2016年07月28日

衝撃の新人登場!!

先日新宿の夜の街を歩いていたら、人だかりができていた。

何かと思ったら、路上でバンドがライブをやっていた。

気の利いた古いロックばかり。

しかし、そのドライブかんは2010年代にふさわしいもので、
なによりもバンドのパフォーマンス力に驚いた。

これ以上の言葉は出ない。

とにかく動画で確認してほしい。
超ド級のロックンロールバンドだ。










2016年9月、The Throttle(スロットル) メジャーデビュー。
2013年06月23日

まつきあゆむ「TERRAFORMING(alternative)」'13.06.23

Cover

「alternative道」

購入意思を示すメールを送ると入金先が記載されたメールが届く。入金するとダウンロードURLが記載されたメールが届く。まつきあゆむのリリース形式がこのような形になってから3枚目のアルバムです。手に入るのは収録曲ぶんのmp3、ジャケット画像のjpg、そして歌詞カード相当のpdf。すべてデータとしてハードディスクに保存されます。

この販売方法でとても重要な事は、僕が払ったアルバム代2,000円がそっくりそのまままつきあゆむに届くという事です。手元に円盤も歌詞カードもなくても、僕には彼の音楽だけを買っているという意識はまったくないです。
彼の人生を、ごく一部ではありますが共有していると思っています。一義的にはそのためにお金を払い、結果として音楽を聴くことができていると思っています。

それは、僕のお金がどこでどうなるのか、どういう風に使われるのかが想像しやすいから、そう思うのです。

僕が払った2,000円をまつきあゆむが何に使うのか、どんな楽しみを見つけるのか想像できるということは、まつきあゆむも僕らがどんなタイミングでこの「TERRAFORMING(alternative)」の楽曲を再生し、どんな風に楽しむのか想像できるということです!

観客のところまで裸足で降りてくるのでもなく、観客をステージに引っ張り上げるわけでもない、なにか今までとは全く違う観客との向き合い方だと思います。

そして、まつきあゆむの音楽はそういったリスナーとの関係を前提としてつくられていると思います。彼が歌う喪失感や切なさやちょっぴりの希望、それは今この2013年を正しく真っ正面から視るとそういう事にならざるを得ないと思うんだけど、あまりにあやふやでロマンチックでなかなか伝わりづらいものです。

だけれど、相互に想像力を働かせやすいこの幸せなリスナーとの関係性が、まつきあゆむの音楽をより深くまで届けるために作用している。そうなるためにこの販売方法を採った、レコード会社よりもJASRACよりもまず音楽そのものから自由になるための選択だったのではないかと思うのです。

(トモヤ)
2013年03月03日

曽我部恵一BAND「トーキョー・コーリング」'12.12.21

トーキョー・コーリング

「BANDである前に」

傑作「曽我部恵一BAND」からわずか8ヶ月でリリースされた、ソカバンの2012年2枚目のアルバム。

前作と明らかに違うのは、打ち込みの多用です。バンドサウンドを全面に出していた今までのソカバンとは違い、このアルバムはおそらくバンドではなくほぼ曽我部恵一のソロワークに近い形で録られています。曽我部恵一にはソロという表現形式もあるのだから、正直これをバンド名義でリリースする意味はあるのか?とも思います。

しかし裏を返せば、これを曽我部恵一BANDとして出すという行為そのものが、ソロだのバンドだのと線引きをして分類しようとすることの滑稽さを嗤っているようにも思えます。

このアルバムでもうひとつはっきりしたことは、生のドラムとエレキギターが鳴るから曽我部恵一BANDなのではない、ということです。曽我部恵一が曽我部恵一の声で歌うから曽我部恵一BANDなのだなあと思わせてくれる、自らの肉声への信頼があるのだと思います。

2012年の暮れにねじ込むように発売されたことも相まって、「この冬」の空気をパッケージングしていつでも再現可能にしたような、この先何年経っても聴くたびに「この冬」にもどってしまうような気がします。

