しゅさいのブログ

コメディ作家で、劇団ZIPANGU Stage主宰の今石のブログです。
稽古日記や、スポーツ観戦記などなど。
お気軽にお立ち寄りくださいませ。

猫日記

君と過ごした最後の一年(最終)

治療をやめてから一日が過ぎ、二日、三日と過ぎても、
彼はまだ呼吸をしていました。最後の点滴から四日間、薬も栄養も、水すらも摂らないままで……すごい生命力だと素直に思ったよ。ただ横たわり、呼吸で胸だけを小刻みに動かしている君。

本当はさ、死に際なんて誰にも見せたくないんだ。僕は猫だからね。
だけどもう、身体がちっとも動かないや。へへ。潔くなくてすまないね。


潔くないのは私の方だ。
白状すると、先生の前で君を見送ると決めたクセに、あれからまだ迷っている。先生にもらった点滴液がまだ残ってるから……せめて水と栄養だけでもって、何度も、君に点滴針を刺そうとしたよ。そんなことしたって君が苦しむのが延びるだけって理性では分かってる。でも、それでも……私は、愚かだ……

針はもういいよ。あれは痛いからね。
世話かけたね。あと、もう少しだけだから……


彼の言葉は全ては妄想だけど……横たわる彼と何度もそんな会話をしていたのです。

翌日……
タイムの呼吸が突然、しゃっくりのような音に変わりました。私は全てを理解して……
二階に、この日はたまたま在宅勤務だったかみさんを呼びに行きました。
二人で見守ること数分で……
タイムのからだが二度、小さく痙攣しました。
かみさんが震えた彼の前足をそっと握り……
私は彼を撫でながら何度も耳元で……

大好きだよ、タイム。
本当に本当に、君のことが大好きだった……

やがて……
かみさんと手をつないだまま、眠るように……
タイムは、呼吸をやめたのでした。


大家さんと相談して、彼のお墓は庭の、くーちゃんの眠る近くに作らせてもらいました。
彼の岸で仲良くしてるといいなと願いながら……まあ、くーちゃんのことだから、遅すぎるよ、何年待ったと思ってんの!? とかなんとか怒ってる、かもしれません。

改めて……
君の21年の生涯を考えると、最後の一年を含めて、悪くない猫生だったんじゃないかと思うよ。
天寿を全うし、両親(私とかみさんだけど)に見送られて最後の時を過ごした……
私らにしても、そりゃボロ泣きはしたし寂しいけど、一年間かけてゆっくりお別れできたからね。無事に君を見送れて、よかったんだとは思う。

君が幸せだったかは……
正直わからないよ。でもこれだけは分かる。
君と21年一緒に過ごして、いつも一緒にいて、
私とかみさんは
間違いなく幸せだったよ。

ありがとう。

君と過ごした最後の一年(5)

夏どころか、冬も越してしまったタイムさん。
今から思えば、年が明けてから春くらいまでが(去年の夏に倒れて以降では)一番元気だったように思います。病院通いもご無沙汰で、薬だけはもらっていたのだけれど、もう飲ませなくていいんじゃないかと悩むくらいに。毎日、猫皿からご飯を食べ、給水機の水を沢山飲み、自ら歩いて猫トイレに入り、そして時々私の膝へ。食う飲む出す以外の時間は殆ど寝てましたけど、それを含めて彼の自由がそこにはありました。残念ながら足だけは良くなることはなくて、まあどんどん歩くのが大変にはなってきてました。あと時々歯を痛がる様子も。これはまあ、倒れる以前から時々あったことなので、さほど気にしてはいなかったのだけど……

4月の終わり頃。
タイムの左目の下に、なんだか膿みたいなモノがくっついているのを見つけました。その時は、どこかにぶつけたかな?くらいの印象しかもたず、まあ食欲もあるし元気もなくしてないし、膿をティッシュでふき取っただけで、しばらく様子を見ようと軽く考えていたのですね。それから10日ほど経った連休明けの頃に……
給水機の近くでなんだか困っている様子のタイムがいました。明らかに水を飲みに行こうとしていて、近くまでは行くんだけど、なんだか反対側に向かってみたり。私が抱えて給水機の前に置いて鼻先を水に近づけてやると、勢いよく飲み始めました。もしかして……
目が、あまり見えてないんじゃないか、と。
見ると、彼の左目は充血して赤くなっていたのでした。

