ドエッタにおける穢多族の報告(愛知県)

12 août 2017

POP TATARI

愛知県






概要

600px-本多中務大輔家時代岡崎城下図(18世紀後半)

本多中務大輔家時代岡崎城下図(18世紀後半)。能見村の近くに「エタ」の表記がある。



愛知県の被差別部落の統計

調査年地区数戸数人口
1907年2816698865
1921年1913656927
1925年8月35181910951
1935年4月35273213593
1946年--10081
1963年92859地区全体12862、同和関係10662
1967年7地区全体2439、同和関係2208地区全体9779、同和関係8779
1971年5地区全体1835、同和関係1757地区全体6968、同和関係6632
1975年5地区全体1778、同和関係1658地区全体6614、同和関係6160
1985年9地区全体3487、同和関係2839地区全体12170、同和関係10213
1993年9地区全体3856、同和関係3311地区全体9792、同和関係8922


愛知県内には1935年の調査で36ヶ所の被差別部落が報告されていたが、のちに部落解放同盟の調査により、3市1町に4地区の被差別部落が新たに特定された。部落解放同盟愛知県連合会によると県内の被差別部落は50地区以上。本田豊は「県下の部落は100カ所をこえる」、「その内訳を大枠で分けるとすれば、エタ系部落、長吏系部落と非人系部落が、およそ3分の1ずつ」と主張している。解放同盟の藤沢靖介は「三河や尾張、つまり徳川家康のでたところでは、非人身分のほうが有力であったことがはっきりしてきました」と述べている。


県下最大の被差別部落はあま市(旧・甚目寺町)の栄地区であり、戸数は700戸、人口は2000人を数える。。この地区に特徴的な苗字は加藤と堀田である。

「栄は、現在の清洲城ができるとき織田信長の妹おいちの方について江州(滋賀県)からきた皮革職人と刀鍛冶が住みついたのがもとだそうで皮革職人は栄(東今宿)に、刀鍛冶は西今宿にとわかれた」という。人権連議長の丹波正史は西今宿の出身である。ただし父は富山県の出身。

名古屋では、城下建設とともに穢多および非人の部落がそれぞれ設けられた。その内訳は、穢多部落が1ヶ所、非人部落が2ヶ所である。穢多部落は押切村こと平野町(現・名古屋市西区則武新町一丁目)であり「穢多ヶ小路」とも呼ばれた。

非人部落の一つが乞食町こと入江町(入穢町とも表記)であり、現在の名古屋市中区栄の入江町通にあたる。非人部落の今一つは玄海村(現・名古屋市中区新栄二丁目)である。

知多市八幡には2015年現在もなお「字穢多坂」という字名が残っている。

なおEXILEの岩田剛典の実家は靴屋のマドラス株式会社(名古屋市中区栄2-15-6)だが、祖先の岩田武七は中島郡東五城村(現・一宮市東五城)の富裕な酒造家の出であり部落出身と見るべき根拠はない。陸上競技選手の神野大地の実家は名古屋市中村区名駅の肉屋「鳥孫商店」だが、部落にルーツがあるか否かは不明。

愛知県に部落が少ないのは、足洗いをして農民になったためではないかとする考察があった。

岡崎市生まれの徳川家康について「茶筅の出身であったということはよく知られています」と本田豊はいう。「『徳川家康はわれわれの仲間だ』、『徳川家康は俺たちの仲間だったのに天下をとったら裏切った』。愛知県下だけではなく、全国各地の部落内で話を聞くと、多少の表現の違いはありますが、このような話を聞くことができます」とも、本田はいう。徳川家康の先祖で松平太郎左衛門に見込まれて娘の婿養子となった松平親氏は、群馬県太田市世良田の出で世良田徳阿弥親氏と名乗っていたと伝えられる。また、徳川家康を非人の末裔なのではないかとする村岡素一郎の説もある。

1910年に山梨県御坂峠で強盗殺人を働き死刑となった松沢熊吉は、愛知県西加茂郡の非人系の部落(地区名は要調査)に生まれ育ち、のちに漂泊民となってサンカ化した者とされている。

『愛知県下地方改善事業地区調査』に「一般に血族結婚行わるる関係上、不具者割合に多く1.3%を示せり」とも、明記されている。

文献



全國部落調査(1935年)


愛知縣 昭和十年四月現在

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
名古屋市 中區 下奥田町下奥田六六四二九三三下駄歯入日傭屑拾ヒ名古屋市 中区 新栄 2丁目旧称、東小屋。1933年に下奥田町が菊里町、1947年には青木町・王子町に改称。新栄となったのは1977年。玄海または王子町とも呼称。『愛知県下地方改善事業地区調査』に「風俗は一般に野卑にして教育程度低く、公徳心に乏しく、衣住共に不潔なるもの多し。従来思想は憤怒の気質多分にあり。小事に口論をなすもの多く、貯蓄の精神に乏しく、所謂その日暮しをなし、尚賭博を事とし、演劇を観覧するを無上の楽みとす」、「犯罪に就ては前科者96名、現在の在監者3名を数えり」とある。この地区から出た著名人に、名古屋女子大生誘拐殺人事件(1980年)の死刑囚木村修治がいる。

