2013年11月19日

さだめ

どうも、僕です。

さて、「運命」というものを信じていますか。
僕は信じています。

以前から、こう考えることがありました。
「自分に起こる全てのことは、あらかじめ決まっていて、
今ここで自分がこう考えることさえ定まっていたことだとしたら、
何ておもしろいのだろう。」
別に何に感化されたわけでもなく、
ふとそんなことを考えたりしていました。

そしてつい先日、
とある書籍を読んでいたところ、
同じことが書いてあって少し驚きました。

仏教にある「天」または「天命」という考え方。
自分に起こることは全て天によってもたらされたもので、
それを受け入れることが大切なのだというもの。
天という考え方は、キリスト教でいうイエス・キリスト、
イスラム教でいうアッラーといったところでしょうか。

その筆者によれば、日本人が自分の内面を掘り進んでいくと、
仏教的な考え方に行き着いてしまう、と。
普段から深く信仰していない人でも、
それはある程度仕方のないことみたいです。
キリスト教など他の宗教を信仰していない限りは。

僕も特に特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、
宗教の教えや、戒律、考え方には興味があります。
例えばイスラム教では何を神として信仰していて、
どんな教えで、どのような世界観なのかということは非常に興味深いです。

イスラム教にしても、
イスラム原理主義者や一部の過激派の行動が問題なのであって、
宗教としてのイスラム教は非難されるべきものではないと思います。
テロなどの影響で、その言葉だけで良くないイメージがある気がします。

宗教というものは、
ある種の「救済」なのかなとも思います。
人間は少なからず罪を犯している。
その贖罪の拠り所として宗教があり、
神に救いを求めるのではないかと。

そう考えると、一種の洗脳とも考えられる。
宗教論を勉強したわけではないので深くは言えませんが、
これまでの歴史の中で、
30年戦争や十字軍などの宗教戦争とも言えるような戦争があることを考えれば、
そう捉えることもできるのではないかと思います。

話が逸れましたが、
「天」または「天命」というものについて。

全てのことが天命によるものであり、
定まっていたことだとしたら、
自分の人生の意味は何なのか。
そこにはどのような意味が込められているのか。

そう考えたときに、
もしかしたら、そんな人生に意味はない、
人生は自分で決めて切り拓くものだという人もいるかもしれない。
おもしろくないと思う人もいるかもしれない。

でも、僕は少し違います。

もちろん、全て決まっているということを実証する術はありません。
それを検証することはできない。
でも、そう考えることで「今」を生きることができる。
僕はそう考えています。

なぜそう考えるのかということについては、
ここまででだいぶ長くなってしまったので、
次回に続く、ということにして、
今日のところは終了です。

期待しないで待っていてください(苦笑)  
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2013年11月04日

再び

どうも、僕です。

長らくブログを放置しておりました。
某SNSを始めてからというもの、
こちらを更新するのが億劫になってしまってました。

日常のちょっとしたことや、
日記的なことについてはSNSで更新するとして、
こちらでは主に内面的な話なんかを時々書いていこうかなと思います。
久しぶりなんでうまく表現できるかは微妙なところですが。

信じる力、というものがどこまでのものか。

巷では、自分を信じろ、とか、
信じていれば夢は叶う、とか言うわけです。

ただ、自分を信じて貫き通すというのは、
納得できるだけの努力に裏打ちされていなければできないと思っています。
どこかで手を抜けば、
自分を信用するに値しないのではないかと。

信じるだけでは夢は叶いません。
信じて努力を続ければある程度の割合で叶う、
くらいだと思います。
もちろん、その努力が無駄になることはないと思いますが。

だから、そういう言葉はある種のおまじないみたいなもので、
そう言っておけば頑張れるかな、という類のものだと思っています。
信じればいいのではなくて、
自分の可能性を疑わずに努力し続けるだけの精神力と根気があるかどうか、
ということが成否を分ける要素なのかなと。

