封入体筋炎患者闘病記

 封入体筋炎患者のヒロです。病歴は2018年で満10年、11年目に入りました。在宅勤務の仕事とリハビリの日々を送り、細やかながらも家族3人で暮らしています。ブログ記事は闘病記と広島地元ネタ、社会保障などの時事ネタ中心です。希少疾患の封入体筋炎の周知が目的です。関心があれば、ツイッターなどでご紹介していただければ幸いです。疾患関係で直コメントが苦手の方は、ツイッターのダイレクトメールを利用してください。封入体筋炎の闘病史は各進行段階の症状や生活障害、必要な社会保障制度等をまとめています。良ければ参考にしてください。最新の封入体筋炎の状況は『近況について色々と』、取り組んでいるリハビリについては『2018年春~夏 筋疾患(封入体筋炎)リハビリ』にて素人の体感目線で書いています。モバイル版で読みにくい場合は、PC版に転換してからお読みください。

 封入体筋炎の周知と脳の筋委縮予防、そして適度な闘病生活のガス抜き目的でこのブログを書いています。疾患関係の記事は、同病、他の筋疾患患者の方、ご家族、友人が苦しんでいる方の参考にでもなれば幸いです。些細な生活の様子や疾患の情報などのコメントをお待ちしております。他の傷病で障害をお持ちの方なども歓迎です。広島都市ネタは、完全な暇潰しです。基本的にはどうでもいいです。そのどうでもいい事に、熱くなる方が居て荒らされるのでコメント不可にしています。ご了承下さい。リンクページに、広島市政へのご意見フォームを貼り付けています。そちらでどうぞ。悪意目的のリンク貼りはお断りします。その時々の気分で、記事内容に偏りが出ます。大目に見てください(笑)にほんブログ村特定疾患・広島市情報ランキングに参加しています。読んだついでにワンクリックして頂ければ励みになります。最近、自分語り記事が増えています。哀れな障害者の泣き言だと思い、寛容な心でお読みください(笑)

カテゴリー記事 広島の都市問題 MICE

▼今日のお題 11月14日中国新聞9面より
欧州の風 広島経済同友会視察報告 『メッセ』
優良企業世界から誘致

画像1 11月14日中国新聞9面より(ブログ画像からは全て読めません)

【記事詳細】
 世界最大ののメッセ(見本市・展示会)大国のドイツ。日系企業400社が進出する国内有数の
 経済都市デュッセルドルフ。ライン川付近の巨大なメッセ施設(見本市)が並ぶ。広島経済同友
 会の視察団は、世界最大のガラス産業のメッセ『グラステック』を訪れた。50か国の1,250
 社が機械や技術を展示。人が乗れるガラスのブランコなど実演型のブースが多く、まるでショー
 のようだった

 運営するのは市が半分を出資する企業(日本の第3セクター)のメッセ・デュッセルドルフ。展
 示面積は約30万平方㍍で、東京ビックサイトと幕張メッセの合計を遥かに上回る。年50件を
 開催し、うち23件は業界一の規模を誇る。案内するマネージャーの男性は『来場者も多く、出
 展料や会場設置費、入場料だけで十分ビジネスとして成立する』と語る。『なぜ、人が集まるの  
 か?』の問いかけには『大きな要因には国際性がある』と話す。グル-プ従業員は約千人。海外
 75か国に事務所を置き、各国の優れた企業を誘い、機械系メッセは国外の出展者と来場者が7
 割を占める

 現地の日本貿易振興機構(ジェトロ)の所長は、国際化の背景は2度の世界大戦の敗戦があると
 言う。経済が崩壊して、無から復興する過程で自ずと国を超えたビジネスが必要となった。メッ
 セ・デュッセルドルフの創立は1947年。『世界的なメッセを開けば、町のホテルや飲食、物
 流も潤う。ドイツはメッセを基幹産業として位置づけている』と指摘。日本との相違点は、出展
 者の意識にある。展示品のその多くは商談にて売れていく。日本の展示会・見本市の多くは商談
 ではなく、イベント感覚が抜けずビジネスに直結しないケースが多い。ドイツの場合、出展する
 ことで商品や企業が注目され1つのステータスにつながる。『メッセは人とモノと金を引き付け
 る磁石のような存在。空港やホテル、商業施設が近隣にあるから誘致が可能となる』と所長は力
 説する

 広島経済同友会の視察メンバーは、『規模や条件が違い過ぎて模写は難しい』と語る。一方で『
 出展者の考えの違いに驚いた。メッセを完全にビジネスの場とする姿勢は学べる』『展示会に契
 約の決定権を持つ役員が出る必要を感じた』との声が大勢を占めた。同視察団団長は、『広島に
 とって外部の力を呼ぶMICEは重要で、来場者側の視点が大切になる。官民一体になり、他地
 域に先駆けて早急に対応を考える必要がある』とまとめた

【考察その1】
世界有数のメッセ大国のドイツ 
そこには数百年にもわたる展示文化の歴史があった


画像2 デュッセルドルフ市街地の遠景(画像 デュッセルドルフ公式HPより)


画像3 拡大図 世界の展示場面積ランキング(画像 日本展示会協会HPより)

画像4 世界各国の展示施設面積合計数(画像 日本展示会協会HPより)

