封入体筋炎患者闘病記

 封入体筋炎患者のヒロです。病歴は2020年で満12年、13年目に入りました。在宅勤務の仕事とリハビリの日々を送り、細やかながらも家族3人で暮らしています。ブログ記事は闘病記と広島地元ネタ、社会保障などの時事ネタ中心です。希少疾患の封入体筋炎の周知が目的です。関心があれば、ツイッターなどでご紹介していただければ幸いです。疾患関係で直コメントが苦手の方は、ツイッターのダイレクトメールを利用してください。封入体筋炎の闘病史は各進行段階の症状や生活障害、必要な社会保障制度等をまとめています。良ければ参考にしてください。最新の封入体筋炎の状況は『近況について色々と』、取り組んでいるリハビリについては『2019年春~夏 筋疾患(封入体筋炎)リハビリ』にて素人の体感目線で書いています。モバイル版で読みにくい場合は、PC版に転換してからお読みください。

 封入体筋炎の周知と脳の筋委縮予防、そして適度な闘病生活のガス抜き目的でこのブログを書いています。疾患関係の記事は、同病、他の筋疾患患者の方、ご家族、友人が苦しんでいる方の参考にでもなれば幸いです。些細な生活の様子や疾患の情報などのコメントをお待ちしております。他の傷病で障害をお持ちの方なども歓迎です。広島都市ネタは、完全な暇潰しです。基本的にはどうでもいいです。そのどうでもいい事に、熱くなる方が居て荒らされるのでコメント不可にしています。ご了承下さい。リンクページに、広島市政へのご意見フォームを貼り付けています。そちらでどうぞ。悪意目的のリンク貼りはお断りします。その時々の気分で、記事内容に偏りが出ます。大目に見てください(笑)最近、自分語り記事が増えています。哀れな障害者の泣き言だと思い、寛容な心でお読みください(笑)

カテゴリー記事 時事考察 その他

【考察その1】

木村花さんの死に見るネット世界の問題


動画1 『ネットで標的に』木村花さんの死亡 海外メディアも次々報道

 女子プロレス団体スターダム所属の木村花さん(享年22)が23日に死去した。木村さんは、19年9月からネットフリックスで配信され、フジテレビでも放送中の人気恋愛リアリティー番組『テラスハウス』に出演。番組内の言動に関して、SNSで誹謗(ひぼう)中傷を受けていた。5月23日未明、連絡が取れないことを不審に思った母の響子さんが江東区の自宅を訪ねたところ、心肺停止の状態で倒れているのを発見。午前3時過ぎに救急搬送されたが、死亡が確認された。近所の人の話から朝4時頃に硫化水素の発生で、消防車4台が駆けつけ、救急車に搬送されたということがあり、警視庁城東署も取材に対して硫化水素が発生し、死者が出たという事案の取り扱いはあったことを認めたことから自殺を図ったと見られている。以前からテラスハウス出演時の言動などをめぐり、SNSサイト上で誹謗中傷を受けていたとされており、またプロレス関係者によると最近では精神状態が不安定でリストカットを繰り返していたとされ、自身のインスタグラムに『愛されたかった人生でした』の言葉とともにリストカットした血だらけの腕の写真も添えていたこともあったらしい。22歳という若さで死の選択をした背景を考えると、痛ましい事件だ。リストカットを食い返していた証言もあることから、精神的に相当追い込まれたことが伺える。よく『有名税みたいなものだから、テレビなどに出演している芸能人は(誹謗中傷も含めて)、批評と批判を受け入れる義務がある』と言われがちだ。出演した映画やドラマのそれは作品に関わった立場からそうかも知れないが、それを超えた誹謗中傷や芸能活動とは無関係のものに対してのそれについては、違う。新型コロナウイルス禍もあり、昨今芸能人の政治的な発言が目立っている。自粛要請により、芸能活動がほぼ制限され不満の矛先はどうしても政権、与党に向かいがちだ。誰の責任でもないが、これは致し方がないことだ。その姿勢をいちいち捉え、誹謗中傷を受けている姿を見て、日本人の民度の低さを改めて感じた。


画像1 現代日本の所得による身分階級らしい(笑)。日本の社会制度であれば努力次第で4までなら、上がれると思うのだが・・・。ブログ主は合わせ技で辛うじて4。ただ年収1,000万円で富裕層は違うと思う(画像 『ブログ部』より)

 勘違いしてほしくないのは、公職の立場にある人間が納税者&有権者である国民各位から批評と批判されるのはある意味、当然のことで批評と批判が全くない方がその国の民主主義の成熟の観点から不健全と言わざる負えない。ただこれはあくまでも公職にある立場の人間への話であって、民間人の場合はその限りではない。芸能人とて、仕事を離れれば一個人に過ぎず、それぞれの立場から様々な考えがあって当然だと思う。自分と異なる考えであっても、意外に思ったとしても『この人はこんな考えなんだ』ぐらいの受け止めが真っ当な人間の反応だ。それを悪し様に意味不明な上から目線で誹謗中傷するのは、大きな違和感しか残らない。そのような現象になっているのは、ネット世界の匿名性のバリアがあるからだが、根底に成功者に対しての羨望の感情を拗らせた妬みと嫉みなどが絶対にあるだろう。ネット住民(ネットハードユーザー)達は得てして、その傾向が強く自身を下級国(市)民になぞえ、成功者を上級国(市)民のレッテルを貼り攻撃対象にする。どうしたら少しでも近づけるのか?彼らがいう級国(市)民は難しいとしても、中級国(市)民ぐらいにはなりたいとか思わないのが不思議だ。話を戻すと匿名アカウントで、実名アカウントの持ち主にならず者の如く誹謗と中傷を繰り返すメンタルも考えようによっては凄い、と悪い意味で感心する。匿名アカウント同士であれば、賛同はしないが理解の余地が僅かにあるが、普通は実名アカウントの人にそこまで踏み込んだ発言は出来ないものだ。何かがきっかけでその辺の感覚がマヒしたのだろうか?逃げることや同じ温度で議論が出来ない立場の人たちに、アカウント削除ですぐ逃げれる人たちが言いたい放題のネット環境は関係性において対等とは言い難いと思う。

