2010年10月09日

ブログ引越しのご案内

引っ越します!引き続き、よろしくお願いします。

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2010年10月05日

謝辞

Recurrence to the ORIGIN.
只管己ヲ鍛錬シテ武ヲ追求ス。是我原点也。


2010年10月1日、ジムに退会届(プロは休会届)を提出しました。
私・左禅丸は、キックボクサー、およびレグルス池袋ジムをやめます。


会費の前納分が来年1/31まで残っているので、一応12/31付で休会としました

10/1〜10/3は、キックボクサーとしての「締めくくりの3日間」でした。
前の日記で書けなかった事を書くと、
10/1は最後のジム練でした。人が少なく自主トレはM谷だけでしたが、これも廻り合わせだと納得しています。
 長年お世話になったシゲル先生に挨拶できなかった事が、大変心残りです。
10/2は本当楽しくて、自分のパフォーマンスも良かったので、正直悩みましたが、
 「いい締めくくりができた」と満足しています。
 ただ、近所なのでここにはまたお邪魔するかと思います。
10/3は大変残念で、敗戦直後から、「どうすれば勝てたのか」を分析してしまいました。
 TaCa君には「Tryple y」として新たな環境でリスタートをしてほしいですね。
 打ち上げで皆の「またジムで」が苦しくて、TaCa君にだけその場で話し、予定より早めにコレを掲載する事にしました。


辞める理由は、詳しくは書きませんが、
プロ競技者として、気持ち良く試合に出れる環境ではなくなったのに伴い、
他の事に囚われずに、純粋に、かつ地道に武を追求したい、競技したい気持ちが出てきたからです。
回顧のとおり、一時「キックを教えるだけ」のポジションも考えましたが、「生涯現役競技者、生涯挑戦者」がモットーなので、その選択肢は取りませんでした。


キックボクシングという競技および所属したジムからは、
本当に色々なコトを与えられ、学びました。
プロ1戦だけだったはずが、プロ1勝になり、最終的には「満腹になるまで」とずるずるやってしまいました。


プロ選手として過ごして、
少しだけ華やかな、でも儚く厳しい夢を見させてもらいました。
ジムや試合会場等で、様々な人と出会い、集い、喜び、悲しみ、そして別れ、
人生においてかけがえのない時間を過ごせました。

周りはどうあれ、私自身は大変楽しかったです。

ビッグミット「ぬりかべ」と魅惑の1kgダンベルはジムに寄贈します。
使ってやってください。

「左禅丸」という名前は、キックボクサーとしては終了ですが、
愛着があるので、以後はペンネームとして使っていきます。(だからBlogタイトルもそのまま)
文芸でどうするかどうなるかは、まだイチから勉強しながら挑戦していく段階なので分かりませんが、
文芸のみならず生涯挑戦者たる「もう一人の自分」として、付き合っていきます。


武道・格闘技では、自分の本来の立ち位置であるべき、「武の求道者」へと回帰します。
これから、合気道(競技がある富木系)、弓道(近所に東京武道館があるので)など新たなものを習おうかと思います。できれば競技があるものが良い。また、独学だったヨーガもあらためて習いたい。
生活は一気に地味になるし、酒飲む機会もグッと減るでしょう。


貴方に言えなかった「ありがとう」と「ごめんなさい」が多すぎて
ここにまとめて謝辞とする事をご容赦くださいな。

皆様、大変お世話になりました。ありがとう。

平成二十二年十月吉日
                     左 禅丸

※なお、当ブログは、そのまま普通に続けます。  
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(回顧10・ラスト)「レグルス後期「居場所探しの旅時代」を振り返る。そして、」

・やっとここまできました。時系列が良く分かんなくなってきましたが、桃屋氏&O沼&K護氏がレグルスから消えた頃から現在まで。
・ここ2年間が激動すぎて、ここでもかなり割愛します。



・上記からしばらく、固定の練習パートナーが定まらない時期がありました。

・その時声をかけていただいてたS水さんには本当に助けられました。
・バンタム級の体格で年上のS水さんが自分と練習するのは、本当に負荷がかかった事だと思います。
・Kミットになってから、キックの衝撃がより腕にかかるのですが、練習後、申し訳ない位にS水さんの前腕が腫れた時も。
・S水さんが泣き事ひとつ言わずに自らミット構えるので、私はあえて全力で蹴り、ミットを持って煽り、蹴り合いに付き合ってもらいました。

・S水さんがそのうち「スタミナの鬼」と仲間内から言われ、強豪ぞろいの全日本アマキックトーナメントで3位になった時、泣きそうなくらい嬉しかったです。
(その清水さん仲間、Tカダさん、Sギハラさんら「年上世代」がいなくなった事は、自分にとって結構でかかったです)

・また、K林Jさんにも、断続的に一番長い期間一緒に練習しているN村君にもすげえ多謝です。
・金曜部活もN村君が中心で回していた時期もあり、「文化継続」に本当に助かりました。