 MICE(マイス)の意訳は、意訳はM-会議・研修、I-招待旅行、C-国際・学術会議、E-展示会・見本市 である。国内都市が現在、誘致に躍起になる理由として以下の点がある。①観光庁の調べだとMICE参加者の平均消費額は日本人-約5.5万円に対し、外国人は4.8倍の26.3万円、国内スポーツコンテンツの観客や都市観光者よりも消費額が高い事 ②ビジネス・イノベーションの機会を創造し、国・都市の競争力を向上させる効果が期待できる事 などこの2点に集約される。日本が国力に見合わず、この分野が非常に弱いとされている。展示施設別面積ランキングを見ると一目瞭然で、上位はドイツを筆頭に欧州各国、中国、アメリカの都市が占める。日本は最大の面責を誇る東京ビックサイトですら、78位。都市力に見合ったものとは言い難い。国内主要施設の総合計で1位のハノーバ―メッセの施設面積にすら遠く及ばない情けない現状だ。商文化の違いだけでは言い訳が出来ない。因みにドイツには東京ビックサイトの展示施設面積を上回る施設が、11ヵ所もある。MICEのE-展示会・見本市-の産業化がドイツでは成功している。立地と商文化の違いだけでここまでの差が出るとは到底、思えないのだが現実は悲しいかなそうなっている。

ドイツの見本市の歴史は、ドイツが国家として統一されるはるか前、12世紀にまで遡る。1165年にはライプツィヒで、その後フランクフルト、ケルン、ハンブルク などの都市で見本市を保護する制度が整備された。第二次世界大戦後、大戦前に整備されていた多くの見本市会場は破壊されていたが、東ドイツにあったライプツィヒの見本市を、占領国であるソビエトが強力に支援して再興した。旧西ドイツでは、 やはり占領国の支援の下、復興のための輸出振興策の一つとして『輸出見本市』がハノーバーで開催された。現在世界第一位の面積を誇 るハノーバーの見本市会場の歴史は、この時から始まったものである。 ドイツで最も重要な見本市都市であったライ プツィヒが旧東ドイツにあったことから、旧西ドイ ツではそれを引き継ぐ見本市が各都市で開催さ れるようになり、各地で見本市が発展した。 こうした経緯を経て、現在ドイツの見本市産業 は、主な都市には必ずと言ってよいほど大きな 見本市会場がある地域分散型の立地構造となっており、日本の展示会場が首都圏に偏っている状況と好対照だ。日本がメッセで後れを取っている理由は、展示会が企業の広告宣伝の場としてとらえられる傾向が強く一種のイベント化、 商談・ビジネスの場としてあまり有効に機能していないからだ。商文化の違いと言える。ドイツの見本市産業の特徴として、大規模見本市会場を所有する会社が、多くの場合、同時に見本市の主催者、すなわち見本市会社(イベント会社)を兼ねている。日本のように業界団体等が見本市を主催することはほぼない。見本市会社は、いずれもその立地する行政(州及び市)がその資本の殆どを出資している。見本市の開催都市が自らの地域振興策として見本市を能動的に活用し、地域活性化に役立てている。よって施設の大規模化は地域の大きな利益の裏返しである。ドイツでは60年代後半~70年代初頭に、造船・鉄鋼業が衰退し、『ポスト重工業』としてメッセの産業化に尽力してきた。これを押さえた上で、次考察に進む。ブログ主は、90年代後半~00年にかけて当時就労していた金融機関がグローバル企業に融資をしていた関係で、フランクフルトメッセに応援スタッフとして何度も駆り出された。日本のコンパニオンの小奇麗なお姉ちゃん、それ目当てのモテないブサ面の小汚い男性客が目立つそれとは別の趣きで(笑)、フランクフルトメッセのそれはビジネスの真剣勝負の場だった。グローバル企業の上役の社交の場にもなっているし、政府の関係閣僚や場合によっては首相も参加することがある。下っ端の社員の参加が多い日本と比較すると大きく異なる。


動画1 
メサゴ・メッセフランクフルト 企業PV ブログ主は90年代後半、融資先の企業がフランクフルトメッセへの出展企業だったこともあり、応援スタッフとして駆り出されたことがある フランクフルトメッセの施設面積は34.6万平方㍍。東京ビックサイトの約3.6倍だ。

【考察その2】
広島市のMICE(マイス)-E(見本市・展示会)の実情

東展示館外観
画像5 広島都市圏最大の展示施設の広島県広島産業会館(南区比治山本町) 画像 公式HPより

1 市内展示主要3施設 展示面積 9,840平方㍍
  広島市中小企業会館(広島市西区 展示面積2,640平方㍍)1979~80年完成、
  広島県広島産業会館(広島市南区 展示面積 9か所 5,500平方㍍ ) 1970
  ~90年完成 2016年5月東展示場リニュアール(下記画像3参照)
  広島グリーンアリーナ小アリーナ(広島市中区 1,700
平方㍍) 1993年完成
  ※共にリンクページ公式HPより

2 広島市中小企業会館(広島市西区 展示面積2,640平方㍍)の利用(稼
  働)
率状況
  ~広島市中小企業会館の概要について~(広島市HP)
  展示ホールの稼働率 
  2011年71.1%、2012年75.5%、2013年79.7%、2014年67.7%
  2015年(11月時点)85.2%

3 広島市における各経済波及効果(下記4に詳細)
  MICE(マイス)の経済波及効果-
年間約981億円
  広島市の都市観光の経済波及効果-
※注1 17年約2,314億円
  カープの経済波及効果-16年約340億円 17年-350億円
  サンフレの経済波及効果-15年約70億円

  ※注1広島市の17年の都市観光の経済波及効果がなかったので、消費総額だけ掲載

4 経済波及効果の概要
 『経済波及効果=直接効果+間接効果』
  直接効果=宿泊費+交通費+施設入場料+消費額など 
  間接効果=
直接効果が県内の他の企業や産業に波及していくことで生み出される売上げ
 