慌てて、およそ三か月ぶりくらいに動物病院へ。
先生の見立てでは、口の中の、主に歯茎にたまった膿が目まできているのだと。人間でも歯茎に膿が溜って痛くなることがあると思うのだけど(私にはよくあります。時には虫歯の痛みより痛いくらい)猫の場合は上の歯と目の位置がすごく近いので、時々そういうことがあるらしいのです。そして時には、その膿が皮膚を破って目の下から出てくることも。
皮下点滴に、抗生剤を入れてもらいました。先生は、二週間くらい効果が持続する薬なので、その頃また様子を見ましょう、と。

抗生剤を入れてもらったその夜、タイムは急に苦しそうになりました。ご飯も食べられず水も飲まず、ひとしきり苦しんだ後で、やがて意識を失うように……
呼吸はちゃんとしてましたから、眠っているだけなのは分かったのだけど、愚かな私が事の重大さに気づいたのはやっとこの時なのでした。2週間も持続するような抗生剤は、おそらくだけど身体への負担も少なくはないのでしょう。
私とかみさんは、こんこんと眠っているタイムを見ながら、二度目の覚悟をせざるをませんでした。5月生まれの彼は、もう21歳、人間で言えば104歳くらい。その彼がちょっとでも健康状態のバランスを崩してしまったら……

翌朝。
タイムは何事もなかったかのように、むっくりと起き上がり、まっすぐに給水機に歩いて向かって、水を飲んだのでした。試しに猫皿にフードを入れて彼の前に置くと……
食べるじゃないですか!
やがてトイレも済ませて、再びいつもの寝場所で眠りにつき……
その安らかな寝息は、
もうちょっとだけ頑張るよと
私に語りかけてるよう、なのでした。




君と過ごした最後の一年(4)

「ほんとうですかぁ!?」

かかりつけの動物病院の先生に、タイムが自力でトイレに行って猫皿からご飯を食べた報告をした際の、お言葉です。うら若き(?推定30代後半)女性の先生で、獣医さんとしての腕は確かだと思うのだけど、わりあい思ったことがストレートに顔に出るお方でして、冒頭のお言葉と共に、そのお顔には「アンビリーバボー!?」と書いてありました。まあ、その前の晩のワタシも同じ顔してたと思うのだけど。そのくらいの奇跡ではあったのでしょうね。

タイムさんはその後……
みるみる回復、とはいきませんでしたが、少しずつ、ほんとに少しずつですが元気を取り戻して行ったのでした。なぜだかリビングのソファを居場所と決めたらしく(病気前はそんなにソファの上にいたりはしなかったのに)ワタシらが降ろしても(だってソファから落ちたら危ないですから)すぐに比較的元気な前足でぎゅっとソファの座部をつかんでよじ登るのでした。まだ歩行もままならず、特に後ろ足は階段から落ちた後遺症なんだかほとんど機能してませんでしたし、神経系の病気も完治したワケではないでしょうから、普通に歩いていても壁にぶつかったり転んだり。それでも頑なにソファの上によじ登って、ずっとそこで寝てました。そしてトイレの際とかに降りる時には、案の定、降りた拍子に度々すっ転んでいました。(もちろん、降りたそうにしてればワタシらが持ち上げて降ろすのですが、ちょっと目を離した隙に豪快な転倒音が!)

