アフリカ

2012年07月01日

日本にもあるアフリカの物

日本ではアフリカの物は滅多に売っていないので、なかなか手に入れるのが難しいのですが、たまたま入った店に置いてあったりすると、つい買ってしまいます。
最初に住んだアフリカの国:マラウイの物は、まず目にすることはないですね。白身魚のフライにチャンボ(テラピア)が使われていることがあると聞いたことがありますが、白身魚に「マラウイ産」と書いてあるわけではないですから、今食べている物がアフリカ産かどうかはわかりません。
次に住んだタンザニアの物なら、有名なキリマンジャロコーヒーがあるので、たまに目にすることがあります。ごくたまにですが、ゴマにタンザニア産と書かれてあることもあります。宝石店でタンザナイトを見かけることもあります。
昨年まで住んでいたモザンビークについては、エビなどが日本に輸入されているのですが、やはり「モザンビーク産」と書かれてある海老を見たことはないです。たぶん、加工用になっているのだと思います。

モザンビーク産ではないのですが、モザンビークにいた時に、よく買っていたものを最近、立て続けに見つけました。
CIMG1116写真のものですが、右から、
●新宿のデパートで見つけたポルトガル産の緑ワイン(ヴィーニョ・ヴェルデ)のガタォン
●池袋の酒屋で見つけた南アフリカ製のクリームリキュールのワイルド・アフリカ
●近所(埼玉県行田市)の酒屋で見つけた南アフリカ産の果汁100%ジュースのセレス
写真にはないですが、近所のディスカウント・スーパーで、南アフリカ製のポテトチップスのLaysも見つけました。

懐かしくてつい、買っちゃんですよねー

2011年08月10日

日本の夏は3年ぶり

ムシムシするー



明日の予想最高気温は39℃だそうだ。。。
(明日行く病院は、熊谷・・・)

2011年08月07日

塞翁が馬?

急遽、明日、日本に帰国することになりました。
眼の怪我の経過は順調で、モザンビークに戻れるかと思っていたのですが・・・
眼の検査のために撮ったCTで、思わぬものが見つかって、その治療のための帰国です。

怪我の功名、とはちょっと違いますね。功名じゃないから。
塞翁が馬、というような幸運でもないし。
瓢箪から駒でもないし・・・
不幸中の幸いか。
でも、眼を怪我しなかったら気付くのが遅れたのは確かなので、まあ、良かったのでしょう。

仕事の引継ぎも何もできずに、無念ですが、治療後にモザンに戻れることを期待して、とりあえず治療に専念です。

2011年08月03日

南アフリカは寒い

今、隣国の南アフリカに来ています。
土曜の夜に眼に怪我をして、日曜朝にヨハネスブルクの病院に緊急移送され、その日の夕方に手術を受けました。
現在、左目がほとんど見えない状態です。
手術なんて、子供の頃の盲腸以来かな。
今は退院して、プレトリアで療養しています。

モザンに来てから2年ちょっとの間に、2回も入院することになりました。
マラウイにいた時は赤痢とマラリアを併発しても入院しなかった(病室がいっぱいで入院させられなかった)のに(爆)
運が悪いのか、年なのか、モザンとの相性が悪いのか・・・(苦笑)

それにしても、南アは寒いです。
テレビで明日の天気予報を見たら、ヨハネスブルクの予想最高気温は18度で、予想最低気温は2度でした。
天気は晴れの予想ですが、南部では雨のところもあるので、雪になってもおかしくない天候です。

2011年06月05日

マプトに国際プール建設中

現在、マプトにオリンピック級の国際プールを建設中です。
4月1日にブログにウソを書かなかったからその代わりというわけではないです。
本当に、建設中なんです!

実は、この情報はだいぶ前に聞いていて、完成予想図も見ていたのですが、あまりにも立派なもので、「まだまだ先のことだろう」と思って、あまり気にしていなかったのです。

なぜ、そんな立派なプールを建設中かと言うと、今年の9月にモザンビークで「All Africa Games」という、全アフリカから50ヶ国近くも集まった国際競技大会が開催される予定だからなのです。

ただ、昨年の南アでのサッカーワールドカップに向けて建設が開始されたというサッカースタジアムや新空港ビルは、結局はワールドカップ終了後、しばらくしてからやっと完成したので、この国では予定通りに工事が進むとは思えない面があります。
実際、数週間前に国際プール建設予定地に行ってみたのですが、全く工事をしているような様子がなかったので、「きっと今回も無理だろうな」と思っていました。
ところが、今日、アフリカ・ゲームズのオフィシャルページを見てみたら、建設工事中の写真が載っていました。
こちら」がそのページですが、4枚の工事中の写真のうち、下の2枚の写真がプール建設工事の写真です。(上の2枚は選手村の建設)

今から9月の開催まで3ヶ月しかないので、本当に間に合うのか、かなり不安ではありますが、とりあえず建設が始まったということは、きっとできるのでしょう。
競技会が終わったら、一般開放されるのかどうかわかりませんが、是非ともモザンビークにいる間に、このプールで泳ぎたいと思っています。

2011年05月22日

パエリア

zikomoはアフリカで自炊生活をしています。
自炊といっても、日本みたいに出来合いのものや、温めるだけというものはほとんど売っていないので、材料から調理して、味付けまで自分でやらないといけません。日本だったら作るのが面倒になったらコンビニ弁当とか総菜を買えばいいけど、こちらではそういうわけにもいきません。(宅配ピザ屋は1軒あるし、総菜っぽいのもなくはないけど)
しかも、食材や調味料も日本ほど何でもあるわけではないので、なかなか大変です。
自炊をしていると言っても、料理が得意なわけでも好きなわけでもなく、はっきり言って、料理はヘタクソです。
自炊をするのは結婚以来初めてで、独身時代は土日などに、ごくたまに料理を作っていましたが、ほんとうに久々です。

マラウイにいた時は、まだ独身でしたが、お手伝いさんを雇っていて、平日と土曜は料理も作ってもらっていました。
お手伝いさんといっても女性ではなく、黒人のオジサンでしたけど。
ですから、自分で料理を作るのは日曜日だけでした。といっても日曜は、友達の家やどこかに遊びに行くことも多かったので、毎週料理をしていたわけではありませんけど。
タンザニアの時は家族みんなで赴任したので、カミさんが料理をしていました。

そんなわけで、自炊をしていても美味しい料理が作れるわけではありません。
どんなものでも美味しく作れる人がいますが、zikomoは、同じように作っているつもりでも、なぜか美味しくできません。
レシピを見ながら作っても、なぜか上手くいかないことがほとんどです。そんなわけで、
 レシピ通りに作っても上手くできない
  → それならレシピを見ずに適当に作っちゃえ
  → ますます上手く作れないし、上達もしない
というわけで、自炊生活も2年になりますが、いっこうに上手になりません。

そんな時、「グルメに生まれなくて良かった」とつくづく思います。(←負け惜しみ)
もしグルメだったら、「こんなものが食えるか!」と、ちゃぶ台をひっくり返していたでしょう。
まあ、自宅にちゃぶ台はありませんが。

ただ、ごくたまーにですが、美味しく作れちゃうことがあります。
そんな時は「おぉー、久々のヒット!」と嬉しくなります。
まあ、ヒットと言っても、クリーンヒットではなく、ボテボテのゴロだったのが、たまたま打球が飛んだ方向が良くてヒットになった、という程度ですけどね(^_^;

今日の料理は、その久々のヒットでした!
作ったのはパエリア。

モザンビークはポルトガル領だったので、スペイン料理のパエリアが食べられるところはほとんどありません。(1軒しか知らない)
そのかわり、ポルトガル料理の Arroz de Mariscos(アロス・デ・マリスコス)という「海鮮おじや」=シーフード・リゾットの美味しい店はたくさんあります。
似てはいるのですが、土鍋みたいなので作るか/フライパンみたいなので作るか、水分の量とお米の柔らかさ、中に入っている具の種類、がちょっと違っています。それと、パエリアは「おこげ」も大事ですね。

良く言えば「豪快な男の料理」、実際は、単にいい加減に作った料理ですが、もうムチャうまでした。
パエリアを作る専用のパンは持っていないので、フライパンで作りました。
熱したフライパンにオリーブオイルを少し多めに入れて、ニンニクのみじん切りを炒め、玉ネギを追加で入れて炒め、あとは面倒になったので、お米と水と魚介類(イカ、タコ、エビ、貝など)を一気に投入し、20分くらい中火で放っておいただけ。
最後に10分くらい蒸らしてできあがり。
魚介類から味がしみ出ているはずなので、味付けは塩とコショウだけ。隠し味(?)に醤油少々。それに色付けにパプリカ。

あまりに旨くて、フライパンから溢れそうになるくらい大量に作ったのに、一気に食べてしまいました。
こんなに旨かったのだから、写真を撮っておけば良かった、と思ったのも後の祭り。

でもたぶん、次回、同じように作っても、同じようには旨くはできないんだろうなぁ。
これがラッキーヒットの悲しさ・・・

2011年02月24日

モザンビークの水球

先日の土曜、いつものようにプールを覗きに行ったら、なーんと水球をやっていました。
ブラックアフリカで水球をやっているなんて、初めて見ました。
waterpolo01
それも、ボールで遊んでいるのではなく、(水球には詳しくはありませんが)コーチらしき人が審判をして、ちゃーんと水球の練習をしていました。
ボールのパスも、シュートも、それなりに上手くて、足のつかないところで、泳力もしっかりとありました。
いつもこのプールではタコ踊りみたいな泳ぎをしているヤツらばかり見ていたので、ちょっとビックリです。
waterpolo02

選手の中に、1人だけ女性が混じっていました。これもちょっとビックリです。
黒人の女性が水球をやっているなんて…。
しかも、それなりにちゃんとやっていました。

水球では、審判が見えない水中で、相手選手の水着を引っ張ったり、相手を蹴っ飛ばしたりする反則はあたりまえなのですが、さすがにこの女性に対してはそのようなことはしていなかったようです。
むしろ、わざとこの女性にシュートチャンスを与えてやったりと、紳士的にプレイをしていました。
小柄な女性だったのですが、水から上がったところをみたら、しっかりと筋肉がついた体型でした。(胸板が厚く、脚も太く・・・・)

ランニングの途中で立ち寄っただけで、デジカメを持っていなかったので、携帯電話で撮ったので写真はメタメタです。
球技の写真の場合、ボールを画面内に入れるのがセオリーなのですが、携帯のカメラはシャッターが下りるのに時間差があって、上手くボールが入りませんでした。
waterpolo03
右端にちょこっと映っているだけ(^_^;


2011年02月23日

うちの受験生

日本は今、受験シーズン真っ盛りですのが、zikomoの長男と次女も、それぞれ大学受験と高校受験の受験生です。
アフリカと日本とで、家族が離れて暮らさなければならなかった幾つかの理由のうち、最も大きな理由がこの受験です。
東南アジアなどの日本人が多く住む国なら、日本語学校もあるし、帰国子女枠も使いやすいですが、アフリカではなかなか難しいです。
タンザニアに赴任した時は、まだ子供たちは小さかったし、日本語補習校もあったし、英語圏だったというのもありましたが、今回のモザンビーク赴任では家族が一緒に住むのは断念しました。

ところが長男は、全く受験勉強というものをする気がなくて、かといって高卒で働こうというのでもなく、なんとなく流されて大学に行こうかな、という感じでした。
結局、受験勉強はせずに、昨年のうちに高校の推薦で、箱根駅伝でしか名前を聞いたことがないような私立大学に入ることにしました。
しかも、「自宅から通えるところ」というくらいしか理由がなく、「ここの大学に行きたい」とか、「この学部に入りたい」とか、「こういった勉強(研究)をしたい」というのもなく、学校推薦で通りそうな大学にしたという感じです。
まったく!受験の時に勉強しないで、いったいいつ、勉強する時があるというんだろう!
一生に1回くらいは真剣に勉強に集中する事があってもいいのに…
そんなんじゃ大学入っても勉強もせずに、ロクなことにならないだろうに!!
zikomoも勉強は大キライだったけど、受験の直前数ヶ月くらいは勉強したもんだけどね。
それに、長男が入ることになった学部学科も、そこが気に入ってというのではなく、単にその大学で理系はそこくらいしかなかったというだけなんだから、まったく!
zikomoが大学受験の時は、どうしても理学部に行きたくて、(工学部しかない)KO大学の水泳部の主将からの誘いも断って(笑:半分は本当だけど)、理学部のある、自宅から通える大学にしたんだから(爆)。
しかもしかも、長男は学校推薦といっても特待生でも何でもないので、入学金やら授業料とか、バカ高い!
zikomoなんかは、学費の安い国立大学で、奨学金ももらっていたので、親のフトコロに優しかった(^_^;)んだから。
大学院でも育英会の奨学金をもらっていたから、奨学金の返済が終わったのは、やっと数年前だよ。
まあ、アホな子に育ててしまった親が悪いんだけど・・・

次女の方は、中2までは毎回JOに出場していたし、全中にも行ったので、このまま行けば水泳の特待生でどこかの高校からお誘いがあるかも、と思っていたのが、中3の時はずっとスランプで、全中にもJOにすらも行けず、水泳の有名学校からは全くお声がかからず、1校、これから水泳部を強くしたいという私立高校から誘いがあったのですが、そこではなく別の公立高校に行きたいということで、受験をすることにしました。
(そこの私立高校単願だったら授業料などが免除になったのかもしれないのに(笑)
先週、公立高校の入学試験だったのですが、自己採点したところ、合格点には少し及ばなかったらしいです。
数日後に合格発表ですが、どうなることやら・・・

ところで、2ヶ月ほど前のニュースなのですが、モザンビークにおける最高学府、いわばモザンビークの東大であるエドゥアルド・モンドラーネ大学が、授業料を現在の約7倍に値上げするという新聞記事が載っていました。
いきなり7倍というのはスゴイですね。
で、入学金が 80 Mt(メティカイシュ)だったのが、600 Mt に、
専攻科目の半期分の受講料が、1科目あたり 105 Mt から 420 Mt へと値上がりするそうです。
ちなみに、80 Mt は日本円にすると約200円、600 Mt は日本円にすると約1500円です。
なんと安いことか!
長男もモンドラーネ大学にしてくれれば親のフトコロに優しいのに(!爆!)

2011年02月06日

リポビタンD(アフリカ)

新年あけましておめでとうございます。
・・・・なんと間の抜けた挨拶なんだ(爆)

ブログに書いておくかなー、って思ったことはいっぱいあったんだけど、なんか書く気が失せて…
しかも、調子が悪かったノートパソコンの内蔵ハードディスクがついにイカレて、chkdskかけたらなんと40時間近くもかかってしまった。
もともと調子が悪くなってきていたので、今回一時帰国した時にバルクのハードディスクを買ってきていて、そのうち入れ替えようと思っていたのだけど、面倒だなぁって思って、放っておいたんだよね。
実はzikomoは、大学卒業して最初に入った会社で、最初に任された仕事がコンピュータ(パソコンではなくオフコン)の内蔵ハードディスクのコントローラのファームウェアの設計だったし、これまで使ってきた代々の自宅のパソコンも、大学生の時に初めて買ったMZ-80Bを除けば、デスクトップ型はすべて中古で買って自分で中身をいろいろ変えていたくらいで、ハードディスクの交換は25年以上前から数えきれないくらいやってきていて、お手の物なんだけど、ノートパソコンの内蔵HDの交換は初めてだし、それよりも何よりも、OSやアプリケーションのインストールが面倒だなぁって思っていたのです。
でも、さすがに交換しないといけない状況になったので、重い腰をやっと上げたのです。

ところがやってみたら、実に簡単でした。
物自体の交換は+ドライバ1本で、4ヶ所のネジを外すだけだし、OSやアプリのインストールもCDを入れてインストラクションに沿ってクリックしていくだけ。
CDは合計4枚だけど、順に入れていくだけ。
全くのシロウトでも簡単にできる感じです。
シロウトが迷うとしたら、パーティションを切るか切らないかくらいじゃないかな。

以前に比べると、ものすごく作業が楽になっています。
さすがにパソコンが一般に普及しただけのことはあります。
zikomoが最初の会社に入った頃は、コンピュータは専門の人が使う物、といった感じでしたからね。

内蔵HDを交換してから、速度も速くなったし、実に快適です。
ただ、前の内蔵HDの調子が悪くなってから、データや必要なソフトのインストーラなどは外付HDにしっかりバックアップを取っていたのですが、ブラウザの「お気に入り」等のバックアップを取っておくのを忘れていました(^_^;
てなわけで、一度、前の内蔵HDに戻して、バックアップの一部を取り直し(泣)


さて、前置きが長くなりましたが、今日、スーパーに行ったら「リポビタンD」が売っていました。
でも、ジュースやコーラなどの飲み物類が所狭しと並んでいる所にこそっと置いてあって、しかも日本のリポビタンDとはパッケージが違うので、見落としてしまいそうでした。
例の「鷲のマーク」があったので、ニセモノかと思って手にとってみたら、「LIPOVITAN-D」と書かれてあって、よく見たら「UNDER LICENSE OF TAISHO PHARMACEUTICAL CO.LTD.」となっていました。
でも、英語で書かれてあるのはそこだけで、あとは全く読めないグチャクチャの文字。
どこの国のものかもかわりません。
たぶん、タイ語だと思います。
以前、タイの硬貨をもらった時に、数字すら読めないグチャクチャの字(失礼!)だったので…。

こっちで一番有名な栄養ドリンクはレッド・ブル(Red Bull)なので、ポルトガル語すら書かれていない「タイのリポビタンD」はとても売れそうにありません。
おそらく、在庫がなくなったらもう二度と見ることはないでしょう。

というわけで、1本だけ買ってみました。
lipovitan
1本30メティカイシュ(約80円)。意外と安かったです。
レッドブルの方が高いや。

写真はいつものとおり自宅にて、インド洋をバックにした「リポビタンD」です。
すでに暗くなりかけで、三脚を使わなかったので少しブレています。

味の方は・・・・・
日本でもほとんど飲んだことはないので、よくわかりませんが、少し薄い気がしました。
それに100mlなので、あっという間にカラッポ。ちょっと物足りない感じ。
もともと日本のリポビタンDもこのようなものなのか、タイ人に合わせた味になっているのかはわかりません。
これなら、新鮮なマンゴージュースを飲んだ方がいいや(日本でなら贅沢!)

