2010年05月05日

まり子さん

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■まり子さん  元住吉からvol.38

4月とは思えないほどの花冷えの中、みぞれのような冷たい雨が降る。
それでもキッドの入り口には開場を待つ人達が集まっていて、
楽屋という場所がどうも嫌いなボクは、
開演前だというのにお客さんや友人と談笑したり、
赤ワインをチビチビ飲んでは出番を待っている。

そんなとき、一人のお客さんが近寄って「アライです」と名乗り、
ボクらは固く握手をする。
「はじめまして、ですよね?」と彼女が勘違いするほど、
それは久しぶりの再会だった。
確かに、塀の外で手を握るのは初めてのことだし、
ボクの演奏を聴きにくるのも、もちろん初めてのことだった。

まだ、音楽やコンサートという形式に偉そうな権威を感じ、
そうしたものから離れたところで、自分自身の表現を模索していた若い頃、
ボクは、タイコ一つ抱えてさまざまな現場へ足を運んでいた。

それは、自分の通っていた大学の卒業式の行われる日本武道館だったり、
原子力空母ミッドウェイが入港する横須賀の町だったり、
「安保をつぶせ」というデモだったり、
砒素鉱毒の土呂久の被害者を支援する座り込みだったり、
花見客の集まる井の頭公園だったりして、
そこでボクは、いろんな人達と出会い、
地の底から湧き上がってくるような音を感じていた。

その頃、よく文通をしていたのがまり子さんで、
小菅に面会に行き、アイヌのムックリの音や、
ほっぺたを叩く芸を披露したこともあるのだけれど、
こんな風に、まるで同窓会かなんかのように、
「お久しぶりです」などと言って会える日がくるとは、
あの頃はとても想像できなかった。

大学時代に間章というジャズ評論家/思想家の文章と出会い、
即興演奏家への道なき道を歩み進めたボクは、
蕎麦屋のアルバイトで暮らしながら、
オールナイトで音を出して町を歩くイベント「百鬼夜行」や、
芸術なんかクソくらえといったイベント「見世物小屋」を企画していた。

一人暮らしをしていた吉祥寺のアパートが火事で焼けた82年の夏、
友人に預けていて手元に残ったタイコと、
自主制作の「風を歩く」というLPを抱えて、ボクは放浪の旅にでた。

地方のジャズ喫茶や、ライヴスペースのオーガナイザーには、
全共闘世代や、ボクより少し上のフリージャズ世代の人達も多く、
原発の反対運動や、自然食、フェミニズムなど、
この社会のあり様を自分達の目線で捉え返していこう、
草の根のつながりというものを大切にしていこうと、
それぞれの拠点で活動していた。
それはこの国に芽生えた、オルタナティブで新しい文化だった。

70年代に連続企業爆破を起こし、
その頃に控訴審が行われていた「東アジア反日武装戦線」の被告の中に、
荒井まり子さんという女性がいて、
死刑や無期を争っていた実行部隊の面々とは違った立場にいながら、
その持ち前の明るさと、純朴とも言えるような「やさしさ」や、
共生といったものに裏打ちされたしなやかな世界観を持って、
彼らとともに裁判を続け、支援する人達とつながっていることを知った。

反日という視点は、
この国の歴史や、この国のあり方を、
虐げられた人達の目線で捉え返す試みと理解したボクは、
まり子さんと文通を始めた。

今から考えれば、爆弾事件の当事者ではなく、
グループの一員にすぎなかったまり子さんは、
おそらく予防検束的に逮捕されたということなのだろう。

それなら彼女の裁判は、
爆弾闘争を実行した人達とは切り離した形にして、
冤罪と無実を主張し、一日でも早い釈放と結審を求め、
彼女の一日でも早い社会復帰を何よりも優先することもできたはずなのだ。

ところが彼女は、そうした現実的な選択を、
小市民的な、権力への妥協と押しのけて、
「東アジア反日武装戦線」の仲間達と共にあることを望み、
自ら、獄中闘争といったものへと突き進んでいった。

「こんな本が出たんです。」
キッドで、今は福祉関係の仕事をしているというまり子さんから、
最近復刊された「子ねこチビンケと、地しばりの花」という本を頂戴した。

最高裁での判決のせまった86年に、径書房から出版されたその本は、
自筆のイラストとともに、
獄外にいる連れ合いの「彰さん」へ語りかける自分史といったものだ。
童話のようにほのぼのとした幼少時代の思い出。
東京の大学で出会った、武装闘争を志向する友人達。
非合法活動を続けることへの挫折と、帰省。
逮捕直後、共に活動した姉なほ子さんの自死。そして、11年の獄中生活。

自主制作LP「円盤」のジャケットのイラストを、
まり子さんに描いてもらった83年から、86年にかけて、
ボクは、仲間達とともにさまざまなイベントを企画していった。

和光大学での「反日アンデパンダン」、
国分寺の本多公民館での「支援連支援バザー」、
吉祥寺バウスシアターでの「吉祥寺作戦」とデモ行進、
江東区民文化センターでの「反日キャバレー」。
阿佐ヶ谷地域区民センターでの「いざっ!かまくら」。

実行委員会のミーティングに
さまざまな仲間を呼び込んで行われたこれらのイベントは、
上から目線の「集会」ではなく、多くの出会いを作っていった。

「実は、古川のご自宅に伺ったこともあるんですよ。」
まり子さんに、仙台での集まりでタイコを叩いたときの話をする。
「ここで休んでくださいね。」と通された部屋は、
壁に旅行記念のペナントが貼ってあるような小奇麗な部屋で、
ふとカレンダーを見ると1975年となっている。

おそらく、まり子さんが使っていたその部屋では、
彼女が逮捕されてからの時間が止まっていた。

ひとつの再会が、新たな時間を刻み始めることを、
ボクは何度も経験している。
その夜のキッドでの演奏は、
音楽を演奏できる喜びと、地の底から湧き上がるような音に満ち満ちていた。