2012年09月06日

神聖ジーコ帝國流行歌「君は馬鹿よりウツケしい」

成田のタラップ手を振りながら
久しぶりねと君が笑う
ばかだね そんなに暑いなんて
サウナで汗までかいて

なぜか今日は君が懐かしい
違うジーコと逢ったみたいだ
体にまとったブルーを脱ぎすて
すっかりイラクの監督

目にみえない倦みをひろげた
確かに君は変らない

※歩くほどに踊るほどに
ふざけながら じらしながら
馬鹿よりウツケしい
ああ 君は変らない※

愛の日々と呼べるほどには
独逸の思い出残っていない
いつでも勝つのを求めるばかり
スタアの顔触れさえ忘れ

笑いながらアシュケーを言いかけ
君に誘われ行ってみよう
だました日本にぶちのめされる時
はじめてフッチボルを知るのか

目にみえない倦みをひろげた
確かに君は変らない

走るほどに戦うほどに
夢みながら 愛しながら
馬鹿よりウツケしい
ああ 君は変らない

(※くり返し)  
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2012年03月11日

『弟子』(一)

     一
 南斯拉夫の貝爾格莱徳の蹴球の徒、ペトロヴィッチ、字はミハイロという者が、近頃賢者の噂も高い学匠・独人(シュワーボ)オシムを辱しめてくれようものと思い立った。似而非賢者何程のことやあらんと、蓬頭・緑と白の衣、緑のパンツという服装で、左手にスパイク、右手に笛を引提げ、勢猛に、オシムがベンチを指して出掛ける。スパイクを鳴らし笛を吹き、嗷しい脣吻(ブーイング)の音をもって、瞑想家の沈思黙考を擾そうというのである。
 けたたましい観客の叫びと共に眼を瞋らして跳び込んで来た青年と、上下ジャージで鋭い眼差しでベンチの屋根に凭った温顔のオシムとの間に、問答が始まる。
「汝、何をか好む?」とオシムが聞く。
「我、長蹴を好む。」と青年は昂然として言い放つ。
 オシムは思わずニコリとした。青年の声や態度の中に、余りに稚気満々たる誇負を見たからである。血色のいい・眉の太い・眼のはっきりした・見るからに精悍そうな青年の顔には、しかし、どこか、愛すべき素直さがおのずと現れているように思われる。再びオシムが聞く。
「戦術はすなわちいかん?」
「戦術、豈、益あらんや。」もともとこれを言うのが目的なのだから、ペトロヴィッチは勢込んで怒鳴るように答える。
 戦術の権威について云々されては微笑ってばかりもいられない。オシムは諄々として戦術の必要を説き始める。蹴球協会会長にして諫臣が無ければ正を失い、主将にして教友が無ければやる気を失う。樹も縄を受けて始めて直くなるのではないか。馬に策が、弓に檠が必要なように、チームにも、その放恣な性情を矯める戦術が、どうして必要でなかろうぞ。匡し理め磨いて、始めてチームは有用となるのだ。
 後世に残された語録の字面などからは到底想像も出来ぬ・極めて説得的な弁舌をオシムは有っていた。言葉の内容ばかりでなく、その穏かな音声・抑揚の中にも、それを語る時の極めて確信に充ちた態度の中にも、どうしても聴者を説得せずにはおかないものがある。青年の態度からは次第に反抗の色が消えて、ようやく謹聴の様子に変って来る。
「しかし」と、それでもペトロヴィッチはなお逆襲する気力を失わない。南山の竹は揉めずして自ら直く、斬ってこれを用うれば犀革の厚きをも通すと聞いている。して見れば、天性優れたる者を集めれば、何の戦術が必要あろうか?
 オシムにとって、こんな幼稚な譬喩を打破るほどたやすい事はない。汝の云うその南山の竹に矢の羽をつけ鏃を付けてこれを礪いたならば、ただに犀革を通すのみではあるまいに、とオシムに言われた時、愛すべき単純な若者は返す言葉に窮した。顔を赧らめ、しばらくオシムの前に突立ったまま何か考えている様子だったが、急にスパイクと笛とを抛り出し、頭を低れて、「謹しんで教を受けん。」と降参した。単に言葉に窮したためではない。実は、ベンチに向かってオシムの容を見、その最初の一言を聞いた時、直ちに靴笛の場違いであることを感じ、己と余りにも懸絶した相手の大きさに圧倒されていたのである。
 即日、ペトロヴィッチは師弟の礼を執ってオシムの門に入った。

