211 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 取市 倭文 | |
気高郡 豊実村 島 | 7 | 73 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 嶋 | |
気高郡 寛木村 下光元 | 45 | 281 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 気高町下光元 | |
気高郡 大正村 古海 | 151 | 901 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 古海 | |
気高郡 美穂村 下味野 | 109 | 664 | 八頭郡 国栄村 釜口 緑浄寺 | 鳥取市 下味野 | |
東伯郡 東郷村 田畑 | 93 | 203 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 東伯郡 湯梨浜町 田畑 | |
東伯郡 小鴨村 中河原 | 48 | 317 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 倉吉市 中河原 | |
東伯郡 上小鴨村 鴨河内 | 9 | 56 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 倉吉市 鴨河内 | |
東伯郡 高城村 勝負谷 | 16 | 259 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 倉吉市 上福田 | |
東伯郡 高城村 上米積 | 139 | 719 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 倉吉市 上米積 | |
東伯郡 高城村 下福田 | 9 | 67 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 倉吉市 下福田 | |
東伯郡 上灘村 三明寺 | 24 | 186 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 倉吉市 巌城 三明寺西、三明寺東 | |
東伯郡 栄村 亀谷 | 64 | 274 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 東伯郡 北栄町 亀谷 | |
東伯郡 市勢村 下伊勢 | 76 | 384 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 東伯郡 琴浦町 下伊勢 | |
東伯郡 成美村 出上前条 | 108 | 648 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 東伯郡 琴浦町 出上 | 前条については要調査。 |
東伯郡 下中山村 田中ノ内原 | 36 | 237 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 西伯郡 大山町 田中 下田中 | |
西伯郡 米子市幸町 | 77 | 378 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | ||
西伯郡 五千石村 八幡 | 12 | 101 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 米子市 八幡 | |
西伯郡 県村 福万 | 30 | 307 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 米子市 福万 | |
西伯郡 春日村 赤井手 | 20 | 106 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 米子市 赤井出 | |
西伯郡 大高村 尾高 | 34 | 365 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 米子市 尾高 | |
西伯郡 所子村 中高 | 89 | 580 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 西伯郡 大山町 中高 | |
西伯郡 庄内村 押平 | 91 | 468 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 大山町 押平 | |
西伯郡 法勝寺村 清水 | 20 | 93 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 西伯郡 南部町 法勝寺 | 勝寺川をはさんで西側の地区が清水。 |
西伯郡 手間村 宮前 | 39 | 266 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 西伯郡 南部町 宮前 | |
西伯郡 大和村 小波 | 412 | 1664 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 米子市 淀江町小波 | |
日野郡 野上村 三部 | 42 | 231 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 西伯郡 伯耆町 三部 | |
日野郡 江尾村 江尾下毛 | 29 | 185 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 日野郡 江府町 江尾 | 江尾94-15に本町5丁目集会所がある。 |
日野郡 福栄村 神福猪子原 | 13 | 75 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 日野郡 日南町 神福 | 神福1532付近、県道211号沿いに猪子原バス停がある。神福1525に神福上集会所がある、 |
日野郡 日野村 下榎 | 56 | 286 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 日野郡 日野町 下榎 | |
日野郡 宮内村 三栄 | 68 | 363 | 西伯郡 大和村 小波 浄福寺 | 日野郡 日南町 三栄 |
全國部落調査(1935年)
鳥取縣 昭和十年三月現在
167頁
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
鳥取市 田島 | 田島 | 二六 | 一六一 | 農業 | 日傭 | 下 | 鳥取市 田島 | |
〃 西品治 | 西品治 | 一六四 | 八九〇 | 〃 | 日傭、藁細工 | 〃 | 鳥取市 西品治 | |
〃 宮長 | 宮長 | 一四 | 八七 | 〃 | 日傭 | 中 | 鳥取市 宮長 | |
〃 富安 | 富安 | 一八 | 一〇六 | 〃 | 〃 | 鳥取市 富安 | 未指定。開発と混住がすすんだため。 | |
米子市 富士見町 | 富士見町二丁目 | 八九 | 四九一 | 日傭 | 藁細工 | 〃 | 米子市 冨士見町 | 現在の2丁目が当時の区域と一致するかは要検証。 |
168頁
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
米子市 博労町 | 博労町三丁目 | 五九 | 三二六 | 日傭、屑物商 | 日傭 | 下 | 米子市 博労町 | 現在の3丁目が当時の区域と一致するかは要検証。 |
岩美郡 倉田村 円通寺 | 樋ノ戸土居 | 八八 | 五一七 | 農、石工、日傭 | 日傭 | 〃 | 鳥取市 円通寺、西円通寺 | 同地では人形芝居が行われており、六代目の座元として西村姓の者が登場する。同地に山根姓の者がいた。同地の人形遺系図に姓の記載がある四代から七代の座元に以下の姓の者がいた。秋山(7人)、磯部(3人)、坂根(5人)、坂本、谷口(4人)、中山、西村(12人)、森下(5人)、山口(4人)、山根(2人)。 |
〃 〃 国安 | 北土居 | 七五 | 四七八 | 農、荷馬車挽、日傭 | 〃 | 中 | 鳥取市 国安 | 同地に以下の姓の者がいた。木村、西村。同地に椋田姓の者がいた。鳥取県から全国婦人集会に参加した間屋口姓の者がいた。間屋口(まやぐち)は、鳥取市が最多の稀姓で同地に多い。間屋口姓14件、椋田姓17件。2000年電話帳。 |
〃 〃 馬場 | 沖土居 | 五四 | 二九八 | 農、日傭 | 日傭、農 | 下 | 鳥取市 馬場 | 鳥取市の馬場地区の馬場八幡永楽座系図にある初代から四代の座元に以下の姓の者がいた。奥村、中尾(6人)、西尾、西垣、福田(9人)、前田(15人)、森本。同地に中村姓の者がいた。部落解放同盟馬場支部に村田姓の者がいた。 |
岩美郡 面影村 | 大杙 | 二八 | 一六九 | 農 | 日傭 | 〃 | 鳥取市 大杙 | |
〃 宇倍野村 | 麻生 | 九三 | 五〇七 | 〃 | 〃 | 〃 | 鳥取市 国府町麻生 | 同地に北邑姓の者がいた。北邑(きたむら)は、滋賀県東近江市が最多の稀姓。 |
〃 宇倍野村 町屋 | 分田 | 一五 | 九四 | 〃 | 〃 | 〃 | 鳥取市 国府町町屋 | 上町屋児童館や上町屋老人憩いの家の付近が分田。同地に前道姓の者がいた。前道(まえみち)は、都道府県別では長崎県、市町村別では北海道帯広市が最多の稀姓。前道姓3件。2000年電話帳。 |
〃 〃 廣西 | 笑道 | 六 | 四三 | 〃 | 〃 | 〃 | 鳥取市 国府町広西 | 35.459070, 134.280526付近が笑道。 |
岩美郡 恩庄村 恩志 | 畠崎 | 四四 | 二六八 | 〃 | 藁細工 | 〃 | 岩美郡 岩美町 恩志 | 恩庄村は本庄村の誤記。畠崎は岡崎の誤記の可能性あり。 |
〃 〃 本庄 | 下本庄 | 一六 | 九七 | 〃 | 〃 | 〃 | 岩美郡 岩美町 本庄 | |
〃 福部村 | 湯山 | 三 | 二二 | 〃 | 〃 | 〃 | 鳥取市 福部町湯山 | 鳥取連続不審死事件(2009年発覚)の上田美由紀死刑囚(旧姓堀江)の事件当時の住所。ただし上田の実家は東伯郡大栄町(現・北栄町)で、父の職業は土木作業員。旧大栄町では亀谷に堀江姓が集中している。( 小林健治『部落解放同盟「糾弾」史』37頁に「『週刊朝日』編集部は、鳥取で起きた連続不審死事件の容疑者と被差別部落という属性・出自を結びつけ、記事化しようとして、鳥取の関係者から抗議を受けている(この件に関して、2014年1月21日付で、朝日新聞出版の大貫聡子名で「反省文」が中央本部に提出されている)」とある。角岡伸彦は「これは記者が現地で取材したところ、多くの周辺住民が容疑者の出自について触れたことに端を発している。記者は部落問題にも触れないわけにはいかないのではないかと考え、後日、部落内を取材しようとし、取材拒否に遭った」と記している。) |
八頭郡 国中村 久能寺 | 三軒屋 | 五 | 二六 | 農、荷馬車挽 | 〃 | 中 | 八頭郡 八頭町 久能寺 | |
〃 〃 万代寺 | 船戸 | 一九 | 一二〇 | 農業日傭 | 〃 | 下 | 八頭郡 八頭町 万代寺 | |
〃 〃 土師百井 | 岡見 | 一八 | 一一一 | 〃 | 〃 | 〃 | 八頭郡 八頭町 土師百井 | 土師百井集会所(土師百井244)付近が岡見。 |
〃 〃 米岡 | 山根 | 九 | 五七 | 〃 | 〃 | 中 | 八頭郡 八頭町 米岡 | |
〃 船岡村 船岡 | 船戸 | 五 | 二八 | 農業 | 〃 | 〃 | 八頭郡 八頭町 船岡 | 船戸の位置は要調査 |
〃 〃 新庄 | 新庄 | 一五 | 一〇三 | 〃 | 〃 | 〃 | 八頭郡 八頭町 船岡 | 新庄児童館、新庄公民館等がある |
169頁
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
八頭郡 安倍村 | 小別府 | 一〇 | 五一 | 日傭 | 藁細工 | 下 | 八頭郡 八頭町 小別府 | |
〃 河原町 稲常 | 胡摩 | 四 | 三一 | 農業 | 米佇買、土木請負 | 〃 | 鳥取市 河原町稲常 | 千代川にかかる稲常橋付近を「胡摩土手」と呼称。 |
〃 国栄村 | 山手 | 一三 | 八二 | 〃 | 藁細工 | 〃 | 鳥取市 河原町山手 | |
〃 〃 釜口 | 釜口 | 一 | 八 | 僧侶 | 〃 | 鳥取市 河原町釜口 | 1戸は河原町釜口1449にある浄土真宗の緑浄寺の住職である可能性。 | |
〃 八上村 曵田 | 下山土井 | 三五 | 二七八 | 農、日傭 | 藁細工 | 〃 | 鳥取市 河原町曳田 | 鳥取市河原町曳田の部落解放同盟下曳田支部の副支部長に西田姓の者がいた。 |
〃 西郷村 | 中井 | 三一 | 一三一 | 〃 | 養蚕、皮革業 | 〃 | 鳥取市 河原町中井 | 「岩美郡西鄕村字×× 鳥取縣調査報告に、『江戸時代末期ノ戶数四戶ナリシガ、現在戸数三十三トナレリ。其ノ起源ハ元治元年(紀元二千五百二十四年)耕作ノ為メ坂本甚五郎トイフモノヲ招致シタルニ始マリ、漸次戶口ヲ增シテ現在ニ至レリ。』とある」。岩美郡西郷村は八頭郡西郷村の誤記。八頭郡西郷村は現在の鳥取市の一部で、元治元年は1864年。同地の融和運動家に以下の姓の者がいた。坂本、田中。 |
〃 散岐村 | 佐貫 | 一一七 | 九〇〇 | 〃 〃 | 日傭 | 〃 | 鳥取市 河原町佐貫 | 鳥取市(旧:八頭郡散岐村)から、1921年に奈良県、滋賀県に部落改善事業の視察に行った徳田姓の者がいた。八頭郡散岐村の村長に当選した中川姓の者がいた。 |
〃 隼村 | 福井 | 三六 | 一三四 | 〃 | 藁細工、日傭 | 中 | 八頭郡 八頭町 福井 | |
〃 〃 上野 | 上野 | 一四 | 九四 | 〃 | 〃 | 〃 | 八頭郡 八頭町 上野 | |
〃 八頭村 | 竹市 | 三九 | 二五三 | 〃 | 日傭 | 下 | 八頭郡 八頭町 徳丸 竹市 | |
〃 〃 東 | 河住 | 三二 | 一九〇 | 〃 | 〃 | 中 | 八頭郡 八頭町 東 | 35.364083, 134.322846付近が河住。 |
〃 丹比村 南 | 南中 | 四三 | 二五七 | 藁細工 | 〃 | 下 | 八頭郡 八頭町 南 中南 | 南に瀬戸根姓9件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 南下 | 二五 | 一五三 | 〃 | 〃 | 〃 | 八頭郡 八頭町 南 下南 | 同地の小谷家は、広大な旦那場を占有して皮革業から多大な富を得ていた。 |
〃 若桜村 | 高野 | 七三 | 四二八 | 農、日傭 | 養蚕、藁細工 | 〃 | 八頭郡 若桜町 高野 | |
〃 私都村 市場 | 向市場 | 三九 | 三一四 | 〃 〃 | 藁細工 | 〃 | 八頭郡 八頭町 市場 | |
〃 用瀬村 別府 | 吹出 | 一四 | 一〇〇 | 農業 | 養蚕、日傭 | 中 | 鳥取市 用瀬町別府 | |
〃 社村 古用瀬 | 川崎 | 二六 | 一三〇 | 〃 | 藁細工 | 〃 | 鳥取市 用瀬町古用瀬 | 千代川に近い35.338932, 134.198775付近が小字の川崎。 |
170頁
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
八頭郡 八上村 曵田 | 大蛇土井 | 三 | 二一 | 農業 | 藁細工 | 中 | 鳥取市 河原町曳田 | 小字に上土居と下土居が現存。土井は土居の誤記または別表記か。 |
〃 佐治村 大井 | 下大井 | 二五 | 一三〇 | 〃 | 養蚕、藁細工 | 下 | 鳥取市 佐治町大井 下大井 | |
〃 〃 葛谷 | 小原 | 七 | 三五 | 〃 | 藁細工 | 下 | 鳥取市 佐治町葛谷 | |
〃 〃 小原 | 小原 | 七 | 三七 | 〃 | 〃 | 〃 | 鳥取市 佐治町小原 | |
〃 地頭村 | 本折 | 五九 | 三〇〇 | 農、日傭 | 〃 | 〃 | 八頭郡 智頭町 智頭 本折 | 八頭郡智頭町智頭本折に松本姓の者がいた。 |
〃 〃 櫛谷 | 櫛谷 | 二〇 | 一〇六 | 〃 | 〃 | 〃 | 八頭郡 智頭町 智頭 久志谷 | 櫛谷は久志谷とも表記していた可能性。『角川日本地名大辞典』の小字一覧には智頭の小字として「クシ谷」、「櫛谷口」の記載あり。1932年5月9日に神戸地方裁判所で判決を受けた八頭郡智頭町智頭(久志谷)出身の以下の者がいた。岸本、中田。 同地に以下の姓の者がいた。国本、竹下、中田(2人)。同地の水平運動家に松本姓の者がいた。 |
〃 〃 三田 | 三田 | 一一 | 六九 | 農業 | 日傭 | 〃 | 八頭郡 智頭町 三田 | 1932年5月9日に神戸地方裁判所で判決を受けた八頭郡智頭町三田出身の岩本姓の者がいた。 |
〃 大村 | 鷹狩 | 七四 | 四九七 | 〃 | 養蚕 | 中 | 鳥取市 用瀬町鷹狩 | |
〃 〃 美成 | 美成 | 四四 | 二七三 | 〃 | 〃 | 〃 | 鳥取市 用瀬町美成 | 中村姓27件、藤原姓8件。2000年電話帳。 |
〃 〃 赤波 | 赤波 | 一一九 | 七三四 | 〃 | 製炭、澱粉 | 〃 | 鳥取市 用瀬町赤波 | |
氣高郡 松保村 | 布勢 | 四 | 一九 | 〃 | 牛馬商 | 下 | 鳥取市 布勢 | |
〃 日置谷村 | 藏内 | 一二 | 七四 | 〃 | 養蚕 | 〃 | 鳥取市 青谷町蔵内 | |
〃 大郷村 | 高殿 | 九 | 五七 | 〃 | 日傭 | 〃 | 鳥取市 吉岡温泉町 | 高殿地区会館がある。 |
〃 東郷村 | 中 | 一四 | 九二 | 〃 | 藁細工 | 〃 | 鳥取市 中村 | 橋崎姓9件。2000年電話帳。 |
〃 吉岡村 吉岡 | 谷山 | 二六 | 一二七 | 〃 | 〃 | 〃 | 鳥取市 吉岡温泉町 | 谷山集会所がある。 |
〃 大和村 | 倭文 | 三四 | 二一七 | 〃 | 荷馬車挽、養蚕 | 〃 | 鳥取市 倭文 | |
〃 豊実村 | 島 | 八 | 五三 | 〃 | 藁細工 | 〃 | 鳥取市 嶋 | 同地の島人形座系図の初代から三代の座元に以下の姓の者がいた。岡野、岡本(5人)、大西、小谷(5人)、加藤、高島、伴田、橋本(4人)、松島(2人)、宮本。 |
171頁
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
氣高郡 寶木村 下光元 | 夏ヶ谷 | 四〇 | 二〇四 | 農業 | 藁細工、日傭 | 下 | 鳥取市 気高町下光元 夏ケ谷 | 居川姓24件。2000年電話帳。 |
〃 大正村 | 古海 | 一七六 | 一〇五五 | 日傭 | 農業 | 〃 | 鳥取市 古海 | 同地の解放運動家に川口姓の者がいた。西垣姓15件。2000年電話帳。 |
〃 美穂村 | 下味野 | 一二二 | 六九九 | 農、日傭 | 砂利採取 | 〃 | 鳥取市 下味野字赤池傍示 | 解同中央執行委員の前田俊政の出身地区。同地に以下の姓の者がいた。川口、中島(2人)、前本。川口姓10件、中田姓20件、藤原姓24件、前田姓13件、松本姓17件、依本姓5件。2000年電話帳。 |
〃 靑谷町 | 小丸山 | 三 | 一八 | 〃 | 日傭 | 〃 | 鳥取市 | 鳥取市青谷町には小丸山という地名が複数あるので要検証。 |
東伯郡 長瀬村 | 浜 | 一九 | 九九 | 〃 | 藁細工 | 〃 | 東伯郡 湯梨浜町 はわい長瀬 浜 | |
〃 東郷村 | 田畑 | 五三 | 二九三 | 〃 | 〃 | 〃 | 東伯郡 湯梨浜町 田畑 | |
〃 倉吉村 巌城 | 三明寺 | 三七 | 二二一 | 〃 | 荷馬車挽 | 〃 | 倉吉市 巌城 三明寺西、三明寺東 | 三明寺老人憩の家がある。倉吉市巌城(三明寺)では、倉吉市の打吹城主だった山名小三郎氏豊が1580年(天正8年)の長瀬川の戦いで敗れて娘の駒姫が落ちのびてきたと伝える。これは『伯耆民談記』にも記載があるとしている。同地の穢多を胡摩(こま)と呼ぶのは駒姫の伝承からとする。同地にいた水平運動家の駒井姓の者に関する『因伯時報 1924年12月21日号』の記事を紹介しており、駒姫の後裔ということで駒井姓を名乗ったとしている。駒井姓の者は、鳥取県中部の有力者だった。駒姫は、落ちのびた際におばあさんに匿われて地区の者と一緒になったと伝える。同地には駒姫八幡という神社があり、「かなり信憑性がある」とする。「これとほとんど同じような伝承を、岩美郡のある部落も持っている」。2001年当時の岩美郡は、岩美郡岩美町と鳥取市の一部にあたる。駒井姓10件。2000年電話帳。 |
〃 〃 福吉町 | 福吉町三丁目 | 八二 | 五三四 | 〃 | 日傭 | 〃 | 倉吉市 福吉町 | 現在の3丁目が当時の区域と一致するかは要検証。 |
〃 小鴨村 | 中河原 | 五七 | 二五〇 | 〃 | 藁細工 | 〃 | 倉吉市 中河原 | 倉吉市の部落解放同盟中河原支部に以下の姓の者がいた。谷本、中尾、森(3人)。同地に下吉姓の者がいた。下吉(しもよし)は、鹿児島県指宿市が最多の稀姓。 |
〃 〃 | 天神野 | 四七 | 二三八 | 〃 | 〃 | 〃 | 倉吉市 小鴨 | 天神野老人憩の家がある。 |
〃 上小鴨村 | 鴨河内 | 一一 | 六六 | 〃 | 〃 | 〃 | 倉吉市 鴨河内 | |
〃 北谷村 志津 | 仙穏 | 一二 | 八五 | 〃 | 〃 | 〃 | 倉吉市 志津 | 仙穏は仙隠の誤記。仙隠公民館がある。 |
〃 社村 | 和田 | 五五 | 二九二 | 〃 | 養蚕 | 〃 | 倉吉市 和田 | |
〃 中北條村 国坂 | 大野 | 二八 | 一六六 | 〃 | 〃 | 〃 | 東伯郡 北栄町 国坂 大野 | 国坂に中口姓24件。2000年電話帳。 |
〃 高城村 上米積 | 上米積東区 | 九三 | 四六六 | 〃 | 日傭 | 〃 | 倉吉市 上米積 | 上米積に杉根姓6件。2000年電話帳。 |
〃 〃 上福田 | 勝負谷 | 一二 | 六二 | 〃 | 〃 | 〃 | 倉吉市 上福田 | 上福田898付近に勝負谷地区会館があった(要検証)。なお、上福田1137付近にある妻ノ神地区会館も同和施設で妻ノ神は勝負谷から派生した別部落。 |
〃 〃 下福田 | 山ノ下 | 一一 | 四一 | 〃 | 〃 | 下 | 倉吉市 下福田 | 下福田725付近に昭和地区会館がある。ここが山ノ下にあたるかどうかは要検証。 |
172頁
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
東伯郡 高城村 上米積 | 上米積西区 | 四三 | 二四一 | 農業 | 日傭 | 下 | 倉吉市 上米積 | 上米積老人憩いの家がある。上米積児童センター(上米積788-3)付近が上米積西区。 |
〃 〃 上福田 | 上福田山ノ下 | 一二 | 七四 | 〃 | 〃 | 〃 | 倉吉市 上福田 | 山ノ下の場所は要調査。 |
〃 栄村 亀谷 | 廣江 | 七九 | 三七五 | 日傭 | 農業 | 〃 | 東伯郡 北栄町 亀谷 | 北栄人権文化センター(北栄町大島1046-6)に近い35.471443, 133.757177付近が広江。堀江姓21件、松田姓20件。2000年電話帳。 |
〃 市勢村 | 下伊勢 | 一〇四 | 五二〇 | 〃 | 農、藁細工 | 〃 | 東伯郡 琴浦町 下伊勢 | 全国青年集会に出席した加登脇姓の者がいた。加登脇(かどわき)は東伯郡琴浦町が最多の稀姓で、琴浦町下伊勢に多い。加登脇姓12件。2000年電話帳。 |
〃 成美村 | 下出上 | 一三六 | 七四二 | 農業 | 荷馬車挽、石工、日傭 | 〃 | 東伯郡 琴浦町 出上 | 出上399-1に出上地区会館がある。東伯郡琴浦町の出上地区に澤田姓の者がいた。同地の部落解放同盟の支部長に福本姓の者がいた。同地の部落解放同盟の前支部長に前田姓の者がいた。福本姓52件、前田姓44件。2000年電話帳。 |
〃 下中山 田中 | 下田中 | 四五 | 二八九 | 〃 | 荷馬車挽 | 〃 | 西伯郡 大山町 田中 下田中 | 西伯郡大山町(旧:東伯郡下中山村)から、1921年に奈良県、滋賀県に部落改善事業の視察に行った前田姓の者がいた。田中に中川姓21件、前田姓51件。2000年電話帳。 |
西伯郡 五千石村 八幡 | 津ノ森 | 一六 | 八五 | 〃 | 藁細工 | 〃 | 米子市 八幡 | 35.401807, 133.383785付近が津ノ森。八幡483-4に八幡三区地区会館がある。 |
〃 縣村 福万 | 下郷原 | 三七 | 二二三 | 〃 | 荷馬車挽 | 中 | 米子市 福万 | 小字「下河原」の別表記なら下福万隣保館(福万199-1)付近。福万200に下福万児童館がある。姓は福永、福原、福島が多い。地名から「福」の字を冠したか。田守姓4件。2000年電話帳。 |
〃 春日村 赤井手 | 和田 | 一八 | 七九 | 〃 | 日傭 | 下 | 米子市 赤井手 | 35.413082, 133.394266付近が和田。赤井手63-6に上赤井手地区会館がある。 |
〃 大高村 尾高 | 前田 | 四二 | 二六二 | 〃 | 〃、藁細工 | 〃 | 米子市 尾高 | 尾高1424-1に前田児童館がある。姓は下本、中上、中本が多い。位置関係からの命名か。下本姓10件、中上姓5件、中本姓24件。2000年電話帳。 |
〃 所子村 | 中高 | 一一二 | 四一六 | 〃 | 藁細工 | 〃 | 西伯郡 大山町 中高 | 西伯郡大山町(旧:西伯郡所子村)にいた池本姓の者の家が、鳥取県水平社の本部だった。池本姓1件。2000年電話帳。 |
〃 庄内村 | 上押平 | 一二五 | 八二〇 | 〃 | 日傭、荷馬車挽、藁細工 | 〃 | 西伯郡 大山町 押平、茶畑 | 大山町では押平に隣保館があり、門田と押平の2ヶ所に合計200戸ほどの部落があると『解放新聞』が2015年9月21日付で暴露している。茶畑1077-3に大山町人権交流センター、茶畑28に押平集会所、押平84-10に押平中央集会所がある。西伯郡大山町押平の山本姓の者が融和運動の功績から表彰されている。同地にあたる西伯郡庄内村の融和運動家に中原姓の者が2人いた。西伯郡大山町の庄内小学校にいた橋嵜姓の教師が排斥される事件があり、橋嵜姓の者は同地で水平社支部結成を準備している。橋嵜(はしざき)という表記の姓は、現存するか不明。 |
〃 法勝寺村 | 清水 | 二三 | 一〇九 | 荷馬車挽 | 藁細工 | 〃 | 西伯郡 南部町 法勝寺 | 法勝寺川をはさんで西側の地区が清水。 |
〃 手間村 | 宮前 | 五〇 | 二九三 | 農業 | 養蚕、牛馬商、製材業 | 〃 | 西伯郡 南部町 宮前 | 西伯郡南部町(旧:西伯郡手間村)の地区に新井姓の者が3人おり、区長、壮年団長、議員を務めていた。新井姓19件。2000年電話帳。 |
日野郡 二部村 | 三部 | 五七 | 二九三 | 〃 | 日傭、荷馬車挽、藁細工 | 〃 | 西伯郡 伯耆町 三部 | |
〃 江尾村 | 江尾 | 三五 | 一九一 | 農、日傭 | 藁細工 | 〃 | 日野郡 江府町 江尾 | 通称「五丁目」。中西義雄『部落の民』165-166頁には「鳥取県日野郡江府町小江尾五丁目の部落民」「小江川岸に突立つ約五十尺の高台の上と下とに、二六戸づつ(ママ)わかれて住まされている、小江尾五丁目の人たち」とあり、部落の場所は江尾ではなく小江尾の可能性がある。要検証。 |
〃 福栄村 神福 | 猪子原 | 一三 | 七一 | 農業 | 炭焼 | 〃 | 日野郡 日南町 神福 | 日下姓5件。2000年電話帳。神福1532付近、県道211号沿いに猪子原バス停がある。神福1525に神福上集会所がある。 |
173頁
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
日野郡 根雨町 根雨 | 井之谷 | 二 | 一四 | 農業 | 日傭 | 下 | 日野郡 日野町 根雨 | 井之谷については要調査。 |
〃 黒坂村 | 黒坂 | 四 | 一四 | 〃 | 〃 | 中 | 日野郡 日野町 黒坂 | |
〃 日野村 下榎 | 下榎原 | 六七 | 三四〇 | 日傭 | 竹細工 | 下 | 日野郡 日野町 下榎 | 下榎156-3に下榎隣保館がある。日野郡日野町下榎は、農家の小作をしていた数戸が祖と伝えており、なぜ差別されるようになったのかは不明だと住民が語る。同地の下榎隣保館に中原姓の者がいた。同地の部落解放同盟下榎支部に小谷姓の者がいた。同地では、石田、中原、西村が多い。石田姓17件、小谷姓7件、中原姓20件、西村姓16件。2000年電話帳。 |
〃 日野上村 三栄 | 原 | 五三 | 二四三 | 農、日傭、竹細工 | 日傭、竹細工 | 〃 | 日野郡 日南町 三栄 | 三栄1715-10に上三栄集会所がある。「伯耆出雲地方には、エタともカワヤとも云う者が居ります。伯耆日野郡宮内村大字三栄(みさかえ)に住する部落は、一に之をハラとも申します。其部落民の十中八九は、苗字が原であります」。日野郡日南町三栄に関する記述。同地には大柄姓の太鼓屋がある。大柄姓8件、原姓15件。2000年電話帳。 |
〃 〃 矢戸 | 矢戸 | 五 | 一六 | 仲買、農業 | 日傭 | 中 | 日野郡 日南町 矢戸 | 松本清張の実父の松本峯太郎(旧姓は田中)の出身地だが、峯太郎が部落か一般かは不明。 |
〃 石見村 神戸上 | 戸谷 | 四 | 一六 | 竹細工 | 農業、牛馬商 | 下 | 日野郡 日南町 神戸上 戸谷 | 神戸上511付近が戸谷の可能性。要検証。 |
〃 〃 上石見 | 谷田峠 | 二 | 一一 | 〃 | 農業 | 〃 | 日野郡 日南町 上石見 | 県道8号線の岡山県との県境が谷田峠。 |
計六五 | 九七 | 三八三五 | 二一九九九 |
市町村別調査結果鳥取市
・鳥取市
・岩美郡岩美町
・八頭郡八頭町
・八頭郡若桜町
・八頭郡智頭町
・倉吉市
・東伯郡湯梨浜町
・東伯郡北栄町
・東伯郡琴浦町
・米子市
・西伯郡大山町
・西伯郡南部町
・西伯郡伯耆町
・日野郡日野町
・日野郡日南町
・日野郡江府町
同和地区がない市町村
- 東伯郡三朝町
- 境港市
- 西伯郡日吉津村
施設等
下の地図を参考
小集落改良住宅
倉吉市
- 福吉町二丁目住宅 - 倉吉市福吉町二丁目
- 中河原二住宅 - 倉吉市小鴨
鳥取市
- 中井二団地 - 鳥取市河原町中井
- 下曳田団地 - 鳥取市河原町曳田
- 下佐貫団地 - 鳥取市河原町佐貫
- 国安団地 - 鳥取市国安
- 大井団地 - 鳥取市佐治町大井
日野町
- 日野町小集落改良住宅 - 日野町下榎112番地8, 118番地, 119番地, 161番地, 220番地1, 220番地3, 967番地1, 972番地17, 安原330番地, 357番地5, 358番地
智頭町
- 本折小集落地区改良住宅(位置不詳)
同和対策集会所
- 北栄町東亀谷集会所 - 北栄町亀谷521番地
関連団体
- 部落解放同盟鳥取県連合会・鳥取市協議会・東部地区協議会 - 鳥取県鳥取市幸町151
- 部落解放同盟中部地区協議会 - 鳥取県倉吉市鍛冶町1-2971-2
- 部落解放同盟西部地区協議会 - 鳥取県米子市冨士見町50-1
- 鳥取県人権連 - 鳥取県岩美郡岩美町池谷215 田中克美方
- 全日本同和会鳥取県連合会 - 鳥取県東伯郡琴浦町勝田385-1
人権啓発センターなど
- 鳥取県立人権ひろば21 - 鳥取市扇町21番地(同じ建物に鳥取県部落解放研究所が入っている)
- 鳥取県人権文化センター - 鳥取市扇町21番地(同じ建物に鳥取県部落解放研究所が入っている)
- 鳥取市人権情報センター - 鳥取市幸町151鳥取市解放センター内
- 鳥取市中央人権福祉センター - 鳥取市幸町151
- 鳥取市高草人権福祉センター - 鳥取市古海715-3
- 鳥取市江山人権福祉センター - 鳥取市下味野1058-3
- 鳥取市南人権福祉センター - 鳥取市八坂49-6
- 鳥取市西人権福祉センター - 鳥取市西品治674
- 鳥取市国府人権福祉センター - 鳥取市国府町麻生373-3
- 鳥取市河原人権福祉センター - 鳥取市河原町曳田982-1
- 鳥取市用瀬人権文化センター - 鳥取市用瀬町別府34-7
- 鳥取市佐治人権福祉センター - 鳥取市佐治町古市71-3
- 鳥取市気高人権福祉センター - 鳥取市気高町下光元478-3
- 八頭町役場人権推進課 船岡人権啓発センター - 八頭郡八頭町坂田14
- 八頭町役場人権推進課 中央人権啓発センター - 八頭郡八頭町才代129−1
- 八頭町役場人権推進課 郡家人権啓発センター - 八頭郡八頭町土師百井185-1
- 倉吉市人権文化センター - 倉吉市鍛冶町1丁目2971-2
- はばたき人権文化センター - 倉吉市福吉町2丁目1514-7
- さわやか人権文化センター - 倉吉市上米積1074-1
- やまびこ人権文化センター - 倉吉市中河原772-6
- あたごふれあい人権文化センター - 倉吉市鴨河内1818-2
- 大山町人権交流センター - 西伯郡大山町茶畑1077番地3
- 日野町人権センター - 日野郡日野町下榎156番地3・下榎157番地1
29 août 2018
POP TATARI
和歌山県
概況
和歌山県の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1907年 | 63 | 5819 | 32935 |
1921年 | 105 | 7438 | 36072 |
1922年 | 867 | 7368 | 37234 |
1935年 | 111 | 9685 | 48620 |
1942年 | - | 7458 | 37318 |
1946年 | - | - | 50520 |
1958年 | 92 | 12484 | 52547 |
1963年 | 95 | 11457 | 地区全体49700、同和関係46316 |
1967年 | 99 | 地区全体15042、同和関係12738 | 地区全体54993、同和関係47365 |
1971年 | 97 | 地区全体16789、同和関係13515 | 地区全体58733、同和関係48263 |
1975年 | 99 | 地区全体18804、同和関係13924 | 地区全体62769、同和関係46915 |
1985年 | 103 | 地区全体19041、同和関係14065 | 地区全体63462、同和関係47373 |
1993年 | 104 | 地区全体23636、同和関係14308 | 地区全体67554、同和関係41465 |
※上記の調査年度の1921年には、地区数が105とあるが、『部落問題・水平運動資料集成』補巻1、52頁の内務省社会局『部落改善の概況』には「本県には部落の数97あり」とある。
※上記の調査年度の1922年は他年度の統計に比べて異常に地区数が多いが原典のママ。
本県の同和地区は文献(調査その一)からその多くが明らかになっている。
- 名草郡
岡島皮田(現・和歌山市汐見町、三沢町)、善明寺村皮田(現・和歌山市善明寺)、平井村皮田(現・和歌山市平井)、弘西村皮田(現・和歌山市弘西)、上野村皮田(現・和歌山市上野)、岩橋村皮田(現・和歌山市岩橋)、鳴神村皮田(現・和歌山市鳴神)、杭瀬村岡島皮田出作(現・和歌山市杭ノ瀬)、新出島村穢多(現・和歌山市桑山)、口須佐村皮田(現・和歌山市口須佐)、本渡村皮田(現・和歌山市本渡)
- 海部郡
木本村皮田(現・和歌山市木ノ本)、方村皮田(現・海南市下津町方)、椒里村皮田(現・有田市初島町里大字椒里)、横浜村皮田(現在地不明)
- 那賀郡
東国分村皮田(現・紀の川市東国分)、古和田村皮田(現・紀の川市古和田)、下井坂村皮田(現・紀の川市西井阪)、西之芝村(現・紀の川市王子)、狩宿村(現・紀の川市名手市場)、大垣内村皮田(現・和歌山市大垣内)、沖野々村皮田(現・海南市沖野々)、七山村皮田(現・海南市七山)、調月村皮田(現・紀の川市桃山町調月)
- 伊都郡
移村皮田(現・伊都郡かつらぎ町移)、東村皮田(現・伊都郡かつらぎ町笠田東)、佐野村皮田(現・伊都郡かつらぎ町佐野)、丁野町村穢多(現・伊都郡かつらぎ町丁ノ町)、中飯降村皮田(現・伊都郡かつらぎ町中飯降)、北名古曾村皮田(現・橋本市高野口町北名古曽)、端場村(現・橋本市高野口町伏原)、岸上村(現・橋本市岸上)、原田村(現・橋本市原田)、平沼田村皮田(現・伊都郡かつらぎ町平沼田)
- 在田郡
須谷村皮田(現・有田市宮原町須谷)、湯浅村皮田(現・有田郡湯浅町湯浅)、広村皮田(現・有田郡広川町広)、長田村皮田(現・有田郡有田川町長田)、荘村皮田(現・有田郡有田川町庄)
- 日高郡
下冨安村皮田(現・御坊市湯川町富安)、下志賀村皮田(現・日高郡日高町志賀下志賀)、財部村皮田(現・御坊市湯川町財部)、島村皮田(現・御坊市島)、薗浦皮田(現・御坊市薗)、吉田村皮田(現・御坊市藤田町吉田)、下野口村皮田(現・御坊市野口)、南谷村皮田(現・日高郡印南町大字南谷)、西野地村皮田(現・日高郡印南町西ノ地)
- 牟婁郡
芋村皮田(現・田辺市芳養町)、西谷村皮田(現・田辺市中辺路町西谷)、十九淵村皮田(現・西牟婁郡白浜町十九渕)、朝来村皮田(現・西牟婁郡上富田町朝来)、周参見浦皮田(現・西牟婁郡すさみ町周参見)、和深浦皮田(現・東牟婁郡串本町和深)、天満村皮田(現・東牟婁郡那智勝浦町天満)、上熊野地皮田(現・新宮市字上熊野)、本宮村皮田(現・田辺市本宮町本宮)、栗須村皮田(現・三重県南牟婁郡御浜町栗須)、口有馬村皮田(現・三重県熊野市有馬町)、前山村皮田(現在地不明)
紀伊続風土記に脱落していると渡辺広が指摘した皮田部落は以下の通り。
- 在田郡
北湊村皮田(現・有田市箕島)、徳田村皮田(現・有田郡有田川町徳田)
- 日高郡
萩原村皮田(現・日高郡日高町萩原)、芝村皮田(現・日高郡みなべ町芝)、熊野川村皮田(現・日高郡日高川町熊野川)、東村皮田(現・田辺市龍神村東)、高家村皮田(現・日高郡日高町高家)
- 牟婁郡
大川村皮田(現・東牟婁郡古座川町大川)、安宅村皮田(現・西牟婁郡白浜町安宅)、田野井村皮田(現・西牟婁郡白浜町田野井)、西向村皮田(現・東牟婁郡串本町西向)、林浦皮田(現・三重県尾鷲市林町)、古本村皮田(現・三重県北牟婁郡紀北町)、船津村皮田(現・三重県北牟婁郡紀北町船津)、河内村皮田(現・三重県北牟婁郡紀北町河内)、馬瀬村皮田(現・三重県北牟婁郡紀北町馬瀬)、二郷村皮田(現・三重県北牟婁郡紀北町紀伊長島区東長島)
その他の『全國部落調査』記載の部落はほとんどが幕末以後の成立であろうと渡辺は推測している。
伊都郡端場村(現・橋本市)の伝承として、「岡本弥氏は『村の起源について確かな文献はないが、平安朝頃東北地方から本郡学文路村へ移住し、其後また今の所へ移転してきたものらしい。』と述べておられる。柳田国男氏がいわれたように、ハバの語が西日本には全く知られておらぬ語であるとすると、岡本弥氏の意見にも捨てがたい所もあるような気がする。岡本氏は俘囚説をとっておられる」との記述もある。岡本弥は端場村の村長だった。村名のハバ(端場)は、東日本の地名用語で「崖」、「傾斜地」、「土手」を意味する(長野県の部落の小字名に「幅」「小瀬幅」「西幅」などがある。それらの地名に因む部落姓にも「長幅」「西幅」がある)。俘囚起源の部落の可能性あり。
新宮市の部落には、敗走した雑賀衆が祖という伝承がある。どの部落を指すかは不明。
なお、文仁親王妃紀子の実家である川嶋家の祖先の松浦平吉(紀子の曾祖父である川嶋庄一郎の父)の家と墓地は被差別部落にあるとの風評もあるが、平吉の出身地は和歌山県有田郡山保田組板尾村(現・有田川町板尾)であり、『全国部落調査』に板尾の記載はない。
また竹中平蔵は実家が履物店であるため被差別部落民説があるが、竹中の実家があった和歌山市小松原通は『全国部落調査』に記載がない。ただし竹中の父(竹中邦蔵)や祖父の出身地は要調査。
森秀次に次ぐ部落出身代議士の第二号となった沼田嘉一郎の出身地は和歌山県とも大阪府ともいわれる。要調査。
株式仲買人の岩本栄之助は木村京太郎によると部落出身というが、岩本家が代々住んでいた海南市下津町鰈川の地名は『全国部落調査』に記載がない。