2010年12月25日

2週間の日本滞在

現在、モザンビークに戻るために、成田空港からアクセスしています。
クリスマスに日本を離れるサンタです(笑)
今回は正味12日間(日曜夕方に日本に着いて、翌々週の土曜朝に成田に向かった)の一時帰国でした。
健康診断を受けて、リレーフェスティバルに出て、買い物して、自宅や義妹・甥のビデオやらパソコンやらを修理していたら、あっと言う間でした。
モザンビークでの仕事も、あと半分くらいかな。
1年後にまた、一時帰国する(できる?)かもしれません。
さて、またがんばろう。

2010年11月22日

アフリカのマラソンで完走

昨日はマプト市で行われたマラソン大会に出場しました。
アップダウンの激しい13キロのコースですが、なんとかゴールしました。
いやー暑くて大変でした。

日本人で出場したのはzikomoだけ。
日本国大使館の書記官の奥さんで、日系ブラジル人の方も、マラソンをするというのでお誘いしていたので参加されていました。
協力隊員も参加すると言っていた人がいたのですが、国内旅行に行ったりで誰も参加しませんでした。
zikomoは約10年前にもタンザニアで10キロのマラソン大会に出場したのですが、その時はJICAのプロジェクトが主催した大会ということもあって、何人もの協力隊員が参加していたんですがねぇ。
zikomoが協力隊員だった約20年前は、隊員はみんな、変わったイベントがあれば何でも参加してみようという感じだったのですが、今の隊員(若者)はそういう感じじゃないのかもしれませんね。
国内旅行ならいつでも行けるけど、マラソン大会なんて1年に1回しかないのですから、2年の任期で最大で2回しかチャンスはないのに…。

昨年のマラソン大会は、日本に一時帰国する当日だったので参加しませんでした。
今年の大会は、昨年より募集人数が100人増えて900人でした。
参加費は無料で、参加賞として全員Tシャツがもらえ、ゴールでは軽食セットがもらえます。
青年部門、一般部門、ベテラン部門I(40代)、ベテラン部門II(50歳以上)、BIM勤務者部門、陸上連盟部門、外国人部門、車椅子部門があり、各部門の男女別に5位までに賞金が出ます。(BIM勤務者部門と外国人部門は、今年新設)
賞金は最高で学校の先生の1ヵ月分の給料近くも出ます。
なんでこんなに気前がいいかというと、スポンサーが Millenium BIM という銀行だからです。(それでBIM勤務者部門がある)
こんなオイシイ大会なのだから、モザンビーク人ももっと出ればいいのに、zikomoのまわりのモザン人は「走るのは疲れるからヤダ」(苦笑)

ちなみに、正式には「マラソン大会」とは言わず、「CORRIDA(コリーダ)」です。
そう、「愛のコリーダ」のコリーダです(爆)
「レース」って意味ですけどね。

朝8時スタートで、6時から受け付け開始です。
でも、モザンビークのことだから、6時に行ったのではきっと誰もいないだろうと思って、6時40分頃にスタート地点に行ったら、すでに大勢いて、受付待ちは行列で、近くではウォーミングアップをしている人も沢山いました。
さすが賞金がかかっていると燃えるのでしょう。
ウォーミングアップ朝の集合


受付でモザン人に混ざって並んでいたら、すぐ後ろに背の高い白人が並んでいました。話しかけたらベルギー大使館に勤めている人でした。
2人で話としていると、係の人がやってきて、並んでいるモザン人を横目に、ファーストパスで受付してくれました。(外国人の特権)
で、Tシャツをもらったのですが、最初、XLと書かれた袋を渡されたのですが、別の係が「それじゃあ大きいからこっちにしろ」とMサイズを寄越しました。ベルギー人は図体がでかいのでどう見てもMじゃ無理で、zikomoも大きめサイズの方が好きなので、2人ともXLに戻してもらいました。
その場を離れ、2人で袋を開けてみたのですが、どうもTシャツが小さいのです。
ベルギー人は「これじゃ無理だ。代えてくる。」と受付に戻りました。
zikomoにとっても小さめでしたが、(XLよりも大きいのはたぶんないだろうな)とそのままそれを着ました。
(後で、家に帰って洗濯してからタグを見てみたら、「M]と書かれていました。つまり、袋と中身が違っていたのです(^_^;)

スタートまでの時間、あたりをうろうろしてみました。
知り合いは書記官の日系ブラジル人の奥さんしかいませんでしたが、外国人は少ないので、何かと話しかけられます。
スペイン人の神父で、モザンビークには9年住んでいて、以前はコンゴやブルンジなどにいたという人などもいました。
車椅子の人達車イス部門もあるので、車いすの人達もいます。中には本格的なヘルメットをかぶっている人もいます。

レイモンドさん車椅子の方々の中に、「日本」と漢字で書かれたTシャツを着ていた人がいたので話しかけたら、以前、JICAの研修員で日本に行ったことがあるということでした。
左の写真のレイモンドさんです。


救急車救急車も待機しています。

先導車所要時間を表示する先導車まであって、ビックリ!

警察もいましたが、警察は写真に撮れないので・・・


いよいよスタートです。
朝はわりと涼しかったのですが、だんだんと暑くなってきました。
しっかし、何で暑い雨季の真っ只中にやるんでしょう?
どしゃ降りになる可能性もあるし、雨が降らなければ1年で最も暑い季節なのに・・・

車イス部門のスタート前まずは車椅子部門のスタート。

スタート!そして5分後にランナーのスタートです。
今日はタイムよりも完走が目標なので、ゆっくりとスタートします。
何しろ、10キロ以上も走るのなんて、数年前に最後は歩いてしまったハーフマラソンくらいなものです。
10キロマラソンも、これまでの人生で3度しか走ったことがありません。
その上さらに、運動不足が続いているので、現在、標準体重よりも15キログラムも体重が重いのです。

まずはフラットな道を走ります。
モザン人は男も女もどんどん飛ばしていきます。
「でもきっと、ヤツラのことだから途中で挫折するだろうな」と思って、かまわずマイペースで進みます。
実際、2キロくらいの地点ですでに歩きだしているモザン人の女性もいました。

途中、日本国大使館前を通るので、警備員に手を振っておきました。(振り返してくれたけど、誰だかは分からなかっただろうなぁ)
3キロ地点でタイムを見たら、17分もかかっていました。
そこで例のベルギー人が追いついてきて、横に並び、「やあ!」と声をかけてきました。
ちょっと並行して走りましたが、やがて下り坂になって、そこで一気に彼を引き離しました。

海岸通り下りが終わった約4キロの地点からはフラットな海岸通りを4キロほど走ります。
「風が強かったら厳しいだろうな」と思っていましたが、風はなく助かりました。
そのかわり、むちゃくちゃ暑くなってきました。
歩いているモザン人も増えてきました。
歩いているかと思ったら、抜いた途端に走りだし、抜き返したらまた歩き出し、を繰り返すアホなモザン人もいます。(結局は、途中で挫折してたけど)
途中の給水所でペットボトルをもらい、ボトルを持って走ります。
でも、万が一の時に誰か日本人に連絡がつくように、携帯電話を持って走っていたので、水を飲みにくいし、携帯に水がかかりそうで、思うように飲めません。

6キロ地点で約34分。暑くて疲れてスピードは落ちてきていますが、下りがあったのでタイム的には最初の3キロと同じくらい。

8キロ地点あたりから、急激な上り坂になります。
通称、「マプトいろは坂」(zikomoが勝手に命名)
こちらでは「caracol(カタツムリ)」と言われているところです。
ちなみに、車イス部門の方は、さすがにこの坂は無理なので、海岸通りを真っすぐに進みます。

zikomoは最後まで走って登るつもりでしたが、坂の麓に着いた時点ですでに暑さでだいぶ消耗していました。
とにかく頑張れるところまで頑張ろうと走って登り始めたところ、すでに歩いている人がかなりいます。
それでも何とか途中までは走って登ったのですが、「ここを曲がったら、もうすぐ頂上かな」と思ったところで、カーブを曲がって見るとさらにずっと上に道が見えて、挫けて歩いてしまいました。
まわりも歩いている人が多いので、そんなに抜かれはしないのですが、走って登る5人くらいの白人グループに抜かれた時には、敗北感です。

登り切ったところで、再び走り始めたところ、9キロ地点でした。
約52分。
思ったほどタイムは落ちていません。
そこからほぼフラットだけど、やや下りの道が続きます。

10キロあたりから急激な下りですが、今度は飛ばすことすらできません。
坂を下りきって、最後の直線、フラットな道が2キロちょっと続きます。
でも、11キロ地点あたりから、足がつりそうになりました。
少し足に力を入れたり、歩幅を広げるなどの走法を変えたりしようとすると、足がつりそうになります。
足がつってはゴールすらできないので、最後のダッシュはあきらめて、黙々と抜かれても気にせずに走り続けます。
最後の2キロが長いこと。

そしてやっと、ゴール地点の Millenium BIM 本社の建物が見えてきました。
最後のダッシュをしたいところですが、ちょっと蹴りを強くしただけで、足がつりそうになります。
ゴールの直前でモザン人数人に抜かれましたが、最後の最後で足がつって倒れては、元も子もありません。

そしてついに、感動のゴォ〜ル!

タイムは1時間12分くらい。
最後は、例のベルギー人や書記官の奥さんに抜かれるんじゃないかとヒヤヒヤしましたが、なんとか先にゴールできました。
ベルギー人はzikomoのゴールの2分後くらい、書記官の奥さんはそのさらに2分後くらいにゴールでした。
あと数キロあったら抜かれていたかも(^_^;

完走賞引き換え完走者は軽食セットがもらえます。
ここは配っているところ。

完走賞の軽食セット軽食セットは、パンと、コーラ類と、お菓子と、ペロペロキャンディ。
写真ではパンは袋の中なのでわかりませんね。


当然、zikomoは5位以内に入っているわけはないので、表彰式は関係はないのですが、せっかくなので表彰式を見てみようと会場に残っていました。
でもなかなか始まりません。
なにしろ日本のマラソン大会と違って、すべて手作業です。

ゴール付近ゴール付近です。

しばらくして、途中棄権の選手たちがトラックの荷台に乗せられてやってきましたが、全員、モザン人でした(^_^;

Millenium BIM本社スポンサーである Millenium BIM本社(銀行)です。
立派な建物でしょう。


ヒマを持て余して、モザン人達が会場に流れている音楽に合わせて、あちこちで踊り始めました。
1人が踊り出す1人が踊り出すと、

釣られてもう1人も踊り出す釣られて別の人も踊り出す。

別のところでも踊り出す違う場所でも女性が踊り出し、

踊っている彼女の周りに人だかりその女性の周りに人が集まり、

他の人も踊り出す他の人達も踊り出す。

調子に乗って次々に踊り子が変わっていき、だんだん調子に乗ってくる。

踊りの輪がどんどん大きくなる踊りの輪がどんどん大きくなって

主催者も一緒になってついには主催者側がマイクを使って扇動し始める。


そんなことをしているうちに、やっと表彰式が近付いてきました。
まずは車イス部門の表彰なので、車椅子の方々が集まってきました。
手作りの車いす車いすといっても、日本などの先進国の人が使っているようなちゃんとした競技用の車イスではなく、手作りの、あり合わせの部品で作ったような車椅子です。

1台1台違う車イスですので、1台1台がみんな違う形をしています。


表彰(車椅子部門男子)車椅子部門男子の表彰です。

表彰(車椅子部門女子)車椅子部門女子の表彰です。

表彰(青年部門男子)青年部門男子の表彰です。

表彰(青年部門女子)青年部門女子の表彰です。

表彰(外国人部門女子)外国人部門女子の表彰です。1位は白人ですが、2位・3位は黒人です。隣国の南アフリカ共和国の方らしいです。

表彰(外国人部門男子)外国人部門男子の表彰です。こちらは1位・2位とも黒人です。


zikomoも完走表彰式から離れて、zikomoも完走の記念撮影。

ちゃちい携帯のカメラを使って撮っていて、しかも携帯を握りながら走っていたのでレンズが汗で汚れてしまい、画像が汚くてすみませんでした。

2010年11月13日

この〜木、何の木

CIMG0891マンゴーの木です。

今年も沢山の実がついています。
バケツ山盛り一杯で50円ほどで売られる日も間近です。
楽しみー!

2010年11月11日

アフリカの国道1号線

昨日から1泊2日で国内出張に行ってきました。
首都のマプト市から国道1号線を北上し、500Kmほど先の3つ隣の州の州都までです。
日本で言えば、東京から国道一号線(東海道)を西に行き、神奈川県、静岡県を超え、愛知県の県庁所在地である名古屋市に行ったようなものです。
マプト市を抜ければ、信号は全くないので、途中で休憩しても片道7時間ほどで行けるところです。
そういう意味では、東名高速道路で東京から大阪まで行ったくらい、と言った方が近いかもしれません。

いくらアフリカと言っても天下の国道1号線なもので、基本的には舗装されていて穴ぼこもないキレイな道なのですが、途中の10〜20Kmほどは未舗装のところがあります。
それでも昨日の往路は良かったのですが、今朝は少しですが雨が降っていて、帰りの復路はこの未舗装区間はすごいことになっていました。
国道1号線大した雨量ではなく、通った時にはもう雨は上がっていたのですが、ドロドロのぬかるみ状態です。
対向車線にトラックが2台止まっていました。

スタックしているトラック後ろのトラックは、泥の中でスタックしていました。前のトラックはそこから救出しようとしているところでした。
この付近では、他にも何台もトラックなどがスタックしていました。

アフリカの道を走るスカイラインこんな事もあるので、当然、出張には4WD(四輪駆動車)で行ったのですが、何とこの道を平気で普通の乗用車や乗り合いミニバスなども走って行きます。
左の写真に写っているのは日産スカイライン。しかもzikomoが乗っていた四駆を軽々と抜いていきました。もちろん右に、左にと、ドリフト走行しながら、というか、横滑りしながらですが…。
この真っ赤なスカイラインは(でも泥だらけで茶色(^_^;)、日本から中古車でモザンビークに渡ってきたものだと思いますが、日本でオーナーだった人も、自分の以前の愛車がアフリカのこんな道でこんなことになっているとは思いもしないことでしょう。
それにしても「制限速度80キロ」の標識が悲しい(笑)

2010年11月07日

モザンビークの水泳大会

モザンビーク水泳大会
昨日と今日、マプトでジュニアの水泳大会がありました。


スタート台スタート地点です。


大会用コースロープ今日は大会用のキレイなコースロープが張ってありました。


大会本部大会本部はこんな感じです。


表彰式表彰式です。この写真はリレーの表彰なので、1位から3位までそれぞれ4人づつ表彰台に乗っています。


集合写真1集合写真はどこでも撮るし、親が熱心なのもどこでも同じですね。


集合写真2こちらのチームは黒人が多いです。


集合写真3チーム合同で集合写真を撮っていました。


表彰は年齢区分毎でしたが、年齢関係なしに、それぞれの種目で最も速かった人のタイムを記載します。
そんなに速くはないですが、そこそこのタイムは出ています。こんな泳ぐ環境が良くないところで、結構みんな頑張っているのですね。

50m自由形:女子 29.78、男子 25.72
100m自由形:女子 1:03.66、男子 57.68

50m平泳ぎ:女子 37.06、男子 31.98
100m平泳ぎ:女子 1:21.29、男子 1:15.33

50m背泳ぎ:女子 33.08、男子 30.72
100m背泳ぎ:女子 1:11.36、男子 1:07.74

50mバタフライ:女子 30.50、男子 27.69
100mバタフライ:女子 1:24.06、男子 1:02.94

100m個人メドレー:女子 1:19.43、男子 1:06.13
200m個人メドレー:女子 2:23.56、男子 2:29.34

200mリレー:女子 2:06.34、男子 1:44.45
200mメドレーリレー:女子 2:27.13、男子 2:03.41

2010年10月27日

石焼ステーキ

CIMG0887
今日は石焼ステーキを食べに行きました。
写真ではそれほどでないように見えるかもしれませんが、このレストランの石焼ステーキは、かなりのボリュームです。
肉厚を見てもらえばわかると思います。「肉」の塊という感じです。
これで現在のレートで約800円です。

そもそもzikomoはあまり肉が好きではなく、普段は滅多に食べないのですが、ここのステーキはたまに食べたくなります。
肉の中でも脂身が特に好きでなく、日本の霜降り牛肉なんて食べたいと思わないのですが、このいかにも「肉ー!」という感じは好きです。

もうお腹いっぱい!

