今年の大河ドラマは「平清盛」。
毎日曜日、日本放送協会よりオンエアーされておる。
時代劇は何と言っても 「時代考証」 が重要。
映像だから実写されているもの、及び、言葉がダイレクトに
イメージされ易い。故にその時代をより正しく考証しなくてはならない。
大輪田泊・福原京(現在の神戸)の地元の県知事さんが
「映像が汚い」 とクレームをつけたとか。
「地元の利益しか考えない」 とこのような不埒な発想に
陥ってしまうんじゃよ。 情けない極みじゃ。
それはさて置き、
このドラマの時代考証を担当されている方のお一人、本郷和人氏。
(白河院政、及び、帝家を 「王家」 表現と決めた理由を表明した方。)
彼の 「本郷和人のweb研究室」での自己紹介では
生年月日が 「ないしょ」 とされておる。
性格は 「温厚。真面目。だらしがない。『でぶ』のキャラクター」 と。
内緒にされるとつい調べてみたくなるのは世の常、人情。
しかし、「大河ドラマは『平清盛』」⇒ 「平安は、驚きがいっぱい。」
で東京大学史料編纂所准教授と紹介されておった。
昨今は助教授と言わなくなったんじゃのー。
それはさておき、早速、ぐぐると
「東京大学大学院 情報学環・学際情報学府」
ご本人の略歴が記載されておった。
公表されておるから良いのだと思うが1960年生まれと。
主要業績欄での著書から 「中世史」 がお得意そうじゃ。
じゃから今回のドラマで抜擢されたんじゃろー。
時代考証と言う代物は歴史を遡る程大変な作業なんだと思う。
何せ、文献資料・考古物件に限りがあるからなんじゃ。
更に、厄介な事はその文献はあくまでもそれを記(しる)された
本人の立ち位置、及び、感情に左右されておるからなんじゃ。
しかしながら、
頼りはその現存する文献で、
それから推量しか方法がないのも事実なんじゃ。
当然、本郷和人氏は熟読されておられると思うが
平清盛(1118〜1181)の生きた初期時代を記(しる)した文献は丁度、
「中右記(ちゅうゆうき)」 になるんじゃよ。
これは、藤原宗忠(1062〜1141)の日記なんじゃ。
中右記は宗忠の26歳〜77歳(数え)の日記で
歴年にすると1087年〜1138年間の出来事が記載されておるんじゃ。
平清盛と面識が有ったかどうかは不明じゃが
平清盛の1歳〜21歳の時代背景の幾らかは想像可能になる筈じゃ。
藤原宗忠は1136年に右大臣職の任につき、家名が 「中御門家」 から
彼の日記は 「中右記 (中御門右大臣日記)」 となっておる。
藤原宗忠の高祖父(ひーひー爺さん)は
何と、平安の栄華を極めた 「藤原道長(966〜1028)」 なんじゃ。
彼の事は、みんなよーく知っちょるじゃろ。
因みに、
藤原宗忠の父が宗俊(1046〜1097)、
藤原宗俊の父が俊家(1019〜1082)で中御門家の祖、
藤原俊家の父が頼宗 (993〜1065)、
藤原頼宗の父が道長になるんじゃ。
政治形態が院政へ変化する因の一つが道長の息子らの帝に嫁いだ
娘さん達に男の子が生まれなかったことなんじゃ。
ここの状況は爺やの孫が詳しく紹介しているから
「摂関政治時代から院政政治時代になるきっかけを作った女性達」
で見てくれりょ。
中右記については来週に。 ほんじゃ又。

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