峰温泉を描いた絵図。「留湯」「女湯」「男湯」とは別棟に「非人湯」の記載が見える。古絵図に当時の
身分制度が反映されているのは至極当然のことであり、そもそも「非人湯」と書かれた場所に
旧賤民が住んでいるわけでもないが、無知蒙昧で頑迷固陋な部落解放同盟は『解放新聞和歌山版』
1996年11月20日付や『全国のあいつぐ差別事件』1997年版131頁で差別事件として仰々しく騒ぎ立て
た。歴史的資料に「非人」「穢多」などの字を見つけただけで脊髄反射して「差別だ」と騒ぐのは愚劣で
あり、異常である。この絵図に対する部落解放同盟の反応は、解放運動の度し難い空洞化を物語って
いる。
御霊村水平社同人による集団暴行事件
和歌山県有田郡御霊村大字庄で同村の水平社同人が起こした公務執行妨害・傷害事件(吉田水平社員警官乱闘事件)の被告人の氏名は以下の通りである。
- 森田幸吉
- 岩上光治
- 有本善四郎
- 前岡清次
- 小林美代樹(『部落問題・水平運動資料集成』第1巻、302頁には小森とあるが同書303頁には小林とあり、『水平運動の無名戦士』59頁でも小林となっている。 )
文献
全國部落調査(1934年)
和歌山縣 昭和九年六月現在
239頁
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
和歌山市 芦原 | 岡町 | 一七九七 | 七九三三 | 工、商、労 | 中 | 和歌山市 汐見町、三沢町 | 1944年に芦原を改称。釘貫姓5件。2000年電話帳。和歌山市の芦原地区の牢番頭は釘貫又五郎と名乗っていた。「紀伊岡島皮田村の釘貫家は、『牢番頭』として和歌山藩下のほとんどの『えた』身分の人々を統轄していた」。なお『全国部落調査』の芦原地区の記載について、渡辺広は「戸数・人口が実際よりも多い」と批判し、調査員が岡町村の全村を部落と誤認していたこと、本郷である塩道(現在の雄松町5~6丁目と島崎町5~6丁目)は部落ではないこと、枝郷の岡島(のちの川岸。現在の汐見町と三沢町)が部落であること、『全国部落調査』では塩道の人口まで誤って含めていることを指摘している。ただし現在は雄松町3丁目に和歌山県同和企業協同組合や和歌山県皮革産業会館や市立芦原共同浴場があり、川岸地区から部落人口が滲み出した様子が窺える。「和歌山地方における皮革業は、和歌山市の芦原地区(三沢町、汐見町、島崎町、岡町、雄松町)に集中し、いわゆる未解放部落の特有産業として存在している」と記載する資料もある。 | |
〃 鳴神 | 北鳴神 | 二三五 | 一〇五六 | 農、製縄 | 青物行商 | 〃 | 和歌山市 鳴神 | 正願寺(鳴神678)付近が北鳴神。 |
〃 杭ノ瀬 | 杭ノ瀬 | 二四〇 | 一一〇〇 | 農、日稼 | 養豚 | 〃 | 和歌山市 杭ノ瀬 | |
〃 加納 | 二 | 五 | 農業 | 下 | 和歌山市 加納 | |||
〃 今福 | 八 | 五七 | 〃 | 〃 | 和歌山市 今福 | |||
〃 秋月 | 石原 | 一三 | 七七 | 農、労働 | 〃 | 和歌山市 秋月 石原 | ||
海草郡 加太町 加太 | 向町 | 四 | 二七 | 工業 | 〃 | 和歌山市 加太 向町 | ||
〃 貴志村 栄谷 | 東出 | 二一 | 八一 | 農業 | 花卉栽培 | 上 | 和歌山市 栄谷 | 東出自治会館が34.261140, 135.160538にある。池尾姓12件、滝口姓5件。2000年電話帳。 |
240頁
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
海草郡 木本村 木本 | 東 | 一二〇 | 六二五 | 農業(手伝) | 花卉栽培、行商 | 上 | 和歌山市 木ノ本 | 東村とも。浄福寺(木ノ本843)付近。 |
〃 西脇村 磯脇 | 七 | 三五 | 農業 | 下 | 和歌山市 磯の浦 | 1954年8月に磯脇が磯の浦に改称。 | ||
〃 西山東村 口須佐 | 六四 | 二八二 | 〃 | 〃 | 和歌山市 口須佐 | |||
〃 山口村 山口西 | 新屋 | 九 | 四四 | 〃 | 〃 | 和歌山市 山口西 | 新家とも。34.264501, 135.261153付近。 | |
〃 紀伊村 上野 | 五七 | 二九八 | 〃 | 中 | 和歌山市 上野 | |||
〃 〃 弘西 | 四八 | 二二七 | 〃 | 〃 | 和歌山市 弘西 | |||
〃 西和佐村 岩橋 | 西垣内 | 一三〇 | 七〇八 | 農、日稼、皮革 | 〃 | 和歌山市 岩橋 | 西村とも。34.233634, 135.225545の西方寺付近。岩橋の読み方はイワセ。南垣内姓3件。2000年電話帳。 | |
〃 川永村 川辺 | 三 | 二一 | 農業 | 下 | 和歌山市 川辺 | |||
〃 楠見村 平井 | 三五〇 | 一四〇〇 | 農、日稼 | 花卉栽培、行商 | 上 | 和歌山市 平井 | 部落解放同盟和歌山県連書記長の池田清郎はインターネット上で和歌山市内に「平井地区」「芦原地区」「杭の瀬地区」「岩橋地区」という部落があることを暴露している。さらに「平井地区」については「これは、同和対策事業の関係で、多くの公営住宅が観音前・栄谷地区に建設されていることと、市小路への自然流出(持ち家)がその原因です。」と述べ、観音前・栄谷の公営住宅が部落であると詳細を暴露している。『和歌山市における人権条例制定と人権の街づくり運動』(部落解放同盟和歌山県連合会・書記長 池田清郎) )池尾姓9件。2000年電話帳。 | |
〃 〃 善明寺 | 一一三 | 四六〇 | 農業 | 〃 | 中 | 和歌山市 善明寺 | ||
〃 安原村 本渡 | 西本渡 | 一六八 | 九二四 | 農、古物商、日稼、土工 | 〃 | 和歌山市 本渡 | 西専寺(本渡490)付近。 | |
〃 有功村 薗部 | 西山 | 七 | 三四 | 農、日稼 | 下 | 和歌山市 園部 | 1998年7月25日の毒カレー事件は和歌山市園部で発生。 | |
〃 安原村 桑山 | 新田 | 四 | 二三 | 農業 | 〃 | 和歌山市 桑山 | 1883年に新出島から改称。「寺本右の者共新出島村へ出稼之者田北字寺田に付字の本に住致候付寺本と苗字致度儀に御座候」。和歌山市本渡(本渡村)から和歌山市にあたる新出島村(旧:海草郡安原村)に出ていた12戸に寺本姓をつけている。明治新姓時の姓は地名からつけたもので、親戚関係は考慮されていなかったとする。寺本姓5件。2000年電話帳。 | |
〃 塩津村 東山 | 三 | 一七 | 工業 | 〃 | 海南市 下津町塩津 東山 | |||
〃 亀川村 且来 | 新出 | 一二 | 七五 | 農、日稼 | 中 | 海南市 且来 | 「『本渡村元皮田之者苗氏附帳』によれば、『小山右之者共旦来村出島ニ而出稼住致者ニ付北ニ小山有之候付小山苗氏致度儀ニ御座候。川端右之者共同断ニテ住致有候ヘ共新川端ト苗氏右同断。』とある。小山四家、川端三家は共に本渡村から旦来村に出作りしたのであった」。和歌山市本渡(本渡村)から海南市且来(旦来)に出ていた者には、4戸に小山姓、3戸に川端姓をつけている。小山姓8件。川端姓11件。2000年電話帳。 | |
〃 大崎村 方 | 南口 | 二三 | 一三〇 | 〃 | 下 | 海南市 下津町方 | 下津町方883付近。南口姓9件。2000年電話帳。 | |
〃 椒村 椒浜 | 砂浜 | 一八 | 一〇八 | 〃 | 〃 | 有田市 初島町浜 |
241頁
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
海草郡 三田村 田尻 | 北田尻 | 二七 | 一三五 | 農、労働 | 下 | 和歌山市 田尻 | ||
那賀郡 田中村 西井阪 | 西井阪 | 一七七 | 一〇八〇 | 農、商工 | 養蚕 | 中 | 紀の川市 西井阪 | 漢学者の穢多助四郎(中尾靖軒)の出身地区。1941年12月8日から西光万吉(本名は清原一隆)が西井阪250番地の小林完方(妻美寿子の実家)に居住。その寓居跡に「不戦和栄の碑」あり。中尾姓5件。2000年電話帳。 |
〃 〃 赤尾 | 前田 | 一一 | 五八 | 〃 | 〃 | 紀の川市 赤尾 | ||
〃 〃 赤峯 | 一八 | 九七 | 〃 | 下 | 紀の川市 黒土 | 赤峯は赤岸の誤記。『角川日本地名大辞典』に黒土の小字として赤岸が記載。 | ||
〃 〃 池尻 | 一六 | 一〇四 | 〃 | 〃 | 紀の川市 北大井 | 『角川日本地名大辞典』に北大井の小字として池尻が記載。 | ||
〃 田中村 黒土 | 七 | 三七 | 〃 | 〃 | 紀の川市 黒土 | |||
〃 池田村 古和田 | 古和田 | 一三七 | 六三一 | 〃 | 上 | 紀の川市 古和田 | ||
〃 〃 東国分 | 東国分 | 一五〇 | 七三四 | 農、日稼 | 中 | 紀の川市 東国分 | 溝根姓4件。2000年電話帳。 | |
〃 〃 登尾 | 四 | 一八 | 農業 | 下 | 紀の川市 登尾 | |||
〃 〃 西三谷 | 四 | 二〇 | 〃 | 〃 | 紀の川市 西三谷 | |||
〃 〃 豊田 | 九 | 四七 | 〃 | 〃 | 紀の川市 豊田 | |||
〃 調月村 | 添田 | 七五 | 三五〇 | 〃 | 中 | 紀の川市 桃山町調月 | ||
〃 小倉村 田中 | 一五 | 七一 | 〃 | 下 | 和歌山市 小倉 | |||
〃 〃 大垣内 | 大垣内 | 五〇 | 三〇七 | 〃 | 〃 | 和歌山市 大垣内 | ||
〃 根来村 西阪本 | 一四 | 五八 | 〃 | 〃 | 岩出市 根来 | |||
〃 〃 川尻 | 五 | 二九 | 〃 | 〃 | 岩出市 川尻 | |||
〃 岩出町 曽屋 | 六 | 二〇 | 〃 | 〃 | 岩出市 曽屋 |
242頁
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
那賀郡 岩出町 溝川 | 五 | 二九 | 農業 | 下 | 岩出市 溝川 | |||
〃 〃 岡田 | 四 | 二九 | 〃 | 〃 | 岩出市 岡田 | |||
〃 上岩出村 広芝 | 三 | 一七 | 〃 | 中 | 岩出市 新田広芝 | |||
〃 〃 水栖 | 一一 | 五四 | 〃 | 〃 | 岩出市 水栖 | |||
〃 〃 西国分 | 五 | 二六 | 〃 | 〃 | 岩出市 西国分 | |||
〃 狩宿村 | 狩宿 | 三七三 | 一五八六 | 農、鉱山夫 | 藁細工 | 下 | 紀の川市 名手市場 | 狩宿は『日本差別史関係資料集成』72頁、『部落の歴史: 近畿篇』253頁によると町内に部落寺院の光明寺があるとのことなので名手市場とわかる。名手市場1397にある浄土真宗の光明寺。 |
〃 王子村 西ノ芝 | 西ノ芝 | 七八 | 三〇五 | 農業 | 製莚、製縄、苗行商 | 上 | 紀の川市 王子 | |
〃 中野上村 野上中 | 新田 | 二四 | 一三九 | 農、日稼 | 下 | 海南市 野上中 | 田中織之進の出身地区。田中姓5件。2000年電話帳。 | |
〃 〃 沖野々 | 沖野々 | 一七〇 | 八五〇 | 〃 | 製縄 | 〃 | 海南市 沖野々 | |
〃 北野上村 七山 | 東垣内 | 三一 | 一五七 | 農業 | 〃 | 海南市 七山 | ||
〃 名手町 名手市場 | 元町 | 四二 | 一九八 | 農、日稼(鉱山夫) | 〃 | 紀の川市 名手市場 | ||
伊都郡 妙寺町 中飯降 | 東垣内 | 六〇 | 三四八 | 農業 | 中 | 伊都郡 かつらぎ町 中飯降 | ||
〃 〃 丁ノ町 | 四二 | 二四五 | 農、工 | 〃 | 伊都郡 かつらぎ町 丁ノ町 | |||
〃 見好村 平沼田 | 下平沼田 | 二一 | 一〇八 | 農業 | 下 | 伊都郡 かつらぎ町 平沼田 | ||
〃 笠田町 佐野 | 東垣内 | 二六二 | 一三〇八 | 農、商、日稼 | 棕梠晒業 | 〃 | 伊都郡 かつらぎ町 佐野 | 『全国部落調査』の佐野地区の記載について、渡辺広は「戸数・人口が実際よりも多い」と批判し、調査員が佐野の全域を部落と誤認していたこと、本郷は部落ではないことを指摘している。 |
〃 〃 東 | 前垣内 | 八五 | 四九八 | 農、日稼 | 〃 | 中 | 伊都郡 かつらぎ町 笠田東 | 1955年に東を笠田東に改称。 |
〃 大谷村 大谷 | 西大谷 | 三九 | 二二三 | 農業 | 棕梠加工品 | 〃 | 伊都郡 かつらぎ町 大谷 |
243頁
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
伊都郡 橋本町 原田 | 原田 | 一六五 | 七六八 | 農、日稼 | 藁細工、■■■ | ■ | 橋本市 原田 | |
〃 岸上村 | 岸上 | 二八四 | 一五九三 | 農、商、日稼職工 | 養蚕、藁細工 | 中 | 橋本市 岸上 | 1918年米騒動で死刑になった中西岩四郎と堂浦岩松の出身地区。中西姓14件、堂浦姓6件、井生姓3件、永坂姓5件。2000年電話帳。 |
〃 應其村 名古曽 | 宮下 | 九三 | 四七六 | 〃 | 〃 | 橋本市 高野口町名古曽 | 藤範姓1件。2000年電話帳。 | |
〃 端場村 | 端場 | 二〇三 | 八六二 | 〃 | 養蚕 | 〃 | 橋本市 高野口町伏原 | 融和運動家の岡本弥の出身地区。岡本姓5件、兼井姓3件、藤範姓1件。2000年電話帳。 |
〃 高野町 | 二一 | 七五 | 日稼 | 下 | 伊都郡 高野町 | |||
〃 山田村 神野々 | 二四 | 一二〇 | 農、日稼 | 中 | 橋本市 神野々 | |||
有田郡 湯浅町 湯浅 | 磯脇 | 一四〇 | 七二六 | 〃 | 下 | 有田郡 湯浅町 湯浅 | 坂尻姓3件。2000年電話帳。 | |
〃 箕島町 北湊 | 八五 | 四四二 | 〃 | 〃 | 有田市 箕島 | |||
〃 田殿村 長田 | 三四 | 一八七 | 〃 | 中 | 有田郡 有田川町 長田 | |||
〃 廣村 廣 | 長 | 二五五 | 一二七五 | 農、商 | 〃 | 有田郡 広川町 広 | 1963年に大阪府和泉市で起きた信太山陸上自衛隊差別事件の被害者とされるのは、有田郡広川町出身の畠中姓の者だった。畠中姓29件。2000年電話帳。 | |
〃 田栖川村 栖原 | 一八 | 一一五 | 農業 | 下 | 有田郡 湯浅町 栖原 | |||
〃 宮原村 須谷 | 二〇 | 一一二 | 〃 | 〃 | 有田市 宮原町須谷 | |||
〃 藤並村 小島 | 五 | 二八 | 農、日稼 | 〃 | 有田郡 有田川町 小島 | |||
〃 〃 熊井 | 六 | 二七 | 農業 | 〃 | 有田郡 有田川町 熊井 | |||
〃 〃 天満 | 一二 | 七二 | 〃 | 〃 | 有田郡 有田川町 天満 | |||
〃 御霊村 庄 | 庄 | 一四五 | 六七三 | 農、日稼 | 中 | 有田郡 有田川町 庄 | 1957年6月28日、由良義雄(庄2番地)の娘の由良恵津子(吉備高等学校3年)が部落差別を苦にして自殺したとされる。小林姓14件、岩上姓11件、森田姓5件、有本姓4件、由良姓3件、前岡姓1件、2000年電話帳。 | |
〃 〃 徳田 | 奥徳田 | 三〇 | 一五〇 | 農業 | 下 | 有田郡 有田川町 徳田 |
244頁
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
日高郡 御坊町 薗 | 東薗 | 四四八 | 三〇七一 | 農、日稼製莚 | 下 | 御坊市 薗 | 酒本姓11件、火和姓1件。2000年電話帳。力士の大輝煌正人(本名は林正人)の自宅は薗934にあった。プロサッカー選手の酒本憲幸の出身地区。 | |
〃 〃 島 | 島 | 一一四 | 九二七 | 〃 | 〃 | 御坊市 島 | ||
〃 湯川村 財部 | 中財部 | 六七 | 三一〇 | 〃 | 〃 | 御坊市 湯川町財部 | 西川瀁県議により「エッタボウシ」と差別発言をされた(1952年2月27日)松本新一郎県議は湯川町財部の人だが、中財部か東財部かは要調査。松本姓13件。2000年電話帳。 | |
〃 〃 | 東財部 | 四五 | 二二〇 | 〃 | 〃 | 御坊市 湯川町財部 | 同上。 | |
〃 〃 富安 | 西富安 | 一五〇 | 六八〇 | 〃 | 〃 | 御坊市 湯川町富安 | ||
〃 〃 小松原 | 西小松原 | 一七 | 九〇 | 〃 | 〃 | 御坊市 湯川町小松原 | ||
〃 切目村 西ノ地 | 上道 | 九三 | 五七六 | 〃 | 〃 | 日高郡 印南町 西ノ地 | 久堀姓25件。2000年電話帳。 | |
〃 東内原村 萩原 | 西組 | 三一 | 一六〇 | 農業 | 中 | 日高郡 日高町 萩原 | ||
〃 西内原村 高家 | 向井 | 二七 | 一七〇 | 〃 | 〃 | 日高郡 日高町 高家 | ||
〃 由良村 里 | 南 | 一二〇 | 五六〇 | 農、労働 | 〃 | 日高郡 由良町 里 | ||
〃 〃 門前 | 佃 | 一二 | 六五 | 農業 | 〃 | 日高郡 由良町 門前 | ||
〃 志賀村 志賀 | 谷口 | 八四 | 五〇〇 | 農、日稼 | 〃 | 日高郡 日高町 志賀 | ||
〃 野口村 北野口 | 四七 | 二八四 | 農業 | 〃 | 御坊市 野口 | 西川瀁県議による「エッタボウシ」発言(1952年2月27日)に抗議した山本惣五郎と八木峰吉は部落民で、当地区の出身。山本姓8件。八木姓1件。2000年電話帳。 | ||
〃 藤田村 吉田 | 下吉田 | 五九 | 三〇五 | 農、日稼 | 棕梠加工品 | 下 | 御坊市 藤田町吉田 | 『部落問題・水平運動資料集成』第3巻159頁では和歌山県日高郡藤田村下野(現・御坊市藤田町吉田字下野)と同じ地区として扱われている。福居姓14件。2000年電話帳。 |
〃 稲原村 南谷 | 切山 | 五六 | 三〇〇 | 農業 | 〃 | 日高郡 印南町 南谷 | 切山姓3件。2000年電話帳。 | |
〃 川上村 熊野川 | 四 | 二九 | 〃 | 中 | 日高郡 日高川町 熊野川 | |||
〃 南部町 芝 | 芝崎 | 一二〇 | 六三〇 | 農、日稼 | 下 | 日高郡 みなべ町 芝 |
245頁
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
日高郡 上山路村 東 | 栃谷 | 一二 | 六一 | 農、日稼 | 下 | 田辺市 龍神村東 | ||
西牟婁郡 下芳養村 崖 | 崖 | 四一 | 四二一 | 〃 | 〃 | 田辺市 芳養町 | 天童よしみ(本名は吉田芳美)の出身地区。吉田姓7件。2000年電話帳。 | |
〃 二川村 大川 | 皆ノ川 | 一八 | 一〇八 | 農兼山稼 | 〃 | 田辺市 中辺路町大川 | 1960年のドキュメンタリー映画『人間みな兄弟 部落差別の記録』(監督亀井文夫)に登場するアルビノの出身地区。このアルビノは兄と妹の近親相姦で生まれた子供である。 | |
〃 朝来村 朝来 | 大谷 | 一三六 | 六〇八 | 農、日稼 | 養蚕、飼牛 | 中 | 西牟婁郡 上富田町 朝来 | 神武天皇東征の折、稲千束を献上し、千束との地名を賜ったとの伝承あり。この地区から出た著名人に演歌歌手の坂本冬美がいる。教育学者の梅田修は「和歌山県西牟婁郡上富田町の朝来小学校と上富田中学校は、校区に同一の同和地区を有する同和校である。」と紹介している。立命館大学准教授の石田智巳は「岩田中学校は校区に被差別部落を持っていた地域」と暴露している。富田町朝来2750に朝来小学校が、上富田町岩田173に上富田中学校がある。坂本姓16件。栃崎姓2件。2000年電話帳。 |
〃 東富田村 十九渕 | 平間 | 五四 | 三二四 | 〃 | 小間物、花行商 | 〃 | 西牟婁郡 白浜町 十九渕 | |
〃 田辺町 元町 | 天神原 | 九一 | 四五九 | 〃 | 下 | 田辺市 天神崎 | ||
〃 〃 湊 | 末廣町 | 一〇一 | 五二〇 | 〃 | 〃 | 田辺市 末広町 | 藍畑姓2件。2012年電話帳。 | |
〃 日置町 安宅 | 坂本 | 八三 | 四五六 | 〃 | 〃 | 西牟婁郡 白浜町 安宅 | 当地の部落民の宮山政吉と平阪寅一、清水秋次が1956年に港湾労働者から「エッタボシ」との差別発言を受け、部落解放同盟日置支部員による集団暴力事件に発展した。このとき暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で起訴された者たちは宮山、場谷(2名)、平坂(ママ)、高畑、小野、伊森(フルネームは伊森信男であることが中西義雄『部落の民』132頁に書かれている。 )の各姓だった。平阪姓27件、平坂姓7件、清水姓なし、高畑姓9件、赤松姓8件、伊森姓13件、岩津姓2件、小野姓8件、場谷姓31件、宮山姓13件。2000年電話帳。 | |
〃 周参見町 周参見 | 石橋 | 四二 | 二〇〇 | 〃 | 〃 | 西牟婁郡 すさみ町 周参見 石橋 | ||
〃 〃 | 神田 | 二一 | 九六 | 農業 | 飼牛 | 〃 | 西牟婁郡 すさみ町 周参見 神田 | |
〃 三舞村 田野井 | 丹橋 | 二四 | 一〇九 | 農、日稼 | 〃 | 西牟婁郡 白浜町 田野井 | 丹橋姓3件。2000年電話帳。 | |
〃 川添村 市鹿野 | 上谷 | 六 | 二五 | 日稼 | 〃 | 西牟婁郡 白浜町 市鹿野 | ||
〃 和深村 和深 | 前 | 五二 | 三一八 | 〃 | 〃 | 東牟婁郡 串本町 和深 | 皮下姓1件、木皮姓5件。2000年電話帳。 | |
東牟婁郡 西向村 西向 | 住吉區 | 一三七 | 八三六 | 農、木材仲仕 | 〃 | 東牟婁郡 串本町 西向 | ||
〃 那智村 天満 | 須崎 | 七五 | 三七五 | 日稼、農 | 藁細工 | 下 | 東牟婁郡 那智勝浦町 天満 須崎 | |
〃 本宮村 本宮 | 苔 | 四二 | 二二〇 | 山稼 | 〃 | 田辺市 本宮町本宮 | 全国水平社の栗須喜一郎(出生名は栗須喜市郎)や栗須七郎の出身地区。和歌山県の最貧部落とされる。栗須七郎の出身地区は正確には下苔だが、同地区は1889年の大洪水で壊滅し、現在は墓地となっている。旧住民のほとんどは本宮大社の森の上にある祓戸に移転。栗須姓2件、2000年電話帳。 | |
新宮市 永山 | 永山 | 一二一 | 六八四 | 日稼、農商 | 〃 | 新宮市 春日 | 中上健次の出身地区。中上姓3件。2000年電話帳。「部落解放同盟新宮支部結成50年史」の著者である若松司と水内俊雄は新宮市の同和地区の変遷も調査している。若松と水内は元からある春日地区、藺之沢地区、野田地区、浮島地区に加え、大浜地区、下田(南丸山)地区、砂羅(田鶴原)地区、南谷地区、鴻田地区、松山地区へと後に同和地区が拡大される経緯を明らかにした。NHKのドキュメンタリー、ETV特集「路地の声 父の声~中上健次を探して~」では「中上が『路地』と名付けた新宮市春日。昭和50年代同和対策事業によって建設された改良住宅が並んでいます。」と解説され、新宮市の路地(被差別部落)が暴露された。この番組には作家の星野智幸も出演。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
新宮市 藺沢 | 藺沢 | 九七 | 五五七 | 日稼、農商 | 下 | 新宮市 井の沢 | ||
計七五 | 一一一 | 九六八五 | 四八六二〇 |
調査その一(1954年)
調査その一
発行日 | 1954年11月1日 |
発行所 | 和歌山県同和問題研究委員会 |
序文には和歌山県知事/和歌山県同和問題研究委員会長・小野真次とあるので、県による公的な調査とみて間違いないであろう。実際の調査は町村の協力員、集計は和歌山大学経済学部の学生が行ったとある。
図書館での所蔵は確認できていないが、相当数が出回ったようで、今でも古書店で時々見かけることができる。
一部のページがカラーで、大判の地図が添付されているところが珍しい。
団体名義であり出版から50年以上が経過していることから、パブリックドメインである。
部落解放同盟は『調査その一』について以下のように述べている。
『調査その一』は和歌山県同和問題研究委員会が1954年(昭和21)11月発行したものであること、
本資料は和歌山県内の「関係地区」に関する記載があることは認めるが、その余は不知ないし否認。
『調査その一』は、
その外形、データのまとめ方など総合的にみて、行政に関する資料として作成されたことは明らかで
あり「非売品」であるとも明記されていて、一般的な刊行物として出版されたものではない。約62年
前に作成された時点から、出版物の体はとってはいても流布することは想定されていない性質を有す
るものといってよく、図書館に所蔵されているとしても、一般人には当該資料を知りアクセスすること
が極めて困難である。また、そこに一覧として記載されているのは、和歌山県内の「関係地区」のみで
あり、限定された地域に関するものである。そして調査の目的は、序に明記されているように「正確な
る調査により実相を把握し、`同和`の世界を一日も速やかに実現するための基礎資料としたい」という
点にあり、調査した上での考察も示されている。
公開する理由
- 行政に関する資料
- 非売品
- 出版物の体はとってはいても流布することは想定されていない
- 図書館に所蔵されているとしても、一般人には当該資料を知り、アクセスすることは極めて困難
- 和歌山県内の「関係地区」(同和地区)のみであり、限定された地域に関するもの
- 「正確なる調査により実相を把握し、`同和`の世界を一日も速やかに実現するための基礎資料としたい」という調査の目的
内容
p2-9 和歌山県内の同和地区の立地、世帯数、人口
・和歌山市
芦原 鳴神 杭の瀬 秋月石原 平井 善明寺 木の本 加納
・新宮市
春日(永山) 野田 藺の沢
・田辺市
末広町 天神原 芳養崖
・海草郡
加太町 西脇村磯脇 貴志村栄谷 西山東村口須佐 山口村山口西 紀伊村上野 紀伊村弘西 西和佐村岩橋 川永村川辺 安原村本渡 西原村桑山 塩津村東山 亀川村且来 大崎村方 椒村砂浜 椒村北原 中野上村沖野々 中野上村野上中 北野上村七山
・那賀郡
田中村西井阪地区 池田村古和田 池田村東国分 調月村添田 安楽川村最上 小倉村南田中 小倉村大垣内 根来村根来 山崎村曽屋 岩出町溝川 上岩出村水栖 狩宿村 王子村西の芝 名手町
・伊都郡
妙寺町中飯降 妙寺町東市原 見好村平沼田 笠田町佐野 笠田町東 大谷村西大谷 橋本町原田 岸上村 応其村名古曽宮下 応其村伏原(端場) 高野口町 山田村神野々
・有田郡
湯浅町北栄 箕島町北湊 田殿町長田 広町広東 田栖川村横田 宮原町須谷元河原 藤波村小島・熊井・天満 御霊村庄 御霊村庶民住宅 御霊村椎の木
・日高郡
御坊町薗 御坊町島 湯川村財部 湯川村西富安 湯川村西小松原 切目村上道 内原村萩原 内原村高家 由良町里・門前 志賀村谷口 野口村北野口 藤田村下吉田 稲原村切山 川上村熊野川 南部町柴崎 上山路村栃谷
・西牟婁郡
二川村皆野川 朝来村大谷 東富田村平間 日置町安宅・浜田 周参見町石橋 周参見町神田 三舞村丹橋 川添村上谷 和深村前地 南白浜開拓団
・東牟婁郡
西向町住吉 那智町天満須崎 本宮村苔
調査その一ここまで。
地区別世帶数及び世帶人員の增減
世帶数 | 世帶員 | 現在地 | 備考 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
昭和9年調査 | 昭和27年綜合調査 | 昭和9年調査 | 昭和27年綜合調査 | |||
和歌山市 | 2,904 | 2,782 | 12,825 | 11,514 | ||
芦原地区 | 1,797 | 1,449 | 7,933 | 5,528 | 和歌山市 汐見町、三沢町 | 島崎町、岡町、雄松町を含める場合もある。 |
鳴神〃 | 235 | 261 | 1,056 | 1,267 | 和歌山市 鳴神 | |
杭の瀬〃 | 267 | 338 | 1,235 | 1,525 | 和歌山市 杭ノ瀬 | |
秋月石原〃 | 13 | 31 | 77 | 156 | 和歌山市 秋月 石原 | |
平井〃 | 350 | 413 | 1,400 | 1,655 | 和歌山市 平井 | |
善明寺〃 | 120 | 157 | 494 | 750 | 和歌山市 善明寺 | |
木の本〃 | 120 | 133 | 625 | 633 | 和歌山市 木ノ本 | |
(加納〃) | 2 | … | 5 | … | 和歌山市 加納 | |
新宮市 | 218 | 239 | 1,238 | 1,032 | ||
春日地区(永山) | 121 | 91 | 684 | 402 | 新宮市 春日 | |
野田〃 | 60 | 276 | 新宮市 野田 | |||
藺の沢〃 | 97 | 83 | 554 | 354 | 新宮市 井の沢 | |
田辺市 | 233 | 328 | 1,115 | 1,484 | ||
末広町地区 | 101 | 103 | 520 | 480 | 田辺市 末広町 | |
天神原〃 | 91 | 167 | 459 | 739 | 田辺市 天神崎 | |
芳養崖〃 | 41 | 56 | 136 | 265 | 田辺市 芳養町 | |
海草郡 | 834 | 1,102 | 4,338 | 5,346 | ||
加太町地区 | 4 | 7 | 27 | 44 | 和歌山市 加太 向町 | |
西脇村磯脇〃 | 7 | 3 | 35 | 13 | 和歌山市 磯の浦 | |
貴志村栄谷〃 | 21 | 42 | 81 | 158 | 和歌山市 栄谷 | |
西山東村口須佐〃 | 64 | 58 | 282 | 278 | 和歌山市 口須佐 | |
山口村山口西〃 | 9 | 27 | 44 | 145 | 和歌山市 山口西 | |
紀伊村上野〃 | 57 | 95 | 298 | 507 | 和歌山市 上野 | |
弘西〃 | 48 | 85 | 227 | 425 | 和歌山市 弘西 | |
西和佐村岩橋〃 | 130 | 149 | 708 | 822 | 和歌山市 岩橋 | |
川永村川辺〃 | 3 | … | 21 | … | 和歌山市 川辺 | |
安原村本渡〃 | 168 | 257 | 924 | 1,201 | 和歌山市 本渡 | |
桑山〃 | 4 | 25 | 和歌山市 桑山 | |||
塩津村東山〃 | 3 | 5 | 17 | 17 | 海南市 下津町塩津 東山 | |
亀川村且来〃 | 12 | 14 | 75 | 77 | 海南市 且来 | |
大崎村方〃 | 23 | 27 | 130 | 144 | 海南市 下津町方 | |
椒村砂浜〃 | 18 | 104 | 108 | 431 | 有田市 初島町浜 | |
北原〃 | 38 | 190 | 有田市 初島町里 | |||
中野上村沖野々〃 | 170 | 165 | 850 | 791 | 海南市 沖野々 | |
野上中〃 | 24 | 34 | 139 | 164 | 海南市 野上中 | |
北野上村七山〃 | 31 | 30 | 157 | 129 | 海南市 七山 | |
那賀郡 | 1,219 | 1,360 | 5,905 | 6,200 | ||
田中村西井阪地区 | 177 | 189 | 1,080 | 808 | 紀の川市 西井阪 | |
その他〃 | 52 | 48 | 296 | 252 | ||
池田村古和田〃 | 137 | 113 | 631 | 537 | 紀の川市 古和田 | |
東国分〃 | 150 | 138 | 734 | 693 | 紀の川市 東国分 | |
その他〃 | 17 | 16 | 85 | 79 | ||
調月村添田〃 | 75 | 63 | 350 | 315 | 紀の川市 桃山町調月 | |
安楽川村最上〃 | … | 25 | … | 135 | 紀の川市 桃山町最上 | |
小倉村南田中〃 | 15 | 23 | 71 | 94 | 和歌山市 小倉 | |
大垣内〃 | 50 | 52 | 307 | 267 | 和歌山市 大垣内 | |
根来村根来〃 | 19 | 32 | 87 | 161 | 岩出市 根来 | |
山崎村曽屋〃 | - | 16 | - | 90 | 岩出市 曽屋 | |
岩出町溝川〃 | 15 | 20 | 78 | 110 | 岩出市 溝川 | |
上岩出村水栖〃 | 19 | 41 | 97 | 207 | 岩出市 水栖 | |
狩宿村〃 | 373 | 426 | 1,586 | 1,789 | 紀の川市 名手市場 | |
王子村西の芝〃 | 78 | 96 | 305 | 449 | 紀の川市 王子 | |
名手町〃 | 42 | 62 | 198 | 214 | 紀の川市 名手市場 | |
伊都郡 | 1,319 | 1,466 | 6,721 | 6,579 | ||
妙寺町中飯降地区 | 60 | 59 | 348 | 283 | 伊都郡 かつらぎ町 中飯降 | |
東市原〃 | 42 | 44 | 245 | 212 | 伊都郡 かつらぎ町 丁ノ町 | |
見好村平沼田〃 | 21 | 32 | 108 | 134 | 伊都郡 かつらぎ町 平沼田 | |
笠田町佐野〃 | 262 | 136 | 1,308 | 658 | 伊都郡 かつらぎ町 佐野 | |
東〃 | 85 | 149 | 498 | 680 | 伊都郡 かつらぎ町 笠田東 | |
大谷村西大谷〃 | 39 | 40 | 223 | 233 | 伊都郡 かつらぎ町 大谷 | |
橋本町原田〃 | 165 | 185 | 768 | 837 | 橋本市 原田 | |
岸上村〃 | 284 | 338 | 1,593 | 1,497 | 橋本市 岸上 | |
応其村名古曽宮下〃 | 93 | 127 | 476 | 563 | 橋本市 高野口町名古曽 | |
伏原(端場)〃 | 203 | 274 | 862 | 1,086 | 橋本市 高野口町伏原 | |
高野口町地区 | 21 | 8 | 75 | 34 | 橋本市 高野口町 | |
山田村神野々〃 | 44 | 74 | 217 | 362 | 橋本市 神野々 | |
有田郡 | 776 | 957 | 3,921 | 4,584 | ||
湯浅町北栄地区 | 148 | 254 | 758 | 1270 | 有田郡 湯浅町 湯浅 | |
箕島町北湊〃 | 85 | 107 | 442 | 470 | 有田市 箕島 | |
田殿町長田〃 | 34 | 30 | 187 | 168 | 有田郡 有田川町 長田 | |
広町広東〃 | 255 | 271 | 1275 | 1312 | 有田郡 広川町 広 | |
田栖川村横田〃 | 18 | 28 | 115 | 134 | 有田郡 湯浅町 栖原 | |
宮原町須谷元河原〃 | 20 | 33 | 112 | 158 | 有田市 宮原町須谷 字元河原 | |
藤波村小島熊井天満〃 | 23 | 23 | 127 | 140 | 有田郡 有田川町 小島、熊井、天満 | |
御霊村庄〃 | 145 | 159 | 673 | 704 | 有田郡 有田川町 庄 | |
庶民住宅〃 | 18 | … | 82 | … | ||
椎の木〃 | 30 | 52 | 150 | 228 | 有田郡 有田川町 大字徳田 字椎ノ木 | 奥徳田公民館(和歌山県有田郡有田川町大字徳田1482-3)の南方に該当。徳田1576-1付近。 |
日高郡 | 1,566 | 2,147 | 8,938 | 9,884 | ||
御坊町薗地区 | 448 | 712 | 3,071 | 2,984 | 御坊市 薗 | |
島〃 | 174 | 199 | 927 | 976 | 御坊市 島 | |
湯川村財部〃 | 112 | 120 | 530 | 553 | 御坊市 湯川町財部 | |
西富安〃 | 150 | 249 | 680 | 1,183 | 御坊市 湯川町富安 | |
西小松原〃 | 17 | 21 | 90 | 107 | 御坊市 湯川町小松原 | |
切目村上道〃 | 93 | 143 | 576 | 685 | 日高郡 印南町 西ノ地 | |
内原村萩原〃 | 31 | 28 | 160 | 149 | 日高郡 日高町 萩原 | |
高家〃 | 27 | 27 | 170 | 140 | 日高郡 日高町 高家 | |
由良町里、門前〃 | 132 | 159 | 625 | 771 | 日高郡 由良町 里、門前 | |
志賀村谷口〃 | 84 | 104 | 500 | 520 | 日高郡 日高町 志賀 | |
野口村北野口〃 | 47 | 60 | 284 | 287 | 御坊市 野口 | |
藤田村下吉田〃 | 59 | 72 | 305 | 375 | 御坊市 藤田町吉田 | |
稲原村切山〃 | 56 | 72 | 300 | 350 | 日高郡 印南町 南谷 | |
川上村熊野川〃 | 4 | … | 29 | … | 日高郡 日高川町 熊野川 | |
南部町柴崎〃 | 120 | 172 | 630 | 754 | 日高郡 みなべ町 芝 | |
上山路村栃谷〃 | 12 | 9 | 61 | 50 | 田辺市 龍神村東 | |
西牟婁郡 | 436 | 667 | 2,244 | 3,119 | ||
二川村皆野川地区 | 18 | 17 | 108 | 72 | 田辺市 中辺路町大川 | |
朝来村大谷〃 | 136 | 224 | 608 | 1,036 | 西牟婁郡 上富田町 朝来 | |
東富田村平間〃 | 54 | 68 | 324 | 298 | 西牟婁郡 白浜町 十九渕 | |
日置町安宅、浜田〃 | 83 | 159 | 456 | 726 | 西牟婁郡 白浜町 安宅 | 和歌山県西牟婁郡白浜町日置266番地に「浜田教育集会所」あり。 |
周参見町石橋〃 | 42 | 44 | 200 | 219 | 西牟婁郡 すさみ町 周参見 石橋 | |
神田〃 | 21 | 25 | 96 | 129 | 西牟婁郡 すさみ町 周参見 神田 | |
三舞村丹橋〃 | 24 | 35 | 109 | 185 | 西牟婁郡 白浜町 田野井 | |
川添村上谷〃 | 6 | 2 | 25 | 14 | 西牟婁郡 白浜町 市鹿野 | |
和深村前地〃 | 52 | 81 | 318 | 392 | 東牟婁郡 串本町 和深 | |
南白浜開拓団 | - | 12 | - | 48 | 旧南紀白浜空港付近。敗戦後に縮小した日本列島へ外地より帰国する国民の食物と仕事作りのため、国策として全国で入植が進められた開拓団の一つ。白浜町には3つの開拓団があった。 | |
東牟婁郡 | 254 | 256 | 1,431 | 1,195 | ||
西向町住吉地区 | 137 | 164 | 836 | 791 | 東牟婁郡 串本町 西向 | |
那智町天満須崎〃 | 75 | 62 | 375 | 270 | 東牟婁郡 那智勝浦町 天満 須崎 | |
本宮村苔〃 | 42 | 30 | 220 | 134 | 田辺市 本宮町本宮 | |
総計 | 9,759 | 11,304 | 48,676 | 50,937 |
施設等
隣保館
- 芦原文化会館 - 和歌山市雄松町1-61
- 杭の瀬文化会館 - 和歌山市杭ノ瀬76-7
- 善明寺文化会館 - 和歌山市善明寺361-3
- 平井文化会館 - 和歌山市平井72-1
- 本渡文化会館 - 和歌山市本渡393-5
- 岩橋文化会館 - 和歌山市岩橋1330-8
- 木ノ本文化会館 - 和歌山市木ノ本728-2
- 鳴神文化会館 - 和歌山市鳴神967-3
- 大垣内文化会館 - 和歌山市大垣内783-5
- 弘西文化会館 - 和歌山市弘西858-4
- 口須佐文化会館 - 和歌山市吉礼260-1
- 栄谷文化会館 - 和歌山市栄谷487
- 海南市沖野々隣保館 - 海南市沖野々443-5
- 海南市野上中隣保館 - 海南市野上中167-5
- 橋本市原田文化センター - 橋本市原田81-5
- 橋本市神野々福祉館 - 橋本市神野々368-2
- 橋本市野福祉館 - 橋本市野524-5
- 橋本市岸上文化センター - 橋本市岸上203
- 橋本市伏原文化センター - 橋本市高野口町伏原1075-3
- 橋本市名古曽文化センター - 橋本市高野口町名古曽1171-3
- 砂浜会館 - 有田市初島町浜1769-1
- 北原会館 - 有田市初島町里1207-11
- 須谷会館 - 有田市宮原町須谷296-1
- 紀の川市古和田会館 - 紀の川市古和田626
- 紀の川市井阪文化会館 - 紀の川市西井阪169
- 王子福祉会館 - 紀の川市藤崎378-4
- 那賀福祉会館 - 紀の川市名手市場1456
- 桃山町隣保館 - 紀の川市桃山町調月384
- 新宮市浮島隣保館 - 新宮市浮島1-10
- 新宮市松山隣保館 - 新宮市新宮4643-136
- 新宮市橋本隣保館 - 新宮市橋本1-8-28
- 新宮市下田隣保館 - 新宮市新宮4514-5
- 新宮市春日隣保館 - 新宮市春日6-5
- 新宮市井の沢隣保館 - 新宮市井の沢5-24
- 新宮市野田隣保館 - 新宮市野田5-33
- 芳養児童センター - 田辺市芳養町1725-28
- 田辺市本宮町民センター - 田辺市本宮町本宮1048-58
- 田辺市立西部センター - 田辺市天神崎11-19
- 田辺市立南部センター - 田辺市末広町11-3
- 島会館 - 御坊市島486-1
- 藤田会館 - 御坊市藤田町吉田288-1
- 薗会館 - 御坊市島358-1
- 財部会館 - 御坊市湯川町財部485
- 野口会館 - 御坊市野口1339
- 湯川文化会館 - 御坊市湯川町富安1913-7
- 由良文化センター - 由良町里1126-2
- 広文化会館 - 広川町広167
- 日高町文化会館 - 日高町志賀564
- 宮西文化会館 - 湯浅町湯浅1696-1
- 野下・出水文化会館 - 湯浅町湯浅2123-7
- 湯浅隣保館 - 湯浅町湯浅2718-1
- 横田文化会館 - 湯浅町栖原6
- 庄文化センター - 有田川町庄793
- 長田文化センター - 有田川町長田245-1
- 徳田文化センター - 有田川町徳田1466
- 佐野住民会館 - かつらぎ町佐野550-1
- 平沼田中央会館 - かつらぎ町東渋田667-1
- 大谷会館 - かつらぎ町大谷868-1
- 中飯降住民会館 - かつらぎ町中飯降1448-1
- 丁ノ町会館 - かつらぎ町丁ノ町459-1
- 笠田東町民会館 - かつらぎ町笠田東353-1
- 切目社会教育センター - 印南町西ノ地1285
- みずほ会館 - 印南町南谷102
- 大谷総合センター - 上富田町朝来3992-3
- 田野井会館 - 白浜町田野井544
- 住民交流センター - 白浜町安宅464-1
- しらとり総合会館 - 白浜町十九淵237
- すさみ町住民福祉会館 - すさみ町周参見3871-3
- すさみ町愛育文化センター - すさみ町周参見3502-6
- 那智勝浦町町民センター - 那智勝浦町天満1497-3
- 串本町立町民文化センター - 串本町西向450
- 串本町立和深総合センター - 串本町和深689
関連団体
- 部落解放同盟和歌山県連合会 - 和歌山県和歌山市中島234
- 部落解放同盟和歌山県連合会 - 和歌山県和歌山市神前405-3
- 部落解放同盟和歌山県連合会芦原支部 - 和歌山県和歌山市島崎町5-22
- 部落解放同盟和歌山県連合会芦原支部 - 和歌山県和歌山市汐見町2丁目50−1
- 部落解放同盟和歌山県連合会新宮支部 - 和歌山県新宮市新宮1126
- 部落解放同盟和歌山県連合会湯浅支部 - 和歌山県有田郡湯浅町湯浅2713
- 部落解放同盟和歌山県連合会広川支部 - 和歌山県有田郡広川町大字広157
- 部落解放同盟和歌山県連合会日置支部
- 部落解放同盟和歌山県連合会善明寺支部
- 部落解放同盟和歌山県連合会那賀支部
- 部落解放同盟和歌山県連合会鳴神支部
- 自由同和会和歌山県本部 - 和歌山県和歌山市六十谷86-3 和興ビル303号
- 自由同和会和歌山県連合会 - 和歌山県和歌山市吉田91
- 全日本同和会和歌山県連合会 - 和歌山県和歌山市美園町5丁目4-2
- 全日本同和会和歌山県連合会紀北支部 - 和歌山県橋本市東家1-367
- 全日本同和会田辺事務所 - 和歌山県田辺市神子浜1293
- 和人連(和歌山) - 和歌山県西牟婁郡白浜町安宅238-1
小集落改良住宅
海南市
- 沖野々改良住宅 - 海南市沖野々383番地1ほか
- 木津改良住宅 - 海南市木津233番地10ほか
- 野上中改良住宅 - 海南市野上中104番地1ほか
- 溝ノ口改良住宅 - 海南市溝ノ口300番地2
橋本市
- 原田住宅 - 橋本市原田183番地の2, 278番地の1, 279番地の3, 280番地の2, 281番地, 282番地の1, 283番地の2, 320番地, 412番地, 534番地の2, 妻154番地の1, 妻155番地の1
- 名古曽住宅 - 橋本市高野口町名古曽1076番地の2、1076番地の5、1076番地の8、1076番地の9、1076番地の11、1080番地の7、1080番地の8、1080番地の9、1076番地の8、1163番地の1、1188番地、1207番地の1、1130番地、1195番地3、1158番地
白浜町
- 浜田改良 - 白浜町日置257番地外
- 安宅改良 - 白浜町安宅461番地の4外
- 安宅改良 - 白浜町安宅409番地の11外
- 安宅改良 - 白浜町安宅295番地の15外
- 安宅改良 - 白浜町安宅496番地の2外
- 安宅改良 - 白浜町安宅283番地の3外
- 田野井改良 - 白浜町田野井1番地の16
- 田野井改良 - 白浜町田野井1番地の11
湯浅町
- 西の谷2団地 - 湯浅町大字湯浅
- 宮西4団地 - 湯浅町大字湯浅
- 横田(小集落)団地 - 湯浅町大字栖原
- 野下1団地 - 湯浅町大字湯浅
- 出水団地 - 湯浅町大字湯浅
教育集会所
- 橋本市名古曽教育集会所 - 橋本市高野口町名古曽1212番地の1
- 有田市立北原教育集会所 - 有田市初島町里1207番地の11
- 有田市立須谷教育集会所 - 有田市宮原町須谷322番地の1
- 港会館 - 有田市港町63番地の2
- 小松原西会館 - 御坊市湯川町小松原589番地15
- 財部東会館 - 御坊市湯川町財部1038番地10
- 薗北会館 - 御坊市島356番地10
- 田辺市南松原教育集会所 - 田辺市芳養松原2丁目3-12
- 松山教育集会所 - 新宮市新宮4643番地の117
- 春日教育集会所 - 新宮市春日6829番地の1
- 古和田教育集会所 - 紀の川市古和田696番地
- 東国分教育集会所 - 紀の川市東国分91番地1
- 西井阪教育集会所 - 紀の川市西井阪169番地
- 東大井教育集会所 - 紀の川市東大井393番地3
- 西元町教育集会所 - 紀の川市名手市場22番地
- 那賀教育集会所 - 紀の川市名手市場1456番地
- 曽屋教育集会所 - 岩出市曽屋456番地の5
- 熊井教育集会所 - 有田郡有田川町大字熊井240番地2
- 小島教育集会所 - 有田郡有田川町大字小島423番地1
- 長田教育集会所 - 有田郡有田川町大字長田174番地3
- あたご教育集会所 - 有田郡有田川町大字庄116番地8
- 湯浅町教育集会所 - 有田郡湯浅町大字湯浅1580(現存せず)
- 宮西教育集会所 - 有田郡湯浅町大字湯浅1819番地の3
- 方津戸教育集会所 - 有田郡湯浅町大字栖原109番地の41
- 矢田教育集会所 - 有田郡湯浅町大字栖原286番地の10
- 白浜町立浜田教育集会所 - 西牟婁郡白浜町日置267番地
- はまゆう教育集会所 - 西牟婁郡上富田町朝来2305-10
人権啓発センター
- 和歌山県人権啓発センター - 和歌山市手平2丁目1-2 和歌山ビッグ愛2F
関連事件
和歌山県職員、隣人に言いがかりつけ殴る 容疑で逮捕 2006年08月28日01時34分 マンションの隣人男性(42)
を殴って、けがをさせたとして、和歌山県警海南署は27日、海南市岡田、県精神保健福祉センター主任木皮誠容疑
者(48)を傷害の疑いで逮捕した。木皮容疑者は容疑を認めている。 調べでは、木皮容疑者は26日午後9時40
分ごろ、自宅マンションの駐輪場で、自分の自転車のサドルに切られたような跡があるのを見つけた。隣人男性がやっ
たと思い込み、この男性を駐輪場まで引っ張って行き、「お前がやったんはわかっとるんじゃ」などと言いがかりをつ
けて顔を十数発殴った疑い。 木皮容疑者と隣人男性は、あいさつを交わす程度で、普段のつきあいはほとんどなかっ
たという。同容疑者は当時、酒に酔っていたという。 木皮容疑者は1981年に同県に採用され、広報広聴課、県民
生活課などを経て、今年4月から現職。県総務部は「処分については厳正かつ速やかに対処したい」とのコメントを出
した。
ショルダーバックから財布を盗んだ女逮捕 2014年02月17日 19時13分パチンコ店にいた85歳の女性を介抱する様に
見せかけ、その隙に女性のショルダーバックから財布を抜き取ったとして、橋本警察署はきょう(17日)、橋本市の5
8歳の介護士の女を窃盗の疑いで逮捕しました。捕まったのは橋本市高野口町名古曽の介護士、川植慶子(かわうえ・よ
しこ)容疑者58歳です。警察によりますと川植容疑者は、去年(2013年)3月23日の午後5時ごろ、橋本市内の
パチンコ店で、橋本市の85歳の無職の女性に寄り添って介抱するように見せかけ、その隙に女性のショルダーバックか
ら現金5万円などが入った財布を抜き取った疑いです。取り調べに対し川植容疑者は容疑を認めています。警察は余罪が
無いかさらに調べる方針です。(WBS和歌山放送ニュース)
※川植は大阪府和泉市幸に最多の部落姓。2000年電話帳で同地に3件。
死体遺棄容疑で長女夫婦を逮捕先月(1月)10日、田辺市龍神村の山中で背中を刺された男性の遺体が見つかった事件で
、田辺警察署の捜査本部はきょう(27日)、この男性の長女夫婦を死体遺棄の疑いで逮捕しました。逮捕されたのは男性
の長女で、上富田町朝来(あっそ)の無職、柴田幸江(しばた・ゆきえ)容疑者23歳と、夫でパート従業員の柴田大幸(
しばた・ともゆき)容疑者31歳です。捜査本部の調べによりますと2人は、去年(2016年)12月5日の午後3時ご
ろから先月10日午前11時ごろまでの間に、幸江容疑者の父で、龍神村安井(やすい)の大工、場谷忠善(ばたに・ただ
よし)さん50歳の遺体をブルーシートに包み、田辺市龍神村柳瀬(やなせ)、虎が峯付近の県道脇に遺棄した疑いです。
捜査本部は、2人の自宅を捜索して押収した2台の乗用車のうち1台から、場谷さんのDNA型と一致する血の痕が見つか
ったため、2人に今朝(27日)から任意で事情を聞いていました。調べに対し、夫の大幸容疑者は「2人で捨てに行った
ことに間違いありません」と供述し、車で遺体を遺棄したことを認めています。捜査本部は幸江容疑者の認否について明ら
かにしていません。遺体の背中には刃物のようなもので刺された傷があり、捜査本部は殺人の疑いで調べる方針です。場谷
さんは、去年夏ごろから長女夫婦と同居しており、幸江容疑者は、行方不明になった場谷さんから「連対保証人になった。探
さないでくれ」などのメールが入ったなどと説明していました。(和歌山放送ニュース、2017年02月27日 23時57分)
女子高生狙う 強制わいせつ未遂疑いで27歳男逮捕 2012年11月09日 09時28分橋本警察署は、住居侵入の疑いで逮捕し
ていた男が、ことし(2012年)1月、橋本市の路上で、女子高校生に、わいせつな行為をしようとしたとして、強制わ
いせつ未遂の疑いで再逮捕しました。捕まったのは、橋本市隅田町の美容師・堂浦昇吾(どううら・しょうご)容疑者27
歳です。警察の調べによりますと、堂浦容疑者は、ことし(2012年)1月17日午後7時前、橋本市隅田町の路上で、
学校から帰る途中の当時16歳の女子高校生に、後ろから抱きつき、手で口を抑え、わいせつな行為をしようとした疑いで
す。車が近くを通りかかったため、堂浦容疑者は、女子高校生を突き倒して、逃走しました。堂浦容疑者は、先月(10月
)、住居侵入の疑いで逮捕され、取り調べの中で、強制わいせつ未遂について自供したことから、警察が、裏付け捜査を進
めていました。
中学臨時講師父子「生活苦」トラックなど連続窃盗 和歌山親子でトラックなどの盗みを繰り返したとして、和歌山県警橋
本署は31日、同県橋本市紀見ヶ丘3、中学校臨時講師堂浦孝文容疑者(59)と、長男で同県岩出市東坂本、無職雄大容
疑者(33)を窃盗容疑で逮捕したと発表した。 同署によると、両容疑者は4月4日~5月15日、和歌山、橋本市などで
、トラック3台とショベルカー1台、タイヤ4本(計225万4000円相当)を盗んだ疑い。 両容疑者はカギをつけた
ままの車を狙ったり、鍵穴から合鍵を作るなどして盗みを繰り返し、貿易会社に売っていた。 堂浦容疑者は奈良県内の私立
中学で技術と体育を教えているといい「生活に困ってやった」と供述している。
19 août 2018
POP TATARI
同和対策推進組織及び関係団体状況
書誌情報
同和対策推進組織及び関係団体状況
発行日 | 1988年7月 |
発行者 | 奈良県民生部同和対策課 |
見られる場所
- 奈良県立図書情報館
内容
奈良県隣保館一覧表
- 東之阪隣保館 奈良市川町418の1
- 古市隣保館 奈良市古市町1226
- 横井隣保館 奈良市古市町66-1
- 八条隣保館 奈良市八条町790-1
- 西之阪隣保館 奈良市西之阪町12
- 杏中隣保館 奈良市杏町401-1
- 杏南隣保館 奈良市杏町79-4
- 梅園隣保館 奈良市紀寺町580-2
- 曙町隣保館 大和高田市曙町1-33
- 市場隣保館 大和高田市405-4
- 土庫隣保館 大和高田市日之出町4-6
- 西田中町隣保館 大和郡山市西田中町288-2
- 小泉町出屋敷隣保館 大和郡山市小泉町2762
- 南井隣保館 大和郡山市南井62
- 新町南隣保館 大和郡山市矢田町5511-1
- 石上隣保館 天理市石上町581-1
- 嘉幡隣保館 天理市嘉幡町420
- 御経野隣保館 天理市匂田町174
- 飛騨隣保館 橿原市飛騨町94-2
- 大久保隣保館 橿原市大久保町15-1
- 大福解放会館 桜井市大福186
- 豊田解放会館 桜井市豊田311-2
- 初瀬解放会館 桜井市初瀬2613-1
- 吉備解放会館 桜井市吉備646-16
- 五條文化会館 五條市五條4-4-3
- 牧住民センター 五條市牧86-1
- 柏原隣保館 御所市柏原235
- 小林隣保館 御所市小林373-6
- 元町隣保館 御所市元町365
- 幸町隣保館 御所市幸町188-2
- 戸毛隣保館 御所市戸毛1032
- 室隣保館 御所市室102、104-1
- 栗坂隣保館 御所市栗坂177
- 小平尾南隣保館 生駒市小平尾町1549
- 平群町解放会館 平群町若井432
- 下之庄解放会館 三郷町立野2440
- 安搭町隣保館 安堵町東安堵782
- 梅戸隣保館 川西町梅戸317-6
- 下永隣保館 川西町下永1256-1
- 上但馬団地解放会館 三宅町屏風
- 上但馬隣保館 三宅町上但馬360-3
- 田原本町解放センター 田原本町金沢123
- 大宇陀町隣保館 大宇陀町小附1297
- 大宇陀町第2隣保館 大宇陀町内原75
- 菟田野町部落解放センター 菟田野町古市場1401-1
- 室生村解放センター 室生村無山727-2
- 曽爾村解放センター 曽爾村白粕1665
- 丹生谷解放会館 高取町丹生谷1060
- 上牧文化館 上牧町北上牧
- 河井町解放同盟 河井町西穴闇
- 上柳隣保館 吉野町柳1635-1
- 佐々羅隣保館 吉野町佐々羅
- 桜ヶ岡隣保館 大淀町下淵1231
- 旭ヶ丘隣保館 大淀町比曽166
- 忍海隣保館 新庄町262-5
10 août 2018
POPTATATI
京都部落史研究所所蔵図書目録
書誌情報
京都部落史研究所所蔵図書目録
発行日 | 1998年11月30日 |
編集者 | 京都部落史研究所所 |
発行者 | 師岡佑行 |
発行所 | 京都部落史研究所(京都市北区小山下織町5-1 京都府部落解放センター3階) |
編集協力者 | 新恵里、大石一男、釜田美千代、灘本昌久、原田清子、平岡美由紀、平野貴子、前田修、正田朝子 |
見られる場所
現在も京都部落問題研究資料センターから販売されている。
内容
「部落地名総鑑」の総鑑であり、部落解放同盟の西島藤彦氏が『全國部落調査』を隠し持っていた証拠資料である。(全國部落調査の件は別に掲載。)
閉架資料
部落解放京都部落問題研究資料センターでは「閉架」資料は『全國部落調査』以外に以下のようなものがある。この中には旧内務省が発行した『細民集団地区調査』『全国部落所在地調』も含まれている。部落解放同盟はこれらが部落地名総鑑であることを認めながら、国家が犯罪的な差別図書を発行した事実を今まで一切糾弾していない。また部落解放同盟が「部落地名総鑑」と認め、回収し廃棄した『日本の部落』もあろうことか部落解放同盟はこっそりと複写し保管していた事実が明らかとなった。
0198 現代の眼 東京現代評論社 1968.1~1982,8 21冊(合本) 21cm 10巻1~3,5~7号,11巻1~2,11~12号,12巻3~8,10~12号,17巻l~2号,21巻1~12号,22巻l~12号(11号特集:反差別闘争の謝逼),23巻l~2,8号 閉架 051ケ
0199 現代の理論 東京現代の理論社 1964.2~1976.10 21冊(合本) 21cm l~5,7,10,12,13,15~17,19,24~29,31,33~35,42,48~52,55,56,58,60~65,67,68,70, 74,75,80,82,83,153 閉架 051ケ
0200 現代の理論 東京 大月書店 3冊 21cm 1号,3号,5号 0201~0217 閉架 051ケ
0201 構造 東京 経済構造社 1970.9~1971.5 4冊(合本) 21cm 93,95,97,98,100,101 閉架 051コ
0209 思想 東京 岩波書店1952.11~1989.12 54冊(合本) 21cm 341,371,395,403,424,431,437,439,442,447~450,453,467,473,475,480,485~487,489, 494,503,504,506,509~512,515~517,520~522,524~526,528,529,531,533,535,536,538~554,556,557, 559~571,573~587,589~600,609,697,733,735,786号 閉架 051シ
0219 情況 情況編集委員会編 東京 情況社 1968,9~1972.11 9冊(合本) 21cm 2~15,17,21,23,25,26,28~31,52号 閉架 051シ
0227 世界 東京 岩波書店 1957,1~1983,11 104冊(合本) 21cm 133~456号 欠号:163,203,204,233,325,386~397号 閉架
2138 細民集団地区調査[内務省]社会局第二部編 東京[内務省]社会局第二部 1924.6 1冊26cm 閉架 複写 093ナ
2139 細民集団地区調査[内務省] 社会局第二部編 東京[内務省]社会局第二部 1923.3 1冊26cm 閉架 複写 093ナ
2149 全国部落所在地調 内務省社会局編 [東京][内務省]社会局第二部 1920 176p 26cm 閉架 複写 093
2209 日本の部落 [出版地不明] 220p26cm 閉架 複写 093ニ
2210 不衛生地区[京都市社会課]編 [京都][京都市社会課][192-] 3冊(分冊)26cm 閉架 複写
2324 舊穢多ニ関スル調査 京都 京都府庁[19--] 1冊25cm 閉架 複写 093.62キ
2325 舊穢多非人調書 京都京都府勧業課[1886] 1冊21cm 閉架 複写 093.62キ
2568 部落台帳[大阪][大阪府救済課]1918 6冊(分冊)26cm 閉架 複写 093.63フ
3986 同和地区児童生徒の学力実態 京都京都市教育委員会[1979] 14p26cm 閉架 095.6キ
4622 外国人教育推進についての実態調査 外国人教育研究推進委員会編 京都[京都市]1979 30p 26cm 閉架 098.4カ
6168 [沖縄県人会兵庫県本部]会員名簿 沖縄県人会兵庫県本部35年史編集委員会編 神戸 沖縄県人会兵庫県本部35年史編集委員会 1982.6 367p 22cm 「ここに椿樹あり沖縄県人会兵庫県本部35年史」の別冊 閉架 361.65オ
分類記号093=部落地名総鑑
京都部落問題研究資料センターでは「同和行政(実態調査含)」について分類記号093を割り当てているが、この中の殆どが「部落地名総鑑」である。その数約600冊である。また極一部を除き「開架」資料なので、部落解放同盟が積極的に部落地名総鑑を不特定多数に閲覧させていたことが窺える。しかし部落解放同盟はその事実を認めずこれらの資料は部落地名総鑑ではないと強弁しており、部落解放同盟に従えば資料の内容を公表しても何ら問題無いことになる。
2130 えせ同和行為対応の手引 法務省人権実務研究会編 東京 日本加除出版 1988,4 188p 21cm (人権実務シリーズII) 093ホ
2131 えせ同和行為の実態把握のためのアンケート [東京]法務省人権擁護局 1986 1冊 26cm 「調査中間集計の概要」含む 複写 093ホ
2132 経済関係法規要覧 東京 中央融和事業協会 1933.4 2冊(分冊) 26cm 複写 093チ
2133 現代の部落差別 図説実態と変化 杉之原寿一著 神戸 兵庫部落問題研究所 1982.8 188p 21cm (市民学習シリーズ12) 093ス
2134 これからの地或改善対策 第2回地域改善問題シンポジウム 地域改善対策研究所編 東京 土曜美術社 1987.3 188,124p l9cm O93チ
2135 今後における啓発活動のあり方について(意見具申) 地域改善対策協議会編 [東京]地域改善対策協議会 1984.6 23p 26cm O93チ
2136 今後の地域改善対策について(意見具申)地域改善対策協議会編 東京 地或改善対策協議会 1991.12 8p 26cm 093チ
2137 今日の部落差別の実態 全国実態調査報告(その1) 「同和対策事業特別措置法」強化延長要求中央実行委員会編 大阪 解放出版社1978.2 58p 26cm 093コ
2138 細民集団地区調査[内務省]社会局第二部編 東京[内務省]社会局第二部 1924.6 1冊 26cm 閉架 複写 093ナ
2139 細民集団地区調査[内務省] 社会局第二部編 東京[内務省]社会局第二部 1923.3 1冊 26cm 閉架 複写 093ナ
2140 細民部落改善協議会速記録 [出版地不明][出版者不明][191-] 4,212p 26cm 大正元年11月7日開催 複写 093サ
2141 人権回復のまちづくり理論 若竹まちづくり研究所編 東京 明石書店 1985.3 254p 22cm O93ワ
2142 図説今日の部落差別 各地の実態調査結果より 村越末男,三輪嘉男監修 大阪 部落解放研究所 1986.3 x,227p 21cm O93フ
2143 図説今日の部落差別 各地の実態調査結果より 部落解放研究所[編]第2版 大阪 部落解放研究所 1993.9 162p 21cm O93フ
2144 図説 今日の部落差別 各地の実態調査結果より 部落解放研究所編 第3版 大阪部落解放研究所 1997.3 221p 21cm 093フ
2145 全国市議長会糾弾斗争方針 京都 部落解放全国委員会本部 [1954.10] 17p 26cm 複写 093フ
2146 全国同和地区調査 調査必携 東京 [総理府] [1971] 46p 26cm 複写 093ソ
2147 全国同和地区農業実態調査結果報告書(案) [東京]部落解放同盟中央農対部 [1986] 44p 26cm 093フ
2148 全国同和地区農林漁業実態調査結果 [東京][農林水産省]1986.9 1冊 26 cm 昭和60年調査,集計表,概要 複写 093ノ
2149 全国部落所在地調 内務省社会局編 [東京][内務省]社会局第二部 1920 176p 26cm 閉架 複写 093ナ
2150 [全国部落実態調査暫定報告書] 1984年 [大阪]部落解放同盟中央本部 1984.11 1冊 25×36 cm '84全国部落実態調査分析報告会資料 複写 093フ
2151 [全国部落実態調査暫定報告書山口・兵庫・大阪・愛知県分]1984年 [出版地不明]部落解放同盟山口県連 [ほか] [1984.11] 1冊(合本) 26cm 複写 093フ
2152 全国部落実態調査分析の手びき 1984年 [大阪]部落解放同盟中央本部 [1984] 196p 26cm 093フ
2153 全国部落実態調査要項 東京[部落解放同盟中央本部]1979 1冊 26cm 複写 093セ
2154 全国部落調査 中央融和事業協会編 [東京]中央融和事業協会 1936.3 3冊(分冊) 26cm 閉架 複写 093チ
2155 全国隣保事業関係者会議要綱 第3回 [東京][全国社会福_議会]1958.10 1冊 26cm 複写 093セ
2156 前進する同和対策事業 同和対策特別委員会の活動とその成果 [東京]自由民主党同和対策特別委員会 1960.2 42p 21cm 複写 093シ
2157 前進する同和対策事業 東京 自由民主党同和問題議員懇談会 1960.10 3,125p 26cm 複写 093シ
2158 全日本同和対策協議会事業報告 昭和34年度 [出版地不明]全日本同和対策協議会 [1960] 1冊 26cm 複写 093セ
2159 「地域改善財特法」に関わって 部落問題学習資料 部落問題研究所編 京都 部落問題研究所 1987.4 149p 21cm 093フ
2160 地域改善対策協議会基本問題検討部会報告書 [東京]地域改善協議会基本問題検討部会 1986.8 1冊 26cm 複写 093チ
2161 地域改善対策啓発推進指針 [東京]総務庁長官官房地域改善対策室 1987.3 22p 26cm 複写 093ソ
6 août 2018
POPTATARI
神戸市の同和地区
概況
「部落問題・人権事典」ウェブ版の神戸市の項によると、
神戸市内の部落は29地区が確認されるが、*同和対策事業の対象地区は26地区となっている。昭和56年の神戸市住民生活総合調査によると、同和地区に居住している世帯数は1万0414世帯、人口は3万0663人、平成3年の同調査では、世帯数は9650世帯、人口は2万4311人となっており、世帯数、人口とも減少している。
市内の同和改良住宅
本市には、住宅地区改良法(昭和35年法律第84号)の規定により本市が建設した改良住宅が存在する。その多くは都市部に集中している。ただし神戸市内で最も部落の数が多いのは西区であり、次いで北区である。
以下、その位置を記す。
東灘区
丸の後:東灘区住吉宮町2丁目16番(32戸)塚の前:東灘区住吉宮町1丁目2番18
(45戸)求女:東灘区住吉宮町1丁目12番17
(24戸)(一部公営住宅)
灘区
神前:灘区神前町4丁目2番(114戸)
中央区
新生田川:中央区南本町通5丁目1番(895戸)北本町:中央区北本町通3丁目2番
(179戸)(一部公営住宅)
中山手:中央区中山手通8丁目1番(171戸)楠:中央区楠町1丁目12番
(387戸)下山手(市場併設):中央区下山手通8丁目9番27(69戸)下山手
:中央区下山手通9丁目10番
(331戸)
小野柄:中央区小野柄通2丁目1番5(135戸)新中山手:中央区中山手通8丁目
1番1(109戸)
東川崎7丁目:中央区東川崎町7丁目7番1(37戸)(一部公営住宅)
兵庫区
東山:兵庫区東山町1丁目10番(182戸)(一部公営住宅)駅南
:兵庫区駅南通4丁目1番(76戸)
荒田:兵庫区荒田町3丁目10番21(25戸)
長田区
番町:長田区四番町5丁目(1651戸)五位ノ池:長田区五位ノ池町2丁目1番
(80戸)(一部公営住宅)
一番町:長田区一番町5丁目1番地の1(475戸)(一部公営住宅)
長田駅南第二:長田区二番町1丁目29番地(40戸)
長田駅前:長田区四番町6丁目47番地(55戸)長田駅東
:長田区四番町5丁目1(164戸)
長田中:長田区五番町4丁目1番地(50戸)新五位ノ池
:長田区五位ノ池町2丁目1‐7(49戸)(一部公営住宅)
須磨区
若宮:須磨区若宮町1丁目1番(100戸)
北区
東下:北区山田町中字長尾サ43番地(20戸)
垂水区
東高丸:垂水区東垂水1丁目1番(100戸)(一部公営住宅)
西区
玉津東:西区玉津町新方181番地(266戸)(一部公営住宅)玉津北
:西区玉津町新方460番地の1(54戸)
(一部公営住宅)リバーサイド玉津南:西区玉津町上池277番地の1(39戸)(一部公営住宅)
※ここではリンクを貼っておりません。部落地区でも一部の戸数のみで全ての区民が部落民ではございません。
5 août 2018
POP TATARI
岐阜県
概況
岐阜県の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1907年 | - | 800 | 4431 |
1920年10月1日 | 23 | 942 | 5271(男2603+女2668) |
1921年 | 23 | 928 | 4634 |
1935年2月 | 21 | 910 | 4457 |
1942年 | - | 813 | 3589 |
1946年 | - | - | 4474 |
1958年 | 19 | 992 | 4661 |
1963年 | 17 | 1216 | 地区全体5759、同和関係4147 |
1967年 | 14 | 地区全体2139、同和関係971 | 地区全体8600、同和関係4076 |
1971年 | 15 | 地区全体2543、同和関係1078 | 地区全体10028、同和関係4347 |
1975年 | 15 | 地区全体2887、同和関係1147 | 地区全体10393、同和関係4298 |
1985年 | 15 | 地区全体2887、同和関係1147 | 地区全体10393、同和関係4298 |
1993年1月 | 15 | 地区全体3310、同和関係1213 | 地区全体10540、同和関係3888 |
県下最大の被差別部落は養老郡養老町の三神・泉地区であり、世帯数645世帯、人口2371を数える(1975年6
月現在)。地区内には吉田姓と高木姓が多く、2009年に飛騨牛の偽装表示事件で有罪判決を受けた食肉卸売会社「丸明(まるあき)」(養老町三神町931)の社長も吉田姓であった。
養老町では三神・泉地区の人口が、隣接する市街地の高田地区や押越・御所地域に移動している。高田地域に移動したのは部落内の富裕層である。押越地域への移動は戦後の農地解放が原因で、戸数は約40。御所地域への移動は1949-1950年ごろ、同地の工場用地の払下げが原因で行われ、戸数は18。そして押越・御所地域に移動したのは部落内の中下層である。1975年度より同和行政の対象が従来の三神・泉町の他に滝見町・神明・御所地域に拡大されている。滝見町は三神・泉町の一画であり、同和対策の一環として集団住宅を建設した地域。神明・御所も三神・泉町に隣接しており混住地帯である。
このほか、大垣市久瀬川町2丁目32の水神神社の裏手に隣接して水神裏地区があった。ここは「もともと同和地区ではなかった。大垣地区の一スラムであった。そこに、滋賀県犬上郡の『部落』出身者が流入して、『部落』を形成したのであった。その流入のはじまりは、明治末年といわれる。大正10年頃より、地区住民の生業の中心が蛇や蝮の採取になる。地区住民のほとんど9割が、『ヘビ取り』の生活をしていた。水神裏住民は、故郷をあとにし、原始的ともいえる採取生活を余儀なくさせられた。岐阜県『部落』の中でももっとも悲惨な生活を強いられていた住民であったということができる」と伝えられている。この水神裏地区は岐阜県の部落解放運動の拠点となり、この地区から木村礎七(全水中央委員)、山田又七(全水大会岐阜県代表者)、吉野正義(全水中央委員)が輩出した。この地区は21戸の規模だったが、1940年に都市計画で分散移住させられた。
水神裏部落は,大垣市若森町地内にある水神神社の裏手に隣接した地にあり,通称「水神裏」とよばれる
「スラム」であった。
明治末年ごろ滋賀県犬上郡呉竹地区出身者が移り住むようになり,従来から住んでいた住民は次第に転出
。逆に呉竹出身者が流入し,所謂「部落」を形成していったのであった。流入の理由としては,呉竹地区で
「渡り土工」として各地を転々として仕事を求めていた人びとがいたが,大垣市における紡績工場の建設に
ともなって,その建築労働者として移り住むようになったと考えられる。とくに水神裏地区に移ってきた理由とし
ては,なによりも他地区に比べ低家賃であったこと,スラム住民に同じ建築労働者がいたことなどが考えられる。大正にはいり,大垣における紡績工場の建設が一段落したのちも,呉竹出身の住民は水神裏に居残った(居残らざるをえなかった。)転出したあとの家に,縁故を頼って呉竹出身者が,さらに移り住んできた。大正10年頃,東京浅草の薬問屋から蛇の買取りの依頼があり,水神裏住民の9割が「ヘビ取り」で生計をたてるようになった。水神裏住民のうち,3人が「ヘビ」の仲買人となっていたが,いずれも岐阜県水平社結成後部落解放運動の活動家であった。大垣市は,岐阜県における水平社運動,解放運動に打撃を与えるため,水神裏部落を消失させることを企画したと考えられる。昭和15年,強制的に,住民を他地区に移らせる分散政策を強行した。その移転補償費は平均,家賃6ヵ月分に相当する低額であった。こうして,「水神裏部落」は解体したが,多くの住民は,水神裏近くに移り,人間関係としては,従来の関係を余儀なくさせられていた。
部落が岐阜県に少ないのは、足洗いをして農民になったためではないかとする考察があった。
大垣市若森会館運営協議会委員の木村一夫は「『市政のあらまし』によれば、若森会館は同和教育集会所として、地域住民が明るく住み良い地域づくりをめざして、学習会や集会活動を通じてお互いの人権を尊重し合い、地域の健全育成をはかるための施設」と紹介しているを参考)大垣市南若森町2-20に若森会館がある。部落解放同盟岐阜県連委員長の石井輝男が南若森出身と自称していたが、実は一般地区の十六町の出身で部落民ではないとの説もある。大垣市内では、封建時代の身分制度に由来する伝統的な被差別部落の東町が「東部地区」として同和地区指定された。そのほか、上記の事情で被差別部落民の分散移住先となった日の出町、今町、本今町、南若森町、若森町が「西部地区」として同和地区指定された。 (今後検証)
文献
全國部落調査(1935年)
岐阜縣 昭和十年二月現在
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
岐阜市 島 | 早田 | 五九 | 二七四 | 日傭、南部表、履物其他、行商 | 南部表、日傭 | 上 | 岐阜市 早田 | 早田(そうでん)は長良川のあたりに屠殺場があった証言はもらっている。 が場所不明。 ![]() この地図は、以前わたしのブログに掲載した地図だ。地図の分 析が悪い為確認が取れないが、伊奈波神社がある。その付近には屠場 は確認できる。 |
稲葉郡 黒野村 | 黒野 | 一〇三 | 五一五 | 皮革、農業、履物修理、牛馬商其他 | 行表、南部表 | 中 | 岐阜市 黒野、下鵜飼 | 北岡姓5件、北原姓6件。2000年電話帳。加藤貞泰が甲斐国から 移封されて当地に住んだ時、旧領地から革細工職人の家族を3軒 ひきつれてきて屋敷を与え、諸役を免除して城下町の外郭に住まわ せたのが部落の起源と伝えられる。「この口碑の史実性を立証する ように、この部落では、他所者を除く生えぬきの地元民86戸が、ほと んど均分された3組のグループに分かれている。それぞれ各組の構 成員は同一の苗字と同一の家紋を共有し、親類意識によって緊密に むすばれている」と、北原泰作が述べている。 1927年に昭和天皇に直訴をした北原泰作の出身地。 北原泰作の本籍地は黒野村大字黒野200-2。北原泰作の母 (同じ黒野部落の出身)の旧姓が北岡。部落と一般の境界線は 「黒野の城下町は、城郭の総構えのなかに包まれていたが、えた 屋敷は郭外に置かれていた。私の子どものころには、部落(むら) の北はずれに総門口と呼ばれるところがあった。城の搦手方角に 外敵の侵入を防ぐために設けられた総門の跡である。(略)総門口 から南へ約300メートル、加藤貞泰が建立したと伝えられている光順寺 の裏門まで、50メートル幅の帯状に延びた竹藪があった。いつも太陽の 光を遮っている薄暗いその竹藪が、一般町民と『部落』住民とを分け隔てる差別の壁になっていた」と北原泰作が書いている。北原は1927年1月10日の入営について「部落(むら)からその日六十八連隊に入営するのは、北岡領八と北牧清太郎と私の三人であった」と書いており、黒野の3つの部落姓の残りは北牧である可能性がある。また北原泰作のいとこの苗字は掛野であり、2000年電話帳では黒野に1件登録がある。また上原善広『日本の路地を旅する』170頁に「昭和4、5年頃に改姓運動が起こり、住民の大半が変えた」、「しかし変えたといっても、普通の苗字だからって佐藤(仮名)姓にみんなが変えたものだから、佐藤っていえばK(黒野、引用者注)だってことになっちゃってね。結局、あんまり意味なかったような気がするな」とある。佐藤(仮名)は伊藤姓の可能性。黒野に伊藤姓24件。2000年電話帳。 |
海津郡 城山村 | 駒野 | 一一 | 三九 | 履物商、食肉商 | 〃 〃 | 下 | 海津市 南濃町駒野 | |
養老郡 多藝村 | 大墳、多岐 | 二五一 | 一二七五 | 行商、日傭、職工、皮革 | 〃 〃 | 中 | 養老郡 養老町 三神町 | 1635年、大垣藩主戸田鉄公が摂州尼ヶ崎から移封されたことに伴い、日比野治郎太夫が革工6戸を率いて移住したことに始まる。延宝安永の頃は鳥井村と称し、その後大墳村と称し、明治15年に分村して北大墳村と改称、明治30年多芸郡大字大墳と称す。岐阜県水平社本部結成者の高木重太郎の出身地区。高木姓73件、吉田姓35件。2000年電話帳。当地区を扱った吉岡進の論文「被差別部落における階層構造について」の謝辞に「大橋祝氏(履物関係)水野酒造太郎氏(皮革関係)高木旭氏(行商関係)」の氏名あり。 |
〃 日吉村 | 新宮 | 三〇 | 一六四 | 農業、履物商、日傭 | 農業、日傭 | 下 | 養老郡 養老町 室原 新宮 | |
〃 時村 | 下山 | 一八 | 五九 | 農業、履物商、日傭 | 牛馬商 | 〃 | 大垣市 上石津町下山 | |
不破郡 表佐村 | 朝日 | 二七 | 一二一 | 農、商、漁業 | 日傭 | 〃 | 不破郡 垂井町 表佐 | 藤墳(ふじつか)姓45件。山元姓12件。杉江姓3件。2000年電話帳。1955年1月11日に消防団で差別を受けた部落民の氏名は杉江嘉七。 |
安八郡 三城村 | 沢渡 | 三三 | 一四七 | 農、皮細工、行商 | 南部表、日傭 | 〃 | 大垣市 東町 | 沢姓5件。2000年電話帳。 |
揖斐郡 本郷村 | 東屋敷 | 一七 | 一〇五 | 農、日傭、製材 | 〃 〃 | 〃 | 揖斐郡 池田町 本郷 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
揖斐郡 池田村 | 池野 | 九 | 三五 | 牛馬商、行商其他 | 日傭 | 下 | 揖斐郡 池田町 池野 | |
本巢郡 北方町 | 円郷寺 | 一二 | 六八 | 屑物、農、漁業 | 〃 〃 | 中 | 本巣郡 北方町 北方 円郷 寺 | 『角川日本地名大辞典』の小字一覧に円郷寺が記載。現在は北方小学校の校庭の一部の可能性。( 北方町誌5P参考) |
〃 土貴野村 | 中野 | 一二 | 七〇 | 農、牛馬商、無職 | 牛馬商 | 〃 | 本巣市 七五三 | 七五三に中野会館あり。 |
山縣郡 髙富町 | 美里 | 三四 | 二二六 | 農、履物 | 食肉行商 | 〃 | 山県市 高富 | 別名、天王地区。明治新姓の際、全戸(30戸)が戸長から強制的に革田姓を授けられたが、のち改姓。本来は先祖が3戸であったことから、共通の字を冠した3姓にしようとしていたとする。祖の3人は、仁兵衛、与三八、三五郎で、その後改姓したものとして以下の姓を記載している。井伊(1件)、伊藤(7件)、梅田(2件)、掛野(2件)、高井(1件)、高木(2件)、田中(15件)、中村(36件)、中山(13件)、西村(9件)、武藤(17件)、森(4件)、吉井(6件)。2000年電話帳。 |
武儀郡 美濃町 | 新町 | 五五 | 三〇三 | 製材、雑貨、日傭其他 | 南部表、行商 | 上 | 美濃市 新町 | 岩見姓9件、岩本姓4件。2000年電話帳。 |
〃 関町 | 柳町 | 二二 | 一二九 | 職工、履物、商其他 | 南部表 | 中 | 関市 柳町 | 掛野姓5件、沢姓7件、古川姓5件。2000年電話帳。 |
可児郡 御嵩町 | 若松町 | 八二 | 三五三 | 農、行商其他 | 農、麻裏草履 | 下 | 可児郡 御嵩町 御嵩 字島垣外 | 自治会名に「若松町」の名が現存。具体的な範囲は要調査。御嵩町御嵩1502にある隣保館の近辺の可能性。 |
〃 兼山町 | 柳町 | 一三 | 五五 | 履物、皮革商 | 行商 | 上 | 可児市 兼山 | |
恵那郡 岩村町 | 朝日町 | 一四 | 五五 | 日傭、行商、製革 | 農 | 中 | 恵那市 岩村町 朝日町 | 陸軍中将の大島健一は表向き岩村藩士大島桂之進の次男として岐阜県恵那郡本郷村字新屋敷に生れたことになっていたが、1918年5月16日から3日間『大阪朝日新聞』に「村の誉──松葉将軍」という見出しで立志伝が連載され、「松葉五右衛門」の変名のもとに部落出身と報じられた。それによると「松葉」は部落出身を隠すため、まず18歳で信州飯田の禅寺の徒弟となり、それから戸籍を長州萩町に移し、西南戦争のどさくさに紛れて上京時に再び戸籍を変え、某県某町の士族某氏の子となり、今の名を名乗るようになったという。(北原泰作は『賤民の後裔』61頁で「私が父から聞いた松葉将軍の実名は、水野寿太郎である。寿太郎は私の父より8、9歳年上であったという。寿太郎の兄の妻は私の部落(むら)の出身である。彼の生家は牛馬の革を材料として鼻緒を製造する家内手工業をいとなんでいた。ヿ彦(かねひこ)の商標は中部地方の業界では有名であった。彼は16、7歳のころ鼻緒の行商にしばしば私の部落へ来たという」、「戸籍の上に寿太郎という人物は存在しない。おかしなことに、長男と四男が記載されている戸籍に二男と三男が欠落している。これは記録のミスであろうか? 私にはそうとは思えない。作為にちがいないと考えられる」と述べており、大島健一の名には言及していないが、北原が記す「水野寿太郎」の経歴はことごとく大島と一致している。 )。宮武外骨はこれを受け「前陸軍大臣であつた大島中将は岐阜県の特殊部落の出身であると云ふ事が先年大阪の朝日新聞に出て居たが、果して其事が真ならば、我は旧穢多族なりと叫んで貰ひたい」と発言している(1919年8月13日、平民大学講演会での発言)。このとき臨監の警官は中止を命じたが、外骨は屈せず、これを『赤』第6号に発表している。『宮武外骨著作集』第8巻(河出書房新社)解説「宮武外骨と『穢多』の語」(師岡佑行)を参照。岩村町朝日町に大島姓なし。2000年電話帳。 |
大野郡 髙山町 | 合崎 | 九七 | 四一九 | 漁業、日傭、皮革其他 | 日傭、行商 | 〃 | 高山市 大新町 | 種蔵姓2件。2000年電話帳。大新町4から出た岩本晋一郎は部落民だが1959年から1967年まで高山市長を務めた。人口68,000人の高山市で50,000票を獲得しており、もう差別などなく同和対策は必要ないとしていたとする。岩本姓が美濃市新町の部落にもあることについて「戦前は高山の同和地区と美濃市の人と行き来をしておりますし、苗字が同じ人もいます」と伝えられる。同地には、幕末近くに高山市から皮革職人が来ており、地名も高山市と同じものをつけたとされる。 |
吉城郡 古川町 | 是重 | 六 | 一五 | 農、日傭、製材 | 農 | 上 | 飛騨市 古川町是重 | |
〃 小鷹利村 | 上野 | 五 | 三〇 | 農 | 〃 | 飛騨市 古川町上野 | ||
計二一 | 二一 | 九一〇 | 四四五七 |
施設等
隣保館
- 美濃市美濃会館 - 岐阜県美濃市2057番地
- 本巣市中野会館 - 岐阜県本巣市七五三1546番地
- 岐阜市黒野共栄館 - 岐阜県岐阜市下鵜飼1564番地3
- 大垣市あづま会館
- 大垣市若森会館 - 岐阜県大垣市南若森町2丁目20
- 山県市美里会館 - 岐阜県山県市高富1287番地1
- 御崇町みたけ会館 - 岐阜県可児郡御嵩町御嵩1502番地
- 養老町福祉センター - 岐阜県養老郡養老町高田79番地の2
小集落改良住宅
垂井町
- むつみ住宅 - 垂井町表佐2125番地の1
同和対策集会所
- むつみ会館 - 垂井町表佐2113番地の1
教育集会所
- 岐阜市早田教育集会所 - 岐阜市早田東町一丁目67番地
- 本巣市北屋井集会所 - 本巣市屋井1353
- 養老町むつみ集会所 - 養老郡養老町三神町333番地の1
- 養老町新宮集会所 - 養老郡養老町橋爪523番地
- 養老町泉集会所 - 養老郡養老町泉町222番地の2
- 養老町のぞみ集会所 - 養老郡養老町三神町148番地の1
人権啓発センター
- 人権啓発センター - 岐阜県可児市下恵土233-1
- 可児市役所 人権啓発センター - 岐阜県可児市下恵土5166−1
関連団体
- 部落解放同盟岐阜県連合会 - 岐阜県岐阜市下奈良二丁目2-1
- 部落解放同盟岐阜県連合会養老支部 - 岐阜県養老郡養老町三神町345
- 部落解放同盟岐阜県連合会大垣支部 - 岐阜県大垣市南若森町708-1
- 部落解放同盟岐阜県連合会早田支部
- 部落解放同盟岐阜県連合会垂井支部
- 部落解放同盟岐阜県連合会美濃支部
- 部落解放同盟岐阜県連合会高山支部
- 部落解放同盟岐阜県連合会関支部
- 部落解放同盟西濃地区協議会
- 自由同和会岐阜県本部 - 岐阜県岐阜市薮田南5-14-12岐阜県シンクタンク庁舎本館5F
- 自由同和会岐阜県本部 - 岐阜県岐阜市司町1 岐阜総合庁舎内
- 自由同和会本部事務局 - 岐阜県岐阜市古市場85-2
- 全日本同和会岐阜県連合会本部 - 岐阜県岐阜市白山町2−8−3
- 全日本同和会中東濃支部 - 岐阜県関市栄町1-34
- 岐阜県民主同和促進協議会 - 岐阜市下奈良、岐阜県福祉農業会館内(略称「民同協」。会長は北原泰作。県内の20ヵ所の部落のうち12ヵ所に支部があった)
「岐阜県同和会」が岐阜県岐阜市司町1にあり、自由同和会岐阜県本部と所在地が一致している。
POP TATARI
岐阜県(後半)
岐阜県下ブラク起源(岐阜水平社本部調査部、1926年)
『自由新聞』1926年5月1日付6頁
部落所在地
由来
現在地
備考
稲葉郡 那加村 向野 70年前尾張国清洲より原野開墾の為来住せるものなり。 各務原市 那加太平町1丁目
稲葉郡 黒野村 黒野 文禄年中、黒野城主加藤貞泰が甲斐の国谷村城より移封の際、多く来住せしが右慶長15年伯耆国の米子城へ移封の際多くは従ひ転ぜしが3戸残留し爾来戸数増加したるは豊木村、三城村等から同人が来住したるなり。 岐阜市 黒野、下鵜飼
稲葉郡 島村 馬場 天正4年、織田信長近江国安土城を築きて、右同地の部落民をこの地に移住せしめたるなり。
岐阜市 早田東町1丁目 長良川の新しい堤防より川側。
海津郡 城山村
十番地 160年前、養老郡多芸村大墳より来住せり。 海津市 南濃町駒野
養老郡 多芸村 大墳 寛永11年摂津の国尼ケ崎城主戸田采女正氏鉄が、大垣城に移封の際、同地より6戸を招致し居住せしが起源なり。 養老郡 養老町 三神町
養老郡 日吉村 中村 明治3年大墳より開墾の為来住せるなり。 養老郡 養老町 養老町中
養老郡 時村 字下出 慶長7年頃、多良村へ高木三家の封せられし時城山村より召致し居住せしむ。下山の誤記の可能性あり。 大垣市 上石津町下山
不破郡 表佐村 南屋敷 往古、南宮神社美濃中山に鎮座の際、随従し来るものなり。 不破郡 垂井町 表佐
大垣市 若森町 明治の初年、滋賀県の同人が来住せるによる。 大垣市 南若森町
安八郡 三城村 沢渡 起源詳らかならず。 大垣市 東町
揖斐郡 池野村 観音堂 4、50年前大墳より移住せり。 揖斐郡 池田町 六之井
揖斐郡 本郷村 数百年前、京都より移住し来たり其後各地より来居せるなり。 揖斐郡 池田町 本郷
本巣郡 北方町 円郷寺 京都の公卿、武士の零落せる者が移住せるなり。武芸に長じ正徳年間より明治維新迄当地の代官の命を受け罪人逮捕訊問役を務む。 本巣郡 北方町 北方 円郷寺
本巣郡 土貴野村 中野 明治初年、大墳より来住せり。 本巣市 七五三
本巣郡 土貴村(ママ) 屋井 起源詳細ならず。おそらく土貴野村の脱字 本巣市 屋井
山県郡 高富町 野崎 天文年間土岐の重臣、恩田八郎に仕えしが土岐氏没落の折に本庄氏に仕えしものなり。
山県市 高富 現在の高富郵便局(高富1626)の南の道路と高富小学校(高富1079)の北側の道路に挟まれた地域周辺。
武儀郡 美濃町 新町 往古大矢田村亀蔵庵に住せしが慶長年間領主、金森氏、その弓術の長ぜるを賞し現在の地を賜りて来住せるより増加したるなり。 美濃市 新町
武儀郡 関町 柳町 正応年間、大和国春日神社当町に分霊したる際、其地より随従し来たりたる神職なり。 関市 柳町
可児郡 御嵩町 家康、関ヶ原の戦後、西軍の残党をこの地に居住せしめ、普通民との社交、同火を禁じたりしが起源なり。 可児郡 御嵩町 御嵩 字島垣外
可児郡 兼山町 下町 兼山城主、森武蔵守に仕へ、皮革業をしたるを始めとす。 可児市 兼山 下町 35.455551, 137.089500付近が下町。『全國部落調査』の柳町とは1キロほど離れている。
恵那郡 岩村 梨三木(ママ) 慶長年間藩主、松平和泉守信州小諸町より皮革業者を招致したるが起源なり。梨ノ木(梨の木)の誤記か。 恵那市 岩村町 朝日町
大野郡 高山町 漆町 天正年中国司、金森長近其の家臣今井六左衛門をして陣太鼓を作らしめしに其技能優秀なりしを以て、事業の絶滅を惜しみ同人をして、皮革職の取締りを命じたり、其後裔と、天正年中金森氏の為に没落せられたる三木氏の臣、藤瀬新蔵一〓(ママ)の漂涙(ママ)せる者並に金森氏入国の際、応援したる細民及天明天(一字不詳)の饑饉の際加はりたる窮民等 高山市 大新町
吉城郡 小鷹利村 上野 300年前万歳楽を舞ひ廻国する者、之の地に土着せり。 飛騨市 古川町上野
吉城郡 古川町 上野 小鷹利村と同族。 飛騨市 古川町 吉城郡古川町に上野はない。『全國部落調査』に記載のある吉城郡古川町是重(現・飛騨市古川町是重)と同じ地区の可能性あり。
「以上は私等の調査した所であるが、この外二軒屋、三軒屋と云つたやうなのも二三あると聞いて居る」
23 octobre 2017
POP TATARI
大阪府(後編)
4地区実態調査報告書(2012年)
書誌情報
4地区共同まちづくり研究会・4地区実態調査報告書
発行日 | 2012年11月 |
著者 | 大阪市立大学都市研究プラザ 4地区共同まちづくり研究会 |
見られる場所
インターネット
・ メディア 4地区実態調査報告書pdfファイル
大阪市の同和地区の範囲を地図で描画しており、現在の地図と対比させることで容易に同和地区が特定できるように作成されている。大阪市立大学都市研究プラザ 4地区共同まちづくり研究会「4地区共同まちづくり研究会・4地区実態調査報告書」には、大阪市内の同和地区として加島地区、浅香地区、矢田地区、平野地区の大まかな位置が掲載されている。このうち加島地区、浅香地区、矢田地区は同和地区の地図まで掲載されている。正にインターネット版部落地名総鑑と呼べる報告書である。
研究を標榜して部落民を暴くこの部落地名総鑑の作成者は以下の通りである。
■4支部側(部落解放同盟)塩根仁(浅香支部支部長)西岡嘉裕(加島支部支部長)小野栄一
(矢田支部書記長)
野村竜一(加島支部書記次長)林佐智代(三座建築事務所)
■研究者側福原宏幸(大阪市大経済学研究科)中山徹(大阪府大)
水内俊雄(大阪市大都市研究プラザ) 阿久澤麻里子(大阪市大創造都市研究科)
瀬田史彦(東京大学工学系研究科)
全泓奎(大阪市大都市研究プラザ)川野英二(大阪市大文学部)木村義成(大阪市大文学部)
佐藤由美(大阪市大都市研究
プラザ)熊本理沙(近畿大学)水野有香(名古屋経済大学) 妻木進吾(目白大学) 本岡拓哉
(同志社大学)若松司(大阪
市大都市研究プラザ)稲田七海(大阪市大都市研究プラザ)平川隆啓(大阪市大都市研究プラザ)
池谷啓介(大阪市大都市
研究プラザ) 葛西リサ(大阪市大都市研究プラザ) 松原仁美 (大阪市大都市研究プラザ)
コルナトフスキ・ヒエラルド
(Geerhardt Kornatowski)(大阪市大都市研究プラザ)
報告書は2012年に作成されており、部落解放同盟がいまだに組織的に部落地名総鑑の作成に関与していることが明らかとなった。
暴露された同和地区は
- 矢田地区:大阪府大阪市東住吉区矢田5丁目、6丁目(7番除く)、住道矢田3丁目1番及び2番
- 浅香地区:大阪府大阪市住吉区浅香1丁目(7、8番除く)、2丁目、苅田10丁目8番及び11番
- 加島地区:大阪府大阪市淀川区加島1丁目31~34番、36番(山陽新幹線以北のみ)、37~49番、58~60番
である。
大阪市 阿久澤麻里子氏が暴露した同和地区。
矢田地区 阿久澤麻里子氏が暴露した同和地区。
矢田地区
加島地区、阿久澤麻里子氏が暴露した同和地区。
加島地区
浅香地区、阿久澤麻里子氏が暴露した同和地区。
浅香地区
という感じで特殊部落を特定出来てしまう。
では、特殊部落を暴露した阿久澤麻里子氏とはどんな人物か?
「鳥取県人権教育基本方針」編集委員。内田龍史と共に部落問題を研究している。
阿久澤麻理子は部落地名総鑑『4地区実態調査報告書』の作成者の一人である。阿久澤麻理子等が部落解放同盟員
- 塩根仁(浅香支部支部長)
- 西岡嘉裕(加島支部支部長)
- 小野栄一(矢田支部書記長)
- 野村竜一(加島支部書記次長)
と共に暴露(アウティング)した同和地区は
- 矢田地区:大阪府大阪市東住吉区矢田5丁目、6丁目(7番除く)、住道矢田3丁目1番及び2番
- 浅香地区:大阪府大阪市住吉区浅香1丁目(7、8番除く)、2丁目、苅田10丁目8番及び11番
- 加島地区:大阪府大阪市淀川区加島1丁目31~34番、36番(山陽新幹線以北のみ)、37~49番、58~60番
である。 〔上記と同じ、暴露した地図は上記と同じ〕
これに対してまたしても、しゃしゃり男の川口泰司は「全国人権・同和教育研究大会」に参加し、阿久澤麻理子の講演について以下のように報告している。
2、「ヘイト」-差別扇動が提起すること
①京都朝鮮学園に対する襲撃事件(⇒マイノリティがアイデンティティを顕現さ
せれば、攻撃が自分に向くかもしれないという恐怖)、
②徳島県教組襲撃事件(⇒当事者のアイデンティを攻撃し、「つながり」を奪う行為)
阿久澤麻理子は部落解放同盟や行政が発刊した数多くの部落地名総鑑を黙殺し、それら文献によりアウティングされた部落民の被害者を存在しないものとして扱っている。
また阿久澤麻理子自身も部落地名総鑑『4地区実態調査報告書』を作成していた事実を 阿久澤麻理子は以下のように報告している。
<阿久澤さん> 部落の実態調査を国が最後にしたのは総務庁による1993年の調査です。2002年に「地域改善対策特定事
業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」が期限切れしてから13年。法律がないから対象地域がないことになり、ここ
が部落であるとか、この人が出身者であると名指すようなことは差別につながるといった意識が強くなってきていると思い
ます。実態調査は、自治体によっては実施しているけれど、多くのところではできなくなってきています。そうしたなか、
市民社会の側から調査を行うことは大きな意味があると思います。
このように阿久澤麻理子は市民による部落調査を是認している。部落解放同盟は、とあるサイト(鳥取ループ氏)ではない)を提訴しているが、自治体による部落の実態調査を是認し、市民による部落の調査を差別扱いしているが、阿久澤麻理子の見解はこれと真逆であり、注目すべきものである。
なお阿久澤麻理子自身は以下のように姫路市の部落を暴露している。
調査に先立ち、姫路市と、市の市民啓発について簡単に触れておく。姫路市は、兵庫県南西部に位置する中核市であり、
本調査のサンプリングを実施した2011年9月30日現在での人口は544,786人である。JR山陽本線で大阪まで1時間、神戸
まで約40分という位置にあり、近年宅地化が急速に進んだが、特に北西部での農業、播磨灘での漁業も盛んである。また、
第二次産業では製鉄、エレクトロニクス産業、化学薬品製造などを中心とした大規模工場も立地しているほか、地場産業と
して皮革関連産業がさかんである。兵庫県は全国の牛皮生産の7割を占める産地として知られるが、姫路は隣接するたつの
市と並んで、その中心地である。市内東部を流れる市川とその支流の水流を利用した革なめしのほか、にかわやゼラチン
、コラーゲンの最大の生産でもあり、姫路市の被差別部落は、地場産業の担い手である。それゆえ、姫路市の学校教育や
市民啓発では、こうした地場産業の歴史やそれにまつわる先人の取り組みも、さかんに取り上げられてきた。なお、地場産
業としての部落産業の存在や、こうした取り組みも姫路市民の同和地区や同和問題の認知度に影響していると思われる。本
調査での認知度は、8割以上あった。
部落解放同盟が公開し、また、多くの書物を発行する。それを堂々と暴露した上で興味本位なら別だけれど真摯に考えてど
うすれば差別がなくなるのか?と考えるサイトを提訴したり、自ら蒔いた種も自ら刈れず挙句、提訴したりする部落解放同
盟こそが新の差別を拡張し誇張していると思える。「差別至上主義的な考えではなかろうか?」
そして、同じく内田龍史とはどんな人物なのだろうか?少し話はずれるがこの際、書いてみようと思う。
このブログを拝見されている方々ならご存知の東京と兵庫の特殊部落を暴露した人物である。
部落解放・人権研究所研究員の内田龍史は
国勢調査小地域集計から見る 神戸市B地区の変化と現状 - 部落解放・人権研究所」という論文の中で「本稿で取りあげる
のは、兵庫県神戸市長田区に所在するB地区である。B地区は、江戸期には長田村に属する「糸木」と呼ばれ、明治期には
「西野」とも呼ばれるようになった。1889年に長田村など8カ村が合併して林田村となり、1896年には林田村が神戸市に合併さ
れたのにともなって「西野」も神戸市に編入された。1907年の道路区画整理の完成に際し、「B」の名で呼ばれるようになっ
た。と、兵庫県の番町地区が同和地区であることを暴露している。
東京新聞は以下のように報じている。
尚絅学院大の内田龍史准教授(社会学)は「江戸にはニ百四十八カ所の被差別部落があったようだ。しかし都は、関東大震
災や空襲で街が破壊されたとし、全国の自治体で唯一、同和地区を指定しなかった」と解説する。東京以外の自治体は、一
九六九年の同和対策事業特別措置法制定と前後し、被差別部落を同和地区に指定して、住環境の改善などに取り組んだ。そ
の結果、多くの被差別部落が可視化された。差別の固定化につながりそうだが、内田准教授は「研究の結果、部落の出身者
と知って普段から接触がある人の方が、接触のない人よりも『部落は恐い』といった偏見は信じにくいことが分かった」と
言う。「逆に可視化されない場合、差別を受けた本人が、部落出身だと周囲に知られるのを恐れ、被害を訴えられない。こ
の問題は『寝た子を起こすな』式に黙殺していても解決しない」(東京都を参考)
勿論同和地区指定をしなかった都道府県は他にもあり、これは明白な誤りであるが、東京新聞の誤報によるものか、
内田龍史の誇張によるものかは定かでない。何れにせよ内田龍史が被差別部落を可視化したがっていることは確かである。
ここでの問題はも部落解放同盟が自ら製作した書物など、また、ITなど安易に検索されるであろうと思われる物を・・・そ
れが興味本位で他者に閲覧される事に対しての不快感。その事でとある、サイトを見つけると糾弾したり、提訴したりと本
来の部落解放の趣旨が間違えていないのか?という点である。
では、また、大阪府に戻り施設等を上げておきましょう。
大阪府の施設と、関連団体
施設等
関連団体
- 部落解放同盟中央本部大阪事務所 - 大阪府大阪市浪速区久保吉1-6
- 部落解放同盟日之出支部 - 大阪府大阪市東淀川区西淡路1-8
- 部落解放同盟西成支部 - 大阪府大阪市西成区中開3-1
- 堺市役所部落解放同盟大阪府連合会堺支部 - 大阪府堺市協和町2丁-61
- 部落解放同盟松原支部 - 大阪府松原市南新町3丁目7-34
- 部落解放同盟大阪府連鶴原支部 - 大阪府泉佐野市上瓦屋222
- 部落解放同盟下瓦屋支部 - 大阪府泉佐野市上瓦屋610
- 部落解放同盟樫井支部 - 大阪府泉佐野市南中樫井476
- 部落解放同盟大阪府連合会鳴滝支部 - 大阪府泉南市樽井2349
- 部落解放同盟和泉支部 - 大阪府和泉市伯太町6-1
- 部落解放同盟沢良宜支部 - 大阪府茨木市沢良宜浜3-12
- 部落解放同盟高槻富田支部 - 大阪府高槻市富田町4-15
- 部落解放同盟鳴滝支部 - 大阪府泉南市信達市場2628
- 部落解放同盟大阪府連合会安中支部 - 大阪府八尾市南本町8丁目1-21
- 部落解放同盟大阪府連合会杉原支部 - 大阪府豊能郡能勢町杉原30-2
- 部落解放同盟荒本支部(のち部落解放同盟全国連合会荒本支部となる) - 大阪府東大阪市荒本2丁目5−31
- 部落解放同盟全国連合会中央本部 - 大阪府東大阪市荒本862-2(上記荒本2丁目5−31と同じ場所かどうかは要調査)
- 部落解放同盟全国連合会寝屋川支部 - 大阪府寝屋川市明和1丁目25-14
- 部落解放同盟全国連合会野崎支部 - 大阪府大東市野崎1丁目21-25
- 部落解放同盟全国連合会北摂支部
解放同盟の支部がある部落は大阪府内に47地区である。
- 自由同和会大阪府本部 - 大阪府堺市宿屋町1丁-22 三徳ビル3F
- 自由同和会東大阪支部 - 大阪府東大阪市島之内1丁目2-16-503
- 自由同和会吹田支部 - 大阪府吹田市岸部中1-11
- 自由同和会浅香支部 - 大阪府大阪市住吉区浅香2-2
- 自由同和会大阪府連合会住吉支部 - 大阪府大阪市住吉区帝塚山東5-6
- 全日本同和会大阪府連合会 - 大阪府大阪市北区中津1丁目2−18
- 全日本同和会大阪府連合会 - 大阪府大阪市中央区大手前1-6
- 全日本同和会大阪府連合会 - 大阪府大東市野崎1-6-38
- 全日本同和会大阪府連合会和泉支部 - 大阪府和泉市観音寺町656
- 全日本同和会大阪府連合会東支部 - 大阪府大阪市中央区北浜1-5
- 全日本同和会大阪府連合会西支部 - 大阪府大阪市西区本田2-7
- 全日本同和会大阪府連合会枚方支部 - 大阪府枚方市樋之上町9
- 全日本同和会大阪府連合会東成支部 - 大阪府大阪市東成区東小橋1-18
- 全日本同和会大阪府連合会八尾支部 - 大阪府八尾市桜ケ丘3-101
- 全日本同和会茨木支部 - 大阪府茨木市稲葉町5
- 全日本同和会福島支部 - 大阪府大阪市淀川区十三本町1-24
- 全日本同和会城東支部 - 大阪府大阪市城東区関目3-16
- 全日本同和会寝屋川支部 - 大阪府寝屋川市国守町1404
- 民権連(大阪) - 大阪府大阪市浪速区塩草2-2-31
- 全国水平同盟西郡支部 - 大阪府八尾市高砂町3-85-6
- 全国水平同盟高槻支部 - 大阪府高槻市川添1-18-1
- 全国新同和連合会関西統括本部 - 大阪府大阪市福島区玉川2丁目9−17
「全国新同和食肉事業協同組合連合会」が大阪府大阪市福島区吉野1丁目5−17にある。
人権啓発センターなど
- 人権啓発情報センター - 堺市堺区宿屋町1丁1番22号 三徳ビル3階
- 堺市立人権ふれあいセンター - 堺市堺区協和町2丁
- 大阪人権博物館 - 大阪市浪速区浪速西3−6−36
- ふらっと 人権情報ネットワーク - 大阪市港区波除4丁目1番37号 HRCビル9階
- (同じビルに部落解放同盟大阪府連
- 合会や解放新聞社が入っている)
- 和泉市立人権文化センター本館 - 和泉市伯太町六丁目1番20号
- 和泉市立市民文化ホール - 和泉市伯太町六丁目1番20号
- 和泉市立人権文化センター王子町分館 - 和泉市王子町二丁目2番12号
- 和泉市立人権文化センター幸分館 - 和泉市幸三丁目1番16号
- 堺市立舳松歴史資料館 - 堺市協和町2丁目61堺市立解放会館内
- 富田林市立人権文化センター - 富田林市若松町一丁目9番12号
- 大東市立北条人権文化センター - 大東市北条三丁目10番5号
- 大東市立野崎人権文化センター - 大東市野崎一丁目24番1号
- 大東市立人権教育啓発センター - 大東市谷川一丁目1番1号
- 箕面市立萱野中央人権文化センター - 箕面市萱野一丁目一九番四号
- 箕面市立桜ケ丘人権文化センター - 箕面市桜ケ丘四丁目一九番三号
- 羽曳野市立人権文化センター - 羽曳野市向野2丁目9番7号
- 東大阪市立長瀬人権文化センター - 東大阪市長瀬町三丁目4-3
- 東大阪市立荒本人権文化センター - 東大阪市荒本二丁目6-1
- 泉南市立人権ふれあいセンター - 泉南市樽井九丁目16番2号
- 島本町立人権文化センター - 三島郡島本町広瀬二丁目22番27号
- 池田市役所解放会館(現・池田市立人権文化交流センター「ふらっとイケダ」) - 池田市古江町523-1
解放住宅
その他
等
- 大阪市立市民交流センターなにわ - 大阪府大阪市浪速区浪速西1-3-10
- 大阪市立市民交流センターよどがわ - 大阪府大阪市淀川区加島1-58-8
- 大阪市立市民交流センターひがしよどがわ - 大阪府大阪市東淀川区西淡路1-4-18
- 大阪市立市民交流センターあさひ西 - 大阪府大阪市旭区生江3-17-2
- 大阪市立市民交流センターあさひ東 - 大阪府大阪市旭区清水5-6-32
- 大阪市立市民交流センターすみよし南 - 大阪府大阪市住吉区浅香2-1-9
- 大阪市立市民交流センターすみよし北 - 大阪府大阪市住吉区帝塚山東5-3-21
- 大阪市立市民交流センターひがしすみよし - 大阪府大阪市東住吉区矢田5-8-14
- 大阪市立市民交流センターひらの - 大阪府大阪市平野区平野市町3-8-22
- 大阪市立市民交流センターにしなり - 大阪府大阪市西成区長橋2-5-33
- 茨木市立総持寺いのち・愛・ゆめセンター - 大阪府茨木市総持寺2-5-36
- 茨木市立沢良宜いのち・愛・ゆめセンター - 大阪府茨木市沢良宜浜3-12-19
- 茨木市立豊川いのち・愛・ゆめセンター - 大阪府茨木市豊川4-4-28
- 茨木市立豊川いのち・愛・ゆめセンター分館 - 大阪府茨木市豊川5-10-28
- 高槻市立春日ふれあい文化センター 高槻市春日町22-1
市町村別調査結果(今回は、神奈川のような調査が出来ている調査結果は別リンクに、また、
滋賀県のようなところはそのままで現しています。大阪のようなある程度判明しているところはある
程度リンクは貼りません。例外はあります。)
- 大阪市
- 特筆すべきは、大阪市同和事業促進協議会が10年に一度記念誌を発行しており、そこに市内同和事業の概況が記されていることである。また、市が発行した文書も数多くあり、最も同和事業の記録が残されている自治体とも言える。
文献
- 地区数
- 10年の歩み 1963年 14
50年のあゆみ 2003年 12
- (10年の歩みの14から50年のあゆみの12)途中で地区数が減ったのは、中津と舟場が国の同和対策事業対象とされなかったからと考えられる。
- 大阪の同和事業と解放運動によれば、西成地区は出城、三開、長橋の3地区からなるが、同和対策事業ではまとめて1つの地区として扱われたようである。似たような状況として新大阪駅周辺の日之出、飛鳥、南方は隣接しているため、昨今はまとめて「新大阪地区」として扱われることもあるようである。
•生江
•両国
•浪速
•住吉
•西成
•浅香
•加島
•日之出
•平野
•矢田
•飛鳥
•南方
•舟場
•中津
(14地区)
- 豊中市
概況
大阪の同和事業と解放運動(大阪府の中編の職業を参考)には、「岡町」「上麻田」「下麻田」の3箇所の同和地区があるとされる。しかし、後者の2地区は隣接しており、まとめて「蛍池」として扱うべきだろう。
域内同和地区
・岡町
・蛍池
(2地区)
- 箕面市
域内同和地区
・桜ヶ丘
・北芝
(2地区)
- 池田市
・池田市役所解放会館(現・池田市立人権文化交流センター「ふらっとイケダ」) - 大阪府池田市古江町 523-1 072-752-6395
(1区間)
- 能勢郡能勢町
域内同和地区
・下田
(1地区)
- 豊能郡豊能町
域内同和地区
・野間口
(1地区)
- 高槻市
域内同和地区
・富田
・春日
・梶原
(3地区)
・吹田市
域内同和地区
・岸部中
・垂水町
(2地区)
・茨木市
域内同和地区
・沢良宜
・中城
・道祖本
(2地区)
・摂津市
域内同和地区
・鳥飼野々
(1地区)
・三島郡島本町
域内同和地区
・広瀬
(1地区)
・堺市
域内同和地区
・協和町
(1地区)
・和泉市
域内同和地区
・八坂町
・王子二区
(2地区)
・貝塚市
域内同和地区
・東之町
(1地区)
・泉佐野市
域内同和地区
・下瓦屋
・鶴原
・樫井
(3地区)
・泉南市
域内同和地区
・鳴滝
(1地区)
・泉南郡岬町
域内同和地区
・淡輪
(1地区)
・守口市
域内同和地区
・梶北
(1地区)
・大東市
域内同和地区
・北条
・野崎
(2地区)
・富田林市
域内同和地区
・新堂
(1地区)
・松原市
域内同和地区
・更池
(1地区)
・羽曳野市
域内同和地区
・向野
(1地区)
・藤井寺市
域内同和地区
・林
(1地区)
同和地区がない市町村
関連事件
中学生をガールズバーで働かせた店長ら逮捕18歳未満の少女と知りながら女子中学生3人をガールズバーで働かせたなど
として、大阪府警曽根崎署は25日、大阪市北区曽根崎のガールズバー「スタイリッシュバー フェリーチェ」の店長・森
翔容疑者(31)=同市城東区=と、経営者の中定幸一容疑者(40)=同市淀川区=を、児童福祉法違反と労働基準法違
反の疑いで逮捕したと発表した。同署によると、12日午前1時15分ごろ、周辺を巡回していた署員がビラ配りをしてい
る女子生徒2人を発見。2人は最初は「19歳」と申告したが、14歳と15歳であることを認め、署員が店内に入ると、
さらに別の14歳の女子生徒がいたという。女子生徒らはツイッターに「ガールズバーのようなところでアルバイトがした
い」と書き込み、それを見た第三者が3人に森容疑者を紹介。11日の夜が初出勤だった。同署によると、森容疑者は指定
暴力団山口組から分裂した神戸山口組の中心組織・宅見組の参加組織の組員。「15歳以下だと知っていた」と容疑を認め
ている。中定容疑者は「店のことは任せていたので知らない」と容疑を否認しているという。(スポーツ報知 2015年11月
25日(水)19時25分配信)
マンションで女性刺殺、三帰釈迦容疑者を逮捕22日午後、東京・目黒区のマンションで弁当販売店に勤める女性が腹など
を刺されて殺害された。警視庁は22日夜、元同僚の男を殺人の疑いで逮捕した。 逮捕されたのは東京・港区に住む無職
・三帰釈迦容疑者(20)。警視庁の調べによると、三帰容疑者は22日午後3時ごろ、目黒区のマンションの一室で、弁
当販売店従業員・嶋崎淳子さん(44)を刃物で刺して殺害した疑いが持たれている。三帰容疑者は事件後も現場近くにと
どまり、警視庁によると、ズボンのポケットからは血の付いた手袋が見つかったという。 警視庁の調べに対し、三帰容疑
者は「仕事をもらいにいったが、冷たくされたので刺した」などと容疑を認めている。
※三帰(みき)姓は大阪府泉佐野市鶴原にある浄土真宗の光泉寺の僧侶による明治新姓で部落姓。大阪府には現存せず。た
だし三帰釈迦の場合、幼時に父母に離婚され母と再婚相手に育てられており、三帰は養父の姓の可能性あり。
詐欺:水増し請求の2人、容疑で逮捕−−延岡署 /宮崎延岡市の設備工事会社「清本鉄工」から約束手形3通(額面総額約830万円)
をだまし取ったとして、県警捜査2課と延岡署は17日、同市北一ケ岡、元同社事業部長、野嶋博(58)=懲戒解雇=と、
取引先の兵庫県宝塚市、専門商社社長、茂幾忠昭(65)の両容疑者を詐欺容疑で逮捕した。逮捕容疑は2009年8月、
2人は共謀して、清本鉄工が発注したステンレス製パイプの納品数を水増しし、約70万円を上乗せした請求書を同社に送付
。約束手形を茂幾容疑者の会社に郵送させ、水増し分を含む約830万円をだまし取ったとしている。いずれも容疑を認めて
いるという。県警によると、社内調査で不正を見つけた清本鉄工が昨年9月、延岡署に相談していた。被害総額は数億円に上
るとみられ、余罪を追及している。
元市議会議長ら、横領容疑で逮捕 大阪・泉佐野市大阪府泉佐野市の社会福祉法人「水平会」から約675万円を横領した
として、府警は27日、同府貝塚市福田、元泉佐野市議会議長で同会理事長の与浦政義容疑者(52)ら4人を業務上横領
容疑で逮捕した。 与浦容疑者らは01年4月から02年11月までの間、大池容疑者にわずかな労務実態しかないのに、月
35万円の職員給与を支払ったように偽装して、計675万円を横領した疑い。
※2000年電話帳では大阪府泉佐野市鶴原1506-1に同姓同名の登録がある。
22 octobre 2017
POP TATARI
大阪府(中編 2)
市同促協創立50周年記念誌 50年の歩み(2003年)
市同促協創立50周年記念誌 50年のあゆみ
発行日 | 2003年2月10日 |
発行所 | 社団法人大阪市人権協会・市同促協創立50周年記念事業実行委員会 |
発行人 | 中本順一 |
同和地区名のみならず地番まで書かれ、しかも特措法の終了後に発行された、きわめて異例な文献である。発行所の大阪市人権協会は資金不足により2012年に解散した。
この冊子は大阪市およびその周辺の図書館等で見ることができたが、最近は大阪府内では閲覧が困難になっている。
発行人の中本順一は大阪市同和事業促進協議会のウェブサイトで
私達は「同和地区出身者」として身元を暴かれ、人生の節目とも言える就職・結婚時の
差別され排除されることに憤り憶えるとともに、人権侵害事件に対して、何らの救済手段
を持たない日本の人権状況に憂いを感じざるをえません。
などと述べている。
『50年のあゆみ』は全国の公共図書館、大学図書館で何者からかの要請により閲覧制限図書に指定された、正真正銘の部落地名総鑑である。(ただし、40年のあゆみと違って国立国会図書館では閲覧可能。)
そして、大阪府の部落の中編で紹介した「40年のあゆみ」と同様なやり取りが川口氏とのやり取りが見られる。
(大阪偏の市同促協創立40周年記念誌 40年のあゆみを参考)
2003年にもなってこのような書物を出せなきゃいいのに。。。。。
見られる場所
- 国立国会図書館
- 大阪市立中央図書館(現在閲覧不可)
等
内容
p267-386 大阪市内の同和地区の詳細情報解説 (50年の歩み地図紹介)pdfファイル
生江地区 大阪市旭区生江3丁目の一部
両国地区 大阪市旭区清水4・5丁目の一部
浪速地区 大阪市浪速区浪速東1丁目〜3丁目・浪速西1丁目〜4丁目・木津川2丁目・久保吉1丁目の一部・大国町1丁目〜3丁目・戎本町1丁目の一部
住吉地区 大阪市住吉区帝塚山東5丁目、万代6丁目、上住吉1丁目の一部
西成地区 北開1〜2丁目、中開1〜3丁目、南開1〜2丁目、出城1〜3丁目、長橋1〜3丁目、鶴見橋1〜3丁目、旭1〜3丁目、北津守1〜4丁目
浅香地区 大阪市住吉区浅香1・2丁目、苅田10丁目の一部
加島地区 大阪市淀川区加島1丁目の一部
日之出地区 大阪市東淀川区西淡路1丁目の一部・2丁目の一部、淡路1丁目の一部、東中島1丁目の一部・4丁目の一部・5丁目の一部
平野地区 大阪市平野区平野市町3丁目の一部
矢田地区 大阪市東住吉区矢田5丁目・6丁目・住道矢田3丁目の一部
飛鳥地区 大阪市東淀川区東中島3丁目と2・5丁目の一部
南方地区 大阪市東淀川区東中島2丁目及び1丁目の一部
著者一覧
- 中本順一←部落解放同盟中央委員。
- 南田秀雄←部落解放同盟加島支部長。
- 戸田政義←部落解放同盟矢田支部長。矢田事件で有罪。
- 南元秀彌
- 岡山武史←部落解放同盟浪速支部長
- 山崎正明
- 土橋孝博
- 片山悦夫
- 壺阪敏幸←大阪市健康福祉局長
- 山田啓二郎
- 木下茂
- 南田勇次
- 安永静夫
- 岸本里美
- 山田理美
- 井川蝶子
- 二口亮治
- 中嶋正春
- 草静夫
- 宮花信二
本書を引用する文献
「社会学評論」(Vol.62(2011-2012) No.4 p.489-503)「貧困・社会的排除の地域的顕現 再不安定化する都市部落」(妻木進吾 目白大学社会部地域社会科)
18 septembre 2017
POP TATARI
大阪府(中編)
大阪の同和事業と解放運動(1958年)
大阪の同和事業と解放運動―大阪府同和事業促進協議会史―
発行日 1977年5月10日
編集者 財団法人大阪府同和事業促進協議会
発行所 社団法人部落解放研究所
発行人 村越末男
- p25 大阪府内の市区郡別同和地区数・人口・戸数(1949年7月大阪府社会課調査)
- p54-55 大阪府内の同和地区名と同和対策事業の実施状況一覧表
- p76 大阪府内の全ての同和地区の地名、戸数、人口、主な産業(1958年9月30日調査)
市町村名 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主な産業 |
---|---|---|---|---|
大阪市西成区 | 出城、三開、長橋 | 6,740 | 30,826 | 皮革産業 |
大阪市東住吉区 | 平野浜町 | 180 | 884 | 土方 |
大阪市東住吉区 | 矢田富田町 | 591 | 2,460 | 行商(ウメ、ショウガ) |
大阪市住吉区 | 住吉町 | 335 | 1,423 | 行商(アオタ) |
大阪市住吉区 | 浅香町 | 520 | 2,580 | クズ物行商 |
大阪市東淀川区 | 飛鳥町 | 431 | 1,687 | 日雇、土工 |
大阪市東淀川区 | 日ノ出町 | 420 | 1,596 | 日雇、土工、クツ修理 |
大阪市東淀川区 | 南方町 | 220 | 980 | 行商(アオタ)、日雇、土工 |
大阪市東淀川区 | 加島町 | 362 | 1,507 | ホウキ製造、ハタキ荒物行商 |
大阪市大淀区 | 中津 | 131 | 590 | 雑業 |
大阪市旭区 | 両国町 | 110 | 503 | 農業 |
大阪市旭区 | 生江町 | 920 | 4,600 | 日雇、土工 |
大阪市浪速区 | 栄町 | 2,096 | 9,432 | 皮革産業 |
大阪市北区 | 舟場町 | 82 | 399 | クツ材料商 |
堺市 | 協和町 | 1,936 | 7,358 | クズ物行商、日雇、土方 |
泉佐野市 | 下瓦屋南 | 65 | 271 | 針線業 |
泉佐野市 | 鶴原東 | 301 | 1,269 | 針線業 |
泉佐野市 | 樫井西 | 233 | 1,122 | 土工、クズ物行商 |
富田林市 | 新堂 | 387 | 1,712 | スダレ産業、土工、クツ職人 |
松原市 | 更池 | 718 | 1,728 | 食肉(トサツ業) |
大東市 | 北条 | 200 | 2,050 | クズ物行商、土工 |
大東市 | 野崎 | 160 | 550 | 土工 |
箕面市 | 桜ヶ丘 | 40 | 200 | 土工、手伝人 |
箕面市 | 北芝 | 125 | 625 | ハナ行商 |
八尾市 | 西郡 | 1,071 | 4,331 | ハナオ産業、土工、日雇、手伝人 |
八尾市 | 八尾座 | 61 | 248 | ニカワ産業、日雇 |
羽曳野市 | 向野 | 599 | 2,628 | 食肉(トサツ業) |
守口市 | 梶北 | 20 | 106 | 農業 |
布施市 | 荒本 | 320 | 1,500 | 日雇、再生グツ |
布施市 | 北蛇草 | 430 | 2,000 | ブラシ産業、再生グツ |
貝塚市 | 東之町 | 533 | 2,381 | クズ行商、土工、クツ職人 |
豊中市 | 岡町 | 150 | 900 | 食肉(トサツ業) |
豊中市 | 上麻田 | 81 | 340 | 農業 |
豊中市 | 下麻田 | 40 | 226 | 竹細工 |
池田市 | 北古江 | 171 | 917 | 植木業賞 |
吹田市 | 光明町 | 228 | 1,102 | 獣皮加工 |
吹田市 | 北之町 | 148 | 804 | ハナ行商 |
吹田市 | 新町 | 30 | 250 | 雑業 |
高槻市 | 西天川 | 72 | 360 | 農業 |
高槻市 | 富田新北町 | 441 | 1,978 | 植木業賞 |
高槻市 | 梶原南 | 38 | 197 | 農業 |
茨木市 | 沢良宜南 | 113 | 628 | 農業 |
茨木市 | 北中城 | 77 | 356 | 農業 |
茨木市 | 道祖本西 | 236 | 1,239 | 日雇、土工 |
三島郡島本町 | 広瀬 | 99 | 479 | 農業 |
三島郡三島町 | 鵜飼野々 | 24 | 128 | 農業 |
豊能郡能勢町 | 地黄乗坂 | 32 | 171 | 農業 |
豊能郡能勢町 | 野間出野 | 31 | 158 | 農業 |
豊能郡能勢町 | 杉原 | 35 | 182 | 農業 |
豊能郡能勢町 | 下田 | 62 | 319 | 農業 |
豊能郡東能勢村 | 野間口 | 112 | 572 | 農業 |
泉南郡泉南町 | 鳴滝 | 492 | 2,196 | 綿布加工 |
泉南郡岬町 | 小田平、朝日 | 459 | 1,750 | 土工、日雇 |
泉南郡岬町 | 峯地蔵 | 218 | 1,139 | 農業、土工 |
和泉市 | 八坂町 | 1,512 | 5,991 | 模造真珠業 |
和泉市 | 王子町 | 311 | 1,302 | 模造真珠業 |
北河内郡水本村 | 灯油 | 620 | 2,657 | クズ物行商 |
南河内郡美陵町 | 林 | 142 | 601 | 農業 |
大阪府内の全ての同和地区の地名、戸数、人口、主な産業(1958年9月30日調査)
市町村名 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主な産業 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
大阪市西成区 | 出城、三開、長橋 | 6,740 | 30,826 | 皮革産業 | 大阪市 西成区 出城、北開、中開、南開、長橋 | |
大阪市東住吉区 | 平野浜町 | 180 | 884 | 土方 | 大阪市 平野区 平野宮町、平野市町 | |
大阪市東住吉区 | 矢田富田町 | 591 | 2,460 | 行商(ウメ、ショウガ) | 大阪市 東住吉区 矢田 5丁目、6丁目、住道矢田3丁目 の一部 | |
大阪市住吉区 | 住吉町 | 335 | 1,423 | 行商(アオタ) | 大阪市 住吉区 帝塚山東 | |
大阪市住吉区 | 浅香町 | 520 | 2,580 | クズ物行商 | 大阪市 住吉区 浅香 | |
大阪市東淀川区 | 飛鳥町 | 431 | 1,687 | 日雇、土工 | 大阪市 東淀川区 東中島 3丁目の全部、2丁目、5丁目、6丁目の一部 | |
大阪市東淀川区 | 日ノ出町 | 420 | 1,596 | 日雇、土工、クツ修理 | 大阪市 東淀川区 西淡路 1丁目、2丁目の一部、淡路1丁目の一部、東中島 1丁目、4丁目、5丁目の一部 | |
大阪市東淀川区 | 南方町 | 220 | 980 | 行商(アオタ)、日雇、土工 | 大阪市 東淀川区 東中島 1丁目の全部、1丁目の一部 | |
大阪市東淀川区 | 加島町 | 362 | 1,507 | ホウキ製造、ハタキ荒物行商 | 大阪市 淀川区 加島 1丁目の一部 | |
大阪市大淀区 | 中津 | 131 | 590 | 雑業 | 大阪市 北区 豊崎 | |
大阪市旭区 | 両国町 | 110 | 503 | 農業 | 大阪市 旭区 清水 4丁目、5丁目の一部 | |
大阪市旭区 | 生江町 | 920 | 4,600 | 日雇、土工 | 大阪市 旭区 生江 3丁目の一部 | |
大阪市浪速区 | 栄町 | 2,096 | 9,432 | 皮革産業 | 大阪市 浪速区 浪速西 | |
大阪市北区 | 舟場町 | 82 | 399 | クツ材料商 | 大阪市 北区 中崎西 | |
堺市 | 協和町 | 1,936 | 7,358 | クズ物行商、日雇、土方 | 堺市 堺区 協和町 | |
泉佐野市 | 下瓦屋南 | 65 | 271 | 針線業 | 泉佐野市 下瓦屋 | 『全國部落調査』に記載されていない部落であるが、経緯は要調査。下瓦屋500に泉佐野市立第三中学校があり、同校では2013年、生徒が卒業記念に集団カップルのキス画像をTwitterに投稿、他にも同校生徒の飲酒喫煙、公然猥褻画像がクローズアップされて問題になった。部落解放同盟大阪府連の立山真吉は下瓦屋支部副支部長を名乗り部落の場所を暴露している。 / "下瓦屋南地区の保育所をフィールドワークする!" "到着後さっそく中西常泰支部長と地域民衆史研究会の山中さんより、「地域の歴史と解放運動の成り立ち」の説明を受けました。1967年に部落解放同盟下瓦屋支部が結成され、71年に下瓦屋解放会館、73年に下瓦屋保育所、94年に青少年会館が建設されました。「特別措置法」期限切れ後の同和事業の縮小に伴う保育所統廃合問題に対して存続を求めた取り組みを展開し、2006年に社会福祉法人が経営する「下瓦屋保育園」となりました。解放会館も人権文化センターと改称、2008年からNPO法人「ゆまにて」が運営しましたが、2011年に指定管理が終了し、現在は自主管理で運営されているそうです。" このように部落解放同盟の中西常泰は同和地区の施設及びその周辺が同和地区があることを暴露している。 |
泉佐野市 | 鶴原東 | 301 | 1,269 | 針線業 | 泉佐野市 鶴原 | |
泉佐野市 | 樫井西 | 233 | 1,122 | 土工、クズ物行商 | 泉佐野市 南中樫井 | |
富田林市 | 新堂 | 387 | 1,712 | スダレ産業、土工、クツ職人 | 富田林市 若松町 1丁目 | |
松原市 | 更池 | 718 | 1,728 | 食肉(トサツ業) | 松原市 南新町 | |
大東市 | 北条 | 200 | 2,050 | クズ物行商、土工 | 大東市 北条 | |
大東市 | 野崎 | 160 | 550 | 土工 | 大東市 野崎 | |
箕面市 | 桜ヶ丘 | 40 | 200 | 土工、手伝人 | 箕面市 桜ケ丘 | |
箕面市 | 北芝 | 125 | 625 | ハナ行商 | 箕面市 萱野 | |
八尾市 | 西郡 | 1,071 | 4,331 | ハナオ産業、土工、日雇、手伝人 | 八尾市 桂町 | |
八尾市 | 八尾座 | 61 | 248 | ニカワ産業、日雇 | 八尾市 安中町 | |
羽曳野市 | 向野 | 599 | 2,628 | 食肉(トサツ業) | 羽曳野市 向野 | |
守口市 | 梶北 | 20 | 106 | 農業 | 守口市 金田町 | |
布施市 | 荒本 | 320 | 1,500 | 日雇、再生グツ | 東大阪市 荒本 | |
布施市 | 北蛇草 | 430 | 2,000 | ブラシ産業、再生グツ | 東大阪市 長瀬町 | |
貝塚市 | 東之町 | 533 | 2,381 | クズ行商、土工、クツ職人 | 貝塚市 東 | |
豊中市 | 岡町 | 150 | 900 | 食肉(トサツ業) | 豊中市 立花町 2丁目、宝山町 1番地、2番地、3番地 | |
豊中市 | 上麻田 | 81 | 340 | 農業 | 豊中市 螢池北町 | |
豊中市 | 下麻田 | 40 | 226 | 竹細工 | 豊中市 螢池中町 | |
池田市 | 北古江 | 171 | 917 | 植木業賞 | 池田市 古江町 | |
吹田市 | 光明町 | 228 | 1,102 | 獣皮加工 | 吹田市 岸部中 | |
吹田市 | 北之町 | 148 | 804 | ハナ行商 | 吹田市 垂水町 | |
吹田市 | 新町 | 30 | 250 | 雑業 | 吹田市 高浜町の一部 | |
高槻市 | 西天川 | 72 | 360 | 農業 | 高槻市 春日町 | |
高槻市 | 富田新北町 | 441 | 1,978 | 植木業賞 | 高槻市 富田町 | |
高槻市 | 梶原南 | 38 | 197 | 農業 | 高槻市 梶原 | |
茨木市 | 沢良宜南 | 113 | 628 | 農業 | 茨木市 沢良宜浜 | |
茨木市 | 北中城 | 77 | 356 | 農業 | 茨木市 中総持寺町 | |
茨木市 | 道祖本西 | 236 | 1,239 | 日雇、土工 | 茨木市 豊川 | |
三島郡島本町 | 広瀬 | 99 | 479 | 農業 | 三島郡 島本町 広瀬 | |
三島郡三島町 | 鵜飼野々 | 24 | 128 | 農業 | 摂津市 鳥飼野々 | |
豊能郡能勢町 | 地黄乗坂 | 32 | 171 | 農業 | 豊能郡 能勢町 地黄 | |
豊能郡能勢町 | 野間出野 | 31 | 158 | 農業 | 豊能郡 能勢町 野間出野 | |
豊能郡能勢町 | 杉原 | 35 | 182 | 農業 | 豊能郡 能勢町 杉原 | |
豊能郡能勢町 | 下田 | 62 | 319 | 農業 | 豊能郡 能勢町 下田 | |
豊能郡東能勢村 | 野間口 | 112 | 572 | 農業 | 豊能郡 豊能町 野間口 | |
泉南郡泉南町 | 鳴滝 | 492 | 2,196 | 綿布加工 | 泉南市 鳴滝 | |
泉南郡岬町 | 小田平、朝日 | 459 | 1,750 | 土工、日雇 | 泉南郡 岬町 多奈川谷川 | |
泉南郡岬町 | 峯地蔵 | 218 | 1,139 | 農業、土工 | 泉南郡 岬町 淡輪の一部 | 峯地蔵老人憩の家が淡輪947番地にある。 |
和泉市 | 八坂町 | 1,512 | 5,991 | 模造真珠業 | 和泉市 幸 | |
和泉市 | 王子町 | 311 | 1,302 | 模造真珠業 | 和泉市 王子町 | |
北河内郡水本村 | 灯油 | 620 | 2,657 | クズ物行商 | 寝屋川市 明和、高倉、打上新町、打上宮前町、打上南町、小路北町、小路南町、高宮あさひ丘、太秦高塚町 | |
南河内郡 美陵町 | 林 | 142 | 601 | 農業 | 藤井寺市 林 |
都市社会の下層社会(1962年)米リンクpdfファイル
書誌情報
都市の下層社会 社会病理学的研究
発行日 1962年 著者 大橋薫
大阪市同和促進協議会10年の歩み(1963年)
書誌情報
大阪市同和事業促進協議会10年の歩み
発行日 | 1963年 |
発行所 | 大阪市同和事業促進協議会 |
部落解放同盟は『大阪市同和事業促進協議会10年の歩み』について以下のように述べている。
『大阪市同和事業促進協議会10年の歩み』は社団法人大阪市同和事業促進協議会が1963
年(昭和38年)に作成したものであること、本資料に大阪市内の「地区」に関する記載が
あることは認めるが、その余は不知ないし否認。『大阪市同和事業促進協議会10年の歩み』
はそもそもの性質が1つの任意団体の10年史を振り返るというものであって、公衆に流布されることが予定される一般的
な刊行物とし出版されたものではなく、仮に図書館に所蔵されているにしても、一般的には当該資料を知りアクセス
することが極めて困難である。またそこに一覧として記載されているものは大阪市内に関するものに
限定されている。さらに『5年のあゆみ』について『大阪市同和事業促進協議会10年の歩み』同様、「1つの任意団体の
5年史を振り返るというものであって、公衆に流布されることが予定される一般的な刊行物とし出版
されたものではなく、仮に図書館に所蔵されているにしても、一般的には当該資料を知りアクセスす
ることが極めて困難である」資料として『小林健治と有田芳生に対抗する全国部落解放協議会5年の
あゆみ』(全国部落解放協議会、示現舎)が挙げられる。部落解放同盟に従うところによると、本書も
差別図書(部落地名総鑑)でなく、国立国会図書館の複写郵送サービスの対象であるので遠慮なく利用
可能である。
地区基盤結果報告書(1967年)
大阪市内の同和地区の地図を掲載している。
・矢田地区:大阪府大阪市東住吉区矢田5丁目、6丁目(7番除く)
・生江地区:大阪府大阪市生江3丁目14~25、27、28
地区基礎調査結果報告書
発行日 | 1967年 |
発行所 | 大阪市同和対策部 |
加島地区

『地区基礎調査結果報告書』(加島地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(加島地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(加島地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(加島地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(加島地区、大阪市同和対策部)
浅香地区

『地区基礎調査結果報告書』(浅香地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(浅香地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(浅香地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(浅香地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(浅香地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(浅香地区、大阪市同和対策部)
矢田地区

『地区基礎調査結果報告書』(矢田地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(矢田地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(矢田地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(矢田地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(矢田地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(矢田地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(矢田地区、大阪市同和対策部)
飛鳥・南方地区

『地区基礎調査結果報告書』(飛鳥・南方地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(飛鳥・南方地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(飛鳥・南方地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(飛鳥・南方地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(飛鳥・南方地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(飛鳥・南方地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(飛鳥・南方地区、大阪市同和対策部)
生江地区

『地区基礎調査結果報告書』(生江地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(生江地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(生江地区、大阪市同和対策部)

『地区基礎調査結果報告書』(生江地区、大阪市同和対策部)
大阪市の同和事業 昭和42年度(1968年)米リンクpdfファイル
書誌情報
大阪市の同和事業 昭和42年度
発行日 | 1968年 |
編集者 | 大阪市同和対策部 |
日本地誌(1974年)米リンクpdfファイル
発行日 | 1974年5月 |
編集者 | 日本地誌研究所 |
『日本地誌』(第15巻)に大阪市の「改良地区」の住所が掲載されている。これは同和地区だけでなくスラムも含むものと思われる。
大阪の同和事業と解放運動一大阪府同和事業促進協議会史一(1977年)
大阪の同和事業と解放運動-大阪府同和事業促進協議会史-と
大阪の同和事業と解放運動(1958年)と同じである。
編集者の財団法人大阪府同和事業促進協議会は現在の財団法人大阪府人権協会である。
発行所は奥付では社団法人部落解放研究所とあるが、本の外装には解放出版社とある。これは、社団法人部落解放研究所の出版部門がこの年に解放出版社として分離したためと考えられる。
部落地名総鑑事件の直後であるにも関わらず、同和地区名が躊躇なく記載されている。しかし、この後に出版された大阪府同和事業促進協議会史では、同和地区名が伏せられている。
本書に掲載された同和地区の場所は「大阪府版部落地名総鑑」として何者かがtwitterに投稿し続けていたが、当該アカウントはtwitterから凍結されている。このようにtwitterは本書『大阪の同和事業と解放運動』の内容は差別を煽動する不適切なものであると認定している。
大阪府版部落地名総鑑 出典は解放出版社が3000円で販売した「大阪の同和事業と解放運動」と
いう本です。なお、最高裁判所判例によれば同和地区の住民は差別の対象となります。 部落解放同盟大阪府連が大阪府
との行政交渉に使った資料は部落地名総鑑の元ネタの1つです。1人でも多くの人にこのことが知られますように。と書
かれてある。アカウントは凍結されてしまったいるらしいのでアーカイヴが存在していたのでそれをリンクに貼ってみた
。なお、大阪の同和事業と解放運動一大阪府同和事業促進協議会史一と冒頭の大阪の同和事業と解放運動は同じであるた
め、地方村名、部落名は大阪の同和事業と解放運動を参考の事。
いう本です。なお、最高裁判所判例によれば同和地区の住民は差別の対象となります。 部落解放同盟大阪府連が大阪府
との行政交渉に使った資料は部落地名総鑑の元ネタの1つです。1人でも多くの人にこのことが知られますように。と書
かれてある。アカウントは凍結されてしまったいるらしいのでアーカイヴが存在していたのでそれをリンクに貼ってみた
。なお、大阪の同和事業と解放運動一大阪府同和事業促進協議会史一と冒頭の大阪の同和事業と解放運動は同じであるた
め、地方村名、部落名は大阪の同和事業と解放運動を参考の事。
大阪府解連協設立10年のあゆみ一大阪府解連協10周年記念誌一(1981年)
書誌情報
大阪府解連協設立10年のあゆみ
発行日 | 1981年11月26日 |
発行所 | 大阪府解放会館連絡協議会 |
大阪府下の同和地区を知る上で網羅的かつ詳細なデータが載せられている。 頒価が書かれていないため、関係者への配布用と思われる。 しかしながら、「大阪府解放会館連絡協議会10周年事業実行委員会」の実行委員会名簿に行政担当者の名前があったり、図書館に寄贈されていたりすることから、行政の関与が窺える。 この書物自体の編集は大阪府解放会館連絡協議会自体が行っている。
内容
p109-251 「資料編」となっており、大阪府解放会館連絡協議会に加盟する解放会館並びに隣保館のデータと解放会館関係の年表から構成されている。
- p110-168 「各解放会館の歩み」として各館の成り立ちや現況が紹介されている。
- p242-244 大阪府解放会館名簿。館名・関係部落解放同盟支部名・所在地などがまとめられている。
- p245-251 略年表。解放会館関係の出来事とその他部落関連の出来事を時系列に並べてある。
- その他のページは、解放会館に携わる人々の回顧や対談である。
市同促協創立40周年記念誌 40年の歩み(1993年)
書誌情報
市同促協創立40周年記念誌 40年の歩み
発行日 | 1993年 |
発行所 | 大阪市同和事業促進協議会40周年記念事業実行委員会 |
発行所の大阪市人権協会は資金不足により2012年に解散した。
この冊子は大阪市およびその周辺の図書館等で見ることができたが、最近は大阪府内では閲覧が困難になっている。
部落解放研究所第4回合宿総会基調提案 ”76年部落解放研究の課題と方向 --「人権年」を闘い取ろう 大賀正行この中
で今一番、中央本部が狭山闘争のとりくみと並行して力を入れているのが、『部落地名総鑑』『特殊部落リスト』の
糾弾であります。中央本部が全国的に指導して、法務局はじめ行政交渉及びリスト購入の企業の糾弾をすすめています。
このように大賀氏は述べているが、一方で大賀氏自身は部落地名総鑑を作っていた。部落地名総鑑を「作る」「売る」のは差別では無いが、「買う」のは差別であるという見解か。
小林健治は以下のように述べている。
大阪府連の上田卓三委員長、向井正書記長、山中多美男政治共闘部長らが先頭に立って、この人事極秘『部落地名総鑑』
の発行者「京極公大」こと「坪田義嗣」をさがしだし、直接、糾弾している。
しかし後に大賀正行自身が部落地名総鑑『市同促協創立40周年記念誌 40年の歩み』の作成に携わっている。この件について大賀正行は一切弁明せず、大賀正行の実弟・山中多美男も大賀正行を一切批判・糾弾していない。
部落解放同盟山口県連の川口泰司は 鳥取ループ氏が作成した大阪市内の同和地区の地図を非難したが、この地図の元ネタである同和地区の住所を掲載した部落地名総鑑を作成、出版したのは川口泰司が勤務した大阪市人権協会(大阪市同和事業促進協議会)である。川口泰司(なんか、ひちめんどくさーポンコツおっそんやな....)は鳥取ループを差別者呼ばわりしたことで、自らの組織が差別者であることを認めた形になるが、川口自身は大阪市人権協会が部落地名総鑑を作成、発刊した事実を黙殺している。
『40年の歩み』は国会図書館、全国の公共図書館、大学図書館で何者からかの要請により閲覧制限図書に指定された、正真正銘の部落地名総鑑である。一方、部落解放同盟は本書が部落地名総鑑であることを否定し続けている。本書が何者かに隠蔽され、図書館も非公開に応じた以上、単に「部落解放同盟が部落地名総鑑を作成、発刊した」事実を告発することは、証明する事実が無い為「名誉毀損」となる。部落解放同盟に従う限り、もはや部落解放同盟による差別の事実は告発できないことになるだろう。それが部落解放同盟の意図とも読み取れる。(との見解だが、まるでいたちごっこか支離滅裂のような感じである、そもそも、疑問に思っていたのが、わざわざ「このような書物を作るという行為自体、部落解放同盟がこの地区は部落ですよ。と公言しており、図書館等にも寄贈(国立国会図書館及び他の図書館は寄贈は強要しているわけではなく、あくまで後世に残す為に寄贈して下さいと呼びかけている)している。部落差別をなくそうとの考えなら寄贈すべきだしまた寄贈しておいて閲覧不可はおかしい。寄贈した図書は公開すべきである。差別図書とと言われる書物は公開すべきだし、差別して来た人たちはどう思うのか?また、今後どう対策をしていくのかに方向を変えるべきだと思える、これでは部落地名総監を製作したのは部落解放同盟の自演としか思えないし、気違い爺共は我々のサイトを監視して差別だ!とか騒いでるんだろう・・・・パソコンも使えないから仕方ないか・・・と思えて仕方ない。21世紀なんだぜ・・IT、AI等の時代にクソッたれた発言で真摯な姿勢で書いている我等に自分でこんな事を書かせるから自ら蒔いた種は刈りきってもらいたい。と思っている(変なところには頭が切れる精神障害者とでも言えよう。)
部落解放同盟員の川口は以下のように述べている。
③「全国部落調査は様々な部落研究の書籍で引用されている」「同和地区の地名が列挙された書籍は行政や債権者(解放同
盟)の関係団体から出版されている」のに、なぜ自分たちはダメなのか。 ➡行政や解放同盟・関係団体の部落関連の書籍
について、「同和問題に関わる行政資料であるか、特定の都道府県内の同和地区にかかる調査・研究資料、同和問題に取り
組む団体の報告資料等であり」 「一部の同和地区について、当該調査・研究等に必要な限りで、同和地区の地名等を
記載したものであって、本件出版予定物とは、趣旨及び内容のいずれにおいても異なる」と、示現舎の主張を否定。
このように部落解放同盟は本書『40年の歩み』は「一部の同和地区について、当該調査・研究等に必要な限りで、同和地区の地名等を記載したもの」である為、出版・頒布・図書館における閲覧は差別でないとの見解を示している。このような書籍を図書館等で閲覧することで興信所や(行政書士、司法書士でない)無資格者でも容易に同和地区の場所を調べられることを部落解放同盟は差別とは認識しておらず、容認していることが読み取れる。
部落の場所を部落解放同盟や行政に「問い合わせる」行為は、たとえ一箇所であったとしても、また部落の場所を教えてもらえなかったとしても、厳格に差別事件として扱い、部落解放同盟は問い合わせた者に反省を要求している。一方で部落解放同盟は部落の場所を「公表」する行為については多数の場所であったとしても、「調査・研究」を理由に容認しており、「問い合わせる」行為に比べ「緩い規制」であることが窺える。部落の「公表」は差別的意図を持つ者も含む不特定多数が知る結果になるにも関わらず、「問い合わせる」ことに比べて非対称に、緩く運用されているのは、部落解放同盟が「差別の基準」を恣意的に決めている為である。
見られる場所
- 国立国会図書館(現在閲覧不可)
- 大阪市立中央図書館(現在閲覧不可)
等
内容
生江地区 大阪市旭区生江3丁目の一部
両国地区 大阪市旭区清水4・5丁目の一部
浪速地区 大阪市浪速区浪速東1丁目〜3丁目・浪速西1丁目〜4丁目・木津川2丁目・久保吉1丁目の一部・大国町1丁目〜3丁目・戎本町1丁目の一部
住吉地区 大阪市住吉区帝塚山東5丁目、万代6丁目、上住吉1丁目の一部
西成地区 北開1〜2丁目、中開1〜3丁目、南開1〜2丁目、出城1〜3丁目、長橋1〜3丁目、鶴見橋1〜3丁目、旭1〜3丁目、北津守1〜4丁目
浅香地区 大阪市住吉区浅香1・2丁目、苅田10丁目の一部
加島地区 大阪市淀川区加島1丁目の一部
日之出地区 大阪市東淀川区西淡路1丁目の一部・2丁目の一部、淡路1丁目の一部、東中島1丁目の一部・4丁目の一部・5丁目の一部
平野地区 大阪市平野区平野市町3丁目の一部
矢田地区 大阪市東住吉区矢田5丁目・6丁目・住道矢田3丁目の一部
飛鳥地区 大阪市東淀川区東中島3丁目および2・5・6丁目の一部(6丁目は、改良・同公住宅を建設する際、地区内に更地がないので、飛地だが、緊急的に建てた飛鳥北住宅の場所)
南方地区 大阪市東淀川区東中島2丁目及び東中島1丁目の一部
本書が大阪市の全同和地区を列挙した部落地名総鑑であるにも関わらず、部落地名総鑑を批判する支離滅裂な記述がある。(45頁)
さらにこの9月には府下子ども会活動の急速な盛り上がりをうけて、「部落解放子ども会大阪連絡協議会」が設立、
「すべての子どもを子ども会に」「すべての地区に子ども会を」のスローガンのもとに活動が展開され、府下すべての子ど
も会が結集されていくことになります。市同促協は当初子ども会事業に力をそそいでいた関係もあり、現在まで密接な連携
を保っています。 1974年(昭和49)年には再び衝撃的な事件が発生します。全国の部落の所在地を表した「部落地名総鑑」
が何者かの手によって出版され、全国にわたって売られているという事実が大阪で発覚します。運動側は大阪法務局やこれ
を購買した企業に対し、激しい抗議運動を展開することになりますが、この抗議・糾弾行動を通して、この地名総鑑を購入し
た企業の反省に至り、これまで弱かった企業界へのとりくみと啓発が重視されていきます。またこの事件をとおしてこれらの
企業が集まって、同和問題にとりくむ連絡協議会を設立(同企連)することになります。さらにこの後、地名総鑑に端を発し
て当初100名以上、大阪市ではその後30人以上の社員を擁する企業に同和問題の推進員を配置することが義務付けられ、
「大阪府同和問題企業推進協議会(企同連)」も設立されるようになりました。
同和問題にとりくむ連絡協議会(同企連)について、部落問題研究家の鳥取ループは以下のように報告している。
あなたの会社が同和に狙われている 第1回部落地名総鑑から始まった |示現舎
さらに「大阪府下同和地区現況・大阪府下日共民青他全左翼組織一覧リスト」(第4の部落地名総鑑)という書籍も問題に
されたが、これは実のところ部落解放同盟大阪府連合会が大阪府に出した解放同盟支部の一覧が元ネタになっていた。 しか
し、1977年5月10日に部落解放同盟の関連団体である「社団法人部落解放研究所」の出版部門(現在の解放出版社)
から発刊された「大阪の同和事業と解放運動」には、「大阪府下部落概況」として大阪府下の同和地区の地名、戸数、職業
がリストとして掲載されている。 そのため、特に「第4の部落地名総鑑」に対しては企業側の反発もあった。特に日本生命
は、部落解放同盟が作成した同和地区リストがそのまま使われたことを指摘し、「これは部落地名総鑑ではない」という趣
旨の説明をしていたという。しかし「買った意図が問題」ということで、容赦なく糾弾の対象とされた。著者一覧
- 実行委員長 社団法人大阪市同和事業促進協議会 会長 吉田信太郎 ←部落解放同盟大阪府連合会副委員長
- 副委員長 〃 副会長 戸田政義 ←部落解放同盟矢田支部長。矢田事件で有罪。
- 〃 〃 副会長 南元秀彌
- 〃 〃 〃 南田秀雄 ←部落解放同盟加島支部長
- 〃 〃 〃 岡山武史 ←部落解放同盟浪速支部長
- 〃 〃 参与 大賀正行 ←部落解放同盟大阪府連日之出支部初代支部長、部落解放同盟中央執行委員
- 〃 大阪市市民局 理事 山幡一雄
- 事務局長 社団法人大阪市同和事業促進協議会 常務理事 中本順一 ←部落解放同盟日之出支部書記次長
- 事務局次長 〃 事務局長 中嶋正春
- 実行委員 〃 会計理事 大川恵美子 ←部落解放同盟大阪府連合会副委員長、部落解放同盟大阪府連合会婦人部長
、部落解放同盟中央女性対策部員 - 〃 〃 理事 南田則夫
- 〃 〃 〃 井上千昭
- 〃 〃 〃 原田幸悦 ←東淀川解放教育共闘会議議長
- 〃 〃 〃 塚本津世志
- 〃 〃 〃 北井忠三 ←部落解放生江地区消費生活協同組合理事長
- 〃 〃 〃 安永静夫
- 〃 〃 〃 本村信一
- 〃 〃 〃 野村君一 ←部落解放同盟大阪府連合会住吉支部支部長
- 〃 〃 〃 松川寿男
- 〃 〃 〃 戸田政昭
- 〃 〃 〃 三輪嘉男 ←大阪市立大学教授
- 〃 〃 監事 川辺芳詮
- 〃 〃 〃 狭間忠夫
- 〃 大阪市同和事業促進日之出地区協議会 会長 中田登 ←中亀建設株式会社代表取締役
- 〃 大阪市同和事業促進飛鳥地区協議会 会長 藤本春海 ←部落解放同盟飛鳥支部長
- 〃 大阪市同和事業促進南方地区協議会 会長 塚本勇
- 〃 大阪市同和事業促進浪速地区協議会 会長 大西治二
- 〃 大阪市同和事業促進浪速地区協議会 会長 中田寛二
- 〃 大阪市同和事業促進浅香地区協議会 会長 河本秀吉
- 〃 大阪市市民局 同和対策部長 安藤眞公
- 〃 〃 総務部長 梅田幸二
- 〃 大阪市教育委員会事務局 同和教育企画室長 辻本啓介
- 事務局 社団法人大阪市同和事業促進協議会 総務部長 吉川三代子
- 〃 〃 業務部長 吉田信彦
- 〃 〃 事務局長 西岡武義
- 〃 〃 〃 辻井早登恵
- 〃 大阪市市民局同和対策部 管理課長 内田眞和
- 〃 〃 企画調整課長 檜垣洋次
- 〃 〃 指導課長 宇野清水
- 〃 浅香同和地区解放会館 館長 酒井修
- 〃 南方同和地区解放会館 館長 岡本恒夫
- 〃 大阪市市民局総務部 社会課長 宇野耕作
- 〃 大阪市教育委員会事務局同和教育企画室 連絡主幹 伯井徳行
- 〃 社団法人大阪市同和事業促進協議会 事務局職員 二口亮治
- 〃 〃 〃 古川正志
15 septembre 2017
POP TATARI
京都府未解放地区の生活実態
書誌情報
京都府未解放地区の生活実態
発行日 1953年10月
発行者 社団法人部落問題研究所
なお、表題が「京都府同和地区の生活実態」、発行者が「京都府民生部」となっている、全く同じ内容の資料がある。
メディア:京都府未解放地区の生活実態.pdf
中扉 京都市の同和地区の位置
楽只
養正
三條
錦林
壬生
崇仁
竹田
深草
p93-97 同和地区の地理的分布
■福知山市
今宮
段畑
奥岡
前田遠留
下猪崎
下地新庄
大門袋
石本
波江
箕越
堀口
■舞鶴市
福来
余部下
長浜
浜
奥市場
行永
■綾部市
岡安公上
上原
味方
安国寺
下八田大迫
多田鳴田
建田
井倉
中筋東大安
■宇治市
木幡
岡屋
善法
池森
■何鹿郡豊里村
栗大橋
位田
■何鹿郡佐賀村
私市上野
■何鹿郡小畑村
有坪
■何鹿郡物部村
北岸田
■何鹿郡志賀郷村
志賀郷
■何鹿郡中上林村
竹原下
片山
■船井郡園部町
木崎
大村
私市(大垣内)
■船井郡富本村
北屋賀
■船井郡世木村
天若
■船井郡五ヶ荘村
田原
■船井郡摩気村
半田
下新江
■船井郡東本梅村
埴生
■船井郡竹野村
新水戸
■船井郡須知町
北上野
■船井郡高原村
上豊田
■船井郡下和知村
出野
安栖里
■船井郡梅田村
下大久保
東又
■船井郡上和知村
升谷
長瀬
細谷
■天田郡菟原村
菟原下
■天田郡川合村
岼
川合
■天田郡下六人部村
南北
■天田郡上夜久野村
中田
額田
■天田郡金山村
行積
天座
■天田郡三岳村
伝大寺
■天田郡金谷村
三宮、中ノ谷
■天田郡上川口村
小田
蛇ヶ谷
長祖
■天田郡上豊富村
畑中
■北桑田郡神吉村
知ノ浦
■北桑田郡周山村
橋向
■北桑田郡宮島村
和泉
■北桑田篠村
野篠
■北桑田西別院村
大甘野
■北桑田薭田野村
天川
■北桑田大井村
金岐
野寺
■北桑田馬路村
馬路
■北桑田保津村
西垣内
■北桑田龜岡村
加塚
西野々
■加佐郡河守町
新町
金屋
■加佐郡河東村
千原
■加佐郡有路上村
枯木
■加佐郡有路下村
二箇
■加佐郡岡田下村
川向
大川
桑飼下
■加佐郡岡田上村
桑飼上
■加佐郡八雲村
八田
下水間
■与謝郡宮津町
杉末
■与謝郡加悦町
算所
■与謝郡岩瀧町
男山
■与謝郡栗田村
松本
■与謝郡府中村
国分
■与謝郡日置村
薬師
■与謝郡養老村
大島
岩カ鼻
■与謝郡本庄村
向井
■竹野郡郷村
郷
■竹野郡彌栄村
溝谷
堤
■竹野郡豊栄村
成願寺
■竹野郡上宇川
村平
■中郡長善村
長谷
当日
■中郡五十河村
入谷
■中郡周枳村
谷ヶ奥
■熊野郡川上村
伯耆谷
■熊野郡海部村
宮ノ谷
■熊野郡土佐濃村
佐野
■乙訓郡久世村
築山
■乙訓郡長岡町
開田
■綴喜郡八幡町
六区
■綴喜郡井出町
松原南、松原北
■綴喜郡都々城村
二階堂
■綴喜郡三山木村
三山木
■久世郡御牧村
河原田
■久世郡淀町
樋爪
■相楽郡木津町
社町
■相楽郡加茂町
小谷
■相楽郡笠置町
有市
■相楽郡川西町
祝園
■相楽郡中和束村
東垣内
POP TATARI
1 東七条地区整理事業計画図