     二

 このような人間を、ペトロヴィッチは見たことがない。力千鈞の守備者を倒すFWを彼は見たことがある。プレスの外を察する智者の話も聞いたことがある。しかし、オシムに在るものは、決してそんな怪物めいた異常さではない。ただ最も常識的な完成に過ぎないのである。知情意のおのおのから肉体的の諸能力に至るまで、実に平凡に、しかし実に伸び伸びと発達した見事さである。一つ一つの能力の優秀さが全然目立たないほど、過不及無く均衡のとれた豊かさは、ペトロヴィッチにとって正しく初めて見る所のものであった。闊達自在、いささかの道学者臭も無いのにペトロヴィッチは驚く。この人は苦労人だなとすぐにペトロヴィッチは感じた。可笑しいことに、ペトロヴィッチの誇る長蹴や身体力においてさえオシムの方が上なのである。ただそれを平生用いないだけのことだ。侠者ペトロヴィッチはまずこの点で度胆を抜かれた。放蕩無頼のプレイにも経験があるのではないかと思われる位、あらゆる人間への鋭い心理的洞察がある。そういう一面から、また一方、極めて高く汚れないその理想主義に至るまでの幅の広さを考えると、ペトロヴィッチはウーンと心の底から呻らずにはいられない。とにかく、この人はどこへ持って行っても大丈夫な人だ。潔癖な倫理的な見方からしても大丈夫だし、最も世俗的な意味から云っても大丈夫だ。子路が今までに会った人間の偉さは、どれも皆その利用価値の中に在った。これこれの役に立つから偉いというに過ぎない。オシムの場合は全然違う。ただそこにオシムという人間が存在するというだけで充分なのだ。少くともペトロヴィッチには、そう思えた。彼はすっかり心酔してしまった。門に入っていまだ一月ならずして、もはや、この精神的支柱から離れ得ない自分を感じていた。
 後年のオシムの長い監督生活を通じて、ペトロヴィッチほど欣然として従った者は無い。それは、オシムの弟子たることによって監督の職を求めようとするのでもなく、また、滑稽なことに、師の傍に在って己の才徳を磨こうとするのでさえもなかった。死に至るまで渝らなかった・極端に求むる所の無い・純粋な敬愛の情だけが、この男を師の傍に引留めたのである。かつて長蹴を手離せなかったように、ペトロヴィッチは今は何としてもこの人から離れられなくなっていた。
 その時、四十而不惑といった・その四十歳にオシムはまだ達していなかった。ペトロヴィッチよりわずか十六歳の年長に過ぎないのだが、ペトロヴィッチはその年齢の差をほとんど無限の距離に感じていた。

 オシムはオシムで、この弟子の際立った馴らし難さに驚いている。単に勇を好むとか柔を嫌うとかいうならば幾らでも類はあるが、この弟子ほどシステムの形を軽蔑する男も珍しい。究極は精神に帰すると云いじょう、試合なるものはすべてシステムから入らねばならぬのに、ペトロヴィッチという男は、そのシステムからはいって行くという筋道を容易に受けつけないのである。「礼と云い礼と云う。小旗を云わんや。楽と云い楽と云う。鐘鼓を云わんや。」などというと大いに欣んで聞いているが、3バックの細則を説く段になるとにわかに詰まらなさそうな顔をする。形式主義への・この本能的忌避と闘ってこの男に守備を教えるのは、オシムにとってもなかなかの難事であった。が、それ以上に、これを習うことがペトロヴィッチにとっての難事業であった。ペトロヴィッチが頼るのはオシムという人間の厚みだけである。その厚みが、日常の区々たる細行の集積であるとは、ペトロヴィッチには考えられない。本があって始めて末が生ずるのだと彼は言う。しかしその本をいかにして養うかについての実際的な考慮が足りないとて、いつもオシムに叱られるのである。彼がオシムに心服するのは一つのこと。彼がオシムの感化を直ちに受けつけたかどうかは、また別の事に属する。
 上智と下愚は移り難いと言った時、オシムはペトロヴィッチのことを考えに入れていなかった。欠点だらけではあっても、ペトロヴィッチを下愚とはオシムも考えない。オシムはこの剽悍な弟子の無類の美点を誰よりも高く買っている。それはこの男の純粋な没利害性のことだ。この種の美しさは、この国の人々の間に在っては余りにも稀なので、ペトロヴィッチのこの傾向は、オシム以外の誰からも徳としては認められない。むしろ一種の不可解な愚かさとして映るに過ぎないのである。しかし、ペトロヴィッチの勇もテクニックも、この珍しい愚かさに比べれば、ものの数でないことを、オシムだけは良く知っていた。

 師の言に従って己を抑え、とにもかくにも形に就こうとしたのは、親に対する態度においてであった。オシムの門に入って以来、乱暴者のペトロヴィッチが急にファンサービスをするようになったというサポーター中の評判である。褒められてペトロヴィッチは変な気がした。ファンサービスどころか、嘘ばかりついているような気がして仕方が無いからである。悪態をついて主審を手古摺らせていた頃の方が、どう考えても正直だったのだ。今の自分の偽りに喜ばされているサポーター達が少々情無くも思われる。こまかい心理分析家ではないけれども、極めて正直な人間だったので、こんな事にも気が付くのである。ずっと後年になって、ある時突然、サポーターが支えてくれていることに気が付き、己の現役時代のサポーターの姿を思出したら、急に泪が出て来た。その時以来、ペトロヴィッチのファンサービスは無類の献身的なものとなるのだが、とにかく、それまでの彼の俄かファンサービスはこんな工合であった。

     三

 ある日ペトロヴィッチが浦和へ行くと、かつての友人のゼリコに出会った。無頼とは云えぬまでも放縦にして拘わる所の無い游侠の徒である。ペトロヴィッチは立止ってしばらく話した。その中に彼等のサポーターがペトロヴィッチの服装をじろじろ見廻し、やあ、これが紫服という奴か? 随分みすぼらしいなりだな、と言った。赤服が羨ましくはないかい、とも言った。ペトロヴィッチが相手にしないでいると、今度は聞捨のならぬことを言出した。どうだい。あのオシムという先生はなかなかの喰わせものだって云うじゃないか。しかつめらしい顔をして心にもない事を誠しやかに説いていると、えらく甘い汁が吸えるものと見えるなあ。別に悪意がある訳ではなく、心安立てからのいつもの毒舌だったが、ペトロヴィッチは顔色を変えた。いきなりそのゼリコのチームからボールを奪い、佐藤寿人がしたたかシュートを飛ばした。二つ三つ続け様に喰わしてからシュートを決めると、相手は意気地なく倒れた。呆気に取られているサポーターに向ってもペトロヴィッチは挑戦的な眼を向けたが、ペトロヴィッチの知勇を知る彼等は聲をあげようともしない。項垂れる選手達は左右から扶け起し、捨台詞一つ残さずにこそこそと立去った。

