横丁のガンコ爺や

世の中の出来事を 横丁のガンコ爺や が語るブログじゃよ。  世の移り変わり・世の中のできごとを 斜に見ると、とっても楽しく・面白いのじゃ。
ムズイと思われる事を簡単に。冷や汗、額に流しながら・・・・・。 とりあえず、老い先短い年寄りの話に目(耳)を傾けてくんろ。
頑固一徹 根は純真 ちーとへそ曲がり。

2015年09月

李氏朝鮮問題により日清戦争へ突入

先週の続きじゃよー。
安倍首相70年談
「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、
 多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」
日露戦争は1904(M37)/02/08〜1905(M38)/09/05。 約1年と7ヶ月弱
安倍首相はあえて?この10年前の「日清戦争」を取り上げなかった。
日清戦争は1894(M27)/08/01〜1895(M28)/04/17。 約8ヶ月半
清(1644〜1912)は女真族(満州人)、愛新覚羅氏が皇帝で
漢族、モンゴル族、ウイグル族、チベット族等々を束ねた王朝。
この日清戦争なくして日露戦争へ繋がらないので若干補足。
日本が不完全ながら国民国家になったのは
1868年(M1) 明治新政府発足(明治維新)。
お隣、清(現、中華人民共和国)と国交を結んだのは
1871年(M4) で日清修好条規。それ迄、海禁政策。
1873年(M6)1/1から日本はグレゴリオ暦採用。
もう一つのお隣、李氏朝鮮(現、北朝鮮・韓国)と国交を結んだのは
1876年(M9) で日朝修好条規。それ迄、鎖国。清の冊封体制下属国。
李氏朝鮮王、「高宗」(1852〜1919)の父、興宣大院君(1820〜1898)が
鎖国・攘夷政策を実施していたんじゃ。しかし日本同様、

1866年 米国武装商船が平壌(ピョンヤン)の羊角島に侵入砲撃
李氏朝鮮側は果敢に応戦撃退。
1866年 仏国軍極東艦隊が江華島の一部を占領、
首都漢城(ソウル)へ侵攻、李氏朝鮮軍の反撃に遭い撤退。
1871年 米国アジア艦隊再度来襲するも大院君鎖国を貫徹。 しかし
1873年 高宗成人で親政(但し彼は遊び人?)、大院君に敵対する
彼の連れ合い閔妃(1851〜1895)が大院君を追放、開国政策へ。
この政策変更により、上記の日朝修好条規(1876)が結ばれたんじゃ。
しかし、大院君は復帰し閔妃(ミンピ)との権力奪還闘争へ。
1882年 米朝修好通商条約締結
1882年 大院君の乱 大院君派の軍人が反乱、閔妃一族政府高官・
日本人軍事顧問・日本公使館員らが殺傷される事変勃発
閔妃は朝鮮駐屯淮(ワイ)軍人、袁世凱(エンセイガイ)(1859〜1916)
(後の中華民国初代大総統)に要請、大院君を排除
袁世凱は李鴻章(リコウショウ)(1823〜1901)の部下
1882年 済物浦(サイモッポ)条約 乱後、李氏朝鮮と日本が締結
日本公使館保護の為日本軍常駐・賠償金支払等々の取り決め
むろん宗主国、清の軍隊も駐屯しておる状況
1884年 甲申(コウシン)政変 大院君の乱後再び政権を取った閔妃
乱平定援助の清に「おすりすり」
(2015/9/3の中国軍パレード観閲式に参列の朴さんと・・・・・。)
この閔妃に叛旗を翻した方が朝鮮独立派金玉均(キム・オッキュン)
(1851〜1894)閔妃政権打倒を目論むも清軍に粉砕され日本へ亡命
この際、王宮警護日本軍と王宮攻撃した清軍と戦闘状態に陥り危機
1884年 露朝修好通商条約
1885年 天津条約 日本軍と清軍との戦闘回避の為に締結
朝鮮から両軍即時撤退・両国軍事顧問派遣禁止・朝鮮出兵相互通知
を取り決め日清開戦危機一髪を逃れる
1885年 英国軍艦巨文(コムン)島を占領 〜1887  対露防衛政策
1886年 清北洋艦隊乗員、長崎にて乱暴・強奪事件 死傷者発生
 〜  閔妃政権は清を後ろ盾に政治・経済の近代化政策に邁進
1894年 3月甲午農民戦争(東学<人間みな平等>党の乱)
政治・経済改革に伴う弊害露呈、全羅道(韓半島南西部)農民らが
閔妃政権打倒・日本人排除を目途し武装蜂起、朝鮮軍に敵対勝利
5月には全羅道(チョルラド)の全州(チョンジュ)を占領、漢城へ進軍
対し、6月朝鮮政府は反乱農民軍鎮圧の為、清に軍隊派遣を要請
明治日本政府も日本公使館・邦人保護の為軍隊派遣を閣議決定
(天津条約に則り事前に清へ通報)
 〜 この間紆余曲折があり
1894年 8/1 日清両国が宣戦布告 日清戦争に突入
尚、この間の経緯は「国立公文書館 アジア歴史資料センター」
「描かれた日清戦争 〜錦絵・年画と公文書」
「朝鮮の混乱と日清両国の動き〜甲午農民戦争」
「日清の朝鮮への出兵と戦闘の始まり〜宣戦布告」
若者には是非とも一読をお願いしたいんじゃが?
今日はここ迄じゃ。

