2006年07月02日

「人間を犯罪から救い出す唯一の手段は、人間を自由から救い出してやることである」

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以下、「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」掲示板に寄稿した私の投稿文を一部訂正・追記の上で当ブログにも掲載します。

(*なお、本エントリーのタイトルは【ザチャーチン作「われら」(川端香男里訳、岩波文庫)】からの引用です)



【「"左翼・人権派"の主張がかつて程には説得力を持たなくなった理由」1】

社会主義者さんが投稿文中で触れている「"左翼・人権派"の主張がかつて程には説得力を持たなくなった理由」に関しては様々な側面があるかとは思いますが、社会事象としては'90年代のオウム事件と住専が一つの転機として機能した面があったと思います。

オウムに関してはここでは仔細は書きませんが、この事件では微罪逮捕・公安的捜査手法が乱用され、また民衆の間にも「治安維持のためなら国家による強権発動も許される」という空気が蔓延しました。

あと、住専。「何で住専が関係あるの?」と訝しがる向きもあるでしょうけど、住専の債権回収を目的に設立された(株)住管機構(現・整理回収機構)は捜査機関と密着し、強制執行妨害などでの刑事告発をフル活用し、警察・検察の強権を利用しながら強引な債権回収を展開しました。嘗ては強制執行妨害は暴力団が関与する悪質な事件などに限定的に適用されていましたが、住専の債権回収を巡っては弁護士や公認会計士・税理士などもかなり強引な形で摘発されました。(その中には安田好弘弁護士のように「濡れ衣」を着せられた事例すらあります。)

こうした状況の中、警察などの私的領域への積極的介入を戒めていた「民事不介入の原則」は形骸化しつつあります。

戦後の日本の法学・人権論の世界では、市民の私的領域に対する国家権力の介入は抑制的であるべきだとするリベラルな市民社会論が主流でした。しかし、オウムや住専問題を契機に、むしろ公権力が私的領域に積極的に関与することが個々の市民の人権を護るのだという「論理」が法律学者・人権論の専門家の間にも広まりつつあります。前田雅英・首都大教授(刑法学)などの議論が典型ですが。街頭監視カメラ・スーパー防犯灯の設置、生活安全条例や禁煙条例の制定、各地で警察と密着した自警団的組織が結成されている等の「監視強化」の動きも、こうした「論理」の下で正当化されています。人権擁護法案や「共謀罪」新設の動きにしても、然りです。

そして、こうした公権力の積極活用論の蔓延には、いわゆる「人権派」と呼ばれる層にも重大な責任があると私は考えています。オウム事件で微罪逮捕が乱用された際、自由法曹団や青法協に所属する左派的な弁護士の間からも「重大事件だから已む無し」として、警察の強引な捜査を黙認・容認する傾向がありました。また、住管問題では中坊公平元弁護士(元日弁連会長)が住管機構の社長だったことからも明らかなように、弁護士界が警察・検察・官僚組織と一体的に「民事不介入原則」を蔑ろにしたという面があります。

こうした公権力の私的領域への積極介入を肯定する論理は後景に退けなければならないと私は考えます。


【「"左翼・人権派"の主張がかつて程には説得力を持たなくなった理由」2】

>むしろ公権力が私的領域に積極的に関与することが個々の市民の人権を護るのだという「論理」が法律学者・人権論の専門家の間にも広まりつつあります。(まこと)

に関連して、今は最高裁の判事をしている行政法学者の「議論」を紹介させていただきます。

藤田宙靖「21世紀の社会の安全と警察活動」(警察政策学会シンポジウム基調講演・平成13年6月15日)
http://www.law.tohoku.ac.jp/~fujita/keisatsu-20010615.html

ちなみに、上掲リンク先で引き合いに出されている「田村正博」氏は、警察政策研究センターの所長です。
こういう政府寄りの人々が、公権力に都合の良い「理論」を創るべくしのぎをけずっている訳ですね。

まあ、私としては「警察って、市民社会に深くコミットすることを許しても良い程に信用に足る組織なのか?」とハゲしく突っ込みを入れたくなるのですが。

ところで、強権を握っていた戦前日本の警察と民衆の関係を知るには、以下の本が参考になります。

・【大日方純夫・著「警察の社会史」(岩波新書)】
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/43/4/4302710.html

この本では、警察は現在では「生活安全」と呼ばれる領域や社会福祉行政の領域に積極的にコミットすることで民衆社会との深い関係性を築いて社会での地歩を確保し、またこうした過程を通じて民衆に「社会防衛意識」「相互監視体制」を認識させながら民衆統治を行っていたという歴史的事実が記されています。

戦前と現在を同一視することはできませんが、「『安全』のためなら人権制限・監視強化も已む無し」との雰囲気が広がりつつある現代ニッポン社会と類似する面もあるのでは無いかという気はします。



【「"左翼・人権派"の主張がかつて程には説得力を持たなくなった理由」3】

【犯罪社会学理論の変遷〜「犯罪原因論」から「犯罪機会論」へ】

禁煙条例・生活安全条例の制定の動きや街頭監視カメラの設置等の「監視体制強化」を推し進めている政策的背景には、これまで「犯罪原因論」と呼ばれる理論が主流だった犯罪社会学の領域で「犯罪機会論」という理論が強くなりつつあるという状況を見過ごすべきでは無いと思います。

