2006年03月21日

レーニン「旅順の陥落」と北朝鮮「民主化」についてのメモ

古文書をほじくり返すようで何ですが・・・。
前に、「北朝鮮民主化」の運動に参加しているらしい自称「左翼」氏に「お前は『平和奴隷』だ!」と罵倒されたことがありまして・・・。

「鬼薔薇」さんが運営される「談話室」への投稿文をこちらにもコピペしておきます。


イラク・北朝鮮における「帝国主義侵略戦争」は「進歩的」? 投稿者:まこと  投稿日: 2005年3月 7日(月)08時55分48秒

皆さん、おはようございます。

>で、「アカが反戦」ね。これはもう、戦争一般に反対するなどという「馬鹿馬鹿しい」意味では決してなく、「帝国主義戦争」に反対する立場にほかなりません。(鬼薔薇さん)

絶対平和主義者であってはならない、だが帝国主義戦争には断固反対−これはマルクス主義者としては正当なお立場だと思います。

ところで、鬼薔薇さんをはじめ論客方に少し教えて頂きたいことがあるのですが、先日「アフガン・イラク・北朝鮮と日本掲示板」にて少し話題になったのですが、昨今レーニンの旅順攻略論やマルクスのイギリスのインド支配論辺りを持ち出して「帝国主義侵略戦争」でも人民に解放を齎す「自由のための戦争」なれば評価されるべき、という「論理」でイラク戦争や「アメリカ帝国主義」による北朝鮮への武力攻撃を容認する「マルクス・レーニン主義者」も登場しつつあるようでして、私は最近少々困惑しているのです。例えば、↓の小論などがその典型です。

・「北朝鮮問題、拉致問題、帝国主義侵略戦争の進歩性と反動性の弁証法について。少し。」 流 広志
http://www.bekkoame.ne.jp/tw/hibana/h266_1.html

こうした主張に対する皆さんのご見解をご教授いただけないでしょうか。簡単でも結構ですので。

感想:流論文>まことさま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月 7日(月)23時26分13秒

ご紹介の論文一読しました。この手の論評はあまり気が進みませんし、筆者の見解も執筆から今までに変わっているかと思うのですけど、困惑のご様子ですので少々。ひとことで感想を申せば、絶望左翼の「統合失調症」と感じました。統合失調症や鬱病など最近広がっている心の病はマジメな性格の人ほど発症しやすいのだそうですが、この筆者もたぶんマジメな方なのでしょう。マジメならいいというものではないひとつのサンプルかもわかりません。その絶望の淵は深く暗いものと思われ、「(笑)」など付すことは控えます。

金正日政権は打倒さるべき存在であり、それは国境を越えた課題であること、当該論文この基本視点にはわたし賛成でございます。ではその打倒の主体は誰か? なによりこの主体の定位に関わって筆者の「絶望」は深いように思いました。侵略・干渉戦争に期待を抱く結果も、そこから導かれたのでしょう。これは、朝鮮革命は朝鮮人民の課題であって、他国の人間がその政権の打倒などを主張するのは「干渉」であり、左翼がそのように唱えることは許されない、なかんづくかつての植民地支配の歴史の精算もしていない日本人がそのようなことを語るのは帝国主義と同列の立場に立つものだ、という「民族自決・一国革命論」の自閉症への病理的懲罰のようにも思われます。そうした「干渉」批判がなにほどか念頭に置かれたればこそレーニンなど引用もされたのでしょう。