 こうして数値を羅列すると、国内スポーツコンテンツの限界値がよく分かる。カープもサンフレも伸びしろは既に限られており、絶対に倍にはならない。現状は顕著な傾向にはなってはいないが、今後は日本も縮小社会に本格突入する。縮小する国内市場よりも様々な分野において、外需の取り込みなくして持続的な都市の成長は見込めない。上記の3のMICEの経済波及効果については、国際会議なども含めた全体的なものだが、日本の立地のハンディや商文化の違いなどを差し引いても、国力を考えると低い水準だ。今後、この分野に力を入れることを前提条件にすると伸びしろは、都市観光共々多く残っている(と思う)。プロスポーツコンテンツの場合、スタジアムやアリーナの収容数や試合数の関係から計算こそできるが同時に、上限値もある。国内外から集客可能な都市観光施設がない場合や、MICE誘致が規模的に難しい都市の場合は、JリーグやBリーグなどのプロスポーツコンテンツ゚を柱に据えるのもありだが、広島市の場合そこまで前面に打ち出す必要性はないだろう。数ある中の一つの位置づけで十分だ。ドイツのようなメッセ大国はさすがに難しいと思うが、広島のMICE経済波及効果が現在の約981億円から、2,000億円規模の市場にまで拡大させることは長期的には十分可能と考える。問題は受け入れる施設と展示会などを誘致するソフト面での整備だ。施設の話をすると、現在の公的施設の合計展示面積は9,840平方㍍と1万平方㍍にも満たない。中小企業会館の稼働率はご覧の状況だ。どう見ても供給過小で、需要に追い付いていない。表に出ない需要の取りこぼしも多々あるのでなかろうか?これはブログ主の憶測に過ぎないが、そうした空気感を感じているからこそ、商議所を中心とした、展示場中心のMICE施設建設の声が強くなり始めているのではなかろうか?勿論、インバウンド需要の高騰もある。

 広島市規模で国際見本市やそれに匹敵するものが開催されるとは全く思わないが、国際見本市の下部カテゴリーの全国見本市や地域見本市、さらには専門見本市の開催は広島市規模でも十分開催は可能だろう。仮に全国見本市の誘致の開催の打診があったとする。必要な展示面積は単一展示場で3,000平方㍍が条件。広島市内の展示場では、開催要件を満たさないということで他都市に流れてしまう。本当にこれで良いのだろうか?になる。広島市の展示施設の建設の挫折の歴史は、この記事にて書いている。 ~メッセ・コンベンションシティ構想の今~ 今となっては建設できなかったことが、今後の展開次第ではプラスに働くかも知れない。仮に前秋葉市長が財政難を理由に棚上げにすることなく、かっての出島地区の展示施設計画を推進していれば、出島地区の隔離された土地に立地することになり、周囲のにぎわい性との連動もなく稼働率が低い施設になっていただろう。この夢の計画は、バブル経済の崩壊(90~91年)と、アストラムラインの同地区延伸が消えた時点(99年)でほぼ破綻していた。

【考察その3】
候補地は、中央公園広場の複合スタジアム、市営基町駐車・駐輪場一帯再開発
そろそろ市専用の展示場建設の議論は始めるべきでは?


画像6 市営基町駐車場ビルの様子(画像 広島都市整備公社HPより)

 広島経済界では、展示施設については旧市民球場跡地を一押しする声が強いらしいが、ブログ主はあの地には、スタジアムも展示施設の何れも必要ないと考える。あそこに何かをつくれば広島を覆いつくす都市問題が全て解決するなど、過去のノスタルジックな幻想に過ぎない。感情的思考の産物だ。展示施設の規模は定かではないが、敷地も狭隘で世界遺産の原爆ドーム前。様々な制約が多い上に、原爆死没者慰霊碑から原爆ドームを望む眺望景観が破壊される。都市景観は、未来の世代に受け渡さないといけない無形の市民の共有財産だ。その時代だけの都合で破壊するのは、エゴに過ぎない。そして広島市が都市計画の基軸に据える南北の軸線にも抵触する。要はあの地に公共施設をつくると回遊性の阻害要因になる。あの地は立地条件や制約を鑑みてイベント開催可能な屋根なし広場が妥当だ。『回遊性や眺望景観など関係ない。集客施設の立地こそ解決の唯一の道だ』との反論もあるかも知れないが、この考えは、高度・安定成長期の都市経営の発想で、経済効率オンリーの都市計画では、決して現在広島市を始めとした多くの日本の都市が抱える共通の課題-都心部地区の求心力回復は果たせない。これは疾患治療で言えば、一時的な対処療法と知るべきだ。回遊性向上や都市景観の保全は根本治療の範疇で、双方ともに必要だが、天秤にかければ根本治療のほうが重いのは言うまでもない。嘘と思うのであれば、モーターリゼーションと迎合した都市建設と惜別し、数多くの成功をもたらした欧州のコンパクトシティを参考にすると良いだろう。都市計画や都市交通の新たな潮流は日本やアジア発のものは殆どなく、欧州発のものが非常に多い。


画像7 MICE施設の有力候補地と考える中央公園広場(画像左半分の長方形の部分) 都市公園法の制約をどうクリアするのかが山となる(画像 ひろたびより)

 話を戻す。展示施設については、かねてからブログ主が提案している中央公園広場もしくは、今年に入り再開発計画が急浮上した市営基町駐車・駐輪場辺りが妥当だと考える。この地であれば近年の潮流でもある都心型コンパクトMICE(マイス)の流れにも沿う形になる。公共交通の利便性も高い。ブログ主の妄想を含め、簡単な提案をしてみたい。


5 市営基町駐車・駐輪場一帯再開発計画
 場所:市営基町駐車・駐輪場(敷地面積約4,200平方㍍) 旧朝日会館跡地 中電基町ビル 
 再開発面積 6,500~7,000平方㍍(?)
 
