カテゴリー記事 障害者全般

 今日は一部障害者に対して批判的な記事を書くが、私自身封入体筋炎患者で発症5年目の2012年2月に身体機能障害5級、2013年夏に
は同障害3級となった中途障害者だ。一般常識は健常者同然と自負している。時代の変化に伴い、一部障害者の過度の権利の押しつけに苦々しい想いを抱いている側の人間でもある。2012年度の約1年間、障害者能力開発校に通い、障害者なるものをつぶさに観察もした経験がある。非常識なモンスター障害者みたいな人間も実際にいた(これ本当だよ)。その時の経験も踏まえ、この記事を書きたい。
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車いす客に階段はわせる 6月
29日中国新聞30面より
奄美空港 バニラ・エア搭乗時


 鹿児島県奄美大島の奄美空港で5日、格安航空会社(LCC)のバニラ・エアを利用者した車いすの障害者の男性が階段式タラップ1段ずつ、腕ではって上らされていたことが28日、分かった。奄美空港に車いすで昇降できる設備がなく、社員らから「歩けない人は乗れない」などと迫られたためで、同社は男性に謝罪した。


画像1 6月29日中国新聞30面より

 男性は大阪府豊中市のバリアフリー研究所代表木島英登さん(44)。半身不随で。旅行で奄美大島に向かうため関西空港からの往復便に乗っていた。取材に応じ「(過去には)回りにも搭乗拒否された人が複数いた。歩けないことを理由
に乗れないのは差別だ」と同社の対応を批判した。木島さんは3日、関空の搭乗カウンターで、バニラ・エア社員から奄美空港の状況の説明を受け、一緒に行く友人に手伝ってもらうとして搭乗。到着時には友人が車いすごとに持ち上げてタラップを下りた。5日の往路でも同時にいすを持ち上げようとすると、同社が業務委託している空港職員が制止。「(往路で)担いで下りたのは会社の規定に反している」と指摘し、「同行者が手伝い、自力で昇降できるならいい」と話したといい、木島さんはタラップに座るような姿勢で17段上った。対応を疑問視した木島さんが国土交通省などに事情を説明した。同社が運行する国内線と国際線で昇降施設がないのは奄美空港だけだった。多くの航空会社でではスタッフらが乗客の身体を抱えて機内に案内するが、バニラ・エアではタラップから転落する危険性があるとして、認めていなかった。同社の松原玲人人事・総務部長は「ご不快を与え、深くお詫びする」と謝罪、奄美空港で14日からアシストストレッチャー(座椅子型担架)を使い、29日から電動式の階段昇降機を導入する。木島さんは「対応が早く、改善できたのはよかった」と話した。 
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1 バニラ・エア社木島さんの何れに非があるのか?


動画1 
腕で這い上がった車椅子男性に謝罪 バニラ・エア(17/06/28)

 今回の事件、どの報道を見ても乗車拒否された哀れな障害者と不誠実な対応をした航空会社の構図で報道している。真相は果たしてそうなのか?少々、疑問に感じたので深掘りしてみる。

◎バニラ・エア社の非
 これは、障害者差別解消法(内閣府HP)に抵触(強制力なし)するのでバニラ・エア社の対応は差別行為と断定されても言い訳が出来ない。ところがである。この法律、同時に付帯事項もある。それは事業者の経済的な重い負担を強いる場合は、出来ない理由説明と別の方法の提案など当事者間の話し合いを行うとしている。今回のケースに当てはめれば、往路での友人の車いす持ち上げ行為の制止が具体的な差別行為だと考えられる。車いすのタラップでの持ち上げ行為が安全ではない、とした社内規定ははっきり言うが古い。バニラ・エア社のタラップを見たが傾斜は想像以上に緩やかだ。私が住む広島市西区にJR新井口駅がある。この駅は、一部ホームにはエレベーター設置こそされているが
未だに完全バリアフリー化されていない。アルパークとは反対側(山側)から改札に行く場合、ビルの高さ2.5階程度、傾斜60度の階段昇降が必要となる。階段手前にインターホンが設置され、車いすの障害者だと駅職員がこの階段を担いでくれる。この合理的配慮が、安全面で問題視されたなど聞いたことがない。その点でもバニラ・エア社の非は明らかだ。

