2005年03月05日

徒然掲示板・・・徒然なるままに・・・!?

*「徒然掲示板」の拙投稿文を掲載します。

http://6547.teacup.com/sinken/bbs




「同情するなら」・・・ 投稿者:まこと@出  投稿日: 2月23日(水)08時31分15秒

「カネを出せ」と言われたら私もカネ無いので「う〜ん、困っちゃうな」なんですが(汗)、本気で金正日体制の桎梏の下にある人たちを助け出し、北朝鮮の政治・社会を変えたいと思うなら、朝鮮民族ともに考え合い、汗をかこうという「連帯」を追究する姿勢こそが求められるんじゃなですかね。

また、国際人権主義の観点から金正日体制を非難し、国際関与を強調するならば、ナショナリズムを超えた立場性というのも求められるんですよね。そうした姿勢が無いと、結果として「人権」の名の下で自分自身の「ナショナリズム」を他国民に押し付けるが如き動き−第三世界が「先進国」の国際人権運動を非難する時にしばしば用いられる「人権帝国主義」(類似語として「環境帝国主義」というのもある)−に転化するんじゃないかと思いますね。

ぼんくらおじさんの場合、「歴史認識」やウヨサヨ云々以前に、他国・他民族−とりわけ朝鮮民族や中国の諸民族−の文化や風習への寛容な姿勢というのは投稿から垣間みせず、むしろ日本人的価値観(あくまで"ぼんくらおじさんが信奉するところの"という留保付きですが)から異文化・異民族のありようを裁断しようとするモノカルチャリズム的スタンスを取っていますよね。こういう傾向の人が「人権」を葵のご紋に他国の政治体制を云々するのは、非常に危ういとは私も思いますね。




「内政不干渉」とナショナリズム 投稿者:まこと@趣味者モドキ・休憩  投稿日: 2月23日(水)16時33分27秒

>9.17以降の共産党の動きを見ても、じくじたるものがあります。たとえば不破議長は去年も北京を訪れて中国共産党の幹部らと会談する機会がありましたが、北朝鮮難民問題ひとつなんらの要請もしていません。平和だ人権だ、プロレタリア国際主義だと叫ぶ割には、拉致問題や北朝鮮の人権問題に対して対岸の火を眺めるような冷ややかな態度しか取っていません。前にこのことで共産党員と話をしたことがありましたが、「党としてはやらないが、個人としていろいろ運動することを規制しない」という返事でした。(ぼんくらおじさん)

不破氏が北朝鮮難民問題等で中国共産党にまともな要請をしないのは、日本共産党が「内部問題不干渉原則」とともに「社会主義国への内政不干渉原則」という大原則を堅守しているからという面もあります。

本来、マルクス主義は「万国の労働者よ団結せよ」の言葉に端的に表出しているように国際主義を基本原理としているわけで、圧政に対する外国人の抗議を「内政干渉」とする立場性とは無縁だったはずでした。

ところが、社会主義革命における国家の強化を認めたスターリン(主義)による「一国社会主義」によってこの基本原理は崩され、社会主義国家防衛の見地から「社会主義国家への内政不干渉」を標榜し始めたわけです。

つまり、インターナショナリズムでならないはずの共産主義者が率いる国家でナショナリズムが強化される中で、日本共産党が堅守する「社会主義国への内政不干渉原則」という論理は生まれたわけです。

そして、この論理は社会主義国家下での人権蹂躙を非難する国際世論を無視し、こうした声を「主権侵害」として攻撃するための論理として満展開されてきた(されている)わけです。

日本共産党が先に引用したぼんくらおじさんの投稿文にあるような姿勢を取っているのも、中国が日本共産党によると「社会主義を目指す国」であり、中国共産党がかの国における「前衛党」であると規定しているからですね。

ぼんくらおじさんの自己申告によると、氏は共産党界隈の運動にも関わってきた元マルクス主義左翼のようです。(もっとも私もスカイリーさん同様、この自己申告には前々から疑問に感じていたクチですが。)そして、かような経歴を持つ方が、日本共産党のスタンスを国際人権主義の観点から批判するのであれば、日本共産党以上にナショナリズムを克服する方向を志向せねばならないのではありませんかね。

ぼんくらおじさんはご自身が認めるように「右傾化」し、今や日本共産党よりもはるかに「ナショナリスト」化してしまったのに、一国社会主義に起因する日本共産党の姿勢をインターナショナリズムの観点から批判できるのか、さっぱり分かりませんね。