以前紹介したことがありますが、
サッカーの本田選手は、
「信じることは希望そのものだ。」と言ってました。
上手くいかなかったときに、誰もが自分を疑う、と。
信じられなくなったときに希望の光は見えなくなる。

そこに込められた意味は、そういうことなんじゃないかと思っています。

個人的なことを言えば、
今はいろいろなことがうまくいってないです。
それでも、本田選手のように自分に繰り返し繰り返し語っています。
「俺なら出来る、俺なら出来る。」

例えば、自分の仕事に対する社会的な評価は、
他人に委ねるしかないところもあります。
でも、自分が行っていること、
自分の人生における進み方がどうなのかは、
自分しか評価できません。

僕は、他人の評価を気にしすぎていたところがあります。
裁判にかけるように、誰かのジャッジを待っていたかもしれない。
でもきっと本質はそうじゃない。
「自分は間違っていない。」
そうブレずに信じられるかどうか、
それが大事なのではないかと思います。

うまくいかないからこそ、
谷に落ちたからこそ、
山を狙って這い上がるしかない。
喜びがいつも続いたら、
それはもう「喜び」ではない。

同じことを、キングカズが言ってました。
ブラジルでプロサッカー選手を目指していたとき、
何度も挫折しそうになったけど、諦めなかった。
それは何故なのか。
「谷だったけど、這い上がればいいと思っていた。
そんなにすごい谷じゃない。宇宙規模で考えたらね。」

自分ならできると信じて、
進み続けるしかないと思っています。

それから、
N山君の弟のY君。
僕のことを心配してくれたようですね。

罰、とは、
人間誰しもどこかで罪を犯しているわけです。
贖罪の意識を持って生きてきたつもりですが、
人生は因果応報、それに報いる必要があるわけです。
それが、まだ十分ではなかったのか、
だから自分はうまくいかないのか、
そういうことです。

罪が何なのかについては、
ここでは言えないので、
いつかまた会ったときに話します。
覚えていたらね(笑)  
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2013年01月19日

日本料理の話

どうも。
今日はちょっと耳にした日本料理の話を。

日本料理の基本である出汁。
テレビなどでよく見かける光景で、
鰹節をどさっと入れていたりします。

実はこれ、正しくないらしいです。
仮に1リットルの水で1番出汁を取るとしたら、
必要な鰹節の量は10グラムほど。
そこに昆布1切れを入れれば十分だそうです。

それ以上入れた場合、
余計なものが出てしまうそうで。
おひたしなんかをつくるにはこれでいいそうです。
鰹節の量が多すぎると、
かえって臭みや渋みが出てしまうとのことです。

お湯の温度も重要で、
70度から80度くらいが一番良く出汁が取れるとのこと。
ぐつぐつ煮立ったお湯に入れるのは良くないようです。
一番良いのは、ポットからお湯を出して、
そこに鰹節などを浸しておくことだそうです。

また、煮魚をつくるにしても、
最初から魚を入れて火をかけるのが良いみたいです。
沸騰した煮汁に魚を入れると、
表面が火傷の状態になって凝固して、
中まで十分に火が通らないそうです。

結果として煮え具合が均等にならず、
外側は煮えすぎ、中は火の通りが不十分になるとのこと。
だから火をかける前に魚を入れて、
これまた80度くらいを目安に煮るのがいいそうです。

沸騰して100度を超えるとだめで、
これはたんぱく質の変化が関係しているようですが、
魚の温度が100度を超えないように煮るそうです。

お茶も同様で、
80度くらいが一番おいしく出るみたいです。
乾物というのは、量が多すぎるとか、
温度が高すぎたりすると、
余計なものが出てしまうとのことでした。

豚汁でも、おいしくつくるのであれば、
豚肉は最後の方に入れてさっと煮るくらいであれば、
ジューシーな豚汁になるそうです。
何事もやりすぎは良くないと。
これは肉じゃがも同様。
細切れにして肉を入れるので、
さっと煮るくらいが一番良いそうです。