1927(昭和2)年
本図は、全国水平社設立直後から実施された地区整理事業の概要を示すものである。図中の赤線は、拡幅後の道路が書き入れられており、現在の崇仁を貫通する大通りが、この事業によってほぼ現在の姿になったことがわかる。
地区整理事業は、1923(大正12)年から、全国20府県20か所を対象に、10ヶ年計画で開始した。京都府下では下京区東七条(現崇仁地区)が対象となり、1925(大正14)年から3か年で道路改修・下水改修工事が行われた。さらに、第二回地区整理事業が立案された際にも東七条が対象となり、総経費43万円という全国で最大の予算が投入され、1933(昭和8)年から須原通の拡幅工事等の事業が行われた。これらは、崇仁のみならず京都府で最初に実施された地区改善事業であった。
2 不良住宅密集地区ニ関スル調査(不良住宅密集地区図集 付)

1929(昭和4)年8月
本図は、不良住宅地区改良法の策定を受けて、1927(昭和2)年から1929(昭和4)年にかけて、錦林、養正、楽只、壬生、三条、そして崇仁の6地区で京都市が行った不良住宅地区の実地調査を取りまとめたもの。
その後の改良事業の根拠となる不良住宅地区改良法は、内務省の肝煎りで開催された六大都市不良住宅地区改善協議会の翌日、1927(昭和2)年3月29日に公布された。こうして、都市部の不良住宅問題に対する取り組みが着手された。
柳原銀行記念資料館より。
不良住宅密集地区図集
発行日 | 1929年8月 |
編者 | 京都市教育部社会課 |
メディア:不良住宅密集地区図集.pdf
京都市教育部社会課編「不良住宅密集地区に関する調査」の付録として別冊にて刊行される。京都市内の同和地区の範囲を地図で描画しており、現在の地図と対比させることで容易に同和地区が特定できるように作成されている。