やがて、越えられないと思っていた夏が過ぎて……
私とかみさんの生活はあの日以来、タイムファーストになってましたが、介護と呼べるようなことはどんどん少なくなりました。二日置きくらいだった動物病院通いが、週一になり、月イチくらいに。先生の見立てでも神経系の病気の症状はなくなっていました。薬も毎日だったのが二日に一度に。ご飯は毎日普通に猫皿から食べ、トイレもほぼほぼ……まあ時々は玄関脇の猫トイレにたどり着く前に、廊下でしちゃったりもしてましたけど。

冒頭の先生のアドバイスもあって、タイムの生活空間の改善も試みました。リビングの一部を空けて、小さな猫用トイレを置きました。水飲みの場所も変え、電動で水を循環させて浄水もしてくれる猫用の給水機を買いました。階段をよじ登れるようになってしまったので(もちろん気づけばやめさせるのだけど)万一を考えて階段用のクッションを各段に敷き、下にはマットを敷きました。ソファから落ちた時用に、下に毛布を敷き詰めたりもしました。動けるようになると危険も一杯! でも我々の思いを知ってか知らずか、タイムは以前と同じようにマイペースでした。せっかく用意したリビングのトイレは使わず、わざわざ廊下を歩いて玄関まで行こうとして豪快に転んでみたり。

秋がきて、そして冬になり……
寒くなるとタイムは流石にソファから、ホットカーペットの上に生活拠点を移しました。そこに客用の掛布団を四つくらいに畳んで敷いてやると、よくその上か、隙間に入って寝ていました。時々は食欲のない日はありましたが、それはまあ以前もあったことで……タイムはちょっと足の悪い猫、くらいの生活には戻っていました。時々、しーちゃんとくっついて寝ていたり、私がソファに座っていると膝に乗せろと言ってきたり。一度は、もうダメかもしれないと思っていた私とかみさんにとって……

それはなんだか、神様が特別に与えてくれたボーナスのような日々、なのでした。

君と過ごした最後の一年(3)

その日から、私とかみさんの、介護生活が始まりました。

まずは食事。眼振(黒目が小刻みに左右に動く)の症状がありますから、おそらくは気持ち悪くて、食欲がなくなるのですね。まずはペットシートの真ん中あたりに切れ目を入れて、タイムの頭にすっぽり被せて(よだれかけ的な感じです)その上でAD缶という半練りで栄養価の高いフードをシリンダ(針のない注射器みたいなヤツ)に入れて、ちょっとずつタイムの口に入れてやります。いわゆる強制給餌というヤツで、後述しますがあまり良い思い出がないので……でもまあ自力でご飯が食べられない猫には他に方法もないのです。これをまあ朝晩、一日二回。

あまり歩けなくなってしまったタイムには、玄関脇の猫トイレに自力では行けないですから……
なんとなく雰囲気を感じたら、タイムを抱えてトイレに入れていました。猫砂の上で、倒れないよう私らが支えて……首尾よくしてくれる時はいいのだけれど、空振りに終わることもしばしばで。そして常に見張っているわけにもいかないですから、いつも寝ている場所付近一帯にペットシートを敷き詰めてました。猫用のおむつというのも試してみたんですが、異物をずっと着けているのはいやみたいで気が付くと外していたり。いろいろ工夫はしてみても、やはりトイレ問題が一番大変でしたね。リビングがおしっこ臭くなっているんだか、その頃はしーちゃんがリビングに近寄らなくなってしまったり。

そして一日一回の薬。かみさんにタイムをしっかり抱きかかえてもらって両前足を押さえてもらい、私が左手でタイムの口を開けさせ、右手につまんだ薬を、その喉に向けて投げ込むのだけれど……
うまくいく時はあっという間に終わるのですが、これがなかなか。猫がそんなおとなしくしてくれるワケもなく、私の手元がちょっとでも狂うと舌に乗っかったりして、薬は猫にもものすごくまずいみたいなので、そうなると必死に抵抗します。それを抱きかかえて無理矢理……ヒトもタイヘンですが、タイムもさぞ消耗するだろうなあ、と。それにしても……

昨日までは何でもできていたタイム。それが突然なにもかも自力でするのは難しくなって……
うまく薬が効いてくれて、神経系の病気が治ってくれればいいですが、もしそうでなければ……

6年前、くーちゃんを亡くした時。あの時もさんざん悩んだのです。いわゆる『延命』のための治療をするべきかどうか。例えば強制給餌。くーちゃんは腸の病気で食べたモノをどんどん消化できなくなってました。そしてそれに比例してどんどん食欲をなくしていって、みるみる痩せてしまった。生きるためにはなんとか食べさせなければ……でも、強制給餌でごはんをあげても消化できず……結局それってくーちゃんをただ苦しめていただけなんじゃないかと……