旧朝日会館跡地:A棟-業務系テナントビル 15階建て(3~4階は広島メッセ)
 市営基町駐車・駐輪場:B棟-外資系ホテル 40階建て 客室300~400室程度
 中電基町ビル     Ⅽ棟-広島商工会議所・業務テナントビル 30階建て
            (1階 観光インホメーションセンター 3~4階 広島メッセ
             5~20階 業務テナントビル 20~30階 広島商工会議所)
 広島メッセ(展示場)の概要
 A~C棟の3~4階部分を人工基盤で各ビル間を連結させ、広島メッセ(展示場)として合計9,
 500平方㍍の展示場として整備
 3階-展示面積6,000平方㍍規模の大展示場 
 4階-展示面積500、1,000、2,000平方㍍の中小3展示場と小会議室を併設 
 展示施設ごとの個別ネーミングライツ(命名権)と指定管理者制度を導入

6 中央公園自由・芝生広場でのスタジアム複合施設
 複合施設の展示施設のみ説明
 場所:中央公園芝生広場
 1階-展示面積9,000平方㍍規模の大展示場
 2階-展示面積
500、1,000、2,000平方㍍の中小3展示場と小会議室を併設
 
展示施設ごとの個別ネーミングライツ(命名権)と指定管理者制度を導入

市営基町駐車・駐輪場一帯再開発予定地だと場所の関係で、1階部分に展示施設が設定しずらく、敷地の制約からサイズが小さくなる。中央公園広場の複合施設として建設する場合は、敷地の制約こそないが都市公園法の高い壁が立ちはだかる。どちらも一長一短だが、都心部地区立地の魅力は捨てがたい。スタジアム複合施設として実現を目指す場合、デザインと言うか形状は歪(いびつ)にはなるが、単体施設形状でその中で展示施設を併設するなど、都市公園法の隙間を突く発想が必要になる。施設名義はあくまでも球技場とする。参考は同公園内の広島グリーンアリーナの中アリーナになる。広島市以外のMICE強化に認定された都市は、かっての運輸省のメッセ・コンベンションシティ構想の中で国際会議場や大規模展示施設を建設した。広島市は、国際会議場こそ建設したが大規模展示場は社会情勢の変化で流され建設期を失ってきた。初動で大きく後れを取ったが、逆転の発想で捉えれば現在の時代に沿ったものを建設できる素地が残った。ポジティブに捉えるとこうなる。展示施設を都心部地区に建設した場合、出島地区のメッセ用地(8.0㌶)が宙に浮くが売却するなり、中央公園の老朽公共施設の統廃合論議で移転が検討されているファミリープールの移転候補地として残すのも悪くない。広島市も縮小社会(大幅人口減+超高齢化)が本格化する30年代以降、将来性がない内需よりも外需-伸長著しいアジア経済を上手く取り込まないと埋没する。その意味合いでは、カープなどのスポーツコンテンツは国内向けかつ地域限定で、伸びしろはほぼないに等しい。需要の観点では、やり方次第で伸びしろが大きい都市観光(インバウンド中心)、MICE(マイス)に軸足を移すのは必然だろう。閉鎖的な思考で、自分の巣に閉じこもりひと時の安寧を貪るようでは、明るい未来はない。今や地方最強都市に躍進した福岡市など羨ましいほどの立地の良さもあるが、日本全体が失われた20年で失速している間も東アジアの経済発展を外需として上手く取り込み、大きな成長を遂げた。広島市は幸い西日本に属し、アジア各国との距離も近い。東京23区を除く東日本の大都市よりもその点有利だ。展示場などのハコモノ整備も必要だが、それ以上にソフト面の整備が欠かせない。大規模な展示会、イベントの誘致活動、広島市を売り込むセールス活動などだ。中国新聞記事の中で、経済度友会視察メンバーの方々はメッセ施設の規模や見本市などに度肝を抜かれた様子が掲載されている。それよりも誘致組織などに着目し運営組織をむしろ参考にすべきではなかろうか?ハコモノなど土地と金さえれば、いつでつくれる。組織と人材は短期間ではつくれないと思うのだが・・・。かの戦国武将の武田信玄は『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』と言ったとか。いい得て妙と思う次第だ。


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シリーズ記事 都心部地区活性化 他都市先進事例

【考察その34】
熊本城の眺望景観 視点場~近景~中景~遠景
都市景観は次世代に渡す市民の共有財産


画像1 16年4月の熊本地震で
全域的に甚大な被害を受け、21年の復旧完了を目指し工事が進む天守閣(画像 アンドビルド広島より)


画像2 熊本市の目抜き通りの『通町筋』から望む熊本城
(画像 アンドビルド広島より)

 言葉の説明から入る。
眺望景観とは、ある視点場(景観を見る地点、展望台など)から視対象(眺められる対象物、山や海など)を眺望したとき視覚で捉えられる景観をいう。 通常はかなり広い範囲が眺望の対象で、遠景(遠くに見える景観)、中景(遠景と近景の中間に位置する景観)、近景(視点場の近くに見られる景観)から構成される。都市景観に関して日本とは比較にならないほど厳しい欧州の都市では、古くから着目され数多くの都市で、眺望景観保全を目的とした景観計画が導入されてきた。日本の都市では、都市景観の概念は経済成長優先のまちづくりの中で後回しにされがちで、高度成長期では歴史的な環境が消滅の危機に瀕したり、良好な景観が阻害された。京都市などの一部の自治体などでは、条例などで一定の規制を課したりしたが国の動きは鈍かった。欧米先進国からは良好な景観や環境を求めるよりも、経済性が優先され、どのような形態の建築物でも建てることができる『建築自由の国』『エコノミックアニマルの自由なまちづくり』と揶揄された。80年代頃から日本でも都市景観の重要性が再認識され始め、多くの自治体では景観条例などが定められたが、法的拘束力はなく任意の努力目標だった。欧州に旅行などで訪れた経験がある方はお分かりだと思うが、無駄な広告物がなく建物の高さやデザイン、色合いなども厳しく規制され整然とした欧州都市の都心部地区に比べ日本の都市の都心部地区は景観に関してはカオスそのもので、チンドン屋のようだ(笑)。『日本の都市は美しい』とよく外国人観光客に褒められるが、これは都市景観を指すのではなく、衛生状態などを指してのことだ。欧州都市は美しい街並みと反比例して、衛生状態はそこまでよくない。遅れに遅れていた都市景観行政も04年、『景観法』(国土交通省HP)がようやく制定され国家レベルで本腰を入れ始めた。国が大きな方を定めると地方自治体が右に倣うのは世の常で、先に説明した眺望景観条例を定める自治体が数多く現れた。 ~眺望景観条例制定の自治体~(名古屋市HP) その中に今回紹介する熊本市がある。