楽只地区
- 旧住所:京都府京都市北区鷹野東町、鷹野北町、鷹野花ノ坊町の各一部
- 新住所:京都府京都市北区紫野北花ノ坊町1~77、96(佛教大学紫野キャンパスの一部)、紫野花ノ坊町22、23、紫野上御輿町(18-1、18-4除く)、紫野下御輿町(4除く)、紫野上若草町8、紫野下若草町(1~3、7、8-3、25-2、30、32-2~4、34除く)、紫野西舟岡町10、11
錦林地区
- 旧住所:京都府京都市左京区鹿ケ谷高岸町、鹿ケ谷下宮ノ前町、南禅寺北ノ坊町の各一部
- 新住所:京都市左京区鹿ケ谷高岸町(60除く)、鹿ケ谷下宮ノ前町1~4の全部、9-5、10、18、24の各一部、岡崎東天王町30の一部(鹿ケ谷通の一部) 旧住所「南禅寺北ノ坊町の一部」は現在では鹿ケ谷通の一部になっている。
- 旧住所:京都府京都市左京区田中西河原町、田中馬場町、田中玄京町、田中上柳町、高野蓼原町の各一部
- 新住所:京都府京都市左京区田中馬場町の全部、田中上柳町1~14、33~39、田中玄京町1~4、22、88~176
- 旧住所:京都府京都市中京区西ノ京北小路町、西ノ京新建町の各全部、西ノ京下合町、西ノ京中合町、西ノ京南原町の各一部
- 新住所:京都府京都市中京区西ノ京新建町(7、8を除く)、西ノ京北小路町(8~12除く)旧住所「西ノ京下合町、西ノ京中合町」は区域変更により新住所に含まれていない。
- 旧住所:京都府京都市下京区川端町、上ノ町、下ノ町、郷ノ町、小稲荷町、屋形町、東ノ町、西ノ町の各全部
- 新住所:京都府京都市下京区若宮町、上之町、下之町、郷之町、小稲荷町、東之町、西之町の各全部、屋形町2~12
- 旧住所:京都府京都市東山区長光町、教業町、巽町、若竹町、若松町の各全部、古西町、三吉町、元町、大黒町、大橋東二丁目、大橋東三丁目、大橋町の各一部
- 新住所:京都府京都市東山区長光町、教業町、巽町、若竹町、若松町の各全部、古西町(307、309、324除く)、三吉町(329~334、343、344、346、347、352除く)、元町392、大黒町134、二丁目66、大橋町400
8 septembre 2017
POP TATARI
京都府
概況
京都府の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1907年 | 152 | 12970 | 72222 |
1921年 | 154 | 8515 | 42179 |
1922年 | 159 | 7653 | 42702 |
1935年 | 147 | 9893 | 47692 |
1942年 | - | 3801 | 19963 |
1946年 | - | - | 55654 |
1958年 | 150 | 13023 | 56960 |
1963年 | 145 | 14121 | 地区全体57397、同和関係55652 |
1967年 | 139 | 地区全体14482、同和関係12998 | 地区全体58548、同和関係52452 |
1971年 | 149 | 地区全体14948、同和関係13499 | 地区全体54525、同和関係49417 |
1975年 | 149 | 地区全体16824、同和関係14843 | 地区全体57649、同和関係51538 |
1985年 | 149 | 地区全体16987、同和関係14976 | 地区全体58281、同和関係51883 |
1993年 | 142 | 地区全体21042、同和関係13743 | 地区全体61140、同和関係40561 |
本府の同和地区は文献『京都府未解放区の生活実態』からその多くが明らかになっている。また京都市内の同和地区は『不良住宅密集地区図集』に詳細な地図が掲載されている。
「京都の場合、近世の非人居住地は、現在の『同和地区』指定はされていない様だ。七条の高瀬川沿いの地域をどう考えるか、という問題はあるが、近世の絵図地図に『エタ村』記載がされている所が、現在の部落問題と直接的に関連している、と見て良い。現在、通称『西三条』といわれている地域も、近世の絵図地図には『エタ村』と記載されている」と『近世絵図地図資料集成 第8巻(丹後・丹波・山城・京都)』解説「京都の古地図を読む」にある。
島田紳助(本名は長谷川公彦)に被差別部落出身説があるものの、実家は京都市南区唐橋西寺町であり『全國部落調査』に記載はない。ただし祖先の出身地までは明らかでない。
灘中高教頭の橋本武は宮津市の履物製造販売業者の息子(9人兄弟の長男)。出身地区は要調査。
1993年の統計によると、京都府内で最も同和人口率が高い自治体は綴喜郡井手町で26.53パーセント、次いで相楽郡笠置町で22.30パーセントである。
作家宮崎学の実父の宮崎清親(旧姓寺村、暴力団初代寺村組組長)は『近代の奈落』によると京都府綴喜郡井手村(現・井手町)玉水の被差別部落の農家出身であるという。しかし2000年電話帳によると寺村姓は井手町に4軒しかない。しかも全ての寺村姓は部落外(一般地区)にある。『井手の部落史』(京都部落史研究所編、井手町、1987)や『井手の部落史 通史編』(京都部落史研究所編、井手町、1989)に井手町南および北における明治初年の土地所有者の姓名が載っているが、その中に寺村姓は見当たらない。なお、同書に記載のある姓は25種類に及ぶ。
- 上嶋
- 小川
- 木田
- 木村(2人。1人は後に町長になる)
- 田中
- 仁木(4人)
- 西島
- 西嶋(2人)
- 西田
- 林田(2人)
- 平原(後に町長になる)
- 藤本
- 前田
- 桝本
- 松本
- 丸山
- 村田(2人)
- 森島
- 森嶋(2人)
- 森川(3人)
- 森田(3人)
- 山川(後に町長になる)
- 山本
- 吉川(2人)
- 鷲山
文献
不良住宅密集地区図集(1929年)
全國部落調査(1935年)
京都府 昭和十年二月現在
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
京都市 上京区 楽只學区 | 鷹野 | 三四五 | 一四七七 | 日稼、履物修繕、行商、靴商 | 下 | 京都市 北区 紫野北花ノ坊町1~77、96(佛教大学紫野キャンパスの一部)、紫野花ノ坊町22、23、紫野上御輿町(18-1、18-4除く)、紫野下御輿町(4除く)、紫野上若草町8、紫野下若草町(1~3、7、8-3、25-2、30、32-2~4、34除く)、紫野西舟岡町10、11 | 別名は千本地区、楽只地区。この地区の範囲は「上京区鷹野東町、同北町、同花ノ坊町の各一部」と『不良住宅密集地区図集』の「第三区 楽只」にある。1941年の町名改称以来「鷹野」を冠称する町は存在しなくなっている。なお、かつて全国水平社連盟本部が置かれていたのは京都市上京区鷹野北町で、現在の京都市北区紫野北花ノ坊町にあたる。部落解放同盟京都市協議会の呼びかけによる街作りとして、第1棟および第2棟の建て替え事業である第21棟(愛称「らくし21」)がある。楽只地区の地図は論文『オールクリアランスからマイナーチェンジ』に詳しい。平井斉己は部落解放同盟京都府連千本支部として以下のように報告している。"千本地区においては、1950年代半ば以降、都市計画道路の敷設に伴って、住環境の整備が進められてきた。しかしながら、戸建てを希望する層が地区外住宅へと流出し、困難を抱える層が地区内に滞留するという現象により、地区内の活気が失われていき、住民同士の付き合いも希薄になっていく。そこで新たな運動の必要性が議論され、住宅の建て替えを契機として、町内再生を目指した取り組みが展開された。1993年にはふるさと共生自治運営委員会(略称「じうん」)が結成され、基本構想・基本計画を地元案として策定し、1997年より、具体的な建替基本計画を作成する取り組みが進められた。この計画は、通常の建替えのプロセスとは異なり、住民の声を集約した住民本位の策定プロセスを経たものである。具体的には、2年半15回に及ぶワークショップを通じて、住民・プランナー・行政が一体となって作り上げていった。その結果、2002年1月に、「らくし21」(楽只市営住宅第21棟)が完成した。" このように平井斉己は「らくし21」(楽只市営住宅第21棟)周辺が部落だと暴露している。 関連施設等
| |
〃 中京区 朱雀學区 | 西三條 | 一八五 | 七七一 | 土工、日稼、履物修繕 | 鹿ノ子絞り | 下 | 京都市 中京区 西ノ京新建町(7、8を除く)、西ノ京北小路町(8~12除く) (不良住宅密集地参) | 別名は壬生地区。 |
〃 左京区 養正學区 | 田中 | 六五三 | 二九九五 | 土工、日稼、行商、靴製造 | 刺繍 | 下 | 京都市 左京区 田中馬場町の全部、田中上柳町1~14、33~39、田中玄京町1~4、22、88~176 (不良住宅密集地参) | 朝田善之助の出身地区。朝田善之助みずからが「生まれたところは京都府愛宕(おたぎ)郡田中村字西田中。田中村には本村の東田中のほかに、百万遍、関田、上柳、大堰、高野、それに西田中と7つの字があった。この西田中がいわゆる部落で、ずっと古くは川崎村といった。いまは京都市左京区田中馬場町という」と暴露している。田中馬場町に朝田姓2件、2000年電話帳。 関連施設等
|
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
京都市 左京区 錦林學区 | 鹿ヶ谷、高岸 | 二四二 | 一一二五 | 土工、日稼、土木請負 | 鹿ノ子絞り | 下 | 京都市 左京区 鹿ケ谷高岸町(60除く)、鹿ケ谷下宮ノ前町1~4の全部、9-5、10、18、24の各一部、岡崎東天王町30の一部(、鹿ケ谷通の一部) (不良住宅密集地参考) | 住友家および、住友グループ各社の事業史に関する諸資料の収集・整理・保存を専門におこなう「住友史料館」が京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町1-2にある。住友という巨大財閥が部落「錦林地区」に史料館を設立するに至る理由は要調査。住友家が蒐集した美術品を保存、展示する「泉屋博古館」は京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24にある。また住友家の別邸であった「有芳園」は 京都府京都市左京区鹿ケ谷下宮ノ前町25にある。 |
〃 右京区 太秦學区 | 靑木元 | 三〇 | 一五〇 | 農業、土工、花賣 | 鹿ノ子絞り | 中 | 京都市 右京区 太秦青木元町 | 『京都の部落史』(京都部落史研究所)に「十ケ年計画により、産業経済施設を奨励へ、産業経済施設の奨励斡旋同太秦青木元町青木元町農産組合」とある。 |
〃 〃 〃 | 中野 | 八〇 | 三〇〇 | 農業、土工、牧畜 | 鹿ノ子絞り | 中 | 京都市 右京区 太秦宮ノ前町、太秦京ノ道町、太秦北路町、太秦中筋町、太秦開日町、太秦堀池町、太秦御領田町、太秦中山町、太秦三尾町 | 「西本願寺角坊別院」が京都市右京区山之内御堂殿町にあるが、この周辺が部落であることを示す資料は未発見の為要調査。山之内御堂殿町は京都市上下水道局山ノ内ポンプ場、京都学園大学に隣接する。 |
〃 〃 〃 | 常盤 | 七〇 | 二八〇 | 農業 | 花賣り | 中 | 京都市 右京区 常盤段ノ上町、常盤草木町、常盤馬塚町、常盤窪町、常盤西町、常盤北裏町、常盤下田町、常盤仲之町、常盤村ノ内町、常盤柏ノ木町、常盤出口町、常盤東ノ町、常盤一ノ井町、常盤森町、常盤古御所町、常盤神田町、常盤御池町、常盤山下町、常盤音戸町 | |
〃 〃 松尾學区 | 鈴川 | 六三 | 四五一 | 農業、土工、糞尿汲取 | 鹿ノ子絞り | 中 | 京都市 西京区 松尾鈴川町 | |
〃 東山区 粟田學区、有済學区 | 東三条 | 九五五 | 三七八七 | 土工、日稼、井戸掘、靴製造、履物 | 鹿ノ子絞り | 下 | 京都市 東山区 長光町、教業町、巽町、若竹町、若松町の各全部、古西町(307、309、324除く)、三吉町(329~334、343、344、346、347、352除く)、元町392、大黒町134、二丁目66、大橋400。(不良住宅密集地域参) | 旧名は天部村。『講座部落』(第3巻、1960)には「ところが一方、部落産業がまったく成立しなかった部落がある。祇園、河原町、三条、四条という、京都一の盛り場にかこまれた、東三条部落もその一つである。」とある。 |
〃 〃 観修學区 | 川田 | 一五三 | 七四五 | 農業 | 日稼 | 下 | 京都市 山科区 川田岩ケ谷、川田梅ケ谷町、川田御出町、川田岡ノ西、川田欠ノ上、川田清水焼団地町、川田土仏、川田百々、川田中畑町、川田西浦町、川田菱尾田、川田前畑町、川田御輿塚町、川田南畑町、川田南山、川田山田 | 京都市山科区(旧・宇治郡山科村)で、公文書に「特種部落」と書かれたことに怒り、1910年6月22日に同村字川田の菱井文四郎が村長を襲撃して村長が死亡する事件があった。(地元部落民が村民大会にて満場一致で村長の殺害を決め、当時26歳だった菱井文四郎(部落青年)が村長を撲殺し、同年10月20日に無期懲役となった、糾弾事件の事。)川田西浦町に菱井姓1件。2000年電話帳。 |
〃 下京区 崇仁學区 | 東七条 | 一八一五 | 八一五三 | 履物、土工、履物仲買、皮革、行商 | 鹿ノ子絞り | 下 | 京都市 下京区 若宮町、上之町、下之町、郷之町、小稲荷町、東之町、西之町の各全部、屋形町2~12 (不良住宅密集地参考) | 別名は柳原地区。また内浜とも。全水本部中央委員の菱野貞次や桜田(藤岡)規矩三、暴力団三代目会津小鉄会会長の図越利一の出身地区。また十三代目弾左衛門の母方の祖父はこの地区の長吏頭であった。東之町、西之町に図越姓が各1件。藤岡姓が下之町に2件、東之町に1件。菱野姓なし。2000年電話帳。蓮田攻とリムボンは論文で「柳原銀行は1899年,京都市内最大の同和地区である崇仁地区の前身である柳原町の町長経験者であった明石民蔵ら住民有志によって設立された。部落の人々によって設立され,地域金融の役割を担った「被差別部落」唯一の銀行である。」と暴露している。また同論文で崇仁地区の地図も掲載している。 関連施設等
|
〃 〃 吉祥院學区 | 菅原 | 九七 | 五六二 | 農業 | 下 | 京都市 南区 吉祥院菅原町 | 『覚書・近代京都と屠場― 三都の比較史』(吉村智博)には「その後、一九二三年に中央卸売市場法が制定されたのをうけて、一九二八年には施設の増改築が行われ一九五四年四月には京都市立屠畜場使用条例・施行細則が施行され、現在、南区吉祥院に屠場があるという流れです。どんどん中心部から周辺部に移っています。」とある。 | |
〃 〃 上鳥羽學区 | 唐戸 | 一八 | 四四 | 農業、靑物商、靴製造 | 下 | 京都市 南区 上鳥羽唐戸町、上鳥羽南唐戸町 | ||
〃 〃 〃 | 清井 | 三二 | 一一〇 | 農業、土工 | 下 | 京都市 南区 上鳥羽清井町 | 俗称「カッパ座」。 | |
〃 伏見区 醍醐學区 | 辰巳 | 一四七 | 六九八 | 農業 | 鹿ノ子絞り | 下 | 京都市 伏見区 醍醐辰巳町 | |
〃 〃 納所學区 | 九番 | 三四 | 一七七 | 農業 | 葭簀作 | 下 | 京都市 伏見区 納所北城堀 | |
〃 〃 竹田學区 | 狩賀 | 三六〇 | 一八〇〇 | 土工、農業、生魚行商 | 鹿ノ子絞り、製俵 | 下 | 京都市 伏見区 竹田狩賀町 | 別名は改進地区。部落解放同盟は「部落解放研究第48回全国集会」のパンフレットに"1960年代後半、多くの人たちに歌われ全国に広がった「竹田の子守唄」は、当時、芸術座公演「橋のない川」の音楽担当であった尾上和彦さんが、京都府伏見区竹田の被差別部落改進地区のあるおばあさんの唄に心打たれ編曲し、取材した部落の地名を名付けて舞台で発表されたことが契機でした。"と掲載し、部落の地名を暴露している。部落解放同盟京都府連の柳生雅巳は"改進地区は竹田の子守唄で知られているところで、その位置は、東は24号線、西は高瀬川、北は近鉄、南は七瀬川という立地にある。1600年の関ヶ原の戦いの後、徳川家康が伏見城再興のおり、丹波橋通にあった被差別集団を現在地に移したといわれている。当時は野田村といったが、本来、竹田村に属し管轄も京都町奉行所となるものが伏見奉行所の管轄に置かれた。これは明らかに人為的に移されてつくられた部落である。明治末頃に人口が増加し、深草地区に拡大していく。立地条件は極めて悪く、高瀬川と七瀬川の合流地点にあり、他地域の田を守るためそこの土手を高くし、増水すれば地区内に水が流入するという遊水地であった。1972年の全面的改修の終了までは、絶えず水がつくという厳しい状況にあった。"と述べ、京都市の同和地区「改進地区」の具体的な場所を暴露している。1946年の七条警察署襲撃事件で死亡した辻本四郎は当地区に在住。辻本姓なし。2000年電話帳。 |
〃 〃 深草學区 | 加賀屋敷 | 一八〇 | 八一〇 | 土工、農業、生魚行商 | 鹿ノ子絞り、製俵 | 下 | 京都市 伏見区 深草加賀屋敷町 | |
乙訓郡 久世村 大薮築山 | 築山北條 | 一四七 | 七九〇 | 日稼 | 竹箒製職 | 下 | 京都市 南区 久世築山町、久世大薮町、久世大築町 | 久世大築町118の中村道枝が、1974年に結婚差別から男性を殺害し、1977年3月30日、京都地裁で懲役2年、執行猶予2年の有罪判決を受けた(久世結婚差別事件)。篠崎蓮乗の妻は山田姓の看護婦で、大薮部落の者。部落解放同盟京都府連の菱田直義は「久世でも地区外流出が目立つが,地域の祭りには割と戻ってきてくれる。しかし,まだ連帯という所までいかない。」と述べ、京都府京都市南区久世が部落だと暴露している。部落解放同盟京都府連の丸山勝は"私たち久世支部は、地元久世において久世桂川・新川環境整備事業によりできた「久世ニューリバー公園」で「河川美化活動」や「京都レインボーフェスティバルin久世」などの事業を行い、部落差別の垣根を越えて、多くの人が集い語り合う中で久世地域全体の交流と連帯を進めてきました。"と述べ、久世の部落を暴露している。中村姓が久世大薮町に10件、久世大築町に5件。山田姓が久世大薮町に5件。2000年電話帳。 |
〃 淀村 樋爪 | 上樋爪 | 一九 | 九六 | 農業 | 日稼 | 下 | 京都市 伏見区 淀樋爪町 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
乙訓郡 新神足村 開田 | 奥ノ町 | 一三六 | 六八四 | 農業、日稼 | 土木請負 | 下 | 長岡京市 開田 | |
宇治郡 宇治村 木幡 | 木幡 | 四八 | 一九二 | 農業 | 日稼 | 下 | 宇治市 木幡 | 部落が木幡河原だけなのか、木幡の他の地域も含むのかは要調査。 関連施設等
|
〃 〃 〃 | 岡屋 | 二一 | 九九 | 農業 | 日稼 | 下 | 宇治市 五ケ庄 | 宇治市五ケ庄寺界道37-3に宇治市立岡屋小学校あり。五ケ庄寺界道69-1に宇治市西岡屋会館あり。五ケ庄大林に東岡屋集会所あり。 |
久世郡 宇治町 宇治郷 | 十番組 | 七〇 | 三五〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 宇治市 | 一番組から十番組(九番組は欠番)は宇治神社(宇治市宇治山田1)の氏子の奉賛会で、番号が若いほど地理的に神社に近い。『京都府未解放区の実態生態』に照らし合わせると、宇治善法の可能性が高い。NPO法人の善法雇用促進協議会はその名の通り団体名に(宇治)善法の地名を含んでいる。同法人の「定款に記載された目的」欄には「この法人は...部落差別をはじめあらゆる人権差別の早期解決と地域住民の生活の安定をめざして、人権差別に対する啓発活動や雇用の促進に関する事業を行うことにより、地域の生活環境の向上と地域住民の福祉の増進及び人権擁護に寄与することを目的とする。」とあり、部落解放同盟京都府連の原田眞智子は同法人の代表として京都府宇治市宇治善法を部落だと暴露している。部落解放同盟京都府連の原田絵美子は善法地域のフィールドワークを開催し、京都府宇治市宇治善法を部落だと暴露している。以下が当該記述である。"【京都支局】近畿・東海ブロック女性活動者交流会を1月31日、2月1日の二日間、宇治市のコミュニティワークうじ館でひらき、京都をはじめ大阪、奈良、兵庫、和歌山の各府県連の女性(対策)部から60人が参加し、部落差別、女性差別などについて学習を深めた。開会では兵庫県連女性部の植村あけみ・部長が「有意義な交流会にして、明日からの実践を」とあいさつ。地元の善法地域まちづくり推進委員会の小山吉彦・委員長からあいさつがあり、NPO法人善法雇用促進協議会の原田絵美子さんがフィールドワークの事前説明をおこなった。その後、二班にわかれて善法地域のフィールドワークをおこない、こもと(水くみ場)や善法保育所、山本宣治の墓などを視察した。" |
〃 〃 〃 | 石塚 | 二〇 | 一〇〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 宇治市 神明 石塚 | 『京都府未開放地区の生活実態』に照らし合わせると、宇治池森の可能性もある。要調査。 |
〃 御牧村 | 河原田 | 八 | 八二 | 農業 | 日稼 | 下 | 久世郡 久御山町 坊之池 河原田 | |
綴喜郡 八幡町 八幡荘 | 第六区 | 三一〇 | 一六五〇 | 日稼 | ナシ | 下 | 八幡市 八幡軸付近 | 八幡軸に巌姓8件、嵓姓4件。2000年電話帳。 |
〃 井手町 松原 | 南 | 一四〇 | 六七〇 | 土木、農業、日稼 | 雑業 | 中 | 綴喜郡 井手町 井手 浜田 | 井手町井手浜田に町立山吹会館(南地区隣保館)がある。井手 段ノ下を含む可能性あり。 |
〃 〃 〃 | 北 | 一四三 | 六四五 | 土木、農業、日稼 | 雑業 | 中 | 綴喜郡 井手町 井手 南猪ノ阪 | 北地区隣保館(玉川会館。現・北区公民館)あり。井手 下赤田を含む可能性あり。部落解放同盟中央本部書記局長の西島藤彦氏が代表をつとめるNPO法人が綴喜郡井手町大字井手小字南猪ノ阪75番地の1にある。西島氏は「井手の部落史を学ぼう!」という講演会を開催したり、「おいで(井手)やす、ふれあいの集い」というイベントを開催したりしたことで井手の部落を暴露した。部落解放同盟京都府連の中村義孝は『部落史連続講座「井手の部落史を学ぼう!」』というテーマで講演し、綴喜郡井手町の部落を暴露している。 |
〃 都々城村 下奈良 | 二階堂 | 九五 | 四七五 | 農業 | 行商 | 下 | 八幡市 下奈良二階堂 | 巌姓2件、関西姓7件、関東姓1件。2000年電話帳。 |
〃 三山木村 三山木 | 南山 | 一二〇 | 七二〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 京田辺市 三山木 | |
相楽郡 木津町 淸水 | 社町 | 六一 | 三〇五 | 農業 | 仲仕 | 中 | 木津川市 木津 清水 | |
〃 加茂町 | 北、大野 | 七三 | 三八二 | 農業、日稼 | 日稼、農耕 | 下 | 木津川市 加茂町北小谷、加茂町北広、加茂町大野丑谷、加茂町大野西丑谷 | 1939年5月、小谷上(こだにかみ)部落出身の茶摘み子の辻本もとゑ・ちよえらが職場で部落差別を受け、仕事の世話をした同じ部落の片岡種吉が金10円と詫び状を得たとされる。大野丑谷に辻本姓6件。北小谷に片岡姓2件、うち1件は片岡種吉と同姓同名。2000年電話帳。 |
〃 笠置町 | 有市 | 六五 | 四二七 | 農業 | 日稼 | 下 | 相楽郡 笠置町 有市 | |
〃 川西村 祝園 字 佃 | 東区 | 五五 | 三二四 | 農業 | 日稼 | 下 | 相楽郡 精華町 祝園 佃 | 西島姓20件。2000年電話帳。 |
〃 中和束村 別所 | 東垣内 | 八八 | 四五七 | 農業 | 日稼 | 下 | 相楽郡 和束町 別所 | |
南桑田郡 篠村 野條 | 野條 | 一一四 | 五八六 | 農業 | 日稼 | 下 | 亀岡市 篠町野条 | |
〃 西別院村 | 犬甘野 | 一七 | 九〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 亀岡市 西別院町犬甘野 | |
〃 薭田野村 | 天川 | 五七 | 三一〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 亀岡市 ひえ田野町天川 | |
〃 大井村 | 小金岐 | 五 | 三七 | 農業 | 日稼 | 下 | 亀岡市 大井町小金岐 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
南桑田郡 馬路村 | 三辻 | 五一 | 二八五 | 農業 | 日稼 | 下 | 亀岡市 馬路町 三ツ辻 | 堤姓(「三○屋の△といえば誰知らぬ者はなく三○屋なる部落なる場所名と△なる人の氏が一体をなしている」「曾父○助は後花園天皇の御附侍某の子孫にして丹波桑田郡第二十二区上黒田村(現在の北桑田郡黒田村大字黒田小字川間に当る)に生れその実兄は平○市兵衛といい長じて京都府南桑田郡河原尻村(後河原村と改称)に移住し明治五年壬申九月中同郡馬路村に転籍し申立人の現住所に居住するに至りその妻は○よと称していた。しかして、明治四、五年頃における馬路村の風習は他村より転籍して来た者に対してはその従前称していた氏を称することを許されなかったのであり、村の戸籍係員が強制的独断的に従前と異なった氏を指定して呼称せしめていた」。京都における改姓の申し立て。馬路村は現在の亀岡市馬路町。△は堤。『氏の変更(唄孝一・家族法著作選集 第2巻)』(唄孝一、日本評論社、1992)による。) 19件。2000年電話帳。 |
〃 保津村 | 西垣内 | 一三〇 | 六五〇 | 農業 | 土木事業 | 中 | 亀岡市 保津町 西垣内 | |
北桑田郡 神吉村 知ノ浦 | 西 | 一二 | 六六 | 小作、日稼 | 草履作 | 下 | 南丹市 八木町神吉 知ノ浦 | |
〃 周山村 | 橋向 | 一一 | 七〇 | 農業 | 山稼 | 下 | 京都市 右京区 京北周山町上ノ段付近 | 有田芳生(参院議員、民進党)は北桑田郡周山町出身。この部落の出身かどうかは不明。芳生の父の有田光雄は島根県出身。母の有田和子は鳥取県出身。 |
〃 宮島村 | 和泉 | 九 | 五一 | 農業 | 日稼 | 下 | 南丹市 美山町和泉 | |
〃 大野村 | 向山 | 一 | 九 | 農業 | 日稼 | 下 | 南丹市 美山町向山 | |
船井郡 園部町 | 大村 | 一三〇 | 七五〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 南丹市 園部町城南町 | 野中姓20件。2000年電話帳。衆院議員の野中広務(自民党)の出身地区。 |
〃 〃 | 和市 | 三三 | 二〇〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 南丹市 園部町小山西町 | 和市は私市の誤記。 |
〃 〃 | 木崎 | 四五 | 二四〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 南丹市 園部町木崎町 | |
〃 須知町 上野 | 北上野 | 四五 | 一八五 | 農業 | 日稼 | 下 | 船井郡 京丹波町 上野 | |
〃 富本村 | 北屋賀 | 八五 | 五二九 | 農業 | 日稼 | 下 | 南丹市 八木町北屋賀 | 国府姓18件。國府姓2件。2000年電話帳。 |
〃 世木村 天若 | 小茅 | 一六 | 八〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 南丹市 日吉町中 | 消滅。1997年に完成した日吉ダムの天若湖の水域となる。 |
〃 五ヶ荘村 | 田原 | 五三 | 二六六 | 農業 | 日稼 | 下 | 南丹市 日吉町田原 | 栃下姓31件。2000年電話帳。1974年、解放同盟京都府連日吉支部の栃下姓(栃下哲夫の事か?)の支部長が京都木材団地(亀岡市大井町)の吉田亨という労働者の差別発言(当人同士ではすでに解決済になっていた)を執拗に糾弾し、吉田を団地焼却炉で自殺に追い込んだ事例あり。 |
〃 摩氣村 | 新江 | 一四 | 八三 | 農業 | 藁加工 | 下 | 南丹市 園部町仁江 | 仁江は室町時代から江戸時代に新江とも表記した。 |
〃 〃 | 半田 | 一一 | 五二 | 農業 | 藁加工 | 下 | 南丹市 園部町半田 | 村下姓10件。2000年電話帳。 |
〃 東本梅村 | 松熊 | 一八 | 一〇〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 亀岡市 東本梅町松熊 | |
〃 西本梅村 | 西埴生 | 一〇 | 五五 | 農業 | 日稼 | 下 | 南丹市 園部町埴生 | |
〃 竹野村 | 新水戸 | 二五 | 一三二 | 農業 | 日稼 | 下 | 船井郡 京丹波町 新水戸 | 徳岡姓6件。2000年電話帳。 |
〃 高原村 | 豊田 | 九〇 | 四二〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 船井郡 京丹波町 豊田 | |
〃 梅田村 | 下大久保 | 二四 | 一〇七 | 農業 | 養蚕 | 下 | 船井郡 京丹波町 下大久保 | |
〃 〃 | 東又 | 二 | 一一 | 農業 | 養蚕 | 下 | 船井郡 京丹波町 東又 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
船井郡 上和知村 | 竹谷 | 一二 | 四二 | 農業 | 日稼 | 下 | 船井郡 京丹波町 升谷 | 竹谷は升谷の誤記。 |
〃 〃 | 長瀬 | 八 | 三三 | 農業 | 日稼 | 下 | 船井郡 京丹波町 長瀬 | |
〃 〃 | 細谷 | 四 | 二四 | 農業 | 日稼 | 下 | 船井郡 京丹波町 細谷 | |
〃 下和知村 | 安栖里 | 八 | 四六 | 農業 | 日稼 | 中 | 船井郡 京丹波町 安栖里 萩尾 | |
〃 〃 | 出野 | 八 | 四七 | 農業 | 日稼 | 中 | 船井郡 京丹波町 出野 | |
天田郡 福知山町 | 今宮 | 一〇六 | 四五八 | 農業 | 日稼、藁細工 | 下 | 福知山市 堀 今宮 | 堀に一井姓3件、後一姓4件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 段畑 | 二〇 | 一一二 | 農業 | 日稼、藁細工 | 下 | 福知山市 堀 段畑 | 1954年1月19日に当地の部落民の松本絹枝(19歳)が結婚差別を受けて自殺したとされる。堀に松本姓2件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 箕越 | 三八 | 一六八 | 農業 | 日稼、藁細工 | 下 | 福知山市 天田 夕陽が丘 | |
〃 菟原村 菟原下 | 野垣市 | 四五 | 二一四 | 農業 | 養蚕 | 下 | 福知山市 三和町菟原下 | 角井姓5件。2000年電話帳。 |
〃 細見村 | 千束 | 一 | 三 | 雑業 | / | 下 | 福知山市 三和町千束 | |
〃 川合村 | 坪上川 | 九 | 五七 | 農業 | 日稼 | 下 | 福知山市 三和町岼 | 坪上川の坪は岼の誤記。 |
〃 下六人部村 長田 | 九十三戸 | 一二一 | 五八三 | 農業 | 養蚕、花賣 | 下 | 福知山市 長田 | |
〃 雀部村 前田 | 遠留 | 三四 | 一六六 | 農業 | 日稼 | 下 | 福知山市 前田 遠留 | 土永姓3件。2000年電話帳。 |
〃 庵我村 | 猪崎 | 六五 | 三五〇 | 農業 | 養蚕 | 下 | 福知山市 猪崎 | |
〃 〃 | 筈養 | 四 | 三三 | 農業 | 養蚕 | 下 | 福知山市 筈巻 | |
〃 上豊富村 | 畑中 | 二 | 一五 | 農業 | 日稼 | 下 | 福知山市 畑中 | |
〃 下豊富村 新庄 | 下新庄 | 二一 | 一二〇 | 農業 | 養蚕 | 下 | 福知山市 新庄 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
天田郡 下豊富村 新庄 | 袋 | 一八 | 一〇六 | 農業 | 養蚕 | 下 | 福知山市 新庄 | |
〃 上川口村 上小田 | 小田 | 二八 | 一二三 | 農業 | 日稼 | 下 | 福知山市 上小田 小田 | |
〃 〃 | 蛇ヶ谷 | 二二 | 一一〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 福知山市 上小田 蛇ヶ谷 | |
〃 〃 | 長祖 | 八 | 四八 | 農業 | 日稼 | 下 | 福知山市 上小田 大見長祖 | |
〃 下川口村 上小田 | 波江 | 二七 | 四三 | 農業 | 日稼 | 下 | 福知山市 上天津 波江 | |
〃 〃 | 石本 | 六 | 二七 | 農業 | 日稼 | 下 | 福知山市 上天津 石本 | |
〃 金山村 | 行積 | 二〇 | 一四一 | 農業 | 養蚕 | 下 | 福知山市 行積 | 行積の訓みはイツモリ。行積は上地、中地、尾佐地、岡地、下地があり、下地が被差別部落。「国道(引用者註、176号線)から、すぐそばだったが、急な坂をのぼった、その斜面のところに、部落はあった」「坂の登り口のところに、坂道をはさんで、12、3戸が、かたまったところだけが、被差別部落だ」と『解放新聞』が暴露している。行積481番地から509番地付近と判断できる。地元の部落姓に西治(にしじ)、岡巻、岩森があることも『解放新聞』が暴露している。西治姓1件、岩森姓1件。岡巻姓なし。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 天座 | 二 | 八 | 農業 | 養蚕 | 下 | 福知山市 天座 | |
〃 三岳村 一ノ宮 | 伝大寺 | 一〇 | 五六 | 農業 | 日稼 | 下 | 福知山市 一ノ宮 | |
〃 金谷村 梅谷 | 三谷 | 六 | 二七 | 農業 | 日稼 | 下 | 福知山市 梅谷 | |
〃 〃 宮垣 | 中ノ谷 | 二 | 一〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 福知山市 宮垣 | |
〃 上夜久野村 中田 | 板生 | 三七 | 一九四 | 農業 | 藁細工 | 下 | 福知山市 夜久野町板生 | |
〃 下夜久野村 額田 | 向 | 七五 | 四五〇 | 半農、日稼 | 藁細工 | 下 | 福知山市 夜久野町額田 向 | |
何鹿郡 綾部町 | 味方 | 二七 | 一〇八 | 農業 | 日稼 | 下 | 綾部市 味方町 | 瀬上姓4件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 井倉 | 一二 | 七〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 綾部市 井倉町 | 福多姓2件。2000年電話帳。 |
〃 以久田村 | 栗 | 四六 | 一九九 | 農業 | 日稼 | 下 | 綾部市 栗町 | 本来は由良川の河川敷にあった。1953年9月25日の台風13号での水害により、以久田大橋のところの栗橋(40戸)、栗町(7戸)、栗揚(9戸)、栗上(3戸)に分散移転。そのほか綾部市宮代町に移転した家が10戸。この部落から出た水平運動家に田中円太郎、田中森蔵、山崎仙太郎がいたことを解放新聞が暴露している。朝田善之助は栗橋部落に槻瀬、川島、大槻姓があることを暴露している。大槻姓は栗町沢に6件、栗町佃に5件、栗町南ユルズに2件、栗町平田に2件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 位田 | 六 | 二七 | 農業 | 日稼 | 下 | 綾部市 位田町 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
何鹿郡 佐賀村 私市 | 上野 | 三四 | 一五七 | 農業 | 日稼 | 下 | 綾部市 上野町 | |
〃 小畑村 小面 | 有坪 | 八 | 四〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 綾部市 小西町 有坪 | 小面は小西の誤記。 |
〃 物部村 | 北岸田 | 四五 | 二六四 | 農業 | 日稼 | 下 | 綾部市 物部町 岸田 | |
〃 志賀郷村 | 志賀郷 | 三二 | 一六〇 | 農業 | 藁細工 | 下 | 綾部市 志賀郷町 | |
〃 吉美村 夛田 | 鳴田 | 二〇 | 一〇四 | 農業 | 養蚕 | 下 | 綾部市 多田町 鳴田 | 参田姓3件、鳴田姓2件。2000年電話帳。 |
〃 西八田村 | 中筋 | 二八 | 一二九 | 農業 | 日稼 | 中 | 綾部市 中筋町 | |
〃 〃 | 岡安 | 四 | 一八 | 農業 | 日稼 | 中 | 綾部市 岡安町 | |
〃 〃 | 下八田 | 八 | 三五 | 農業 | 日稼 | 中 | 綾部市 下八田町 | |
〃 東八田村 | 安国寺 | 一二 | 六四 | 農業 | 日稼 | 中 | 綾部市 安国寺町 | |
〃 山家村 | 上原 | 二〇 | 一〇五 | 農業 | 日稼 | 下 | 綾部市 上原町 | |
〃 口上林村 建田 | 川端最寄 | 一一 | 七六 | 農業 | 日稼 | 下 | 綾部市 物部町 建田 | |
〃 中上林村 八津合 | 片山 | 二二 | 一三五 | 農業 | 日稼 | 下 | 綾部市 八津合町 片山 | 朝田善之助は片山に全21戸の部落があること、住民の姓に森津があることを暴露している。森津姓9件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 竹原 | 一二 | 六六 | 農業 | 日稼 | 下 | 綾部市 八津合町 竹原下 | |
加佐郡 河守町 河守新町 | 新町 | 七 | 二三 | 農業 | 日稼、養蚕 | 下 | 福知山市 大江町河守 新町 | |
〃 〃 | 金屋 | 八 | 三〇 | 農業 | 日稼、養蚕 | 下 | 福知山市 大江町金屋 | |
〃 中舞鶴町 | 余部下 | 四五 | 二三四 | 農業 | 日稼 | 下 | 舞鶴市 余部下 | 別名は荒田。余部下43-15に舞鶴市役所荒田市民交流センターがある。 |
〃 〃 | 長浜 | 一〇 | 五一 | 農業 | 日稼 | 下 | 舞鶴市 長浜 | 「舞鶴市には軍港をはさんで6つの未解放部落があるが、そのうち4つまでは、明治30年以降形成されたものである。荒田、鍵田、奥市場、長浜部落がそれで、いずれも舞鶴鎮守府設置に伴う築港工事に鳥取県東部の部落から出稼ぎにきて、そのまま定着したもの」と『農村部落:その地域と社会』189頁(部落問題研究所出版部、1964年)にある。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
加佐郡 新舞鶴町 | 塚田 | 八〇 | 四五〇 | 日稼 | 藁仕事 | 下 | 舞鶴市 行永 | 行永の小字に塚田あり。 |
〃 〃 | 奥市場 | 二九 | 一五〇 | 日稼 | 藁仕事 | 下 | 舞鶴市 市場 | 別名は奥市場。 |
〃 河東村 | 千原 | 七 | 二八 | 日稼 | 藁仕事 | 下 | 福知山市 大江町千原 | |
〃 有路上村 | 南有路 | 二〇 | 九五 | 養蚕、牛馬商 | 日稼 | 下 | 福知山市 大江町南有路 | この部落には古くから苗字帯刀を許されていた家があった。同地では1924年頃に改姓の要求を出して全戸が改姓しており、当事者に中野姓の者がいた。 |
〃 有路下村 | 二個 | 六 | 三一 | 日稼 | / | 下 | 福知山市 大江町二箇 | |
〃 岡田上村 | 桑飼上 | 一七 | 八三 | 日稼 | 養蚕 | 下 | 舞鶴市 桑飼上 | |
〃 〃 | 桑飼下 | 七 | 四一 | 日稼 | 養蚕 | 下 | 舞鶴市 桑飼下 | |
〃 八雲村 | 丸田 | 二 | 一三 | 農業 | / | 下 | 舞鶴市 丸田 | |
〃 〃 | 八田 | 四 | 二二 | 農業 | / | 下 | 舞鶴市 八田 | |
〃 〃 | 下水間 | 二三 | 一三四 | 農業 | / | 下 | 舞鶴市 下見谷 | |
〃 餘内村 | 福来 | 三五 | 二一一 | 農業 | 皮革職 | 下 | 舞鶴市 福来 | 大機姓22件。2000年電話帳。1955年10月に部落解放同盟京都府連荒田支部、長浜支部、北浜支部、市場上支部、福来支部の五支部が部落解放同盟舞鶴地区協議会を結成した。 |
〃 倉梯村 行永 | 行永二区 | 七九 | 四五八 | 農、海軍傭人 | 藁仕事 | 中 | 舞鶴市 行永 | 倉橋姓5件。2000年電話帳。 |
〃 岡田下村 | 川向 | 二〇 | 一〇五 | 日稼 | 藁仕事 | 下 | 舞鶴市 志高 川向 | |
〃 〃 | 横町 | 一一 | 五九 | 小作農 | 日稼 | 下 | 舞鶴市 志高 | |
與謝郡 宮津町 杉末 | 杉末 | 四八 | 二二九 | 農業 | 日稼 | 下 | 宮津市 杉末 | |
〃 加悦町 算所 | 大石 | 五二 | 二六八 | 農業 | 養蚕 | 下 | 与謝郡 与謝野町 算所 | |
〃 岩滝町 男山 | 下森 | 八 | 三八 | 農業 | 細工 | 下 | 与謝郡 与謝野町 男山 | 下森姓6件。2000年電話帳。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
與謝郡 栗田村 上司 | 松本 | 五 | 三七 | 農業 | 日稼 | 下 | 宮津市 上司 | |
〃 府中村 | 国分 | 六 | 二六 | 農業 | 日稼 | 下 | 宮津市 国分 | |
〃 日置村 茨崎 | 上 | 九 | 四五 | 農業 | 日稼 | 下 | 宮津市 日置 | 『角川日本地名大辞典』に日置の小字の一つに茨崎がある。 |
〃 養老村 | 大島 | 一四 | 九八 | 農業 | 日稼 | 中 | 宮津市 大島 | 井戸本姓9件、中立姓6件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 岩ヶ鼻 | 六 | 三〇 | 農業 | 日稼 | 中 | 宮津市 岩ケ鼻 | |
〃 本庄村 | 本庄上 | 一二 | 五五 | 農業 | 日稼 | 下 | 与謝郡 伊根町 本庄上 | |
中郡 長善村 | 長岡 | 一二 | 六〇 | 農業 | 養蚕 | 下 | 京丹後市 峰山町長岡 | |
〃 〃 | 善王寺 | 二〇 | 一〇〇 | 農業 | 養蚕 | 下 | 京丹後市 大宮町善王寺 | 真駈姓3件。2000年電話帳。善王寺長谷集会所あり。長谷のフリガナはナガタニ。小字から明治新姓の際に長谷姓となって1883年に改姓。 |
〃 五十河村 明田 | 入谷 | 七 | 五五 | 農業 | 日稼 | 下 | 京丹後市 大宮町明田 入谷 | 入谷のフリガナはニュウタニ。小字から明治新姓の際に入谷姓となって1924年に改姓。 |
〃 周枳村 | 谷ヶ奥 | 一八 | 一三〇 | 農業 | 日稼 | 下 | 京丹後市 大宮町周枳 谷ヶ奥 | 小字の椿原から明治新姓の際に椿原姓となって1924年に改姓。 |
竹野郡 郷村 | 御堂 | 一六 | 九一 | 農業 | 日稼 | 下 | 京丹後市 網野町郷 御堂 | |
〃 弥栄村 | 溝谷 | 四 | 二八 | 農業 | 日稼 | 下 | 京丹後市 弥栄町溝谷 | 『同和地区や児童養護施設の生徒が多く通う「京都市立弥栄中学校」を密着取材し、ルポ「弥栄のきずな」を連載』したと毎日新聞の林由紀子氏が公表したことから、同中学校の校区に同和地区が含まれることは確実である。毎日新聞は「千枝は同和地区出身だ。」とアウティングしている。京丹後市弥栄町溝谷3301−1に京丹後市立弥栄中学校がある。 |
〃 〃 | 堤 | 四 | 二一 | 農業 | 日稼 | 下 | 京丹後市 弥栄町堤 | |
〃 豊栄村 | 成願寺 | 一一 | 四二 | 日稼 | 藁細工 | 下 | 京丹後市 丹後町成願寺 | |
〃 上宇川村 平 | 坂 | 五 | 二九 | 日稼 | 農業 | 下 | 京丹後市 丹後町平 | |
熊野郡 川上村 | 須田 | 一八 | 一〇一 | 農業 | 藁細工 | 下 | 京丹後市 久美浜町須田 | |
〃 海部村 | 橋爪 | 一三 | 五六 | 農業 | 藁細工 | 下 | 京丹後市 久美浜町橋爪 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
熊野郡 上佐濃村 | 佐濃 | 二五 | 一一二 | 農業 | 藁細工 | 下 | 京丹後市 久美浜町佐野 | 浮網姓6件。2000年電話帳。佐野甲、佐野乙、佐野丙の3行政区があり、被差別部落は佐野乙。 |
計九六 | 一四七 | 九八九三 | 四七六九二 |
本田豊は『新版 部落史を歩く 非人系部落の研究』16頁で「京都ではかなり大きな『非人』部落が1935年調査では完全に統計から消えてしまった」と述べている。
柳田國男は「茶筅及びサヽラ(毛坊主考の七)」の中で「丹後では今の熊野郡田村大字平田の茶筅は、穢多非人とは別にして、田畑小作の外当時木挽をも為す」と述べており、現在の京丹後市久美浜町平田にあたるが、『全國部落調査』には記載がない。
京都府未開開放地区の生活実態(1953年)
施設等
共同浴場
- 京都市立楽只浴場 - 京都市北区紫野上御輿町25番地
- 京都市立錦林浴場 - 京都市左京区鹿ケ谷高岸町2番地の1
- 京都市立養正浴場 - 京都市左京区田中馬場町77番地
- 京都市立壬生浴場 - 京都市中京区西ノ京新建町12番地
- 京都市立三条浴場 - 京都市東山区三条大橋東3丁目下る教業町696番地
- 京都市立崇仁第一浴場 - 京都市下京区上之町4番地の1
- 京都市立崇仁第二浴場 - 京都市下京区屋形町6番地の1
- 京都市立崇仁第三浴場 - 京都市下京区下之町56番地
- 京都市立久世浴場 - 京都市南区久世大築町66番地
- 京都市立辰巳浴場 - 京都市伏見区醍醐外山街道町21番地の11
- 京都市立改進浴場 - 京都市伏見区竹田狩賀町131番地
- 井手町共同浴場(いで湯) - 綴喜郡井手町大字井手小字段ノ下49番地の1
- 玉川共同浴場 - 綴喜郡井手町井手北猪ノ阪20付近(現存せず。林田組社員寮の南)
- 木津川市共同浴場やすらぎの湯 - 木津川市加茂町北広25-2
共同作業場
- 北地区共同作業場 - 綴喜郡井手町井手南猪ノ阪90
- 南地区共同作業場 - 綴喜郡井手町(番地は不明。町名はおそらく井手浜田)
- 西方寺平共同作業場 - 舞鶴市字西方寺地内
- 上宇川共同作業場 - 京丹後市丹後町平
小集落改良住宅
亀岡市
- 亀岡市営小集落改良住宅 - 亀岡市保津町下大年, 六条口, 西垣内, 宮ノ前, 弐番
南丹市
- 小集落改良住宅八木一ツ橋団地 - 南丹市八木町北屋賀一ツ橋103番地12外
長岡京市
- 深田住宅 - 長岡京市野添2丁目
綾部市
- 綾部市営小集落改良住宅 - 綾部市栗町
木津川市
- 小谷下団地 - 木津川市加茂町北小谷地内
- 北団地 - 木津川市加茂町北広地内
井手町
- 井手町営改良住宅 - 綴喜郡井手町井手段ノ下(おそらく68番地付近の二戸一)、井手南猪ノ阪(おそらく59番地付近の二戸一)
関連団体
- 部落解放同盟京都府連合会 - 京都府京都市北区小山下総町5-1
- 部落解放同盟京都市協議会 - 京都府京都市北区小山下総町5−2
- 部落解放同盟六区支部 - 京都府八幡市八幡軸55
- 部落解放同盟南丹地区連絡協議会 - 京都府船井郡園部町小山東町溝辺31
- 部落解放同盟木崎支部企業対策部 - 京都府船井郡園部町内林町
- 綾部市部落解放同盟事務所 - 京都府綾部市味方町5-0
- 部落解放同盟 - 京都府福知山市字岡ノ10
- 部落解放同盟京都府連合会舞鶴地区協議会 - 京都府舞鶴市上安
- 部落解放同盟京都府連合会河原支部 - 京都府宇治市木幡河原
- 部落解放同盟京都府連合会善法支部 - 京都府宇治市宇治善法
- 部落解放同盟山城地区協議会 - 京都府宇治市宇治矢落38
- 部落解放同盟綾部地区協議会 - 京都府綾部市味方町石風呂50-5
- 部落解放同盟京都府連合会保津支部 - 京都府亀岡市保津町
- 部落解放同盟京都府連合会竹田深草支部
- 部落解放同盟京都府連合会田辺支部
- 部落解放同盟京都府連合会笠置支部
- 自由同和会京都府本部 - 京都府京都市山科区川田欠ノ上10 ヒューマンセンター内
- 全日本同和会京都府連合会本部 - 京都府京都市中京区式阿弥町139-601
- 全日本同和会京都府連合会田辺支部 - 京都府綴喜郡田辺町三山木山崎43
- 京都人権連 - 京都府京都市下京区新町通七条下ル東塩小路町727番地 企業組合センターしんまち 403号
- 全国水平同盟崇仁支部(準備会)
- 崇仁協議会 - 京都市南区東九条西岩本町16番地→京都市下京区七条通高倉西入材木町505番地
- 部落解放井手建設協同組合 - 京都府綴喜郡井手町井手小字下赤田80
隣保館
- 京都人権啓発センター - 京都市北区小山下総町5番地の1 京都府部落解放センター内
- 丹波市人権啓発センター - 丹波市氷上町成松字甲賀1番地
- いづみ隣保館(井手町役場いづみ人権交流センター) - 綴喜郡井手町井手段ノ下37-1
- 北地区隣保館(玉川会館。現・北区公民館) - 綴喜郡井手町井手南猪ノ阪
- 南地区隣保館(町立山吹会館) - 綴喜郡井手町井手浜田
- 宇治市善法隣保館(コミュニティワークうじ館) - 宇治市宇治善法31番地
- 宇治市木幡河原隣保館(コミュニティワークこはた館) - 宇治市木幡河原3番地の12
- 宇治市玉池集会所 - 宇治市宇治池森38番地の5
- 福知山市人権ふれあいセンター南佳屋野会館 - 福知山市字前田33番地
- 福知山市人権ふれあいセンター下六人部会館 - 福知山市字長田2618番地
- 福知山市人権ふれあいセンター堀会館 - 福知山市字堀2539番地
- 福知山市前田児童館 - 福知山市字前田1212番地の1
- 福知山市丘児童センター - 福知山市字天田506番地
- 福知山市庵我児童館 - 福知山市字猪崎1761番地
- 福知山市人権ふれあいセンターさわやか館 - 福知山市夜久野町板生2281番地
- 福知山市人権ふれあいセンターきらめき館 - 福知山市夜久野町額田429番地
- 福知山市南有路児童館 - 福知山市大江町南有路1460番地
- 福知山市菟原児童館 - 福知山市三和町菟原下1566番地
- 綾部市綾部会館 - 綾部市味方町石風呂50-5
- 綾部市物部会館 - 綾部市物部町西樋ノ口25
- 綾部市栗文化センター - 綾部市栗町相定47-3
- 宮津市杉末会館 - 宮津市字万年1100番地
- 与謝野町立算所会館 - 与謝郡与謝野町字算所小字寺田121番地
- 舞鶴市荒田市民交流センター - 舞鶴市字余部下43番地の15
- 舞鶴市市場市民交流センター - 舞鶴市字市場211番地の7
- 舞鶴市北浜市民交流センター - 舞鶴市北浜町20番地の7
- 舞鶴市長浜市民交流センター - 舞鶴市字長浜882番地の2
- 舞鶴市福来市民交流センター - 舞鶴市字福来383番地
- 亀岡市立天川文化センター - 亀岡市ひえ田野町天川本山22
- 亀岡市立馬路文化センター - 亀岡市馬路町小米田45番地の4
- 保津文化センター児童館 - 亀岡市保津町弐番11番地の1
- 亀岡市立東部文化センター - 亀岡市篠町野条イカノ辻南76番地
- 亀岡市立犬甘野児童館 - 亀岡市西別院町犬甘野霜ノ下2
- 南丹市園部北部コミュニティーセンター - 南丹市園部町木崎町下ヲサ49番地
- 南丹市園部南部コミュニティセンター - 南丹市園部町城南町クゴ3番地
- 南丹市八木東武文化センター - 南丹市八木町北屋賀焼石8番地1
- 南丹市日吉興風交流センター - 南丹市日吉町田原渕谷口25番地
- 長岡京市北開田会館 - 長岡京市長岡1丁目31番15号
- 八幡市八幡人権・交流センター - 八幡市八幡軸63
- 八幡市有都交流センター - 八幡市下奈良今里17
- 京田辺市三木山福祉会館 - 京田辺市三山木谷垣内2番地1
- 精華町人権センター - 相楽郡精華町大字祝園小字佃5番地
- 木津人権センター - 木津川市木津清水107番地1
- 加茂人権センター - 木津川市加茂町北小谷55番地2
- 笠置町笠置会館 - 相楽郡笠置町大字有市小字羽根田42
- 和束町人権ふれあいセンター - 相楽郡和束町大字釜塚小字前田44番地
教育集会所
- 京都市教育集会所 - 京都市右京区京北周山町上ノ段16番地の2ほか
- 前田教育集会所 - 福知山市字前田1149番地の3
- 夕陽が丘教育集会所 - 福知山市字天田97番地の3
- 小田教育集会所 - 福知山市字野花948番地の1
- 旭が丘教育集会所 - 福知山市字天田389番地
- 庵我教育集会所 - 福知山市字猪崎1285番地の5
- 岡ノ三教育集会所 - 福知山市字堀2703番地の1(福知山市字岡ノ2703-1とも)
- 金山教育集会所 - 福知山市字行積192番地
- 新庄教育集会所 - 福知山市字新庄347番地の1
- 上小田教育集会所 - 福知山市字上小田570番地
- 一ノ宮教育集会所 - 福知山市字一ノ宮921番地
- 東堀教育集会所 - 福知山市字堀2077番地の1
- 夜久野町教育集会所 - 福知山市夜久野町額田217番地
- 昭和集会所 - 福知山市大江町南有路1580番地
- 金屋ふれあいセンター - 福知山市大江町金屋1229番地の1
- 新町コミュニティ会館 - 福知山市大江町河守628番地の1
- 木津川市小谷上教育集会所 - 木津川市加茂町大野丑谷41番地1
- 木津川市小谷下教育集会所 - 木津川市加茂町北小谷40番地1
- 広集会所 - 木津川市加茂町北広1-11
- 亀岡市松熊教育集会所 - 亀岡市東本梅町松熊朝ケ谷3-3
- 宇治市善法教育集会所 - 宇治市宇治善法110-1
- 小山西町教育集会所 - 南丹市園部町小山西町油縄手4-7
- 南丹市八木東教育集会所 - 南丹市八木町北屋賀焼石14-1
- 南丹市神吉教育集会所 - 南丹市八木町神吉初田59-4
- 八幡市立都教育集会所 - 八幡市下奈良中ノ坪14-6
- 八幡市立南ケ丘教育集会所 - 八幡市八幡軸29番地の4
- 北区教育集会場(ママ) - 綴喜郡井手町井手段ノ下(現存せず。井手町営住宅3棟の南の空き地にあった)
- 和束町立和束教育集会所 - 相楽郡和束町大字釜塚小字前田41番地
- 下大久保文化教育センター・ふれあい - 船井郡京丹波町下大久保ダン30番地
- 京丹波町瑞穂ふれあい広場公園(屋外施設) - 船井郡京丹波町下大久保畑ヶセ69番地1 69番地2
- 京丹波町和知教育センター - 船井郡京丹波町升谷上子来69番地4
- 精華町人権センター教育集会所 - 相楽郡精華町祝園小字佃6番地1
人権ふれあいセンターなど
- 人権ふれあいセンター堀会館 - 福知山市堀口2539
- 人権ふれあいセンター南佳屋野会館 - 福知山市南佳屋野町33
- 人権ふれあいセンター下六人部会館 - 福知山市字長田2618
- 人権ふれあいセンターさわやか館 - 福知山市夜久野町板生2281
- 人権ふれあいセンターきらめき館 - 福知山市夜久野町額田429
- 八幡市立八幡人権・交流センター - 八幡市八幡軸63番地
- 八幡市立有都交流センター - 八幡市下奈良今里17番地
- 木津川市木津人権センター - 木津川市木津清水107番地1
- 木津川市加茂人権センター - 木津川市加茂町北小谷55番地2
- 井手町立いづみ人権交流センター - 綴喜郡井手町大字井手小字段ノ下37番地の1
- 和束町人権ふれあいセンター - 相楽郡和束町大字釜塚小字前田44番地
- 精華町人権センター交流会館 - 相楽郡精華町大字祝園小字佃5番地
7 septembre 2017
POP TATARI
行政区間を纏めたリンクに飛びます。こちらの方が見やすいと思います。(今後のブログに掲載予定です。)
町および字の区域および名称の変更
昭和55年5月7日
滋賀県告示第230号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町および字の区域および名称
変更後の町及び字の名称
大津市赤尾町字庵山100の7から100の21まで、100の42から100の46まで、100の57から100の64まで、100の74、100の76
大津市千町二丁目
大津市千町二丁目字川向484の1、484の23から484の55まで、484の99
大津市赤尾町
――――――――――
町および字の区域および名称の変更
昭和55年6月25日
滋賀県告示第333号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町および字の区域および名称
変更後の町の名称
大津市坂本本町字中之岡3591の2、3594の2、/3655/3656/)の3、3657の2およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地の一部
大津市日吉台一丁目
(第2―3工区)
大津市坂本本町字紅染寺3481の2、3482の1、3504の2、3505、3506の1、3507、3508の2、3508の3、3510の1、3511、3512の1、3514の2、3515の2、3516の2、3539の5、3557、3559、3566の1、/3567/3568/)、3569、4270、4272の1、4272の2およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地の全部
大津市坂本本町字中之岡3591の1、/3655/3656/)の1、/3655/3656/)の2、3657の1、3658、/3664/3665/)、3666、3667の2、3667の3、4304の2、4304の3およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地の全部
大津市坂本本町字平石3708の2、3709の2およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地の全部
大津市日吉台二丁目
(第2―3工区)
大津市雄琴千野町字小平1816の3、1817、1818、1819の1、1820の3、1822の3、1823の1、1824、1825の3、1830の1、1830の5、1842の3、1843の3、1844の2、1851の2、1859の2、1861の1、1862の1、1863の1、1863の3、1864、1871、1873、1874、1875の1、1883の2、1886の2、1888の2、1904の1、1905の1、1906から1908まで、1910から1913まで、1916、1916の1、1917の1、1923の2、1924の2、1925の2、1926の1、1927の2、1945の3およびこれらの区域に介在する道路、水路である国有地の全部
大津市雄琴千野町字下山1800の1、1801の1、1804、1806、1807の1およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地の全部
大君市雄琴苗鹿町字崩706の3
大津市日吉台四丁目
(第6工区)
――――――――――
換地処分
昭和55年6月25日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業大津日吉台ニュータウン土地区画整理事業第2―3工区および第6工区について換地処分があつた。
――――――――――
字の区域および名称の変更
昭和55年8月1日
滋賀県告示第382号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)による住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更する町の区域及び名称
変更前
変更後
雄琴町の一部、雄琴千野町の一部及び雄琴苗鹿町の一部
雄琴一丁目おごといつちようめ
雄琴町の一部及び雄琴千野町の一部
雄琴二丁目おごとにちようめ
雄琴町の一部
雄琴三丁目おごとさんちようめ
雄琴町の一部
雄琴四丁目おごとよんちようめ
雄琴町の一部
雄琴五丁目おごとごちようめ
雄琴町の一部及び雄琴苗鹿町の一部
雄琴六丁目おごとろくちようめ
雄琴千野町の一部
千野一丁目ちのいつちようめ
雄琴千野町の一部及び雄琴苗鹿町の一部
千野二丁目ちのにちようめ
雄琴千野町の一部及び雄琴苗鹿町の一部
千野三丁目ちのさんちようめ
雄琴千野町の一部、雄琴苗鹿町の一部及び下坂本比叡辻町の一部
苗鹿一丁目のうかいつちようめ
雄琴町の一部、雄琴千野町の一部及び雄琴苗鹿町の一部
苗鹿二丁目のうかにちようめ
雄琴苗鹿町の一部
苗鹿三丁目のうかさんちようめ
――――――――――
字の区域および名称の変更
昭和56年5月13日
滋賀県告示第242号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地改良法(昭和24年法律第195号)による土地改良事業の実施に伴い、大津市の区域内の字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の字の区域および名称
変更後の字の名称
大津市伊香立下龍華町字下々谷518の一部およびこの区域に隣接する道路である国有地の全部
大津市伊香立下龍華町字金田
(第4工区)
――――――――――
換地処分
昭和56年6月12日
公告
土地改良法(昭和24年法律第195号)第96条の4において準用する同法第54条第3項の規定により、大津市長から龍華地区第4工区の換地処分をした旨の届出があつた。
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和56年9月14日
滋賀県告示第466号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町の区域および名称
変更後の町の名称
大津市坂本本町字平石3744の1、3744の4、3759、3770、3779、3779の1、3780、3782、3782の1、3783の1、3785の1、3830の4、3842、3843の5、4336の3、4343の2、4351の2、4358の1、4359、4360およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地の全部
大津市雄琴千野町字小平1852の1、1856、1857の1、1894の2、1897の1、1898、1898の1、1934の4およびこれらの区域に介在する道路である国有地の全部
大津市日吉台一丁目
(第3―2工区)
――――――――――
換地処分
昭和56年9月14日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画大津日吉台ニユータウン土地区画整理事業3―2工区について換地処分があつた。
――――――――――
新たに生じた土地の確認と区域に編入
昭和56年11月25日
滋賀県告示第610号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項および同法第260条第1項の規定に基づき、大津市長から次のとおり公有水面の埋立てにより新たに生じた土地を大津市の区域として確認し、同市の町の区域に編入する旨の届出があつた。
新たに生じた土地
編入する町の名称
大津市本堅田町字老ケ川133の15、133の44、133の45の各地先
809.84平方メートル
大津市本堅田町字はし爪134の10、134の14、134の17から134の21まで、146の2、147の1、149の1、150の1、153の1、153の2、156の1、157の1、157の3の各地先
3,350.64平方メートル
大津市本堅田町
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和57年1月20日
滋賀県告示第29号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)による住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
上記の変更は、昭和57年2月1日から効力を生ずるものとする。
変更する町の区域及び名称
変更前
変更後
本堅田町の一部
堅田一丁目かたたいつちようめ
本堅田町の一部
堅田二丁目かたたにちようめ
本堅田町の一部
本堅田一丁目ほんかたたいつちようめ
本堅田町の一部
本堅田二丁目ほんかたたにちようめ
本堅田町の一部
本堅田三丁目ほんかたたさんちようめ
本堅田町の一部
本堅田四丁目ほんかたたよんちようめ
本堅田町の一部及び堅田衣川町の一部
本堅田五丁目ほんかたたごちようめ
本堅田町の一部及び真野谷口町の一部
本堅田六丁目ほんかたたろくちようめ
堅田衣川町の一部
衣川一丁目きぬがわいつちようめ
堅田衣川町の一部
衣川二丁目きぬがわにちようめ
堅田衣川町の一部及び本堅田町の一部
衣川三丁目きぬがわさんちようめ
今堅田町の一部
今堅田一丁目いまかたたいつちようめ
今堅田町の一部及び真野町の一部
今堅田二丁目いまかたたにちようめ
今堅田町の一部及び真野町の一部
今堅田三丁目いまかたたさんちようめ
――――――――――
町および字の区域および名称の変更
昭和57年12月3日
滋賀県告示第624号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前
変更後
町
字
地番
町
真野普門町
北浦
161、162、198の1、198の4、198の5
清風町
(普門第1工区)
上沼
690、709、710
下沼
633の1、640、648の2、650の2、651の2、652の1、652の2、654の2、655、656の5、656の6、661、670、681、682
神底
895、898、902、903、904
庄ノ本
907
中通
1002、1003、1005、1005の1、1006、1015
上記のほか、変更前の区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部は変更後の区域に編入する。
――――――――――
換地処分
昭和57年12月3日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業びわ湖ローズタウン土地区画整理事業普門第1工区について換地処分があつた。
――――――――――
字の区域および名称の変更
昭和57年12月22日
滋賀県告示第662号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地改良法(昭和24年法律第195号)による土地改良事業の実施に伴い、大津市の区域内の字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前
変更後
町
字
地番
町
字
上田上桐生町
柿ノ下
967、968の1、968の2、969から974まで、975の1、975の2、976、977の1、977の2、978の3
上田上桐生町
桐生
池ノ谷
986の1、986の2、987の1、987の2、988、992の1から992の3まで、993の1から993の3まで、1003、1004の1、1004の2、1005の1、1005の2、1006から1008まで、1009の2、1010から1012まで、1061の1、1062から1070まで、1084から1089まで、1097の1、1097の2、1098から1102まで、1103の1、1103の2、1104、1105の1から1105の3まで、1106から1110まで、1110の1、1111の1、1111の2、1112の1、1112の2、1113から1118まで、1119の1、1119の2、1120、1121、1122の1、1122の2、1123の1、1123の2、1124から1127まで、1128の1、1128の2、1129の1、1129の2、1130の1から1130の3まで、1131、1132、1133の1、1133の2、1134の1、1134の2、1135、1136、1136の1、1136の2
鳩ケ谷
1137の1、1137の2、1138の1から1138の3まで、1139の1、1139の2、1140、1141、1142の1、1142の2、1143の1、1143の2、1144の1、1144の2、1145から1147まで、1148の1、1148の2、1149、1150の1、1150の2、1151から1154まで、1154の1、1155、1156、1157の1、1158、1159の1、1160の1、1160の3、1161の1、1162の1、1163、1163の1、1164から1167まで、1168の1、1168の2、1169、1170の1、1170の2、1171の1、1171の2、1172から1175まで、1176の1、1176の2、1177から1183まで、1184の1、1184の2、1185、1186の1、1186の2、1187、1188の1、1188の2、1189の1、1189の2、1190、1191の1、1191の2、1193の1、1194から1201まで、1202の1、1202の2、1203の1、1203の2、1204の1、1204の2、1205の1、1205の2、 1206の1、1206の2、1207、1209の1、1209の4、1210の1、1211の1、1211の2、1212の1、1212の2、1213の1、1213の2、1214の1、1214の2、1215の1、1215の2、1216、1218、1219、1219の1から1219の4まで、1220、1221の1、1223の1、1224の1、1224の2、1225の1、1225の2、1226、1226の1、1227から1230まで、1231の1、1231の2、1232の1、1232の2、1233、1234、1235の1、1235の2、1236の1、1236の2、1237から1242まで、1243の1から1243の4まで、1244の1、1244の2、1245の1、1245の2、1246の1、1246の2、1247、1248の1、1248の2、1249の1、1249の2、1250の1、1250の2、1251の1、1251の2、1252の1から1252の3まで、1253、1254の1、1254の2、1255、1256、1257の1、1257の2、1258の1、1258の2、1259から1261まで、1262の1、1262の2、1263の1、1263の2、1264の1、1264の2、1265の1、1265の2、1266から1268まで、1268の1から1268の3まで、1269から1275まで
加部屋
1276、1277、1277の1、1278の1、1278の2、1279から1283まで、1284の1、1284の2、1285、1286、1287の1、1287の2、1288の1、1288の2、1289の1、1289の2、1446の1から1446の3まで、1447から1455まで、1456の1、1456の2、1457の1、1457の2、1458の1、1458の2、1459の1、1459の2
キダ橋
1460、1460の1、1460の2、1461の1、1461の2、1462、1463の1、1463の2、1464から1466まで、1466の1、1467から1469まで、1470の1、1470の2、1471の1、1471の2、1472から1487まで、1488の1、1492、1494の1、1505、1506の1、1506の2、1507、1508の1、1508の2
北橋
1490、1491、1495の1、1495の2、1497の1、1497の2
菅谷
1597の1、1597の2
南ムレ
2003、2004
ボケ谷
2079の1、2080の1、2081の1、2081の2、2081の4、2082の1、2083から2087まで、2089、2090、2090の2、2093から2095まで、2096の1、2097の1、2098の1
上記のほか、変更前の区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部および上田上桐生町字池ノ谷990に隣接する道路である国有地の一部は、変更後の区域に編入する。
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和58年1月19日
滋賀県告示第33号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)による住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があった。
上記の変更は、昭和58年2月1日から効力を生ずるものとする。
――――――――――
換地処分
昭和58年3月2日
公告
土地改良法(昭和24年法律第195号)第54条第3項の規定により、桐生土地改良区から桐生地区の換地処分をした旨の届出があった。
――――――――――
字の区域および名称の変更
昭和59年3月12日
滋賀県告示第137号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地改良法(昭和24年法律第195号)による土地改良事業の実施に伴い、大津市の区域内の字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があった。
変更前
変更後
町
字
地番
町
字
伊香立下龍華町
鳥垣外
/367/367の1/)、367の1、368の2、369の1、369の2、370、370の1、371の1、372の1、373の1、373の2、374の2、375、376
伊香立下龍華町(第1工区)
田中
南ノ前
394、420から422まで、422の1、423、423の1、424、424の1、425、426、426の1、427の1から427の3まで、428の1から428の3まで、436の一部、440の一部、442、442の1、442の2、443、449、450
久保垣外
451の一部、455、455の1、456、457、457の1、457の2、458、461から466まで、466の1、467、468の1、469の1、472の1、472の2、473の1、474、475、476の1、477の1の一部
上記のほか、変更前の区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部は、変更後の区域に編入する。
――――――――――
換地処分
昭和59年3月14日
公告
土地改良法(昭和24年法律第195号)第96条の4において準用する同法第54条第3項の規定により、大津市長から龍華地区第1工区の換地処分をした旨の届出があった。
――――――――――
町および字の区域および名称の変更
昭和59年4月4日
滋賀県告示第220号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があった。
変更前
変更後
町
字
地番
町
真野普門町
上沼
817の2、817の3
陽明町
(普門第2工区)
神底
862の一部
中通
1020の1の一部、1020の3の一部、1063
上記のほか、変更前の区域に隣接介在する道路である国有地の全部は、変更後の区域に編入する。
――――――――――
換地処分
昭和59年5月2日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画びわ湖ローズタウン土地区画整理事業普門第2工区について換地処分があった。
――――――――――
町の区域および名称を変更
昭和60年6月3日
滋賀県告示第336号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があった。
変更前
変更後
町
字
地番
町
真野普門町
上沼
713、714、716、737、743、746、762の2、779
緑町
(普門第3―2工区)
(普門第4―1工区)
(普門第4―2工区)
神底
860、862の一部、889、890、899から901まで
上記のほか、変更前の区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部は、変更後の区域に編入する。
――――――――――
換地処分
昭和60年7月26日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南部都市計画びわ湖ローズタウン土地区画整理事業普門第4―1工区について換地処分があった。
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和61年2月3日
滋賀県告示第54号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があった。
変更前
変更後
町
字
地番
町
真野普門町
上沼
753の2、754の3、762、762の1、806、807、812、815、815の1、817の1
清和町
神底
839、852
中通
1020の1の一部、1020の3の一部
上記のほか、変更前の区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部は、変更後の区域に編入する。
――――――――――
市の境界変更
昭和61年3月24日
自治省告示第50号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条第1項の規定により、滋賀県大津市と草津市との境界を次のとおり変更する旨、滋賀県知事から届出があった。
右の境界変更は、昭和61年4月1日からその効力を生ずるものとする。
大津市に編入する区域
草津市岡本町字西鴻ノ池1268の2、1272の2、1564の1、1564の4、1564の5
草津市に編入する区域
大津市上田上平野町字西萱尾1158、1159、上田上桐生町字西谷1761の3、1771の1、1772の1、1773の1、1774の1、1774の2、1788、1789の2、1790の1、1790の3、1790の4、1791、1792、1792の1、1793の2、1794の1、1794の2、1795の1、1795の3、1796の5、1796の6、1800の2、1801の2、1803の1、1804、1805の2、1805の3、1807の2、1809の2、1812の2及びこれらの区域に隣接する道路、水路である国有地の一部
――――――――――
換地処分
昭和61年3月31日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業びわ湖ローズタウン土地区画整理事業普門第3―1工区、普門第3―2工区および普門第4―2工区について換地処分があった。
――――――――――
字の区域および名称の変更
昭和61年11月19日
滋賀県告示第567号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地改良法(昭和24年法律第195号)による土地改良事業の実施に伴い、大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前
変更後
町
字
地番
町
字
上田上桐生町
鬼川
788、788の1、789の3、828の3、829、830、831、832、834、835、835の1、836の2、839、840、841、842、843、845、846、847、849、850、851、852、853、855、857、858、859、860、861、862、863、864、866の1、867、868、869、870、871、872、873、874、875、876、877、878、887の4
上田上桐生町
桐生
長峰
2282、2284の2、2285、2286、2287、2288、2290の1、2290の2、2291、2292、2293、2294、2295、2298、2345の2、2347の2
上記のほか、変更前の区域に隣接介在する道路である国有地の一部は、変更後の区域に編入する。
――――――――――
換地処分
昭和62年3月20日
公告
土地改良法(昭和24年法律第195号)第54条第3項の規定により、桐生土地改良区から桐生地区の換地処分を昭和62年3月12日にした旨の届出があつた。
――――――――――
字の区域および名称の変更
昭和62年11月9日
滋賀県告示第559号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前
変更後
町
字
地番
町
本堅田四丁目
下江畑
全部
本堅田四丁目
壱町萱
2024から2026まで、2027の1から2027の3まで、2028、2029の1、2029の2、2030から2032まで、2033の1から2033の10まで、2034の1、2034の2、2035の1、2038の1、2059
三ツ黒
全部
下 イメージ も原
全部
本堅田五丁目
南江畑
2012の4、2013の1から2013の4まで、2014の1、2014の2
本堅田五丁目
下江畑
全部
下 イメージ も原
全部
上 イメージ も原
全部
上江畑
全部
連歌田
全部
今堅田二丁目
院界
全部
今堅田二丁目
ビル
全部
横枕
全部
七反田
全部
ナゝタ
全部
上豆田
全部
下豆田
全部
ニヱダ
全部
糯田
全部
小柳
全部
堤
全部
上口戸
849の5から849の7まで、850の1から850の5まで、851の1から851の3まで、852の1から852の3まで、853の1から853の3まで、854の1から854の3まで、855の1から855の3まで、856の1、856の2、857の1から857の7まで、858の1から858の3まで
下口戸
全部
道ノ町
870の3から870の7まで、870の21、870の22、871の2、871の4から871の7まで、871の21、872の2、872の4、873の2、873の3、874の2、874の3、875の2、875の3、876の2、876の3、877の2、877の3、879の2、879の4から879の6まで
上ヒシ田
880の2、880の3、881の2、881の3、882の2、882の3、883の2、883の3、884の2、884の3、885の2、885の3、886の2、886の3、888の2、888の3
下河水
全部
中河水
907の1、907の2、908の1、908の2、915の5、916の7
古家
930の1、930の3から930の6まで、931の2、934の2、935の3、936の2、938の3、940の2、941の2
イヨド
968の3、969の1、969の3、969の4、970の1から970の3まで、971から973まで
高柳
974の3、974の5から974の7まで、975の2、975の4、975の5
上記のほか、変更前の区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部は、変更後の区域に編入する。
――――――――――
換地処分
昭和62年11月9日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業堅田駅前土地区画整理事業について換地処分があつた。
――――――――――
町および字の区域および名称の変更
昭和63年1月13日
滋賀県告示第10号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地改良法(昭和24年法律第195号)による土地改良事業の実施に伴い、大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前
変更後
町
字
地番
町
字
上田上平野町
中立
935の2、936の2
上田上平野町
東萱尾
上田上桐生町
ボケ谷
2063の1
上記のほか、変更前の区域に隣接する道路である国有地の一部は、変更後の区域に編入する。
――――――――――
町および字の区域および名称の変更
昭和63年1月13日
滋賀県告示第11号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地改良法(昭和24年法律第195号)による土地改良事業の実施に伴い、大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前
変更後
町
字
地番
町
字
真野町
宮
808の3、809の1、809の4、818の1、819の1、820の1、821から824まで、824の2、825の2、826から828まで、828の1、829の2
真野町
ミトシロ
カンタ
873の一部、874の1、874の2、875の3、884の1、885の1、886の1、/887/888/)の1、889、890、891の1から891の3まで、892から894まで、895の一部、896の1の一部、896の2の一部、901の一部、902の一部、904の一部、904の1の一部、905、906、907の一部
真野町
西浦
上野
1090の一部、1091、1092の1、1092の2、1093の2
カンタ
895の一部、896の1の一部、896の3の一部、897の1、897の2、898から900まで、901の一部、902の一部、902の1、903、904の一部、904の1の一部、907の一部、908
真野町
ホリケ
西浦
909から914まで、915の一部、916の一部、969の一部、970、971の一部、972の一部、973、974の一部、975から978まで、978の1、979
上野
1090の一部
真野普門町
北浦
123の一部、123の1
北浦
121の一部
真野町
カンタ
真野町
カンタ
872の一部、896の1から896の3までの各一部
真野普門町
北浦
ホリケ
2136の1の一部、2136の2の一部、2137の1の一部、2137の2から2137の4まで、2138の2の一部、2139の2
真野普門町
狭間
24の一部、28の5
真野普門町
井戸
竹ノ花
483の2
河原
512の一部、515の一部、515の1、516の一部
北浦
210から216までの各一部
真野普門町
北出
下沼
647の3、648の3
西野
269の一部、272の一部
真野普門町
石山
枝河原
586の1
庄ノ本
947の2
天神川
958、959の2、960の1
井戸
499の一部、500、501の一部、502の一部
真野普門町
河原
井戸
506の一部、507の一部、509の一部、510の一部
真野普門町
中ノ町
河原
511、512の一部、512の1の一部、513の1の一部、513の2の一部、514の一部
河原
524の1から524の3まで、525、526の2、526の3、527から533まで、533の2
真野普門町
大木本
寺前
556、560、561の1、562の1、563の1、564の1、565、568、570、571にそれぞれ隣接する道路である国有地の全部
石山
615の一部、629の一部
真野普門町
西野
上記のほか、変更前の区域に隣接介在する道路、水路である国有地の一部は、変更後の区域に編入する。
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和63年1月13日
滋賀県告示第12号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)による住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
上記の変更は、昭和63年2月15日から効力を生ずるものとする。
(別図2備考) この図に示している変更する町の区域および名称は、次のとおりである。
変更後の町の名称
変更後の町の区域
坂本一丁目
四ツ谷川、市道中0601号線、市道幹1027号線、県道仰木浜大津線、坂本本町字森本631番の北側に接する道路および坂本本町字比叡山4244番2の東側線に囲まれた区域
坂本二丁目
下阪本二丁目町界線、下阪本三丁目町界線、市道幹1027号線および市道中0601号線に囲まれた区域
坂本三丁目
市道幹1027号線、下阪本四丁目町界線、下阪本五丁目町界線、下阪本六丁目町界線、県道比叡山線および京阪電気鉄道石山坂本線東側線に囲まれた区域
坂本四丁目
坂本本町字森本631番の北側に接する道路、県道仰木浜大津線、市道幹1027号線、京阪電気鉄道石山坂本線東側線、県道比叡山線および坂本本町字比叡山4244番2の東側線に囲まれた区域
坂本五丁目
坂本本町字比叡山4244番2の東側線、大宮川北側線、坂本本町字比叡山4244番2の東側線、県道比叡山線、市道中0332号線、市道中0331号線、市道中0332号線、県道仰木浜大津線および足洗川南側線に囲まれた区域。ただし、坂本本町字牛尾山4245番1、4245番2および4245番3を除く。
坂本六丁目
県道比叡山線、市道中0221号線、市道中0341号線、市道中0215号線、市道幹1025号線、足洗川南側線、県道仰木浜大津線、市道中0332号線、市道中0331号線および市道中0332号線に囲まれた区域
坂本七丁目
県道比叡山線、下阪本六丁目町界線、比叡辻一丁目町界線、比叡辻二丁目町界線、木の岡町町界線、日吉台一丁目町界線、日吉台二丁目町界線、市道中0153号線、市道中0180号線、市道幹1025号線、市道中0215号線、市道中0341号線および市道中0221号線に囲まれた区域。ただし、坂本本町字紅染寺3536番、3537番、3539番2、3539番3、3539番4、3539番7、3545番1、3545番2、3546番1、3546番2、3547番、3551番2、3553番、3554番、3556番1、3556番2、4283番および4284番を除く。
坂本八丁目
足洗川南側線、市道幹1025号線、市道中0180号線、市道中0153号線、日吉台二丁目町界線、千野三丁目町界線、高橋川および坂本本町字比叡山4244番2の東側線に囲まれた区域
日吉台二丁目
日吉台二丁目の全域ならびに坂本本町字紅染寺3536番、3537番、3539番2、3539番3、3539番4、3539番7、3545番1、3545番2、3546番1、3546番2、3547番、3551番2、3553番、3554番、3556番1、3556番2、4283番および4284番
坂本本町
大津市・京都市界、仰木町町界線、千野一丁目町界線、千野二丁目町界線、千野三丁目町界線、高橋川、坂本本町字比叡山4244番2の東側線、大宮川北側線ならびに坂本本町字比叡山4244番2の東側線および南側線に囲まれた区域ならびに坂本本町字牛尾山4245番1、4245番2および4245番3
(注) 表中変更後の町の区域欄において、特に示しているもの以外の町界については、道路にあつては、東西に走る場合は南側の側線を、南北に走る場合は東側の側線を、河川にあつては中心線をもつて町界線とする。
――――――――――
換地処分
昭和63年3月29日
公告
土地改良法(昭和24年法律第195号)第54条第3項の規定により、平野土地改良区から平野地区の換地処分を昭和63年3月18日にした旨の届出があつた。
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和63年5月23日
滋賀県告示第222号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業等の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
土地区画整理事業の施行地区以外の区域についての上記の変更は、当該区域の変更後の町の区域についての土地区画整理法第103条第4項の規定による換地処分の公告があつた日の翌日から効力を生ずるものとする。
変更前
変更後
町
字
地番
町
岡本町
西鴻ノ池
1268の2、1272の2、1564の5、1564の8
青山一丁目
上田上桐生町
西谷
1693の2、1709の2、1709の4、1747の2、1758の2、1759の2、1759の3、1760の3、1763の1、1793の1、1796の3、1797の3、1802、1802の1、1807の1、1812の1、1813、1814、1819、1823、1824、1824の1、1826、1826の1、1827の2、1828、1828の1、1829の1
西谷
1668、1670の2、1680の2、1682の1、1684、1685、1690の2、1692の1、1693の1、1694、1695、1695の1、1696、1697、1698の一部、1700、1701、1706の1、1709の1、1710の1、1712の3の一部、1715の1の一部、1724の一部、1758の3、1760の1
青山二丁目
菅谷
1535、1536、1537の一部、1538の1、1541の1、1545の1、1547の1、1555の一部、1559、1561、1562の一部
キダ橋
1503の一部、1526の一部、1529、1531
西谷
1698の一部、1712の3の一部、1715の1の一部、1716、1717の1、1717の3、1720、1721の2、1724の一部、1727、1729、1732の2、1733の1、1738の1
青山三丁目
菅谷
1537の一部、1555の一部、1562の一部、1572、1572の1、1574、1577、1578、1583、1589の1、1590、1592の1、1592の2、1593の2
キダ橋
1488の2、1496、1498、1499、1502、1503の一部、1519、1521の1、1523、1524、1525の1、1526の一部
北橋
1500、1501
北ムレ
1878の3
ムレ
1880の3
岡本町
西鴻ノ池
1564の1、1564の9
青山四丁目
上田上桐生町
西谷
1706の2、1709の3、1710の2、1712の2、1713、1714の2、1715の2、1717の2、1738の2、1740の2、1741の2、1743、1747の1、1793の3、1827の1、1829の2、1833の1、1834の1、1835、1839、1839の1、1840、1846の1、1850、1851の1、1853の3、1866の4、1867
北ムレ
1875の1、1878の2
ムレ
1879の3
上田上平野町
西萱尾
1165の1
岡本町
西鴻ノ池
1564の4、1564の6、1564の7
青山五丁目
上田上桐生町
西谷
1834の2、1841、1843、1843の1、1853の1、1853の2、1855、1855の1、1857、1857の1、1858、1858の1、1865、1866の1から1866の3まで
北ムレ
1875の2
ムレ
1879、1879の1、1879の2、1880の2、1887の2、1888の2、1891の2、1892の2、1893の3、1898の2、1899の2、1901の2
上田上平野町
西萱尾
1159の1、1159の3、1160の2、1160の3、1161、1161の1、1162、1173の1、1173の2、1174の2、1175の2、1176の3、1176の6、1177の2、1177の3
上田上桐生町
西谷
1731の2、1732の1、1733の2、1734の1、1735、1736、1737の1
青山六丁目
菅谷
1587の2、1605、1607、1608、1616の1、1620の1、1631、1634から1636まで、1641
北ムレ
1878の4
ムレ
1880の1の一部、1880の4、1882、1886の1、1887の1、1893の2、1897の2、1906、1907の一部、1910、1914から1917まで、1917の1、1927、1929、1931の一部、1967から1969まで、1973、1976
上田上平野町
西萱尾
1175の3、1176の1、1176の2、1176の5、1180の3、1181の一部、1183の一部
上田上桐生町
ムレ
1880の1の一部、1907の一部、1923、1931の一部、1960
青山七丁目
南ムレ
2022の2、2024、2030、2052の1
上田上平野町
西萱尾
1179の3、1180の4、1181の一部、1181の1、1183の一部
中立
1001の4、1024の4
上田上桐生町
菅谷
1587の1、1592、1593の1、1598、1614の1、1615、1616の3、1620の2
青山八丁目
ムレ
1943、1943の1、1943の2、1944の1、1948、1950から1952まで、1952の1、1953、1958、1980、1981、1987、1990
南ムレ
2002、2007の2、2007の4、2008、2008の1、2020、2039の1、2052の2
ボケ谷
2054、2060の1、2065
上田上平野町
中立
900の11、1001の3
上田上桐生町
南ムレ
2048の2から2048の5まで
松が丘一丁目
上田上平野町
西萱尾
1128の一部、1140の1の一部、1151、1154から1157まで、1159の2、1160の1、1173の3、1176の4、1177の1、1179の2、1180の1、1180の2、1181の2
中立
996の1の一部、981の2の一部、1010の2、1011の2、1013、1013の1、1022、1024の1から1024の3まで、1026の1、1028から1030まで、1036、1037の1、1037の2、1045の1
中立
900の9、900の13の一部、902の2、903の2、904の2、905の2、911、913の1、916の1、921の一部、966の1の一部、989、990の1、991、1000の2、1001の2、1002の2、1003の2、1013の2、1045の2
松が丘二丁目
西萱尾
1056の1、1058、1124の2、1140の2
松が丘三丁目
中立
900の13の一部、921の一部、949の2、965、965の1、966の1の一部、966の2、1049
西萱尾
1056の2、1124の1、1128の一部、1130から1132まで、1132の2、1132の6、1132の9、1134、1134の1、1135から1137まで、1140の1の一部、1153の2
松が丘四丁目
中立
981の2の一部、996の1の一部、1048、1055の2
西萱尾
1081の2、1082の一部、1083、1083の1、1085の2、1086の2、1087の3、1088の1の一部、1091、1092、1093の3の一部、1098の1の一部、1109の1の一部、1111、1111の1、1112、1113、1114の1、1115、1116の1、1120、1121、1132の1、1188の2の一部
松が丘五丁目
西萱尾
1082の一部、1088の1の一部、1093の3の一部、1098の1の一部、1099の1、1099の2、1100から1102まで、1102の1、1104、1105、1105の1、1106、1107の1、1108、1109の1の一部、1188の2の一部、1188の4
松が丘六丁目
大塚
576の1
西萱尾
1056の3、1064、1068の1、1073、1076、1081の1、1085、1086の1、1087の1、1087の2、1093の4、1093の45、1123の2、1124の4
松が丘七丁目
中立
941、947の2、948、949、965の2
大塚
558、560、561、577、578、579の1、579の4、579の5、582の2、744から747まで、749の1、751、752
上記のほか、変更前の区域に隣接介在する道路、水路である国有地の一部は、変更後の区域に編入する。
――――――――――
換地処分
昭和63年6月15日
公告
土地改良法(昭和24年法律第195号)第54条第3項の規定により、真野北部土地改良区から真野北部地区の換地処分を昭和63年6月4日にした旨の届出があつた。
――――――――――
換地処分
昭和63年7月1日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業湖南丘陵土地区画整理事業第5―1工区について換地処分があつた。
――――――――――
字の区域および名称の変更
昭和63年11月11日
滋賀県告示第517号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地改良法(昭和24年法律第195号)による土地改良事業の実施に伴い、大津市の区域内の字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前
変更後
町
字
地番
町
字
上田上桐生
加部屋
1306から1309まで、1310の1、1310の2、1311の1、1311の2、1312、1313、1314の1、1314の2、1315の1、1315の2、1316の1から1316の3まで、1317の1から1317の3まで、1333、1342の1、1369の1、1369の2、1427から1429まで、1430の1、1430の2、1431、1432の1、1432の2、1433、1434、1435の1、1435の2、1436、1437の1、1437の2、1438の1、1438の2、1439、1440の1、1440の2、1441の1、1441の2、1442の1、1442の2、1443、1444の1、1444の2、1445の1、1445の2
上田上桐生
桐生
壁屋
1318から1320まで、1323、1324、1324の1、1324の2、1326から1330まで、1331の1、1331の2、1332の1、1332の2、1334、1334の1、1335から1338まで、1350、1351、1351の1、1352から1357まで、1358の1、1361、1367、1368、1370の1、1370の2、1378、1379の1、1379の2
下田
1380の1、1380の2、1390の1、1391、1402から1404まで、1404の1、1405の1、1405の2、1406、1407、1408の1、1408の2、1409から1414まで、1415の2、1417の1、1417の2、1418の1、1418の2、1419の1、1419の2、1420から1422まで、1423の1、1423の2、1424の1、1424の2、1425、1426の1、1426の2
山田
全部
菅谷
1538の2、1538の3
上記のほか、変更前の区域に隣接介在する道路、水路である国有地の一部は、変更後の区域に編入する。
――――――――――
換地処分
平成元年4月24日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業湖南丘陵土地区画整理事業第5―2工区について換地処分があつた。
――――――――――
町の区域および名称の変更
平成元年8月11日
滋賀県告示第352号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)による住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があった。
上記の変更は、平成元年11月20日から効力を生ずるものとする。
別図2備考 この図に示している変更する町の区域および名称は、次のとおりである。
変更後の町の名称
変更後の町の区域
真野一丁目
真野谷口町字御宿3番5および3番2のそれぞれ北側線、本堅田六丁目町界線、本堅田五丁目町界線、真野町字甲田2394番南西側線、市道北1102号線東北側線、市道北1103号線、真野谷口町町界線、本堅田六丁目字御宿1番3東北側線に囲まれた区域。ただし、真野町字南谷口314番から315番2までを除く。
真野二丁目
真野町字甲田2394番西南側線、今堅田二丁目町界線、今堅田三丁目町界線、真野川南側線、市道北1013号線、真野町字宿ノ前1231番3、1232番3、1233番4および1234番3のそれぞれ西側線、市道北1102号線東北側線に囲まれた区域
真野三丁目
市道北1103号線、市道北1102号線、県道真野途中線、真野普門町町界線、真野家田町町界線、真野谷口町町界線に囲まれた区域
真野四丁目
県道真野途中線、真野町字宿ノ前1234番3、1233番4、1232番3および1231番3のそれぞれ西側線、市道北1013号線、真野川南側線、市道幹1009号線西側線、真野町字須原1674番6、1673番7および1666番7のそれぞれ西側線、市道幹1007号線、市道北1226号線、市道北1317号線東南側線、真野普門町町界線に囲まれた区域。ただし、清水町4番2を除く。
真野五丁目
真野川南側線、今堅田三丁目町界線、真野町町界線、清水町町界線、大津市・滋賀郡志賀町界、国道161号、真野町字須原1720番3、1720番2および1719番2のそれぞれ南側線、真野町字須原1719番3南西側線、真野町字須原1722番3西側線、市道幹1007号線、真野町字須原1666番7、1673番7および1674番6のそれぞれ西側線、市道幹1009号線西側線に囲まれた区域、清水町4番2。ただし、清水町206番を除く。
真野六丁目
市道幹1007号線、真野町字須原1722番3西側線、真野町字須原1719番3西南側線、真野町字須原1719番2、1720番2および1720番3のそれぞれ南側線、国道161号、大津市・滋賀郡志賀町界、美空町町界線に囲まれた区域、清水町206番
真野普門一丁目
県道真野途中線、真野町町界線、市道北1317号線南東側線、市道北1226号線、向陽町町界線、花園町町界線、清風町町界線、市道北1307号線、真野普門町字西野300番2北西側線に囲まれた区域、向陽町22番9。ただし、真野普門町字北浦163番、168番2から168番5まで、175番、196番1、198番2および198番3ならびにこれらの区域に介在する道路、水路である国有地の全部を除く。
真野普門二丁目
真野大野町町界線、真野家田町町界線、真野町町界線、県道真野途中線に囲まれた区域
真野普門三丁目
県道真野途中線、真野普門町字西野300番2西北側線、市道北1307号線、清風町町界線、陽明町町界線、大津市・滋賀郡志賀町界、伊香立下龍華町町界線、真野佐川町町界線、真野大野町町界線に囲まれた区域
真野普門町
清風町町界線、花園町町界線、大津市・滋賀郡志賀町界、緑町町界線に囲まれた区域
真野佐川町
真野佐川町の全域。ただし、真野佐川町字後山2番2および2番4を除く。
真野大野一丁目
県道真野途中線以北の真野大野町の全域、真野佐川町字後山2番2および2番4
真野大野二丁目
県道真野途中線以南の真野大野町の全域ならびに伊香立南庄町字牛飼田78番から81番までおよびこれらの区域に介在する道路、水路である国有地の全部
真野谷口町
真野谷口町の全域、真野町字南谷口314番から315番2まで。ただし、真野谷口町字岡今19番、21番1、21番2および24番2、真野谷口町字御宿1番1、1番2および3番1から3番5までならびに真野谷口町字御宿1番1および3番2のそれぞれ東側線および本堅田六丁目字御宿1番3東北側線に隣接する道路、水路である国有地の全部を除く。
美空町
市道幹1007号線、清水町町界線、大津市・滋賀郡志賀町界、向陽町町界線に囲まれた区域
向陽町
市道幹1007号線、市道北1226号線、向陽町124番南西側線、真野普門町町界線、花園町町界線、大津市・滋賀郡志賀町界、美空町町界線に囲まれた区域。ただし、向陽町22番9を除く。
花園町
花園町の全域ならびに真野普門町字北浦163番、168番2から168番5まで、175番および196番1ならびに清風町40番1から40番5までおよび138番ならびにこれらの区域に介在する道路、水路である国有地の全部
清風町
清風町の全域ならびに真野普門町字北浦198番2および198番3ならびに真野普門町字下沼635番ならびにこれらの区域に介在する道路、水路である国有地の全部。ただし、清風町40番1から40番5までおよび138番を除く。
本堅田六丁目
本堅田六丁目の全域ならびに真野谷口町字岡今19番、21番1、21番2および24番2、真野谷口町字御宿1番1、1番2および3番1から3番5までならびに真野谷口町字御宿1番1および3番2のそれぞれ東側線に隣接する道路、水路である国有地の全部
注 表中変更後の町の区域欄において、特に示しているもの以外の町界については、東西に走る道路は南側の側線を、南北に走る道路は東側の側線をもって町界線とする。
――――――――――
換地処分
平成2年2月2日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業湖南丘陵土地区画整理事業第7工区について換地処分があった。
――――――――――
換地処分
平成2年7月9日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業湖南丘陵土地区画整理事業第6工区について換地処分があった。
――――――――――
町の区域および名称の変更
平成2年10月24日
滋賀県告示第455号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)による住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があった。
上記の変更は、平成3年2月11日から効力を生ずるものとする。
別図2備考 この図に示している変更する町の区域および名称は、次のとおりである。
変更後の町の名称
変更後の町の区域
仰木一丁目
仰木町字遠野486番2北側線、雄琴三丁目町界線、雄琴二丁目町界線、千野一丁目町界線、県道仰木浜大津線東側線、雄琴川中心線、仰木町字前村1322番2、1322番1および1323番のそれぞれ西側線、同町字杉谷1333番2南側線、県道仰木雄琴線北側線に囲まれた区域
仰木二丁目
仰木町字杉谷1333番2南側線、同町字前村1317番、1318番、1319番1および1321番1のそれぞれ東側線、雄琴川中心線、県道仰木浜大津線東側線、千野一丁目町界線、坂本本町町界線、仰木町字坂尻3684番南西側線、天神川中心線、同町字広野3768番1および3767番のそれぞれ西側線、市道北3220号線南側線、天神川中心線、同字3874番3東側線、同字3874番2西側線、奥比叡参詣自動車道南側線、県道仰木雄琴線東北側線、同町字杉谷1333番3東側線に囲まれた区域。ただし、仰木町字中尾3918番1、同町字細道3973番2、同町字柱4596番4および同町字大堂3996番3を除く。
仰木三丁目
仰木町字前村1325番1南側線、県道仰木雄琴線北東側線、県道仰木本堅田線南側線、市道幹1019号線東側線、同町字小山1978番2南側線、同字1976番、1982番1、1983番、1972番、1970番、1969番および1968番のそれぞれ東側線、同町字月読1998番および1999番のそれぞれ東側線、同字2000番、2001番、2002番1、2003番1および2004番のそれぞれ南側線、同町字杉谷1384番、1385番、1386番、1387番および1396番1のそれぞれ南側線、同字1328番東側線に囲まれた区域
仰木四丁目
仰木町字御所4077番1、4077番3および4077番4のそれぞれ東南側線、奥比叡参詣自動車道南側線、天神川中心線、同町字細道4738番2および4738番1のそれぞれ西側線、同町字宮ノ後4743番および4744番のそれぞれ南側線、同字4747番南西側線、同字4748番および4741番1のそれぞれ西側線、市道北3218号線南側線、同町字寺尾4781番4、4781番1、4783番1および4785番のそれぞれ北側線、同字4789番および4793番のそれぞれ西北側線、同字4796番北側線、市道北3204号線西北側線、同町字坊ケ岡5053番および5052番のそれぞれ西側線、県道下在地仰木線南西側線、県道仰木本堅田線南側線に囲まれた区域。ただし、仰木町字中尾3918番1、同町字細道3973番2、同町字柱4596番4および同町字大堂3996番3を含む。
仰木五丁目
県道下在地仰木線南西側線、仰木町字逢坂7631番11北側線、伊香立南庄町町界線、市道北3022号線東側線、市道北3016号線東側線、県道仰木本堅田線南側線に囲まれた区域
仰木六丁目
仰木町字姥ケ谷2100番1南側線、市道幹1019号線東側線、県道仰木本堅田線南側線、同町字フケ6058番1東側線、同字6054番および6061番のそれぞれ北側線、同字6072番東側線、同町字一円谷2612番および2610番のそれぞれ北側線、同字2609番北東側線、同字2611番1および2629番1のそれぞれ東側線、同字2631番1、2632番および2628番1のそれぞれ西側線、同字2616番1、2618番4、2618番2および2618番3のそれぞれ南側線、同字2622番東側線、同町字東山2666番東側線、同字2664番および2663番のそれぞれ北側線、同字2660番、2670番および2669番のそれぞれ南側線、同町字村ノ内5891番および5890番のそれぞれ南側線、同町字東山2725番、2678番、2683番、2684番、2685番、2712番、2711番、2700番、2699番、2702番および2703番のそれぞれ東側線、同町字姥ケ谷2216番1、2215番、2212番、2213番、2159番、2156番、2154番および2100番のそれぞれ東側線に囲まれた区域
仰木七丁目
市道北3016号線東側線、市道北3022号線東側線、伊香立南庄町町界線、衣川三丁目町界線、県道仰木本堅田線南側線に囲まれた区域
仰木の里一丁目
県道仰木雄琴線北側線、市道北3123号線東側線、御呂戸川北側線、市道幹1020号線西側線に囲まれた区域
仰木の里二丁目
県道仰木雄琴線北側線、仰木町字杉谷1327番3および1327番1のそれぞれ西側線、同字1391番、1394番および1395番のそれぞれ北側線、同町字山ノ中1416番1、2003番2、2002番2および1421番のそれぞれ北側線、同町字小山1943番西側線、御呂戸川北側線、市道北3123号線東側線に囲まれた区域
仰木の里三丁目
御呂戸川北側線、仰木町字小山1944番、1967番、1945番、1966番、1965番、1959番、1973番および1958番1のそれぞれ西側線、同字1975番、1982番2および1977番のそれぞれ北側線、同町字三ツ木1875番2、1875番1および1871番2のそれぞれ北側線、同字1871番1および1871番のそれぞれ西側線、市道幹1019号線東側線、同町字姥ケ谷2102番、2101番および2149番のそれぞれ北側線、同字2153番2、2152番2、2151番2、2147番3、2147番4、2144番2、2143番2、2142番、2141番2、2142番1、2130番、2130番1、2136番1、2179番6および2135番3のそれぞれ北東側線、同町字岩谷1838番1北東側線、市道北3123号線東側線に囲まれた区域
仰木の里四丁目
御呂戸川北側線、市道北3123号線東南側線、市道幹1020号線西側線に囲まれた区域
仰木の里五丁目
仰木町字岩谷1838番2南西側線、同町字姥ケ谷2135番1、2179番3、2136番2、2140番、2142番2、2141番1、2143番1、2144番1、2147番2、2147番1、2151番1、2152番1および2153番1のそれぞれ南西側線、同字2164番、2162番、2161番、2160番、2211番および2153番1のそれぞれ西側線、同字2210番北側線、同字2217番西側線、同町字東山2695番南側線、同字2698番、2686番、2676番、2677番、2681番、2680番、2679番および2675番のそれぞれ西側線、同字2674番北側線、同字2671番西側線、同字2659番北側線、同字2658番西側線、同字2657番および2661番のそれぞれ南側線、同字2662番西側線、同町字一円谷2623番および2623番1のそれぞれ南側線、同字2620番西側線、同字2618番1および2619番のそれぞれ北側線、同字2616番2西側線、同字2615番北側線、同字2613番および2614番のそれぞれ東側線、同字2627番および2626番のそれぞれ南側線、同字2625番および2633番1のそれぞれ東側線、市道北3136号線南東側線、市道北3123号線東側線に囲まれた区域
仰木の里六丁目
市道北3123号線南側線、市道北3136号線東南側線、市道北3171号線東側線、市道北3135号線西側線に囲まれた区域
仰木の里七丁目
市道北3123号線南側線、市道北3135号線西側線、市道北3171号線東側線、市道北3136号線南側線、仰木町字一円谷2633番2西側線、同字2631番2北側線、同字2628番2、2611番2および2606番のそれぞれ西側線、同字2607番北西側線、同字2608番西側線、同町字フケ6100番および6098番のそれぞれ西側線、同字6098番1南側線、同字6099番2、6095番および6073番のそれぞれ西側線、同字6070番、6071番、6062番、6060番1、6060番2および6059番のそれぞれ西側線、同字6064番2北側線、県道仰木本堅田線南側線、市道幹1020号線西側線に囲まれた区域
――――――――――
字の区域および名称の変更
平成3年1月11日
滋賀県告示第7号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地改良法(昭和24年法律第195号)による土地改良事業の実施に伴い、大津市の区域内の字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があった。
変更前
変更後
町
字
地番
町
字
仰木町
杉谷
1350の一部、1351の一部、1355の一部、1356、1357の1、1357の2、1358の一部、1359の一部、1360から1364まで、1365の一部、1366の一部、1367、1367の1の一部、1368の一部、1369の一部、1376の一部、1382、1382の1、1383、1384から1387までの各一部
仰木町
月読
小山
1968、1969の一部、1970の一部
下高岡
3096の一部、3097の一部、3099、3101の1、3102、3103、3103の1
月読
1985から1987までの各一部、1990の一部、2046の一部、2053の一部、2056から2059までの各一部、2059の1の一部、2060から2064まで
仰木町
小山
宇津呂
2065から2067まで、2067の1、2068から2075まで、2075の1、2076の1、2076の2、2077の1、2077の2、2078、2079の1、2079の2、2080、2081、2083から2086まで、2087の2、2088の4、2088の5、2089の1、2089の2、2092、2092の1、2093の1、2093の2、2094の1、2094の2、2095の1、2095の2、2096の1から2096の3まで、2097の1
姥ケ谷
2104の2、2104の3、2105の2
下高岡
3048から3051まで、3051の1、3053から3056まで、3059、3071から3073まで、3090、3090の1、3091から3093まで、3093の1、3094、3095、3096の一部、3097の一部
三ツ木
1870、1871、1871の1、1871の2、1875の1、1875の2、1876にそれぞれ隣接する道路である国有地の全部
月読
2026の一部
仰木町
杉谷
辻
3189の2、3190、3191の2
上記のほか、変更前の区域に隣接介在する道路、水路である国有地の一部は、変更後の区域に編入する。
――――――――――
換地処分
平成3年7月29日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業湖南丘陵土地区画整理事業第8工区について換地処分があった。
――――――――――
新たに生じた土地の確認と町の区域の設定
平成4年1月10日
滋賀県告示第9号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項および第260条第1項の規定に基づき、大津市長から次のとおり公有水面の埋立てにより新たに生じた土地を大津市の区域として確認し、同市の区域内の町の区域を新たに画する旨の届出があった。
新たに生じた土地
新たに画する町の名称
大津市浜大津四丁目2、2の28、115の8、115の68、浜大津一丁目15、15の1、浜町2、3の2、3の3、3の4、3の5、3の7、3の12、3の13、3の14、3の15、3の16、3の17、135、島の関132の各地先65,855.83m2
浜大津五丁目
――――――――――
換地処分
平成4年4月3日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業湖南丘陵土地区画整理事業第10工区について換地処分があった。
――――――――――
町の区域および名称の変更
平成4年5月29日
滋賀県告示第275号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)による住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があった。
上記の変更は、平成4年10月10日から効力を生ずるものとする。
(別図2備考)この図に示している変更する町の区域および名称は、次のとおりである。
変更後の町の名称
変更後の町の区域
羽栗一丁目
田上石居町字六地蔵谷435番西北側線、同字439番北側線、同字438番西北側線、同字441番北側線、同町字四ノ谷449番3西側線、篠谷川中心線、上田上堂町町界線、大戸川中心線、田上森町字中嶋145番2、145番1および146番のそれぞれ西側線、田上石居町町界線に囲まれた区域
羽栗二丁目
宮川中心線、田上羽栗町字小屋海道495番2東南側線、県道南郷桐生草津線南側線、田上森町町界線に囲まれた区域
羽栗三丁目
県道南郷桐生草津線南側線、上田上新免町町界線、田上羽栗町字松原154番、153番、152番、148番、147番および141番のそれぞれ南側線、同町字説法谷142番、95番1、93番および39番1のそれぞれ南側線、同町字鐘割谷85番、83番1、204番1、78番1、79番1および57番1のそれぞれ南側線、同町字椋谷76番、76番1、65番1、65番および67番のそれぞれ南側線、同町字堂ケ谷70番および68番のそれぞれ南側線、同字69番南西側線、田上森町町界線、田上羽栗町字中村600番2西南側線に囲まれた区域
森一丁目
大戸川中心線、田上羽栗町町界線、田上森町字水呑95番南西側線、同字96番西側線、同字98番2、106番2、108番2、112番2、113番2、114番2および115番2のそれぞれ南側線、同町字久保田303番2、304番2および314番2のそれぞれ南側線、田上枝町町界線、田上石居町町界線に囲まれた区域
森二丁目
田上森町字久保田314番2、304番2および303番2のそれぞれ南側線、同町字水呑115番2、114番2、113番2、112番2、108番2、106番2および98番2のそれぞれ南側線、同字96番西側線、同字95番西南側線、田上羽栗町町界線、県道南郷桐生草津線南側線、田上枝町字塚本80番2、80番1および81番のそれぞれ西側線、同字82番2西北側線、同字76番北東側線、同字77番1北側線、田上枝町町界線に囲まれた区域
森三丁目
田上枝町字塚本79番1西側線、県道南郷桐生草津線南側線、田上羽栗町町界線、田上森町字堂山谷734番、同町字紐谷732番および732番1のそれぞれ南側線、同町字吹上758番、757番、761番および790番のそれぞれ南側線、同町字針ノ木789番南側線、同町字古天神788番2南側線、同字792番南西側線、田上枝町町界線に囲まれた区域
枝一丁目
田上石居町町界線、田上森町町界線、田上枝町字今井海道138番2、137番2、122番2、121番2、107番2および106番3のそれぞれ南側線、同町字西ノ海道288番2、289番2、293番2、291番2および211番2のそれぞれ南側線、市道幹1066号線南側線、天神川中心線に囲まれた区域
枝二丁目
市道幹1066号線南側線、田上枝町字西ノ海道211番2、291番2、293番2、289番2および288番2のそれぞれ南側線、同町字今井海道106番3、107番2、121番2、122番2、137番2および138番2のそれぞれ南側線、田上森町町界線、田上枝町字塚本77番1北側線、同字76番北東側線、同字82番2北西側線、同字81番、80番1および80番2のそれぞれ西側線、県道南郷桐生草津線南側線、天神川中心線に囲まれた区域
枝三丁目
県道南郷桐生草津線南側線、田上枝町字塚本79番1西側線、田上森町町界線、天神川中心線に囲まれた区域
枝四丁目
天神川中心線、田上里町町界線、田上枝町字土佐ケ谷847番18南側線、同字847番17南東側線、同字847番12東北側線、同字852番9南側線、田上里町町界線、田上里町字堀切782番39南東側線、市道東0323号線南側線、田上枝町字土佐ケ谷852番27東側線、同字877番2南側線、県道不動寺本堂線東側線、同町字向山902番6西北側線、同字902番2、903番2および903番3のそれぞれ北側線に囲まれた区域
里一丁目
大戸川中心線、天神川中心線、田上里町字野神72番、73番1、73番3および73番2のそれぞれ南側線、市道東0301号線南側線、市道幹2024号線南側線、同町字榊ノ木272番3および272番1のそれぞれ西側線、同町字門田273番2、278番2、279番2、282番2および283番2のそれぞれ西側線、同町字高岸299番および296番2のそれぞれ西側線、田上稲津町町界線に囲まれた区域
里二丁目
田上稲津町町界線、田上里町字高岸296番2および299番のそれぞれ東側線、同町字門田283番2、282番2、279番2、278番2および273番2のそれぞれ東側線、同町字榊ノ木272番1および272番3のそれぞれ東側線、市道幹2024号線南側線、市道東0309号線東側線、同町字金海道419番3東南側線、同字418番、417番および415番のそれぞれ南側線、同町字宮ノ前414番2、412番2、411番2および410番2のそれぞれ南側線、同町字総手538番2、542番2、543番2、549番2、550番、553番2、554番2、555番2、560番2および560番1のそれぞれ南側線、小山川中心線、同町字下殿森369番2西側線、田上太子町町界線、田上黒津町町界線に囲まれた区域
里三丁目
市道幹2024号線南側線、市道東0301号線南側線、田上里町字野神73番2、73番3、73番1および72番のそれぞれ南側線、天神川中心線、市道幹1066号線南側線、市道東0309号線東側線に囲まれた区域
里四丁目
田上里町字総手560番1、560番2、555番2、554番2、553番2、550番、549番2、543番2、542番2および538番2のそれぞれ南側線、同町字宮ノ前410番2、411番2、412番2および414番2のそれぞれ南側線、同町字金海道415番、417番および418番のそれぞれ南側線、同字419番3南東側線、市道東0309号線東側線、田上里町字綛海道627番2東側線、市道幹1066号線南側線、小山川中心線に囲まれた区域
里五丁目
市道幹1066号線南側線、天神川中心線、田上枝町町界線、県道不動寺本堂線東側線、田上里町字山畑ケ770番1、同町字堀切771番のそれぞれ西側線、同町字山畑ケ769番1および765番3のそれぞれ南側線、同町字池ケ谷808番139および808番240のそれぞれ南側線、同字808番239南西側線、同町字山畑ケ764番2および763番1のそれぞれ南側線、同町字池ケ谷829番1東側線、同字829番東南西側線、同町字山田711番1および707番1のそれぞれ南側線、同字710番東側線、同字850番東南側線、同字839番91東側線、同字852番北東南側線、同字853番1南側線、同町字山田甲857番3および857番2のそれぞれ東側線、田上関津町町界線に囲まれた区域
里六丁目
田上里町字山田857番2東側線、同町字山田甲857番3東側線、同町字山田853番1南側線、同字852番南東側線、同字839番91東側線、同字850番南東側線、同字710番東側線、同字707番1および711番1のそれぞれ南側線、同町字池ケ谷829番西南東側線、同字829番1東側線、同町字山畑ケ763番1および764番2のそれぞれ南側線、同町字池ケ谷808番239西南側線、同字808番240および808番139のそれぞれ南側線、同町字山畑ケ765番3および769番1のそれぞれ南側線、同町字堀切771番および同町字山畑ケ770番1のそれぞれ西側線、県道不動寺本堂線東側線、田上枝町字土佐ケ谷877番2南側線、同字852番27東側線、市道東0323号線南側線、田上里町字山田839番89西側線、田上関津町町界線に囲まれた区域
里七丁目
田上里町字山田839番89西側線、市道東0323号線南側線、同町字堀切782番39東南側線、田上枝町町界線、同町字土佐ケ谷847番1および847番2のそれぞれ北側線、同字847番12北東側線、同字847番17東南側線、同字847番18南側線、田上里町字奥山田927番4東側線、同字927番5、881番218、932番、905番19、905番24、905番23、905番4、905番3、905番5、905番1および905番のそれぞれ南側線、田上関津町町界線、田上関津町字堂ケ谷21番13南西北側線、同字21番10西北側線、同字21番9北側線、田上関津町町界線に囲まれた区域
石居一丁目
田上稲津町町界線、田上石居町字西ケ谷551番北側線、同字540番北東側線、同字539番2東南側線、同字524番北側線、同町字蝮ケ谷510番、509番、501番、500番および499番のそれぞれ北側線、同字495番、492番および491番のそれぞれ南側線、同字48番1南東側線、同字488番3東側線、同町字向畑390番北側線、大戸川中心線に囲まれた区域
石居二丁目
大戸川中心線、田上森町町界線、田上枝町町界線、天神川中心線に囲まれた区域
石居三丁目
田上石居町字向畑392番1、392番2、392番41、392番65、392番40、392番39、392番38、392番94、392番37、392番67、392番36および392番35のそれぞれ北側線、同字392番29および392番68のそれぞれ西側線、同字392番28西北側線、同字392番27、392番26、392番104および392番63のそれぞれ北側線、同字392番25の北東側線、田上羽栗町町界線、大戸川中心線、田上石居町字向畑390番西側線、同町字天狗ケ谷488番3東側線に囲まれた区域
稲津一丁目
瀬田橋本町町界線、市道東0001号線西側線、田上稲津町字南町306番2西側線、田上黒津町町界線、瀬田川中心線に囲まれた区域
稲津二丁目
瀬田橋本町町界線、田上稲津町字大畠34番北東側線、同町字大畠33番36、同字33番37、33番15、33番17、33番8、33番27、33番26、33番88、33番3、33番2および33番57のそれぞれ東側線、同町字上津越50番東南側線、同字52番2東南側線、同字47番、47番2および同町字六條谷53番3のそれぞれ南側線、同町字六條谷53番1西側線、同字53番2北東側線、同字55番東南側線、同字54番東側線、同町字菜畠325番東南側線、同字326番、328番、329番2および318番1のそれぞれ東側線、同町字北小谷343番北側線、同字342番西北側線、同字344番1、345番9、345番1および345番43のそれぞれ北側線、同字345番8北東側線、市道東0016号線西側線、同町字中山谷382番3西側線、市道幹2022号線南側線、大戸川中心線、田上稲津町字中山谷384番1西側線、田上黒津町町界線、田上稲津町字南町306番2西側線、市道東0001号線西側線に囲まれた区域
稲津三丁目
田上稲津町字古池ケ谷30番4、30番5、30番6、30番7、30番58、30番8および30番9のそれぞれ北側線、同町字中山谷8番42北東側線、同字8番3、8番23、7番4、7番6および7番2のそれぞれ東側線、同町字狐ケ谷6番2東側線、大戸川中心線、田上稲津町字中山谷22番11東側線、市道幹2022号線南側線、同字382番3西側線、市道東0016号線西側線に囲まれた区域
稲津四丁目
大戸川中心線、田上里町町界線、田上黒津町町界線に囲まれた区域
稲津五丁目
田上稲津町字狐ケ谷6番1、5番1、4番3、4番1、3番、2番および1番2のそれぞれ西側線、田上石居町町界線、大戸川中心線に囲まれた区域
黒津一丁目
田上稲津町町界線、田上黒津町字横園289番1北西側線、同字292番17西北側線、同字292番1および293番4のそれぞれ北側線、同字313番44北西側線、同字313番16西側線、同字313番7西南側線、同字313番19北東側線、市道東0116号線北東側線、同町字柳原204番1南側線、同町字江口337番4南側線、市道東0114号線南側線、瀬田川中心線に囲まれた区域。田上黒津町字横園292番16
黒津二丁目
田上黒津町字横園289番1西北側線、同字289番6北側線、田上稲津町町界線、大戸川中心線、県道瀬田大石東線西側線、市道東0116号線東北側線、田上黒津町字横園313番19東北側線、同字313番7南西側線、同字313番16西側線、同字313番44西北側線、同字293番4および292番1のそれぞれ北側線、同字292番17北西側線に囲まれた区域
黒津三丁目
市道東0114号線南側線、田上黒津町字江口337番4南側線、同町字柳原204番1北側線、市道東0116号線東側線、県道瀬田大石東線西側線、大戸川西側線、同町字江口387番、385番1、379番1、379番2、378番2および375番2のそれぞれ西側線、同字446番3南西側線、市道東0101号線西側線に囲まれた区域
黒津四丁目
市道東0101号線西側線、田上黒津町字江口446番3西南側線、同字375番2、378番2、379番2、379番1、385番1および387番のそれぞれ西側線、大戸川西側線、瀬田川中心線に囲まれた区域
黒津五丁目
大戸川中心線、田上稲津町町界線、田上里町町界線、田上太子町町界線、大戸川西側線に囲まれた区域
太子一丁目
田上黒津町町界線、田上太子町字御墓113番2東南側線、市道幹2024号線南側線、瀬田川中心線、大戸川西側線に囲まれた区域
太子二丁目
瀬田川中心線、市道幹2024号線南側線、田上里町町界線、田上関津町町界線に囲まれた区域
関津一丁目
田上太子町町界線、市道幹2025号線西側線、市道幹1066号線南側線、県道瀬田大石東線南側線、田上関津町字清水1109番、1110番1、1110番および1111番2のそれぞれ南側線、瀬田川中心線に囲まれた区域
関津二丁目
田上関津町字阪ノ内388番1、479番、480番および481番のそれぞれ北側線、県道瀬田大石東線東側線、大石東町町界線、瀬田川中心線に囲まれた区域
関津三丁目
県道瀬田大石東線東側線、市道幹1066号線南側線、市道東0804号線西側線、田上瀬津町字十時ケ谷106番、107番および107番1のそれぞれ東側線、同字108番、124番、125番2、126番2、126番1および128番1のそれぞれ西側線、獄川中心線、同町字池ケ谷173番3、173番1および171番のそれぞれ南側線、同町字笹ケ谷175番、175番1、176番1および176番のそれぞれ南側線、同町字山田大谷271番2、286番、287番、288番、294番2および294番1のそれぞれ南側線、大石東町町界線に囲まれた区域
関津四丁目
田上関津町字上南666番1北側線、市道幹1066号線南側線、小山川中心線、同町字堂ケ谷21番10西側線、同字21番13北西南側線、田上里町町界線、田上関津町字堂ケ谷15番1、12番、12番1、30番、30番1および10番のそれぞれ南側線、同町字畑ノ後71番、72番、73番、74番および74番1のそれぞれ南側線、同町字狐ケ谷143番1、143番、142番、144番および145番1のそれぞれ南西側線、獄川中心線、同町字十時ケ谷128番1、126番1、126番2、125番2、124番および108番のそれぞれ西側線、同字107番1、107番および106番のそれぞれ東側線、市道東0804号線西側線に囲まれた区域
関津五丁目
田上太子町町界線、田上里町町界線、市道幹1066号線南側線、田上関津町字馬場崎919番1および919番2のそれぞれ西側線、市道幹2025号線西側線に囲まれた区域
関津六丁目
田上里町町界線、田上関津町字堂ケ谷21番9および21番10のそれぞれ北側線、小山川中心線に囲まれた区域
上田上堂町
上田上堂町の全域ならびに田上羽栗町字北嶋793番、794番、759番1、759番2、796番、797番、798番、799番1、799番2、800番、801番、803番1、803番2、804番、806番1および806番2ならびにこれらの区域に介在する道路、水路である国有地の全部
上田上新免町
上田上新免町の全域ならびに田上羽栗町字宝楽391番2および391番3ならびにこれらの区域に隣接する水路である国有地の全部
――――――――――
町の区域および名称の変更
平成6年5月18日
滋賀県告示第233号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)による住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があった。
上記の変更は、平成6年10月1日から効力を生ずるものとする。
(別図2備考)この図に示している変更する町の区域および名称は、次のとおりである。
変更後の町の名称
変更後の町の区域
瀬田三丁目
瀬田三丁目の全域ならびに瀬田橋本町字割田ケ原491番1北側線、野郷原二丁目町界線、瀬田橋本町字野畑465番、字割田ケ原462番および字野畑464番のそれぞれ北東側線に隣接する国有地である水路(同水路の区域を含む。)、同字464番、同町字一ノ谷1番1、同番2、同番3および同番4のそれぞれ北側線、同番4、同町字野畑464番3、同番2および字不動道17番5のそれぞれ南側線、市道幹1061号線南西側線、同町字笹原19番9、同番10および字割田ケ原450番7のそれぞれ西側線、同番7、同番6、同番5、同番および449番1のそれぞれ北側線、同字478番の西側線、市道東2531号線南西側線で囲まれた区域
瀬田四丁目
瀬田三丁目町界線、市道幹1061号線南側線、瀬田三丁目字野神431番86、438番2、同番1、瀬田橋本町字竹澤272番2、同番1、270番、268番1、同番2および265番のそれぞれ何等側線に隣接する国有地である水路(同水路の区域を含む。)、同字264番2、同番11、同番9、同番7および同番3のそれぞれ南東側線、瀬田川中心線で囲まれた区域
瀬田五丁目
瀬田橋本町字竹澤264番3、同番7、同番9、同番11、同番2、265番、268番1、同番2、270番、272番1および同番2のそれぞれ南東側線、瀬田三丁目字野神438番1、同番2および431番86のそれぞれ南東側線に隣接する国有地である水路(同水路の区域を含まない。)、市道幹1061号線南西側線、瀬田橋本町字鳩谷37番5、字長谷ケ谷38番5、字篠部42番3および78番4のそれぞれ東側線、同番5、同字79番4、同番2、80番2、82番、93番5、94番2、92番4、94番5、100番7、同番6、99番4および同番5のそれぞれ南東側線、同町字別所239番7、243番6、同番4、同番1および同番2のそれぞれ南東側線、瀬田川中心線で囲まれた区域
瀬田六丁目
瀬田橋本町字別所243番2、同番1、同番4、同番6および239番7のそれぞれ南側線、同町字篠部99番5、同番4、100番6、同番7、94番5、同番4、92番4、94番2、93番5、82番、80番2、79番2、同番4および78番5のそれぞれ南東側線、市道幹1061号線南東側線、同町字狸谷51番7東側線、同町字篠部67番2東側線、稲津一丁目町界線、瀬田橋本町字篠部65番2、同番3、同番10、同番4、同番12、同番11、同番7、同番6、同番5、64番3、同番4、63番30、同番28、同番26、同番66、同番64、同番10、同番62、同番8、同番61、同番59、同番6、同番21および同番57のそれぞれ東側線、稲津一丁目町界線、稲津二丁目町界線、瀬田川中心線で囲まれた区域
神領四丁目
県道大津信楽線北東側線、野郷原一丁目町界線、神領三丁目町界線、神領二丁目町界線、神領二丁目字青江174番5および同番4のそれぞれ北東側線、瀬田神領町字青江173番、172番、171番、同番1のそれぞれ北東側線、同字170番、169番2、同番3、168番1、同番3、61番19、同番29、同番30同番31、同番32、同番35、同番38、同番41、同番42のそれぞれ北東側線に隣接する国有地である水路(同水路の区域を含む。)、同番13、同番14、同番6および同番5のそれぞれ東側線、同町字念仏谷67番3、64番6、同番4、同番7、53番20、同番18、同番21、同番15および同番17のそれぞれ東側線で囲まれた区域
神領五丁目
瀬田橋本町字一ノ谷1番4、同番3、同番2、同番1および字野畑464番のそれぞれ北側線、同町字野畑465番の北東側線に隣接する国有地である水路(同水路の区域を含まない。)、野郷原二丁目町界線、野郷原一丁目町界線、県道大津信楽線北東側線、瀬田神領町字五ツ谷42番6および同番2のそれぞれ南東側線で囲まれた区域
大江六丁目
大江六丁目の全域から大江六丁目字水浦408番22、同番21、407番9、408番19、407番15、408番15および同番14のそれぞれ北側線、同番10、同字407番10、408番1、同番23、同番24および同番25のそれぞれ南側線、同字406番8、408番2および407番20のそれぞれ西側線で囲まれた区域を除く区域
大江七丁目
大江七丁目の全域ならびに大江六丁目字水浦408番22、同番21、407番9、408番19、407番15、408番15および同番14のそれぞれ北側線、同番10、同字407番10、408番1、同番23、同番24および同番25のそれぞれ南側線、同字406番8、408番2および407番20のそれぞれ西側線で囲まれた区域
大江八丁目
瀬田神領町字青江61番14および同番13のそれぞれ北東側線、同字61番42、同番41、同番38、同番35、同番32、同番31、同番30、同番29、同番19、168番3、同番1、169番3、同番2、170番のそれぞれ北東側線に隣接する国有地である水路(同水路の区域を含まない。)、同字171番1、同番、172番、173番、神領二丁目字青江174番4および同番5のそれぞれ北東側線、神領二丁目町界線、大江六丁目町界線、大江七丁目町界線、市道東3324号線北東側線、瀬田大江町字朝倉484番および字一ノ谷28番2のそれぞれ北東側線に隣接する国有地である水路および里道(同水路および同里道の区域を含む。)、同番2、同町字朝倉484番1、478番2、字山田ケ谷63番8、同番1、64番1、60番2、52番11、字山田ケ谷嶮岨51番2、字山田ケ谷平地49番8、同番9、字山田ケ谷48番3、字青江谷嶮岨47番6および同番3のそれぞれ南側線で囲まれた区域
一里山六丁目
市道幹1057号線東側線、瀬田南大萱町字石捨2099番4東側線、一里山五丁目町界線、瀬田南大萱町字新林1676番7、1677番5、同番6、同番7、同番4、1680番、1682番および1683番1のそれぞれ北側線に隣接する国有地である里道(同里道の区域を含む。)、同字1615番57、同町字丸尾1615番44、同番1および1725番1のそれぞれ北側線、同字1726番1、同町字石捨1727番1および同番3のそれぞれ東側線、瀬田月輪町字丸防8番3および同番4のそれぞれ北側線、同番7南東側線、市道東4801号線南東側線、瀬田南大萱町字石捨2147番3南側線で囲まれた区域
一里山七丁目
瀬田大江町字一ノ谷28番2東側線、同町字朝倉484番北東側線に隣接する国有地である水路および里道(同水路および同里道の区域を含まない。)、市道東3324号線北東側線、大江七丁目町界線、一里山五丁目町界線、瀬田南大萱町字石捨2099番4東側線、市道幹1057号線東側線、同字2155番3南東側線、瀬田大江町字一ノ谷嶮岨27番14南側線で囲まれた区域
月輪四丁目
市道幹1056号線北東側線、市道東4803号線東側線、月輪三丁目町界線、大津市・草津市界で囲まれた区域
月輪五丁目
瀬田月輪町字丸防8番4および同番3のそれぞれ北側線、瀬田南大萱町字石捨1727番3、同番1および字丸尾1726番1のそれぞれ東側線、同字1725番1および1615番1のそれぞれ北側線、同番44、同町字新林1615番57、1683番1、1682番、1680番、1677番4、同番7、同番6、同番5および1676番7のそれぞれ北側線に隣接する国有地である水路(同水路の区域を含まない。)、一里山五丁目町界線、市道東4803号線東側線、市道幹1056号線北東側線、大津市・草津市界、市道幹1056号線南東側線、市道東4801号線南東側線で囲まれた区域
――――――――――
新たに生じた土地の確認と町の区域に編入
平成6年6月3日
滋賀県告示第266号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項および第260条第1項の規定に基づき、大津市長から次のとおり公有水面の埋立てにより新たに生じた土地を大津市の区域として確認し、同市の町の区域に編入する旨の届出があった。
新たに生じた土地
編入する町の名称
大津市由美浜1の1、1の2、木下町551の1、552の1、553の1の各地先
56,975.21m2
由美浜
――――――――――
換地処分
平成6年6月10日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業湖南丘陵土地区画整理事業第9工区について換地処分があった。
――――――――――
換地処分
平成6年7月8日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業湖南丘陵土地区画整理事業第12工区について換地処分があった。
――――――――――
POP TATARI
あらたに生じた土地の確認
昭和37年3月22日
滋賀県告示第77号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項の規定に基づき、大津市の区域内に公有水面の埋立てによりあらたに生じた次の土地を昭和37年3月20日大津市の区域として確認した旨大津市長から届出があつた。
1 大津市山上町2の4、2の3、2、3の8、3の6、3、33の1および907番地ならびに北別所町7の2および156の3番地地先 34,596.93m2
2 大津市下平蔵町24番地、甚七町43番地および西石場町465番地地先 27,400.5m2
3 大津市雄琴町1の13、4の4、5の2および10の4番地地先 807.27m2
――――――――――
市の区域内の町の区域の変更
昭和37年8月22日
滋賀県告示第256号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、昭和37年7月25日から大津市の区域内の町の区域を次のとおり変更した旨大津市長から届出があつた。
変更した区域および地番
現行
改正
大津市皇子山町132番地
大津市尾花川町132番地
大津市神出小関町88番地の4
大津市長等町88番地の4
〃 88番地の5
〃 88番地の5
大津市松本石場町285番地
大津市松本本宮町285番地
〃 285番地の1
〃 285番地の1
〃 285番地の2
〃 285番地の2
〃 285番地の3
〃 285番地の3
〃 285番地の4
〃 285番地の4
〃 285番地の5
〃 285番地の5
〃 285番地の6
〃 285番地の6
〃 285番地の7
〃 285番地の7
〃 285番地の8
〃 285番地の8
〃 285番地の9
〃 285番地の9
〃 285番地の10
〃 285番地の10
〃 285番地の11
〃 285番地の11
〃 285番地の12
〃 285番地の12
〃 285番地の13
〃 285番地の13
〃 285番地の14
〃 285番地の14
〃 285番地の15
〃 285番地の15
〃 285番地の16
〃 285番地の16
〃 285番地の17
〃 285番地の17
〃 285番地の18
〃 285番地の18
〃 289番地の1
〃 289番地の1
〃 289番地の2
〃 289番地の2
〃 290番地の1
〃 290番地の1
〃 290番地の2
〃 290番地の2
〃 290番地の3
〃 290番地の3
〃 291番地の1
〃 291番地の1
〃 291番地の2
〃 291番地の2
〃 291番地の3
〃 291番地の3
大津市膳所池ノ内町1166番地
大津市膳所北大手町1166番地
〃 1166番地の1
〃 1166番地の1
大津市石山鳥居川西上之町316番地の1
大津市石山鳥居川南上之町316番地の1
〃 316番地の2
〃 316番地の2
――――――――――
あらたに生じた土地の確認
昭和37年12月19日
滋賀県告示第368号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項の規定に基づき、大津市の区域内に公有水面の埋立てによりあらたに生じた次の土地を昭和37年12月10日大津市の区域として確認した旨大津市長から届出があつた。
大津市下平蔵町31番地、同西石場町465番地、同松本石場町468番地および同松本下町439番地地先 28,788.46m2
――――――――――
あらたに生じた土地の確認
昭和37年12月24日
滋賀県告示第374号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項の規定に基づき、大津市の区域内に公有水面の埋立てによりあらたに生じた次の土地を昭和37年12月13日大津市の区域として確認した旨大津市長から届出があつた。
1 大津市馬場東町3の5、3の6番地および同膳所船町354、355、361の2、362の1、363の1、365の2、367の1、369の1、370、371の1番地地先 3,179.174m2
2 大津市膳所西之庄西町334、338、341、342の2、342の3、346の2、347、348、348の6、350の1、352の1番地地先 7,098.115m2
3 大津市膳所西之庄東町305、306、310、315、316、324、325、329、330の1、332の1、333番地地先10,775.719m2
4 大津市膳所網町280の2、280、282、298、303番地地先 9,024.479m2
――――――――――
市の区域内の字の区域の廃止
昭和37年12月28日
滋賀県告示第382号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により昭和37年12月17日から大津市の区域内の字の区域を次のとおり廃止した旨大津市長から届出があつた。
廃止した字の区域
現行
改正
大津市坂本穴太町字芋堀 685番地の4
大津市坂本穴太町 685番地の4
〃 685番地の5
〃 685番地の5
〃 686番地の1
〃 686番地の1
〃 687番地の5
〃 687番地の5
〃 687番地の6
〃 687番地の6
〃 688番地
〃 688番地
〃 689番地の1
〃 689番地の1
〃 690番地の1
〃 690番地の1
大津市坂本穴太町字山目葭588番地の2
〃 588番地の2
〃 589番地の2
〃 589番地の2
〃 590番地の2
〃 590番地の2
大津市坂本穴太町字黒目田27番地の1
〃 27番地の1
〃 29番地の1
〃 29番地の1
〃 30番地の1
〃 30番地の1
大津市坂本穴太町字平ラ田13番地の4
〃 13番地の4
〃 18番地の4
〃 18番地の4
〃 19番地の1
〃 19番地の1
〃 21番地の1
〃 21番地の1
〃 22番地の1
〃 22番地の1
〃 23番地の1
〃 23番地の1
――――――――――
市の区域内の町の区域および名称の変更
昭和38年5月15日
滋賀県告示第155号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、昭和38年7月1日から大津市の区域内の別図1に示す町の区域およびその名称を別図2に示すとおり変更する旨大津市長から届出があつた。
別図 略
――――――――――
市の区域内の字の区域の廃止
昭和38年9月9日
滋賀県告示第279号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、昭和38年7月16日から大津市の区域内の字の区域を次のとおり廃止した旨、大津市長から届出があつた。
廃止した字の区域
現行
改正
大津市坂本穴太町才ケ辻652番
大津市坂本穴太町652番
〃 653番
〃 653番
〃 654番
〃 654番
〃 655番
〃 655番
〃 656番
〃 656番
〃 657番
〃 657番
〃 658番
〃 658番
〃 659番
〃 659番
〃 660番
〃 660番
〃 661番
〃 661番
〃 662番
〃 662番
〃 663番
〃 663番
〃 664番
〃 664番
〃 665番
〃 665番
〃 665番の1
〃 665番の1
〃 666番
〃 666番
〃 667番
〃 667番
〃 667番の1
〃 667番の1
〃 668番
〃 668番
〃 669番
〃 669番
〃 670番
〃 670番
大津市坂本穴太町下勝尾田8番の1
大津市坂本穴太町8番の1
〃 9番の1
〃 9番の1
〃 15番の1
〃 15番の1
〃 16番の1
〃 16番の1
〃 20番の1
〃 20番の1
――――――――――
あらたに生じた土地の確認と区域に編入
昭和38年11月1日
滋賀県告示第341号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項の規定に基づき、大津市長から公有水面の埋立によるあらたに生じた次の土地を大津市区域内の町の区域として確認した旨の届出があったので地方自治法施行令(昭和22年政令第16号)第179条第1項の規定により昭和38年11月1日から次の区域に編入することとしたからあわせ告示する。
あらたに生じた土地
編入した区域
大津市山上町1番地および大津市錦織町1,137番地の2、同1,137番地の5、同1,137番地の3、同1,138番地および同1,133番地地先8,434.87平方メートル
(公有水面埋立地)
大津市錦織町
――――――――――
市の区域内の町の区域の変更
昭和38年11月1日
滋賀県告示第342号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により大津市の区域内の町の区域を次のとおり変更した旨大津市長から届出があった。
変更した区域および地番
現行
改正
大津市田辺町230番地の5
大津市光が丘町230番地の5
――――――――――
市の区域内の町の区域および名称の変更
昭和39年3月30日
滋賀県告示第89号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、昭和39年4月1日から大津市の区域内の別図1に示す町の区域およびその名称を別図2に示すとおり変更する旨大津市長から届出があった。
別図 略
――――――――――
あらたに生じた土地の確認と区域に編入
昭和39年12月25日
滋賀県告示第374号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項および同法第260条第1項の規定により、大津市長から公有水面の埋立によるあらたに生じた次の土地を大津市の区域として確認し、昭和39年12月25日から次の区域に編入する旨届出があったので告示する。
あらたに生じた土地
編入した区域
大津市打出浜34番地、同439番地、同441番地および同443番地地先20,736.29m2
(公有水面埋立地)
大津市打出浜
大津市馬場1丁目102番地および同103番地地先3,736.26m2
(公有水面埋立地)
大津市馬場1丁目
――――――――――
市の区域内の町の区域および名称の変更
昭和40年4月9日
滋賀県告示第109号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、昭和40年4月9日から大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨大津市長から届出があった。
変更前の字の区域および名称
変更後の字の区域および名称
大津市膳所焼野町533番地の1
大津市園山3丁目533番地の1
大津市園山2丁目522番地の1
大津市園山3丁目522番地の1
大津市膳所焼野町525番地
大津市園山2丁目525番地
大津市膳所焼野町525番地の2
大津市園山2丁目525番地の2
大津市膳所焼野町525番地の3
大津市園山2丁目525番地の3
大津市膳所焼野町525番地の4
大津市園山2丁目525番地の4
大津市膳所焼野町532番地の1
大津市園山2丁目532番地の1
大津市石山園山町441番地
大津市園山2丁目441番地
大津市石山園山町507番地
大津市園山2丁目507番地
――――――――――
市の区域内の町の区域および名称の変更
昭和40年10月20日
滋賀県告示第377号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、昭和40年4月9日から大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨大津市長から届出があつた。
変更前の町名、字名および地番
変更後の町名
坂本本町字鹿道2368、2369、2370、2374
下阪本町字車塚3229、3230の1、3230の2、3231の1、3232の1、3233、3234
木ノ岡町
下阪本比叡辻町字五良瀬418の1、418の2、419から426まで、426の1
下阪本町字乾3335から3353まで、3355から3366まで、3366の1、3367から3371まで
下阪本町字坂口3235、3236、3237の1、3237の2、3238の1、3238の2、3239の1から3239の3まで、3240の1から3240の3まで、3241の1から3241の3まで、3242の1から3242の3まで、3243の1から3243の3まで、3244の1から3244の3まで、3245の1から3245の3まで、3246、3246の1、3247から3253まで、3254の1、3254の2、3255の1、3255の2、3256の1から3256の3まで、3257から3264まで、3264の1、3265、3265の1、3266、3266の1、3267から3278まで、3280から3286まで、3288から3299まで、3299の1、3300、3301、3301の1、3302、3302の1、3303から3305まで、3305の1、3306から3308まで、3308の1、3309から3312まで、3315から3318まで、3320から3326まで、3326の1、3327、3328、3328の1、3329から3334まで
下阪本比叡辻町字木ノ岡山475の1、476の1、476の2、477の1、477の3から477の5まで、478の1、480の1、481から485まで、485の1、486から493まで、532、533、534の1、534の2、535から537まで、541の1、541の2、543から548まで、549の1、549の2、550から576まで、576の1、577、578の1、578の3、579の2、580の1、591の2、592の1、594の1、600の1、601の1、602の1、603の1、604の1、604の2、605から608まで、608の1、609、609の1、610、611、611の1、612から617まで、617の1、617の2、618から623まで、623の1、624から627まで、627の1、628、628の1、629から631まで、631の1、632、633、633の1、634から637まで、637の1、638から649まで、652の1から652の3まで、661の1から661の3まで、662、663、663の1
――――――――――
あらたに生じた土地の確認と区域に編入
昭和40年10月20日
滋賀県告示第378号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項および同法第260条第1項の規定に基づき、大津市長から公有水面の埋立により大津市下阪本町字的場2192番地の4(以下番地省略)、2187の3、2193・2194(合併)および2193・2194(合併)の1地先にあらたに生じた土地1,742平方メートルを大津市の区域として確認し、同地を大津市下阪本町に編入する旨届出があつた。
――――――――――
あらたに生じた土地の確認と区域に編入
昭和40年10月20日
滋賀県告示第379号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項および同法第260条第1項の規定に基づき、大津市長から公有水面の埋立により大津市木下町138番地(以下番地省略)、140、160、263および264の地先にあらたに生じた土地30,986.78平方メートルを大津市の区域として確認し、同地を大津市木下町に編入する旨届出があつた。
――――――――――
市内の町の区域および名称の変更
昭和40年4月30日
滋賀県告示第140号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、昭和40年7月1日から大津市の区域内の別図1に示す町の区域およびその名称を別図2に示すとおり変更する旨大津市長から届出があつた。
新町の名称および区域
新町の名称
旧町の名称
新町の区域
石場
松本石場町、松本上町
諸子川、国鉄東海道線、市道27号線(平野神社道)、市道特1号線(京町通り)、京阪石坂線軌道に囲まれた区域
松本一丁目
松本平野町、松本上町、東松ケ枝町
市道27号線(平野神社道)、国鉄東海道線、県道(月見坂)、市道特1号線(京町通り)に囲まれた区域
松本二丁目
東松ケ枝町、松本平野町、松本上町、西石場町、松本石場町、甚七町、下平蔵町、高見町、了徳町、松本高木町
市道特1号線(京町通り)、市道746号線、京阪石坂線軌道に囲まれた区域
島の関
湖南町、南保町、上堅田町、下堅田町
吾妻川、県道(浜通り)、市道711号線、湖岸に囲まれた区域
中央一丁目
松幡町、井筒町、中京町、柳町、坂本町、橋本町、中堀町、丸屋町、湊町、元会所町、上京町
県道(寺町通り)、市道特1号線(京町通り)、国道161号線(電車通り)、県道(浜通り)に囲まれた区域
中央二丁目
鍋屋町、下小唐崎町、太間町、大工町、白玉町、坂本町、新町、柳町、笹屋町、葭原町、後在家町、蛭子町、松幡町
市道57号線(笹屋通り)、市道特1号線(京町通り)、県道(寺町通り)、県道(浜通り)に囲まれた区域
中央三丁目
境川町、猟師町、下堅田町、上堅田町、南保町、鍋屋町、玉屋町、笹屋町、葭原町、鍛冶屋町
市道57号線、市道特1号線(京町通り)、吾妻川、市道33号線、吾妻川、県道大津湖岸線に囲まれた区域
中央四丁目
上平蔵町、下平蔵町、猟師町、材木町、和泉町、西松ケ枝町、高見町
常世川、京阪石坂線軌道、市道746号線、市道特1号線(京町通り)、吾妻川、市道33号線、吾妻川、湖岸に囲まれた区域
京町一丁目
松幡町、中京町、上京町、下栄町、金塚町、寺町、上百石町
県道(寺町通り)、市道15号線(金塚町通り)、国道161号線(電車通り)、市道特1号線(京町通り)に囲まれた区域
京町二丁目
後在家町、葭原町、下百石町、下小唐崎町、寺町、上百石町、松幡町
市道40号線、市道16号線、市道38号線、市道39号線、県道(寺町通り)、市道特1号線(京町通り)に囲まれた区域
京町三丁目
鍛冶屋町、葭原町、下百石町、四宮町、東浦大蔵町、境川町、東浦一番町
市道712号線、県道(県庁西)、市道38号線、市道16号線(百石町通り)、市道40号線、市道特1号線(京町通り)に囲まれた区域
京町四丁目
東浦一番町、境川町、西松ケ枝町、和泉町
県道(月見坂)、吾妻川、県道(県庁西)、市道712号線、市道特1号線(京町通り)に囲まれた区域
梅林一丁目
西松ケ枝町、月見坂町、梅林町、東浦大蔵町
県道(月見坂)、国鉄東海道線、市道35号線、市道38号線、県道(県庁西)、吾妻川に囲まれた区域
浜町
坂本町、白玉町、中ノ浜町
市道711号線、県道(浜通り)、市道42号線、中ノ浜埋立地、湖岸に囲まれた区域
末広町
東浦石野町、東寺町、寺町、東浦大蔵町
市道38号線、県道(駅前通り)、県道(寺町通り)、市道39号線に囲まれた区域
春日町
梅林町、東海大蔵町、下博労町、上博労町、東浦石野町、関寺町、東上栄町、寺町、松屋町、東浦上野町
市道35号線、国鉄東海道線南側線、国道161号線(八丁通り)、市道700号線(松屋町通り)、県道(駅前通り)に囲まれた区域
御幸町
下栄町、金塚町、寺町、布施屋町、葛原町、松屋町、東上栄町
県道(寺町通り)、市道700号線(松屋町通り)、国道161号線(八丁通り)、市道15号線(金塚町通り)に囲まれた区域
浜大津一丁目
橋本町、湊町、御蔵町、中ノ浜町
市道42号線、県道(浜通り)、国道161号線(電車通り)、県道(浜大津港道)、湖岸に囲まれた区域
浜大津二丁目
御蔵町、蔵橋町、西山町、桝屋町、川口町
国道161号線(市道707号線)、市道45号線、江若鉄道に囲まれた区域
浜大津三丁目
川口町、水揚町、東今颪町、西今颪町、今堀町、下北国町、中保町
市道45号線、市道707号線、市道706号線(北国町通り)、疏水、江若鉄道に囲まれた区域
浜大津四丁目
三保ケ崎町、中保町、川口町、御蔵町
県道(浜大津港道)、江若鉄道、疏水、湖岸に囲まれた区域
長等一丁目
北町、石川町、小川町、上北国町、真西町
市道11号線、市道10号線、真西町49番地の東側を経て官山に接する線、市道9号線、市道706号線(石川町通り)に囲まれた区域
長等二丁目
上北国町、土橋町、上馬場町、石橋町、船頭町、鍵屋町、元会所町、上京町、菱屋町、小川町、石川町
国道161号線(電車通り)、市道706号線(石川町通り)、市道706号線(北国町通り)、市道43号線(桶屋町通り)に囲まれた区域
長等三丁目
西今颪町、下馬場町、東今颪町、桝屋町、船頭町、鍵屋町、元会所町、下北国町、中北国町
国道161号線(電車通り)、市道43号線(桶屋町通り)、市道706号線(北国町通り)、県道(浜通り)に囲まれた区域
三井寺町
下北国町、鹿関町、中北国町、上北国町、神出車路町、神出町、長等町、真西町、神出小関町
市道706号線(北国町通り)、市道10号線、市道9号線、市道10号線、長等神社、長等町が官山に接する線、疏水に囲まれた区域
札の辻
上京町、下栄町、北町、南町、西上栄町
国道161号線(電車通り)、市道10号線、市道11号線、市道9号線、市道706号線(石川町通り)に囲まれた区域
小関町
真西町、長等町、神出小関町
真西町49番地の東側を経て官山に接する線、神出関、神出小関が官山に接する線、長等神社西側線、市道10号線、市道9号線に囲まれた区域
逢坂一丁目
梅林町、東浦上野町、東浦相生町、東浦垣内町、関清水町、関寺町、片原町
市道35号線、国道1号線、片原町、関清水町、関寺町が官山に接する線、国鉄東海道線南側線に囲まれた区域
逢坂二丁目
神出開町、新栄町、西上栄町、関寺町、長安寺町
国道161号線(八丁通り)、国鉄東海道線南側線、関寺町、長安寺町、神出開町が官山に接する線、市道10号線に囲まれた区域
注 特に示しているもの以外についての町界線は、東西に走る鉄道、軌道路については北側の側線を、南北に走る場合は西側の側線をもつて町界線とする。また、河川の場合は中心線とする。
――――――――――
市の区域内の町の区域および名称の変更
昭和41年2月11日
滋賀県告示第55号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、昭和41年4月1日から大津市の区域内の別図1に示す町の区域および名称を別図2に示すとおり変更する旨大津市長から届出があつた。
新町の名称および区域
新町の名称
旧町の名称
新町の区域
観音寺
観音寺町、北保町
熊野川、江若鉄道東側線、疏水、湖岸に囲まれた区域
大門通
北保町、鹿関町、南別所町、下大門町、上大門町、下北国町
市道7号線、市道8号線、疏水、江若鉄道東側線に囲まれた区域
園城寺町
園城寺町
旧園城寺町全域
御陵町
皇子山町、山上町、御陵町、南別所町
不動川、県道坂本本町北保町線、熊野川北支流、市道732号線、国有地の西側線、市道745号線、市道8号線、市道7号線、江若鉄道東側線に囲まれた区域
山上町
山上町
不動川、市道704号線、熊野川北支流、県道坂本本町北保町線に囲まれた区域
皇子が丘一丁目
山上町、漣町、錦織町
市道105号線、市道704号線、不動川、県道坂本本町北保町線に囲まれた区域
錦織一丁目
錦織町
柳川、市道105号線、県道坂本本町北保町線に囲まれた区域
錦織二丁目
錦織町
柳川、県道坂本本町北保町線、市道112号線、市道114号線、市道115号線に囲まれた区域
桜野町一丁目
錦織町、山上町
市道112号線、市道114号線、県道坂本本町北保町線、市道87号線、市道90号線、市道115号線に囲まれた区域
皇子が丘二丁目
山上町
市道87号線、県道坂本本町北保町線、不動川、江若鉄道東側線、市道90号線に囲まれた区域
皇子が丘三丁目
山上町
市道87号線、市道90号線、江若鉄道東側線、不動川、国道161号線、市道92号線に囲まれた区域
桜野町二丁目
錦織町、山上町
市道114号線、市道115号線、市道90号線、市道87号線、市道92号線、市道117号線に囲まれた区域
錦織三丁目
錦織町
県道下鴨大津線、市道115号線、市道114号線、市道117号線に囲まれた区域
二本松
錦織町
柳川、県道下鴨大津線、国道161号線に囲まれた区域
松山町
錦織町、山上町
県道下鴨大津線、市道117号線、市道92号線、国道161号線に囲まれた区域
柳が崎
錦織町
柳川、国道161号線、県有道路、県埋立地1―3番地の北側線、湖岸に囲まれた区域
茶が崎
尾花川町、北別所町、山上町
県有道路、県埋立地1―3番地の北側線、国道161号線、熊野川、湖岸に囲まれた区域
尾花川
尾花川町、北別所町
不動川、江若鉄道東側線、熊野川、国道161号線に囲まれた区域
注 特に示しているもの以外についての町界線は、東西に走る鉄道、軌道、道路については北側の側線を、南北に走る場合は西側の側線をもつて町界線とする。また、河川の場合は中心線とする。
――――――――――
町の編入
昭和41年4月25日
滋賀県告示第160号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から大津市下阪本比叡辻町字木之岡671番地の2を大津市木ノ岡町に編入する旨届出があつた。
――――――――――
市の区域内の町および字の区域変更
昭和41年7月22日
滋賀県告示第272号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から大津市石山寺辺町字寺津440番地の13を同市石山平津町字城山へ編入する旨届出があつた。
――――――――――
市の区域内の字の区域の変更
昭和42年3月13日
滋賀県告示第85号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、大津市の区域内の字の区域を次のとおり変更する旨大津市長から届出があつた。
変更前の字の区域
変更後の字の区域
大津市石山寺辺町字別所245番地(以下番地省略)の3、246の1、249の1、249の2、259、260、261、262の1、262の2、263の2、263の3、265の2および266の2
大津市石山寺辺町字大平山
――――――――――
市の町の区域および名称の変更
昭和42年3月13日
滋賀県告示第86号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、住居表示の実施に伴い昭和42年4月1日から大津市の区域内の別図1に示す町の区域および名称を別図2に示すとおり変更する旨大津市長から届出があつた。
別図 略
新町の名称および区域
No.
新町の名称
旧町の名称
新町の区域
1
音羽台
東浦垣内町、東浦蟹川町、朝日ケ丘町
国道一号線、逢坂一丁目町界線、名神高速道路、道路公団管理道路、市道726号線に囲まれた区域
2
朝日が丘二丁目
朝日ケ丘町、松本本宮町
市道726号線、道路公団管理道路、名神高速道路およびインターチェンジの南の側線、道路公団管理道路東の側線に囲まれた区域
3
朝日が丘一丁目
松本本宮町、梅林町、朝日ケ丘町、月見坂町
国道一号線、市道726号線、市道746号線、計画路線2.2.9号線に囲まれた区域
4
梅林二丁目
梅林町、月見坂町
東海道線、市道35号線、国道一号線、市道746号線に囲まれた区域
5
本宮一丁目
松本石場町、馬場西町、松本本宮町
東海道線、市道746号線、国道一号線、市道25号線に囲まれた区域
6
本宮二丁目
松本本宮町、松本石場町
国道一号線、計画路線2.2.9号線、市道746号線、道路公団管理道路東の側線、名神高速道路、諸子川に囲まれた区域
7
竜が丘
馬場西町、馬場南町、膳所池ノ内町
国道一号線、諸子川、名神高速道路、堂ノ川に添い馬場南町360番地の南と東の側線を経て市道673号線に囲まれた区域
8
湖城が丘
馬場南町、膳所池ノ内町、膳所平尾町
国道一号線、市道673号線、馬場南町360番地の東と南の側線を経て堂ノ川に添い、名神高速道路、相模川に囲まれた区域
9
秋葉台
膳所池ノ内町、膳所平尾町、膳所雲雀丘町
国道一号線、相模川、名神高速道路、林道、篠津川、市道423号線、市道456号線に囲まれた区域
10
富士見台
膳所雲雀丘町、膳所上別保町
国道一号線、市道456号線、市道423号線、篠津川、林道、名神高速道路、市道386号線、市道364号線、市道302号線に囲まれた区域
11
美崎町
膳所上別保町
国道一号線、市道302号線、市道362号線、市道330号線に囲まれた区域
12
国分一丁目
石山北大路旭町、石山国分町
北大路二丁目、園山三丁目の町界線、名神高速道路、石山北大路旭町町界線、石山国分町字西出500、501、521、523、524、552番地を含め、市道633号線、県道大津醍醐線、石山寺辺町、蛍谷、田辺町、光が丘町の町界線に囲まれた区域
13
国分二丁目
石山国分町
残り石山国分町全域
注
1 園山二丁目に含める区域
市道302号線、市道364号線、市道386号線、名神高速道路、園山二丁目の町界線に囲まれた区域
2 特に示しているもの以外についての町界線は、東西に走る鉄道、軌道、道路については北側の側線を、南北に走る場合は西側の側線をもつて町界線とする。また、河川の場合は中心線とする。
――――――――――
市の区域内の町の区域の設定
昭和42年3月22日
滋賀県告示第93号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づいて、大津市長から、大津市、瀬田町および堅田町の合併に伴い昭和42年4月1日から次のとおり瀬田町および堅田町の区域内の字の区域を廃止し、合併後の大津市の区域内の町の区域を設定する旨届出があつた。
廃止する字の区域
設定する町の区域
瀬田町大字橋本
大津市瀬田橋本町
〃 神領
〃 瀬田神領町
〃 大江
〃 瀬田大江町
〃 南大萱
〃 瀬田南大萱町
〃 月輪
〃 瀬田月輪町
〃 栗林新田
〃 瀬田栗林町
〃 大鳥居
〃 上田上大鳥居町
〃 桐生
〃 上田上桐生町
〃 牧
〃 上田上牧町
〃 平野
〃 上田上平野町
〃 中野
〃 上田上中野町
〃 芝原
〃 上田上芝原町
〃 堂
〃 上田上堂町
〃 新免
〃 上田上新免町
堅田町大字仰木
〃 仰木町
〃 本堅田
〃 本堅田町
〃 衣川
〃 堅田衣川町
〃 今堅田
〃 今堅田町
〃 真野
〃 真野町
〃 普門
〃 真野普門町
〃 佐川
〃 真野佐川町
〃 大野
〃 真野大野町
〃 家田
〃 真野家田町
〃 谷口
〃 真野谷口町
〃 向在地
〃 伊香立向在地町
〃 生津
〃 伊香立生津町
〃 上在地
〃 伊香立上在地町
〃 北在地
〃 伊香立北在地町
〃 下在地
〃 伊香立下在地町
〃 南庄
〃 伊香立南庄町
〃 上龍華
〃 伊香立上龍華町
〃 下龍華
〃 伊香立下龍華町
〃 途中
〃 伊香立途中町
〃 坂下
〃 葛川坂下町
〃 木戸口
〃 葛川木戸口町
〃 中村
〃 葛川中村町
〃 坊村
〃 葛川坊村町
〃 町居
〃 葛川町居町
〃 梅ノ木
〃 葛川梅ノ木町
〃 貫井
〃 葛川貫井町
〃 細川
〃 葛川細川町
――――――――――
あらたに生じた土地の確認と区域に編入
昭和42年7月31日
滋賀県告示第300号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項および同法第260条第1項の規定に基づき、大津市長から次のとおり公有水面の埋立によりあらたに生じた土地を大津市の区域として確認し、昭和42年8月1日から同市の区域に編入する旨の届け出があつた。
あらたに生じた土地
編入される区域
大津市尾花川68番地(以下番地省略)から75まで、78、81から86まで、103、111、112、118から120まで、126、129、130および132から135までに囲まれる区域1234、94平方メートル
大津市尾花川
――――――――――
あらたに生じた土地の確認と区域に編入
昭和42年8月30日
滋賀県告示第352号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項および同法第260条第1項の規定に基づき、大津市長から、公有水面の埋立により大津市下阪本比叡辻町210番の地先にあらたに生じた土地23,709.9平方メートルを大津市の区域として確認し、同地を大津市下阪本比叡辻町に編入する旨の届け出があつた。
――――――――――
市の区域内の町の区域および名称変更
昭和42年12月11日
滋賀県告示第501号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、大津市長から、住居表示の実施に伴い昭和43年1月1日から大津市の区域内の別図1に示す町の区域および名称を別図2に示すとおり変更する旨の届出があつた。
別紙
新町の名称および区域
No.
新町の名称
旧町の名称
新町の区域
1
神宮町じんぐうちよう
錦織町
南滋賀町
柳川、京阪石坂線、名村川、県道下鴨大津線、名村川、近江神宮境内地の西側線に囲まれた区域
2
南志賀一丁目みなみしがいつちようめ
南滋賀町
名村川、県道下鴨大津線、名村川、京阪石坂線、市道134号線、市道644号線、県道下鴨大津線に囲まれた区域
3
南志賀二丁目みなみしがにちようめ
南滋賀町
滋賀里町甲
市道134号線、京阪石坂線、際川、農道311号線、滋賀里町甲525、529、530、537、538番地、南滋賀町904、903、902、883、882、880番地の各西側線を経て市道644号線に囲まれた区域
4
高砂町たかさごちよう
滋賀里町甲
農道311号線、際川、京阪石坂線、市道176号線、市道171号線、市道165号線、市道163号線、際川、滋賀里町甲479、474、553、480番地の西側線に囲まれた区域
5
滋賀里一丁目しがさといつちようめ
滋賀里町甲
際川、市道163号線、市道165号線、市道171号線、市道176号線、京阪石坂線、弁田川、市道837号線、滋賀里町甲413、411、416、417番地の南側線、564番地の北、西側線574、562、559番地の西側線に囲まれた区域
6
滋賀里二丁目しがさとにちようめ
滋賀里町甲
滋賀里町乙
滋賀里町甲417、416、411、413番地の南側線、市道837号線、弁田川、京阪石坂線、市道183号線、滋賀里町乙514、510、509、507、508、517番地の西側線に囲まれた区域
7
滋賀里三丁目しがさとさんちようめ
滋賀里町乙
市道183号線、京阪石坂線、朧池川、射撃場の東、北、西側線、滋賀里町乙363、370、371番地の北側線、519番地の1~519番地の38、519番地の77、516番地を含めた区域
8
滋賀里四丁目しがさとよんちようめ
滋賀里町乙
市道201号線、江若鉄道、朧池川、京阪石坂線に囲まれた区域
9
見世二丁目みせにちようめ
滋賀里町甲
滋賀里町乙
農道313号線、市道772号線、市道201号線、京阪石坂線に囲まれた区域
10
見世一丁目みせいつちようめ
滋賀里町甲
際川、市道772号線、農道313号線、京阪石坂線に囲まれた区域
11
南志賀三丁目みなみしがさんちようめ
南滋賀町
市道152号線、江若鉄道、際川、京阪石坂線に囲まれた区域
12
勧学一丁目かんがくいつちようめ
南滋賀町
農道303号線、南滋賀町259、261、276番地の東側線、名村川、南滋賀町277番地の西側線、市道152号線、京阪石坂線に囲まれた区域
13
柳川一丁目やながわいつちようめ
錦織町
柳川、農道302号線、農道303号線、京阪石坂線に囲まれた区域
14
柳川二丁目やながわにちようめ
錦織町
柳川、市道122号線、市道120号線、農道302号線に囲まれた区域
15
鏡かがみが浜はま
錦織町
南滋賀町
柳川、湖岸、錦織町北の境界を経て、国道161号線、市道152号線、南滋賀町157、158、159、160、161番地の東側線、市道122号線に囲まれた区域
16
勧学二丁目かんがくにちようめ
南滋賀町
市道120号線、南滋賀町161、160、159、158、157番地の東側線、市道152号線南滋賀町277番地の西側線、名村川、南滋賀町276、261、259番地の東側線に囲まれた区域
17
南志賀四丁目みなみしがよんちようめ
南滋賀町
市道152号線、国道161号線、市道143号線、際川、江若鉄道に囲まれた区域
18
際川一丁目さいがわいつちようめ
下阪本町
下阪本町南の境界を経て、湖岸、国道161号線に囲まれた区域
19
際川二丁目さいがわにちようめ
下阪本町
際川、市道143号線、国道161号線、笹畔川、市道772号線に囲まれた区域
20
あかね町ちよう
下阪本町
笹畔川、滑走路、蓮池原川、市道772号線に囲まれた区域
21
蓮池町はすいけちよう
下阪本町
滋賀里町乙
市道201号線、蓮池原川、滑走路、下阪本町399番地の東北側線を経て朧池川、江若鉄道に囲まれた区域
22
際川四丁目さいがわよんちようめ
下阪本町
蓮池原川、湖岸、朧池川、下阪本町399番地の北、東側線を経て、滑走路に囲まれた区域
23
際川三丁目さいがわさんちようめ
下阪本町
笹畔川、国道161号線、湖岸、蓮池原川、滑走路に囲まれた区域
注 特に示しているもの以外についての町界線は東西に走る鉄道、軌道、道路については北側の側線を、南北に走る場合は西側の側線をもつて町界線とする。また河川の場合は中心線とする。
別図 略
――――――――――
あらたに生じた土地の確認と区域に編入
昭和43年1月17日
滋賀県告示第20号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項および同法第260条第1項の規定に基づき、大津市長から次のとおり公有水面の埋立によりあらたに生じた土地を大津市の区域として確認し、同市の区域に編入する旨の届け出があつた。
あらたに生じた土地
編入される区域
大津市木下町552番地(以下番地省略)の1、同市丸の内町46の3、46の14、46の15、46の16、57、57の2、59、164、164の1、/175の1/176/)の1、/175の1/176/)の2、175の4、175の5、177の1、177の2、178の2および同市本丸町165の地先11,024.25平方メートル
大津市丸の内町
大津市本丸町36の1、36の3、36の4、36の6、145、146、146の1および165の地先6,192.28平方メートル
大津市本丸町
大津市中庄一丁目132の2、146、237、238、264、265の6および265の7の地先13,962.50平方メートル
大津市中庄一丁目
大津市御殿浜113の2、130の1、130の3および130の4の地先9,595.94平方メートル
大津市御殿浜
――――――――――
市内の町および字の区域を変更
昭和43年8月5日
滋賀県告示第315号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から同市内の町および字の区域を次のとおり変更する旨届出があつた。
変更前の町および字の区域
変更後の町および字の区域
大津市秋葉台782番地
〃 782番地の2
〃 782番地の3
〃 782番地の4
〃 782番地の5
大津市富士見台
大津市馬場南町字蝋燭366番地の1
〃 〃 367番地
大津市膳所池ノ内字雨屋ケ谷1084番地の1
〃 〃 1084番地の3
〃 〃 1085番地の1
〃 〃 1086番地
〃 〃 1088番地
〃 〃 1089番地
〃 〃 1090番地の1
〃 〃 1090番地の3
〃 〃 1090番地の4
〃 〃 1090番地の5
〃 〃 1090番地の6
〃 〃 1090番地の7
〃 〃 1091番地
〃 〃 1092番地
〃 〃 1093番地
大津市馬場南町字大岩
――――――――――
あらたに生じた土地の確認と区域に編入
昭和43年11月11日
滋賀県告示第415号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項および同法第260条第1項の規定に基づき、大津市長から次のとおり公有水面の埋立てによりあらたに生じた土地を大津市の区域として確認し、同市の町の区域に編入する旨届出があつた。
あらたに生じた土地
編入する町の区域
大津市雄琴町13番の1、22番の1、22番の4、23番の1、23番の3、24番、24番の1、25番、25番の1、26番の1、27番の1、28番の1、36番の1、37番の1、39番、43番、1672番の各地先20,451.84平方メートル
大津市雄琴町
――――――――――
市の区域内の町の区域の変更
昭和43年12月25日
滋賀県告示第455号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から大津市の区域内の字の区域を次のとおり変更する旨届出があつた。
変更前の字の区域
変更後の字の区域
大津市竜が丘字石ヶ谷398番、402番、403番の1、408番の1
大津市竜が丘字大岩
――――――――――
市の区域内の字の区域の変更
昭和43年12月25日
滋賀県告示第456号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から大津市の区域内の町の区域を次のとおり変更する旨届出があつた。
変更前の町の区域
変更後の町の区域
大津市漣町の全部
大津市皇子が丘一丁目
――――――――――
あらたに生じた土地の確認
昭和43年12月25日
滋賀県告示第457号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項の規定に基づき、大津市長から次のとおり公有水面の埋立てによりあらたに生じた土地を大津市の区域として確認する旨届出があつた。
あらたに生じた土地の所在
地積
大津市打出浜34番の1、448番の1、449番の1、同馬場一丁目3番の3、3番の4、3番の6、103番、106番、568番の1、同西の庄300番、333番の2、355番、356番、363番の3、371番の3、同木下町553番の1の各地先
418,534.95平方メートル
――――――――――
市の町の区域に定める
昭和43年12月25日
滋賀県告示第458号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から公有水面埋立地の区域を次のとおり大津市の町の区域に定める旨届出があつた。
区域
町の名称
大津市打出浜34番の1、448番の1、449番の1の各地先 47,735.46平方メートル
におの浜一丁目
大津市馬場一丁目103番、106番、568番の1の各地先 69,775.77平方メートル
におの浜二丁目
大津市馬場一丁目3番の3、3番の4、3番の6、106番の各地先 85,743.60平方メートル
におの浜三丁目
大津市西の庄300番、333番の2、355番、356番、363番の3、371番の3の各地先 166,899.37平方メートル
におの浜四丁目
大津市木下町553番の1地先 48,380.75平方メートル
由美浜
――――――――――
あらたに生じた土地の確認と区域に編入
昭和45年1月14日
滋賀県告示第15号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項および同法第260条第1項の規定に基づき、大津市長から次のとおり公有水面の埋立てによりあらたに生じた土地を大津市の区域として確認し、同市の町の区域に編入する旨の届出があつた。
あらたに生じた土地
編入する町の名称
大津市本堅田町396番地の1、1597番地、1598番地、1599番地の1、1599番地の2および1600番地の2の各地先462.56平方メートル
大津市本堅田町
――――――――――
市の町の区域および名称の変更
昭和45年4月17日
滋賀県告示第147号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町の区域および名称
変更後の町の区域および名称
大津市滋賀里町字大谷乙519番地の10、519番地の18、519番地の19、519番地の20、519番地の21、519番地の119、519番地の121、519番地の122、519番地の125、519番地の127、519番地の130、519番地の134、519番地の194、520番地
大津市滋賀里二丁目
大津市滋賀里二丁目字家田510番地、512番地、513番地、514番地
大津市滋賀里二丁目字大谷519番地の6、519番地の7、519番地の8、519番地の9
大津市滋賀里三丁目字家田515番地、515番地の1、516番地、517番地の3
大津市滋賀里三丁目字大谷519番地の126、519番地の200
――――――――――
字の廃止および町の名称ならびに字の区域の変更
昭和46年4月1日
滋賀県告示第146号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から大津市の区域内の字の廃止および町の名称ならびに字の区域を昭和46年5月1日から次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町および字の名称
変更後の町の名称
大津市馬場南町字大岩
大津市鶴の里
変更前の字の区域および名称
変更後の字の名称
大津市本丸町字膳所
36番地の2、36番地の3、140番地の1、140番地の3、145番地の2、146番地、147番地の4、147番地の5
大津市本丸町
――――――――――
市の区域内の町の区域および名称変更
昭和46年12月13日
滋賀県告示第476号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から大津市の区域内の字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の字の区域および名称
変更後の字の名称
伊香立下龍華町字深田566、568の6
伊香立下龍華町字笹谷566、568の6
――――――――――
あらたに生じた土地の確認と区域に編入
昭和47年2月1日
滋賀県告示第36号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項および同法第260条第1項の規定に基づき、大津市長から次のとおり公有水面の埋立てにより新たに生じた土地を大津市の区域として確認し、同市の町の区域に編入する旨の届出があつた。
新たに生じた土地
編入する町の名称
大津市浜町3番の2地先
3,240.695平方メートル
大津市浜町
大津市島の関32番、121番、121番の3、121番の6、121番の8、121番の16、126番の2、126番の5、126番の11、126番の12、126番の15、127番の2、127番の4、127番の14、127番の23、127番の24および127番の29の各地先
18,535.815平方メートル
大津市島の関
大津市中央四丁目31番の2、34番、35番および36番の2の各地先
6,914.53平方メートル
大津市中央四丁目
――――――――――
字の区域および名称の変更
昭和48年5月21日
滋賀県告示第197号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から大津市の区域内の字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の字の区域および名称
変更後の字の名称
大津市瀬田神領町字附子田320、321、322、323、324、325、326
大津市瀬田神領町字大山
――――――――――
市町の境界変更
昭和48年11月28日
自治省告示第194号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条第1項の規定により、滋賀県大津市と滋賀郡志賀町との境界を次のとおり変更する旨、滋賀県知事から届出があつた。
下の境界変更は、昭和49年1月1日からその効力を生ずるものとする。
大津市に編入する区域
滋賀郡志賀町大字小野字シ屋加谷394の3、422の1、425、428の2、436の2、458の2、464の2、466の2、467、469、469の1及びこれらの区域に隣接する道路である国有地の全部
滋賀郡志賀町に編入する区域
大津市真野町字須原1797の3、字石ノ堂1809の1、1809の7、1810の2、1811の2、1812の2、1813、1814の2、1815の2、字山田2216の1、2219の2、2222、2222の2、2226、2253の3、2278の2、2279の2
――――――――――
字の区域および名称の変更
昭和48年12月28日
滋賀県告示第527号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から大津市と志賀町の境界変更に伴い、大津市に編入する字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
この変更は、昭和49年1月1日から効力を生ずるものとする。
変更前の字の区域および名称
変更後の町および字の名称
大字小野字シ屋加谷394の3、422の1、425、428の2、436の2、458の2、464の2、466の2、467、469、469の1およびこれらの区域に隣接する道路である国有地の全部
30,574.52平方メートル
真野町字山田
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和49年4月1日
滋賀県告示第131号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)に基づく住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
1 新町の名称および区域
新町の名称
旧町の名称
新町の区域
大平一丁目おおひらいつちようめ
石山寺辺町の一部
県道醍醐大津線、石山寺辺町字大平山315番地の24および同番地の121ならびに同番地の333の地先を結ぶ市道大502号線、同町315番地の333の西の側線を経て多羅川支流に添い同町223番地の4および同番地の1ならびに同番地の5の西の側線を経て県道醍醐大津線、同町315番地の北の側線を経て多羅川に添い同町207番地の1および同町315番地の1ならびに同番地の3の北の側線に囲まれた区域
大平二丁目おおひらにちようめ
石山寺辺町の一部
多羅川支流、石山寺辺町314番地の2および同番地の4ならびに315番地の16の西の側線を経て同町315番地の334および同番地の452ならびに同番地の437の地先を結ぶ市道大502号線、市道大500号線に囲まれた区域
北大路三丁目きたおおじさんちようめ
石山北大路旭町および膳所焼野町の一部
石山北大路旭町の全域および膳所焼野町字大谷695番地の2および695番地の11から695番地の58までの8,247.98平方メートル
若葉台わかばだい
膳所焼野町の一部および膳所上別保町の一部
膳所焼野町字大谷695番地の2および695番地の11から695番地の58までの区域を除く全域ならびに膳所上別保町字別保谷613番地、648番地の1から648番地の6まで、648番地の8、648番地の9、648番地の12から648番地の29まで、648番地の33、648番地の36、648番地の38から648番地の42まで、648番地の44、648番地の45、648番地の50、648番地の51、648番地の57から648番地の125まで、649番地の1、650番地、650番地の1、650番地の2、651番地および651番地の1の13,477平方メートル
注 特に示しているもの以外についての町界線は、東西に走る道路については北側の側線を南北に走る場合は東側の側線をもつて町界線とする。また、河川の場合は中心線とする。
2 新旧対象図 略
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和49年4月22日
滋賀県告示第168号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
上記の変更は、昭和49年5月1日から効力を生じるものとする。
変更前の町の区域および名称
変更後の町の名称
大津市真野町字山田2182の一部、2188の一部、2218の一部、2219の1の一部、2219の3、2233の一部、2234、2235、2238の一部、2239、2241、2242、2244の1、2245、2246、2247の1、2248から2250まで、2252の2、2254の一部、2255、2256の一部、2257の2、2258、2259の1、2263の2、2293から2301まで、2302の一部、同町字北浦145の2の一部、148、149、150の2、153の2の一部、154の2の一部、155の3の一部、同町字ホリケ2116、2120、2122、2123、2144から2147まで、2149、同町字南山田2150、2151の2の一部、2152の一部、2159の1の一部、2160の一部、2162の一部、2164の一部、2165、2166の一部、2168の1、2289から2291まで、2292の一部およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路等である国有地等の一部
大津市向陽町
大津市真野町字山田2182の一部、2188の一部、2189から2195まで、2196の一部、2196の1、2197の一部、2199の1の一部、2201の一部、2202から2207まで、2208の1、2210、2211、2215、2216の2、2218の一部、2219の1の一部、2233の一部、2238の一部、2299の1から2299の5まで、2302の一部、同町字南山田2151の1、2151の2の一部、2151の3、2152の一部、2153、2154、2155の1、2155の2、2156、2157、2159の1の一部、2160の一部、2162の一部、2163、2164の一部、2166の一部、2169、2172から2175まで、2176の一部、2178の一部、2179、2180の1、2180の2、2181の1、2181の2、2292の一部、同町字ヲガイト1994、1995、1997の一部、2001の一部、2002の一部、2006、2007の一部、2013、2020の一部、2021、2022、2026の一部、2027の一部、2032、2033、2041、2047、2047の1、2048の2、2050およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路等である国有地等の一部
大津市美空町
大津市真野町字須原1666の3、1666の5、1680の2、1682の2から1682の4まで、1682の6、1682の7、1683の2、1684の1、1684の2、1685、1686の1から1686の4まで、1714、1719の1、1726の1、1727の1、1728、1729の1、1729の4、1730の1、1731、1732の2、1732の3、1733の2、1733の3、1734、1735の1、1737の1、1738の1、1739の1、1740、1741の1から1741の3まで、1741の5、1742の1、1742の3、1744の1から1744の5まで、1746の1から1746の4まで、1747、1748の1から1748の4まで、1749の1から1749の4まで、1750の1、1750の2、1751の1から1751の3まで、1752、1755から1758まで、1762、1765、1767の1から1767の6まで、1768、1769、1770の1から1770の4まで、1771から1777まで、1778の1、1781の1、1782の1から1782の5まで、1783の1、1783の2、1785の1から1785の4まで、1786の3、1786の4、1787の1から1787の4まで、1788の1から1788の6まで、1789の1から1789の4まで、1792の2、1792の3、1793の2、1795の1から1795の3まで、1796の2、1797の1、1797の2、1800の2、1800の3、1801、1801の1から1801の4まで、1802の1から1802の3まで、1802の5から1802の7まで、1803の1から1803の4まで、1803の6、1803の9から1803の14まで、1804の1、1804の2、1805の1、1805の3、1805の4、1806の1から1806の4まで、1806の6、1807の1から1807の3まで、1807の5、1808の1、1808の2、同町字石ノ堂1809の1から1809の5まで、1809の8、1810、1810の1、1811の1、1812の1、1814、1815の1、1817、1818、1819の1、1819の2、1820の1、1820の2、1821、1821の1から1821の3まで、1822の1、1822の2、1823の3、1828、1829、1833の1、1850、1861、1875、1876、同町字ヲガイト1959、1960、1969から1973まで、1974の3、1996、1997の一部、1998から2000まで、2001の一部、2002の一部、2007の一部、2018、2019、2020の一部、2026の一部、2027の一部、同町字山田2196の一部、2197の一部、2198、2199の1の一部、2200、2201の一部、同町字南山田2176の一部、2177、2178の一部およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路等である国有地等の一部
大津市清水町
――――――――――
換地処分
昭和49年5月20日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業びわ湖ローズタウン土地区画整理事業の真野第1工区について換地処分があつた。
――――――――――
換地処分
昭和49年12月20日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業びわ湖ローズタウン土地区画整理事業の真野第2工区について換地処分があつた。
――――――――――
市の区域内の町の区域および名称の変更
昭和50年1月8日
滋賀県告示第5号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町の区域および名称
変更後の町の名称
大津市真野町字山田の全部、真野普門字北浦145の1、150の1、153、153の1、154の1、155の1、155の2、156から158まで、164、165、166の1、167、169、171から174までおよびこれらの区域に隣接介在する道路、水路等である国有地等の一部
大津市花園町
――――――――――
新たに生じた土地の確認
昭和50年2月7日
滋賀県告示第54号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第9条の5第1項の規定に基づき、大津市長から次のとおり公有水面の埋立てにより新たに生じた土地を大津市の区域として確認した旨の届出があつた。
新たに生じた土地
大津市木下町552の1、同市丸の内57の3の各地先
9,754.25平方メートル
――――――――――
町の区域に編入
昭和50年2月7日
滋賀県告示第55号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から次の地域を大津市丸の内町の区域に編入する旨の届出があつた。
編入する地域
大津市木下町552の1、同市丸の内町57の3の各地先
9,754.25平方メートル
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和50年2月19日
滋賀県告示第74号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)による住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
上記の変更は、昭和50年3月1日から効力を生ずるものとする。
1 変更する町の区域および名称
変更後の町の名称
変更前の町の名称
変更する区域
高砂町たかさごちよう
南志賀二丁目の一部および滋賀里町甲の一部
南志賀二丁目字岩ノ下524番地、525番地の1、同番地の2、527番地、同番地の1、529番地、同番地の1、同番地の2、530番地から534番地まで、535番地の1、同番地の2、536番地の1、同番地の2、537番地、538番地の1、同番地の2および滋賀里町甲字岩ノ下526番地、同番地の2、528番地、滋賀里町甲字茶ノ山539番地の1、同番地の2、540番地の1、同番地の2、541番地の1、同番地の2、542番地、543番地の1から同番地の3まで、544番地、545番地の1、同番地の2、同番地の4から同番地の7まで、同番地の9から同番地の15まで、同番地の17、同番地の20から同番地の24まで、滋賀里町甲字池ノ内546番地の1から同番地の16まで、547番地から550番地まで、551番地の1から同番の3まで、552番地の79,477.09平方メートル
南志賀一丁目みなみしがいつちようめ
南滋賀町の一部
南滋賀町字城谷954番地から957番地まで、959番地および南滋賀町字大兀960番地、961番地の1から同番地の4まで、962番地の1から同番地の6まで、963番地の1から同番地の6まで、964番地の1から同番地の5まで、965番地の1から同番地の16までの54,113.42平方メートル
南志賀二丁目みなみしがにちようめ
南滋賀町の一部
南志賀町字前山903番地、905番地の1から同番地の3まで、906番地、907番地の1、同番地の7、同番地の13、同番地の16、同番地の21、同番地の25、同番地の31、910番地、同番地の1、911番地、912番地の1、同番地の2、913番地の1、同番地の2、914番地の1、同番地の2、915番地の1、同番地の2、916番地、917番地、918番地の1から同番地の3まで、919番地、同番地の1、同番地の2、920番地、921番地の1、同番地の2、922番地の1から同番地の4まで、923番地の1から同番地の4まで、924番地の1から同番地の3まで、925番地の1、同番地の2の47,438.34平方メートル
比叡平一丁目ひえいだいらいつちようめ
山中町の一部および山上町の一部
市道大337号線、山中町字広小場1090番地の64、同番地の63、239番地の6、山中町字節ケ谷223番地の3の西の側線、県道下鴨大津線、山上町字長等山776番地の32、山中町字広小場1066番地の2、1067番地の4、同番地の9、同番地の10、同番地の1、1069番地の60、同番地の33、同番地の55、山上町字長等山785番地の31、同番地の30、785番地の東の側線、山上町字長等山785番地の28、785番地、786番地の2、784番地の2、783番地の21、同番地の17、同番地の6、782番地、山中町字鮒池1056番地の1の南の側線に囲まれた区域
比叡平二丁目ひえいだいらにちようめ
山中町の一部および山上町の一部
京都府滋賀県界、山中町字鮒池1036番地の13、同番地の17、同番地の15、同番地の42、同番地の14、同番地の35、同番地の5、1037番地の4、1036番地の3、同番地の4、1037番地の105、1036番地の2、1037番地の16、1036番地の70、1057番地の58、1062番地の24、山中町字広小場1094番地の8、1093番地の15、同番地の4、同番地の11、1090番地の20の北の側線、市道大337号線、山中町字鮒池1056番地の7、山上町字長等山782番地の23、同番地の26、同番地の2、同番地の25、781番地の8から同番地の14まで、786番地の北の側線、777番地、778番地、779番地、山中町字鮒池1050番地の298、同番地の299の東の側線、同番地の300、同番地の17、同番地の82、同番地の81、1046番地の4、同番地の3、同番地の2、1044番地、1045番地の南の側線に囲まれた区域
比叡平三丁目ひえいだいらさんちようめ
山中町の一部
京都府滋賀県界、山中町字ヨ茂ケ谷310番地、312番地、山中町字鮒池266番地、264番地の1、同番地の2、市道大337号線の西の側線、県道下鴨大津線、山中町字節ケ谷225番地、山中町字広小場245番地、239番地の1、東の側線1090番地の66、1093番地の1、山中町字鮒池1057番地の89、1036番地の46、同番地の1の南の側線を経て、京都府、滋賀県界に至る区域
注 特に示しているもの以外についての町界線は、東西に走る道路については南側の側線を、南北に走る場合は東俸側の側線をもつて町界線とする。
2 新旧対照図 略
――――――――――
市の区域内の町の区域および名称の変更
昭和50年5月19日
滋賀県告示第219号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)による住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
上記の変更は、昭和50年7月1日から効力を生ずるものとする。
1 変更する町の区域および名称
変更後の町の名称
変更前の町の名称
変更する区域
稲葉台いなばだい
藤尾奥町の一部
藤尾奥町字小関32番地の3・32番地の2の北側の側線、大谷国有林(境界標番号496番から542番まで、542番のイ、542番のロ、543番から555番まで)を経て、追分国有林(境界標番号555番から558番まで、558番のイ、559番、560番、560番のイ、561番から571番まで、571番の1、572番のイ、573番から584番まで、584番の1から584番の3まで、585番から595番まで、595番のイ、596番から601番まで)、国道161号線バイパスおよび市道大477号線に囲まれた区域
茶戸町ちやどまち
藤尾奥町の一部および追分町の一部
国道161号線バイパス、追分国有林(境界標番号600番、601番)、市道大473号線、市立藤尾小学校の南側の側線、市道大476号線、市道大472号線、四宮川、京都府・滋賀県界、国鉄東海道線、藤尾奥町字茶戸360番地の東側の側線および茶戸川に囲まれた区域
横木一丁目よこぎいつちようめ
藤尾上横木町の一部、横尾下横木東町の一部および藤尾下横木町の一部
藤尾上横木町字上長通665番地・同町字東井手口794番地の東側に接する里道、同町字南上ケ田793番地の東側に接する水路、京都府・滋賀県界および京阪電鉄京津線に囲まれた区域
横木二丁目よこぎにちようめ
追分町の一部、藤尾上横木町の一部、藤尾下横木東町の一部および藤尾下横木町の一部
国道161号線バイパス、京阪電鉄京津線・京都府・滋賀県界、四宮川、市道大472号線、市道大476号線、藤尾上横木町字山面490番地の3・490番地の4・490番地の6・493番地の2・490番地の1の北側の側線、市道大473号線および追分国有林(境界標番号600番、601番)に囲まれた区域
追分町おいわけちよう
追分町の一部および藤尾上横木町の一部
藤尾上横木町字山面500番地の1、501番地の1、503番地の2から503番地の12まで、503番地の14から503番地の17まで、503番地の19から503番地の36まで、503番地の39、503番地の43、503番地の45から503番地の65まで、505番地の1から505番地の10まで、505番地の12、505番地の15から505番地の17まで、505番地の19から505番地の22まで、505番地の25から505番地の30まで、505番地の34から505番地の49まで、505番地の56から505番地の65まで、505番地の69から505番地の91まで、505番地の97から505番地の100まで、505番地の102から505番地の104まで、507番地の1、507番地の2、514番地の1から514番地の10まで、515番地、515番地の1、516番地の1から516番地の12まで、517番地、518番地、519番地の1、519番地の2、520番地から523番地まで、524番地の1から524番地の8まで、525番地、526番地の1、535番地の1、535番地の2、536番地、536番地の1、536番地の2、537番地の1から537番地の3まで、537番地の5から537番地の21まで、同町字五反田538番地の1から538番地の4まで、539番地から541番地まで、541番地の2から541番地の10まで、542番地の1から542番地の3まで、543番地の1から543番地の6まで、544番地、544番地の1から544番地の11まで、545番地、546番地の1から546番地の20まで、547番地、548番地の1から548番地の4まで、549番地から553番地まで、554番地の1、554番地の2、555番地から557番地まで、同町字後藤558番地、559番地、560番地の3、同町字上長通657番地の1、657番地の3から657番地の5まで、659番地、659番地の2から659番地の4まで、659番地の6、659番地の7、660番地、660番地の2から660番地の4まで、660番地の6から660番地の10まで、661番地、661番地の2から661番地の4まで、661番地の6、661番地の7、662番地の1から662番地の3まで、663番地、663番地の1から663番地の13まで、664番地、664番地の1から664番地の8まで、同町字東井手口795番地、796番地の1から796番地の4まで、797番地、797番地の1から797番地の6まで、798番地、798番地の1から798番地の7まで、799番地の1から799番地の11まで、800番地、800番地の1から800番地の5まで、801番地、802番地、802番地の1から802番地の7まで、803番地の1から803番地の11まで、804番地の1から804番地の8まで、805番地、805番地の1および805番地の2の64,815.92平方メートル
(注) 表中変更する区域欄において特に表示しているもの以外の町界は、鉄道、軌道および道路については、東西に走る場合は南側、南北に走る場合は東側の側線とし、河川および水路については中心線とする。
2 新旧対照図 略
――――――――――
市の区域および名称の変更
昭和50年11月12日
滋賀県告示第478号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から大津市の区域内の字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の字の区域および名称
変更後の字の名称
大津市伊香立下龍華町字深田579の1、580の2、584、585、628、628の1から628の3まで、629の1から629の4まで、同町字猪ノ木谷667の3、667の4、668の2、669の2、670の2、672、672の2、672の3、同町字笠谷686、686の1、686の2、688から691まで、691の1、691の2、692、693、694の1およびこれらの区域に介在する道路、水路である国有地の全部
大津市伊香立下龍華町字柿ノ木
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和50年11月28日
滋賀県告示第503号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町の区域および名称
変更後の町の名称
大津市京町二丁目24の一部、24の1、25の一部、26の1から26の6まで、27、27の1、同市末広町字大石59の1、60の一部、63の1の一部、63の2の一部、63の3の一部、204の一部、同市梅林一丁目字大蔵48の9の一部、49の12の一部、49の15の一部およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部
大津市京町三丁目
大津市京町二丁目15の一部、16の2の一部、16の4の一部、16の6の一部、18の3の一部、19の3の一部、19の4の一部、24の一部、同市末広町字大石60の1から60の3まで、61の1、61の2、62の1、62の2、63の1の一部、63の2、63の3の一部、64の2、65の2、66の2、68の2、71の2、72の2、73の2、74の3、80の2、80の4、87の3の一部、87の4の一部、87の5、87の6の一部、89の1の一部、89の3、89の4、90の2、92、92の2から92の13まで、93の1の一部、93の3の一部、204の一部、204の2から204の4まで、204の6、204の7、205の5およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部
大津市末広町
大津市京町三丁目1の7の一部、42の5、45の一部、46の一部、46の1の一部、46の2の一部、同市末広町字大石51の1の一部、51の2の一部、51の3の一部、51の5、51の6、51の8、51の9、80の2の一部、80の3、80の3の一部、81の2、82の2、82の3、83の1、83の3、83の4、84の2の一部、87、87の1の一部、87の3の一部、87の4の一部、同市梅林一丁目字大蔵47、47の2、47の3、48、48の1から48の3まで、48の8、48の9の一部、48の10、48の11、48の13から48の16まで、49、49の6の一部、49の7、49の8から49の11まで、49の12の一部、49の15の一部、49の17、49の18、49の19の一部、49の20から49の25まで、49の26の一部、49の27から49の29までおよびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部
大津市梅林一丁目
大津市梅林一丁目字大蔵49の6の一部、49の19の一部、49の26の一部、同市末広町1、1の1、2、2の1、同町字大石51の1の一部、51の2の一部、51の3の一部、84の2の一部、87の1の一部、87の2、87の3の一部、87の6の一部、88の2、89の1の一部、93の1の一部、93の2、93の3の一部、94の5、94の6、同市春日町字大石285、285の1から285の4まで、285の7から285の9まで、297の3から297の5まで、298の1から298の6まで、298の9、298の10、298の12から298の15まで、299、299の1から299の6まで、300の1から300の7まで、300の10から300の14までおよびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部
大津市春日町
――――――――――
換地処分
昭和50年11月28日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業大津駅前土地区画整理事業について換地処分をした。
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和51年6月1日
滋賀県告示第408号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)による住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
上記の変更は、昭和51年7月1日から効力を生ずるものとする。
変更する町の区域及び名称
変更後の町の名称
変更前の町の名称
変更する区域
石山寺一丁目いしやまでらいつちようめ
石山寺辺町の一部
瀬田川、県道大津上野線・県道大津南郷宇治線、市道大492号線、石山寺辺町字寺津576番地の2の南の側線及び同町字伽藍山672番地の1の南・西・北の側線に囲まれた区域
石山寺二丁目いしやまでらにちようめ
石山寺辺町の一部
市道大492号線、市道大497号線、石山寺辺町字寺津143番地の1・138番地の3・138番地の1・138番地の84・800番地の1・635番地の2・810番地の7・810番地の16・810番地の24・813番地の3・815番地の16・815番地の15・640番地の2の北の側線、642番地の2・641番地の2・11番地の西の側線及び11番地の北の側線に囲まれた区域
石山寺三丁目いしやまでらさんちようめ
石山寺辺町の一部
瀬田川、平津川、石山寺辺町字寺津467番地・464番地・463番地の南の側線、市道大506号線、同町字寺津440番地の9から440番地の12まで・428番地の10から428番地の18までの南の側線、県道石山寺辺千町線、市道大499号線、市道大497号線、市道大492号線、県道大津上野線・県道大津南郷宇治線に囲まれた区域
石山寺四丁目いしやまでらよんちようめ
石山寺辺町の一部
市道大499号線、市道大500号線、県道醍醐大津線、石山寺辺町字大平山315番地の9・315番地の7・315番地の6の南の側線、315番地の4・同町字別所184番地の西の側線、184番地・183番地の北の側線、183番地・179番地から181番地まで・176番地の2の東の側線及び市道大497号線に囲まれた区域
石山寺五丁目いしやまでらごちようめ
石山寺辺町の一部
県道石山寺辺千町線、石山寺辺町字別所375番地の1・374番地・374番地の2・319番地・318番地の南の側線、317番地・316番地の西の側線、多羅川支流及び市道大500号線に囲まれた区域
平津一丁目ひらついつちようめ
石山平津町の一部
瀬田川、石山平津町字竹花572番地・563番地から566番地までの南の側線、同町字讃岐540番地の1・540番地の東の側線、537番地から539番地までの南の側線、市道大492号線、同町字渡浜103番地から105番地まで・100番地の北の側線及び平津川に囲まれた区域
平津二丁目ひらつにちようめ
石山平津町の一部
市道大492号線、石山平津町字讃岐534番地から536番地まで・528番地から531番地まで・527番地の1・526番地の1の南の側線、526番地の1・526番地の2・524番地の3の西の側線、同町字龍山523番地の1・522番地の2・521番地・723番地の4・723番地の3・723番地の6・723番地の1・517番地の2の南の側線、県道石山寺辺千町線、同町字長尾725番地の南の側線、725番地から727番地までの西の側線、727番地の北の側線、同町字城山225番地の2・225番地の6・197番地の24から197番地の31まで・197番地の22・197番地の20・197番地の19・197番地の12から197番地の15までの北の側線、440番地の17の西の側線、440番地の14から440番地の17までの北の側線及び市道大506号線に囲まれた区域
千町一丁目せんちよういつちようめ
石山平津町の一部及び石山千町の一部
瀬田川、千丈川、市道大556号線、県道石山寺辺千町線、石山千町字田中122番地の1・121番地・121番地の2・121番地の1・同町字北ノ口61番地から66番地まで・石山平津町字讃岐525番地の北の側線、525番地の東の側線及び石山千町字岩崎40番地から46番地まで・38番地・同町字岩ノ本37番地・35番地・33番地・31番地・30番地・同町字大黒田7番地から12番地までの北の側線に囲まれた区域
千町二丁目せんちようにちようめ
石山千町の一部及び石山南郷町の一部
市道大492号線、石山千町字庵山493番地・491番地・498番地・同町字川向500番地・501番地・503番地・504番地・512番地・513番地・517番地・同町字上ノ山518番地・520番地・728番地・732番地から734番地までの南の側線、市道大556号線及び千丈川に囲まれた区域
千町三丁目せんちようさんちようめ
石山千町の一部
市道大556号線、石山千町字新田736番地の1の南の側線、737番地・761番地・762番地の東の側線、793番地・794番地の北の側線、794番地・795番地・795番地の1の東の側線、795番地の1・796番地の1・797番地の1・798番地の1・799番地の1・800番地の1・801番地の1・802番地の1・803番地から809番地まで・811番地・812番地・817番地から819番地まで・821番地・822番地・同町字新林848番地・848番地の1・843番地の2・842番地・839番地・833番地・833番地の3・833番地の2の南の側線・833番地の2・834番地の1の西の側線、市道大521号線、市道大517号線・同町字柳谷867番地・859番地・同町字西山602番地・同町字坂口593番地・同町字小峠396番地の西の側線・同町字坂口594番地から596番地まで・591番地・590番地・585番地・584番地・575番地の1・575番地の北の側線及び市道大514号線に囲まれた区域
千町四丁目せんちようよんちようめ
石山千町の一部
市道大556号線、市道大514号線、石山千町字岩間口422番地の1・同町字小峠407番地から410番地まで・401番地から403番地まで・399番地・397番地・同町字水谷324番地・325番地・327番地の南の側線・327番地・325番地・325番地の西の側線・千丈川、同町字四反田223番地の1・220番地から222番地まで・218番地・同町字井駒213番地の西の側線及び199番地から212番地まで・191番地から193番地まで・189番地・187番地・186番地・179番地・176番地・175番地・同町字六反田164番地の1・163番地の1・162番地・161番地に囲まれた区域
赤尾町あかおちよう
石山千町の一部及び石山赤尾町の一部
石川赤尾町字亀甲2番地・2番地の5・1番地の北の側線、2番地の6の東の側線、2番地の7・5番地・7番地の2・6番地の3・8番地・8番地の1の南の側線・同町字笠松19番地の東の側線、19番地の南の側線、18番地の1、16番地の1の西の側線、市道大492号線の南の側線、同町字馬頭32番地の1・32番地の2・29番地の東の側線、29番地・30番地の1の南の側線、28番地の2の東の側線、23番地の5の北の側線、23番地の5の東の側線、23番地の6の北の側線、24番地の東の側線、24番地・23番地の8・23番地の7・27番地の3の南の側線、27番地の3の西の側線、42番地の1・42番地の4・42番地の2・43番地の2・43番地の1・45番地の2・45番地の1・46番地・47番地の南の側線、市道大556号線、同町字三本松57番地の南の側線、57番地・58番地の西の側線、58番地・57番地・57番地の3の北の側線、59番地・61番地の1の西の側線・同町字山神63番地の南の側線・63番地・64番地の1・66番地の6・66番地の2の西の側線、66番地の2・67番地の2から67番地の4まで・同町字庚申塚69番地の1・69番地の3・78番地の3・78番地の10から78番地の13まで・78番地の8の北の側線・78番地の8の東の側線・82番地・84番地の1・88番地の1・88番地の4・88番地の3・88番地・同町字早登89番地・97番地・同町字庵山101番地の8・101番地の1・102番地の2・101番地の2の北の側線、101番地の2・101番地の11・101番地の3の東の側線及び同町字早登107番地・112番地の北の側線に囲まれた区域
南郷一丁目なんごういつちようめ
石山千町の一部及び石山南郷町の一部
瀬田川、国分川、関西電力宇治発電所取水口水路、石山南郷町字赤川42番地の2・42番地の1・41番地の1・41番地の19・41番地の18・同町字田中1314番地の10・同町字白谷112番地の1・114番地・119番地・118番地の2・118番地の1の南の側線、118番地の1・117番地の西の側線、117番地・115番地の1・112番地の1・同町字赤川39番地の北の側線、38番地・37番地の西の側線、36番地・34番地・33番地の1の南の側線、市道大492号線及び千丈川に囲まれた区域
南郷二丁目なんごうにちようめ
石山赤尾町の一部及び石山南郷町の一部
県道大津上野線・県道大津南郷宇治線、関西電力宇治発電所取水口水路、国分川、市道大524号線、市道大556号線、石山赤尾町字馬頭21番地の95・21番地の3から21番地の23まで・21番地の106・21番地の103・21番地の107・21番地の34・21番地の35の北の側線、21番地の西の側線、21番地の37・21番地の36の南の側線、21番地の82から21番地の84までの北の側線、21番地の86・21番地の87の西の側線、21番地の87の北の側線、21番地の88から21番地の94までの西の側線、市道大492号線の南の側線、同町字笠松16番地の2・同町字中南20番地の6から20番地の16まで・石山南郷町字白谷121番地・同町字田中1314番地の13から1314番地の15まで及び同町字赤川41番地の2の北の側線に囲まれた区域
南郷三丁目なんごうさんちようめ
石山平津町の一部、石山千町の一部及び石山南郷町の一部
関西電力宇治発電所取水口水路、石山南郷町字芋谷414番地の2・411番地の1・411番地の2・410番地・409番地・400番地から402番地まで・393番地・374番地の1・石山平津町字平津東山671番地の2・671番地の63から671番地の65まで・670番地の3・654番地・655番地の2・650番地の1・646番地の2の南の側線、同町字師匠野641番地の1・641番地の3・625番地・626番地・627番地の1から627番地の3まで・627番地の西の側線、市道大556号線、市道大524号線及び国分川に囲まれた区域
南郷四丁目なんごうよんちようめ
石山南郷町の一部
市道大1061号線、石山南郷町字上山440番地の43・440番地の45から440番地の51まで・440番地の6・440番地の35・440番地の55・449番地の81・449番地の108から449番地の111まで・449番地の82・440番地の84・502番地・495番地の1・504番地の35の西の側線、504番地の35・504番地の27・504番地の28・504番地の31・504番地の32・508番地の161・508番地の1の南の側線、508番地の1・508番地の175・508番地の166の東の側線、446番地の98・446番地の112・446番地の95の南の側線、446番地の91・446番地の90・440番地の1・446番地の105・446番地の87・446番地の88の東の側線、440番地の1の北の側線及び444番地の4・435番地の1・431番地・431番地の1の東の側線に囲まれた区域
南郷五丁目なんごうごちようめ
石山南郷町の一部
瀬田川、三昧川、石山南郷町字山口915番地から917番地まで・911番地・912番地・907番地の西の側線、875番地の南の側線、874番地・879番地・886番地の1・771番地の1から771番地の3までの西の側線、753番地・同町字上山596番地の1・595番地の南の側線、587番地・585番地・588番地・584番地・554番地・555番地・558番地・557番地・579番地・580番地・573番地・564番地・562番地・566番地・568番地・同町字宮ノ下627番地の2・627番地の3・同町字上山446番地の114・同町字宮ノ下628番地の2・628番地の1の西の側線、631番地・同町字上山542番地・539番地の南の側線、539番地の西の側線、関西電力宇治発電所取水口水路及び国分川に囲まれた区域
南郷六丁目なんごうろくちようめ
石山南郷町の一部
瀬田川、石山南郷町字岡ノ平1181番地の3・1181番地の4・1181番地の1・1164番地・1162番地・1154番地・1153番地・1152番地の4の南の側線、立木観音参道及び三昧川に囲まれた区域
(注) 表中変更する区域欄において特に表示しているもの以外の町界は、鉄道、軌道及び道路については東西に走る場合は北、南北に走る場合は東の側線とし、河川及び水路については中心線とする。
――――――――――
町および字の区域および名称の変更
昭和51年8月16日
滋賀県告示第510号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町および字の名称および区域
変更後の町の名称
大津市坂本本町字平石3691の1、3699、3708の1、3709の1、3744の2、3783の2、3784、3785の2、3794の1、3799、3800の1、3802、3804、3810、3811、3814から3819まで、3819の1、3819の2、3820から3824まで、3830の1、3851、3853、3853の1、3854、3855、3855の1、3855の2、3856、4309の2、4310の1、4315、4320の1、4320の2、4325の1、4330から4335まで、4337から4339まで、4336の1、4340から4342まで、4343の1およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部
大津市坂本本町字岡江込3857、3858の1、3859の5、3859の6、3972の1、3974、3975、3976の1、3976の4、3980の2、3981の3、3986の4、4000の1、4000の3およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部
大津市坂本本町字紅染寺3468の3、3471の1、3478の1、3481の1、3482の2、3500の1、4261の2およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部
大津市坂本本町字中之岡3653の1、/3655/3656/)の4、3657の3、3667の1、3671の3、3672の1、3679の3、3689の1、4292の1、4295の2、4297の4、4297の8、4297の9、4301の3、4304の1およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部
大津市日吉台一丁目(第1工区)
――――――――――
換地処分
昭和51年8月16日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業日吉台ニユータウン土地区画整理事業第1工区について換地処分があつた。
――――――――――
町および字の区域および名称の変更
昭和51年11月19日
滋賀県告示第622号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町および字の区域および名称
変更後の町および字の名称
大津市瀬田南大萱町字増井476の4、480の2、482の2、483の2、508の2、509の2、510、511、512の2、513の1およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地等の一部
大津市瀬田南大萱町字東野1184の1、1184の4、1184の6、1185の1、1186の1から1186の3まで、1187の1から1187の7まで、1188の1、1188の2、1189の1から1189の5まで、1190の1、1190の2、1191の1、1191の2、1192、1193の1、1193の2、1194、1195の1、1195の4、1195の5、1196の2、1196の5、1197の1、1197の4、1197の5、1198の10、1207の3、1208の2、1208の4、1208の5、1211の5、1212の1、1212の4、1213の1、1213の3、1214の1、1214の3、1214の5から1214の8まで、1215の1から1215の6まで、1215の8、1216から1218まで、1219の1、1219の2、1220、1221の1、1222、1223の1から1223の3まで、1224、1225、1226の1、1226の2、1227の1、1227の5から1227の7まで、1228から1230まで、1230の1、1230の2、1231、1231の1、1231の2、1232、1233、1233の1、1234、1235、1235の1、1235の2、1236の2から1236の4まで、1236の6、1236の8、1236の9およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地等の一部
大津市瀬田南大萱町字本願明1237の10、1255の1、1256の1、1256の3から1256の6まで、1257の1、1257の4、1258、1258の1、1259、1260、1260の1、1261、1262、1263の1、1264、1265の1、1265の4、1266の1、1266の4、1267の1、1267の4、1268の4、1269の3、1270、1271、1273の1、1273の3およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地等の一部
大津市瀬田南大萱町字南野2536の8、2537の2、2537の4、2537の6、2541の1、2541の4、2542の1、2542の4、2542の5、2543の1、2543の2、2544の1、2544の2
大津市瀬田南大萱町字西野2545の1、2545の2、2546の1、2546の2、2547の1、2547の2、2548、2549の1、2550、2551の1、2551の2、2552の1、2552の10、2553の1、2553の4、2554の2、2556の4、2557の4、2561の3、2562の5、2563の1、2563の4、2568の1、2568の4、2569の1、2569の4、2572の3、2573の1、2573の4、2574から2582まで、2583の1、2583の4およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地等の一部
大津市瀬田南大萱町字野海道2584、2585の1、2586から2591まで、2598、2600の4およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地等の一部
大津市瀬田南大萱町字正林坊2640の1
大津市瀬田大江町字野々下1269の4、1305の2、1305の7、1306、1307の一部、1308、1309、1312、1314の2の一部、1314の5、1315の2の一部、1316の2の一部、1317の2の一部、1317の3の一部およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地等の一部
大津市瀬田南大萱町
大津市瀬田大江町字堂ノ上1116の2、1116の4、1117の3、1123の3、1123の6、1123の7およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地等の一部
大津市瀬田大江町字野々下1248の2、1248の4から1248の6まで、1249の1、1249の2、1250、1250の1、1251の1から1251の12まで、1252、1253、1253の1から1253の3まで、1254の2、1254の5から1254の8まで、1255の1から1255の3まで、1255の5から1255の7まで、1256の2、1256の4、1257の1、1257の4、1258の3、1259の2、1259の5、1260、1260の1、1261の1、1261の3、1262の1、1262の2、1263の1、1263の5、1264の4、1267の4、1307の一部、1307の2、1314の2の一部、1315の2の一部、1316の2の一部、1317の1、1317の2の一部、1317の3の一部、1317の4から1317の8まで、1318から1320まで、1321の1、1321の3、1322、1323の2、1323の3、1324の1、1324の3、1325の3、1327の1およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地等の一部
大津市瀬田大江町
――――――――――
換地処分
昭和51年11月19日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業瀬田駅前土地区画整理事業について換地処分があつた。
――――――――――
市の区域内の町の区域および名称の変更
昭和52年7月15日
滋賀県告示第318号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)による住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。上記の変更は、昭和52年8月1日から効力を生ずるものとする。
変更する町の区域及び名称
変更後の町の名称
変更前の町の名称
変更する区域
瀬田一丁目せたいつちようめ
瀬田橋本町の一部、瀬田神領町の一部及び瀬田大江町の一部
国鉄東海道本線、市道大677号線、市道大715号線、国道1号線、市道大716号線、高橋川、瀬田橋本町字蛸田956番地の東の側線、947番地の1・946番地の8・946番地の1・946番地の4・945番地の北の側線、市道大683号線、同町字蛸田937番地の南の側線、935番地の1・935番地の2の東の側線、932番地の1・931番地の南の側線、瀬田神領町字河原998番地の2の東の側線、998番地の1の南の側線、998番地の1・998番地の3・998番地の4の西の側線、瀬田橋本町字山蔵899番地の3・899番地の2・897番地の南の側線、896番地・895番地の東の側線、895番地の南の側線、893番地・891番地・890番地・890番地の1の東の側線、878番地の北の側線、878番地・877番地・876番地の東の側線、県道大津信楽線及び瀬田川に囲まれた区域
瀬田二丁目せたにちようめ
瀬田橋本町の一部
県道大津信楽線、市道大690号線、瀬田橋本町字溝ノ尾747番地・738番地・737番地の1の北の側線、市道大689号線、名神高速道路及び瀬田川に囲まれた区域
瀬田三丁目せたさんちようめ
瀬田橋本町の一部
名神高速道路、市道大689号線、瀬田橋本町字野神448番地・447番地・445番地・444番地・443番地の1・442番地・441番地・440番地・439番地・438番地・437番地・同町字山添426番地・414番地・413番地・412番地の南の側線、412番地の西の側線、408番地の1・408番地の2の南の側線、399番地・399番地の1の東の側線、399番地の1・398番地・396番地の南の側線、396番地・395番地・394番地・393番地の西の側線、392番地・同町字鬼沢321番地・316番地・同町字竹澤314番地の東の側線、314番地・313番地の1・313番地の3・313番地の2の南の側線及び瀬田川に囲まれた区域
神領一丁目じんりよういつちようめ
瀬田橋本町の一部及び瀬田神領町の一部
市道大715号線、県道大津信楽線、瀬田神領町字立町1025番地・同町字河原1006番地・1005番地・1004番地の西の側線、1003番地・1001番地・999番地・1000番地・996番地の1・996番地の4・995番地の1・994番地・瀬田橋本町字蛸田936番地の北の側線及び市道大683号線に囲まれた区域
神領二丁目じんりょうにちょうめ
瀬田神領町の一部及び瀬田大江町の一部
市道大714号線、市道大708号線、瀬田大江町字神谷263番地の3・263番地の2・263番地の1の西の側線、263番地の1の北の側線、261番地の8・261番地の25・261番地の16・261番地の4・261番地の19・261番地の3・261番地の1・261番地の12・261番地の11の西の側線、261番地の11・261番地の10・259番地の北の側線、259番地・260番地の東の側線、257番地の1・221番地の2・221番地の1・222番地の2・222番地の1の北の側線、市道大708号線、同町字惣山176番地・177番地・175番地の北の側線、国鉄新幹線、市道大703号線、県道大津信楽線及び市道大715号線に囲まれた区域
神領三丁目じんりょうさんちょうめ
瀬田橋本町の一部及び瀬田神領町の一部
県道大津信楽町、名神高速道路、市道大689号線、瀬田神領町字登り立896番地の2・901番地・902番地・903番地の1・903番地の3の南の側線及び市道大690号線に囲まれた区域
野郷原一丁目のごうはらいつちょうめ
瀬田神領町の一部
名神高速道路、県道大津信楽線、瀬田神領町字池ノ尻640番地から642番地まで・同町字野郷原146番地・146番地の1・103番地・103番地の2・100番地の2・100番地の1の東の側線、市道大701号線、同町字野郷原98番地の21・98番地の46・98番地の15から98番地の20までの南の側線、98番地の15・98番地の9の西の側線、同町字櫓ノ内797番地の1から797番地の4まで・796番地・802番地・807番地・806番地・812番地の14から812番地の16までの南の側線、812番地の14・812番地の13・812番地の12・812番地の1・852番地の1の西の側線に囲まれた区域
野郷原二丁目のごうはらにちょうめ
瀬田橋本町の一部及び瀬田神領町の一部
名神高速道路、瀬田神領町字櫓ノ内822番地の1・821番地・820番地・813番地・814番地の2・815番地の2の東の側線・805番地・803番地の1・803番地の2・801番地・800番地の3・799番地・798番地の1の北の側線、798番地の2・瀬田橋本町字社人堂661番地の55の東の側線、瀬田神領町字野郷原98番地の22・98番地の41・98番地の38・98番地の40・98番地の32・98番地の26の北の側線、市道大701号線、同町字野郷原93番地・94番地の2・94番地の1の東の側線、94番地の1・94番地の2・91番地の1・91番地の2・89番地の南の側線、瀬田橋本町字重兵衛466番地の5・466番地の1・同町字社人堂661番地の1・661番地の152・661番地の155から661番地の159まで・661番地の161・661番地の162・661番地の165から661番地の167まで・661番地の178・661番地の179・661番地の181の南の側線、同町字野畑625番地の東の側線及び市道大689号線に囲まれた区域
三大寺さんだいじ
瀬田神領町の一部
大津市立瀬田南小学校の北の敷地界、瀬田神領町字附子田335番地の9の北の側線、市道大713号線、市道大714号線、同町字冨戸353番地・352番地の4・352番地の1・351番地の北の側線、近江国衙跡の東の敷地界、市道大708号線、市道大714号線及び市道大715号線に囲まれた区域
玉野浦たまのうら
瀬田大江町の一部
瀬田レークサイドゴルフコースの北側及び東側の堀、宮川、国鉄東海道本線及び瀬田川に囲まれた区域
大江一丁目おおえいちちようめ
瀬田大江町の一部及び瀬田南大萱町の一部
東レ株式会社瀬田事業場の北側の私道、市道771号線、県道彦根近江八幡大津線、国鉄東海道本線、宮川及び瀬川レークサイドゴルフコースの東側の堀に囲まれた区域
大江二丁目おおえにちようめ
瀬田大江町の一部
国鉄東海道本線、県道彦根近江八幡大津線、国道1号線、市道大683号線、瀬田大江町字蛸田2354番地の1・2356番地の1・2356番地の2・2354番地の南の側線、2349番地・2347番地・2346番地の西の側線、高橋川、市道大716号線、国道1号線、市道大715号線及び市道大677号線に囲まれた区域
大江三丁目おおえさんちようめ
瀬田神領町の一部及び瀬田大江町の一部
市道大683号線、国道1号線、市道大729号線、市道大712号線、近江国衙跡の北の敷地界、瀬田神領町字冨戸350番地の南の側線、市道大714号線、市道大713号線、同町字冨戸443番地の5の南の側線、大津市立瀬田南小学校の北の敷地界及び市道大715号線に囲まれた区域
大江四丁目おおえよんちようめ
瀬田大江町の一部
国道1号線、市道大757号線、市道大721号線、茶屋窪池の東の側線、市道大736号線の北、西及び南の側線、瀬田大江町字地蔵山997番地・996番地・991番地・987番地の1・987番地の2・986番地・979番地の2・978番地・977番地・975番地の1・974番地の東の側線、973番地の南の側線、973番地・974番地の1・975番地・976番地・982番地・960番地・960番地の1・959番地の西の側線、市道大732号線、市道大731号線、市道大721号線及び市道大729号線に囲まれた区域
大江五丁目おおえごちようめ
瀬田大江町の一部
市道大721号線、市道大731号線、市道大732号線、大津市立瀬田中学校進入道路、市道大719号線、瀬田大江町字庄山568番地・569番地の1・569番地・571番地の東の側線、沢ノ川及び市道大729号線に囲まれた区域
大江六丁目おおえろくちようめ
瀬田神領町の一部及び瀬田大江町の一部
沢ノ川、国鉄新幹線、瀬田大江町字惣山163番地の1・161番地の1・159番地・178番地の3・178番地の2・178番地の4・178番地の1・179番地の西の側線、市道大708号線、同町字神谷224番地・223番地・256番地・258番地の南の側線、市道大708号線、近江国衙跡の東及び南の敷地界、市道大712号線及び市道大729号線に囲まれた区域
大江七丁目おおえななちようめ
瀬田大江町の一部
大津市立瀬田中学校進入道路、瀬田大江町字地蔵山961番地・963番地から965番地まで・967番地から972番地まで・同町字御霊谷766番地・763番地・761番地の東の側線、国鉄新幹線、沢ノ川、同町字庄山570番地・564番地・564番地の1・565番地の1の西の側線及び市道大719号線に囲まれた区域
(注) 表中変更する区域欄において特に表示しているもの以外の町界は、鉄道及び道路については東西に走る場合は北、南北に走る場合は東の側線とし、河川及び水路については中心線とする。
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和52年7月22日
滋賀県告示第330号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町の区域および名称
変更後の町の名称
大津市坂本本町字中之岡3621、3622、3624の1から3624の3まで、3639の1、3639の7から3639の10まで、3641の2、3641の3、/3649/3650/)の4、3653の2、3667の4から3667の6まで、3671の1、3671の2、3672の2、3676の1、3679の2、3689の2、3690、4288の4、4291の3、4292の2、4293の1から4293の5まで、4925の1、4297の1から4297の3まで、4297の5から4297の7まで、4297の10、4301の1、4301の2およびこれらの区域に介在する道路である国有地の全部
大津市坂本本町字平石3691の2、3694の1、3697の1、3738の1、3739の2、3740、3744の3、4309の1、4309の3、4310の2、4310の3、4323の1、4324、4325の2、4336の2、4347の1、4348から4350まで、4351の1、4358の3およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地の全部
大津市雄琴千野町字小平1836の1、1836の3、1836の4、1837の1、1838の1、1839の1、1839の2、1839の4から1839の6まで、1840の1、1841の3、1842の1、1843の1、1844の1、1845、1846の1、1848の1、1848の3、1851の1、1852の2、1857の5およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部
大津市日吉台一丁目(第3―1工区)
大津市坂本本町字箕淵4056の3、4060の1、4066、4067の2およびこれらの区域に隣接する道路である国有地の全部
大津市坂本本町字岡江込3858の2、3859の3、3859の4、3861から3867まで、3868の1、3868の2、3891、3891の1、3892、3893の2、3904の1から3904の3まで、3905の1、3905の2、3907から3915まで、3915の2、3915の3、3916から3924まで、3924の1、3924の2、3925、3926、3926の1、3927、3928、3946から3950まで、3953から3955まで、3955の1、3956から3967まで、3972の2、4000の2、4009、4010の1およびこれらの区域に介在する道路である国有地の全部大津市坂本本町字江染寺3467、3467の1、3468、3468の1、3468の2、3471の2、3471の3、3489の2、3493の1、3518の2、3519の2、3520、3521の2、4261の3、4265、4266の1、4267の1、4270の2およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地の全部
大津市日吉台二丁目(第2―1工区)
――――――――――
換地処分
昭和52年7月22日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業日吉台ニュータウン土地区画整理事業第2―1工区について換地処分があつた。
――――――――――
換地処分
昭和52年7月29日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業日吉台ニュータウン土地区画整理事業第3―1工区について換地処分があつた。
――――――――――
町の区域および字の名称の変更
昭和53年5月22日
滋賀県告示第231号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町および字の区域ならびに名称
変更後の町の名称
大津市坂本本町字紅染寺3468の4、3482の3、3489の1、3493の2、3495の1、3495の2、3499、3500の2、3502、3503、3504の1、3508の1、3509、3510の2、3512の2、3513、3514の1、3515の1、3516の1、3517、3518の1、3519の1、3521の1、3521の3、3523の1、3523の2、3524、3525、3527の1、3538、3539の1、3541、4261の1、4265の3、4266の2、4267の2およびこれらの区域に介在する道路である国有地の全部
大津市日吉台二丁目(第2―2工区)
大津市皇子が丘一丁目字部屋ケ谷729の3、730の2、730の6、732の1、734の1、734の5、738の3、741の1、大津市山上町字部屋ケ谷742の1、742の6、742の7、743の1、743の2、743の4、745の2、745の3、745の6、745の7、745の9、745の10
大津市千石台(第1工区)
――――――――――
換地処分
昭和53年5月22日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業日吉台ニュータウン土地区画整理事業第2―2工区について換地処分があつた。
――――――――――
換地処分
昭和53年5月26日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業皇子ケ丘台土地区画整理事業第1工区について換地処分があつた。
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和53年5月29日
滋賀県告示第242号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)による住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
上記の変更は、昭和53年7月1日から効力を生ずるものとする。
変更する町の区域及び名称
変更後の町の名称
変更前の町の名称
変更する区域
大萱一丁目おおがやいつちようめ
瀬田大江町の一部及び瀬田南大萱町の一部
国鉄東海道本線、長沢川、国道1号線及び県道彦根近江八幡大津線に囲まれた区域
大萱二丁目おおがやにちようめ
瀬田大江町の一部及び瀬田南大萱町の一部
市道大767号線、長沢川及び国鉄東海道本線に囲まれた区域
大萱三丁目おおがやさんちようめ
瀬田大江町の一部及び瀬田南大萱町の一部
長沢川、市道大767号線、県道彦根近江八幡大津線、東レ株式会社瀬田事業場の北側の私道、市道大771号線及び県道彦根近江八幡大津線に囲まれた区域
大萱四丁目おおがやよんちようめ
瀬田大江町の一部及び瀬田南大萱町の一部
瀬田南大萱町字廣葭3278番地・2870番地の1・2870番地・2871番地の北の側線、同町字田葭2818番地の西の側線、2818番地・2819番地の1・2820番地の1・2772番地の2の北の側線、市道大771号線、東レ株式会社瀬田事業場の北側の私道、瀬田大江町字草川1540番地の1・1538番地の1・1545番地の1の南の側線及び瀬田レークサイドゴルフコースの東側の堀に囲まれた区域
大萱五丁目おおがやごちようめ
瀬田南大萱町の一部
市道大783号線、県道彦根近江八幡大津線、瀬田南大萱町字田葭2772番地の74・2772番地の27から2772番地の33まで・2772番地の56から2772番地の73までの南の側線、同町字廣葭2882番地の2から2882番地の10までの東の側線、2882番地の10・2882番地の1・2882番地の67から2882番地の75まで・2873番地の2・3279番地・3279番地の1の南の側線及び瀬田レークサイドゴルフコースの東側の堀に囲まれた区域
大萱六丁目おおがやろくちようめ
瀬田南大萱町の一部
長沢川、県道彦根近江八幡大津線、市道大783号線、瀬田南大萱町字小葭3289番地の1・3289番地の2の南の側線及び瀬田レークサイドゴルフコースの北側の堀に囲まれた区域
大萱七丁目おおがやななちようめ
瀬田南大萱町の一部
大津市・草津市堺、県道彦根近江八幡大津線、長沢川及び琵琶湖に囲まれた区域
萱野浦かやのうら
瀬田南大萱町の一部
瀬田レークサイドゴルフコースの北側・東側・南側の堀及び琵琶湖に囲まれた区域
大将軍一丁目たいしようぐんいつちようめ
瀬田南大萱町の一部
大津市・草津市界、市道大767号線、長沢川及び県道彦根近江八幡大津線に囲まれた区域
大将軍二丁目たいしようぐんにちようめ
瀬田南大萱町の一部及び瀬田月輪町の一部
大津市・草津市界、国鉄東海道本線、市道大791号線及び市道大767号線に囲まれた区域
大将軍三丁目たいしようぐんさんちようめ
瀬田南大萱町の一部及び瀬田月輪町の一部
市道大767号線、市道大791号線、国鉄東海道本線及び長沢川に囲まれた区域
一里山一丁目いちりやまいつちようめ
瀬田大江町の一部及び瀬田南大萱町の一部
国道1号線、瀬田南大萱町字葛原405番地の1・402番地の98から402番地の103まで・413番地・414番地・416番地の東の側線、市道大721号線及び市道大757号線に囲まれた区域
一里山二丁目いちりやまにちようめ
瀬田大江町の一部及び瀬田南大萱町の一部
市道大721号線、瀬田南大萱町字葛原465番地の3の東の側線、長沢川、同町字焼野1857番地の2・1858番地の2の南の側線、市道大737号線、市道大740号線、市道大736号線及び茶屋窪地の東の側線に囲まれた区域
一里山三丁目いちりやまさんちようめ
瀬田南大萱町の一部及び瀬田月輪町の一部
市道大721号線、下月輪池・上月輪池の東の側線、瀬田南大萱町字四反田1552番地の1から1552番地の3までの東の側線、1550番地の2の北の側線、瀬田月輪町字南流680番地の10・680番地の4の北の側線、市道大751号線、瀬田南大萱町字四反田1556番地から1558番地まで・1567番地の南の側線、瀬田月輪町字小松原765番地の5・765番地の8・800番地の東の側線、800番地・797番地の南の側線、765番地の164の水路、京滋バイパス予定線、長沢川及び瀬田南大萱町字葛原465番地の2の西の側線に囲まれた区域
一里山四丁目いちりやまよんちようめ
瀬田南大萱町の一部
瀬田南大萱町字茶屋窪2352番地の51の南の側線、市道大736号線、市道大740号線、市道大737号線、同町字新朝倉1953番地の東の側線、同町字焼野1855番地・1853番地の1の北の側線、長沢川、京滋バイパス予定線、同町字石拾2220番地の2・同町字一ツ松2319番地・2320番地・2325番地・2327番地・2330番地・2331番地・2333番地から2335番地まで・2337番地・2351番地の西の側線に囲まれた区域
一里山五丁目いちりやまごちようめ
瀬田南大萱町の一部及び瀬田月輪町の一部
京滋バイパス予定線、瀬田月輪町字小松原765番地の164の水路、国鉄新幹線、瀬田南大萱町字石拾2214番地の1・2215番地の南の側線に囲まれた区域
月輪一丁目つきのわいつちようめ
瀬田南大萱町の一部及び瀬田月輪町の一部
国鉄東海道本線、瀬田南大萱町字三條ケ町114番地の2・同町字烏子103番地の1の東の側線、国道1号線及び長沢川に囲まれた区域
月輪二丁目つきのわにちようめ
瀬田南大萱町の一部、瀬田月輪町の一部及び瀬田栗林町の一部
国道1号線、市道大747号線、市道大721号線、瀬田南大萱町字葛原415番地の1の南の側線、瀬田月輪町字天神山605番地・604番地の南の側線、瀬田南大萱町字新ノ池388番地・389番地・390番地の1の南の側線に囲まれた区域
月輪三丁目つきのわさんちようめ
瀬田南大萱町の一部及び瀬田月輪町の一部
市道大721号線、大津市・草津市界、国鉄新幹線、瀬田月輪町字小松原765番地の168の南の側線、765番地の164の水路、794番地の北の側線、瀬田南大萱町字四反田1560番地・1559番地・瀬田月輪町字小松原798番地の北の側線、市道大751号線、同町字南流680番地の5・瀬田南大萱町字四反田1550番地の3の東の側線、同町字四反田1550番地の3・1550番地の4・同町字月ノ輪1518番地の5から1518番地の8まで・1517番地・1516番地の2・1516番地の1・1510番地から1515番地までの西の側線に囲まれた区域
栗林町くりばやしちよう
瀬田南大萱町の一部及び瀬田栗林町の一部
国鉄東海道本線、大津市・草津市界、市道大721号線、市道大747号線、瀬田南大萱町字烏子87番地の1・瀬田栗林町字綿田49番地の1から49番地の3まで・38番地・37番地・瀬田南大萱町字三條ケ町141番地の西の側線に囲まれた区域
(注) 表中変更する区域欄において特に表示しているもの以外の町界は、鉄道及び道路については東西に走る場合は北の側線、南北に走る場合は東の側線とし、河川及び水路については中心線とする。
――――――――――
町および字の区域および名称の変更
昭和53年10月25日
滋賀県告示第448号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町および字の区域および名称
変更後の町の名称
大津市皇子が丘一丁目字部屋ケ谷741の2
大津市山上町字部屋ケ谷742の2、742の4、742の5、745の4、745の5、745の8、745の11、746の1から、746の4まで、747の3
大津市山上町字立割757の2、757の3
大津市千石台
――――――――――
町および字の区域および名称の変更
昭和53年10月25日
滋賀県告示第449号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町および字の区域および名称
変更後の町の名称
大津市坂本本町字岡江込3859の2、4000の4、4000の5、4010の2、4043、4045、4046の1、4047の2、4048の2およびこれらの区域に介在する道路である国有地の全部
大津市坂本本町字箕淵4050の1、4055、4056、4056の1、4056の2、4060の2、4078、4083、4084、4087、4087の1、4092、4092の1、4093、4093の1、4094、4094の1、4095の1、4096の1、4099、4110、4112の2、4115の1およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地の全部
大津市雄琴千野町字蛇喰谷2088の2およびこの区域に隣接する水路である国有地の全部
大津市日吉台二丁目(第4工区)
大津市雄琴千野町字蛇喰谷2085の4、2085の7、2085の11、2086、2087、2088の1およびこれらの区域に隣接する水路である国有地の全部
大津市坂本本町字岡江込3859の1、3995の1、3999の2、4000の6、4001の1、4017の1、4018、4020、4023、4025、4025の2、4030、4030の1、4047の1、4048の1、4049の1、4362の1、4370の2、4372の1、4373、4374およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地の一部
大津市坂本本町字箕淵4050の2、4115の2およびこれらの区域に隣接する道路である国有地の全部
大津市雄琴千野町字彼岸田1972の2、1975、1976、1977の1、1979の2、1981の3、1982の2、1984の2、1985の1、1985の2、1986の2、1992の1、1995の1、1996の1、1996の3、2000、2003の2、2004、2005、2007から2009まで、2012、2015、2019から2026まで、2027の1、2028から2033まで、2038、2039、2041、2043から2045までおよびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部
大津市日吉台三丁目(第4工区)
――――――――――
換地処分
昭和53年10月25日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業皇子が丘台土地区画整理事業第2工区について換地処分があつた。
――――――――――
換地処分
昭和53年10月25日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画事業大津日吉台ニユータウン土地区画整理事業第4工区について換地処分があつた。
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和53年12月4日
滋賀県告示第500号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町の区域および名称
変更後の町の名称
大津市鏡が浜字上段子田125、125の2、125の4、125の7、125の11から125の42まで、126の2、127の2、128、128の1、128の2、129、129の1から129の4まで、130、130の1から130の4まで、131、131の1から131の3まで、132、132の1、132の2、133、133の1から133の4まで、134の1、134の3およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部
大津市鏡が浜字下段子田35の4、135の2から135の4まで、136の2から136の4まで、138の1、138の2、236の3およびこれらの区域に隣接介在する水路である国有地の全部
大津市勧学二丁目
――――――――――
町の区域および名称の変更
昭和54年7月10日
滋賀県告示第336号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)による住居表示の実施に伴い、大津市の区域内の町の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
上記の変更は、昭和54年7月15日から効力を生ずるものとする。
変更する町の区域及び名称
変更前
変更後
下阪本町の一部
唐崎一丁目からさきいつちようめ
下阪本町の一部
唐崎二丁目からさきにちようめ
坂本穴太町の一部及び下阪本町の一部
唐崎三丁目からさきさんちようめ
下阪本町の一部
唐崎四丁目からさきよんちようめ
坂本穴太町の一部
穴太一丁目あのういつちようめ
坂本穴太町の一部
穴太二丁目あのうにちようめ
坂本穴太町の一部及び滋賀里町乙の一部
穴太三丁目あのうさんちようめ
坂本穴太町の一部
弥生町やよいちよう
下阪本町の一部
下阪本一丁目しもさかもといつちようめ
坂本穴太町の一部及び下阪本町の一部
下阪本二丁目しもさかもとにちようめ
下阪本町の一部
下阪本三丁目しもさかもとさんちようめ
下阪本町の一部
下阪本四丁目しもさかもとよんちようめ
下阪本町の一部
下阪本五丁目しもさかもとごちようめ
下阪本町の一部
下阪本六丁目しもさかもとろくちようめ
下阪本町の一部及び下阪本比叡辻町の一部
比叡辻一丁目ひえいつじいつちようめ
下阪本町の一部及び下阪本比叡辻町の一部
比叡辻二丁目ひえいつじにちようめ
下阪本町の一部、下阪本比叡辻町の一部、坂本本町の一部、木ノ岡町、日吉台一丁目の一部及び雄琴千野町の一部
木この岡町おかちよう
――――――――――
町および字の区域および名称の変更
昭和54年9月5日
滋賀県告示第406号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町および字の区域および名称
変更後の町の名称
大津市山上町字部屋ケ谷743の5、743の6、745の1、745の12、745の13、746の5、747の1、747の2、748、748の1、749、749の1大津市山上町字立割757の1
大津市千石台
(第3工区)
――――――――――
換地処分
昭和54年9月5日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画皇子ケ丘台土地区画整理事業第3工区について換地処分があつた。
――――――――――
町および字の区域および名称の変更
昭和54年11月2日
滋賀県告示第534号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から土地区画整理法(昭和29年法律第119号)による土地区画整理事業の実施に伴い、大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町および字の区域および名称
変更後の町の名称
大津市坂本本町字岡江込3976の2、3981の2、3986の3、4000の7
大津市坂本本町字平石3830の3、3843の2、3843の4、3845の4、3845の5、3855の3およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地の全部
大津市雄琴千野町字小平1857の4、1858の2、1894の3、1897の3、1898の2、1934の3およびこれらの区域に介在する水路である国有地の全部
大津市日吉台一丁目
(第5工区)
大津市坂本本町字岡江込3976の3、3981の1、3986の2、3988の2、3989、3995の2、3999の1、4000の8、4001の2、4362の2、4365から4367まで、4369およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地の全部
大津市坂本本町字平石3830の2、3843の1、3845の1から3845の3まで、3846の2、4345、4346およびこれらの区域に隣接介在する道路である国有地の全部
大津市雄琴千野町字彼岸田1958の1、1958の2、1959の1、1961、1962、1963の1から1963の3まで、1964の2、1966、1967の2、1970の1、1971の1、1971の3、1972、1972の1、1977の2、1979の1、1980の2、1981の1、1981の2、1982の3、1985の3、1986の1、1987の1から1987の3まで、1988の1から1988の3まで、1992の2、1995の2、1996の2およびこれらの区域に隣接介在する道路、水路である国有地の全部
大津市雄琴千野町字小平1916の3、1926の3、1930の2、1933の2、1934の1、1937の1、1938、1938の1、1939の1、1940、1941の1、1942、1943の1、1944、1945の1、1946から1948まで、1950の1およびこれらの区域に介在する道路、水路である国有地の全部
大津市日吉台三丁目
(第5工区)
大津市坂本本町字平石3843の3およびこの区域に隣接する道路である国有地の全部
大津市雄琴千野町字小平1823の3、1857の3、1858の1、1859の1、1861の2、1863の4、1875の2、1883の1、1886の1、1888の1、1889、1892、1893、1893の1、1894の1、1894の4、1895、1897の2、1899から1903まで、1904の2、1905の2、1916の2、1917の2、1923の1、1924の1、1925の1、1926の2、1926の4、1927の1、1928、1929、1930の1、1931、1932、1933の1、1934の2、1939の2、1941の2、1943の2、1945の2、1950の2、1950の3、2147の1およびこれらの区域に介在する道路、水路である国有地の全部
大津市日吉台四丁目
(第5工区)
――――――――――
換地処分
昭和54年11月2日
公告
土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第1項の規定により、大津湖南都市計画大津日吉台ニュータウン土地区画整理事業第5工区について換地処分があつた。
――――――――――
町および字の区域および名称の変更
昭和55年5月7日
滋賀県告示第229号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、大津市長から大津市の区域内の町および字の区域および名称を次のとおり変更する旨の届出があつた。
変更前の町および字の区域および名称
変更後の町および字の名称
大津市山上町字長等山776の24、776の41から776の47まで
大津市錦織一丁目
――――――――――
POP TATARI
行政区域の変更(その1)
市の区域内の町の設置ならびに町の区域及び名称変更
昭和26年8月1日
滋賀県告示第326号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により大津市の区域内において、次の通り町の設置ならびに町の区域及び名称変更を行い、昭和26年7月15日から施行した旨届出があつた。
新
旧
摘要
大石曾束おおいしそづか町
大字曾束
旧大石村
(昭26.4.1 編入)
同 小田原おだわら町
同 小田原
同 龍門りゆうもん町
同 龍門
同 淀よど町
同 淀
同 中なか町
同 大石中
同 東ひがし町
同 東
同 富川とみかわ町
同 富川
田上羽栗たなかみはぐり町
大字羽栗
旧下田上村
(同)
同 森もり町
同 森
同 枝えだ町
同 枝
同 里さと町
同 里
同 石居いしづえ町
同 石居
同 稲津いなづ町
同 稲津
同 黒津くろづ町
同 黒津
同 太子たいし町
同 太子
同 関津せきのつ町
同 関津
坂本本さかもとほん町
大字坂本
旧坂本村
(同)
同 穴太あのう町
同 穴太
下阪本しもさかもと町
大字下阪本
旧下阪本村
(同)
下阪本比叡辻しもさかもとひえいつじ町
同 比叡辻
雄琴苗鹿おごとのうか町
大字苗鹿
旧雄琴村
(同)
雄琴おごと町
同 雄琴
雄琴千野おごとちの町
同 千野
和泉いづみ町
和泉町全域
九軒町同
九軒町を廃し、その区域を和泉町に編入
猟師りようし町
猟師町同
伊勢屋町同
伊勢屋町を廃し、その区域を猟師町に編入
西石場にしいしば町
肥前町同
松本の一部
肥前町を廃し、その区域と松本の一部をもつて西石場町を設置
松本下まつもとしも町
松本の一部
松本を廃し、その区域をわけて松本下町外9町を設置
同 石場いしば町
同
同 上かみ町
同
同 高木たかぎ町
同
同 平野ひらの町
同
東松ひがしまつケ枝え町
同
西松にしまつケ枝え町
同
月見坂つきみざか町
同
梅林うめはやし町
同
松本本宮まつもともとみや町
同
馬場東ばんばひがし町
馬場の一部
馬場を廃し、その区域をわけて馬場東町外5町を設置
馬場南町に膳所錦町の一部を編入
同 北きた町
同
同 中なか町
同
同 南みなみ町
同
膳所錦町の一部
同 元もと町
馬場の一部
同 西にし町
同
松幡まつはた町
八幡町全域
上小唐崎町同
八幡町と上小唐崎町を廃し、その区域をもつて松幡町を設置
東上栄ひがしかみさかえ町
上栄町の一部
上栄町を廃し、その区域をわけて東上栄町外2町を設置
西上栄にしかみさかえ町
同
新栄しんさかえ町
同
東浦垣内ひがしうらかきうち町
東浦の一部
東浦を廃し、その区域をわけて東浦垣内町外7町を設置
同 相生あいおい町
同
同 蟹川かにがわ町
同
同 上野うえの町
同
同 石野いしの町
同
同 一番いちばん町
同
同 大蔵おおくら町
同
東寺ひがしてら町
同
関寺せきでら町
関寺町の一部
関寺町の区域をわけて長安寺町を設置
長安寺ちようあんじ町
同
関清水せきしみづ町
上関寺町全域
清水町同
上関寺町と清水町を廃し、その区域をもつて関清水町を設置
片原かたはら町
上片原町同
下片原町同
上片原町と下片原町を廃し、その区域をもつて片原町を設置
大谷おおたに町
大谷町同
一里町同
一里町を廃し、その区域を大谷町に編入
藤尾上横木ふじおかみよこぎ町
藤尾の一部
藤尾を廃し、その区域をわけて藤尾上横木町外3町を設置
同 下横木東しもよこぎひがし町
同
同 下横木西しもよこぎにし町
同
同 奥おく町
同
石橋いしばし町
石橋町全域
七軒町同
七軒町を廃し、その区域を石橋町に編入
神出開かんでひらき町
神出の一部
神出を廃し、その区域をわけて神出開町外4町を設置
同 小関こせき町
同
長等ながら町
同
神出車路かみでくるまじ町
同
神出かみで町
同
真西しんにし町
神出の一部
西町全域
西町を廃し、その区域と神出の一部をもつて真西町を設置
北別所きたべつしよ町
山上町の一部
別所の一部
別所を廃し、その区域をわけて北別所外2町を設置
北別所町に山上町の一部を編入
南別所みなみべつしよ町
別所の一部
園城寺おんじようじ町
同
尾花川おばながわ町
尾花川町全域
別所の一部
尾花川町(琵琶湖埋立地を含む)に別所の一部を編入
観音寺かんおんじ町
観音寺町全域
別所の一部
観音寺町(琵琶湖埋立地を含む)に別所の一部を編入
鹿関かせき町
鹿関町全域
神出の一部
鹿関町に別所の一部を編入
山上やまがみ町
山上町の一部
別所の一部
山上町に別所の一部を編入
膳所鉄砲山ぜぜてつぽうやま町
膳所別保町の一部
膳所別保町を廃し、その区域をわけて膳所鉄砲山町外9町を設置
石山園山いしやまそのやま町
同
膳所宮ぜぜみや町
同
同 焼野やきの町
同
同 平和へいわ町
同
同 天神てんじん町
同
同 南浦みなみうら町
同
同 北浦きたうら町
同
同 上別保かみべつぼ町
同
同 下別保しもべつぼ町
同
膳所瓦浜ぜぜかわらがはま町
膳所中庄町の一部
膳所中圧町を廃し、その区域をわけて膳所瓦浜町外7町を設置
同 中津なかつ町
同
同 伊勢屋いせや町
同
同 殿との町
同
同 桜馬場さくらのばば町
同
同 不動寺ふどうじ町
同
同 椿原つばきはら町
同
同 雲雀丘ひばりがおか町
同
膳所浜田ぜぜはまだ町
膳所本町の一部
膳所本町を廃し、その区域をわけて膳所浜田町外12町を設置
同 上浜田かみはまだ町
同
同 小姓こしよう町
同
同 丸ノ内まるのうち町
同
同 行啓ぎようけい町
同
同 坊主ぼうず町
同
同 大工だいく町
同
同 南相模みなみさがみ町
同
同 北相模きたさがみ町
同
同 下清水しもしみづ町
同
同 上清水かみしみづ町
同
同 山添やまぞえ町
同
同 平尾ひらお町
同
膳所大津ぜぜおおつ町
膳所錦町の一部
膳所錦町を廃し、その区域をわけて膳所大津町外14町を設置
同 家中かちゆう町
同
同 魚屋うおや町
同
同 北大手きたおおて町
同
同 木之下きのした町
同
同 大竹おおたけ町
同
同 網あみ町
同
同 西之庄東にしのしようひがし町
同
同 西之庄西にしのしようにし町
同
同 船ふな町
同
同 住吉すみよし町
同
同 池ノ内いけのうち町
同
同 北昭和きたしようわ町
同
同 石神いしがみ町
同
同 北石神きたいしがみ町
同
石山国分いしやまこくぶ町
石山国分町の一部
石山鳥居川町の一部
石山国分町をわけて石山谷田町を設置
石山国分町に石山鳥居川町の一部を編入
石山谷田たにだ町
石山国分町の一部
石山北大路旭きたおおじあさひ町
石山北大路町の一部
石山北大路町を廃し、その区域をわけて石山北大路旭町外4町を設置
同 元もと町
同
同 長等ながら町
同
同 宮内みやうち町
同
同 河原かわら町
同
石山鳥居川下之とりいがわしもの町
石山鳥居川の一部
石山鳥居川町を廃し、その区域をわけて石山鳥居下之町外13町を設置
同 浜はま町
同
同 中之なかの町
同
同 北上之きたかみの町
同
同 南上之みなみかみの町
同
同 西上之にしかみの町
同
同 栄さかえ町1丁目
同
同 同町2丁目
同
同 同町3丁目
同
同 松原まつわら1区
同
同 同2区
同
同 同3区
同
同 同4区
同
同 同5区
同
粟津東あわづひがし町
膳所粟津町の一部
膳所粟津町を廃し、その区域をわけて粟津東町外2町を設置
同 西にし町
同
同 晴嵐せいらん町
同
――――――――――
所属未定地の編入処分
昭和32年9月24日
滋賀県告示第322号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条第1項の規定により、昭和32年9月28日から下記所属未定の公有水面埋立地を大津市の区域に編入する。
記
編入地域及び面積
場所
面積
大津市御蔵町地先
9,514.55坪
同市 蔵橋町地先
1,119.00坪
同市 中保町地先
432.00坪
同市 川口町地先
293.43坪
同市 橋本町地先
3,105.10坪
同市 坂本町地先
1,738.10坪
同市 白玉町地先
419.24坪
同市 上平蔵町地先
689.10坪
同市 下平蔵町地先
657.20坪
同市 甚七町地先
844.92坪
同市 西石場町地先
1,735.83坪
同市 松本石場町地先
1,107.35坪
同市 松本下町地先
2,855.72坪
同市 馬場北町地先
2,987.19坪
総坪数
27,498.73坪
――――――――――
市の区域内の町の区域をあらたに画することについて
昭和32年12月25日
滋賀県告示第439号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、大津市の区域内の町の区域を次のとおりあらたに画し、昭和33年1月1日から施行する旨、大津市長から届出があつた。
次の区域をもつてあらたに朝日ケ丘町あさひがおかちようを画する。
大津市月見坂町 706の1 706の2 706の3 732 同市梅林町 733 733の1 733の2 733の3 733の4 733の5 733の6 733の7 733の8 733の9 733の10 733の11 733の12 733の13 733の14 733の15 733の16 733の17 733の18 733の19 733の20 733の21 735 736 737 740 740の1 741 760の1 760の2 760の3 760の4 760の5 760の6 760の7 760の8 760の9 760の10 760の11 760の12 761の1 761の2 762 762の1 762の2 762の3 762の4 763 763の1 764 765 766 766の1 767 768 769 770 771の2 778 780 781の1 781の2 782 784の1 784の2 785の1 785の2 785の3 785の4 786 786の1 787 /788/789/合併 790の1 790の2 791の1 791の2 791の3 791の4 791の5 791の6 791の7 808 808の1 819 820 821 822 823 825 826の1 826の2 827の1 827の2 832の3 832の4 833の1 833の2 834 845 845の1 846 847 848 849 851 852
――――――――――
市の区域内の町の区域の変更
昭和34年8月17日
滋賀県告示第273号
地方自治法施行令(昭和22年法律第16号)第179条第1項の規定により、公有水面埋立のため、昭和34年8月17日から大津市観音寺町115地先の公有水面埋立地664坪を大津市観音寺町に編入し、ならびに大津市山上町36および、73ノ1地先の公有水面埋立地644坪を大津市山上町に編入する。
――――――――――
市の区域内の町の区域の変更
昭和34年11月9日
滋賀県告示第379号
地方自治法施行令(昭和22年政令第16号)第179条第1項の規定により、公有水面埋立のため昭和34年11月9日から、大津市馬場東町地先の公有水面埋立地3,460坪4合を同市馬場東町に編入する。
――――――――――
市の区域内の町の区域の変更
昭和34年11月9日
滋賀県告示第380号
地方自治法施行令(昭和22年政令第16号)第179条第1項の規定により、公有水面埋立のため昭和34年11月9日から、大津市中ノ浜町地先の公有水面埋立地8,726坪3合1勺を同市中ノ浜町に編入する。
――――――――――
市の区域内の町の区域の変更
昭和34年11月20日
滋賀県告示第400号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、昭和34年10月23日から大津市の区域内の町の区域を次のとおり変更した旨、大津市長から届出があつた。
変更した区域および地番
現行
改正
大津市長安寺町4番地ノ3
大津市神出開町4番地ノ3
大津市長安寺町5番地
大津市神出開町5番地
大津市長安寺町8番地ノ4
大津市神出開町8番地ノ4
大津市長安寺町8番地ノ5
大津市神出開町8番地ノ5
大津市長安寺町8番地ノ6
大津市神出開町8番地ノ6
大津市長安寺町10番地ノ2
大津市神出開町10番地ノ2
大津市長安寺町10番地ノ5
大津市神出開町10番地ノ5
大津市長安寺町11番地ノ1
大津市神出開町11番地ノ1
大津市長安寺町11番地ノ5
大津市神出開町11番地ノ5
大津市長安寺町12番地
大津市神出開町12番地
大津市長安寺町13番地ノ3
大津市神出開町13番地ノ3
大津市長安寺町13番地ノ5
大津市神出開町13番地ノ5
大津市長安寺町13番地ノ6
大津市神出開町13番地ノ6
――――――――――
市の区域内の町の区域の変更
昭和35年1月16日
滋賀県告示第23号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、昭和34年12月21日から大津市の区域内の町の区域を次のとおり変更した旨、大津市長から届出があつた。
変更した区域および地番
現行
改正
大津市馬場西町96番地ノ2
大津市馬場北町96番地ノ2
――――――――――
市の区域内の町の区域の変更
昭和35年8月1日
滋賀県告示第273号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により昭和35年7月2日から大津市の区域内の町の区域を次のとおり変更した旨、大津市長から届出があつた。
変更した区域および地番
現行
改正
大津市石山鳥居川南上之町309番地
大津市石山鳥居川西上之町309番地
〃 310番地
〃 310番地
〃 311番地
〃 311番地
〃 312番地
〃 312番地
〃 313番地
〃 313番地
〃 314番地
〃 314番地
〃 315番地
〃 315番地
〃 315番地ノ1
〃 315番地ノ1
〃 316番地
〃 316番地
〃 316番地ノ1
〃 316番地ノ1
〃 316番地ノ2
〃 316番地ノ2
〃 317番地
〃 317番地
〃 321番地ノ1
〃 321番地ノ1
〃 321番地ノ2
〃 321番地ノ2
〃 321番地ノ3
〃 321番地ノ3
〃 313番地ノ1
〃 313番地ノ1
〃 314番地ノ1
〃 314番地ノ1
〃 314番地ノ2
〃 314番地ノ2
〃 340番地ノ14
〃 340番地ノ14
〃 340番地ノ15
〃 340番地ノ15
〃 340番地ノ16
〃 340番地ノ16
〃 340番地ノ17
〃 340番地ノ17
〃 303番地ノ1
大津市石山谷田町303番地ノ1
〃 303番地ノ2
〃 303番地ノ2
〃 303番地ノ3
〃 303番地ノ3
〃 303番地ノ4
〃 303番地ノ4
〃 303番地ノ5
〃 303番地ノ5
〃 303番地ノ6
〃 303番地ノ6
〃 303番地ノ7
〃 303番地ノ7
〃 303番地ノ8
〃 303番地ノ8
〃 305番地
〃 305番地
〃 306番地
〃 306番地
〃 307番地
〃 307番地
〃 308番地
〃 308番地
大津市石山北大路元町232番地
大津市石山鳥居川西上之町232番地
〃 233番地
〃 233番地
〃 236番地ノ1
大津市石山谷田町236番地ノ1
〃 236番地ノ2
〃 236番地ノ2
〃 237番地ノ1
〃 237番地ノ1
〃 237番地ノ2
〃 237番地ノ2
〃 238番地ノ1
〃 238番地ノ1
〃 238番地ノ2
〃 238番地ノ2
〃 238番地ノ3
〃 238番地ノ3
――――――――――
市の区域内の町の区域の変更
昭和35年12月21日
滋賀県告示第457号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により昭和35年10月1日から大津市の区域内の町の区域を次のとおり新たに画しおよび変更した旨、大津市長から届出があつた。
1 新たに町区域を画したもの
(1) 新たに画した町区域の名称
御陵町
(2) 新たに画した御陵町の区域に編入した地番
現行
改正
大津市円城寺町字平松72番地
大津市御陵町72番地
〃 72番地の1
〃 72番地の1
〃 72番地の2
〃 72番地の2
大津市山上町字下浄慶587番地
〃 587番地
〃 587番地の1
〃 587番地の1
〃 588番地
〃 588番地
〃 589番地
〃 589番地
〃 620番地の1
〃 620番地の1
2 新たに町区域を画したもの
(1) 新たに画した町区域の名称
皇子山町
(2) 新たに画した皇子山町の区域に編入した地番
現行
改正
大津市円城寺町字平松73番地
大津市皇子山町73番地
大津市尾花川町字中島184番地
〃 184番地
大津市山上町字三本松606番地
〃 606番地
〃 607番地
〃 607番地
〃 608番地
〃 608番地
〃 609番地
〃 609番地
〃 610番地
〃 610番地
〃 611番地
〃 611番地
〃 612番地
〃 612番地
〃 613番地
〃 613番地
〃 615番地
〃 615番地
〃 616番地
〃 616番地
〃 617番地
〃 617番地
〃 618番地
〃 618番地
〃 619番地
〃 619番地
大津市山上町字池の内195番地
〃 195番地
〃 196番地
〃 196番地
〃 197番地
〃 197番地
〃 198番地
〃 198番地
〃 199番地
〃 199番地
〃 200番地
〃 200番地
〃 201番地
〃 201番地
〃 202番地
〃 202番地
〃 203番地
〃 203番地
〃 204番地
〃 204番地
〃 205番地
〃 205番地
大津市尾花川町字千石132番地
〃 132番地
大津市尾花川町字白井田133番地
〃 133番地
〃 134番地
〃 134番地
〃 135番地の1
〃 135番地の1
大津市山上町字京田329番地の1
〃 329番地の1
〃 330番地の1
〃 330番地の1
〃 331番地の1
〃 331番地の1
〃 332番地の1
〃 332番地の1
〃 333番地の1
〃 333番地の1
〃 334番地の1
〃 334番地の1
〃 335番地の1
〃 335番地の1
〃 336番地の1
〃 336番地の1
〃 337番地の1
〃 337番地の1
〃 337番地の3
〃 337番地の3
〃 338番地
〃 338番地
〃 339番地
〃 339番地
〃 340番地
〃 340番地
〃 341番地
〃 341番地
〃 342番地の1
〃 342番地の1
〃 342番地の2
〃 342番地の2
〃 343番地
〃 343番地
〃 344番地
〃 344番地
〃 345番地
〃 345番地
〃 346番地
〃 346番地
〃 347番地
〃 347番地
〃 348番地
〃 348番地
〃 349番地の3
〃 349番地の3
大津市北別所町字定田177番地の1
〃 177番地の1
〃 178番地
〃 178番地
〃 179番地
〃 179番地
〃 180番地
〃 180番地
〃 181番地
〃 181番地
〃 182番地
〃 182番地
〃 183番地の1
〃 183番地の1
〃 183番地の2
〃 183番地の2
〃 184番地の1
〃 184番地の1
〃 184番地の2
〃 184番地の2
〃 185番地
〃 185番地
〃 186番地
〃 186番地
〃 187番地
〃 187番地
〃 188番地
〃 188番地
〃 189番地
〃 189番地
〃 190番地
〃 190番地
〃 191番地
〃 191番地
〃 192番地の1
〃 192番地の1
〃 193番地の1
〃 193番地の1
〃 194番地
〃 194番地
3 新たに町区域を画したもの
(1) 新たに画した町区域の名称
膳所御殿浜町
(2) 新たに画した膳所御殿浜町の区域に編入した地番
現行
改正
大津市粟津晴嵐町104番地
大津市膳所御殿浜町104番地
〃 105番地の4
〃 105番地の4
〃 1254番地の1
〃 1254番地の1
〃 1256番地
〃 1256番地
〃 1256番地の1
〃 1256番地の1
〃 1256番地の3
〃 1256番地の3
〃 1256番地の4
〃 1256番地の4
〃 1256番地の5
〃 1256番地の5
〃 1256番地の8
〃 1256番地の8
〃 1256番地の9
〃 1256番地の9
〃 1256番地の10
〃 1256番地の10
〃 1256番地の11
〃 1256番地の11
〃 1256番地の12
〃 1256番地の12
〃 1256番地の13
〃 1256番地の13
〃 1256番地の14
〃 1256番地の14
〃 1256番地の15
〃 1256番地の15
〃 1256番地の16
〃 1256番地の16
〃 1256番地の17
〃 1256番地の17
〃 1256番地の18
〃 1256番地の18
〃 1256番地の19
〃 1256番地の19
〃 1256番地の20
〃 1256番地の20
〃 1256番地の21
〃 1256番地の21
〃 1256番地の22
〃 1256番地の22
〃 1256番地の23
〃 1256番地の23
〃 1256番地の25
〃 1256番地の25
〃 1256番地の26
〃 1256番地の26
〃 1256番地の27
〃 1256番地の27
〃 1259番地
〃 1259番地
〃 1265番地の14
〃 1265番地の14
4 変更した区域および地番
現行
改正
大津市梅林町 817番地
大津市朝日ケ丘町 817番地
――――――――――
市の区域内の町の区域の変更
昭和36年3月3日
滋賀県告示第46号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により昭和35年12月28日から大津市の区域内の町の区域を次のとおり変更した旨、大津市長から届出があつた。
変更した区域および地番
現行
改正
大津市松本平野町591番地の1
大津市東松ケ枝町591番地の1
〃 590番地の6
〃 590番地の6
〃 590番地の16
〃 590番地の16
〃 590番地の5
〃 590番地の5
〃 590番地の13
〃 590番地の13
〃 590番地の15
〃 590番地の15
〃 590番地の17
〃 590番地の17
〃 590番地の18
〃 590番地の18
〃 590番地の3
〃 590番地の3
〃 1048番地の5
〃 1048番地の5
〃 1048番地の6
〃 1048番地の6
〃 1048番地の3
〃 1048番地の3
〃 1048番地の12
〃 1048番地の12
大津市膳所平尾町708番地の1
大津市膳所北相模町708番地の1
〃 725番地の4
〃 725番地の4
〃 728番地の3
〃 728番地の3
〃 730番地の1
〃 730番地の1
大津市膳所山添町729番地
〃 729番地
〃 653番地
〃 653番地
〃 659番地の1
〃 659番地の1
〃 663番地の1
〃 663番地の1
〃 667番地の3
〃 667番地の3
〃 718番地
〃 718番地
大津市膳所池の内町625番地
大津市膳所山添町625番地
〃 628番地の1
〃 628番地の1
〃 628番地の2
〃 628番地の2
〃 628番地の4
〃 628番地の4
〃 652番地の1
〃 652番地の1
〃 652番地の2
〃 652番地の2
〃 652番地の3
〃 652番地の3
〃 652番地の4
〃 652番地の4
〃 652番地の6
〃 652番地の6
大津市粟津晴嵐町1256番地の24
大津市膳所御殿浜町1256番地の24
――――――――――
市の区域内の町の区域の変更
昭和36年3月20日
滋賀県告示第70号
地方自治法施行令(昭和22年政令第16号)第179条第1項の規定により、公有水面埋立のため、昭和36年4月10日から滋賀県大津市上平蔵町地先の公有水面埋立地2,604.98坪を大津市上平蔵町に、滋賀県大津市下平蔵町地先の公有水面埋立地5,442.70坪を大津市下平蔵町に編入する。
――――――――――
市の区域内の町の区域の変更
昭和37年1月17日
滋賀県告示第16号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、昭和36年12月20日から大津市の区域内の町の区域を次のとおり変更した旨、大津市長から届出があつた。
変更した区域および地番
現行
改正
大津市石山北大路元町213番地
大津市石山鳥居川西上之町213番地
〃 218番地の1
〃 218番地の1
〃 218番地の2
〃 218番地の2
〃 218番地の3
〃 218番地の3
〃 218番地の4
〃 218番地の4
〃 218番地の5
〃 218番地の5
〃 218番地の6
〃 218番地の6
〃 218番地の7
〃 218番地の7
〃 218番地の8
〃 218番地の8
〃 218番地の9
〃 218番地の9
〃 218番地の10
〃 218番地の10
〃 218番地の11
〃 218番地の11
〃 218番地の12
〃 218番地の12
〃 219番地の2
〃 219番地の2
〃 220番地
〃 220番地
〃 220番地の1
〃 220番地の1
〃 220番地の2
〃 220番地の2
〃 221番地の1
〃 221番地の1
〃 221番地の2
〃 221番地の2
〃 221番地の3
〃 221番地の3
〃 221番地の4
〃 221番地の4
〃 221番地の5
〃 221番地の5
〃 221番地の6
〃 221番地の6
〃 221番地の7
〃 221番地の7
〃 221番地の8
〃 221番地の8
〃 221番地の9
〃 221番地の9
〃 221番地の10
〃 221番地の10
〃 223番地の1
〃 223番地の1
〃 223番地の2
〃 223番地の2
〃 223番地の3
〃 223番地の3
〃 223番地の4
〃 223番地の4
〃 223番地の5
〃 223番地の5
〃 223番地の6
〃 223番地の6
〃 223番地の7
〃 223番地の7
〃 223番地の8
〃 223番地の8
〃 224番地の2
〃 224番地の2
〃 224番地の3
〃 224番地の3
〃 224番地の4
〃 224番地の4
〃 226番地の1
〃 226番地の1
〃 226番地の2
〃 226番地の2
〃 226番地の3
〃 226番地の3
〃 226番地の4
〃 226番地の4
〃 226番地の5
〃 226番地の5
〃 226番地の6
〃 226番地の6
〃 226番地の13
〃 226番地の13
〃 226番地の14
〃 226番地の14
〃 226番地の15
〃 226番地の15
〃 226番地の16
〃 226番地の16
〃 226番地の17
〃 226番地の17
〃 226番地の18
〃 226番地の18
〃 226番地の19
〃 226番地の19
〃 228番地の1
〃 228番地の1
〃 228番地の2
〃 228番地の2
〃 228番地の3
〃 228番地の3
〃 228番地の4
〃 228番地の4
〃 228番地の5
〃 228番地の5
〃 230番地の1
〃 230番地の1
〃 230番地の2
〃 230番地の2
〃 230番地の4
〃 230番地の4
〃 234番地の1
〃 234番地の1
〃 234番地の2
〃 234番地の2
〃 234番地の3
〃 234番地の3
〃 234番地の4
〃 234番地の4
〃 234番地の5
〃 234番地の5
〃 241番地の1
〃 241番地の1
〃 241番地の2
〃 241番地の2
〃 242番地の1
〃 242番地の1
〃 242番地の2
〃 242番地の2
〃 242番地の3
〃 242番地の3
大津市下阪本町690番地の1
大津市坂本穴太町690番地の1
〃 688番地
〃 688番地
〃 689番地の1
〃 689番地の1
〃 687番地の1
〃 687番地の1
〃 685番地の5
〃 685番地の5
〃 686番地の1
〃 686番地の1
〃 685番地の4
〃 685番地の4
〃 588番地の2
〃 588番地の2
〃 589番地の2
〃 589番地の2
〃 590番地の2
〃 590番地の2
〃 (国有地)588番地の4
〃 (国有地)588番地の4
〃 〃 589番地の4
〃 〃 589番地の4
〃 〃 590番地の4
〃 〃 590番地の4
〃 〃 591番地の2
〃 〃 591番地の2
〃 〃 687番地の3
〃 〃 687番地の3
〃 〃 686番地の5
〃 〃 686番地の5
〃 〃 685番地の6
〃 〃 685番地の6
〃 〃 684番地の4
〃 〃 684番地の4
〃 〃 685番地の7
〃 〃 685番地の7
〃 〃 686番地の4
〃 〃 686番地の4
〃 〃 687番地の4
〃 〃 687番地の4
〃 〃 689番地の2
〃 〃 689番地の2
〃 〃 690番地の2
〃 〃 690番地の2
〃 〃 691番地
〃 〃 691番地
大津市粟津晴嵐町105番地の2
大津市膳所平和町105番地の2
〃 105番地の3
〃 105番地の3
――――――――――
6 septembre 2017
POP TATARI
市町村別調査結果
大津市
・域内同和地区
・昭和町
・稲津
・坂本
・皇子が丘
___________________________________________________________________________________________________________________
草津市
・域内同和地区
・新田
・西一
・芦浦
・橋岡
_____________________________________________________________________________________________________
守山市
・域内同和地区
・矢島町
同和対策集会所
守山市同和対策集会所 - 守山市矢島町3091番地
________________________________________________________________________________________________________
栗東市
・域内同和地区
・十里
・小柿
_________________________________________________________________________________________________________
野洲市
・域内同和地区
・小篠原
・北比江
___________________________________________________________________________________________________________________
甲賀市
・域内同和地区
・和草野
・寺前
・末田
・長寺西
・大久保
・相模
・大原中
・上野
___________________________________________________________________________________________________________________
湖南市
・域内同和地区
・石部西
・柑子袋
・三雲
・夏見
・岩根
___________________________________________________________________________________________________________________
近江八幡市
・域内同和地区
・八幡町
・末広町(東近江市の概況を参考。)
・大森町
・住吉
・若宮町
・堀上町
____________________________________________________________________________________________________________________
東近江市
概況
「市内6箇所の同和地区のうち、御園町は未指定地区であり、国の同和対策事業を辞退した後、再び同和地指定を求めて、苦肉の策として東近江市が市独自に同和対策を実施したという異色の経歴を持つ。
平田町は、隣の近江八幡市の末広町から市境を超えて移住してきた住民による町である。よって、近世から同和地区ではないとも言えるし、近世からの同和地区である末広町の東近江市にはみ出した部分という見方も出来る。」
・域内同和地区
・梅林町
・野口町
・小脇町宮
・石塔町
・御園町(上記概要を参考。)
・平田町(上記概要を参考。)
___________________________________________________________________________________________________________________
蒲生郡日野町
・域内同和地区
・豊田
___________________________________________________________________________________________________________________
彦根市
・域内同和地区
・里根町
・甲田町
・広野町
___________________________________________________________________________________________________________________
愛知郡愛荘町
・域内同和地区
・長塚
・山川原
・川久保
___________________________________________________________________________________________________________________
犬上郡甲良町
・域内同和地区
・呉竹
・長寺
___________________________________________________________________________________________________________________
犬上郡豊郷町
・域内同和地区
・大町
・三ツ池
___________________________________________________________________________________________________________________
長浜市
・域内同和地区
・桜町
・千草町
___________________________________________________________________________________________________________________
米原市
・域内同和地区
・上多良
・一色
・三吉
___________________________________________________________________________________________________________________
高島市
・域内同和地区
・川尻
・北出
・伏原
・音羽
___________________________________________________________________________________________________________________
蒲生郡竜王町
以上。
27 août 2017
POP TATARI
「東北地方には城下町以外に『部落』はなかったかのようにいう人もあるが、これは誤りである。(略)著者の踏査したわずか十数カ所に限っても、城下町以外に、港町や街道の要衝などに部落は現存している」(成沢栄寿『日本歴史と部落問題』504頁)
「浅草に弾左衛門配下の有力手代だった太鼓屋さんがあるのですが、南部から出てきたと称しています。胴の木を東北に求めたこともあったようです。太鼓づくりは昔ながらの技術ですね。東北にも太鼓屋さんがあると思いますが、その人々もかつて『賤民』とされていた人々でしょう」(『別冊東北学』第5号159頁、藤沢靖介「部落差別のあり方と東北の特質を考えたい」)
(参考)1882年に発表された東北地方ならびに北海道の藩県別の穢多と非人の数
藩県 | 穢多 | 非人 |
---|---|---|
相馬 | 56 | 117 |
棚倉 | 107 | 29 |
三春 | 33 | 30 |
磐城平 | 73 | 34 |
泉 | 98 | - |
湯長谷 | 509 | 9 |
松川 | - | 60 |
白河 | 209 | 13 |
角田 | 68 | 238 |
二本松 | 45 | 36 |
若松 | 788 | 61 |
福島 | 75 | 136 |
仙台 | 396 | 742 |
登米 | 125 | 377 |
盛岡 | 189 | - |
一関 | 31 | 93 |
胆沢 | 62 | 257 |
江刺 | - | - |
弘前 | 488 | 8 |
館 | 7 | 12 |
八戸 | 54 | - |
黒石 | 39 | - |
七戸 | 13 | - |
米沢 | 557 | 18 |
新庄 | 14 | 52 |
上山 | 151 | 7 |
天童 | 16 | - |
鶴岡 | 145 | 132 |
山形 | 24 | 62 |
秋田 | 94 | 4 |
本庄(ママ)(おそらく本荘の誤記。) | 89 | - |
岩崎 | 14 | - |
亀田 | 45 | - |
矢島 | 14 | - |
松山 | 17 | 55 |
1870年の統計では、東北地方全体で穢多4638人、非人2456人とある。
1 août 2017
POP TATARI