タイムは、繰り返しになりますが二十歳を越えていて、人間で言えば百歳以上。それが自力ではご飯を食べられない、歩くこともままならないとなると……ここから元のクオリティの生活を取り戻せるかと言えば……

去年の6月、日々暑くなっていた頃のハナシです。正直、この夏は越えられないかもしれないなと思っていました。そう思いながら、毎日半練りのフードをシリンダで口に入れ、薬を与えトイレの始末をしていました。介護の苦労なんて、ハッキリ言ってなんでもなかったです。少なくとも、タイムをただ苦しめてるだけなんじゃないかとの葛藤に比べたら……タイムは、ほとんどの時間をこんこんと眠っていました。そして一週間ほど経った、6月の終わりごろに……

タイムはむっくりと起き上がり、ひょこひょこと後ろ足をひきずりながら廊下を歩いて玄関脇の猫トイレに……自力で、入ったのでした。
試しに猫用のお皿にフードを入れて与えてみたところ……食べるじゃないですか!
私は控えめに言って、物凄く、驚いたのです。
タイムをあれほど苦しめていた眼振が、きれいになくなっていたのでした。

君と過ごした最後の一年(2)

2022年6月17日早朝
二階の寝室で寝ていたら突然、ドタドタッという大きな音と、階下から、かみさんの悲鳴が聞こえてきました。慌てて行ってみると階段の下でタイムが蹲っていました。どうやら落ちたらしいのです。

タイムさんはその頃ちょうど二十歳を過ぎた頃で、そりゃ若いころほど飛んだり走り回ったりはしませんでしたけど、まあ元気でした。昼間は主に一階のリビングで過ごし、ごはんを三度ちゃんと食べ、玄関脇のトイレで用を足して、我が家の一階と二階を行き来しながら自由奔放に生きていて……ただ、時々歩いていて転んだりバランスを崩すようなことはあったなぁ、とは今にして思うのですね。それで、階段から……

足を折ったかくじいたか、もしくは頭を打ってしまったのか。タイムは意識ははっきりしてましたけど、全く歩けなくなっていました。私はその日の予定をキャンセルして朝イチで動物病院へ……この時には、たまたま階段から落ちて、その外傷的なモノだと思っていたのだけれど……

病院で事情を話し、胸部と足のレントゲンを取ってもらいましたが異常はナシ。歩かせようと試みると、なんとか立ち上がるものの、いわゆる旋回という状態になっていて、クルクルと同じ所を回ってしまうのでした。そして黒目の部分が左右に激しく動く、眼振、という症状が出ていました。先生の診断は、神経性の病気……つまりは、階段から落ちた結果として動けなくなったワケではなくて、その神経の症状でふらついた結果、階段から落ちたのでしょう、と。

取り急ぎの皮下点滴をしてもらい、神経症状に効くと思われる薬をもらって帰路についたのだけど……

私は、いよいよ『その時』がきたのかもしれないなと……それはなんだか暗闇でいきなり棒で殴られたような感覚でした。なにせ彼は人間で言えば百歳以上。どう考えても元の彼に戻るのは厳しいと思わざるを得なくて……

これまで病気ひとつせず、ずっと元気で、本当に手のかからない子で……なにせマイペースでしたから、時々気が向くと甘えたりもするのだけれど、大半の時間を一人で……私やかみさんや、他の猫たちと同じ部屋にいても、彼は一人で過ごしていました。しーちゃんや、生前のくーちゃんが時々くっついたり舐めたりしてましたが、そういう時もなんだかちょっと迷惑そうな顔をして、でもじっと好きなようにさせていました。夜寝る時だけは決まって私の布団に入ってきて、必ず私の脇に顔をうずめていました。そんな……『幸せ』というヤツが……

その日を境に一変したのでした。

君と過ごした最後の一年(1)


久しぶりに、君の夢を見た

君はいつものように部屋に入ってきて
いつものように、ちょっと斜めに私を見た
私はいつものように猫用のお皿に固形フードを入れ
いつものように君の前に置いた
全てがいつもと同じなのに、どこか奇妙な感じがした
それもそのハズで、君の身体は、首から下が、なかったんだ
良く見ると、首から直接小さな足が生えていて
君はその小さな足でとことこと歩いて、身体ごとお皿に入って、それを食べた
私はその様子を、呆然とただ眺めるしかなくて……

やがて目が覚め
私は布団の中で呆然としていて
夢の中の君を不気味には思わなかったけれど
やはり不自然には思えた

そうまでして、
そんな姿になってまでも
君は生きていたかったのかい?