 いつかこの事がオシムの耳に入ったものと見える。ペトロヴィッチが呼ばれて師の前に出て行った時、直接には触れないながら、次のようなことを聞かされねばならなかった。古の君子は走をもって質となし走をもって衛となした。攻められる時はすなわち勇をもってこれを止め、侵暴ある時はすなわち仁をもってこれを仲した。暴力の必要を見ぬゆえんである。とかく小人は勝利をもって勇と見做し勝ちだが、君子の勇とは内容を立つることの謂である云々。神妙にペトロヴィッチは聞いていた。

 数日後、ペトロヴィッチがまた横浜へ行くと、日産スタのピッチで閑人達の盛んに弁じている声が耳に入った。それがどうやらオシムの噂のようである。――走れ、走れ、と何でも走ることを担ぎ出してテクニックを貶す。誰もオシムが走る昔を見たことがないのだから何とでも言える訳さ。しかし走ることを杓子定規にそのまま走って、それで巧く勝てるくらいなら、誰も苦労はしないよ。俺達にとっては、辞めちまったナカタよりも現役を続けるカズ様の方が偉いということになるのさ。
 下剋上の世であった。Jリーグの覇権が鹿島からJ2から昇格したる柏の手に移り、それが今や更に柏の後塵を拝したFC東京という野心家の手に移ろうとしている。しゃべっている当人はあるいは横浜FMの監督の者かも知れない。
 ――ところで、日本蹴球協会のカワブチが以前オシムを用いようとオファーを出した時、何と、オシムがそれを受けたというじゃないか。口では大層な事を言っていても、実際にはFOOTBALLよりも金が大事なのだろうよ。あの手合はね。
 ペトロヴィッチは背後から人々を分けて、つかつかと木村和司の前に進み出た。人々は彼がオシムの弟子であることをすぐに認めた。今まで得々と弁じ立てていた当の木村和司は、顔色を失い、意味も無くペトロヴィッチの前に頭を下げてからロッカールームに身を隠した。眥を決したペトロヴィッチの形相が余りにすさまじかったのであろう。

 その後しばらく、同じような事が処々で起った。肩を怒らせ炯々と眼を光らせたペトロヴィッチの姿がスタンドから見えると、人々はオシムを刺る口を噤むようになった。
 ペトロヴィッチはこの事で度々オシムに叱られるが、自分でもどうしようもない。彼は彼なりに心の中では言分が無いでもない。いわゆる君子なるものが俺と同じ強さの忿怒を感じてなおかつそれを抑え得るのだったら、そりゃ偉い。しかし、実際は、俺ほど強く怒りを感じやしないんだ。少くとも、抑え得る程度に弱くしか感じていないのだ。きっと…………。

 2011年になってからオシムが苦笑と共に嘆じた。ペトロヴィッチが日本に行ってから自分は悪言を耳にしなくなったと。

     四

 ある時、広島がピッチでゴール後のネタを披露していた。
 オシムはそれをテレビで見ていたが、しばらくして傍らなるポポヴィッチに向って言った。あのセレブレーションを見るがよい。暴劼竜いおのずから漲っているではないか。君子の音は温柔にして中におり、生育の気を養うものでなければならぬ。昔水戸では山形とコール&レスポンスをしたという。南風の薫ずるやもって我がスタジアムの慍を解くべし。南風の時なるやもって我がサポーターの財を費やさすべしと。今広島のセレブレーションを見るに、誠に内輪受け、南音に非ずして北声に類するものだ。相手チームの荒怠暴恣の心状をこれほど煽るものはない。――
 後、ポポヴィッチがペトロヴィッチの所へ行ってオシムの言葉を告げた。
 ペトロヴィッチは元々広島が悪ふざけをすることを知っている。そして自らそれを選手のせいに帰していた。しかし、それが実はもっと深い精神の持ち方から来ているのだと聞かされた時、彼は愕然として懼れた。大切なのはネタの稽古ではない。もっと深く考えねばならぬ。彼は一室に閉じ籠り、静思して喰わず、もって骨立するに至った。数試合の後、ようやく思い得たと信じて、再びネタをやった。そうして、極めて手短かに演じた。そのネタを見たオシムは、今度は別に何も言わなかった。咎めるような顔色も見えない。ポポヴィッチがペトロヴィッチの所へ行ってそのむねを告げた。師の咎が無かったと聞いてペトロヴィッチは嬉しげに笑った。
 人の良い兄弟子の嬉しそうな笑顔を見て、若いポポヴィッチも微笑を禁じ得ない。聡明なポポヴィッチはちゃんと知っている。広島のネタが依然として冗長であることを。そうして、オシムがそれを咎めたまわぬのは、痩せ細るまで苦しんで考え込んだペトロヴィッチの一本気を愍まれたために過ぎないことを。