(トモヤ)
2013年01月02日

2013

タバコカエル

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2013年1月2日
2012年12月17日

Jon Fratelli「Psycho Jukebox」'11.08.095

Psycho Jukebox

「これだ」

フラテリスというバンドは、僕の中ではバンドの理想形を鳴らすバンドでした。バンドとはこうあるべき、というポイントを寸分違わず撃ち抜いてくる音像を初めて聴いた時には心底驚きました。もちろんバンドサウンドの理想なんてものはそれこそ十人十色、百人百様なのはわかっていますが、それでもフラテリスのような音を出そうとして足掻いているバンドが世界中に山ほど存在するのもまた確かでしょうし、何よりこんなに自分の心にジャストフィットする音があったんだという喜びがありました。

そしてそのフラテリスが活動休止後、フロントマンのジョン・フラテリがリリースしたこのアルバムは、僕の個人的な思い込みをも超えた「ロックの理想形」を鳴らすアルバムです。大げさでなく、ロックンロールとは何かという問いに対してのひとつの答えになりうるアルバムだと思います。

ロックとは何ぞ、なんていう感覚も人それぞれですが、少なくともこのアルバムにあふれる音のすべて、粗めの演奏もカッコいいとしか言い様がないジョンの声も小気味良いコーラスワークも、ほんとうにすべてが音楽の楽しさ、そしてこのどうしようもない世界の素晴らしさを歌うためのものです。これは※個人の感想です、ではなく、誰が聴いてもそう聞こえるだろう、いやそうしか聞こえねえに違いないのです。

音楽の楽しさ、世界の素晴らしさ、そういった極めて根源的な欲求への執着があってこそ逆に制約のない、限りない自由を表現するのです。僕にとってはそれがロックンロールというものであり、このアルバムはまさにそのど真ん中です。大好き。

(トモヤ)
2012年12月12日

Beady Eye「Different Gear, Still Speeding」'11.03.114

Different Gear, Still Speeding

「二筋の登り道」

オアシスを終わらせた翌年、いちはやくリリースしたリアム・ギャラガーの「新バンド」ビーディー・アイ。同年11月、兄ノエルもNoel Gallagher's High Flying Birdsでソロデビュー、翌年のフジロックでは同じステージに連日登場し、「なんだかんだ言ってやっぱり仲良いんじゃねぇかよ」という邪推を生んだ両者であります。

僕なんか「ふたりとも超金持ちなのによく働くよなあ」と思ってしまうのですが、この2枚にはオアシス時代にも垣間見えていたものの、別々にやってみたことでより浮き彫りになっていることがあります。ノエルとリアムの、ロックへの立ち位置、ロックミュージックというものに対してどんなファイティングポーズをとっているか、です。

改めて言い切ってしまうと、ノエルにとってのロックは「時代を超えて鳴り続けるアンセム」です。普遍的に、全時代の人間に等しく降りそそぐものこそがポップミュージックひいてはロックであり、彼が敬愛してやまないバンドはその最たる体現者でした。

対して、リアムにとってのロックは「時代と共鳴するロックンロール」です。その時代にのみ異常な熱をもって増幅される楽曲があります。彼のボーカルスタイルの基となった人物が在籍したバンドは、まさに時代の歪みが産みだした熱によって突き動かされ、そして焼き尽くされたバンドでした。

ビーディー・アイのアルバム「Different Gear, Still Speeding」は、リアムが自らのルーツをあからさまにしながら、そのすべてを今この瞬間のポップミュージックとして消費されても構わないという潔さを感じるのです。自分に繋がるすべての音を今自分が出すことに意味がある、そんなやけくそな楽しさが踊るアルバムです。

も一度言い切りますと、ロックとは「時代と共鳴した音が」「時代を超えて鳴り続けたもの」です。

かつて偉大な先人たちが、そして自らが制覇した山に、ギャラガー兄弟は今またそれぞれ違うルートから登り始めたのだと思います。登り切った先、頂上で出会うのははたしてオアシスなのか、それともそれぞれにそれぞれの頂を極めるのか、そしてそもそも俺は俺の登山口に立てているのか。という疑問をもって本稿を終わります。

