前回記事 最近思うことをつぶやく 3  
カテゴリー記事 近況について色々と

 久々のプレイベート記事だが前半は訪問カットの事を書きタイトルの話題で後半は22日他界された小林麻央さんについて書いた前日記事を通して思う闘病生活について少し触れる。

1 3カ月ぶり2度目の訪問カット



画像1 身体障害者・高齢者の訪問カットイメージ画像(ユーチューブ画面撮影より)

 うっかりしていて記事にするのを忘れていた。6月17日の土曜日に約3カ月ぶりに訪問カットを頼んだ。前回記事でも書いたが、昨年まで1か月半に1度のペースでアルパーク東棟の1,000円カットの店舗に通っていたが、椅子からの立ち上がりが難しくなった。これは昨年の冬場特有の筋硬直現象が原因で、恐らくだが今はその高さであれば、かろうじて立ち上がれるだろうが何れは出来なくなるので思い切って訪問カットにお願いすることにしたのだ。カットは基本、自身の小遣いの範囲でするので毎月5,000円もカットだけで消えるのはさすがに勿体ないないと思い、3カ月に一度に変更。その代り、揃えてすきを入れるだけの従来のやり方を改め、スポーツ刈りにすることにした。3月のカットでは、横と後ろを3㍉。前髪と上を1.5~2.0センチ程度にした。こんな短髪中学生以来で見た人間全てに笑われた(爆)。訪問カット初体験の印象は、調子に乗り切り過ぎたこと。これぐらいなら家族でも出来るだろ?、と思ったりもした。3カ月に1度とはいえ、やはり5,000円近い出費は馬鹿らしい。元来ケチな私はついそう思う。で、今回は少しリーズナブルなところにお願いした。

 出張理・美容「ひまわり」(公式HP)である。カットだけで2,200円。それプラス出張料金が加算されるので、トータルで3,200円との事だった。早速仕事が終わった18時以降に連絡。当初は前回の例もあり10日~2週間後を想定していた。しかし、翌日や来週でも可能と言われ少しだけ驚いた。「じゃあ、明日で」と簡単に返事。一旦は電話を切る。約15分後、担当の理容師から連絡が入り「明日の午前9時半なら伺えます」となり、深く考えず即決。親族以外の訪問者の来訪決定に、家内が忙しくなる。「こいつも大変だなぁ~」と余裕をこいていたら、よく考えたらカットする場所は私の仕事部屋。30分かけて掃除と整理整頓をする羽目となった(笑)そして翌日理容師さんがやって来た。約束時間の午前9時半よりも数分早く我が家に到着。今回は30代半ばと思しき恰幅の良い女性だった。電動ベット横の場所を指定して、大きめサイズのシート敷く。その上に愛用のクッションつきの椅子を置く。電動ベットを程々の高さに調整して準備完了。今回のリクエストは、横と後ろは前回同様に3㍉程度に刈る。前髪が6~7㌢程度まで伸びているので、2㌢カット(長さ4~5㌢)である。ついでに眉毛も揃えてもらう。

 ここの理容師さんは全てヘルパー免許を持っているそうだ。この女性理容師さん、お姉さんが骨(?)の疾患で障害者らしい。話を色々としたがやけに障害者への造詣が深い。この方、普段は病院や施設など専門なのだが、この日に限りキャンセルが入り、予定に穴が開いたとのことだった。通常であれば、午前や午後はこちら中心に回り、個人宅へは夕方以降だと言っていた。準備も手馴れていて仕事が早い。聞いた話だと、重度障害者の利用者もいるらしく寝たきりの客の場合別途料金がかかる。私はまだまだそこまでには至っていない。大体15~20分でカット終了。大きな手鏡で、全方面から仕上がり具合を確認。まずまずの出来で悪くない。料金もリーズなブルで、理容師さんの腕も標準以上。今後もこの業者に頼むことにした。長い付き合いになりそうだ。次は3か月後の9月中旬以降を予定している。

 
動画1 
介護訪問美容の現場

2 闘病生活と家族

 

動画2 
麻央さん最期の言葉「愛してる」 海老蔵さん会見 3(17/06/23)