けれども、そのレーニンの読み方・扱い方はまったく当を失していると思いました。レーニンが「進歩性」を語ったのは、現実に起きた戦争の事後的・歴史的評価においてでした。ところがこの論文の筆者は、まだ起ってもいない(起るかどうかもわからぬ)アメリカの北朝鮮侵攻という「戦争」について語っております。以上が「読み方」の間違い。その上で筆者は、起るかどうかわからぬこの将来の「戦争」に期待してレーニンを援用しているわけですけど、これはアメリカに対する軍事侵攻の「けしかけ〜要請」ですよね。これはレーニン言説の扱い方として問題にならぬと存じます。レーニンは帝国主義の戦争に期待をかけたりそれをけしかけるようなことは決していたしませんでした。以上要するに、流論文がレーニンを援用している部分でレーニンその人に帰すべき問題はないこととなりましょう。レーニンが言及した戦争の多くが、自国ロシアの関わったものであったことにも目をとめておくことが必要と思います。日露戦争が典型的ですが、この戦争が自国の帝政支配に危機をもたらすとの判断こそ「進歩性」の評価基準になっていたわけですね。それの判断は、自国ロシアの革命主体たる民衆像が彼のなかに定位されていたことと結びついていたはず。それは、1905年1月の論文「旅順口の陥落」が革命の予感に支えられて書かれていることからも明らかでしょう。そのインクも乾かぬうちに第一次革命が勃発したのは一種の僥倖かもわかりませんが、故国を遠く離れていてもレーニンはロシアの民衆の存在をしかと見定めていたと存じます。流論文に欠けているのはまさしくそれなのですね。

ここで語られる「北朝鮮プロレタリアート」は、“飢えを強いられ命からがらの亡命、難民化を余儀なくされている”哀れな存在にとどまり、いかなる意味で主体なのかは一言もございません。それは、打倒さるべき権力の分析がないのと対応しておりましょう。“金正日を頂点とする少数の党・官僚・軍の上層からなる特権階級”=“およそ真の共産主義者とは無縁の私利私欲むき出しの腐敗した支配階級”という記述は、社会科学的な「権力分析」と評価しうる内容ではなく、「共産主義者」を好みのものに置換すれば商業ジャーナリズムでも三文評論家でも語りうる水準にすぎません。その上で“体制延命のために、周辺国のプロレタリアートに対して、さらなる拉致や軍事的冒険による大量殺害行為に及ぶ危険が高い”として、そこから“この反動に対する帝国主義による進歩的戦争を認める”との結論が導かれております。打倒すべき権力が分析されず、打倒の主体が定位されず、その打倒を仮託した「帝国主義による進歩的戦争」なるものの現実性さえ検討されていないこの論文は、およそ現実と無縁のところで書かれたものと思わざるを得ませんし、その主観的に倒錯した内容をこれ以上検討する意味さえないように思います。

/続


感想:流論文〔承前〕>まことさま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月 7日(月)23時27分11秒

日本左翼の一部が「帝国主義の北朝鮮侵略戦争阻止」を叫び、この論文はその戦争の「進歩的性格」を論じるのですけど、もしも「帝国主義の北朝鮮侵略」が現実のものであるなら、一国主義的「侵略阻止」でも主体喪失の「進歩的性格」でもなく、「金正日のクビは北朝鮮人民と国際プロレタリアートが取る。アメ帝などに渡すな!」こそ国際主義左翼のスローガンであり、具体方針は「国籍も民族も超えた人民義勇軍を全世界から北へ!」、その人民義勇軍の結集と出撃の拠点をこの日本で用意し提供する課題を全民衆に提起することが日本左翼の任務となる道理かと、わたしなどは考えるところでございます。

けれどもいったい現在、「帝国主義による対北朝鮮戦争」などどれほどの可能性をもっているのでしょう。実のところそれは、北朝鮮政権が“体制の延命のために”自国民に描き出して見せている幻影であり「瀬戸際」の外交演ではないのでしょうか。事実、あの“好戦的”なブッシュ政権の関係者からも「北朝鮮侵攻」の意図は伝わっておりません。そこには、なにより中国という存在を意識した現実政治の力学が働いているはずでございます。その分析もないままの「戦争」議論など、金正日の描く幻影に踊らされたものでなくてなんでしょう。

北朝鮮政権は外交政策においてきわめて巧緻であり、「核」も「六カ国協議」も、「拉致」も「よど号」さえも、すべてそのカードとしてフルに活用しているのでしょう。アメリカもまたその内実をかなり知悉した上で、その「無用な刺激を避ける」外交的対応をはかっているように思えます。アメリカの顔色をうかがうほか能のない日本政府と外務官僚が、「経済制裁」の発動に踏み切らずにいるのもそのためにほかならぬことでしょう。けれども政治支配というものは、外交的巧緻などだけで安定するはずもなく、北朝鮮政権の危機は日ごとに深まっていると思われます。アメリカの、そして中国の主要な関心は、現政権の存続は不可能と見切った上で、それが一挙的に崩壊した場合に生じる破壊的な影響を最小にすることにあるのでしょう。今年初めに伝えられた、クーデタによる金正日の排除と新政権を支える中国軍の北朝鮮軍事統治という「政変シナリオ」も、米中共同のソフトランディング計画としか思えぬものでございます。そのさなかに韓国経由で「北朝鮮内反体制派」の動向が伝えられてまいりました。