     五

 弟子の中で、ペトロヴィッチほどオシムに叱られる者は無い。ペトロヴィッチほど遠慮なく師に反問する者もない。「請う。ダイブをして勝ちを取らん。可ならんか。」などと、叱られるに決っていることを聞いてみたり、オシムに面と向ってずけずけと「これある哉。子の迂なるや!」などと言ってのける人間は他に誰もいない。それでいて、また、ペトロヴィッチほど全身的にオシムに凭り掛かっている者もないのである。どしどし問返すのは、心から納得出来ないものを表面だけ諾うことの出来ぬ性分だからだ。また、他の弟子達のように、嗤われまい叱られまいと気を遣わないからである。
 ペトロヴィッチが他の所ではあくまで人の下風に立つを潔しとしない独立不羈の男であり、一諾千金の快男児であるだけに、碌々たる凡弟子然としてオシムの前に侍っている姿は、人々に確かに奇異な感じを与えた。事実、彼には、孔子の前にいる時だけは複雑な戦術や重要な判断は一切師に任せてしまって自分は安心しきっているような滑稽な傾向も無いではない。母親の前では自分に出来る事までも、してもらっている幼児と同じような工合である。退いて考えてみて、自ら苦笑することがある位だ。

 だが、これほどの師にもなお触れることを許さぬ胸中の奥所がある。ここばかりは譲れないというぎりぎり結著の所が。
 すなわち、ペトロヴィッチにとって、この世に一つの大事なものがある。そのものの前には死生も論ずるに足りず、いわんや、区々たる利害のごとき、問題にはならない。侠といえばやや軽すぎる。信といい義というと、どうも道学者流で自由な躍動の気に欠ける憾みがある。そんな名前はどうでもいい。ペトロヴィッチにとって、それは快感の一種のようなものである。とにかく、それの感じられるものが善きことであり、それの伴わないものが悪しきことだ。極めてはっきりしていて、いまだかつてこれに疑を感じたことがない。オシムの云う仁とはかなり開きがあるのだが、ペトロヴィッチは師の教の中から、この単純な倫理観を補強するようなものばかりを選んで摂り入れる。巧言令色足恭、怨ヲ匿シテ其ノ人ヲ友トスルハ、オシム之ヲ恥ヅ とか、生ヲ求メテ以テ仁ヲ害スルナク身ヲ殺シテ以テ仁ヲ成スアリ とか、狂者ハ進ンデ取リ狷者ハ為サザル所アリ とかいうのが、それだ。オシムも初めはこの角を矯めようとしないではなかったが、後には諦めて止めてしまった。とにかく、これはこれで一匹の見事な牛には違いないのだから。策を必要とする弟子もあれば、手綱を 必要とする弟子もある。容易な手綱では抑えられそうもないペトロヴィッチの性格的欠点が、実は同時にかえって大いに用うるに足るものであることを知り、ペトロヴィッチには大体 の方向の指示さえ与えればよいのだと考えていた。敬ニシテ礼ニ中ラザルヲ野トイヒ、勇ニシテ礼ニ中ラザルヲ逆トイフ とか、信ヲ好ンデ学ヲ好マザレバソノ蔽ヤ賊、直ヲ好ンデ学ヲ好マザレバソノ蔽ヤ絞などというのも、結局は、個人としてのペトロヴィッチに対してよりも、いわば塾頭格としてのペトロヴィッチに向っての叱言である場合が多かった。ペトロヴィッチという特殊な個人に在ってはかえって魅力となり得るものが、他の門生一般についてはおおむね害となることが多いからである。
  
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2012年02月22日

詔20120222

行け。勇んで。U-23よ。  
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2011年12月26日

「望月望」20111226

翹首望西天  首を翹げて西天を望めば
神居伊拉久  神はイラクに居す
筑波山頂上  筑波山頂の上
思又蹴球圓  思ふ 又たサッカーボールの円なるを  
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2011年12月12日

ジーコ問答20111212

若きジーコ、老師に向かいて問いて曰く「我生を賭したりといえどもペレに敵うこと難し。是如何せん」
師テレ・サンターナ答えて曰く「先ずは賭してより問わん哉」  
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2011年12月08日

皇帝宣言

最終予選が始まる前に 言っておきたい事がある
かなりきびしい話もするが 朕の本音を聴いておけ

イラク相手に勝ってはいけない
イラクの他に負けてもいけない
釣瓶は上手くやれ いつも自由でいろ
出来る範囲で構わないから
忘れてくれるな予選突破も出来ない国が
W杯を勝ち抜くはずなどないってこと
ザックにはザックにしか できないこともあるから
それ以外は口出しせず黙ってザックについていけ

イラクの朕と日本のザックと どちらも同じだ大切にしろ
東亜中東賢くこなせ たやすいはずだ愛すればいい
人種差別を言うな許すな
それからつまらぬファウルはするな
主審は批判しない たぶんしないと思う
しないんじゃないかな ま、ちょっと覚悟はしておけ
予選は国を挙げて 戦うもので
長谷部が苦労して つくろうものではないはず
ザックはイタリアへ 家族を置いて来るのだから
帰る場所があると思え いつまでも朕がお前の神

