私は単純に軽度知的障害かなと思っていましたが、IQ70だと微妙で障害と判断される人も居ればそうじゃない人も居るようです。同じIQ70なのに。私は最近ネットで知った「境界知能」となるわけです。結構ネットや本も出てるらしく、知りませんでした。あまりにも当てはまることが多過ぎて、やっぱりそうなんだと感じました。私はまじめに生きてるつもりでも、世間は「つもり」でしかなく、批判や責めが多かったです。多くの人に自分の状態を説明しても誰一人理解できる人は今まで居ませんでした。お得意の「甘え怠け反省」の批判ばかり。私は元々人が好きで冗談も好きだったのですが、だいぶそれで嫌いになったものです。境界知能とわかったことで、何か変わればなと思います。
ひきこもりから抜け出す方法
なんて書くとアクセス数が伸びますwランキングはそんなとこばかり上位ですw私もいくつか書いてますが、思考を無視してとにかく行動してみてください。大半不安通りにならないです。実際なっても意外と乗り越える能力がある自分に気付いたりもします。自信喪失しているのですから余計そんな体験します。私は軽度知的障害と思いますが、そうでないひきこもりな人はあっさり私より仕事ができます。ただやってないのは私がした突撃と、考えすぎネガティブ思考過ぎと、その思考に批判的になることです。当たって砕けろと言ってませんw意外と砕けませんからw社会へ出て仕事するのにハードル高いと思うのならネットでも仕事できます。私のような軽度知的障害でも出来るのですから変な言い訳はいらないですw能力さえあれば出来ること多いです。それで自信も得られ、社会で仕事できることになるでしょう。私のような状態でも出来ることが意外とあったことに気付いたのです。普通に能力ある人達にはもっと出来ることがあるのですから私よりは余裕でしょう。
自縄自縛
親の介護、自分の社会不安障害や対人恐怖、軽度知的障害によるストレス、不安や恐怖等で日々疲れているのですが、仕事のオクの品が数品盗まれ、犯人は恐らく甥で、仕事もしており、私なんかよりはるかに稼ぐわけです。それでいて盗まれるこの現実にほんと嫌になりました。疑う事も伝えることもストレスです。証拠もないですし、疑わしいだけです。こんなことがある度につくづく生きるのが嫌になります。やっと食費を稼げてるのに、盗まれるわけです。しかし、以前も書きましたが、行動する前は色々と予期不安がありますが、実際行動するとそのようにならないのがほとんどです。その予期不安を作り上げたのは自分であり、今日の嫌な出来事も「嫌な事」としたのも自分です。つまり、「こうあるべき」という強い思い執着があります。こうあるべきだと私が思っていても、現実はそうなりません。ということです。私はこういう理由でひきこもり、社会不安障害や対人恐怖、軽度知的障害に苦しんでいるのに、稼ぎも少ない状況でしかも介護ストレスもある中、そんな私の物を盗むべきではない!と思っているわけです。ですが現実はこのように盗まれます。こうあるべきという執着の強さの表れが「つくづく生きるのが嫌になります。」ということでしょう。現実は良くも悪くも「こうあるべき」にはならない。ならないのですから、こうあるべきは捨てた方がいいでしょう。私は他にも色々とあるこうあるべきが強い執着してるからひきこもり苦しんでいるとも言えるでしょう。この手の話は心理学の本でもよく出てきますね…自縄自縛とはまさにこのこと…
一切皆苦
認知症の親父がいよいよ私には手に負えなくなってきました。悪化してきたのです。下の処理が困難になってきました。その大きなストレスと、要介護となるには役所との交渉をしなくてはならないその苦痛と、今まで通っているデイケアとの交渉や、まだ病院で診てもらいたい件もあったりと、自分すらまともに生きれてない有様で、色々とやらなければいけないのです。ストレスが一気に倍増します。そうこうするうちに、つくづくと私の人生は苦でしかないなと思いました。ですが、普通に生きている人や誰だろうが皆苦しみながら生きているのが普通です。誰もが苦が常なのです。よく仏教やスピリチュアルでもこの世は修行の場とか言いますが、修行が楽では修行になりませんよねwなのでこの世、人生は苦痛が当然なのです。なので、苦しみと共に生きるのが普通です。苦が普通なのですから、わざわざ気にすることもなく、ホイホイと毎日休まず来る苦の垂れ流し状態がこの世です。苦痛を現在進行形で体験中なのにわざわざ注視する必要はないし、そのまま流れるように苦を体験したらいい。苦痛が常なのですから。当たり前な苦痛をわざわざ気に留める必要がありません。苦しんで当然なのが人生。苦しみを楽しめるといいですね。
根本的自信の無さ
最近、ADSL終了でネット回線をADSLから光回線に変えたのですが、契約者は高齢な父になります。私は代理で色々手続きをするわけです。NTTよりADSLの請求書ハガキが届き、あれ?おかしいなと思い、嫌いな電話をNTTにしましたwまぁオペレーターの方は外注でしょうから親切丁寧なのですが、契約者本人でないといけないわけです。なのでやっぱり父を出せということで、軽度認知症な父に厄介な受け答えと、耳が遠い状況の中、補聴器でやっと父の同意を聞いて、私が代理で話が進みましたw結局は請求は2か月遅れなだけで、解約はされているので大丈夫との話だった。請求書の内訳が不親切で、2か月遅れや、何月分とすらまったく書いてない。流石NTTだと思いましたw昔からやり方がいい加減で嫌いな会社なのですが、まぁネットで探せばマニアックなことですが、NTTはやばい会社だと感じていました。元々国営ですしね…
人との会話は滅多にしないので緊張もしたわけですがwなんとか対応できました。今日の出来事で自分を俯瞰で見ると、「自信の無さ」を強く感じました。おどおどビクビクしてるのも自信の無さからです。対人恐怖も自信のなさでしょう。私は自分に自信が無いと言う事。自信がないので緊張やら不安で忙しく、頭も回らないので失敗は続くし、それで落ち込み、鬱的になり、それでさらに頭の回転は悪くなり、もっと失敗し易くなり…と悪循環が今の状態です。この自信の無さも苦の根本的原因の一つのように思います。