いや、違うな。これは私の夢だ
そして、私は愕然としたのだ

私が
本当は、そうまでしてでも
君に生きていて欲しかったのだ……



21年前、2002年の6月19日に、我が家に生後1か月くらいの子猫がやってきました。
タイムと名付けられたその子は、その後すくすくと育ち、
子どものいないワタシとかみさんにとって、本当に子供のような存在になりました。
後にやってきた黒猫のくーちゃんとの間に都合4人(匹?)の子宝にも恵まれて……
(詳細は当時のブログにあります。よろしければ)

まあ本人としてはいろいろ大変なこともあったかとは思うけど、いつの間にやら二十歳を過ぎてしまって、(人間で言うと100歳くらいだそうです)まあ傍目には幸せな人生(猫生?)なんじゃないかと思う。そのタイムさんが……
去年の6月17日、突然倒れたのでした。
それまで本当に病気らしい病気もしたことがなく、なんだかいつまでもいつまでも、ずっと元気でいてくれるんじゃないかと……もちろんそんなハズはないと分かってはいたのだけれど。

彼と過ごした最後の一年のおはなしです。当然、明るいエンディングにはならないのだけれど、そしてまあ、すこぶる個人的なお話なのだけれど、彼の生きてきた証を残しておきたいのです。おつきあいいただければ幸いです。

2020年代の始まりに

20劇団年賀状
改めまして皆様、明けましておめでとうございます。

2019年はラグビーの年でしたね。劇団としても4月に、ラグビーものばかりの三本立てリーディング公演『The day』を上演いたしました。コアファンなら垂涎のゲストを集めたアフタートークも大好評でして、これワールドカップの後にやってたらお客様の数が倍になったんじゃないか(笑)などと不埒なことまで頭をよぎったほどです。いつかまたやりたいなぁ。これはマジで。

そして7月には日本コメディ協会主催ですが、レイ・クーニー作の本場イギリスのコメディ『ファニー・マネー』の演出を担当いたしました。以前のブログでも触れましたけれど、本当に達者で面白い役者さんたちに集まっていただけたお蔭で、ワタシの役目はあまりなかったです。今となっては楽しんだ記憶しかない、非常に幸せな公演でした。こういうのも、またやりたいなぁ。

さて、20年代となって、劇団の活動も本格的に再スタートします。
まずは、まもなく情報公開となる、6月の企画公演から。これはご存知下北沢亭での公演となりますが、いろいろと面白いことになりそうな企画があがってきてまして、まあどう考えても普通の公演にはならなそうで、ワタシはドキドキしているのです。乞うご期待。

そして12月頭には、久々の本公演となります。うん、ホントに久々でこっちもなんだかドキドキ(笑)しますね。ちゃんと新作書けるのかしら。台本の書き方忘れちゃってないか……ちと心配なのですけど、まあせっかくなので今までとは違ったテイストやら構造やら、いろいろ試してみたいことを試してしまおうと、まあ無謀にも今は企んでおります。こちらもどうぞご期待ください。

20猫年賀状てなワケで(?)恒例の、猫友だち専用の猫年賀状なのです。
本年も、猫ともども、どうぞよしなに。

『から・さわぎ』の裏のもう一つのドラマ(最終)