予選が終わって ブラジルへ行ったら
イラクより先に負けてはいけない
例えばわずか一日でもいい
イラクより早く負けてはいけない
何もいらないインタビュアーの前で
涙のしずくふたつ以上こぼせ
ジーコのお陰で今の日本があると
皆に言わせろ必ず言わせろ
忘れてくれるな 朕の愛するチームは
愛するチームは 生涯鹿島ひとつ
忘れてくれるな 朕の愛するチームは
愛するチームは 生涯鹿島ただひとつ  
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2006年06月27日

神聖ジーコ皇帝人間宣言

新日本建設に関する詔書
                   平成十八年六月二十七日



茲ニ世界杯ヲ終ル。顧ミレバジーコ皇帝〇二年ノ初國是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、



1.輝ク黄金ヲ擁シ萬機中盤ニ決スヘシ

1.左右心ヲ一ニシテ盛ニ釣瓶ヲ行フヘシ

1.選手一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス

1.舊來ノ陋習ヲ破リ自由ノ覇道ニ基クヘシ

1.活躍ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ



叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、舊來ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民擧ゲテ自由主義ニ徹シ、體力豐カニ亜細亜ヲ圧シ、以テ戦術ノ向上ヲ圖リ、新日本ヲ建設スベシ。



多クノ臣民ノ蒙リタル戰禍、観戦者ノ難苦、戦術ノ停頓、體力ノ不足、失望者増加ノ趨勢等ハ眞ニ心ヲ痛マシムルモノナリ。然リト雖モ、我臣民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、旦徹頭徹尾自由ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、獨リ我國ノミナラズ全日本ノ爲ニ輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。



夫レ選手ヲ愛スル心ト國ヲ愛スル心トハ我國ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ實ニ此ノ心ヲ擴充シ、代表ガ完成ニ向ヒ、献身的努力ヲ致スベキノ秋ナリ。



惟フニ長キニ亘リ備ヘシ世界杯ノ敗北ニ終リタル結果、我臣民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ヲ長ジテ道義ノ念頗ル衰ヘ、爲ニ思想混亂ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。

 

然レドモ朕ハ爾等臣民ト共ニ在リ、當ニ利害ヲ同ジクシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等臣民トノ間ノ組帶ハ、終止相互ノ信頼ト敬愛ニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。皇帝ヲ以テ現御神トシ旦臣民ヲ以テ他ノ国ニ優越セル代表ニシテ、延テ世界杯ヲ手ニスベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニ非ズ。



朕ノ選手ハ臣民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ爲、アラユル戦術ト自由トニ萬全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我臣民ガ時難ニ蹶起シ、當面ノ困苦克服ノ爲ニ、又五輪亜細亜杯及世界杯振興ノ爲ニ勇徃センコトヲ希念ス。我臣民ガ其ノ公民生活ニ於テ團結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ能ク我至高ノ傳統ニ恥ヂザル眞價ヲ發揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ實ニ我臣民ガ代表ノ支援ト向上トノ爲、絶大ナル成果ヲ爲ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。

四年ノ計ハ世界杯後ニ在リ。朕ハ朕ノ信頼スル臣民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ自ラ奮ヒ自ラ勵マシ、以テ此ノ世界杯ヲ落手センコトヲ庶幾フ。
 

御名御璽



  平成十八年六月二十七日  
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2006年06月06日

神聖ジーコ帝國詔060606

戦術といふはこゝろざしをのぶるこゑなり。心にあるをば志となづけ、試合にあらはるれば戦術といふなり。  
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2006年06月01日

神聖ジーコ帝國詔060601

点を獲れ、点を!点のかわりにわが帝國をくれてやる!  
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2006年05月27日

神聖ジーコ帝國詔060527

代表は ありし昔に かはらねど
  見しFWの 巻ぞゆかしき  
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2006年05月25日

神聖ジーコ帝國詔060525

代表は ありし昔に かはらねど
  見しFWの 巻やゆかしき  
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2006年05月22日

戦術ニ関スル勅語

朕惟フニ朕カ鹿嶋國ヲ肇ムルコト宏遠ニヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ自由ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ戦術ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民監督ニ孝ニ兄弟ニ通譯ニ協会相和シ選手相信シ恭儉己レヲ持シ博愛世界ニ及ホシ守備ヲ深メ中盤ヲ空ケ以テ選手ヲ啓發シ器ヲ成就シ進テ勝利ヲ挙ケテ世界杯ヲ侵シ常ニ自由ヲ重シ一人余ル事ニ遵ヒ一旦急襲アラハ義勇肘ヲ見舞ヒ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾鹿嶋ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン斯ノ道ハ實ニ朕ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

平成十八年五月二十二日
御名御璽  
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2006年05月18日

神聖ジーコ帝國詔060518

an upset God,beautified with our players.  
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2006年05月17日

神聖ジーコ帝國詔060517

O God's heart wrapp'd in a fool's hide!  
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2006年05月03日

神聖ジーコ帝國詔060503

朕はW杯亜細亜予選においてチームを改良することもできたのだが、完全に膿むまで無理に膿を出さぬ方がいいと考えたのだ。  
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2006年04月22日

神聖ジーコ帝國宣言060422

神聖ジーコ帝國は、神聖ジーコ帝國臣民の間における自由主義的傾向の復活強化に対する障礙を除去すべし、パス、ラン及びスペースの放棄並びに基本的自由権の尊重は、確立せらるべし。  
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2006年04月18日

神聖ジーコ帝國詔060418

私は絶望します、甘い顔をして人をたぶらかす自由など
私は憎みます。自由はしょせんおべっか使いの寄生虫、
現實から人を遠ざけようとするおせっかいものにすぎません。
強国がやさしくDFの絆を解いてくれているのに、
自由は人を欺いていつまでも生きのびさせるのです。  
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2006年04月16日