白山神社が部落成立前に西隣にある。

〃 西區 平野町平野町四五一二一九三製靴、皮革業南部表編名古屋市 西区 則武新町 1丁目押切村または穢多ヶ小路、穢多輪中、細工人町とも呼称。『愛知県下地方改善事業地区調査』によると「残忍性を有するもの多く、一般に対する公徳心薄く、情操亦頗る低級」、「血族結婚行われ、賭事を好むの風習ありて、前科者231名、在監者4名を数えり」。生駒長一や生駒秋次郎の出身地区。則武新町に生駒姓10件。多くは市営南押切荘などの市営住宅に集中。2000年電話帳。

 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
名古屋市 南區 西旗屋町西旗屋一二一五〇三鉄工職下駄歯入名古屋市 熱田区 旗屋旧称、宮川町。(「又御維新までは宮川町と云ったものである。夫れは此
の部落の人が牢番や捕手などに多く使用せられて七人の組頭で全體を
支配して居った時代に組頭の一人に宮川喜六と云ふ巾利があって勢威
を振った。喜六の勢は中々凄まじいもので町人どもはビリ〱して居ったも
のださうだ。そこで自然と此部落を宮川町と呼ぶやうになったのである」)
1980年に旗屋町の一部から旗屋が成立。旗屋1-10に断夫山古墳あり。
旗屋の地区は、清州から移転させられたもので
豊臣秀吉による築城の
際に人夫となるのを拒否したためエタにされたという伝承がある。別の
伝承には、1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで敗れた今川氏に仕えて
いた者が浪人となり、姿を変え織田氏に仕えて死人の埋葬に従事したこ
とで地区を形成したというものがある。「
本部落に於ける前科者の数は21
人、不具者5人
」。
豊橋市 花田町花田石田六八三七四農業日傭豊橋市 前田南町 2丁目クンジガワの呼称があった。「口碑伝うる処に依れば、祖先は大
化元年(約一、三〇〇年前)中大兄皇子に随い志賀の国より来り
たる際、現在の豊橋市神明に居住せる者にして、永禄七年中大兄
皇子四十七代の末孫藤原喜明の時、牧野虎珀なる武将戦に利な
くして、喜明以下一三四名戦死したり。時に織田信長喜明の霊に正
宗の一刀を与えしより、部落民は之を神体として神明者を創祀し、現
今の場所に移住し、徳川時代に至りては通称『クンジガワ』と呼び、番
太の類に組し、竹皮・革・草履の製作に従事し来れり
」。大化元年は64
5年で、永禄7年は1564年。
岡崎市 能見町下屋敷一〇五〇草履製造
岡崎市 元能見町
小字「下屋敷」の位置は要調査。『愛知県下地方改善事業地区調査』では「三 部落の沿革」として「猿屋方、説教方、及び革屋方の三組に別れ、猿屋方は今の福寿町の北部に、説教方は元能見町の北部に、革屋方は元能見町の西部に居住を構え、明治維新の際に及びて猿屋方及び説教方は農民に帰し、革屋方のみ現存し今日に至れり」とある。「混入者の言に依れば、彼等のひがみとして他人の言葉を悪意に解釈する弊今尚存するが如し」。
愛知郡 鳴海町 上汐田西之端四五二一五履物其他修繕業南部表編
名古屋市 緑区 鳴海町 上汐田
『愛知県下地方改善事業地区調査』に曰く「当部落は応永年間根古屋城鳴海町の築城後、即ち今より約550年前開始せられたるものにして、その当時は現今の字丹下にありしが、慶長の頃東海道開道に当り今日の地に移転したるなり。又口碑に伝うる所にして正確なる事実にはあらざれども、今尚字丹下に俗称穢多藪と称する所、或は字丹下に隣する枯木と石田とを境いする真池川流域の沿岸に、穢多川岸と名づくる所ありと」。字丹下は現在の名古屋市緑区鳴海町丹下。久野姓8件。2000年電話帳。
東春井郡 小牧町元町四八二一三行商、農業農業小牧市 元町東春井郡は東春日井郡の誤記。『愛知県下地方改善事業地区調査』では「三 部落の沿革」として「部落の歴史詳かならざるも、天正年間滋賀県彦根地方及び三重県桑名方面より此処に移住せしに始まりしものの如し。而して其の姓の如きは多く不明なりしが為、明治維新の際桑名より来りたるものを『藤堂』とし、彦根より来りたるものを『井伊』とせる等、便宜其の姓を冠したる事実存せり」とある。井伊姓9件。藤堂姓なし。2000年電話帳。

西春井郡 新川町
上河原一三四六漁業農業清須市 上河原西春井郡は西春日井郡の誤記。「尾張藩の刑場は元名古屋城南の千本松原にありしが、寛文2年之を廃し、翌3年本部落の地に之を移せり。名古屋城の金鯱を盗取せんとせしと伝えらる柿の木金助・大賊鉄五郎の刑せられたるは此の所なり。此刑場跡は今尚上河原字蔦葉に存せり。而して此刑場の番人を勤めし者等此処に集団生活を始め、今日の部落を創れるなり。又信長記に『信長桶狭間よりの帰途、土器野(かわらの)の乞食に施す』との記事あり。之に依れば或は往古より此部落ありしならんかとも想像せらるるなり」