5月も半ばになり……翌週に公演本番を控えた頃に、

くーちゃんは体重が1.7キロくらいまで落ちていて、ある晩、激しい嘔吐に襲われました。それまで、下痢の症状はあっても、嘔吐はなくて……しかもひどく苦しそうで……

翌日午前中に時間を無理やりつくって、獣医さんに連れていきました。いつもの点滴に、嘔吐止めの薬も入れてもらって、家に連れて帰ったのだけど、くーちゃんは、あまり動かない。
その日も夕方からは稽古があったので、ワタシは出かけていきました。
稽古後に、役者さんとハナシがしたくて、少し飲みに行って、お芝居のハナシをしていたら、かみさんから、スマホにメッセージが届きました。
くーちゃん危ないかもしれない、と。

急いで帰宅したのだけれど、
くーちゃんはほとんど動けず、ソファの上に横たわっていました。
名前を呼んでも、少し首を動かす程度で、ソファの上には失禁の跡がありました。
昨日まではまだ自力でトイレに行けていたのに……もはや自力では立ち上がることもできないようでした。私とかみさんは、2階の我々の寝室に連れて行って、かみさんの布団の上にバスタオルを敷いて寝かせました。撫でてあげると、少しだけまた首を動かしました。しばらくはそうして撫でていたのだけれど、私もかみさんも翌朝が早いので、さすがに徹夜するワケにもいかず、午前3時を過ぎた頃に、少しだけ眠ることにしました。

目が覚めたのは、6時ごろで……
かみさんが、泣いていました。
くーちゃんは、昨夜寝かせた時と同じ格好のままで横たわっていて、
それは、本当に、ただ眠っているだけのようにしか見えなかったのです。

ほとんど苦しむこともなく……
私とかみさんが寝ている間に……
それは、私たちに、もういいよ、と言ってくれているようでした。

病気が発覚したのが、稽古開始の前の週で、
亡くなったのが本番の前の週の金曜日の朝です。
なんだか、計ったように、『から・さわぎ』の稽古と共にくーちゃんは駆けて行って、
私とかみさんは、落ち込む暇もなく翌週からの本番の準備に忙殺されていきました。
わずか二か月間の闘病生活でしたけど、
最後は、あがくこともなく、潔く、
なんだか、くーちゃんらしいなぁとも思うのです。

くーちゃんのお墓は、大家さんに相談して、今の借家の庭につくらせていただきました。
もともと、大家さんの娘さんが怪我をしている野良の子猫のくーちゃんを拾ってくれて、
それを縁あって私ら夫婦がいただくことになった経緯があって、
それが、また大家さんの持ち家の庭に眠ることになったのです。
私もかみさんも、そして猫二人、タイムもしーちゃんもここでずっと暮らしていくから、
きっと寂しくはないやね。

タイムとしーちゃんは、どこまで分かってるんだか、分かってないんだか。
特にしーちゃんにとっては、実の母親で、ずっと甘えて甘えて、過ごしてきたワケで、
突然いなくなった、あの日以来、以前にも増して私らに甘えるようになりました。時折、その姿を探しているようにも見えて、それは切ないのです。
私はと言えば……まあ、ハンパなく、泣きましたよ、その時は。
猫を亡くすのって、慣れることなんかできないので。でも、夢中で公演期間を走り抜けているうちに、少しは落ち着いて考えられるようにもなったのです。もしも、その公演期間の最中に、その時がきていたら……最後はたぶん見送ることもできず、心に、もっと深い傷を負ったことになったかもしれません。


今でも時々……
猫のご飯を用意する時、三人分用意しそうになって、あっ、と思う時があります。
最初うちに来た時はまだ子猫で、全然、なついてくれないのが心配で……でも、タイムと子供を二度もつくって、宝物みたいな子猫たちと一緒に過ごして……そうやって、共に生きてきた時は、本当にかけがえのない、ものでした。

そこは、寒くないですか
さみしくは、ないですか
くーちゃん
うちの子になってくれて、本当にありがとう


『から・さわぎ』の裏のもう一つのドラマ(3)

台本も進んで、稽古はどんどん佳境に入っていって……

今年の4月後半くらいのお話です。くーちゃんの体重は、2キロを切るか切らないかくらいまで落ちていました。獣医さんに、ステロイド剤を皮下点滴で入れてもらって、一時的には食欲が戻ったものの……
その翌日には、大変な下痢をしてしまって、おそらくは、食べたモノをほとんど消化することなく出してしまったのです。胃腸が、もはや食べ物を消化できないほどに悪くなっていたのだろうと、今にして思います。