画像3 熊本城周辺地域の景観形成基準(重点地域) 約550㌶の範囲図(画像 熊本市HP)

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画像4(左) 拡大図 視点場①(上記画像3参照)『通町筋』から望む熊本城
画像5(右) 
拡大図 視点場①(上記画像3参照)『シンボルロード』から望む熊本城


画像6 
視点場①(上記画像3参照)本妙寺の加藤清正像から望む熊本城(画像4~6熊本市HPより)

 熊本市は、熊本城周辺地域に、都市のランドマークとしての熊本城への眺望、熊本城からの眺望、市街地 と熊本城との間のゆとりある眺望を保全するため、熊本城を望む視点場及び天守閣からの眺望に配慮した景観形成基準を定めている。その基準の概要は以下の通りとなる。

景観形成基準 (熊本城については適用から除外)
◇高さ・位置
 ・建築物等の位置を道路境界から後退させること等によって、可能な限り熊本城の石垣と緑への
  眺望、ゆとりある歩行者空間の確保に努めること
 ・建築物等の高さは、ランドマークとしての熊本城への眺望及び熊本 城天守閣からの眺望を保全
  するために、以下のとおりとする。 ただし、熊本城特別地区を除き、都市計画法に基づく高度
  利用地区等に指定予定の区域内の建築物等は、市長が熊本市景観審議会の意見を聴き良好な景
  観形成に支障がないと認めた範囲内において、 景観形成基準に定められた高さを超えることが
  できる。
 〈熊本城特別地区〉  海抜 50㍍(熊本城本丸の石垣の高さ)を超えないこと
 〈京町台地地区〉  海抜 53㍍を超えないこと
 〈一般地区〉海抜55㍍(緑のライン※1)を超えないこと
◇形態
 ・建築物等は、地域の雰囲気を損なわない、全体を統一感のある形態意匠となるように配慮する
  こと。
 ・周囲の街並みや山並みに調和するスカイライン※2の形成、屋外に設 置される設備類の建築物
  全体との一体化等により、天守閣からの眺望に配慮したデザインとすること。
◇屋外広告物の表示、 設置、変更又は改造
 ・煙突状の屋上広告は、掲出しない。
 ・建築物本体と一体的なデザインとし、建築物のデザインや規模との 調和に配慮する
 〈熊本城特別地区〉
  ・屋上広告は、掲出しないこと  ・屋外広告物の基調色は、高彩度とならないように努め ・
   屋外広告物の照明は、熊本城の夜間景観に配慮して、過度な明るさ及び派手な色彩とならな
   いように努める
 〈京町台地地区 〉・屋上広告の高さは、海抜 63㍍を超えないこと
 〈一般地区〉・屋上広告の高さは、海抜 55㍍を超えないこと ・シンボルロードからの熊本城
        天守閣への良好な眺望を守るために、 突出広告の掲出はしないように努めること
◇色彩・材料  熊本市景観計画序章~(熊本市HP)P41~42を参照

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画像7(左) 拡大図 視点場③『長塀通り』から望む熊本城
画像8(右) 
拡大図 視点場③熊本市役所から望む熊本城(画像7~8 熊本市HPより)

 この法律は、10年1月から施行されたものだが、計画区域内で建物を建築する場合、『①事前相談⇒②届出⇒③
熊本市景観審議会の適合チェック⇒④適合=適合の通知(着手制限の解除) ④不適合⇒助言、勧告、公表⇒⑤変更命令⇒⑥計画変更⇒③に戻る』の流れになる。参考にした資料では、具体的な罰則規定などは見つからなかったが、審議会を通すことで従来のものよりは厳しく熊本市の本気度が伺える。この法律は、熊本城を市民のアイデンティティーと捉え、熊本城とそれを望む眺望景観が市民の共有財産と位置づけ次世代に受け継がせることを目的としている。ブログ主の個人的には、『都市のラウンドマーク的な建物及び周辺の都市景観>>>>経済優先のまちづくり』と考える。>の数は個人差があるとは思うが、成熟社会に入った日本ではこの考えを支持する人は多いだろう。都市景観は一度失われると、二度と戻ってこないとまで言い張るつもりはないが、取り戻すのに当方もない労力を要する。無粋な高層ビルや都心部地区の都市高速道路の高架道路などがそれに該当する。東京のど真ん中にある日本橋(かっての五街道の出発点)上空の首都高速道路などがその最たる例だ。馬車馬のように突き進んだ高度成長期であればまだしも、低成長の縮小社会に入りつつある今日、成熟国家としてこうした都市景観も都市インフラの一つとして捉え、尊重するべきではなかろうか?よって、熊本市の熊本城周辺地区の景観への配慮は好ましいものに映る次第だ。

【考察その35】
原爆ドーム周辺の眺望
景観について 
国際観光都市を標榜する上で絶対に必要

http://livedoor.blogimg.jp/zono421128/imgs/6/e/6e1e5cc1.png
画像9(左) 世界遺産の原爆ドーム周辺のバッファーゾーン(建物高さ制限)図
画像10(右) 拡大図 平和記念資料館と原爆死没者慰霊碑を視点場とした視野角18度の眺望景観範囲(オレンジ色部分) 画像9~10と共に広島市HPより