植民地支配への危機感が日本にとって近代化の原動力

先週の続きじゃよ。今週は
安倍首相70年談話での
「その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、
 間違いありません。
 アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。」
これはちょうど今現在、大河ドラマ「花燃ゆ」で放映中じゃ。
NHKも政府に気を使っておるんじゃ。否、持ちつ持たれつじゃが。

欧米列強国らの日本列島へ来襲の具体的史実 (年号は和暦換算)

1791年 米国商船レディ・ワシントン号紀伊大島に
1792年 露国使節ラクスマン大黒屋光太夫を伴い根室に
1797年 英国船室蘭に
1804年 露国使節ニコライ・レザノフ長崎に通商要求
1808年 英国軍艦フェートン号長崎に補給強要
1811年 露国軍艦艦長ヴァーシリー・ゴローニン国後島で捕縛
1837年 米国商船モリソン号浦賀に
1844年 仏国軍艦アルクメネ号沖縄に
1846年 米国使節ジェームズ・ビッドル浦賀に通商要求
1853年 米国軍艦(ペリー艦長)浦賀に米国大統領国書を持参
1853年 露国軍艦(プチャーチン艦長)長崎に皇帝国書を幕府に
1854年 米国(ペリー)と日米和親条約
1854年 英国(スターリング)と日英和親条約
1854年 露国(プチャーチン)と日露和親条約
1855年 オランダ(蘭国)と日蘭和親条約
1856年 米国ハリス駐日領事が下田着任
1858年 米国(ハリス)と日米修好通商条約
1858年 露国(プチャーチン)と日露修好通商条約
1858年 英国(ジェイムズ・ブルース)と日英修好通商条約
1858年 仏国(グロ)と日仏修好通商条約
1859年 英国ラザフォード・オールコック駐日公司が高輪着任
1859年 英国商人トーマス・ブレーク・グラバー長崎に
1861年 露国軍艦ポサドニック号対馬の芋崎を永久租借要求
1862年 英国外交官アーネスト・サトウ駐日公使館通訳生として横浜に
1862年 生麦事件(薩摩藩士が英国人殺傷)
1863年 薩英戦争(英国の生麦事件に対する報復)
1863年 下関戦争(長州藩が米仏蘭艦船に砲撃)
1863年 下関戦争(米仏軍艦が長州軍艦へ報復砲撃)
1864年 下関戦争(英米仏蘭連合艦隊が下関・彦島へ砲撃・占拠)
1864年 仏国フランス駐日公使レオン・ロッシュ来日
1865年 仏国フューレ、プティジャン神父が大浦天主堂建造
1867年 江戸幕府・薩摩藩・佐賀藩がパリ万博に参加
1867年 仏国軍事顧問団(江戸幕府方)が横浜に
1868年 明治新政府発足(明治維新)

欧米列強国から日本がラッキーにも植民地化されなかった理由。
1 武器では劣るも果敢に対峙・敵対した事。(胆力)
2 他の東南アジア諸国と比して島・町が綺麗だった事。(文明力)
3 江戸幕府官僚、及び、アンチ幕府諸藩の志士が
    幻想日本国防衛で意思一致していた事。(団結力)
爺やはこの3点に尽きると考えるんじゃ。
力がなくても決して個を優先せず
全体利益を構想し、「いざ」の際は結集団結できたあの時代の日本人。
わしらは彼ら・彼女らのお陰で今現在の日本を甘受できておるんじゃ。
又、「立憲政治」は
1889年 「大日本帝国憲法(明治憲法)」発布
1890年 同 施行
今日はここ迄じゃ。

