潜降思惟

いつか 底が開ける

折り紙と考察と夜の暗さと。

遅くなりましたが、折り紙ブログを。

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元ネタは、ガブリエル・ガルシア=マルケスの小説「大きな翼があるひどく年取った男」から。あまり小説の描写とは一致してないですけど。
老いぼれてしまった天使、ということのようです。
前にも折ったことがありますが、改訂新版ということで。

不切正方形一枚折り、クラフト紙にアクリル絵の具で着色。
構造は前からほとんど変わっていません(ホントは少し違う)けれども、見た目はだいぶ違うのではないか、と。

これで、今年4作目です。わりと良いペース。
画期的なことは、したくてもなかなか出来るものでもありませんが、何か面白いものを見つけたいと、日々もがいております。

元のテーマに戻って、アンティゴネーの父、オイディプス、というつもりで折ってみました。
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主なイメージは、古代ギリシアの悲劇作家ソフォクレスの遺作「コロノスのオイディプス」から、神に呼ばれて死に至る前のオイディプス、という気分。

オイディプスを描いた絵画では赤い衣をまとっているものが多いのと、赤い色が個人的に好きなのとで、ヒラヒラを真っ赤にしてみました。結構、鮮やかで良いような気もします。おそらく、赤は、高貴な色であると同時に、血の色、情熱の色ということで、オイディプスの特性のイメージと重なるということであろうと思われます。少し風で渦巻いている感じを狙ってみました。オイディプスの心情やら情念やらとの共鳴。

少し違う角度の写真もつけておきます。ほとんど違いありませんが。
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不切正方形一枚折り、アクリル絵の具で着色。
少し格好つけ過ぎな感じも無いではないのが、個人的には反省点。

ってなわけで、記事は一週間遅れましたが、雛人形を折ってみました。できたのは3月3日でした。

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十二単は派手過ぎて紙が足りない感じでした。
一般的方針として、あまり装飾的なことはせずに、それなりにそれっぼく、という感じで作りました。
配色は桃の花のイメージで。あまりガチではないですけれども。

当初は、一対というか、お内裏様的なものも折るつもりでしたが、お雛様の髪型をそれっぼくするのに手間取って、間に合いませんでした。

あまり型通りにはできていませんけれども、わりと簡素にもっともらしくできたように、自分では思っています。

不切正方形一枚折り。
色はアクリル絵具。金属色はアクリルガッシュ。
最近は、ガッシュはあまり使わなくなりました。

どうも放置しちゃっててすみません。

だいぶ前にコメントいただいた方、ありがとうございます。なんか、申し訳ないです。

今年は、ブログ書きます。多分。

前に折った「アンティゴネー」を少し改変してみました。
自分としては、だいぶ良くできたと思います。
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この写真、白状しますと、背景が写らないようにするために感度を落として撮ったら、ほとんど真っ暗になってしまいまして、あんまりなので、画像操作で明るくしつつ、コントラストを上げつつ、で調整した加工写真です。ちょっと古色蒼然みたいな色合いになりますね。

全体の場面としては、下の横長で撮った写真の方が、気分は出てる気もします。
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こっちは、画像操作はしていません。

顔がだいぶ普通な感じに作れるようになった気がします。
あと、これ、支えなしに自立しています。わりと安定しているので、個人的には、そこもよかったと思います。

この数年、なんというか文学的な方向から題材を考える傾向が強くなってきましたが、まあ、そういう折り紙もあってもいいのかなと思います。歌舞伎の場面とかを折る折り紙は、かなり古くからあるようなので、必ずしも新機軸ではないですが。

不切正方形一枚折り、白のアクリル絵の具と、金属色のアクリルガッシュ。

丸一年以上放置した感じですが、SNSなるものが全体にどんよりしてきたので、古代的手法のブログやホームページに回帰するのもあり、かもしれないと思います。

長〜〜〜いご無沙汰ですみません。
折り紙はしてます。
最新ではないのですが、タイトル的に弁解っぽい「うたたね」です。
うたたね
もう、季節的には寒過ぎの服装ですが、考えてた頃は、そうでもなかったのですよ。
設定としては、
物乞いのおばさんが柔らかい日差しの中でうとうとしている、という感じ。
もう少し厳しさがあった方が良かったような気もしますが、これはこれで。