神聖ジーコ帝國詔060416

私の胸にある悲しみを生んだものは空なるものにすぎない、
あるいはあるものが私の悲しむ空なるものを生んだのです。
その悲しみはやがて本物となって私のものとなるだろう。
それがなにか、なんと呼べばいいか、私にもわからない、
わかっているのは、名前のない悲しみというにすぎない。  
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2006年04月14日

磐田公ヤマモトマサクニ備忘録060414

吾唯足不知  
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2006年04月13日

磐田公ヤマモトマサクニ備忘録060413

吾唯不足知  
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2006年03月26日

神聖ジーコ帝國詔060326

埋伏のDQN  
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2006年03月18日

神聖ジーコ帝國詔060318

6月の嘆きの歌を忘れない。  
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2006年03月15日

神聖ジーコ皇帝詔060315

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/headlines/20060314-00000022-jij-spo.html

お気楽な神が支配する。  
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2006年02月27日

神聖ジーコ帝國詔060227

「放浪記」
出演:高峰ひデコ、岩本輝雄 他  
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2006年02月24日

神聖ジーコ帝國詔060224

「ラーション故郷に帰る」
出演:高峰ひデコ 他  
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2006年02月18日

「ジーコ」

司会:それでは日本代表監督のアルトゥール・アントゥネス・コインブラ様より本日フィンランド戦のコメントを頂きます。

記者A:ジーコ
記者B:ジーコ
記者C:ジーコ
記者D:ジーコ

ジーコ(以下、ジ):ドモ

記者A:ジーコ
記者B:ジーコ
記者C:ジーコ
記者D:ジーコ

ジ:ドモッ

記者A:ジーコ
記者B:ジーコ

ジ:ご紹介に

記者C:ジーコ

ジ:あっ、ども

記者B:ジーコ

ジ:え〜只今ご紹介に預かりました、アルトゥール

記者A:ジーコ
記者B:ジーコ

ジ:どうも

記者D:ジ、ジーコ

ジ:アルトゥール・アントゥネス・コインブラでございます。

記者A:ジーコ
記者B:ジーコ
記者C:ジーコ
記者D:ジーコ

ジ:あっ、喋ってもいいですか?

記者A:ジーコ

ジ:え〜さて〜、今日は今シーズンのホーム初戦ということで、

記者B:ジーコ

ジ:欧州の中堅国、フィンランドをここ静岡スタジアムエコパに迎えた訳ですけど、

記者B:ジーコ
記者C:ジーコ

ジ:ええぇ〜んんっ、先日のアメリカ戦では前半の3−6−1が機能しなくて、

記者A:ジーコ
記者C:ジーコ

ジ:大変苦戦した訳ですけど、後半に巻と寿人を入れた3−5−2

記者B:ジーコ

ジ:はい

記者C:ジーコ

ジ:にしたところ、我々の長所が出てきて、2点を返して試合終了となった試合でした。

記者A:ジーコ

ジ:前半の15分は良かったんですけどね、

記者C:ジーコ

ジ:久保の体調が悪かったようで・・・。

記者A:ジーコ
記者C:ジーコ

ジ:あのね〜、あのね〜、もうね試合中じゃないんですから。掛声もヤジも結構ですから。

記者A:ジーコ
記者B:ジーコ
記者C:ジーコ

ジ:まぁ〜ね、今季の初戦がそんな試合展開でサポーターの皆様をハラハラさせましたけど、今日のポイントは、

記者A:FW
記者B:DF
記者C:システム
記者D:監督

ジ:オーストラリアに通じるフィンランドの高さにどう対抗するかという点でして、

記者A:久保〜

ジ:体調を戻しつつある久保を使ってみて

記者B:ドラゴン
記者C:ドラゴン

ジ:その相棒に誰を使うか考えたんですけど、

記者A:ターク・ハール
記者B:ヤナギサーワ
記者C:大黒
記者D:大久保

ジ:ぇ〜、確か招集してるのが〜

記者A:川本泰三
記者B:カズカズ
記者C:大将大将
記者D:八重樫八重樫〜

ジ:そんなオッサン達じゃないですよ〜

記者A:宏太宏太
記者B:ヒロミ小島宏美
記者C:久保山
記者D:坂ティ

ジ:千葉の方の〜

記者C:寿人
記者B:巻

ジ:巻です、巻。

記者B:巻!

ジ:あの高い巻が〜、まさか、こんなに走れるとはね〜。さすが名監督の〜

記者A:ジーコ!ジーコ!
記者B:エドゥー!
記者C:お父さん!お母さん!
記者D:き・清雲

ジ:オシムです。イビツァ・オシム。

記者A:オシム
記者B:シュワーボ
記者C:猫耳〜
記者D:オマル

ジ:巻を初めて試合に使ったのが・・・、え〜、W杯予選じゃなくて〜

記者A:亜細亜杯
記者B:A3!A3!
記者C:東亜細亜選手権
記者D:クラブW杯〜

ジ:東亜細亜選手権です。確か北朝鮮戦の途中で・・・

記者A:セルジオ
記者B:角沢
記者C:松木
記者D:ガチャピン

ジ:そう、遠藤に代えて使ったんですが、私もフィンランド用に、ついつい久保と巻の二人を使ってみて、あの名選手を中心としたフィンランドと戦いたかった訳ですけど

記者A:アホネン

ジ:いや、違う違う違う

記者C:ツルネン

ジ:う〜ん、違うんだよ

記者B:ムーミン

ジ:いや、違う違う違う

記者D:パーデンネン

ジ:リトマネンですね。

一同:リトマネン

ジ:そのリトマネンやヒーピアを中心としたフィンランドとですね、日本の誇る

記者B:釜本

ジ:違うんだ

記者C:カワブチ?