まあ、ぼんくらおじさんの自己申告を信ずるならば、氏は氏が定義するところの「共産主義」を克服したと思っているようですが、実は「共産主義」思想の最大のガンとされるイデオロギーに関しては全く克服し得ていない−いや、今や日本共産党よりも強化されてしまっているとも言い得るのかもしれません。それは、「スターリン主義」と呼ばれるイデオロギーです。

結局、ぼんくらおじさんが信じた(と自己申告している)「マルクス主義」と思い込んでいる思想も「誤謬」の産物ならば、「間違いに気付いた」結果として現在歩みつつある路線もまた「誤謬」の上に「誤謬」を重ねていると言い得るのかもしれません。


内政不干渉原則など 投稿者:まこと@趣味者モドキ出張  投稿日: 2月24日(木)08時46分12秒

18世紀後半に「近代国民国家」というものの原型が形成されて以来、狭義の「国際社会」を構成する主権国家の「主権」は自国領域内における絶対的な統治権を有しており、他国の政権なり国民なりがそれに口出しするのは一般に「内政干渉」とされていた時代が暫く続いていたわけです。今の言葉でいうところの「人権問題」も一義的に国家主権の専権事項とされていたのですね。

しかし、19世紀に入りこの考え方に疑問を挟む政治思想的潮流が強くなり、マルキシズムもその潮流のひとつだったわけですね。(もっともマルクス主義は国家の究極的廃絶を目指すイズムだったわけですが。)

要するに、"人権問題に関しては外国の人間や政府、あるいは国際機関が意見を言ったり勧告を出すことは必ずしも「内政干渉」には該当しない"というぼんくらおじさんも掲げる方向性というのは、人権擁護や国際的安全保障のために国家主権の絶対性を一定程度抑制しようという方向性の中−近代国家主義の克服という方向性−から生まれたのだと思います。先に触れた人権問題に関して言うならば、基本的人権とは体制の違いを超えて、あらゆる主権国家で普遍的で守られる権利であるべきだ−という考え方があるわけですね。

ところが、日本共産党の基本姿勢にもあるような「社会主義国への内政不干渉原則」というのは、自称マルクス主義者が国家主義を強める歴史−つまり「逆コース」−の中で生まれてきたわけですから、なぜ日本共産党が「脱北者」問題などで中国共産党に弱腰なのか−嘗てマルクス主義を信じたらしい方ならばこそ、マルクス主義を決定的に歪めた要因たるスターリン主義の分析・清算という観点から検討せねば、このテの問題の本質は見えてこないような気がしますけどねー。ぼんくらおじさんの言うところの「右傾化」とは、むしろこうした「逆コース」を後押しする路線なんですから。

マルクス主義者でない私がこんな事を書くのは変ですが。

【常連の大木さんからのアドバイス】

Re:マルクス主義者でない私がこんな事を書くのは変ですが 投稿者:大木  投稿日: 2月24日(木)19時34分57秒

非マルクス主義者であるまこちゃんのマルクス主義理解は自称マルクス主義者や自称シンパなどよりも深いですね(笑)

でも、やっぱり有井氏や100年以上前のヘーゲル、マルクスに届いていません。
資本の運動が世界市場のホーリズムを創出し、それによって民族排外主義的国家アトミズムが解体されるとしても、マルクス主義はコスモポリタニズム=資本のホーリズムではありませんから。堀江評価もちょっと甘いです。

それと、株をいじってんの、一概には批判しませんよ(笑)オレもやってることだし(笑)・・・・この問題に関しては有井氏の『株式会社の正当性と所有理論』P125あたりにも引用されている「正統派マルキスト」にして「信用論、貨幣論の重鎮」三宅義夫氏の宇野弘蔵批判を参照した上で「確信を持って(笑)」お続けくださいな。
マル経の立場から言っても「配当および株主の性質は経済学の上ではいまだ十分明らかに規定されていないといいうる」などという叙述があるように、「所有と機能の分離」にまつわる理論問題は不鮮明(=論争未決着)なまま放置されているのですから。

あと、まこちゃん 投稿者:大木  投稿日: 2月24日(木)20時11分50秒

代々木が、内政不干渉絶対主義や民族自決権至上論に陥っているという指摘は首肯できますが、「社会主義国への内政不干渉原則」なる定式化をしているかのように言うのはやや筆が滑っていますね。
代々木は、ソ連による東欧「衛星」諸国への干渉や引き回しに対し、当時「制限主権論」批判をしていましたが、「制限主権論」とはブレジネフ指導部提唱による覇権主義合理化論ですから。