(トモヤ)
2012年11月21日

エレファントカシマシ「MASTERPIECE」'12.05.304

MASTERPIECE

「明日に向かって走れ」

'08年発売のアルバム「STARTING OVER」から続いた長い旅の終わりを予感させるようなアルバムです。

前作「悪魔のささやき〜そして、心に火を灯す旅〜」での苛烈なロックンロール表現、そしてアルバムツアーは(震災で延期になった東北公演を含む。UST中継された仙台Rensaでのライブは本当に素晴らしかった。)、エレカシにとってひとつの険しい山の頂を極めた感がありました。

今作「MASTERPIECE」には、その山のてっぺんから見える景色を余裕をもって眺めるような趣があります。職人が今までに身につけた技術をひとつひとつ確かめるような、侍がやみくもに新しい刀を試すのではなく手持ちの銘刀を研ぎ澄ますような。

それはある意味音楽人としてとても素敵な状況でしょうし、実際このアルバムは今のエレカシが持ちうる魅力を存分に聴かせてくれます。過去エレカシにも何度かありました、幸福な「歌」のアルバムです。

しかし思えばエレファントカシマシは、絶え間なくバンドを転がすモチベーションを探し続けてきたバンドです。そのモチベーションはかつて契約問題という外的要因からもたらされたこともありましたし、自らを逃げ場のない環境に追い込んで否応なしにバンドを前進させたこともありました。バンドの為なら打ち込みサウンドを導入してバンドメンバーを排除したレコーディングを敢行してしまうほどのバンド原理主義者が宮本先生です。

このアルバムの次は、ほぼ間違いなく「次の何か」に向かっていただろうな、と思うのです。ひとつの旅が終われば次の旅に出るまで。安住などするわけがないのです。

今、宮本先生の突発性難聴発病により、エレファントカシマシは半営業停止状態です。
病気は病気です。罹らない方が良いに決まっています。
だけれどこのタイミングは、後々エレカシのバンドヒストリーのなかでひとつのきっかけとして位置づけられるんじゃないのかなあと、物凄く他人事で無責任な物言いだけど、僕はそう思っています。宮本先生がふたたび歌い出した時、歌うということにどんな意味を見出すのか、今やそのことに対する期待感のほうが圧倒的に大きいのです。

(トモヤ)
2012年11月20日

曽我部恵一BAND「曽我部恵一BAND」'12.04.045

曽我部恵一BAND

「冷たい熱量」

3年をかけて製作された、曽我部恵一BAND初のセルフタイトルアルバム。

これを聴いた僕が真っ先に思い出したのは、サニーデイ・サービスの「24時」でした。あれも、曽我部恵一の圧倒的な、過剰なほどのエネルギーが込められた熱いアルバムでした。確か完パケしてプレスに回った後に1曲どうしても入れなければいけない曲が出来てしまったので、12センチのアルバムCDに8センチCDが同梱されていたと記憶しています。そんな、文字通りはみ出すほどの情熱が叩き込まれたアルバムでした。

しかしその「24時」の熱さは例えるなら夏の日の冷房が効かない安スタジオの熱気をそのまま閉じ込めたような、物理的な熱さだったのに対し、この「曽我部恵一BAND」には冷たすぎて一瞬熱さを感じてしまう類のエネルギーを感じます。ソカバンとしてのこれまでの2作のパンキッシュなスピード感は減りましたが、見かけのスピードだけじゃなくて、速すぎて逆に遅く見えるスイングみたいな感じなんですよね。痛すぎて痛みを感じないような、質量が多すぎて一見ただの黒い点、みたいな。

20代のほとんどをサニーデイ・サービスという青春そのものなバンドに費やした男が、またここでこれだけの熱量をもってかつてないエバーグリーンな音を鳴らしているということが、ホントすげえと思うのですよ。曽我部恵一の底はどこにあるんだ、と。とにかくもう、サニーデイを好きだった人も嫌いだった人も、ロックンロールを毛嫌いしてる人も、なんなら音楽を聴かない人にこそ聴いてもらいたいくらいの大傑作です。どうだ、これがロックンロールだ、と。