・試合は、2007年は全く勝てず、2008年4月で救急車に運ばれました。

・ニーズもあり、一旦選手として前進するのを止めて、教える側にいようと思いました。
・そしてそれが、それだけで楽しかった時期でもあります。
・前進後退、善悪、有効無効等を不問として、純粋にモチベが高く、色々な想いがこめていたし、居心地が良かった。楽しく、幸せな時間でした。

・この時期のJ―GROWは、毎回のようにセコンドに入って、当日セコンド頼まれて引き受ける、という図式があったのですが、それも今思うと、結構心地よかったですね。
(ちなみにアマチュアのセコンド、今やイノ総統とTケナカさん位です。アシは他ジム興行中心でなかなか入れない)

・アマチュアおよび女子の試合でどうやれば勝てるのか、スゴイ研究しました。
・ただ、中期程結果が出せなかったのは、申し訳ないな、と思っています。

・ほどなく、その居場所を失うのですが、その間、ひょんな出会いでTaCa君と一緒に練習するようになります。
・練習パートナーという意味では、私の方から積極的に探さなくても、常に誰かがいてくれた、というのは、とても幸せな事だったと思います。

・TaCa君の初見は、火曜ジムでミットで組になって、パンチがすげえ上手いので、ボクシング出身者かな、と思ったのと、今まで出会った「やんちゃで一流選手」の雰囲気を感じてました。
・TaCa君の練習相手をするのに、現役選手のパフォーマンスがないとついていけないと思い、また現役選手として練習し、強くなってきたのを感じ、試合出てました。そこから現在に至ります。

・実は、パンチ中心から、ガード&ロー&首へのシフト要因の一つが、TaCa君とやってて「パンチじゃあ勝てない。ミドルめっちゃキャッチされる」と思ったからです。

・金曜部活は、来る者拒まずの姿勢にして、新たな面子を加え、コンスタントに参戦者がある今の形になりました。
・個人的には、毎日ハードスパーとかは身体が壊れるのでダメですが、週一くらいは厳しめスパーの時間があった方が試合に対応できると思うのです。
・この文化だけは残して欲しいですね。

・金曜部活は、参加するアマチュアにとってハードで、ダウンも怪我もします。
(Aシがボディでダウン⇒「肋骨折れたヨ」「いや折れてないって」というネタは結構パターン化されてました)
・ただ、それを乗り越えた人は、例外なく強くなっている、と断言します。

・またジム外でのイベントが多くなり、とても楽しかった。
・本当に色々ありすぎて、割愛しますが、楽しく苦しく嬉しく哀しくなる全ての事がいい思い出です。
・J−NETはプロ選手を蔑ろにしがちですが、レグルスに入って良かった、と現在も思っています。
・ストイックな人間でありたい私ですが、かなり酒にまみれました。


<私自身、プロ選手として>
・これまでの通算プロ戦績ですが、内緒だったため今まで戦績の数字から外していた「FWFプロレス興行」の打撃トーナメント(回顧8参照)も「一般観客が入ったガチ試合のプロ興行」なので、今更にしてそれを入れてみます。(ええ、苦し紛れの数字稼ぎ、ド卑怯ですね。でも今後人に言う時はこの数字でしょ)
・そうすると、最下段のとおり27戦10勝14敗3分1KO。
・まあ、かなり負け越しましたが、それも自分の「業」であり「道」だと思います。

・実は、スーパーライト級契約では1勝2分と無敗で、本来の適正体格はそこなんでしょう。
……が、60日夕飯なし&大きい筋肉を落とす作業をもうしたくないです。今振り返ると、絶対勝ちたい執念だけで落としてました。(似た体格の王子やTaCa君がスーパーライトで出続けるのが、ホントリスペクトです)

・オーエンジャイは、ちょっと記録取ってないのですが、記憶をたどって、16戦5勝7敗4分2KO。意外と少ないかもしれません。
・勝敗を超えた所にあそこの醍醐味があるんだと思います。
・タイ人3人(Fサイ、Wラウット、Kンスック)、うちワイクルー2回は、すげえ「ムエタイやった感」があります。
・アマ5戦4勝1敗3KOも含め、キックで通算48戦。うち42戦が三十路越えてからですから、まあボロボロになりますよね。

・若いころの拳法の試合とかアマ修斗とか新空手とかを加えると・・・嗚呼、キリがない。生涯現役競技者・求道者であり修行者でいますから、一生なんらかの「戦い」が続くんでしょう。


・そして、続く



■左禅丸 プロ戦績(2001〜2010)

1)2001.01.27 MA後楽園興行 ウェルター級  松本俊太郎(士道館)×3RKO負 1:34
 ※平井善丸(山木ジム)名義

2)2002.12.01 J−NETディファ興行 ウェルター級 古舘 洋(彰考舘) ○判定3-0
3)2003.04.20 J−NET渋谷WOMB興行 ウェルター級 SHIN(アクティブJ) ×1RTKO負
4)2004.02.08 J−NET大森興行 ウェルター級 綱島容一(MA/山木ジム) △ドロー