代々木の一国主義には2つの面があるのです。「スタ」の遺産継承という悪しき面と、その後に起こった「スタ」からの干渉に対する「防御の理論」という側面が。




「鎖国論・開国論」少しだけ 投稿者:まこと@休憩  投稿日: 2月25日(金)16時53分39秒

この問題は何れ纏まった投稿をするかもしれませんが、取り敢えず少しだけ・・・。

「因果律」から始まる曳馬野太郎さんの論考に一貫して流れる"鎖国の太平の中で眠りこけていた日本人が黒船の来航で恐怖を感じ、これが明治の「富国強兵」路線へと繋がったのであり、当時の国際社会の情勢の中では日本の植民地主義も止むを得なかった"という論理には私は疑問を持っています。

そもそも巷に流布する歴史教科書的な「日本=『鎖国』=日本人は海外から途絶」なる図式概念自体が胡散臭いと思っています。特に90年代に入り歴史学の領域では江戸期の歴史の捉え直しが進んでいますが、例えば、「鎖国」なる言葉自体が幕府は法令文などで正式に使ったことは無く、この言葉はオランダ通説書を訳した幕府の通訳による造語であるという説が有力になりつつあります。また、江戸中期に民衆の間で普及した寺子屋では朝鮮・中国のみならず欧州の基礎的な地理教育も行われていましたし、武士の教育施設である藩校では蘭学や西洋事情も積極的に教育されていたという歴史的事実もありますね。

私は、「鎖国」というのは厳格な海禁政策・禁教政策であるとは言い得るけど、恰も日本孤立政策であるかのように描く教科書的歴史観は後世の誇張ではないかな、と思っています。

また、江戸中〜後期頃には幕府の禁制があるにもかかわらず、佐賀・長州など日本海側の藩や薩摩藩などでは朝鮮や中国商人などとの密貿易が積極的に行われ、清の銭が日本の商人の間で大量に出回っていたようです。人・モノ・カネのやとりとがあれば当然「情報」もやりとりされますから、こうした藩では密貿易商をアヘン戦争などの情勢なども案外武士や商人の間では知れ渡っていたのではないか、という推測も成り立つのではないか、と。もっともこうした推測はまだ実証段階には至っていないようですが、歴史学者の故・網野善彦氏などもこうした推論を支持していますね。

こうした歴史観に立てば、「鎖国」のみならず、「明治維新」以後の日本の辿った道に対しても、別の評価が生まれてくるのではないでしょうか。

つまり、"海外から途絶された日本人が黒船来航で恐怖感を抱いた"というのは、実は後の世の人間たちによる誇張という一面もあり、当時の人達は私たちが考えるよりも冷静に事態を捉えていたのではないかという気もしています。

また、「鎖国」される時代の間"すら"日本海を中継地に東北アジア社会は繋がっていたものの、「明治」が進むにつれて日本人はこうした歴史を「記憶」から消してしまったのではないだろうか。そして、こうした「記憶」の忘却が、明治以降の「脱亜入欧」至上主義、「転向」後の福澤の「脱亜論」などからも臭ってくる"日本は後進国たるアジアを指導してやるのだ"という思い上がった自国優越観を蔓延させた一因ではないだろうか−−私は90年代後半以降、かような思いを強くしつつあります。

なお、私は日本人の「鎖国イデオロギー」とでも言うべき歴史観の克服が、差し迫った現在的課題のひとつではないだろうか−とも考えています。




マルクス主義 投稿者:まこと@帰宅前の趣味者モドキ  投稿日: 2月27日(日)17時09分46秒

マルクス主義=暴力革命というイメージがこびり付いていますが、でも、エンゲルスは死の直前に書いた小論の中で暴力革命の必然性をきっぱりと拒絶し、労働者階級の議会進出に祝福を送ったのですね。(「フランスにおける階級闘争」序文)彼らも何処かで平和的革命に「夢」を繋いでいたのでしょう・・・。

彼らもまた、「時代」の中で懸命に格闘し、教条を嫌悪した近代の気鋭の一人(二人?)だったんでしょうね。彼らの後に続いた「信者」はマル・エンが描いていた「夢」を本当に引き継いだのだろうか・・・?




