念仏宗など日本に存在する宗教法人を紹介します!

一番身近な宗教を思い浮かべると、私の場合は「仏教」です。仏教一つとっても宗派が数多くあり、古くからあるものや、新しい宗教まで様々です。ここでは色々ある宗教法人について紹介していければと思います。

仏教が日本に伝わってきたのは平安時代ですが元々の仏教が全て引き継がれているのでは無く、時代や教えによって少しずつ変わっていきました。釈迦の教えを解釈して人に勧めていく内に浄土系・禅系・法華系といった様々なジャンルに分かれていったのです。特に浄土系は浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗と様々な宗派がありますが、念仏を唱える事が修行になり且つ成仏出来るという考えです。ここでは浄土系の宗派にスポットを当てています。


浄土真宗とは

浄土真宗は、鎌倉時代に出来た浄土系の一派であり、人が多くを求めなくても仏が救ってくれたり、極楽浄土に導いてくれたりすると説いています。極楽浄土へ行く為に仏を信じ、念仏を唱えていきます。ちなみに浄土真宗は日本の仏教の中でもポピュラーで、信仰者の半分近くが浄土真宗と言われています。念仏宗に関しては浄土系に属していますが、華厳宗の特徴も含んでいるので教えが異なります。前者が仏に教えや救いと求める事に重きを置いていますが、念仏宗は人との繋がりを重視している違いもあります。人に感謝する事から始まり、その感謝の気持ちを念仏にのせる事で自分だけでは無く、誰かの為になると説いています。仏が救うというよりも全ての物事の中心であり、観測者という位置づけになります。どちらの宗派もグループは同じですが、教えは大きく違いますし、そこが仏教を面白いと思うポイントでもあります。


浄土真宗の教え

浄土真宗の開祖は親鸞という人物で、念仏を唱える事で仏が救済してくれると説いています。親鸞はこれまでタブーとされてきた僧侶の肉食妻帯が認められた時に、真っ先に実行した人物でもあります。当時は肉を食べるのは不浄であり、女性との交流も禁じられていました。しかし親鸞はあえて自らが実行する事で多くの人から目を向けてもらえると考えていました。その革新的な考え方を非難する僧侶もいましたが、今日に至るまで多くの方から信仰されているのも事実です。大無量寿経・阿弥陀経・観無量寿経を経典としていて、他力本願を目指していますので般若心経の様に自力で成仏を促すお経はNGです。他にもお線香をたかない、位牌を使わない教えを設けています。仏教のメインでもある「お経を唱えて成仏を促す」というルールが無いので、葬儀の際にはお経を唱えません。ちなみに浄土真宗は本願寺派・大谷派に分かれていて、本山が違います。


浄土真宗の慣習

「末期の水」と言う言葉を知っていますか?由来は釈迦が入滅を迎える際に喉が渇いたと伝え、弟子が持ってきた水を飲んだ後に入滅された事が由来になっています。息を引き取った故人の口元を水で潤す事で、安らかに旅立てると考えられています。しかし浄土真宗では末期の水を行いません。理由は浄土真宗の慣習、教えにあります。そもそも浄土真宗では浄土へ行くという概念が無く、旅立ちの儀式などもありません。念仏宗と同じく念仏を通じて救われると考えていますが、自力での成仏や救いではなく、あくまでも仏が救ってくれる「他力本願」が深く根付いているので、他の宗派に比べると多くのタブーや慣習があります。しかしそれらを守り、念仏を唱えていけば救われるといわれています。


まとめ

仏教を信仰する日本人の9割が浄土真宗に属しています。この宗派は念仏宗と同じカテゴリである浄土系で、念仏を唱えるのは誰かを救ったり、成仏させたりするのでは無く自分の為に唱えるのが特徴です。念仏を唱える事で仏が救ってくれる他力本願が教えになっていて、他の宗派に比べると多くのタブーや慣習があります。ほとんどの仏教で行われる末期の水をやらず、息を引き取った後に浄土へ行くという概念が無いのもこの宗派のポイントです。

仏教はインドで始まり、タイやスリランカ・カンボジア、そして日本にも広まりました。そこから少しずつ形を変えていき、仏教をベースに様々な宗派が出来、その一つが念仏宗となりました。念仏宗は釈迦の教えを学び、多くの人に感謝する事で徳を積み、涅槃に近づくのが目的の宗派です。この宗派は国内だけでは無くアジア圏にも多くの信仰者がいます。今回は特に信仰する方の多いカンボジアにスポットを当てて紹介しています。国の成り立ちから仏教徒の関係性までご紹介いたします。


カンボジアってどんな国?

カンボジアは西にタイ、北にラオス、東にベトナムがある国で、人口は1500万人程度です。国の広さに対して人口が少なく、特に30~40代が極端に少ないです。その原因は数十年前に大虐殺が起こったからです。300万人以上が亡くなり、美しい世界遺産なども破壊されました。そんな負の遺産を抱えるカンボジアですが、国民は親日家が多く、目が合うとにっこり微笑んでくれます。仏教徒が多くとても温和な性格ですが、身なりや学歴をコンプレックスに思っている方もいますので来訪する際は注意して下さい。ソンペアといって合掌をする挨拶が一般的で、こちらがソンペアを行うととても喜ばれます。クメールルージュや内乱、政治の話だったり、中には反タイ・反ベトナム感情を持っていたりするので、これらの話題はタブーです。とは言っても人として当たり前の感謝や振る舞いをしていれば問題はありません。