病気が発覚した頃、開腹手術をしないと決断した時に、
ワタシとかみさんが決めたのは、なるべく、くーちゃんを、この家で、今までと変わらず、過ごさせてあげたい、ということでした。
もしも、癌であったとしても、残された時間を、なるべく住み慣れたこの家で過ごさせてあげたい。そして、今まで以上に、沢山愛情を注いで、少しでも長く幸せな時間を一緒に過ごしたい。
でも、くーちゃんはますます食欲を無くし……
薬を飲ませても、胃腸が吸収しなくなりました。獣医さんに連れていって、点滴で薬を入れてもらえば少し元気になるのです。でも、飲み薬をいくら飲ませても、一行によくなる気配がなくて、
ずっと、この頃も朝晩、獣医さんに処方してもらった薬を、飲ませていたのだけれど、なんだか今までみたいに抵抗もしなくなったくーちゃんは、されるがままに薬を飲んでいて、それはそれで悲しいことなのでした。
せめて少しでも食事をとってくれればと、鮭を買って焼いたものを冷やして与えたりしてみました。その時は食べてくれて、もう本当に少しでも食べてくれると嬉しくてしょうがなかったのだけれど、また、翌日になると猫トイレに下痢の跡があったりしたのです。

5月になり、台本が完本して、
通し稽古になる頃、もうくーちゃんはほとんどなにも食べられなくなり、
獣医さんに連れていって、点滴をしてもらって、その栄養素で生きているような状態になりました。
この家で、なるべく一緒に幸せな時間を過ごさせてあげたい、
そう願ったクセに、稽古はますます佳境になり、ワタシも滅多に家にいられなくなって、
少し時間ができると、獣医さんに連れて行って、点滴をしてもらって、それで命をつないでいる。
このころは本当に、もう、何が正しいのか、自分でも分からなくなっていました。

おそらくは、もう、助からない。

分かっていたけど、それを認めるのは難しいことでした。延命治療を否定したクセに、いざそうなると、どうしたって、少しでも長く生きてくれるように、なにかできることがあるならば、少しでもしたくなるのです。人間って愚かだ。
強制給餌という、無理やり猫の口に注射器でペースト状の餌を入れて、少しでも栄養を取るようにする、みたいな治療もやってみました。でもさ、胃腸が吸収しなくなってしまった猫に、注射器で無理やりごはんを喉に流し込んだところで、
吸収してはくれない、のですね。翌日、ひどい下痢が猫トイレに。
全てはただ、苦しませているだけなんじゃないかと自問しながら……
それでも、くーちゃんは、まだ階段を自力で登ったり(すごくゆっくりになったけど)トイレにも自力で入ったり、稽古終わって帰宅した私の膝に乗ってきたりもしてくれていたのです。

いつか来るだろう、その日が、いつになるのか。
その月の下旬には本番があって、本番週は、もうどうあがいても、小屋につきっきりになって、獣医さんに連れていく時間がない。あるワケがない。
なんとか、その翌週までもってくれれば……普段は神頼みなどしないくせに、本当に祈るしかない。せめて本番が終わるまでは……
それがその頃の切なる願いでした。

『から・さわぎ』の裏のもう一つのドラマ(2)

猫に薬を飲ませるというのは……
やったことある人ならわかると思うけど、実はとても大変なのですね。左手で猫の頭をがっしと押さえて上を向かせ、親指と小指をうまく使って、猫の口を開けさせる。そうしておいて右手で用意しておいた薬をつまんで、猫の喉をめがけて落とすのだけど……
まあ、当たり前ですが、猫がそんなおとなしくしてくれるワケはないのです。身体をくねらせて、必死の抵抗をします。運よく、喉にストンと落ちてくれればいいのだけれど、暴れる猫を押さえつけながらの作業ですから……手元が狂って舌に落ちたりすると、薬ってハンパなくマズいみたいなので、これはもう、「何するんだよ〜」とばかりに吐きだします。時には、口から泡を吹いたりもして、こうなったらもうお手上げなのです。食欲のある猫ならば、餌にまぜて食べさせるという方法もあるのだけれど、元来、腸に異変が起こってごはんを食べなくなっている猫には、上記の方法以外はなくて……その頃のワタシら夫婦は、毎日朝と夜の一日二回、文字通り、黒猫のくーちゃんと格闘していました。