【考察その2】
批評・批判と誹謗中傷の相違点

ネット内の発言にIPアドレス&マイナンバー表記の義務化を


画像 ネットの書き込みで誹謗中傷され、頭を抱える男性(画像 『かわいいフリー素材集いらすとやより』より)

 ネット内世論を俯瞰すると、愚にもつかない意見が我が物顔で横行している。ネットハードユーザーの所属階層が最大の要因だと思われるが(これ以上はさすがに書けない)、大人になり切れていない子どもじみた感情論や、耳障りだけが良く大きく偏った極論、短絡的な正義と悪設定の二元論などがそうである。このフィルターを通して導かれた意見や主張なので、聞くに値しないものが本当に多い。『表(新聞、テレビなど)のメディアが決して報道しない真実がネットの中には存在する』などと勇ましく大言壮語する勘違いの輩もいるが、ネットの情報の殆どがその表からの漏れ伝わるものである。ネット特有の匿名性のバリアと参加自由のルールが無法状態にしている。取捨選択技術がなければ、氾濫する情報に溺れる危うさがある。名もなき一般人が、その気さえあれば有名人に物申せる時代になるとはすごい時代になったものだ。ただそれが今回、マイナスの方向に働き不幸な事件となった。批評・批判と誹謗中傷、一見似ているが似て非なるものだ。ブログ主なりの個人的見解を言わせてもらえば、批評・批判とは自身とは異なる意見や主張の人たちに、異なる意見をぶつけ、その論拠を分かりやすく説明することを指す。相手の意見の論理的な矛盾などおかしな点があればそれも指摘する。忘れてはならないのが、相手の意見に対しての反論であって議題とは無関係の他のことには一切触れないこと。そして、言葉も極力選び、最低限のネットマナーやサイトルールに準ずること。相手の意見を全否定しないで、正しく理解し、そのうえで反論すること。いきなり威圧的、高圧的な態度に出ないこと。会話のキャッチボールに徹すること、などがそうである。一方の誹謗中傷とは、
ネットマナーやサイトルールに反した言葉で使うのも憚れるような文言を使って汚く罵ること。侮蔑を超え、差別的な言葉を投げかけること。意味不明な高圧的な態度で臨むこと。議題とは無関係なことを持ち出し、感情論剥き出しで言葉汚く罵る事、などが該当する。それを間接的にやんわりと制すると、逆ギレして『言論統制』を持ち出したり、論理的な反論さえも『侮辱罪』『名誉棄損罪』などの言葉を意味を深く理解もせず、水戸黄門の印籠のように振りかざす。この種に人間には、語弊はあるが説明は不要で係わりを持たないことが唯一の防御法になる。距離を置き、近寄らない。寄ってきたら、即ブロックが大人の対応だ。反論することは、檻の中の動物に大好物を与えるようなものだ。そんな冷めきった結論に至るまで色々とあった。


画像 心ない書き込みを見て涙を流す男性(画像 『かわいいフリー素材集いらすとやより』より)

 ネット歴約6年のブログ主の経験を元にしたネットトラブル防止策を提言したい。

ネット内で追い込まれないための心得
①SNSサイトの長所である双方向性を短所とも捉え、表現方法やネットマナーなどに留意する。ストレスの捌け口としてネットを活用した場合、強く鐘を叩けば応分の反作用が働く。匿名性のバリアを過信すると思わぬことに巻き込まれることも・・・。

②偏見の批判覚悟でいうが、多くの人たちが眉を顰めるような少数の特定趣味、政治思想が明らかに分かる
画像をアイコンとして使っているアカウントは地雷率が高い(何となくの心証)ので、関わる場合は要注意。アンチ気質が強いユーーザーの可能性が大。相手をよく見極めて判断すること。中には良識的な人もいる。要は割合の問題かも。

③政治的な思想や主張は極力避ける。左右関係なく、物申したいネットハードユーザーが手ぐすねを引いて待っている。絡まれた場合は、安っぽい挑発に乗らず、スルーもしくは即ブロック。絡めば絡むほど喜ばれるだけ。勘違いな勝利者の余韻に浸ってもらい、良い気持ちにさせてお引き取りを願うのが最善。

④『実社会の自分の周囲にはいない人間だから』とか『反応が面白くて笑える』的な安易な理由で、中途半端に絡まないこと。彼らの特性を観察すると、主張部分の論理的な反論でも存在の全否定と受け止め負のエネルギーを溜め込んで、メンタルを拗らせて常識ではあり得ない執着と粘着ぶりを発揮する。甘く考えると、手痛いしっぺ返しを食らう

⑤運悪く誹謗中傷された場合、自分だけで抱え込まず、周囲に相談する。警察への問い合わせも悪くない選択肢。相談の場合は、警察は動かないが被害を受けたSNSサイト、相手のアカウントのURL、IPアドレス
(グローバルIPアドレス)の情報を提供すれば、全国の警察組織に情報が共有される。被害届に切り替え、事件に発展するとサイト運営事業者に情報開示請求が可能になる。匿名性のバリアが剥がされるので問題解決につながりやすい。
 

