横丁のガンコ爺や

世の中の出来事を 横丁のガンコ爺や が語るブログじゃよ。  世の移り変わり・世の中のできごとを 斜に見ると、とっても楽しく・面白いのじゃ。
ムズイと思われる事を簡単に。冷や汗、額に流しながら・・・・・。 とりあえず、老い先短い年寄りの話に目(耳)を傾けてくんろ。
頑固一徹 根は純真 ちーとへそ曲がり。

2012年06月

天文=暦を欲した信西

ところで、信西じゃが今鏡(読本)によると
「またみちの人ならぬ、天文などのおそれある事にや。」 と
記述されておるんじゃ。
この時代の 「天文」 は宇宙観測ではなく、
専ら 「暦」 を管理することが主たる目的じゃった。
又、基本的に 「暦」 は中務省・陰陽寮が管轄する所なんじゃ。
暦法は 「宣明暦」 この暦は何と862〜1684年の822年間も
日本で用いられたんじゃよ。
天下を征す者の条件として 「暦」 は最重要なものの一つ。
故に、信西は白河帝をバックとして
彼の目指す 「新しい日本」 を作ろうとした事になるんじゃ。
信西の発案とされる
内裏の修理、相撲の節会の復活なんて代物は 「暦=天文」 に
比べたらほんの些細な事柄なんじゃ。
1158年時点で、
信西入道 53歳
後白河帝 32歳
関白忠通 62歳
平清盛   41歳
源義朝   36歳。
性急な天下転覆は必須条件である
「意のままに操れる暴力装置」 を保持してるか否かに関わるんじゃ。
その点残念なことに信西は持っていなかったんじゃよ。
「知識」 「理性」 「悟性」 のみでは中々
「時の権力」 を打倒できないもんなんじゃ。
現在の民主国家と言われている国々でも
大本を辿れば、
みんな 「暴力装置=軍事力」 で 「権力奪取」 しておるんじゃ。
「知識」 「理性」 「悟性」 を以てして
「より良い権力構造」を作ろうと言う発想は
綺(奇)麗事でご託を並べるだけの 「絵空事」 なんじゃよ。
歴史が証明する様に
信西は1159年の平治の乱により、「野望」 は瓦解したじゃろが。
但し、信西にとっては 「楽しい3年間」 じゃった筈じゃ。
知識人は決して権力奪取などと言う野望を持たず、
世の為人の為に英知を披瀝してくれれば良いと思うんじゃが
中々そう出来ないのが人様の「性(さが)」っちゅうもんなんだろうな?
暦ではなく夜空の星々を勤しむ 「天文」 に限るぞえ。
ほんじゃ、又じゃよ。

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大河 平清盛の信西裁きは低視聴率に

前回、今鏡(今鏡読本)での信西登場シーンを紹介したんじゃが、
その保元の乱での罪人裁きの話、
大河ドラマ6/3放送 「勝利の代償」 がご当地関西地区で
1994年1月以降での
初めての低視聴率(9.2%ビデオリサーチ)を叩き出したそうな。
この年は変則開催で
1993年1月〜6月 「琉球の風」・・・桃山〜江戸時代初期の話
1993年7月〜1994年3月 「炎立つ」・・・平安時代 奥州藤原氏の話
1994年4月〜1994年12月 「花の乱」・・・室町時代中期の話。
1994年1月以降と言うから、「琉球の風」 か 「炎立つ」 かが
それ迄の最低視聴率獲得大河ドラマじゃった事になる。
但し、1994年1月以降と言っているので 「炎立つ」 の
1月オンエアーの4作品の内、何れかとも言える筈じゃ。
因みに、作品は
「秀衡動かず」「泰衡、京へ」「兄と妹」「兄弟の宿命」 なんじゃ。
この時代は
現在オンエアー中の 「平清盛」 とオーバーラップするんじゃ。
源義朝と由良御前との息子、源頼朝(幼名 鬼武者)(1147〜1199)
源義朝と常盤御前との息子、源義経(幼名 牛若丸)(1159〜1189)
この二人の兄弟対決。
奥州藤原氏の藤原秀衡(?〜1187)・泰衡(?〜1189)父子
牛若丸を匿(かくま)い義経を立派な武士にし、最終的には
源頼朝に追われた義経を庇(かば)い平泉の館に入れた秀衡。
一方、頼朝のブラフに屈し義経を殺めた泰衡。
どうも、18年の差こそあれ(バブル崩壊直後〜デフレ不況下)
貴族政権から武士政権へ変革をした時代のドロドロ話は幸せで?
平々凡々と日々を暮らされている皆さんに不評な感じじゃのー。
この事実はおしなべて日本人は 「変革」 を望まない民族やも知れぬ。
神代は知らねども、時の政権が転覆して新しい政権が誕生したのは