◎木島さんの非
 あまりにもこの方の情報がなかったので、公式サイトを参考にさせてもらった。Travel for All  関連記事だけ読み、全ては把握していないが、全体の印象として「障害者ⅴs健常者(航空会社)」の図式が成立している。正直驚いたのは、今から15年以上も前から、「現場レベルでの対応が出来るはず」の信念から事前連絡を一切してこなかったそうだ。今でこそ、障害者差別解消法が施行され合理的配慮が義務化されている。この当時は、面と向かって差別表現こそされないが、今よりは至る所で間接差別が残っていたはず。航空会社が、いきなり行って完全拒否を貫き通した場合のリスクは考えなかったのだろうか?それからもう1つ。欠けている視点で、理不尽な理由で断られる側の後味の悪さも残るだろうが、同時に断る側の後味の悪さも残ることだ。明らかに(視覚的に)障害者然としている人に、安全面を理由に断るのも仕事とはいえ、断る側も勇気がいる。だからこそ、事前連絡してお互いが嫌な思いをしない配慮が障害者側にも必要だ。断る側も車いす障害者を、目の敵にして断っているのではない。そうした相手の気持ちを思いやる心が少し不足している。私が健常者であればここまでは書かない(書けない)。語弊はあるが、同族で1年間ではあるが様々な障害者を身近に見てきたからこそ、強く言える。

 うんちくが長くなったが、断られることが分かりきっていたので今回も事前連絡はしなかった、と別記事インタビューで答えている。 ~
【バニラ・エア車椅子対応問題】~(キャリコネニュース) 障害者差別解消法があるとはいえ社会全体に、広く知れ渡っているとは言い難い。木島さん側の非は、事前連絡を怠ったことだ。ある意図を内にひた隠し今回の挙に出たのであれば別だが、その本音部分は判断つきかねる。話が逸れるが、私が2012年度(2012年4月~2013年3月)、障害者能力開発校に通校したことは既に書いた。私が賑やか好きもあり月一でクラスの飲み会の幹事して、予約を居酒屋に入れていた。その際には、エレベーター、多目的トイレ、店内段差の有無。車いす通路幅は確保されているのか?その辺の確認は完ぺきに行っていた。1回のメンバーが平均15名以上。車いすの障害者は必ず3~4人はいたので、そうしていた。あれから5年近く経過したが、受け入れることが法律上当たり前でも実際の体制がそうなっていないことも多い。現実的な対応を思えば、自然とそうなる。とある鉄道会社の社長さんのブログによると、事前連絡した場合、その空港を運用する航空局の運用管理に連絡して、ゲート変更してもらうなんてことは当たり前のように行っているとの事だ。長年航空の現場で働いてきた人の言葉だけに、妙な説得力があると思うのは私だけだろうか? ただ、バニラ・エア社の場合、事前連絡しても 「介助者がいても自立歩行できないなら搭乗できない」と断りを入れていたようだ。バニラ・エア社の非は明らかで弁解の余地はない。 ~バニラ・エアに事前連絡したが乗れなかった車いす女性~(まなナビ)

2 確証はないが、行き着いた疑問や違和感
「差別者狩り」的な手法は悪手かも


画像2 鹿児島県奄美市にある奄美空港の様子(ユーチューブ画面撮影より)