⑥誹謗中傷をしてきたアカウントの通報なども有効な選択肢だが、アカウント削除されてもそのことを逆恨みして別アカウントを新たにつくり粘着、攻撃されることもある。そのSNSサイトからアカウントを削除して撤退する。実社会で例えると、凶器を持っている犯罪者がしつこく追いかけて来るのだ。逃げるのは人として当然だ。

 今回の事件を教訓とするならば、ネット特有の匿名性のバリアが最大の要因であることは明白。ネット内の発言に関しては、ハンドルネームの存在はいいとしても発言一切すべてにIPアドレス(グローバルIPアドレス)表記を法改正して義務付けることが求められる。個人情報保護法との関連が取り沙汰されそうだが、IPアドレスが一般人に知れても個人情報漏洩のリスクは全くない。刑事・民事の案件に発展しそうなトラブルが生じた場合、警察が介入しやすく問題解決の早道になる。それ以上に、匿名性のバリアを弱くすることの抑止効果が高い。もう一つは、アプリなどにユーザー登録する際に、マイナンバーの記入も義務化することだ。登録率が約15%と低いマイナンバー制度だが、さらに匿名性をバリアを薄めるには、IPアドレス表示も悪くはないが、マイナンバー表示をネット内の発言に義務化すれば今回のような悲劇は減るだろう。今回の新型コロナウイルス騒動で、特別定額給付金のオンライン申請でマイナンバーの記載が必須と分かり、取得率が向上している。ネット世界の活動に参加できなくなるとの危機感を煽れば、取得率も向上しネット内のトラブルも大幅に減るのではないだろうか?持つことのメリットを与えるよりは、持たないことのデメリットを与えたほうが取得率は爆上がりするだろう。現政権下でこの施策を推進すると、『監視社会の加速』などとひだりつばさ様から吊し上げを食らいそうだが、間違った言論の自由の拡大解釈の成れの果てが昨今のネット環境と思えば、批判は的外れだ。どう考えても現在のネット環境は異常である。今回の件が社会問題化して大きな議論となり、現在のネット環境が改善されれば木村花さんへの最大の手向けになるのは言うまでもない。もう一つ言いたいのが、アンチへの批判もさじ加減を誤ると、立場が入れ替わり被害者から下手をしたら加害者になる可能性があることだ。『木乃伊取りが木乃伊になる』の典型例だが、被害に遭ったからと言って過剰な正義感を振りかざすのも問題ありだ。SNSサイトを使う上で十分注意したい。面倒でストレスが溜まる時代になったものだ。

お手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村 
広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧  

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

前回記事 将来像が模索される広島城 その1

【考察その3】
集客施設として機能する金沢城公園



画像1 金沢城公園整備計画のあらまし(画像 『金沢城公園の整備について』より)


画像2(左) 三の丸から望む二の丸
画像3(右) 第1期整備で完成した菱櫓 (画像共に『ウィキペディア 金沢城』より)


画像4 在りし日の金沢城の縄張り絵図
(画像 『ウィキペディア 金沢城』より)

 広島城活用の参考になるのかは微妙だが、バブル経済崩壊後の96年から整備を始め都市の集客施設として機能している金沢城公園の事例を紹介する。金沢城の起源は、加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である『尾山御坊』が1546年設置された。80年に織田信長の家来の佐久間盛政が入城、土塁や堀を整備。その後、前田利家が入城し本格整備が始まった。金沢の名は
佐久間盛政の命名で、前田利家は不吉なものとして、尾山城と称したが普及せず金沢城と一般的に称することとなった。1583~1869年までの286年間、前田家14代の居城として加賀百万石の象徴だった。1871年、兵部省(翌年陸軍省に変わる)の管轄となり、75年陸軍歩兵第7連隊、98年には陸軍第9師団司令部がそれぞれ置かれた。これが太平洋戦争終了の1945年まで続く。戦後の49年新設された金沢大学の丸の内キャンパスが置かれた(下記画像5参照)。金沢城は典型的な平山城で、本丸、二の丸、三の丸、新丸、北の丸、玉泉院丸の曲輪があった(上記画像4参照)。1602年、落雷により天守閣を焼失後は再建されず、代用として三階櫓が建てられた。城の周囲には、大手堀、いもり堀、百間堀、白鳥堀が存在した。保存状態が良いのは大手堀のみで、他の3つの堀は明治時代末から大正時代にかけて埋め立てられ道路などになった。堀こそ殆ど埋め立てられたが、他の内郭の保存状態は割と良好で、城跡の規模は21.7㌶(公園としては28.5㌶)と広島城跡の11.8㌶よりもかなり大きい。これは広島城が小城だったわけではなく、縄張りが単純な平城で外、中堀が埋め立てられ、市街地化され実質本丸しか遺構物として残っていないのに対し、金沢城は平山城特有の複雑な縄張りで破壊しにくかった。明治以降、都市としての発展が広島市の方が著しかった点もあるかも知れない。ただそれがある意味、幸いに働くこととなる。
 


画像5(左) 78年頃の国立金沢大学丸の内キャンパスの様子(49~95年)
画像6(右) 現在の金沢城公園の様子(画像共に『金沢城公園の整備について』より)