まさにこのような状況と関係のなかで「何をなすべきか」が問われているのではないでしょうか。その点で流論文にわずかに読むべきところがあるとすればその末尾、“飢えを逃れ、弾圧や抑圧から逃れ、生きるために、命がけで大量に国境を越えて難民となっている……人々へ実効的な支援・援助”という提起でございます。論文は続けて“飢餓や難民問題を引き起こしている原因が金政権そのものにある以上、その根本的変革が必要”と指摘しておりますが、上の「支援・援助」の対象となる人々こそその「根本的変革」の主体となるべき存在でございましょう。その視点をこの論文に加えるなら、脱北ルートを拡大し、「大量」の難民をこの日本に受け入れる体制づくりこそ呼びかけるべきことと存じます。。流論文が序節で述べる「人命を救うための人権団体やNPOや国際機関や政府などあらゆるルートでの緊急の支援・援助」は、単なる「援助物資送付」を越えて、日本国内での実践的なテーマとして再措定されねばなりません。

その「難民」たちは、在日朝鮮人・韓国人と協働しつつ、また日本人と協働しつつ、韓国・中国延辺地区・ロシア極東地区に住む全コリアン民衆と連帯の輪を広げつつ、その輪を絞って北の国内民衆と呼応し、「金政権そのもの……の根本的変革」へ向かうこととなりましょう。この人々の当面の生活を保障し、その独自の政治活動の権利を保証し、海外への渡航の自由を保障しうるか否か、日本社会全体が問われるところとなりましょう。それは、「在日」社会と日本社会との歴史関係を変え、さらには、「日本」という枠組みに制約された「左翼」と「右翼」という弁別さえも相対化する契機をも孕むはず。流論文序節にいう「基本的な考えが違っていたとしても、部分的であれ目的が一致し、あるいは行動において一致するところがあれば、様々な団体個人の努力を支持し、共同行動を行なう」とは、具体的にはこのような見通しと構想を求めるものと考える次第でございます。


Re:感想:流論文 投稿者:まこと  投稿日: 3月 9日(水)08時22分58秒

鬼薔薇さん、おはようございます。
そして、レスを下さったことに感謝しております。

「趣味者」モドキの私が言うのも何ですが、流論文のレーニンの読み方が失当であるという鬼薔薇さんの評価、そして鬼薔薇さんが提示された「進歩性」へのご見解には私も特に異論はありません。

そして、今のところアメリカのブッシュ政権による北朝鮮軍事攻撃の可能性が低いこと、この背景には中国政府の対北コミットメントがあること、また昨今の北朝鮮の「核兵器保有」宣言などはこうした米中の思惑を察知した上での「瀬戸際」外交戦略の一環に過ぎないというのも鬼薔薇さんの仰る通りだと思います。事実、私が確認した限りでは、新華社などの中国報道機関や香港・米国のマスコミも「核保有」宣言などにも概ね冷静な反応に徹しているように思います。

ただ、にもかかわらず、日本国内では恰も金正日政権には日本にミサイルを撃ち込みたいという強い意思があると言わんがばかりの「朝鮮有事」論が一部マスコミや右派政治家によって煽られています。鬼薔薇さんは「朝鮮有事」論は北朝鮮政権の体制延命意図による「幻影」だと指摘され、それは私もその通りだと認識しているのですが、現実には日本国内にもこの「幻影」を有事法制や憲法改悪の推進、立川テント村弾圧にみられる治安体制強化などを促進するために「利用」しようしている層があるのだと思います。