2010年10月26日

アフリカのヒョウ

今日、マプトでヒョウが降りました。
もちろん、いくらアフリカと言っても動物の「豹」が降ってきたわけではなく、氷の塊の「雹」が降ってきたのです。
それもかなりの大粒。
ビックリです。
モザンビークに来て1年半ほどですが、こんなのを見たのは初めてです。
タンザニアやマラウイで見たこともなく、アフリカで雹を見るとは思いませんでした。
雹が降るのは、必ずしも地表の温度とは関係は深くはないと思いますが、マプトでは雪が降ったのを見たことはないし、氷点下まで温度が下がったこともありません。
しかも、今は暑い雨季に入りかけで、昨日、今日の昼間はかなり暑くなってきたところです。
雹が降ったのは午後4時頃だったと思います。5分ほどで大粒の雨に変わって、やがて日も出てきましたけど。
こんなこともあるんですねぇ。

2010年10月15日

モザンビーク代表に選出

モザンビークの水泳ナショナルチームの一員に選ばれました。
今日は国際大会に出る時のスイミングキャップをもらってきました。
水泳モザンビーク代表キャップ




と、いうのは、もちろんウソで(爆)
マプト市民プールに行ったら、このスイミングキャップを売っていたので衝動買いです(笑)
せっかくなので、いくつかまとめ買いしようと思ったら、在庫限りだそうです。
まあ、ラッキーと言うか、何というか。


ところで、コモンウェルス・ゲームズは、引き続き行われていますが、競泳競技は全て終了し、今は高飛び込みなどをやっています。
このコモンウェルスゲームズの種目は面白くて、もちろんオリンピックにあるような種目もあるのですが、スカッシュやホッケー(アイスホッケーではなく、芝グラウンドのホッケー)などのようなオリンピックない種目もあります。
中には日本ではほとんど馴染みのない競技もあります。7人制ラグビーなど。

特に面白いのが、、ローンボウルズ
ボウリングとカーリングを合わせたような競技。
ボウリングと違って、芝生の上でやるのと、ボウルが小さくて指を入れる穴がなくて、手でボウルを握って投げる(転がす)こと。
目標はピンではなく、さらに一回り小さいボウル(ジャック)。
ここからはカーリングに似ていて、敵味方が交代でボウルを転がし、ジャックに近い方がいいというわけ。
カーリングと同じで、最もジャックに近いボウルがある側が得点でき、相手のボウルの中で最もジャックに近いボウルより内側(ジャック近く)にあるボウルの数だけ得点できるというもの。
ところがカーリングと違うのは、ジャックも球なので、ボウルが当たると目標であるジャックも動いてしまうということ。
最終投で、相手のボウルがたくさんジャックの近くにあり、どうしてもその内側にボウルを止めることができそうにない場合は、ボウルをジャックにぶつけて、どこかに飛ばしてしまえばいいわけです。
文字で書いてもよくわかりませんね。機会があれば是非、観てみてください。
zikomoは約20年前に、南アフリカ共和国を旅行中に本物を見たことがあります。
その時はローンボウルズというのを知らず、「芝生の上でボウリングしている。変なの。」と思っただけでした。

それから、ネットボール。
名前だけは知っていて、マラウイにいた時にやっているのをチラッと見たことはあるのですが、あまり興味がなかったので、よく見てませんでした。
今回、TV中継を見ていて、以外と変なルールなので笑ってしまいました。
バスケットボールのようなものだと思ったのですが、ドリブルして走ることは禁止されているし、ボールを持っている選手に触れてはいけないどころか、90センチ以上離れていないといけないのです。
ですので、ゴール手前でボールを持ったら、相手にじゃまはされないので、落ち着いてゆっくりシュートできるのです。

基本的に紳士の国イギリスのスポーツ大会なので、スカッシュにしろ、ネットボールせよ、ホッケーにせよ、テニスにせよ、バドミントンにしろ、卓球にしろ、女子選手は全てスカートなんですよ。
もちろんアンダースコートを履いているのでパンチラはないですけどね。


2010年10月05日

ジャカランダの季節

ジャカランダの季節になりました。
ジャカランダは、世界三大花木に数えられ、紫色のキレイな花が高い木全体に咲き、そしてその紫の花が日本の桜のようにキレイに散っていき、道を紫に染め、ほんとうにウットリするような眺めです。
日本の桜と違うのは、花が散るのが2〜3ヶ月も続くことです。

ところが、マプトのジャカランダはちょっとショボイのです。
街のあちこちにあるのですが、日本の桜のように並んで並木になっていることがほとんどなく、1本だけポツンポツンと植わっていて、しかも樹いっぱいに花があるのではなく、なんかスカスカなんです。
マラウイに住んでいた時は、家の近くにジャカランダ並木があって、樹一面が紫で、その紫の花が桜のように散り道を埋める様は、それはそれはスンバラシイ情緒だったのですがねぇ。

まあ、でも、一応、マプトのショボイ、ジャカランダの写真を載せておきます。
マプトのしょぼいジャカランダ 散ってもしょぼいジャカランダ 花のアップならキレイなんですが



ちなみに、世界三大花木の残りの2つ、カエンボク(火焔木、アフリカンチューリップ)とホウオウボク(鳳凰木、カエンジュ、火焔樹)も、モザンビークで見られますが、まだ季節ではないので、もう少ししたらアップしますね。(たぶん)

それから、もう少しでマンゴーの季節になります。
マンゴーの木には、マンゴーの実が、それこそ鈴なりになるのですが、まだ実は小さく緑なものの、だんだんと大きくなってきました。

マンゴーの木 鈴なりのマンゴー、まだ食べられません

2010年10月04日

モザンビークの水泳選手

現在、インドにおいてコモンウェルス・ゲームズというのが開かれています。
参加国は英連邦に属する国々で、4年に1回行われる、いわば英連邦のオリンピックです。
日本は当然、参加していないので、おそらく日本ではほとんど全く報道されていないと思いますが、それなりの規模の国際大会です。
こちらのスポーツチャネルでは、ここのところずっと、この大会の試合を放映しています。

「えっ、何で?」と思う方もいるかもしれません。
モザンビークは旧ポルトガル領であり、宗主国はイギリスではありません。
ところがどっこい、1995年に英連邦に加盟しているんですねぇ。
というわけで、今回のコモンウェルス・ゲームズに参加しています。

何しろ、50ヵ国ほどもある英連邦加盟国の中で、英語を話さないのはモザンビークだけです。
モザンビークは、ポルトガル語を話す国々で構成されているポルトガル語諸国共同体にも加盟していて、先月はこの、ポルトガル語諸国共同体の(いわば)オリンピックをモザンビークで開催したほどです。
このあたりはモザンビークはちゃっかりしていますね。
利得があるとみれば、ポル語圏にも近寄るし、英連邦にも加盟しちゃうんですから。

というわけで、何気にスポーツチャネルを観ていたら、水泳競技もやっていました。
さすがに強いのは、オーストラリア、南アフリカ、イングランド(英連邦では、グレートブリテンではなく、イングランド、スコットランド、ウェールズなどが個別の参加国になっている)、カナダ、トリニダードトバゴ(黒人初のオリンピック水泳金メダリストを輩出した国)などですが、無名の小国もたくさん出ています。
今日は一部種目のセミファイナルとファイナルをやっていたのですが、さすがに決勝は強豪国の選手ばかりですが、準決勝くらいだとたまに小国の選手も出てきます。

50m背泳ぎ準決勝では、ザンビアの選手が出てきて、「おおー!」と思いました。
さらに観ていたら、女子50mバタフライ準決勝に、なーんとモザンビークの選手が出てきました。Monica Bernardo(モニカ・ベルナルド)という選手です。
タイムは30秒をやっと切ったくらいで、うちの次女と同じくらいの速さです。
結局、ビリで敗退しましたが、モザンビークにもちゃんと水泳選手がいたのですねぇ。

ビデオに撮っておけばよかった。
(って、うちにビデオはないんだけど・・・)

2010年09月21日

天保通宝inアフリカ

CIMG0824マプトの下町(バイシャ)に貨幣博物館(Museu Nacional da Moeda)というのがあります。この建物は、現在も使用されている建物としてはマプト市最古とも言われており、植民地時代は知事の家だったそうです。通称「黄色の家(Casa Amarela)」と呼ばれています。

CIMG0827CIMG0828物々交換の時代から、現在使われている紙幣・硬貨にいたるまでのモザンビークの貨幣の歴史を展示しています。
左の写真は、貨幣の原形になるようなものです。

CIMG0831初期のモザンビークの硬貨です。

CIMG0834昔、ザンベジア州にあった会社で発行した貨幣の代用品です。どうみてもプラスティック製です。隣には鉄の板のような代用貨幣もありました。

CIMG0839博物館の中で、子供が紙幣の形をしたジグソーパズルをして遊んでいました。


CIMG0843モザンビークの貨幣の他、世界各国の貨幣も展示してあります。
日本の硬貨もありました。その中には天保通宝もありました。
写真左から、天保通宝(銅)、二銭(銅)、五十銭(鉄?)、100円(白銅)、旧100円(銀)、旧50円(ニッケル)、旧5円(黄銅)、10円(銅)、5円(裏:黄銅)、5円(表:黄銅)、1円(アルミ)、一銭(アルミ)の各硬貨です。

CIMG0844ポルトガル語では、日本の通貨は「えん(円)」ではなく、「イエネ(IENE)」です。

場所:Praça 25 de Junho (Av.Consiglieri Pedroso)
入館料: 20Mt(今日現在のレートだと、50円弱)
開館時間: 11:00〜17:00(火〜金)、9:00〜15:30(土)、14:00〜17:00(日・祝)

2010年09月18日

200歳の誕生日

今日からドイツのミュンヘンでオクトバーフェスト(ビール祭り)が開かれています。
zikomoは1987年にこのビール祭りに行っています。
本場ドイツのビールはめちゃウマでしたが、それ以上に、このビール祭り会場での盛り上がり、隣や周りの席の他の客と一体になって騒ぎまくるところがサイコー!でした。

このビール祭り、1810年から始まったので今年が誕生200年です。
とは言っても、途中2度の世界大戦や、コレラの流行で、24回は開催されなかったので、今年は177回目ということになります。
それでもスゴイですけどね。

CIMG0851-2Munich(ミュンヘン)には行けないけど、
MaputoでProsit!(乾杯!)です。
ビール祭りは10月4日まで開かれているから、ビール買い足さなきゃ(…って、毎日飲むんかい!)


←写真はモザンビークの代表的なビールの
 2M(ドイシュ・エム)です。

2010年09月13日

ストリップ劇場

暴動の方は、翌日以降も散発的に市内の一部で投石やタイヤを焼いたりということがあり、地方都市の一部でもデモが発生しましたが、それ以上拡大することはなく、翌週に再度デモがあるとのウワサは広まっていたものの、翌週は何も起こらず、平静に戻りました。
最終的には死者13名という、この国としては、これまでにない規模の暴動でした。
死者の多くは、警官の実弾による発砲によりますが、警官2名もデモ隊に殴り殺されたらしいです。

こんな暴動はあったものの、モザンビークは、他の国々と比べても治安はそんなに悪い方ではないです。
ただ、日本大使館によると、世界各国において日本人が犯罪被害に遭う確率が平均して832人に1人の割合なのに対し、モザンビークは7人に1人という、ものすごく高い犯罪遭遇率になっています。
テロや誘拐などの凶悪なものはほとんどありませんが、白昼強盗、スリ、ひったくり、盗難など、実際にzikomoのまわりでも被害にあっている日本人は多いです。
治安が悪くないのに犯罪遭遇率が高いというのは矛盾していますが、要は、比較的安全だから油断をしてしまうのだと思います。普通に気をつけていればそうそう被害に遭うことはないです。安全に見えてしまうから油断をしてしまうのでしょう。いくら比較的治安が悪くないと言っても、日本と同じレベルではありません。実際、犯罪に遭った方の話を聞くと、多くは気をつけていれば防げたケースです。

zikomoは職場で安全管理の担当もしているので、関係する在留邦人や、日本などからの出張者に対して、安全対策の指導もしています。
その中で、外国人が犯罪被害によく遭う場所については、「ここには行くな」と地図で示しています。他人にはそう言っていますが、安全対策の担当としては、現場を見ておいた方がいいので、自分では結構、市内をあちこちと行きまくっています。
でも、あくまでも安全管理の担当「も」している、というレベルで、その道の専門家ではないので、本当にヤバイ場所には行きません。
自分の身を守るのも大事ですから。

さて、モザンビーク国内で犯罪件数が最も多いのは、圧倒的にマプト市内です。
そのマプト市内でも、特に外国人が犯罪に遭遇する可能性が高いのが、下町(バイシャ)と海岸通り(マージナル)です。
そのバイシャの中でも最も危険なのが、バガモヨ通りです。
そこにはナイトクラブやストリップ劇場があり、そうした客を狙った犯罪が多いわけです。

これまで日中なら、何度か車でバガモヨ通りを通っていますが、夜に行ったことはありません。
1度だけ昼間ですが、歩いて通ったことはあります。
昨日の昼間、再度歩いて、ストリップ劇場の場所などを確認してきました。
日曜の昼間なら、ほとんど人通りがなく、比較的安全だからです。
とは言うものの、土曜の夜からの犯罪者が居残っている可能性もあるので、注意しながら歩いています。

ストリップ劇場ということで、問題の(?)ストリップ劇場の外観です。
左側がストリップ劇場、右側がナイトクラブです。


ストリップ劇場の看板「ストリップと踊り、南アフリカ人とモザンビーク人の女性」と書いてあります。


同じくバガモヨ通りにある他のナイトクラブです。
他のナイトクラブ1 他のナイトクラブ2


さすがに日曜の昼間は、通りは人通りがなくガラガラです。日曜のバガモヨ通り


それでも、歩いていると、「アミーゴ」とか、「ヘイ、ガイ!」とか、「シネッシュ(中国人)」とか、呼び止められます。
もちろん、そんなものは無視して歩き続けます。

でも、ここからの帰り道の途中の別の大通りで、銃を持った警官に呼び止められました。これは無視するわけにはいきません。
身分証を見せろというのです。
モザンビークではよくあることです。
身分証(外国人の場合はパスポート)を持っていないと、捕まってしまいます。
免許証やパスポートのコピーとかではダメです。特にコピーは、ニセモノではないかと、逆に疑われてしまいます。
zikomoのような長期滞在者については、モザンビーク政府外務省から身分証を発行してもらっていますので、通常はパスポートは携帯せず、その外交IDを持ち歩いています。
さっそく警官に外交IDを見せると、「どこに住んでいるんだ」「何をしているんだ」「いつからモザンビークにいるんだ」と聞いてきます。
ポルトガル語なのでよくわからないけど(苦笑)、まあ一応答えると、「このIDは仕事を示しているだけで、正式の身分証ではない。パスポートがないとダメだ。」と言うのです。
そして、「飲み物代をくれ」と(苦笑2)。
因縁をつけてきているのか、外交IDを知らないかのどちらかです。
「これはお前んとこの外務省が出した正式のものだ」と下手くそなポル語で抗議すると、そやつは、近くにいた別の、やはり銃を持った警官を呼びました。
外交IDのことを聞いているようです。
2人で外交IDの中をよく眺め始めました。

実は、こんなこともあろうかと、外交IDには知り合いの、マプト市警察の幹部の名刺を挟んであります。
2人の警官は、その名刺をじっと見たら、外交IDを返してくれました。
(これ以上からんだらヤバイかも)と思ったのでしょう。
実際、それ以上からまれたら、その警察幹部に電話するつもりでした。

で、最後にまた一言、「飲み物代をくれないか」(苦笑3)
「金はねーよ。じゃーね。」と言ってその場を離れました。
実際、警官の方がタチが悪いからねぇ。

下の写真は、バガモヨ通りの1本隣の通りにある警察署(派出所)です。
警察署が近くにあっても、このあたりは平日の昼間でも治安は良くないです。
ちなみに、警察署や警官等を写真に撮るのは良くないのですが、隣の建物を撮るフリをして撮っちゃいました。
今回、からんできた警官は、この写真に写っている人達ではありません。
派出所

2010年09月02日

暴動発生:死者6名

日本のニュースでは全く報道されていないようですが、今日はマプト市と隣町マトーラで大規模な非合法デモがあり、そのうち一部が暴徒化し、投石、商店等の襲撃・略奪などがあり、警官の発砲などにより子供2名を含む少なくとも6名が死亡しました。

zikomoの自宅や職場周辺は穏やかで、ほとんどの商店・レストランは閉店していて(唯一開店していたパン屋は混雑)、交通量は極端に少なくて、逆にいつもよりもかなり静かでした。

ただ、zikomoは安全管理の担当もしているので、在住している日本人関係者の安否確認と自宅待機の指令、治安情報の収集、日本大使館や現地警察や近隣国事務所や日本の本部との連絡、日本や近隣国からの出張者や旅行者の安全確認と指示(マプトに入らないように、など)・・・と、1日中忙しかったです。
公共交通機関(シャパと呼ばれるミニバスなど)は大部分がストップし、暴動に巻き込まれる恐れもあるので現地職員のほとんど(遠くから通っている人)は、そもそも来れなかったり、職場に来ても早くに家に帰し、日本人スタッフも家が離れている人は自宅に帰したので、事務所はスカスカでした。

市内から空港への道路や地方に向かう国道一号線は暴徒がいっぱいいて閉鎖されました。タイヤが燃やされたり、木を切り倒してロードブロックしたり、駐車してあった車を横転したり、商店のガラスを壊して侵入・略奪したり、ガソリンスタンドに火をつけたり、警官や近くの民家に投石したり・・・。
それに対して警察は催涙ガスを使ったり、空に向かって威嚇射撃をしていたのですが、ついには実弾で撃って、死者が出たそうです。
病院に怪我人がたくさん運ばれる様子もテレビに流れていました。
zikomoの職場からも沢山の煙や、銃声が聞こえました。

原因は、物価の上昇に対する抗議です。電気、水道、ガソリンなどの料金が上がってきているのと、ここのところ現地通貨の価値がどんどん落ちていて、食料品を含め南アなどからの輸入に頼っているものが多いために物価がどんどん上がっているからです。そしてなぜ9月1日の今日かというと、携帯電話の料金が上がるのと、パンの値段(小麦の値段も)が上がる予定日だった(値上げは9月6日に延期)ためです。
デモは合法的に申請されたものではなく、市民の中で携帯電話のSMSを利用して広がったらしいです。
それほど携帯の普及率が上がってきているのでしょう。