ごはんを炊くことについても、
始めちょろちょろ中パッパは嘘だそうです。
始めからパッパでいいみたい。

それは、水分が多いときほど火力が必要なので、
一番水分が多いのは炊き始めだろう、ということ。
今までの常識は間違っていたんですね〜。

それから、少し話は変わりますが、
板前の世界では、調味料や火加減などは、
その人の目分量だそうです。

上の人のメモを見ても、
砂糖をドバッっと、とか、
お酢をドバドバとか、
擬音で書いてあったりするそうで。

指示するにしても、
「いい感じにしといて」とか、
そんな感じみたいです。

でも料理本などには、
仕方がないのでグラムとか、
大匙何杯とか書くそうです。

焼き加減にしても、
強火で何分とか書くものの、
それは隣のコンロで強火でかけてるかとか、
肉を解凍したてで少し凍ってるかとか、
そういったことで変わってくるとのこと。

それを、単純に本に書いてあるとおり、
強火で何分とか焼いてしまうもんだから、
出来上がったら黒こげでしたみたいなことが発生する。
ちょっとその話はおもしろかったです。

要するに、味見をしながら調味料を足していったり、
焼け具合を見ながらやればいいだけで、
応用というか、
考えてやれば出来ますよねということ。

それが出来ない方がちょっと信じられないです。
マニュアル世界ってことですかね。
普通出来ると思うのですが。

この話を聞いていて、
ちょっと料理がしたくなりました。
1人暮らしをしていたので普通に出来ますが、
最近やってないので、
またやろうかな。
気が向いたら、ね。  
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2012年11月29日

時間を買う

どうも。

この前ふと思ったことです。

誰でも、
高速道路を使ったり、
新幹線に乗ることがあると思います。

高速道路は、
信号もないし、制限速度も一般道より速いので、
目的地までかかる移動時間を短縮できます。

新幹線も同様に、
鈍行に比べればかなり早く目的地に着きます。

目的地に早く着けば、
その分時間を有効に使うことができます。
目的地でやれることも増えるでしょう。

その代わりに、
高速道路に乗るためには高速料金がかかるし、
新幹線に乗るには特急券を買う必要があります。

つまりそれは、
短縮できる時間をお金で買っているということです。

当たり前のことではありますが、
この前新幹線に乗っていて思いました。
ああ、人間は時間さえもお金で買うのか、と。

商品や品物、物品など、
目に見えて手にすることができるものじゃなくても、
お金で買うことができるんだなと思いました。

お金で買えないものがある、とよく言いますが、
本当に買えないものなんてあるんでしょうか。

人の心・・・、プライスレス。
(だと信じたいけど、買えるかもしれないですね)

ただ、そう考えていたときに、
逆もあるんじゃないかなと思いました。

例えば寝台列車。
今では少なくなってしまいましたが、
あれはその最たるものじゃないかと。

僕は3回くらい乗ったことがあります。
北海道に行くのに使いました。
北海道へは、飛行機を使えば羽田から約1時間半で行けます。

でも寝台列車は、
夜に出発して次の日の朝に着きます。
飛行機の何倍もの時間がかかります。

でも、寝台列車に乗って、
流れ行く景色をぼんやり眺めていたり、
連れの人とゆっくり話をしたり、
普段出来ないことができます。

それは、
ゆっくりと使うことができる時間を買うということなのかなと。

敢えて時間がかかる手段で、
のんびり、ゆっくり移動する「時間」を買う。
僕はそんな時間の使い方も好きです。

確かに目的地に早く着いた方が、
時間を有効に使うことができます。
旅行などでは使える日数が決まっているから、
現地で行動できる時間が多い方がいいこともわかります。

ただ、そればっかりがいいことではないのでは、と思います。

経済学においては、
人間は必ず合理的な判断をするものとして理論が成り立っています。
余談ですが、最近流行りの行動経済学では、
人の心理が必ず合理的ではないとしていますが。