動画1 金沢城PR映像『時を超えて金沢城』ショートバージョン

 金沢大学は金沢市郊外の角間地区に移転したが、この総合移転計画に合わせ、91年8月に設置した『金沢大学跡地等利用懇話会』で検討を重ね、93年3月に『公園的、文化的利用を基本とする』との提言を受け、金沢城の公園化に向けた動きが始まった。96年に石川県が、跡地を取得した。公園化の目的は、金沢城の貴重な歴史的文化遺産を後世に継承し、兼六園と並ぶ県都金沢のシンボル公園として、また、本県の歴史・文化・伝統を継承する『象徴』として、本県の豊かな文化土壌に一層の厚みを加えるとともに、県下の交流人口の拡大と都心地区の魅力向上を図ることである。整備方針として、国史跡として貴重な文化遺産と良好な緑を保全しながら、江戸後期の城郭の地割りを基に、史実を尊重して公園を整備。歴史的建造物の復元により、往時の城郭の雰囲気が感じられ、歴史を偲べる公園として整備するとした。整備は三段階に分けて実施することとなった。

金沢城公園の整備 
第1期(95~~2004年) 整備費約348億円(跡地取得費含む)
 菱櫓・橋爪門・橋爪門続櫓・五十間長屋、内堀も復元整備。01年金沢城公園と改称される


第2期(06~14年) 整備費約66億円
 期(06~09年):河北門、いもり堀の復元整備 
 後期(10~14年):
橋爪門、玉泉院丸跡の復元整備
 二の丸御殿の復元については、『絵図、文献資料の解読に一定期間が必要であり、現時点では
 復元は困難(要旨)』との考えから先送りとなった。06年に、 日本100名城に選定される
 。08年、金沢城跡として国の史跡に指定される。石川県と金沢市は、金沢城址を中心とする
『城下町金沢の文化遺産群と文化的景観』の世界遺産への登録を目指し、『世界遺産暫定一覧表』
 への記載を国に共同提案したが、継続審議が適当とされ追加記載には至らなかった

第3期(15~21年) 整備費不明
 前期(15~17年): 鶴の丸休憩所一帯の再整備
 後期(18~21年):鼠多門・橋の復元整備、石垣の計画的な 保全対策


と、約26年と長きに渡る計画となっている。肝心の集客施設としては、金沢城公園入園者数は、急激な右肩上がりを示し(下記画像7参照)、05年70万人程度だったものが15年には約238万人と、北陸新幹線開業(15年3月)、インバウンド需要の高騰の追い風もあり別物の施設に生まれ変わった。無料の金沢城公園と、有料(天守閣)である広島城を比較するのは難しいが、40.3万人(天守閣30.5万人、二の丸9.8万人)と238万人とでは雲泥の差がある。金沢城とて、姫路城や彦根城、熊本城のように数多くの建物があるわけではない。しかし、この盛況ぶりだ。理由を求めると、往時の城郭の雰囲気が感じられ、歴史を偲べる空気感が公園全体を覆っているのではないだろうか?そうでないとこの数字は絶対に稼げない。金沢と言う都市の空気感が武家文化を醸し出しており、単体施設の集客力のみならず、相乗効果を生み出していると言える。都市ブランドがなせる業(わざ)かも知れない。これは広島市にはない魅力だと考える。


画像7(左) 金沢城公園の入園者数推移
画像8(右) 兼六園入場者推移(画像共に『金沢城公園の整備について』より)


【考察その4】
『広島城基本構想(案)』について
当面の改善策としてはまあまだが・・・
 


画像9 中央公園における実践的かつ段階的な取組手順(画像 『中央公園の今後の活用に係る基本方針』より) 


画像10 中央公園再整備における 回遊性・アクセス性の向上に関する取組の一覧(画像 
『中央公園の今後の活用に係る基本方針』より) 

 今年の1月、『
第2回広島城のあり方に関する懇談会』にて『広島城基本構想(素案)』(広島市HP)を発表し、この素案に対するパブリックコメント(市民意見募集)を経て、新型コロナウイルス騒動の最中、『広島城基本構想(案)』(同)を公表した。その中で広島城の位置づけは『歴史ゾーン』になっており、24年開場のサッカー専用スタジアム同様に都心部地区北方面の回遊性向上を担う役割を与えられている。同基本構想案を要点だけを、それぞれの視点からを下記に書いてみる。

1 広島城基本構想(案)の骨子
 (1)中央公園の今後の活用に係る視点

  広島城は、ひろしま美術館や広島県立総合体育館等と共に、国際平和文化都市の顔として、
  
島の歴史を踏まえつつ、質の高い文化・芸術・スポーツを満喫することができる、また発
  
信する空間である 『文化を醸し出す空間』に位置付けられている。さらにその中でも、広島
  
城の築城から始まった広島の歴史を肌で感じてもらうことができるよう、歴史的な雰囲気を
  醸し出す中心的なゾーンである『歴史ゾーン』として位置付け、強化する
 

 (2)広島城全体に係る視点
  【基本的な考え方(コンセプト)】
   ① 重層的な歴史性を基本とした魅力づくり (広島城内の回遊性向上)
   ② 来訪者目線に立った公園運営(縦割り行政の排除)
   ③ 広島観光のネットワーク拠点 (広島城内外の回遊性向上)
  【整備目標の方向性】
   ① 広島の歴史を継承し、かつ体験できる場  ② 広島らしい風景を持つ空間
   ③ 人々に親しまれ、多様な機能を発揮するオープンスペース
   ④ 都市観光の拠点

 (3)城内各エリアに係る視点
   ① 天守閣-広島の『歴史』を幅広く学び、体験できる場
   ② 二の丸復元建物-『城』の役割・機能や『伝統文化』を学び、体験できる場
   ③ 本丸・二の丸-広島城ならではの重層的な『歴史』を体感できる場
   ④ 三の丸-広島城への来訪者のおもてなし拠点

 (4)具体的な整備の方向性
   ①短期(概ね5年後を目途):
    ●天守閣の耐震改修などを進めるとともに、展示機能の充実を検討
    ●三の丸を活用したにぎわい施設などの整備を検討
    ●中央バレーボール場を廃止し、観光バス駐車場 (約60台)の整備を検討