今日は国際線のフライトが運航中止になったため、出国できなくてホテルに空室を求めて旅行者が大勢つめかけていたそうです。

結局、夕方には暴動は治まって、現在は平穏になっているようです。

こんなことになっているのに、日本のニュースにはなーんも流れていないようですね。
危険なので今日は外には出ずにずっと職場にいましたので、写真が掲載できませんので、こっちの新聞(ポルトガル語)の写真のページを張り付けておきます。
(写真そのものをコピーしたら著作権上まずいと思うので)
o Paisの写真ページ

2010年02月27日

王様のような生活

入院中に読んだ週刊誌に「海外では高給をもらって王様のような贅沢な暮らしをしている」というような批判がありました。(もう手元にないので、内容をすべて覚えているわけではないですが‥)
最近ネット上で、同じような内容の記事が別の日刊紙に書かれてあるというのを目にしました。どうやら、同じ方が書いているようです。(こちらも詳しい内容まではネット上では読めません。)

結論から言えば、「そんなにオイシイ生活ができると本当に思っているのでしたら、途上国で働いていただく方々を広く公募していますので(ホームページ上でも)、是非とも応募して、王様のような生活を楽しんでいただきたい。」と、このジャーナリストの方に言いたいです。

記事の内容が本当で、そんなオイシイ生活ができるのなら、たくさんの応募者がいてもいいハズですが、なぜか応募する方が少なくて、充足率は半分にも満たないほどです。
王様のような生活を経験していただくためにも、この筆者には是非、応募してもらいたいですね。
採用の担当ではないので、私には何の決定権もありませんが、もし私が採用の担当なら、真っ先にこの筆者を採用して、王様のような生活ができるハズの途上国に派遣して差し上げます。

で、本当にオイシイ生活ができるかどうかですが・・・

まず高い給与を貰っているというのは合っています。
日本にいた時よりは高い給与をもらっています。
でも、記事にある「海外赴任では外交官並みの平均年収1320万円(平均39歳)。」って、
とてもとてもそんなにはもらっていないんですけど・・・(^_^;
タンザニアにいた時はちょうどこの39歳くらいでしたが、そんなにはもらっていませんでしたし、今でもとてもそんなには高くないです。
外交官並みっていうのも違っていて、基本的には外務公務員の8割です。
それに、外交特権は持っていませんし、パスポートも外交官のものとは違います。
8割というとあまり変わらないように思う人もいるかもしれませんが、自分が今もらっている給与が2割減だったらいくらになるか考えてみてください。
結構少なくなるものですよ。

でも、全く何の根拠もない数字は書かないかな、と思って考えてみたら、考えられることがありました。

1つは家族手当です。配偶者と18歳未満の子供2人以上を同伴すると、海外手当が2割増しになります。
私はタンザニアの時は家内と子供3人を同伴しましたが、今回は単身赴任なので家族手当はありません。受験とか水泳とか、いろいろあって今回は同伴できませんでした。モザンビークには日本人学校はないので、外国語教育一本にする気ならいいですが、日本での受験を考えると厳しいです。それに、子供達は水泳を頑張っていますが、モザンビークでは練習環境が全くありません。
家族と離れ離れは、できれば避けたかったのですが、致し方ありません。家内と離れるのも、結婚以来初めてです。結婚してから名古屋→鎌ヶ谷(千葉)→タンザニア→横浜→名古屋→上尾(埼玉)→行田(同)と、何度も転勤等のために引っ越しましたが、いつも家族は一緒でした。
1人だと、もちろん寂しいし、家族のことが心配だし、連絡や行き来にお金もかかる上、家族手当が付きません(爆)

もう1つ考えられるのは、海外手当そのものが高い国があることです。
海外手当は、赴任国によって違います。
国によって物価は違うし、高地だったり、マラリアなどの風土病がある「しょうれい地」だったり、紛争国だったりすると、自分の命の危険があるところですので、命を守るために手当が高くなっているのです。
最も海外手当が高いのはイラクで、他のいろいろな手当類を合計したらそのくらいの金額になるかもしれません。(但し、イラクは家族同伴禁止です)
アフガニスタンなども海外手当の高い国です。
ただし、いくらもらえるお金が高いといっても、命の危険や生活の不便との引き換えであり、王様の暮らしができるわけではありません。
最も海外手当が低いのはアルゼンチンで、アジアで最も低いのはマレイシアです。これらの国々ではイラクやアフガニスタンの半分以下の金額です。
ここモザンビークでは、最高値と最安値の中間よりも低い金額です。
当然ながら、王様の生活なんてとてもとても無理です(笑)

命の危険度が高い国の手当額が。他のどの国でももらえるわけではなく、それで「王様のような生活ができる」と言われてもねぇ・・。
もし、この記事を書いた方が王様のような生活を求めて公募に応じてくださったら、そしてもし私が採用担当だったらとしたら、ご希望通りに海外手当の高い国に派遣して差し上げるんですけどね。(爆)

「でも、物価の安い途上国で日本よりも高い給与ならいいんじゃないか」と思う人もいるでしょう。
ある意味、それも合っています。
現地産の野菜や果物とかは日本とは比べ物にならないくらい安いです。
ですが、輸入物は日本と同じか、もっと高い場合もあります。そして、国内産業がほとんどないアフリカでは、輸入製品が多いです。
また、日本食などのように、そもそも手に入らないものもあるし、手に入っても質の悪いものしかない場合もあります。(例えば、こちらで合鍵を何本か作ったら、半分以上が使えませんでした(泣))

日本はよく「安全と水はタダ」と言われますが、途上国ではその安全と、水などのライフラインの確保がとても難しいのです。
以前に「モザンビークは安全」と書きましたが、それは近隣諸国に比べてであり、日本のような安全とは違います。酔って真夜中に街中をフラフラしたり、電車の中で寝てしまうなんて考えられません。家の窓に鉄格子もなく、銃を持った警備員が立つわけでもなく、落し物をしてもちゃんと警察に届けてくれる、日本はすばらしい国です。
日本ほどの安全は、ここではいくらお金を出しても得られるものではありません。
昨年12月と今年の1月の2ヶ月間だけでも、ここマプトで、国連の職員などが銃を持った賊に車や金品を奪われる事件が6件もありました。うち1件は実際に撃たれて病院に運ばれています。先週には、現地の犯罪捜査官の警察官2名が、別々の場所で賊に撃たれて命を落しています。

水や電気については、幸いなことに今住んでいるアパートはあまり心配はありませんが、それはそれなりの高い家賃を払っているからです。日本で家族5人で借りていた家の約2.5倍の家賃を払っています。(それでも時々、停電、断水・茶色い水道水のことがある)
タンザニアにいた時はもっとひどくて、停電・断水はしょっちゅうどころか、何日も停電したまま、断水したままということがよくありました。4日間全く水が来なかったこともあるし、水のない乾季には計画停電で電気が来るのが夜中の0時から朝の6時までという日々が何日間も続きました。つまり、昼間は全く電気がないわけで、洗濯機とかは使えないし、冷蔵庫に入れておいたものはすべてダメになりました。
蒸し暑いダルエスサラームで、シャワーも浴びれず、トイレも流せず、子供達には汗もができるし、本当に大変でした。
住居の契約が切れるとともに、大きな水タンクと自家発電措置のある家に引っ越し、それからは快適になりましたが、もちろんそれなりの家賃を支払っていました。

先にも書いたとおり、安心して受診できる病院がないというのも切実な問題です。
本当の王様なら自分専用の医者を雇えるかもしれませんが‥。

王様の暮らしどころか、いくらお金をかけても日本と同じレベルの生活をすることはできません。いや、本当に相当なお金をかければ、王様の生活も不可能ではないでしょうが、記事に書かれてある金額程度を仮にもらえたとしても、無理でしょうね。

安全や生活基盤にお金がかかるというだけではなく、途上国では様々な問題・不便があります。約束してもやってもらえなかったり、時間を守らなかったり、いい加減な手抜きだったり、正確さに欠けたり・・・。
細かい不便はいっぱいあるのですが、私はアフリカでの生活が通算で5年以上になるので、すでに慣れてしまって、当然と思ってしまっていることも多くなっちゃってますけど、日本から何も知らずに来たら、不便なことがいっぱいだと思います。

難しい話はちょっと休憩して、すごく細かい不便の例では、「おつりがない」ということがあります。
「なんだそんなことか」と思うかもしれませんが、本当におつりがなくて、不便なのです。
現地の、それも貧困層の人々が買いにいくようなバラックの店とか、道端で物を売っている人の場合というだけでなく、市場でも、外国人が行くような高級スーパーマーケットやおしゃれなショップでも、電気や水道料金を払う公共機関でも、おつりがないことがしばしばあります。
おつりのことではないですが、銀行のATMでお金をおろすことができないこともしばしばありますし、銀行窓口で自分の口座からお金を下ろそうとしたら、「今日は現金がない」と言われたこともあります。
日本だったら、銀行などで細かいお金に換えることは簡単なのですけど、両替どころじゃないんです。
お店でおつりがなければ、隣の店などで両替してもらえばいいと考えるでしょうが、隣の店も、その隣の店も、どこにもお金がないということもよくあります。買ったお店の人がおつりを探してどっかに行ってしまい、ちょっとした買い物なのに1時間もかかったこともあります。
ですので、買い物に行く時にはできるだけ細かいお金も持っていくようにしていますが、そんな買い物を続けていくと、自分も細かいお金がなくなってきます。

話は戻って王様の暮らしですが、
現地の人々、特に1日1ドル以下で暮らしている貧困層の人々からすれば、王様とまではいかなくとも、かなりの贅沢な暮らしをしているのは間違いありません。
日本人が考える王様の暮らしとは全然違いますけれどね。

でも、考えてみてください。
確かに日本にいる時よりは高い給与をもらっています。それが悪いというのなら、日本でもアフリカでも同じ給料であるべきだというのなら、
あなただったらどちらに住みたいですか?

日本でも途上国でも「同じ給与額」なら、途上国で働きたいという人は、ほとんどいないと思います。
約20年前に青年海外協力隊員だった時には、それまで勤めていた会社を辞めて参加したのですが、もらえる手当は5分の1くらいになりました。(それでも、エリートを除く一般的な現地の人よりは多かったですけどね)
でもそれは、ボランティアとして、途上国の人のためもありますが、自分への挑戦という面もありました。
2年間という期間限定であったからできたという面もあります。
でもそれでずっと続けていけと言われたら、イヤです。
アフリカが好きで、アフリカが専門である私でさえ、同じ給与だったら、日本での生活の方がはるかに楽で過ごし易いですから、日本を選びます。
もちろん、そうではない人もいます。お金じゃなく途上国に居たいという人が。
私だって、お金のためだけにアフリカにいるわけではありません。
ただ、日本人の多くは、いくらお金が高くても、アフリカに住みたいとは思わないでしょう。
下にある「モザンビークに行ってみたくなった?」のアンケート結果を見てもらってもわかるように、「怖くていけない」「飛行機代をもらっても行きたくない」と思うのが普通ではないでしょうか。このブログを読んでくださっている方は、私の知り合いか、アフリカに興味がある人が多いと思いますが、それでもこの結果ですから、一般的な日本人なら、もっとでしょう。短期間の旅行でさえそうですから、長期間住むということであれば、希望する人は滅多にいないでしょう。
ましてや、日本と同じか低い給与なら、途上国に好き好んで行って働こうという人はほとんどいなくなるでしょう。

自分の立場で考えてみていただければわかると思います。
あなたは、日本での給与より何割か多く貰えるのなら、アフリカで働きたいですか?
記事を書いた方に、そう聞いてみたいです。
もし答えが「Yes」なら、是非とも公募に応じてもらいたいです。




以下は余談ですが、記事には「本部ビルに潜入して驚きました。何と、すし屋を招いて、臨時すし屋台を設置していたのです。」とありました。
ウソは書いていないと思いますが、主語が抜けています。
すし屋を招いたり設置したのは、本部側ではなく、食堂を運営している民間の業者でしょう。
本部ビルの食堂の運営は民間の業者が行っています。
この業者の選定は公示・入札で複数の会社の中から正々堂々と行われています。
その業者が自身の売り上げを伸ばすために、企業の自助努力で臨時すし屋台を期間限定で設置したわけで、本部側のお金で招いたわけではありません。
もちろん、その寿司を食べるためには、職員は自分個人のサイフからお金を出しています。

というか、お寿司を食べられるなんてうらやましいぞー!(爆)
モザンビークじゃ、お寿司なんて食べられないですからね。(韓国人が経営するレストランでお寿司は食べられないことはないけど、先日そこで食べた日本人がお腹を壊した(^_^;)
日本に居る時くらい、お寿司を食べさせろ!ってか(笑)
自分のお金でお寿司を食べるのに、何の問題があるのでしょう?
しかも高級寿司ではなく、臨時屋台ですよ。

批判する論点がズレています。
というよりも、見せかけの正義感を振り回し、しょせんは「売らんかな」で、読者の目を引くために針小棒大に面白く書いているだけと感ぜられますね。

2010年02月25日

ハコモノ援助

「事業仕分け」以来、マスメディア等からのODAに対する風当たりが強いですが、無駄をなくしていくのはいいですが、実情を理解していないでの批判や、的を外している問題提起が多くて、怒りを通り越してあきれています。
このブログでは、基本的に政治的なことと宗教的なことは書かないことにしています。
最近のマスメディアの批判記事ラッシュの元は、昨年の行政刷新会議の結果が始まりなので、この件に関して書く気はなかったのですが、入院中に読んだ日本の某週刊誌の記事が「あまりにも」だったし、最近の報道でも同じようなことが盛んに言われているので・・・。
(なので、もしかしたらこの記事は、後で削除するかもしれません)

とは言っても、1つ1つ、誤りや認識違いを指摘していったら、とてもキリがないほどだし、細かいことに反論していくと、逆に全体の焦点が見えなくなってくるので、2点に絞ってです。

1点は「王様のような贅沢な暮らしをしている」という批判、もう1点は「ハコモノ援助」不要論です。

まず初めに、昨年の行政刷新会議ですが、結果ありきで、もともと話を聞く気がなかったようにも感ぜられ、「なぜそうなっているのか」について理解をしないで、というよりも理由すら聞かずに結論を出している感じでした。もちろん説明する側も説明しきれていなかったというのはありますが、突然の細かい質問にその場で全て答えられる代表者なんているわけはないです。
行政刷新会議メンバーの中には「えっ、そんなことも知らないの?」と思う発言をした、有識者とは思えない人達もいましたが、新与党の政治的なパフォーマンスの面がありますから、ここでは触れないことにします。

問題はその後のマスメディアによる、人の興味を引くように悪意を持って書かれたセンセーショナルな記事です。
まあ、週刊誌は結局、「売らんかな」で、読者を得るためにはセンセーショナルな書き方になり、「悪意を持って書くとこうなるんだぁ」という感じで、まともに相手をしても仕方がないということはあります。
「王様のような生活」は、テリー伊藤と同じノリで、1のことを10にして書かれたもので、この方が読者の興味を引く話題ですが、まずは興味がある人は少ないかもしれませんが、難しい方の「ハコモノ援助」についてです。

行政刷新会議の「とりまとめ」では、
「ハコモノ無償について見直しを行い、予算要求の1/3 程度を縮減していただきたい。削減したから全部やめるというわけではなく、ハードな部分からソフトな部分へ、また、人への支援にも使っていただきたい。(中略)このような方針で改めて見直しを行った上で、ハコモノ無償を続けていただきたい。」
と、「見直し・縮減は必要だが、今後も継続」となっているのに、マスメディアではハコモノ援助の失敗・無駄ばかりが強調され、「ハコモノ=すべて悪」「全て無駄」のような論調になっています。

ここで気を付けてもらいたいのは、行政刷新会議が言っているのは、「ハコモノ無償」についてであって、有償(円借款)のことではありません。
2007年9月にベトナムで建設中のカントー橋が崩落し、多数の犠牲者が出た事故は、無償資金協力ではなく有償資金協力でした。

「ハコモノ援助はダメ」って言うのは、けっこう前から言われています。
確かに20年以上も前から、ハコモノ援助での失敗例がいくつも出てきて、問題点も指摘されてきていました。それらの失敗を教訓に「日本の業者が作って渡すだけ」という意味でのハコモノ無償は、今では基本的になくなっています。
だいぶ前から、ハコモノ無償でも「現地の人を育てる」視点・協力が同時に行われています。
それに、確かにアジアなどのある程度進んだ国に対しては、もうハコモノ援助は必要なくなってきているのではないかと思います。しかし、アフリカにある多くの最貧国では、インフラが整備されておらず、まだまだハコモノ支援が必要とされているのです。

例えばですが、道路や橋、建物といった「ハコモノ」を作るよりも、人を育てる教育や、貧困層の飢餓を救うための食料支援、病気や衛生状態の改善のための保健医療援助をするべきだとの意見があります。
たしかにそれはその通りです。でも、それらの問題を解決するために、ハコモノも非常に大事なのです。

●ハコモノと教育
「学校に行けない子、文字の読み書きができない子が多い」ということに対し、まず普通に考えられるのが、「学校を建てる」(ハコモノ)ことです。
最近は学校建設も、住民参加型で地域住民を指導しながら建てることもあるし、日本の業者ではなく現地の建築業者に依頼し、現地の雇用・収入にも役立つようにしていることが主流になってきています。
ただこの場合の問題は、予定通りに工事が進まず工期が遅れることが多かったり、できた建物の質が悪くて数年で不具合が発生したりすることがしばしばあることです。(日本の建設業者の仕事も奪うといった面もありますが、それはまた別の話で。)
また、現地の業者を使えば建設費用が安くなるかといえば、質の割にはあまり費用の削減効果は高くないです。

