ドイツに禅を伝える ~ 中川正壽老師のこと

ドイツ、ミュンヘン郊外、バイエルンの森と緑の大地に囲まれたアイゼンブッフ普門寺。住職の中川正壽老師は30年以上、ヨーロッパで曹洞禅の布教に努めておられます。老師のお話とエッセイや折々の便りをご紹介いたします。

普門寺だより  202352

 

自分の事務机から見える20近くの白い水仙が風に揺れています。

そこは元桜の木があったのですが、不可解な虫にやられ、残念ながら

昨年切り倒したところです。

いかがお過ごしですか。

昨日は16人参加のサンガの日のコースが終わりました。少しご紹介

します。午前午後目いっぱいのプログラムでした。特にサンガメンバ

ーのための供養塔での誦経。私の3・11東日本震災に関わる霊的事

象の数々の紹介。今回3人による「本音で語る」これまでの人生と普

門寺・私との出会い、などです。私は夜の坐禅も含め全部参加し、ま

たそれぞれを引っ張ってゆく役でもありました。

そしてこれらすべては私の八日間断食の後半4日間と重なっていて、

つまり何も食べずにすべてをこなしたわけです。特に寝ようとベッド

に入ってから、どんどん頭が冴えてきて、毎晩1時ぐらいにやっと眠

りにつきます。それで朝だけは皆より遅く2回目の坐禅からとしてい

ました。

さすがに7日目、8日目は大変でした。しかし私が休んではせっかく

の語り合いの質が落ちてしまいます。話してくれた皆の話しは心奥深

くに届くもので、その人と偏見なく心から語り合える友になったよう

です。

最後にまとめとして、私はこの心のトークこそが私と一緒に普門寺の

将来を開いてゆくものだと語りました。実際私はそう信じています。

セミナーハウスを経営しているのではない、人間として心から憩える

場、そして人間として成長し合える場、それが普門寺の根本方針であ

り使命であると皆に強調しました。

このことについては仏教には素晴らしい専門語がたくさんありますが、

その専門語だけを語っても皆には通じないでしょう。お袈裟と絡子を

縫いあげた会員が増えてきました。そこには私のへたくそな字で菩薩

の誓願が書かれまた彼らに与えた法名が書かれています。私は、僧と

してはこれからいろいろなことを身に付けるという時に日本を離れま

したので、そしてその後学ぶ機会もなくずっと一人でしたので、全く

不十分ですが、それでも一番大事な志と菩薩の誓願の心を忘れずに、

もう76歳になりますが、これからもみんなと一緒に頑張ってゆきた

いと思います。

 

2023年普門寺での一駒をご報告いたしました。

国際的にも日常的にも大変な日々ですが、何はともあれご自愛いただ

き、ご清祥にお過ごしいただけますように心からお祈り申しあげます。

                              合掌

2023年5月2日                 

 

                            正壽九拝

 180

老いらくの恋

 

