「『感謝』とともに『祈り』の有る人生 (ショート法話528)」という動画をアップしました。「手を合わせる機会を大切にする ―お墓やお仏壇の入れ替え― (ショート法話530)」という動画をアップしました。

2024年12月04日

「この『今』は、『過去』と共にあり、『未来』へつながる。 (ショート法話529)」という動画をアップしました。

「この『今』は、『過去』と共にあり、『未来』へつながる。 (ショート法話529)」という動画をアップしました。

どうぞ、ご覧ください。
https://youtu.be/Hs-6N2_iCJE

以下は、概略です。
先日、或る檀家さんのご法事があり、法要後、おとき(お食事)の席がありました。

ご法事の会食の席で、施主の方の奥様が、「働いていてつらい時もあるけど、そういう時は、亡くなったおじいちゃんが、背中を押してくれているように思う。本当に、そう思うわ。そう思うと、これがまた、動けるんだわ」とおっしゃっていました。

その「亡くなったおじいちゃん」というのは、その時にご法事でお勤めした方ですね。

やっぱり、私たちは、今生きている私たちだけで、生きているわけではありませんね。

この方のように、或る時は、亡き人から勇気をもらったり、或いは、時には話を聞いてもらったり、愚痴を聞いてもらったり、或いは、亡き人のお位牌に向かって坐り何もしないで、時間を過ごしたりする。

そのように、亡き人と共に生きる、共に時を過ごすということは、これは、幻想ではなく、今現在起こっている「事実」なのです。

亡き人から勇気付けられるということは、その人にとっては、今現に起こっている「事実」なのです。

亡き人を思うというのは、「過去」に拘ることではありません。

自分が、かつていただいた、助けてくれたことを記憶に留め、そして、そこから、今を生きる力をいただくことです。

自分は自分の力だけで生きてきたのではく、色々な方に支えらえて生きてきたのだ。

そのことを知ることが、「今を生きる力」になるのです。

「過去」を思うことが、「今」を生きる力となるのです。

「過去」はただ単に「終わったこと」ではありません。

それはこの「今」につながっていることであり、同時にそれは、「これから」という未来にもつながっていることなのです。

亡き人を思い供養することは、「私は多くの亡き人に支えられている」と知ることであり、そのことで、私の「今」が変わり、「これから」に影響を与えていくのですね。


※当「善光寺」は、他の多くの寺院同様に、「離檀料(りだんりょう)」は必要ありません。
※随時、水子供養や終活相談も行っております。
※YouTubeで法話を配信しています↓
https://www.youtube.com/channel/UCCQj5-HN4z0FUJhCCnWZQ-A
※これからの予定
  • 2025年3月10日(月) お茶の間ふれあいサロン 午後1時から午後2時 みんなでお昼をいただき、色々とおしゃべりしたりする会です。午後1時からは、若手僧侶によるお説教があります 今回は、午後1時からのお説教のみとします 予約不要※参加費100円※参加者には岩見沢健康ポイントが1ポイント貯まります。

※これらの行事は、檀家さん以外も、どなたでも、お気軽に、気が向いた時にふらっとおこしください。
※当寺へは、札幌から普通列車で30 分ほどで幌向駅に到着いたします。幌向駅からは、国道12号を岩見沢方向へ徒歩5 分で善光寺へ到着いたします。

※岩見沢善光寺へのお参りは、こちらをどうぞ↓

水子供養の参考動画

『プレス空知』さん連載のエッセイの最新号(R2,6)です↓
EPSON001

安心のお寺ポータルサイト「まいてら」の善光寺のページはこちら↓
http://mytera.jp/tera/zenkouji39/monk/
banner_about

善光寺 ご詠歌 「岩舟和讃」「大和流々祖追悼和讃」


このエントリーをはてなブックマークに追加
zenkojinamu at 19:30
「『感謝』とともに『祈り』の有る人生 (ショート法話528)」という動画をアップしました。「手を合わせる機会を大切にする ―お墓やお仏壇の入れ替え― (ショート法話530)」という動画をアップしました。