丹羽郡 犬山町


犬山南古券
阪井町二〇九二農業草履製造犬山市 犬山 南古券「旧幕時代より市街の一隅に約50戸割拠し、外部と一切交渉せず生活し来りしも、近時他地方に続々移住し年を逐いて戸数減少するの傾向あり」
葉栗郡 北方村 北方、宝江新田新開屋敷一七七八肉行商、下駄歯入漁業一宮市 北方町北方 宝江新田当部落の根源を創立せしは、この附近の山林を管理し居りし番人にて、明治15年頃美濃国多芸郡大墳村より田中清五郎、同国山郡深瀬村より大川甚之助この両名の一家当地に転住し来り、木曽川の沿岸なるを幸に漁業を営み、傍ら竹皮草履製作を副業とし生活し来り、其後大川甚之助の一族は五家に分家し、其他転籍或は寄留する者ありて次第に増加し今日に至れり

海部郡 津島町 津島、川河毛坪
初日町二九四一五一八三味線、太鼓製造南部表編津島市 明天町『愛知県下地方改善事業地区調査』に「凡そ700年以前親鸞聖人の供をなして陸奥の国より6名来住し、其際聖人の指図により藁仕事を為すに至り今日に及ぶと言伝うるも詳かならず」、「当部落は血族結婚其他の結果、県下に於ける不具者の割合最も多く、尚大正14年度租税滞納者数亦高位にありて66人を算せり」とある。
〃 甚目寺町 東東今宿二三二一二〇七呉服行商、草履作あま市 栄甚目寺部落を地元では「清洲」(きよす)と呼ぶ。『愛知県下地方改善事業地区調査』に「日常特殊の言語を用い、部落以外との交通を嫌厭し、早婚私通の弊あり。多くは貧窮者なるも虚栄心に富み、一般矮小なる家屋に住居せるも、外出等の節は華美なる服装をなすもの多し。即ち利己心強く公徳心義務心に乏しく、飲食物は贅沢にして間食を好み、衣住粗悪不潔なり。全体の7割は生計裕かならざるも、常に身分を超ゆるの生活を為し貯蓄をなすもの少なし」、「本部落は他に比して前科者多く、血族結婚等の関係上より不具者33名の多数を示し、又大正13年度中の租税滞納者数41名にして、同郡津島町初日町部落と相並びて其率県下部落中最も不良なり」とある。
〃 津島町 津島、有根下屋敷一八九九日傭漁業津島市 永楽町「海部郡津島町大字津島字有根ホノ割四百二十一番地先」の道路元標が「津島市本町3」にある。02

「当部落の最年長者にして総代を勤むる加藤治平なるものの言に曰く、『当部落は徳川初代に大垣藩の浪士山口和十郎なるもの従者を伴い此地に土着し、津島及び近村の番人となれるを初めとす。其後佐屋に代官所設置されてよりは其手先となり、犯罪者の捜索を手伝えり、徳川末期に至り此地に火葬場設置さるるに及び、その火葬の取扱いをなす。但し現在の部落民は全部前記の子孫にはあらず、其後移住転住するありて今日に至れり』と。昨年7月火葬場他に移転せられたれ共従前の通り火葬人として傭わる」。加藤姓15件。2000年電話帳。
知夛郡 成岩町寺坊三〇一一五鶏買出、農南部表編半田市 寺町1222年(貞応元年)に無量寿寺が三河国から移る際に崇拝者が共に移住したのが起源と伝える。
〃 旭村 大草西畑一八一〇五下駄製造、鶏買出日傭、麻裏草履作知多市 大草 西畑「正確なる調査材料なければ詳細記することを得ざれど、本部落は三河知立町、知多郡成岩町、海部郡津島町との婚姻関係多数あるより観れば、此等の土地より移住せしものの如し」
〃 横須賀町 太田的場二六履物商
東海市 横須賀町
的場市場。「近接したる隣家殆んどなければ、従来外部との交渉は甚だ疎隔にして近隣融和の状況甚だ不良なり。而も近時水平運動の末節に拘泥し、ややもすれば不穏の言動に出で自ら融和を阻害するの感あり」
碧海郡 知立町 知立一里山四四二二八行商南部表編
知立市 西丘町 一里山
「而して其明治維新前は苗字を附せず、単に熊、越後等と呼び居たりしも、維新後差別的扱い漸次排除さるると共に、苗字を付するに至り、現今の姓は大部分杉浦にして、山本、小松等の姓もあり」。西丘町に杉浦姓18件。2000年電話帳。
幡豆郡 西尾町 鶴城栄町一七九〇草履製造行商
西尾市 大給町、伊文町、宮町、