   ②長期:今後の検討に委ねる

 (5)回遊性改善の方向性(上記画像10参照 広島城関連分のみ記載)
  ①北方面(JR新白島駅)~
   新白島方面からサッカースタジアムへアクセスする歴史ゾーン西側園路を必要に応じて
   再整備
  ②西方面(サッカー専用スタジアム)~

   広島城三の丸と中央公園広場とのアクセスを改善するため、鯉城通りを跨ぐ陸橋を整備
  ③南方面(紙屋町)~
   紙屋町方面から広島城へアクセスする地下道を美装化するなど魅力向上を図る



画像11 広島城旧三の丸の施設整備計画図(画像 『広島城基本構想(案)』より)

2 ブログ主の印象について
 この案をどう受け止めるかにもよるが、既存施設での小手先の改善案の域を出ていない。先の考察で紹介した金沢城公園と比較すると随分と安っぽい。色々と突っ込みどころが満載でこの構想で、広島市の歴史の息吹を感じるものに仕上げられるのか?疑問が残る。正直、現在の広島城の建物群の中にいて、歴史を体感している錯覚に陥る人は殆どいないだろう。賛否が分かれる意見として言わせてもらうが、保存状態にもよるが、広島城と形態が異なる平山城や山城であれば、建物が仮に残っていなくても堀、各曲輪の石垣などで非日常的な空間に舞い降りた感覚に囚われやすい。これらの城跡は天然の地形(山、丘陵地)を利用しているので、規模も大きく自然も豊かなので絶妙なロケーションを醸し出している。広島城は、残念ながら平城でそれとは程遠い。非日常的な空気感を創出するには残存する石垣や堀だけでは弱い。構造(縄張り)自体が単純なので、滞在時間も短い。何か都市のど真ん中に城跡だけがぽつんとある感がしなくもない。当然、歴史を感じる感傷などには浸れるような空間にはなっていない。個人的意見と前置きするが、広島城も含め、名古屋城や大阪城のような平城タイプで歴史を感じる異空間に仕立てるには、多くの建物による視覚によって訴えかけないと難しいと思う。三の丸とは二の丸を御門橋を渡り、現在噴水広場や観光バスの駐車場となっている一帯を指す(上記画像11参照)。ある意味、死空間となっているが、その三の丸ににぎわい施設と称して、飲食・物販施設、イベント広場などが整備される。これ自体、決して悪いものとは思わないが、あくまでも施設利用者の便宜・支援施設でしかなく、この施設目的で来訪するほどの吸引力はない。後回遊性の改善として西方面から、陸橋の建設が検討されている。ブログ主はこれには大反対だ。理由は、都心部地区特に広島城という歴史を感じさせる空間に似合わないことや、都市高速道路などの高架建造物もそうだが、都市美観の観点からもかなり宜しくない。顔面に刺青を入れるに等しい行為だ。絶対にやめた方が良い。回遊性向上策は、鯉城通りの道路車線を歩道に転換させて、自動車交通量を減少させ交通信号を歩行者優先にして回遊性の向上を図るべきだ。ただ、当面(概ね5年程度)の改善策としてはそこまでは悪くはない(と思う)。

【考察その5】
妄想に少し入ったブログ主の提案(笑)


画像12 広島城の本丸と二の丸を忠実に復元するとこんな姿に (画像引用元不明)

 ひろしま都心活性化プランでは、都心部地区の広域回遊の四隅の一角の集客施設に位置づけられている(下記画像13参照)。ただ、現在の広島城、そして
『広島城基本構想(案)』にみられる改善案で、太い点となり得る集客施設になるのか?と問われると答えに窮する。そこで、ブログ主の妄想癖も入った広島城活性化の提言らしきものをこの考察でまとめたい。

ブログ主が提案する広島城本丸整備(復元)計画(上記画像12参照)
 (1)全体計画  
  工期:20年 建設期間:2030年代前半着工~2060年前半完成
  総事業費:800億円
  【内訳】社会資本整備総合
交付金400億円 広島市270億円(年平均負担額約9.65
      
億円)広島県115億円 市民・企業寄付15億円
  各期の建設期間の後に数年のインターバルを置き、財政負担の休息期間を必ず置く

 (2)各段階の整備計画詳細
  ①第1期 30年代前半~30年代後半 
   工期:5年 事業費:150億円程度
   本丸主要建築物復元ー中・裏御門、多門櫓など各櫓、南・東小天守閣など。護国神社は
   
移転い。よってここの敷地の復元は行わない

  ②第2期 40年代前半~50年代前半
   工期:10年 事業費:250億円程度(名古屋城本丸御殿復元費用150億円を参照)
   本丸御殿復元(本丸内のお土居上段部分)
   玄関、式台、広間、小広間、書院、能舞台、役所、台所、長局など当時の姿を忠
実に再現
 
  ③第3期 50年代後半~60年代半ば
   工期:5年 事業費:400億円程度(名古屋大天守閣木造復元費用504億円参照)
   大天守閣の木造復元ー現在の鉄筋コンクリート製の大天守閣を原爆投下前の姿に、木造
   
る。エレベーターなどのバリアフリー施設は設置せず、足元が弱い障害者対策と
   
して、車いすでの階段昇降を補助する職員を配置

 (3)関連事業 30年代前半~30年代後半
   広島城と縮景園(下記画像13参照)を結ぶ歴史プロムナードを整備


画像13 広島市都心部地区の広域回遊イメージ(画像 
ひろしま都心活性化プランより)
 
