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「灯台下暗しっス!」

頭の中の理想像をいくら追い求めても現物にはかなわない訳で・・・
というかふたばは吉岡さんと1.2を争うサイズの胸の持ち主なのだから、自分のを見て描け!そもそもおっぱい絵なんか描く必要最初から無いだろ!!とクラスの女子は思っているのではないでしょうか。なぜおっぱいか、なぜ巨乳なのか。ふたばの謎は意外と深いものがあります。そもそも自分の胸をどう思っているのでしょうね。

みつどもえ222卵性 ふたばのアトリエ

219卵性から巻頭オールカラー回でいきなり222卵性に飛び、223卵性と来ましたが、今回また222卵性に戻りました。前2回は単純にナンバリングを間違えていたようです。当ブログでは連載時の表記に従うことにしますので、今回は222卵性の二回目としてあえて修正はしません。

三つ子のキャラクターは連載を追って緩やかに変わり続けていて、初期に較べると成長著しいものがあります。しかし変わらぬものもあり、ふたばのおっぱいへの執着は一巻の初めから全く揺らいではいません。当初クラスから完全に浮いていたひとはやみつばがそれぞれ居場所を見つけ、それに伴って行動が色々変化してきているのに対し、完全な自由人ふたばはキャラクターそのものが変幻自在で回ごとの振幅も大きいために、逆に当初の設定が三人の中で一番保たれています。初めから他人との間に全く障壁を作らないのでこれ以上ポジティブに変わり様がないのですが、回ごとに成長したり退行したりと捉えどころがありません。


ふたばと言えばおっぱい。おっぱいと言えばふたば。おっぱいへの探究心では他の追随を許さないふたばのおっぱい愛が今回試練に晒されます。襲いかかってきたのはおっぱい絵のスランプ。ある人の言葉では、「天賦の才能とは人に出来ないことが出来る事であり、スランプとは人が出来る事しか出来なくなった状態」であるとか。千葉氏たちが歓声を上げる今回の「一筆乳頭」は天才たるふたばには許されない凡庸な出来だったのでしょう。陶芸家が満足できない作品を叩き壊すように、ひとはは分厚いチャンピオンを真っ二つに引き裂きます。この描写はひょっとしたらのりお先生が自作に対して感じていた何かを反映したりしているのでしょうか。前作「子供学級」では、単行本にそれぞれの回の自己評価を載せてしまう(しかもかなり辛口)ほど作品に対して厳しいのりお先生なので、思わずそんな想像をしてしまいます。

スランプに陥ったふたばは必死に出口を求めてスケッチブックにおっぱいを描き連ねたのでしょう。その絵はいつものふたばのおっぱい絵であり、他者にはどう見ても劣る点は見つかりません。しかしふたばには耐えられない。面白いのは千葉氏他の感想は聞き流しても、しんちゃんの心のこもったとはやや言いにくい「上手い上手い」に即座に反応している事。いつものしんちゃん受難と言うよりはこの場合は二人の絆の強さを示しているのだと思います。しかし元々おっぱいはどうでもいいしんちゃん。適当に当たり障りなく慰めようとして結局みっちゃん絡みで墓穴を掘る黄金パターンに陥ります。とは言えみっちゃんが本気で怒っている所がまた微妙な人間関係を匂わせてくれます。

ついで呼ばれもしないのにそよっと慰めに割って入る宮下さん。絵のスランプとスポーツのスランプを重ねて慰める事自体は自然だと思いますが、得意そうに自分のスランプ経験を語っていると、ふたばから思いもかけないストレートなツッコミを真正面から喰らってしまいます。不意を突かれると宮下さんでなくてもむかっ腹が立つもの。しかもそれまでの慰めはどこへやら、真顔でふたばの努力の無さをなじってふたばの心の傷に塩を塗りこんでしまう所が実に宮下さんです。バスケのキャプテンとしてもこんな感じなんでしょうか。確かに日常でも深く考えない何気ない一言に限って人間関係をこじらせてしまうもの。宮下さんはふたばと関わって碌な事が無いことが多い訳ですが、それでもふたばを無視したりしない宮下さんはやはりいい人だと思います。ちゃんと後ろで吉岡さんが><になっていて吉岡ファン的にも安心です。

何とかしてやりたいひとはですが、別におっぱいなんか描かなくてもいいのでは、というのは確かに本音だと思います。ふたばのおっぱい愛がどこから来ているのか語られていない以上、一読者としても同感なのですが、ふたばにとってのおっぱいひとはにとってのガチレン。悪意なき倒置的叙述でクラス中の女子の心を抉りながらもおっぱいへの探究心を諦めないふたばをやはり放ってはおけないひとは。無価値で無意味だよ、とは決して言わないところに姉妹の理屈を超えた理解を感じます。そもそも自分が胸の無いことを一番気にしているのはひとはなのです。

ふたばのスランプの本質を探り、自信を取り戻させるために向かった先は、お久しぶりの栗山っちの所。学校一の巨乳たる栗山っちの胸を借りて行なったのは指によるトップ当て。そもそもふたばは見ただけでバストサイズをミリ単位で目測できる能力を持っていた訳で、トップの位置など一目瞭然の筈。今回も「ピンポーン」という擬音から間違ってはいなかったのではないかと思うのですが、栗山先生としても「大当たり」とは言いにくい。これを利用してバストの形は人それぞれで正解など無いのだから自分の理想像に固執するな、と説得にかかるひとはさんはさすが頭脳派。しかしバストの形を悪し様に言われた栗山っちの心はボロボロ。いつもはぽわぽわな栗山っちが珍しく怒って追い返します。


ひとはの心に取り付いていたのは過去の亡霊でした。教科書の織田信長の肖像の下に描かれた最高傑作。ふたばもこの作品には自信がある様子ですが、ついに原因を見出したひとはは枷となってふたばを縛るこの傑作を取り除くことを決意します。おっぱい絵を見てはしゃぐ千葉氏によりによって和美ママの胸と似ているとささやくひとは。常に千葉氏の三歩先を行き、千葉氏を掌の上で踊らせ続ける偉大すぎる母。男千葉氏の唯一と言っていい泣き所をピンポイント攻撃するひとはさん。余りな一言にふたばの最高傑作を教科書もろとも真っ二つにする千葉氏。過去の妄執から解き放たれたふたばと上手く行ってドヤ顔のひとはですが、その背後には死屍累々。ふたばの事ゆえ自覚0なのも迷惑なポイントです。

ふたばのおっぱい愛は初めからの設定なので特に疑問を持たずに来ましたが、なぜおっぱいか、の答えが語られる日は来るのでしょうか。のりお先生の事ゆえ背後の因果関係はストーリーが出来ていると思われますが、今回はそこまでは踏み込まれませんでした。しかし苦悩するふたばの姿はより生き生きとした人間らしい輪郭をふたばに与えてくれたように思います。