 前回記事ではあまり自身の闘病生活については少し控えめに書いた(つもり)。その中で父親と母親の役割の違いに少し触れた。子どもは、生誕時~小学校高学年辺りまでは母親の役割のほうが大きく、小学校高学年~高校卒業までだと父親の役割が俄然増す。前者の時期の父親は、単なる給料配達人で自動ATM。後者の時期での反抗期もあり母親は、語弊はあるが単なる家政婦(飯・風呂・金)でしかないと思う。綺麗な言葉で飾るのは簡単だが、空々しく感じて失笑してしまう。この時期に必要な存在を欠くと、メンタル的に多少歪な構造になる。ひとり親家庭の子どもを見るにつれそう感じてしまう。欠く側の代役も限界が当然ある。海老蔵さんの「僕は代わりになれないけど~」の発言は、子育ての実情を十分踏まえた上でのものだろう。5歳と4歳ではなおさらだ。麻央さんが息を引き取っても離れなかったそうだ。聞いているだけで胸が詰まる。つい息子の幼稚園時代を思い出した。海老蔵さんの家庭だと、双方の祖母が代役を務めるしかないと思う。死別によりそんな状況になった方には、本当に同情申し上げるしかない。
ここから私の話に置き換える。私が持病の封入体筋炎発症が40.5歳で息子は小学校2年生だった。この筋疾患は、別に短期間で生命予後が侵される危険はない。25~30年の長い期間でゆっくりと進行して、身体を動かす自由を奪われ、他の疾患を併発しそれ理由で虫のように死ぬ。


動画3 
感動CM初登校の日「ママの想い」

 簡単に死のフレーズを使うことに違和感を感じるかも知れないが、日常生活の中で死を連想させる世界で生きているから抵抗が少ない。私も麻央さん同様に自分の生き様を家族-特に子どもに見せつけ、他界後もその記憶の中で生き続けたい意識が強い。これは、生命予後不良の疾患患者特有のメンタルだ。ブログ開設もその流れの1つ。自分の窮状を知ってほしい、疾患の事を周知したい、闘病の記録を形として残したい、こんな気持ちが入り乱れる。話を戻す。
記憶の中で生き続けたい意識について。その頑張る姿を見せつけ、生きた証を植え付ける。その姿を間近に見た子どもは、健全な精神を構築し宿す。で、息子は現在高校2年生で思春期真っ盛り。私が障害者となり、前職を退行したのが2012年初頭。息子はこの時小学校5年生。時期的に父親の存在が必要となり始める頃。進行性の難病とはいえ父親が何もせず家でぶらぶらしている状況と、在宅仕事ではあるが就労して出来る範囲で頑張っている状況。どちらが思春期の子どもの精神的な成長を与え続けるのか?一目瞭然だ。私が身体機能障害3級でやや軽めの重度障害者でありながら、無理を重ね就労している理由はこれがある。高校卒業を一つの目安にする予定だったが、出来るところまでやるつもりだ。貯蓄も当初目標をクリアしたので、働く必要性はなくなりつつある。ただやめるとやることがなくなる。これも理由かもしれない(笑)。意地悪く考察すると、家族のため万難を排して頑張っている自分が好きなのだろうと思ったりする(爆)

 ただ、私が単身者であればとっくに就労をやめて、実家に戻り障害年金だけで生活していたかも知れない。それを思うと家族の存在の大きさを改めて感じる。自身の家族の有無がこうも変えるのだから。闘病生活のエネルギーの供給先は家族。次は自身の誇りだ。前日記事でも書いたが、闘病生活は自身の努力ではどうにもならない現実に由来する弱い心と、でも負けたくないと思い強くありたい願う心との葛藤だ。健康体の人たちはあれこれと言う。「頑張れ!」「凄い、普通は中々出来ない」「その姿に感心する」「ご主人が大変なのに明るい家庭」など耳障りの良い言葉を並べる。有難いと思う反面、これが自分の現実世界で逃れられない宿命でもある。別に偉くも何ともない。別に「どうして自分だけこんな病気に~」や「こんな世の中間違っている」的な歪んだ屈折思考はさすがにないが、綺麗な言葉ばかりで飾られると同時に反発心も生まれる。この点、前日記事の小林麻央さんのように愛や勇気、力を多くの人たちに与え続ける人徳者にはなれない、と思う。ただ、家内や息子の家族の前では、麻央さんとは少し違う形の人徳者であり続けたい気持ちはある。またそうなるために日々実践している。結局これが私流の闘病生活なのだろうと納得している。患者により理想は様々ではないだろうか?今後15年以上続くであろう闘病生活を語ってみた。

 


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