*****

/////

お正月ドラマ「今年も見せます!鶴は千年、亀は万年」の事。(1991)

年末になるとお正月に放送されるドラマやバラエティの撮影はどんどん進められていると思う。

「今年も見せます!鶴は千年、亀は万年」は1991年1月3日に放送された2時間半のドラマ。撮影は11月25日に始まった・・・
まあ、お正月らしい華やかなドラマ・・・だったのか。

主演は沢口靖子さん、気ごころが知れたと言うほど仲良い訳ではないけど、「さよなら李香蘭」というドラマで長く一緒だったので、すごくやり易かったのが、このドラマの唯一の救いで、かなり大変で胃が痛くなるような日々の連続だった、監督と合わない、という経験は初めてではないけど、本当に辛かった。

山岡久乃さんという女優さん、僕が子供の頃、良く見ていたホームドラマに出演されていて、打ち合わせとかでお話するたびに、子供の頃見た「ありがとう」なんかが思い出されて幸せな気分。声を聴いているだけでシアワセな感じ。

しかし、ドラマとしては、残念ながら面白いとは言い難い出来でした。

            *****************

保存してあった様々な資料を添付していきます、2時間半ドラマのおおまかな作り方が判ると思います。

まず、あまり見る事の無い納品基準の用紙、製作会社によって完成されたドラマは放送される日本テレビにこういう形で納品されました。

僕は日本テレビに納品をした事はありませんが、TBSも同じで、放送用と、バックアップ用の2本のテープは、必ず1本づつ編集所からタクシーで放送局まで運びました、もしテープに何かあれば、金銭的な損害だけでなく、放送に穴が空くとか、まあ取り返しのつかない状態になるので。

まず下は総合スケジュールです、この作品を何日で撮る、と決めるのはプロデューサー、監督。助監督は実務として、その期間で撮り終るスケジュールを組み立てます、でも、どうしても撮りきれないとかがあれば、日にちを伸ばすか、シーンをカットする提案とか、ロケをやめてセットにするとか、この俳優は忙しいから、もっと売れて無い俳優でいいんじゃないか・・・等々、様々な方法があります。

予算とスケジュールは密接で、この俳優でなかったら・・・とか、もう一日あれば・・・とか、悩みながら組み立てます。




以上は撮影前に組み立てられる総合スケジュールと呼ばれるものです。



撮影前にすべてのカット割りを決めている監督は始めてだった、決定稿と言われる台本の先に、すべてのシーンのカット割りが印刷されたコンテ台本が配られたのは初めてだった。









シナリオがあがって、総合スケジュールが決まる頃にはセットの図面も出来てくる、この図面を見ながらリハーサルなどを進めます。


そして下は毎日配られる一日毎のスケジュール。





どんなドラマもそうですが、エキストラも多くなるとちゃんと人数を決めて準備しておかないと、衣裳の必要があったり、弁当の必要があったり、すべて予算に関わってくるので、これもタイヘンです。




結婚式の場面などあったので祝詞なんかも・・・









ドラマランキングへ
 

「四万十川」という映画の事(1991)

なんでもない映画の事、恩地日出夫監督「四万十川」。

もうこの映画が公開されてから23年たってしまった。(2014年現在)

悪い映画ではない、でも、すごく評価された訳でもない、この年のキネマ旬報の10位になっている、1位から9位までの作品を見ると、個人的にはもう少し上に行っても良い作品だと思う。

でも、まあ、そう言う事だ。恩地監督にしては、おとなしい作品だったと思う。

僕にとって、恩地作品は2度目の助監督だった、最初はテレビドラマで、セゾンスペシャルという枠の2時間ドラマ「インタビュアー冴子」という、桃井かおり主演の作品。

放送は1986年、2時間ドラマにしては大がかりで、かなり大変な撮影だった。

そして「四万十川」につながる。「インタビュアー冴子」ではサード助監督だったが、セカンド助監督に成長していた。

恩地監督は、もの静かでは有るけど、怒らない訳ではない、しかし、感情にまかせて怒鳴るような怒り方ではなく、{困った奴だ!!}的な感じだ。

最初の準備スケジュールから、記憶をたどると、製作会社に呼ばれたのは5月の終り頃か、6月の頭ぐらいだろう、どういう経由で助監督の仕事が来たのかの記憶はないけど、少なくとも恩地さんが僕を覚えていて、また仕事をしてもいいと思ってくれた事がうれしかった。

正直「インタビュアー冴子」では、かなり、ムリに頑張った、狭いロケセットなど、スタッフの人数が制限されるような場所では、サード助監督の僕だけが現場に残され、主演の桃井さんに怒られたりしながら、チーフがやるような現場の進行をやっていた。