■2004.04.24FWF賞金争奪 最狂トーナメント「DSG Metal heat」
 ※平井善丸(フリー)名義 80kg契約
5)トーナメント一回戦 中山 健生(フリー) ○2R判定 3-0
6)トーナメント二回戦 三河寛安(ロング・ビーチ)○2R判定 2-1
7)トーナメント準決勝 原田 敏克(空柔会館)○2R判定 3-0
8)メイン・決勝戦 千葉 哲(y-park)×5R判定(判定 1-1、延長1R 0-0 延長2R 1-2)

9)2004.05.30 J−NETニューピア興行 ウェルター級 内田満弘(彰考舘) ○1RKO
 ⇒ウェルター級4位に
10)2004.12.05 J−NETディファ興行 68kg契約 山邊英人(MA/山木ジム) ○延長判定2-1
11)2005.02.13 J−NET大森興行メイン ウェルター級 北野ユウジ(ソーチタラダ渋谷) ×判定0-3
12)2005.06.12 J−NET大森興行 ウェルター級 綱島容一(MA/山木ジム) ×1RKO
13)2005.09.21 J−NET後楽園興行 ウェルター級 喜入 衆(ソーチタラダ渋谷) ×1RKO
14)2006.01.28 Wカプセル新宿興行 70kg契約 城戸康裕(谷山ジム) ×判定0-3
15)2006.04.16 J−NET大森興行メイン ウェルター級 田中秀弥(POWER-X) ×TKO3R
16)2006.08.20 J−NET大森興行 ウェルター級 入江達郎(山木ジム) ○延長判定2-1

■2007.01.08 J−NET後楽園興行 ウェルター級王座決定トーナメント
17)トーナメント1回戦 宏二(スクランブル渋谷)×判定0-3

18)2007.06.17 RISEディファ興行 65kg契約 小宮山大介(北斗会館) ×判定0-3
19)2007.12.16 J−NET大森興行セミ Sライト級 大鬼(湘南格闘倶楽部)△ドロー
20)2008.04.13  J−NET大森興行メイン 65kg契約 田島 直樹(湘南格闘倶楽部)×1RKO
 ⇒ランキング外へ
21)2008.09.21 J−NET大森興行セミ Sライト級 KING皇兵 (S.F.K)△ドロー
 ※ゼンマル(レグルス池袋)名義
22)2009.02.01 J−NET後楽園興行 65.5kg契約 稲葉潤(サバ―イ町田)×判定0-3
23)2009.07.26 J−NET新宿興行 Sライト級 後藤洋平(フォルティス渋谷)○判定3-0
24)2010.01.17 ムエロークディファ興行 68kg契約 李逵(尚武会)○判定2-0
25)2010.04.25 ムエロークディファ興行 ウェルター級 杉内 勇(チームROKEN)○判定2-0
26)2010.07.19 REBELSディファ興行 ウェルター級 金統光(藤原ジム)×判定0-3
27)2010.09.12 J−NET大森興行メイン ウェルター級 佐藤正道(MASC)×判定0-3

以上、27戦10勝14敗3分1KO
  
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(回顧9)レグルス中期「金曜部活等色々時代」を振り返る。

・この時期の事は、色々ありすぎて、かなり割愛してます。
・ちょっと前期と時期がカブりますが、「ジムの一員」という意識ができた時からの話。

まず、プロ選手「左禅丸」として、
・対戦相手レベルUP等、色々な要因から、プロ5連敗します。悔しい中「負け慣れる自分」がいた感じもして、本当に嫌でした。
(この負け慣れ感が競技者として一番怖い、と思っています)
・その後も引き分けと負けが多く、「もうやめよう」と何回思った事か。
・長い間、かなり苦い想いをしますが、(とりあえず5勝したかったという意味で) 今思うと諦めないで良かった。

・城戸選手と戦ったのもこの時期。振りかえると、未だにこの時のパフォーマンスとモチベーションを超えてないかもしれません。
・前も書きましたが、この時期のJの興行部長・大島氏がガンガンアップセットしてくれて、ワクワクしながら、練習してました。
・複数のアップセットからどれを選ぶか「和民会議」をした事もありましたねえ。

・個人的には、宏二選手がスキがなく、一番「負けた」感がありましたね。。。
・城戸選手は当時23歳とかですから、まだ若い。70kg契約だと体格差が結構あり、大変でした。

・ところで、33歳になった頃を境に、急激に衰えます。同じメニューで練習してても絶対尻すぼみするので、家のメニューをかなりハードにしてます。KAATSウェア買ったのもこのころ。(具体的には、反応速度の低下、筋瞬発力の低下、回復力の低下)