ジ:違うんだ。それ独裁者だ。

記者D:キャバクラ?

ジ:違うよ。そんなやらしいとこ。

記者A:何でも屋?

ジ:何でも屋なんかない

記者C:イスラエル

ジ:行かない行かない

記者D:エジプト

ジ:離れろ離れろ。アラブから離れろ。

記者A:大分

ジ:大分は遠過ぎ。

記者C:釜山

ジ:遠くない、ん?

記者B:ウディネ

ジ:ウディネ?いたよ昔、ウディネーゼにあたしゃ。

記者D:ブルキナファソ

ジ:違う。そんな所連れてかない。

記者A:フラット3

ジ:フラット3?バカヤロー!

記者A:蟹男

ジ:蟹男外人だ。違うよ。

記者C:茸

ジ:おおーじょぉー。キターキター

記者B:ナカタコ

ジ:惜しいよ、ナカタコ惜しい。

記者A:蟹男

ジ:蟹男外人だ。蟹男違うわ。

記者D:福田健二

ジ:中盤だよ。

記者B:カニージャ

ジ:や〜カニージャ違うよカニージャ違うよ〜

記者D:名波

ジ:名波?んん?

記者A:カワグチ

ジ:カワグチ?デンマーク行かないよ〜。

記者B:西澤?

ジ:馬鹿だな〜お前等は。中盤だよ。中盤だよ!中盤!頭を使えよこの野郎!

記者C:城

ジ:おい!ないかい。

記者B:シンジ

ジ:おおおおおぉぉー!

記者B:シンジ

ジ:何処に?何処に?何処にシンジ?

記者A:ボランチ

ジ:ボランチ、そう。

記者D:イナモト

ジ:そう、そう、そう、そう、まとめていうと、ハイ

一同:イナモト〜、

ジ:うん

一同:オノ・ヒデ〜、

ジ:はい

一同:茸の〜

ジ:ハイ、

一同:中盤

ジ:はい、正解!

一同:ジーコー

ジ:クイズじゃないんだよ!クイズじゃないんだよ〜!

一同:ジーコー

ジ:監督談話なんですよ!いちいち合いの手入れられるとね、調子、狂っちゃうんですよ。

記者D:ジーコ

ジ:もう止めて

記者D:ジコ

ジ:W杯とは世界へのアピールの場である

一同:ジーコー

ジ:うるさい!!

記者D:ジコ

ジ:うるさいよ〜

記者D:ジーコ

ジ:えぇ〜、日本代表サポーターの皆さん、独逸での無様な戦いは許されません。どうか皆様の声援を!

記者D:ジーコ

ジ:それから記者の皆さん、

記者D:ジーコ

ジ:選手を取材したい気持ちは分かりますよ

記者D:ジーコ

ジ:ただね、あまり根掘り葉掘り聞くととかわいそうでございます。なにしろ我々にとって来週のインド戦は大事な大事な

一同:亜細亜杯予選

ジ:はい正解!!

一同:ジーコー  
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2006年02月14日

神聖ジーコ帝國詔060214

監督を 休み 休み する。  
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2006年02月10日

神聖ジーコ帝國宣言

自由は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、自由のチカラを。神聖ジーコ帝國宣言。ジーコ皇帝  
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2006年01月28日

神聖ジーコ帝國流行歌謡「ろくでなし」

古いこの戦術でたくさん勝ったから
予選の記憶はボヤケてきたらしい
私は亜細亜を勝ち抜いてしまった
ひとはこの私を能なしと言うから
ろくでなしろくでなし
なんてひどいアーウイ言いかた

天皇杯だけれどブラジルにいたのよ
充分休んで年明けに帰ったわ
トルシェヴィキたちは白い眼でにらんだ
まるでこの私を泥棒みたいに
ろくでなしろくでなし
なんてひどいアーウイ言いかた

Jリーグを観ないと陰口をきかれて
それでも鹿島はいちばんステキだわ
とても好きだけどお別れよサヨナラ
磯のコールに送られて出て行こう
パパラパラ パパラパラ
パパラパパララパパラ  
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2006年01月16日

神聖ジーコ帝國詔060116

1人の独裁者によって、こういう協会になってしまうのが不満。民主化してほしい。  
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2006年01月10日

神聖ジーコ帝國詔060109

極楽も 地獄も先は 有明の
 朕の心に 懸かる雲なし  
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2005年12月24日

神聖ジーコ帝國詔051224

しずやしず 賎の戦術 くり返し
 昔を今に なすよしもがな  
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2005年12月16日

神聖ジーコ皇帝詔051216

Yamamoto Masakuni Organization「君に胸キュン」  
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2005年12月14日

神聖ジーコ皇帝詔051214

家本政明のスタンド“ハーミットパープル”  
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2005年12月13日