 次は広島市の話に移したい。熊本市の熊本城に相当するのが広島市の場合、世界遺産の原爆ドームになる。96年に世界遺産に登録され原爆ドームと平和記念公園の周辺50mは、世界遺産を保全するためにバッファーゾーン(緩衝地帯)に指定された。法的な拘束力もなくこの当時は周囲の建物の他Kさ制限を盛り込まなかった。これが後年、災いとなりとある問題を招き寄せた。05年、その
バッファーゾーン内の中区大手町4丁目で、原爆ドームの高さ(25㍍程度)を超える高さのマンション建設計画が具体化した。原爆ドーム(高さ約25㍍)を見下ろす建物はふさわしくないとして、『世界遺産『原爆ドーム』の景観を守る会』や『日本イコモス国内委員会』が工事中止や計画の見直すよう業者に求めるとともに、広島市長に原爆ドームの景観を守るように要請した。06年11月、イコモス(国際記念物遺跡会議)が、『原爆ドームに関する勧告を採択し、世界遺産を保護するために、高さ制限を含む拘束力のある規制が必要であるとの見解を示す。広島市もこれに呼応して、四段階の高さ制限を盛り込んだ法的な拘束力を持った新たな法案『原爆ドーム及び平和記念公園周辺地区景観計画(素案)』を策定した。しかし、この法に該当する地権者が猛反発。『バッファーゾーンを考える住民の会』を結成。08年に、景観計画(素案)の白紙撤回を求める公開質問状を市に提出。09年には議論不十分のまま採択されるのは不当として、広島市議会に計画の白紙撤回を求める請願書を提出して、採択された。その後、イコモス(国際記念物遺跡会議)のグスタボ・アローズ会長が現地を視察。高さの法的規制の必要性を広島市に強く要請した。地域利益と広域利益が真っ向から対立したまま、10年12月に法規制の議論は一旦は棚上げした。

 12年2月頃から議論を再開し、17年から『
広島市景観審議会眺望景観検討部会』を設け、原爆ドームの眺望景観-バッフアーゾーンの法的高さ規制-をも視野に入れた規制を検討を開始した。現在の議論の進行状況は、次のリンクを参考にして頂きたい。 ~原爆ドーム及び平和記念公園周辺の眺望景観のあり方について(答申(素案))~(広島市HP) 上記画像9は原爆ドームのバッファーゾーン図。同10は視点場を平和記念資料館と原爆死没者慰霊碑をした場合の眺望景観の規制範囲を示している。同11~13は、現在の平和記念資料館本館下からの視野角18度の眺望景観図と広島商工会議所ビルがなくなった場合、建物が全てなくなった場合のシュミレーション図だ。目障りかつ見ていて軽くストレスを覚える景観から、すっきりとした都市景観になるのがよくお分かりだろう。 

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画像11 現在の平和記念資料館本館下からの
視野角18度の眺望景観図(画像 広島市HPより) 

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画像12 画像11から広島商工会議所ビルを除外したシュミレーション図(画像 広島市HPより)

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画像13 画像11より全ての建物を除外したシュミレーション図(画像 広島市HPより)

【考察その36】
なぜ、この方向が重要なのか?

結局は丹下構想に行き着く


画像14 広島市の都市計画の生命線となる南北・東西軸線(画像 広島市HPより)

 この法的規制の批判の主だったものに、『なぜ、東西方向はうるさいことは言わないのに南北方向だけ‥
‥』がある。ブログ主の推測の範囲となるのだが、広島のまちづくりの憲法にも匹敵する故丹下健三氏の広島平和都市建設構想』(広島市HP)で示された南北方向-平和記念公園と中央公園の軸線を一にした一体化-が根底にあることと、都心部地区立地で開発圧力が強いことを鑑みると民有地が多い東西方向に厳しい規制を加えるのは現実ではないとの判断があるのではなかろうか? 余談だが、この南北軸線上に、完全に抵触する旧市民球場跡地に巨大造形物のスタジアム建設に消極的な市の姿勢も分かろうと言うものだ。ブログ主も他の多くの理由を含め、この地にはスタジアムは難しいと考える。スタジアム第一を起点にした目線で広島のまちづくりを考えると正解かも知れないが、スタジアムも広島の都市問題の一つに過ぎないという全体な目線で俯瞰すると、‥‥である。スタジアム問題でオバマ前大統領の訪問後の16年頃から、跡地スタジアム案に否定的な見解-『狭隘な敷地』『オバマ大統領訪問で重要性が増した』-を時折アナウンスし始めたのは、都合の良い大義名分を得て跡地スタジアム案の外堀と内堀を埋める作業の一環だろう。市の本音は南北軸線に抵触する建物は今更造りたくない、である。これは今に始まったことではなく、旧市民球場建て替え論議でも、旧貨物ヤード跡地の金利軽減期間が過ぎていたことも手伝い、広島カープにあの場所を押しつけた事でも読み取れる。結果は案に相違して思わぬ大成功となったが・・・。

 細かな方法論では異論は少しあるが、市の方向性には基本的には賛成する。広島商工会議所ビルの移転建て替えが、市営基町駐車・駐輪場一帯再開発予定地で具体化している。広島商工会議所ビル移転後は上記画像11から上記画像12への眺望景観になる。まだPL教団ビルと護国神社駐車場ビルが残るからだ。民間所有の土地なので、広域的な公的利益を楯に取り息の長い立ち退き交渉をするしかない。仮に全ての建物を
視野角18度の眺望景観範囲から消した場合、上記画像14の通りとなるらしい。それまではかなりの時間を要することもあり、植栽にて景観上、要らざる建物を覆い隠す方法も考えられている。こうした平和色を前面に打ちだすことへのアレルギー反応は一部の人たちにはあるようだが、平和色を打ち出したまちづくりは、都市経済への寄与度も大きい。縮小社会(超高齢化+大幅人口減)への道を辿りつつある現状を鑑みると、外需(都市観光とMICE)の取り込みが都市間競争の生き残りの唯一無二の戦略となる中、他都市が持ちえない武器を持つことは非常に意義がある。逆に言えば平和色が皆無な広島市は中にいる市民目線だと、アピールするものは多いかも知れないが外から目線だと、個性がない一地方都市に過ぎないと知るべきだろう。その観点に立つと平和記念資料館本館下からの視野角18度の眺望景観は世界遺産の原爆ドームの本体同様に、価値があるものとして位置づけるのも頷ける。