江戸の非人には、抱非人(かかえひにん)と野非人(のびにん)との別がありました。野非人は「無宿」(今日的に考えると路上生活者のような立場の人々。ただしあくまでも社会的な身分なので、イコールではない)で、飢饉などになると一挙にその数が増えました。一方抱非人は、非人小屋頭(ひにんこやがしら)と言われる親方に抱えられ、各地の非人小屋に定住していました。非人小屋は江戸の各地にありました。
非人小屋頭はそれぞれ有力な非人頭(ひにんがしら)の支配を受けており、江戸にはそれは4人(一時期5人になったこともある)いました。この4人の非人頭がそれぞれ弾左衛門の支配下にあったわけです。4人の非人頭の中でも特に有力なのが浅草非人頭・車善七(くるまぜんしち)でした。
非人の主な生業は「物乞い」でした。江戸時代、非人以外のものが勝手に「物乞い」をすることは許されていませんでした。また街角の清掃、「門付(かどづけ)」などの「清め」にかかわる芸能、長吏の下役として警備や刑死者の埋葬、病気になった入牢者や少年囚人の世話などにも従事しました。また江戸の非人たちは、街角の清掃に付随して紙くず拾いを始め、それ発展させて再生紙作りもおこないました。
江戸で最も有力な非人頭であった浅草非人頭・車善七(参考・『浅草非人頭車千代松由緒書』(天保10年〈1837年〉)は、1719年(享保4年)以降、弾左衛門・長吏の支配から独立しようと幕府に訴えを繰り返しました。しかし歌舞伎などと違って、弾左衛門を超える経済力・政治力を持っているわけではなかった非人たちは、結局最後まで弾左衛門の支配下に置かれつづけました。
また、時代や地域によって言葉が指す内容(社会関係上の立場や就業形態や排他的業務など)は大きく異なる。また、非人という語義は、広義の非人と狭義の非人に分けられる。広義の非人とは、犬神人(いぬじにん)・墓守・川原物・放免(ほうめん)・乞胸(ごうむね)・猿飼・八瀬童子(やせのどうじ等)等々の生業からくる総称である。狭義の非人に関しては諸説多数あり、さらなる調査研究が必要とされる。(要注意)