 少し補足説明をする。現在の復元基準は、①
建築物の存在を裏付ける発掘調査、現地資料の有無
②材料や構造を裏付ける史料の存在、材料等を判断可能な外観写真、詳細な図面の有無 ③指定理由に即した復元、史実に即した整備内容であること が必須で資料などがない場合文化庁の許可が下りない。
本丸御殿の復元に疑問を持つ方も多いと思うが、近年の復元事業では名古屋城や熊本城でも本丸御殿の復元がなされ彩(いろどり)を添えている。復元したものも含め、日本最大の御殿は京都市の二条城の二の丸御殿の3,300平方㍍。坪換算で約997坪。広島城本丸上段(お土居部分、御殿の敷地)の広さは5,000坪であり、敷地に対しての建物の詰め込み具合を見ると、どう見ても1,000坪以下はあり得ない。目分量で2,000坪程度はありそうだ。『日本最大の御殿建築』の触れ込みにすれば、観光の目玉になり得る。天守閣についてだが、既に復元から62年が経過し建て替え期に入りつつある。耐震化もしておらず、当面は耐震補強工事でお茶を濁すとしてもいずれは、建て替え待ったなしになる。現在の基準からも木造での建て替えは不可避だ。~広島城天守閣耐震診断調査結果~(広島市HP) 30年代以降の人口減少と高齢化率などを勘案し、年間平均10億円以下の市負担であれば、そこまでの市財政への悪影響はないと考える。原爆ドームに匹敵する都市の新ラウンドマークとしての役割、集客施設としての機能を踏まえるとそう高い買い物ではない。入園者数も本丸御殿や天守閣が有料制であっても、現行の30.5万人(天守閣)が3倍以上の100万人は余裕で超える筈だ。特に外国人観光客の増加には大きく寄与するに違いない。同時期に、国から建設が認められていないアストラムライン都心線の検討が一応、控えているが99年試算で900億円(市負担405億円)。その後の公共事業の高騰を考えると、30年頃には1.5倍の1,350億円(市負担607.5億円)以上は確実。公共交通の市場が大幅な人口減少で縮小することが予測される中、無理に無理を重ねイニシャル(初期)コストを調達しても将来にわたり維持できる保証はない。ハコモノと都市インフラ設備の差はあるが、広島城の復元をする方が広島市のブランディングや都市観光やMICEなどの外需の取り込みにも貢献して有意義だと感じる。
 


画像13 広島城の復元模型(画像 『ウィキペディア 広島城』より)

お手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村 
広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧  
 
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

カテゴリー記事 広島の都市問題 都心部活性化

【考察その1】
広島城の現在の課題について その1
あらましと大天守閣と二の丸の課題


画像1 雄大な姿を見せる広島城復興天守閣の様子(画像 『ひろたび』より)


画像2 広島城の廃城前の縄張りを現在の地形に当てはめるとこうなる
(画像 『しろうや!広島城』より)

 広島城は、豊臣氏治世の時代である1589年、著名な戦国大名毛利元就の孫、毛利輝元がそれまでの居城だった手狭な吉田郡山上城に代わるものとして築城を始めた。構造は大坂城を参考として、縄張は聚楽第に範を取っている。築城地となった
五箇村は、デルタ内に点在する最も広い島地で、これが広島の名前の由来にもなっている。1590年末、本丸の堀と城塁の一部が完成。1591年、毛利輝元は吉田郡山城から移り住んだ。1593年石垣が完成。1599年に全工事が終わり落成した。現在は本丸と馬出曲輪である二の丸、三の丸の一部しか遺構物として残っていないので、見る影もないが完成当時は、広島城は安土城、豊臣大坂城、聚楽第、伏見城、岡山城などと共に近世城郭のさきがけでもあった。堀は三重に巡らされ、馬出を多数備える実戦的な城構えとされ、その規模は豊臣大坂城、伏見城に次ぐものといわれた。関ヶ原合戦以降に城主となった福島正則の手により、毛利氏時代に不十分だった城の整備および城下町づくりが本格的に行われ、福島氏改易の後は浅野長晃が入城し、芸州広島藩42万6000石の太守浅野家12代の居城となった。明治維新後の1874年に廃城となったが、94年に日清戦争が勃発すると城内の本丸に大本営が置かれるなど軍都広島の中心施設の色合いを深めていく。1945年8月6日の原爆投下で、大天守閣など残存して遺構物は一瞬にして倒壊、火災により焼失し失った。戦後の58年3月に現在の外観復元、中は第一層~第四層までは鉄骨鉄筋コンクリート構造製、第五層は木造で復元された。80年代に入り、広島築城400周年、市制100周年を記念して二の丸の復興計画が浮上した。復元工事は89年より順次始まり94年に完成した。そして現在に至っている。現行の広島城跡は、中央公園(42.8㌶)の北東エリアに位置づけられ、外観復元大天守閣は、武家文化を展示する歴史博物館として機能している。


画像3 広島城と広島平和記念資料館の来場者数の推移(画像 『広島城の現状と課題などより』より)


画像4 理想とするトライアングル都心部内各エリアの回遊性(画像 『広島城の現状と課題などより』より)