そんでこのアルバムは黙っててもおそらくベストアルバムオブザイヤーオブトモヤなわけですが、これを脅かすべく来たる12/21にリリースされるのが曽我部恵一BAND4枚目のアルバム「トーキョー・コーリング」。「24時」のように8センチCDぶんはみ出すだけでは飽き足らず、アルバム1枚はみ出した曽我部恵一の熱量は僕らの心にどんな火傷を残すのか?火傷で済むのか?体を鍛えて待つ!

(トモヤ)
2012年11月18日

フラワーカンパニーズ「HAPPY END」'12.10.034

ハッピーエンド(初回生産限定盤)(DVD付)

「好きなものを肯定するエネルギー」

フラワーカンパニーズ、メジャー復帰後3枚目のアルバム。
発売前に特設サイトでチーフプロデューサー藪下晃正氏のインタビューを読んだ僕は実は、今作の購入は見送ろうと決めていました。

曰く「『昔はよかったな、今も中学時代と変わらないんだ』みたいな曲ばっかで、『これもう100回は聴きましたよ』って(笑)。少年時代の歌とか、『俺は大人子供だ』みたいな歌で埋め尽くされてたから」、「震災以降にミュージシャンが何を物語るか、今の時代にどう対峙するか」をテーマに1曲作らせたというんですね。そこで鈴木けいすけからプロデューサーとしてスキマスイッチの常田真太郎氏を据えてほしいという要望が出てきたと、そして常田氏の客観的な視点により「時代に対峙する1曲」ができたということです。最後のワンピースとしてその曲がはまってアルバムとしての体をなしたが、なにぶんレコーディングの最後の1曲なので、「本当に大きく変わるのは、この次のアルバムからかもしれないですね」ということです。

これを読んだファンはどう思いますかね。
「もう100回は聴いた」曲の中に、アドリブの効かない鈴木けいすけに震災なんていうド重いテーマをムチャ振りした1曲が紛れ込む、しかもチーフプロデューサー自ら「大きく変わるのはこの次から」と明言するアルバムを3000円出して買おうと思いますかね。

対して僕に今作を「やっぱり買おう」と思わせてくれたインタビューはこれ、伊集院光氏との対談記事です。
伊集院氏によるインタビュー対象への愛にあふれた目線、そして音楽の門外漢ながら同じ「表現者」としての鋭い嗅覚により、まだ聴いたことのないアルバムを「聴きたい!」と思わせてくれる、理想的な販促記事となっています。
特に、今までのフラカンの音楽性を貶めることなく「震災に対峙した1曲」の異質性に言及し、それを「1歩踏み込んだ感」に昇華させる表現力はさすが言葉のプロ。

このふたつの記事を読んで、そしてアルバムを聴いて、「やっぱり好きなもの、いいと思ったものは全力で肯定していかなけりゃならんな」と思ったものです。
フラカンというバンドは本人達が自虐的な表現を好むこともあって、いじって落とす愛情表現も成り立つのですよ。いつまでも精神年齢は中学生のままだけど俺は愛想をつかさないぜ、みたいな褒め方もアリっちゃアリなのです。そしてフロントマンの鈴木けいすけは周りの評価とかアドバイスに凄く敏感に反応してしまうので、「いいねーいいねー」って言うだけだとどんどん安住しちゃうので「震災をテーマに」というようなムチャ振りも時には必要なのです。

ただこのアルバムの中に「もう100回は聴いた」曲など1曲もない。どの曲も今までのフラカン節を継承しながら、その中で「震災以降」を彼らなりに表現しようとした、それが上手くいっていようがいまいが今まで以上にタフな曲群だと、僕は感じました。たぶんチーフプロデューサー氏はフラカンが震災以降の空気を消化できないのであれば吐き返したゲロをそのまま見せればいいと考えているのかもしれないし、それが表現として成り立つ稀有なバンドだと僕も思います。