1 壬申の乱での蘇我政権 ⇒ 中臣(後の藤原)・天智帝政権
2 藤原摂関家政権 ⇒ 白河・鳥羽院政権
3 院政権 ⇒ 武家政権
4 徳川政権 ⇒ 薩長連合政権
5 自民党政権 ⇒ 民主党政権 (この変革は頓挫の呈)

故に、5を除いた四つが変革と言えるんじゃ。
その内の2と3が今年の大河ドラマ「平清盛」と18年前の「炎立つ」。
従って、変革の望まない庶民にとっては二つの変革を起こした時代は
つまらないんじゃろーなー。
低視聴率なるのは宜(むべ)なるかなじゃよ。
平安後期の二つの変革時代の徒花、(あくまでも結果論じゃが)
悪左府と称された藤原頼通と下級貴族上がりの信西、
二人の大学者 (インテリゲンチャ=知識人) は敢え無く敗退。
最終的に腕に覚えのある時の政府から番犬呼ばわりされた
武者軍団が武力(軍事力)を以てして政権を奪取する事になる
この時代、爺やはめちゃくちゃ興味がそそられるんじゃがのー。
それに引き替え、「5」 は全くの興ざめじゃよ。
興ざめついでに今日はここ迄、ほんじゃ、又じゃ。

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今鏡での (藤原)高階通憲⇒信西

保元の乱により最も利得を得たのは信西(しんぜい)じゃった。
彼の事も「今鏡(今鏡読本)」 に記載されておるぞえ。
尚、生没年は(藤原)高階通憲⇒信西(1106〜1159)。

「(廿三)内宴 S0304
かくてとしもかはりぬれば、
てうきんの行幸、びふく<美福>門院にせさせ給ふ。
まことの御子<後白河帝>におはしまさねども、
このゑのみかど<近衛帝>おはしまさぬよにも、
國母になぞらへられておはします。
いとかしこき御さかえ也。
又春宮<守仁親王=二条帝>ぎやうけい<行啓>ありて、
姫宮の御母にて、はいし奉り給ふ。
このひめ宮と申すは、八条院<損卞眇堂Α笋反修垢覆襪戮掘
廿日ないえん<内宴>おこなはせ給ふ。
もゝとせあまりたえたる事を、おこなはせ給ふ。
よにめでたし。
題は春生聖化中とかやぞきゝ侍りし。
関白殿<藤原忠通>など、かんだちめ七人、詩つくりてまゐり給へる。
あをいろのころも、春の御あそびにあひて、
めづらかなる色なるべし舞姫十人、
れうき殿にて、袖ふるけしき、から女をみる心ちなり。
ことしは、にはかにて、まことの女はかなはねば、
わらは>をぞ、仁和寺の法親王奉り給ひける。
ふみをば仁寿殿にてぞかうぜられける。
尺八といひて、吹たえたるふえ、
このたびはじめてふきいだしたりと、うけ給はりしこそ、
いとめづらしき事なれ。
六月すまう<相撲>のせち<節>おこなはせ給ふ。
これも久しくたえて、としごろおこなはれぬ事也。
十七ばんなん有りける。
ふるき事どもの、あらまほしきを、かくおこなはせ給ふ。
ありがたき事也。
かつはきみの御すぐせもかしこくおはしますうへに、
少納言みちのり<(藤原)高階通憲>といひし人、
のちは法師<信西>になりたりしが、
鳥羽院にもあさゆふつかうまつり、
この御時には、ひとへに世の中をとりおこなひて、
ふるきあとをもおこし、あたらしきまつりごとをも
すみやかにはからひおこなひけるとぞきゝ侍る。
このみかど<後白河帝>、御めのと<乳母>は
すりのかみ<修理大夫>もとたか<藤原基隆>のむすめ、
大蔵卿もろたか<この方不明>のむすめなど、    
二三人とおはしけれど、あるはまかりいで、あるはかくれなどして、
きのご<紀伊局>とて、御ちの人ときこえしが、
をとこにて、かの少納言みちのりのこあまたうみなどして、
今は御めのと<乳母>にて、
やそしまのつかひ<八十島詣で=住吉神社等の参詣>など、
せられければ、
ならぶ人もなきにこそ<藤原朝子=高階通憲の後妻>
 すべらぎのちよのみかげにかくれずばけふ住吉の松をみましや
などよまれはべりけるときこえ侍りし。
まことにかひ<”しき人におはすべし。
かの少納言、                                      
からの文をもひろくまなび、<漢文を広く学び>
やまと心もかしこかりけるにや。<大和心も賢かりける>
天文などいふ事をさへならひて、ざえ<才>ある人になん侍りける。
よはひさまでふるき人にてもはべらざりしに、
今のよにも、いかにめでたくはべらまし。
御めのとは、代々もなきにはあらぬを、
このゑ<近衛>のすけなど、かりそめにもあらで、
四位の少将中将なるに、
さま<”のくにのつかさなどかけて、あまりに侍りけるにや。
はねあるものはまへのあしなく、つのあるものは、かみのはなき事にて侍るを、またみちの人ならぬ、天文などのおそれある事にや。
よろづめでたく侍りしに、をしくも侍るかな。
かくて保元三年(1158)八月十六日、くらゐ東宮にゆづり申させ給ふ。
位におはします事三年なりき。<後白河帝>
おりゐのみかどにて、
御心のまゝによをまつりごたんと、おもほしめすなるべし。」