矢場町
金山化成の敷地内が元の中心地。350年前に落武者が来住したのが起源と伝える。1925年の文献であることから、1575年のこととなる。
額田郡 幸田村 坂崎向山三〇一五〇農業藁加工額田郡 幸田町 坂崎 迎山向山は迎山の誤記。「全く沿革不明なり」。杉浦姓18件。2000年電話帳。



 

部落所在地部落名戸数人口主業副業生活程度現在地備考
西加茂郡 保見村 上伊保 字大黒見川張一七九〇農業養蚕豊田市 保見町 小黒実大黒見は小黒見の誤記。「沿革は不明なり」。
〃 髙𣘺村 上野山上野山一五八一豊田市 上野町1959年に上野山の一部から上野町が成立。1971年には上野町の一部が高上となる。「当部落の歴史は記録及口碑共に何等拠るべき調査材料なきを以て詳かならず」。
南設楽郡 千郷村 稲木下向山二六二二八草履製造新城市 稲木打桐姓4件、藤原姓6件。2000年電話帳。「後三年の役平定後寛治の頃、藤原秀衡の家臣加藤七郎太郎なるものの家族数戸、八名郡八名井村に移住し来り野武士となり、同地居住の穢多族を統率し、其後今の仲野に転居し賤業に従事し、天正九年当下向山に移転したり。守護神として向山社あり、明治五年戸籍編成に際し一般にを(ママ)冠せり」。新城市稲木の地区に関する記述。寛治は1087年から1094年。天正九年は1581年。「一般にを(ママ)冠せり」というのは、姓に共通の字(藤の字?)を使用したということか。加藤姓も2000年電話帳で7件あるが関連は不明。
〃 〃 法山 字 片山屋敷下屋敷一三一一二新城市 片山「本部落の淵源は何等文献は徴するものなきも、巷間の伝説を綜合すれば、神功皇后征韓の俘囚を全国各所に住居せしめ賤業を営ましめしものにて当部落はその一なり。当時夷跡の内片山と称し、和同二年(引用者注、709年)宝飯郡設楽郷片山村と称え、この一族を以て一の部落を形成せり」「此部落の長に近一右衛門と称する旧家あり、近郷同族の取締まりを為し、場合によりては帯刀御免の特権を得たることあり。明治五年戸籍編成に氏を冠し、その藤原姓は史に因りたるが如し」との伝承あり。藤平姓3件。2000年電話帳。
〃 〃 川田 〃 堀合川田堀合六四新城市 川田 堀合「本部落は文政3年野田村より当堀合に移住し来り賤業に従事したるにその端を発し、其一部の今日に至れるものなり」、「本部落民の多数は去る大正7、8年頃好況の際、一攫千金の利を得んとして、投機的事業に手をつけしも遂に失敗し、家産を投尽せしかば、他郡市に転住する者出でて漸次戸数を減少せり」。
〃 〃 野田 〃 山田屋敷野田北村一三一三二新城市 野田 山田屋敷「本部落は遠江国敷地郡(※敷知郡の誤記と思われるが原文のママ。)須文木沢村(※須ノ木沢村の誤記と思われるが原文のママ。)(今の浜名郡吉野村)より天正10年頃野田村上市場の原(今の字山田屋敷)に移住し来り賤業を営みつつ今日迄此処に生計を続けきたれるものなり。白山社を建祀して守護神とし来りしも、明治40年神社合祀の際千郷神社に之を合祭せり」。
〃 東郷村 有海有海東原一九日傭新城市 有海
記録の上では県下最小の部落。「本部落の歴史は記録上何等調査するの途なし。故に古老の言に依れば、この起源は何時なりしか詳かならざるも、現今の静岡県浜名郡吉野村地方民の悪病(癩病?)に罹りしもの、此地に転地隔離せしめられたるに始り、其家族の今日に至れるものの如し。而して当地方には古より『バンタ』と称する職業ありて、此職業は此部落民の特業となし居れるものにして、近隣にては通称之を『東原のチョーリン』又は『東原のバンタ』と言えり」。
宝飯郡 小坂井町 伊奈 字 新町伊奈新町二〇〇一一一〇草履製造豊川市 伊奈町新町打桐姓2件、山本姓17件。2000年電話帳。「徳川氏の初期、東海道開設以来隣接大字宿白山区より移転居住した一部の者より漸次その数を増加し、最近10年間に於ては隣県部落より移住する者多く、為に異常の膨脹を来せり」。
〃 〃 宿 〃 北島白山四二二四〇豊川市 宿町白山白山神社が中心にある。「本部落は一千余年前より已に一部落を形成し居り、徳川幕府時代吉田藩の皮革工芸に従事し、傍ら履物・草履を製作販売して、僅かに生計を支持し来りたるも、明治維新以来は専ら農業に従事し、現今に至りては一つの農村なり」。