そのゲロは次作で見られるのかもしれない、いやもしかしたら消化しきった快便うんこを見せてくれるかもしれない。ふたつの記事、1枚のアルバムから見えてくるフラカンの今は、案外強靭でしなやかなのです。

(トモヤ)
2012年09月14日

金本知憲、引退


金本といえば忘れられないのが阪神に移籍した初年度、3番に座ることが決まったときの「2番の赤星に盗塁王を、4番の濱中に打点王を獲らせるのが僕の仕事」というコメントです。フリーエージェントで、文句無しの主軸、主力として迎えられた選手の、この「繋ぐ」姿勢がこの年タイガースを優勝に導いた原動力だと思っています。
よそから移ってきたということでついぞそう呼ばれることはありませんでしたが、僕の知る限りでミスタータイガースと呼ぶに相応しい選手は掛布雅之以降では彼しかいなかった。本当に、ありがとうございました。

(トモヤ)
2012年08月11日

男子サッカーの敗戦

ロンドンオリンピック、44年ぶりのメダル獲得に挑んだ男子サッカー代表は、3位決定戦で韓国に敗れ4位という結果になりました。

正直この試合だけを切り取って見たら、まさに惨敗としか言いようのない敗戦。ロングボールを放り込むだけの、韓国の無策とも言えるゲームプランに振り回され、自分たちはと言えば日程最終日の荒れに荒れたカーディフのピッチの上でたったひとつの武器である走り回るサッカーを敢行するしかない、しかしここまで5試合走り続けた肉体疲労によって足は動かず、終いにはアナウンサーに「最後まで走らなければなりません!」などと言われてしまう、果たしてこれが初戦で優勝候補のスペインを破ったチームなのかという惨憺たる試合内容でした。

これでは、「銅メダルどころか3決を戦う資格も無かった」「なでしこジャパンにビジネスクラスを譲って、エコノミーで帰って来い」「いやむしろ飛行機なぞ使わず乗り合いバスを乗り継いで2年くらいかけて帰って来い」などの声があがるのも無理からぬところ。あんな無残なサッカーで世界に恥を晒すくらいなら、準々で負けて「スペインに勝った」という印象だけを残して終わっていれば良かったんだ!

・・・果たしてそうでしょうか?

日本は、何に負けたのか?荒れたピッチのせいなのか、それともメダル獲得で兵役が免除されると言われる韓国の気迫に圧倒されたのか?
なぜ、準々まで出来ていたサッカーが、準決、3決では影を潜めてしまったのか?日本は大会日程のどの部分にピークを合わせるプランを立てていたのか?

はっきりと言えるのは、この日の日本代表は相手が韓国だから負けたのではないということ。あの試合内容ならどことやっても負けます。韓国の兵役免除とか日本に対するライバル感情とかは関係ないです。
日本は、間違いなくグループリーグ初戦のスペイン戦に照準を合わせてきました。まっさらなピッチの上でボールを追い回し、奪ったら素早く繋ぐための準備だけをしてきたのです。動かない足を引きずって荒れたピッチの上でプレーするためのオプションなど持ち合わせていなくて当然です。

なでしこジャパンと比較するとその意識の差は一目瞭然です。彼女たちは去年、W杯に優勝した直後からオリンピック決勝にすべてを出し切ることを前提にした準備をおこなってきました。グループリーグ最終戦でわざと引き分けに持ち込み、みのもんたに無気力試合とこき下ろされたのはその最たるものです。

ここで、だから男子はダメだったんだよ!というのは簡単です。ですが、彼らに6試合を戦う覚悟で準備をおこなう下地はあったのでしょうか?僕らは、彼らにメダルを狙わせるだけの期待と重圧をかけ続けてきたのでしょうか?