ちょうど、から・さわぎの稽古が始まった頃のことです。
その頃の、くーちゃんの体重が、2.6キロくらい。こぶりな猫だけど、それでも普段の体重は3キロを超えていたので……まあ、当たり前ですが病気で食欲が落ちると、みるみる体重は落ちて行きました。それなのに、くーちゃんは、元気でした。しーちゃん(牡8歳)と追いかけっこをしたり、タイム(牡14歳)に、ちょっかいを出したり。病気になったなんて嘘みたいでした。時折、台本を書いているワタシの膝に乗ってきて、スヤスヤ眠っていたりもしました。ただ、どうしても食事を食べてくれない。ご飯をあげると、ちゃんと寄ってきて匂いをかいで、食べようとはするのだけれど、食べ始めると、苦しいのか、げっぷのような息を漏らして、すぐにやめてしまうのです。人間の場合でもそうですけど、食べられているうちはまだ大丈夫で、食べられなくなってしまうと、途端に病魔に負けてしまう。

リンパ腫(癌)か、腸炎か。それを明確に診断するためには、開腹手術をして腸の組織を調べなければならない。でも、体重も減って、体力が落ちている猫には、その手術自体が大きなリスクになってしまう。
かみさんと何度も相談しましたが、結論を出すのは難しいことでした。セカンド・オピニオンが欲しくて、以前住んでいた町にある、くーちゃんが子猫の頃からお世話になっている獣医さんの所に、レンタカーを借りて連れていったりもしました。診断結果は、今の町の、今お世話になっている獣医さんとほぼ同じものでした。
だけど……
どうしても私には、今のくーちゃんに開腹手術を決断することはできなかった。もし、その結果がリンパ腫だったとしたら……
ただでさえ体力の落ちているくーちゃんに、手術をした上で、そこから先の抗がん剤治療だのって、過酷な(おそらくは副作用を伴う)治療をさせることになるのです。何日も入院することにもなると思う。猫って、家につく生き物ですから、普段慣れた場所と違う所に連れていくだけで、とてつもないストレスを感じてしまうのですね。しかも前述した通り、それをやったからといって、完治する可能性は少なくて、おそらくそれは苦しむだけの、延命治療というものになりかねない。果たしてそれは誰のための治療なのか……

イチかバチか……
そんな言葉が適切かどうかは分からないけれど、開腹手術はせずに、両方の病気に効くと思われている薬を処方してもらいました。腸炎なら、治る可能性はある。でもそのためには……
くーちゃんの食欲が戻るかどうかがカギでした。
劇団の稽古はどんどん進んでいて……
かみさんが、忙しい合間をぬって、ペットショップで、ありとあらゆるペットフードを買ってきました。食べてくれればいい。お願いだから、食べてくれと、願うしかなかった。

獣医さんがステロイド剤という薬を、皮下点滴というやりかたで入れてくれて、
元々は、免疫を弱める作用のある薬らしいのだけど、それがいろんな病気に効果があるみたいなのですね。食欲増進の効果もあるらしい。
薬を投与したその日、
くーちゃんは病気が嘘みたいに……それこそ、何日かぶりかで、与えたごはんを、病気になる前の量、完食しました。
私とかみさんは文字通り、手を取り合って………あんな嬉しかったことは、今までになかったかもしれない。きっと、良くなると……

くーちゃんは、いつもに比べればいくらかおとなしい気もしましたけど、でも元気でした。稽古はどんどん進んでいって、それがくーちゃんのお蔭かどうかは分からないのだけれど、台本もいつもよりはずっと順調に進んでいました。この先どんなコトになっても、絶対に公演は中止にできないですから……その思いが、私にいつも以上の集中力を与えていたのかもしれません。
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