乞食〔こじき、物乞い〕
(和漢三才図鑑 正徳2年(1712)成立
29 juillet 2017
POP TATARI
長野県(後半)
差別とのたたかい 部落解放運動20年の歩み(1967年)
長野県内の未解放部落の状況一覧
(昭和三八年一月一日現在)
郡市町村名 | 地区名 | 俗称 | 戸数 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
南佐久郡 臼田町 | 下越 | 下越 | 42 | 佐久市 下越 三反田 | |
〃 | 臼田 | 住吉 | 12 | 佐久市 臼田 住吉 | |
〃 | 田口 | 清川 | 10 | 佐久市 清川 | |
〃 | 青沼 | 三条 | 7 | 佐久市 入澤 三条 | |
〃 | 田口 | 下町 | 7 | 佐久市 田口 下町 | |
佐久町 | 相生町 | 高野町 | 33 | 南佐久郡 佐久穂町 高野町 相生町 | |
〃 | 上区 | 久保田 | 40 | 南佐久郡 佐久穂町 上 久保田 | |
北佐久郡 望月町 | 吹上町 | 吹上町 | 62 | 佐久市 望月 吹上町 | |
〃 | 協東 | 下高呂 | 47 | 佐久市 協和 協東 下高呂 | |
〃 | 小平 | 沢 | 21 | 佐久市 協和 小平 | |
御代田町 | 馬瀬口 | 第六部落 | 42 | 北佐久郡 御代田町 馬瀬口 六区 | |
立科町 | 石川 | 石川 | 47 | 北佐久郡 立科町 宇山 石川 | |
〃 | 町区二部 | 向町 | 19 | 立科町芦田(大字)に字「町」がある。 | |
〃 | 細谷三部 | 7 | 北佐久郡 立科町 桐原 細谷三部 | ||
浅科村 | 上原 | 池下 | 21 | 佐久市 甲 上原 社口 | |
〃 | 〃 | 栗林 | 13 | 佐久市 八幡 御牧原 | |
〃 | 矢島 | 今井坂 | 7 | 佐久市 矢嶋 鶴沼 | |
北御牧村 | 久保尻 | 22 | 東御市 八重原 下八重原 | ||
〃 | 浦久保 | 11 | 東御市 八重原 浦久保 | ||
小県郡 丸子町 | 御岳堂三角 | 三角 | 12 | 上田市 御嶽堂 三角 | |
〃 | 依田 | 茂沢 | 32 | 上田市 生田 茂沢 | |
〃 | 御岳堂上組 | 御岳堂 | 10 | 上田市 御嶽堂 上組 | |
〃 | 沢田 | 八日町 | 15 | 上田市 上丸子 八日町 | |
〃 | 海戸 | 安良居町 | 14 | 上田市 上丸子 海戸 | |
小県郡 丸子町 | 東内辰ノ口 | 辰ノ口 | 53 | 上田市 東内 辰ノ口 | |
東部町 | 加沢 | 4 | 東御市 加沢 | ||
〃 | 田中一〇支区 | 32 | 東御市 田中 十区 | ||
〃 | 本海野 | 17 | 東御市 本海野 | ||
〃 | 東上田 | 原 | 5 | 東御市 滋野乙 原 | |
〃 | 桜井七支区 | 牧屋 | 2 | 東御市 滋野乙 牧家 | |
〃 | 禰津西町 | 向井町 | 23 | 東御市 祢津 祢津西町 | |
塩田町 | 別所 | 湯川 | 38 | 上田市 別所温泉 湯川 | |
〃 | 前山 | 前山第一 | 54 | 上田市 前山 東前山 一区 | |
〃 | 保野 | 保野 | 14 | 上田市 保野 | |
真田町 | 本原下原 | 9 | 上田市 真田町本原 下原 | ||
〃 | 曲尾 | 10 | 上田市 真田町傍陽 曲尾 | ||
〃 | 真田 | 11 | 上田市 真田町長 真田 | ||
武石村 | 中島 | 57 | 上田市 下武石 中島 | ||
和田村 | 原 | 12 | 小県郡 長和町 和田原 | ||
川西村 | 仁古田 | 5 | 上田市 仁古田 | ||
〃 | 岡 | 9 | 上田市 岡 | ||
〃 | 浦野 | 24 | 上田市 浦野 | ||
上伊那郡 高遠町 | 稲持 | 16 | 伊那市 高遠町西高遠 稲持 | ||
辰野町 | 平出旭町 | 田町 | 34 | 上伊那郡 辰野町 平出旭町 田町 | |
〃 | 宮所 | 仮宿 | 46 | 上伊那郡 辰野町 伊那富 宮所 仮宿 | |
下伊那郡 鼎町 | 西鼎 | 鼎新道 | 5 | 飯田市 鼎西鼎 | |
高森町 | 上市田 | 10 | 下伊那郡 高森町 上市田 | ||
〃 | 下市田 | 9 | 下伊那郡 高森町 下市田 | ||
阿智村 | 駒場 | 40 | 下伊那郡 阿智村 駒場 | ||
喬木村 | 阿島 | 7 | 下伊那郡 喬木村 阿島 | ||
下伊那郡 豊丘村 | 河野北部 | 筏 | 5 | 下伊那郡 豊丘村 河野 筏 | |
東筑摩郡 明科町 | 中条北村 | 光 | 21 | 安曇野市 明科光 北村 幅 | |
〃 | 塔ノ原 | 町二 | 35 | 安曇野市 明科中川手 塔ノ原 町二区 | |
〃 | 小泉 | 小泉 | 7 | 安曇野市 明科南陸郷 小泉 三区 | |
〃 | 下押野 | 押野 | 5 | 安曇野市 明科七貴 下押野区 | |
〃 | 荻原 | 荻原 | 10 | 安曇野市 明科七貴 荻原区 | |
本郷村 | 浅間 | 堀道 | 27 | 松本市 浅間温泉 堀道 | |
四賀村 | 殿入 | 花見 | 24 | 松本市 殿野入 花見 | |
〃 | 本町 | 下宿 | 18 | 松本市 会田 本町 下宿 | |
〃 | 保福寺町 | 花見 | 4 | 松本市 保福寺町 花見 | |
坂北村 | 青柳 | 青柳 | 24 | 東筑摩郡 筑北村 坂北 青柳 六区 | |
麻績村 | 上町 | 18 | 東筑摩郡 麻績村 麻 上町 | ||
生坂村 | 小立野 | 9 | 東筑摩郡 生坂村 小立野 | ||
〃 | 上生坂 | 13 | 東筑摩郡 生坂村 上生坂 | ||
山形村 | 下竹田 | 24 | 東筑摩郡 山形村 下竹田 | ||
南安曇郡 豊科町 | 新田 | 6 | 安曇野市 豊科新田 | ||
〃 | 成相 | 鳥伝 | 6 | 安曇野市 豊科成相 | |
〃 | 細萱 | 藤沢 | 8 | 安曇野市 豊科南 穂高細萱 | |
〃 | 真々部 | 真々部下 | 22 | 安曇野市 豊科高家 真々部 | |
〃 | 田沢 | 小瀬巾細川 | 29 | 安曇野市 豊科田沢 小瀬幅 | |
梓川村 | 下村 | 12 | 松本市 梓川倭 北大妻 下村 | ||
三郷村 | 一日市場 | 北村 | 63 | 安曇野市 三郷 明盛 一日市場 | |
堀金村 | 上堀 | 3 | 安曇野市 堀金 烏川 上堀 | ||
〃 | 中堀 | 10 | 安曇野市 堀金 烏川 中堀 | ||
〃 | 下掘 | 20 | 安曇野市 堀金 烏川 下堀 | ||
〃 | 田尻 | 1 | 安曇野市 堀金 三田 田尻 | ||
北安曇郡 池田町 | 一丁目 | 一丁目 | 8 | 北安曇郡 池田町 大字池田1丁目 | |
〃 | 渋田見西部 | 渋西 | 21 | 北安曇郡 池田町 会染渋田見 | |
更級郡 上山田町 | 新山 | 住吉 | 4 | 千曲市 新山 住吉 | |
〃 | 力石 | 六組 | 52 | 千曲市 力石 六区 | |
川中島町 | 北原上 | 東町 | 22 | 長野市 川中島町原 北原上 | |
〃 | 原第四 | 南原 | 28 | 長野市 川中島町原 五区 | |
〃 | 南組 | 南部 | 21 | 長野市川中島町御厨の字に「南町」はある。 | |
〃 | 今里 | 向う村 | 9 | 長野市 川中島町今里 新屋 | |
〃 | 寺町 | 10 | 長野市 川中島町上氷鉋 寺町 | ||
〃 | 四ツ屋 | 東村 | 9 | 長野市 川中島町四ツ屋 東村 | |
信更村 | 上尾 | 7 | 長野市 信更町上尾 | ||
〃 | 原市場 | 5 | 長野市 信更町氷ノ田 原市場 | ||
大岡村 | 宮平西 | 5 | 長野市 大岡甲 宮平西 | ||
更北村 | 綱島 | 中組 | 15 | 長野市 青木島町綱島 中組 | |
〃 | 広田 | 田牧東 | 21 | 長野市 稲里町田牧 田牧東 | |
埴科郡 坂城町 | 南条 | 新地 | 33 | 埴科郡 坂城町 南条 新地 | |
〃 | 坂端 | 77 | 埴科郡 坂城町 坂城 坂端 | ||
〃 | 網掛 | 新田 | 15 | 埴科郡 坂城町 網掛 新田 | |
〃 | 上平北部 | 北部 | 14 | 埴科郡 坂城町 上平 北部 | |
松代町 | 東市場 | 35 | 長野市 松代町西条 東市場 | ||
〃 | 東寺尾 | 5 | 長野市 松代町東寺尾 | ||
〃 | 大室 | 西組 | 22 | 長野市 松代町大室 西組 | |
〃 | 東荒町 | 西屋地 | 3 | 長野市 松代町東条 上荒町 西屋地 | |
戸倉町 | 今井町 | 17 | 千曲市 戸倉 今井町 | ||
〃 | 芝原区 | 8 | 千曲市 若宮 芝原 | ||
上高井郡 小布施町 | 昭和町 | 19 | 上高井郡 小布施町 小布施 中央 | ||
上高井郡 小布施町 | 唐沢 | 13 | 上高井郡 小布施町 小布施 福原 | ||
〃 | 雁中 | 19 | 上高井郡 小布施町 大字雁田 | 俗称「下村」(しもむら)。 | |
若穂町 | 川田 | 瀬在 | 17 | 長野市 若穂川田 町川田 瀬在 | |
〃 | 綿内麦在家 | 麦在家 | 14 | 長野市 若穂綿内 麦在家 | |
〃 | 保科矢原 | 矢原 | 51 | 長野市 若穂保科 矢原 | |
〃 | 保科赤野田 | 赤野田 | 4 | 長野市 若穂保科 赤野田 | |
高山村 | 堀之内 | 28 | 上高井郡 高山村 高井 堀之内 | ||
〃 | 紫 | 22 | 上高井郡 高山村 高井 紫 | ||
〃 | 黒部 | 3 | 上高井郡 高山村 高井 黒部 | ||
〃 | 牧 | 12 | 上高井郡 高山村 牧 | ||
〃 | 駒場 | 6 | 上高井郡 高山村 中山 駒場 | ||
〃 | 馬場 | 16 | 上高井郡 高山村 中山 枡形 馬場 | ||
下高井郡 山ノ内町 | 上条 | 西下 | 3 | 下高井郡 山ノ内町 平穏 上條西下 | |
〃 | 佐野 | 立川 | 8 | 下高井郡 山ノ内町 佐野 立川 | |
〃 | 戸狩 | 中屋敷 | 4 | 下高井郡 山ノ内町 戸狩 仲屋敷 | |
〃 | 本郷 | 5 | 下高井郡 山ノ内町 夜間瀬 本郷 | ||
木島平村 | 中村 | 横町 | 6 | 下高井郡 木島平村 穂高 中村 横町 | |
〃 | 中島 | 3 | 下高井郡 木島平村 往郷 中島 | ||
〃 | 大町 | 2 | 下高井郡 木島平村 上木島 大町 | ||
野沢温泉村 | 横落 | はから | 6 | 下高井郡 野沢温泉村 横落 | |
上水内郡 信州新町 | 千原田 | 14 | 長野市 信州新町上条 千原田 | ||
〃 | 城町 | 11 | 長野市 信州新町牧野島 | ||
豊野町 | 豊野 | 四丁目 | 41 | 長野市 豊野町豊野 四丁目 | |
〃 | 浅野 | 古町 | 31 | 長野市 豊野町浅野 古町 | |
信濃町 | 荒瀬原 | 3 | 上水内郡 信濃町 荒瀬原 下荒瀬原 | ||
牟礼村 | 古屋敷 | 14 | 上水内郡 飯綱町 牟礼 古屋敷 | ||
上水内郡 三水村 | 町 | 8 | 飯綱町芋川(大字)に字「町」がある。 | ||
戸隠村 | 西原 | 5 | 長野市 戸隠西原 | ||
〃 | 中島 | 2 | 長野市戸隠に字「中社」(ちゅうしゃ)はある。長野市戸隠祖山に字「中部」(ちゅうぶ)や「中組」もある。字(あざ)「中組」は長野市戸隠栃原にもある。長野市戸隠豊岡に字「中村」「中耕」(なこう)もある。しかし「中島」の位置は要調査。 | ||
鬼無里村 | 仲町 | 下町 | 6 | 長野市 鬼無里 | |
小川村 | 二反田 | 5 | 上水内郡 小川村 高府 二反田 | ||
〃 | 細越 | 雨池 | 3 | 上水内郡 小川村 小根山 細越 雨池 | |
〃 | 小根山 | 2 | 上水内郡 小川村 小根山 | ||
中条村 | 横町 | 25 | 長野市 中条 横町 | ||
七二会村 | 笹平 | 7 | 長野市 七二会甲 笹平 | ||
下水内郡 栄村 | 白鳥 | 2 | 下水内郡 栄村 豊栄 白鳥 | ||
〃 | 平滝 | 1 | 下水内郡 栄村 豊栄 平滝 | ||
豊田村 | 牡丹沢 | 24 | 中野市 上今井 牡丹沢 | ||
〃 | 韮山 | 26 | 中野市 上今井 韮山 | ||
〃 | 豊船 | 船場 | 16 | 中野市 大字柳沢 字船場 | |
〃 | 宮浦 | 31 | 中野市 豊津 宮浦 | ||
〃 | 穴田 | 日影 | 30 | 中野市 穴田 日影 | |
長野市 | 川原崎 | 13 | 長野市 長野 新町 | ||
〃 | 西長野 | 26 | 長野市 西長野 西長野町 | ||
〃 | 吉田北本町 | 7 | 長野市 吉田 北本町 | ||
〃 | 押鐘 | 7 | 長野市 吉田 押鐘 | ||
〃 | 長沼大町 | 昭南 | 10 | 長野市 大町 昭南 | |
〃 | 長沼穂保 | 睦 | 19 | 長野市 穂保 睦 | |
〃 | 富竹 | 21 | 長野市 富竹 | ||
〃 | 金箱 | 6 | 長野市 金箱 | ||
〃 | 上駒沢 | 20 | 長野市 上駒沢 | ||
〃 | 大豆島西区 | 西区 | 65 | 長野市 大豆島西沖 | |
長野市 | 安茂里小路 | 28 | 長野市 安茂里小路 | ||
〃 | 北堀 | 1 | 長野市 北堀 | ||
〃 | 北長池 | 十二 | 5 | 長野市 北長池 十二区 | |
〃 | 南堀 | 17 | 長野市 南堀 | ||
〃 | 若槻稲田 | 4 | 長野市 稲田 | ||
〃 | 若槻東条 | 10 | 長野市 若槻東条 | ||
〃 | 若槻吉 | 1 | 長野市 吉 | ||
〃 | 柳原中俣 | 6 | 長野市 柳原 中俣 | ||
〃 | 浅川西条 | 17 | 長野市 浅川 西条 | ||
松本市 | 島立町区 | 9 | 松本市 島立 町区 | ||
〃 | 島内町区中部 | 26 | 松本市島内(大字)に字「町」はある。26戸のうち16戸が部落解放同盟員。 | ||
〃 | 和田町 | 和田町東部 | 17 | 松本市 和田 町区 | |
〃 | 今井境新田 | 48 | 松本市 今井 境新田 | ||
〃 | 新村北新 | 12 | 松本市 新村 下新 和手町 | ||
〃 | 新村下新 | 12 | 松本市 新村 北新 | ||
〃 | 岡田 | 59 | 松本市 岡田町 下出口 | ||
〃 | 神林町神 | 23 | 松本市 神林 町神 | ||
〃 | 新家町 | 73 | 松本市 庄内 | ||
〃 | 里山辺西荒町 | 52 | 松本市 里山辺 西荒町 | ||
上田市 | 緑丘西区 | 80 | 上田市 緑が丘 西 | ||
〃 | 上塩尻 | 17 | 上田市 上塩尻 | ||
〃 | 秋和 | 4 | 上田市 秋和 | ||
〃 | 上野伊勢山 | 17 | 上田市 上野 伊勢山 | ||
〃 | 諏訪部 | 40 | 上田市 常磐城 | ||
〃 | 御所 | 6 | 上田市 御所 | ||
〃 | 宮ノ上 | 21 | 上田市 芳田 宮ノ上 | ||
上田市 | 中吉田 | 下宿 | 15 | 上田市 芳田 中吉田 下宿 | |
〃 | 築地 | 7 | 上田市 築地 | ||
〃 | 上田原 | 3 | 上田市 上田原 | ||
〃 | 緑丘北 | (旧豊原町) | 44 | 上田市 緑が丘 北 | |
〃 | 川辺町 | 26 | 上田市 上田原 川辺町 | ||
〃 | 矢沢 | 32 | 上田市 殿城 矢沢 | ||
〃 | 中之条 | 14 | 上田市 中之条 千曲町 | ||
諏訪市 | 上諏訪中村 | 70 | 諏訪市 湯の脇 中村 | ||
須坂市 | 二睦町 | 66 | 須坂市 井上 野庄、須坂市 幸高 七三河原 | ||
〃 | 本郷町 | 33 | 須坂市 日滝 本郷町 北組 | ||
〃 | 福島町 | 16 | 須坂市 福島 | ||
〃 | 小島町 | 9 | 須坂市 小島 | ||
〃 | 相之島町 | 5 | 須坂市 相之島 | ||
〃 | 新田町 | 19 | 須坂市 小河原 新田町 | ||
〃 | 村山町 | 6 | 須坂市 村山 | ||
小諸市 | 四ツ谷 | 35 | 小諸市 柏木 四ツ谷 | ||
〃 | 加増 | 荒堀 | 154 | 小諸市 加増 | |
〃 | 一ツ谷 | 竹之花 | 7 | 小諸市 大字御影新田 字一ツ谷 | 『全國部落調査』に記載のない地区。竹内姓6件。2000年電話帳。 |
〃 | 平原 | 下宿 | 63 | 小諸市 大字平原 | |
伊那市 | 手良棚沢 | 後藤の衆 | 20 | 伊那市 手良野口 棚沢 | |
〃 | 手良辻 | 西幅 | 29 | 伊那市 手良沢岡 下手良 辻 | |
中野市 | 新野 | 15 | 中野市 新野 宮下 | ||
〃 | 大熊 | 15 | 中野市 三ツ和 大熊 | ||
〃 | 桜沢 | 11 | 中野市 桜沢 | ||
〃 | 片塩 | 8 | 中野市 片塩 | ||
〃 | 草間 | 4 | 中野市 草間 | ||
中野市 | 若宮金井 | 17 | 中野市 若宮、中野市 金井 | ||
〃 | 赤岩越 | 12 | 中野市 赤岩、中野市 越 | ||
〃 | 柳沢 | 5 | 中野市 柳沢 | ||
大町市 | 五日町 | 11 | 大町市 大町 五日町 | ||
〃 | 下一 | 13 | 大町市 常盤 下一 | ||
〃 | 常盤泉 | 11 | 大町市 常盤 泉 貝原 | ||
飯山市 | 飯山奈良沢 | 4 | 飯山市 飯山 奈良沢 | ||
〃 | 飯山有尾 | 川原 | 7 | 飯山市 飯山 有尾 | |
〃 | 秋津静間 | 中町北部 | 22 | 飯山市 静間 中町北部 | |
〃 | 木島安田 | 土堤根 | 8 | 飯山市 木島 安田 土堤根 | |
〃 | 瑞穂戸那子 | 16 | 飯山市 瑞穂 戸那子 | ||
〃 | 瑞穂関沢 | 12 | 飯山市 瑞穂 関沢 | ||
〃 | 柳原大川 | 1 | 飯山市 旭 大川 | ||
〃 | 富倉中谷 | 川原 | 1 | 飯山市 富倉 中谷 | |
〃 | 常盤下水沢 | 5 | 飯山市 常盤 下水沢 | ||
〃 | 常盤大倉崎 | 4 | 飯山市 常盤 大倉崎 | ||
〃 | 常盤戸狩 | 3 | 飯山市 照里 戸狩 | ||
〃 | 外様 | 顔戸 | 6 | 飯山市 寿 顔戸 | |
〃 | 外様 | 尾崎 | 2 | 飯山市 寿 尾崎 | |
〃 | 太田 | 大坪 | 7 | 飯山市 豊田 大深 | |
〃 | 太田 | 小境 | 3 | 飯山市 豊田 小境 | |
〃 | 太田 | 今井 | 2 | 飯山市 常郷 今井 | |
塩尻市 | 原口 | 赤岩 | 21 | 塩尻市 洗馬 下小曽部 原口 | |
篠ノ井市 | 五明 | 8 | 長野市 篠ノ井布施五明 | ||
〃 | 高田 | 1 | 長野市 篠ノ井布施高田 | ||
〃 | 御幣川 | 7 | 長野市 篠ノ井御幣川 | ||
篠ノ井市 | 上石川 | 14 | 長野市 篠ノ井石川 上石川 | ||
〃 | 岡田深町 | 深町 | 31 | 長野市 篠ノ井岡田 深町 | |
〃 | 小森東 | 3 | 長野市 篠ノ井小森 | ||
〃 | 塩崎角間 | 7 | 長野市 篠ノ井塩崎 角間 | ||
〃 | 塩崎松節 | 12 | 長野市 篠ノ井塩崎 上町 松節 | ||
〃 | 方田 | 25 | 長野市 篠ノ井二ツ柳 方田 | ||
更埴市 | 雨宮 | 13 | 千曲市 雨宮 | ||
〃 | 中河原 | 9 | 千曲市 森 | ||
〃 | 杭瀬下 | 8 | 千曲市 杭瀬下 | ||
〃 | 新田 | 2 | 千曲市 新田 | ||
〃 | 稲荷山 | 5 | 千曲市 稲荷山 | ||
〃 | 元町 | 4 | 千曲市 桑原 元町 | ||
〃 | 東区 | 6 | 千曲市 桑原 東区 | ||
〃 | 志川 | 13 | 千曲市 八幡 志川 | ||
佐久市 | 岩村田城下 | 城下 | 108 | 佐久市 岩村田 大和町 | |
〃 | 三河田 | 3 | 佐久市 三河田 | ||
〃 | 上平尾 | 26 | 佐久市 上平尾 | ||
〃 | 小田井荒田 | 70 | 佐久市 小田井 荒田 | ||
〃 | 原 | 10 | 佐久市 原 | ||
〃 | 高柳 | 5 | 佐久市 高柳 | ||
〃 | 根岸沓沢 | 11 | 佐久市 根岸 沓沢 | ||
〃 | 根岸竹田 | 12 | 佐久市 根岸 竹田 | ||
〃 | 前山北中 | 前山 | 5 | 佐久市 前山 前山北中 | |
〃 | 前山小宮山 | 6 | 佐久市 小宮山 | ||
〃 | 大沢下町 | 丸山 | 19 | 佐久市 大沢 大沢下町 | |
〃 | 取出町 | 取出 | 8 | 佐久市 取出町 | |
佐久市 | 野沢本町 | 本町 | 39 | 佐久市 野沢 野沢本町 | |
〃 | 伴野下県西 | 宮川 | 13 | 佐久市 伴野 下県西 | |
〃 | 瀬戸西耕地 | 坂上 | 15 | 佐久市 瀬戸 西耕地坂上 | |
〃 | 常和南 | 常和 | 15 | 佐久市 常和 常和南 | |
〃 | 内山町六 | 法観寺 | 31 | 佐久市 内山 法観寺 | |
〃 | 平賀北口 | 北口 | 39 | 佐久市 平賀 北口 | |
〃 | 中込三家 | 宮ノ久保 | 5 | 佐久市 中込 三家 | |
〃 | 香坂 | 13 | 佐久市 香坂 西地 |
上田藩穢多ならびに旧上田藩未解放部落所在地一覧
施設等
隣保館・人権啓発センター
- 長野県人権啓発センター - 千曲市屋代字清水260-6 長野県立歴史館内
- 飯山市隣保館(現存せず) - 飯山市常郷694-1
- 佐久穂町隣保館 - 佐久穂町大字高野町2026番地の2
- 佐久市中央隣保館 - 佐久市瀬戸1177番地2
- 佐久市浅科人権文化センター - 佐久市甲14番地2
- 佐久市望月人権文化センター - 佐久市望月471番地12
- 小諸市人権センター - 小諸市御幸町1丁目10番11号
- 小諸市隣保館(現存せず) - 小諸市荒町1丁目7番3号
- たてしな人権センター - 立科町大字芦田2529-15
- 御代田町人権啓発センター - 御代田町大字馬瀬口1860番地の17
- 東御市東部人権啓発センター - 東御市県288番地3
- 東御市北御牧人権啓発センター - 東御市八重原2813番地1
- 長和町長門隣保館 - 長和町長久保457番地1
- 上田市塩田解放会館 - 上田市中野20番地
- 上田市城南解放会館 - 上田市中之条452番地
- 上田市中央解放会館 - 上田市常磐城1丁目2番5号
- 上田市丸子解放センター - 上田市上丸子1544番地4
- 坂城町隣保館 - 坂城町大字坂城10140-2
- 千曲市人権ふれあいセンター - 千曲市大字粟佐1301番地
- 千曲市戸倉人権はつらつセンター - 千曲市大字戸倉2639番地
- 長野市中央隣保館 - 長野市若里一丁目19番5号
- 長野市若穂隣保館 - 長野市若穂保科2853番地
- 長野市大豆島隣保館 - 長野市大豆島西沖3番地20
- 長野市豊野隣保館 - 長野市豊野町浅野1103番地
- 須坂市人権交流センター - 須坂市大字小山1264番地4
- 福島人権ふれあいセンター - 須坂市大字福島134番地7
- 二睦学習センター - 須坂市大字井上2206番地6
- 本郷学習センター - 須坂市大字日滝1531番地1
- 本郷人権ふれあいセンター - 須坂市大字日滝1531番地3
- 中野市人権センター - 中野市三好町1丁目4番27号
- 中野市人権センター南部集会所 - 中野市大字新野476番地2
- 中野市豊田人権センター - 中野市大字豊津2555番地1
- 人権政策課人権・同和係(広域隣保) - 中野市役所
- 人権推進室(広域隣保) - 中野市役所
- 総務課人権政策室(広域隣保) - 中野市役所
- いいやま人権福祉センター - 飯山市大字静間1305番地1
小集落改良住宅
長野市
- 大豆島西改良住宅A棟 - 長野市大豆島西沖8番地12
- 大豆島西改良住宅B棟 - 長野市大豆島西沖8番地12
- 大豆島西改良住宅C棟 - 長野市大豆島西沖6番地23
- 大豆島西共同作業所 - 長野市大豆島西沖7番地3
- 大豆島西集会所 - 長野市大豆島西沖3番地7
- 古町改良住宅 - 長野市豊野町浅野777番地8、777番地10
飯山市
- 中町北部住宅 - 飯山市大字静間(中町北部)
小諸市
- 平原団地 - 小諸市大字平原730番地
- 市営中条団地 - 小諸市加増1丁目3-2
佐久市
- 佐1~4号 - 佐久市内山5983番地1
- 佐5号 - 佐久市内山5982番地1
- 佐6~7号 - 佐久市内山5982番地1
- 佐8~9号 - 佐久市内山5849番地2
- 佐10~11号 - 佐久市内山5851番地2
- 佐12~13号 - 佐久市岩村田3422番地3
- 佐14~15号 - 佐久市岩村田3421番地1
- 佐16~17号 - 佐久市岩村田3418番地2
- 佐18~19号 - 佐久市岩村田3400番地2
- 佐20~21号 - 佐久市岩村田3400番地9
- 佐22~23号 - 佐久市岩村田3391番地6
- 佐24号 - 佐久市岩村田3445番地9
- 佐25号 - 佐久市岩村田3445番地7
- 佐26~27号 - 佐久市岩村田3445番地7
- 佐28~29号 - 佐久市岩村田3445番地3
- 佐30~31号 - 佐久市岩村田3445番地5
- 臼1号 - 佐久市下越589番地6
- 臼2号 - 佐久市下越589番地7
- 臼3号 - 佐久市下越589番地8
- 臼4号 - 佐久市下越589番地10
- 臼5号 - 佐久市下越589番地11
- 臼6号 - 佐久市下越589番地12
- 臼7号 - 佐久市下越589番地13
- 臼8号 - 佐久市下越589番地14
- 臼9号 - 佐久市下越589番地15
- 臼10号 - 佐久市下越589番地16
- 臼11号 - 佐久市下越589番地17
- 臼12号 - 佐久市下越589番地18
- 臼13号 - 佐久市下越589番地19
- 臼14号 - 佐久市下越589番地20
- 臼15号 - 佐久市下越589番地21
- 臼16号 - 佐久市下越589番地22
- 臼17号 - 佐久市下越589番地23
- 臼18号 - 佐久市下越589番地24
- 臼19号 - 佐久市下越589番地25
- 臼20号 - 佐久市下越589番地26
- 臼21号 - 佐久市下越589番地27
- 臼22号 - 佐久市下越589番地28
- 浅1~8号 - 佐久市矢島88番地
- 浅9~10号 - 佐久市矢島88番地
同和対策集会所・教育集会所
- 安曇野市豊科解放館 - 安曇野市豊科田沢4917番地1
- 安曇野市豊科町通り人権教育集会所 - 安曇野市豊科高家6382番地3
- 安曇野市穂高人権教育集会所 - 安曇野市穂高5716番地1
- 安曇野市堀金人権教育集会所 - 安曇野市堀金烏川4214番地1
- 安曇野市明科学習センター - 安曇野市明科中川手2914番地1 安曇野市教育委員会庁舎内
- 上田市緑が丘西同和地区集会所 - 上田市緑が丘三丁目17番22号
- 上田市中之条同和地区集会所 - 上田市中之条38番地1
- 上田市伊勢山同和地区集会所 - 上田市上野2221番地1
- 上田市中吉田同和地区集会所 - 上田市芳田2220番地4
- 上田市矢沢同和地区集会所 - 上田市殿城800番地1
- 上田市東前山同和地区集会所 - 上田市前山107番地1
- 上田市浦野同和地区集会所 - 上田市浦野291番地3
- 上田市辰ノ口同和対策集会所 - 上田市東内236番地1
- 上田市武石同和対策集会所 - 上田市下武石458番地8
- 大町市同和教育集会所(現存せず) - 大町市常盤清水3601−18
- 小諸市四ツ谷集会所 - 小諸市大字柏木313番地の5
- 小諸市荒堀集会所 - 小諸市加増一丁目11番3号
- 小諸市平原集会所 - 小諸市大字平原739番地の1
- 小諸市一ツ谷集会所 - 小諸市大字御影新田1420番地の2
- 小諸市御影集会所 - 小諸市大字御影新田2090番地の3
- 小諸市与良集会所 - 小諸市甲1533番地の7
- 小諸市上坂集会所 - 小諸市大字加増715番地の1
- 小諸市加増集会所 - 小諸市大字加増823番地の15
- 佐久市北口集会所 - 佐久市平賀3511-4
- 佐久市内山集会所 - 佐久市内山5899-1
- 佐久市大和町集会所 - 佐久市岩村田3400-1
- 佐久市上平尾集会所 - 佐久市上平尾793-1
- 佐久市常和集会所 - 佐久市常和2826-3
- 佐久市荒田集会所 - 佐久市小田井1201
- 佐久市香坂集会所 - 佐久市香坂3113
- 佐久市岸野集会所 - 佐久市根岸203-2
- 佐久市野沢集会所 - 佐久市野沢130-1
- 佐久市下越同和教育集会所 - 佐久市下越589-29
- 佐久市住吉同和教育集会所 - 佐久市臼田645-1
- 佐久市上原南コミュニティセンター - 佐久市甲341-1
- 佐久市上原同和教育集会所 - 佐久市甲905-1
- 佐久市鶴沼コミュニティセンター - 佐久市矢島108
- 佐久市協東集会所 - 佐久市協和2450
- 佐久市小平集会所 - 佐久市協和13-1
- 佐久市古道集会所 - 佐久市望月725-1
- 同和対策福島集会所(現存せず) - 須坂市福島139-6
- 千曲市大宮集会所 - 千曲市大字雨宮2番地1
- 千曲市志川集会所 - 千曲市大字八幡2506番地5
- 千曲市中河原集会所 - 千曲市大字森709番地3
- 千曲市上山田集会所 - 千曲市大字力石1316番地1
- 東御市同和集会所西宮集会所 - 東御市祢津2202番地
- 東御市同和集会所加沢集会所 - 東御市常田103番地2
- 東御市同和集会所田中集会所 - 東御市田中241番地5
- 長野市上駒沢人権同和教育集会所 - 長野市大字上駒沢361番地の1
- 長野市浅川西条人権同和教育集会所 - 長野市浅川西条597番地
- 長野市篠ノ井中央人権同和教育集会所 - 長野市篠ノ井御幣川478番地2
- 長野市上町人権同和教育集会所 - 長野市篠ノ井塩崎2614番地
- 長野市篠ノ井人権同和教育集会所 - 長野市篠ノ井岡田1988番地1
- 長野市上石川人権同和教育集会所 - 長野市篠ノ井石川978番地
- 長野市松代人権同和教育集会所 - 長野市松代町西条3875番地の1
- 長野市金井山人権同和教育集会所 - 長野市松代町柴453番地の4
- 長野市大室人権同和教育集会所 - 長野市松代町大室663番地の2
- 長野市綿内人権同和教育集会所 - 長野市若穂綿内8708番地の4
- 長野市町川田人権同和教育集会所 - 長野市若穂川田2778番地の1
- 長野市川中島人権同和教育集会所 - 長野市川中島町原177番地
- 長野市綱島人権同和教育集会所 - 長野市青木島町綱島253番地の1
- 長野市田牧人権同和教育集会所 - 長野市稲里町田牧967番地1
- 長野市浅野人権同和教育集会所 - 長野市豊野町浅野802番地2
- 長野市豊野人権同和教育集会所 - 長野市豊野町豊野361番地
- 同和集会所 - 長野市中条2451-5
- 中野市南部同和教育集会所 - 中野市大字新野476-2
- 中野市北部同和教育集会所(現存せず) - 中野市大字金井57-1
- 中野市西部同和教育集会所(現存せず) - 中野市大字片塩348-1
- 松本市同和教育集会所 - 松本市大字笹賀4317番地の1
- 坂城町南条集会所 - 埴科郡坂城町大字南条2086番地の3
- 坂城町上平集会所 - 埴科郡坂城町大字上平434番地の1
- 坂城町網掛集会所 - 埴科郡坂城町大字網掛453番地
- 坂城町坂城集会所 - 埴科郡坂城町大字坂城10213番地
- 辰野町同和教育集会所 - 上伊那郡辰野町大字伊那富2687番地の3
- 御代田町同和教育集会所 - 北佐久郡御代田町大字馬瀬口829-1
- 佐久穂町同和教育集会所 - 南佐久郡佐久穂町大字高野町401番地1
- 小布施町中央同和対策集会所 - 上高井郡小布施町大字小布施593番地1
- 小布施町雁中同和対策集会所 - 上高井郡小布施町大字雁田455番地1
- 高山村堀之内地区同和対策集会所 - 上高井郡高山村大字高井35番地4
- 高山村紫地区同和対策集会所 - 上高井郡高山村大字高井5114番地2
- 高山村黒部地区同和対策集会所(現存せず) - 上高井郡高山村大字高井二ツ石4497-4
- 高山村牧地区同和対策集会所(現存せず) - 上高井郡高山村大字牧1840
- 高山村桝形地区同和対策集会所(現存せず) - 上高井郡高山村大字中山桝形1960-1
- 山ノ内町同和教育集会所 - 下高井郡山ノ内町夜間瀬2511-1
関連団体
- 部落解放同盟長野県連合会 - 長野市中御所3-2-22 国労長野会館内
- (旧)長野市南長野妻科419 長野県庁妻科庁舎内 上記所在地に移転
- 部落解放同盟長野県連合会望月支部 - 佐久市望月471−12
- 部落解放同盟望月協議会事務局 - 望月町(現佐久市)望月313-4
- 部落解放同盟浅科支部事務局 - 浅科村(現佐久市)甲上原809
- 部落解放同盟上田市協議会・上小地区協議会 - 上田市常磐城1-2-5
- 部落解放同盟小諸市協議会 - 小諸市荒町1丁目7−3
- 部落解放同盟佐久市協議会 - 佐久市岩村田543
- 部落解放同盟佐久支部協議会事務局 - 佐久市瀬戸1179-2
- 部落解放同盟佐久地区協議会 - 佐久市岩村田荒宿543
- 部落解放同盟上小地区協議会 - 上田市常磐城1丁目2-5
- 部落解放同盟丸子町協議会 - 丸子町(現上田市)上丸子1544-4
- 部落解放同盟坂城町協議会 - 坂城町大字網掛453
- 部落解放同盟飯山市協議会 - 飯山市大字静間1305-1
- 部落解放同盟須坂市協議会 - 須坂市大字井上2206-6
- 部落解放同盟須高地区協議会 - 須坂市井上2077
- 部落解放同盟御代田町協議会 - 御代田町馬瀬口829
- 部落解放同盟中南信地区協議会 - 塩尻市大字洗馬下小曽部7099-9
- 部落解放同盟中南信地区物資販売センター - 松本市大字笹賀5997-1
- 部落解放同盟中南信地区物資販売センター - 松本市大字神林3927-8
- 部落解放同盟長野市協議会・北信地区協議会 - 長野市若里375
- 自由同和会長野県本部 - 松本市惣社512-1
- 全日本同和会長野県連合会本部(『解放新聞長野版』1978年8月3日号には「去る7月13日松尾会長ら幹部十数名が20名近い行動部隊を引き連れ「同和会を認めろ」と知事に面会を求めたが、県内の被差別部落民は一人もいなかった。」とある。 ) - 松本市野溝木工1丁目8-43
- 全日本同和会長野県連合会本部 - 松本市芳川村井町255-5
- 全日本同和会小諸支部 - 小諸市加増823-15
- 全日本同和会長野県連合会中野支部 - 中野市小田中1005-92
- 長野人権連 - 松本市神林2640-2 佐々木保好方
- 部落解放推進の会長野県本部(1978年から2006年にかけて存在した部落解放同盟長野県連合会からの分裂組織。当初「部落解放同盟長野県連刷新の会」を名乗る。 ) - 長野市鶴賀田町2119玉木ビル3F
- 部落解放推進の会須坂市協議会
- 部落解放推進の会上田市協議会 - 長野県上田市中央西1-14-27
- 部落解放推進の会小布施町支部
- 部落解放推進の会松本市協議会
- 部落解放同盟全国連合会長野県連合会
- 部落解放同盟全国連合会篠ノ井支部
白山神社
- 小諸市加増1丁目5-15(小諸市加増荒堀1356)
- 佐久市常和岩久保2439
- 佐久市岩村田古城3449
- 佐久市協和下高呂2491
- 佐久市協和五反田6492
- 佐久市望月233(1935年頃に合祀して大伴神社)
- 佐久市瀬戸1625-3
- 茅野市豊平ひるさわ3154-イ-1
- 茅野市湖東氏神3020
- 長野市川中島町原486(1935年頃に世茂井神社と合祀)
- 長野市伺去真光寺
- 長野市浅川清水
- 長野市西長野本郷東432-1
- 長野市篠ノ井岡田深町(祠のみ)
- 大町市平前畑2564
- 須坂市井上北町2204-3(以前は氏神として野庄地籍に白山大権現として祀られていたが、1922年に改めて白山神社として現在地に移された)
- 須坂市亀倉亀倉町
- 塩尻市洗馬40
- 飯田市滝の沢6684(飯田市上飯田6684、白山社里宮)
- 飯田市上飯田1172-2
- 飯田市下久堅丙1245
- 飯田市竜江字対座8753
- 飯山市静間
- 伊那市伊那林字宮林809
- 伊那市高遠町西高遠1594
- 伊那市高遠町勝間峠下2
- 伊那市西春近白山沢670
- 伊那市東春近田原4280
- 伊那市手良野口2514(八幡神社に合祀)
- 上田市緑が丘3-12
- 上田市緑が丘2-8-7
- 上田市上田二ノ宮508(白山比咩神社)
- 上田市真田町長4473(山家神社)祭神の一つが菊理媛神。
- 上田市真田町本原刷毛田582
- 上田市芳田宮ノ上1045
- 松本市庄内1(秋葉神社などと合祀)
- 松本市里山辺558
- 松本市里山辺3416-ロ
- 松本市島内北沢5963
- 松本市梓川倭宮尻79
- 千曲市雨宮1(雨宮神社と合祀)
- 中野市栗林西原一(白山姫神社)
- 中野市桜沢原1075(白山姫神社)
- 中野市上今井
- 安曇野市三郷小倉宮ノ久保3362
- 安曇野市明科中川手白山5783
- 東筑摩郡筑北村東條1725ロ-1
- 北安曇郡池田町会染8652(1909-1910年頃に諏訪神社と合祀)
- 北佐久郡御代田町馬瀬口
- 上伊那郡箕輪町中箕輪5291
- 上伊那郡中川村上片桐字山ノ神7177
- 下伊那郡阿南町富草887
- 木曽郡大桑村殿延沢1755-1
- 木曽郡大桑村野尻宮ノ尾568
- 木曽郡南木曽町読書与川741
- 木曽郡木曽町福島新開7553-イ
- 上高井郡小布施町小布施福原
- 下高井郡野沢温泉村横落
27 juillet 2017
POP TATARI
八部衆の一人は「緊那羅」の事を指しており緊那羅は「人非人」とも呼ばれている。つまり、橘逸勢は反逆罪という罪を犯し、仁明天皇に「非人」となれと命じられてと非人となり、伊豆に流刑された。別段ここから察するも何も、差別概念はない。
「非人」は、形成期の頃は検非違使の管轄下で主に「囚人の世話、死刑囚の死刑、罪人宅の破却、死者の埋葬、死牛馬の解体、街路の清掃、井戸掘り、造園、街の警備」など排他的特権的に従事しており、また、悲田院や非人宿(1)に収容された事から病者〔ハンセン病〕や障害者の世話も引き受けた地域や集団もあり、芸能も非人とされ、芸能史の一翼を狙っていた。しかし、次第に癩病〔ハンセン病〕、障害者も非人と呼ばれるようになる。
中世前期は人々が畏れ忌避した業務に携わっていた非人であるが、中世後期に人々の感覚が次第に「畏れの忌避」から「穢れ(触穢(2))」の忌避」に変遷すると共に、非人に対する捉え方も畏怖視から卑賤視へと変遷していったとされる。
実際に鎌倉時代には叡尊や忍性による悲田院の再興を受けて西大事真言律宗の元に組織化されたり、一遍の時宗と共に遊行する者もいた。中世の非人の多くは異形(蓬髪(ほうはつ)・顎鬚(あごひげ)・童姿(わらわすがた)等)の者であった。やがて川原者(3)・無宿者などを指すようになった。このような経緯を経て、江戸時代には身分や居住地域・従事職能等が固定化された。
こうして、江戸時代には賤民身分の呼称となる。公家や医師や神人等と同様にあくまでも身分制度上の身分とされ、人別帳の枠内にある。
この点、身分制度外に位置付けられ江戸時代から人別帳外で無籍の山窩(4)(サンカ)等とは異なる。ただし、サンカとの違いは流動的なもので、非人が流浪生活に入ってサンカとなり、逆にサンカが被差別部落に定住して非人となる例がいつの時代にもあった。1910年に山梨県御坂峠で強盗殺人を働き死刑となった松沢熊吉も、愛知県西加茂郡の非人系の特殊別部落に生まれ育ち、のちに漂泊民となってサンカ化した者とされている。
さらに多数説によると、非人は「下人」といわれた不自由民・奴隷とも全く異なる存在であるとする。
25 juillet 2017
POP TATARI
長野県
概況
長野県の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1907年 | - | 2786 | 17627 |
1921年 | 288 | 3200 | 19263 |
1935年 | 333 | 3956 | 24036 |
1942年 | - | 2548 | 15115 |
1946年 | - | - | 22221 |
1958年 | 322 | 4381 | 33106 |
1963年 | 260 | 37742 | 地区全体172838、同和関係23234 |
1967年 | 207 | 地区全体9972、同和関係4494 | 地区全体43936、同和関係20375 |
1971年 | 230 | 地区全体12700、同和関係4443 | 地区全体52950、同和関係19127 |
1975年 | 269 | 地区全体49878、同和関係5509 | 地区全体182143、同和関係22347 |
1985年 | 270 | 地区全体50321、同和関係5518 | 地区全体183860、同和関係22392 |
1993年 | 254 | 地区全体68045、同和関係4596 | 地区全体213819、同和関係15849 |
本県の同和地区は文献(差別とのたたかい 部落解放運動20年の歩み)や、(同和教育長野)からその多くが明らかになっている。
島崎藤村の「破戒」で有名な県であり、多くの同和地区を抱えるが、特徴としては、少数世帯の同和地区が多く、50世帯を超えるような大きな地区はあまり多くないことと、数世帯からなるような地区であれば、他県であれば消滅して忘れ去られることが多いと思われるところ、そのような地区も文献に残されていることである。
ただし「破戒」の瀬川丑松のモデルとなった大江礒吉の出身地区である下伊那郡伊賀良村下殿岡区(現・飯田市下殿岡)は『全国部落調査』にも『差別とのたたかい』にも記載が無い。祖父仙之助は猿牽、父周八は春駒を生業とする門付芸人で、大江朝臣千里の子孫を自称していた。大江家の旧身分については穢多とする資料もあれば、番太の血筋とする資料もあり、「非人系の被差別民であって村に二戸だけであった」とする資料もある。青木孝寿は礒吉の父について「宗門帳では『下役』『筰(ささら)』『猿牽』などと記された。父は3か村の警備をしたり、正月の祝福芸能『春駒』をもって門付けをしたというから、番太(非人)であろう」と述べている。大江家の祖先が穢多や非人ではなかったとすると、雑種賎民であるために調査から漏れたとも考えられる。
原田伴彦は「信州では300ヵ所、2万数千人という部落があるが、少数点在ながらほとんど北信地域に集中していて南信は非常に少ない」と、発言している。
柴田道子によると、長野県下の部落数は5世帯以上の地区に限定しても300余、6000世帯、約5万人。小さな部落は2-3戸で、5-6戸から10数戸の地区が圧倒的に多い。県下最大の部落は小諸市加増の182戸。100戸以上は、加増を除くと佐久市岩村田大和町のみ。一番古い部落は元禄時代(1688年から1704年まで)に起源を持つ。成立の立地条件は、下記の4種に分類される。
- 城下町の部落。松代、上田、小諸、松本、諏訪、高遠など。城主の要請により、皮革業など武具製造や雑役労働に従事し、城下の治安維持にあたった。
- 神社仏閣に依拠する部落。善光寺など。寺や神社の庭師その他の雑役に従事。
- 川筋の部落。天竜川、千曲川、犀川などの川筋に分布。主に船頭を務めた。
- 街道筋の部落。数の上で最多。北国街道や中仙道などの宿駅や要所に置かれた。
小諸市内の同和地区は1978年5月1日の調査で8地区あり、世帯数は約370、人口約1400人。中でも県下最大の被差別部落は小諸市加増にあり、戸数は183戸である。地元の部落姓は「高橋」であり、小諸東小学校6年生の児童が1984年6月に「高橋と言う名字は部落だよなあー」と発言して問題になったことがある。 この地区は別名「荒堀」ともいい、江戸時代には「向町」「穢多町」と呼ばれており、島崎藤村『破戒』の舞台となった。
中野市には4世帯から21戸まで8ヶ所の同和地区があり、全てを合わせても100世帯未満で、人口も400人あまりである。
小布施町には5戸から20戸まで6ヶ所の同和地区があり、合計約80戸ある。
望月町(現・佐久市)には同和地区が3ヶ所あり、1978年4月当時、世帯数はそれぞれ85、65、21であった。町内の被差別部落民の総人口は641人である。
長野県の被差別部落に特徴的な名字には、土手下、橋脇、須加尾、風呂下などがある。ただし土手下姓や風呂下姓は2000年版以降の電話帳によれば長野県に1世帯も登録がなく、改姓した可能性がある。中山英一によると、風呂下姓は「S・R部落の人の名字」、土手下姓は「T・T部落の名字」、須加尾は「M・R部落」の名字であるという。M・Rは紫。T・Tは豊野町豊野四丁目、S・Rは白鳥の可能性がある。
なお長野県では高橋姓が被差別部落に顕著に偏って分布しており、県内で最も高橋姓が多い地区トップ20のうち14地区までを被差別部落を含む地域が占めている。2000年版の電話帳によると、内訳は以下の通りである(★が被差別部落を含む地域)。
- 87世帯 - ★長野県 小諸市 加増
- 51世帯 - 長野県 小諸市 耳取
- 43世帯 - ★長野県 南佐久郡臼田町 下越
- 42世帯 - ★長野県 南安曇郡三郷村 明盛
- 42世帯 - ★長野県 南安曇郡穂高町 北穂高
- 42世帯 - ★長野県 飯山市 常郷
- 40世帯 - ★長野県 佐久市 内山
- 39世帯 - ★長野県 下水内郡豊田村 上今井
- 39世帯 - 長野県 長野市 三輪
- 38世帯 - ★長野県 小諸市 甲
- 37世帯 - ★長野県 佐久市 小田井
- 34世帯 - ★長野県 飯山市 常盤
- 32世帯 - ★長野県 佐久市 平賀
- 31世帯 - ★長野県 長野市 吉田
- 30世帯 - ★長野県 上水内郡豊野町 豊野
- 28世帯 - 長野県 長野市 上松
- 25世帯 - ★長野県 埴科郡坂城町 坂城坂端
- 24世帯 - 長野県 中野市 田麦
- 22世帯 - 長野県 南安曇郡豊科町 田沢徳治郎
- 22世帯 - 長野県 小県郡青木村 村松
佐久水平社の創立大会(1924年10月7日)に出席した水平社役員は以下の通りであった。
- 司会者 高橋末次郎
- 大会議長 高橋市次郎
- 大会副議長 高橋岩之助
- 書記 高橋修峯
- 書記 高橋栄治
- 会場係 高橋義治
- 受付係 高橋角市
- 受付係 高橋富太郎
松本清張は1957年の長編小説『眼の壁』で糾弾されたが、このとき部落解放同盟から最も問題視されたのは、作中の犯人が長野県の部落(長野県南佐久郡牧口村字平野。村名以下は架空の地名)出身の高橋音次という部落民だったことである。松本によると「こちらは偶然なんですが、これは(長野県の部落姓のひとつが高橋であることを─引用者注)調べて書いたのだということになって、まず第一番に心証を悪くしたんですね」という。糾弾の結果、清張は高橋音次を梅村音次と改め、地名も長野県南佐久郡春野村字横尾(やはり村名以下は架空の地名)と改めた。
「私たちは寮生活でしたが、長野県からは割合多勢来ていました。成沢とか高橋とか吉沢というとすぐ部落だとわかってしまったようですが」と『部落』1967年第19巻第8~14号にある。ただし成沢姓は一般にもあり、1930年から1938年まで上田市の市長をつとめ、信濃同仁会会長をつとめた成沢伍一郎も一般民である。ただし信濃同仁会副会長の成沢勇(上田市議)は部落民であった。一般の場合はナリサワ、部落の場合はナルサワと読むとの説もあるが、柴田道子はこれを詭弁としている。
小諸市加増部落の高橋弥右衛門家の由緒書によると、祖先は京都の四条に住んで藍作りをしていた高橋又次郎であるという。また、千曲市戸倉部落の高橋又一家の由緒書によると、祖先は京都の四条に住んで藍作りをしていた高橋弥治郎家重であるという。千曲市雨宮の小山辰雄(小山佳堂)家の伝承によると、同家の祖先は難波で農具を作っていたが古代社会の崩壊とともに木曽に移り、やがて木曽義仲に仕官。義仲に仕えた白斎の長男の高橋杢右衛門が千曲市雨宮に、次男の高橋彦右衛門が千曲市桑原に、三男の高橋久治が千曲市稲荷山湯の崎に住み着き、杢右衛門の子孫は川中島の合戦以後に一時住んでいた須坂の字小山に因んで小山と改姓したという。なお杢右衛門の娘は越後高田の紫七郎左衛門影遠(上杉家の家臣)に嫁いでいる。
地元の古老の高橋国松が伝えるところによると、小諸市加増部落の元は下記の4軒である。
- 高橋弥右衛門家 - 代々、部落の頭を務める。明治時代まで弥右衛門を襲名。祖先は地侍だったという。
- 高橋半衛門家 - もとは上州高岡(富岡あるいは高崎の誤り?)の家老の息子だが不義により打ち首になるところを逃亡し、佐久の与良家の食客を経て小諸に定住。
- 「和志夫さんのところ」 - 佐久市中佐都の赤岩から来住。トメ屋の屋号を持つ。祖先は地侍か百姓。1971年の段階で「数年前に苗字をかえました」という。なお、加増荒堀の区長(かつ部落解放同盟加増支部初代専任支部長。父は朝倉重吉の義兄)に柴田和志夫の氏名がある。
- 「明さんの先祖」 - 神主の子孫。
中山英一は『差別をのりこえて』の中で長野県や近県の部落関係者の実名と出身地と経歴を顔写真入りで公表している。なお、同書の取材者も被取材者も部落解放同盟員であるから、これはアウティングではなく自発的なカミングアウトである。
- 竹内弘子(上田市)小県郡和田村の通称「とりばら」部落出身。
- 飛田雅光・飛田一子(上山田町)夫は一般民、妻は力石部落出身。
- 小林徳雄(中野実高3年)・古川純子(長野西高2年)両親ともに部落民。
- 深井計美(丸子町)
- 島原いさみ(高山村)夫は家畜商。
- 小森みゆき(須坂市)
- 竹内あや子(塩田町)
- 高橋まさ子(佐久市)夫は一般民。
- 林都喜野(坂北村)
- 伊藤寅治(牟礼村)
- 小山佳堂(本名は小山辰雄、更埴市)雨ノ宮部落出身。
- 荒井糸枝(須坂市)長野市西長野の屠場の番小屋の生まれ、二睦部落在住。
- 萩原みな子(豊野町)
- 横水肇(松本市)
- 星沢一二美(妙高高原町田口在住)夫の実家は長野市若穂矢原。なお夫は従兄にあたる。
- 高橋角市(小諸市加増483)明治40年1月13日生まれ。
- 山下恵美子(小布施町)昭和29年8月10日、小布施町雁田生まれ。
- 原けさの(松本市寿区寿団地)南安曇郡豊科町田沢部落出身。
- 高木千恵子(松本市)島内部落出身。
- 成沢勝(浅科村栗林)
- 小林健(中野市)部落解放同盟中高地区青年部結成者の一人。妻は一般民。
- 石井美知子(上田市)上田市の部落解放同盟青年部員。父は一般民。母が部落民。
- 川谷せん(飯山市)
- 小林美子(中野市)上記の小林健の妻。一般民。
- 加藤光子(長野市)南佐久郡臼田町勝間部落生まれ。父の郷里の佐久町高野町で育つ。夫は長野市松代の部落民。
- 高橋恵津子(望月中2年)・高塚弘子(望月中2年)部落民宣言を行った。
- 山口節子(小布施町雁田在住)新潟県長岡市生まれ。一般民。夫が部落民。
- 都筑はつね(中野市平岡在住)部落民。
- 高野政夫(部落解放同盟浅科支部長)
- 高橋より子(臼田町)
- 小林邦男・小林洋子・小林孝行(小布施町)邦男は部落民。洋子は一般民。孝行は両者の息子。
- 小山啓子(長野市篠ノ井)上石川で食肉販売をしている。出身地は小諸の荒堀部落。父は解放同盟長野県連委員長の高橋利重、おばは水平社の高橋くら子。
- 高橋房治(小諸市)明治35年2月11日生まれ。荒堀部落の人。
- 宮川俊子(更埴市)上田市の塩田、東前山の生まれ。いとこと結婚し、更埴市の八幡に嫁ぐ。
- 高橋新(上田市)本籍は別所温泉。戸倉温泉の肉屋の生まれ。
- 金沢養子(中野市)一般民。部落民と結婚。
- 小橋鉄次(豊田村)村会議員を一期つとめた。
- 野竹虎二(のだけ・とらじ。山ノ内町北落合在住)大正3年生まれ。
- 高橋藤一(飯山市静間在住)昭和42年から保健所で野犬殺しの仕事をしている。
- 高木祖代子(埴科郡坂城町坂端在住)小県郡西塩田村生まれ。いとこと結婚。
- 丸山勝正(上田市の大星神社の近くに在住)昭和18年、東京神田生まれ。父が東部町の田中部落出身。妻は一般民。
- 荒井よし子(佐久市中込在住)父は三井村香坂出身。
- 坂内百代(中条村在住)長野市篠ノ井上石川生まれ。隣家の男性の紹介により東京で女中をしていたとき、その男性から「長野県の人もあの家へ訪れることがあるから、あんまり自分の名字を言うんじゃないぞ」と、部落民であることを隠すよう戒められたという(ただし当時は旧姓。旧姓は不明)。夫は兄嫁のいとこ。
- 小林哲子(中野市)東筑摩郡坂北村生まれの部落民。一般民だと思って結婚した相手が部落民であると後に判明した。
- 小林けさ子(中野市新野在住)信州新町の日原生まれの一般民。夫の小林義徳が部落民。
- 深井弥吉(丸子町辰ノ口部落在住)大正5年生まれ。地元の部落の頭(かしら)筋の家系で、自宅は500坪、築250年。父は長野県水平社で活動。母は上諏訪の部落出身。
- 村沢はるゐ(富山市)富山市内の約30戸の部落(うち解放同盟員は20戸)に住む。死別した夫は一般民。「一番腹が立つことは私の親類で部落出身ですが、ある大会社の社長がいます。その人は外国からの大統領を招き握手をしたり金を使ったり、その会社のCMを見ると無性に腹が立ってくるんです」と発言している。YKKの吉田忠雄のことか。北孔介『放置された1000部落』9-10頁にも「富山市内のTS町」(田双町)在住の村沢という夫婦が登場するが、同一人物かどうかは不明。同書10頁によると「村沢さんの両親は、このTS町と通婚のあった、富山県内のU町からここに移り住みました」という。U町は吉田忠雄の出身地の魚津である可能性あり。
- 白川吉春(上越市北本町4丁目出身・在住)
『全國部落調査』にも『差別とのたたかい 部落解放運動20年の歩み』にも掲載のない地区として、下高井郡山ノ内町北落合(旧称、須賀川=すがかわ)がある。中山英一が「私どもの経験ですが、須賀川と聞いただけで、何か大変な所、山の中の、貧しくて無教養で、ボロ家で竹細工をしているなどと悪いことづくめ(ママ)の所という偏見で受け止めていました」と暴露している。2016年現在、山ノ内町に北落合の地名はないが、2000年電話帳には山ノ内町表落合(山ノ内町夜間瀬表落合とも表記)10064に野竹虎二と同姓同名の登録がある。須賀川では同じ部落内での近親婚が多かったことを野竹が認めている。
信州の部落分布について、成沢栄寿は以下の3点を謎としている。
- 東北信の主要街道に限っても、たとえば、小部落が少数ではあるけれども、北国街道の北部の山間部に点在しており、中山道の追分以東や和田以南、佐久甲州街道の高野町以南に存在していないようなのはなぜか。同じく手馬による物資運搬がさかんにおこなわれた大笹街道に部落がみられず、万座峠を越える往還や佐久甲州街道から内山峠・田口峠を越えて上州へ通ずる峡谷には小部落があるのはなぜか。
- 南信、ことに伊那谷において、御館・被官という中世的な隷属的な支配・被支配関係が近世になってもあまり払拭されずに濃厚に残存したことが、部落が比較的少ないことと関係があるのか、どうか。
- 木曽谷に、なぜ部落が皆無に近いのか。木曽は、周知のように、古代においては美濃に属し、中世には信州の一部とされたが、公式に編入されたのは元禄期のことであり、領有関係では、豊臣秀吉、ついで徳川家康の蔵入地であったが、大坂夏の陣後、尾張徳川氏の藩領となり、木曽氏の旧臣であった山村氏が、家康以来、木曽代官として、山林支配その他を担当した、いわば、特殊地域であった。そうした事情と未解放部落が極端に少ないこととは、何らかの関係があるのか、どうか。
文献
全國部落調査(1933年)
長野縣 昭和八年六月現在
この調査で県内の主業が全て「農業」と記載され、皮革業が一件もないことに対し、渡辺広は「勿論この調査は精密なものではない。例えば『破戒』で有名な長野県の部落の職業欄には、全部を農と書いてある。全く義理で書いたとしか思われない」と批判しているが、江戸時代には皮革業を各地の穢多頭が独占し、他者の参入を排除した史実があり、また「長野県の同和地区現地研修記」には「信州にはこれといった部落産業はなく、せいぜい小諸と長野に皮革業があったぐらいである」とある。
「全國部落調査」に記載のある市町村のうち、岡谷市、駒ヶ根市、飯田市、諏訪郡、上伊那郡箕輪町、下伊那郡、木曽郡、上水内郡信濃町に於いては同和事業が実施されなかった。
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
南佐久郡 榮村 | 髙野町区 | 二三 | 一〇七 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 中 | 南佐久郡 佐久穂町 高野町 相生町 | 俗称「下庭」。伊早坂姓1件、2000年電話帳。「この宿場部落は群馬県の下仁田から派遣されてきた。本家筋の姓は伊早坂で、下仁田にも伊早坂がある。江戸の中期に来たものと思われ、大本家は300年ぐらいつづいているといっていた。十手を預かって、牢番に従事していたという」との伝承あり。1931年頃に「伊早坂という名が当時いろいろと新聞沙汰になるので」との理由で伊早坂から改姓した例あり。伊早坂姓は裁判所に「部落人に特殊な氏」と認められた例がある。 |
〃 〃 | 上区 | 一九 | 九七 | 〃 | 〃 | 〃 | 南佐久郡 佐久穂町 上 久保田 | 部落解放同盟長野県連書記長の中山英一の出身地区。中山の祖先は1738年の名主宛の請書に名が残る穢多の五郎兵衛で、一族は上州の富岡から来住したと伝える。1948年に部落の苗字から改姓するにあたって、村の地主の中山姓を仮冒。中山姓1件。2000年電話帳。旧姓は三文字で、曹洞宗のK寺(おそらく桂霄寺)の住職から命名され、「厄介な者」を意味し、地元では30軒の部落民が名乗っていたが、恐らく日本中にないと思われる珍しい苗字だという。1948年、部落差別を理由に29軒はそれぞれ改姓したが、1軒だけは旧姓を守っている。富岡と佐久地域に共通の三文字の部落姓といえば伊早坂があり、全水の上区代表者に伊早坂勝一や伊早坂光太郎、栄村高野町に伊早坂忠助、栄村代表に伊早坂隆三がいた。また、上区53番地に本籍を置く伊早坂春夫(窃盗罪前科二犯)が1947年に小諸市で強盗殺人事件と脱獄事件を起こしており(のち無期懲役判決が確定)、この事件が1948年の集団改姓の原因となった可能性が高い。「厄介な者」を意味するかどうかは要検討ながら、伊早坂は「いささか」とも読め、「伊佐坂難物」的な発想で「厄介な者」のニュアンスを込めたと解釈できなくもない。 |
〃 平賀村 | 瀬戸 | 九 | 五五 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 瀬戸 西耕地坂上 | 俗称「新田」。瀬戸に高橋姓13件。2000年電話帳。大川隆法にも影響を与えた新興宗教団体GLA開祖の高橋信次の出身地区。瀬戸水平社の同人に高橋市次郎や高橋豊一の氏名あり。元は小諸市加増から分かれて成立した地区。長吏系部落民同士でありながら佐久市平賀北口とは非常に仲が悪く、婚姻関係がない。高橋市次郎の生地は瀬戸1626番地。 |
〃 〃 | 常和 | 八 | 三三 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 常和 常和南 | 常和に高橋姓13件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 平賀 | 三一 | 一六〇 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 平賀 北口 | 平賀に高橋姓32件。2000年電話帳。長野県水平社の高橋末次郎の出身地区。 |
〃 野沢町 | 本町 | 一七 | 九八 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 野沢 野沢本町 | |
〃 〃 | 原 | 三 | 一三 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 野沢 原 | |
〃 〃 | 髙柳 | 三 | 二二 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 高柳 | |
〃 〃 | 取出 | 三 | 一三 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 取出町 | |
〃 岸野村 | 宮川 | 一二 | 四七 | 〃 | 〃 | 下 | 佐久市 伴野 下県西 | 伴野2136-1に市営住宅宮川団地がある。 |
〃 〃 | 沓沢 | 八 | 三六 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 根岸 沓沢 | 「同じ沓沢でも一般地区は上、中、下とあり、部落はことさら大下(おおしも)とよばれていた」。長野県水平社の高橋長次郎の出身地区。根岸に高橋姓3件。2000年電話帳。入会権問題をめぐる、水平社による集団暴行傷害事件(1936年1月)の舞台。 |
〃 〃 | 竹田 | 七 | 二四 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 根岸 竹田 | |
〃 田口村 | 下越 | 一九 | 九二 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 下越 三反田 | 関東水平社創立大会に、この部落から高橋岩之助と高橋栄次郎、高橋義次郎の3人が出席した。下越に高橋姓43件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 田口 | 一七 | 七九 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 田口 下町 | |
〃 〃 | 淸川 | 一三 | 七〇 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 清川 | 橋脇姓3件。2000年電話帳。 |
〃 臼田町 | 住吉 | 一〇 | 六一 | 〃 | 〃 | 中 | 佐久市 臼田 住吉 | |
〃 〃 | 上緑 | 一 | 五 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 | 昭和八年現在の臼田町域は現在の佐久市臼田、勝間、下小田切のいずれか。上緑の位置は要調査。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
南佐久郡 靑沼村 | 三条 | 三 | 一六 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 中 | 佐久市 入澤 三条 | 水平社に資金援助をした部落出身医師の高橋米田の出身地区。高橋姓6件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 平林 | 四 | 二〇 | 〃 | 〃 | 下 | 南佐久郡 佐久穂町 平林 | |
〃 内山村 | 法歓寺 | 一一 | 八一 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 内山 法観寺 | 法歓寺は法観寺の誤記。訓みは「ほうがんじ」。 |
〃 中込村 | 宮ノ久保 | 二 | 一一 | 〃 | 〃 | 中 | 佐久市 中込 三家 | |
〃 前山村 | 小宮山 | 五 | 三二 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 小宮山 | |
〃 〃 | 前山 | 三 | 一七 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 前山 前山北中 | |
〃 大沢村 | 丸山 | 八 | 六四 | 〃 | 〃 | 下 | 佐久市 大沢 大沢下町 | |
北佐久郡 北大井村 | 加増 | 一二〇 | 六六一 | 〃 | 〃 | 〃 | 小諸市 加増 | 俗称「荒堀」。島崎藤村『破戒』の舞台となった地区。長野県水平社の創立者である朝倉重吉の出身地区(なお重吉は婿養子であり旧姓は不明)。「現在の小諸市加増は、旧北大井村の荒堀・中村および旧小諸町の御幸町の一部を合わせて戸数約300戸の区域であり、そのうち被差別部落の世帯は荒堀区に約168世帯の集団居住のものと、御幸町、南町、中村坂保町に点在するものを合わせて200余戸である」。長野県水平社北大井加増支部の高橋利重や高橋くら子や高橋角市の出身地区。高橋姓83件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 四ッ谷 | 二六 | 一四四 | 〃 | 〃 | 〃 | 小諸市 柏木 四ツ谷 | 柏木に砥石姓7件。2000年電話帳。 |
〃 南大井村 | 平原 | 二七 | 一七四 | 〃 | 〃 | 〃 | 小諸市 平原 下宿 | 永六輔の戦時中の疎開先。 |
〃 小沼村 | 馬瀬口 | 二九 | 一二九 | 〃 | 〃 | 〃 | 北佐久郡 御代田町 馬瀬口 六区 | 俗称「下宿」(しもじく)。小諸市乗瀬の一般民の子孫との伝承あり。馬瀬口に竹内姓33件。2000年電話帳。部落解放同盟御代田町協議会の竹内勲書記長の自宅が馬瀬口841-3にある。また、馬瀬口816付近に白山神社がある。「姓を変えるのは、戦後大層はやった。馬瀬口では数軒変えた。馬瀬口に近い加増でも変えた人が多い」、「姓を変える時、野球、その他スポーツの選手にあやかった例が多いようだ」という。42戸のうち7-8戸が創価学会員で、「苗字を変えている人が学会に入っている傾向が見られた」とも。馬瀬口836番地では竹内姓4軒の中に1軒だけ猪熊姓があるが、竹内から改姓したのかどうかは要検証。 |
〃 御代田村 | 小田井 | 三七 | 一八三 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 小田井 荒田 | |
〃 岩村田町 | 城下 | 六九 | 三八八 | 〃 | 〃 | 中 | 佐久市 岩村田 大和町 | 城下の訓みは「じょうした」。被差別部落の場所は黒岩城の城址の崖下にある住宅密集地域であると『解放新聞』に記載がある。地元の長吏の名は山崎清三郎。部落解放同盟長野県連委員長の山崎翁助の出身地区。山崎姓30軒、2000年電話帳。高橋市次郎の妻のみと(旧姓山崎)の出身地区。 |
〃 小諸町 | 荒町 | 五 | 三四 | 〃 | 〃 | 〃 | 小諸市 荒町 | |
〃 〃 | 御幸町 | 七 | 三九 | 〃 | 〃 | 〃 | 小諸市 御幸町 | |
〃 北御牧村 | 久保尻 | 一一 | 七一 | 〃 | 〃 | 〃 | 東御市 八重原 下八重原 | 八重原2819-3に久保尻地区共同園芸施設がある。八重原に鳴沢姓26件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 浦久保 | 九 | 五二 | 〃 | 〃 | 〃 | 東御市 八重原 浦久保 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
北佐久郡 三岡村 | 市 | 四 | 二五 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 下 | 小諸市 市 | |
〃 髙瀬村 | 三河田 | 一 | 六 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 三河田 | |
〃 中津村 | 御馬寄 | 三 | 一四 | 〃 | 〃 | 中 | 佐久市 御馬寄 | |
〃 平根村 | 上平尾 | 七 | 五二 | 〃 | 〃 | 下 | 佐久市 上平尾 | |
〃 三井村 | ■戸 | 六 | 四六 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 香坂 西地 | 判読不能の字は「戟」に似ている。字に「古戸」あり。 |
〃 南御牧村 | 矢島 | 六 | 三二 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 矢嶋 鶴沼 | |
〃 〃 | 地下 | 二 | 一二 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐久市 八幡 御牧原 | 俗称「栗林」。地下の位置は要調査。八幡に成沢姓8件。2000年電話帳。 |
〃 五郎兵エ新田村 | 池下 | 一四 | 六九 | 〃 | 〃 | 下 | 佐久市 甲 上原 社口 | 村名は「五郎兵衛新田」とも表記。甲上原に高野姓 (「この『高野』は、まちがいなく高野町に由来するするものであろう。つまり、被差別部落の人びとも名主も、部落の先祖は高野町からやってきたことを承知していたことから『高野』という苗字が採用されたものと思われる」。佐久市甲では名主が南佐久郡佐久穂町高野町から高野姓をつけた。『五郎兵衛新田と被差別部落』(斎藤洋一、三一書房、1987)による。 )17件。2000年電話帳。 |
〃 芦田村 | 向町 | 一七 | 六四 | 〃 | 〃 | 〃 | 北佐久郡 立科町 芦田 町区二部 | |
〃 本牧村 | 吹上 | 三五 | 一七二 | 〃 | 〃 | 中 | 佐久市 望月 吹上町 | 望月に清水姓27件。山浦姓14件。森下姓15件。西藤姓6件。高塚姓5件。2000年電話帳。吹上地区の山浦家と清水家は姻戚関係にあり、協東地区の高塚家とも縁続きである。江戸初期の吹上地区には4軒しかなく、それは清水家と森下家だけだった。山浦家は江戸中期に川辺村(現在の小諸市の千曲川以南)から来住したとされる。三家の中では山浦家が最も富裕で明治以降に区議や村議を輩出した。この地区から十数世帯が2キロほど離れた山腹の開墾地「武陵」(佐久市望月字武陵?)に転居。 |
〃 協和村 | 下髙呂 | 四四 | 二八七 | 〃 | 〃 | 下 | 佐久市 協和 協東 下高呂 | 長野県水平社協和高呂支部の高塚幸作や高塚伝右ヱ門の出身地区。協和に高塚姓30件。滝沢姓5件。2000年電話帳。 |
〃 横島村 | 宇山 | 三四 | 一五二 | 〃 | 〃 | 中 | 北佐久郡 立科町 宇山 石川 | 宇山に西藤姓29件。2000年電話帳。伝承によると、西藤家の祖先は北佐久郡立科町芦田古町の斎藤家(一般民)から出ており、西へ来たから西藤になったという。 |
〃 三都和村 | 細谷 | 三六 | 一六九 | 〃 | 〃 | 〃 | 北佐久郡 立科町 桐原 細谷三部 | 桐原に成沢姓7件。2000年電話帳。 |
小縣郡 浦里村 | 浦野 | 一八 | 一二五 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 浦野 | 木藤姓11件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 岡 | 三 | 一九 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 岡 | |
〃 〃 | 仁古田 | 五 | 二九 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 仁古田 | 「全部が高橋姓」と伝えられる。高橋姓2件、南沢姓3件。2000年電話帳。 |
〃 丸子町 | 上丸子 | 二九 | 一六〇 | 〃 | 〃 | 下 | 上田市 上丸子 海戸 安良居町 | 上丸子に成沢姓18件。2000年電話帳。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
小縣郡 別所村 | 湯川 | 二六 | 一四〇 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 中 | 上田市 別所温泉 湯川 | 藤極姓12件。2000年電話帳。 |
〃 西塩田村 | 前山 | 三〇 | 一九二 | 〃 | 〃 | 下 | 上田市 前山 東前山 一区 | 俗称「藤ノ木」。美濃国から逃亡した侍の兄弟の子孫との伝承あり。長野県水平社小県前山支部の竹内万之助の出身地区。竹内姓29件。2000年電話帳。 |
〃 川辺村 | 築地 | 七 | 四三 | 〃 | 〃 | 中 | 上田市 築地 | 堀内姓8件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 新道 | 六 | 三二 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 上田原 川辺町 | |
〃 〃 | 上田原 | 一四 | 八一 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 上田原 | 「二十余軒もあつたものが、今は僅かに四戸であり、何れも苗字は堀内一つであったと云」われる。堀内姓38件。2000年電話帳。 |
〃 縣村 | 田中 | 二四 | 一三四 | 〃 | 〃 | 〃 | 東御市 田中 十区 | |
〃 〃 | 加沢 | 九 | 三五 | 〃 | 〃 | 〃 | 東御市 加沢 | |
〃 〃 | 海野 | 一一 | 五九 | 〃 | 〃 | 〃 | 東御市 本海野 | 「この曲輪は十戸全部成澤姓である」。姓は加賀藩主の参勤交代の際に成沢川が氾濫して通行できなくなった人や荷物を渡したことで賜ったと伝える。成沢姓6件。2000年電話帳。 |
〃 東内村 | 辰ノ口 | 三四 | 二三二 | 〃 | 〃 | 下 | 上田市 東内 辰ノ口 | 1985年8月、第21回長野県同和教育研究会で深井弥吉が述べたところによると、一般を含む辰ノ口の戸数は170、うち部落は67、運動体の組織に入っているのは60。名主の家の資料では1700年ごろ部落の存在が古文書に登場、1800年ごろ約15戸があり「えたや(穢多家)」と記録されている。深井姓11件。2000年電話帳。 |
〃 東里村 | 大日ノ木 | 一六 | 九三 | 〃 | 〃 | 中 | 上田市 芳田 大日ノ木 | 芳田に宮之上姓14件、宮ノ上姓2件。2000年電話帳。白山神社の所在地の字が宮ノ上。 |
〃 〃 | 中吉田 | 九 | 五二 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 芳田 中吉田 下宿 | |
〃 依田村 | 茂沢 | 二七 | 一五四 | 〃 | 〃 | 下 | 上田市 生田 茂沢 | 成沢姓5件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 原 | 六 | 三八 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 御嶽堂 | バス停「原」あり。 |
〃 〃 | 御嶽堂 | 一〇 | 六九 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 御嶽堂 上組 | |
〃 〃 | 三角 | 一一 | 七二 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 御嶽堂 三角 | |
〃 殿城村 | 矢沢 | 二〇 | 九八 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 殿城 矢沢 | |
〃 神科村 | 伊セ山 | 一八 | 九七 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 上野 伊勢山 | 俗称「六班」。上野2221-1に伊勢山第一農機具保管施設がある。上野に白石姓10件。2000年電話帳。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
小縣郡 武石村 | 中島 | 四三 | 二八三 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 下 | 上田市 下武石 中島 | 樋沢姓46件。2000年電話帳。 |
〃 祢津村 | 西町 | 二二 | 一二八 | 〃 | 〃 | 〃 | 東御市 祢津 西宮 向町 | 俗称「城前」。 |
〃 長村 | 眞田 | 一〇 | 四八 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 真田町長 真田 | |
〃 長久保新町 | 第七区 | 二三 | 一〇七 | 〃 | 〃 | 中 | 小県郡 長和町 長久保 | 竹内姓46件、竹之内姓5件。2000年電話帳。自治会の区名に第7区が残っている。長和町7区集会施設は長久保530番地にある。 |
〃 傍陽村 | 曲尾 | 一二 | 八三 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 真田町傍陽 曲尾 | 真田町傍陽に石巻姓4件。2000年電話帳。 |
〃 中塩田村 | 保屋 | 八 | 四四 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 保野 | 保屋は保野の誤記。同地では竹之内姓の住民が明治新姓の際に竹内姓に改姓。竹内姓7件。2000年電話帳。 |
〃 本原村 | 下原 | 八 | 四四 | 〃 | 〃 | 下 | 上田市 真田町本原 下原 | |
〃 塩川村 | 石井 | 三 | 一七 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 塩川 石井 | |
〃 塩尻町 | 上塩尻 | 七 | 三四 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 上塩尻 | 旧小字は「アクサイ」で「阿くさい」とも表記。アクサイという字名はアイヌ語で船着場のような意味との伝承あり。アイヌ語では「渡し場」はアクサウシ。宮原姓6件、うち1件は部落解放同盟上塩尻支部長。2000年電話帳。秋和の宮原家の分家だが、本家との交際はない。もともと上塩尻ではアクサイ部落にだけ1300番台の地番が振られていたが、上田市同和対策課の提案で地番が一部変更された。ただし2000年電話帳を見ると1300番台の住民も現存していることから、すべての住民が地番の変更に同意したわけではないらしいことが推察できる。 |
〃 〃 | 秋和 | 三 | 一二 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 秋和 | 宮原姓5件。2000年電話帳。南北朝の戦争に負けて兄弟で逃げてきた武士の子孫との伝承あり。部落のお頭筋、すなわち小諸の高橋弥右衛門家、諏訪の成沢庄衛門家、松本の井ノ根などと縁組している。 |
〃 和田村 | 上和田 | 一〇 | 六九 | 〃 | 〃 | 中 | 小県郡 長和町 和田原 | 竹内姓7件。2000年電話帳。 |
〃 滋野村 | 朴屋 | 三 | 一六 | 〃 | 〃 | 下 | 東御市 滋野乙 桜井七区 | 朴屋は牧屋の誤記。 |
〃 和村 | 大川 | 五 | 三一 | 〃 | 〃 | 〃 | 東御市 和 大川 | |
諏訪郡 上諏訪町 | 中村 | 三九 | 二一二 | 〃 | 〃 | 中 | 諏訪市 湯の脇 中村 | 1969年に上諏訪の一部から湯の脇が成立。後藤姓36件。成沢姓1件。2000年電話帳。 |
〃 本郷村 | 立沢 | 三 | 一四 | 〃 | 〃 | 〃 | 諏訪郡 富士見町 立沢 | |
〃 平野村 | 岡谷 | 二 | 九 | 〃 | 〃 | 〃 | 岡谷市 | |
上伊那郡 朝日村 | 田町 | 二九 | 二一一 | 〃 | 〃 | 〃 | 上伊那郡 辰野町 平出旭町 田町 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
上伊那郡 伊那富村 | 宮所 | 三八 | 一七五 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 中 | 上伊那郡 辰野町 伊那富 宮所 仮宿 | |
〃 中箕輪村 | 松島 | 一五 | 八二 | 〃 | 〃 | 〃 | 上伊那郡 箕輪町 中箕輪 松島 | |
〃 〃 | 木下 | 一九 | 一〇三 | 〃 | 〃 | 〃 | 上伊那郡 箕輪町 中箕輪 木下 | |
〃 東箕輪村 | 北村 | 七 | 二八 | 〃 | 〃 | 〃 | 上伊那郡 箕輪町 東箕輪 | 北村の位置は要調査。 |
〃 手良村 | 野口 | 一三 | 七八 | 〃 | 〃 | 下 | 伊那市 手良野口 棚沢 | 俗称「後藤の衆」。後藤姓14件。2000年電話帳。宝永年間(1704年から1710年)は伊藤姓だったという。『伊那タイムス』で「部落民は貧しく、卑しく、気が荒く、村民から恐れられている、凍り餅や干し柿を盗んだり、森林盗伐もする。同族結婚が多い」と報じられた地区。 |
〃 〃 | 下手良 | 一二 | 七二 | 〃 | 〃 | 中 | 伊那市 手良沢岡 下手良 辻 | 手良沢岡に西幅姓2件。2000年電話帳。 |
〃 東春近村 | 中殿島 | 四 | 二三 | 〃 | 〃 | 〃 | 伊那市 東春近 中殿島 | |
〃 赤穂村 | 福岡 | 二 | 九 | 〃 | 〃 | 〃 | 駒ヶ根市 赤穂 福岡 | |
〃 髙遠村 | 稲持 | 一五 | 一二八 | 〃 | 〃 | 〃 | 伊那市 高遠町西高遠 稲持( 飯沢匡『権力と笑のはざ間で』17頁に「父(註:伊沢多喜男)が生れた時は、父は城の御門の近くの大屋敷(中略)には居らず、川向う(川とは天龍川であるが)(註:正しくは武家町と町人町を分ける藤沢川)の木町という材木の荷上げ人足たちの居る新開地に強制的に移転させられていたのだ。その木町の隣地には被差別者の集団がいたと父は語っていた」とある。木町の位置は要調査。) | 西沢姓4件。2000年電話帳。 |
〃 上片桐 | 片桐 | 四 | 二八 | 〃 | 〃 | 〃 | 下伊那郡 松川町 上片桐 | |
下伊那郡 市田村 | 上市田 | 一〇 | 六一 | 〃 | 〃 | 〃 | 下伊那郡 高森町 上市田 | |
〃 〃 | 下市田 | 七 | 三七 | 〃 | 〃 | 〃 | 下伊那郡 高森町 下市田 | |
〃 会地村 | 駒場 | 三五 | 一六〇 | 〃 | 〃 | 〃 | 下伊那郡 阿智村 駒場 | |
〃 山本村 | 粂 | 五 | 二九 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯田市 久米 | |
〃 〃 | 山本 | 二 | 一三 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯田市 山本 | |
〃 〃 | 竹佐 | 七 | 四二 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯田市 竹佐 | |
〃 〃 | 二ッ山 | 四 | 二五 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯田市 山本 | 山本6722一帯に市営山本二ツ山団地がある。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
下伊那郡 上飯田町 | 丸山 | 四 | 一八 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 中 | 飯田市 丸山町 | |
〃 上郷町 | 矢崎 | 四 | 二二 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯田市 上郷別府 矢崎 | |
〃 〃 | 渡場 | 四 | 二五 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯田市 上郷別府 渡場 | |
〃 山吹村 | 越田 | 六 | 一四 | 〃 | 〃 | 〃 | 下伊那郡 高森町 山吹 越田 | |
〃 大島村 | 名古 | 二 | 一一 | 〃 | 〃 | 〃 | 下伊那郡 松川町 元大島 | 字に「名子中部」「名子原」あり。 |
〃 鼎村 | 鼎新道 | 二 | 一一 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯田市 鼎西鼎 | 『差別とのたたかい』によると西鼎。 |
〃 下川路村 | 殿村 | 七 | 二八 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯田市 川路 殿村 | |
〃 三穂町 | 立石 | 四 | 二一 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯田市 立石 | |
〃 〃 | 伊豆木 | 一 | 六 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯田市 伊豆木 | |
〃 下久堅村 | 知久平 | 四 | 一四 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯田市 下久堅 知久平 | |
〃 喬木村 | 阿島 | 五 | 四七 | 〃 | 〃 | 〃 | 下伊那郡 喬木村 阿島 | |
〃 河野村 | 北 | 二 | 九 | 〃 | 〃 | 〃 | 下伊那郡 豊丘村 河野 筏 | |
〃 根羽村 | 萬馬瀬 | 一 | 四 | 〃 | 〃 | 〃 | 下伊那郡 根羽村 | バス停に「万馬瀬」あり。 |
〃 座光寺村 | 座光寺 | 五 | 二一 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯田市 座光寺 | |
〃 大下条村 | 平久 | 一 | 五 | 〃 | 〃 | 〃 | 下伊那郡 阿南町 南條 平久 | |
東筑摩郡 里山辺村 | 荒町 | 四一 | 二二五 | 〃 | 〃 | 〃 | 松本市 里山辺 西荒町 | 俗称「西区」。里山辺に布野姓21件。2000年電話帳。 |
〃 岡田村 | 岡田 | 三八 | 二八八 | 〃 | 〃 | 〃 | 松本市 岡田町 下出口 | 岡田町に深井姓21件。2000年電話帳。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
東筑摩郡 上川手村 | 田沢 | 九 | 六〇 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 中 | 安曇野市 豊科田沢 小瀬幅 | |
〃 〃 | 光 | 一三 | 八二 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 明科光 北村 幅 | 明科光に長幅姓15件。2000年電話帳。 |
〃 中川手村 | 塔ノ原 | 二一 | 一五〇 | 〃 | 〃 | 下 | 安曇野市 明科中川手 塔ノ原 町二区 | 1869年に白岩から改姓した家あり。現姓は高原。 |
〃 新村 | 北新 | 一五 | 八四 | 〃 | 〃 | 〃 | 松本市 新村 北新 | 松本市内には北新のほかに下新もあり、両方とも同規模の部落である。 |
〃 〃 | 東新 | 一〇 | 六五 | 〃 | 〃 | 〃 | 松本市 新村 東新 | |
〃 今井村 | 境新田 | 三四 | 一七五 | 〃 | 〃 | 下 | 松本市 今井 境新田 | |
〃 本郷村 | 浅間 | 一三 | 七三 | 〃 | 〃 | 中 | 松本市 浅間温泉 堀道 | 浅間温泉に深井姓20件。2000年電話帳。松本市岡田の部落から分かれて成立したといわれる。祖先は小笠原の家老だったが奥方と不義密通して追放された、または、小笠原分流の豪族である赤沢氏の家来の浅川氏だったが主君の勘気に触れて賤民に落とされたとの伝承あり。 |
〃 錦部村 | 保福寺 | 五 | 三一 | 〃 | 〃 | 下 | 松本市 保福寺町 花見 | 松本市保福寺町の飛び地で松本市殿野入花見に囲繞されている。 |
〃 〃 | 殿ノ入 | 一五 | 一三六 | 〃 | 〃 | 〃 | 松本市 殿野入 花見 | |
〃 〃 | 刈ヶ原 | 一 | 四 | 〃 | 〃 | 〃 | 松本市 刈谷原町 | 刈ヶ原は刈谷原の誤記。 |
〃 会田村 | 下宿 | 一七 | 九三 | 〃 | 〃 | 中 | 松本市 会田 本町 下宿 | 下宿の位置は要調査。 |
〃 生坂村 | 上生坂 | 一一 | 五四 | 〃 | 〃 | 〃 | 東筑摩郡 生坂村 上生坂 原 | |
〃 島内村 | 町区 | 二〇 | 一一五 | 〃 | 〃 | 〃 | 松本市 島内 町区 八幡原 | |
〃 島立村 | 町区 | 九 | 五七 | 〃 | 〃 | 〃 | 松本市 島立 町区 | 「何れも靑山姓である」。青山姓9件。2000年電話帳。 |
〃 和田村 | 和田町 | 一九 | 九一 | 〃 | 〃 | 〃 | 松本市 和田 町区 | |
〃 山形村 | 下竹田 | 一五 | 八九 | 〃 | 〃 | 中 | 東筑摩郡 山形村 下竹田 原町 | 横水姓12件。2000年電話帳。 |
〃 神林村 | 町神 | 一六 | 一二二 | 〃 | 〃 | 〃 | 松本市 神林 町神 | 神林に佐々木姓19件。2000年電話帳。佐々木四郎高綱の子孫との伝承がある。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
東筑摩郡 麻績村 | 上町 | 一九 | 五四 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 中 | 東筑摩郡 麻績村 麻 上町 | 麻8338−1に上町公民館あり。長野市西長野で200年以上続いた太鼓屋である木藤家の親類がおり、木藤からM姓に改めた。2000年電話帳によると、このM姓は前山、宮下、宮尾の可能性あり(各1件)。ただし2000年電話帳には木藤姓も2件ある。 |
〃 坂北村 | 青柳 | 一七 | 一〇四 | 〃 | 〃 | 〃 | 東筑摩郡 筑北村 坂北 青柳 六区 | |
〃 洗馬村 | 原田 | 一五 | 九五 | 〃 | 〃 | 〃 | 塩尻市 洗馬 下小曽部 原口 | 原田は原口の誤記。下小曽部に赤岩姓13件。2000年電話帳。(中江兆民の妻であり丑吉・千美の母である弥子(いよこ)〔松沢ちの〕は洗馬村太田地区出身で、被差別部落民説がある(井上清『部落の歴史と解放理論』))。 |
〃 片丘村 | 北内田 | 二 | 六 | 〃 | 〃 | 〃 | 松本市 内田 | |
〃 塩尻村 | 村田 | 五 | 二一 | 〃 | 〃 | 〃 | 塩尻市 塩尻町 | 村田の位置は要調査。 |
西筑摩郡 上松村 | 上松 | 四 | 二五 | 〃 | 〃 | 〃 | 木曽郡 上松町 上松 | |
南安曇郡 烏川村 | 中堀 | 六 | 三八 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 堀金烏川 中堀 | |
〃 〃 | 上堀 | 三 | 一一 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 堀金烏川 上堀 | |
〃 〃 | 下堀 | 一三 | 七九 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 堀金烏川 下堀 田甫 | 下堀に長巾姓7件。2000年電話帳。 |
〃 明盛村 | 下村 | 四八 | 二六二 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 三郷明盛 一日市場 北村 | |
〃 倭村 | 北大妻 | 一〇 | 六三 | 〃 | 〃 | 〃 | 松本市 梓川倭 北大妻 下村 | |
〃 三田村 | 田尻 | 一 | 五 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 堀金三田 田尻 | |
〃 南穂髙村 | 細萱 | 六 | 二九 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 豊科南穂高 細萱 | |
〃 髙家村 | 眞々部 | 一五 | 八四 | 〃 | 〃 | 下 | 安曇野市 豊科高家 真々部 町通り下町 | |
〃 豊科町 | 新田 | 六 | 二八 | 〃 | 〃 | 中 | 安曇野市 豊科 新田 | |
〃 〃 | 成相 | 三 | 一六 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 豊科 成相 | |
〃 穂髙町 | 上手 | 五 | 三一 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 穂高 | 上手の位置は要調査。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
南安曇郡 穂髙町 | 下手 | 六 | 三七 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 中 | 安曇野市 穂高 | 下手の位置は要調査。 |
〃 北穂髙村 | 靑木花見 | 四 | 二三 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 穂高北穂高 青木花見 | |
〃 有明村 | 耳塚 | 六 | 三一 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 穂高有明 耳塚 | |
〃 西穂髙村 | 新屋 | 四 | 二一 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 穂高柏原 新屋耕地 | |
〃 〃 | 下町 | 二 | 一一 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 穂高柏原 | 下町の位置は要調査。 |
北安曇郡 大町 | 十日町 | 一二 | 六一 | 〃 | 〃 | 〃 | 大町市 大町 五日町 | 十日町は五日町の誤記。 |
〃 常盤村 | 下一本木 | 一三 | 四七 | 〃 | 〃 | 〃 | 大町市 常盤 下一 | |
〃 〃 | 貝原 | 五 | 二八 | 〃 | 〃 | 〃 | 大町市 常盤 泉 貝原 | 常盤泉に芝波田姓5件。2000年電話帳。 |
〃 池田町 | 下町 | 八 | 四三 | 〃 | 〃 | 〃 | 北安曇郡 池田町 池田 一丁目 | |
〃 會染村 | 渋田見 | 一五 | 七四 | 〃 | 〃 | 〃 | 北安曇郡 池田町 会染 渋田見 渋西 | 俗称「田中木戸。「昔、(註:一般地区の)中木戸に山崎という旧家があり、そこから分かれたものだ、という伝承がある」。現姓は伊藤。 |
〃 広津村 | 梶本 | 一 | 八 | 〃 | 〃 | 〃 | 東筑摩郡 生坂村 東広津 梶本 | |
〃 〃 | 南平 | 三 | 七 | 〃 | 〃 | 〃 | 東筑摩郡 生坂村 東広津 南平 | |
〃 陸郷村 | 小泉 | 五 | 三一 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 明科南陸郷 小泉 三区 | |
〃 〃 | 草尾 | 三 | 二三 | 〃 | 〃 | 〃 | 東筑摩郡 生坂村 北陸郷 草尾 | |
〃 松川村 | 板取 | 三 | 一三 | 〃 | 〃 | 〃 | 北安曇郡 松川村 板取 | |
〃 七貴村 | 下押野 | 五 | 二五 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 明科七貴 下押野区 | |
〃 〃 | 荻原 | 六 | 三一 | 〃 | 〃 | 〃 | 安曇野市 明科七貴 荻原区 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
更級郡 中津村 | 南原 | 二〇 | 一二一 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 下 | 長野市 川中島町原 五区 | バス停に「南原」あり。『差別とのたたかい』では川中島町原四区。柴田道子『被差別部落の伝承と生活』231頁に「昔はこの部落の姓は、伊藤だった。中津村南原といっていた頃である。26軒中、25軒が伊藤姓で、1軒が穂積さん(引用者注、明治時代から当地に続く食肉店の主人)の須田である。穂積さんは母方の姓を名乗っている。母親は(長野市若穂)綿内の出で父親は婿に入った」、「明治天皇が善光寺に行幸した時のことである。村に伊藤という財閥がいたが、財閥の伊藤と部落の苗字と同じではまずいという圧力がかかった。それで部落の伊藤姓をこの時に改姓させられた」とある。改姓後の姓は武だった。武姓8件、伊藤姓10件、須田姓なし。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 北原 | 一四 | 六六 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 川中島町原 北原上 | バス停に「北原」あり。 |
〃 力石村 | 力石 | 三〇 | 一七〇 | 〃 | 〃 | 中 | 千曲市 力石 六区 | 力石に高井姓10件。2000年電話帳。 |
〃 村上村 | 上平 | 一二 | 六四 | 〃 | 〃 | 下 | 埴科郡 坂城町 上平 北部 | 上平に朝倉姓13件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 網掛 | 一〇 | 六三 | 〃 | 〃 | 〃 | 埴科郡 坂城町 網掛 新田 | 網掛に朝倉姓12件、沢崎姓6件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 五明 | 三 | 一八 | 〃 | 〃 | 〃 | 埴科郡 坂城町 上五明 | |
〃 川中島村 | 槁場 | 六 | 三五 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 川中島町上氷鉋 橋場 | 槁場は橋場の誤記。『差別とのたたかい』では川中島町上氷鉋寺町。 |
〃 〃 | 四ッ谷 | 七 | 四六 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 川中島町四ツ屋 東村 | |
〃 〃 | 新屋 | 九 | 七二 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 川中島町今里 新屋 | 俗称「向う村」。 |
〃 川柳村 | 方田 | 二三 | 一一七 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 篠ノ井二ツ柳 方田 | |
〃 〃 | 石川 | 一三 | 七〇 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 篠ノ井石川 上石川 | 1980年8月の地元民の談話では12戸中3戸が部落解放同盟に参加とある。 |
〃 青木島村 | 綱島 | 一四 | 四九 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 青木島町綱島 中組 | 平坂姓7件。2000年電話帳。 |
〃 共和村 | 岡田 | 二四 | 一四六 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 篠ノ井岡田 深町 | |
〃 牧郷村 | 牧ノ島 | 一四 | 八九 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 信州新町牧野島 | 俗称「城町」。 |
〃 更府村 | 上尾 | 四 | 二二 | 〃 | 〃 | 中 | 長野市 信更町上尾 | |
〃 〃 | 涌池 | 三 | 一四 | 〃 | 〃 | 下 | 長野市 信更町涌池 | |
〃 大岡村 | 宮平 | 一〇 | 五一 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 大岡甲 宮平西 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
更級郡 稲里村 | 広田 | 一七 | 八一 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 下 | 長野市 稲里町田牧 田牧東 | |
〃 東福寺村 | 小森 | 五 | 二五 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 篠ノ井小森 | |
〃 稲荷山町 | 稲荷山 | 四 | 一八 | 〃 | 〃 | 中 | 千曲市 稲荷山 | |
〃 上山田村 | 新山 | 五 | 二六 | 〃 | 〃 | 〃 | 千曲市 新山 住吉 | |
〃 塩崎村 | 角間 | 一〇 | 七一 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 篠ノ井塩崎 角間 | |
〃 〃 | 松伏 | 九 | 四五 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 篠ノ井塩崎 上町 松節 | 松伏は松節の誤記。 |
〃 篠ノ井町 | 御幣川 | 六 | 三三 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 篠ノ井御幣川 | |
〃 〃 | 五明 | 七 | 三五 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 篠ノ井布施五明 | |
〃 〃 | 會区 | 二 | 一一 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 篠ノ井会 | |
〃 〃 | 布施 | 三 | 一七 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 篠ノ井布施高田 | |
〃 御厨村 | 本戸部 | 一五 | 八一 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 川中島町御厨 本町 | |
〃 眞島村 | 北村 | 四 | 三四 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 真島町真島 北村 | |
〃 桑原村 | 元町 | 四 | 二二 | 〃 | 〃 | 下 | 千曲市 桑原 元町 | |
〃 〃 | 本郷 | 四 | 二五 | 〃 | 〃 | 〃 | 千曲市 桑原 | 桑原944に桑原本郷浄水場がある。『差別とのたたかい』では桑原東区。 |
〃 八幡村 | 志川 | 一三 | 六七 | 〃 | 〃 | 中 | 千曲市 八幡 志川 | 中山英一が同地の部落民に「宮川さんは八幡ですから千曲川の西と東ということで、住所や名字で部落ということが分かりますね」と発言し、同地の部落姓が宮川であることを暴露している。宮川姓が八幡志川に7件。2000年電話帳。 |
〃 更級村 | 芝原 | 七 | 四九 | 〃 | 〃 | 〃 | 千曲市 若宮 芝原 | |
埴科郡 南條村 | 沢波 | 二二 | 一五二 | 〃 | 〃 | 〃 | 埴科郡 坂城町 南条 新地 | 南条に沢崎姓15件。成沢姓2件。2000年電話帳。1964年に部落出身を理由として転任希望先の校長から受け入れを拒否されたといわれる理科教師の成沢政雄(のち部落解放同盟坂城町協議会書記長)の出身地区。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
埴科郡 西條村 | 市場 | 三一 | 一五八 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 中 | 長野市 松代町西条 東市場 | 松代町西条に加藤姓18件。2000年電話帳。 |
〃 寺尾村 | 東寺尾 | 七 | 四一 | 〃 | 〃 | 下 | 長野市 松代町東寺尾 | 松代藩の長吏頭の須田孫六は、瀬原田徳衛門を襲名する千曲市杭瀬下の旧家と姻戚だった。 |
〃 〃 | 大室 | 一六 | 六五 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 松代町大室 西組 | |
〃 坂城村 | 坂端 | 四〇 | 二四三 | 〃 | 〃 | 中 | 埴科郡 坂城町 坂城 坂端 | 16戸の改良住宅がある。部落民は1万番台の番地に住んでいる(「たしかに小さな町の電話帳に五ケタの数字の住所が記載されているのは、異様な感じだ。それに、その五ケタの数字がある苗字のところだけ集中しているのである。異様な感じがより一層深くなる。人口一七〇〇〇人余のS町のなかで、五ケタの番地をもっているのは部落だけであり、部落外の他の町内の人々には一万台の番地をもっている人はいない。これはたしかに異常である」。埴科郡坂城町坂端の高橋姓に関する記述。『同和教育を知る 差別の現実に深く学ぶ』(本田豊、エムティ出版、1992) 。高橋姓25件。1万番台には、高橋姓のほか伊藤姓、後藤姓、高木姓、滝原姓、竹中姓が各1件。2000年電話帳。 |
〃 杭瀬下村 | 野髙場 | 二 | 六 | 〃 | 〃 | 〃 | 千曲市 野高場 | |
〃 〃 | 新田 | 三 | 九 | 〃 | 〃 | 〃 | 千曲市 新田 | |
〃 〃 | 杭瀬下 | 五 | 一九 | 〃 | 〃 | 〃 | 千曲市 杭瀬下 | |
〃 雨宮縣村 | 雨宮 | 一三 | 六四 | 〃 | 〃 | 下 | 千曲市 雨宮 | 長野県水平社執行委員だった小山薫の出身地区。小山姓7件。2000年電話帳。 |
〃 埴生村 | 小島 | 一 | 六 | 〃 | 〃 | 中 | 千曲市 小島 | |
〃 森村 | 中河原 | 九 | 四八 | 〃 | 〃 | 〃 | 千曲市 森 | 森709-3に千曲市中河原集会所がある。俗称「隠亡土手」(おぼどて)。 |
〃 倉科村 | 源原 | 一 | 四 | 〃 | 〃 | 〃 | 千曲市 倉科 | 源原の位置は要調査。 |
〃 東條村 | 上荒町 | 三 | 一六 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 松代町東条 上荒町 西屋地 | |
〃 戸倉村 | 戸倉 | 一六 | 七八 | 〃 | 〃 | 〃 | 千曲市 戸倉 今井町 | 高橋姓6件。2000年電話帳。 |
上水内郡 神郷村 | 豊野 | 二〇 | 一二四 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 豊野町豊野 四丁目 | 豊野町豊野に高橋姓30件。2000年電話帳。柴田道子『被差別部落の伝承と生活』189頁に「この部落の先祖であるT家のほか、苗字によってそれぞれどこから来たものかわかるという。F姓は上田、NとT姓は力石、Mは大豆島である」との記載が見え、Tは高橋、Fは深井あるいは藤極、NとTは中村と高井、Mは宮沢の可能性あり。 |
〃 鳥居村 | 浅井 | 二七 | 一四五 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 豊野町浅野 古町 | |
〃 長沼村 | 大町 | 七 | 四一 | 〃 | 〃 | 下 | 長野市 大町 昭南 | |
〃 〃 | 穂保 | 一四 | 七四 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 穂保 睦 | 穂保に芝波田姓8件。2000年電話帳。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
上水内郡 古里村 | 富竹 | 一四 | 六八 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 中 | 長野市 富竹 | |
〃 〃 | 金箱 | 四 | 一九 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 金箱 | |
〃 〃 | 上駒沢 | 一七 | 七七 | 〃 | 〃 | 下 | 長野市 上駒沢 | |
〃 大豆島村 | 笹井河原 | 二三 | 一四一 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 大豆島西沖 | 俗称「西区」。大豆島西沖に宮沢姓13件。2000年電話帳。笹井河原の位置は要調査。 |
〃 〃 | 上風間 | 一七 | 七一 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 大豆島西沖 | 1983年に風間と大豆島の各一部から大豆島西沖が成立。上風間の位置は要調査。 |
〃 中郷村 | 古屋敷 | 一四 | 六八 | 〃 | 〃 | 中 | 上水内郡 飯綱町 牟礼 古屋敷 | 現地の古老の伊藤寅治によると「現在古屋敷は7軒あるが、T姓は1軒、I姓が6軒です」という。Tは高橋、Iは伊藤。牟礼に伊藤姓7件。2000年電話帳。 |
〃 古間村 | 下荒瀬原 | 二 | 一二 | 〃 | 〃 | 〃 | 上水内郡 信濃町 荒瀬原 下荒瀬原 | |
〃 安茂里村 | 小路 | 一四 | 八七 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 安茂里小路 | 住沢姓12件。2000年電話帳。 |
〃 朝陽村 | 北堀 | 二 | 一一 | 〃 | 〃 | 下 | 長野市 北堀 | |
〃 〃 | 北長池 | 三 | 一一 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 北長池 十二区 | |
〃 〃 | 南堀 | 八 | 四五 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 南堀 | |
〃 水内村 | 上條 | 一四 | 四八 | 〃 | 〃 | 中 | 長野市 信州新町上条 千原田 | |
〃 戸隠村 | 中村 | 四 | 三一 | 〃 | 〃 | 下 | 長野市 戸隠豊岡 中村 | |
〃 南小川村 | 小根山 | 四 | 二二 | 〃 | 〃 | 〃 | 上水内郡 小川村 小根山 | |
〃 〃 | 元町 | 三 | 一九 | 〃 | 〃 | 〃 | 上水内郡 小川村 高府 二反田 | 高府9732-1に村営住宅「ハイツ元町」がある。 |
〃 〃 | 中島 | 二 | 一四 | 〃 | 〃 | 〃 | 上水内郡 小川村 | 中島の位置は要調査。 |
〃 〃 | 西池 | 二 | 一三 | 〃 | 〃 | 〃 | 上水内郡 小川村 小根山 細越 雨池 | 西池は雨池の誤記。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
上水内郡 柵村 | 西條 | 八 | 四一 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 下 | 長野市 戸隠栃原 西条区 | |
〃 若槻村 | 稲田 | 五 | 二九 | 〃 | 〃 | 中 | 長野市 稲田 | |
〃 〃 | 東條 | 三 | 一七 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 若槻東条 | |
〃 〃 | 吉 | 四 | 二五 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 吉 | |
〃 柳原村 | 中俟 | 四 | 二二 | 〃 | 〃 | 下 | 長野市 柳原 中俣 | |
〃 鬼無里村 | 町区 | 八 | 四七 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 鬼無里 町 | 鬼無里309-3に町区公民館あり。 |
〃 三水村 | 坂下 | 四 | 二二 | 〃 | 〃 | 〃 | 上水内郡 飯綱町 芋川 坂下 | |
〃 七二会村 | 笹平 | 八 | 六九 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 七二会甲 笹平 | |
〃 浅川村 | 東組 | 一三 | 七一 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 浅川西条 | |
〃 〃 | 台ヶ窪 | 四 | 二二 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 台ケ窪 | |
〃 〃 | 押田 | 一 | 四 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 浅川押田 | |
〃 信濃尻村 | 野尻 | 二 | 一二 | 〃 | 〃 | 〃 | 上水内郡 信濃町 野尻 | |
〃 榮村 | 中條 | 二三 | 一四一 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 中条 横町 | |
上髙井郡 保科村 | 矢原 | 四二 | 二六七 | 〃 | 〃 | 中 | 長野市 若穂保科 矢原 | 糸魚川で結婚差別を受け自殺したとされる星沢強の父の出身地区。若穂保科に星沢姓32件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 赤ノ田 | 三 | 一八 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 若穂保科 赤野田 | |
〃 井上村 | 幸高 | 四六 | 二四八 | 〃 | 〃 | 下 | 須坂市 井上 野庄、須坂市 幸高 七三河原 (2016年11月現在、ネットでは二睦町の地名がさまざまに表記されており統一されていない。たとえばYahoo!地図では須坂市井上(大字)に属する小字として二睦町の名が明記されている。グーグルマップにも二睦町の字名の記載が見える。また日本郵便の公式サイトにも須坂市二睦町の記載が見える。一方、マピオンには二睦町の存在が記載されていない。) | 俗称「二睦町」 (朝日新聞長野支局「ルポ 現代の被差別部落」朝日文庫版p.47-48に「須坂市の井上町と幸高町にまたがる被差別部落69戸で作られた区(自治会)の名称である。江戸時代は井上村と幸高村に属していたのだが、大正時代(註:大正11年)に井上、幸高両区から独立させられた。(略)いまでも戸籍・地籍上は須坂市の大字井上と大字幸高に属している。くねくねと曲がった路地ばたの土塀にぶら下がった消火器具に『二睦町』と大書してあるのを見たが、こういう町が存在するわけではない」とある。同書p.63によると、「幸高の部落と井上の部落が集まってできたのだから二つ睦まじく」というのが町名の由来という。 。1969年の『部落』第21巻、第1~7号、54頁には「旧井上村幸高地区にある慶長七年の検地帳には、すでに土地と屋敷をもつ皮屋が記載されていた」の一文がある。地元民の発言に「幼稚園に行っている子どもでも二睦は弓田、弓田と言えば二睦であると言っており子どもでも差別をしている。一般の親たちが教えているのだと思う」とある。) 井上、幸高に高橋姓6件、弓田姓20件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 福島 | 一一 | 八二 | 〃 | 〃 | 〃 | 須坂市 福島 | 俗称「七番組」。小森姓16件。2000年電話帳。(『被差別部落の伝承と生活 信州の部落・古老聞き書き』(柴田道子、三一書房、1972)によると、大森という名主に遠慮して明治になってからつけた。) |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
上髙井郡 日滝村 | 本郷 | 三七 | 二一四 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 下 | 須坂市 日滝 本郷町 北組 | |
〃 豊洲村 | 小河原 | 一〇 | 四一 | 〃 | 〃 | 中 | 須坂市 小河原 新田町 | |
〃 〃 | 小島 | 一〇 | 八一 | 〃 | 〃 | 〃 | 須坂市 小島 | |
〃 〃 | 相ノ島 | 三 | 二一 | 〃 | 〃 | 中 | 須坂市 相之島 | |
〃 小布施村 | 三本木 | 一九 | 八四 | 〃 | 〃 | 〃 | 上高井郡 小布施町 小布施 中央 | 俗称「昭和町」。北沢姓4件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 唐沢 | 一五 | 五二 | 〃 | 〃 | 〃 | 上高井郡 小布施町 小布施 福原 | 唐沢の地名は被差別部落の代名詞になったため福原と合併し消滅。高原姓2件、中村姓2件。その他、福沢姓、金田姓、林姓の住民が柴田道子『被差別部落の伝承と生活』53頁に登場するがいずれも0件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 飯田 | 六 | 四八 | 〃 | 〃 | 〃 | 上高井郡 小布施町 飯田 | |
〃 〃 | 押羽 | 三 | 一二 | 〃 | 〃 | 〃 | 上高井郡 小布施町 押羽 | |
〃 髙井村 | 堀ノ内 | 二五 | 一二六 | 〃 | 〃 | 〃 | 上高井郡 高山村 高井 堀之内 | 古川姓16件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 紫 | 一四 | 六六 | 〃 | 〃 | 〃 | 上高井郡 高山村 高井 紫 | 昭和初期に部落から村議の鈴木栄七が出た。鈴木姓8件。須加尾姓3件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 牧 | 九 | 五二 | 〃 | 〃 | 〃 | 上高井郡 高山村 牧 | 須加尾姓7件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 里部 | 一 | 四 | 〃 | 〃 | 〃 | 上高井郡 高山村 高井 黒部 | 里部は黒部の誤記。須加尾姓4件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 二ッ石 | 一 | 六 | 〃 | 〃 | 〃 | 上高井郡 高山村 高井 二ツ石 | |
〃 都住町 | 矢島 | 二五 | 一二七 | 〃 | 〃 | 下 | 上高井郡 小布施町 都住 矢島 | |
〃 山田村 | 蕨手 | 三 | 二一 | 〃 | 〃 | 〃 | 上高井郡 高山村 奥山田 蕨平 | 蕨手は蕨平の誤記。 |
〃 〃 | 馬場 | 一六 | 八九 | 〃 | 〃 | 〃 | 上高井郡 高山村 中山 枡形 馬場 | 枡形に上野平姓4件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 駒場 | 六 | 五二 | 〃 | 〃 | 〃 | 上高井郡 高山村 中山 駒場 | 霜方姓3件。2000年電話帳。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
上髙井郡 須坂町 | 八幡 | 六 | 四五 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 中 | 須坂市 墨坂 八幡町 | |
〃 〃 | 春木町 | 二 | 一八 | 〃 | 〃 | 〃 | 須坂市 須坂 春木町 | |
〃 川田村 | 瀬在 | 一五 | 八一 | 〃 | 〃 | 下 | 長野市 若穂川田 町川田 瀬在 | |
〃 錦内村 | 麦在野 | 一一 | 五九 | 〃 | 〃 | 中 | 長野市 若穂綿内 麦在家 | 麦在野は麦在家の誤記。 |
〃 日野村 | 村山 | 七 | 三八 | 〃 | 〃 | 〃 | 須坂市 村山 | |
〃 〃 | 塩川 | 二 | 一六 | 〃 | 〃 | 〃 | 須坂市 塩川 | |
下髙井郡 延徳村 | 桜沢 | 一一 | 六二 | 〃 | 〃 | 下 | 中野市 桜沢 | |
〃 〃 | 大熊 | 一四 | 四七 | 〃 | 〃 | 〃 | 中野市 三ツ和 大熊 | |
〃 〃 | 北大熊 | 一 | 五 | 〃 | 〃 | 〃 | 中野市 三ツ和 北大熊 | |
〃 科野村 | 赤岩 | 九 | 五八 | 〃 | 〃 | 中 | 中野市 赤岩 | |
〃 〃 | 越 | 五 | 三五 | 〃 | 〃 | 〃 | 中野市 越 | |
〃 中野町 | 仲町 | 七 | 四六 | 〃 | 〃 | 〃 | 中野市 中央 | 仲町は中町の誤記。 |
〃 倭村 | 柳沢 | 四 | 二八 | 〃 | 〃 | 〃 | 中野市 柳沢 | 船頭筋の部落の一つ。 |
〃 〃 | 岩井 | 二 | 一二 | 〃 | 〃 | 〃 | 中野市 岩井 | |
〃 日野村 | 新野 | 一四 | 八二 | 〃 | 〃 | 〃 | 中野市 新野 宮下 | 俗称「宮下組」。新野の小林姓の男性と結婚した一般地区出身女性の発言に「私と同じ日原の方から中野へ嫁いでいた人がいた訳です。その方の実家の方がね、どうも中野の小林さんは部落じゃなかっていう風に言われて、父が直接ききに来たそうです」とあり、それを中山英一が肯定している。新野に小林姓14件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 髙遠 | 一 | 四 | 〃 | 〃 | 〃 | 中野市 新野 高遠 | |
〃 穂波村 | 佐野 | 六 | 三七 | 〃 | 〃 | 〃 | 下高井郡 山ノ内町 佐野 立川 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
下髙井郡 穂波村 | 戸狩 | 四 | 二九 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 中 | 下高井郡 山ノ内町 戸狩 仲屋敷 | |
〃 髙丘村 | 草間 | 三 | 二三 | 〃 | 〃 | 〃 | 中野市 草間 | 芝内姓4件。2000年電話帳。 |
〃 平穏村 | 上條 | 二 | 一七 | 〃 | 〃 | 〃 | 下高井郡 山ノ内町 平穏 上條西下 | |
〃 平岡村 | 金井 | 七 | 三八 | 〃 | 〃 | 下 | 中野市 金井 | 金沢姓1件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 若宮 | 六 | 四四 | 〃 | 〃 | 〃 | 中野市 若宮 | |
〃 〃 | 竹原 | 二 | 八 | 〃 | 〃 | 〃 | 中野市 竹原 | |
〃 夜間瀬村 | 本郷 | 三 | 一五 | 〃 | 〃 | 中 | 下高井郡 山ノ内町 夜間瀬 本郷 | |
〃 瑞穂村 | 関沢 | 八 | 四六 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 瑞穂 関沢 | 瑞穂に鷲野姓6件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 犬飼 | 一二 | 七一 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 瑞穂 戸那子 | 瑞穂571に犬飼神社あり。 |
〃 木島村 | 安田 | 九 | 四〇 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 木島 安田 土堤根 | 船頭筋の部落の一つ。 |
〃 穂髙村 | 中村 | 六 | 二九 | 〃 | 〃 | 〃 | 下高井郡 木島平村 穂高 中村 横町 | |
〃 上木島村 | 大町 | 三 | 一三 | 〃 | 〃 | 〃 | 下高井郡 木島平村 上木島 大町 | |
〃 豊郷村 | 野沢 | 五 | 三二 | 〃 | 〃 | 〃 | 下高井郡 野沢温泉村 横落 | 俗称「墓原(はから)」。 |
〃 住郷村 | 毛見 | 五 | 二六 | 〃 | 〃 | 〃 | 下高井郡 木島平村 往郷 中島 | 『差別とのたたかい』によると中島。 |
〃 平野村 | 片塩 | 八 | 四二 | 〃 | 〃 | 〃 | 中野市 片塩 | 小林姓10件。2000年電話帳。 |
下水内郡 飯山町 | 奈良沢 | 三 | 一六 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 飯山 奈良沢 | |
〃 〃 | 有尾 | 一七 | 九八 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 飯山 有尾 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
下水内郡 豊井村 | 上今井 | 三六 | 二五二 | 農業 | 藁工、日傭労働 | 中 | 中野市 上今井 | 高橋姓39件。2000年電話帳。「部落といわれるほとんどが川下にあるが、この村は一般が川下で部落が川上にある」、「県道は部落の上」という。地元では一般地区にも高橋姓があり、部落と祖先は同じという説がある。「ここの部落の仕事は、船頭がほとんどだった」。 |
〃 〃 | 替佐 | 三三 | 二一六 | 〃 | 〃 | 〃 | 中野市 豊津 宮浦 | 豊津に小橋姓42件。2000年電話帳。船頭筋の部落の一つ。 |
〃 永田村 | 穴田 | 一五 | 四九 | 〃 | 〃 | 〃 | 中野市 穴田 日影 | |
〃 秋津村 | 静間 | 一六 | 一〇八 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 静間 中町北部 | |
〃 常盤村 | 戸狩 | 三 | 一二 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 照里 戸狩 | |
〃 〃 | 大倉崎 | 四 | 一八 | 〃 | 藁細工 | 〃 | 飯山市 常盤 大倉崎 | |
〃 〃 | 水沢 | 三 | 一八 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 常盤 下水沢 | |
〃 柳原村 | 富倉 | 二 | 九 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 富倉 中谷 | |
〃 〃 | 大川 | 一 | 九 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 旭 大川 | |
〃 水内村 | 白鳥 | 二 | 一〇 | 〃 | 〃 | 〃 | 下水内郡 栄村 豊栄 白鳥 | |
〃 〃 | 平滝 | 一 | 四 | 〃 | 〃 | 〃 | 下水内郡 栄村 豊栄 平滝 | |
〃 太田村 | 大坪 | 六 | 三〇 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 豊田 大深 | 大坪は大深の誤記。 |
〃 〃 | 小境 | 二 | 一一 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 豊田 小境 | |
〃 〃 | 今井 | 一 | 六 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 常郷 今井 | |
〃 外様村 | 尾崎 | 一 | 八 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 寿 尾崎 | 寿に梨和姓2件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 顔戸 | 六 | 三三 | 〃 | 〃 | 〃 | 飯山市 寿 顔戸 | |
長野市 川原崎町 | 三八 | 二〇二 | 〃 | 商業 | 〃 | 長野市 長野 新町 | 俗称「片端」。川原崎は河原崎とも表記。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
長野市 西長野町 | 三一 | 一七八 | 農業 | 商業 | 中 | 長野市 西長野 西長野町 | 明治以前は腰村と呼ばれていた。木藤姓2件、2000年電話帳。木藤家からは舞台俳優の児島文衛(本名は木藤斂蔵)が出た。 | |
〃 中御所町 | 五 | 二六 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 中御所 岡田町 | ||
〃 吉田北本町 | 一〇 | 五三 | 〃 | 〃 | 下 | 長野市 吉田 北本町 | ||
〃 吉田押鐘町 | 一〇 | 六二 | 〃 | 〃 | 〃 | 長野市 吉田 押鐘 | ||
松本市 新屋町 | 六八 | 四〇八 | 〃 | 〃 | 〃 | 松本市 庄内 | 新屋町は『部落とのたたかい』によると新家町。井ノ根姓1件。2000年電話帳。 | |
上田市 柳原町 | 五六 | 二八三 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 緑が丘 西 | 緑が丘に砥石姓16件、成沢姓46件。成澤姓1件。中村姓14件。2000年電話帳。俗称「西脇山根(下山根)」。1949年、部落差別を理由に成沢から中村に改姓が認められた例あり。( 判決文によると「元来××区と△△区とは接続した部落で総戸数百三十五戸位あるが△沢氏が七十余戸あり又部落民である○石氏が二十余戸あって部落民でない△沢は一人も居らぬ」、「申立人の元祖は伴野姓を名乗って居ったところ永正三年(引用者注、1506年)四月十九日加○○(引用者注、加賀美)姓に改め、其後五代経過した寛文十年(引用者注、1670年)加○○善六行信が当時の江戸浅草箭野(註:矢野)弾左ェ門頼兼氏から永帳巻物写しを申し受けるために長吏○沢与兵衛の身内に加り、爾来○沢姓となったものである」。△沢の改姓は、1948年10月11日の上田家事審判所では却下されており、1949年5月19日の東京高裁判決では許可されている(『氏の変更(唄孝一・家族法著作選集 第2巻)』唄孝一、日本評論社、1992)。△沢は成沢で改姓後の姓は中村、○石は砥石と明記している(『部落 第56号』部落問題研究所、1954)。 | |
〃 豊原町 | 四四 | 二五九 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 緑が丘 北 | 緑が丘2-7-13に豊原古墳あり。俗称「鎌原山根(上山根)」。 | |
〃 諏訪部町 | 二五 | 一五五 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 常磐城 | 俗称「坂下」。1706年の明細帳では上田藩最大の部落だった。上記の西脇・鎌原(両山根)も諏訪部から分かれた部落。成沢英雄(成沢栄寿の父)の出身地区。成沢姓11件、成澤姓1件。2000年電話帳。 (判決文によると「元来××区と△△区とは接続した部落で総戸数百三十五戸位あるが△沢氏が七十余戸あり又部落民である○石氏が二十余戸あって部落民でない△沢は一人も居らぬ」、「申立人の元祖は伴野姓を名乗って居ったところ永正三年(引用者注、1506年)四月十九日加○○(引用者注、加賀美)姓に改め、其後五代経過した寛文十年(引用者注、1670年)加○○善六行信が当時の江戸浅草箭野(註:矢野)弾左ェ門頼兼氏から永帳巻物写しを申し受けるために長吏○沢与兵衛の身内に加り、爾来○沢姓となったものである」。△沢の改姓は、1948年10月11日の上田家事審判所では却下されており、1949年5月19日の東京高裁判決では許可されている(『氏の変更(唄孝一・家族法著作選集 第2巻)』唄孝一、日本評論社、1992)。△沢は成沢で改姓後の姓は中村、○石は砥石と明記している(『部落 第56号』部落問題研究所、1954)。 ) | |
〃 中之條町 | 一一 | 八四 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 中之条 千曲町 | ||
〃 御所町 | 六 | 三七 | 〃 | 〃 | 〃 | 上田市 御所 | ||
計二一六 | 三三三 | 三九五六 | 二四〇三六 |
※このほか千曲市屋代に長野県水平社埴科屋代支部があった。
22 juillet 2017
POP TATARI
山梨県
概況
県内の被差別部落の数は1921年度の調査では20、1935年の調査では23にのぼる。戸数と人口は、それぞれ295戸1745人、341戸1818人であった。1963年の総理府調査では被差別部落の数は18市町村に26地区と報告されたが、県内では6市町村で6地区(住民は合計350人)だけが同和地区指定を受けた。
川元祥一は、県下の部落数を36ヶ所、うち30-40戸の部落が4ヶ所あり、それらが県下最大級であると記す。北杜市明野町上手(あけのちょう うえで)には、1980年当時の資料で35戸という県内最大規模の被差別部落(1980年に同和地区指定)があり、この部落に特徴的な姓は「沓川」である。
北杜市須玉町藤田には戸数15戸の未指定地区がある。また北杜市武川町宮脇にも被差別部落がある。「明野村にはN地区のほかにI地区6戸、NG地区6戸がある」とも、山名伸作は記している。前者は板垣、後者は西組と思われる。
笛吹市一宮町田中にも未指定地区があり、1989年当時は戸数51戸、人口100人であった。この一宮町田中地区からは鎌倉市長で衆議院議員の山本正一が出ている。「歩いていると無人のYさんの家がある。Yさんは鎌倉市長になり、神奈川県選出の国会議員にもなった人である。郷土を愛した彼は家を手入れして残していたが、生前この地へは帰らなかったという。立身出世した部落出身者が生涯故郷へ帰らなかったという話を聞くことがあるが、この人もまたどんな思いを持ち続けていたのだろうか」と伝えられる。
甲州市勝沼町等々力(旧・等々力村箕輪)には甲州街道沿いに戸数5戸の未指定地区がある。
都留市つる(旧・下谷)の被差別部落は1976年当時で人口約180人を数えた。
山梨県の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1907年 | 35 | 370 | 2394 |
1920年 | 20 | 295 | 1745 |
1921年 | 20 | 295 | 1745 |
1929年3月末 | - | 646 | 3687(男1911+女776) |
1935年 | 23 | 341 | 1818 |
1942年 | - | 582 | 1592 |
1963年 | 23 | 834 | 地区全体12298、同和関係2364 |
1967年 | 5 | 地区全体148、同和関係148 | 地区全体700、同和関係700 |
1985年 | 6 | 地区全体191、同和関係105 | 地区全体667、同和関係351 |
1987年 | 6 | 105 | 351 |
1993年 | 6 | 地区全体1463、同和関係94 | 地区全体3956、同和関係293 |
山梨県では「穢多・非人」ではなく「エッタ・野守」という言い方をする人が多い。1873年、明治政府が太政官布告第225号で下級警察官を「番人」と改称する旨の通達を出したところ、「番人」が多くの地方で非人の異称だったために反発を受け、布告の撤回を余儀なくされ、1875年には「巡査」の語に統一して今日に至っている。ところが山梨県では太政官布告を忠実に実行し、下級警察官を番人と呼ぶ代わり、非人を「野守」と呼ぶことにした、という経緯があった。
この野守の中には結婚差別を受けている家もあれば受けていない家もあり、両者の差は、獣皮を扱ったか否かの点にあるという。説教強盗として知られた妻木松吉は西八代郡市川大門町(現・市川三郷町)の野守の子孫であった。
初代市川團十郎の父の堀越重蔵(十蔵とも。通称「菰の重蔵」)は甲州市川郷下の高田(現・山梨県西八代郡市川三郷町高田)にルーツを持つ非人の出との説がある。
『東日本の被差別部落』(明石書店)15頁によると、県内の被差別部落の数は50地区前後である。
文献
全國部落調査(1935年)
山梨縣 昭和十年九月現在
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
東山梨郡 等々力村 箕輪 | 箕輪 | 九 | 八二 | 農業 | 牛革、藁細工 | 中下 | 甲州市 勝沼町等々力 箕輪 | 元寇の後の捕虜が祖という伝承がある。 |
東八代郡 黒駒村 下黒駒 | 長田 | 六 | 四六 | 〃 | 履物製造 | 中 | 笛吹市 御坂町下黒駒 | |
〃 富士見村 砂原 | 砂原区内八丁 | 二 | 九 | 〃 | 下 | 笛吹市 石和町砂原 | 消滅。全盛期は40戸。笛吹川氾濫が続いたため、笛吹川右岸の住地(東河原)を捨て、対岸や東京都、甲州市、周辺各村に転出した。1967年の資料で3戸、12人。うち1戸は近村に移転しており、塚原美村は「遅かれ早かれ、全戸が消滅するのでは」と予想。 | |
〃 一宮村 田中 | 田中 | 三四 | 一九六 | 〃 | 履物製造 | 中 | 笛吹市 一宮町田中 | 山口姓(『未解放部落』(塚原美村、雄山閣出版、1967)に「ムラには、山口姓(四戸)、近津姓(一戸・今改姓)があって、その伝承を今に伝えている」とある。笛吹市一宮町田中の地区は、1564年(永禄7年)の川中島の合戦で、武田信玄の家臣の山口藤左衛門と近津宗十郎が、僧を捕えて連行したのが起源と伝える。寺は浄土宗。 )10件、鴨下姓3件、高橋姓5件、宮下姓4件。2000年電話帳。 |
西山梨郡 里垣村 板垣 | 東板垣 | 五二 | 三一三 | 農業、商業、工業 | 履物製造其他 | 〃 | 甲府市 善光寺 | 1937年に板垣が善光寺に改称。 |
中巨摩郡 龍王村 | 下河原 | 四 | 一六 | 農業 | 下 | 甲斐市 竜王 下河原 | 竜王に加賀美姓6件。2000年電話帳。 | |
〃 敷島村 下條町屋南区 | 町屋南区 | 一六 | 六七 | 〃 | 藁細工 | 〃 | 甲斐市 中下条 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
中巨摩郡 大井村 下宮地 | 下宮地 | 二 | 一六 | 草履表製造 | 農業 | 中、下 | 南アルプス市 下宮地 | |
〃 〃 鮎沢 | 鮎沢 | 六 | 三〇 | 食肉、製靴、草履表 | 〃 | 中 | 南アルプス市 鮎沢 | |
〃 〃 古市場 | 古市場 | 一七 | 七六 | 食肉、草履表、行商 | 〃 | 下 | 南アルプス市 古市場 | 南湖姓4件。2000年電話帳。 |
〃 明穂村 東村 | 東村 | 二〇 | 九六 | 農業、食肉、履物 | 〃 | 〃 | 南アルプス市 小笠原 | |
北巨摩郡 圓野村 下圓井 | 下圓井 | 五 | 七一 | 農業 | 〃 | 韮崎市 円野町下円井 | ||
〃 〃 下圓井 | 上圓井 | 二 | 一一 | 〃 | 中 | 韮崎市 円野町上円井 | ||
〃 若神子村 竹ノ内 | 赤坂 | 一五 | 六九 | 〃 | 下 | 北杜市 須玉町若神子 | 若神子の読み方はワカミコ。江戸時代に明野町上手の部落から分かれて成立したとの説あり。水害で1898年以降に21戸が転出しており、15戸となった。「全村赤坂を姓とする。十六戸ばかり、農家である」。赤坂姓8件。2000年電話帳。 | |
〃 武川村 宮ノ脇 字原 | 宮ノ脇原 | 一一 | 四六 | 〃 | 〃 | 北杜市 武川町宮脇 | ||
〃 日野春村 長坂上條 | 向村 | 九 | 四五 | 〃 | 履物製造 | 〃 | 北杜市 長坂町長坂上条 | 部落名の別称は富士塚、中尾根、茶屋。塚原美村の説によると、茶屋は鉢屋(隠亡と同じ)の転訛であり、北杜市須玉町若神子から移転してきたともいわれる。 |
〃 菅原村 白須 | 白須 | 一六 | 五〇 | 〃 | 商業 | 〃 | 北杜市 白州町白須 | |
〃 〃 台ヶ原 | 台ヶ原 | 五 | 一九 | 〃 | 〃 | 〃 | 北杜市 白州町台ヶ原 | |
〃 上手村 西村 | 西村 | 三七 | 二〇七 | 〃 | 藁細工 | 中 | 北杜市 明野町上手 | 明野町上手に沓川姓8件。新井姓7件。清水姓28件。2000年電話帳。同地では、地区指定をめぐって対立があり、38戸中10戸が地区指定を受けていた。小字が現在の西村かどうかは要検証。( 『関東の部落を行く』(川元祥一、解放出版社、1980)156頁には「N部落以外の近隣の村には沓川姓は存在しない」とあるが、沓川姓の分布を見ると明野町上手の2300番台から2500番台の番地に集中しており、ここは現在「明野町上手西村」と呼ばれている地域ではない。座標値でいうと35.756821, 138.440191の近辺。同書161頁には「N部落の近くに現在五、六戸のO被差別部落がある」ともある。上手大久保の可能性。また明野町上手藤内(とうない)には猿舞部落もあった。「此の村に『藤内(トウナイ)と云ふ部落ありて、部民は昔は猿舞なりしといふ。現今は一般より蔑視せられず、又何等差別的の取扱を受くることなし」と『甲州の藤内(トウナイ)』(甲府 河村竹三郎『民族と歴史(復刻版)第6巻 第2号』(民族と歴史編輯所編、不二出版、1997)所収)にある。同地に藤内姓3件あり。2000年電話帳。 ) |
〃 韮崎町 下反畝 | 下反畝 | 四 | 一四 | 〃 | 漁業 | 下 | 韮崎市 大草町下條中割 | 『韮崎市誌』(1978年)255頁に「反畝」の地名がある。 |
〃 塩崎村 宇津谷 | 宇津谷 | 一七 | 九九 | 農業、食肉、履物 | 〃 | 甲斐市 宇津谷 | ||
〃 安都玉村 横森 | 横森 | 九 | 四六 | 農業、道路工夫 | 〃 | 北杜市 高根町村山北割 西横森 | ||
南都留郡 谷村町 下谷鷹巣 | 鷹ノ巣 | 四四 | 二四〇 | 農業、食肉、其他 | 商業 | 〃 | 都留市 つる | 谷村の読み方はヤムラ。1977年に下谷の一部からつるが成立。遠藤姓19件、近藤姓20件。2000年電話帳。 |
計一九 | 二三 | 三四一 | 一八六四 |
塚原美村『未解放部落』
山梨県下未解放部落の戸数・人口調(1965年)
地域 | 戸数 | 人口 | 現在地 |
---|---|---|---|
本竜王 | 6 | 30 | 甲斐市 竜王 |
中下条 | 20 | 74 | 甲斐市 中下条 (『未解放部落』(塚原美村、雄山閣出版、1967)に「ムラには、山口姓(四戸)、近津姓(一戸・今改姓)があって、その伝承を今に伝えている」とある。笛吹市一宮町田中の地区は、1564年(永禄7年)の川中島の合戦で、武田信玄の家臣の山口藤左衛門と近津宗十郎が、僧を捕えて連行したのが起源と伝える。寺は浄土宗。) |
小笠原 | 8 | 25 | 南アルプス市 小笠原 |
鮎沢 | 3 | 12 | 南アルプス市 鮎沢 |
古市場 | 13 | 55 | 南アルプス市 古市場 |
板垣 | 39 | 159 | 甲府市 善光寺 |
千塚 | 5 | 17 | 甲府市 千塚 |
韮崎 | 3 | 10 | 韮崎市 旭町( 塚原美村『未解放部落』237頁に「韮崎市(旧韮崎、旭)」とある。同書217頁には「前述の千塚の五戸、南塩部の四戸や加納岩五戸は、街中にあって、経済的余力が多く、甲府市、山梨市に包摂されているだけに、社会的にも交際の幅が広い。ところが、同じ、街中にあっても、その末端に位置する韮崎(下宿)一部は、玩具の露天商、日雇、ブリキ職人の三戸、人口一○人として、経済的、社会的に恵まれない生活を余儀なくしている」ともある。現在、韮崎市本町に下宿交差点がある。 |
西横森 | 8 | 35 | 北杜市 高根町村山北割字西横森 |
長坂上条 | 20 | 62 | 北杜市 長坂町長坂上条 |
若神子 | 16 | 56 | 北杜市 須玉町若神子 |
白須 | 11 | 38 | 北杜市 白州町白須 |
台ケ原 | 4 | 15 | 北杜市 白州町台ヶ原 |
下教来石 | 4 | 16 | 北杜市 白州町下教来石 |
宮脇 | 11 | 35 | 北杜市 武川町宮脇 |
青木、下円井 | 6 | 23 | 韮崎市 清哲町青木、韮崎市 円野町下円井 |
浅尾新田 | 5 | 21 | 北杜市 明野町浅尾新田 |
上手下 | 40 | 201 | 北杜市 明野町上手 |
宇津谷 | 19 | 74 | 甲斐市 宇津谷 |
八丁 | 3 | 12 | 笛吹市 石和町砂原 |
小曲 | 2 | 3 | 甲府市 小曲町 |
等々力 | 8 | 29 | 甲州市 勝沼町等々力 |
下町屋 | 10 | 42 | 笛吹市 御坂町下黒駒 (県下に南巨摩郡身延町手打沢字下町屋という地名もあるが、塚原美村『未解放部落』283頁の「山梨県未解放部落分布図(1965)」によると下町屋地区の別名は長田地区であり、身延町の下町屋とは位置が異なる。) |
南田中 | 44 | 192 | 笛吹市 一宮町田中 |
新浜 | 5 | 16 | 笛吹市 八代町南 新浜 |
下谷 | 43 | 217 | 都留市 つる |
計26 | 356 | 1469 |
- 備考(原文ママ)
- 対象ムラは、ここにあげた中地域の一部を形成している。
- 混在戸の一部を省略した。
- すべて世帯数による。
上掲の図表で省かれた混在戸に南塩部(4戸あるいは5戸あるいは6戸)と加納岩(5戸、17人)がある。前者は現在の甲府市塩部、後者は山梨市上神内川・下神内川と思われる。同書283頁の「山梨県未解放部落分布図(1965)」には、酒折(現・甲府市酒折ならびに酒折町)と板橋(現在地不詳)の地名もある。酒折の被差別部落は4戸を数える。
同書によると、明野村上手下(現・北杜市明野町上手)の被差別部落民は、武田信玄のおばで癩患者だった武田春姫の従士や小人の子孫と伝えられる。従士の氏名は馬場忠右衛門と沓川源太郎、小人の苗字は真水(2名)、藤木、古井、下山(2名)であり、1967年の段階で上手下の馬場姓は滅びていたものの、沓川は8戸残っていた。清水(8戸)は真水の訛り、新井(5戸)は古井の訛り、山本(9戸)は下山の訛りとされている。
南田中(現・笛吹市一宮町田中)の被差別部落民は、武田信玄の家臣の山口藤左衛門や近津宗十郎の末裔との言い伝えがある。1967年の段階で同地区には山口姓が4戸あり、近津姓も1戸あったが改姓したという。2000年の電話帳では東山梨郡勝沼町等々力(現・甲州市勝沼町等々力)に近津姓が1件ある。1936年頃の中央融和事業協議会による経済厚生指導者講習会の指導者の一人に、等々力の近津朝吉がいる。
塚原美村は、山梨県の被差別部落出身の「対外的活動家」として以下の面々を挙げている。
- 雨宮清一郎
- 小林明
- 沓川孫次
- 山本久次
- 遠藤朋三郎( 塚原美村『未解放部落』193頁には近藤朋三郎とあり、どちらが正しい氏名なのか要調査。1942年から5年間にわたり谷村町会議員をつとめ、都留市つるの下谷部落(鷹巣地区)の改善に貢献した人。)
- 亀井一豊
- 中根武雄
- 近津朝治郎
- 宮下鶴吉
- 宮下慶太郎
- 山口定雄
- 中山仁蔵
- 高橋俊春
- 田中穂吉
- 高橋弥太郎
- 高橋崇志
- 清水義典
- 日向照
- 赤坂徳太郎
- 沓川愷太郎
- 山本保則
- 宮下馨
- 山下貴志
施設等
白山神社
- 甲府市中央3-7-11(甲斐奈神社)祭神の一つが菊理比売命。
- 甲府市下積翠寺町1109
- 甲府市心経寺町1215
- 甲府市下向山町892(佐久神社)祭神の一つが菊理姫命。
- 甲府市和戸町1230(藤建神社)祭神は菊理姫命。
- 甲州市塩山上粟生野547(喜久理神社)祭神は喜久理比賣命。
- 甲州市塩山下萩原2040(柏原神社)祭神は喜久理姫神。
- 北杜市明野町上神取1070
- 北杜市長坂町夏秋948
- 北杜市白州町花水2040-1
- 都留市つる5-948-1
- 上野原市棡原5460
- 山梨市上栗原854(建岡神社)祭神の一つが菊理姫命。
- 山梨市一町田中273
- 南アルプス市築山933
- 韮崎市神山町鍋山2584
- 韮崎市旭町上条北割998-2
- 韮崎市旭町上条北割996
- 笛吹市一宮町田中137-1
- 笛吹市一宮町地蔵堂399(諧神社)祭神は菊理姫命。
- 笛吹市境川町大黒坂875
- 南巨摩郡富士川町鰍沢2329(八幡神社)祭神の一つが菊理姫命。
- 南巨摩郡富士川町大椚257
- 南巨摩郡身延町道1149
- 南都留郡西桂町倉見1029
- 南都留郡富士河口湖町浅川1039
旧・甲斐国で弾左衛門の支配下にあったのは下谷一部(現・都留市つる)だけで、そのほかはすべて甲府勤番支配下の牢番役直接支配のもとにあったとされる。しかし白山神社と被差別部落の関係を見ると、弾左衛門支配下ではない韮崎市旭町や笛吹市一宮町田中の被差別部落にも白山神社の存在が確認できる。
小集落改良住宅
同和対策集会所
- 都留市鷹の巣集会所 - 都留市つる五丁目13番15号
関連団体
- 全日本同和会山梨県連合会 - 山梨県甲府市上町601-4
- 全日本同和会山梨県連合会 - 山梨県甲府市宝1-21-20
- 部落解放同盟山梨県連合会 - 山梨県甲府市北口1-8-3 野沢順次方 ℡0552-53-6073
- 部落解放同盟山梨県連合会準備会 - 山梨県北巨摩郡長坂町上条52 大石義方(大石は長野県小諸市の部落出身)
21 juillet 2017
POP TATARI
石川県
概要
県内の被差別部落や被差別部落民の数について、現在の公式統計ではゼロとされているが、本田豊は70ヵ所、1万人ほどと推定している。
金沢市には江戸時代に「非人町」「隠亡町」と呼ばれた町があり、非人頭と配下の非人が住んでいた。また「穢多町」と呼ばれた町もあり、皮革職人が住み、享保年間には戸数41戸を数えた。なお加賀藩でいう藤内は隠亡のことであり、穢多は皮多と同義である。藤内は穢多と違って牛馬の皮剥を業としないことから、穢多の上輩とされていた。「加賀藩では、藤内は斃牛馬処理はおこなわず、主として警察、刑場関係の下役人足をつとめ、皮多は下役人足をやらず、皮関係に専従した」と成沢栄寿は記す。
現在では「非人町」「隠亡町」と「穢多町」は融合し、浅野川の流れに沿って約300戸の被差別部落を形成している。これは金沢市京町(旧称・浅野中島)のことと思われる。この町は旧称を浅野新町といい、江戸時代は浅野非人町ならびに浅野隠亡町と呼ばれていたが、1871年の太政官布告で改称・合併されたものである。ただし前田利家の入城前の穢多町は松原町(現・香林坊1丁目、尾山町)にあったが、やがて枯木橋のたもと(現・橋場町付近)へ移された。
承応元年(1652年)、加賀藩は藤内頭支配の者に就き、7人の非人頭を択ばしめ、石川郡中村領・加賀郡浅野中島村領に居屋敷を与えたが、そのうち中村は、寛文12年(1672年)6月の洪水に流失したから、笠舞村領の川原を替地とした。今日、金沢市笠舞1丁目5-15に「非人清光の碑」がある。また金沢市内では梅沢町(旧称は浅野中島村の地内字梅沢)も皮多系の被差別部落であった。
その他、石川郡米丸村(現・金沢市)、石川郡戸板村(現・金沢市)、石川郡観音堂町(現・金沢市)、石川郡松任町(現・白山市)、野々市市、七尾市、小松市にも被差別部落が存在する。特に戸板村には穢多身分の上輩である藤内の頭の屋敷があった。『加越能各町戸数寺社等調』によると七尾市の所口町には加越能最大の部落があったというが、『全國部落調査』に所口町の地名は見えない。
石川県の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
明治初年 | 不明 | 不明 | 非人0、穢多11695( 穢多に関しては藤内(とうない)などの雑種賎民を含む数字であろうと本田豊は 『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』122頁で推測している。 |
1907年 | 83 | 806 | 4064 |
1921年 | 31 | 966 | 4670 |
1935年 | 47 | 563 | 2671 |
1942年 | - | 406 | 1907 |
1963年 | 4 | 778 | 地区全体3710、同和関係389 |
1921年調査には金沢市の浅野川沿いの一地区が「234戸・841人」として登場するが、ここは被差別部落というより在日朝鮮人地区であり、1935年の『全國部落調査』では一覧から除外された。
『石川県鹿島郡誌』によると、焼尾(現・鹿島郡中能登町。正確な位置は不明だが鹿島郡中能登町石動山子1番地の伊須流岐比古神社の近く)の部落民は垂仁天皇第八ノ護津別命に随従して移住してきた十二臣の末裔との伝承を持ち、戸数は6。命の墓と伝える古墳を誉津石(よづいし)権現と称し、墓を守って暮らしていた。「焼尾の部落民は山僧のため婦女子を刧(おびやか)さるゝを恐れ彼等を近付かしめざるがため自ら欺きて穢多を称せしなり」と同書にある。
竹細工は部落の専業といわれてきた。反戦川柳作家の鶴彬(出生名は喜多一二)は河北郡高松町(現・かほく市)の竹細工職人の息子だが、高松町の部落は『全國部落調査』に記載が見えない。
文献
全國部落調査(1934年)
石川縣 昭和九年一月現在
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
金澤市 浅野新町 | 八五 | 四一五 | 日稼 | 藁細工 | 中 | 金沢市 京町 | 1966年に浅野新町が京町に改称。 | |
〃 梅沢町 | 五一 | 二一二 | 〃 | 〃 | 〃 | 金沢市 京町、梅沢町 | 1966年に梅沢町の大部分が京町となる。現在の梅沢町に民家はなく電車の線路のみがある。梅沢町は穢多系の部落で非人系の部落の浅野新町と融合し京町になった。本田豊が『新版 部落史を歩く 非人系部落の研究』24頁で「金沢市内にある大きな部落の場合には7割がかつての『非人』であって残りが『エタ』である」と書いているのは京町のこと。 | |
能美郡 中海村 原 | 九 | 四七 | 〃 | 〃 | 下 | 小松市 原町 | 道上姓2件。2000年電話帳。 | |
〃 〃 中 | 二 | 一一 | 〃 | 〃 | 小松市 中海町 | 1955年に中が中海町に改称。 | ||
〃 湊村 | 三 | 一三 | 農業 | 〃 | 〃 | 白山市 湊町 | ||
〃 寺井野町 寺井 | 三 | 一六 | 漁業 | 〃 | 〃 | 能美市 寺井町 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
石川郡 松住町 北町 | 六 | 二一 | 日稼 | 藁細工 | 下 | 白山市 旭町 | 松住町は松任町の誤記。北町踏切が旭町にある。 | |
〃 戸板村 向増泉 | 六五 | 二七二 | 日稼、職工、雑業 | 〃 | 金沢市 大和町 | 1943年に向増泉が大和町に改称。 | ||
〃 〃 南廣岡 | 六 | 二二 | 〃 | 〃 | 金沢市 南広岡町 | |||
〃 〃 向中 | 九 | 三一 | 雑 | 〃 | 金沢市 向中町 | |||
〃 野々市町 | 五一 | 二五四 | 日稼 | 藁細工 | 中 | 野々市市 | 現在の本町のどこかである可能性が高い。要調査。古くは狐藪(現在の菅原町)に刑場があったと伝えられる。 | |
〃 鶴來町 | 一九 | 一二〇 | 日稼、漁業 | 中 | 白山市 | 白山市の旧・鶴来町域。すなわち、明島町、鶴来朝日町、荒屋町、行町、安養寺町、安養寺、井口町、鶴来今町、鶴来後山、鶴来大国町、大竹町、小柳町、鶴来上東町、鶴来桑島町、坂尻町、三宮町、七原町、柴木二丁目、柴木町、鶴来下東町、白山町、鶴来新町、鶴来清沢町、曽谷町、知気寺町、鶴来知守町、鶴来千原、月橋町、道法寺町、富光寺町、中島町、中ノ郷町、熱野町、鶴来日詰町、日御子町、日向町、鶴来日吉町、深瀬新町、部入道町、鶴来古町、鶴来本町一丁目~四丁目、鶴来水戸町、鶴来水戸町二丁目~四丁目、明法島町、明光一丁目~四丁目、森島町、八幡町。被差別部落の位置は要調査。 | ||
〃 旭村八田 | 七 | 三三 | 藁細工 | 下 | 白山市 八田町 | |||
〃 笠間村 笠間 | 一四 | 五〇 | 日稼 | 藁細工 | 中 | 白山市 笠間町 | ||
〃 米丸村 中 | 五〇 | 二二九 | 〃 | 上 | 金沢市 中村町 | 1935年に中から中村町に改称。『石川県石川郡誌』第49章米丸村』によれば、中村神社について「中に鎮座す。郷社にして、武甕槌命・経津主神・天児屋根命・比咩大神を祀り」とある。この中村神社は中村町16にある。中村神社参考 | ||
〃 安原村 下福増 | 二〇 | 一一〇 | 農業 | 魚行商 | 中 | 金沢市 福増町 | 1954年に下福増が福増町に改称。 | |
〃 〃 打木 | 一六 | 八八 | 漁業 | 藁細工 | 下 | 金沢市 打木町 | ||
〃 福留村 福留 | 三 | 一三 | 〃 | 〃 | 中 | 白山市 福留町 | 浅野姓1件、林姓3件。2000年電話帳。 | |
河北郡 森本村 南森本 | 四 | 二二 | 日稼 | 〃 | 下 | 金沢市 南森本町 | ||
〃 〃 吉原 | 九 | 五二 | 左官 | 〃 | 〃 | 金沢市 吉原町 | ||
〃 七塚村 白尾 | 一六 | 八三 | 藁細工 | 日傭 | 〃 | かほく市 白尾 | ||
羽咋郡 志加浦村 町 | 五 | 二六 | 日稼 | 〃 | 羽咋郡 志賀町 町 | 志賀町の中にある「町」という町域。 | ||
〃 末森村 今浜 | 二 | 七 | 雑業 | 〃 | 羽咋郡 宝達志水町 今浜 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
羽咋郡 志雄村 吉野屋 | 六 | 二六 | 農業 | 下 | 羽咋郡 宝達志水町 吉野屋 | |||
〃 西土田村 佛木 | 四 | 二一 | 農業 | 藁細工 | 〃 | 羽咋郡 志賀町 仏木 | ||
〃 堀松村 北吉田 | 一 | 一〇 | 履物製造 | 〃 | 羽咋郡 志賀町 北吉田 | |||
〃 〃 末吉 | 三 | 一三 | 製皮 | 〃 | 羽咋郡 志賀町 末吉 | |||
〃 高浜町 大念寺 | 一〇 | 六七 | 農業 | 日傭 | 〃 | 羽咋郡 志賀町 高浜町 | ||
〃 富來町 地頭町 | 五 | 三二 | 〃 | 〃 | 中 | 羽咋郡 志賀町 富来地頭町 | ||
〃 〃 領家町 | 一 | 二 | 〃 | 〃 | 下 | 羽咋郡 志賀町 富来領家町 | ||
〃 西浦村 笹波 | 四 | 一八 | 〃 | 漁業 | 中 | 羽咋郡 志賀町 笹波 | ||
〃 邑知村 飯山 | 二 | 一五 | 商業 | 〃 | 羽咋市 飯山町 | |||
〃 〃 神子原 | 二 | 一〇 | 農業 | 日傭 | 下 | 羽咋市 神子原町 | ||
鹿島郡 七尾町 日吉町 | 八 | 三八 | 日稼 | 中 | 七尾市 郡町 | 『七尾町誌』の地図によれば、大地主神社付近、現在は山王湯とサイクルメディアショップJ&Jがある区画に日吉町があった。 | ||
〃 矢田郷村 竹町 | 二二 | 八九 | 〃 | 〃 | 七尾市 竹町 | 「竹町村の藤内居住地は、能登半島でももっとも人口の多い地区で、鹿島郡内に二人いた藤内頭の一人を擁し五郎左衛門と称した。そして『加賀藩史料』(第12編)の「竹町村藤内由来」によれば、伝承として東北地方へ近世初期から薬売りに出かけていたことが知れる」(部落問題研究所編『部落の生活史』178頁) | ||
〃 東島村 野崎 | 二 | 九 | 雑 | 上 | 七尾市 能登島野崎町 | |||
〃 〃 鰀目 | 一 | 三 | 〃 | 〃 | 七尾市 能登島鰀目町 | |||
〃 能登部村 能登部 | 五 | 二三 | 農業 | 下 | 鹿島郡 中能登町 能登部上、能登部下 | 雨の宮古墳群が近い。 | ||
〃 崎山村 鵜浦 | 三 | 一三 | 雑 | 藁細工 | 〃 | 七尾市 鵜浦町 | ||
〃 石崎村 | 二 | 一〇 | 日稼 | 中 | 七尾市 石崎町 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
鹿島郡 御祖村 小田中 | 五 | 二四 | 履物製造 | 上 | 鹿島郡 中能登町 小田中 | 崇神天皇皇子大入杵命墓あり。 | ||
〃 赤藏村 北側 | 二 | 一六 | 日傭、醫師 | 中 | 七尾市 三引町付近 | 旧・赤蔵村(のち和倉町を経て田鶴浜町)北側の位置は要調査。 | ||
〃 〃 上野側 | 四 | 一七 | 農業 | 〃 | 七尾市 三引町付近 | 旧・赤蔵村(のち和倉町を経て田鶴浜町)上野側の位置は要調査。現在の七尾市上野ケ丘町(旧住所の鹿島郡田鶴浜町上野ケ丘)付近の可能性。 | ||
鳳至郡 三波村 矢波 | 二 | 一三 | 漁業 | 下 | 鳳珠郡 能登町 矢波 | |||
〃 〃 波並 | 二 | 一一 | 〃 | 〃 | 鳳珠郡 能登町 波並 | |||
〃 〃 藤波 | 三 | 一三 | 〃 | 〃 | 鳳珠郡 能登町 藤波 | |||
〃 諸岡村 道下 | 九 | 三二 | 日稼 | 〃 | 輪島市 門前町道下 | |||
計三四 | 四七 | 五六三 | 二六七一 |
施設等
関連団体
- 部落解放同盟北陸事務所 - 石川県金沢市西念3丁目3-5
- 全日本同和会石川県連本部 - 石川県金沢市玉鉾1-47-1
17 juin 2017
POP TATARI
千葉県
千葉県の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1907年 | 86 | 675 | 3866 |
1918年 | 25 | 現住445、本籍471 | 3091 |
1921年 | 22 | 474 | 2588 |
1929年 | 39(聚団部落25+散在14) | 現住570、本籍606 | 3459 |
1935年 | 39 | 559 | 3533 |
1958年 | 16 | 249 | 1478 |
1963年 | 34 | 2486 | 地区全体11949、同和関係4352 |
1967年 | 14 | 地区全体1248、同和関係628 | 地区全体5615、同和関係3374 |
1971年 | 14 | 地区全体1466、同和関係700 | 地区全体6459、同和関係3368 |
1975年 | 18 | 地区全体1602、同和関係716 | 地区全体6227、同和関係3192 |
1985年 | 19 | 地区全体1614、同和関係728 | 地区全体6291、同和関係3256 |
1993年 | 14 | 地区全体3673、同和関係633 | 地区全体11321、同和関係2264 |
「東京日日新聞 房総版 大正7年9月4日
千葉県特殊部落調査によると・・・・
特殊部落 県下には二五ある 総人員は三千九十一人
本県にては内務省よりの通牒に基づき過般来特殊部落の調査中なりしが,愈々二日完了したり。
右に依れば県下の同部落数は海上,匝瑳,安房の三郡にはなく,千葉二,市原三,東葛飾郡八,印旛一,長生一,山武二,香取一,君津五,夷隅二の二五部落にして,戸数は本籍四百七十一戸,現住四百四十五戸,人口は男千五百六十九人,女千五百二十二人,計三千九十一人なり」
「県下でもっとも早く行政闘争が行われたのは、酒々井町であった。ここに解放運動の灯がともるのは、一九七四年のことである。酒々井町の部落の労働者の中で、かなりの人々が、東京の墨田、荒川の皮革産業につとめていた。一九七〇年代に入ってから、東京にも部落解放運動がひろがってきた。とくに、墨田、荒川の皮革産業地帯は、運動の拠点地域であった。その関係で、酒々井の人達は部落解放運動に出会うことになる。一部には、すでに、解放同盟東京都連に参加している人々もいた。東京都連のオルグを受けて一九七四年六月、地元に支部が結成された」
「野田市(福田村事件)は千葉県でもっとも大きな部落をかかえており、千葉県の部落人口の半分以上が集中している。しかし、部落解放運動への立ち上がりがおくれ、一九八二年になって、部落解放同盟野田支部が結成された」
県下の部落の数は約45とも報じられており、ほとんどが10戸以下で少数点在している。
県下では関宿町(現在の野田市)のみに水平運動が根付き、1924年に51世帯の参加による千葉県水平社本部が誕生したが、1928年にはもはや見るべき活動なしと記録された。
この水平運動とは別個に、関宿町、酒々井町、梅郷村(現在の野田市)、二川村(のち関宿町、現在の野田市)、土気本郷村(現在の千葉市)で融和事業が行われた。特に酒々井町上本佐倉と瑞穂村谷中(のち佐原市、現在の香取市)は中央融和事業協会の指定地区であった。
1934年には、
- 酒々井町
- 瑞穂村(現在の香取市)
- 二川村(現在の野田市)
- 関宿町(現在の野田市)
- 七福村(現在の野田市)
- 土気本郷村(現在の千葉市)
- 庁南町(現在の長南町)
- 東条村(現在の鴨川市)
- 姉崎町(現在の市原市)
の各部落で融和事業が実施された。
県内最大の部落は野田市にあり177世帯。最小の部落は東金市にあり3世帯であると三輪嘉男は述べているが、実際には下記のように1世帯の「部落」が複数ある。
長嶋茂雄に部落民説があり、長嶋の実家は佐倉市臼井17番地で鈴木建具店の斜め向かいだが、『全國部落調査』の臼井台地区にあたるか否かは要調査。今昔マップ(1927~1939年)によると、臼井台の表記があるのは臼井台40番地の熊野神社近辺であり、長嶋の実家からは西に500メートルほどの距離がある。
『千葉県部落調査表』に「千葉市、海上郡、匝瑳郡は部落を有せざるを以て之を除く」とあるが、ここでいう千葉市は大正12年3月末日当時の旧市域である。
文献
全國部落調査(1935年)
千葉縣 昭和十年三月現在
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
市原郡 姉ヶ崎町 姉崎 | 田中 | 一七 | 一〇二 | 漁業、商業 | 農業 | 下 | 市原市 姉崎 | |
〃 鶴舞町 矢田 | 矢田 | 八 | 五八 | 農業 | 漁業、草履、芋掘 | 中 | 市原市 矢田 | |
〃 八幡町 八幡 | 山岸 | 八 | 三六 | 〃 | 漁業 | 下 | 市原市 八幡 山岸 | 別名「観音町部落」 |
千葉郡 豊富村 八木ヶ谷 | 八木ヶ谷 | 二 | 一〇 | 〃 | 〃 | 船橋市 八木が谷 | ||
〃 〃 大神保 | 大神保 | 一 | 三 | 〃 | 山林見廻 | 〃 | 船橋市 大神保町 | |
〃 都村矢作 | 台町 | 五 | 二五 | 皮剥製造 | 農業 | 〃 | 千葉市 中央区 矢作町 | |
〃 生浜町 | 北生實 | 九 | 五四 | 農業 | 漁業、草履 | 〃 | 千葉市 中央区 生実町 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
東葛飾郡 七福村 | 谷津 | 九四 | 七三六 | 商、農 | 農業 | 下 | 野田市 谷津 | |
〃 〃 大神保 | 吉春 | 三五 | 二六〇 | 〃 〃 | 〃 | 〃 | 野田市 吉春 | |
〃 関宿町 | 西町 | 五六 | 三八八 | 農業 | 商、草履 | 〃 | 野田市 関宿台町 | 静姓6件。2000年電話帳。 |
〃 土村 | 根木内新田 | 四三 | 二九六 | 〃 | 竹皮草履 | 〃 | 柏市 豊住 | 1950年に根木内新田から豊住に改称。 |
〃 梅郷村 | 山崎 | 四四 | 二六四 | 〃 | 草履 | 中 | 野田市 山崎 | |
〃 布佐町 | 布佐 | 一一 | 五八 | 〃 | 皮革、草履 | 下 | 我孫子市 布佐 | |
〃 二川村 | 次木 | 一六 | 一一二 | 〃 | 〃 | 〃 | 野田市 次木 | 竹沢姓13件、竹澤姓3件。2000年電話帳。 |
〃 〃 大神保 | 親野井 | 二〇 | 一三一 | 〃 | 〃 | 〃 | 野田市 親野井 | 竹沢姓4件、田中姓22件。2000年電話帳。 |
〃 我孫子町 | 我孫子 | 四 | 二七 | 農、商 | 〃 | 我孫子市 我孫子 | ||
〃 〃 大神保 | 柴崎 | 一 | 五 | 農業 | 〃 | 我孫子市 柴崎 | ||
長生郡 廳南町 長南 | 白山 | 一二 | 一〇六 | 〃 | 漁撈、日雇 | 〃 | 長生郡 長南町 長南 | |
山武郡 土氣本郷町 土気 | 第四區 | 二五 | 一三〇 | 漁獲、日雇、商業 | 〃 | 千葉市 緑区 土気町 | 堀越姓6件。2000年電話帳。 | |
〃 東金町 田間 | 新町 | 八 | 三〇 | 日雇 | 漁撈、日雇 | 〃 | 東金市 田間 新町 | |
〃 成東町 津辺 | 新田 | 二 | 二〇 | 農、職工 | 皮革、草履 | 〃 | 山武市 津辺 | |
香取郡 瑞穂村 | 谷中 | 一五 | 八三 | 農業 | 笠紐、製皮 | 中 | 香取市 谷中 | 根本姓6件。2000年電話帳。 |
〃 〃 大神保 | 寺内 | 四 | 二八 | 〃 | 〃 | 下 | 香取市 寺内 | |
君津郡 中郷村 | 牛袋 | 七 | 六七 | 〃 | 〃 | 木更津市 牛袋 |