植民地支配の波は19世紀アジアにも押し寄せた

先週の続きじゃよ。今週は
安倍首相70年談話での
「圧倒的な技術優位を背景に、
 植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。」

これの具体的事実を列挙してみるぞえ。(先週からの抜粋)

1819年 英国がジョホール王国よりシンガポールを割譲
1824年 英国がマラッカ(マレーシア)をオランダから獲得
1824年 オランダがスマトラ島(インドネシア)を英国から獲得
1826年 英国がアラカン(ミヤンマー西部)をミヤンマーから獲得
1826年 英国がテナセリム(ミヤンマー南部)をミヤンマーから獲得
1842年 英国が清より香港を割譲
1844年 欧米列強が上海(清)に共同租界
1845年 ポルトガルがマカオ(清)を占領
1852年 英国がビルマ(マレーシア)の南半分を併合
1858年 仏国がサイゴン(ベトマム)を占領
1860年 欧米列強が天津(清)に共同租界
1863年 仏国がカンボジアを保護国に
1885年 日本が清より遼東半島・台湾・澎湖諸島等を割譲<日清戦争により>
1885年 日本は露・独・仏国の三国干渉により遼東半島を返還
1886年 英国がビルマ(マレーシア)の北半分を併合
1893年 仏国がラオスを保護国に
1898年 独国が膠州湾=青島(清)を租借地に
1898年 露国が大連(清)を租借地に
1898年 米国がフィリピン・プエルトリコ・グアムをスペインから譲渡
1899年 仏国が広州湾(清)を租借地に
1900年 露国が旅順(清)を租借地に

東南アジア諸国は武力近代兵器・艦隊を装備した欧米列強国らに
(日本とタイ王国を除き)すべて「植民地支配」されていたんじゃ。
これが19世紀の現実世界じゃたんじゃよ。
欧米列強国らの共通点は
1 白人
2 キリスト教文化
3 帝国(皇帝が統治する国家)、及び、国民国家
この3点に凝縮されるんじゃ。
今日日でさえ、白人・キリスト教文化 V.S. それ以外人・以外教文化
との「戦い」は継続・進行しておるんじゃ。
この事実を踏まえておかないとすべての事象は見えなくなる。

100年以上前の世界には広大な植民地が広がる

先々週、内閣総理大臣談話(戦後70年談話)の和文英訳・英文和訳、
英語をお勉強してしもうたわい。
ところで、その8月14日安倍談話資料として
「21世紀構想懇談会」の報告書が8月6日、
(この日は
 70年前アメリカ軍により広島に原子爆弾攻撃がなされた日じゃ。)
提出されたていたんじゃ。
タイトルは
「20世紀を振り返り
 21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会」

僅か38pしかないから是非とも目を通してくれりょ。
この報告書で爺やが驚いたのは
1 平和 peace
2 法の支配 rule of law
3 自由民主主義 liberal democracy
4 人権尊重 respect for fundamental human rights
5 自由貿易体制 open trading system
6 民族自決 self-determination of peoples
7 途上国の経済発展への支援
    assistance to developing countries of economic development
この7項目の一括フレーズが7度繰り返されていたことじゃ。
このフレーズ群を強調したかったかも知れんがいささか諄(くど)過ぎ。
そこでだ、
日本の若者達に「謝罪を続ける宿命を背負わせ(70年談話)」ない為に、
今週は歴史のお勉強じゃ。
安倍首相70年談話での20世紀以前〜大東亜戦争に至った展開は
100年以上前の世界には、
 西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました
。」
これの具体的事実を列挙してみるぞえ。(主なものだけじゃ)