流論文のような主張は基本的には金正日政権による圧政に苦しむ北朝鮮民衆に対する「善意」で為されているのだと思います。しかし、先述したような日本の現実情勢を踏まえず、曲がりなりにも「左翼」を自認されている方達がブッシュ政権による「テロとの戦い」を容認するかの如き論理に立脚した上で、おそらく可能性としては極めて低いであろう「アメリカ帝国主義」による対北軍事攻撃に仄かに「期待」を寄せるかの如き見解を提示することは、かような「朝鮮有事幻想」を殊更に煽り立て、北朝鮮民衆への「善意」が「右傾化」路線を促進している層の「悪意」に利用されるような格好になりはしないか−私はこの点を危惧してしています。先の投稿で触れた私の「困惑」もここにあります。

私は、圧政の下で苦しむ北朝鮮の民衆を救うためには体制そのもの打倒を含めた本質的政治変革が必要であること、その為にも日本人・在日コリアン・韓国人・中国人など東北アジアの民衆が連帯し「脱北者」の自国内での受け容れを各国政府に要求するなど、北朝鮮民衆による民主化運動を促進すべきこと、そして北朝鮮の政治的変革と朝鮮半島における南北対立の終結こそが東北アジアの民主主義と平和構築の要石となるであろうと考えておりますし、その為にも『「日本」という枠組みに制約された「左翼」と「右翼」という弁別』(*注)を超えた「別個に進んで共に撃たん」のスタンスが求められるであろうと考えるものであります。

ただ、北朝鮮の民主化を求める民衆の運動が日本の自由と民主主義を損ねるような状況に繋がるようなこともあってはならないのではないか、と私は考えるものであります。

(*注)
もっとも、北朝鮮問題に託けて「在日」への差別・偏見を煽る排外主義的右翼と連帯などできるはずはありませんし(もちろん三浦小太郎さんのような良識ある右翼の方は別です)、ステロタイプな「内政不干渉」「民族自決」主義などに束縛され、圧政に苦しむ北朝鮮民衆のために何らかのアプローチを行おうと考えない教条的な一国主義左翼に関してもまた然りではありますが。

「別個に進み、一緒に撃て!>まことさま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月10日(木)00時09分35秒

いつ、誰を撃つかについてだけ協定せよ。
このような協定は、悪魔とさえ結ぶことができる」

これは、かのレオン・トロツキーのテーゼ(というかアフォリズム?)でしたね(『次は何か?』)。左翼と右翼の共同行動というのも似たようなものというのがお説かと思いながら読みました。“悪魔とさえ”なら“帝国主義とさえ”とも言えるじゃない、というリクツもありうるかもわかりませんが(笑)。

さて、わたし「左翼」一般と「右翼」一般との共同行動などという議論にはあまり意味を見出せません。現在の課題(たとえば金正日政権打倒)を考えますと、考えられるのは国際主義左翼と国際主義右翼との間だけではないでしょうか。左翼にも右翼にも「一国主義派」と「国際主義派」とがそれぞれございましょう? つまりこの共同行動は同時に、「左翼」と「右翼」双方におけるこの軸での分解を不可避的に伴う問題なのですね。

そうだとすれば、トロツキー・テーゼも狭いものを感じます。共同行動ないし協働は、もっと多義的に構想されてしかるべきかと。すなわち、
 別個に進み・別個に撃つ
 別個に進み・一緒に撃つ
 一緒に進み・別個に撃つ
 一緒に進み・一緒に撃つ

これらは、自由に決められるものもあれば決められぬものもございましょう。どれでなければいけないとか、どれが一番望ましいとか、そんな議論は後のことにするとして、ただ、判断基準は重要と存じます。それは「誰のために?」ということではないでしょうか。誰が第一次的「主体」なのかの問題とも言い換えられるかもわかりません。朝鮮革命の第一次的主体は朝鮮人民である、この基本テーゼはやはりゆるがせに出来ません。上の“国際連帯”は、この点にかかって重要と存じます。

