2012年04月01日

NEW!!

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2012年03月05日

R

元来、僕は何かの「山」を築いていく志向がない。

築いている人に、あるいはこれから築いていく人に、
例えば、こんないい道具が世にはあるんですと伝えたいし、
新製品も既存の製品もあわせたカタログを作って渡したいし、
おっきな岩にぶつかって作業が難航しているなら
その掘削の方法とやらを一緒に研究したいし、
なんでそこまでして掘削しようとするんか、その真意を根掘り葉掘り聞きたいし、
そのプロセスと結果をレポートとして即席の「かわら版」にでもして
他の築いている人に伝えたい。


僕が、この世でたまらなく好きな光景が2つあって、
ひとつは、例えば寺子屋でも学校でも塾でもいいけれど、
子どもたちがその目をまんまるくしながら、
先生から発せられる言葉の一つ一つを聞き漏らすまいと吸収している光景。
もうひとつは、人が人に憧れ、それが身近な人でも遠い人でも、
下手くそだろうと何だろうと追いつけ追い越せと必死になりながら
「私はこうしたい」「私はこうなりたい」と言い切った表情。

前者で言わんとするのは、子どもに限らず大人でも、「好奇心」「関心」ということ。
後者で言わんとするのは、「志」「向上心」「自己実現」ということ。
これが、溢れんばかりの世の中になったらいいな、と。


人が生きている様を、生きざまといい、
絶対に、生きざまは人や社会に欠かせない情報となる。

生きざまが、技術を伝播する助けとなるし、
生きざまが、人を育てるし、
生きざまが、艱難辛苦に立ち向かわせるし、
生きざまが、勇気をもたらす。

この情報によって、機会と場を創って、世の中を変えたい。


そこへ向かっていくにあたって、

僕は甘い。一挙手一投足すべて何事も甘い。


周囲には甘やかしてくれる人も多いし、
このまま月日が過ぎれば、だんだんその甘さにすら気づかなくなるんだろう。

だから、甘やかしてくれない環境にいなければと思ったし、
「打てば響く」が「打たなければ決して響かない」環境で成し得なければ、
自分が望むようなことは将来できないと思った。


転々と環境を変えていくことは、良し悪しで、
見識ある人からすれば浅はかであろうし、
博識ある人からすれば無知だろう。
計画のある人から見れば無計画だろうし、
軸のある人から見れば優柔不断だろう。


けど自分はこの機会だと思ったし、
これからの時間が楽しみで仕方がない。

先の事は計画しないし、
綿密に計画したってしょうがない。


やりたいことを確実にやっていく中で成長するし、
為すべきことを確実に為していく中で信頼される。


自分のミッションに向かって、楽しんで、やっていこうと思う。





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2011年02月20日

ポリシーは何か


人生において一番大事なことは経験だと思う。

それは、経験の多いものが優れていて、
経験の少ないものが劣っているということではない。

経験したことがないなら、
一度経験してみようという一歩、

一度経験したことがあるなら、
もう一度経験してみようという一歩、

百回経験してもなお、
百一回目には何か発見があるかもしれないと踏み出してみる一歩、

その一歩が尊いものではないだろうか。



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2011年02月10日

今年も頑張れ!

Being DICE-K102



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2011年01月31日

道なき道


人生は筋書きのないドラマだと言う。

さりながら人は、筋書きなき道を進むことが怖いが故に、
もっともらしい筋書きをあらかじめどこかに求める。

が、あらかじめ用意したものの上を恐る恐る歩くことほど
つまらないことはない。

筋書きなきまま歩くことは、そのよすがを己のみとし、
信条を掲げ、言葉にならないもどかしさと、理解され難い孤高を抱きながら、
自らを賭して努め抜くことであり、

その曉に、無二の結果が生まれているはずである。



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2011年01月13日

世界を見て



メディアとスポーツ選手の関係は色々で、

衝突する場合、
仲良く友人のように付き合う場合、
徹底して孤高を貫く場合、
特定の人とのみ関係する場合、
ねじ伏せてしまう場合、
と、千差万別だが、

中田英寿は、ある時点から巧みに付き合い、
生かし、主張と折り合いをバランスとりながら、
遂には自ら発信をするようになった。

やはり彼は賢いと思う。



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2011年01月09日

Merry-Go-Round



(7月3日の日記)