いつもの不切正方形一枚折り、色はアクリル絵の具です。最近は、ガッシュでないやつを使うようになりました。

もう少し、頻繁にブログを書きたいところですが、PCが古すぎて、最近は、ネットとかでは使いづらくなってしまいました…

お久しぶりでございます。
観世音1

わかりにくいタイトルだったので、ここで、少し説明します。 
後半のオイダ、むしろオィダって書く方がいい感じですが、古代ギリシャ語です。
原義は「私は見た」ということらしいのですが、普通は「知っている」 という意味になるようです。
今はエイダとなるらしいですが、これは、エイドスとか、要するに、哲学のイデアと同じ語源の言葉です。
観世音3

見るということなので、観音、観世音と、まあ、似たような感じというか、お見通しだ、みたいな感じで、なんとなく関連付けられるのではないでしょうか。まあ、かなり無理はありますが。

観世音というのは、インドではavalokitesvaraで、中国語への意訳なのだそうですが、衆生を救済する慈愛に満ちた菩薩というところから、中国では女神化していたらしいです。悲母観音とかありますからね。さすがに仏教画にハッキリと女性としては描きにくかったのか(ヒンズーでは全然okなのに)、中性的なものが多いですが。昔のイエズス会の報告では、中国の女神だとされてたらしいです。ともかく、観音はいろいろな姿で現れるので、決まった性別とかもない、ということになっているらしいです。
観世音4

オイダとかわけわからないギリシャ語付けた意図をもう少し説明しておきますと、オイディプスとの関連を匂わせておきたかったということです。目から血が出てます。「見た」とか言ってるのに。オイディプス王は、最後に、もう現実を見たくないと言って自分の目を潰します。目が見えなくなったオイディプス(コロノスのオイディプス)の状態と、弱法師、俊徳丸を関連付けたいという話は、前にしました。目が見えないからこそ、現世の仮象に騙されず、真理を見ることができる、とかなんとか。

本当に大切なものは目には見えないんだよ。まあ、それは今は関係ないですけど。

オイディプス王の明示的なストーリーの中では、オイディプスという名前は、腫れた足、という意味で、これがきっかけとなって、実の父であったライオスを殺したのはオイディプス自身であり、妻としていたイオカステーは実の母だったということが判明するわけですが、もう一つ、名前の前半、オイディのところが、オイダと掛かっているという解釈が可能だといわれます。私は見た、知っている、つまり、見えすぎる目。無理に暴かなくてもよかった真実を暴いてしまった過剰な慧眼。

世の中には知らない方が良いこともあるのだ、と預言者のテイレジアースにも諌められ(ただし、聞く耳は持たない)ますし、オイディプスは最後に自分の目を突いています。神話とかでも掛言葉のような関連が知恵となっていた古代ギリシャの、知性の代表ともいえるソフォクレスが、この音の関連に気づいていなかったはずはない、と。

まあ、ともあれ、本当はオイディプスの方よりも、俊徳丸の方のイメージを強くしたかったのですが、なんか、全然入れられませんでした。というか、タイトルで、「見える」ということを巡る主題、ということを匂わせようとしたにとどまって、作品としては全然消化できてない気がします。要は、目を潰した観世音、という感じでよろしくお願いします。血の涙を流すマリア像でもいいかと思ったのですが、聖母マリアが半裸なのは難しいので、マリアといってもマグダラのマリアですかね。甦ったイエスを見た人ですから、これも、「見える」の主題圏。関連なっさすぎぃ。

形状に関して、同じ主題で、もっと掘り下げたものを、いつか作りたいです。いまはこの程度で。

観世音2

90cmクラフト紙の不切正方形一枚折り、アクリル絵の具。

 

間が空いてしまいましたが、折り紙はしてます。
「ためらう天使」
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不切正方形一枚折り、クラフト紙にアクリル絵の具で着色。