先回の感想では書きませんでしたけど、流論文を読んで一番ムカついたのは、「すべての惨禍、厄災、苦悩にもかかわらず歴史的には進歩的であった戦争」というレーニンの言葉を引いて「〔北朝鮮政権の〕この反動に対する帝国主義による進歩的戦争を認める」というくだりでした。過ぎた(あるいは現実に起こった)戦争についての言葉が、ここでは政治的「予定」に繰り込まれております。すなわち、“すべての惨禍、厄災、苦悩”が北朝鮮の人々の上に降りかかることを、その人々の選択を排したところであらかじめ予定しているのが流論文でございます。金正日に殺されるよりアメリカ軍によって殺されるほうがマシだと朝鮮人民に告げているのです。わたし、このような言説は傲慢不遜以上の邪説であり、いかなる意味でも許容しうるものとは思いません。

まことさんは流論文に「善意」を見出されましたが、わたしも同意見。そして同時に、「地獄への道は善意で敷き詰められている」という(レーニンが好んだ)警句を切実に思い出します。流論文が悪意をもって綴られたのならまだしも救われるというものでございましょう。実際、「善意」くらい恐ろしいものはないのが「人間」というものかもわかりません。この恐ろしさがむき出しで現れるのが「政治」の場面であり、そのことを冷徹に引き受けるだけの精神を我が物とせずして「政治」などに手を染めてはならないのだと、あらためて思わされました。これは「左翼」か「右翼」かなどの弁別以前の問題だと思いますし、精神病理現象として扱ったゆえんでございます。この精神病理の闇は実におぞましくも深いものがあるはずで、安易に扱うことは許されぬことでございましょう。


「国際主義」における「左翼」と「右翼」>まことさま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月10日(木)00時12分17秒

補足でございます。前発言は、左翼は「国際主義」、右翼は「一国主義」などという前提は成り立たぬとの考えを前提にしております。

右翼に「国際主義」などあるのか、というのは「左翼」の思い上がりと無知にすぎません。ひとくちに「右翼」といわれますけど、歴史的にも現実にも、「国内派」と「国際派」との流れの違いははっきりしております。たとえば5.15事件を主導したのは後者であり、2.26事件を主導したのは前者ですし、日本浪漫派は前者であり玄洋社=黒龍会は後者、大学でいえば国学院や国士舘は前者、拓大は後者の伝統を今も引いておりましょう。イデオロギーの問題ではないのです。後者の伝統を引く潮流は、戦後もアジア各地にネットワークを維持しており、その組織・人脈・活動は、左翼などよりずっと実践的なものとして存在しておりましょう(いつぞや国際ボランティアでカンボジアの選挙協力に行って殺された青年もその筋の一員であったと思われます)。

ずっと前のことですけど、重信房子さんがパレスチナから書き送ってきたものを何かの雑誌で見て、「日本語で何度『世界革命』と唱えたからって世界革命になどなるものか」というメッセージの鮮烈さに驚いたことがございました。戦前の日本共産党も、「朝鮮・台湾の独立解放」を非合法機関紙に書き付けただけでなく、困難な情勢下でも現実の連帯をいくつもつくりました。基隆の埠頭で官憲に追い詰められ自殺した「ワタマサ」こと渡辺政之輔の台湾行きも、その一環であったはずと存じます。ムンバイ(なぜ「ボンベイ」といわないのかしらね)のWSFなどに出かけて「感激」してきた人たちの行動など、わたしには“サヨク観光旅行”としか思えませんね。ま、観光旅行を否定はいたしませんけど(笑)。

「右翼」であれ「左翼」であれ、「民衆」とのつながりを少しでも豊かに確かにすることこそ「国際主義」に求められる内実ではないでしょうか。流論文にひとつの表現をみる病理現象も政治的孤立の産物であるとすれば、それからの解放=快方への途は、民衆とのつながりを広め深めるなかでこそ探ることができる、そのような性質の問題かと考えるところでございます。

ご健闘を祈ります。


http://homepage2.nifty.com/onibara/log1/log_danwa_0503.html




「旅順の陥落」一考 投稿者:まこと@出先 投稿日:2005年12月16日(金)09時30分2秒

鬼薔薇さん、こんにちは。

先日仕事帰りに立ち寄った「ブックオフ」に「レーニン全集」(大月書店)が一巻105円で放出されていたので、取り敢えず論文「旅順の陥落」が収録されている第八巻のみ購入しました。