・さらに、アチコチ小さな故障が出て、整形外科行っても異常ないと言われるのに、なんかの拍子で痛い、という部分が多く、厄介でした。また右眼の飛蚊症が目立ってきたのも縫い傷が増えるのもこの時期。  
・技術的には、蹴りがミドル&インローくらい、パンチ(突き)中心の戦い方でした。ガードも低く、負けでも、KO負けとTKO負けが結構あり、本格的にダメージを受けた時期です。


さて…ジムでは、
・K護氏がO沼を見つけてスカウト、またチームでやる事になります。
・時系列が微妙ですが、火曜に「ムエタイクラス」ができ、Sブローさんと出会い、ミットとか結構組んでやってて「クラスが楽しい」と感じるようになります。
・このクラスを担当したCャナさんは、ただのオッサンですが、アシスタントで連れてくるタイ人が強かったですね。

・金曜部活では、K三氏、桃屋氏がレギュラーで加わりました。実際「金曜部活」と明確に言い始めたのはこのあたりです。(前期では、当然のように練習してたので)
・この時期は、火曜、金曜、日曜のクラス前、というのが練習スケジュールでした。

・ちょっと遡ると、入会して2年目の冬の忘年会に出たあたりから、「はみ出し者」は、他の会員との交流するようになりました。
・チケット買ってくれる人が増え、だから余計に負け続ける自分が嫌でした。

・また、アイボンのBlogの影響でBlogを2005年1月から始めて、そこで色々状況が変わったと思います。クラスに定期的に入る練習スケジュールにし、一般の会員さん(ええ私も一般会員ですが)との交流も多くなりました。

・正直、アイボンの影響は多大で、会員さんで初めてチケット買ってくれた人もアイボン&Soken氏ですし、ポケモン熱は完全にアイボンから。
・その他ガラスの仮面メイト、東映の大きなお友達など、ホント色々影響受けています。
・現在、二人とはレグルスでほとんど会いませんが、WiFiメイト等、大きいお友達仲間として、これからもよろしくお願いします。

・かつてチームポケモンというのもありました。10人くらいでアイボン家で大会とかしましたねえ。その為だけにGBAを2台、ゲームキューブを1台、ソフトを3本買いました。当時のポケモン熱は異常でしたね。
・そういや、ファイヤーの持っていたポケモンは「ほのお」タイプメインでした。


・左特別クラス、クラス代行でインストしてました。時系列ではチーポケより、もうちょい後かな。
・特別クラスは3回(4回?)やって、MAX35〜6名(第2回時)集まり、個人的に満足度が高かったです。もう二度とやれないのが残念です。

・通常クラスも最終的には、入門、初級、中級、ライトスパーのクラスを受け持ちました。何事も経験しておくもんです。(自画自賛ですが、入門クラス用につくった基礎技術のレジュメは結構好評でした)


・前期のチーム以外のアマチュアのセコンドにつき始めたのも中期から。下記のとおり、この時期はセコンドとして、色々な経験をしました。
 ・選手が、アマ5連勝、雷門T2連覇と、「ラッキーおっさんセコンド伝説」が。
  (他、この時期、女子も含め、セコンド勝率が特に高かった)
 ・AリーグにO沼が、(私の)モンコン+パープラつけてきて、試合開始直前に祈ってモンコン外しました。(なんとか待ってくれました)
 ・雷門で、タオル投入(怪我じゃないのに、タオル投げるのはレア)
 ・Bリーグで、相手がいきなりバックブロー出して速攻反則勝ち(違う意味の秒殺です)


プロ選手としては、冴えないばかりでしたが、
色々な人に出会い、
色々な影響を受け、
色々な人に感謝し、
色々な人に迷惑をかけ、
色々な経験をした、貴重なジムライフ期間でした。

ホントは、沢山の人に、あらためて「ありがとう」と「ごめんなさい」を言いたい。
イマの自分は、決してイイ人間ではないけれども、沢山の人のおかげでイマの自分がある。自分でイレル。


……そして、ちょっと時系列が微妙ですが、O沼が抜け、K護氏がレグルスにこなくなり、桃屋氏が仙台へ転勤。練習環境としては暗黒時代を迎えます。そこから現在までの「後期」へ。
  
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(回顧8)レグルス池袋前期「はみ出し者時代」を振り返る。【長文】

※文章がかなり失礼な感じですが、正直な当時の気持ちをぶっちゃけます。

※そして、前期なのに長い。記憶が違っていたら突っ込んでください。
1〜7をご覧になった方はお気づきでしょうが、レグルス所属の9年は、他と比べて圧倒的に長いのです。


■前期「はみ出し者たち(Mファミリー)時代」を振り返る。

・レグルス池袋を選んだ理由は当時の会社から近かったのと、今だからぶっちゃけますが、偏見でJならMAの時より少し練習量を落としてもなんとかなるかな、と甘く考えたからです。