赤松宗旦『利根川図志』第4巻19頁「臼井故城図其一」。安政2年(1855年)。現・佐倉市臼井台の新旧穢多町の位置を示している。右頁の右下に「元穢多町」、左頁の右下に「今穢多町」の表記がある。妙覚寺との位置関係から推測すると、今穢多町は佐倉市臼井台126番地近辺と考えられる。一夜城(現・一夜城公園)との位置関係から推測すると、元穢多町は佐倉市臼井台三丁目南部から四丁目近辺と考えられる。なお、この地図は1987年に佐倉市市民憲章推進協議会(事務局佐倉市秘書課)発行のパンフレットに掲載された折、解放同盟から差別地図であるとの言いがかりを受けて糾弾に発展した。
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
君津郡 三島村 | 谷 | 四 | 一五 | 日雇 | 笠紐、皮革 | 下 | 君津市 辻森 | 君津市辻森の小字に谷あり。谷のフリガナはヤツ。「君津郡三島村の如きは部落を各一般部落に移転散在せしめ以て融和促進を期せんとし、村当局は昭和4年度に於て金1000円を予算に計上村会に附したるも、村財政上遂に否決の止むなきに至れり。而してこれ等出稼奉公中普通民と結婚する者少なからず。而して通婚後部落民なるが故を以て破鏡の歎を見たるもの稀なり」。 |
〃 中川村 横田 | 山中 | 二 | 一一 | 農、錻力職 | 農業 | 〃 | 袖ケ浦市 横田 | |
〃 佐貫町 佐賀 | 下町 | 八 | 三三 | 履物製造 | 草鞋 | 〃 | 富津市 佐貫 | 佐賀は佐貫の誤記。 |
〃 〃 鶴岡 | 鶴岡 | 三 | 九 | 日雇 | 〃 | 〃 | 富津市 鶴岡 | |
〃 久留里町 市場 | 沢向 | 二〇 | 九六 | 魚類販賣、農 | 農業、草履 | 中 | 君津市 久留里市場 | 林姓4件。2000年電話帳。 |
夷隅郡 長者町 長者 | 新田 | 八 | 三二 | 皮革業 | 漁業 | 下 | いすみ市 岬町長者 | |
〃 上野村 荒川 | 荒川 | 二 | 一三 | 農業 | 大工、木挽 | 中 | 勝浦市 荒川 | |
安房郡 那古町 正木 | 五丁部 | 五 | 二二 | 〃 | 皮剥業 | 〃 | 館山市 正木 | |
〃 富浦町 南無谷 | 下屋敷 | 五 | 三〇 | 〃 | 皮仲買 | 下 | 南房総市 富浦町南無谷 | |
〃 東條村 仲原 | 仲原 | 九 | 四八 | 漁業 | 皮革丁 | 上 | 鴨川市 東町、西町 | バス停の名称としての仲原は東町と西町の錯綜する土地。 |
〃 長尾村 滝口 | 砂原 | 二 | 一三 | 農業 | 佐官養鶏 | 下 | 南房総市 白浜町滝口 砂原 | |
〃 〃 根本 | 根本 | 一 | 七 | 〃 | 〃 | 南房総市 白浜町根本 | ||
印旛郡 臼井町 | 臼井台 | 四 | 一七 | 〃 | 〃 | 佐倉市 臼井台 | ||
〃 酒々井町 | 本佐倉 | 二七 | 一〇五 | 雑 | 草履 | 〃 | 印旛郡 酒々井町 上本佐倉 | 柏木姓5件。2000年電話帳。上本佐倉には一班から六班まであり、被差別部落は六班。この六班は「中の者」「カア坊」「西台(にしでえ)」と呼ばれる。江戸時代、ここの穢多は佐倉藩の刑吏・警察的な下足人足をつとめていた。2016年に発生した姉による弟へのバラバラ殺人事件の現場は上本佐倉だが1丁目4-13の建売住宅であり一般。 |
東葛飾郡 柏町 | 柏 | 一二 | 五三 | 農業 | 雑 | 〃 | 柏市 柏 | |
計三二 | 三九 | 五五九 | 三五三三 |
1854年(安政元年)発行『成田名所図絵(成田参詣記)』第4巻41頁。本佐倉の穢多町の位置が明記されている。現代の地図と照らし合わせると妙胤寺の門前の東側、印旛郡酒々井町本佐倉560番地から561番地あたりに該当する(現在の部落はそこから周辺地域に拡大している)。同書4頁には「即将門山の故城昔のさまは今の穢多町の辺に」との記述もあるが、1973年11月に大野政治校注で復刻された際には本文中の「穢多町」が「□多町」と欠字にされ、地図からも「穢多町」の文字が抹消された。
※上記のほか、印旛郡酒々井町上本佐倉と隣接する佐倉市将門町にも14戸の部落があり、ほとんどが親戚である。1974年に結成された解放同盟将門支部の初代支部長は小中孝司だが、2000年電話帳では佐倉市将門町に小中姓はない。夷隅郡大多喜町にも7戸の部落があり、『解放新聞』に「県道から入るとすぐに自動車教習所があった。そのうらに七戸の家が点在していた。もちろん道はもう舗装していない。一戸をのぞいて家は古く小さい。ここは昔農地をもっていたが、進出してきた東京の会社へ売ったという。入口の自動車教習所が部落の土地だったのだ」とあることから、1961年開設の大多喜町自動車学校(夷隅郡大多喜町紺屋81)の裏手と推測できる。なお、大多喜町自動車学校の裏手にあたる大多喜町田丁には白山橋という橋があり、そのたもとには押樽姓が5軒固まっている(ゼンリン住宅地図を参照)。284番地の押樽家と208番地の押樽家に挟まれた私有地に神社があるが、白山神社かどうかは要調査。270番地の「平川庵 藤崎」の私有地内にも神社がある。
また『浦安町誌』上巻の28頁には「明治初年頃まで、現在の若草幼稚園のところと、堀江の五番通りの十一面様の碑付近に、村の人達から、番太小屋と呼ばれる小さな小屋があった。小屋にはみんなから番太と呼ばれる者が住んでいた。猫実の番太小屋の近くには、昔花蔵院の墓地があった。番太とは『穢多』のことである」とある。すなわち、現在の浦安市猫実にも部落があったことがわかる。若草幼稚園とは現在の浦安市立若草認定こども園(千葉県浦安市猫実4丁目6-12)と思われる。
このほか印西市木下(きおろし)の川岸についても1772年の史料に「渡守 壱軒」と並び「穢多 壱軒」との記述がある。印西市では、旧・竹袋村の皿沼に穢多屋敷の存在が確認されている。
松戸市の河岸についても1796年の史料に「囲堤内角田通リ水湛ニ付」き、庄左衛門ら4人が「出銭候而人足惣村ゟ雇、水車を以水汲申候 此賃銭三貫五十文、外百廿四文 非人夜番銭」とある。柏市藤ケ谷についても1868年の史料「藤ケ谷村御差出帳」に「一、村火之番小屋 一ヶ所 但シ非人成」とある。館山市の真倉(さなぐら)についても1782年の史料「安房郡真倉村差出明細帳」に「一、牢屋敷 廿五歩 壱ヶ所 但弥古屋敷 是無年貢ニ御座候 一、穢多 老人」とある。この穢多は牢番である。現在の東電館山寮(館山市上真倉1926)から汐入川に向かった川べり辺りに仕置場があったと伝えられる。真倉はまた、1708年の勝扇子事件で島流しにされた革買治兵衛にも縁がある。
木下と真倉の地区について成沢栄寿は「一軒の穢多では、皮革関係を業としたとしても斃牛馬処理ぐらいのもので、加工ないし細工はほとんどやらなかったのではないか」と推測し、「『全国部落調査表』に木下・真倉(調査当時館山町)の部落が記載されていないのは、きわめて小規模であることとも関連して、昭和初期までに他出などによって解消してしまったか、調査もれになったからである」と述べている。
佐倉城下の非人については「総州佐倉御城府内之図」に「非人猿の小屋」との記載がある。これは『古今佐倉真佐子』(佐倉市発行、1983年)33頁の「乞食猿之こや」と同一視されている。場所は佐倉市鏑木町96の「猿が脇の坂」の付近である。当時、同地には猿と渾名される乞食がおり、節季候(せきぞろ)や大黒舞という非人系の門付け芸を演じていた。また佐倉藩の獄舎(佐倉市裏新町78の佐倉市役所裏新町倉庫のあたり)の近くに八軒町という細民窟があり、『古今佐倉真佐子』(佐倉市発行、1983年)51頁に「かたがけにてびんぼうもの斗住す所故、殊外むさき所にて通りの道かはくと云事なし」「こゝろある人は一切往来せず」「佐倉のごみ捨場とあだな付たる所也。こゝろざし人までむさし」と書かれ、桶屋や傘屋などの屋号を持つ細工職人たちが住み、部落とも交際があったが、単なるスラムか部落かは明らかになっていない。八軒町は袋町ともいわれ、現在は佐倉市鏑木町167-1の「袋町集会所」に名をとどめている。鏑木町には、現在の佐倉市立中央公民館(鏑木町198-3)の地先に屠場があり、1970年頃まで営業されていた。屠場の位置は「浅間様(引用者注、佐倉市鏑木町348の浅間神社か)の南の崖の下の方」であった。また、この屠場のすぐ近く「八幡様(引用者注、佐倉市弥勒町254の八幡神社のことか)下の廻り角には皮の製剥工場があった」。この製剥工場は、別の資料では「田畑を越えて八幡神社の崖の下に行くと右角には渡辺銀次郎さんの鞣皮工場が」あったと書かれている。この屠場も鞣皮工場も大正時代から昭和にかけてのものであった。
また印旛郡飯田村(現・佐倉市飯田ならびに飯田台)について「木戸非人小屋1軒」と伝える1843年8月の文書が残っている。藤崎俊は「佐倉道の村の出はずれの右側、今の畑道に廓を造り南下に通ずる道路の分岐点に木戸を設けて番人を置いた」、「飯田に番太がいた(引用者注、前述の非人と同じ)。一名番太郎とも言うが、主として押売、物貰い、旅芸人等を取締り、強窃盗のあった時は町同心(巡査)の手下になって働く。飯田上木脇1番地に住居し西河という老夫婦が明治30年頃迄居た」、「巡回役なるが故に巡(じゅん)と略して呼んだ。巡の宅の下を今でも巡下と呼び地名として残っている」と説明している。江戸時代には飯田村の「かわだ」(皮多)10人が祝い芸「千石万石」を佐倉町内で演じた記録もあり、上記の非人とは別個に穢多町を形成していた可能性があるが、飯田村のどこに住んでいたのかは不明である。
施設等
関連団体
- 部落解放同盟千葉県連合会 〒285-0926 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉352 千葉県人権研修センター内 ℡043-496-0015 Fax043-496-4572
- 部落解放同盟千葉県連合会久留里支部 千葉県君津市久留里市場350-4
- 部落解放同盟千葉県連合会上本佐倉支部
- 部落解放同盟千葉県連合会酒々井支部
- 部落解放同盟千葉県連合会将門支部 千葉県佐倉市将門町
- 部落解放同盟千葉県連合会野田支部 千葉県野田市
- 部落解放同盟千葉県連合会西町支部 千葉県野田市
- 部落解放同盟千葉県連合会次木支部 千葉県野田市
- 部落解放同盟千葉県連合会佐原支部 千葉県香取市
- 部落解放同盟千葉県連合会関宿町協議会
- 自由同和会千葉県本部 - 千葉県柏市富里1-1-1 M&Rビル3F
- 全日本同和会 - 千葉県茂原市茂原1580
- 全日本同和会千葉県連合会本部 - 千葉県市川市市川2-32-6
- 全日本同和会野田地区連絡協議会
- 全国部落解放運動連合会野田支部 - 千葉県野田市七光台405番地の2
「新日本同和清光会千葉県総本部」が千葉県千葉市若葉区若松町2170-17にあるものの、行政対応していない泡沫団体。
隣保館
- 香取市みずほふれあいセンター 千葉県香取市谷中936番地1
- 酒々井町隣保館 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉696番地の21
- 野田市立谷吉会館 千葉県野田市谷津1145番地の3
- 野田市立七光台会館 千葉県野田市七光台242番地の1
- 野田市立島会館 千葉県野田市山崎2549番地
- 野田市立関宿会館 千葉県野田市木間ケ瀬619番地2
白山神社(合祀されたものを含む)
- 千葉市緑区土気町354
- 千葉市中央区生実町1784
- 君津市俵田1452
- 君津市久留里市場字下町
- 君津市岩出字城山
- 君津市根本258
- 君津市泉389
- 君津市大坂宮ノ沢1728-1
- 君津市大野台310
- 君津市中島(2社)
- 君津市馬登530-1
- 君津市福岡374
- 君津市糸川
- 香取市新部
- 香取市谷中
- 市原市八幡1124
- 市原市石川89(白幡神社)祭神が菊理媛命。
- 市原市宮原436(大国主神社)祭神の一つが菊理比賣命。
- 市原市姉崎西2丁目5-17
- 市原市五井
- 市原市八幡1057-3
- 市原市金沢82
- 市原市高倉289
- 市原市上高根989
- 市原市中野208
- 市原市飯給937
- 市原市福増851
- 市原市朝生原
- 市川市稲越町
- 市川市国府台3-11-11(国府台天満神社の境内社)
- 木更津市下望陀
- 木更津市椿208
- 木更津市牛袋1047
- 松戸市横須賀1丁目
- 野田市山崎字北山(香取神社)
- 野田市谷津(谷吉神社)
- 野田市関宿台町732
- 野田市関宿台町882
- 野田市次木
- 野田市木間ケ瀬475
- 野田市下三ヶ尾
- 茂原市柴名689
- 茂原市北塚43(白山比咩神社)
- 茂原市野牛299
- 鴨川市東町158番地1
- 富津市宝竜寺447
- 富津市長崎517
- 柏市豊住2丁目1-1
- 袖ケ浦市大曽根774
- 印西市滝1011
- 印西市中田切38
- 印西市船尾1302
- 印西市和泉
- 印西市泉
- 印旛郡酒々井町上岩橋字中山
- 印旛郡酒々井町上本佐倉228
- 大網白里市小中744
- 長生郡長南町豊原737
- 長生郡長南町山内1604
- 夷隅郡御宿町久保
- 夷隅郡大多喜町横山325(1869年、熊野神社に合祀)
- いすみ市能実877
- いすみ市下布施1591
- 我孫子市台田4丁目11(北星神社に合祀)
- 我孫子市根戸(祠のみ現存。東陽寺近く)
- 我孫子市新木1812(合祀されて葺不合神社)
- 我孫子市布佐1220(合祀されて竹内神社)
- 我孫子市緑1-6-8(合祀されて緑香取神社になる。合祀前の白山神社の場所は我孫子市白山2丁目7のめばえ幼稚園の南隣)
- 館山市北条1066-2
- 銚子市常世田町51(白山大神)
- 銚子市猿田町1677(猿田神社)祭神の一つが菊理媛命。
- 匝瑳市木積1213
- 匝瑳市八日市場ニ
- 南房総市上滝田1286
- 香取郡多古町喜多126
小集落改良住宅
酒々井町
- 酒々井町小集落改良住宅 - 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉570
長南町
長生郡長南町豊原1008付近の改良住宅も同和住宅と思われるが詳細不明。要調査。
同和対策集会所
- 上本佐倉同和対策集会所 - 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉696−10
- 将門同和対策集会所 - 千葉県佐倉市将門町71 043-486-4410
- 西町同和対策集会所 - 千葉県長生郡長南町長南767番地の1
- 鴨川市東町集会所 - 千葉県鴨川市東町158番地の1(白山神社境内)
- 市原市姉崎集会所 - 千葉県市原市姉崎764番地の8
- 市原市矢田集会所 - 千葉県市原市池和田1316番地の1
- 市原市八幡集会所 - 千葉県市原市八幡1364番地
- 下町集会所 - 千葉県君津市久留里市場350−4
人権啓発センター
- 千葉県人権啓発センター - 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉352
関宿町台町の由緒正しき人々
「県連元委員長である関口さんは,「年寄りからは『京都の公家がケンカで敗れ,ここに逃げのびてきた子孫』と聞いている」と語ってくれた。また,鎌倉時代,源氏家督争議のおり,追われて逃げた静御前がこの部落にかくまわれ,その礼に「静姓」を名乗ることを許した,それ以降いままで静姓を名乗りつづけている,という。 加えて,この部落は千葉県にはめずらしく,時宗の門徒である。時宗の一遍上人は遊芸民をひきいて布教をつづけたとあるから,これらの伝承もあながち虚構とはいえないだろう」
- 静勇男 千葉県東葛飾郡関宿町台町887 0471-96-1445
- 静勝二 千葉県東葛飾郡関宿町台町1692 0471-96-1472
- 静幸男 千葉県東葛飾郡関宿町台町712 0471-96-0783
- 静恒雄 千葉県東葛飾郡関宿町台町947-2 0471-96-1759
- 静惣市 千葉県東葛飾郡関宿町台町733 0471-96-1437
- 静源蔵 千葉県東葛飾郡関宿町台町880 0471-96-0400
- 静瀇 千葉県東葛飾郡関宿町台町747 0471-96-1439
- 静豊吉 千葉県東葛飾郡関宿町台町746 0471-96-1438
- 静進 千葉県東葛飾郡関宿町台町713-2 0471-96-3759
- 静錦一 千葉県東葛飾郡関宿町台町1725-2 0471-96-1473
5 juin 2017
POP TATARI
栃木県
栃木県の各市町村における同和事業の有無を示す地図。黒磯市(現・那須塩原市)と芳賀郡茂木町と芳賀郡二宮町(現・真岡市)では、被差別部落の地名が確認されつつも、その位置は不明である。なお那須塩原市の樋沢地区(那須塩原市鍋掛)には番太屋敷跡が存在するとの情報もあるが、詳細不明
小山市の神鳥谷部落の古地図
太郎兵衛文書にある支配地および周辺の小頭の支配地。
小山宿を中心とする捨場絵図。
栃木県の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1907年 | - | 1502 | 10005 |
1921年 | 92 | 2052 | 13114 |
1923年(協調会への報告書) | 73 | 2156 | 13765 |
1929年7月 | - | 2750 | 17115 |
1935年 | 104 | 2581 | 15863 |
1942年 | - | 1372 | 8973 |
1946年 | - | - | 17491 |
1958年 | 68 | 2450 | 16347 |
1963年 | 84 | 14078 | 地区全体73487、同和関係16690 |
1975年 | 108 | 地区全体14244、同和関係4429 | 地区全体59560、同和関係20956 |
1985年 | 108 | 地区全体14667、同和関係4627 | 地区全体61171、同和関係21718 |
1993年 | 77 | 地区全体15202、同和関係2738 | 地区全体48937、同和関係10508 |
- 足利市山下村・板倉(山下村小頭半右衛門支配地54ヵ村)
- 佐野市犬伏・赤見・免鳥・田沼町戸奈良・下多田・小見・藤岡町羽黒・沼尻・岩舟町駒場・下津原・花神・葛生町富士見町・栃木市梅沢(犬伏町小頭太郎兵衛支配地109ヵ村、捨て場174ヵ所)
- 岩舟町静和(茂呂宿小頭友蔵)
- 野木町野渡(野渡村小頭六右衛門)
- 小山市大字中里(大字網戸)(中里村小頭儀右衛門)
- 大平町大字榎本(小山市押切・大宮村=平柳)(榎本小頭伝兵衛)
- 大平町大字富田(富田村小頭豊吉)
- 栃木市皆川(向山)(皆川村小頭長助)
- 小山市鹿島村(小頭栄吉場中33ヵ所捨て場、52ヵ所)
- 神鳥谷・二日市
- 鹿沼市蓬莱町・粟野町久野・口粟野・西方村真名子(鹿沼宿小頭弥五兵衛)
- 宇都宮市下河原・壬生町安塚・羽生田・藤井・南河内町薬師寺(宇都宮小頭弥五兵衛)
- 二宮町久下田(常州真壁郡)
- 栃木市旭町(江戸末期20~30戸)(栃木宿小頭勘十郎)
- 小山市大字向野(天保年間に入植、明治期までは10戸)
- 足利市高松町
ここでは、地図も掲載していきます。
- 小山市大字寒川(江戸末期中里より分家)
- 大字間々田
- 小山市祝町(覚本家文書)
- 上三川町(東館)
- 大平町六ツ屋・舞台島(宗門人別帳あり)
- 烏山大字野上(地元の老人の聞き取り。屋敷内に広い白州があった。明治になって逮捕術を警察に教えた)
- 日光神領(祝戸=祝いと=祝人)横宿長吏頭惣右衛門
- 喜連川(足利氏直轄で日光とともに弾左衛門の支配下に入らず)
以上が明治時代より前に成立した。
- 佐野市大橋町東部(水車小屋の仕事で大島氏が最初に住んだ)
- 佐野市大橋町西部
- 小山市大字出井東(7戸で開拓)・馬廻・鉢形・中久喜・小原・東黒田・南小林(開拓に出た)
以上が明治時代より後に成立した。
県内の被差別部落の数は1921年度の調査では92、1935年の調査では104、1975年の調査では108にのぼる。戸数と人口は、それぞれ2052戸1万3114人、2581戸1万5863人、4429戸2万956人であった。
足利市山下町の被差別部落は宿村と呼ばれ、戸数105戸のうち8割が山田姓である 。
また本田豊は「小山市の周り中はほとんど部落で、その地名にみんな谷がついています」と発言しているが、『全國部落調査』によると、現・小山市内の21ヶ所の被差別部落のうち地名に谷がついているのは神鳥谷、谷中、鶴ヶ谷の3ヶ所にすぎない。
県内で最も同和地区が多い小山市内には1975年6月1日当時の調査で29の同和地区があり、同和関係世帯数は1491世帯、人口は7720人にのぼった。小山市と栃木市に次いで県内で三番目に同和地区が多いのは佐野市であり、10地区が存在する。
佐野市に次いで同和地区が多い下都賀郡大平町(現・栃木市)には8地区があり、人口は1963年2月の調査では1400人、1973年5月の調査では1200人、1975年6月調査では326世帯、 1485人となっていた。大平町の同和地区はほぼ南北に2列に並んでおり、1975年6月1日当時の調査では大規模な順に以下のようになっている。
- 96世帯、501人
- 92世帯、436人
- 35世帯、117人
- 29世帯、116人
- 27世帯、105人
- 20世帯、89人
- 16世帯、82人
- 11世帯、39人
なお「現在の被差別部落は長吏の居住地と重なり、非人の居住地は消失している」とも『栃木県部落解放運動の歩み』72頁にある。
犬伏町における小曽根信吉父子らへの集団暴行・恐喝事件
栃木県水平社同人による集団暴行・恐喝事件(1923年)の被告人の氏名は下記の通りである(五十音順)。
- 海老沢久平
- 海老沼豊吉
- 斎川貞三郎(免鳥水平社代表)
- 坂本千吉
- 坂本茂吉(犬伏町富岡字富岡新田水平社解決委員)
- 静井文吉
- 清水岩蔵(栃木県水平社本部臨時代表)
- 清水寅蔵(栃木県水平社本部代表)
- 清水弥三郎(大日本水平社関東代表者)
- 正田酉太郎(安蘇郡佐野町字大橋町水平社代表)
- 末柄清八
- 山根厚太郎
文献
全國部落総監(1935年)
栃木縣 昭和十年二月現在
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
河内郡 上三川町 上三川 | 下町 | 二六 | 一四〇 | 農業 | 牛馬商、日雇 | 下 | 河内郡 上三川町 上三川 | 自治会名に下町1区、下町2区、下町3区、下町4区、下町5区がある。芝田姓15件。2000年電話帳。 |
藥師寺村 藥師寺 | 西坪 | 下野市 薬師寺 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
河内郡 明治村 多功 | 西山、西ノ内 | 三二 | 二一〇 | 農業 | 藁細工 | 下 | 河内郡 上三川町 多功 | |
〃 富屋村 徳次郎 | 横町 | 二四 | 一一六 | 〃 | 日雇 | 〃 | 宇都宮市 徳次郎町 | |
〃 大沢村 大澤 | 下木戸 | 一八 | 九八 | 〃 | 運搬、屠殺業 | 〃 | 日光市 大沢町 | |
〃 豊郷村 竹林 | 上竹林 | 三一 | 二一五 | 〃 | 牛馬商、皮革業 | 〃 | 宇都宮市 竹林町 | |
〃 芳賀郡 眞岡町 田町 | 竹ノ内 | 一二 | 六四 | 〃 | 獣肉商 | 〃 | 真岡市 田町 | |
〃 〃 台町 | 稲熊 | 六 | 三九 | 〃 | 〃 | 〃 | 真岡市 台町 | |
〃 七井村 七井 | 田端 | 五 | 三三 | 獣肉商、牛馬商 | 農業 | 中 | 芳賀郡 益子町 七井 | |
〃 祖母井町 祖母井 | 下新田 | 一七 | 一四九 | 農業 | 草履作リ | 下 | 芳賀郡 芳賀町 祖母井 | |
那須郡 大田原町 | 小泉 | 九 | 四五 | 〃 | 上 | 大田原市 若松町 | 1875年頃まで小泉村の呼称があった土地。 | |
〃 〃 | 松波 | 一二 | 六〇 | 〃 | 下 | 大田原市 | 松波の位置は要調査。松原の誤記? 大田原市親園付近にバス停「松原入口」あり。 | |
〃 佐久山町 福原 | 山木土 | 六 | 四三 | 〃 | 漁業 | 中 | 大田原市 福原 | |
〃 〃 佐久山 | 前坂 | 五 | 五八 | 〃 | 荷馬車挽 | 〃 | 大田原市 佐久山 | |
〃 向田村 野上 | 虻塚 | 一四 | 八三 | 〃 | 皮革業 | 下 | 那須烏山市 野上 | |
〃 馬頭町 馬頭 | 赤坂 | 一二 | 八九 | 〃 | 〃 | 下 | 那須郡 那珂川町 馬頭 | |
〃 川西町 大豆田 | 高黒 | 四 | 三六 | 〃 | 〃 | 〃 | 大田原市 大豆田 | 高黒の位置は要調査。 |
〃 〃 | 向坪 | 六 | 三八 | 〃 | 〃 | 〃 | 大田原市 大豆田 | 向坪の位置は要調査。 |
〃 〃 | 清水坂 | 二 | 一六 | 〃 | 〃 | 〃 | 大田原市 大豆田 | 大豆田のバス停の名前に「清水坂」が残っている。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
那須郡 伊王野村 伊王野 | 下町 | 一〇 | 八六 | 農業 | 日雇 | 中 | 那須郡 那須町 伊王野 | 伊王野付近のバス停に「下町」あり。 |
塩谷郡 矢板町 富田 | 西町 | 一七 | 八五 | 〃 | 牛馬商、皮革業 | 下 | 矢板市 富田 | |
〃 喜連川町 葛城 | 三谷坪 | 四 | 二〇 | 〃 | 日雇 | 〃 | さくら市 葛城 | |
上都賀郡 鹿沼町 鹿沼 | 蓬莱町 | 七〇 | 三五五 | 〃 | 日雇、皮革業 | 〃 | 鹿沼市 蓬莱町 | |
〃 西方村 元 | 元中部 | 二二 | 一三四 | 〃 | 日雇 | 〃 | 栃木市 西方町元 | |
〃 眞名子村 | 澤 | 一三 | 七二 | 〃 | 〃 | 〃 | 栃木市 西方町真名子 | 『角川日本地名大辞典』の小字一覧に真名子の小字として沢の記載はなし。 |
〃 〃 | 反町 | 一八 | 一二五 | 〃 | 〃 | 中 | 栃木市 西方町真名子 | 『角川日本地名大辞典』の小字一覧に真名子の小字として反町が記載あり。 |
〃 清州村 久野 | 原坪 | 一三 | 六五 | 〃 | 〃 | 〃 | 鹿沼市 久野 | 付近のバス停に「原坪」あり。 |
〃 粟野町 口粟野 | 釜場 | 九 | 五九 | 〃 | 〃 | 下 | 鹿沼市 口粟野 | |
〃 今市町 今市 | 七本櫻 | 三〇 | 一四五 | 〃 | 中 | 日光市 今市 | 今市1174-2にセブンイレブン日光七本桜店がある。 | |
〃 日光町 日光 | 岩戸町 | 五〇 | 一八〇 | 下駄商、皮革業 | 〃 | 下 | 日光市 東和町 | 1954年に通称から成立した地名。磐戸町が旧称。 |
下都賀郡 栃木町 栃木 | 東町 | 一六〇 | 一〇一九 | 農業 | 牛馬商、日雇 | 〃 | 栃木市 旭町 | 1937年に栃木町栃木の一部から旭町が成立。 |
〃 大宮村 大宮 | 新谷坪 | 七 | 四三 | 〃 | 漁業、土木業 | 〃 | 栃木市 大宮町 | |
〃 〃 平柳 | 東坪 | 七〇 | 五一三 | 農、牛馬商 | 眞縄作リ、皮革業 | 〃 | 栃木市 平柳町 | 石崎姓15件、入野姓15件。2000年電話帳。 |
〃 〃 今泉 | 西坪 | 八 | 三七 | 農業、牛馬商 | 〃 | 栃木市 今泉町 | 菊元姓5件。2000年電話帳。 | |
〃 壬生町 壬生 | 旭町 | 六五 | 三六五 | 農業 | 日雇 | 〃 | 下都賀郡 壬生町 壬生甲 | 国土地理院地図によると壬生甲の3440番地付近が旭町。戸崎姓36件。2000年電話帳。 |
〃 稲葉村 羽生田 | 下坪 | 五〇 | 二一二 | 〃 | 草履作リ、日雇 | 〃 | 下都賀郡 壬生町 羽生田 | 木野内姓18件。2000年電話帳。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
下都賀郡 稲葉村 福和田 | 東原坪 | 一五 | 七五 | 農業 | 草履作リ、日雇 | 下 | 下都賀郡 壬生町 福和田 | |
〃 南犬飼村 安塚 | 下ノ内 | 二二 | 一四八 | 農、皮革業 | 〃 | 中 | 下都賀郡 壬生町 安塚 | |
〃 〃 助谷 | 東原 | 七 | 四四 | 〃 〃 | 藁細工、日雇 | 下 | 下都賀郡 壬生町 助谷 | |
〃 国分寺村 柴 | 盆田谷 | 一九 | 一四五 | 農業 | 〃 | 〃 | 下野市 柴 | |
〃 〃 | 東浦 | 三 | 一〇 | 〃 | 〃 | 〃 | 下野市 柴 | 『角川日本地名大辞典』の小字一覧には柴の小字に西浦、北浦の記載はあり。小字の東浦は下野市石橋にある。要調査。 |
〃 桑村 喜沢 | 喜沢原坪 | 一八 | 一〇八 | 〃 | 日雇、山芋掘 | 〃 | 小山市 喜沢 | |
〃 〃 出井 | 出井原坪 | 五〇 | 三四一 | 〃 | 〃 | 〃 | 小山市 出井 | 諏訪姓35件。2000年電話帳。 |
〃 〃 鉢形 | 鉢形原坪 | 三五 | 二三三 | 〃 | 〃 | 〃 | 小山市 鉢形 | 静谷姓6件、末柄姓18件、諏訪姓13件。2000年電話帳。 |
〃 〃 向野 | 向野原坪 | 三七 | 三〇三 | 〃 | 〃 | 〃 | 小山市 向野 | 静井姓14件、静谷姓6件、末柄姓12件。2000年電話帳。 |
〃 〃 東山田 | 東山田原坪 | 九 | 五一 | 〃 | 〃 | 〃 | 小山市 東山田 | |
〃 小山町 稲葉郷 | 東町 | 一二一 | 七八一 | 〃 | 〃 | 〃 | 小山市 城北、稲葉郷 | 稲葉郷は付近の地名として残存。「稲葉郷は白山・中坪・鹿島・向原の4地区がある」。旧称の稲葉郷に松本姓88件、松島姓74件、松嶋姓33件。2000年電話帳。 |
〃 〃 小山 | 祝町 | 四二 | 二三二 | 〃 | 〃 | 〃 | 小山市 駅南町 | 1973年に小山市小山の一部から駅南町が成立。祝町公園あり。覚本姓4件。2000年電話帳。 |
〃 〃 神鳥谷 | 芝 | 三六 | 二三四 | 〃 | 〃 | 〃 | 小山市 神鳥谷(大字) | 神鳥谷と神鳥谷(大字)は位置が異なる。 |
〃 〃 上 | 谷中 | 四五 | 二七二 | 〃 | 〃 | 〃 | 小山市 神鳥谷(大字) | 神鳥谷と神鳥谷(大字)は位置が異なる。 |
〃 大谷村 土塔 | 前坪 | 二六 | 二九二 | 〃 | 日雇、藁細工 | 中 | 小山市 土塔 | 諏訪姓8件。2000年電話帳。 |
〃 〃 中久喜 | 上ノ原 | 二〇 | 二〇〇 | 〃 | 〃 | 下 | 小山市 中久喜(大字) | 中久喜と中久喜(大字)は位置が異なる。諏訪姓32件。2000年電話帳。 |
〃 間々田町 間々田 | 六丁目 | 二三 | 一六〇 | 〃 | 藁細工 | 〃 | 小山市 間々田 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
下都賀郡 間々田町 東黒田 | 鶴ヶ谷 | 一〇 | 五二 | 農業 | 藁細工 | 下 | 小山市 東黒田 | |
〃 野木村 野渡 | 中島 | 二九 | 一七九 | 〃 | 棕梠表、藁細工 | 〃 | 下都賀郡 野木町 野渡 | 七五三掛姓11件、中山姓10件、古川姓5件。2000年電話帳。 |
〃 〃 南赤塚 | シベ | 四 | 二九 | 〃 | アミ漁業 | 中 | 下都賀郡 野木町 南赤塚 | 長浜姓7件、長濱姓1件。2000年電話帳。 |
〃 生井村 網戸 | 中坪 | 四五 | 二八三 | 〃 | 藁細工 | 下 | 小山市 網戸 | 古河姓25件。2000年電話帳。 |
〃 寒川村 押切 | 新田坪 | 一三 | 八二 | 〃 | 〃 | 〃 | 小山市 押切 | 新田坪の位置は要調査。 |
〃 〃 | 小向坪 | 一六 | 一〇二 | 〃 | 〃 | 〃 | 小山市 押切 | 小向坪の位置は要調査。 |
〃 〃 中里 | 下坪 | 二七 | 一三五 | 〃 | 〃 | 中 | 小山市 中里 | 古川姓5件、古河姓3件、松本姓10件。2000年電話帳。 |
〃 〃 寒川 | 後田坪 | 一三 | 七八 | 〃 | 〃 | 下 | 小山市 寒川 | |
〃 豊田村 | 北宿 | 一〇 | 四〇 | 〃 | 〃 | 〃 | 小山市 松沼 | 松沼467に豊田公民館がある。 |
〃 中村 南小林 | 登戸、川入 | 三七 | 三〇四 | 〃 | 牛馬商、皮産業 | 〃 | 小山市 南小林 | 小川姓36件、諏訪姓8件。2000年電話帳。 |
〃 〃 上泉 | 堀之内 | 一〇 | 九二 | 〃 | 〃 | 〃 | 小山市 上泉 | |
〃 稲穂村 眞弓 | 六ツ屋 | 一九 | 一二七 | 〃 | 日雇、行商 | 〃 | 栃木市 大平町真弓 | 稲穂村は瑞穂村の誤記。1956年に瑞穂村は大平町の一部になる。真弓に大杉姓8件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 舞台島 | 一三 | 九一 | 〃 | 〃 | 〃 | 栃木市 大平町真弓 | 同上。 |
〃 水代村 榎本 | 榎本 | 四二 | 三五〇 | 〃 | 〃 | 栃木市 大平町榎本 | 海老沼姓6件、河田姓21件。2000年電話帳。 | |
〃 〃 西水代 | 西水代 | 九 | 六五 | 〃 | 〃 | 栃木市 大平町西水代 | 戸田姓10件。2000年電話帳。 | |
〃 〃 伯仲 | 伯仲 | 八 | 五〇 | 〃 | 〃 | 栃木市 大平町伯仲 | ||
〃 部屋村 富吉 | 大橋 | 六 | 五四 | 〃 | 藁細工 | 〃 | 栃木市 藤岡町富吉 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
下都賀郡 部屋村 富吉 | ■申 | 九 | 六〇 | 農業 | 藁細工 | 下 | 栃木市 藤岡町富吉 | 難読箇所は「庚申」の可能性。文部省同和教育研究指定校として藤岡第二中学校(栃木県栃木市藤岡町富吉1544)が指定されている。 |
〃 藤岡町 藤岡 | 羽黒 | 三四 | 一九二 | 〃 | 日雇、草履作リ | 〃 | 栃木市 藤岡町藤岡 羽黒 | 藤岡町藤岡に関塚姓11件。2000年電話帳。 |
〃 三鴨村 都賀 | 沼尻 | 二八 | 一六〇 | 〃 | 藁細工、兔仲買 | 〃 | 栃木市 藤岡町都賀 | 藤岡町都賀804の白山神社の付近が沼尻。石塚姓24件、2000年電話帳。 |
〃 岩船村 下津原 | 下津原 | 二八 | 一四〇 | 〃 | 日雇 | 〃 | 栃木市 岩舟町下津原 | |
〃 〃 静 | 駒場 | 一七 | 八五 | 〃 | 〃 | 〃 | 栃木市 岩舟町静 | |
〃 小野寺村 | 花神 | 一三 | 四七 | 〃 | 〃 | 〃 | 栃木市 岩舟町小野寺 | |
〃 富山村 富田 | 新田坪 | 四六 | 二七四 | 〃 | 〃 | 〃 | 栃木市 大平町富田 | 川田姓39件。2000年電話帳。 |
〃 静和村 和泉 | 下坪 | 一九 | 一一四 | 〃 | 養蚕 | 中 | 栃木市 岩舟町和泉 | 戸沢姓17件、戸澤姓1件。2000年電話帳。 |
〃 皆川村 城内 | 下宿 | 二五 | 一五二 | 〃 | 藁細工 | 〃 | 栃木市 皆川城内町 下宿 | 皆川城内町に関口姓77件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 向山 | 二一 | 一二六 | 〃 | 〃 | 下 | 栃木市 皆川城内町 向山 | |
〃 吹上村 | 南町 | 一一 | 六一 | 〃 | 〃 | 〃 | 栃木市 吹上町 | |
〃 寺尾村 | 梅沢ノ内 | 五 | 三五 | 〃 | 〃 | 〃 | 栃木市 梅沢町 | |
安蘇郡 佐野町 大橋町 | 深町 | 五六 | 二八〇 | 〃 | 日雇 | 〃 | 佐野市 大橋町 油橋深町 | 大橋町に斎川姓36件、斉川姓5件、山根姓59件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 大関 | 二二 | 一一〇 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐野市 大橋町 | |
〃 天神町 | 天神町 | 一七 | 八五 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐野市 天神町 | |
〃 犬伏町 富岡 | 東富岡 | 一四 | 七二 | 〃 | 獣肉商、日雇 | 〃 | 佐野市 富岡町 | |
〃 〃 犬伏 | 角折 | 八 | 四七 | 〃 | 〃 | 中 | 佐野市 犬伏新町 角折 |