〃 〃 伊奈 〃 茶屋茶屋々敷二〇九二豊川市 伊奈町茶屋「当部落は元来部落としての生活状態を維持し来りたるものにあらず、其位置東海道筋にあり。又附近一帯は田畑に適する土地にして、甚だ地の利に恵まれたる所なれば、各方面よりの転住者多く、従って他特殊部落民も移住し来り、遂に普通民より部落民が多くなりしより、現在に於ては近隣より特殊部落の一として見らるるに至れるものなり」。
〃 形原村 〃 形原淀尻二五皮革業南部表編蒲郡市 形原町 南淀尻、天神裏「或る古老の言に依れば、天正18年頃形原城主松平紀伊守の時代、同藩の皮革工業に従事せし者に始まり、現在戸数も其当時と余り大差なきものの如し。而して現今其職に靴工、麻裏草履製作多数あれば、右伝説はある程度迄真に近きものなり」。
渥美郡 野田村 野田 〃 瀬古野田瀬古一三八七農業養蚕業田原市 野田町坂瀬古「巷間の伝説に依れば、此淵源は朝鮮よりの移住民にあり、年代は詳かならざるも、此地に移住以来世々皮細工を業として田原藩に仕え、明治維新迄は斯業に従いしも、維新後は漸次に農民に転業なし、僅かに2、3戸のみ皮職を営み居りしも、世人の厭う処となり、遂に全く廃業をなして純農村を形成するに至れり」、「部落民の姓は全部亀田と称し、其由来は維新改姓の際に、時の戸長が附与せしとも言い、又以前より総本家に此姓の存せしとも言い、之亦明らかならず。維新当時は戸数三十戸を有し、家運孰れも隆隆なりしこと一般民に劣らざりしも、次第に遊堕の悪風を生じ、戸数も漸次減じて十四戸となり、今尚之が減少の傾向を示せり」、「血族結婚をなせるためか優秀なる頭脳の所有者僅少なり」。亀田姓2件。2000年電話帳。
〃 田原町 六連一〇七九養蚕、養鶏田原市 相川町美里台
「今より1400年前、任那よりの帰化民が当部落の基を創れりと伝うるあり。又或る説には現今称する部落民なるものは、往古は有名なる社寺に多数附属し居りしものにして、其子孫の現存するものなりと。即ち該六連村に存する長仙寺は建立当時は本町谷熊に位し、七堂伽藍の結構を備え規模宏大なりしが、中世今日の地に移り、其後衰微して今の一小刹となれり。而してその盛大なりし頃之に附属せし一団が今日の部落を形成し来れるならんと言えども、何れも徴証すべきの記録なくして、沿革は詳かならざるも、明治維新前迄は戸数30戸以上ありて相当の集合をなせしも、漸次減少するの傾きあり」。
〃 福江町 古田長沢四九養蚕田原市 長沢町長沢「伝うる処に依れば、徳川時代年代不明に三河国奥郡(現在渥美郡)野田村より移住し来りたるものの如く、明治初年頃迄は職業としては只に馬の皮を採りて北方に売却するの外、草履を造るの職を営み居りしが、明治5、6年頃より本町大字古田字長沢稲葉の住民と等しく、農業に従事するに至り目下職業上一般民と何等異なることなし」。「近隣融和の状況は良好ならず、唯外面的に附近と交際するのみなり。時として同部落の字有の樹木を盗取するあれど、一般民は強いて故障を申し出でざるを例となし居るなど、今日に於ても相互に冷かなる態度を持し居れり」。
八名郡 三上村 勝山勝山四五二二〇養鶏、藁加工豊川市 三上町 勝山山本姓17件。2000年電話帳。『愛知県下地方改善事業地区調査』では沿革不明とされるが、本田豊の推測では、勝山城の築城の際に来た2戸か3戸程の武士が祖で、権力の後ろ盾がなくなったことで形成されたのではないかとする。「現在中学校に通学するもの1名、高等小学校へは男女各1名ずつ在籍し、在学中の成績は思考学科(算術)は一般に劣等、技術学科は概ね良好なるが如し」。部落の端に白山神社がある。
名古屋市 西区 枇杷島町宮町一五〇七三一土工、農業川魚行商名古屋市 中村区 新富町宮町は宮野の誤記。1936年に枇杷島町の一部から新富町が成立。宮野は通称で名古屋市中村区枇杷島町の河川敷の地名として残存。近くに墓がある。「県下に於て最も古い歴史を有する貧民窟は西春日井郡枇杷島町の俗に宮野と呼ぶ一部落である。目下戸数六十七、八戸、人口四百有余人あって、此の部落の開基とも云ふべきは今を去る二百年、寛永(引用者注、1624年から1643年)の頃浅野吉右衛門なる武士が殺人して主家を脱走し諸国流浪の末、世を忍び〱んで此の宮野まで流れ着いた。而して此処に無造作な芦葺きの仮庵を作って遂に之を我が死場と定めたのが端緒である」との伝承あり。
計二八三五二七三二一三五九三