というのも、以前アフガン板米軍兵による北朝鮮侵攻を容認しているように読める議論を展開していた自称「左翼」氏に反論したところ、「旅順の陥落」や最上敏樹氏「人道的介入」(岩波新書)を拠り所に「アンタは『奴隷の平和』論者だ」と罵倒されたことがあるので、同論文は折を見て読み直したいと思っていたのです。

#あの時、鬼薔薇さんには本掲示板で私の質問に丁寧に答えて頂きました。感謝しています。

前置きはこの辺で止めて本題に入ります。
レーニンの日露戦争観ですが、私は次の一文に尽きると感じました。

「進歩的な、すすんだアジアは、おくれた、反動的なヨーロッパに、取りかえしのつかない打撃を与えた。」(「全集」8巻34頁より)

私は「旅順の陥落」を読むに当たっては、レーニンの言うところの「進歩的」「反動的」という言葉が持つ意味を忖度せねばならないと思うのです。

日清戦争以前の欧州列強では極東の島国・日本なぞ大清帝国よりも遥かに弱小国だとする見方が一般的でした。その脆弱な日本が「眠れる獅子」に勝利したことに欧州諸国は驚き、ドイツ皇帝が「日本人=黄禍」論を展開したり三国干渉を行ったりなどの動きを通じ、彼らは「旧世界の既成の諸関係と特権、その優先権、アジアの諸民族を搾取するという、長い年月によって神聖化された古来の権利」(同頁)を死守しようとしたからこそ、「反動的」だと喝破したのでしょう。

そして、レーニンはアジアの弱小国だった日本が、結果として「搾取」する側たる欧州列強(ロシアなど)に打撃を与える側に回ったからこそ「進歩的」との評価を与え、この戦争の結果がロシア・ツァーリズムの打倒するための革命闘争にプラスの効果を与えるだろうとの冷静な現状分析を行ったのがこの「旅順の陥落」と題した論文だと考えます。

当時、レーニンのように日本の勝利を高く評価する向きは珍しくありませんでした。代表的な人物としては孫文やネルーなどの名前を挙げることができましょう。レーニンも同論文の中で、「革命的な国際社会民主主義者のもっとも一貫した断固たる代表者たるフランスのジュール・ゲートとイギリスのハインドマンとか、ロシアの専制を粉砕しつつある日本にたいする同情を率直に表明した」(38頁)と書いていますね。

ただ、ここで忘れるべきでは無いのは、その後の日本は労働者国家(*プロレタリア独裁の国家?)では無く、正に「ブルジョワジーの日本」としての歴史を歩んだということです。先に名を挙げた孫文やネルーも、後には日本帝国主義の批判者へと転化していきましたよね。

さて、例の「左翼」氏はこの論文を引き合いに「日本の反戦平和運動もイラク戦争をこっそり承認している」だとか米軍兵による北朝鮮侵攻を是認するかの如き論調を展開していました。おそらく氏は<独裁政治・激烈な人権蹂躙を続けている(いた)イラク・サダム政権&北朝鮮・金正日政権=反動的>だと看做した上で、結果としてサダム政権を倒した米国・ブッシュ政権を「進歩的」だと位置付けたいのでしょう。

しかしながら、現在の米国が「旅順の陥落」論文が言うところの「進歩的」な国だと定義できるのでしょうか?サダム政権を崩壊させた現在の米国の国際社会における立ち位置は決して日露戦争当時の日本のような「新興『弱小』国」(*注)では無いわけで、同論文を拠り所に米国を「進歩的」だと評価するのは誤りだと私は考えます。

微力ながらも21世紀に人権運動に与する私は、サダム政権や金正日政権が持つ「反動性」を疑うべくもありません。ただ、レーニンには「帝国主義論」という知的遺産もあるわけですし、「進歩的」「反動的」云々の文言もレーニン流の定義を踏まえた上で解釈されるべきでは無いか−同論文を読みながら私はそう感じました。

「独裁・人権蹂躙政権=『反動的』=国際社会のスーパーパワーによる軍事侵攻も容認・黙認」という図式を描くためにこの論文を援用する−それは自称「マルクス・レーニン主義者」の「ネオコン化」の第一歩としか私には思えません。

(*注)飽くまで「ヨーロッパ諸国がみれば」という意味です。

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(余談)