また、「校舎」という「ハコモノ」を作るだけでなく、学校には先生が必要ですし、教材や文房具類も必要です。
先生を雇うと言っても、そもそも途上国では先生の数が少なく、無資格の先生も多く、先生の質にも問題があるので、それを補うためには教員養成学校を増やしたり、教員への訓練なども必要になります。つまり、そういった支援も必要になる場合が多いのです。
また、先生の給与や、学校の光熱水道代、維持管理費など、後年度負担もかかります。
日本の小中学校では給食が出ますが、給食がなければ長時間の授業はできませんし、学校に行くモチベーションも下がりますし、生徒の健康も考えれば、給食も出すべきですが、給食代が毎日必要になります。
そもそも学校を建てるお金がないところに、そうした通常の運営にかかるお金を捻出してもらうというのは難しいのです。
建てたはいいが、先生が雇えなくなり、水も出なくなり、校舎が壊れてもそのまま放置、ってことになってしまっては、元も子もないわけです。(例えば水がなければ、トイレの後で手も洗えないので、病気が学校から蔓延してしまう可能性もあるわけです。)
かといって、日本が毎年、そうした運営資金を負担していくというのは無理がありますし、やるべきでもありません。
途上国の人々が、自分達で管理・運営できるようにならないといけないわけです。
そのためには、相手国の教育省などへの予算確保の働きかけや、父母会や地域住民組織による運営のための協力も必要になります。
日本の某人気テレビ番組で、途上国に学校を建てるというのがありましたが、その後の維持・管理はどうしているんだろう?と気になります。

また、学校に行けない/行かない理由は、「学校がない」からだけではありません。
最貧国では子供は労働力です。
毎日何時間も井戸まで水汲みに行ったり、家畜の世話をしたり、食事の用意をしたり、いろいろなことをしています。
子供が学校に行ってしまうと、家庭ではそれらの仕事をする人がいなくなってしまいます。
それを改善するには、親の意識を変えさせることや、親の収入を上げることも必要ですし、遠くの井戸まで行かなくてもいいように近くに井戸を作ってやったりといったことも必要です。
親の収入を上げるには、大人への職業訓練とか、地域産業の振興とか、起業を支援するためのマイクロファイナンス等への支援が必要になります。
国によっては他にも学校に行けない理由があります。宗教・慣習上の理由(例えば、女性は家にいるべきというようなものなど)、戦争や紛争の影響、少数民族への差別、親のいないストリートチルドレンなどの問題などがある国もあります。

また、読み書きができるようになったら、それを活かして仕事に就いたり、国の発展のために大学などの高等教育を受ける可能性もでてきます。でも、学校を出ても国内に十分な働き先がなければ、「卒業したはいいけれど‥」となり、せっかく教育にかけたお
金も無駄になってしまうし、働き先を得るために/より高収入を得るために優秀な人が海外に行ってしまったら頭脳流出となり、国の発展を遅らせることになります。
つまり、教育をするだけではなく、教育を終えた人達の働き先を確保する経済・産業の振興も同時に必要なのです。

つまり、「校舎」というハコモノだけではなく、ソフトコンポーネントがかなり重要であり、現在ではそれらを考慮した上での支援が行われています。
ただ、考慮すること、問題・課題がたくさんあって、すべてが目論見どおりに上手くいくというのはなかなか難しいです。

●ハコモノと食料
途上国の飢餓などといった食料問題を解決するには、食べ物そのものを上げる食料援助というのがあります。
これは災害などの緊急時や、水不足などによる飢饉の時などに有効です。
でも、「魚を与えるより、魚の釣り方を教えた方がいい」と言うように、食べ物は食べてしまえばお終いですが、食べ物を得る方法(農業や漁業など)を教えてあげれば、今後、自分たちだけで自立できるようになります。
例えば農業であれば、天水(雨など)に頼る農法では、天候に左右され、豊作の年と飢饉の年があり、サイクロンなどの災害時にはとたんに困ってしまいます。
そこで、安定して食料を得るためには、田や畑に安定して水を供給できるよう、かんがい施設などの「ハコモノ」が必要になります。

さて、ある年に、途上国の国内のある地域で天候や災害により食料が不足したとします。他の地域は豊作なので、他の地域から食料を持って行こうとしたところ、道路は穴だらけ、ぬかるみだらけでトラックが通れないとか、途中の川に橋がないため渡れないとなれば、食料を届けることができません。
つまり、道路や橋といった社会インフラは不可欠であり、整備するためのハコモノ援助が重要なわけです。

また、自分たちが食べる分だけでなく、現金収入のため首都や外国に輸出する換金作物を栽培したとしても、道路や橋、鉄道がなければ持って行くことができません。
港が整備されていなければ、大きな船は接岸できないので、外国に輸出することもできませんし、外国の物品も入ってこなくなります。
途上国の多くは農業国であり、農産物を運べないというのは、致命的です。
これは日本にとっても問題です。日本は食料のかなりの部分を海外からの輸入に頼っていることは、みなさん知っていると思います。
その面でも、道路・橋・港湾などのインフラ(ハコモノ)はとても重要なのです。

●ハコモノと保健医療
途上国では衛生状態が悪く、平均余命(寿命)が短い(モザンビークは47.8歳、日本は82.7歳)というのがあります。
5歳までに亡くなってしまう乳幼児死亡率は、モザンビークは日本の約40倍です。
病気などで子供たちが早くに亡くなってしまうという痛ましい現実があるだけではなく、大人も、例えば優秀で働き盛りの現地の人が、若くしてHIVやマラリアなどで亡くなってしまうのは、国の発展のためにも大きな痛手です。

この保健医療事情の改善のためにも、様々なことが行われています。
首都だけでなく地方に病院を建てたり、看護師、臨床検査技師、薬剤師などの医療従事者の養成をしたり、「手を洗いましょう」などの基本的な啓蒙活動をしたり、マラリア撲滅のための衛生状態の改善や蚊帳などの配布などなど。
日本では子供のうちに各種の予防接種をしていますが、アフリカなどの途上国でも感染症撲滅のためにワクチンの国内一斉接種を行っています。(病気が広まらないよう、一斉投与が望ましいのです)
ただ、予防接種を受けさせると言っても、日本のように簡単ではなく、国内の村々へワクチンを届けなければなりません。
道路などが整備されていない途上国では、海外から届いたワクチンが村に届くまでに何日も何十日もかかります。
ワクチンは冷蔵して運ばないといけないので、途中の拠点に冷蔵庫が必要になりますし、最終目的にまで運ぶ時のクーラーボックスのような物品の支援も必要になります。(コールドチェーンと言います)
当然ながら、村までの道路・橋といったインフラや、運ぶための四輪駆動の自動車も必要になります。

●日本もハコモノ援助を受けていた
日本は、第二次世界大戦の敗戦での疲弊から、まるで自分達だけの力で復興したかのように思っている人もいますが、実はいろいろな国際社会からの援助を受けていました。
例えばですが、南北アメリカ諸国や国連児童基金(UNICEF)から学校給食の支援を受け、アメリカの民間団体からの医薬品・学用品支援を受け、UNICEF からワクチン・医療機器の支援などがありました。
ハコモノへの支援としては、有名なものでは、東海道新幹線、黒部第4ダム、東名高速道路、首都高速道路、愛知用水などは、世界銀行から13年間にわたり約8億6千万ドルの融資を受けてきたものです(これらは有償です)。学校の授業で習ったので覚えている方もいると思います。
この融資への返済が完了したのは、約20年前の1990年7月です。
このブログを読んでくださっている方の中には20年前にはまだ生まれていなかった人もいるかもしれませんが、1990年に自分がどこにいて、どんなことをしていたか思い出してみてください。
その時に、日本が発展途上国だったと思う人はいないと思います。
でも、その時まで日本は、ハコモノを作った時のお金を借りていたわけです。

●中国によるハコモノ援助
中国が最近、各途上国に対する援助、特にアフリカに対する援助をどんどん増やしています。
援助額が増えるに従って、中国の存在感が大きくなり、国際社会での発言権も強くなっています。中国に援助してもらっている途上国は、国連などでも中国の味方をするようになりますから。

中国の援助は、そのほとんどがハコモノ援助です。(有償が多いですが)
マプートも今、建設ラッシュで、その多くが中国によるものです。(建設のすべてが援助というわけではありませんが)
空港もサッカースタジアムも省庁の建物などもです。
中国のハコモノ援助で特徴的なのは、作業員も中国人だというところです。
マプートの街中では中国人を以前よりもよく見かけるようになりました。マプトの空港や、南アフリカのヨハネスブルグの空港などでも中国人をたくさん見かけます。(南アフリカも、6月のサッカーワールドカップに向けて建設ラッシュ)
ハコモノ援助への批判をしている日本人の多くが「イメージしている」、典型的な昔ながらのハコモノ援助に近いのが現在の中国の途上国援助です。
そしてそれは、現地では概ね高い評価を得ています。


●そして・・・
ハコモノ援助だけがいいというわけではありません。
基礎的な生活を守る安全な水、食料、保健医療は何をおいても重要ですし、国の発展のためには人を育てなければいけないし、産業も振興していかないといけないし、環境問題も大事な視点です。
しかし、上記に書いたように、基礎生活を支えるためにもインフラは重要で、そのためにはハコモノ援助は非常に有効な1手段です。
現地の人の収入を増やすために産業や経済の振興をするにしても、電気のような基礎インフラが整っていない途上国では、発電所・変電所・送電網といったハコモノ援助は必要です。
アジア、特に東アジアのいくつかの国にはもうハコモノ援助は必要ないかもしれませんが、そのあたりの国が発展してきた理由の1つには、日本によるこれまでのハコモノ援助が少なからず挙げられます。
少なくとも、インフラが整っていないアフリカでは、まだまだハコモノ支援は必要不可欠です。
そして、昔の案件ならともかく、現在では、無償資金協力については、「ハコモノだけ」というのは基本的になくなっています。

例えば、「車が1日数台しか通らない場所に道路や橋を作ってどうするんだ?」という批判があります。
それはその通りで当たっています。
数台のために何億円ものお金をつぎ込むのは無駄と言えます。
ただ、道や橋がなかったために、これまでは物流がほとんどなく、通行量が少なかったということも言えます。
「ニワトリが先か、タマゴが先か」で、橋がないために物を大量に運ぶことができず、首都や外国に売る作物を作る意味もなかったし、(例え伝統的な何かや豊かな自然などがあったとしても)観光客が来ることもなく、土地はタダ同然に安く人件費も安いのに企業が工場などを建てることもなかった、とも言えます。そのために人々が収入を得られず、絶対貧困の生活から抜け出せないという面もあります。
日本でも東海道や山陽道などの五街道を中心に栄えていったということがあるように、道ができたところから栄えていくという面もあります。
だからどんどん道や橋を作れということではなく、何かのポテンシャルがあるところには、今後の発展の可能性や地域住民への裨益なども検討し、維持管理に必要な相手側の保証も確保した上で、単純に一律に「ハコモノ援助はすべてダメ」と決め付けるのではなく、必要性・妥当性に応じた支援をするべきと考えます。

アフリカの人達が先進国からの援助に一番求めているのは、ハコモノとモノと言ってもいいほどです。
(もちろん、本当は一番はお金なのですが、それはそれで別の問題があります。)
「この建物を建ててくれ」「この道路を作ってくれ」「この機材を入れてくれ」とよく言われます。
その度に「日本はハコモノだけの援助はしない」と言っています。
なぜそれがダメなのか、なかなか理解してもらえません。(中国などはしているしね)
そのハコモノが今後もずっと適切に使われていくように、その目処が立つものにしか援助はしません。
(目処が立ったと思って援助したら、後で予想外のことが起きて失敗例になるのが、なかなか完全には防ぎきれていないのですが‥)

ヒト(人材)・モノ(設備等)・カネ(資金)が非常に乏しいアフリカなどの途上国では、日本のような先進国のように予定通り・計画通りにいつも事が進むわけではなく、残念ながら結果的に失敗案件となってしまうものもないとは言えません。
計画ではハコモノの維持管理を行う人材を育成し、運営資金も確保してもらえる予定だったのが、予想もしなかったことによりそれが頓挫し、結果としてハコモノが無駄になってしまうケースが全くないわけではありません。
いろいろなケースを想定して準備してさえも起こりえますし、残念ながら計画の段階である視点が抜けていたために起きる人為的なものもゼロとは言えません。もちろん、本来はそうしたことはあってはいけないのですが。
ただ、失敗例は猛省すべきだし、判明した段階で軌道修正すべきですが、一部の失敗例を元に「ハコモノ=すべて悪」というのは間違っています。

ハコモノ援助はすべてやめて、人道援助と環境問題への支援だけというのは、逆に無駄になってしまう危険性があり、相手側のニーズにも実情にも合わない、バランスの悪いことになりかねません。

2010年02月24日

ズボンを脱いで

病気の話は昨日で「おしまい」と思っていたのですが、実は、まだ完全には治っていなく(だいぶ良くなってきてはいるのですが、なかなかスッキリと治りません)、今日も病院へ行ってきたので続きです。

退院後も未だに毎日何錠か薬を飲んでいますし、毎週1回は通院しています。
原因は、担当医が「もっと入院していた方がいい(安静と点滴のため)」と言うのを、仕事があるので退院させてもらったために患部に負担がかかってしまっているせいもありますが、脚の腫れの原因が蜂巣繊炎だけなら抗生物質の投与だけで1週間か、長くても2週間で治るハズですが、たぶんそれだけではないからだと思います。
おそらくコンパートメント症候群に近い状態になっているからだと思います。

それで今日は、エコー検査をしてきました。
血液の流れが患部付近の腫れで阻害されているようだからです。
エコー検査とは、妊婦のお腹の中の胎児の状態を映像で見るアレです。

看護婦さんに超音波検査装置のある部屋に連れていかれ、ズボンを脱いでベッドに寝るように言われました。
患部は主に脛(スネ)のあたりから下なので、なんでズボンを全部脱がないといけないのだろうと思いながらも、言われたとおりにすると、
「パンツの着替えはあるか?」と聞いてくるのです。
ポルトガル語なのではっきりとはわからなかったけど、断片的な単語と、しぐさから、そんな感じでした。
「えっ?何のこと?」と、理解できませんでした。
ポル語の聞き違いかとも思いました。
(ズボンを脱いで、ベッドに横になり、パンツの替え)って・・・
変なことは想像しなかったけど(爆)

後で検査になってわかりました。
患部は脚の下の方ですが、血液の流れを診る為に、脚の付け根の股の部分から検査したからです。
超音波装置を脚の付け根に当てる時に、ゼリーを塗るわけですが、それがパンツにも付いてしまうからです。

検査は担当のモザンビーク人の先生(男性)ではなく、病院の院長先生(白人女性:たぶん南アフリカ人)が行いました。
検査自体は20分くらいでしたが、日本の病院でもそうですが、待ち時間の長いこと。
それでも、モザンビークの一般的なレベルからしたら、だいぶスムーズに、受付・支払(日本と違って、先払い)・検査・問診・薬の購入と進みました。

結果的には、シリアスな状態にはなっていないということで、抗生物質の種類を変えるのと、炎症を抑える薬と、塗り薬を処方されて、1週間後に状態をモニターするためにまた病院へ行くことになりました。


さて、この病院は、マプートにある他の建物と比べるとかなりキレイだし、今日使ったエコー検査装置などもあるし、近々、CTスキャンも入れる予定とのことで、医療器具も揃えつつあるのですが、
今日使った体重計はこれ(↓)
IMG_3632 IMG_3631
下の重りで60Kgとか80Kgとかに合わせ、次に上の重りを左右に動かして釣り合いをみて、重さを調べるもの。
昔ながらの「天秤(てんびん)ばかり」という感じです。

それに、診察室も通路もキレイに整ってはいるのですが、ところどころ天井の電球が切れているなど、どんなにキレイでも、やっぱりアフリカという感じです。
IMG_3628

2010年02月23日

病院食

(入院シリーズ最後です)
病院で出る、1日の食事です。

  朝食:パン1個(バター&ジャム)、ミルクティー
  昼食:スープ、ライス、メイン(肉か魚)、サラダ、デザート
  午後ティー:パン1個(バター)、ストレートティー
  夕食:スープ、ライス、メイン(肉か魚)、サラダ、デザート

毎日同じパターンです。
下に写真を載せています。
(写真だと、けっこういい食事にも見えちゃうなぁ)

朝食はパン1個とミルクティーだけなので、腹が減ります。
一時期一緒の病室だった10歳くらいの子供の朝食は、スープのみでした。(ポリッジだったかも)
昼食も夕食もほとんど同じもので、量が少ない。
合間にチョコレートをつまみ食いしました。
日本の大病院みたいな売店はないし、日本みたいに近くにコンビニもありませんので、チョコレートを2枚だけだけど、持って行って助かりました。
conveni
強いて挙げれば、病院の外の道端で売っている写真の兄ちゃんがコンビニかな(^_^;

まあ、ずっとベッドに寝ていて運動しないから、いつもと同じに食べたら太っちゃうけど、それでも少なすぎて、2日で体重が2キロほど落ちました。
少しだけダイエットになったかも(笑)
ただ、途中で同僚が差し入れしてくれたので(頼んだわけではないですよ)、後半はそんなに体重は変わりませんでした。
小食に身体が慣れて、エコモードになったというのもあるかもしれません。

入院する時に、医者から「食べ物のアレルギーはあるか?」と聞かれて、「ないよ」と答えたら、「患部は足なので、食べるのには問題ないから、好きな食べ物を持ちこんでいいよ」と言われました。
アレルギーはないのに何で?と思い、「病院では食事は出ないの?」と聞いたら、「出るけど、口に合わないかもしれないから。」ということでした。
でもそれって、量が少ないからってこともあったのかもね。

「何でも持ちこんでいい」と言われたから、冗談で「ビールもいいか?」と聞こうと思ったけど、真面目そうな先生だったのでやめました。
その先生は、10年以上前だけど、JICAの青年招へいプログラムで日本に行ったことがあるということでした。
日本のことを知っているってことは、ちょっとラッキーでした。日本に親近感を持っているでしょうから。

問題は、食事の量が少ないというだけでなく、食事の時間と検査・治療の時間がほぼ重なるため、食事を中断して治療に入ったり、運ばれてきた食事を横目に30分近くの点滴だったりで、ただでさえそんなに美味しいわけではない食事なのに、冷めてしまってさらに・・・のこともしばしばありました。
1度は見かねて給仕の人がスープを温め直してくれました。

ちょっと「あれっ?」と思ったのは、昼食も夕食もお米のご飯なんですよね。
シマ(東アフリカの主食:トウモロコシの粉でできている)じゃないんですよ。
お米の方がまとめて大量に作るのに楽だからかな?とも思ったけど、シマは現地人の食べ物なので、外国人の入院患者が多い病院では「そんなもの出せるかい」って感じなのかな?