栃木市藤岡町都賀の沼尻地区の略図。
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
安蘇郡 堀米町 | 下權道寺 | 八 | 三五 | 農業 | 日雇 | 下 | 佐野市 堀米町 | |
〃 田沼町 戸奈良 | 椿 | 五四 | 三四六 | 〃 | 牛馬商、日雇、皮革業 | 〃 | 佐野市 戸奈良町 | 戸奈良767番地に栃木県水平社委員長の清水弥三郎の自宅があった。清水姓69件。2000年電話帳。 |
〃 〃 多田 | 東町 | 二七 | 一六五 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐野市 多田町 | 坂本姓15件。2000年電話帳。 |
〃 〃 小見 | 菊澤 | 一九 | 一一九 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐野市 小見町 | 菊沢姓17件、菊澤姓7件。2000年電話帳。 |
〃 葛生町 葛生 | 横町 | 三一 | 一五八 | 〃 | 石灰山職工 | 〃 | 佐野市 | 佐野市葛生西と葛生東と両方ある。横町の位置は要調査。 |
〃 赤見村 赤見 | 小峯 | 五三 | 三一八 | 〃 | 日雇、土工 | 〃 | 佐野市 赤見町 | 山根姓47件。2000年電話帳。 |
〃 旗川村 兔島 | 新田 | 四三 | 二三七 | 〃 | 日雇、行商 | 〃 | 佐野市 免鳥町 | 兔島は免鳥の誤記。斎川姓27件、矢菅姓3件、山根姓26件。2000年電話帳。 |
〃 〃 並木 | 田中 | 二六 | 一四五 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐野市 並木町 | 山根姓15件。2000年電話帳。 |
〃 〃 小中 | 小峯 | 三 | 三〇 | 〃 | 〃 | 〃 | 佐野市 小中町 | 山根姓11件。2000年電話帳。 |
足利郡 三重村 今福 | 坂下 | 三二 | 一九二 | 〃 | 造花、日雇 | 〃 | 足利市 今福町 | 1955年8月、当地の部落民の矢菅二二二の娘タエ子(17歳)が元恋人に殺害されたが、足利警察署の差別捜査で自殺として処理された、と部落解放同盟は主張していた(女浅間山事件、足利警察署事件)。矢菅姓26件。2000年電話帳。 |
〃 山前村 | 宿 | 七六 | 四二〇 | 〃 | 賃機、日雇 | 〃 | 足利市 山下町 | 清水姓37件、矢菅姓4件、山田姓56件。2000年電話帳。 |
〃 三和村 板倉 | 入リ | 二七 | 一七一 | 〃 | 山仕事 | 〃 | 足利市 板倉町 | 三俣姓19件、三ツ俣姓2件。2000年電話帳。 |
〃 菱村 黒川 | 山ノ腰 | 二三 | 一九六 | 〃 | 織物職工、日雇 | 〃 | 群馬県 桐生市 菱町 | 1959年1月1日に足利郡菱村は群馬県との県境となる桐生川の河川管理が財政的に負担だったため栃木県から群馬県桐生市に越境合併した。 |
〃 〃 上菱 | 祖父ヶ入 | 三三 | 二一一 | 〃 | 〃 | 中 | 群馬県 桐生市 菱町 5丁目 | 同上。祖父ヶ入は「じがいり」と読む。 |
〃 筑波村 縣 | 原 | 一一 | 五六 | 〃 | 草履造リ、日雇 | 下 | 足利市 県町 | 鶴田姓3件。2000年電話帳。 |
〃 〃 高松 | 川面 | 二四 | 二〇八 | 〃 | 〃 | 〃 | 足利市 高松町 | 山根姓34件。2000年電話帳。 |
宇都宮市 下河原町 | 石戸 | 一〇 | 五三 | 〃 | 草履造リ、皮革業 | 〃 | 宇都宮市 下河原 | 1974年の住居表示により下河原町、西原町、簗瀬町の一部から下河原が成立。石戸姓7件。2000年電話帳。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
足利市 本城 二丁目 | 明石 | 一二 | 九八 | 農業 | 養蚕、賃機織 | 中 | 足利市 本城 2丁目 | |
計六四 | 一〇四 | 二五八一 | 一五八六三 |
施設等
隣保館
- 栃木市旭町9番7号
- 栃木市大平町新1305番地3
- 足利市山下町1312番地の1
- 佐野市赤坂町958番地18
- 佐野市小見町123番地2
- 鹿沼市万町931番地1
- 下都賀郡岩舟町
- 小山市
- 河内郡上三川町
- 藤岡町大字藤岡810番地
小集落改良住宅
小山市
- 網戸市営住宅 - 小山市網戸747-1
- 間々田市営住宅 - 小山市間々田2461-2
- 小薬市営住宅 - 小山市小薬79-2
栃木市
- 栃木市小集落改良住宅 - 栃木市城内町2丁目地内, 栃木市大平町榎本地内, 栃木市大平町西水代地内, 栃木市大平町富田地内
同和対策集会所
- 大平町榎本集会所 - 大平町大字榎本616番地2
- 大平町伯仲集会所 - 大平町大字伯仲1,336番地3
- 大平町真弓集会所 - 大平町大字真弓358番地1
- 大平町西水代集会所 - 大平町大字西水代3,506番地6
- 大平町富田集会所 - 大平町大字富田1,557番地5
- 鹿沼市南部地区会館 - 鹿沼市万町931番地1
- 栃木市皆川城内集会所 - 栃木市皆川城内町1,127番地の6
- 栃木市新栃木コミュニティ会館 - 栃木市平柳町2丁目1番29号
- 足利市今福町集会所 - 足利市今福町133番地の1
- 足利市山下町集会所 - 足利市山下町1,536番地の3
- 足利市高松町集会所 - 足利市高松町310番地の1
- 足利市県町集会所 - 足利市県町1,371番地
- 足利市板倉町集会所 - 足利市板倉町1,008番地の4
- 岩舟町西根南集会所 - 岩舟町大字小野寺828番地3
- 岩舟町下津原集会所 - 岩舟町大字下津原620番地1
- 小山市立間々田6丁目集会所 - 小山市大字間々田2,350番地
- 小山市立網戸中坪集会所 - 小山市大字網戸714番地
- 小山市立東出井集会所 - 小山市大字出井1,060番地4
- 小山市立中里集会所 - 小山市大字中里1,039番地1
- 小山市立泉ケ丘集会所 - 小山市大字中久喜1,496番地40
- 小山市立押切集会所 - 小山市大字押切90番地1
- 小山市立堀の内集会所 - 小山市大字上泉772番地
- 小山市立向野北集会所 - 小山市大字向野973番地25
- 小山市立馬廻集会所 - 小山市大字出井1,175番地7
- 小山市立鉢形南集会所 - 小山市大字鉢形1,098番地8
- 小山市立城北集会所 - 小山市城北1丁目7番地29
- 小山市立喜沢東部集会所 - 小山市大字喜沢359番地3
- 上三川町東館南集会所 - 河内郡上三川町大字上三川1223-1
- 佐野市大橋町西部集会所 - 佐野市大橋町1734番地
- 佐野市大橋町東部集会所 - 佐野市大橋町1093番地2
- 佐野市赤見町山崎集会所 - 佐野市赤見町1758番地1
- 佐野市免鳥町集会所 - 佐野市並木町1712番地3
- 佐野市並木町田中集会所 - 佐野市並木町1259番地
- 佐野市小見町南小見集会所 - 佐野市小見町5番地1
- 佐野市多田町集会所 - 佐野市多田町804番地3
- 佐野市富士見町集会所 - 佐野市富士見町6番21号
- 藤岡町都賀集会所 - 藤岡町大字都賀1165番地1
- 藤岡町富吉集会所 - 藤岡町大字富吉332番地7
- 赤間々会館 - 日光市今市1206番地
人権啓発センター
- 人権センターとちぎ - 小山市神鳥谷2-31-6(同じ建物に部落解放同盟栃木県連合会が入っている)
関連団体
- 栃木県水平社 - 安蘇郡田沼町字戸奈良
- 安蘇郡水平社 - 安蘇郡田沼町
- 下都賀郡水平社 - 下都賀郡栃木町、小山町、富山村
- 部落解放同盟栃木県連合会 - 小山市神鳥谷2-31-6 人権センターとちぎ内
- 部落解放同盟栃木県連合会上三川町東舘支部
- 部落解放同盟栃木県連合会大平町富田支部
- 部落解放同盟栃木県連合会富吉支部
- 部落解放同盟栃木県連合会多田支部
- 部落解放同盟栃木県連合会富岡支部
- 部落解放同盟栃木県連合会東和支部
- 部落解放同盟栃木県連合会都賀支部
- 部落解放同盟栃木県連合会小野寺支部
- 部落解放同盟栃木県連合会葛生支部
- 部落解放同盟佐野市協議会
- 部落解放同盟足利市協議会
- 部落解放同盟栃木市協議会
- 部落解放愛する会栃木県連合会 - 栃木県小山市城東1-4-17
- 部落解放愛する会佐野市協議会
- 部落解放愛する会栃木市協議会
- 全日本同和会栃木県連合会 - 栃木県宇都宮市大通り3-5-18 宮リバーハイツ306
- 全日本同和会栃木県連合会栃木中央支部 - 栃木県栃木市大宮町2290−24
- 全日本同和会小山支部 - 栃木県小山市喜沢667-38
- 栃木人権連 - 栃木県小山市城北3-12-12
『栃木県部落解放運動の歩み』65頁によると、解同栃木県連は1972年に結成され、1992年当時、15市町に44支部を置き、同盟員は1600名を数えた。
白山神社
- 宇都宮市高松町235
- 宇都宮市逆面町678
- 宇都宮市中里町1692
- 宇都宮市冬室町542
- 宇都宮市竹林町455
- 足利市堀込町2252
- 足利市高松町
- 足利市板倉町
- 足利市今福町
- 足利市山下町字宿1517
- 栃木市大平町榎本
- 栃木市藤岡町都賀字台沼804
- 栃木市都賀町大柿2332
- 栃木市吹上町
- 栃木市皆川城内町字向山
- 栃木市旭町8
- 佐野市西浦町字五反田
- 佐野市富士見町
- 佐野市赤見町
- 鹿沼市蓬莱町1876
- 日光市東和町119
- 小山市駅南町1丁目20
- 小山市駅東通り3丁目12
- 小山市押切
- 小山市上泉字堀ノ内7922
- 小山市網戸字中坪
- 小山市南小林字川入
- 小山市稲葉郷958
- 真岡市田町3-19
- 上都賀郡西方町元870-2
- 下都賀郡壬生町羽生田
- 下都賀郡壬生町安塚南原949(壬生町安塚1772の磐裂根裂神社に合祀)
- 下都賀郡壬生町壬生甲字三好町4004-1
- 下都賀郡岩舟町下津原1145(三鴨神社と合祀)
部落所在地 部落数 戸数 人口 足利市 1 11 73 足利郡 3 214 1310 安蘇郡 11 329 2160 上都賀郡 8 201 1090 下〃 32 1125 7441 河内郡 7 151 955 塩谷郡 2 19 102 芳賀郡 4 46 227 那須郡 5 60 407 計 73 2156 13765
4 juin 2017
POP TATARI
茨城県
茨城県の被差別部落の統計 (茨城における同和問題をめぐる情勢と課題)
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1907年 | - | 848 | 5793 |
1921年 | 47 | 700 | 4368 |
1929年7月 | 62 | 935 | 5617 |
1935年 | 57 | 877 | 5329 |
1942年 | - | 817 | 5445 |
1946年 | - | - | 7246 |
1963年 | 38 | 4386 | 地区全体21427、同和関係5578 |
1967年 | 28 | 地区全体3301、同和関係856 | 地区全体15773、同和関係4748 |
1971年 | 1 | 地区全体248、同和関係228 | 地区全体1197、同和関係1127 |
1975年 | 12 | 地区全体1122、同和関係655 | 地区全体5303、同和関係3496 |
1979年 | 19 | 944 | 4347 |
1983年 | 37 | 1265 | 5775 |
1984年 | 39 | - | - |
1985年 | 37 | 地区全体2612、同和関係1260 | 地区全体11703、同和関係6197 |
1987年 | 37 | 1575 | 6865 |
1991年 | 31 | 1252 | 4876 |
1993年 | 32 | 地区全体4160、同和関係1137 | 地区全体15597、同和関係4604 |
「まだ正確な調査はされていないようだが、茨城県内の被差別部落は約五十数ヵ所、それもほぼ県南部の平野地帯に点在しているときいた」と、川元祥一は『関東の部落を行く』58頁で記している。
県内の被差別部落の数は1921年度の調査では47、1935年の調査では57、1975年の調査では12にのぼる。戸数と人口は、それぞれ700戸4368人、877戸5329人、655戸3496人であった。
猿島郡五霞町小手指には堀の内と呼ばれる被差別部落があり、戸数は130戸である。堀の内地区では、130戸のうち4~5軒をのぞく全住民が松本姓を名乗っている。伝承によると、この松本一族の本家は信州の出で、大名の小笠原氏の家臣だったという。
古河市大山と古河市中田には地続きの被差別部落があり、戸数は合計150戸である。水戸市平須町の被差別部落ではもともと白山神社を祀っていたが、「江戸の弾左衛門の支配下にないので弾左衛門と同じ白山神社を祀るのをやめ」、白幡神社が祀られている。
1910年から1911年にかけて茨城県警察部が発表した「新平民部落調査表」によると、県内には竹細工ことに箕直しや梭作りを主業とする被差別部落が18ヶ所あったという。これらの部落は『柳田國男全集24:明治44年-大正4年』522頁に紹介されているが、多くは『全國部落調査』に記載がない。
- 下総北相馬郡内守谷村字奥山(現・守谷市本町字奥山) - 1戸7人。非常番竹細工、一般地方の風俗と異なる所無し。稍善良なるもの。
- 那珂郡勝田村大字金上(現・ひたちなか市大字金上) - 1戸8人。箕直し、各町徘徊の箕直しと其風俗を異にす。
- 那珂郡五台村大字中台字次男分(現・那珂市中台) - 7戸54人。農又は箕直し業、総て野卑にして乞丐に類す。
- 久慈郡久慈町字舟戸(現・日立市久慈町) - 2戸19人。農業箕直し、乞丐に類し一般民と交通せず。
- 稲敷郡龍ケ崎町字根町(現・龍ケ崎市根町) - 2戸40人。箕直し、野卑にして乞丐の如し。
- 稲敷郡八原村大字貝原塚(現・龍ケ崎市貝原塚町) - 2戸15人。箕直し、野卑にして乞丐の如し。
- 稲敷郡阿見村大字阿見(現・稲敷郡阿見町大字阿見) - 3戸24人。箕直し、野卑にして窃盗賭博を好む。
- 行方郡麻生町大字麻生字新田(現・行方市麻生字新田) - 1戸3人。笊造り、一般農民と異なる所無し。
- 行方郡小高村大字橋門(現・行方市橋門) - 1戸2人。笊造り、普通農民に同じ。
- 新治郡九重村大字倉掛字上荒地(現・つくば市倉掛) - 2戸15人。梭職、普通人と異ることなし。
- 新治郡都和村大字常名字新郭(現・土浦市常名) - 3戸21人。梭職、普通人と異なることなし。
- 真壁郡大村大字松原字西(現・筑西市松原) - 1戸4人。箕直し、概して襤褸を纏ひ麁食に安じ、言語野卑不潔を意とせず。常に賤業なるを以て普通民と交際無し。
- 真壁郡大宝村大字大串字長峰(現・下妻市大串) - 1戸13人。箕直し、赤貧にて乞丐をなす。
- 真壁郡雨引村大字本木字前田(現・桜川市本木) - 1戸6人。箕直しの収入にて生計を立つ。一般民と交際無し。
- 東茨城郡中妻村大字田島(現・水戸市田島町) - 1戸2人。主たる職業箕直し及び日雇稼ぎ、常に乞丐的風俗を為し全く他部落民と交際無し。
ただし以下の部落は『全國部落調査』に記載がある。
- 那珂郡瓜連村大字中里字前谷津(現・那珂市中里) - 2戸12人。箕直し職、身分を鑑み謙遜の風ありて常人に異ならず。
- 久慈郡誉田村大字新宿字陣場(現・常陸太田市新宿町) - 4戸18人。箕直し、一般農民と同じ。
- 東茨城郡沢山村大字阿波山字門無(現・東茨城郡城里町阿波山) - 2戸5人。元西茨城郡より来住し箕直しを専業とす。全然部落と交際無く、風俗生計劣等なり。
県下の部落の特色としては、浄土真宗が18.0%にとどまり、時宗が最も多い点が挙げられる(1921年調査)。
文献
全國部落調査(1935年)
茨城縣 昭和十年一月現在
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
筑波郡 眞瀬村 高須賀 | 花輪 | 一三 | 七五 | 農業 | 兎賣買 | 中 | つくば市 高須賀 | |
北相馬郡 大井澤村 板戸井 | 中ノ台 | 一一 | 五四 | 〃 | 草履製造 | 下 | 守谷市 板戸井 | 高橋姓15件。2000年電話帳。 |
〃 〃 立沢 | 向地 | 一三 | 六五 | 草履製造 | 農業 | 〃 | 守谷市 立沢 | |
猿島郡 香取村 水海 | 白山台 | 三 | 二〇 | 農業 | 足袋 | 中 | 古河市 水海 | |
結城郡 山川村 新宿 | 北坪 | 六三 | 三九五 | 〃 | 棕梠表細工 | 〃 | 結城市 山川新宿 | 永井姓36件、永木姓32件、永藤姓13件。2000年電話帳。「この部落の人の姓名は、永藤、永井、永木の三つだ」。永藤>永木>永井の順に力が強い。 |
眞壁郡 小栗村 小栗 | 東城戸 | 五 | 二五 | 〃 | 草履製造 | 中 | 筑西市 小栗 | |
猿島郡 岡郷村 小堤 | 下宿 | 二九 | 一七四 | 〃 | 〃 | 下 | 古河市 小堤 下宿 | 小堤に諏訪姓142件。2000年電話帳。 |
〃 〃 〃 | 神明池 | 三一 | 一八六 | 〃 | 〃 | 〃 | 古河市 小堤 | |
〃 〃 関戸 | 北谷 | 二五 | 一三〇 | 〃 | 〃 | 〃 | 古河市 関戸 | 峯姓13件、峰姓8件。2000年電話帳。 |
〃 〃 稲宮 | 北坪 | 二三 | 七八 | 〃 | 〃 | 〃 | 古河市 稲宮 | 諏訪姓24件。2000年電話帳。 |
結城郡 結城町 結城 | 田町 | 三四 | 一九五 | 〃 | 〃 | 中 | 結城市 結城 | 利根山姓3件。2000年版電話帳。 |
筑波郡 高道粗村 〃 | 〃 | 一〇 | 六七 | 〃 | 〃 | 下 | 下妻市 高道祖 | 高道粗は高道祖の誤記。小松崎姓13件。2000年電話帳。 |
猿島郡 古河町 古河 | 畑中 | 八 | 五三 | 〃 | 下駄表製造 | 〃 | 古河市 古河 | 「畑中」の範囲は要検証。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
猿島郡 古河町 古河 | 御倉下 | 四 | 二五 | 農業 | 牛馬商 | 下 | 古河市 古河 | 「御倉下」の範囲は要検証。 |
西筑城郡 笠間町 笠間 | 柳町 | 一二 | 七六 | 〃 | 日傭 | 〃 | 笠間市 笠間 | 西筑城郡は西茨城郡の誤記。 |
〃 宍戸町 橋爪 | 〃 | 一四 | 七五 | 農、獣商 | 獣皮業、農 | 〃 | 笠間市 橋爪 | 同上。 |
那珂郡 瓜連町 中里 | 東組 | 五 | 四五 | 農業 | 草履製造 | 〃 | 那珂市 中里 | |
行方郡 玉川村 藤井 | 矢作 | 五 | 三〇 | 〃 | 中 | 行方市 藤井 | ||
猿島郡 五霞村 小手指 | 堀ノ内 | 七〇 | 四三六 | 農、自転車修繕 | 棕梠表編、同販賣 | 下 | 猿島郡 五霞町 小手指 | 『関東の部落を行く』(川元祥一、解放出版社、1980)59頁に『そしていま、この「堀の内」という旧字名は、被差別部落の呼称となってつづいている。』『一九三五年の「中央融和事業協会」の調査では、戸数五十九戸、産業は農業と棕櫊表(棕櫊の葉で編んだぞうり表)作りにつきたらしい。』とある。松本姓55件。2000年電話帳。 |
結城郡 三妻村 三坂 | 白山 | 一七 | 一〇〇 | 農業 | 屑物賣買 | 〃 | 常総市 三坂町 | |
稲敷郡 根本村 上根本 | 板耕地 | 一 | 二〇 | 非常廻 | 農業 | 〃 | 稲敷市 上根本 | |
東茨城郡 緑岡村 | 平須 | 三四 | 二一一 | 農業 | 草履製造 | 〃 | 水戸市 平須町 | 小松崎姓21件。2000年電話帳。 |
猿島郡 新郷村 中田 | 中田南区 | 九〇 | 六〇六 | 〃 | 下駄畳表製造 | 〃 | 古河市 中田 1丁目 | 多並8件、峰姓4件。2000年電話帳。 |
〃 〃 大山 | 小堤 | 一九 | 一三三 | 〃 | 〃 | 〃 | 古河市 大山 | 多並33件。2000年電話帳。 |
新沼郡 藤沢村 藤沢 | 西坂 | 二〇 | 一三三 | 〃 | 毛皮、履物製造 | 〃 | 土浦市 藤沢 | |
眞壁郡 樺穂村 原方 | 向坪 | 一二 | 六〇 | 〃 | 竹皮細工 | 中 | 桜川市 真壁町原方 | 小松本姓10件。2000年電話帳。 |
東茨城郡 澤山村 阿波山 | 西坪 | 一五 | 九六 | 〃 | 草履製造 | 〃 | 東茨城郡 城里町 阿波山 | |
稲敷郡 江戸崎村 | 南 | 六 | 三六 | 草履製造 | 農業 | 下 | 稲敷市 江戸崎 | |
北相馬郡 布川町 | 谷原 | 二三 | 一四九 | 農業 | 草履表 | 〃 | 北相馬郡 利根町 布川 谷原 | |
眞壁郡 中村 | 並木 | 三一 | 二〇七 | 〃 | 干瓢 | 〃 | 筑西市 樋口 | 筑西市樋口の小字に並木あり。現在の樋口560番地付近。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
猿島郡 櫻井村 葛生 | 町裏 | 一二 | 九六 | 農業 | 藁細工 | 下 | 古河市 葛生 | |
結城郡 石下町 新石下 | 芝原 | 五 | 三四 | 〃 | 鶏兒賣買、古物商 | 〃 | 常総市 新石下 | |
新壁郡 大村 海老島 | 山中 | 一六 | 七三 | 〃 | 履物製造 | 〃 | 筑西市 海老ヶ島 | 柴姓11件。2000年電話帳。 |
北相馬郡 守谷町 守谷 | 清水 | 一二 | 九四 | 〃 | 草履表製造 | 〃 | 守谷市 百合ケ丘 1丁目の一部、3丁目の一部 | |
眞壁郡 眞壁町 亀熊 | 亀熊 | 一〇 | 五五 | 〃 | 草履製造 | 〃 | 桜川市 真壁町亀熊 | 小松本姓13件。2000年電話帳。 |
稲敷郡 安中村 大塚 | 大塚 | 一 | 七 | 物品販賣 | 〃 | 稲敷郡 美浦村 大塚 | ||
〃 〃 大山 | 大山 | 一 | 四 | 漁業 | 日傭 | 〃 | 稲敷郡 美浦村 大山 | |
行方郡 香澄村 清水 | 茂田 | 一一 | 五二 | 農業 | 雑 | 〃 | 潮来市 清水 | 坂本姓13件。2000年電話帳。 |
結城郡 豊田村 本豊田 | 御門内 | 八 | 四〇 | 〃 | 草履製造 | 〃 | 常総市 本豊田 | |
筑波郡 板橋村 板橋 | 板橋 | 四 | 二二 | 〃 | 〃 | 〃 | つくばみらい市 板橋 | |
〃 〃 勘兵衛新田 | 勘兵衛新田 | 一 | 六 | 〃 | 山林管理 | 〃 | つくばみらい市 伊奈東 | 2006年に勘兵衛新田から伊奈東に改称。 |
猿島郡 幸島村 渚川 | 西原 | 一七 | 一一九 | 〃 | 草履製造 | 〃 | 古河市 諸川 | 渚川は諸川の誤記。 |
〃 〃 駒込 | 上原 | 一八 | 一四四 | 〃 | 〃 | 〃 | 古河市 駒込 | |
結城郡 豊岡村 | 下宿 | 七 | 三〇 | 〃 | 藁細工、下駄歯入 | 〃 | 常総市 豊岡町 | |
眞壁郡 竹島村 市野辺 | 柳町 | 一三 | 七三 | 農、鳶職、古物商 | 履物製造 | 〃 | 筑西市 市野辺 | |
久慈郡 譽田村 新宿 | 前坪 | 三 | 一四 | 農業 | 箕作 | 中 | 常陸太田市 新宿町 | 副業が「箕作」とあるところから穢多系でも非人系でもなく山窩系の部落である可能性が高い。 |
筑波郡 小張村 小張 | 谷津向 | 六 | 五三 | 草履製造 | 下 | つくばみらい市 小張 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
筑波郡 上郷村 上郷 | 東 | 三 | 一六 | 靴製造 | 農業 | 下 | つくば市 上郷 | |
那珂郡 大宮町 根古屋 | 根古屋 | 八 | 四〇 | 農業 | 製皮業 | 〃 | 常陸大宮市 小場 | 常陸大宮市小場の小字に根古屋あり。 |
〃 〃 田子内 | 田子内 | 七 | 二五 | 〃 | 製箕及修繕 | 〃 | 常陸大宮市 田子内町 | 副業が「製箕及修繕」とあるところから穢多系でも非人系でもなく山窩系の部落である可能性が高い。 |
筑波郡 谷田部町 谷田部 | 台町下宿 | 五 | 三〇 | 〃 | 草履製造 | 〃 | つくば市 谷田部 | |
〃 久賀村 足高 | 猿舞 | 五 | 三二 | 〃 | 〃 | 〃 | つくばみらい市 足高 | |
〃 北条町 北條 | 永瀬 | 九 | 五四 | 〃 | 〃 | 中 | つくば市 北条 | |
眞壁郡 下妻町 下妻 | 下町 | 一三 | 六五 | 〃 | 〃 | 〃 | 下妻市 下妻 | |
猿島郡 森戸村 伏木 | 西原 | 二二 | 一一〇 | 〃 | 〃 | 下 | 猿島郡 境町 伏木 | 伏木に間中姓48件。2000年電話帳。 |
〃 〃 | 倉ノ内 | 一〇 | 六二 | 〃 | 〃 | 〃 | 猿島郡 境町 伏木 倉之内 | |
〃 〃 | 谷津 | 四 | 二四 | 〃 | 〃 | 〃 | 猿島郡 境町 伏木 | |
計四五 | 五七 | 八七七 | 五三二九 |
※このほか、潮来市牛堀に15戸の地区があると部落解放同盟は主張している。
施設等
隣保館
- 結城市大字今宿1172-1
- 古河市大山1729番地5
- 守谷市久保ケ丘1丁目19番地2
- 常総市豊岡町乙1522番地1
- 猿島郡五霞町大字江川179番地1
- 猿島郡境町大字伏木字北原1315番地
人権啓発センター
- 茨城県人権啓発推進センター - 茨城県水戸市笠原町978番6県庁舎15階
関連団体
- 茨城県水平社連盟本部 - 猿島郡岡郷村
- 岡郷村水平社 - 同上
- 部落解放同盟全国連合会茨城県連合会 - 茨城県古河市大山521
- 部落解放同盟全国連合会茨城県連合会水戸支部
- 部落解放同盟茨城県連合会 - 茨城県古河市中田808-1 ℡0280-48-2324(現在は部落解放同盟茨城県連合会は県連ごと全国連の傘下に入ったため現存せず)
- 部落解放同盟茨城県連合会牛堀支部(現存せず)
- 部落解放同盟茨城県連合会結城支部(現存せず)
- 部落解放同盟茨城県連合会中田支部(現存せず)
- 部落解放同盟茨城県連合会大山支部(現存せず)
- 部落解放愛する会茨城県連合会 - 茨城県結城市大字結城字西之宮1330 ℡02963-3-5131 →茨城県下妻市平方318 ℡0296-30-0700
- 部落解放愛する会茨城県連合会江戸崎支部
- 部落解放愛する会茨城県連合会新利根支部
- 部落解放愛する会茨城県連合会真壁支部
- 部落解放愛する会茨城県連合会石下支部
- 部落解放愛する会茨城県連合会守谷支部
- 部落解放愛する会茨城県連合会関城支部
- 部落解放愛する会茨城県連合会つくば支部
- 部落解放愛する会茨城県連合会つくばみらい支部
- 部落解放愛する会茨城県連合会土浦支部
- 部落解放愛する会茨城県連合会岩井支部
- 部落解放愛する会茨城県連合会石岡支部
- 部落解放愛する会茨城県連合会八郷支部
- 部落解放愛する会茨城県連合会笠間支部
- 全日本同和会茨城県連合会 - 茨城県古河市中田975-1
- 全日本同和会茨城県連合会 - 茨城県筑西市小栗2690番地
- 全日本同和会茨城県連合会 - 茨城県土浦市北荒川沖町3-14-202
- 全日本同和会茨城県連合会 - 茨城県つくば市春日2丁目33-4
- 全日本同和会茨城県連合会江戸崎支部
- 全日本同和会茨城県連合会新利根支部
- 全日本同和会茨城県連合会水海道支部
- 全日本同和会茨城県連合会千代川支部
- 全日本同和会茨城県連合会土浦支部
- 全日本同和会茨城県連合会友部支部
- 全日本同和会茨城県連合会桜川支部
- 全日本同和会茨城県連合会石岡支部
- 茨城県部落解放運動連合会 - 茨城県結城市結城13671 ℡02963-2-9022
- 茨城人権連 - 茨城県結城市結城8621-69
- 茨城県部落解放運動連合会明野支部
- 茨城県部落解放運動連合会結城・東支部
- 茨城県部落解放運動連合会結城・西支部
- 茨城県部落解放運動連合会結城・北支部
- 茨城県部落解放運動連合会結城・南支部
- 茨城県部落解放運動連合会結城・辻道東支部
- 茨城県部落解放運動連合会結城・辻道西支部
- 茨城県部落解放運動連合会結城・代の下支部
- 茨城県部落解放運動連合会結城・田向支部
- 茨城県地域人権運動連合会八郷支部
- 茨城県地域人権運動連合会笠間支部
白山神社
- 石岡市小屋481
- 小美玉市小塙517
- 笠間市石寺464
- 古河市中田237
- 古河市中田根瓦1101
- 古河市関戸769
- 古河市小堤118
- 桜川市阿部田224
- 桜川市松田683
- 桜川市西飯岡1287
- 常総市新石下1362
- 常総市本豊田528
- 常総市三坂町
- 取手市寺田1408
- 取手市小文間4672
- 取手市野々井1696
- 取手市白山2丁目(弘経寺境内)
- 潮来市清水809
- 常陸太田市田渡町800
- 結城市結城630
- 結城市大木227
- 結城市久保田
- 結城市山川新宿512
- 下妻市下妻丁字下町
- 下妻市高道祖4443
- 守谷市大柏
- 守谷市みずき野5丁目
- 守谷市立沢字向地
- 守谷市百合ヶ丘2丁目字清水
- 守谷市東板戸井
- 坂東市弓田
- 坂東市岩井字藤田
- 北相馬郡利根町布川57
- 東茨城郡城里町赤沢1332
- 結城郡八千代町袋162
- 土浦市藤沢
- つくば市谷田部6488
- つくばみらい市筒戸
- 猿島郡五霞町元栗橋
- 猿島郡五霞町小手指
- 猿島郡境町伏木字宮下一
それに、茨城にはこのような資料もある。以前見落としていたかもしれないので今後は注意して書き加えて置きたい。
「茨城における同和問題をめぐる情勢と課題」(97/6)
全解連茨城県連書記長 新井直樹
一、部落問題(同和問題)とは
全解連(正式名称・全国部落解放運動連合会)の綱領的文書「21世紀をめざす部落解放の基本方向」(以下「基本方向」)は、2年間かけて組織内外の討議が進められ第16回大会(87年3月9日)で決定されました。
「基本方向」は「21世紀に部落差別を持ち越さない」というスローガンを単なる願望にとどめず、これまでの運動や研究の成果を吸収し社会科学的な立場から「部落差別論」を明らかにし解決の展望を示しています。
そこでは、「部落問題とは、封建的身分制に起因する問題であり、国民の一部が歴史的に、また地域的に蔑視され、職業、居住、結婚の自由を奪われるなど、不当な人権侵害をうけ、劣悪な生活を余儀なくされてきたことであり、今日なお解決されていない問題」と規定し、資本主義属性論を退けています。
また「部落問題がなお解決されていないのは、わが国において民主主義が成熟していないからであり、日米独占資本がこの民主主義の発展を妨げているからである。したがって、部落問題の解決は、独占資本と反動勢力の横暴な支配を民主的に規制し、民主主義を確立・推進するたたかいを前進させることによって実現できる」と民主主義の課題であることも明確にしました。
さらに、「部落問題の解決すなわち国民融合とは、部落が生活環境や労働、教育などで周辺地域との格差が是正されること、部落問題にたいする非科学的認識や偏見にもとづく言動がその地域社会で受け入れられない状況がつくりだされること、部落差別にかかわって、部落住民の生活態度・習慣にみられる歴史的後進性が克服されること、地域社会で自由な社会的交流が進展し、連帯・融合が実現すること」と、それまでの「差別の根絶」なる曖昧な規定を見直しています。
そして「部落解放の課題が基本的に解決されても、なお貧富などの諸問題は残される」として「国民共通の諸要求実現」をはかってゆく国民融合の路線と展望を指し示しました。
二、戦前の部落問題
「従来の社会は此等(「穢多」その他の擯付的名称)の人々を目するに一種劣等なる人間と做し、此等の人々と結婚を好まざるは勿論のこと普通一般の社交を結ぶことさへも潔しとしなかった」
「部落民が何故に一地域に密集生活をして居るかと言ふに其の原因の主として一般社会が彼等の雑居を認容しないことに存するのである。会ゝ部落の人にして普通民の間に伍して生活して居るものがあつても此の人にして資財を積み漸く社会的地歩を占むる頃に至れば普通民の間に此の人の部落民なることを理由として排除し擯斥するの象勢を生じ此の人は遂に涙を呑んで元の部落に皈住せざるべからざるに至るのであってかかる事例は数ある。
また部落民が土地を求めむとしても普通民は可成部落民に土地を売買することを好まず偶々売買す者が在っても甚だしき高値を要求すると言ふ状況である。その他種々なる原因に依って部落民は祖先伝来の狭小なる地区に密集生活を続くるの止む無きに至っている」(大正10年調査・茨城県社会課)
三、今日の部落の実態
1、全国の実態
93年度実施の政府調査は、全国36府県の同和関係世帯から約5分の1である59646世帯を抽出し、うち52460世帯の回答が集計されています。
全国的にみると過去24年間の事業費は12兆4798億1900万円です。
調査では、住宅の敷地面積、敷地に隣接している道路の幅員、住宅一世帯あたりの平均部屋数も全国平均と全く変わらないことが明らかになりました。また、住宅改良の整備完了は83%と、住宅・生活環境の改善は、一部の事業区域を除き完了したといえます。
就労の関係では、15歳以上人口の就業率は、全国平均と比べて差異はなく、部落に失業者が特に多いという現象もみられなくなりました。特に、かつての部落に少なかった専門的・技術的職業や管理的職業に従事している人の比率も、今日では全国平均と全く変わらなくなっています。
教育にかかわっては、部落問題としての長欠・不就学の問題は解消し、高校進学率で5%あまり、大学で11%あまりの較差まで縮小しています。
また、部落外住民の意識調査結果(1万7268人からの回答)では、結婚に対する意見として、「当人同士の合意があれば良い。まわりの意見に左右されるべきでない」11・2%、「家族やまわりの人の意見も無視できないが、どちらかと言えば当人同士の合意がより尊重されるべきである」が81・4%で、やや「消極的意見」も含め92・6%と、ほとんどの人が「当人同士の合意」を尊重しています。
2、茨城の部落の実態
地区概況
年度 | 市町村 | 地区 | 地区全体 | 同和関係 | 地区全体 | 同和関係 | |
世帯数 | 世帯数 | 人口 | 人口 | ||||
79 | 一一 | 一九 | 一八六六 | 九四四 | 七二六八 | 四三四七 | |
83 | 二〇 | 三七 | 二三六九 | 一二六五 | 一〇一四九 | 五七七五 | |
87 | 二二 | 三七 | 一五七五 | 六八六五 | |||
91 | 二〇 | 三一 | 三七九五 | 一二五二 | 一四二二三 | 四八七六 | |
93 | 二一 | 三二 | 四一六〇 | 一一三七 | 一五五九七 | 四六〇四 |
30世帯未満の地区が24地区で75%をしめます。
生活水準の変化
生活保護世帯
地区全体 同和関係
79 二・二% 三・二%
83 二・七% 四・一%
85 一・四%
91 一・二% 二・二%
93 四・五‰ 二・一% (九世帯五一人)
全体的に所得階層分布は向上を示しているものの、高所得と低所得との階層分離が部落内において進んでいます。こうした背景には部落をとりまく経済状況、働く場所の有るなしや農地解放の影響、地域の教育力など様々な要因が考えられます。
93年調査で、産業分類別の就労状況は、同和関係者の産業分類別の就労状況を全国調査と比較すると「農業従事者」の比率が高く、「公務」の比率が低い。県平均と比較すると「農業従事者」「建設業」「電気・ガス・熱供給・水道業」の比率が高く、「卸売・小売業・飲食店」「サービス業」「製造業」の比率が低い。
男女で比較すると、男子は「建設業」及び「運輸・通信業」で比率が高く、女子は「農業従事者」「製造業」「卸売・小売業・飲食店」及び「サービス業」で比率が高くなっています。
85年調査と比較すると、「農業従事者」及び「建設業」の比率が下がり、「製造」及び「サービス業」の比率が上がっています。
93年調査で雇用形態をみると、常雇の比率は85年調査より約10%上がり、臨時雇い・日雇いの比率も13%になっています。性別でみると、女性は常雇の比率が低く、臨時雇い、自家営業手伝いの比率が高くなっています。年齢別では、年齢が高くなるにつれ常雇の比率が低くなるが、自営業の比率が高くなり、また、臨時雇いの比率も高い状況です。
93年調査で、年間収入又は収益をみると、300~399万円の比率が最も高く、これは県平均、全国調査、全国平均と同じです。300万円未満の比率は今回調査は県平均より21%、全国調査は全国平均より17・3%それぞれ高くなっています。また、今回調査の400万円以上の比率は、県平均より14・6%、全国調査より3・6%、全国平均より16%といずれも低くなっています。
教育の状況
高校への進学率は、75年時には76・3%で県平均88・5%と12・2%の開きがあったが、83年に89・7%になって以来、91年まで90%代を維持し、94年度は92・7%で県平均と3%の較差にまで縮小しています。
93年調査で、進学率別中学校数85~90%未満が1校(市町村数1)、90~95%未満5校(市町村数3)、95~100%未満13(市町村数12)。このように、一部の部落に問題が限定されている状況が浮かび上がります。
卒業者67人中59人(88・1%)の高等学校進学率で、県平均に比べ7・6%、全国調査に比べ3・7%低い。就職者1、無職者1です。
同和関係者のうち高等学校進学奨励費を借りている人の比率は9・1%で、全国調査の5分の1にすぎません。同和対策の奨学金が給付から貸与に変わったことで数は減ったかもわからないが、自立の営みに努力している部落の父母の姿がうかびます。
小・中学校における差別事象は報告されていません。
婚姻の自由の拡大
*出身別夫婦構成
夫婦とも同和地区 地区外と婚姻 夫婦とも地区外
夫は地区 夫は地区外
85 六六・七% 二二・二% 七・二% 三・九%
93 五三・九% 二二・一% 二一・八% 二・二%
婚姻は、両性の合意にもとづくのが基本です。夫婦いずれかが地区外というのは、93年調査の結果をみても茨城も全国的傾向とかわらず、部落内外の婚姻が進んでいます。45歳で交差し、30歳未満では、70%近くにのぼります。
93年調査にみる人権侵害の状況では、人権侵害を受けたとの回答は、41・6%で、全国調査より8・4%高くなっています。
時期は20年以上前が33%、5年以内でも31・3%もみられます。
内容では、日常の地域生活が25・6%、ついで学校生活、結婚と続きます。
人権侵害に我慢したが39・3%、抗議したは20・8%となっています。
時期的にみてみると、20年以上前は学校生活が一番多く58・6%、20年から6年前では、地域の生活が34~39%に至ります。そしてこの5年以内では結婚が32・7%(18人の回答)です。
人権侵害の内容も日本国憲法の定着により、学校内での公然とした差別は減少し、自由の拡大にともない婚姻でも部落内外婚姻が増え、それに伴う障壁が人権侵害として表れています。今回の調査では、人権侵害を受けても結婚を貫いたのか、あきらめたのか、結果が分かりません。
結婚に関する意識では、当人同士の合意(42・9%)、または、当人同士を尊重するが(53・1%)で合計96%をしめ、意識の面でも「部落にこだわらない」人が圧倒的になっています。
四、同和対策事業(住環境整備)の取り組み
1、県内の事業実績
昨年度までの県の事業実績は啓発やら委託費などを除くと約482億円であり、政府登録残事業も1町の公共下水整備を除いて住環境改善は「概ね完了」(県の回答)にあります。
同和地区の道路改良率は73・4%で県の改良率26・8%を46・6%上回っており、全国調査よりも約12%上回っています。また、下水道の普及率も県平均の29・2%や同和地区所在市町村の19・7%に比べ、37・9%とかなり上回っています。さらに持ち家の比率は98・6%とほとんどであり、公営住宅はありません。
住宅資金の貸し付けは、新築資金676件、改修117件、宅地取得が366件おこなわれ、約7割の世帯が資金の貸し付けを受けていることになります。近年県への資金枠の要望は、年間5件前後になっています。なお、老朽住宅除去事業は137件の実績であることから、新家、分家への貸し付けが多かったことを物語っています。
土地改良や農林同対事業も積極的に取り組まれ、特に農機具利用組合やライスセンター、茸栽培、保冷施設などの近代化施設は136件設立されています。全解連会員は事業の見通しなどを真剣に検討し茸や野菜の保冷、冷凍施設などの共同事業を取り組んできませんでしたが、他団体の指導によるところでは運営に困難を抱えている施設が大半です。
中小企業振興資金の貸し付けは779件行われています。93年調査では事業経営者の比率は27・2%であり世帯数から単純計算すると県内全域で350世帯前後と推測できますが、貸し付け実績は2度借りなどを考慮しても実数の2倍を貸し付けていることになります。近年の貸し付け者をみると、20代前半が8割を占めており相談・指導する運動団体の責任が問われています。なお、全解連の関係者は年々融資希望者は減少し年間3件前後を推移し、多くの相談は一般対策の制度融資の活用や返済軽減の話し合いで対処するようにしています。
就労対策に係わっては、普通自動車の訓練が712人、特別自動車の訓練が207人、かつて85年(昭和61)まで給付だった就職援助金は952人の実績です。普通自動車の訓練は期間が3カ月から2カ月に、主たる生計維持者を対象と厳密になる一方、茨城は労働省の一般対策の取り組みの中に訓練科目として同和対策の自動車訓練を選択していることから、県単事業とは別枠扱いになり、県の審議会の見直し検討事項にものらないという事態が生じています。全解連の交渉課題と考えています。
福祉資金の貸し付けも延べ1177件に及び、調査把握世帯全てが網羅された件数となっていることから、自立促進の手だては一巡していると考えられます。
五、同和地区でありながら事業実施ができなかったところ
1、背景
1982年7月の県「意見具申」は、市町村同和対策事業の総合的・計画的推進という項目で「同和地区を有しながら、同和対策事業を実施していない市町村は、同和対策事業の位置づけを明確にし、実態に応じた総合的・計画的施策の推進計画を策定し、事業の推進をはかること。なお、『寝た子を起こすな』という意識で施策を怠ってはならないこと。同和地区を有するという情報が県に提供された時は、当該市町村に対して、必要な調査を行うよう指導すること」を強調していました。その後「指定地区」は増加しますが、87年3月政府は、少なくとも「18年間の受付期間があった」ことを理由に「指定地区」以外は「一般地域」との認識であたることを国会で表明し、経過期間を設けず窓口を閉ざしました。
現在県内には、いわゆる「未指定地区」は大正、昭和年代の調査などから歴史的な経緯をふまえて調べてみると、15市町村約500世帯と把握できます。
2、生活相談活動の展開
茨城県に同和対策室が設置されるのは1977年(昭和52)、同和教育室が80年(昭和55)。運動団体は、76年(昭和51)に「解同」、79年(昭和54)に「愛する会」、全解連と相次いで結成されます。その後、全日本同和会が対応となり、92年には「全国連」が「解同」から組織移行し県の対応となるなか、「解同」は再建できず自滅しました。
運動団体の支部拡大とあわせて「地区指定」の増加が進められましたが、「地区指定」をとることに部落の有力者が絶対反対の立場をとるところが大半で、地区住民全体の合意が得られずに、政府の窓口閉鎖となってしまったものです。
しかし、全解連は「地区指定」がないところでも生活相談活動を積極的に進めてきました。
3、今日新たな地区指定や一般行政に同和枠などを持ち込むことは、逆差別につながる
昨年8月、県南の石岡市は「愛する会」との交渉の中で「地区指定しなかったことを反省して」「住宅資金貸付事業(現行の同和対策事業に準じる)及び平成8年度愛する会支部啓発普及補助金(700000円)については本年度中に一般対策事業の拡充の中での同和対策として実施を図ってまいります」との「確認書」を取り交わしました。
この支部長は以前全解連の会員であり地区指定の要件に合わないところに住んでいたため、指定申請をせず生活相談にのっていました。面倒をみていた隣の自治体の支部長(姉妹)が亡くなる中で自然脱会になり、「愛する会」県連の方針で属人施策の要求を自治体に行ったものです。
自治体の関係者から事情を聞くと、明け方までの交渉になり、同和対策住宅資金の制度のこともよくわからず返答してしまった、再度話し合いが必要と考えていると言っていました。
県は11月11日の交渉のなかで、「未指定地区」の認識や事業要望をどうみるか、ということについて、「未指定」という認識はないことや、要望は個々具体的にみて一般対策の事業の中で積極的に進めたい、と回答しています。同様のことは県議会の委員会でも答弁し、市町村行政の主体性に委ねると、県の責任を放棄しています。
全解連も地区指定に至らなかった個々の事情はあるにせよ、さらに部落を離れて住んでいる人がいる中で、「部落」を理由にした差別をなくす行政上の手だてとして、属人施策を展開することの矛盾(「部落民」を規定することは困難、誰も公平に「部落民」を認定できない、同和対策は「部落民」への個人補償ではない等)があることから、一般対策のなかで積極的に取り上げてほしい、と市へ要求してきました。
つまり、一般市民が望む方向で、例えば住宅資金の借入者への利子軽減を自治体がおこなう、特に所得に応じて自治体が負担する割合を高くするなどの措置を講じるとかを追求すべきで、当該自治体にはその旨を申し入れ、一般制度の充実をはかっています。
六、県審議会が「意見具申」
12月24日茨城県同和対策審議会が水戸市内で開かれ、「同和問題の早期解決に向けた本県における今後の方策の基本的な在り方について」の「意見具申」をとりまとめました。
これは昨年の4月以降6回にわたって「検討部会」をもって各分野の取り組みや事業内容について協議を行い、11月27日の第6回部会決定を案として提示したものです。部会には4運動団体から1名ずつ委員が選任されています。
「今後の施策の展開にあたって」では、「生活環境の整備をはじめとする物的事業はほぼ完了」し、法後にあたっては「国の施策との整合性」などをふまえ「今後5年間」就労・産業、教育、啓発などの諸課題解消のために「一般対策への円滑な移行という視点を踏まえ」て取り組んでゆくことを求めています。
また、これらの課題について「較差の背景には様々な要因がある」として移行の背景を示し、今後「県民の理解とコンセンサスを得ることが極めて重要」であることから「個人給付的事業においても疑義が持たれることのないよう、目的にそって適正に行われることが肝要」と厳しい指摘がなされました。
その結果、国にかかわる教育・就労などの施策とともに、茨城県単独18事業のうち13事業の教育・就労・産業などの施策で適正化対策を講じながら3~5年の期間「激変緩和」として措置されることになりました。なお中小企業や生業などの融資事業は「4年以内の期間で継続」しますが、「厳密な実施」が条件として附記されています。
これは国が一部個人事業を5年間継続するとの状況を反映し「移行」の具体化に至らなかったものの、「同和対策事業の打ち切り・見直し反対」を掲げる他の3団体も含めて各事業の終結時点を明確にし、えせ同和行為を排除すべく施策の適正な運用が条件化されたことは、部落問題解決の県民合意と理解を広げる上でも大きな意義があります。
なお、検討部会の段階では、国に係わる事業以外は原則廃止を他の3団体の委員も一時了解したこともありますが、その後前言を翻し、「打ち切り反対」を強く主張しだしました。県は、生業や中小など貸し付け事業で2年間の経過措置期間を提案しましたが、委員の間で「必要ない」「3年」「4年」と意見に食い違いがみられ、結局実態的根拠とは別に政治的妥協点として「4年」の線でまとまったものです。
県の方向性が市町村に与える影響は大きく、終結・移行、一般対策の底上げの観点からの働きかけと同時に、行政の主体性が今ほど重要な場面はありません。」
29 mai 2017
POP TATARI
福島県
本田豊によると、福島県には三春、平(現・いわき市)、福島、二本松、白河、会津坂下、会津高田(現・会津美里町)などに20ヶ所近く、あるいはそれ以上の被差別部落が存在するという。下記の統計では浜通りや中通りの被差別部落の存在が無視されている、と本田は批判している。川元祥一は『解放新聞』1986年11月24日付のルポ「福島県の部落で」で、県内の部落の数を約30ヶ所、1-2戸の極少数部落を入れると50ヶ所としている。
『講座差別と人権』第1巻177頁に「福島県でも同年(引用者注、1983年)六月、七支部が合同して東北地方では初めて正規の部落解放同盟県連が結成されたのである」とある。ただし、この県連は現存していない。
福島県の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1869~70年(統計集誌明治15年) | - | - | 2061(非人763) |
1907年(内務省) | 7 | 187 | 1236 |
1920年(内務省) | 6 | 184 | 1240 |
1922~28年(協調会への報告書) | - | 約300 | 約1400 |
1929~30年(三好伊平次) | 6(+?) | 177 | 901 |
1930年 | 5 | 177 | 901 |
1935年(中央融和事業協会) | 8 | 173 | 998 |
1946年 | - | - | 998 |
1958年 | 2 | 148 | 745 |
1963年 | 2 | 57 | 地区全体278、同和関係265 |
1965年(同対審答申) | 2(ただし同対審『調査部会報告書』ではさらに6部落を別途把握) | - | - |
1967年(野本武一) | 10 | 249以上 | - |
1986年(川元祥一) | 50 | - | - |
1993年(『東日本の被差別部落』17頁) | 17(かつて存在したことは明らかだが近年まだ確認されていない地区は数十) | - | - |
多くの場合は10戸から20戸程度で、戸数僅か1戸のものもある。県下最大の被差別部落は会津若松市西七日町(旧称・祝町)にあり、戸数は120戸にのぼる。現地では外苗(ゲネ)、外内町(ゲナイ町)と呼ばれており、被差別部落民を異民族と見る向きもあるという。1877年1月の「福島県管轄北会津郡若松村戸籍」の「北会津郡若松祝町戸籍統計」によると戸数は124、人口600(男288、女312)を数えた。1868年には、戊辰戦争で戦士した会津藩士の死体を処理するにあたり763人の部落民が動員されている。
会津藩領居住区分布(軒数)
居住区 | 穢多 | 癩人(ジウ) | イタカ |
---|---|---|---|
若松 | 71 | ? | 8 |
野沢原町 | 3 | ||
東青津村 | 2 | ||
小千谷町 | 15 | ||
十日町 | 4 | ||
塩沢村 | 10 | ||
高田村 | 5 | ||
中島村 | 3 | ||
計 | 113 | ? | 8 |
祝町部落で唯一の富裕層は大津屋の屋号を持つ林家だけで、資産は数億円と伝えられた。昔は大津屋と並び五十嵐という富裕な一族がいた。大津屋は毛皮や竹皮草履、ゼンマイを扱っており、大津屋の当主の末弟が東京の浅草で三和物産という肉屋をやっていた。大津屋は祝町部落に4つある血縁関係(一統と呼ばれる)の最大のものの本家で、大津屋を本家とする血統は約40戸にのぼる。大津屋は2017年現在も東京都台東区今戸1-2-13で毛皮屋を営んでいる(代表取締役は林英彦)。
また「秋田屋喜三郎」を名乗る太鼓製造業者がいた。ただし祝町の部落民の8割から9割は赤貧層である。「このちかく出身の高名な歌手が、若松市のステージで、泣きながら部落でないことを訴えた」といわれる。この歌手は春日八郎(会津坂下町塔寺字大門の生まれ)の可能性が高い。
この他、会津若松市の南部には通称イタカ町(ヱタカ町、穢多下町、井高町とも表記)という戸数8戸の雑種賎民部落もあったが、黒川べりから材木町の郊外、さらに「材木町ノ東町分」に移っている。材木町2-1-14に「只見線井高町街道踏切」がある。このイタカ町の伝統産業は飴練(あめねり)であった。
川元祥一による『解放新聞』1986年11月24日付のルポ「福島県の部落で」には、加倉屋肉店(福島県会津若松市桧町3-26)の店主の鈴木一幸が実名で登場し、「げね町のあれ」と呼ばれて育った旨を述べている。鈴木一幸の叔父の山口慶悟は祝町出身の町会議員(のち県会議員)で、食肉店「山留」(福島県会津若松市西栄町8付近)の店主であった。
福島藩では1703年以降、穢多は腰浜村(こしのはまむら。村域は現在の福島市仲間町・腰浜町・上浜町・新浜町・東浜町・浜田町・五老内町・北五老内町・桜木町のほぼ全域ならびに舟場町・宮町・旭町・霞町の各一部)にのみ居住しており、同年の同村には26人の穢多が居住していた。後世、同村からは平野小剣(出生名・栃木重吉)が出ている。野本武一は、福島市の部落について「4戸の部落が駅の近くであったため町の発展を害するとかで強制的に取りのけられていた」と伝えている。水平社の同人では沖田留吉(沖田松石)(沖田は1931年4月21日に大阪府の舳松部落で病死。婚約者は京都田中部落出身の長田秀子であった。北原泰作『賎民の後裔-わが屈辱と抵抗の半生-』222, 234頁による。) も福島県田村郡の出身であるが、『全國部落調査』に田村郡の部落の記載はない。沖田の出身部落名は不明だが、「隣村滝根町」の小学校の代用教員を務めたという『部落問題事典』の記述と白山神社の所在地から推測すると、船引町(現・田村市)と思われる。なお松島太鼓店が田村市船引町今泉西原162-31にあるが、白山神社の所在地からは離れており、部落との関連は不明。
人口比における穢多の比率が高かったのは湯長谷藩(現・いわき市常磐下湯長谷町)であり、1870年には全戸数1753、全人口8230人のうち、穢多は118戸、485人を占めた。
会津藩では若松城下の穢多町から西へ、青津(現・河沼郡会津坂下町青津)、塔寺(現・河沼郡会津坂下町塔寺)、野沢(現・耶麻郡西会津町野沢)、そして越後の津川(現・新潟県東蒲原郡阿賀町津川)へと穢多集落が続いていた。穢多町に対し、非人小屋は若松の名古屋町(現・会津若松市大町)のそばにあった。
『ニコライ・A・ネフスキイ氏書翰翻刻(1)』に以下の記述がある。
北神谷の鎮守様は御承知の通り白山神社です。之をあやまつてシラヤマ神社と云ふと
百姓が非常に怒る相です。「我々は立派な百姓ですがバンタではあるまいし」と。右
のシラヤマ権現はバンタの神になつて居りますから。白(ハク)山神社の御神体は
臼だつたそうです。バンタの外に特殊部落として箕直しと筬掻きがあつて、重に中
神谷にゐると高木君が話して呉れました。
中神谷とは、いわき市平中神谷のことであるが、『全国部落調査』には記載がない。
田村郡三春町の部落については、大内寛隆が以下のように記している。
三春の城下はずれの八幡町がわたしの生まれ育ったところで、そこの地続きの城下の門外
に居住エリアに10軒ほどの穢多と呼ばれて差別を受けていた人たちが、かつて住んでい
たといいます。そこから数百㍍離れたところには、ジウ屋敷というものがあったといいます
。藩政時代に、八幡町の小肝煎がそのエリアを支配していたからでしょうか、近代以降、行
政的に八幡町に包括されていました。そのエリアに友達がいて、わたしたちは、学校でも地
域でも一緒に勉強したり遊んだりしました。地元の町役人の記録の中に、こうしたことの記
録があったので、三春町史を執筆する際に、これらの人々について書きました。それを編纂
室長の原 宏さんも監修の故大竹正三郎さんも一字一句もカットせずに収録してくれました。
それを「福島県史」・「新編会津風土記」などによって対象を県内全域に拡げて整理し、
「近世における被差別身分の実態-三春藩とその周辺-」
(「福島地方史の展開」所収、1985[昭和60]年)としてまとめました。
田村郡三春町八幡町38に「松島太鼓店」があり、同八幡町39に「松島精肉本店」がある。この位置は以下の記述に見える「踊り場」交差点に接している。
三春城下八幡町末「ジウ屋敷」 八幡町末、城下境の日蓮宗法華寺の外側、三春城下黒門外に
「踊り場」という地名が残ります。江戸期にあった大桂寺の門前にあたります。ここは、城下
と農村の境目、所謂「隈」地帯で、非人居住区に当たります。そこの地続きの城下黒門(郭門)
の外居住区に10軒ほどの穢多と呼ばれて差別を受けていた人たちが、かつて住んでいたといいま
す。
三春の部落について、大内寛隆は「穢多の居住区は、すでに述べたように、八幡町末で、黒門外であったというから、法花寺門前西手にあたり、北側33番地より西手、南側42番地より西手の10区画分の中に含まれていたと推定される。人別帳の軒数からみて、隣接する雁木田、丈六にはなかったと考えてよい」、「癩人小屋のうち、三春の場合は、鎌田小屋、鎌田癩人小屋と記され『字鎌田前』という小字名があるところから、『字一本松』か『字山崎』地内にあったと推定されるが、確定できない」という。
享保8年の資料によると、20名の癩者が何らかの事情で三春藩に流入しており、そのうち6名が下野国の出だったという。そして三春藩では癩者が非人として扱われていた。なお松島姓が日本で最も多いのは2000年電話帳によると栃木県小山市稲葉郷である。三春の「松島太鼓店」「松島精肉本店」の経営者の祖先が下野国から来たかどうかは調査を要する。
須賀川市の部落について「安永7(1778年)の幕府の御触に対する請書によって、仁井田(現須賀川市仁井田・向陽町)・滑川(奥州道中に沿った村。現須賀川市滑川)両村に非人がいたことがわかる」とも大内は述べている。
白河市の部落について「城下東端の桜町末の大木戸を出て、谷津田(やんた)川に架かる橋を渡って、関山道と分岐して棚倉街道に出る付近にあったと推定される」とも大内は述べている。
東白川郡棚倉町の部落について「明治2(1769=原文ママ)年の棚倉藩には、穢多17戸・人員107人(男54人・女53人)、非人6戸・人員29人(男16人・女14人)がいたと書出されている。また、『享保2(1717)年酉8月御巡見様御通筋御案内控 伊野両町』には、
猿牽穢多有高一三拾六人 内男廿三人 女十三人
と記録されている。なお、伊野両町とは、棚倉城下の伊野上村と伊野下村の二村のことで、伊野上村に新町、伊野下村に古町・鉄砲町・下町などが形成された」とも大内は述べている。
西白河郡中畑村(現・西白河郡矢吹町中畑)の部落について、天明2(1782)年の「番太 喜太郎」の願書を引き「中畑村に非人が住んでいたことは(略)明らかである」とも大内は述べている。
- 「石川郡上蓬田村に穢多小屋があった。(略)上蓬田村は、笠間藩領小野仁井町(現・小野町大字小野新町)と御斎所街道の石川との間の宿駅であった」
- 「平城下の非差別身分(ママ)の居住区域は、市内を流下して夏井川に合流する新川地域にあった」
- 泉藩領(現・いわき市泉)の部落民は「藩制一覧表」によると「穢多 戸数24軒 人口98人 男54人 女44人」。それ以外は不明。
- 中村藩領(現・相馬市)の部落民は「藩制一覧表」によると「穢多 戸数5軒 人員56人 男36人 女20人」「非人 戸数15軒 人員117人 男63人 女55人」。それ以外は不明。
2002年には、埼玉県児玉郡上里町立隣保館の訓練室でデイサービスを利用している女性が「私の故郷の福島県会津田島ではお祭りに参加できない人がいた。その人たちはカーボーといわれていた」と発言し、解放同盟に糾弾されたことがある。しかし、会津田島(福島県南会津郡南会津町田島)の地区も『全国部落調査』には記載がない。因みに南会津郡南会津町(旧・田島町)針生では川田久義が1979年に「川田太鼓工房」を創業している。関連して『同和教育を知る 差別の現実に深く学ぶ』(本田豊、エムティ出版、1992)に「すぐに皮革業を連想する『△田』あるいは『K△』姓は、東日本に関するかぎり、百パーセントに近く部落の苗字であった」との指摘もある。
部落解放同盟は福島県会津地区の部落を暴露した上、住民に部落民になることを強要している。
「部落はない」といわれ
会津地方と米沢市の現状
東北地方の被差別部落研修
「解放新聞」(2012.10.15-2589)
会津坂下町では、部落側だけが側溝が細くなるという現実がいまだに残されている。
(略)
かつて町は、同和対策事業を住民に黙って実施した。住民側は「同和地区実態調査除外申請」を出すまでの事態になり、それ以降、政府の問い合わせに町は応答していない。
文献
全國部落調査(1935年)
福島縣 昭和十年二月現在
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
福島市 腰浜腰浜村穢多人口(「腰浜村差出帳」による)
| 代町 | 四 | 三一 | 食肉商 | 屠夫、日傭 | 中 | 福島市 上浜町 | 腰浜の読み方は「こしのはま」で腰ノ浜とも表記。「福島市街地の地域構造(渡辺四郎)」には「馬喰町❲明治30年豊田町と改称❳の東にあって、牢屋、穢多町があったという現在の上浜町と鎮守稲荷神社があった現在の宮町は町方と極めて関係は深かったが、腰浜村分となっていた。」とある。鎮守稲荷神社とは現在の福島稲荷神社(福島県福島市宮町1-29)と思われる。平野小剣(出生名は栃木重吉)の出身地区。平野の本籍ならびに出生地は上浜町26番地(代町37番地)。平野自らが1923年に「福島市の東南を流れる大きな川、それは誰もが知つてゐる阿武隈川だ。その流れに沿ふた一区域──元、信夫郡腰浜村字浜辺、通称、下町──これがあらゆる社会の階級から侮辱の的の穢多村だ」、「明治42年頃であつたか、福島市に合併されて下町から代町となつた( ただし代町という地名そのものは1878年の『寺社明細帳』に地元の白山神社の所在地として「岩代国信夫郡腰浜村字代町」と掲載されている。) 」、「福島市の附近には俺の村より外に特殊部落はなかつた」、「俺の生れた村は小さな町位の戸数と人口を有してゐた。(略)明治34年の冬であつたか火災に遭つて全戸数の殆んどを焼燼して、今は僅かに15、6軒ほどしか残つてゐない」と暴露している。平野姓も栃木姓も現存せず。2000年電話帳。戦前からの白山神社の氏子によると、戦前には12軒ほどの氏子がいたという。また、かつて栃木姓の者が住んでいたが、今(引用者注、2002年)は福島県内の別の場所に移っているともいう。(2000年電話帳によると、福島県内には6件の栃木姓が散在している。その内訳は福島市 笹谷釜川原、福島市 飯坂町東坂下、福島市 笹木野由添、相馬郡小高町 西町、双葉郡浪江町 室原七社宮、南会津郡田島町 田部下原に各1件である。) | ||||||||||||
伊達郡 栗野村 柳田 | 町ノ内 | 一 | 五 | 製革業 | 〃 | 伊達市 梁川町柳田町ノ内 | 「梁川町には窂屋敷があって、処刑等に従事する長吏と呼ばれる穢多非人がいた。その支配頭は福島町の穢多であった」 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
若松市 祝町 | 祝町 | 九五 | 五六五 | 食肉商、製革業 | 草履製造 | 下 | 会津若松市 西七日町 | 国道252号線から南側の斜めに区割りされている地区が部落、北側の南北に区割りされている地区は一般。1967年に祝町から西七日町に改称。フリガナはイワイマチ。七日町九丁目と呼ばれていた時期もある。同地では滋賀県から来たとの伝承がある。地区の穢多寺(おそらく西七日町3-34の西福寺)を境にして城に近い方を「上」、遠い方を「下」と呼ぶ。「下」は竹細工を主とする恐らく非人系の部落で履物や樽や竹刀を作って暮らしていた。一方「上」は穢多系の部落で肉屋が多い。西七日町1-15に力道山ゆかりの老舗肉屋「肉の庄治郎」があり、店主の姓は鈴木。西七日町3-3に「鈴木静夫食肉店」もある。西七日町2-8に「ナチュラルミートサトー」があり、店主の姓は不明だが恐らく佐藤。西七日町3-17の「ヤマゴ精肉本店」の店主は五十嵐姓。鈴木姓21件。五十嵐姓14件。山口姓9件。磯田姓2件。林姓1件。2000年電話帳。 |
河沼郡 野沢町 下條 | 原町 | 一三 | 八〇 | 草履製造、製革 | 鼻尾製造、日傭 | 〃 | 耶麻郡 西会津町 野沢 下條乙 | 『全国同和地区実態調査抽出地区精密調査報告 農山漁村型』139-140頁では「河沼郡野沢栄町」(23戸)と記されている。原町と別の部落なのか、単なる誤記なのかは要調査。 |
〃 八幡村 塔寺 大門 | 下町 | 三四 | 一八七 | 食肉商、製革 | 草履製造 | 〃 | 河沼郡 会津坂下町 塔寺 大門 | 通称、塔寺二区。長野県伊那市高遠の者が、山形県山形市に一時住んで来たのが起源と伝える。この地区から出た著名人に歌手の春日八郎(本名は渡部実)がいる。ただし春日八郎の生家の家業は麺類製造ということになっている。真偽は要調査。渡部姓なし。伊藤姓2件。2000年電話帳。 |
西白河郡 白河町 | 下町 | 九 | 六一 | 製革業 | 食肉商 | 中 | 白河市 士多町 | 「下町(現士多町) 田町の北端より東に入り南側に折れた町。南北の長さ二〇八間、道幅三間三尺。町の南端に子安稲荷の子社、北に鉄砲組の稽古所がある」(『白河市史』第10巻第2編旧町村沿革第1章白河町628頁) |
石城郡 平町 | 堤内 | 一六 | 六三 | 屠夫、食肉商、製革業、日傭 | 下 | いわき市 渡辺町上釜戸 堤ノ内 | 『近代部落史料集成第九巻』(原田伴彦、上杉聰、三一書房)28頁には「石城郡平町 戸数二三、人口一三九人」とある。 | |
双葉郡 富岡町 郡山 | 廣畑 | 一 | 六 | 農業 | 製革業 | 中 | 双葉郡 富岡町 上郡山あるいは下郡山 | 現在の上郡山にも下郡山にも小字「広畑」があった。 |
計八 | 八 | 一七三 | 九九八 |
※『解放新聞』1980年9月22日付「東北オルグ座談会」によると、会津高田町(現・会津美里町)の部落は白山神社付近にある。川元祥一による『解放新聞』1987年2月2日付のルポ「福島県の部落で 終」によると、会津高田町の部落は観音北(7戸)であり、観音北からの転出者3戸で形成された部落が内河原(ママ。現在は内川原と表記)にある。このルポには、観音北出身で内川原に住む長原幸男の談話が実名で載っている。長原によると、観音北の総本家は伊藤家であり、それに次ぐ本家は、伊藤家の前に住む長原家である。長原家の祖先は江戸時代に栃木方面から来たとの伝承がある。長原家出身の長原亨は内川原在住であり、会津高田町の町会議員をつとめた。観音北に伊藤姓2件、長原姓なし。内川原甲に長原姓1件。2000年電話帳。
白河市には少なくともさらに1ヶ所の部落があり、三十三間町と呼ばれていた。『白河風土記』の城下桜町の項に「宗祇戻 町の尾穢多町へ移る小坂の所を云ふ」とあり、賤民聚落は桜町の外れにあったことがわかる。旭町1-210-4に白山姫神社があるほか、旭町1-162には山崎太鼓店もある。旭町1-167には大竹肉店もある。旭町は桜町に隣接しており、桜町の外れという条件に合致する。「今昔マップ」(1928~1945年)によると桜町の一部を含む可能性あり。『日本歴史地名体系7福島県の地名』379頁の桜町・鍛治町の項目にも「三十三間とよばれる小字名」は「町の南東」であると記されている。白河市旭町に山崎姓6件。大竹姓4件。2000年電話帳。
また二本松市にも20戸の部落があると野本武一は『全国同和地区実態調査抽出地区精密調査報告 農山漁村型』139-140頁で述べているが、具体的な町名は記していない。
施設等
隣保館
- 福島隣保館保育所 - 福島県福島市須川町3-30
関連団体
- 部落解放同盟福島県連合会 - 福島県会津若松市城東町4-16 伊藤勝男方 ℡0242-27-2656
- 全日本同和会福島県連合会 - 福島県郡山市長者3-5-31
- 全日本同和会福島県連合会 - 福島県いわき市小名浜住吉字冠木46
- 全日本同和会福島県いわき地区協議会 - 福島県いわき市内郷綴町七反田17-2-3-3-28
白山神社
- 会津若松市北会津町二日町北上川原
- 会津若松市北会津町伊和保字縄渕乙62番
- 会津若松市北会津町今和泉
- 会津若松市西七日町(場所は現在では不明)
- 福島市上浜町10( 旧・腰浜村の白山神社は「ジウが屋敷」内に祀られていた。『別冊東北学』第5号232頁、大内寛隆「近世陸奥国南部における被差別身分の実態」による。)
- いわき市泉町玉露定田34(八幡白山神社)
- いわき市平下大越石田167
- いわき市鹿島町上蔵持字滝浪9番
- いわき市平北神谷字神下43番
- いわき市勿来町白米宮沢2番
- いわき市四倉町字田戸285番
- 二本松市木幡字治家49(隠津島神社の境内社のひとつ)
- 耶麻郡西会津町新郷戸豊州字沢田6313
- 耶麻郡西会津町宝坂屋敷熊沢1601
- 耶麻郡猪苗代町長田前田1216
- 河沼郡会津坂下町塔寺大門1519
- 河沼郡会津坂下町高寺平林253
- 河沼郡柳津町大字大柳字上ノ山甲1319番ノ1
- 須賀川市上小山田古寺60
- 須賀川市畑田字後山1番(白山比賣神社)
- 須賀川市袋田字岩根山1番(白山比咩神社)
- 喜多方市関柴町下柴後田688
- 喜多方市塩川町遠田字藤木52番
- 喜多方市岩月町大字宮津字前谷地5038番(喜多方市岩月町宮津荒田とも表記)
- 喜多方市岩月町大字橿野字台畑374
- 喜多方市熱塩加納町米岡字元屋敷西丙146番
- 喜多方市豊川町大字一井字白山社地2200番
- 相馬郡飯舘村草野沢目木55
- 東白川郡棚倉町流東山1
- 西白河郡中島村松崎堂ノ入1(白山比め神社)
- 伊達郡桑折町平沢上城
- 伊達郡桑折町成田天上庵12
- 南会津郡南会津町湯ノ花深沢山戊78
- 白河市旭町1-210-4(白山姫神社)
- 大沼郡会津美里町和田目丙1359番
- 大沼郡金山町大字小栗山字四十刈1616番
- 田村市船引町春山字戸之内408番(白山比咩神社)
- 田村市船引町芦沢字上屋形267番(白山比咩神社)
- 田村郡三春町大字貝山字宮ノ下269番地(白山比咩神社)
- 石川郡浅川町大字浅川字荒町114(白山比咩神社)
- 石川郡浅川町浅川城山85(白山比め神社)
太鼓店
- 田中太鼓店 - 二本松市亀谷1丁目256 リビング田中由衛ロータリービル1F
- 田中太鼓店 - 相馬市中村高池前1
- 佐藤太鼓店 - いわき市平六町目1−1
- 山崎・太鼓店 - 白河市旭町1丁目162
- (株)川田太鼓工房 - 南会津郡南会津町永田堂前2254
- 五十嵐幸太郎太鼓店 - 会津若松市川原町1-20
28 mai 2017
POP TATARI
1922~28年の山形県の部落
米沢市史編纂委員会により「上杉家文書」内米沢城下の古記録を基に修正編纂された、米沢市発行『享保10年米沢城下絵図』の部分図。享保10年は1725年。「白山」と記された地区の南方にある空欄の区画が後の穢多町、現在の米沢市金池一丁目・金池二丁目・中央三丁目の各一部にあたる。米沢に移封された上杉景勝が穢多をはじめとした賤民をこの1ヶ所に集め「穢多町」と「乞食町」をつくったのは1636年のことだが、この絵図には「穢多町」「乞食町」などの表記がない。市史編纂委員会の「修正」を受けたためか否かは不明。
1653(承応2)年の米沢「御城下絵図」。上掲の図と同じ地区を描いた部分は空白となっている。「1652(承応2)年の米沢城下絵図には穢多町、乞食町、穢多寺、白山などの名称がはっきり記載されている」と本田豊は述べているが、それらの表記を確認できない。修正の痕跡は見られないため、本田の単なる勘違いである可能性が高い。
『城下町の光景 絵図によむ米沢』48頁。明和6年(1769年)の米沢「御城下絵図」(市立米沢図書館蔵)に注記を付したもの。穢多町や乞食町や穢多寺や白山神社の所在地を示す部分に付箋のようなものが貼りつけられ、何かが隠されている。穢多寺は恐らく左上の正方形の付箋に隠された部分で、現在の長福寺(米沢市金池二丁目7−8)であろう。
山形県の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1869~70年(統計集誌明治15年) | - | 322 | 1850(『藩制一覧表』による穢多非人の総数。穢多のみでは195戸1133人。) |
1907年 | 5 | 14 | 123 |
1921年 | 4 | 208 | 1000 |
1922~28年(協調会への報告書) | 少なくとも12 | 286 | 1457 |
1929~30年(三好伊平次) | 7(県?) | 270 | 1397 |
1935年(中央融和事業協会) | - | - | - |
1965年(同対審『調査部会報告書』) | 6 | - | - |
1967年(野本武一) | 6 | 292 | - |
1991年(東日本部落解放研究所) | 13 | - | - |
1993年(『東日本の被差別部落』17頁) | 10(かつて存在したことは明らかだが近年まだ確認されていない地区は3) | - | - |
1929年の山形県の調査では県下に7ヶ所、人口1397人の被差別部落の存在が確認されている。最大の被差別部落は米沢市にあり200戸近く、酒田市や鶴岡市には50戸をこえる被差別部落があり、小規模なものでは5戸に満たない場合もある。
町名 | 戸数 | 人口 | 備考 |
---|---|---|---|
米沢市新町(通称、下町。1932年1月に新町から栄町と住吉町に改名。現・米沢市金池一丁目、金池二丁目、中央三丁目の各一部) | 151 | 757(男385+女372) | 上杉氏の移封に随従して1598(慶長3)年前後に会津から移住。当初は戸数30内外であり、米沢市桶屋町、土橋町、北寺町などで革細工業を営んでいたが、会津地方から同族が移住し人口が増えたため、1636(寛永13)年、現在地に移転。宗教は真宗。革製造や革細工で職工50名を使役し10万円以上の資産を蓄えた慈善家に松井孝太郎がいる。中央三丁目に紫屋姓1件。2000年電話帳。 |
飽海郡酒田町(現・酒田市の一部。新井田川と臨港線で囲まれた地域(酒田(今町)刑場が現在の酒田市北新町一丁目にあった。)、浜畑町(現・酒田市栄町周辺)、寺町(現・酒田市寿町から中央西町、中央東町、相生町を横断して広がる寺院密集地帯)(原典では「酒田町、浜畑町、寺町」という書き方がしてあるが、浜畑町も寺町も旧酒田町の一部であることから「酒田町浜畑町ならびに酒田町寺町」を意味する可能性がある。) | 62 | 345(男182+女163) | 獄舎の番人の子孫。囚人や斬罪者の死屍取扱等に従事していたが、廃藩以降は獣類の剥皮解体、革細工、芝居、万歳、踊、神楽舞、伝染病患者の運搬等に従事。宗教は曹洞宗。 |
西田川郡鶴岡町(現・鶴岡市の一部八間町(八軒町とも表記。読み方は「はちけんまち」。現・鶴岡市本町)(旧町名では以下の各町にあたる。馬場町・元曲師町・鷹匠町・若葉町・家中新町・大海町・新町・幸町・上肴町・鍛治町・檜物町・銀町・賀島町・吉住町・七日町・十三軒町・七軒町・南町・二百人町・天神町・新士町・一日市町・十日町・三日町・八坂町・紙漉町・栄町・五日町・下肴町・八間町・与力町・鳥居町・荒町・日和町・宝町・高町・高畑町・最上町・新屋敷町・泉町。原典では「鶴岡町、八間町」という書き方がしてあるが、八間町は旧鶴岡町の一部であることから「鶴岡町八間町」の誤記である可能性がある。 )、 | 38 | 197(男101+女96) | 牢番や死刑執行人の子孫。米沢市の部落と同一沿革を有するともいわれる。宗教は浄土宗。鶴岡町部落民の吉田吉郎(安部栄四郎『紙すき50年』87頁に「山形県鶴岡市八間町吉田吉郎民芸賞」の記述がある。)が部落の世話役であり、納税組合を組織し、成績優良により鶴岡町長から2回表彰された。鶴岡市本町に吉田姓5件。2000年電話帳。 |
南村山郡滝山村大字前田(現・山形市前田町) | 18 | 78(男43+女35) | 通称「熊野井の非人」。享保年間(1716年6月22日~1736年4月28日)に諸国から流入した非人乞食が熊野神社境内に住みつき物乞いをして暮らしていたため、管領株の安孫子文治が神社の尊厳の冒瀆を憂え、掘立小屋を建てて土地を分与し定住させたもの。宗教は天台宗。 |
西田川郡大山町字向町(現・鶴岡市大山向町) | 8 | 45(男23+女22) | 西田川郡の部落について「本郡に於ける部落は、鶴岡町の一部及大山町の一部に現存し、該部落一般に往昔より普通民との交際を絶ちて、感情兎角円滑を欠き、且つ猜疑心深く、知識・思想等に於て多少の懸隔あるを見る」「尚大山町に於ては、曩に資金を与えて樺太に出稼せしめたることあるも、不成功に終りたるを以て、最近入営兵にして成績良好なる者を再役せしめ、退営後は軍人分会の幹部たらしめ、以て部落改善に努力せしむる計画なり」(部落問題-水平運動料集成補巻一より)との資料がある。1964年の新潟地震で5戸が全滅。もともと伝統芸能「春田打ち」で有名だったが、賤民の伝統芸能であることを地元の新聞に報じられたために大山の「春田打ち」は衰退したと野本武一は述べている。 |
山形市下条町(現・山形市下条町) 庚申堂(現・山形市錦町周辺。山形市立第四小学校から山形城北高等学校に至る界隈) 小橋町(現・山形市小橋町) | 7 | 26(男13+女13) | |
東村山郡天童町字田町(現・天童市本町二丁目2番地から4番地) | 2 | 9(男4+女5) |
米沢市の白山神社は米沢市窪田町に四箇所あり、被差別部落と関連する白山神社の中では日本海側の北限とされている。米沢藩の穢多頭の紫屋又三郎は苗字帯刀を許されており、米沢市には今日も紫屋姓の住民が存在する。「地元の人に教えていただいたんですが、紫屋又三郎の末裔は現存しています」と『明日を拓く 34号』(「明日を拓く」編集委員会編、東日本部落解放研究所、2000年)にある。松林伯円(二代目)の作と伝えられる講談に「安政三組の盃」があり、その副主人公の鈴木藤吉郎は出羽国米沢在紫村の穢多頭藤太夫の伜という設定になっている。森鴎外は、鈴木藤吉郎が実在の人物だったと主張し、伝記小説『鈴木藤吉郎』を書いた。ただし鴎外は「伯圓が出羽國紫村穢多頭紫權太夫三男藤之助となしてゐるのは架空の言である」、「三組杯は藤吉郎を以て穢多の裔となした。穢多の裔たるは固より辱とするに足らぬが、其説には何の根據もない」とも述べている。
その他、米沢市金池一丁目3番地には同和向け改良住宅(72戸)がある。金池一丁目は別名を新町といい、江戸時代から穢多や乞食が住んでいた。米沢市では1969年から1971年にかけて同和対策事業が行われていたが、これは金池一丁目の約100戸を対象とする住宅改善事業であった。改良住宅に隣接する市営金池住宅は一般民向けであり、同和住宅ではない。金池一丁目の改良住宅に入居できなかった部落民は、松川(現・最上川)対岸のゴミ捨て場を埋め立てて作られた20戸ほどの3DK住宅に住んでいる。金池一丁目の居住構成は以下の通りである。
- 市街地の住宅(皮革産業を中心とした職業を持ち、同和対策事業を行わなかった)が48戸。
- 改良住宅が45戸。
- 対岸の埋立地に20戸。
- 市営住宅(一般民)が124戸。
米沢市では1959年ごろ、部落解放同盟山形県連準備会が立ち上げられたことがある。この準備会には米沢市の寺島姓の者がいた。2000年電話帳では米沢市金池一丁目5-20と米沢市中央三丁目1-17に寺島姓が1件ずつ存在する。後者は前出の紫屋正一の隣家である。
鶴岡城下では鶴岡市本町(旧称は八間町北方内川端、もしくは八軒町、田中町、下町、俗称は落町=らくまち)が穢多町である。 規模は50戸。本田豊は「部落のなかに丸宮(仮名)という姓があるが、この家の祖先は、いまから約350年前、庄内藩酒井氏が三河国より招いたものである、という。ところが鶴岡に到着するのが約束の時間より遅れてしまった。そのために藩の公役として牢屋の番人となったのだ、と伝えられている」と述べている。この丸宮の実名は雨宮である。鶴岡市本町1-4-5には「雨宮くつ・かばん店」があるが、関連は定かでない。鶴岡では羽前大山にも8戸の部落がある。
酒田城下では、新浜畑(現・酒田市栄町周辺)に戸数25の非人村があった。酒田の穢多町は寺町(現・寿町から中央西町、中央東町、相生町を横断するように広がる寺院密集地帯)の牢屋の西側にあった。酒田の部落は、野本武一の報告によると50戸である。
山形城下では六日町の極楽寺門前に「いた加町」(穢多下町)と呼ばれる芸能賤民の町があり、家数20軒を数えたが、1766年頃の『山形風流松の木枕』には「今ハ方々ヘ離散シテ多クハナシ」と書かれている。なお穢多とイタカ(穢多下)を原田伴彦や『山形市史』は同一視しているが、成沢栄寿や横山陽子は別個の存在としている。
また山形城下の非人は七日町内寺町の専称寺(山形市七日町5丁目10-49)、心縁寺(山形市七日町5丁目11-31)、大宝寺(山形市七日町5丁目10-49)の境内に居住していた。中でも最大の非人居住地は専称寺であった。
本田豊は「山形県に新庄という市がありますが、ここには部落はないはずなのですが、福田原(仮称)というところにはYという靴屋さんがあって、その店は以前、太鼓を作っていました。その周辺には精神病院とかゴミ焼却場も建てられています。さらに刑場跡の碑もあります。ここは庶民の刑場で、武士の刑場は福田原にありました」と述べている。ただし「仮称」と書いてあるにもかかわらず福田原は実在の地名であり、公設の福田原処刑場は新庄市福田字福田原にあったが、新庄中核工業団地の造成で消滅した。精神病院とは新庄明和病院(新庄市福田806)、ゴミ焼却場とは産業廃棄物処理業「株式会社マルカ新庄事業所」(新庄市大字福田711-33)のことかと思われる。なお1882年の資料では新庄藩に穢多14人、非人52人の存在が記録されており、なぜ本田が「ここには部落はないはず」と述べたのかは不明である。
上山市にも約20戸の部落があり、米沢の部落からの移住者の子孫と野本武一は伝えている。
寒河江市や北村山郡楯岡町(現・村山市楯岡)にも部落があると本田豊は述べている。
東日本部落解放研究所の1991年の調査によると県下の部落は13地区であり、酒田市、鶴岡市に50戸、西置賜郡小国町に40戸、その他は10戸以下で、最上川流域の農村地区に1~2戸のバンタの地区が点在していた。また、他に天童市にもあったとしていた。
山形県でも新潟県と同じように渡守をタイシと呼ぶが、新潟県と違って全く差別の影がなく、大きな謎とされる。
白山神社
本田豊は「部落と白山神社の関係についての北限は、太平洋側は仙台、日本海側は米沢までの地域とみてよいと思う」と述べている。しかし「最上千種」(1778-1792年頃成立か)には、現・山形市下条町の穢多部落について「白山の社有」とある。
- 米沢市窪田町窪田字桐ノ木624
- 米沢市窪田町藤泉字沖上948
- 米沢市窪田町窪田字白山前3381-1
- 米沢市窪田町窪田字宮ノ越4197
- 米沢市金池2丁目7−8(長福寺境内)
- 酒田市米島上草田65(白山姫神社)
- 酒田市桜林惣田10(山神社)祭神の一つが菊理姫命。
- 酒田市小牧両興屋54(白山比咩神社)
- 山形市大字大森字白山1954-1
- 山形市下条町(現存せず)
- 鶴岡市由良楯下331
- 鶴岡市温海温福218
- 鶴岡市北京田浜中田23
- 鶴岡市高坂字杉ヶ沢1
- 鶴岡市山王町2-26(日枝神社)祭神の一つが菊理姫命。
- 鶴岡市三瀬字白山58
- 鶴岡市白山西野41
- 鶴岡市上中野目字上長堰端10
- 鶴岡市荒俣字村東30
- 鶴岡市滝沢字水尻112
- 村山市大字河島元塩川字前山1578-126
- 村山市大字湯沢字長坂1598
- 村山市大字大槙1672-42
- 寒河江市大字日田字後田37-1
- 寒河江市大字谷沢字平野山1754-1
- 寒河江市大字松川字丸竹450-1
- 寒河江市大字島字皿沼1020-1
- 上山市宮脇103
- 長井市館町北10-21-1
- 長井市十日町
- 尾花沢市大字正厳字宮原601-4
- 東田川郡三川町大字助川字北畑43
- 東田川郡庄内町余目字興野5
- 東田川郡庄内町肝煎字福地山本8
- 東田川郡庄内町古関字古館6
- 東村山郡中山町大字金沢1924
- 東村山郡山辺町大字根際字入1870-1
- 西村山郡西川町海味小林1072(愛宕神社)祭神の一つが菊理媛命。
- 西村山郡朝日町大字大谷字大谷738-1
- 西村山郡河北町大字西里650
- 西村山郡河北町大字西里1085
- 西村山郡河北町大字田井字下宿97(白山姫神社)
- 北村山郡大石田町大字駒篭字新イカゴ野1510-1
- 北村山郡大石田町大字次年子字大里林1203-1
- 東置賜郡高畠町泉岡877-3(子安神社)祭神の一つが喜久理姫命。
- 西置賜郡小国町大字栃倉字引入沢山峯47
- 飽海郡遊佐町白井新田字宮沢長根1
- 最上郡真室川町大字大沢字上野3645-1(幣帛掛白山神社)
- 最上郡真室川町大沢内ノ沢2355-1
- 最上郡真室川町大沢一ノ渡4419-1
- 最上郡鮭川村大字京塚字月立2971
- 最上郡金山町下野明下片貝852
太鼓店
21 mai 2017
POP TATARI
宮城県
宮城県の被差別部落の統計
調査年 地区数 戸数 人口 1869~70年(統計集誌明治15年) - - 521(非人1119) 1922~28年(協調会への報告書) - 119 370 1965年(同対審『調査部会報告書』) 4 - - 1967年(野本武一) 1+α - - 1993年(『東日本の被差別部落』17頁) 1(かつて存在したことは明らかだが近年まだ確認されていない地区は4) - -
仙台藩では穢多の下にジウ(戎)という賎民がおり、死牛馬を扱っていた。大正末年、宮城県は財団法人協調会の調査に答え、県内の被差別部落人口を119戸・370人としている。
仙台市表小路(仙台市青葉区国分町)の旧称は「革坊町」であり、この地に皮革職人が住み始めたのは伊達政宗の入府より遥かに古かったと推測されている。このほか、奥州街道から宮城刑務所に向かう道路は「革坊通り」、この通りに建つ家並みは「革坊長屋」と呼ばれ、戸数50戸前後の被差別部落である。旧称は新河原町東裏町で、現在の仙台市若林区河原町二丁目にあたるとも言われるが、元禄4・5年製作「仙台城下五釐卦絵図」や安政3年・同6年間製作「安政補正改革仙府絵図」と現代の地図を照らし合わせると、江戸時代の穢多町は現在の仙台市若林区河原町一丁目2番地と一丁目3番地の各一部である。
「部落と白山神社の関係についての北限は、太平洋側は仙台」といわれる。仙台の白山神社は、明治以降に被差別部落の中を転々と移動した末、仙台市若林区木ノ下3-9-1に落ち着いた。
仙台市以外では大崎市岩出山、白石市、塩竈市など、県下の4ヶ所に被差別部落があるとされる。大崎市にあたる古川町南町に1戸、栗原市にあたる若柳町に1戸あったとする資料もある。フリーアナウンサーの菊地舞美は大崎市古川出身で実家は肉屋だが、部落にルーツがあるか否かは定かでない。
また、石巻市に6戸の地区があったという資料もある。石巻で賤民は外郭の後町(現・門脇町)や湊(現・湊町)その他の地区に散在し、皮師・小屋主などと称されていた。
1919年当時、「N市Y部落」に6戸のエタ部落があったと山田野理男は伝える。N市は名取市とも解釈できるが、山田の記事には「Y部落」の近くに志賀直哉の生家(石巻市住吉町)があると明記してあることから「N市」は「I市」の誤植である可能性が高い。ここの部落民はもともとF地に住んでいたが、Tパルプ(東北振興パルプ?)工場の敷地となったためY地区に移ったという。SYという70歳の老人は1949年8月に「わしは三十年前にこの地に掘立小屋を建て、N地を開墾したものです」「その頃でさえわしらは苗字もなく、この土地がYなので全部Yという苗字をつけるからと当時の市長Eさまのお達しがございました」と述べている。だが平民苗字必称義務令が1875年に公布されていることから、1919年当時に苗字がなかったとの申し立てには疑義がある。
宮城県仙台市内の被差別部落(未指定)を真宗大谷派の小野和徳・住職と和田献一・部落解放同盟栃木県連委員長が案内した。被差別部落の場所として
*仙台市内の河原町・白山神社*曹洞宗福聚院*片平市民センター
が挙げられている。
片平市民センターの岡崎修子・館長は古地図『仙台城絵図』を用い、
旧城下町皮坊町から城下町外の河原町南東裏に穢多町が指定され、
穢多、皮坊とよばれる人びとと河原者とよばれる人が住んでいた。
領内21郡(宮城県全域と岩手、秋田の一部)の死牛馬の皮革を一手に扱う権利を有した。
そうしたことから裕福であった。 また、罪人の牢番、市中引き回し、磔刑や治安維拝のための辻番を務めていたと説明している。
白山神社
- 宮城県仙台市若林区木ノ下3-9-1
- 宮城県仙台市若林区荒井字押口56(合祀されて七郷神社)
- 宮城県仙台市青葉区新川
- 宮城県仙台市太白区秋保町長袋字清水久保北22(合祀されて秋保神社)
- 宮城県大崎市岩出山南沢字木戸脇裏140番地(合祀されて馬主神社)
- 宮城県大崎市古川大崎字名生小舘68(合祀されて大崎神社)
- 宮城県大崎市松山下伊場野字宮下16(合祀されて八幡神社)
- 宮城県大崎市古川衰口沼実倉7
- 宮城県刈田郡蔵王町大字円田字白山28
- 宮城県遠田郡美里町大柳字宮前2
- 宮城県栗原市一迫柳目字大館1
- 宮城県栗原市金成小迫山神77
- 宮城県栗原市築館字富下熊川61
- 宮城県栗原市栗駒八幡116(屯岡八幡宮。末社に白山神社)
- 宮城県栗原市志波姫刈敷3-123
- 宮城県登米市中田町浅水字浅部玉山24(白山姫神社)
- 宮城県登米市中田町浅水字長谷山315
- 宮城県牡鹿郡女川町女川浜字女川221番地
- 宮城県石巻市十八成浜金剛畑20
- 宮城県石巻市真野字内山18番地(旧・白山神社)
- 宮城県石巻市真野舟渡6
- 宮城県岩沼市押分字北土手79(白山姫神社)
- 宮城県岩沼市南長谷諏訪128(千貫神社)祭神の一つが菊理比売命。
- 宮城県亘理郡亘理町長瀞字坂下165(合祀されて尊久老稲荷神社)
- 宮城県黒川郡大和町宮床字赤坂73(鶴ヶ峰八幡神社。末社に白山神社)
- 宮城県加美郡加美町字味ヶ袋薬莱原2(合祀されて薬萊神社)
元禄4・5年(1691・1692年)製作の仙台城下五釐卦絵図。中央に「穢多町」の字が見える。
安政3年(1856年)・同6年(1859年)間製作の安政補正改革仙府絵図。中央に「穢多」の字が見える。
地図はクリックで拡大すると読めます。太鼓店
- 睦屋 - 仙台市若林区連坊小路89
- 中澤太鼓店 - 大崎市鳴子温泉上鳴子74
- 太鼓の鳴鼓堂(菅原太鼓店) - 大崎市鳴子温泉字焼石亦19
- 陸前屋太鼓店 - 大崎市古川飯川十文字2-1
- 林吉四郎太鼓商店 - 白石市大川町3-15
- 関ピアノ和太鼓センター - 角田市高倉字関場105-6
関連団体
- 全日本同和会宮城県連合会 - 宮城県仙台市青葉区福沢町5-6
14 mai 2017
POP TATARI
久保田城下絵図(宝暦13年=1763年)。鱗勝院の真西(この地図では下方)にあたる獄(羅く丁牢)の前に三箇所の穢多町の位置が記されている。一方、寛文年間(1661年から1672年)の製作と推定される城下絵図(秋田県立博物館所蔵の守屋家資料)には穢多町の記載がなく、牢舎のみが記載されており、この点から秋田藩における穢多身分の確立を17世紀初頭を下るものと推定する向きもある。
上掲の絵図における穢多町の部分を拡大。現代の地図と照らし合わせると、獄(羅く丁牢)の位置は秋田市山王2丁目10-29のハイツ鈴木I,IIや秋田市山王2丁目10-33のブレジオ山王の辺り。穢多町の位置は秋田市山王2丁目10のブロックの北半分ならびに秋田市高陽幸町1のブロックの南半分にあたる。高陽幸町1-31に「高橋喜八郎靴修理店」あり。
1869年、秋田藩から朝廷への提出書に、穢多89戸、386口とある(『秋田沿革史大成』)。県内には14ヶ所の被差別部落があり、その所在地は全て旧城下町である。具体的には、秋田市、仙北郡角館町(現・仙北市角館町)、本荘市(現・由利本荘市)、湯沢市、北秋田郡十二所町(現・大館市十二所)、横手市、由利郡象潟町(現・にかほ市象潟町)などの町外れに被差別部落があり、大きいものでも20戸程度である。「集団的のもの秋田市の一部に2、30戸及本庄(ママ。正しくは本荘)に20戸、其他多くは散在し居れり」とする資料もある。被差別部落には農業に従事している者はおらず、皮革業が中心である。
本田豊は『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』に秋田市と角館町の被差別部落の探訪記事を載せている。前者は戸数20戸で、旧称は花立町(羅く町、下町とも)、現在は高陽幸町と山王二丁目に分かれているが、江戸時代は一つの穢多町であった。羅く(らく)とは「ゑた、皮はぎのわざをせるものをいふ」。野本武一によると秋田市の鉄砲町も部落であり戸数は20、現在は秋田市大町六丁目の一部にあたる。
角館町の部落は戸数30戸で通称二区、通りを挟んで仙北市角館町西勝楽町と仙北市角館町小館に跨っていることが本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』57頁の図から読み取れる
秋田県の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1869~70年(統計集誌明治15年) | - | 117 | 534(『藩制一覧表』による。高橋梵仙によると1870年9月の県の調査で穢多・番主・非人の総計が944人。) |
1907年(内務省) | 6 | 100 | 不明 |
1923年 | 不明 | 150 | 640 |
1929~30年(三好伊平次) | 14 | 110 | 不明 |
1935年(中央融和事業協会) | 1 | 16 | 105 |
1967年(野本武一) | 3 | 49 | - |
1993年(『東日本の被差別部落』17頁) | 4(かつて存在したことは明らかだが近年まだ確認されていない地区は10) | - | - |
本田は『新版 部落史を歩く 非人系部落の研究』79頁で「私は、1935(昭和10)年の全国部落調査に、どうして秋田市にある部落ではなくて、角館町の部落がのっているのか疑問に思っていた。規模からいえば、当時でも秋田市内の部落のほうが角館町の部落の三倍は大きかったのに、なぜ統計にのっていないのか」と書いており、これによると秋田市の被差別部落は1935年の段階で48戸以上だったことになる。
『全国部落調査』に角館町の地区が載ったのは、戦前の角館町に県内唯一の融和事業と思われる「児童学園保育部」(被差別部落の横にある寺の住職が部落児童の不良化防止のためにおこなった欠食児童救済事業)が存在したためと伝えられる。
文献
全国部落調査票(1935年)
秋田縣 昭和十年二月現在
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
仙北郡 角館町 西勝樂寺 | 下町 | 一六 | 一〇五 | 靴製造 | 下 | 仙北市 角館町西勝楽町、角館町小館 | ||
計一 | 一 | 一六 | 一〇五 |
県内の稲荷神社
秋田市
- 稲荷神社 - 秋田市新藤田高梨台101
- 与次郎稲荷神社 - 秋田市千秋公園1-8
- 将軍野稲荷神社 - 秋田市将軍野南1丁目
- 馬口労町稲荷神社 - 秋田市旭南2丁目7-16
- 招福稲荷神社 - 秋田市保戸野通町3-22
- 御蔵町稲荷神社 - 秋田市土崎港南1丁目10-68
- 三嶋稲荷神社 - 秋田市土崎港南1丁目1
- 地主稲荷神社 - 秋田市土崎港中央5丁目
- 鴨川稲荷神社 - 秋田市土崎港中央3丁目9
- 満光稲荷神社 - 秋田市大町4-6
- 上亀ノ丁稲荷神社 - 秋田市大町1丁目4番地
- 玉の井稲荷神社 - 秋田市八橋本町2丁目
- 福栄稲荷 - 秋田市大町5丁目4
- 稲荷神社 - 秋田市大町5丁目2
- 南東稲荷 - 秋田市大町5丁目1
- 正一位稲荷神社 - 秋田市大町5丁目
- 正一位稲荷神社 - 秋田市太平黒沢稲荷61付近
- 南東稲荷神社 - 秋田市大町5丁目
- 立身稲荷神社 - 秋田市大町3丁目3番地
- 稲荷神社 - 秋田市大町1丁目3番地
- 土崎病院稲荷神社 - 秋田市土崎港中央4丁目4-26
- 池田稲荷神社 - 秋田市寺内鵜ノ木
- 三光坊稲荷神社 - 秋田市柳田字推子
- 藤稲荷神社 - 秋田市旭南3丁目-3-35
大館市
- 稲荷神社 - 大館市川口横岩台31
- 稲荷神社 - 大館市釈迦内福館12
- 高山豊年稲荷神社 - 大館市豊町4-12
- 上岩瀬稲荷神社 - 大館市岩瀬上岩瀬34
- 代野稲荷神社 - 大館市岩瀬代野122
- 岐美二柱稲荷神社 - 大館市花岡町神山208-2
- 羽貫谷地稲荷神社 - 大館市岩瀬羽貫谷地中島38
- 蛭沢稲荷神社 - 大館市岩瀬蛭沢2
- 田ノ沢稲荷神社 - 大館市岩瀬田ノ沢志賀渡67
男鹿市
- 稲荷神社 - 男鹿市角間崎楢沢15
鹿角市
- 稲荷神社 - 鹿角市十和田末広上屋敷29
- 幸稲荷神社 - 鹿角市花輪稲荷川原56
北秋田市
- 稲荷神社 - 北秋田市根田屋布岱101
- 八幡岱稲荷神社 - 北秋田市八幡岱新田伊豆館41
- 福田稲荷神社 - 北秋田市福田福田7
仙北市
- 稲荷神社 - 仙北市角館町広久内下中川原24
- 藤ノ下稲荷神社 - 仙北市角館町岩瀬
- 尾白稲荷神社 - 仙北市角館町西勝楽町
- 七色稲荷神社 - 仙北市角館町古城山
大仙市
- 稲荷神社 - 大仙市協和峰吉川小平沢出口28-1
- 稲荷神社 - 大仙市大曲中通町
- 稲荷神社 - 大仙市大曲大町
- 高花稲荷神社 - 大仙市北楢岡茨野
にかほ市
- 稲荷神社 - にかほ市象潟町家の後135
能代市
- 稲荷神社 - 能代市田子向89
- 脇廼澤稲荷神社 - 能代市柏子所58-4
- 大森稲荷神社 - 能代市能代町日和山下
- 稲荷大明神 - 能代市御指南町 日吉神社内
- 赤沼稲荷神社 - 能代市赤沼15-2
湯沢市
- 稲荷神社 - 湯沢市稲荷山10
- 湯沢稲荷神社 - 湯沢市柳町2
- 泉光院稲荷神社 - 湯沢市古館山152
- 御囲地稲荷神社 - 湯沢市御囲地町383
由利本荘市
- 稲荷神社 - 由利本荘市金山金山25
- 稲荷神社 - 由利本荘市日役町5
横手市
- 田中稲荷神社 - 横手市平城町
- 稲荷社 - 横手市平和町 延命地蔵尊隣
- 稲荷社 - 横手市神明町 横手神明社内
- 稲荷神社 - 横手市神明町 横手高校東
- 稲荷神社 - 横手市上内町
- 蛇王神社 - 横手市大町
- 蛇の崎稲荷神社 - 横手市四日町
- 稲荷神社 - 横手市大森町袴形影取115
- 稲荷神社 - 横手市雄物川町南形町屋敷161
郡部
- 城神山稲荷神社 - 雄勝郡羽後町足田城神巡り62
- 稲荷神社 - 雄勝郡羽後町足田野際2
- 稲荷神社 - 鹿角郡小坂町小坂鉱山尾樽部57
- 稲荷神社 - 北秋田郡上小阿仁村堂川鵜頭坂2
- 稲荷神社 - 仙北郡美郷町鑓田稲荷55
県内の太鼓店
- 小笠原はくせい店 - 秋田市楢山太田町6-21
- 有限会社鈴木太鼓店 - 大仙市堀見内字中田茂木9
9 avril 2017
POP TATARI
岩手県
岩手県の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
1869~70年(統計集誌明治15年) | - | - | 282(非人350) |
1967年(野本武一) | 1 | - | - |
1993年(『東日本の被差別部落』17頁) | 1(かつて存在したことは明らかだが近年まだ確認されていない地区は5) | - | - |
治初年の「賤民統計表」では、盛岡市には31戸・189人のエタがいたとされている。また1919年に岩手県は財団法人協調会の調査に答え、県内に「戸数50戸、約300人」の被差別部落民がいることを認めている。
本田豊は盛岡市の戸数40戸の被差別部落を「C町」の名で紹介しているが、創業文政3年(1820年)の小松太鼓店の写真を載せていることから盛岡市城西町であることがわかる。盛岡市内には、このほか高松義雄太鼓店と高松武雄太鼓店があり、すべて城西町にある。高松武雄太鼓店は高松義雄太鼓店から次男の武雄が独立して構えた店である。
このほか、盛岡市内では北山に穢多町があり、その位置は「願教寺門前より東南壱丁計り」にある松坂の「北半丁計り向い」だった。松坂とは盛岡市名須川町34のJR山田線の小本街道踏切から盛岡市名須川町29-2の赤坂病院にかけての坂である。赤坂病院から北に半丁移動した位置は盛岡市名須川町32-64近辺である。名須川町は、もとは北山の寺院街の一部であった三ツ割村に属しており、名須川町の町名が使われるようになったのは1964年のことである。
また盛岡市の万日(まんにち、1812年以降に南河岸と称していた時期があった。1958年に神子田町に改称)には乞食町と呼ばれる非人小屋があった。盛岡以外では、遠野で「だんざう」「こや」と呼ばれる穢多が城下や各村に1戸ずつ離れて住み、牛馬屍の引取・捕盗・獄番・刑場の使役に用いられていた。
呉文聡『統計集誌』第8号(1882年)によると、県下の賤民は穢多が盛岡藩に189人、一関藩に31人、胆沢藩に62人、江刺藩に人数不明。非人が盛岡藩に人数不明、一関藩に93人、胆沢藩に257人、江刺藩に人数不明、となっている。
上記の小松太鼓店や高松義雄太鼓店・高松武雄太鼓店を除くと、2017年現在、県下には以下の太鼓店がある。ただし部落との関連は不明である。
- 関根太鼓店 - 一関市千厩町千厩町奥玉宿下78-2
- 小山太鼓店 - 一関市室根町矢越千刈田46-4
- 瀬野太鼓店 - 久慈市川貫第9地割27-3
- 菊美太鼓店 - 奥州市江刺区愛宕大畑1-1
- 新川靴・太鼓店 - 大船渡市盛町字木町9-12
6 avril 2017
POP TATARI
解放令
・明治4年8月28日太政官布告
- 法令全書第448
- 別称: 解放令、身分解放令
- 常用漢字表記: 穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス
穢多非人等ノ稱被廢候條 自今身分職業共平民同様タルヘキ事
辛未八月 太政官
穢多非人ノ稱被廢候條 一般平民ニ編入シ身分職業共都テ同一ニ相成候様可取扱 尤地祖其外除■ノ仕来モ有之候ハ丶引直方見込取調大蔵省ヘ可伺出事
辛未八月 太政官
(本文中の■は「溢」の旧字の傍に「蜀」)
〔非人〕
非人のルーツは承和の変で(842年〔承和9年〕)橘逸勢〔たちばなのはやなり〕が反逆罪に捕らわれ仁明天皇より、姓と官位を剥奪され、「非人」の性が与えられたのが文献上初めて見られる。
もともと、非人は仏教用語として用いられ「法華経」においては差別的な含蓄〔がんちく〕はなく単に比丘、比丘尼(人間)に対してまたは、それ以外の者、釈迦如来の眷属〔けんぞく〕である。天人や龍といった八部衆を指す言葉として用いられたとある。
では、どうして差別されるようになったのか........?
まずは、「非人」から少しずつ書いていこうとと思います。
2 avril 2017
POP TATARI
青森県の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1869~70年(統計集誌明治15年) | - | - | 601(非人20) |
1921年(内務省) | 1 | 37 | 286 |
1967年(野本武一) | 1+α | - | - |
1993年(『東日本の被差別部落』17頁) | 2(かつて存在したことは明らかだが近年まだ確認されてない地区は9地区) | - | - |
本田豊は『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』で弘前市の被差別部落を取材しており、文中では「A町」と表記しているものの、「部落の中に、『追掛稲荷大明神』という名前の神社がある」という記述から南大町(旧称・新楮町=しんこうじまち、蔑称「シンコ」「犬殺し」「エッタ」)であることがわかる。壬申戸籍によると、戸数49戸のうち41戸までが皮革業に携わっていた。その後戸数は増加し、1982年の資料では100戸以上となっている。また1980年9月22日付『解放新聞』の東北オルグ座談会によると、もともと120戸あったが都市計画で分散し、そのまま住んでいるのは40戸ほど、隣の市営住宅(弘前市南大町2丁目5の市営青葉アパート)に30戸入居したという。南大町の一部は旧称を楮町(こうじまち)と呼び、江戸時代の俗称は乞食町であった。南大町やその近辺には太鼓店が集中している。
- 渡辺太鼓店 - 弘前市楮町5-19
- 塩谷太鼓店 - 弘前市南大町2丁目1-3
- 木村太鼓店 - 弘前市南大町1丁目7-6
弘前にはこれとは別に亀甲町に穢多屋敷があり、1678年に石渡村に移転した。石渡には非人小屋や牢獄もあった。浜の町(別名・御蔵町)や和徳町桝形外にも穢多集落があった。
弘前市以外では、八戸市、青森市、鶴田村(現・北津軽郡鶴田町)、五所河原村(現・五所川原市)などに1~2戸の少数部落が点在している。青森の乞食頭半三らは堤川端(現・青森市堤町一丁目周辺)から安定寺(現・青森市新町二丁目)の杉畑に移転している(『青森市沿革史』)。「明治2年郷村高戸数人口租税書」によると、鶴田村に26人、飯詰村(現・五所川原市)に6人、五所河原村に5人、金木村(現・五所川原市)に11人の穢多がおり、金木は江戸時代には穢多居住の北端であったとの説もある(ただし『函館市史』通説編第2巻第4編「牛供給の許可」65-67頁には「安政三年の春より穢多ども此辺に住居する事とはなりぬ。是まで箱館に穢多といふものなし」と記されており、そのことは「箱館全図 万延元年」(1860年)でも確認できる。すなわち、江戸時代における穢多居住の北端は箱館と考えられる。 )。黒石では安永天明年間(1772年から1789年)に大板町の西端に乞食と穢多の寄合集落があり、これは文化文政期(1804年から1830年)に元町の西端南側に移転した。ただし五所川原と黒石については、成沢栄寿は実際に探訪した上で「部落の存在を実際に確認できなかった」と述べている。
『鯵ヶ沢町史』第1巻296頁(1984年)には、西津軽郡鰺ヶ沢町富根町浜に穢多村があったと記されている。
本田はまた「私の調査したかぎりでは秋田、青森、岩手の部落には白山神社はみられない。ほとんどが稲荷神社をまつっていた」とも記している。これらの自治体における稲荷神社の所在地は以下の通りである。
- 藤ヶ森稲荷神社 - 八戸市類家1-7
- 沖館稲荷神社 - 青森市沖館5丁目5−5
- 勝田稲荷神社 - 青森市勝田1丁目3−21
- 稲荷神社 - 青森市合子沢字松森128番
- 稲荷神社 - 青森市大字三内字丸山37番2
- 稲荷神社 - 青森市荒川字品川121-1
- 稲荷神社 - 北津軽郡鶴田町大字強巻字押上8番
- 稲荷神社 - 北津軽郡鶴田町大字強巻字押上10
- 稲荷神社 - 北津軽郡鶴田町大字木筒字下掛橋56番
- 大巻稲荷神社 - 北津軽郡鶴田町大字大巻字川瀬58番
- 稲荷神社 - 五所川原市大字中泉字松枝88番
- 稲荷神社 - 五所川原市大字飯詰字狐野169番12号
- 稲荷神社 - 五所川原市大字米田字八橋183番
- 稲荷神社 - 五所川原市金木町嘉瀬字上端山崎
津軽地方のある市の被差別部落には津軽弁と異なる独特の方言があり、農村を「ニロク」、顔を「メンテ」、おならを「トンビ」、嘘をつくことを「てんこ」などという。関西弁の「メンチ切る」(睨みつける)、「テンゴ」(悪ふざけ)などとの関連が考えられる。
八戸市類家堤における「カンタロウ部落」の存在を、はちのへ今昔小中野特集1 小中野学校百年史から 続が伝えている。1871年、廃藩置県直前の「八戸藩進達留」に、藩内の穢多8戸、人口54とある(『八戸市史』)。八戸市類家には1990年代まで自由同和会が存在したともいわれる。
26 mars 2017
POP TATARI
北海道
概要
北海道の被差別部落の統計
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1870年 | -(館藩すなわち旧・松前藩)※1 | - | 19(エタ7+非人12)※2 |
※1ただし松前藩の領地については「複雑な領地変遷を繰り返しており,またその支配地も現北海道の一部と陸奥国(現在の福島県の一部)と羽前(現在の山形県の一部東根市)に跨っていて何れの管轄地における穢多・非人のものか俄かに断定し難いものといえよう」と松井茂樹は述べている(「明治初期における穢多・非人の人口分布に関する一考察(3)」)。
※2「『統計集誌』第8号 (明治15年4月)に掲載された呉文聡寄稿の府藩県別身分階層別人員表を、『日本史大辞典 (別巻)』の地方制度沿革一覧により再編集計した。『統計集誌』第8号に掲載された資料は、太政官正院修史局第二課編『藩制一覧表』(1868年調査)から部落の戸口を摘出して作成された太政官統計院編『明治己巳庚午年間各藩管内穢多非人等戸口調査材料』によるものと思われる。」
北海道には被差別部落がないといわれるが、松前藩が革職人を配置した記録がある。このほか、松前藩は幕末に、刑場の仕事をさせるために賤民の一団を本州から招き寄せたことがある。成沢栄寿も「札幌市で開催された歴史教育者協議会第23回大会(1971年)の『部落・差別』分科会で、明治期に集団移住して他から差別的な待遇をうけている『未解放部落』が存在しているとの発言があったと聴く」と述べている。
松前藩の刑場は、松前町大字総社堂(現在の北海道松前郡松前町字建石)にあり、立石野の首斬沢と俗称された。この刑場は、立石野から日和岱(ひよりだい、修理岱=ひより岱)の中間の台地にあった。
しかし本田豊は北海道唯一の被差別部落を「函館市のなかにある」、「牢があったところは、現在は歯医者さんになっています」と述べている。中島峻藏によると、箱館の刑場は亀田村(現・函館市吉川町、万年橋小学校付近)にあったという。函館市史には以下の記載がある。
箱館奉行が被差別民である「穢多」を箱館に移住させたとみられることを付言しておきたい。
「箱館夜話草」巻之壱(『函館市史』史料編第1巻)に、「安政三年の春より穢多ども此辺に
住居する事とはなりぬ。是まで箱館に穢多といふものなし」とあるが、右の経緯からして、
この文にある「穢多」とは、イギリス軍艦に対する牛肉・牛の供給を目的として移住させら
れたものとみられるのである。居住地は、市街東部にある「牢屋」の向かいの地であった(
万延元年「箱館全図」、同図には「牢屋」の向かいの地に「エタ」と記されている)。
このほか「松前藩が函館にありまして、そこの港町に被差別部落がある」と
田中蔚『今, 光っていたい: 娘の遺してくれたもの』170ページにある。本田豊は
「北海道にも被差別部落は存在する。史料によれば、幕末の松前藩内には函館の町
はずれに『役人村』がつくられ、行刑や犯人探索などの下級警察機能を司っていたのである
。明治維新を境にして役人村はなくなったといわれているが実際にはなくなっていない。
それらの人々は、他国から北海道へ連れてこられた賤民である」、「道東の釧路平野、
根釧台地、北見盆地などには、幕末から明治20年代にかけての『北海道移民』で広島や
岡山、あるいは富山、石川といった地域の部落民が農業移民として北海道へわたり、
新しい被差別部落を形成しているのである」と述べている。
本田は「奈良県や岡山、広島、滋賀、石川、富山、新潟、群馬などの諸県から北海道にわたった住民の形成した部落が道東の釧路、十勝、網走といった地方に存在している」、「明治以降の旧同和地区からの移民では、広島県、岡山県、石川県、富山県、奈良県、滋賀県、群馬県、東京都の練馬地区からがあった」とも述べている。大正期以降に内務省の提唱と帝国公道会の斡旋で滋賀、奈良、京都、徳島、高知などの被差別部落から北海道への移住が行われた。たとえば1915年から1919年にかけ、釧路ならびに北見地方の6地区に奈良・滋賀県下の43戸の被差別部落から移住が行われている。 奈良から釧路への移住者の中では日裏(ひうら)姓が特徴的であり、2000年電話帳では釧路市内に4件の日裏姓がある。ただし奈良の部落からの移民の子孫かどうかは不明。
なお全日本同和会は北海道に事務所を置いていた。旭川市七条通8に旭川支部があった。
全日本同和会北海道連会長は札幌市西区在住で菊地姓。
かつて北海道にはサムライ部落(砂山部落とも。公式名は厚生部落)と呼ばれる貧民窟があ
ったが、被差別部落とは無関係である。ちなみにサムライとは廃品回収業者のこと。
北海道への部落民の開拓移民の歴史
- 1913年9月 - 滋賀県下の被差別部落から4戸16名が移住、のち2戸が加わるも11年後に6戸中5戸が帰村。
- 1915年 - 滋賀県愛知郡大町や滋賀県東浅井郡小桜から石狩地方への移住が決まるも、その後が続かず、1917年に帝国公道会の財政難から中止となる。
- 1916年 - 釧路に30戸、北見に6戸、合計百数十名が移住。
- 1919年 - 滋賀県下から十勝国河西郡に6戸が移住。しかし1925年頃の調査では、このうち2戸しか定住していなかった。
1912年までには滋賀県一県からだけで219名が移住していた。
「改善事業では大正二年から一二年までに滋賀・奈良・京都・和歌山・高知・徳島から総計二〇〇戸一〇〇〇人程度を送り出したに過ぎない」と『部落解放史・ふくおか 121号』(福岡県人権研究所編、福岡県人権研究所、2006)にあり、「近畿・四国地方などの部落で集団移住した例もあるが、それらの多くは舞い戻った」と『部落問題・人権事典』(部落解放・人権研究所編、部落解放・人権研究所、2001)にある。
関連団体
- 全国同和会北海道支部 - 北海道札幌市東区北11条東9丁目1-3-221
- 全日本同和会北海道連合会旭川支部 - 北海道旭川市七条通8
「全国同和会」の正体は不明。
25 janvier 2013
4 janvier 2013
28 décembre 2012
POP TATARI
その後、中津村に変わったらしい。
この西成郡光立寺村に、皮多村が存在していた。
光立寺村ノ内皮多村である。
渡辺村から北へ登ると密集した部落があり、中津川沿いに面した場所にあったと記されている。

27 décembre 2012
POP TATARI
摂津国の西成郡の「木津村ノ内渡辺穢多」である。
この渡辺村も最大の特殊部落として有名な部落でもあった。現在は消滅してしまいなくなってしまった村である。
この渡辺村は元々は渡辺津の南部にあった坐摩(イカスリ)神社のキヨメ集団であったと言われていた。
キヨメとは、元々は死んだ牛や馬等、または死者は死んだ瞬間に「ケガレ」が発生すると言われていて、それを「清める」為のキヨメの職能を持った人々のみが携われる職種と言われ、主に神社等の神社内等でその職についていた者であるらしい。
その後は、「穢多」身分となり差別されるにいたった経緯があるとなっています。

25 décembre 2012
POP TATARI
王子村枝郷南王子村と天保絵図、元禄絵図には描かれてあるが、1960年の和泉市との合併までは独立村として「斃牛馬(へいぎゅうば)処理」のかわた村としては巨大な特殊部落として存在していたのが南王子村であった。
かわた村(関西)は本村と言われる村に従属する枝村として存在する村が多いとされる。
しかし、南王子村は独立村として王子村から独立し、長らく「斃牛馬処理」の仕事をしていた。この南王子村は近隣の大鳥村、泉村、南郡に跨る村々の「斃牛馬処理」を行っており、最大の特殊部落として存在していた。