まあ、そんな感じでの「四万十川」だったので、がんばらない訳にはいかない。

それに、今回は映画だ、やはり、テレビより映画の方が、後々まで残るという意味で、ちょっとチカラが入る感じがある。


主演は樋口加南子さん、小林薫さん、五人の兄弟で、決まっていたのは山田哲平だけで、あとの子役はオーデションで決められた。

下の写真は衣裳合わせで勢ぞろいした兄弟と樋口さん。

東宝スタジオの適当な所で撮影。この写真以外にも、恩地監督の指示で、兄弟のバランスを見るため、何人かのオーディションで残った子でも、こんな家族写真を撮影した。

長女の高橋かおりは、当時も有名だったが、僕はもう少し田舎っぽい、最終オーディションまで残っていた子の方がイイと思っていたが、お母さんが樋口さんであるなら、あまり田舎っぽ過ぎるのもダメかなと、今になって思う。

東宝出身の監督とは、あまり仕事をした事が無く、東宝のスタジオも初めてで、衣裳合わせなどで、東宝スタジオに入るたびに、ちょっとした、緊張が走った、僕の中で、東宝はちょっと場違いな感じがあった。

↑ まだ昭和が感じられる東宝衣裳部屋前の廊下、ここで、色々な作品の衣裳合わせが行われていたと思うだけで、心が躍る感じ。

約、1ヵ月の撮影スケジュールが組まれた、映画はここまで決まれば、そのスケジュールでやるしかない、それでもかなりゆるいスケジュールだったと思う、時間をかければイイ映画が出来る訳でもないし・・?

(衣裳合わせが始まる)

衣裳合わせの芹明香さん、左下は安藤庄平カメラマン

石橋蓮司さんの下のお二人は恩地日出夫監督と、照明の佐藤幸次郎さん

映画の舞台は昭和34年あたりなので、当時の、あの地域の風俗、生活の品々など、美術部さんを中心に、まとめられた。

下の2枚のポラロイド写真は川沿いに建てられたロケセット

店の裏側の写真です。

下は5人兄弟、写真右に写る、川に沿った柵は、何処にでもある白いガードレールをはずして、杉皮を巻いて作ったものです。(勿論、許可を取ってます)

上の写真と同じ道、本当は、舗装され、ちゃんとしたガードレールがありました、昭和30年代を作るのも大変。

          *************************

ここから下の写真はツナガリ、を記録するために撮ったもの。


撮影中の出来事。こんな事もありました。

さて、いよいよ、スケジュール。まあ、これだけ見ても面白くないけど、撮影はこんな感じで進みました。


映画は閉館された{シネマスクエアとうきゅう}で公開された。

 

「新・同棲時代」なんでもない映画の事(1991)


この映画は1991年9月14日に公開された。
柴門ふみさん原作の同名コミックの映画化で、1970年代に流行った「同棲時代」に対しての、「新」であり、1973年に公開された山根成之監督の「新・同棲時代 愛のくらし」とは、何の関係もない。

スケジュール表を見ると、最初の打ち合わせは3月11日に始まって、撮影開始は4月10日、撮影終了は5月10日、編集などを含めたダビング終了が6月13日。

かなりキッチリ、準備に1ヵ月、撮影1ヵ月、仕上げ1ヵ月のスケジュールで、低予算のワリにはそこそこ時間をかけた作品だと思う。

もし、この作品をDVDなど見る機会があれば、この97分の映画に3ヶ月かかったのだと、そして、それは、あの時代、ごく、普通の事だと思って下さい。

撮影に入る前、上のような、ザックリしたスケジュールがまず作られる、このスケジュールに合わせて、キャスティングやスタッフ編成などが決められていくのだ。

そして、ある程度まとまって来ると、もう少し細かい撮影スケジュールが組まれる。


色々と変更はあるけど、このような総合スケジュールに従って、各パートが準備する。美術さんには小道具の準備だったり、録音部さんには、ここではワイヤレスマイクが必要だとか・・・、助監督にとっては、それぞれの準備にモレは無いかの確認に、このような総合スケジュールはかかせない。

ちなみに僕はセカンド助監督だったので、衣裳やエキストラなどを担当していた。

そして、撮影が始まると、一日毎のスケジュールが配られる。



4月13日、撮影ナシ(準備日)



4月20日撮影休み。







4月26日 撮影休み




5月1日 撮影休み 撮影休日があるのは、当然、雨とか、なんらかの事情で撮影出来なかった時の予備日になるので、本当に休みになるのはマレだし、当然助監督は休めず、準備、確認の日になる。










照明の面倒なナイトシーンでは、カメラマンからあらかじめ撮影アングルの指示など出されていた。


今回の撮影ではカメラマンが先だって絵コンテを作っていて、僕はそれを台本に貼り込んで、段取りを先に考えていた、もちろん、コンテどうりに撮ることがすべてでは無いけど、これがあると、かなりラクである。

以下台本の一部。


以下、キャステイング表

この映画は3話からなるオムニバス映画で、すごくイイ映画とは言えない出来であり、その責任は助監督である僕の責任も、少し感じる部分がある。

オムニバス映画は難しいと思う。






ドラマランキングへ
ギャラリー
  • 2時間ドラマ。「映画三国志・映画に夢を賭ける男たち」の事。(1990)
アーカイブ
  • ライブドアブログ