※このほか南設楽郡千郷村大字野田字市場(現・新城市野田野田市場)に猿屋敷部落がある。本籍人口39(男20+女19)、戸数7、世帯数7、現住人口29(男13+女16)。「当猿屋敷は旧中市場村に一の区画をなせし大家族的聚落にして、大宝令制度施行せられ居りし時代は農事を営まざりしかば、班田収授法を適用されずして遂に賤民に属し『猿舞者』となり、以来其職業を世襲し雑戸と称せられたり。『徳川幕府中市場村宗門人別帳の外に、中市市場村猿屋敷宗門人別帳を調製せしめ、同村庄屋の管下となす』の記録あり。社寺の取扱は一般民と同じけれど、事実は其下位にありき。慶長9年捨地取調の所有者名義には其名を載せず、単に『さえ』と記載せられ、屋敷は除地(免租地)となれり。明治4年法令によりてこの職業は廃せられしも、明治10年頃迄は尚この職に従い居りしなり」。

施設等



隣保館

  • あま市人権ふれあいセンター - 愛知県あま市西今宿平割二32番地
  • 津島市南文化センター - 愛知県津島市今市場町3丁目64番地
  • 名古屋市西文化センター - 愛知県名古屋市西区栄生1丁目3番20号
  • 名古屋市中文化センター - 愛知県名古屋市中区新栄3丁目32番13号
  • 豊川市小坂井文化センター - 愛知県豊川市伊奈町新町170番地2
  • 知立市西丘文化センター - 愛知県知立市西丘町西丘32番1

『同和行政論』第1巻171頁には「一九三七年度以降、愛知県では名古屋市三、甚目寺町、知立町、西尾町、津島町、小坂井町あわせて八隣保館を運用している」とある。



改良住宅


あま市

  • 栄団地 - あま市西今宿平割二、あま市西今宿平割三、あま市西今宿平割四、あま市栄東郷内、あま市西今宿梶村一、梶村二、梶村三


津島市

  • 瑞穂住宅 - 津島市瑞穂町2丁目地内、津島市瑞穂町3丁目地内、津島市東洋町1丁目地内
  • 第2瑞穂住宅 - 津島市瑞穂町1丁目地内外
  • 東洋住宅、東洋町住宅 - 津島市東洋町1丁目地内外、津島市東洋町2丁目地内
  • 第2東洋町住宅 - 津島市東洋町2丁目地内
  • 永楽住宅、永楽町住宅 - 津島市永楽町3丁目地内外
  • 明天住宅、明天町住宅 - 津島市明天町1丁目地内外、津島市明天町2丁目地内
  • 大政住宅 - 津島市大政町1丁目地内外、津島市大政町2丁目地内外
  • 今市場住宅 - 津島市今市場町3丁目地内



教育集会所

  • 上汐田教育集会所 - 名古屋市緑区鳴海町字上汐田447



人権啓発センターなど

  • なごや人権啓発センター「ソレイユプラザなごや」 - 名古屋市中区栄一丁目23番13号伏見ライフプラザ12階
  • あま市人権ふれあいセンター - あま市西今宿平割二32番地



関連団体

  • 部落解放同盟愛知県連合会 - 名古屋市西区天神山町1−3
  • 部落解放同盟愛知県連合会 - 名古屋市中区新栄1-43-2
  • 部落解放同盟愛知県連合会平野町支部
  • 部落解放同盟愛知県連合会鳴海支部 - 名古屋市緑区
  • 部落解放同盟愛知県連合会王子支部
  • 部落解放同盟愛知県連合会津島支部 - 津島市明天町1-42
  • 部落解放同盟愛知県連合会甚目寺支部 - あま市西今宿平割三17−11
  • 愛知県部落解放運動連合会 - あま市西今宿梶村一55−2
  • 自由同和会愛知県本部 - あま市西今宿字梶村三3-21
  • 全日本同和会愛知県連合会 - 愛知県名古屋市西区樋の口町1−15
  • 全日本同和会愛知県連合会 - 愛知県名古屋市昭和区白金3丁目2番26号
  • 全日本同和会愛知県連 - 岩倉市中本町南白山1-15
  • 全日本同和会甚目寺支部 - 海部郡甚目寺町上萱津深見5(現・あま市上萱津深見5)
  • 愛知人権連 - 名古屋市中村区太閤1丁目19番地54号 名駅たんばビル