1472年 ポルトガルがナイジェリアを植民地に後に英国も(奴隷海岸)
1500年 ポルトガルがブラジルを植民地に
1500年 ポルトガルがセイロン(スリランカ)を植民地に
1508年 スペインがプエリトリコ(カリブ海北東)を征服
1510年 ポルトガルがゴア(インド)を占領
1510年 スペインがコロンビアを征服
1511年 ポルトガルがマラッカ領有
1511年 スペインがキューバを征服
1519年 スペインがハバナ(キューバ)を征服
1521年 スペインがアステカ(メキシコ)を征服
1524年 スペインがマヤ(グアテマラ)を征服
1529年 スペインがフィリピン(ルソン島)を征服
1533年 スペインがインカ(ペルー・ボリビア・エクアドル)を征服
1541年 英国がアイルランドへ入植
1557年 ポルトガルがマカオ(明)の居留権を獲得
1565年 スペインがフロリダ(現米国)を征服
1565年 スペインがグアム島を植民地
1571年 スペインがフィリピンのマニラを首府に
1598年 オランダがバンテン(インドネシア)に商館設置
1605年 仏国アカディア(カナダ)ノバスコシアへ入植
1607年 英国(バージニア会社)がバージニアへ入植
1608年 仏国ケベック(カナダ)バージニアへ入植
1609年 オランダ(東インド会社)が平戸(日本)に商館設立
1610年 英国がニューファンドランド島(カナダ)へ漁業基地を設置
1612年 英国(東インド会社)がスーラト(インド)に商館設立
1614年 オランダがマラッカ領有
1614年 オランダがニューネーデルラント(ハドソン川流域)を領有
1619年 オランダ(東インド会社)がバタヴィア=ジャカルタに商館設置
1622年 オランダ(東インド会社)が澎湖(明)を占領
1624年 オランダ(東インド会社)が台湾(明)を植民地 〜1662年
1624年 仏国がギアナ(南米)を植民地
1624年 英国王室領植民地バージニア
1632年 英国王室領植民地ロードアイランド・コネチカット
1635年 仏国がグアドループ・マティニーノ(カリブ海)を植民地
1636年 英国王室が第2代ボルティモア男爵へメリーランド
1638年 オランダ(東インド会社)がモーリシャス島を占領
1639年 英国(東インド会社)がマドラスの土地を取得
1639年 英国(東インド会社)がマドラスの土地を取得
1640年 仏国がレユニオン(インド洋)島を占領
1641年 オランダ(東インド会社)が長崎出島(日本)に商館移転
1652年 オランダ(東インド会社)がケープ(南アフリカ)を植民地
1658年 オランダがポルトガルからセイロンを奪取
1659年 仏国がセネガルに商館設立
1663年 英国王室が8名に与えたカロライナ
1664年 英国王室領植民地デラウェア、それ以前オランダ植民地
1664年 英国王室領植民地ニュージャージ
1667年 英国がオランダからニュームステルダム(ニューヨーク)を
1667年 オランダが英国からスリナム(南米)を
1667年 スペインがマリアナ諸島を植民地
1668年 英国(東インド会社)がボンベイ・カルカッタ(インド)に商館
1681年 英国王室がウィリアム・ペン卿へ譲渡したペンシルベニア
1687年 英国(東インド会社)がムンバイを拠点に
1688年 仏国がポンディシェリ(インド)を植民地
1690年 英国がカルカッタに東インド会社設立
1691年 英国王室領植民地マサチューセッツ湾・ニューハンプシャー
1697年 仏国がサン=ドマング(ハイチ)を植民地
1699年 仏国がルイジアナ(ミシシッピ川流域)へ入植
1711年 英国が広州(清)に商館設立
1713年 英国が仏国アカディア(カナダ)ノバスコシアを割譲される
1715年 仏国がモーリシャス島(インド洋)を占領
1722年 仏国がニューオーリンズをルイジアナを首府に
1732年 英国王室がジェームス・オグルソープに与えたジョージア
1763年 スペインが英国にフロリダを譲渡としキューバを奪還
1763年 英国が仏国からケベック(カナダ)を奪取
1764年 仏国が東フォークランドバークレー湾(アルゼンチン)へ入植
1764年 英国が西フォークランド(アルゼンチン)を領有
1770年 英国がボタニー湾(オーストラリア)を領有・入植
1786年 英国がクダ王国よりペナン島(マレーシア)を割譲
1770年 英国がケープタウン(南アフリカ)を占領
1779年 露国がアラスカ(北アメリカ)を植民地に
1806年 英国がケープタウン(南アフリカ)を植民地に
1810年 英国がモーリシャス島を占領