老いらくの恋というが、確かに高齢になっても恋を体験することがある。

高齢である故、いろんな社会的制約やそれなりに分別があるのだが、恋

であるからにはそれらを越えて発展してゆくものだ。またよく言われる

ように、その先の人生が長くはない今、自然なこの心の思いを隠してな

んの意味があるのかということでもある。

 さて恋が自然だとして、その自然な感情思いをどう生きるかというと

ころを深く探るべきであろう。自然な感情思いだからと肯定して、それ

に従ってよいのか、それともそれを押し殺して社会倫理に従うことをよ

しとすべきなのか。

 この問いの立て方自体を自分は肯わない。そこではいかなる感情思い

であっても、人間の本質である霊性からどう生きるかが考えられていな

いからだ。霊性においてはじめて倫理と個人の感情思いとの軋轢を超克

してゆく道がある。よって霊性精進に努めて、自らの問題に対処すべき

である。

 男女の交わりに性交、情交、心交、霊交の4段階があるとみる。実際

はこの4っつが複雑に交わり合って流動しているのだが、しかしベクト

ルのあり方を見て、ひとえに霊性へと目指し、そのベクトルにより他を

包摂して、さらにより強い太い霊性のベクトルを培ってゆくべきである。

これが人間として生きるということであり、いまの課題は恋の思いであ

る。

 かの一休和尚や良寛和尚も間違いなく老いらくの恋を生きたのだ。そ

れがなぜ万人の非難の対象とはならず、却って羨望の対象ともなるのは、

二人にあっては明確に、個人的には全く異なったあり方生き様をしたが、

何はともあれ霊性の生活を、つまり僧としての本分を貫いたからである。

良寛和尚には貞心尼の『蓮の花』があって明確だが、一休和尚には『狂

雲集』があって、その文字での字義通りの生活であったかどうかいつも

議論されている。一休和尚の貫徹されている霊性の生活から見れば、あ

の集は大いなる文学上の空想であるが、しかし裏打ちされた実際の感情

を盛り込んだものであろう。これは僧として学人を鍛えかつ盲目の美人

を侍者として傍に置くということができる境涯になければ、『狂雲集』

の真意には永遠に届かないであろう。

 

 よって自分は自分なりの「蓮の花」と「狂雲集」の現代版を編み出し

たい。老いらくの恋で何が悪い、何を嫌悪する。生きるべきは第一にそ

していつも霊性の道に精進して、そこに一切が纏められて、慈悲と智慧

の道に一層精進すべきである。

 老いらくの恋も何の恋も、四無量心と菩提薩多四摂法の貫徹以外に、

その恋の成就はない。性交しようとしまいと、結婚出来ようと出来まい

と、家庭を持とうと持たないとなどということは、時節因縁の曼陀羅世

界の一隅の在り方に過ぎない。曼荼羅は宇宙であり、宇宙に生かされ、

宇宙であるのが我々である。宇宙は時節因縁の大展開である。

 恋を尽くして仏道を尽くす。これが自分のこれまでの人生であったし、

また今とこれからの人生もこの通りである。

 *大聖の一休良寛晩年に女人恵まれ至福を得たり

 *大聖はするに及ばず朝夕にあふるる情け霊に交らふ

 *一休や良寛思へ女人(よきひと)とよき交らひはみ霊の通ひ

                                 

                      2023年春の日


IMG_4031

⁂ 2023年令和5年元旦の歌

寿ぎぬ君に息ありわれも生く冬の芝生もいのちなりけり

 

⁂2022年令和4年の初春の歌

*佛の府(や)大悲の御山(みやま)我が祈り 捨身願行 君に幸あれ

*君のいまいのち安かれ み佛の光は絶えじ 生死を越えて

*世にありて力尽くして打ち建てん やさし美(うるは)し尊きものを

 

⁂ 2022年令和4年大つごもりの日に

*もろびとのよすがなるべきこの山寺(やま)に 地蔵観音 佛と集ふ

*この世にて君にあふこと恵まれて ひと日ひと時 光輝く

*あふことはひと日ひと時ひと歳に 光り輝くそのひと時は

*君にいままことの思ひ捧げんか つぎにあふことはかなくあれば

*コロナ去り歳のおはりに迫りくる思ひはねのけ冬の陽あふぐ
*太陽は銀河の中にちっぽけに さらにちっぽけヒト何をなす

*銀河にて地球ちっぽけ その中で迷ひ重ねてヒト何をなす

*ひとときは無限の光 君とわれ 宇宙の中にまたたく今は

*宇宙こそ燃える安らぎ 三千大千世界(みちおほち)ヒト目覚めよや今に安らげ

*やすらぎは今に目覚めて満ち足りて 生死に迷はず 生死にまかす

*おごそかに佇む君のいのちかな いまあるいのち 明日はわからず

*われらみないまのいのちを尽くして生くる 忝くもいまここにあり

*われらみな華厳にありて事々無碍に尊きいのちつなぎつながる

*うるはしき君の目元と口元はともに空なりされど美し
*うるはしききみのかんばせそのままに 色即是空とうつろひやまず

*うるはしき君に尋ねん 君誰と 空即是色と無言の答へ

*うるはしき君を慕ふもわれも消ゆ 思ひはかなし青空に消ゆ

*嘆くことそのいはれなし 今の世に息あり水あり生かされてあり

*手は動き耳は聞こえて 摩訶不思議 わがいのちたることのなければ

*ふるさとはいま生きてあるこのいのち 水あり息あり 星と山河と 

 

 

 

 

 IMG_2755

このページのトップヘ