目的地に早く着いて、現地での行動を多くする、
又は目的を早く済ませるためには最短の移動手段で行くのが合理的でしょう。

しかし、合理的な行動のみしていれば、
人生が豊かになるとは言い切れないのではないでしょうか。

時間がかかる手段や方法にも良い点はあって、
そこから得られるものもあるはずです。
古いから、時代遅れだからという理由で、
これまでの方法や手段を切り捨てることがいいことなのか。

現代では、流行がどんどん移り変わったり、
技術の進歩で新しい方法や手段、製品がどんどん出てきます。
古いものはすぐに忘れられてしまいがちです。

でも、どこかで一度立ち止まって、
これまでの過程や過去を振り返ってみることも必要かもしれません。
大事な何かを見落としているかもしれないから。

学問で、古典に帰れとはそういうことでしょう。

僕は、敢えてゆっくり使える時間を買うということが好きです。
きっと、これからも。

だから、いつも「ひかり」じゃなくて「こだま」に乗ります。
ちょっと、違うかもしれない、ですね。
ええ、三島駅には2時間に1本しかひかりは止まらない、
というのは言いっこなしです。  
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2012年11月27日

リアル

どうも。

井上雄彦先生の「リアル」の最新巻を買いました。
毎回楽しみに読んでいます。

後輩も言っていたことなんですが、
この漫画はただ単に車椅子バスケのことを描いているのではないと思っています。

そこにはいろいろなメッセージや主張があると思います。
でも、本当の作者の意図はわかりません。
わかる必要もないと思っています。
そこは受け手がそれぞれに感じればいいだけで。

作者にしてみても、
それは語る必要がないことだと思います。
確かどこかでそんなことをおっしゃっていたような気がします。

今回僕が気になった部分は、
まず、「レッテルを貼られた人間」という言葉。

一度つけられたレッテルをはがすのは非常に大変です。
悪者、卑怯者、嘘つき、弱虫、嫌われ者。
「僕はそんなんじゃない」と言ったって、
「そうですか」「わかりました」って言ってくれる人はなかなかいません。
レッテルをわざわざはがしてくれる人はいない。
だって他人事だから。

他人がどれだけレッテルを貼っても、
自分だけはダマされない。
本当の自分を安く見積もったりはしない。

その言葉に深く考えさせられました。

自分で自分に下す評価に、
他人は関係ないと思っています。
言いたい人には言わせておけばいい。
人生全ての答えは自分の中に。
そう思っています。

自分に対する他人の評価は、
それはもう人それぞれで、
僕のことを嫌いな人、気に入らない人もいるでしょう。
見た目が気に入らない、
話が気に入らない、
そう思う人もいると思います。

でもそれは、僕が僕自身を評価することに何の関係もない。
他人が貼ったレッテルで、
自分を安く見積もったりはしません。

僕は、うまい言葉も言えないし、
気持ちを表現するのもうまくはありません。

相手に気持ちが伝わらないこともあります。
誤解されることもあるし、
嫌われることだって多々あります。

だけど、それはそれで仕方ないと思っています。
他人がする僕への評価はその人のものだし、
僕自身が自分にする評価ではない。

今ある自分は変えようがないし、
どう足掻いたって誰かになれるわけじゃない。
僕は僕としてしか生きられない。

僕を遠ざける人に対して、
「お前に俺の何がわかるんだ」
そう思っていたこともあるし、
今もその気持ちがないわけではありません。

ただそれよりも今は、
他人の評価を、他人の目を気にして、
取り繕って、気に入られようとして、
結果として自分を偽っているのだとしたら、
そんな人生に何の意味があるのか。
そう思うことの方が強いです。

僕の評価は僕が決める。
改めてそう思いました。

それから、
「Sky is the limit.」という言葉。
限界はないという意味で使われていました。
とことん行け、と。

この前、休日にトレーニングをしていて、
寝転がって休憩していたときに空を見ていました。

そうやって見ていると、
空や雲がすぐ手の届く場所にあるように見えました。
手を伸ばせばすぐ雲を掴めるような。

空って、僕らが見ている風景との間に明確な境目があって、
いかにも「空」というものがしっかり存在しているよう見えますが、
実はずっと繋がっていて、
行こうと思えばどこまででも無限に行けるんだよなって思いました。