 経済性を無視したまちづくりは資本主義に反するもので活性化要素を排除してしまう、との意見はあえて無視させてもらう。市場経済を最優先させた都市計画のなれの果てが、モーターリゼーションに迎合した都市建設となり、拡大都市-都市のスプロール化-に拍車をかけて深刻な都市問題に発展し、
縮小社会ではコストがかかる不効率な都市運営を強いられることを見れば、既に結果は出ている。その発想自体が、高度成長・安定成長期の古く陳腐化したものだ。眺望景観に絞り話せば、都市景観を無視した再開発や跡地利用による高層ビル建設がそれに該当する。広島市の原爆ドームの眺望景観計画の少し残念な点は、視点場を平和記念資料館本館下だけに設定している点だ。熊本城のそれは視点場を複数設定して、ありとあらゆる角度からの眺望景観に配慮した景観計画を策定している。主要な建物が丘陵地にある利点もあるので、さすがに原爆ドームにこの手法を用いることは難しい先進的な印象を持った。正式な跡地利用も含め、南北軸の理想的な眺望景観を早期に実現してほしいものだ。

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前回記事 封入体筋炎の現状
カテゴリー記事 闘病記 近況について色々と

3 封入体筋炎の現状 その3
発症後半期を迎えるに当たり新たな目標が


画像1 毎度おなじみの広島大学病院診療棟の様子(画像 ブログ主撮影)

 封入体筋炎(難病情報センター)も含めたミオパチー系疾患-筋肉に何らかの問題があり大きな筋萎縮を引き起こす疾患の総称-の治療の肝は、寝たきりになるまでの時間をどれだけ引き延ばせるのか?である。完治や進行を完全に押しとどめる術は確立されていないが、副腎皮質ステロイドによる治療が多少有効な疾患もあり、リハビリ治療などとの組み合わせで進行を遅らせることに全力を尽くす。封入体筋炎に関して言えば、
副腎皮質ステロイドはほぼ効果がなくあっても一時的なもので、血液製剤の免疫グロブリン大量投与も嚥下障害改善に効果がある報告もあるが、他の部位への効果はあまり見られない。あくまでも一般論だが、封入体筋炎の進行は他の筋ジストロフィーなどよりもかなり早いと言われる。発症年齢(平均64.4歳)によるが、40代の若年発症だと少し遅めと言われる。以前、こんなことがあった。障害者能力開発校時代(12年)、同じクラスに先天性の筋ジストロフィー(タイプ不明)患者の若い男の子がいたが、他クラスにも一人いた。彼は車いすではなく杖歩行だった。当時の比較で言えば私の方が歩行も安定し、速度も早かった。昨年(17年)、偶然その彼とアルパークで再会したが、憎たらしいことに(笑)、然程進行した様子は見られず、そこまで障害者然としておらず私の方がヨロヨロの『ミスター障害者』(笑)に。5年の月日と共に、筋ジストロフィーと封入体筋の進行速度の差をまざまざと見せつけられた格好となった。本音を言うと羨ましかった。愚劣な感情とは分かっていても、こればかりは簡単に処理できなかった。本人には笑顔で『良かったね』とは言ったが、内心『同じ筋疾患なのに・・・』との複雑な思いが全身を支配した。

画像2 筋疾患は寝たきりになるのをどれだけ遅らせるのか?これが肝になる(画像 
かわいいフリー素材集いらすとやより) 

 ブログ主の闘病生活のテーマは、進行ステージ関係なく『ストップ・ザ・寝たきり』と位置付けている。ぶっちゃけ、寝たきりになると死へのカウントダウンが始まったのと同義で、この最終段階に入ると手の施しようがない。寝たきりになって何年もつのか、定かではないが5年はどう考えても無理だろう(と思う)。ブログ主が石にかじりついても二足歩行に、執着するのはこれがあるからだ。自力二足歩行を放棄すると、廃用性症候群による筋委縮が加速するのでは?と恐れている。寝たきりへ近づくことでもあるので、絶対に回避したいのだ。病歴10年の経験で言うと封入体筋炎の筋緊縮は、疾患本来のものとその進行に引きずられて活動量低下で誘引する廃用性症候群によるものの二通りある。
 ~廃用性症候群~(健康長寿ネット) ブログ主が良くもない頭をひねりにひねって、足掻いているのは廃用性症候群による筋萎縮の防止だ。疾患本来の方は、どうしようもない。存在しない神に治療薬開発を祈るしかない。一見、感情的思考にも思えるが論理的な思考で導くとそうなる。10月の定期受診で担当医にからかい半分で、自身の余命を聞いた。本来であれば、分かってはいても患者自身も触れたくない話題だが、逃げてはいけない重要な問題だ。扶養家族もいるのでその責任もある。生命予後は残念(?)ながら、無回答だったが寝たきりまでの予測は答えてくれた。担当医曰く、7~12年だった。最短で7年。進行をあらゆる手段を講じて遅らせることで12年ぐらいは可能の意味だ。封入体筋炎の通常の進行速度では、発症後10~15年で寝たきりとも言われる。ブログ主の場合、担当医の説だと発症18~23年で寝たきりになる計算だ。手前味噌で恐縮だが、随分と進行が遅い。若年(40.5歳)発症も理由として大きいが、ブログ主の日々の過ごし方も同じぐらい大きいと自負している。これは今後も継続する必要がある。ブログ主の闘病生活は間違っていなかったのである(と思いたい)。結果が証明して余りある。