なお、最近はこの論文を引き合いに反戦平和論者を揶揄するのが一部の保守系論壇で流行っているようです。「別冊宝島」界隈では青木なんとかというライターが朝鮮植民地支配を批判する土井たか子氏や福島瑞穂氏を攻撃するための「ネタ」としてこの論文を援用していたのを散見したことがあります。
しかし、日露戦争後の日本が労働者の国家にはなり得なかったという史実に鑑みると、かような論調は「噴飯モノ」と言わざるを得ません。

Re:「旅順の陥落」一考>まことさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日:12月18日(日)11時13分53秒

>私は「旅順の陥落」を読むに当たっては、レーニンの言うところの「進歩的」「反動的」という言葉が持つ意味を忖度せねばならないと思うのです。

レーニンの「進歩的/反動的」という用語法には、なかなかに多義的なものがございますね。[読書会]では『帝国主義論』解読の過程でやはりこの問題にぶつかりました。

>「独裁・人権蹂躙政権=『反動的』=国際社会のスーパーパワーによる軍事侵攻も容認・黙認」という図式を描くためにこの論文を援用する−それは自称「マルクス・レーニン主義者」の「ネオコン化」の第一歩としか私には思えません。

あなたの一貫した問題関心ですね。思想の問題としてはご指摘に概ね賛成でございます。第一次大戦前のドイツ社民党にも、あるいは戦時期の日本左翼にも共通するものがございましょう。

ただ政治的に申しますと、日本の旧「マルクス・レーニン主義者」をアメリカの「ネオコン」に比べるのは、とてつもない過大評価かもわかりません。何といってもご本家のほうは、現実政治の意志決定過程に具体的に関与しているのに対し、ご言及の変質左翼(笑)はといえば、西尾・渡辺ラインと同じ(あるいはそれ以下の)事態追従的存在にすぎませんでしょ? アメリカの「ネオコン」が大統領府を含む国の政治権力を引き回すのに対し、こちらの変質左翼は小泉「劇場政治」のあおりを受けているだけと申しましょうか。あるいはレーニン語でいう「寄生」的存在とでも申しましょうか。彼らにあるのはリアリズムではなく、リアリズムへのナイーブな憧憬にすぎぬとの感じをぬぐえません。

レーニン語の「進歩/反動」には、資本制の社会的作用に対する判断が強く働いていたように思うのですね。それは青年期におけるナロードニキ系との論争のなかで形づくられたものでしょう。そのひそみにならえば、今切実なのは(ネオコン的「リアリズム」と対をなす)現代の資本制の態様そのものの理解ではないでしょうか。

断片発言になりますが、わたし「腐敗しつつある資本制」というレーニンの「帝国主義」規定のひとつに特に注目したく思っております。その「腐敗」のなかで深まる矛盾自体に根拠と展望を見出せぬかぎり、どんな「変革」も観念の恣意を免れぬかと。ネグリ/ハートの『<帝国>』という大部の著作は、そうした方向に立つ野心的な試みのひとつに思います――などと言って、実はまだ通読できていないのですけど(^^)ヾ。

「人権」というのも「民主主義」も「平和」も、この「腐敗」の生む矛盾の実相に足を置いた具体的な対抗表現たりうるか否かが問われようかと存じます。旧社会党〜現社民党系政治家たちが方途を見失ったのはそこではなかったでしょうか。

先日ご言及の福田歓一『近代民主主義とその展望』、わたしも入手できました。第一印象はあなたの紹介コメントとちょっとちがうのですけど、いずれ感想めいたことなど書くつもりでおります。年明けになるかもわかりませんが、その節はご意見をお聞かせいただけたらと存じます。“来年のことを言うと鬼が笑う”と言われますが、実はわたし鬼(苦笑)。

では。

追:レーニン全集が1冊100円(+消費税)! 良い時代になったものですね(笑)。


http://homepage2.nifty.com/onibara/log1/log_danwa_0512.htm




(3月22日・追記)