本当に当たり前のことです。
でも、いつもは思わないことです。
すぐそこにあって掴めそうだけど、
実は掴むことができない。
ただ、どこまででも行ける。

そんなことを思っていたところに、
その言葉を見付けたので、
少し感じるものがありました。

僕は、とことん行っているか。

毎日は流れるように過ぎていきます。
1日1日を大切に。
わかっているけど、
今日もまた昨日の繰り返し。

仕事、趣味、そして人生。
どれも熱中して、時を忘れるくらい没頭していれば、
毎日が充実するのかもしれません。
でも今は、そうやって生きているとは言えません。

熱を持って生きていなければ、
それは死んでいるのと同じ。

理解はしているけど、
現状はそうではない。
それに関してはずっと考えています。
まだ悩み中です。

最後に、1冊読んで思ったのは、
バスケットボールをやっていてよかったということ。

登場人物の1人が、
車椅子生活になって自分を見失っていたところ、
車椅子バスケに出会って、
目標を見付けて努力し始める場面がありました。

ストーリー上のことではありますが、
きっかけになったのはバスケットボール。

僕も、バスケットボールを通じて得たものは、
言葉では言い尽くせないくらいあります。

何より、仲間。
バスケットボールをやっていなかったら得られなかった仲間がたくさんいます。
本当に大事なものです。
僕の財産です。
仲間がいなかったらここまで来れなかったと思います。
今の自分があるのはバスケットボールがあったから。

バスケットボールというスポーツに心から感謝をしたいと思ったのと、
これからも出来る限りプレイをして、
プレイが出来なくなる日が来ても、
何らかの形で関わっていきたいと思いました。

もちろん、プレイをする中で得られたものも、
言い尽くせないほどあります。

バスケットボールは自分の心の拠り所、
原点に近いものなんだなと改めて思いました。
そして、僕はバスケが好きなんだなと再確認しました。

ありがとう、バスケットボール。

今日はそんなかんじでおしまいです。  
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2012年11月25日

総選挙

どうも。

衆議院の解散が決まり、
総選挙が行われることになりました。

前回民主党が政権を取ったとき、
多分こうなるんじゃないかなと思ってました。
なので、感想としては、
「ほらみたことか。」です。

とある事情で、
野党時代の民主党をよく知っていたことから、
だいたい予想はできたことです。

さて、あの時の総選挙で民主党に投票した皆さん、
自民党時代から何か変わりましたか?
良くなったことは何ですか?

ま、民主党の政権運営能力を見るという意味では、
よかったんじゃないでしょうかね。

ということで、
各党が政権公約などを演説で話したり、
いろいろな政党が立ち上げられたりしています。
中にはよくわからない政党もあり、
何だかごちゃごちゃしている感があります。
(〇井さんのとことかね)

そこで1つ気になるのが、
自民党の安倍さんの話です。

とにかく金融緩和をする。
建設国債をどんどん発行する。
国債を直接日銀に買わせる。
日銀法を改正する。
そんなことを言っています。

はっきり言って、
頭おかしいんじゃないかと思います。

安倍さんは経済に詳しくないそうなので、
経済ブレーンの方々がそう言っているのなら、
経済学者やめた方がいいんじゃないですか。

日銀法や国債の直接購入のことは、
政治に権力を握らせないため、
政府から独立して経済を見通して政策を実行するため、
そのような理由で独立した機関としているはずです。

国債の直接購入は、
第二次大戦でそれをやって戦争をして、
さらに戦後も続けた結果ハイパーインフレになりました。
そんなこともわからないんでしょうか。

また、金融緩和にしても、
欧米が金融緩和を行っていることを理由の1つにして、
日本もやるべきだと主張されていました。

確かにアメリカは第3次までFRBが金融緩和策を実施していますが、
果たしてその効果があったと言えるのか。
また、ヨーロッパにしても、
南欧諸国の国債買い上げのためにやっていますが、
ECBの買い上げだけで解決するような問題でありません。

