211028_blog

チーム杉崎の誕生

 7卵性「11.3のひとは」より。この中でいち早く登場したのは実は宮下さん。何と1卵性のフルーツバスケットのシーンにその姿を確認できます。他のクラスメイトは1話限りのモブだというのに・・・さすが後の人気投票でふたばを押しのけて3位をぶん獲ったのは伊達じゃありません。チーム杉崎の4人(さっちゃんを含む)がちゃんと揃ったのはこの7卵性でした。それまではちゃんと目が描かれていた宮下さんが急に適当な感じになったのが不思議です。でもこの目をした宮下さんは連載初期の象徴という感じがありますね。丸井三姉妹とチーム杉崎という二つの小宇宙が作中に誕生した時、群像劇としてのみつどもえが成立したのだと思うと、実に記念すべき1コマに思えるのです。 

 どのまんが作品にも第1話と最終話があります。連載を狙って始まった作品には、その初期の回には限られた誌面で連載をもぎ取ろうとするエネルギーがこれでもかと注ぎ込まれていて、連載がめでたく継続した後には忘れ去られてしまう、ある種の先走った過剰な情念のようなものが漂っている気がします。長く続いた作品であればあるほど、初期とそれ以降の雰囲気の落差が大きいような気がしませんか?そしてそれも作品の味になっているのではないでしょうか。

 主人公キャラはさすがにあまりにブレてしまうと作品そのものの根幹を揺るがせてしまうので、初期の設定は大事にされる傾向にあります。みっちゃんのサド気質やひとはのエロ本嗜好などは、後になればなるほど盲腸的な扱いにはなりますが、無かったことにはなりません。しかし、脇役キャラはその時その時の作劇の要求に従って性格を振られるためか、作品を通じて見ると結構振幅が大きくなる傾向があります。みつどもえのように試行錯誤を続けながら最終的に群像劇として落ち着いた作品では、脇役キャラも掘り下げられるのでその振幅が観察しやすく提示されます。みつどもえではやはりさっちゃん。三女さんにまとわりつくオカルト少女という基本ラインは変わりませんが、その内容はどんどんスレスレまでに過激化していきます。

 個人的にはきっちり細部まで考え抜かれたメインキャラより、脇役キャラに目が行ってしまうのでこの落差が例えようもなく楽しいのです。どうしてもテンプレ的になりがちなキャラクター造形が、作劇の必要に従ってディテールを加えられ、キャラクターとして別の次元に昇華していく様子が愛おしい。自分がみつどもえやロロッロ!をいつまでも偏執的に愛せるのは、そういう点にあるのではないかと思っています。