 広島市の都心部地区は、2000年代前半以降、郊外大型商業施設の乱立などで商業機能や他のにぎわい性が急速に失われ、都心部地区は求心力を低下させていった。広島城も都心部地区の重要な集客施設の一つとして位置づけられており、期待するところは大きいがそれに答えているとは言い難い現状がある。上記画像3は、
広島城と広島平和記念資料館の来場者数の推移だが、広島城全体だと14年度34.5万人が、18年度には40.3万人と116.8%にまで増加しているが、主要観光施設第1位の広島平和記念資料館の152.2万人と比べると随分と見劣りする。一定の集客施設としての役割は果たしているがそれ以上でもないのである。平和公園周辺の狭い回遊性に留まり都心部地区内での広域回遊にまで発展しないのは、回遊路の問題も大きいが施設そのものの魅力に欠けるとの視点から、サッカースタジアム建設を睨み昨年10月から『広島城のあり方に関する懇談会(広島市HP)を開催し、将来あるべき姿を有識者を交え議論を始めた。この懇談会によると、広島城の課題を以下のようにまとめている。

1 検討の背景
 視点1:歴史・文化の発信拠点としての広島城の魅力の向上
  ①被爆以前の歴史・文化の発信において大きな役割を果たしている天守閣を含む本丸、二の
   
ついて、 更なる発信力の強化を図る必要がある
  ②その際、例えば、老朽化が進む天守閣や中国軍管区司令部防空作戦室跡など各種歴史・文
   
点の適切な保存等のハード面の観点や、天守閣・二の丸復元建物における展示の充実
   
、 歴史・文化イベントなどの充実などのソフト面の観点からの検討が考えられる

 視点2:観光拠点としての魅力向上を通じた都心のトライアングルの回遊性の向上
  ①平和記念公園、紙屋町・八丁堀地区、中央公園(広島城、サッカースタジアム建設予定
   
地、旧市民球場跡地、各種文化施設等)を結ぶ都心空間のトライアングルの回遊性(上記
   
画像4参照)向上を図る必要がある
  ②その際、都心空間から更に人々を呼び込むため、視点①の観点だけでなく、例えば、広島
   
跡内の既存 の公園環境の向上、三の丸の新たな活用方策などのハード面の観点や、広報
   
のあり方、にぎわいを生み出すイ ベントの充実などのソフト面の観点からの検討が考えら
   れる

2 広島城の入館者数の課題
  ①広島城の入館者数はおおむね増加傾向にあるが、広島平和記念資料館の入館者数とは大き
   
差がある(上記画像3参照)
  ②広島城は、被爆以前の歴史・文化の発信において一定の役割を担っているものの、観光ス
   
ットとしての魅力を十分打ち出せていないため、広島平和記念資料館等からの効果的な
   
誘導が図られていないと考えられる

3 天守閣の課題
 (1)展示内容からの観点
  ①広島城の展示の目玉となるような歴史的価値の高い展示物(国宝・国指定重要文化財など)
   の寄贈・貸与を受けることが難しい状況にある
  ②入館時に配布されるパンフレットには目玉となる展示品や観覧ルートの記載がないなど(各
   層の展示テーマ のみ記載)、観覧時間に制約がある市民・観光客等に対して、主要な観覧
   ポイントを分かりやすく見てもらう工夫が十分でない
  ③解説パネルを遮る形で展示されている場合があるなど、展示物の配置について、来訪者視点
   で見ると改善点がある

 (2)液状化調査・耐震診断調査・外壁調査からの観点
  ①18年度に実施した液状化調査では、液状化の危険性ありとの結果が出ており、所要の対策
   を検討する必要がある

  ②市内の公共施設などの耐震化を推進することとされている中、広島城についても、今年度耐
   震診断調査を実施予定であり、診断結果に応じて所要の対策を検討する必要がある
  ③16年度に実施した外壁の現状・落下の可能性などに関する調査を踏まえ、 所要の対策を検
   討する必要があるが、コスト削減等の観点から、上記の耐震診断調査の結果を踏まえて実施
   する可能性がある耐震補強工事と同時に施工するなど、外壁補修工事のタイミングについて
   留意する必要がある
  ④18年度に天守閣の入口前に和風の屋根付き通路などを設置し、応急的に対応

 (3)
バリアフリーからの観点
  ①天守閣の建物の構造、城郭としての外観の観点での制約があるものの、高齢者・障害者な
   どをはじめとする来訪者の利用を困難にする課題として、例えば以下の点が挙げられる。
   ● エレベーター、スロープや椅子式階段昇降機が設置できず、また階段は急勾配である 
   ●天守閣内に利用者のためのトイレ(バリアフリー対応のものを含む)が設置できない
   ● 廊下や出入り口の幅が狭い


画像5(左) 94年に復元された二の丸表御門(画像 『ひろたび』より)

4 二の丸復元建物の課題
  ①復元された二の丸復元建物について、現状では復元工事に関するパネル解説の展示や、広
   島城観月会、二の丸夜会等の年数回のイベントで活用されるのみであり、復元建物が有す
   る魅力の発信ができていない
  ②入館時に配布されるパンフレットには目玉となる展示品や二の丸も含めた観覧ルートの記
   載がないなど、 観覧時間に制約がある市民・観光客等に対して、主要な観覧ポイントを分
   かりやすく見てもらう工夫が十分でない

  ③天守閣内の展示との役割分担が不明確であるなど、二の丸における展示のコンセプトが来
   訪者に伝わらない
  ④復元時には具体的な建物の活用方法について十分検討されていないことから、空調設備な
   どがなく、また窓 も開放されているなど、展示環境の観点で課題を抱えており、展示可能
   な資料に制約がある

【考察その2】
広島城の現在の課題について その2
コンテンツ&公園施設などの観点から


画像6(左) 管理が行き届いていない園路の様子
画像7(右) 
本丸内に残る大本営跡地(画像共に『広島城の現状と課題などより』より)