そのへんの検証はしているのでしょうか。

日本も10月末に追加の金融緩和をしていますが、
目的の効果は得られていないのが実情です。
インフレ率も上がっていません。

そもそもデフレのときに、
インフレターゲットを導入すること自体がおかしいと思いますが、
それはここでは細かく触れません。

金融緩和を行うと、
本来は物価上昇率が高まり、
失業率が低下するものというのがこれまでの理論でした。
しかし、現在ではその効果は出ていません。
貨幣数量説のメカニズムを想定しているとして、
そのモデルは破綻しています。

従来の経済学でいうと、
マネタリーベースを変動させれば、
マネーストックも変動するはずでした。
しかし、量的緩和策を実施しても、
マネタリーストックは増えませんでした。

また、金融緩和を行った場合、
通貨安になるはずなのですが、
今のところ通貨高のままです。

つまり、これまでのところ金融緩和は、
物価上昇や雇用増大どころか、
貨幣供給量の増加さえも起きていなのです。

ということで、
安倍さんの主張には納得できません。
このままもし自民党が政権を取ったら、
どうなってしまうのかという不安があります。

かと言って、
みんなの党や維新の会も嫌いなので、
どこに投票しようか検討中です。

現状を見ていると、
何か大きな転換点を迎えている気がします。
民主党がだめだったからまた自民党という流れでもないし、
かといって維新の会がいきなり政権を取る、
という流れでもない気がします。

もっと言うと、
ここで日本が大きく変わるような選挙になり得る。
そんな気がしています。
気のせいかもしれませんが。
悪い方に転ぶかもしれないし、
良い方に転ぶかもしれない。

それはわかりませんが、
歴史上の転換点になる気がしています。
漠然とですが。

よく考えて、
大事な1票を使いたいと思います。
そんなことを思った週末でした。  
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2012年11月19日

結婚式

どうも。

昨日は高校の同級生の結婚式でした。
式場は東京タワーの目の前。
非常に良いロケーションでした。

その同級生は、
真面目な好青年です。
でも、ちょっと抜けていたりします。
そこが魅力でもあります。

ただ、芯は強くて、
物事に熱心に取り組むいい奴です。
北海道大学を目指して札幌で浪人生活を送っていたのに、
入学したのは法政大学だったり、
単位が取れなくて、
板前になりそうになったことも、
今となっては笑い話です。

そんな彼が、
趣味も合う素敵な奥さんを見つけたので、
とても嬉しく思っています。
末永くお幸せに。

結婚式では、
新婦の両親ではなく新郎の両親の方が感極まって、
涙を流していたのが印象的でした。

自分の結婚式のときには、
両親がどんな顔をするのか考えてしまいました。
残念ながら当分予定はありませんが(涙)