1815年 英国がセイロン(インド洋)を割譲される
1819年 英国がジョホール王国よりシンガポールを割譲
1824年 英国がマラッカ(マレーシア)をオランダから獲得
1824年 オランダがスマトラ島(インドネシア)を英国から獲得
1826年 英国がアラカン(ミヤンマー西部)をミヤンマーから獲得
1826年 英国がテナセリム(ミヤンマー南部)をミヤンマーから獲得
1828年 英国がオーストラリア全土を領有宣言
1830年 仏国がアルジェリア(北アフリカ)を占領
1840年 英国がニュージーランドを植民地
1842年 英国が清より香港を割譲
1844年 欧米列強が上海(清)に共同租界
1845年 ポルトガルがマカオ(清)を占領
1852年 英国がビルマ(マレーシア)の南半分を併合
1858年 仏国がサイゴン(ベトマム)を占領
1860年 欧米列強が天津(清)に共同租界
1863年 仏国がカンボジアを保護国に
1867年 米国が露国よりアラスカを購入
1868年 日本は江戸幕府崩壊、慶応から明治に
1874年 英国がフィジー(南太平洋)を植民地
1875年 英国がエジプトを保護国に
1881年 仏国がチュニジアを保護国に
1884年 英国がソマリランド(東アフリカ)を植民地
1884年 独国が北東ニューギニア・ニューアイルランド諸島を獲得
1884年 独国がニューブリテン諸島、ソロモン諸島北部を獲得
1884年 独国がナミビア(アフリカ南西部)を保護領に
1884年 独国がブルンジ(アフリカ南東中央部)を植民地
1884年 独国がカメルーン(アフリカ西部)を植民地
1885年 独国がトーゴ(アフリカ西部)を保護領に
1885年 独国がマーシャル諸島を保護領に
1885年 伊国がエリトリア(東アフリカ)を占領
1885年 スペインがパラオ(南太平洋)を植民地
1885年 日本が清より遼東半島・台湾・澎湖諸島等を割譲<日清戦争により>
1885年 日本は露・独・仏国の三国干渉により遼東半島を返還
1886年 英国がビルマ(マレーシア)の北半分を併合
1886年 スペインが西サハラ(北西アフリカ)を保護領に
1887年 ポルトガルがマカオ(清)を植民地
1887年 英国(英東アフリカ会社)がケニアを統治
1888年 英国がソマリランド(東アフリカ)を保護領に
1888年 独国がナウル(南太平洋)を植民地
1889年 独国がルワンダ(アフリカ南東中央部)を保護領に
1889年 独国がサモア(南太平洋)を保護領に
1890年 独国がタンザニア(南東アフリカ)を植民地
1893年 英国がソロモン諸島を植民地
1893年 仏国がラオスを保護国に
1894年 英国がローデシア(ザンビア・ジンバブエ)を植民地
1898年 独国が膠州湾=青島(清)を租借地に
1898年 露国が大連(清)を租借地に
1898年 米国がフィリピン・プエルトリコ・グアムをスペインから譲渡
1898年 米国がハワイ共和国を併合
1899年 英国とエジプトがスーダンを共同統治
1899年 仏国が広州湾(清)を租借地に
1900年 英国がトンガ(南太平洋)を保護領に
1900年 露国が旅順(清)を租借地に
1905年 露国が日本に大連・旅順を譲渡<日露戦争により>
1905年 露国が日本に南樺太を譲渡<日露戦争により>
1905年 日本は大韓帝国(1897〜1910)を保護国に<日露戦争により>
1910年 日本と大韓帝国が韓国併合条約に調印
1911年 伊国がフェザーン(リビアの一部)を植民地
1911年 伊国がドデカネス諸島(エーゲ海)を占領
1912年 伊国がロドス島(エーゲ海)を占領
1912年 仏国がモロッコを保護国に

等々が「植民地」と言う括りになるんじゃよ。 
今日はここまでじゃ。

RECOMMEND H.P.
粋・いなせ と服  江戸時代

うちの孫の作なんじゃけど
江戸時代の庶民文化
粋といなせ」について
語っているので暇だったら
一度、目と通してくんろ。

何やら、今現在は「古事記」に
凝っているそうじゃ。
「本居宣長」じゃあるまいにのう。

日本の色 (伝統色)

日本の色について
大昔から近代までの流れを
色見本付きで紹介しちょるぞ。

男と女 待賢門院

これは「歴史秘話」ではなくて
少し歴史をかじった事がある
者にとっては周知の事実じゃ。

男と女 お美代の方

これも「歴史秘話」ではなくて
「歴史ヒストリア」?
家斉は大したもんじゃのー。

ファッション・よもやま話

孫の作じゃ。
お時間があればどうぞ。
ブログ内 記事検索
Archives
 
Recent Comments
QRコード
QRコード