・そして・・・初めて見学に行った時、驚きました。
・水曜、当時はS谷インストの初級クラスだったのですが、「クラス形式」をキック人生で初めて見たんですね。
・大人数の男女が並んで、インストラクターの指示で練習、初めて見るソフトミット(実際当時はハードタイプのミットが、凄く少なかったですよね。また数少ない山木の女子キッカーはアマでも普通のミットでやってました)等々。フィットネス時代に一度だけ行った「ボクササイズ」スタジオレッスンのような印象でした。


・覚えているかどうか、その日受付にいたS巻さんに「こんな練習で試合とか出れるんですか?」と聞いた記憶があります。
・「プロでやってるコ達は、固まって自主トレしてるし、社会人も多いから、一度入ってみてから判断しては?」と言われ、翌週の水曜(または火曜?)に無料体験に行きました。
「文句言うのはクラスを受けてからにしよう」って事で。ただ、その時のミットの相手がのちの王子で、一人だけ飛びぬけて上手かったのでビビった記憶があります。
(王子レベルの人がいるんだ、と思ったのが入会のキメテの一つです)

んで金曜に入会、そのまま練習するつもりでいきました。

・当時受付にいたK谷?さんという男性に「あ、キミはこっち」と、当時インストの大島つばきさんに挨拶したあと、リングに連れて行かれ、180cmの怖い馬顔の男と160cmの坊主頭の少年を紹介されました。

彼らが、OサカベータとNイクラ君。

二人とも結局アマチュアで終わりましたが、Oサカベータはいわゆる「練習チャンピオン」で、練習中のスパーは無茶苦茶強かった。
(当時はかなりガチ。私が明確にライトスパーをやり出したのは、キック人生後半からです)

クラスとか他の会員はそっちのけで、月と金は今の部活スタイルで、水はS谷クラスでアップして、自主トレでバッとやる、という「はみ出し者スタイル」が当時の練習スケジュール・環境でした。

他には、入会当時タイに修行していたK護氏が帰ってきて合流し、金曜はN村君とFイヤーがペアで練習していて、たまに合同でスパーしていたのと、我々と同じく他会員からの「はみ出し者」で、なぜかOサカベータと意気投合していたMウラ嬢という女子と一緒に練習してました。
(Mウラ嬢は150cmくらいの女子で、スパーでOサカベータにボンボン蹴られてもガンガン向かっていくような、かなりはっちゃけた子でした。のちにオンラインRPGゲーム「メイプルストーリー」上で再会する事に)

当時Oサカベータが勝手にチーム名を「チームどらごん(平仮名)」と言っていましたが、すでに本家チームドラゴンもあったため却下。
変な話、Oシカタ君が呼んでた「Mファミリー」というくくりが一番しっくりしてたかもしれません。
(ちなみにベータは、K護氏の本名の一部「リュウ」から命名したらしい)

「Oサカベータ」はオーエンジャイでのリングネームです。
私は北星を短期間で辞めた経緯もあり、足を運ぶのをためらってましたが、一度行った時、皆普通に接してくれたので、そこから自分もオーエンジャイに出るようになりました。

プロ選手「左禅丸」としては、

もう一度プロテストを受けました。
再デビュー戦で普通に判定で勝ち、勝利の味に浸りました。
(この日、中村君とディファで食ったフランクフルトの味は、人生でBEST3に入る美味でした)
2戦目は、SHIN選手にあっという間に3回倒され
3戦目は、MAのランカーと引き分け
4戦目で当時ランカーだった選手に1RKO勝ちし、たった4戦でランキング(4位)入り。
5戦目は68kg契約で、古巣山木ジム所属の選手に、延長でなんとか勝った(ヤマベ選手という元ヤンの人)
・・・のですが、経験積む前にランキング入りしてしまった為に、ここから地獄の連敗街道が始まるわけです。

ちなみに意外な事に4戦&5戦目だけ、Oサカベータ&加護氏の他、S島さんにもセコンド入ってもらっています。私が連勝してるので、実は彼が「初代ラッキーおっさん」なのかもしれません。

また、千葉の地方プロレス団体の打撃トーナメント(60〜80kg契約)に出て、準優勝しましたが、諸事情で本名で出ました。
優勝しか賞金出なかった交通費のみです。

8ozグローブ、決勝だけ生スネで、4試合を、3分×2R、2R、2R、5Rと計11Rを4時間くらいでやり、脳が二日くらい深酒した時みたいになったのが、これまでで2番目に怖かった「ダメージ経験」です。
(スタミナって、なんとかなるもんですよ)
ちなみに、お客さんは地元のヤンキーとか黒い方面の人ばかり。優勝候補本命の「地元最狂」に勝って、無事帰れるのか怖かったですが、その人はスゴイいい人で、決勝前とかすげえ応援してくれました。(男の世界ですね)