朝鮮の海民史・会津屋八右衛門 投稿者:まこと@昼休み  投稿日: 3月 2日(水)12時21分33秒

私は近代以前の朝鮮史は系統的に学習していないので詳しいことはよく分かりませんが、いわゆる李氏朝鮮王朝期の朝鮮の海民の活動実態に関しては、朝鮮が儒教的農本主義思想の影響が強かったせいもあり、まともな公式史料が殆ど残っておらず(というより作成していなかった?)、また近代以降もまともな民俗学的研究が研究が為されていなかったために、今なお不明な点も少なくないという話を書籍で読んだことがあります。日本も韓国歴史学会ほどでは無いにせよ、江戸期の歴史研究は農業に偏っていた傾向があり、いわゆる「鎖国」政策の中で行われていた密貿易の実態に学問的なスポットライトが本格的に当てられたのはここ20年くらいの話ですから、朝鮮に関しても今後の歴史研究の進展によってこれまでの「定説」が塗り替えられることもあろうかと思います。

なお、竹島絡みでは鬱陵島を中継地に李氏朝鮮との交易を密かに行おうと企てていた会津屋八右衛門の逸話もありますね。江戸期の商人・海民たちの交易活動は、私たちがこれまで学んできた歴史教科書的記述よりも遥かにダイナミックだったのかもしれません。

http://homepage2.nifty.com/tankenka/sub1-31..html
http://www.sanjo.co.jp/yamane/aiduya.html




「怠け者」云々について少しだけ 投稿者:まこと@休憩  投稿日: 3月 3日(木)15時16分12秒

私は朝鮮人の生活風習についての知識は疎いので飽くまで一般論として述べますが、一口に「怠け者」といったって、どういう人が「怠け者」に当たるかは各々の民族・国・地域などによっても異なるわけです。

私は以前、こちらの掲示板に「チベット自治区」のラサに移住してカフェを経営する山東省出身の中国人(たぶん漢族)が「チベット人たちが金を乞うことはこの地域の文化であって、チベット人は働きたくないのだよ」云々とチベット人達を軽侮する発言を口にしたという記事を紹介したことがありますが、

*<「チベットで見られる中国の経済力」ボイス・オブ・アメリカ(2004.09.02)Luis Ramirez>
http://watch.blogtribe.org/entry-000c55e36106a9204612397ed78a936a.html

そもそもチベット人は「市場主義経済化」された山東省の若者とは金銭に対する価値観が根本的に違うし(チベット仏教の精神哲学には必要以上のカネを稼ぐことを咎める風潮がある)、そもそもチベット仏教への帰依を中心に生活リズムが組み立てられていた彼らを中国人の視点から忖度して「怠け者」だの云々とレッテルを貼ること自体が、異文化に対する理解や尊厳の姿勢を欠いた自文化至上主義的な価値観(モノカルチャリズム)の表出以上の何物でもないと私は思います。

で、先に紹介したボイス・オブ・アメリカの記事にはこの山東省出身の若者がチベット人孤児院に寄付するという慈善活動をやっていることも紹介されていますが、記事は「このような中国人の感情は、恩着せぶった態度に油断しないチベット人たちの間に怒りを沸き立たせる源なのである」と酷評しています。

自分たちの文化を理解しようともせずにズケズケと侵入してくる連中に「感謝をしろ」と言ってもそりゃ無理な相談だよ−という思いがチベット人の間にはあるんじゃないか、と私などは思うわけです。(まあ、チベットの場合は、そもそも中国政府・軍・共産党のやっていること自体が「侵略行為」であり、現在進行形的「チベット民族浄化政策」であるという問題があるのですが、その点は本投稿では措いておきます。)

北朝鮮の男性への「怠け者」云々の評価にしても同じことが言えるのではないでしょうか。彼らと私たちでは文化も違えば「男尊女卑」への感覚、社会システム、政治体制あらゆるものが異なるわけで、とりわけ厳しい自由主義経済社会の中で暮らしている私たちと北朝鮮の民衆とでは労働への価値意識も異なるでしょう。従って、どういう人が「怠け者」なのかも彼の国と私たちとは尺度が違うわけです。

日本人的価値観で北朝鮮民衆の「怠け」の度合いを斟酌し、日本人的労働観から北朝鮮の男性を「怠け者」と断罪する前に、まずは彼の国の文化や社会風習などを深く知り、理解しようと努める姿勢が求められるのではないかと私は思うのです。