写真をよく見てもらえばわかりますが、食器がよく欠けています。
病院で出す食器が割れているというのも、日本では考えられないことですよね。



blank_black1日目夕食なし(腹減ったぁ)

2010021001
2日目朝食

2010021002
2日目昼食

blank_black2日目ティータイム(画像なし)

2010021004
2日目夕食

2010021101
3日目朝食

2010021102
3日目昼食

blank_black3日目ティータイム(画像なし)

2010021104
3日目夕食

2010021201
4日目朝食

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4日目昼食

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4日目ティータイム

2010021204
4日目夕食

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5日目朝食

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5日目昼食

2010021303
5日目ティータイム

2010021304
5日目夕食

2010021401
6日目朝食

2010021402
6日目昼食

2010021403
6日目ティータイム(バレンタインデー)

2010021404
6日目夕食

2010021501
7日目朝食

2010年02月17日

治療

主な1日のスケジュールです。
(もちろんこんなに正確に時間通りではないけど、プラスマイナス30分くらいと、アフリカにしてはかなり破格の正確さ)

5:30 起床、シャワー、着替え、ベッドシーツ交換
6:00 体重計測、検温、血圧測定、心拍測定、点滴
7:30 夜勤と日勤の看護師の入れ替え・申し送り
8:00 朝食、注射(なぜか同じ時間)
9:00 医者の総回診
10:00 血圧測定
12:00 検温、血圧測定、心拍測定、注射、点滴
12:00 昼食(上記の治療と同じ時間なので、ご飯が冷めてしまうことも)
16:00 ティータイム、検温、血圧測定、心拍測定
16:30 医者の総回診
19:00 検温、血圧測定、心拍測定、注射
19:00 夕食(だからぁ、同じ時間だと食事が冷めちゃうんだってばぁ!)
19:30 夜勤と日勤の看護師の入れ替え・申し送り
20:00 注射
22:00 特に決まりはないが、この前後に就寝
24:00 突然起こされて、検温、血圧測定、心拍測定、点滴

chiryo02chiryo01写真は、点滴というか、注射の機械です。
ゆっくり液を押し出すようになっています。
最初は白い方の機械を使っていたのですが、途中でエラーが頻発するようになり、途中から緑の機械になりました。でもそちらもエラーがよく出ました。

上記のように測定は頻繁にするのですが、この測定がいい加減で、例えば体重なら、77Kgを差していても、74Kgを示していても、診断書に記入するのは「75Kg」。
血圧についても、140/90とか、130/80とか、全て10単位で書かれています。
1日5回も6回も血圧測定しますが、記録を見ると7日間、血圧の上も下も全て10の整数倍で記録されています。

また、これは困ったことですが、注射をする際に、注射器の中に空気が残っていてもさほど気にせずに注射しちゃいます。
ちょっとどころではなく、結構たくさん空気が入っています。
俺を殺す気かい!

2010年02月16日

病室

病院では却って病気を移されそうだし、大部屋だと落ち着けないので、個室、または2人部屋を希望しましたが、空いていないとのことで、4人部屋に入れられました。

room01
他の3つのベッドもすべて埋まっていて、太った南欧系のおじさんと、黒人のおじさんと、インドかパキスタン系のあんちゃんが寝ていました。
balho
部屋にはシャワー・トイレ・洗面所が付いています。


room02
それが夜9時になって、「部屋を変われ」と言われました。

今度も同じく4人部屋なのですが、同室の患者は1人しかいないので、実質2人部屋でした。そのもう一人の患者は、カラード系の10歳くらいの子供でした。


room04tennoそれがまた翌日2日目の午前中になって、また部屋を変わるように言われました。今度は完全な2人部屋です。
同室の患者は、インド系のお爺さんで、昭和天皇のような感じの人でした。
そのお爺さんも、2日目の夕方には、退院したのか、部屋を変わったかで、部屋を出ていき、部屋には1人だけになりました。
その後、3日目の夜に車椅子でウンウン唸っているポルトガル系っぽい患者が運ばれてきて隣のベッドに入りましたが、翌朝には元気に歩いて退院していきました。

というわけで、ほとんどは2人部屋を1人で占有していました。
さすがVIPの日本人!
でも、そのくらいの待遇にしてもらわないと、怖くて入院なぞできません。
(でも、そんなこともあり、掃除の兄ちゃんから「仕事を探しているんだが、お前のオフィスで働かせてくれないか」と言われました。)

ただ、この病室が寒いのなんの。
外は暑いのですが、病室はクーラーがガンガンに効いていて、ものすごく寒かったです。
特に、3度目の病室では、クーラーの風が寝ているベッドに向いていて、ビュンビュン冷たい風が直接来るので、毛布をかけても寒いくらいでした。
しかも昼間だけでなく、真夜中も朝までかまわずにクーラーをつけています。
「クーラーを弱くするか、風向きを変えてくれ」と看護師に頼みましたが、「できない」と言われました。それで、昭和天皇似のお爺さんがいなくなってからは、そちらのベッドに移りました。
また、昼間は窓を開けて、外の暖かい空気が入るようにしていました。
まったくエネルギーの無駄使いです。
ただ、網戸はあるものの、窓を開けておくと蚊が入ってきて、刺されてマラリアになってはしかたないので、蚊取りマットをたいていました。
あまり効かなかったけど・・・。

でも、寒さに慣れてしまって、退院して家に帰ったら、暑くてたまんなかったです。

2010年02月15日

やっと退院

先週の火曜の夕方に入院して、今日月曜午前に退院しました。
まさかこんなに長く入院することになるとは思いませんでした。
しかもアフリカで。

入院すること自体、小学生以来のように思います。
医療設備の整っていない、医療従事者の質も安心はできないアフリカでは、できるだけ病院には行きたくはありません。ましてや入院なんてしたくはありませんし、手術なんてなると、とんでもありません。

他の近隣アフリカ諸国同様(南アフリカ共和国は除く)、モザンビークにも完全に信頼できる病院はありません。基本的にはモザンビークに住んでいる外国人や金持ちは、大きな病気の場合は隣の南アフリカ共和国やヨーロッパの病院に行ってしまいます。
現地の人が行くような、中央病院やマプト市立病院なんかに入院したら、逆に病気になりそうです。
hospital01
今回入院したのは、日本語に訳すと「心臓研究所」というところで、各国大使館員や国連職員なども利用している病院です。

入院施設はありますが、さほど大きな病院ではなく、20床くらいかな?
モザンビークの中では、「まあまあ」信用できる病院です。
他の病院よりはマシということですが。

watertank
なにしろ、入院中に一度、断水になりました。
(幸い、停電はなかった。)

写真にもあるように、大きな水タンクが何基もあるにもかかわらずです。
日本の入院施設のある病院で断水になるなんてことは、まずないでしょうね。それに、後でも書きますが、検査のいい加減なことと言ったら・・・

病名は、蜂巣繊炎ということでしたが、血腫が溜まっているようで、軽いコンパートメント症候群のようでもあり、入院期間が当初より伸びてしまったわけです。
打撲して脚が腫れたのでアイシングをしたのですが、3日後に腫れが引いたのでまた運動したのが悪かったらしく、その後、日が経って行くに従って、治るどころかどんどん脚がパンパンに腫れていき、広く内出血もしていました。いくら冷やしても腫れが引かず、歩くのが痛いし、靴も履けなくなったので、病院に行ったところ、即入院となったのです。

医者は英語が通じますが、看護師(男女半々くらい)の多くはほとんど英語が話せず、何言っているんだかよくわからないので、まな板の鯉になって、されるがままにしていました。
(「寒い」とか「窓開けて」とかはポル語で言ったけど。)

話は戻りますが、入院に際して、デポジットで30万メティカイシュ(約10万円)を出すように言われました。入院してお金を払わずにトンヅラしてしまう人が沢山いるそうです。
6泊の入院で、ほぼこの30万メティカイシュを使いきってしまいました。

緊急入院で、入院前に仕事の引き継ぎと着替えとかの用意のために2時間ほどだけ職場・自宅に帰らせてもらいましたが、時間があまりなく、とりあえず入院中にポルトガル語の勉強でもしようと思って、ポル語のテキストと辞書だけは持って行きました。
でも、寝ている体勢ではすぐに疲れてなかなか勉強がはかどらないし、ポル語のテキストだけだと飽きてしまいます。

入院3日目に職場の同僚(現地人スタッフ)がお見舞いに来てくれた時に、日本の週刊誌を1冊、持ってきてくれましたが、他に読み物がないので、スミからスミまで読んでしまいました。
興味のないゴルフの記事も、広告までも読んじゃいました。
そういえば20年ほど前に協力隊員だった時には、今と違ってインターネットなどなく、日本語の読み物など滅多に手に入らなかったので、たまに日本の雑誌とかが手に入ると、隅から隅まで読んだものです。
日本語に飢えていました。
あの頃ほどではないけど、似たような感じでした。
最近の協力隊員は、アフリカでもインターネットが普及してきたので、あまりそういう感覚がある人は多くないんでしょうねぇ。
時代は変わってアフリカでの生活も便利になったものです。

入院に際して最初に持っていったのは、着替えとポル語のテキストの他には、歯磨きセット、髭剃り、蚊取りマット、デジカメなどです。
それから、ペットボトルの水と、万一に備えてチョコレートです。
入院までに買い物に行く時間はありませんでしたが、常日頃から水と食料は自宅に備蓄しています。
日本でも災害の時のために備蓄している家庭は多いと思いますが、日本なら災害の時には小学校などが避難所になって、自衛隊とかが救援物資を持ってきてくれますが、途上国ではそのようなことは全く期待できません。
それに、モザンビークではまずないとは思いますが、クーデターとかあった場合に、外に出られなくなることもあります。
ただ、水はいいとして、病院に持っていく食料となると、あまり適当なのがないんですよね。
ということで、いざとなったら職場の同僚に携帯電話で助けを求められるから、チョコレート2枚だけ持って行きました。(でも、これでだいぶ助かった。)

当初は2〜3日の入院ということだったので、着替えは3日分しか持って行っておらず、入院延長が決まった時に、医者にお願いして着替えなどを取りに3時間だけ家に帰らせてもらいました。
着替えを持っていくだけではなく、退院した後に着る下着などもなくなるので洗濯したりとか、ゴミを捨てに行ったりとか、職場に行ったりとか、忙しかったけど、パソコンを病院に持って行けたのが良かったです。
病院内ではインターネットはできませんでしたけど。

ところで、土日は看護師がダレている感じでした。
医者の回診も、いつもは7・8人いるのに、土日は1人だけで、見張りがいないからか、看護師とかはダラケている感じでした。
土日は緊急以外は外来はなく、各病室も見舞いに来ている人が多く、看護師はあまりやることがなく、音楽を聴いたりダベっていたりして、定期的な計測や点滴の時間もいつもよりもいい加減でした。

まあ、そんなこんなはありましたが、この病院に入院した日本人は私が初めてでしょうから、看護師や給仕や掃除の人達がよく声をかけてきたり病室を覗きにきたりして、ポル語はよくわからなかったけど、面白かったです。
もう二度と入院したくはないけど。続きを読む

2010年02月13日

退院延期

入院期間が延長になって、明後日に退院することになりました。
入院延長に伴い、着替えとか必要になったので一時帰宅中です。
2時間で病院に戻ります。
仕事も持っていかなくちゃ。

2010年02月09日

緊急入院します

急きょ、入院することになりました。
着替えの準備で1時間だけ家に戻ったところです。
数日間、家を空けます。ネットからも消えます。

2010年02月08日

パンク

先週のことですが、出かけようと思って駐車場へ行ったら、車が斜めになっています。
あれっ?と思って見たら、前輪の片方がパンクしていました。
その前日に乗った時には何ともなかったのですが、いつの間にパンクしたのでしょう?

とりあえずスペアタイヤに交換して、パンク修理に行きました。
修理代が50メティカイシュ(約150円)ということでしたが、2か所穴があったということで、60メティカイシュでした。安っ!

でも、どこかに出かけている時じゃなくて良かった。
道端でタイヤ交換するのも、場所によっては怖いですからね。
特に最近、銃器による自動車強盗がマプート市内で続いているので。

2010年02月07日

バチがあたった

「ほぼ透明の水道水が蛇口をひねるだけでいつでも出てくる」って書いたからなのか、一昨日の朝から、水道水が茶色くなっています。
まるでマンガみたいな話ですが、本当のことです。

おとといの朝に、水がちょろちょろとしか出なくなって、「断水だ、めずらしいな」と思ったのですが、朝シャン派のzikomoは、お湯も出ないので、しかたなくバスタブに水を溜めて、髪を洗いました。
万が一の時のために、ミネラルウォーターを買い溜めしてあるので、料理の方は大丈夫ですが、さすがにそれでお風呂に入ったり、トイレを流したりはできないです。

しばらくして、ガボッガボッっという感じで水が戻ってきたのですが、かなり茶色い水が出てきました。
うちだけじゃなく、同じアパートの他の部屋も同じだということで、zikomoへのタタリではないようです(爆)

今日になってもまだ茶色いです。(だいぶ色は薄くなってきたけど)

まあ、マラウイやタンザニアの時は、こんなことはしょっちゅうだったので、慣れてはいますが、ここではめったになかったことなので、少々あせります。

タンザニアの時はキツかったです。
水も電気も何日もこないことが何回も続いて、自分一人ならまだしも、家族もいましたから。
zikomoはまだ、昼間は水も電気もある職場だったので良かったですが、カミさんはかなり参っていました。
ここよりも暑くて、子供達は汗がいっぱい出るのですが、お風呂にも入れず、トイレも流せずで、アセモができるので、水を求めて給水車を探したり、大きなポリタンクを車に乗せて知人の家を回ったりで、クタクタになっていました。
家の契約期間があったので引っ越すこともできず、引っ越すまでの1年弱は大変でした。
引っ越した先は水も電気も心配ないところだったので良かったですが。
(水は9トンもの大きなタンクがあり、停電の際にはすぐにジェネレータが動いた。)

それに比べたら、たまに茶色い水くらいなら、どうってことないです。
でも、書いた直後というのは、タイミングが良過ぎ(笑)

2010年02月03日

うなぎの蒲焼

今日は久しぶりに鰻の蒲焼を食べました。
2ヶ月ほど前に日本からの出張者がウナギが1尾入った蒲焼きのレトルトパックをお土産に持ってきてくれたものです。

zikomoは日本食がなくとも平気な方なので、ほとんどこちらには日本食を持ってきていません。
約20年前に協力隊員だった時は、それこそ全くといっていいほど日本食は手に入らなかったので、今でも特になくとも大丈夫なのです。(当時はインターネットもなかったので、日本の友人・家族との接点は届くか届かないかわからない郵便だけでした。)
まあ、ここマプートではキッコーマン醤油などが手に入るというのもあります。
それでも日本食は、昨年7月のパリ出張の時に少し買ってきたのと、昨年末に数日間だけ一時帰国した時にミリンなどを買ってきてはいます。

ところが、最近の協力隊員の中には、赴任の際にダンボール箱いっぱいに日本食を持ってきている人もいるそうです。
中には、日本にいる友人・家族・職場の同僚などから日本食を送ってもらっている人もいるようです。
そうでなくとも、クレジットカードで買い物をしたり、レストランで食事をする隊員もいるということで、時代は変わったものです。
まあ、自分のお金なので別にいいと言えば、いいのですけど、現地の人達と同じ目線で活動するという協力隊の姿勢からすると、現地の人からすれば超贅沢な暮らしをし、現地の人とは違うものばかり食べているのはどうかと思います。もちろん時には息抜きは必要ですけど。
もちろん、みんながみんなそういうわけではなく、一部の人だけでしょうし、現地の生活に密着した隊員もいますので、どういう生活をしているのかは人によるのですが・・・

話が逸れました。
うなぎの蒲焼きですが、ある程度の年齢以上の人には絶大な人気がありますが、若い人には好きでない人も多いようです。
以前、日本にいた頃、ある土建系の職場から出向で来ている方がいました。zikomoよりも10歳くらいは年上だったと思います。
酒の席でその方に、「(女性を)初めてのデートで食事に連れていくとしたら、どこに連れて行きますか?」と聞いたら、即座に「うなぎ屋」と答えたのにはビックリしました。
zikomoのカミさんはウナギが嫌いなのですが、以前に勤めていた会社で、上司にウナギ屋に連れていかれて困ったそうです。「ここは旨いんだよ」と言われて、「ウナギは食べられない」とも言えず、無理に食べて、具合が悪くなったそうです。
zikomo自身は、ウナギは嫌いではなく、かといってすごく好きというわけでもなく、たまには食べたいな、という程度なのですが、以前、部署が変わって上司が代わった時に、その上司にウナギ屋に連れて行ってもらったことがあって、それは自体は良かったのですが、そのウナギ屋がオジサンばかりでタバコの煙がもうもうで、しかも同席していた上司まで煙草をプカプカしはじめて、ウナギの味どころではありませんでした。