白山神社

旧尾張国

  • 名古屋市西区押切2-5-2
  • 名古屋市西区児玉3-19-6
  • 名古屋市西区名塚町4-22-1
  • 名古屋市中村区平池町
  • 名古屋市中村区日比津町
  • 名古屋市中区大須1-30-47
  • 名古屋市中区新栄
  • 名古屋市中区丸の内
  • 名古屋市中区金山1-8-23
  • 名古屋市昭和区石仏町1-71
  • 名古屋市守山区小幡中
  • 名古屋市守山区西城2-10-189
  • 名古屋市守山区守山
  • 名古屋市守山区市場
  • 名古屋市熱田区木之免町303
  • 名古屋市中川区二女子町4-66
  • 名古屋市中川区大当郎3-1505
  • 名古屋市中川区川前町170
  • 名古屋市中川区東起町4-96
  • 名古屋市港区船頭場1-217
  • 日進市本郷町宮下519
  • 半田市白山町4-122
  • 一宮市浅野
  • 一宮市大赤見西川垂133
  • 一宮市木曽川町黒田
  • 一宮市小赤見郷浦32
  • 一宮市丹陽町九日市場
  • 一宮市萩原町高松川田47
  • 一宮市大和町妙興寺
  • 一宮市千秋町加茂郷37
  • 一宮市大和町福森宮前12
  • 一宮市春明南本郷38
  • 一宮市浅井町前野郷西31
  • 一宮市花池2-24-14
  • 一宮市丹陽町伝法寺1156
  • 一宮市木曽川町黒田九ノ通り51
  • 尾張旭市狩宿町3-143
  • 春日井市白山町
  • 春日井市外之原町
  • 春日井市花長町
  • 春日井市松河戸町669
  • 春日井市二子町2-11-3
  • 小牧市大草
  • 小牧市野口神尾前2877
  • 小牧市間々本町41
  • 稲沢市奥田大門町
  • 稲沢市奥田町寺切5582
  • 稲沢市井堀下郷町83
  • 稲沢市祖父江町三丸渕報導寺9
  • 稲沢市横地2-26
  • 稲沢市日下部中町2-58
  • 稲沢市千代町宮南104
  • 稲沢市長束町座守
  • 岩倉市川井町井上1292-1
  • 北名古屋市薬師寺屋敷52
  • 北名古屋市九之坪白山41
  • 北名古屋市高田寺屋敷419
  • あま市北苅上深坪71
  • あま市富塚郷1
  • あま市木折宮ノ前573
  • あま市本郷柿ノ木10
  • あま市篠田大門1
  • あま市金岩宮廓63
  • 江南市後飛保町本郷100
  • 江南市中般若町西157
  • 江南市飛高町宮町60
  • 江南市赤童子町白山121-1
  • 江南市前飛保町西町72
  • 江南市尾崎町白山34
  • 愛西市鵜多須町二本松183
  • 愛西市二子町松原9
  • 常滑市小鈴谷赤松30
  • 常滑市檜原字神水2
  • 犬山市善師野宮蔵洞82
  • 犬山市羽黒南郷66
  • 犬山市仲畑83
  • 津島市高台寺町北浦74
  • 津島市半頭町東之割64-1
  • 津島市青塚町3-76
  • 津島市百町北古農68
  • 津島市百島町源正94
  • 津島市舟戸町2
  • 津島市天王通5-31
  • 知多市新舞子北屋敷7
  • 丹羽郡大口町上小口1-343
  • 丹羽郡大口町下小口1-154
  • 海部郡大治町鎌須賀郷前27
  • 海部郡大治町砂子山ノ前764
  • 知多郡武豊町冨貴郷北101
  • 知多郡南知多町豊浜堀奥34

旧三河国

  • 岡崎市板田町
  • 岡崎市岩中町荒井7
  • 岡崎市魚町16
  • 岡崎市康生町
  • 岡崎市中伊町片坂41
  • 岡崎市中町東丸根37
  • 岡崎市夏山町別沢15
  • 岡崎市橋目町城畑64
  • 岡崎市桜井寺町郷野119
  • 豊川市三蔵子町
  • 豊川市三上町
  • 豊川市御津町金野横手35
  • 豊川市宿町白山20
  • 碧南市久沓町
  • 安城市大岡町宮東43
  • 安城市城ケ入町雨池75
  • 安城市上条町浮橋(上条白山媛神社)
  • 田原市西神戸町大辻139
  • 田原市越戸町大山955
  • 西尾市平原町稲荷48-1
  • 西尾市徳次町宮廻11-1
  • 西尾市大和田町宮越33
  • 西尾市西浅井町札木18
  • 西尾市東幡豆町桑畑山5
  • 西尾市吉良町乙川西大山4
  • 西尾市法光寺町西畑98
  • 西尾市一色町佐久島大山1-30
  • 西尾市一色町野田寄神13
  • 西尾市菱池町蜂ノ尻31
  • 豊橋市大脇町大脇15
  • 蒲郡市竹谷町今御堂89-1
  • 新城市作手高松十郎貝津15
  • 新城市野田上市場3(明治40年に合祀して千郷神社となる)
  • 新城市片山178
  • 新城市中宇利曾根川南61-1
  • 額田郡幸田町長嶺北郷中3
  • 豊田市漆畑町大畑1
  • 豊田市岩滝町萩洞470
  • 豊田市花沢町山ノ神21
  • 豊田市力石町中切228
  • 豊田市東大林町平岩2
  • 豊田市幸海町家下21
  • 豊田市東大見町中切24-1
  • 豊田市三箇町青木22
  • 豊田市榊野町京田20
  • 豊田市西細田町釜洞305
  • 豊田市白山町槙田3
  • 豊田市大平町宮ノ前1
  • 豊田市大洞町森下422
  • 豊田市古瀬間町927
  • 豊田市有洞町宮ノ洞1-2-2
  • 豊田市大塚町下落29
  • 豊田市上切町上切789
  • 豊田市乙ケ林町巻ノ下197
  • 豊田市千鳥町梨ノ木150
  • 豊田市霧山町高山2
  • 豊田市野原町黒久郷22
  • 北設楽郡設楽町東納庫スミ川口16
  • 北設楽郡設楽町田口向木屋25-3