(追記)

なお、私が前にぼんくらおじさんに対して「人権帝国主義」云々という投稿を敢えて行ったのは、人権問題という切り口から北朝鮮の現状を切り込むのであれば、まず相手の文化に対して寛容であろうとする心持ちが無ければ、ぼんくらおじさんが志向する運動は結局のところ日本人的な価値観や意識を相手に押し付けるが如き運動に転化してしまうのではないかと感じたからです。




北朝鮮男性は「怠け者」云々の話について 投稿者:まこと  投稿日: 3月 4日(金)08時00分53秒

朝鮮半島は儒教文化の影響の強い土地柄ですから「男尊女卑」の風潮はあるのでしょうし、韓国よりも近代化という面で遅れている北朝鮮でよりそうした風潮が色濃く現れるということはあるのかもしれません。ただ、私がこれまで仕事で付き合ってきた韓国人(在日では無く本国出身者)を見る限り、「怠け者」という印象は感じなかったですね。北朝鮮も今後市場経済化が進んで社会構造が変化すれば、一転日本人から見ても「メチャ働き者」になるってこともあるかもしれませんし。

ただ、3K労働を外国人労働者が担っているという構造は日本だってそうですし、中国にしても上海や香港などでは3Kは外国人や内陸部から出稼ぎに来た労働者によって支えられているという面が多分にあります。もちろん朝鮮半島特有の文化に起因する要素が影響を与えている面もあるのかもしれませんが、資本主義(的)経済社会ではより立場の弱い階層は自ずと人々の嫌がる職場・労働環境に置かれるものですし。

いずれにせよ、ぼんくらおじさんのように本を何冊か読んだだけで日本人的価値観から「朝鮮男は怠け者」などと決め付け、朝鮮民族への偏見を煽るが如き論調には大いに疑問に感じます。しかも、そういう人が「人権」という切り口から北朝鮮問題を焦点化しているわけですからなおさらです。解法者氏のように「人権は問題にしない」的立場性ならともかく。




アジアの中の日本 投稿者:まこと  投稿日: 3月 5日(土)08時02分21秒

>名越二荒之助著『世界から見た大東亜戦争』展転社刊より(はてな?さん)

名越二荒之助氏って「日の丸」に似た絵柄の国旗を見せびらかすのが好きなオジサンですよね〜。私、何年か前に、「自由主義史観」なるものを批判的に「検証」していた時期に、この人の講演会に足を運んだことがあります。

それはともかく・・・。

>だから、単純な善悪二元論じゃいかんのよ。

というのは日本左翼の歴史観の「弱さ」をズバリを突いていますね。さすがむじなさんだ。

例えば、毎度おなじみチベットネタですが、名越二荒之助氏なんかがアジア太平洋戦争(いわゆる「大東亜戦争」)を賛美するための「ネタ」として講演会で持ち出す「国旗」の中にチベット「国旗」(雪山獅子旗)がありますが、

http://www.tibethouse.jp/about/national_flag.html

これは20世紀初頭にチベットに滞在し「秘密国チベット」を著したことでも知られる日本人の青木文教とチベット人のタクラがチベットも日本のように民族独立を勝ち得たいという思いを込め、「旭日旗」に着想を得て作成したものなんですね。とりわけ、チベットの場合は中国王朝の中華主義によって随分政治的干渉を受けてきたから、日清戦争への勝利というのも当時のチベット人が「親日」感を抱いた一因でもあるんですけどね。(なお、後に蒋介石が援蒋ルートへの協力をチベット政府に迫った時に彼らが拒絶したのも、こうした歴史的背景に起因しているわけです。)

この頃は、日露戦争で日本という極東の島国がロシアという列強に勝ったという事実が、アジアの民族主義を惹起させた一面"も"あったわけです。南国人Jさんが支持している「新しい歴史教科書」にも記載されているネルーや孫文が日露戦争での日本戦勝を評価し、自分たちも日本を手本にしたいと漏らしたのもこの時期ですね。

もっとも、その後の日本がこうしたアジア諸民族の期待−欧州列強の植民地主義と対峙する路線−を歩まず、逆にアジア侵出の挙に出る動きに出る状況に進展する中で、「新しい歴史教科書」が好意的に引用するネルーも「自伝」で日露戦争に勝利した日本は結局欧米列強のような侵略的帝国主義国の一員となり朝鮮はその辛酸を舐めた国であると記し、孫文も日本は東亜の干城になるか西欧の猟犬となるのかをよく考えるべきだと喝破したように、アジアの中からも日本の帝国主義・植民地主義への批判の声が強まるわけですけどね。