■参考(まだURLあった):http://ffe.konjiki.jp/dsg14.html


・ジムでは、月曜日がKツベ君に変わったため、月曜日に練習できなくなり、Nイクラ君がモチベ下がって辞め、Oサカベータも徐々に来なくなりました。(最終的に彼は「彼女ができてキック辞めてほしいって言われたから辞める」と言い残して去りました)

・残された私とK護氏はどうしたのか? 中期へ。


  
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2010年10月04日

10/3はRISEでTaCa君のセコンドでした。

8c977a50.jpg















・1日〜3日まで、想いを込めて、キックに従事しました。


・RISE71
◦開催日: 2010年10月03日(日)
◦会場: 後楽園ホール


第7試合 スーパーライト級(-65.0kg) 3分3R(延長1R)
菅原勇介(TARGET/1位・前J-NETWORKスーパーライト級王者)
TaCa(triple-y/J-NETWORKスーパーライト級3位)

■試合
1R
 がっちり上を固める菅原選手。ジャブなどは入るが動じず、ローを放って行く。
 想定外のタイミングでインローをもらった後、菅原選手の右ローがヒット。
 その後もTaCa選手がパンチローで細かく攻め、ガードから右ローの菅原選手、という図に。

インターバルでは、左足を冷やしながら、パンチに自信を持って強めに打ちきれ、と指示。

2R
 菅原選手の右ローが効いてくる。少しひるむ。
 TaCa選手は細かくパンチとローを当てているが、明確に効いている様子がない。
 徐々に下がり始めて行く。このラウンドは確実にとられた。

このままでは絶対負ける、殴り倒すしかないんだぞ。絶対弱気になるな。と指示。

3R
 菅原選手が失速し始める。が、要所要所でローを効かせる。
 クリンチが増え、菅原選手に減点1が。
 それでも攻めきれない感じで、逆にパンチや上段前蹴りが当たって終了。

28-29が2名、29-29が1名で2-0の判定負けでした。

菅原選手、観客として見るのと、セコンドサイドで見るのとで強さが違ってました。
すごく精神力の強い選手。ローも重い。強かったです。


TaCa君は残念。勝たせてあげたかった。
まだ伸びしろが沢山あると思いますので、まだまだこれからリスタートでしょう。

興行はレベルが高く、面白かったです。
関係者の皆様、お疲れ様でした。


※画像は、スポンサーの方々のペイント。試合では結構落ちてたので、ここで。
上から、
「Tryple y(チーム名)」
「Club Safari」様
「OCLabo」様
「CATCH ALL FIGHTING」様

これからもTaCa君の応援、よろしくお願いします。

  
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(回顧7)無外流居合兵道「吹毛会」時代を振り返る。

・実質1年ちょっとしか在籍しませんでした。

・辻月旦が開祖で、斉藤一も学び、「剣客商売」等で著名な無外流が学べる、という事で、ネットで調べて見学に行き、立ち技のスピードが気に行って入会しました。

・練習場所は池袋のごみ処理場?の近くの体育館、もしくは湯島の体育館です。
・会員は池袋支部だけで40名くらい。70歳近い男性から女子大生まで、様々な年代の人がいました。
・湯島支部の支部長夫妻が今でいうと川端夫妻に近く、奥さんが色々趣味を持っていて、管理しているBBSで、同世代の会員と交流してました。強化練習や刀販売会等のイベントもやってましたね。


・居合は、指導が入る以外は一人で世界に没頭できるのが、良かった。
・また、模造刀とはいえ、油断すると思い切り切れたり怪我するので、練習中は集中しなければいけない。
・また、師範が見る昇級審査など、人が見ている中、型をやるのはすごい緊張し、精神修行に最適です。
・体力的には、まあアレですが、右手の前腕だけはすごい鍛えられました。

・また、ここでは神道夢想流の剣術や杖術も教えてくれたので、武道の幅が一気に広がりました。杖は実戦的で警察でも採用されており、もっとやっておけばよかった。
・木剣や杖の二人型は、本気で打つので、男同士だと意外と力が要ります。
(警察官が持っている120cmの棒は杖道用で、あれを使った逮捕術の型があります)

・ちなみに居合、体育館でやる時は、正座から立つ等するので、膝サポーターが必須です。今ジムで使っている小さいサポーター、元は居合用でした。

・私は飲み込みがそこそこ早いので、最短期間で初段になりました。「最短」なのは、定期的な昇級審査に全部受けて上がったって事で、メモとって、朝公園で木剣を使って練習したり、かなり練習したもんです。
・そして、初段受かってちょっとして、合宿で二段受けさせてくれる、というので、合宿も参加しました。
・合宿では稽古の他、余興とか、酒が多かったですね。結構愉快で江戸時代マニアとか幕末好きとかも多く、楽しい話ができました。