さて、うなぎの蒲焼きとなれば、パンや麺類ではダメで、あつあつのご飯にタレをたっぷりが美味しいわけですが、アフリカのような途上国では、ご飯を炊くのも日本とは状況が違います。
パンや麺類なら、そんなに沢山の水は必要ないですが、ご飯を炊くとなると、お米を研ぐのに大量の水が必要ですし、食べ終わった後のお釜や食器を洗うのにも水が必要です。
安全な水がタダ同然の日本とはワケが違います。何しろ日本では、トイレを流すのにも飲める水質の水を使っていますからね。
モザンビークの協力隊員の中には、遠く離れた井戸から水を汲んできて(もしくは近所の人に汲んできてもらって)、バケツ1杯の水だけで1日過ごしている人もいます。(食事だけでなく、身体を洗ったり、トイレも含めて)
井戸水は乾季などの水が少ない季節には涸れますし、当然ながら透明なキレイな水ではありません。
そうした過酷な環境で頑張っている隊員は、ほんとにすごいなと思います。
そうしたところでは、水を大量に使うお米はなかなか食べるわけにもいきません。
幸いなことに、zikomoが今住んでいる家は、家賃が高いだけあって、ほぼ透明の水道水が蛇口をひねるだけでいつでも出てきます。
マラウイ時代やタンザニア時代には茶色い水の時もよくあったので、それから比べると天国です。
ただ、透明ではあるものの、時々かび臭いこともあり、そのまま飲むには抵抗があります。(歯磨きはそのまましちゃってますけど)
沸かせば大丈夫でしょうから、コーヒーを飲んだり、ラーメンを作ったりする時には、そのまま水道水を使っていました。
もちろん、お米を研いだり、炊いたりする時も。

でも、12月にパリ出張→日本への一時帰国で2週間ほど家を空けて、久々に家に戻って蛇口をひねったら、かなりカビ臭かったのです。
しばらく出していればそのうち良くなるだろうと思ったのですが、何日たってもカビ臭さが抜けません。
それで最近は、料理に使う水は、ミネラルウォーターを買ってきています。
ミネラルウォーターはたくさん売っていて、5リットル入りのペットボトルで安いやつだと150円くらいからあります。
まあそれでも、お米をちゃんと研ぐには大量の水が必要です。
ですので、全てミネラルウォーターを使うのではなく、研ぐときの最初の1回目と、炊く時の最後の水だけにして、途中の米研ぎには水道水を使っています。
でも何となく水が無駄なので、あまりお米は炊かないようにしています。

そんなわけで、うなぎの蒲焼きもですが、お米も1ヶ月ぶりでした。
久々だったので、美味しくいただきました。
お土産に持ってきてくださった方、ありがとうございます。

2010年02月02日

中国製体重計

モザンビークに来て真っ先に買ったのが体重計です。
体脂肪計とかではなく単純な体重計で、デジタル表示の安いやつです。
確か日本円にして2500円くらいだったと思います。
一応、イギリス製だったと思います。(http://www.hansonuk.com/)

ところが、1週間毎日、同じ数値ということがありました。
どうも、なぜか前に測った記録がメモリーされて表示されるようです。
一度重い荷物を持って測り、その後で荷物なしで測ると、ちゃんと表示されるようです。
でも、いちいち面倒だし、正確かどうか不安だったので、セールで安いアナログ式の体重計が売っていたので買ってみました。
日本円にして700円ほどのものです。

その体重計、南アフリカのメーカーの物なのですが、良く見たら中国製でした。
で、中に説明書の紙切れが1枚だけ。
しかも箇条書きで18行しか書かれていません。(英語で書かれてはあるけど)

その最初の2行が、「Congratulations, you have purchased one of the bathroom scales made of high quality materials It is our honor.」
いきなりCongratulationsで始まるのはまあ愛嬌として、ちょっと書き方が変なのもまあいいとして、「高品質の材料を使っている」ということで、「ほう、安いのに、そうなんか」と感心して読み進めて行くと、最後の3行・・・

「以下の許容限度で精度は保証されます」
「0-65Kg +/-1.2Kg」
「>65Kg +/-2.0Kg」

をい、をぃ!zikomoは65キロ以上なんですけど・・・
プラス・マイナス2キロの精度誤差の、どこが高品質材料なんじゃい!

2009年12月14日

from Paris

Genzai Paris no Hotel desu.
Konkai ha jibun no PC wo Motte kite inaku, Nihongo ga utemasen.

2009年12月09日

海外出張の連チャン

先々週はケニアに出張でした。
UNHCR(国連難民高等弁務官)のワークショップ(3日間)に参加するためです。
もちろん英語なのですが、いきなり初日の午前のティーブレーク中に突然、「モザンビークの大統領選の際にとった安全対策措置について今日のワークショップの最後に発表してくれ。」と依頼されました。
一番最初の各参加者の自己紹介の時に、他国の参加者数名から「大統領選が来年とか再来年にあるから、その際にどうしたらいいか知りたい」という話があって、モザンビークでは10月28日に総選挙(大統領選、国会議員選、州議会議員選)があったばかりで、その時に渡航制限措置とか情報収集とかしたので、ティーブレーク中にそれらの参加者のうち2名とその話をしていたら、主催者が聞きつけて、みんなの前で「明日」発表してくれ、となったわけです。
事前に準備をしていたのならともかく、突然だったけど、明日なら少しは準備ができると思ってOKしたのですが、それが昼休みが終わって会場に戻った時に、「明日は予定が詰まっているから、今日のセッションの最後に発表してくれ。」となったわけです。
「フンギャー!」です。
でも、断り難くて、OKしちゃいました。
英語は苦手なんですけどー(泣)

それでも何とか誤魔化して無事(でもないけど(^_^;、質問攻めでフンギャーでした)発表を終え、2日目、3日目も小さな発表をいくつかして、何とかモザンビークに戻ってきました。

そして、来週はまたパリへ出張です。
今度は事業の会議で、今週土曜日に出発です。
今度は日本人だけの会議なので少しは気が楽ですが、なんでこの時期に、超寒いパリで会議なんかやるんでしょう。
会議には日本からとアフリカ各国から人が集まるんですが、暑いアフリカからの参加者が多い会議なのに、この寒い時期になんでパリなんかで会議をやるんだー!
日本側だけの都合としか思えん。
着ていく服がないんですけどー(泣)

ちなみに、今週土曜はマプート市内でマラソン大会があります。
市内の13キロのコースを走ります。
でも残念ながら、土曜から出張なので出れません。
コースは、外国人がよく襲われている所をばかりを通ります。
案内のパンフレットには「警官が監視するけど、参加者も自分で周囲に注意してくれ」と書いてあります。なんてこった。

でも出たかったなぁー。
タンザニアにいた時には、10キロのマラソン大会に出ました。
日本でも有名なジュマ・イカンガー(日本にも住んでいてオリンピックでも入賞している)がタンザニア陸上連盟の会長で、大会のプレゼンターにもなっていました。
(すごく背が低くて、ビックリしました)
せっかくなので、モザンビークでも走りたかったなぁ。
優勝できたかもしれないのに、残念だなぁ。
(えっ?出張の便は土曜の夕方だから、朝のマラソン大会には出れるハズだってぇ?・・・)

2009年12月05日

W杯南アフリカ大会抽選

先ほど行われた2010年サッカーW杯南アフリカ大会の組み合わせ抽選会は中華料理店のテレビで観ていました。
現地人もみんなテレビに釘付けです。
モザンビークは残念ながら出場できませんが、サッカーに対する関心は日本以上です。
もちろん、他のアフリカの国を応援している人は多いですが、同じポルトガル語圏ということもあってか、ブラジルのファンも多いです。
現在、中国が大きいサッカースタジアムを建設中で、来年のワールドカップ直前にはブラジルチームがモザンビークで合宿するらしいということで、非常に盛り上がっています。

さて、組み合わせ抽選の結果、日本はカメルーン、オランダ、デンマークと決勝トーナメント出場をかけて闘うことになりましたが、zikomoにとってはちょっと残念でした。
何が残念だったかというと、これらの国とあたったことではなく、「E」グループになったことです。
DかFかGかHグループだったら良かったのに・・・
というのは、ここマプートから車でわずか2時間ほどのネルスプロイト市(Nelspruit:つい最近名前が変わって、現在はンボンベラ市(Mbombela))でも4試合が行われる予定で、それがD,F,G,Hグループの試合なのです。

ネルスプロイトで日本戦をやらないのなら、いくら隣国とはいえ南アまで観戦に行くことはしないかな。
でも、せっかくなので日本チームも決勝トーナメント目指して頑張って欲しいです。
南アで活躍してくれたら、ここモザンビークでも日本の評価はグッと上がると思います。

2009年12月04日

天皇誕生日祝賀パーティ

今日は天皇誕生日のパーティで大使公邸にお呼ばれでした。
こういったパーティは何度出ても苦手です。
いろいろな人と話すのが本来なのですが、話し相手を見つけるのが苦手、というか、気軽に知らない人に話しかけるのは苦手だし、初対面の誰かと話していても話が続かないし、知っている日本人だけで固まって話しているのは恰好悪いし、どうも居心地が良くないです。
それに、ポルトガル語がまだ話せないzikomoにとっては、話し掛けた相手が英語が話せなかったらどうしよー、っというのもあります。
まあ、今回はホスト側(大使館員)ではないので、気が楽ですが…。

とりあえず、最初は来ている日本人の中で知らない人に声を掛けて、次は知っているモザンビーク人を探したけど見つからず、ヒマそうにしている白人に声を掛けたら某銀行のマネージング・ダイレクターでした。

こういったパーティでは、食べ物をバクバク食べるわけにもいかず、飲み物もいろいろなお酒は用意してあるけど、ガバガバ飲むのはハシタナイし、中途半端で、家に帰ってから飲み直してしまうんですよねー。

ところで、天皇誕生日祝賀の日本大使公邸でのパーティというと思い起こされるのが1996年にペルーで起きた武装ゲリラの大使館占拠・人質事件です。
(ペルーのリマにはその5年前に行っています。危険だとは思ったけど、まさかという事件でした。)
あの時の青木大使は以前から知っている方で、フジモリ大統領の決断で強硬突入して事件は解決したわけですが、その後のマスコミのバッシングはなかなかヒドかったです。

まあ、モザンビークでは、ああいったゲリラはまず考えられないですが、いちおう念のためイザという時のための逃げ道を確認して(笑)、早々に帰ってきました。
というわけで、自宅で飲み直しているわけです(爆)

2009年12月01日

アルビノ

ネットを見ていたら、ビックリなニュースが!

――――――――――――――― ここから ―――――――――――――――
「アルビノ殺人」恐れ、1万人が避難 アフリカ南東部
11月30日21時45分配信 CNN.co.jp

(CNN) アフリカ南東部のタンザニアとブルンジで、生まれつき色素を持たず皮膚の色が白い「アルビノ」の人々約1万人が、殺人被害を恐れて政府が設置した避難所などに逃げ込んでいることが、国際赤十字の報告で明らかになった。

両国では、「アルビノ」の体には特別な力が宿るという伝統的な考えから、臓器や体の一部など売却する目的で、アルビノの人々が殺されるという悲劇が後を絶たない。2007年以来、タンザニアでは少なくとも44人、ブルンジでは14人が殺されている。

タンザニアのアルビノ・センターによると、同国には約20万人のアルビノの人々がいるという。国際赤十字によると、ブルンジ政府が養護学校などに設置した緊急避難場所にアルビノの人が約1万人ほど逃れてきている。いずれも、アルビノの体を狙った犯罪から逃れるためだ。

タンザニアでは11月初旬、アルビノ男性を殺して体を切断し、臓器などを呪術医に売りさばいたとして、4人が死刑判決を受けている。

タンザニア政府はアルビノの人々を守るため、警察に警戒指示を出しているが、警官の数が少なく伝統的な考え方が根強く残る地方では、アルビノ殺人が防げない状況だという。

タンザニアとブルンジの赤十字は、人道的な支援が必要だと訴えている。
――――――――――――――― ここまで ―――――――――――――――
時間が経つと消えてしまうと思うので、消えないうちに(↑)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091130-00000020-cnn-int

アフリカ人のアルビノは、黒い人達の中にいるので特に目立つわけなのですが、普通に街中でよく見かけます。マラウイにいた時も、モザンビークでも、そしてタンザニアにいた時もです。明らかに見た目は他の黒人とは違うのですが、他の黒人から特に差別されている風には見えないです。むしろ普通に接していることが多く、「日本人と違って寛容だな」と思っていたくらいです。
ですので、最初にこの記事のタイトルだけを見た時には「うそー!」と思いました。
「差別を受けて殺されている」ということなのかと思ったからです。
でも内容を見ると、臓器や身体の一部を得るためなのですね。

臓器といっても、アフリカでは臓器移植のような高度なことはまずできないので、移植のために取り出すのではなく、ウィッチドクター(呪術医)が魔術のために使うということなのですね。
アフリカにはウィッチドクターは沢山いて、今も信じている人が多く、病気になっても病院に行かず、ウィッチドクターのところに行く人も多くいます。
病気だけでなく、物を盗まれたとか、片思いの相手に振り向いてもらうためとか、誰かを呪い殺すためとか、ウィッチドクターのところへ行く人は沢山います。
私の友人の1人は、ウィッチドクターに関するとても面白い体験をしていますが、知りたい方は個別に私に聞いてください。

そもそもアルビノは遺伝子の異常によるもので、メラニン色素がない/もしくは少ないというだけでなく、身体の他の部分にも異常があることが多く、長生きができないと言われています。
子供のアルビノは良く見かけますが、大人のアルビノは多くは見ませんし、お年寄りのアルビノはほとんど見たことがありません。
それなのに「特別な力がある」と思われて殺されてしまうなんて・・・


この記事に関することがどこかにもっと載っていないかと思って調べていたら、全然別の、アルビノに関する楽しい記事を見つけました。
こちらもタンザニアです。(↓)



こちら(↓)が、元記事。
http://africanchapter.blogspot.com/2008/10/albino-magic-team-formed-in-tanzania.html

2009年08月31日

どろぼう市場

自宅のあるマプートの中心街は比較的安全で、とにかくマプトに着いた時に驚いたのは、夜中でも平気でみんな路上駐車していることです。
他の近隣のアフリカの国々なら、車両盗難に遭ってしまうでしょう。
タンザニアのダルエスサラームにいた時は、夜に車で街中から家に帰る時には、赤信号で止まるのは怖いから、赤信号でも無視して交差点を通過したくらいですし、ケニアのナイロビでは、夜に1台の車で走るのは怖いから、2台以上でコンボイを組んで走っていたくらいです。

ところが、マプトの場合、車両盗難はないのですが、車のサイドミラーとかはよく盗まれます。
そのため、サイドミラーや、場合によってはフロントガラスや窓などに、自分の車の番号(ナンバープレートの番号)を刻印しておきます。
番号が入っていれば、誰の車のものかわかるので、泥棒も盗まないわけです。
ということで、zikomoもさっそくサイドミラーに刻印してもらいました。
サイドミラー刻印
ちょっと見難いかもしれませんが、ドアミラーと、前方の小さなフェンダーミラーの両方にナンバーを入れてもらいました。


ダイヤモンドヘッドの機械で、手作業で刻印していきます。
作業をしているところを写真に撮ろうとしたのですが、作業員から「ダメだ」と言われたので断念。モザンビーク人があんなに真剣な顔で作業をしているのを見たのは初めてなので、写真に撮りたかったんだけどなぁ。
料金は1ヶ所 100メティカイシュ(約360円)で、フロントの小さいフェンダーミラーを含めて3ヶ所で 300メティカイシュでした。
たぶん、もっと安くできるところもあるのですが、そういうところだと安全面で心配な面もあるし、ヘタなやつもいるからです。

ちなみに、盗まれたサイドミラーは、「どろぼう市場」と呼ばれるところで売りに出されることが多いです。
刻印していなくてサイドミラーを盗まれた知人が「泥棒市場」に行ったところ、すぐに人に囲まれて、ピッタリのものを持ってきたヤツがいたそうです。
もしかしたら、自分の車から盗まれたもの、そのものだったかもしれません。
でも刻印していないので、自分のものと証明はできませんから、しかたなく買ったそうです。
「泥棒に追い銭」とは、まさにこのことですね。

ところが、その知人は、このサイドミラーを取り付けてもらっている短い時間の間に、見えないところで他の人にウィンカーのプラスティックカバーを盗まれてしまったそうです。
それで、「ここのカバーがないから買わないか」だって。
まさに「どろぼう市場」
盗んできた物を売るだけじゃなく、その場で盗んで、それをその場で売るなんて・・・
油断も隙もないですね。

2009年08月28日

手書きのナンバープレート

モザンビークでは、ナンバープレートは自分で用意します。
つまり、自分で好きなように作っていいのです。
もちろん、番号は決まっていますし、色も決められていますが、文字のフォントや形については、ちゃんと読めるものなら好きなようにできます。

下の写真は路上のナンバープレート屋さんです。
「このタイプのを作ってくれ」と言えば、その形で自分の車の番号のを作成してくれます。
ナンバープレートいろいろ

プラスチックの板を使っていることが多く、よく割れているのを付けている車を見かけます。
ひどいのになると、下の写真のように、木の板に手書きというものもあります。
手書きのナンバープレート

zikomoが購入したパジェロイオです。
パジェロイオ

自宅の地下駐車場に入れたところ。狭くて駐めるのが一苦労。かなわんわ。
駐車場

2009年08月27日

ラマダン(断食月)