前に「アフガン・イラク・北朝鮮と日本掲示板」でチャンドラ・ボースが日本帝国主義に迎合した「奴隷精神」の持ち主である云々という話が出てきた時にも書いたのですが、どうも日本では戦後右翼が戦前の大日本帝国主義の朝鮮・台湾などへの植民地支配・中国などアジア諸国への侵略・「従軍慰安婦」など戦前の日本帝国主義の犠牲者への誹謗中傷を満展開する反動も相まって、戦後左翼の中には逆に先述したような当時のアジアの諸民族の「微妙な感情」を忖度しない歴史観が蔓延していると思うんですね。

ここでは解法者さんや南国人Jさんのような日本帝国主義・植民地主義肯定論に対抗する論陣を張っている私ですが、さりとてsinkenさんの歴史観を全面的に支持する気にもなれないのは、私のようにチベット史だとかを多少なりとも齧っている人間には日本のマルクス主義的な歴史観だけでは戦前のアジア諸民族の歴史を説明し切れないという思いもあるからなんですね。(史的唯物論自体は歴史把握の方法論として一定評価していますが。)

ちなみに、私は「自由主義史観」や「新しい歴史教科書」的歴史観に対峙し得る「有力候補」は、網野善彦氏的な史観ではないかな、と思っています。「いまのところ」という留保付きですが。




metasさん 投稿者:まこと  投稿日: 3月 5日(土)08時52分12秒

ぼんくらおじさんの「朝鮮男怠け者」投稿に端を発した論争に「ちびくろサンボ」を持ち出して「人権」思想を揶揄するのは、ちょっと的外れだと思いますよ。

もともと「ちびくろサンボ」が絶版に至ったのは大阪の「黒人差別に反対する会」が「〜サンボ」は黒人差別だだと言い出したのがきっかけなのですが、もともとこの作品の原作はインドの先住民(黒人では無い)をモチーフにしたもので、例えば彼らが「差別」の理由に挙げている「サンボ」「マンボ」云々という登場人物の名前は「差別」だという指摘についても原作のモデルとなった現地ではこの名前がごく普通に使われていた云々のことなどが研究者の間から提起されていて、「〜サンボ」の原作を「人種差別」だとする指摘については日本や欧米の人権運動の間ですら少なからぬ異論が提起されています。

ただ、「ちびくろサンボ」を巡る論争・研究が進展する中で、「〜サンボ」自体の「差別性」では無く、むしろこの作品を元に創られた絵本の多くが登場人物を真っ黒な体に真っ赤な唇を持った「黒人」として描いていたことが注目され、こうしたステレオタイプな「黒人」像を持つに至った欧米・日本の「人種差別」観の社会的背景が焦点化されたんですね。

そういう意味では、安易に「朝鮮男は怠け者」なるレッテルを貼るが如き立場性というのは、先述したような黒人像を創りだす背景を巡る問題とも相通ずる面がありますし、まして、ぼんくらおじさんは国際人権主義的立場性からも北朝鮮問題を論じているわけですから、これは人権運動家の中にも内在する「差別性」という古くて新しいテーマとも通底する問題だとも思います。

もちろん、私もかような「差別性」を併せ持っている一人でありますが。

まあ、「ちびくろサンボ」を巡る問題は私も言いたいことが山々ありますが、書き出すと長くなるしきりが無いので、以下に私がおすすめする参考文献を一冊だけ挙げておきます。

・「ちびくろサンボよすこやかによみがえれ」灘本昌久著・径書房

zatsu_blog at 09:33トラックバック(1)雑談  この記事をクリップ!

トラックバックURL

トラックバック一覧

1. ■日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治を  [ 読売新聞の社説はどうなの・・ ]   2005年03月05日 22:44
3月3日付・読売社説 [盧武鉉演説]「日韓関係を阻害する発言だ」2 、、、日本人拉致事件に関する大統領の発言も疑問だ。「日本国民の怒りを十分に理解する」としながらも、「日本も相手の立場で考えるべきだ」と述べ、「日帝36年間に、数千、数万倍の苦痛を受けた韓
記事へのコメント
livedoor Readerに登録
RSS
livedoor Blog(ブログ)