そんなもの人にいわれて狙うもんじゃないだろう、という意見もあるでしょうが、こういうのは「お国の空気」が多分に影響してしまうのもまた事実。僕は、今回のサッカー代表はグループリーグを突破すれば御の字、と考えていました。
それは、過去のW杯、オリンピックで、グループリーグを突破することが僕に大きな満足感を与えてくれたから。そして決勝トーナメント初戦で善戦するも惜敗し、善き敗者のまま去っていった各大会の日本代表が、それなりに世界にインパクトを与えたと思い込んでいたから。

メキシコオリンピック以来44年ぶりに主要世界大会で6試合を戦った今回の日本代表は、その先に何があるのかを見せてくれました。それがあのような無残な試合であったとしても、僕は彼らを賞賛します。余力を残したまま大会を去るよりも、すべての力を出し切って斃れるほうが美しいといまは思えるからです。昔の人も言っていたではないですか、「悲しみこらえて微笑むよりも、涙枯れるまで泣くほうがいい」と。

とにもかくにも、メダルという収穫は持ち帰れませんでしたが、彼らは「世界と戦うためにはどうしたらいいか」という今までの代表がすでに得ていた課題だけではなく、「世界と6試合戦うためにはどうしたらいいか」という新しい課題を日本サッカー界に持ち帰ることになりました。これは、ともすればいつか忘れられかねないメダルというモノとは違い、決して消えることのない財産として受け継がれていくはずです。

(トモヤ)
2012年06月27日

Theピーズ7年ぶりのアルバム

アルキネマアルキネマ
The ピーズ

たまぶくロカビリー倶楽部 2012-07-04

by G-Tools

もうすでに6/23の野音で先行発売されているようですが、2005年発売の赤羽39以来、7年ぶりのアルバムはフルアルバムというよりはこの7年間の(ライブ会場で手売りとかしてたシングル等の)総決算、ベストアルバムといった体です。そして今回もAmazonというメガ流通に乗るもよう、いい時代になったものですなあ。

(トモヤ)
2012年06月17日

少年ナイフ「Pop Tune」'12.06.06

Pop Tune

「音楽のちから」

少年ナイフの新譜をCDトレイに乗せ、再生ボタンを押す。スピーカーから、今までに聴いたことのない曲が流れ出す。その瞬間、いつもの味気ない自部屋の空気が、色が、ほんの少しだけどたしかに変わるんだ。音には色も匂いもないのに、とても不思議なことだと思う。

このブログの「アルバム」カテゴリの数字が99になったとき、つまり、管理人と共作だけれど99枚のアルバム感想を積み上げたときに、100枚目は少年ナイフの新しいオリジナルアルバムにさせてもらおうと思いました。区切りを特別視したりするのはあんまり好きじゃないしそもそもたかが100枚じゃねえかとも思うのですが、それでも僕らにとって2003年から9年間、同じことをやり続けているというのはなんかすげえなあ、バカだなおまえ、と思うのです。

そんな勝手なこちらの都合で待ち構えていた少年ナイフのニューアルバムですが、当然ながら過去ナイフを更新する史上最高ナイフ、そしてこちらの都合にもぴったしハマる素晴らしいアルバムが届きました。

タイトルそのままのトップバッター「Welcome To The Rock Club」から、これからも走り続けよう、転がり続けようと宣言する#10「Move On」まで全10曲、ほとんどが3分ちょっとのポップ・チューン。
少年ナイフは、自分たちの音楽が人の心に作用するということにとても自覚的なバンドだと思います。それはなにも音楽で人を、世界を変えてやろうとしているということではなく、自分が音楽を聴いて得た感動をそのまま伝えようとしている、という意味です。自らのルーツを突き詰めたラモーンズのカバーアルバム「Osaka Ramones」を経て、その思いはより強くなっているように感じます。

音楽は世界を変えられない。人ひとりだって、アルバム1枚で変わってしまうような人間がいたとしてそれはそれでどうなのかと思うんです。だけど、いつも見ている通勤路の色合いを少しだけ変えてしまうような、そんなことが可能だと信じてギターを撃ち鳴らすバンドはいつも世界のどこかにいて、そのバンドの音は僕のところまでたしかに届いてきます。