5 本丸・二の丸の課題
 
(1)コンテンツ・公園施設からの観点
  ①大本営跡(上記画像6参照)や中国軍管区司令部防空作戦室跡など、明治時代から
   第二次世界大戦までの広島の歴史を物語るコンテンツが十分活用されていない
  ②大雨時には園路や階段が水没し、来訪者が城内を自由に移動できない場合がある
  ③園路の(上記画像7参照)管理が行き届いておらず、ひび割れ、陥没している箇所
   や、雑草が生茂る箇所がある
  ④本丸・二の丸の植栽により眺望が遮られるため、広島城跡内のほとんどの場所におい
   て、天
守閣を望むこと ができない
  ⑤売店は護国神社前の1店舗のみであり、観光客を受け入れる上では十分な状況ではない
  ⑥天守閣内も含めてコインロッカーが設置されていないため、手荷物の多い観光客にとっ
   て利便性が欠ける面がある
  ⑦本丸・二の丸には公衆トイレが設置されているが、和式のみのものがあり、特に外国人
   観光客に配慮されたものとなっていない
  ⑧案内板は順次設置されてきたことから、多種多様な意匠、形態、色彩等から構成されて
   おり、統一感が感じられない


 (2)ピースツーリズムからの観点
  ①中国軍管区司令部防空作戦室跡は、施設内部の安全性が確認できていないことから、一
   般公開を中止しているが、今後、本施設の劣化状態を詳細に調査し、安全性や保存工事の
   手法を検討する必要がある
  ②あわせて、本施設の保存に対する考え方や保存を行う場合の実施主体について、所有者で
   ある財務省と協議する必要があり、現状変更を伴う調査などを行う場合には文化庁の許可
   が必要になるなど、対応には多くの 調整が必要になる
  ③このため、本施設の保存、さらには公開については、施設の重要性を踏まえ、必要となる
   経費の問題も含め、 関係機関と協議を進める必要がある


画像8(左) 旧三の丸にある噴水広場
画像9(右) 殺風景な観光バス駐車場
(画像共に『広島城の現状と課題などより』より) 

6 三の丸の課題

  ①文化財保護法の規制(現状変更の許可制)の対象外であるが、同法の『周知の埋蔵文化
   財包蔵地』に当たり、 開発行為の際に試掘の調査が必要
  ②建築物の建築等による有効活用が可能なスペースにも関わらず、広島城に不足する飲食
   ・物販施設等の利便施設が存在しない
  ③紙屋町・八丁堀地区等の都心空間から観光客を十分誘導できていない

7 広島城全体の現状と課題
 (1)広報について

  ①天守閣・二の丸復元建物内での企画展等の情報は掲載されているが、広島城跡内の管理
   主体が一元化されていない(下記画像10参照)ため、広島城跡内で行われるイベント
   情報の掲載は殆どなく(安芸ひろしま武将隊のHPへの リンクのみ)、広島城に関連す
   る情報発信が一つのパッケージとして行われていない

  ②城跡内の主要な施設の位置図や概要などの情報は掲載されている一方、特に時間の限ら
   れた観光客に必要な見どころに関する情報(主要な展示品、観覧ルート)が掲載されて
   いない
  ③特に時間の限られた観光客に必要な見どころに関する情報(主要な展示品、観覧ルート)
   が掲載されて おらず、駅観光案内所には簡略なパンフレットのみ配架している


 (2)アクセスについて
  ①多くの観光客が訪れる平和記念公園付近からのアクセスでは、徒歩により城南通り(地上
   は歩行者の通行不可)の地下歩道を横断するルートが通常となっている
  ②地下歩道により、広島城へのルートが分かりづらく、また広島城に足を運びたくなるよう
   な誘導性が減殺されている

 (3)法規制など
  ①各種法的規制の存在や、中央公園と天守閣・二の丸復元建物の指定管理者が別主体である
   ことから、公園 利用者等によるイベント実施時等の手続に時間を要する(下記画像10参
   照)


画像10 法規制などのイメージ図(画像 『
『広島城の現状と課題などより』』より)

 各曲輪個々の課題と広島城全体の課題をそれぞれ、
『広島城のあり方に関する懇談会(広島市HP)の資料から転載した。今日の記事の締めとして、全体の所感を述べたい。正直、課題の指摘通りだと感じた。専門的なものは読んでいて『なるほど!』と相槌を打つものばかりだし、広島城全体の課題も同様で、特にアクセスの問題は激しく同意する。広島城だけではなく中央公園全体の問題でもあるがこの公園は、東西方向の城南通りと南北方向の鯉城通りで四分割され一体感が損なわれている。広島市民のイメージとして、『中央公園=有効活用されていない自由芝生広場』が定着し旧市民球場跡地界隈、広島城界隈が中央公園だと認識している市民はむしろ少数派かも知れない。大通りで失われがちの一体感を補う筈の回遊路も薄暗く、避けて通りたい地下道しかなく広島城自体が彦根城や姫路城、熊本城のように在りし日の姿をそこまでとどめていないので魅力にも乏しく、集客施設として吸引力が弱い。素人の心証としては、広島城の位置づけをどうするのかが問題だと思う。施設単体で、広島一の集客施設である広島平和記念資料館に匹敵する施設に育て、観光客の滞在時間を伸長させ宿泊率を向上を図るのか?、もう一つはそこまで望まず、そこそこの改善で周囲(24年開場のサッカースタジアム)と連動し途切れがちの相生通り以北のにぎわい性と回遊性を再構築するのか?の二者択一になる。広島市の財政状況、他の事業との兼ね合い、都市のブランディングなど複数の要素を勘案すると、後者になる気配が濃厚だが短・中期は後者で、長期的には前者のほうが広島市全体の利益になると思ったりする。次回はもう少し、話を掘り下げ進めたい。

『将来像が模索される広島城 その2』へ続く

お手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村 
広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧  

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