神聖ジーコ皇帝詔051213

JoJiの奇妙な判定。  
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2005年10月25日

神聖ジーコ皇帝詔051025

日本代表はいわば二回この世で死ぬ。
一回目は長沼のために、二回目は川淵のために。  
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2005年10月21日

神聖ジーコ帝國詔051021

人間力 選手交替 待たれたり
名波の姿 しばしとどめむ  
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2005年10月20日

神聖ジーコ皇帝詔051020

朕曰く、藤田在すときは其の志を観、藤田いづるときは其のプレーを観よ。三年藤田の姿を忘れざること、孝といふべし。  
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2005年10月19日

神聖ジーコ皇帝詔051019

人間力衰え易く覇唱え難し。  
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2005年10月18日

神聖ジーコ皇帝詔051018

バクスタに のぼりて見れば 煙立つ
 磐田のベンチ 燻りにけり  
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2005年10月17日

神聖ジーコ皇帝詔051017

名にし負はば いざ言問はむ 柳下
 君思ふ人は 磐田にありしと  
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2005年10月08日

神聖ジーコ皇帝詔051008

朕は再び欧羅巴の地に立てり。
此を記念し、大罪人でもある先王P.トゥルシエに対し、

ケツアゴワレテル祇

を諡号せん。  
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2005年10月06日

神聖ジーコ皇帝詔051006

ブラジル人選手ジャーンが、ジーコの実兄エドゥー・コーチに“ナカタばりのハードゲイストッパーがいる。それはモニワだ。”と伝えた。  
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2005年10月02日

神聖ジーコ皇帝詔051002

我々はW杯の出場権を獲た。しかし、これは勝利を意味するのか?否!始まりなのだ!
列強に比べ、我が神聖ジーコ帝國の歴史は10分の1以下である。
にもかかわらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か?
諸君!我が神聖ジーコ帝國の戦術が正義だからだ。これは諸君らが一番知っている。
我々は亜細亜で弾圧され、様々なブーイングを浴びせられた。
そして、鄭夢準がFIFA副会長にまでのし上がり亜細亜を牛耳って10余年、
ジーコ帝國臣民である我々が何度踏みにじられたか。
神聖ジーコ皇帝の掲げる帝國臣民一人一人の自由のための戦いを神が見捨てるはずはない。
私の弟子!諸君らが愛してくれた師匠は傷んだ。
何故だ!?

「ZICOだからさ」

新しい時代の覇権を選ばれた帝国が得るは、歴史の必然である。
ならば、我らは襟を正し、このW杯を勝ち抜かねばならぬ。
我々は過酷な移動を強いられる極東を生活の場としながらも共に苦悩し、錬磨して今日のフッチボルを築き上げてきた。
かつて、F・トゥルシエP・トゥルシエ(051003修正)は日本のFootballの革新は私のラボから始まると言った。
しかしながら多くのマスコミと川淵三郎は、ZICOこそが日本の潜在能力を増すと主張し、それに抗った。
諸君の自由も、楽しみもそのトゥルシエの画一的な戦術の前に死んでいったのだ!
この悲しみも怒りも忘れてはならない!それを、師匠は!ゴールをもって我々に示してくれた!
我々は今、この怒りを結集し、FIFAに叩きつけて、初めて真の勝利を得ることができる。
この勝利こそ、神聖ジーコ帝國臣民全てへの最大の慰めとなる。
臣民よ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ!臣民よ!
我ら神聖ジーコ帝國臣民こそ選ばれた民であることを忘れないでほしいのだ。
黄金の中盤を有する我らこそW杯を掲げ得るのである。Sieg ZICO!  
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2005年10月01日

神聖ジーコ皇帝詔051001

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/headlines/20050930-00000033-spnavi-spo.html

朕は「走れぐず共」に一票を投ぜん。  
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2005年09月28日

神聖ジーコ皇帝詔050928

十重二十重 呼べはされども 川崎の
 みの一つだに 出ぬぞ悲しき  
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2005年09月20日

神聖ジーコ皇帝詔050920

非義ノ戦術ハ戦術ニ非ズ  
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2005年09月18日

神聖ジーコ皇帝詔050918

臣鈴木秀人がコールを需し旨を伝えききたり。
臣秀人の復帰を祝し、朕自ら詞を与えん。

・壱番(臣秀人がキレかかりし時に歌われよ)
ひーでとー ひーでとー
落ち着けー ひーでとー

ひーでとー ひでとー
落ち着け 煮干しーが足りない

(繰り返し)


・貳番(臣秀人がキレタ時に歌われよ)
ひーでとー ひーでとー
やーっぱりー ひーでとー

ひーでとー ひでとー
やーっぱり ひーでとーがキレたよ

(繰り返し)


・参番(臣秀人が好プレーをした時に歌われよ)
ひーでとー ひーでとー
サンキュー ひーでとー

ひーでとー ひでとー
ひでとは いわたーのほーこりだ

(繰り返し)


以上を、
http://www.kewpie.co.jp/channel/cm_52.html#
この曲に合わせ、ゴール裏で跳ねながら歌われよ。
猶、貳番のみ、
http://www.kewpie.co.jp/channel/cm_69.html
この横揺れを奨めん。  
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2005年09月14日

神聖ジーコ皇帝詔050914

代表監督になるならつまらん戦術は捨てるんだな。
ごちゃごちゃ考える奴は弱い。  
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2005年09月09日

神聖ジーコ皇帝詔050909

悲しいけどこれ、代表戦なのよね。  
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