■10人の会

 同志社大学時代の仲間を10人集めて飲んだ。

 大学時代に、全身全霊、時間も体力も知力も、
 自分の全てを懸けて取り組んだと言い切れることがある。

 そしてそれを共にした10人―。

 それぞれ時間や対象は別個だったりして、
 10人がずっと一緒だったわけではない。

 けれど、ある1人の人物を縁にして、それぞれが集まり、
 試行錯誤して、一生懸命いろんなことをやりつくした。

 今は皆それぞれの場所で仕事をして暮らしている。


 いつも僕が幹事をして集合をかけているのだが、
 それは、単純に、
 この人らを集めたいから。一堂に会したいから。

 で、そこで起きる化学反応がおもしろいから。


 時期のズレはあれども、あの時から、3〜5年は経った。
 そんだけ時間が流れりゃいろいろあるよね。

 等しく月日は流れて、それぞれがいろんな軌道を描いて、
 思い悩み、あるいは突き抜けて、
 躍動する者、立ち止まる者、これからコトを起こす者、

 それぞれだ。


 ”過去をあれこれ振り返るな。今を生きろ”
 ”やりたいことをやろう”
 ”働くとはそんなもんだ。我慢していれば何か見えてくる”

 世間に流布する一見ポジティブな言葉達はあるけども、
 それで言い切れない事情や苦境はあると思う。

 だから、それぞれ皆、思い苦しむ。




■10人で居た当時

 あの頃、
 人間の強さしか見ていなかった。

 人間って強い、素晴らしい、美しい、創造的だ―。
 そんなことしか見ていなかった。見えなかった。
 志にあふれた仲間に囲まれ、人間かくあるべしと突っ走った。

 打てば、響く。
 共鳴し、コトが起きる。

 目の前には、前途洋洋とした未来。
 何も描かれていない故に、如何とも描ける希望に満ちて―。




 それから 皆が散って。

 世界が変わり、いわゆる「社会」に出て、
 一転、人間の弱さを見た。

 時には、自分に突き付けられた。

 人間の醜さ、姑息さ、儚さ、虚しさ、酷さ、怖さ、くだらなさ。
 人は弱くて空しいのだと思い知らされた。

 最初はカテゴライズして鬱陶しさを凌いでいたが、
 誰にでもどこにでも巣食うものなのだと分かってきた。


 共鳴しない、共鳴されない。

 だんだんと、音を吸い取られて、
 何者なのか路頭に迷いだす。





■2010.7.3になって―


 で、現在。

 全身全霊懸けて当たった、なまじ美しい経験が、
 影を落とし続けている。


 今日、写真を撮った。

 あの経験に誘ってくれた先輩の記念会ということで、
 是非残したいと写真を撮った。


 うかない顔してら。
 迷いが顔に出てー。


 いつになったら、と
 忸怩たる思いにかられる。






■生きること、死ぬこと。



 人生はいっぺんしかない。 


 明日、死ぬかもしれない。

 1年後かもしれない。

 5年か、10年か、50年後かもしれない。



 死を恐れれば、未来は描けない。

 居ないかもしれない自分を想像すると、
 将来のための蓄積はままならなくなる。


 けれどそれでは始まらない。

 いつかと夢見て、日々ジリ貧の中で何かを積み上げる。


 それは分かっている。 が、焦る。



 突破するには力がいるから、
 だから何かに導かれようと探す。


 描いた未来と今とを一直線に結び、ただ登り続けられたら苦労はない。

 何かを杖にして、蛇行しながらでなければ、
 人間、弱いから。



 でも、人間は弱いけれど、

 弱さに打ちひしがれながらもまた歩くとき、

 本当に強いなとも思う。





 それが、今の希望。




 甘いし、弱いし、どうしようにもないときもあるが、
 その程度を知って、その中でもがき、やれることがあって、
 それで何かを創り出せたら、と。

 見かけの強さでなく、本当に強いものってのは、
 どういう技量で、どういう才能で、どういう考え方をするかではなく、
 優劣のかなたで、甘いなら甘いなりの、弱いなら弱いなりの
 本分を果たし続けることではないかと。