先週末からイスラム教のラマダンが始まっています。
モザンビークの海岸沿いは歴史的にアラブの影響が強いので、イスラム教徒もけっこういます。
マプートだと20%くらいがムスリムだと思います。
(ダルエスサラームでは30%くらいがモスレムでした。)

ラマダーンの約1ヶ月間は、イスラーム教徒は日のある明るいうちは1口も物を口の中にいれてはいけません。
食事だけでなく、水も飲んではいけないし、敬虔な人は自分のツバさえも飲まないそうです。
日が落ちれば飲み食いしてもいいので、夜になったら食事をして、夜中まで飲み食いしている人もいて、朝は太陽が昇る前に食事をするので、睡眠不足になる人もいます。
昼間は、睡眠不足の上に空腹で、人によっては仕事に身が入らない人もいます。
運転手などは注意力が落ちるので要注意です。

太陽が出ている間は食べられない(シーア派の場合は太陽が沈んでも明るい間はダメ)のですが、今の時期のラマダンの場合、南半球のモザンビークは冬なので太陽が沈むのが早く、昇るのも遅いのでまだいいのですが、夏の時期で緯度が高い地域だと、夜8時になってもまだ明るかったりして、断食の時間帯が長くて大変です。
もし、白夜のある北欧などにイスラム教徒が断食月に行くことになったら・・・(^_^;

イスラム教徒、特に未婚の女性を写真に撮るのは嫌がられますし、それが神聖なラマダンの時だとなお更なので、以前にマプート市内で撮った後姿を載せますね。
イスラム女性

2009年08月25日

四駆を購入

やっと、車を買いました。
写真は後ほど載せますが、パジェロioです。

アフリカでは日本の中古車は人気で、中古車といえどもかなり高いです。
10年落ちの車でも100万円くらいはします。
新車は関税がむちゃくちゃ高く、車輌価格と同じくらい取られるそうです。(正確な確認はしていません)例えば、200万円の車なら、関税が200万円かかるので、合計で400万円くらいということになっちゃいます。
実は、免税特権があるので、赴任して6ヶ月以内なら関税無しで購入できるのですが、問題は日本に帰る時に売る場合です。
売る相手が免税特権がないとしたら、この関税がかかってしまうので、とても買い手は見つかりません。
かといって自分でこの関税分を支払うのも無理があります。

公共交通機関が発達していないアフリカでは、買い物に行くのでも、どこかに行くのでも、車があった方が大変便利です。
市内ではシャパというミニバスがたくさん走っていて、20円くらいで乗れるのですが、運転は乱暴だし、オンボロでよく故障するし、混んでいる、とういうか、人が集まらないと発車しないし、匂いがキツイ現地人乗客もいるし、スリなどの危険もあるので、できるだけ乗らないようにしています。
(ちなみに、市外などに行く時に乗る大型のバスはマシンボンボと言います。)
タクシーはホテルの前とかにはよく停まっていて、空港へ行く時などに利用はしているのですが、乗る前に値段交渉が必要なのはどの国でもそうですが、初乗りでも600円ほどと、シャパとは大違いの、日本並みの料金なので、買い物などに気楽に利用するわけにはいきません。

今住んでいるところは、普段の買い物とかなら近所のスーパーとか街角の露天売りで十分なのですが、郊外の大規模スーパーにも買い物に行きたいし、それよりも何よりも、もうすぐ暖かくなってプールで泳げるようになると思うのでプールのあるヨットクラブの会員になるつもりなのですが、そのクラブは自宅から徒歩10分ほどではあるのですが、危険なマージナル通りにあるし、金持ちのヨットクラブなので歩いて行くのはちょっと変なので、車を買うことにしたわけです。

車種についてですが、マプート市内なら普通のセダンでも問題ないのですが、市外に行く時には大きな四駆の方がいいです。
特に雨季には大雨で、大きな水たまりどころか池みたいになってしまうところや、舗装されていない道だと泥だらけでぬかるんでしまうなど、道がすごいことになるので、4WDでないと安心して運転ができません。
雨季じゃなくとも、野生動物を見に行くのなら、四駆は必須です。(まあ、タンザニアにいた時に野生動物はたくさん見たので、ここではあまり見に行く気はしないですけど)
そのため外国人の多くはクロカン(クロスカントリー)やSUVなどの大きな車に乗っています。
zikomoもタンザニアにいた時にはランドクルーザーに乗っていました。

ただ、今住んでいるところには地下に駐車場が付いているのですが、通路は狭いし、1台1台の駐車スペースが狭くて、大きな車を入れるは大変です。
それでも住民は金持ちばかりなので、大きな車に乗っている人が多く、よく隣の車にぶつけられるそうです。
自分の生活スタイルから言って、マプート市外にはあまり行くことはないし、旅行で市外に行くときにはレンタカーを借りればいいので、コンパクトカーにしようかとも思っていました。
特に、日本にいた時にはデミオに乗っていて、デミオはボディが小さい割には室内が広く、荷物がいっぱい積めるので、デミオにしようかと思いました。日本で乗っていたので慣れているというのもあります。
ただデミオは、タイヤが小さくて最低地上高(ボディの下部から地面までの距離)が低いので、日本にいた時も段差などで時々底をすってしまっていて、道が穴だらけのデコボコのアフリカでは底をすりまくりなのは目に見えています。

で、駐車場のことを考えて、四駆のSUVの中ではボディサイズが小さめのものを考えたのですが、RAV4とかは人気で、こちらの日本人でも乗っている人が多いのですが、3ドアだと小さくていいのですが4人乗りで、5ドアの5人乗りは大きすぎるのです。
家族が全員揃って遊びに来る時のことを考えると、どうしても5人乗りが欲しいので、5人乗りでボディサイズが小さめの四駆のSUVとして候補として上げたのが、パジェロイオ、HR-V、エスクード(VITARA)です。

新聞には毎日のように「車売ります」の広告がたくさん出ているし、街中に停まっている車にもよく「Vende se(売ります)」と書いた張り紙がしてあるのですが、ポルトガル語で交渉するのはまだまだとても無理です。
それで、モザンビークのケーブルTV会社のホームページにある「売ります/買います」コーナーに英語で載せてもらうとともに、市内の中古車屋を見て回りました。
「買います」コーナーを見て写真付きメールを送ってきてくれた人もいましたが、条件が合いませんでした。
結局、中古車屋を自分の足で回るのが一番と、15軒ほども見て回りました。
もちろん、車の概観、内装だけでなく、タイヤの状態、タイミングベルトやエンジンの状態、エアコンなどの動作状態もチェックしましたが、日本人の優位な点として、日本の車検証や定期点検シール、車庫証明のシールなどもチェックします。
これで何ヶ月前に点検・車検を受けたか、何年にどの県で車庫登録したかがわかります。車検や定期点検は西暦ではなく和暦(平成)で書かれてあるから、こっちの人にはわかりませんからね。
中には、ダッシュボードの中に日本の車輌点検の記録の紙が残っていたりします。

15軒ほどの中古車屋で、Demio を4台、Pajero io が9台、HR-VとEscudoを1台づつ見つけました。
デミオは約10年落ちのが3台とも6,000US$、7年落ちのが9,500US$でした。
HR-Vとエスクードは、ここではあまり人気がなく、日本に帰国する時に売れないとも聞いたのでパス。
パジェロイオは程度の違いはあれ、約10年落ちで8,000から11,500ドルでした。
日本で同程度の中古車を買うとしたら、10年落ちのデミオなら10万円前後、10年落ちのパジェロイオなら20〜30万円といったところでしょうか。
日本の4〜5倍もする感覚です。

その中で、6,000ドルのデミオのうち1台と、パジェロイオで一番安かった8,000ドルの車の試乗をしました。
最初に試乗したデミオの方は、車検は比較的新しかったのですが、左右の前輪付近に、ぶつけて曲がっていたり、すったりした傷跡が何ヶ所かあり、走行距離7万キロちょっとですが、クラッチの状態もいまいちでした。
でも、すぐに故障するような感じではないので、しばらく乗る分には大丈夫そうです。
パジェロイオの方は、ナンバープレートがついていなかったので、「ナンバーがないよ」と指摘したのですが、中古車屋は「ノープロブレム」と言うので、ナンバープレート無しでそのまま街中を試乗しちゃいました
パジェロイオは、他の中古車屋で売っていた9,000〜11,500ドルのやつが、走行距離12万から15万キロなのに、試乗した車は9万3千キロと少なめでした。
走行距離はごまかすこともできなくはないので、完全に信用はできませんが、試乗した限りではエンジンの状態は悪くはありませんでした。
ただ、フロント部分にサビの跡が横に長ーく付いています。
ブルバー(カンガルーバンパ/グリルガード/クラッシュバーとも言われる)の跡だそうです。
タイヤも、まだスリップラインは見えていませんが、ややすり減っています。
それと、本当はマニュアル車の方が好きなのですが、オートマでした。(デミオはMT車だし、他の中古車屋のイオの半数はMT車)
他の中古車屋で見た11,000ドルの車の方が程度は良さそうでしたが、3,000ドルの差は大きいです。

試乗してみて、デミオでもイオでも、どちらでもいいと思いましたが、日本に帰る時に売ることを考えると、たった2,000ドルの違いなのでイオの方がいいように思いました。
デミオじゃ、あと2年ほども乗ったら、買い手が付かないように思います。
というわけで、この8,000ドルのイオを購入しました。
値段交渉すればもう少しマケてもらえたかもしれませんが、他の中古車屋と比べれば十分安いし、バッテリーも新品に換えてくれるというので、一発で決めちゃいました。

「全額支払えば、今日持って帰ってもいいよ。後で登録証とか渡すから。」って、まだナンバープレートも付いていないんですけどー(^_^;
というわけで、今日は半額支払って、明日にはナンバープレートが付くそうなので、残り半額を支払ってお持ち帰りの予定です。
もちろん、名義変更には何日かかかるので、書類上も正式にzikomoのものになるのはもうちょっと先です。

親愛なるこのブログの読者のみなさん
これでいつモザンビークに遊びに来てもいいですよ。
市内も市外も、場合によっては隣国の南アフリカにあるクルーガーランド国立公園までお連れしますよん。

2009年08月22日

モザンビークの郵便ポスト

マプートの街中で時々見かける郵便ポストです。(↓)
モザンビークのポスト1
日本の昔のポストにちょっと似ていますね。

こちら(↓)は斜めになっちゃっているもの。
モザンビークのポスト2


結構キレイですが、現在は使われてはいないようです。
昔は郵便物の集配もやっていたみたいですが、今はもうやっていないようです。
郵便物は、郵便局の私書箱(P.O.Box)に届くか、局留めで取りに行くかです。

いつもは題名に「アフリカの・・・」とすることが多いですが、「モザンビークの…」としたのは、他の近隣のアフリカ諸国ではこのようなポストは見たことがないと思うからです。
結婚式とか、お店とか、売っているものなどは似たり寄ったりなのですけどね。
おそらくポルトガル統治時代のものなのだと思います。

2009年08月21日

新型インフルエンザ

一昨日、ここモザンビークでも、新型インフルエンザ感染者が確認されたとの発表がモザンビーク保健省からありました。
世界的には、もう1ヶ月以上前に、WHOから「全ての国・地域の確定症例数の公表は取りやめる」と発表があって、正確な人数も数えられないほどになっているのですが…
隣国の南アフリカ共和国では、2ヶ月も前に感染者が確認されていて、モザンビークでは一時期の日本みたいに水際作戦もせず(できず)、南アとは出入り自由の状態なので、いつモザンビークに入ってきても不思議ではない、というよりむしろ、とっくに入って来ているだろうけど、検査体制も、人々の意識も低いので、今まで感染確認ができていなかったというだけだと思います。

まあ、保健省も、早く1例目の発表はしたかったでしょうね。
どう考えても、すでに感染者がいてもおかしくないのに、いつまでも感染確認ができないでいると、保健省の能力を疑われてしまいますからね。

現地スタッフで、新聞を読んで新型インフルを怖がっているヤツもいましたが、ここじゃあ新型インフルよりもマラリアやHIVで死ぬ確率の方がよっぽど高いです。

zikomoが日本を出た頃は、マスクが流行りだしてこのままでは売り切れそうになるという頃だったので、zikomoもある程度の数を日本から持ってきていますが、ここでマスクをして街を歩いていたら、マスクを盗まれそうです(笑)
ニュースで「マスクをするように」と言っても、そんなにマスクなんて売っていないし、日々の生活に必要なものではないので、普通の庶民はマスクを買うお金の余裕があまりないでしょうから、マスクをしているのがステータスと思われるかもしれませんからね。
実際、今日、街を歩いても、マスクをしている人は1人も見つけられませんでした。

2009年08月19日

アフリカの靴屋

アフリカでは路上で、いろいろな物を売っていますが、下の写真は靴売りです。
路上靴屋1

最初、「何で片足の靴を売っているんだろう?」と思いました。
よく見ると、どこかに右の靴と左の靴がちゃんと置いてあるんですね。
神経衰弱や間違い探しみたいですね。
靴の数を多く見せるための工夫なのでしょう。
似たような靴があったら、間違って左右が別のを買ってしまいそうですね。

靴屋さんが並んでいるところです。
たくさんの靴が売っています。
路上靴屋2

値段交渉をしているのかな?
路上靴屋3

たくさんありますが、日本人の足に合った靴を探すのは大変ですし、ナイキとかアディダスと書いてあっても偽物もあるので、買う気はしないですけどね。

2009年08月16日

映画ロッキーのように

平日はほとんど動かないので運動不足です。
何しろ、自宅と職場は同じビルの中ですし、仕事も事務処理が多くてほとんど外に出かけません。
(一応、朝と帰り、それとお昼ご飯を食べに帰る時には、階段を使っていますけど(5階⇔21階)
そんなわけで、土日のどちらか、もしくは両方、早朝ランニングをしています。

しかし、最近、マージナル(海岸通り)をランニングしていて、強盗に襲われた外国人がいるそうです。
以前、日本人でもマージナルをランニング中に襲われた人がいるそうで、zikomoはマージナルの方へは走りに行きませんが、ランニング中でも気をつけないとなりません。
マージナルは、海岸沿いの気持ちのよい眺めの通りで、人通りもほとんどなく、信号も交差点もなく、走るには最高のところなのですが、「人通りがない」というのが逆に危険なのでしょう。
海岸通りの海とは反対側は、ブッシュになっていて、犯罪者に都合の良い隠れ場所になっています。
ランニング中は金目のものは身に着けていないと思うのだけど、何でそんな時に襲うのでしょうね?

そんなわけで、走る時には(歩く時もだけど)、周りに気を付けるのもそうですが、同じ曜日の同じ時間に同じ場所を通るのは目を付けられやすいので、できるだけランダムに走るようにしています。
といっても、比較的安全な場所は自宅の近辺に限られるし、土日の朝以外は走る機会がないので、なかなか場所や時間に変化は付けられません。

というわけで、よく走るランニングコースは、下の写真のカテドラル(大聖堂)を中間点とした往復コースです。(往路と復路ではコースを変えてるけど)
カテドラル全面

最後に、ここの階段を駆け登って、両手を挙げてジャンプすれば、映画ロッキーのあのシーンのようです(笑)
カテドラルの階段

カテドラルを裏から見るとこんな感じです(↓)。なかなか立派でしょ。
カテドラル背面

2009年08月15日

アフリカの写真スタジオ

昨日は、ある申請書に貼るための証明写真を撮りに行きました。
モザンビークに来てすぐにも外交ID作成のために証明写真を撮りに来たことがあるので、今回は2度目です。

これがお店の外観です。
写真スタジオ外観

入口を入ると、奥に1つだけ小さな机があり、そこに受付のネーチャンがいて、証明写真を撮りたいことを告げ、100メティカイシュ(約360円)を支払うとレシートをくれるので、それを持って2階のスタジオに向かいます。
下の写真は、階段を上から撮ったところです。
写真スタジオ階段

待合室(↓)を通り抜け、奥のスタジオに行き、中にいるカメラマンのオッサンにレシートを渡します。
写真スタジオ待合室

ここが撮影スタジオです。
写真スタジオ内部

撮影はポラロイドカメラみたいな機材で行います。
ポラロイドと言っても、1回のシャッターで4枚組の証明写真が撮れるやつですので、プロ用なのでしょう。
写真を撮る時に、カメラマンのオッサンに姿勢を正すよう指示されます(もっとアゴ上げてとか)が、こちらの人は、証明写真を真正面ではなく、やや左斜め方向から撮る傾向があります。

撮り終わったら、オッサンはカメラからポラロイド写真を取り出し、溶剤がまわるように写真を振ったり、ドライヤーで吹き付けて乾燥させます。
そういえば、20年くらい前ですが、ポラロイドカメラを持っていた時は、写真を振ったり、両手で挟んで温めたりしていたなぁ。
近頃の民生用のインスタントカメラは写真を振らなくても良いので、なんか古臭い感じがします。
乾燥したら、適当なサイズに切ってくれて、完成です。
写真スタジオ乾燥中
奥の壁にかかっている背広とネクタイは、撮影時の貸し出し用衣装です。
でも、かなりクタビレた背広とネクタイです。
なんか、何人もの現地人が着て、クリーニングもせずに、ニオイそうでした(^_^;

乾燥を待っている間に、次の客が来て、オッサンは乾燥作業を中断して、次の客の撮影を始めました。
ちなみに、撮影前に背景はブルーがいいかホワイトがいいか聞かれます。
この彼女(客)はホワイトを選んだようです。
写真スタジオ撮影中

ヒマだったので、スタジオの隣の作業場の部屋を覗いてみました。
なーんもない。
写真スタジオ作業場