 今回の事件の主役の木島さんは、色々な活動をされている。ある意味、車いす障害者のカリスマ的な存在でもある。そのこと自体、私などがとやかく言う筋合いではない。私自身はそういった活動にまるで興味がなく、進行性の疾患で残された時間も障害固定の方よりも遥かに少ない。守るべきは障害者の権利などではなく家族と私自身だと思っている。置かれた状況で、やるべきことが変わるのは当然だ。前以て言っておくがこれからの話は別に差別でもなく、5年前に障害者能力開発校に通校して感じた感想である。誤解しないで聞いてほしい。車いす障害者は身体障害者に属する。身体障害者でも視覚・聴覚障害者同様に別枠扱いなところがある。学校に来る求人も特筆事項で「求める障害者-身体障害者(車いすの方は除く)」が多かったと記憶している。これには理由として、自動車通勤が前提となるので社員用駐車スペースがなかったり、事務所内の大幅なレイアウト変更(車いす通路の確保)、多目的トイレの新設が難しい、などがある。これは2012年当時の話なので、2016年障害者差別解消法施行前。多大な経済的な負担も伴うので、合理的配慮の適用外になっているかも知れない。学校に求人が来ると生徒が群がる。しかし、この特筆事項を見て、悲しそうにしていた彼らの表情が今も記憶に残っている。

 車いす障害者の共通した特徴として、自己顕示欲の強さと攻撃的な性格がある。偉そうに言う私もその傾向があるがあくまでも常識の範疇。彼らはこれを余裕で超えていた。特に二十歳前障害の場合、顕著に出ていた。人格形成は、幼少期や思春期の環境によるところが大きい。車いす障害者であることが大きく影響している、と勝手に推察した。なぜ車いすでそうなるのか?疑問に感じたがある結論に行き着いた。それは「目線の高さ」である。別記事で、私が検査入院した時に疾患特定のために筋生検をしたことを書いた。筋肉組織摘出部位は左足太もも裏だった。術後、3~4日間の車いす生活を余儀なくされた。そこで感じたのは目線の低さによる周囲の圧迫感だった。私は身長が180㌢と大柄なほうだ。車いすに座るとほぼ半減する。見るもの全てに上から目線で、見下ろされている錯覚に陥る。これでは絶対に屈折思考になる。障害者であることも併せれば、負の人格形成の大きな要因となる。自己顕示欲の強さと攻撃的な性格は、それに対しての反動だろう。素人で専門家ではないので、断定は禁物だが感想としてはそう思った。聞けば、木島さんも高校時代クラブ(ラグビー)の練習中の怪我(脊椎損傷)により半身不随となったらしい。事件後の対応や公式HPの過去記事を読むと、窺った見方だが自己顕示欲・功名心の強さを感じるのだ。障害者能力開発校で接した車いす障害者と、その点では一致している。

 私が同じ立場なら、事前連絡して腹に据えかねる断り文句を受けた場合のみ、バニラ・エア本社に苦情を言うだけで済ませる。ましてや顔、実名まで晒してマスコミの取材などに応じない。マスコミに取り上げられる騒動を起こす理由が分らない。まるで敵の大将首を打ち取ったかの騒ぎようだ。気分は「差別者狩り」そのものでかっての魔女狩りを彷彿させる。こんな手法、健常者はおろか同族とされる障害者の大半も支持しない。理由らしきものは、何となくは察しているが、当ブログではあえて突っ込まないとする。世間の注目を集めるような騒動を起こし、問題提起をして強引に解決を迫るこの手法、単視眼的で当面の解決策としては有効だと思うが、「真の共生社会の実現」というマクロの視点では悪手とも思えるのだ。その悪手の理由を次項目で考える。

3 障害者の権利の主張
真の共生社会実現の障害は一部の障害者(だと思う)


動画2 障害のある人の雇用~「共生社会おかやま」の実現を目指して~


 
まず懸念するのは、「障害者=クレイマー予備軍」のイメージの定着である。障害者の社会進出が進んだとはいえ、まだまだ限定的で相互理解が深まっているとは言い難いのが現状だ。今回の事件で権利の要求一辺倒で、圧力集団のイメージが定着することを恐れる。確かに社会的弱者の階層に属する人間が、立場を利用して強者に法で認められた権利を主張すればその言い分はほぼ通るだろう。その主張方法を誤ると、健常者側のわだかまりとして蓄積されていくことを忘れてはいけない。数でいえば、全人口の6%程度。健常者は残り94%、圧倒的に少数派なのだ。一見、ホームにも思える社会だが実はアウェーだと思ったほうが良い。よく、障害者の権利等を議論する際に欧米の先進事例を引用する。決して悪くはないのだが、権利の行使が合理的に認め社会全体で容認されているかの国々と、そこまで割り切れない日本と同列視することは無理がある。絶対的に欠けている視点で、権利の保障や尊厳が守られる=同時に応分の厳しさ・責任も求められる」。日本の議論のそれは、いいとこ取りに終始している印象が強い。