・二段受かって、ひと段落つき、太ったの気がになったとか、三段以降の受験料がやたら高かった事とか、四段以降で使う真剣が異常に高く(80万円〜)先が見えなくなったのと、もう一度キックやりたいな、とか思い始め、池袋のジムを探し、レグルス池袋の門をたたきました。(実際、レグルスと居合は少しかけもち期間があります)

・いい距離感で人間関係が作れてたのか、いきなり辞めると言った際、師範の先生をはじめ、結構引きとめを受けました。嬉しいもんです。(師範の先生がガタイが良く、会員の中では一番ガタイがいい私は、結構貴重だったのかもしれません)

・実は転職後の会社から歩いてすぐの所に、その居合の本部道場がありますが、今やりたい事、ではないなあ。。。



・そして、三十路になって、「キックでプロ1勝しておきたい」という欲がわきます。レグルスとの掛け持ちの期間がはじまるわけです。



次の「レグルス池袋」編は、3期に分けて、勝手に振り返ります。
  
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2010年10月03日

10/2のオーエンジャイは、まさかの出場からのKO勝ちでした。

1002オーエンジャイ








セバスチャンとイノ総統が出るので、セコンドを立候補しました。

私はオーエンジャイでセコンド入る時「何かの時」の為に、試合の用意もします。

が、はじめて「左さん、今日、お願いしていいっすか?」が発動。せっかくなので受けました。

相手はO村選手。元?プロで体格は8kgくらい下。

ただし、こっちも試合から真面目にやったのはフィジカルくらいなので超不安。

ガードをやや落として、ミドル&突きメインのスタイル。

16オンスなら緊張しないので、妙におちついてできた。

試合は1Rは超様子見。ジャブと右三日月が決まりまくってました。

2R、ワンツーできれいにダウンを奪った後、膝連打、パンチ連打でダウンを取って終了。

今までの集大成が、非公式のこの試合で出てしまった感じです。
私は、緊張とパフォーマンスが反比例しちゃうんだなあ。


イノ総統は、W尾君のリベンジと言わんばかりにA羽さんと試合。首でかなり優位を取られ判定負け。
でも、逆に離れて戦うパターンがよく出てて良かったですよ。

セバスちゃんは、ハイテンションで会場を沸かせながら、判定勝ち。
相手が結構首使いで、かみ合わず、逆にミドルでアドバンテージ取ってました。

記念撮影を取って、ファイトマネーもらって、微妙な合コンのノリで飲んで、おしまい。
試合ではKO勝ちなのに飲みでは全く勝てなかったよ、総統。。。

でも、超楽しかったなあ。関係者の皆様、ありがとう!

★なお、来週の日曜昼放送予定、「昼ザイル」が撮影に来てたよ!

※↓画像は、オーエンジャイ何度も来てて、初めて食べるイナゴのから揚げ。川エビのから揚げみたいでイケる!
いなご  
Posted by zenmaru_h at 00:34Comments(0)TrackBack(0) キック系 

2010年10月02日

10/1のジムの半分は「寂しさ」でした。

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・ジム日記。

・T田さんに「秘密のラブレター」渡したら、ドン引きされました。そりゃそうか。
※後日、それがなにか判明します。

・部活は、TaCa君、森本君、M谷と4人。少ないし、TaCa君と森本君は試合前なので、超軽め。
・TaCa君はいつもより脂肪中心に落ちているようで、お腹が超シェイプされてました。調子よさそうです。
・自主トレはM谷とミット持ち合っておしまい。いたたまれなくなって帰りました。

・シゲル先生には挨拶し損ねるし、今日のジムの半分は寂しさでした。

……まあ9/30が決算の会社が多く、皆忙しかったんでしょうし、こういう流れも「天の導き」なんでしょう。

・ちなみに、体重は73.6kgと、いつぞやのMAX78.2kgからかなり落ちました。走るって大事。
  
Posted by zenmaru_h at 08:41Comments(0)TrackBack(0) 日記 

(回顧4〜6)20代キック時代を振り返る。

・自分による自分の、自分の為の回顧録。一気に折り返します。



(回顧4)山木ジム時代を簡単に振り返る。
・以前の日記でも結構振りかえってますので、簡単に。

・とりあえず「プロで1戦やっていい思い出にしよう」という不純な動機から始めました。
・山木ジムを選んだ理由は、単に「通勤途中」にあるジム、だったからです。

・日本拳法でちょっと勘違いし、自信があったので、入会2週間でプロテストを受け、合格しました。
・山木ジムは今や女子ボクの老舗ジムですが、当時から、昼〜19時まで女子ボクかプロ(Y口元気さんら)の独占で、Rイカが入ってから、かなり力を入れてましたね。
(練習仲間で問題視してた事もあります)

・私は、社会人プロ&アマと20時から練習してました。
・当時、MAでは、J−NETを「新進の格下」扱いで考えてました。現に、なかなか結果が出せなかったI上師匠がN山さんをKOしたり、練習パートナーで大学日本拳法部の先輩、IズミさんもJで連勝しまくってました。そう思うと、今のJは凄くステータス上がっているんです。