幸せそうな2人を見て、
結婚っていいものなんだろうなと思いました。
いつかはしたいですね。

「結婚」がしたいなら、
相手は誰でもいいと思います。
でもそうじゃなくて、
一生隣にいてほしいなと思える人がいたらいいなというのが、
正直なところです。

なかなか難しいです。

披露宴で幸せな気分だったんですが、
2次会まで時間が空いたので、
一緒に来ていた友人の発案で、
新橋のWINSに行きました。

そこで、マイルチャンピオンシップ(G1)を予想していたら、
友人の1人がいい馬を見つけました。
「アイムユアーズ」。
私はあなたのものです、という意味。

今日の2人にぴったりだということで、
みんなでお金を出し合って単勝6000円買いました。
そして、2人に馬券を渡しました。

2次会が始まる頃に結果が出て、
10着だったわけですが、
当たっていたら12万円でした。

結果は告げずに渡したので、
ちょっとは夢をあげられたかな。
はずれても記念にしてほしいです。

ま、僕は東京10Rで25000円勝ったので、
非常に満足しました(笑)
でもマイルチャンピオンは惨敗でした・・・。

帰りにライトアップした東京タワーを眺め、
地元に帰ってきました。
非常に良い1日でした。
2人が幸せな人生を送ることを祈ります。

自分にもいつか、
そんな日が来ればいいなと思いますが、
今のところそんな予兆もないので、
また1日1日を頑張るしかないなと思っています。

亮君、お幸せに。  
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2012年11月12日

夢の扉

どうも。

昨日放送された、
TBS系列の番組「夢の扉+」。
これに高校のバスケ部の先輩が出演しました。

先輩は大学でロボット工学の研究をしていて、
今は義足の研究をしています。
MITにも所属されてました。

ロボットのことを研究していたのは知ってましたが、
なぜ義足を?と思ってました。
その理由が番組を見てわかりました。

僕の高校のバスケ部の1つ下の学年に、
骨肉腫で足を切断した後輩がいます。

彼のために義足の研究を始めたそうです。

その後輩は、
僕の背番号7を受け継いだ後輩で、
僕が現役の時からガードとして共に戦った仲間です。

彼が足を切断することを知ったとき、
僕は本当にショックを受けました。
上背はあまりないけど、
スピードと跳躍力で戦っていた彼が、
自分の足を失うなんて信じられませんでした。

何であいつが、と。
何で彼だったのか、と。
一緒に切磋琢磨してきた彼の心境は、
如何ばかりのものだったか。

その後輩のために、
僕の先輩は義足の研究をしているそうです。
自分のこれまでの研究では、
「自分の足で歩きたい。」と願う、
彼を救うことができないと思い立って。

最近、先輩は世界を変えるイノベーターにも選ばれました。
身体障がいを失くしたいという思いで、
研究を続けています。

番組を見ながら、
涙が止まりませんでした。

足を失った後輩の想い。
後輩の想いを実現させるために奮闘する先輩。
彼らの熱い想いに、
本当に涙が出ました。

今ではその後輩は、
足を失ったことなど感じさせないくらい前向きで、
家具などをつくる研究をしています。
設計関係だったと思います。

いろいろな葛藤があったと思うし、
その心情は僕らでは図りきれないけど、
自分の現状を受け入れ、
前向きに人生を歩いています。

僕も、昨年度までは障害者関係の部局にいて、
曲がりなりにも障害者施策を進めてきました。

でも、もっとやれることがあったんじゃないか。
行政の立場として、
何か出来ることがあったんじゃないかと、
今では思っています。

「障がいは人にあるのではなく、テクノロジーにある。」
という言葉のもとで、
身体障がいを失くすために研究を続ける先輩を見て、
僕にも出来ることがあるんじゃないかと思いました。

何が出来るかはまだわかりませんが、
僕も自分の立場で考えてみようと思っています。

そして、後輩が言っていたこと。
「再び高みで先輩に会う。」

これにも衝撃を受けました。

僕はそれほどの気持ちを持って生きているのか。
それくらい熱く取り組んでいることがあるのか。
ただ漫然と毎日を過ごしているだけじゃないのか。

足を失うという、
本当に大変なことがあったにも関わらず、
自分の人生を一生懸命生きている後輩。

そして、自分のために研究を続けて、
世界にも認められつつある先輩に追いつこうとして、
再び高みで会う、と。

そんな風に真っ直ぐ熱く生きている人たちがいるのに、
自分は何をやっているのか、と思いました。
ただ与えられた仕事をそれなりにこなして、
何となく生きているんじゃないかと。

今の仕事に人生を賭けることができるかはわかりません。
でも、今ある環境の中で、
自分のベストを尽くして、
高みを目指さなければいけないのではないか。

ただ流されるように過ごす日常に、
意味なんてあるのか。
2人を見ていてそう思いました。

僕だってやれるはず。
どこまで登れるかわからないけど、
2人に会った時に、
胸を張って話ができるように。
彼らに負けないように。

あんなに苦労して、
それでも前を向いて頑張っている人がいる。
それに比べれば、
僕が抱えている悩みなんて小さすぎる。
後ろばかり振り返って、
立ち尽くしているだけじゃだめなんだ。

これからは、前を向いて頑張ります。

番組を録画しておいてよかった。
負けそうになったり、
くじけそうになったりしたら、
もう1回見て頑張ろう。

  
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2012年11月06日

どうも。

昨日、夢を見ました。
皆さんは自分が見た夢を覚えていますか?