本エントリーをある掲示板に紹介したところ、「ある方」からレスを頂きました。
以下に紹介するのは、その「ある方」への私の返信です。

●●●さんへ 投稿者:まこと 投稿日: 3月22日(水)07時56分12秒

●●●さん、レスありがとうございます。

レーニン「旅順の陥落」についてですが(ネット上にも全文アップされているようなのでリンクを張っておきます)、

http://www.geocities.jp/meltext001/lenin/l08/l08-033.html

この論文において彼は「進歩的」「反動的」という言葉を20世紀初頭の国際情勢・ロシア国内情勢を踏まえつつ、彼なりの社会主義革命観に立脚して用いていると思うんですよね。

現在の米国を「帝国主義国」と規定するか、あるいは「帝国」と認識するか、あるいはネグリのようにある種の国際ネットワークを「帝国」と位置付けるか−まあその辺は人それぞれだと思いますし、私も今ここで踏み込む気はありません。ただ、米国のイラク侵攻は「戦争の違法化の模索」「植民地の独立」という歴史的経緯を経験したに21世紀の世界に真っ向から対峙するものであり、レーニン「旅順の陥落」における言葉を借りるならば、現在の米国は「おくれた、反動的なヨーロッパ」を体現する国家ということになるのでは無いでしょうか。

勿論、サダム・フセイン体制や金正日体制が民衆に苛烈な独裁体制を敷いているのは紛れも無い事実であり、かの国々をレーニン言うところの「進歩的な、すすんだアジア」「若い日本」とみなすことはできない。ツァーリズムを「進歩的」と評することはできないのと同様に。

さりとて、かの小論を以って、「おくれた、反動的なヨーロッパ」による、現地の多数の民衆の支持を獲得し得ていない体制打倒・「民主化」「人権」を名目にした北朝鮮への武力介入の正当化を試みようとするは、それこそ「反動」を率先してを唱えるが如きと評するしか無いように思います。

要するに、21世紀に暮らす私達が漠然と【自称「民主主義」国家=「進歩的」・イラクのサダム・フセイン体制&北朝鮮の金正日体制=「反動的」】と把握し、米国のイラク侵攻に反対したり、米軍による対北朝鮮武力介入に「幻想」を抱くが如き発言に異論を唱える人間に「奴隷の平和」論者などというレッテルを貼って攻撃するが如きは、件の小論の政治的文脈を根本から蔑ろにすることだと私は考えます。

なお、右派系の論客の中には戦前の大日本帝国の歴史を正当化するためにこの「旅順の陥落」を引き合いに出す向きもありますが、日清・日露戦争を経たその後の大日本帝国という国家はレーニン言うところの「おくれた、反動的なヨーロッパ」としての道−即ち台湾・朝鮮を植民地支配し、アジア諸国を圧迫し・軍事侵攻するという日本帝国主義の道−を歩み、日本の民衆社会も自らの力でかような「反動」を抑止し得なかったという歴史的事実を私達は認識すべきだと考えます。

ところで、

>ただし、現実の運動から見てなかなか難しいところもあるように思いますし、果たしてそのように単純(申し訳ありません)に言えるのかに私はまことさんとはこの点では少しばかり意見をことにするところを持つのですが。(●●●さん)

仰る通りですね。
あの一文は「かくあるべし」を論じたといいますか・・・。
まあ、いわゆる「場の雰囲気」を踏まえて「理想的な一般論」を論じたものだとお考え頂ければ幸いです。
私も、「現場」ではそんな「単純」な論理が通用するものでは無いことは理解しているつもりです。

(*3月24日早朝に一部加筆・追記)

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1. 名護市長と政府が協議中  [ ヤジ猫 ]   2006年03月24日 10:26
普天間基地移設で防衛庁長官と名護市長が協議中 なんでも普天間基地の移設先が辺野古の沿岸か浅瀬かでモメてるそうだが 沖縄県民大会に集まった3万5000人の「辺野古に基地はいらない」って思いは軽くスルーされてる模様 「工事の妨害がおきない範囲での微調整なら応じる....
2. アジアや世界の安定を第一義に考えていけませんかね。  [ ふしぶじゑ日記 ]   2006年03月24日 14:46
 ガス田開発における中国の強引なやり方は確かに問題があるが、少し考えたいのは、中国政府は13億人を食わしていかねばならぬ大きなプレッシャーがあるということである。今中国が不安定になったら東アジア全体が大変になる筈ではないか。あのような広大な国土と多くの人口...
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