 今から20年近く前、ドイツのフランクフルトに出張する機会が何度かがあった。ドイツは日本と異なり地方都市の公共交通機関がよく整備されている。そこで、Uバーン(シュタットバーン 地下鉄)に乗車した時に杖歩行している障害者を発見した。車内の状況は座席は満杯で立ち客も少しいた。そこで座っていた私は当然のように席を譲ろうとした。しかし、本人は少し怒り気味に拒否した。そんな反応をされ私も「何だよ、こいつ」と思った。降車後、同行していたドイツ人女性スタッフに注意された。「本人が助けを求めていないのに、勝手な判断で助ける行為は彼らの尊厳を傷つけるので駄目です」と。日本的常識にどっぷり浸かっていた私は、驚いたがその合理的思考法に納得もした。その論理を現状日本の障害者に求めるのは無理だ。障害に関わることへの配慮はあって然るべきだが、障害とは無関係の部分も障害者ということで甘やかされている。その面の厳しさを求めるべき健常者側も、返り血を浴びることを恐れ、腫物に触るかのような扱いしかしない。権利の主張は、法で認められているからするのではなく、付随する義務等を消化して、それを周囲が認めた場合に行うのが常道と考える。これは障害の有無関係なくそう思う。著名な障害者や各種障害者団体、人権意識の高い方々の権利の主張には、権利に付随する健常者同様に求められる厳しさの議論が欠落している、と思うのだ。求められる側は、内心「別に今の時代だから差別心はないけど、面倒くさい連中だな」と思うに違いない。

 障害者側の権利主張は、著名な方々が様々な機会を通してされている。それ自体悪いことではなく、正当なものであればいいと思う。多くの障害者の支持を背景があってのことだろう。しかし、障害者全体の総意かと聞かれると、あえて否としたい。弱き者が強き者をくじく構図は単純明快で分かりやすく世間の喝さいも浴びる。それはあくまでも表面的なことで、それ以上に批判的な意見も多いことを自覚するべきだ。健常者の本音は、「今の時代、こんなことまで差別扱いにされるのか。まるで差別者狩りだ。たまったものじゃない。面倒くさい世の中になったものだ」と知るべきだろう。これはブログ主の健常者時代の感覚を思い出し書いている。そして今回の木島さんの騒動(主張方法)は、真の共生社会実現に向けた問題提起などでは決してなく、あくまでも自己都合に立脚した行動だと感じた。たまたま、車いす障害者都合と自己都合と合致しただけのことだ。

 ブログ主個人の見解は、障害者が無理して大声で権利を一方通行で主張するのではなく、相互理解を深めた上で状況に応じて権利を主張して、浸透させる。自然体で時間をかけて熟成させていくのが回り道だが結果的には早道となる、である。その論からすると、「障害者=クレイマー予備軍」のネガティブイメージを増長、定着させる木島さんの行動は、障害者歴5年の中途障害者の私からすれば、迷惑そのものでしかない。誤った方法で権利のみを主張する障害者が増えると、かえって真の共生社会実現が遠くなると思うのだ。こうした問題に敏感なマスコミを利用してのやり方は、今後は控えてほしいと思う次第だ。あまり度が過ぎると、信奉者の障害者のみならず健常者からの支持を失うだろうし、拭い難いネガティブイメージが定着して障害者全体の不利益となる。仮に障害者全体の利益を考えて活動されているのであれば、障害者の地位向上の阻害要因である経済的な自立(就労問題)を促す活動をされたほうが、有意義だと思ったりもした。まあこの辺は個人の考え方で、私がとやかく言うことではないかも知れない。


 



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