僕は、覚えてないことが多いですが、
昨日の夢ははっきり覚えています。

とても会いたいけど、
とても会いたくない人に会いました。
いろいろな話をしました。

話の内容はあまり覚えていません。
とても懐かしい気持ちだったことだけは、
なぜか覚えています。

言えなかったことがありました。
でも仕方ないと思っていました。
夢の中でも言いませんでした。

唯一覚えていることは、
「今は幸せ?」
ってことを聞いたことだけです。
相手の答えは覚えてません。

ありがとう、って言葉も、
さよなら、って言葉も、
どちらも言えなかったです。
どうか幸せに、って言いたかったけど、
それも言えませんでした。

相手が何か言おうとしていて、
それを待っている間に目が覚めました。
だから答えはわかりません。

目が覚めた時に思ったのは、
何で今?ってことでした。
もう大丈夫だと思ってました。

このタイミングで見るということは、
僕の潜在意識の中にまだ気持ちがあって、
会いたいと思っていたんでしょうか。

夢って、
どこまで自分の想いを反映しているんでしょうか。

今日は1日、
何でだろうなって考えてました。
答えなんて出ないけど。

今はいろんなことが全然うまくいかなくて、
人間関係にもちょっと疲れて、
無気力になってます。

それを見透かされたみたいでした。

相手が言おうとしたことはわかりません。
でも笑っていたので、
きっと今は幸せなんだと思います。

僕はまだ、
自分の幸せは手にできてません。

正直なところ、その夢を見て、
まだ縛られ続けるのかな、
まだ罰が足りないのかなって思いました。
まだ苦しみが足りないのかなって。

どこまで償いが必要なのかな、って。

何でその夢を見たのかはわかりません。
会いたくなかったし、
何も知りたくなかった。

でも、会えて嬉しかった気持ちがあったことは、
否定できない事実です。

自分の幸せは見つかるかどうかわからないし、
今のところその気配もありません。
ただ、もしもう一度会えたら、
感謝と、償いと、
僕は頑張っていますってことを、
しっかり伝えられたらいいなと思います。  
Posted by zlatan9jp at 22:25Comments(0)TrackBack(0)

2012年11月04日

いろいろ

どうも。

だいぶ寒くなってきて、
冬が近づいてきた気がします。
もう年末ですね。

さて、最近はあまり良いことがなく、
しんどいことの方が多いです。
なかなか大変です。

もともと人生ってものは、
うまくいかないことの方が多くて、
恐ろしい冗談の連続だと思っていますが、
こうもうまくいかないものか、
ってくらいです。

ただ、それを他人のせいにしたり、
環境やその他の要因のせいにして、
自分を正当化するつもりはありません。

やはり自分の行いの結果であり、
自分が招いたことなのです。
そういう凡人です。

煩悩に振り回され、
良くない結果を招くということは、
やはり自分に責任があるのです。

だから、
少しでも思いやりを持とうとか、
誠実に生きようと思ってやってますが、
なかなか好転しないものですね。

人と人だけに限らず、
全ての事象は縁があって起こるもので、
だから縁起というんでしょうけど、
良くも悪くも縁の結果なんですね。

例え結果は悪くても、
状況が好転しなかったとしても、
与えられた縁を大事にして、
自分に関わった人に対する感謝の気持ちは、
忘れないようにしようと思います。

それが僕に出来ることです。

今日は、
そんなかんじの話です。  
Posted by zlatan9jp at 22:09Comments(0)TrackBack(0)