「犯罪原因論」とは、犯罪者が犯行に至った原因(犯罪者の生い立ち・家庭環境・経済状況など)を究明し、その原因を除去することで犯罪の抑止を目指すことを企図した理論です。

これに対し、「犯罪機会論」とは、先ず"犯罪を犯した者と犯さない者との間の生い立ち・人格等の差異などは犯罪と直接の因果関係は無い"あるいは"犯罪原因を取り除くことなど無理"という立場にたちます。その上で、犯罪が起きるのはその地域の環境に人目に付き難い場所があるなど、人々を犯行を起こす気にさせる機会が存在するから犯罪が発生するのだと考え、犯罪機会の除去を通じて犯罪の抑止を目指すことを企図した理論です。

小宮信夫・立正大学教授などがこの「犯罪機会論」を積極的に提唱しいる学者で、氏の「理論」は政府・地方公共団体・警察などの政策策定に大きな影響を与えています。以下、小宮「理論」が分かり易く紹介されているサイトを紹介させていただきます。

・小宮信夫「コミュニティの安全確保における自治体の役割〜犯罪に強い3つの要素」
http://www.nta.go.jp/category/kenkyu/sake/2602/pdf/03.pdf

こうした「犯罪機会論」を背景に、警察と密着したボランティアによる自警団的組織の結成や学校等での「地域安全マップ」の作成などにみられる"取り締まる側・監視する側の視点"を民衆に持たせるための啓発活動、犯罪機会を産むような「死角」を無くすことを企図した街頭監視カメラの設置などの諸政策が推進されています。

また、この「犯罪機会論」で特に強調されるのが、「割れ窓理論」と呼ばれる「理論」です。これは、例え軽犯罪などの軽微な犯罪であっても、それを放置しておくと「モラルは無視しても良い」という空気が社会に蔓延して犯罪が起きやすい環境を産み出してしまう、だから軽微な犯罪であってもバンバン取り締まって社会秩序を維持することが犯罪抑止に役立つ−とする「理論」です。

以下、「割れ窓理論」について概説しているサイトを紹介させていただきます。

・ジェームス・ウィルソン、ジョージ・ケリング共著/「割れた窓ガラス ―警察と近隣の安全―」
http://www.ap-soken.com/info/2002/020410.html

煙草ポイ捨てに罰金を課したり、駐車違反の取締りを強化する等の動きも、この「割れ窓理論」が理論的バックグラウンドになっています。

こうした「犯罪機会論」や「割れ窓理論」の怖いのは、犯罪が起きる社会的背景の検討という視点を蔑ろにさせ、"犯罪機会を産み出すような環境は除去すべきだ、従ってホームレスなどは地域から追放すべきだ"といった類の「排除の論理」に行き着く恐れがあることです。こうした社会的背景に着目しない「理論」は、新自由主義的政策を推し進める側にとっては非常に都合の良いものだと言えるでしょう。

実際、「犯罪機会論」や「割れ窓理論」に基づく政策が展開されているニューヨークではホームレスや貧困層などを追い出すための「再開発」が推進され、そのせいもあって黒人貧困層などは同地を離れて郊外に移り住み、ニューヨークの人口は減少傾向にあるそうです。

・スディール・アラディ・ヴェンカテシュ「逆転したアメリカ都市部の居住分離」(ル・モンド・ディプロマティーク)
http://www.diplo.jp/articles03/0311-2.html

先の大阪市でのホームレス強制排除などの事件も、こうした「理論」が背景となっているのだと考えます。

ただ、犯罪機会の除去と称して貧困層を街から「追放」すれば、その街では犯罪が減る"かも"しれませんが、「排除の論理」が問題の解決になるのでしょうか?彼らは移り住んだ街でも地域住民から忌避され、再び「放逐」の危機に直面する−「同じことの繰り返し」ではないかと私は思うのですが。愉快犯の類などはともかく、生活に追い詰められて止むを得ず犯行を起こす人々の犯罪原因そのものを除去する政策的アプローチというのは必要なのでは無いでしょうか。

以上、法学・人権論や犯罪学などにおける「理論」面の変遷という視点から、社会主義者さんが問題提起された「"左翼・人権派"の主張がかつて程には説得力を持たなくなった理由」の一側面を概説してみましたが、こうした「理論」的動向を踏まえると、現在推し進められている「監視社会」的な諸政策の背景が良く見えてくるのでは無いかと思います。

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1. Posted by DH   2006年07月03日 13:39
>「"左翼・人権派"の主張がかつて程には説得力を持たなくなった理由」
>社会事象としては'90年代のオウム事件と住専が一つの転機として機能した面があったと思います。

北朝鮮による拉致の問題も関係しているのではないでしょうか。
常日頃から「国家権力による犯罪」を糾弾して止まない“人権派”の人たちが、正にその「国家権力による犯罪」である拉致問題の解決に対しては消極的な姿勢を採ったり、時には黙殺することすら厭わない有様を目にした一般市民が彼らの主張に以前ほどは共感を覚えなくなったというような状況もあるのではないかと思います。

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