■もう一度、雑誌を創りたい。


 世の中には、偉大な成功者がいる。

 学校のクラスや、職場にだって、
 その他どんなところにも、
 いろんな才覚を持った人たちがいて、輝いている。

 スターダムに乗った人は特に、生き生きと輝いている。
 20年も生きれば、確実にそういう人たちの存在に出会う。
 とかく目標とされがちなそういった成功体験の持ち主たち―。


 けれども、

 偉大な人の成功体験ではなくて、
 自分と変わらない立場の人たちの頑張りにこそ、
 明日から一歩踏み出す勇気がわいてくる―。


 それを教えてくれたのは、「京都の30歳」という雑誌だった。


 その雑誌からシンパシーを受け、
 僕は大学時代に「D-active!」という雑誌を創った。



 その冒頭に、制作責任者として、以下のように書いた。


 「僕は2回生になった頃から、
  ”輝いている”学生と数多く触れるようになりました。
  その存在は僕にとって憧れであると同時に、”焦り”にもなりました。
  でも、そんな彼らもその”焦り”を経て今に至っていることを考えたとき、
  その”焦り”は励みになるように思えました。

  3割の打率で成功だと言われるバッターも、
  そのヒットの数をはるかに超える無数の凡打を繰り返し、
  打席に立ち続けます。

  誰もが経験する失敗や葛藤を経て、汗も涙もハッピーも悲しみもいつしか、
  その人を彩る色になっていく―。

  実績や成功で彩られたサクセスストーリーを伝えるのではなく、
  きっかけや背景といったプロセスの部分を
  多くの学生に知ってもらいたい―。

  そんな思いから、この「D-active!」は生まれました。

  ”同じ場所”、”同じ世代”にいる彼らのありのままを、
  ありのままにお届けします。

                    2004年10月26日」



 

 この雑誌で取材したのは、
 目立たずとも、自分の希望に向かってひたすら頑張っている、
 ”すぐ隣にいる”普通の学生。


 その葛藤や喜びを伝えることで、
 何か自分の心に、気づきを得て、一歩踏み出すきっかけにしてもらいたいと―。

 
 きっかけによって、人はいくらでも変われる。
 それを自分自身も確かめたかったのかもしれない。

 つい隣の芝生は青く見え、弱くなってしまう人間の性だから―。
 






 将来、もう一度、これをしたい。

 またあれから、いろんな弱さ、醜さを知った今だから余計にそう思う。


 マスではない、ささやかでも、確固たるメディアになりたい。
 一度きりの人生を本当に生き切りたいと願う人にとっての、
 勇気の源を創りたい。


 表面的なセーフティーネットではなくて、
 勇気を持って立ち向かえる、そんな情報流通を起こしたい。



 知らないままに、触れないままに、気付かないままに、
 死んでいきたくはない。


 人生は一回だけ。

 この人格で生まれるのは、たった一度だけ。

 どうせ一度なら、生き切りたい。 





 少し進んでは、また後ずさりしてしまうし、
 今もなお、いろいろと焦ってしまう。

 大きくて偉大な過去もある。

 いつか来る時まで、途方に暮れてしまう。



 でも、自分の使命はここだと信じる。

 命をここに使いたい。


 存分に使えるよう、出来ることを積み上げていこう。
 
 
 素晴らしい仲間10人に会ったことを無駄にしないように。







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