・ちなみに、プロメインの人は昼〜夕方で、I藤さんは首相撲くらいしか絡みがなく、K藤さんもスパー2度くらい。M宅君は、結構絡んでましたが、スパーで左フックでダウンもらってたりして、当時から結構な差がありました。

・当時は、アマチュアキックが始まったばかりで「アマ3勝勝ちこしでプロ出場」という決まりができ、ライセンスとってから、仕方なくアマの試合に出てました。3ヶ月に1回しかないので、チャンスが少ない。山梨や埼玉県の高坂とか行きました。

・アマでは4勝1敗3KO。負けはミドル級(75kg)トーナメント。ウェルターには当時減量いらずのM宅君が出るので、私も減量要らずのミドルに行って、痛い目会いました。
(M宅君は優勝。その後「隼人」としてデビュー)

・20代後半で瞬発力があり、スタミナはなしというフィジカル。
・日本拳法のままの左ストレート、ストレート連打メインという戦い方でした。若かったですね・・・。アマ時代の試合でローを1発も蹴った記憶がないです。

・プロデビューのタイミングは、ジムの掲示板に興行の対戦表が貼ってあって、ある日そこに自分の名前が出てた、という強制モードでした。
 当時は希望とか関係なしです。リングネーム考えてたのに本名で出場。
・デビュー戦は、後楽園の雪の日。3RKO負け。内容はほぼ覚えていません。

・デビュー戦終わって結婚。住所を足立区に引っ越したため、下北の山木ジムに通えず、辞めました。
 ・・・というか、元々独身時代に一回プロ出て終わり、という事でやってたんですね。

・最終的に1年半くらいの在籍、でしょうか。。。



(回顧5)東京北星ジム時代を短く振り返る。

・山木ジム時代から結構間があって入会。3,4ヶ月だけ在籍してました。
・近所にあったので、キック熱が再燃した、って感じです。

・ダントツで練習が厳しかった。今思うとここに居続けたら、相当強くなっていたんだろうなと。
・ファーキャウというタイ人に頭を叩かれながら練習してました。
・ムエタイスタイルのジムで、首相撲のウェイトが高く、かなり学びました。
・練習は普通にロープ&アップ⇒シャドー⇒ミット⇒ガチスパー⇒首⇒打ちこみという感じでした。
・ファーキャウは太ったタイ人で、普通に建設現場で働いている人。教える事に専念できて、めっちゃアツイ、という珍しいタイ人でした。
・ジムは、プロか、プロ目的の練習生のみ。I毛さんやIシグロ君と練習してると、自分のフィジカル&精神的弱さに凹みます。

・在籍時、一回だけオーエンジャイ出ました。土曜の練習後に突然言われて。
・ドローだったのですが、その人とは後に格闘技サークルで練習する等、の交流もあり、繋がるもんだと思いました。

・辞めた理由は「マット菌による皮膚病」です。ある日右手にできた水イボから始まって、それがどんどんでききたり、未だかつてない蕁麻疹がでたりで怖くなって。生まれてくる子供の事も考えて、一回キックを完全に諦めました。

・・・そのため実は今でもオーエンジャイの日、2Fでは、そんなにくつろげません(笑)




(回顧6)格闘技サークル時代も短く振り返る。

・MAデビュー戦後の結婚の準備期間と、居合やってた時で、「隙間」を断続的にですが、格闘技サークルの練習に参加していた時期があります。

・まだ実家にいた頃、ネットの呼びかけに応じて「代々木上原格闘倶楽部」というサークルで練習した事が5〜6回あります。

・恐ろしい事に個人宅の地下1階が練習場。練習場も結構広く、豪邸でした。
・プライベートの詳しい事は聞いちゃダメな感じでしたが、主催者はマンガ家だったようです。
・元プロの選手もいて結構レベルが高く、4〜5人でアットホームな雰囲気でやってました。キックと総合の両方でやってて、試合という目的もなく、技術を共有する雰囲気でしたね。楽しかった部分もありますが、「前進感」があまりなかったなあ。


・また、上記オーエンジャイの対戦相手からのお誘いで、新宿スポセンで練習している総合格闘技サークルにも数回練習に行きました。「チームKIBA」だったかな?

・そのチームには、山木ジムの代表選手で90年代のキックのエース・Mナトさんがいて、山木ジム時代は恐れ多くて殆ど話せませんでしたが、組技が互角だったので、そこでは結構普通に練習して話してました。

・今思うと、総合ってほとんどスパーか講義で、寝技の比率、高いよね。
・こっちも「試合」とかの目的がなかったので、「前進感」がなく、しばらく居合に専念してたなあ。


・それでも格闘技モチベ、今よりは高かったような気がします。
  
Posted by zenmaru_h at 08:39Comments(0)TrackBack(0) キック系