前回まで米・欧州を宣ったが
今回は日本と清朝の国民国家について流れのお話じゃ。
先ず日本はみんな知っての通り
1603年02/12(旧暦) 徳川家康が征夷大将軍 徳川(江戸)幕府
1867年10/14(旧暦) 徳川幕府が大政奉還
1867年12/09(旧暦) 王政復古の発令
1868年01/03(旧暦) 鳥羽・伏見の戦い勃発 戊辰戦争
1868年03/14(旧暦) 五箇条の御誓文 億兆安撫国威宣揚の御宸翰
1868年04/11(旧暦) 徳川幕府江戸城明け渡し
1871年07/14(旧暦) 廃藩置県
これらにより、君主制国民国家に変貌を遂げたんじゃよな。
お次はお隣、清朝の場合
1616年 明朝(漢人王朝)より弩爾哈齊(ヌルハチ)が独立し後金国
       (弩爾哈齊は女直(女真族=満州人)のリーダー)
1636年 1616年以降 明の山海関(現在の河北省秦皇島市山海関区)
       以北と南モンゴルを制圧し領地拡大
       女真族=満州人・漢族・モンゴル族の部族長会で
       弩爾哈齊(ヌルハチ)=愛新覚羅の後継者、
        ホンタイジが大清皇帝に推挙される
1644年 明朝の内部分裂に乗じて北京攻略、清朝は北京を首都に
        ここで歌舞伎で有名な 「国性爺合戦」 鄭成功(国姓爺)が
        登場、彼は明朝再興に尽力するも夢破れる事に
            鄭成功(1624〜1662)の父は漢人、母は和人(日本人)
1840年 英、清朝へ恫喝、アヘン戦争
1850年 太平天国の乱 洪秀全率いる軍団が清朝に叛旗を翻す
         南京制圧し太平天国王朝を(〜1864年)
1862年 陜西・甘粛省で漢人と回(イスラム)教徒とが衝突
1865年 東突厥(トルキスタン)回(イスラム)教徒の清朝への叛旗に
         乗じ西突厥のヤアクーブ・ベグが東突厥を支配下に
1877年 清朝が東突厥(トルキスタン)を奪還
1884年 清朝は東突厥(トルキスタン)を「新疆省」に
            (新疆省はほぼ現在の新疆ウイグル自治区)
1884年 清仏戦争 越南(ベトナム)支配をめぐる両国の戦闘
1885年 仏は台湾を封鎖 戦闘膠着状況から講和(天津条約)
            仏は越南(=ベトナム)を奪取。
         清朝は「台湾省」を設置
         台湾はそれまで清朝の一部と見なさず、辺境扱いで   
         漢人の入植も禁止されていた
清朝は度重なる西欧列強国の横暴さに絶えきれず、それ迄の
満州人とモンゴル人が同盟して漢人を支配する建前を崩し
新たに漢人を同盟相手とせざるを得ない状況に
1894年 日清(甲午)戦争 李氏朝鮮国の内乱、甲午農民戦争に伴い
            朝鮮の宗主国 清朝の朝鮮駐留軍と朝鮮派遣日本軍が対置
         やがて両者は互いに戦闘状態に陥る
1895年 清朝軍劣勢状況をきたし清朝側より休戦・講和に
清朝は欧米列強に屈する事には甘んじたが
東夷と考えていた日本に敗戦した事に深刻な衝撃が走るんじゃ。
これ以後清王朝は日本式国民国家(君主制国民国家)の樹立に邁進。
日本に若き学生を多数送り込み学習させる方針を貫徹。
(1928年南京国民政府主席の蒋介石は東京振武学校へ留学、後に
 日本陸軍にお勤め、陸軍十三師団の高田連隊の野戦砲兵隊将校)
但し、当然、紆余曲折を経て
1912年01月01日 孫文をリーダーとする中華民国が成立
1912年02月12日 清朝皇帝、宣統帝が退位
ここに初めて中華民国と言う国民国家ができ上がったんじゃよ。