仏教には輪廻転生という死生観があります。最終的には悟りを開き涅槃に入ることを信仰の目的としていて、僧侶たちはお釈迦様の教えを実践します。上座仏教においては修行僧はお釈迦さまの教えを実践するのみなので、自ら悟りを開いたお釈迦さまと同じ仏陀となることはできません。そのため「尊敬に値する者」という意味のある阿羅漢になることを目的に修行を行いますが、それはどのような状態を指すのでしょうか。念仏宗における羅漢について紹介していきます。


阿羅漢とは?

仏教の教えには、すべての生き物は死後に生まれ変わり、輪廻転生を繰り返していくという死生観があります。仏教では修行によって輪廻転生のループから脱し、涅槃に入ることを最終的な目的としています。そして、この悟りを開き涅槃に入った状態の聖者のことを阿羅漢と呼び、羅漢と略されることもあります。涅槃に入ることは、すべての苦しみや迷いから解放されることを意味しています。 スリランカなどで信仰される上座部仏教では、阿羅漢は修行によって到達できる最高の地位で、修行僧たちはそこに到達するために厳しい修行を行います。日本で多く信仰されている大乗仏教が仏陀となることを目指しているのに対し、上座部仏教では仏陀になることができるのはお釈迦様のみとされています。


阿羅漢の例

羅漢とは修行を積んだ結果、煩悩を捨て去り涅槃に入ることのできた最高位の僧侶たちです。寺院などには、その像があるところも多くありますが、その種類はいくつかに分けられます。ではどんな種類があるのか見ていきましょう。まず紹介するのは十六羅漢。こちらはお釈迦様の教えを直に受けた弟子たちであり、お釈迦様の死後、衆生たちを正しい道へ導くようにとの遺言を受けた16人の僧侶をさしています。 ここにさらに別の2人を加え、十八羅漢とする例もあります。続いて紹介する五百羅漢はお釈迦様の入滅後、初めての仏典編纂のために集まったとされる仏弟子です。いずれにも世に仏教を伝える役割があります。日本や中国ではお釈迦さまだけでなく、五百羅漢に対する信仰も起こり、その画幅などで有名な寺院もあります。


念仏宗における羅漢

日本で信仰される大乗仏教は、悟りを開き仏陀となることを目的としています。一方、スリランカなどで信仰される上座部仏教では仏陀となれるのは自ら悟りの境地に達したお釈迦様だけとされます。同じ仏教でも上座部仏教と大乗仏教では目指すところが異なります。念仏宗は仏教徒をはじめ、全ての人の幸せを願っています。 そのため宗派の垣根を超えて全世界の約5億2千万人もの仏教徒の心の拠り所となる佛教之王堂を建立しました。そして念仏宗の無量壽寺には五百羅漢公園があります。在りし日のお釈迦さまの姿に思いを馳せたり、物憂げな表情でお釈迦さまの教えを実践したり、また楽器を奏でたりと、お釈迦さまの入滅後に駆け付けた当時の500人の仏弟子たちの様子を彷彿とさせます。


まとめ

日本で信仰される仏教では、仏陀となることを目指します。悟りの境地に至り、すべての迷いや煩悩から解放された状態でお釈迦さまと同じ境地に至ります。一方で上座部仏教では、いくら修行を積んでも自ら悟りに至ったのではないため阿羅漢が修行によって到達できる最高位とされます。念仏宗の総宝山には、ほぼ等身大の羅漢を500体も配置した公園があることからもわかるように、宗派や考えの違いを超え全ての人の幸せと安寧のために日々祈り続けています。