カンボジアの主な宗教

仏教といえばインドが発祥の地ですが、カンボジアもとても仏教に熱心な国です。国民の9割が仏教徒で国王はカンボジア仏教の頂点と考えられています。その為、生活の至るところで仏教が根付いていて、日本人からすると不思議な光景に見えるかも知れません。ちなみにカンボジア仏教は本家と異なり、ヒンドゥー教と混じっている点があります。その為、寺院にはヒンドゥー教の神様が設置されている事もあります。パタゴと呼ばれる鮮やかな色彩をした建物は仏塔を意味していて、釈迦の遺骨や代替品を安置しています。オレンジ色の袈裟をまとっている僧侶は厳しい修行だけでは無く、不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒といって厳しい戒律を守っています。他人に頭を触られる事や女性が僧侶に触る事も禁止されています。


念仏宗とカンボジアの関係

仏教に熱心であり、国民性も温かいカンボジアは仏教の宗派の一つである念仏宗を信仰している方が多いです。王室とも深い縁があり、皇太后陛下と謁見し、仏教興隆を語り合った事もあります。要人の国葬や国をあげての祝賀など、お互いの国を行き来して行事が行われています。また近年ではカンボジア国営放送で、念仏宗一行との謁見が公開された事もあり、多くの方に認知されています。ある時、総本山で本堂に向かってカマキリが合掌していた事が話題になりましたが、それを同時期にカンボジアでも2匹のカマキリが合掌していたと皇太后陛下が仰り、偶然とは言いがたい関係を感じさせてくれます。念仏宗の総本山である兵庫県加東市には、カンボジアから友好の証として大きな釈迦像が進呈された事もありました。今後もお互いの国を行き来して、仏教を通じて平和を願う様です。


まとめ

日本から飛行機で約10時間の距離であるカンボジアは人口1500万人で、温和で陽気な方の多い国です。カンボジア仏教と言う独自の宗教が発展していて、とても厳しい修行や戒律を守りながら日々を暮らしています。親日家が多くタブーを破らなければ良い関係を築きやすく、仏教の宗派の一つである念仏宗と深い関係を持っています。要人の国葬や皇太后陛下との謁見、友好の証として釈迦像を進呈されるなど、国を挙げてとても良い関係を築いています。

「不思議だね」「今日はお彼岸だよ」「利益があがらないなあ」これらの言葉は、皆さんも日常の中で何も思わずに使いますよね。実はこの三つ、「不思議」「彼岸」「利益」は元々仏教の言葉だったのです。「彼岸」はなんとなく墓参りの時に使うから仏教かも、と考えられますが、「不思議」や「利益」はそれこそとても「不思議」な語源ではないでしょうか。ここでは、これらの用語について分かりやすく皆さんに解説をしていきます。


不思議

まず、「不思議」について確認をしていきましょう。意味は言葉で表現できないようなことや、転じて数の単位のひとつでもあります。ここでは、数の単位については考慮しないことにします。「不思議」は実は言葉が略された形で、本来ならば「不可思議」というように使われていました。元々仏教の中で、仏様の道理を見極める能力や、持っている力を想像すること、口で言い表すことは不可能であるということが「不可思議」ということでした。「不可思議」は漢語ですので、一種の漢文と見なしてレ点を打って読んでみると、「思議すべからず」となります。思議を思うこと、議することとして、すべからずはできないという意味になりますので、やはり思い至ることができない境地ということを指しています。今では理解できないこと全般を「不思議」と略す用語になりました。


彼岸

お彼岸は、春分と秋分の前後七日間を指します。仏教ではこの頃に、ご先祖様の弔いをしますので、お墓参りやご自宅にお坊さんがいらっしゃるお宅が多いのではないでしょうか。ではこの「彼岸」、いったいどんな意味か理解していますか?「彼岸」とはサンスクリット語が語源です。人間は悟りを得るために様々なことに迷い苦しみます。「彼岸」の「彼」というのは、向こう側という意味を指しますので、その道の途中にある煩悩などを超えていくことを「彼岸」としています。「暑さも寒さも彼岸まで」ということわざを耳にしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。これは、お彼岸が秋分と秋分の前後七日間執り行われることから、夏の暑さや冬の寒さは彼岸の頃までにおさまってくるということを指しています。季節を表す用語としても今でも利用されています。


利益

「神様からのご利益がありますように」と困ったときは祈りますよね。現在では、利益とは自分に何か良いことが起きたりすることを指しますが、実はこれも元々は仏教の中で使われていた言葉が身近なものとなった例の一つなのです。利益とは、神仏からの恵みのことや、仏教を信じることで他人に良いことが起きることを利益(りやく)といいます。これに対して、自分に良いことが起こる場合は功徳(くどく)といい、使い分けが行われていました。今では功徳とはあまり使われていませんが、利益はしっかりと残っています。皆さんが「利益」という言葉を使う場面は、何かに祈ったりするときが一番多いのではないでしょうか。祈るときは、多くは神仏にお祈りをしますから、特定の場で用いられる言葉でありながらも、身近に寄り添っている仏教が語源の言葉の一つと言えるでしょう。


まとめ

ここまで、元々は仏教による用語であった「不思議」「彼岸」「利益」について説明してきました。「彼岸」はお墓参りなど、神仏との関連があるために語源を知っている方もいらっしゃったかもしれませんが、「不思議」や「利益」が仏教由来だと知らなかった方もいるのではないでしょうか。ふとしたときにこれらの言葉の語源に思いをはせながら、使ってみてくださいね。誰かがこれらの言葉を言ったときには、あなたのうんちくを教えてあげてください。

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