本田豊は「愛知県は、西日本と東日本のちょうど中間地帯だが、部落内に白山神社があるのは、かつての三河国に限られ、尾張国には存在しない。そして、三河国でもすべての部落に白山神社があるわけではない。同県下では、どちらかといえば津島神社が多くみうけられる」と述べ、名古屋市中区新栄(玄海村、王子地区)の白山神社については「この白山神社と王子の関係がよく言われるが、実際には白山神社の方が先にあって、江戸時代のはじめ頃、名古屋城下にあつまってきた乞食、牢人が白山神社の境内に小屋がけして集住するようになった。宮司が見かねて小屋を建てさせたのである。そのためのちに、非人部落として位置づけられた。(略)部落が先で神社が後からできたのではない」としている。

しかし全国部落調査に記載のある地区には津島神社は一社もない。そのことを検証する材料として、県下の津島神社の所在地を下記に示す。



津島神社

  • 津島神社 - 名古屋市西区菊ノ尾通3-38
  • 津島神社 - 名古屋市中川区中郷5-146
  • 津島社 - 名古屋市中川区吉津2-126
  • 津島社 - 名古屋市中村区名駅5-38-3
  • 津島社 - 名古屋市中村区名駅南2-1-13
  • 津島社 - 名古屋市緑区大高町北大高畑
  • 津島神社 - 津島市神明町1
  • 津島神社 - 小牧市河内屋新田51
  • 津島神社 - 小牧市小牧原新田1302
  • 津島神社 - 小牧市入鹿出新田郷中559
  • 津島社 - 小牧市中央1
  • 津島神社 - 春日井市稲口町1-7-7
  • 津島神社 - 常滑市樽水町4-77
  • 津島社 - 碧南市天王町7-26
  • 津島社 - 知多市八幡堀之内78
  • 津島神社 - 清須市朝日河原161
  • 津島社 - 清須市清洲永安寺592
  • 津島神社 - 蒲郡市竹島町27
  • 津島神社 - 西尾市吉良町荻原小入道64
  • 津島社 - 西尾市西幡豆町紺屋谷戸10
  • 津島神社 - 弥富市六條町芝切169
  • 津島社 - 弥富市中山町本山43
  • 津島神社 - 一宮市萩原町西御堂郷西切818
  • 津島神社 - 一宮市千秋町加納馬場松下86
  • 津島神社 - 一宮市光明寺天王裏40
  • 津島神社 - 一宮市丹陽町伝法寺横須賀
  • 津島社 - 一宮市千秋町加納馬場郷内89
  • 津島社 - 一宮市玉野宮崎2826
  • 津島社 - 一宮市浅井町江森清水135
  • 津島神社 - 新城市作手保永松枝6
  • 津島神社 - 新城市玖老勢宮本1
  • 津島神社 - 新城市作手善夫笹沢21
  • 津島神社 - 新城市野田西郷30
  • 津島神社 - 新城市作手菅沼室屋24
  • 津島神社 - 新城市愛郷久保貝津17
  • 津島神社 - 岡崎市市場町町裏52
  • 津島社 - 岡崎市冨尾町途茂25
  • 津島社 - 江南市天王町五反林72
  • 津島神社 - 豊田市桝塚西町北屋敷51
  • 津島神社 - 豊田市松平町重田和字堂前20
  • 津島神社 - 豊田市山中町井ノ上240
  • 津島神社 - 豊田市小滝野町大久保12
  • 津島神社 - 豊田市大坪町日向下1
  • 津島社 - 岩倉市東町馬出59-57
  • 津島社 - 北名古屋市能田乾出306
  • 津島社 - 愛西市森川町宮西42
  • 津島社 - 愛西市二子町丸島144
  • 津島社 - 愛西市新右エ門新田町郷前40-2
  • 津島社 - 愛西市町方町彦作堤内19
  • 津島社 - 愛西市草平町道下5
  • 津島社 - 愛西市町方町五軒家9
  • 津島社 - 愛西市小茂井町宮西49
  • 津島社 - 愛西市山路町東郷附51
  • 津島社 - 犬山市橋爪中屋敷34
  • 津島社 - 犬山市塔野地中浦51
  • 津島社 - 岩倉市石仏町天王南1793
  • 津島神社 - 北設楽郡設楽町西納庫松山18
  • 津島神社 - 北設楽郡設楽町東納庫浜井城3
  • 津島神社 - 北設楽郡設楽町三都橋内貝津2
  • 津島神社 - 北設楽郡豊根村下黒川中西3
  • 津島社 - 丹羽郡大口町秋田1-106
  • 津島社 - 知多郡武豊町冨貴郷南33
  • 津島社 - 知多郡南知多町豊浜鳥居28
  • 津島神社 - 知多郡阿久比町卯坂北ノ浦58
  • 津島神社 - 知多郡美浜町古布九条13-20
  • 津島社 - 知多郡美浜町布土明山3
  • 津島社 - 西春日井郡豊山町豊場中之町176
  • 多度社 - 長久手市前熊字志水108(津島神社と合祀)


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