ちょっとだけ、見ている景色が変わったよという報告を100個積み重ねたところで、僕も僕の周りも、ましてや世界なんて何ひとつ変わっていない。だけど楽しいから続けるんです。楽しくないことはやめなきゃいけない、楽しいことは続けなきゃいけないというのが、僕が少年ナイフから受け取ったメッセージです。楽しんでさえいれば、何かが起こるかもしれないから。

(トモヤ)
2012年04月23日

映画「ももへの手紙」

「ももへの手紙」メインビジュアル
「ももへの手紙」オフィシャルサイト

映画のタダ券を貰った4歳の長女が行きたいというので、4/21(土)にロードショーが始まったアニメ映画「ももへの手紙」を観にいってきました。平日なので田舎のジャスコのシネコンなどガラ空きだろうと高をくくっていたら、遠足か授業参観だかの代休なんでしょうか、小中学校のジャリお子様がワラワラといらっしゃいました。学校が休みならジャスコにGOだ、まだまだ日本の田舎は死んじゃいねえぜ。

で、「ももへの手紙」です。なんの予備知識もなくただ長女の付き添いで2時間イスに座っているだけのつもりだった人間を引きずり込んでエンドロールまで目を離させずになんなら家に帰ってからブログに書き記させてしまうくらいの映画力(えいがヂカラ)はありました。つまり、たいそう面白かったということです。

いや、面白かったっていうかさ。たしかに風景の描写は綺麗だったし、その中を動き回るキャラクターは躍動感にあふれて素敵にコミカルだった。妖怪たちは人間より人間くさくてセコくて全然「超然」となんかしてないしさ、そいつらと主人公ももとの距離感ていうか関係性が絶妙に良かったし。それでいて物語の山場にはわりとアツい展開もあったりして。

でもそういうのは僕にとってはこの映画の味付けにすぎないものであって、それよりなによりいちばん伝わってきたのが「出がけのケンカはするな」っていう。僕が十年来心がけてるほんと人間にとって三本の指にはいるくらい大事なんじゃないかと常々思っていることだったから、だから面白かったっていうより心の芯にストンと落ちてきたという言い方のほうがしっくりきます。

だから僕も、や、ケンカはするよ、そりゃー家族だったら誰とだって、子供とだってケンカはしますよ。でも、今までやってきたようにこれからも、出がけにだけは笑顔でいってきますって言うのを一回たりとも欠かさないようにしていくよ。

(トモヤ)
2012年03月11日

Theピーズ「祝4半世紀春ラッシュ 2012!」@十三ファンダンゴ

「25年後にここでまた会おー。ファンダンゴがまだやってればだけどな!」

3/4十三ファンダンゴ
画像はたまぶくロカビリー倶楽部より

ピーズの25周年ツアー。くしくも同じく25周年という十三ファンダンゴに観に行ってきました。
25年。ピーズの場合はその間に5年間の空白期間があるのだけど、そのせいで余計に今もピーズが続いているということの重みが増しているように思います。

セットリストは、なにも特別なことはないいつも通りの新旧おり混ぜたラインナップです。だけれど終盤、「生きのばし」に続いて「ノロマが走っていく」が演奏されたとき。それまであれほど飛び跳ねて、暴れていた人たちが俯いてしまっている。暴れていた人ほど、より俯いてしまっている。



ピーズの、はるのつくる歌には意図するとせざるとにかかわらずバンドが積み重ねてきた道のりを表現してしまったものがあります。「ノロマが走っていく」はその最たるもののひとつだと思います。否が応でもあの日から今日まで、ここまで流れ着いてしまったことを意識させられるのです。

だけどピーズは動いていない。ただ足元底なし深い空に潜っていっただけで、地図で見たら1ミリも動かずここにいる。「バカになったのに」とピカピカの新曲は同じ手ざわりで鳴らされる。それは「動けない」と表裏なんだけれどやっぱりバンドにとっては素敵なことだと思うし、ピーズがここにいるというのを感じられたこの夜のライブは素晴らしかった。できる限り見届けていきたいと思います。

(トモヤ)