本当は、これよりも前に二つありますが、
ひとつは、もう少しキレイに折れそうなので折り直し予定。
もうひとつは、写真がちゃんと撮れなかったので、撮り直し予定です。もう、二ヶ月経っちゃいましたけど。 

この「ためらう天使」は、ツイッターで初めて100イイネ以上をもらえました。
嬉しいんですけど、個人的には、これより前の折り直し予定の「さわらないで」の方がずっと良い出来だと思ってる(17イイネくらい)ので、なんか、アレです。

でも、これも結構キレイにできた気もしますし、題材がわかりやすかったのもよかったと思います。天使というよりハーピーっぽい感じも混ぜようとしました。原始的な精霊的位置の天使という感じにしたかったので。

技術的に特筆すべきところは、ありません。いつものパターンを踏襲しただけです。なんかすみません。

強いて言えば、新型コロナ関係で、絵の具を買いに行くのも面倒になり、通販や、なるべく近所の店にあるものを買って使おうとしているうち、アクリルガッシュから、アクリル絵の具の方に移行したのが、変更点です。折り紙と関係ないですけど。
なんか、同じ会社で同じ色名でもガッシュとアクリルでは色がかなり違うのもあって、ちょっと面倒でしたが、まあ、慣れてきて、だいたい勘所はわかってきました。

ともあれ、写真が撮れた順に、一個ずつ、ここにもあげていこうと思います。

tenebrae

表題:くらやみ/Tenebrae
不切正方形一枚(クラフト紙)
色はアクリルガッシュ

色数を減らす方向でしたが、血がどうしても必要だったので、赤は使いました。
あとは一部の黒を除き、全体は白のみで、部分部分で濃い薄いを違えてみました。

Tenebraeと、何語かよく分からないおまけが表題についていますが、これは、ラテン語らしくて、意味は暗闇。ラテン語の発音は、いわゆるローマ字なので、テネブラェみたいになるはずですが、ほぼテネブレにしか聞こえません。
この語は、ラテン語のキリスト教聖書で、イエスが処刑された後に世界を覆った暗闇、という意味で使われて、そういう特殊宗教的な香りもあったりします。仏教でいえば末法の世ですかね。まあ、宗教が違うのである意味全然違いますけれども。

ただ、キリスト教的な主題で作ったのではなく、Paul Celanという20世紀ドイツ詩人(居住はフランス)の同じ題、Tenebraeという詩(詩集Sprachgitter(言葉格子)所収)から、ということで、こんな題になっています(Celanは今年でちょうど死後50年です。)。この詩は、光景としてはイエスの処刑を示唆するようなところはあって、「主」に呼びかけたりするので、一見、宗教的のようにも見えますが、「主よ祈れ、我らに対して」みたいに神様に祈ることを命令したりして、少なくとも敬虔なキリスト教というのとは全然違う、むしろ、冒涜的な内容ともいえます。

とはいえ、折り紙を考える際には、ただ神や宗教を冒涜するみたいなことではなくて、自分なりの解釈があって、そこから考えていきました。結構、紆余曲折はあったのですが、面倒くさいだけなので、割愛して、結局、今のような形になりました、ということでやめておきたいと思います。まだ、もう少し違うやり方もあった気もあったとは思いますが。
詩の主語は「我々」なのですが、あえて単体にしました。この詩の主体は、複数人の共同体的「我々」という感じでは全然なくて、やっぱり荒野に風が吹きすさぶような孤独な個人であって、ただ我とか私とか具体的誰それみたいな特定性を持たせず、具体的参照を曖昧にするための「我々」、というような気もします。

まあ、気分としてはそんな感じです。

ところで、該当の詩を、アヴァンギャルドに訳してみました。語順まで同じにしたベタの直訳。明らかにぎこちないですけど、Celanのような現代詩って、その国の言葉としてもぎこちないのではないかと思うので、それもありかな、と。ただ、訳語は、もう少し修正の余地もある気もします。大したものでもないので畳みます。



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モダニズム風の志向を表に出すのはやめることにします。
ある種の人たちに人的な敵意を向けられていると誤解されてしまうらしいので。
世知辛い。 

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