尚、<>と(西暦)は爺やが勝手に補ったもの。
結構分かりやすいじゃろ。 そんじゃ又。

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保元の乱で死罪(死刑)も復活、赦免の源為朝

保元の乱の敗者代表、藤原頼長・崇徳院の話をしたんじゃが次は
お勤め具合の経緯(いきさつ)で彼らに荷担した、
或いは、せざるを得なく敗者となった方々じゃ。
先ずは老体にも関わらず担ぎ出されて戦闘部隊の総大将格にされた
源為義(1096〜1156)、奇しくも長男、源義朝(1123〜1160)と
父子対決となった後の源頼朝(1147〜1199)のお爺さん。
次に平忠盛(1096〜1153)の弟で平清盛(1118〜1181)の叔父さん
平忠正(?〜1156)、藤原頼長に近侍し頼長と宇治から共に上洛。
お次は新院(後の讃岐院)に近侍していた
平家弘(?〜1156)、乱では忠義を貫き新院(後の讃岐院)サイドに。
上のお三方が武士の代表じゃ。
そして彼らに科せられた刑罰は何と死を以て贖う斬首刑じゃった。
乱、或いは、変の後、関係者が死に追いやられた例は
遡る事346年、藤原薬子の変(810)で薬子(くすこ)の兄、
藤原仲成(764〜810)が射殺された以後、この保元の乱までなく
それはそれは平安な時代じゃったんじゃよ?
平忠正・家弘らの子息も含め皆さん斬首。
源為義一族は勝者側の後白河天皇に与した長子、源義朝以外の
息子さんらも斬首刑。
只、八男坊の源為朝(1139〜?)、
通称 「鎮西(ちんぜい)八郎」 だけは弓の名手で武勇を認められ
斬首にするのは惜しい?との理由で
伊豆大島へ配流の刑に酌量されておるんじゃ。
勝者側は後に赦免・召還・配下にしようと目論んだのかのー?
一方、彼は民(たみ)に人気があったようで、
チンギスハンとなった 「義経伝説」 に勝るとも劣らない
中山琉球王の祖と言う「為朝伝説」 を生むんじゃよ。
まあ、
伝説じゃからお話しは眉唾(まゆつば)で聞かんといかんがのー。
この話に輪をかけたのがお江戸時代、
粋で洒落た戯作者、山東京伝(1761〜1816)にお世話になり、後に
読本作家となり一世風靡した曲亭(滝沢)馬琴(1767〜1848)さん。
1807年発刊の 「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」 で
源為朝の保元の乱の活躍と最終的に琉球に渡って中山琉球王に父親
となったと言うフィクションを展開したんじゃ。
義経ではないが 「判官贔屓」 で悲劇の英雄を好む日本人気質の
心を揺すり (今日日は知らんが?) 椿説弓張月はその時代の
超人気読本 (画像(絵)添え物語感じ) だったんじゃよ。
そして、この絵を担当した方が名にし負う
葛飾北斎(1760〜1849)さんじゃったんじゃ。
すばらしいコラボじゃろ。
北斎さんに関しては孫が大好きで触れておるから興味が有れば、
「葛飾北斎 究極の着物コーディネートファッション」
を覗いてくれりょ。
フィクションはこれ位にして、そんなこんなで、
敗者が死を賭して罪を購う死罪(死刑)が保元の乱で復活したんじゃ。
ほんじゃ又、来週は保元の乱の続きじゃから。

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RECOMMEND H.P.
粋・いなせ と服  江戸時代

うちの孫の作なんじゃけど
江戸時代の庶民文化
粋といなせ」について
語っているので暇だったら
一度、目と通してくんろ。

何やら、今現在は「古事記」に
凝っているそうじゃ。
「本居宣長」じゃあるまいにのう。

日本の色 (伝統色)

日本の色について
大昔から近代までの流れを
色見本付きで紹介しちょるぞ。

男と女 待賢門院

これは「歴史秘話」ではなくて
少し歴史をかじった事がある
者にとっては周知の事実じゃ。

男と女 お美代の方

これも「歴史秘話」ではなくて
「歴史ヒストリア」?
家斉は大したもんじゃのー。

ファッション・よもやま話

孫の作じゃ。
お時間があればどうぞ。
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