 散々、ブログ記事で広島の都市問題のことを書いていながら、ネット内の戯言と断じるのは、日々『命とは何ぞや』の闘いをしていると感覚が麻痺して、然したる問題に感じなくなる。心のどこかに『命まで取られる訳ではないので大したことはないだろ?』がついよぎるのだ。別問題なのは百も承知で本気でそう思っている。あちらは脳を動かす筋肉のリハビリ要素もあるのだが・・・。真剣に考えている人たちには大変申し訳ないと思うが、本気でそう思う。所詮はくだらない暇人の言葉遊びの世界だ。

4 封入体筋炎の現状 その4
闘病生活後半期を迎えるにあたり


画像3 筋ジストロフィーデュシェンヌ型の進行レベルの障害分類 拡大図 封入体筋炎と進行状況が似ているので参考として用いる。画像 『国試塾リハビリアカデミー』中島塾長ブログより

 話を戻す。寝たきりまでの時間が、7~12年とのお墨付きをもらったことで『この年数+@』をどうすれば実現可能なのか?この一点だけに絞り思考を巡らせばいいと考える。理想とする10~15年にまで引き延ばすためには、何が必要なのかを徹底的に考えることだ。ここまで限られた条件下では、少ない選択肢となるがまあ手段は皆無ではない。何かしらの光明を見出すとすればここの部分だけだ。具体的には廃用性症候群による筋委縮をどう防ぐのかになる。現在の自身の身体能力+10~15%の活動量を意識する。例えば、立ちあがり回数、
立ち姿勢時間を1.5倍にするとか、室内で移動する際には手すりと壁を極力使わないように心掛ける。使う場合でも、支える力は最小限度に抑え軽く添える程度にして下肢の負荷をかけるようにする。仕事中の着席時でも、両足を絶えず動かしたり、上肢の簡単なストレッチなど合間を見つけ行うなどいくらでもやりようはある。日常のほんの些細なことだが、積もり積もれば馬鹿にならない。注意したいのは、冬場の11~3月の過ごし方だ。この時期は本当に寒い(笑)。元々、活動量低下によって血流が悪くなり体温(特に下肢)が下がり、筋肉の働きが怖ろしく鈍る。この事はどうしても強く意識するので、活動量の低下に直結する。そして廃用性症候群の筋委縮を結果的に招き寄せる。悪循環と言うか負のスパイラル曲線まっしぐらとなり強い意志を以てしても改善は困難だ。特に発症中盤期の後半以降、冬場対策に頭を悩ませている。昨、一昨年シーズンに嫌と言うほど経験した。メンタルまで負のスパイラルに入ると活動意欲そのものが削られる。このメンタルダメージは身体のダメージ以上にその意味合いでは深刻だ。闘う意欲が失せるのだから。昨年の11月に自宅マンション駐車場で尻もち転倒をして腰に深いダメージを追った。その後腰は回復したが、以前ほど二足歩行が出来なくなり、困りに困った。幸い、春先以降不屈の精神力で転倒前の状況にまで無理やり押し戻し事なきを得たが、1年前と比較するとやはり少しだけ筋委縮が進んだ。春~夏~秋口は大幅な進行があまりないので、冬場の筋硬直対策が最大の難関になると予測する。

画像4 寒さに耐えるサラリーマン男性(
画像 かわいいフリー素材集いらすとやより) 

 対策と言っても室内を常温20℃以上に保ち、寒さに触れる環境を潰すしかない。ここ数年、色々と考え試したがこの結論に至った。ポジティブ要因も少ないが実はある。今年の4月にブログ主は長年の念願だった禁煙に成功した。タバコはベランダで吸っていたので外気に触れる機会が多かった。禁煙したことでこれがなくなり、外気の寒さに触れる機会は激減する。寒気による筋硬直は寒気に触れると数分でも起き、回復するまでに30分ぐらい要する。仕事以外の時間では1時間半に一度喫煙していたので、これがない今シーズンはプラスに影響するのかを注目している。四肢の能力低下もさることながら腰抜け現象が昨シーズン辺りから顕著になり始めていたので、11月以降は予断を許さない。寒気が完全に去る4月以降、ある程度は戻るには戻るが、100%ではない。落ちたままそのまま戻らずとてあり得る。過去の教訓を生かし、この時期の廃用性症候群による筋委縮を押さえるのか?これが
『寝たきり引き延ばし+5年』達成の肝になるかも知れない。暇なのでこんなシュミレーションをしてみた。仮に寝たきりが、計画通りMAXで15年後だとする。寝たきり後3年で死ぬとすると封入体筋炎を発症して29年の生命予後となる。その時のブログ主の年齢は70歳前後。その時点の男性の平均寿命は定かでないが、現在80歳ぐらいなので短いが、状況を考えると上出来かも知れない。膨大な預貯金、手持ちの不動産管理などの終活は既に終わっている。闘病生活に関しては、手持無沙汰になっているところだった。必達目標を掲げ、そのために必要な努力が大好きなブログ主にはうってつけの暇つぶしでもある。命を懸けた遊びでもあるのでモチベーションは否が応でも上がる。何も考えず、流されるままに身を任せるだけでは、今一つ納得できないし癪に障る。出来る範囲で足掻くだけ足掻いてやろうという気持ちも当然ある。確かに結果は分かっているし、努力が報われる可能性は極めて低い。過去の患者の多くが経てきた道をブログ主も寸分違わずに進んでいることも知っている。それでも、無駄を承知で頑張る姿を家族-特に息子に見せる意義は果てしなく大きい。人としての誇りとこの姿こそ、不動産資産や金融資産に勝るものではないかと思ったりする。その最後を迎える時に悔いを残さないことと、死後も人の記憶の中で生きること(になるように頑張る)が闘病生活の真の目的だと考えている。


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